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2012年07月日本史54: 平家以前にどうして武家政権は成立しなかったのか? (507)
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平家以前にどうして武家政権は成立しなかったのか?
- 1 :12/06 〜 最終レス :12/08
- 大河ドラマで、平清盛がはじめて武家政権を構築したと紹介されて疑問に思ったのですが、
どうしてそれ以前は武家政権ではなかったのでしょうか?
シビリアンコントロールが発達した近代と違い、基本的に古代・中世は「武力こそ正義」と言う
軍人支配でした。
曹操も、カエサルも、Mス・ハンも、政治家であると同時に優秀な将軍、軍人でした。
飛鳥・平安時代のような、公家支配が成立していたことのほうが不思議です。
平家以前にももちろん武装勢力はいたんですよね?
その武装勢力は、ナヨナヨした公家政権を打倒し、武家政権をつくろうとは思わなかったのでしょうか?
どうして、武家が公家に支配される政治体制が成立しえたのでしょうか?
- 2 :
- 奥州藤原氏じゃだめ?
- 3 :
- そらー、仏教の影響がでかいでしょ。 殺生は罪と教えるのだから
武力支配はできるだけ避けるようになるよね。
- 4 :
- 単に、飛鳥・平安時代の歴史が、公家視点で描かれているからでしょ。
実際は公家支配と言うほど、天皇や公家は権限持ってなかったと思うよ。
持っていたかのように書かれていただけで。
飛鳥・平安時代も、地方を実効支配していた実質的な権力者は、地域の武装した豪族や軍閥でしょ。
平家以降の武家支配は、公家視点で見ても、もはや公家支配とはいえなくなったからでしょ。
天皇支配、公家支配の建前すら維持できなくなった状態だと思うよ。
- 5 :
- 武家政権の成立は、後白河法王の執政のおかげだからな。
- 6 :
- 雄略天皇、斉明天皇、天武天皇あたりまでは
天皇が自ら軍を率いて出陣してるよ
天皇が軍人でなくなったのは律令国家になってからだね
天皇は文人であり都にいて軍を派遣するようになった
それでも治まってたんだよね
平安末期になるまでは
- 7 :
- 平安時代もはじめの頃までは公家が公家でないんだよね
結構荒っぽくって、自分で暗殺もトップがやらかしていたよね
組織が固まってなかったんじゃないかな。北面の武士、検非違使、
これも公家だったんだよ、中間貴族という奴で、そのうち専門で
戦闘を受け持って、上は放棄したね、戦うことをさ
平安文化が華開いて、それに安住しちゃった。次第に貴族でなく、武家の
自覚に目覚めてきた。それが武家の誕生じゃないかな
- 8 :
- >>1
>ナヨナヨした公家
これが間違い。
上でも述べている人がいるように、ヤマト王権初期は天皇(大王)自体が自ら兵を率いて戦に出ているし、
対蝦夷戦で活躍した坂上田村麿も藤原保則も小野春風も、
東国の乱で活躍した平高望も藤原利仁もみな貴族、公家から出ている。
「文武百官」て言うでしょ。
- 9 :
- 古墳時代の王朝は軍事政権だろ w
- 10 :
- ▽都人からみた吾妻男
東人は常に云わく、額に矢は立つとも、背に矢は立たじと云ひて、君を一心に護るものぞ(聖武天皇/続日本紀)
あずまをのこは いでむかひ かへりみせずて 勇みたる 猛き軍卒(大伴家持/万葉集)
相模国鎌倉は、下界の鹿渋苑、天朝の築塩洲也。武将の林をなす、万栄の花よろづにひらけ、勇士の道にさかへたり(海道記)
戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんや(吉田定房/吉田定房奏状)
▽江戸っ子から見た京女
水 水菜 女 染物 みすや針 御寺 豆腐に 鰻鱧 松茸(大田蜀山人/一言一話)
京によきもの三つ 女子、加茂川の水、寺社(滝沢馬琴/羇旅漫録)
京は石地小砂利のみ多く、土気すくなし。故に人きれゐなり。女などはいにしへより美人多きぞ(二鐘亭半山/見た京物語)
京地は婦人よし(司馬江漢/西遊日記)
- 11 :
- そりゃ簡単だろ
公家・武士の区別がついたのが平氏の頃だからだろ
武家がいないのに武家政権が出来るはずがない
飛鳥平安は武装勢力が天皇や公家なんだろう
「争い事は下々にやらせるでおじゃる」という考えが
日本の上流階級に浸透したのが
平氏の頃だったのだろう
>>8
文武百官だと「文が偉いでおじゃる」という意識が出ていて
なんか例えとして不適当な気がするな
- 12 :
- >>11
国司クラスの中流貴族の一部が武装化して
独自路線を進みだしたのが武家だからな
初めから公家と武家が分かれていたんじゃなくて
源氏や平氏ももとはといえば平安時代の天皇の子孫だし
- 13 :
- じゃあさ。院なり摂関家なりが直接そういう武士達を掌握出来なかったんだろう。
源氏や平氏などの「武家の棟梁」を介した間接的な支配しかできなかったのは何故かな。
それ以降も自ら将軍になろうとした摂関家や天皇が居ないのは何故?
