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2012年07月日本近代史180: 坂本龍馬と薩長 (591)
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坂本龍馬と薩長 (591)
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坂本龍馬と薩長 (591)
頭山満について (258)
【A級戦犯】近衛文麿・広田弘毅【大政翼賛会】 (372)
坂本龍馬と薩長
- 1 :10/09 〜 最終レス :12/07
- 思う所、語ってみませんか??
- 2 :
- <龍馬暗殺犯 現在のオッズ>
薩摩黒幕 1.20倍
斎藤一 1.45倍
京都見廻組 3.45倍
紀州 6.00倍
原田左之助 12.00倍
土佐 24.00倍
自殺 40.00倍
- 3 :
- 中川宮朝彦 1倍
- 4 :
- 薩摩黒幕説はよく聞くけど、長州は?
- 5 :
- 長州が中岡をことは無謀
- 6 :
- 大体、慎太郎と龍馬どっちが標的だったのでしょうか??
それによって、だいぶ暗殺犯変ってきませんか??
- 7 :
- 近江屋は龍馬の定宿
だから龍馬が標的
中岡は止めを刺されていない
中岡が龍馬を訪れた後に誰か(新撰組の事情通)が来た
- 8 :
- ちなみに、現在の学会での見解は、松平容保、もしくは彼の直属の部下による命令。
実行犯は松平容保配下の京都見廻組。
動機は松平容保の大政奉還への敵意。
ということになっています。
薩長説は小説家の妄想。
- 9 :
- 薩摩は藩の威信は大事だが篤姫を庇わなければならなかった
だから紀州藩を直接攻撃しない形で幕府の権威を失墜させることを目論んだ
土佐は紀州藩とはいろは丸事件以前の昔からの険悪な間柄で
慶喜の名誉だけ守れればそれで良かった
長州藩は攘夷の急先鋒として各地から志士が集まり
長州藩だけの損得勘定で安易な行動は出来なかった
紀州藩は伏見宮と親密で中川宮の失墜は藩の存亡に関わる重大事
- 10 :
- 西郷さんは生き延びてベトナムに渡ったそうですよ。
その証拠にサイゴンって地名が残っているとか。
- 11 :
- 西郷一人生き延びて彼に何の生き甲斐がある?
西郷とともに彼に従う有能な何人かの行方が不自然だとかの痕跡があれば別
「井伊直弼暗殺は影武者だった」とかと同類
- 12 :
- そんじゃ、実は龍馬は3人いた。
でどう。
- 13 :
- 御三家紀州の暗示
- 14 :
- 三菱の「三」も御三家の暗示
慶喜実家の水戸家に敬意を払いながら
龍馬暗殺の裏に紀州家があることを示唆
- 15 :
- 紀伊徳川陰謀説 0.0003
越前徳川陰謀説 0.9
武蔵伊豆守説 3.6
宮中陰謀説 0.19
水戸脱藩志士説 0.00001 or not
土州脱藩志士説 皆無
薩州陰謀説 50
長門陰謀説 00
イゲレス周旋説 08
フランス周旋説 06
諸外国は証明できれば払います。
- 16 :
- >>15
ほー
- 17 :
- 三浦休太郎独断関与説 1.9
- 18 :
- 中川宮朝彦実行犯 1
- 19 :
- グラバー説 13.0
- 20 :
- 会津藩士の記録に、それらしいのがあったとか?!
確かNHK(ラジオ)で聞いた。
- 21 :
- 会津藩京都駐在幹部(当時)、手代木の証言ですか
・見廻組の佐々木(手代木の実弟)が見廻組の部下と共に坂本龍馬暗殺を実行した
・坂本龍馬暗殺の命令をしたのは、一会桑の某諸侯である
・某諸侯といっても決して容保様のことじゃなくて・・・・・・桑名だ桑名だそういうことにしてね
という内容
- 22 :
- やっぱ常識的に考えれば松平兄弟が一番怪しいな
討幕派云々は龍馬の立ち位置や思想から考えても意味が無いし有り得ない
傍証とされるものも裏が取れない&牽強付会な解釈が多すぎ
今井家に伝わる口伝だの佐々木多門の手紙なんかがまさにそう
- 23 :
- それならなんで新撰組にやらせないの?
- 24 :
- 素朴な疑問。誰か教えてくれ
@刺客は何故坂本本人と分かったのか?無言で狙い打ち?
A事前に坂本確認の手配をした者がいたのか?
B坂本を売った裏切り者の存在は?
- 25 :
- @無頼浪士でそれらしけりゃ何でも良かった、坂本なんてリストになかったのかも。
Aおりょう
Bいない、つうかそこまで重要人物か?