- 14 :
- >>13
臣下が主君を裏切る下剋上が起こったんだよ。
諸外国なら主君は臣下に殺されて、臣下が新たな皇帝や王として即位するわけだが、
源氏や平氏がもともと天皇の子孫でその血筋の良さを利用していたこともあって
天皇や公家たちは殺されなかった。
鎌倉時代や南北朝時代には天皇の皇子(親王)が征夷大将軍になっていたよね。
- 15 :
- まあ確かに、武家政権が新しく誕生したと言うよりも、正確には政軍一体の天皇や豪族が、
分業化、専業化して、文官と武官に別れたっていう感じなんだろうね。
その武官が武家、いわゆる平家と源氏。どっちとも元は天皇家だしね。
政治色の強い天皇派がいわゆる宮中の公家になった。
軍事色の強い天皇派が武家となった。
だから正確に言えば、平家の武家政権成立とは、「平家がクーデターを起こして、天皇を武装解除、
非武装化して、完全に軍事力を持たない公家にし、宮中に閉じ込めた」と言う感じなんだろうね。
公家による武家の支配が成立していたと言うよりも、単純に、軍事力を持った天皇が、分派の武家
(源氏平氏)を、軍事力を背景にして支配していた。
しかし、より強い力を持った武家(平氏)が下克上を起こしただけ。
大河ドラマの清盛で語られるような「公家が武士を犬にしている」と言う構図は語弊があるかも。
- 16 :
- でも、突き詰めて考えたら、「武家政権」っていう言葉が、学術用語としてあいまいだよね。
なにをもって、武士、武家とするのか。
定義が曖昧だ。
本来なら明確な定義もないのに、平家が武家政権の元祖みたいな言い方はできないはず。
東征した神武や、坂上田村麿は武士じゃないのかって感じ。
なんか、教科書じゃ当たり前のように平安末期に武士が台頭してきたとか書いているけど、
それ以前の武装勢力とどう違うのか、明確化されてないよね。
ただのイメージの世界だよ。
義経的な鎧兜付けていたら武士。それ以前は武装してても武士じゃないって感じ。
- 17 :
- 摂関家は武官を経て大臣に進む羽林コース。
公家は武官のほうがえらいんじゃないの?
- 18 :
- >16
坂上田村麻呂は武官であって武士じゃないだろ。
平将門や藤原秀郷は武士になる。
その違いは結構武士の本質に関わると思うが?
- 19 :
- 奥州藤原氏だって東北地方限定ではあるが朝廷から独立した武家政権と言えるだろ
頼朝も奥州藤原氏の政治機構等を参考に幕府を作ったと言われてるし
- 20 :
- 藤原秀郷って本当に藤原氏か?
オレはおそらくどこかのとんでもなく強い武将が養子に入って藤原氏を名乗ったんだと思う。
藤原秀郷の系統はイケメンで運動が得意で普通の日本人じゃない。
- 21 :
- >>18
平将門は滝口の衛士出身の「武官」、藤原秀郷は「土豪」だろう
一門の棟梁の統率に従い、特定の院や摂関に世襲で仕える「侍(さぶらい)」が武士始まりで
北面の武士辺りが武士の初期形態だろう
- 22 :
- 藤原秀郷は偽
古墳時代の武力で統制した時代の後、あまり武力が好きじゃなく
頭で勝負する藤原氏が政争に勝ち抜いたから平安時代は「文」みえる
- 23 :
- 武士は律令制の位階性における階級が低かったから、政治に
かかわれなかったんだね。
それがだんだん実力つけてきて、貴族階級をしのぐように
なってくるんだな。
- 24 :
- 関東軍が満州国を独立させたのと将門の乱や頼朝政権は似てると思うな。
東京の言う事を聞かない関東軍と京都の言う事を聞かない東国の武家。
- 25 :
- 朝廷非公認なら平将門、公認だと奥州藤原が最初じゃないのか?
- 26 :
- >>11
>文武百官だと「文が偉いでおじゃる」という意識が出ていて
> なんか例えとして不適当な気がするな
>>17
> 摂関家は武官を経て大臣に進む羽林コース。
> 公家は武官のほうがえらいんじゃないの?
『続日本紀』養老五(721)年甲戌条に、
「文人と武士は国家の重んじるところである。よって(文武)百官の中から特に学問・技芸に優れたる者を選び報奨を与え、後進の模範とさせたい」
という元正天皇の詔が出されている。
だから律令体制の基では一応、「文」「武」は同等ということになっている。
まあタテマエかもしれんがね。
因みに↑は「武士」という語の初見史料でもある。
- 27 :
- >>18
その通りだね。
ただ、律令官僚制の原則である役職の非世襲や専門家の不設置も、
対蝦夷戦争が激化していくあたりからは有名無実化していかざるを得なくなってくる。
軍の知識、軍略に長けていないと戦争を遂行出来なくなっていたからね(坂上田村麿〜藤原保則の頃にかけて)。
それらの制度上の矛盾が最大限に高まった次代の寛平・延喜期になると、平高望や藤原利仁や嵯峨・仁明源氏など、のちの時代にまで続く英雄たち(初期軍事貴族)が一挙に登場してくることになるが、これは時代の必然であったからだろうね。
- 28 :
- >>20-22
俗説はともかく、学界では北家魚名流藤原氏で間違いなしとされてるよ(魚名子息・伊勢守藤成と秀郷祖父・豊澤との間に年代矛盾が無いなど)。
- 29 :
- >>28
藤原魚名の庶子藤成は公卿にも登れず、その子以降となると中央の記録からも
消えてしまうのでよくわからない。
平安時代の源氏や平氏が中央からの官位を受け続け、
貴族の日記などで系統を辿れるのとは大きく違う。
室町時代編纂の「尊卑分脈」では繋がっているが。
- 30 :
- >>29
それで言うと藤原利仁なんて本人の記録すら同時代記録に残っていないのだから利仁は実在しなかった人物ということになる。
それでも学界で利仁非実在説なんて唱える人はさすがにいない。
それは何故かね?
記録になくとも当時の貴族社会の風土や状況証拠からみて矛盾が無かったり傍証がある場合には取り敢えず認める方向にあるんだよ。
第一、源氏でも最初に登場する嵯峨仁明系源氏は貴族の日記でも辿れない場合も多いよ。
清和源氏は元より新しい家系だし。それですら初代経基-満仲間がすでに怪しくなってる。
桓武平氏も初代高望の父高見王の実在が怪しまれている。
このように文献記録というものは全てが現代にまで残存しているわけでもなく、まして六国史が終わった後の公家の日記などは仮に全部が現代にまで残存していたとしても、基本的には穴ぼこだらけだ。
- 31 :
- >>30
藤原利仁は「今昔物語」「鞍馬蓋寺縁起」に登場してるが?
源満仲は「本朝世紀」「扶桑略記」の国史クラスに登場。
「大鏡」で「清和源氏」という言葉も出てきており、
清和天皇の末であったことが分かる。
その両者と藤原秀郷の系譜は同等に信憑性があるという
おたくの結論の引き方が不適切。
- 32 :
- >>31
どれも同時代史料じゃないかこれいかに?
それに加えて『今昔〜』などは虚実入り交じった説話集だが?
それらが是とされて『尊卑〜』を非とする論拠は?
因みに学界では『尊卑分脈』は鎌倉以前の記載は準一次史料扱いだよ?
さらに現在でも秀郷非藤原氏説を唱えられている専門家がいるなら是非ご教示願いたい。
- 33 :
- >>32自己レス
>どれも同時代史料じゃないかこれいかに? ↓
>どれも同時代史料じゃないじゃないかこれいかに?
- 34 :
- >>31
それから
> おたくの結論の引き方が不適切
などと仰るからには 、
>中央の記録
>貴族の日記
(>>29)
に登場する利仁の記録も併せて是非ともご提示下さいね。
- 35 :
- >>26
俺には、それは「文」と「武」が対等のように読めないな?