- 26 :
- @手配の似顔絵くらいはあったかも、着物の紋章で判断か
A中岡は致命傷だが生きているから、ヤツが坂本だと手引きがいたかも
Bミステリーとして未だに推測されているからなw
まあ、この時代は偶然や遭遇は多々あったかと
- 27 :
- >それならなんで新撰組にやらせないの
徳川慶喜が受け容れた大政奉還を理由に坂本龍馬をのは、松平容保にとっては主君の命に逆らう行為となる。
手代木・佐々木という実の兄弟にやらせることで、情報が漏れるのを防ごうとしたのだろう。
>@刺客は何故坂本本人と分かったのか?無言で狙い打ち?
今井(見廻組隊士 実行犯の一人と証言)の証言によると、才谷(坂本)宛てのニセ紹介状を持ち、
部屋にいた2人に渡し、書状を呼んだ方を坂本龍馬と考えて狙い撃ちにした、ということになっている。
>A事前に坂本確認の手配をした者がいたのか?
証言によると、暗殺の数週間前に居場所を特定し、当日は通常の面会のように十津川藩士を名乗り、
坂本の世話をしていた力士一人が出てきたので一階で殺害、そのまま二階に上がって2人と面会し、殺害.。
場所を特定した手段については証言がない。
しかし、大政奉還時に京都の幕府首脳と何回も面談を重ねているので、居場所の特定は容易であったと思われる。
>B坂本を売った裏切り者の存在は?
強いて言えば裏切り者とは、上司である徳川慶喜が受け容れた大政奉還を憎み、坂本を殺した
松平容保のことなのだと思う。
- 28 :
- お龍の実家楢崎家は元は長州藩士だったらしいが浪人となり
父将作は勤王家だったが中川宮朝彦の侍医となる
お龍と中川宮との接点は不明
龍馬がお龍を妻とした数ヶ月後ワイルウェフ号が沈没し池内蔵太ら12名死亡
海援隊内部でのお龍の評判の悪さは中川宮の手先とする見方があったから
女一人で沈められるほど船は脆くない
お龍の身近に長崎奉行所もしくは中川宮が忍びを放った可能性大
楢崎家は父将作を失ったあと没落し池田屋事件の後で家財の一切を会津藩に没収
女たらしで有名な中川宮は美人のお龍に目を付け態と楢崎家を狙い撃ちした
父将作も中川宮に毒を盛られた可能性がある
中川宮朝彦はお龍のストーカーで新撰組の近藤が中川宮の命でお龍のいる寺田屋に物見に来たのは事実
坂本はそれを承知でお龍を妻にしたのだ
坂本の実家との不和や千葉佐那とのいがみ合いの裏には中川宮を龍馬の仇としてみる証拠である
- 29 :
- 坂本暗殺時世は危機迫る暗雲の時代だから明日はわが身の緊張感
どこの馬の骨かは分からないが一端を担うってもんだ
だれもが命の労いをしながら然もや吾よと生きた時代ですねん
- 30 :
- 明治後年に実行犯だと自白した今井信郎が2階に上がりざま機転を利かし「お久しぶりです坂本さん」
と呼びかけ「おー誰だったかいのう」と答えざま斬りつけたという話しが残っております。
- 31 :
- >>22
大政奉還で京での地位や権力を失うのが会桑ってとこスルーしてるのが多いよな
穏健に徳川の新政府入りが実現した所でその後重用される可能性が低く
大政奉還自体に嫌悪感を強く示していたのに
幕末をロマンのない権力闘争って側面から見るのを嫌う人間が多いからなのか
- 32 :
- 西郷が今井を助命したとかいう話だけど、あれって今井家に伝わる家伝以外になんか根拠あるの?
俺は今井信郎の勘違いかもしくは子孫の拡大解釈だと思ってるけど事実という前提で話されるから歯痒いんだよね
- 33 :
- 龍馬って人気あるから気になる人なんだけど、
なんか興味わかないんだよな。
司馬さんの本読んでもピンと来なかったわー
好きになりたいのになんでだろか。
河井継之助と村田蔵六は好きになりましたが。
- 34 :
- 未完だよなたしか
- 35 :
- 当時は龍馬より中岡の方が数段知名度が高かったし、どう考えても狙われたのは中岡
実際龍馬は当時は埋もれた存在で現在のヒーロー龍馬は全くの都市伝説
- 36 :
- ほぅー、そんな見方があったか。
- 37 :
- 武田鉄也と間違えられて斬られたんだよ。
- 38 :
- 軍鶏を買いに行った僕はその後どうなった?
さすがにそこまでは誰も知らないだろ
- 39 :
- やっとわかったー
武田鉄矢が好きじゃなかったから、龍馬も好きにならなかったんだわー、自分。
サーセン!