むしろわざわざ「文」や「学」を先に出していて
「文が偉いでおじゃる」と言いたいようにしか読めないんだが…
話がそれるけど、この間から気になっているのは、
「桓武天皇」のように「武」を冠する天皇は、
低い扱いなのだろうか…
- 36 :
- 神武天皇はえらいに決まっているだろ。
- 37 :
- >>35
まあね。
だから一応
>タテマエかもしれんがね
と断っているんだけどね。
ただ、↑の『続日本紀』の記事は、元木泰雄氏や下向井龍彦氏ら現代の第一線の武士論研究者たちが「文武の同等性」を述べる時の論拠としてよく引き合いに出す一文でもあるから提示したまで。
- 38 :
- 武家の明確な定義ってあるの?
- 39 :
- >>38
おおよそは>>18の述べる通り。
より細かく言うと、
@寛平・延喜東国の乱を鎮めた藤原利仁、平高望、嵯峨・仁明源氏らとその子孫。
A承平・天慶の乱を鎮めた藤原秀郷、平貞盛、源経基、橘遠保、大蔵春実etcらとその子孫。
彼らが同時代用語では「兵(つわもの)」と呼ばれ、
学術用語では「軍事貴族」と呼ばれる。
学界ではこれら寛平延喜期以降の武人たちを「武士」と定義する。
あと@とAの間に、承平南海賊を鎮めた藤原純友らを加える場合もあり。
- 40 :
- ただし、
@は、
>中央の記録
や
>貴族の日記
などに「高望、利仁が東国に赴き群盗を鎮圧した」などの記載があるわけではない。
9〜10世紀の将門の乱以前の段階は謂わば史料の空白期に当たる。
だからこれは学者たちによる「推論」。
そこがAとは違うところ。
- 41 :
- >>32
平安時代成立の「本朝世紀」「扶桑略記」よりも
室町時代成立の「尊卑分脈」が正しいという根拠は?
鎌倉時代以前の「尊卑分脈」は準一級史料だとどこの大学教授が言っているのか
まずは述べてくれ。
「尊卑分脈」なんて藤原道長の娘が源高明の妻になったと書いているくらいの
シロモノなんだが(道長の妻の一人が源高明の娘の間違い)。
- 42 :
- >>33
そこまで言うからには「尊卑分脈」が同時代史料じゃないと意味がないよね。
室町時代の史料を上げて「これこそが平安時代の史料に優先する準一級史料だ!」
というおたくの頭のおめでたさ。
- 43 :
- >>41
12時間ぶりで登場したと思ったら・・・
今までずっと粗捜しのネタ考えてたの?
とりあえず、質問に質問で返す前に
>>32>>34
での質問に答える気は無いの?
にしても粘着質だねえ。
- 44 :
- >>43
お前みたいに一日中することなくて2ちゃんねるとは違うのでねw
粗さがしでもなんでもないじゃん、>>32>>34 の答えがそれ。
尊卑分脈のみが根拠なんだから、尊卑分脈は室町時代の成立で信憑性がないと言ってんの。
自説を否定されると粘着質とか、狂ってる?
- 45 :
- >>44
壊れんの早すぎ粘着君。
まともに質問に答えてくれればこちらも答えようがあったものを・・
それで君は「武家政権成立スレ」で何が言いたいのよ?
他人に難癖つける以外にさ。
- 46 :
- > 尊卑分脈のみが根拠なんだから、尊卑分脈は室町時代の成立で信憑性がないと言ってんの
ダメだこりゃ!
- 47 :
- >>40のさらに補足でも書いとくか。
残念ながら同時代(一級)史料には、平高望や藤原利仁や嵯峨仁明系源氏らが「群盗征伐のために」東国に赴いた旨の記載は存在しないが、では何故研究者たちはそのように推論するのか?
一例を挙げると将門の乱には源護や源扶らの一字名の源氏が現れるが、
寛平期に近い天安元(857)年の源興以降、十人の嵯峨仁明系源氏がほぼ連続して相模の国司に任じられており、以降寛平期になると武蔵、常陸など近隣諸国に展開していっていることなどが挙げられる。
この時期東国で起こったのがイ就馬の党や俘囚などから成る群盗の蜂起である。
これらの鎮圧に朝廷は当然東国の地に重代に渡って赴任しその地の地勢に明るい嵯峨仁明系源氏を起用したであろうことは容易に想像がつく。
加えて嵯峨仁明源氏と寛平期に上総に赴任した平高望の子息・国香、良兼らとは姻戚を結んでもいる(将門記)。
このような観点からの「類推」なのだ。
これは>>30で述べた
> 記録になくとも当時の貴族社会の風土や状況証拠からみて矛盾が無かったり傍証がある場合には取り敢えず認める方向にある
といったことの例証の一つでもある
またこれは記録にないことは存在しないこと、などとやっていては史学などは成立し得ないことの証左でもある。
- 48 :
- 関東のいくつかの地域の郷土史を調べてると
藤原秀郷はなにげに
崇敬されていた痕跡がある
- 49 :
- 秀郷(に至る魚名流藤原氏)についても全く同じことを推論することができる。
桓武天皇以降、度重なる蝦夷征討戦や遷都などで出費が嵩んだ朝廷はもはや皇胤だ藤原北家だのといったところでそれらの扶養は不可能となる。
多くの皇胤の庶子胤を臣籍に降下させて主に受領などとして地方(特に東国)に赴任させたように、藤原氏もそれも北家といえども庶流筋にあたる家にはそれと同じ道を辿らせていったわけだ。
利仁の家(やはり北家魚名流)がその優れた傍証になってくる。
そしてこの利仁と秀郷の両魚名流藤原氏の関係性に注目しているのが近年の研究者の方向でもある。
- 50 :
- >>48
関東の神社面から見ていっても面白いよ→秀郷。
- 51 :
- 藤原利仁ったら、まず芋粥のひとだよね、一般的なイメージは。
芥川が今昔物語のこの説話に着目したので、藤原利仁の名が
一般に膾炙したようなものなのでは。
- 52 :
- >>39
豊臣秀吉は武士じゃないってかw
- 53 :
- 秀吉は武士でしょ。
近世になったらもうそんなの沢山いるでしょ。
- 54 :
- 今昔物語の袴垂の話の下りに藤原保昌の話が出てくるんだけど、保昌は武門の生まれでないのに
武芸で身を立てたから子孫が出来なかったんではないかみたいな話がある。
平将門の乱のすぐ後の人なのに、既に武芸は武門が独占する物って意識があるのが驚きなんだよな。
- 55 :
- >>54
『今昔〜』は平安末期の成立だからね。
つまり家業の分化、家系のほぼ完全なる父系化への移行がなされた後の時代に書かれた説話集。
だから後世になってかの時代の常識を基準にして書かれたものなの。
だから『今昔〜』には注意が必要なんだ。
なお、保昌の時代には藤原保輔(保昌の弟)、橘則光(清少納言の夫)、清原致信(清少納言の兄)のような、やはり「兵の家の生まれには非ねども」実態はそれとほとんど変わらぬ貴族も多く存在していた。
それはそれとして、保昌の家は本来なら兵の家(軍事貴族)になっていてもちっとも不思議ではない履歴をたどった家なんだよ。
>>49に挙げた利仁の家とともに保昌の家系が辿った歴史は、秀郷の先祖が下野に留住した過程を推論する上で非常に貴重な例証になり得るもの。
だからこれから書こうと思っていたところ。
- 56 :
- > だから後世になってかの時代の常識を基準にして書かれたものなの
↓
> だから後世になってからの時代の常識を基準にして書かれたものなの
- 57 :
- >>51
まああと付けの部分が多分にあるだろうね。
『今昔〜』の他にも、『宇治拾遺物語』、『鞍馬蓋寺縁起』、舞の『未来記』なんかの影響も大とされている。
なお、『鞍馬蓋寺縁起』は室町末期の成立ね。
- 58 :
- >>57
へえー、全部利仁についての説話が載ってるんだ。結構な有名人
だったんだね。
- 59 :
- そもそも平氏政権が武家政権だという認識は、鎌倉後期の後付の認識だろ。
- 60 :
- 平氏政権って武家政権なのか、それが学会の大勢なの?