- 40 :
- >>37
間違えるにしては風貌が違い過ぎるw
- 41 :
- 中川宮朝彦が坂本龍馬暗殺の実行犯であることは間違いない
中川宮にとって政敵であり恋敵でもある坂本を生かしておくことは
その節操のないシンボルが許さなかったのだ
龍馬の初恋は平井収二朗の妹加尾といわれるが
平井収二郎を策略で追い落とし切腹に仕向けたのが中川宮である
龍馬がお龍を選んだのは初恋の加尾の兄収二郎の弔いだったのかもしれない
安政の大獄で失脚し傷心の朝彦を同じく連座して投獄された侍医である楢崎将作が治癒し
お龍はそのとき体の弱った父を手伝って朝彦を親身に看護していたのだろう
朝彦はうら若く美人のお龍を慰み者にして憂さを晴らそうとしたが
勤王家の将作が邪魔になり毒殺もしくは嬲り殺しにした
それが一橋派から公武合体派への起点のようだ
池田屋事件の直後の会津藩による楢崎家の家財没収を目の当たりにした坂本は
中川宮の異常な性の執着に気付きお龍を薩摩藩の定宿寺田屋に預ける
寺田屋でお龍は薩摩藩士桐野利秋に寝込みを襲われるが
桐野はお龍が龍馬の女だと知ると驚愕して詫びる
この桐野利秋は家老小松帯刀に重用され文久2年(1862年)に中川宮附きの守衛列藩となり
その後藩命で脱藩し密偵探索をしていた
ワイルウェフ号事件はもしや桐野が?と思えてしまうがそれは気のせいだろう
そんな中で異常性欲ストーカー朝彦の命で新撰組隊長近藤勇がお龍の身辺の物見に来る
近藤としては薩摩の動向も気がかりだったろうが隊長自らの出向は芸がない
当然ながら上下関係上そうなったのだ
中川宮はこの上下関係を龍馬暗殺事件でも利用する
- 42 :
- >>35
坂本先生と声をかけた理由が説明できないよ中岡狙い説は
二人がいっしょにいる時を狙ったと思うけどね
- 43 :
- 坂本龍馬ってさ、実際は志半ばに倒れたタダの「その他大勢」の一人でしかないよな
- 44 :
- 薩摩藩黒幕説を主張しているのが会津系作家と陰謀論系作家だらけな件
- 45 :
- いえいえ、自称新撰組研究家の皆さんもいますよ。
講談社の週刊坂本龍馬は酷かった。
まともなものも含めて通説を全て切り捨てて、証拠もなく持論を展開して最新成果のうち佐幕に不利なものは省略する、という
全く不適当な文章だらけで、神経を疑いたくなりました。
- 46 :
- 少なくとも事実の坂本は、今評価されてる半分にも満たないの人間なのは確かだ
歴史が造った人物像だろな
- 47 :
- >>45
そうなの?菊地明や相川司は新選組畑だったような気がするけど最近の本では薩摩藩説には否定的だけど。
菊池なんか昔は薩摩が怪しいとか佐々木多門の密書がどうとか言ってたのに、龍馬暗殺最後の謎って本では薩摩は関わってないって断定しちゃってたよ。
それに引き換え☆だの反動だのはどうしようもない。西郷が黒幕だとか未だにやってるし。しかも「証拠はない」とか「推測」とか前置きする卑劣漢ぶり。
買いたくないから立ち読みで済ませた。
- 48 :
- 誰だって証拠は持ってないし、推測でしかないわけだけど
それを言うと卑劣漢になるのか
根拠もなく断定するよりマシなような気がするのだが
- 49 :
- 誰が殺したにせよ竜馬は死んだ
それ以上分かって何の意味があるんだ?