自分のイメージでは、確かにある程度の武力を背景にしているものの、天皇の外戚になって権力を握ることからして
それ以前の貴族政治の延長のように感じるんだけど。
- 61 :
- 平氏政権も源氏三代も過渡期ってイメージだな
徐々に武家政権色が強くなっていって
南北朝を統一した室町幕府で武家政権が完成したのかなって
- 62 :
- 室町幕府は公武合体政権だな。武士が何から何まで運営するのが武家政権だとすれば、
そういう政権は江戸幕府だけだ。
- 63 :
- >>62
室町幕府は朝廷から独立した司法・立法・行政を持っていたから武家政権。
京都にあり歴代将軍でも朝廷の高位に上る者はいたが、
天皇の裁断を仰いだり、公家のように将軍が内裏へ出勤するということはしなかった。
- 64 :
- じゃあ奥州藤原が日本最初の武家政権だな
- 65 :
- 奥州藤原は清原氏の所領を受け継いだ地方豪族
- 66 :
- 大和朝廷も地方豪族だな
- 67 :
- 大和朝廷以降今日まで対外的に日本を代表していたのは天皇だろ。
摂関も将軍も天皇の代行者でしかない。
奥州藤原氏は対外的に日本を代表したことはなく天皇の代行者でもないんだから、ただの地方政権だよ。
- 68 :
- >>66
大和朝廷は東は関東、西は九州、北は甲信越、南は四国まで
支配下に治めてただろ
大和一国の酋長だったというなら地方豪族だが
- 69 :
- >>39
それは定義とは違うんじゃないの?
定義って言うのは、普通名詞じゃないと。
>学界ではこれら寛平延喜期以降の武人たちを「武士」と定義する。
学界ではそれが一般的なのかもしれないが、定義にはなってないよ。
武士の定義は○○で、その定義に合致するから、寛平延喜期以降の武人たちを武士と呼ぶって言わなきゃ。
どうしてそれ以前を武士とは呼ばないのか、何の説明にもなってない。
結局武士という言葉がやっぱり曖昧なままなんだよ。
だから武家政権の定義も曖昧になる。
戦争経験の有無を武士の定義とするのなら、徳川将軍だって家光以降は武士とは呼べないでしょう。
もはや戦争を専門職としていない。ファッションが武士なだけで、むしろ内実は貴族化している。
結局、天皇家から独立して権勢を誇った一族を、みな武家と呼んでるだけでしょ。
摂関政治の藤原家は、あくまで天皇家の威光を借りたものだし。
- 70 :
- さいですか
ならば他人に難癖つける以外にまずは貴方ご自身の考えられる「定義」をご披露されては如何ですか?
- 71 :
- ちなみに
【定義】
用語や概念の意味と内容を明確に限定すること。
(新修広辞典第5版、集英社より)
- 72 :
- >>70
>天皇家から独立して権勢を誇った一族
って書いてるじゃん。
武人であるのにもかかわらず神武天皇や坂上田村麻呂が武士、武家と呼ばれないのは天皇そのものか、
天皇の支配下にある武官だからでしょ。
平家が初の武家政権と呼ばれるのは天皇から独立して、権勢を誇ったから。
天皇の支配から脱したから。あるいは下克上を起こしたから。
武士、武家なんか本来、あいまいな言葉で漠然としたものなのに、平家は「初の」武家政権なんて
妙に厳密な限定性を持たすべきじゃないよ。だったらそれ以前の武装勢力は武家じゃないのかって
言う突っ込みが入ってしまう。
平家政権は初の武家政権というよりも、初めて他家が天皇家から実権を奪った政権ということでしょ。
天皇の地位の低下が、すなわち武家の台頭になる。
- 73 :
- 摂関政治って知ってるか?
- 74 :
- 摂関政治はあくまで天皇の権威を利用して実験を握ったんでしょ。
武力であからさまに天皇を監禁した平家とは違うよ。
- 75 :
- 平家だってその点は同じだよ。
高倉院や安徳帝を擁立してその
>権威を利用して実験を
掌握した。
- 76 :
- >>75
まあ、そこら辺が平家が最初の武家政権かどうか意見が分かれるところだな。
平氏政権はやっぱりそこら辺半端なんだよね。
- 77 :
- 鎌倉幕府は西日本も支配したっけ?
- 78 :
- >>76
将門の前例があるから慎重になってたかも。
まして平家は将門を倒した側の子孫だし。
>>77
承久の変までは東西両政府並立状態だよね。
佐藤進一の東西二元政治論(正式名称違うかも)だっけ?
- 79 :
- >>77
頼朝時代にも西国に守護・地頭、九州には鎮西奉行はいた
ただ東国と比べれば御家人や地頭を任命できる土地は限られていた
俺は平氏政権は朝廷の組織に依存して行政を掌握しているから、
独自の政権とは呼びにくいとは思う
平氏政権が認められるなら、時代がくだって鎌倉幕府のほかに、
得宗政権ができたと言わなくてはならない(得宗家にも得宗公文所などあったし)
- 80 :
- >>79
実際北条政権とか言うよね。
北条幕府という表現までしてるのも見たことあるわ。
- 81 :
- 平家政権に似た権力掌握に
蘇我氏がいたよな
野望の成就直前で滅ぼされているのも同じ
- 82 :
- >>81
蘇我氏は藤原氏の前に外戚政治をやった人
平氏と蘇我が同じというより蘇我の真似して成功したのが藤原だろう
藤原の真似したけど貴族社会からボイコットされたのが平氏
- 83 :
- 蘇我は外戚だから実権を握ったというより、
軍事力で物部と穴穂部皇子、崇峻天皇を潰したのが大きいだろ
- 84 :
- >>83
蘇我が用明・推古の外戚になったのは大きかっただろ。
蘇我を外戚とする用明天皇は初めて蘇我氏が信仰する仏教を国の宗教と認めたし
同じく蘇我を外戚とする推古天皇のときには実質的に蘇我馬子が共同統治者だった。
藤原氏も権力掌握の初期過程においては軍事力を用いており、
(長屋王の変では藤原宇合が兵を率いて長屋王の邸を囲み滅ぼしている・
橘奈良麻呂の変でも藤原永手が関係者尋問に当たった後、
藤原仲麻呂が兵を率いて橘奈良麻呂を攻めている)
蘇我氏の軍事行動も似たようなもの。
- 85 :
- 平家も蘇我も武力の裏付けが有って天皇を脅した
藤原は武力の裏付けと言うより、天皇が頭が上がらなかったと言うのが大きいのでは?
藤原は天皇にとっては恩人のような存在
当初の藤原は武力の裏付けは余り無いと思う
- 86 :
- 一番大きな違いは天皇に取って代わる気が無かったと言う事か
- 87 :
- 崇峻天皇や山背大兄だって蘇我の血縁者だろ
粛清されたが
- 88 :
- まあ、学会や歴史書で使われている「武家政権」という用語はたしかに、武士の定義というよりも、
相対的に天皇から自立した政権というイメージなんだろうけど。
天皇家からの距離感というか。
でも、一応建前上は、日本って神武以来ずっと天皇が支配してるんでしょ。
だったら、天皇から独立した政権なんてありえないわけで。
天皇の位置づけなんかがあいまいなことも、ますます定義をわかりにくくしてるよ。
頼朝も尊氏も家康も、天皇の配下といえばそうなわけであって、独自の政権など築いてなかったという
建前になっている。
もう武家政権なんて言葉を使うのが、問題を無意味に混乱させているんだよ。
平氏政権、源氏政権、足利政権、徳川政権でいいだろ。
何で定義があいまいな「武家」という言葉でくくるんだって言う話。
- 89 :
- >>69
> 武士の定義は○○で、その定義に合致するから、寛平延喜期以降の武人たちを武士と呼ぶって言わなきゃ。
> どうしてそれ以前を武士とは呼ばないのか、何の説明にもなってない。
だからそれを「概ね>>18氏の書いた通り」と言ってそれに捕捉してあとを続けたんだがね。
これだけ書けばあとは分かると思ったから。
坂上氏や文屋や小野氏などに代表される律令期の武官は「武士」とは定義しない。
その理由は律令期というのは原則非世襲制であるというのが1つ、
9世紀初頭の征夷事業の終焉等により、大規模な軍事動員の必要性が暫時減少したことがもう1つ。
さらに律令制度の根幹とも言える個別人身支配による税の徴収がもはや不可能になっていたこと(官僚に給料が払えない)が1つ、等が挙げられる。
これら律令期の武官のことを学術用語では「軍事官僚」と呼ぶ。
対して、寛平延喜期以降に登場する藤原利仁や平高望らに始まる武人たちは、
代々家に武芸を継承し、
朝廷から「兵の家」として認定を受けることになる(ここは特に重要だぞ)。
つまり、これ以降は軍事動員が必要な事態が起こっても「兵の家」以外の氏族が任命を受けることはなくなったということだからね。
> 学界ではそれが一般的なのかもしれないが、定義にはなってないよ。
学界における武士の「定義」が霞んでしまうくらいの「新定義」を君が披露してくれることを待っているよ。
- 90 :
- >>89
>朝廷から「兵の家」として認定を受けることになる
そんな認定があるのなら最初っから言えばいいじゃんw
要するに、武士、武家とは「兵の家」と天皇から任命を受けたものって言う意味ね。
でも、官職じゃないんだから、いちいち全部の武士に「兵の家」認定なんかするわけじゃないだろうし。
結局あくまでもイメージなんでしょう。
その後の武家、戦国大名、徳川幕府の大名なんかも含めて、みんな「兵の家」認定されてるの?