- 50 :
- >>49
お前が死んだっていうのなら、それ以上知る意味はないけどな
坂本龍馬なら、ちょっとは意味がある
- 51 :
- 峰吉野望説だよ
「最近、中岡と坂本は競って俺をパシリにしやがる。ムカつく(怒)
もう一人ブタがいるんだから、アレを使えよ。ダイエットにもなるだろうが
まぁ、今日で連中も潮時だがな。ははは」
「思った通りに天パーが軍鶏を買ってこいとよ。どこまで上からなんだよ」
―佐々木様、今ですぜ!―
「あとは谷あたりにゴマすって取り入ってもらえれば・・・」
「ぎゃはっはっは、、、ワシも倒幕維新の歴史的人物。天才じゃあ」
と言う、証言はないな
- 52 :
- >>50
ちょっとだけかよw
- 53 :
- 天満屋事件において殺害対象は三浦休太郎一人に絞られていた
三浦の身辺は紀州藩から会津藩への命で用意周到に新撰組が守衛に当たっていた
三浦は西条藩出身の紀州藩公用人でいろは丸の交渉で海援隊との折衝に当たっていたが
いろは丸の賠償金は8万3千両だが支払われたのは龍馬の死後で7万両である
近江屋事件の夜龍馬と中岡はいろは丸事件について三浦と会談していたと考えれば
この事件を解くのは容易である
当時紀州藩は十津川との間で銀に関わる問題を抱えていた
紀州藩は十津川の要求を受け入れる代わりにいろは丸の賠償金を減額しろと直談判してきた
三浦は「今宵は十津川から使者が来るから会ってほしい」と言い
軍鶏肉を買いに行かせるのを合図にしばらくして十津川郷士と名乗る者達が来た
「才谷先生しばらく」と挨拶して龍馬を判別し三浦の背を盾にして暗がりから襲い掛かる
そのとき刺客は「こなくそ!」と伊予訛りの掛け声で真剣を振るった
三浦はその「こなくそ」の意味に意表をつかれ動けなくなった
それは伊予西条藩の訛りだったからだが
刺客は三浦に分かるようにそして瀕死の中岡に証言させるためにコナクソ必殺剣を用意した
そして念を入れて原田の草履も用意した
その発想は武士に有るまじき幼稚さで剣術の指南は受けているが所詮公家
中川宮朝彦は自宅のある京都御苑もしくは境内の隅で阿呆になってコナクソ必殺剣を修行した
つまり「こなくそ」は三浦に対しての「麻呂が生きるも死ぬも紀州藩と一緒ぞ」という脅しである
孝明天皇の崩御によって再度失脚した中川宮は薩長同盟の立役者の自らの手による暗殺で
紀州藩を牛耳り佐幕派をコントロールし起死回生を狙ったのだ
尚且つ安政の大獄直後の一橋派から変貌の原因を恋敵に奪われた中川宮にとって
龍馬暗殺は慶喜に取り入るための絶対条件だったのだ
- 54 :
- 岩崎弥太郎だろ。
- 55 :
- >>52
所詮は小物だからな
- 56 :
- 文久2年(1862年)一橋派から公武合体派に変貌した中川宮に対し
島津久光は公武合体推進とその護衛のために上京する(4月16日京都着)
同年4月23日には寺田屋事件が発生
お龍の寝床を襲った桐野利秋もこのとき同行したが
討手側には加わらず中川宮護衛に専念していたようだ
お龍の父将作が息を引き取ったのが文久2年1月20日であるから
中川宮邸において将作死亡直後のお龍にも桐野は会っていない
だが密偵探索を得意とする桐野は
悶々とする中川宮のお龍への異常性欲に気付いたはずだ
当然ながら藩主島津も中川宮の下ネタには興味がある
脱藩後の桐野はその後も中川宮側にいたのだろう
だから中川宮はお龍を誘き出すために薩摩藩脱藩浪士桐野を寺田屋に送った
桐野はまず泥酔を装い力攻めに出た
だがそのお龍が坂本の女であることを知った桐野は
お龍に詫びて引き下がり中川宮にはお龍奪還の失敗を報告した
異常性欲を抑えられない中川宮は次の手として新撰組の近藤を使うがこれも失敗
武門一途で妻帯者の近藤に軟派な策を使う方が無理
満たされず悶々とした日々を送る中川宮の下に龍馬の寺田屋逗留が報告される
次の手として見廻組に龍馬の捕縛をさせるが
龍馬に応戦の末逃げられ愛しのお龍も奪われたことを知る
その後に起きたワイルウェフ号沈没はその腹癒せだ
池内蔵太ら12名は中川宮の腐りきった欲望の面当てにされ命を落とした
- 57 :
- 坂本龍馬ってほどの価値はなかったんじゃないの?
政策でじゃなく、ただの恨みで殺されたと言う説が最近では主流だろ
西郷や勝、高杉、桂らより遥かに格下の存在であったし
当時坂本龍馬の名は世にほとんど浸透してなく無名の輩だったしな
- 58 :
- 坂本暗殺の黒幕=松平容保・定敬兄弟
会津厨が話誤魔化そうとしてるけどこれが事実
- 59 :
- >>58
それなら新撰組にやらせる方がずっといいじゃん
アホと違うか
- 60 :
- >>59
見廻組は京都守護職の下部組織であり、「御指図」があったとしても何ら問題ありませんが?何か?
会津藩士手代木直右衛門は死の直前に「某諸侯の命を受けて自分の実弟佐々木只三郎がやった」と証言していますが?何か?
まあそんな基礎的なことも知らないから同じことしか言えんのだろうがここで語るにはちょっと知識不足過ぎだね┐(´ー`)┌
- 61 :
- >53
>そして念を入れて原田の草履も用意した
>そして念を入れて原田の鞘も用意した
に訂正
>60
東北の堅物が関西郷士を装って真に騙せるか疑問
藤吉は近江出身力士
- 62 :
- 失敗し切腹し東北に残す親族を考えたら
失敗の危険性のあることはできない
見廻組はせいぜい近江屋までの護衛及び見張り役までだ
- 63 :
- 見廻組の戊辰戦争後の自白は紀州藩と親密な伏見宮による必然的助命を考慮したもの
中川宮を処刑しなかったのは紀州藩及び薩摩藩に擁護された伏見宮の身勝手から
維新後西郷は征韓論で敗れ近衛家や伏見宮の専横を許す
- 64 :
- 西郷の征韓論主張=広島に幽閉中の異常性欲ストーカー中川宮の処刑の要求
征韓論敗北=龍馬暗殺犯中川宮の自由放免
- 65 :
- 一番の謎は坂本龍馬のような雑魚が何故狙われたのかということだ
- 66 :
- 何故坂本が美人達にもてたのかそれは謎だ
- 67 :
- 今日の大河ドラマを見て来ました。
薩摩は長州の危機に動かなかったけど
これでは薩長同盟って意味なくないか?
- 68 :
- 小説とマンガとテレビ番組しか見てないからそんな結論に到達するんだよ
中川宮がどうとか言ってるのも同様
こんな珍説このスレで初めて見たわ
- 69 :
- いきなり決め付けで人格否定する頭のおかしい人ですか?
- 70 :
- 男なら倒すべき相手に大して例え一人でも戦い抜くということだ
- 71 :
- >対して
に訂正
- 72 :
- >>67
同盟ってのはそういうもんじゃね?
- 73 :
- >>67
大河は見てないから知らんが、薩長同盟の最初の取り決めは
@お互いに物資(米や武器、船)の融通
A長州の朝敵(天皇に背いた罪)の汚名を返上するのに薩摩が協力する
B薩摩は長州征伐に極力参加せず、戦闘が早く終結するよう幕府を揺さぶる
この三点のみ。
幕府を倒すどうこうという軍事同盟になるような内容はもう少し後になってから決められた。
- 74 :
- 異常性欲ストーカー中川宮に狙われたお龍を寺田屋に預けた龍馬は
薩長和解を画策し慶応元年5月1日鹿児島に着き西郷の家に寄宿した
西郷はこのとき岩山糸子と3度目の結婚をしていたが
西郷が自宅に居ないとき替えの褌が無かった龍馬は糸子に
「一番古い褌を下さらぬか」と頼んだ
糸子は言われるままに古い褌を龍馬に与えた
帰ってきてそのことを聞いた西郷は
「お国の為に命を捨てようという人だと知らないか!
さっそく一番新しいのと換えて差し上げろ!」
と糸子に怒鳴った
西郷は龍馬から異常性欲ストーカー中川宮による非道な行為を聞いていた
その節操のないシンボルしか守る物の無い中川宮から一人の女を救い
大敵と対峙する龍馬を男として誇りに思い尊敬すらしていた
篤姫を大奥に残す薩摩にとって龍馬の生き様は希望に見えたに違いない
もし征韓論において桐野利秋を重用する小松帯刀が生きていたら大久保は反対派に付かず
征韓そのものは別として坂本龍馬殺害犯中川宮朝彦は処刑されていただろう
だが放免され異常性欲の果てに生まれた梨本宮守正は
征韓論敗北の象徴として日朝ファシズムの長となる
- 75 :
- 犢鼻褌の新旧つうのが昭和初期の貸本少年誌みたいでイカス。
坂本某の重要人物じゃなかったことには賛成だが、人物までボロクソする気はねぇし。
逸話みる限り面白そうなヤシじゃねえか、世間がサワギ杉なだけで。
- 76 :
- みんな好きだねー
坂本某重大事件。
- 77 :
- あの時点で一番坂本を憎悪していたのは誰かって考えると、やはり幕府側の人間だろう。
幕府側の一部のボンクラが憎悪と失意のあまり暗殺に向かったと見るのが妥当。
薩長は大政奉還により武力討幕路線を一時的にせよ足元すくわれたように言われるが、