>学界における武士の「定義」が霞んでしまうくらいの「新定義」を君が披露してくれることを待っているよ。
いや、別に定義不可能なものを無理に定義する必要ないってことでしょ。
なぜ武士、武家政権という名前にそんなにこだわるの?
武家の台頭なんて、結局天皇の中央集権が緩んで、地方封建化が浸透してきただけでしょ。
武装した地方豪族を勝手に武士、武家って呼んでるだけじゃない。
- 91 :
- 武装した地方豪族ってよく本に書いてあるけど意味がわからん
もともと武装してただろ
- 92 :
- そう、もともと武装していた。
武装なしに治安が保てるはずもない。
しかし、なのになぜ急に台頭してきたかのように教科書に書かれているのか。
そこが違和感がある。疑問がある。
武家、武士なんて、ずっと前からいたはず。
もし朝廷の認定によって成立したのであれば、あくまでそれは、朝廷の官職のようなものに
過ぎないんじゃないのかな。
それを政権と呼ぶのも違和感がある。
自然発生的なものを定義しようというのが、無理があるんだ。
なぜ無理に武家政権成立以前と以後に分ける必要があるんだ?
そんな分け方するから、「平氏だって藤原氏とかわんねーじゃねーか。何が違うんだ?」とか、
「江戸幕府だって建前上朝廷の支配下なんだから、武家政権と呼ぶべきじゃない」とかツッコミが入る。
- 93 :
- それから、「武士」を定義するのに
朝廷からの支配だの、独立だのは全く関係ないから。
「兵の家=武士」は承平天慶の乱勲功者子孫に占められていくわけだからね。
- 94 :
- 任命だけだったら今の天皇と同じ
つまり国のトップ人事の決定権の有無だな
決まってから形式的に認定するのか、天皇が人事に絡むのかが重要
- 95 :
- >>90
そんな認定があるのなら最初っから言えばいいじゃんw
だから>>18を読んでも君に類推する力がないならしようがないよね。
常識なんだけどね。
> でも、官職じゃないんだから、いちいち全部の武士に「兵の家」認定なんかするわけじゃないだろうし。
寛平延喜&承平天慶勲功者の数はごく限られてるの。
だから朝廷はちゃんと兵家認定した家を把握してるんだよお馬鹿さん。
それから徳川だの戦国時代だのは、「兵の家」=「軍事貴族」範疇のカテからは外れまくりだから。
いちいちこんなこと言わせんなっての。
メンドクセエ。
- 96 :
- >>95
>それから徳川だの戦国時代だのは、「兵の家」=「軍事貴族」範疇のカテからは外れまくりだから。
そんなカテゴリ関係ないでしょ。
徳川幕府まで武家政権と認定されてるんだから。
まあ、当初は「兵の家」と認定が武士の起源なのかもしれないが、そのうちその言葉が独り歩きし
はじめたって言うことでしょう。
武家、武士という言葉は普通名詞として、「兵の家」認定を超えて、一般に使われ始めたって言う
ことになる。
「兵の家」認定は、語源ではあるかもしれないが、一般化した武士という言葉の定義足り得ないでしょう。
- 97 :
- ぶよぶよぶよう
- 98 :
- 平家は武家政権ではない
平家が武家政権なら、蘇我氏も武家政権だ
- 99 :
- 「兵の家」認定が、武士の語源、起源だとしても、それじゃなぜ平安時代末期に急にそんな認定を
朝廷がしだしたのかって言うことになる。
それ以前の武装勢力はなぜ「兵の家」認定されなかったのか。
まあ、一種の分業制が進んだ結果だとは思うんだけど。
分業化と天皇の中央集権制の限界、および地方勢力の台頭(封建化)。
この三つの前提がそろったのが平安末期ということなのかな。
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