続く王政復古のクーデターを見ると、大政奉還は倒幕のための華麗なパスワークの一つにすぎないとも言われている。
大政奉還→王政復古→鳥羽伏見の勝利が必殺のスルーパスとなり→江戸城無血開城がシュート ってところだろう。
つまり薩長の武力討幕派にとって、大政奉還は倒幕計画の一部に過ぎないという見方だ。
この理屈だと薩摩藩陰謀説も動機の上から成り立ちにくい。
- 78 :
- パスワーク云々は言葉を飾りすぎのような気がするが、
大政奉還運動は当初薩摩が推進していたということを、「討幕派は大政奉還で虚を付かれた」説の人は無視している。
幕府から、天皇を権威上の後ろ盾とした統一政府へと日本国の政体を移行するにあたり、
幕府の頂点である征夷大将軍徳川慶喜が、政府としての地位を天皇の朝廷に一旦返納する、
というのが大政奉還の要諦だが、
実際は将軍である徳川慶喜は、政権の座を一旦朝廷に預けて無役となる必要は全くなかった。
単に、全国から諸藩代表を集め諸侯会議を開催し、
その場で、「日本国政府の地位は、幕府及び征夷大将軍たる徳川慶喜から、諸侯会議及びその首班たる徳川慶喜に移行した」
と宣言すれば済む話で、一旦無役になる危険を冒すのは慶喜にとって有害無益でしかなかった。
にもかかわらず徳川慶喜が土佐藩の斡旋で大政奉還を行ったのは、将来の諸侯会議における土佐藩の協力を重視していたからに
他ならない。
一方、討幕派にとって大政奉還は、幕府を日本国の地位から外すという点で、
推進はするものの、慶喜にとってあまりに一方的に不利であるため、実現の可能性は低いと思っていた。
このため薩摩は、幕府を一方的に朝敵認定し討伐する、勅(天皇の命令書)を手に入れようとした。
しかし実際に手に入れたものは怪文書レベルの根拠の薄いもので、とてもこれを基に天下に討幕を宣言することはできなかった。
坂本龍馬は、土佐藩なら大政奉還を徳川慶喜に説得できる可能性があると考え、実行した。
政府としての地位から幕府が自主的に降りたことで、これを論拠として討幕運動は勢いを増すこととなった。
大政奉還は討幕の密勅の効力を奪うものではなく、むしろ討幕の密勅には足りない客観性と実効性をもって
幕府を日本国政府から引き摺り下ろす、討幕派にとって知らない親戚の莫大な遺産を相続したかのような夢のような出来事だった。
- 79 :
- >>78
なるほどね。補足サンクス。
結局、大政奉還は土佐藩や慶喜の思惑とは違い、むしろ討幕派の勢いを加速させたってことだね。
幕府から見たら詐欺に近いが、その後すんなり王政復古のクーデターが成功しちゃうところを見ても、勢いは薩長にあったんだろうね。
- 80 :
- >>78
慶喜が大政奉還した理由が土佐藩の協力を得るためっていうのが説得力に欠けると感じた。
土佐一国、容堂1人に何を期待できるんだ?って。
薩長が何らかの企みを持っている事は察知していた幕府、佐幕派が味方を増やしたいと考えていたのは間違いないと思うけど。
- 81 :
- 他には、徳川慶喜自身が徳川幕府を嫌っていた、としか言いようがないね。
京都で副総裁の地位を得、会津・桑名の軍を動かし、
家茂の死によって幕府自体を手に入れた後も、京都の自らの陣営に必要な人員を引き抜くだけで
江戸は放置され続けた。
慶喜はどこかの時点で江戸の幕府を潰すつもりだった。
朝廷に近すぎたせいか、自らの権威は幕府に立脚しているということに無頓着だった。
小沢一郎が、自民党内の闇将軍でありながら自民党を潰して自分の新党を作ろうとした、というのと似ているかもしれない。
- 82 :
- 大政奉還の運動時における会津・桑名の動きってどうだったんだろう?
幕府や佐幕派諸藩が勢力を増やしたいのであれば率先して賛同しただろうが、そのような話は聞いたことがない。
逆に妨害するような動きはなかったのだろうか?
慶喜が大政奉還を宣言した直後、薩藩の小松帯刀などは急いで朝廷に裁可を取り付けに行ったという話があるが、
この逸話を知る限り、大政奉還を待ち焦がれていたのは薩長土ら倒幕派であった気がする。
- 83 :
- いろは丸の賠償金は慶応3年10月19日から長崎で行なわれ中島作太郎が交渉に当たった
龍馬はその頃福井で松平春嶽に謁見し11月3日に福井を立ち5日に帰京した
11月10日長崎でいろは丸の賠償金が7万両に減額で妥協したが
この妥協に隊長の龍馬や参政の後藤は同席していない
ここで三浦休太郎は10日まで長崎にいて正式に談判するために5日かけて京に入り
土佐にいる後藤の代わりに岡本健三郎が立会い岡本は談判が正式に成った
岡本帰宅後3人で談笑している間に談判の当事者として十津川郷士が挨拶に来る代わりに
中川宮とその家臣青侍達7人が十津川を装い
今井信朗の見張りの下襲撃しに来たとすれば辻褄が合う
そうでないと正式な談判とはいえず龍馬の死後の7万両はおかしい
- 84 :
- >土佐にいる後藤の代わりに岡本健三郎が立会い談判が正式に成った
に訂正
- 85 :
- つまりいろは丸賠償金は慶応三年5月29日の8万3千両の談判がそのまま効力を持つはずだ
- 86 :
- >>81
13代就任を巡るいきさつからも感情面で折り合わないところはあったとは思うが…
政治の主軸を江戸に根差す親藩・一門の幕府から京都(二条城)に拠点を置く雄藩連合へ移す意図があったという解釈かな?
- 87 :
- >>82
会桑は佐幕の筆頭のような扱いをされるが実態はちと違う
大政奉還の影響で京での地位権力を失い、倒幕派からだけでなく公儀政体派からも疎んじられている為
徳川が新政府の首班になれたとしても重用される見込みが薄く、土佐に対しても敵意を持って大政再委任を唱えていた
この辺りは都合が悪いのか、歴史の急展開に翻弄される会津みたいな書かれ方をして、うやむやにすることが多いのが問題
むしろ幕府方の中では特殊な部類と言ってもいいぐらい
というか幕末の研究が一部の藩に偏りすぎてて
数ある親藩、譜代の動向なんか(勿論外様もだが)がスルーされてるのが
幕末の最終局面を理解するのを妨げているんだよな
- 88 :
- 龍馬が暗殺された慶応3年11月をもう一度顧みると
11月5日坂本帰京
同日福岡藤次と神山左多衛に会い松平春嶽の返書を渡す
10日長崎でいろは丸賠償金8万3千両が7万両に減額する妥協が成る(中島作太郎VS三浦休太郎)
15日龍馬が福岡を午後に2回訪ねるが福岡不在
同日夕刻中岡と岡本と峯吉が近江屋に来る
同日9時岡本近江屋を離れ峰吉が軍鶏を買いに行く
同日峯吉が離れた直後十津川郷士と名乗る刺客に襲われ龍馬は即死で中岡と藤吉は重症
16日藤吉死亡
17日中岡死亡
12月7日三浦休太郎が怪しいとして天満屋襲撃
ここで注目したいのが11月5日に帰京して福岡に会い5日後の10日に賠償金減額の妥協
その5日後の15日福岡日中不在でその夜襲撃に遭い三浦を犯人として絞るが
この5日の間隔での福岡と三浦の動きは京と長崎の旅程だと推測できる
つまり11月10日長崎に居たはずの三浦がその5日後京都に居たのだ
福岡は11月5日に京から長崎に向かい龍馬の承諾を中島に伝え
10日三浦は正式な談判をするため京に向かい15日日中に京都到着
福岡も10日長崎を離れ15日夜京都到着したが長旅の疲れと禁欲で堪らず女に逢いに行く
同日夕刻龍馬は中岡と岡本立会いのもと三浦と談判
同日9時すぎ岡本が帰った後坂本中岡三浦の3人と藤吉が居るなか
三浦と襲撃犯の示し合わせたの上で襲撃される
ところで紀州藩公用人の三浦は京都見廻組などのために徒労はしない
だから犯人は紀州藩と親密な伏見宮の一族中川宮朝彦とその家臣青侍達なのだ
- 89 :
- >>82
>大政奉還の運動時における会津・桑名の動きってどうだったんだろう?
動きは知らんけど手代木は春嶽に謁見した際大政奉還を批判しているから他の会津藩関係者も同意見だろうな
- 90 :
- 土佐藩は古くからの鰹漁の問題で紀州藩を快く思っていなかった
紀州藩は大型船で遥々土佐湾まで鰹漁に来るが鰹節の生産は独占し
土佐の漁師は廃業に追い込まれ紀州藩の鰹節生産に低賃金で働かされていた
土佐にとって大政奉還は紀州藩に一泡吹かせる千載一遇のチャンスであり長年の悲願であった
紀州藩に長年の鬱憤があるが徳川に恩義のある土佐藩は慶喜の清廉潔白に期待し
海援隊に土佐から後藤象二郎を差し向け倒幕における紀州藩の処遇を検討する
薩摩藩は紀州藩に対してそれほど嫌悪感はなく篤姫が薩摩帰国を拒否して大奥を仕切る状況で
近衛家の思惑もあり幕府との戦いに紀州藩を巻き込むのは得策でなく他の打開策を模索した
だが将軍に慶喜が就任したこともあり慶喜の気質からいずれ対決は避けられない
薩摩の後押しの下で海援隊を率いる龍馬にとって薩摩の意向は無視できず
脱藩の許しが出ていたが故郷土佐と薩摩の狭間で対紀州対策を練っていた
龍馬の戦争回避はこのときの考察であり龍馬は決して平和主義者ではない
いろは丸事件の賠償問題はその対応次第で新政府の紀州藩の地位を決するものであり
これにより事実上紀州藩の地位を著しく下げることになり積年の恨みをはらすことができる
もし呑まなければ紀州を主戦場にして焼き野原にすることになるが
8万3千両が高いか安いかそれは紀州藩主が決めろというものだった
紀州藩有利になりつつあった裁定も海援隊による国力を以って争うという姿勢に屈し
慶応3年5月29日紀州藩が8万3千両を支払うことで談判した
だが実際には龍馬の死の5日前の慶応3年11月10日
龍馬の長崎不在中に7万両の減額に妥協し龍馬の死後に支払われた
長崎の五大友厚が7万両で裁定した以上慶応3年11月10日から龍馬の死の15日までの間に
海援隊隊長坂本龍馬と紀州藩公用人三浦休太郎とで正式な談判がなければならないが
三浦休太郎を陸奥宗光の単なる勘違いとして容疑者から外し人々の関心を逸らしている
現在の高収入な歴史研究家の学術は欺瞞である
- 91 :
- 一会桑は、孝明天皇の攘夷政策を幕府に押し付けて外交上の矛盾を発生させたこともあり、
一会桑を佐幕派として語るのには無理がある。
大政奉還時には徳川慶喜は、島津久光から主導権を奪っていた諸侯会議を拡張する形で、
二条城に諸藩代表を集め、彼らの合議制の上に自らが政府代表として乗っかる形を構想していた。
これに対し会津・桑名は、諸侯会議の人々と全く仲が良くなかった。
会津関係者が兄弟愛の存在を主張する尾張の徳川慶勝は、両者に隠居を求め政治から手を引くよう勧告していた。
徳川慶喜の弟である岡山の池田も、藩内は勤皇が多数で天皇に抗してまで徳川を支持する気はなかった。
松平春嶽は一会桑の他諸侯を抑えての独断専攻に警告を行っていた。
宇和島の伊達宗城は諸侯会議では一会桑よりも島津久光を支持していた。
広島の浅野は元より薩長支持だった。
この条件で、徳川慶喜の大政奉還が、「慶喜の主催する諸侯会議の政府化」という形に実を結べば、
徳川慶喜は盟主になったとしても、会津・桑名へは引退勧告が必至で、両者には受け容れられるものではなかった。
その為、会津・桑名は大政奉還に激怒し、大政奉還を主張した者へは敵意をむき出しにし、今すぐ大政を将軍に戻すように主張した。
- 92 :
- 新政府入りするまでは、政局を優位に進める為直属の武力を持たない一橋は会桑の武力を頼りにしてたが
入った後は有力諸侯との軋轢しかない会桑は厄介者でしかないしな
大政奉還を訴える勢力と大政再委任を訴える勢力は相当不和なんだが
この辺りは会津系の人が、徳川より自藩の権力を保持しようとしたことを隠したいのか、曖昧にされるんだよな
- 93 :
- 無名の一般脱北者がキム将軍の敵対する2組の組織に裏で武器を売りつけ力をつけさせ
他の組織に危機感を煽りキム将軍を政権から降ろさせた
そしてキム将軍側近の恨みから殺されたが後の岡田大臣クラスに称えられた
社会主義国家にいながら資本こそが武力という稀有な発想を持っていた無名な一般人
武力で改革を行えば儲けれたはずだがしなかった、りっぱな現代人
わかりやすく指摘お願いします
- 94 :
- 龍馬って西郷のパシリじゃん!!何を有り難がってんのさ〜!
- 95 :
- 薩摩と土佐が対立しているように見えるのは後世からの視点だからそう見えるだけ
当時は大政奉還の黒幕は土佐ではなく薩摩だと認識していたのが会桑や幕臣の多数派
彼らからは土佐は薩摩とつるんで幕府を潰そうとしているようにしか見えていない
大政奉還そのものに反対なのだからそれはそれで当然
大政奉還が幕府にとって有益で坂本龍馬が幕府の味方であるなどという認識は彼らには無い
- 96 :
- 薩摩と土佐はライバルであったとは思うが、対立してるなんてはじめて聞いたw
幕末の薩摩と土佐は島津斉彬時代から幕府VS諸藩賢侯の図式で、仲間としてずっとやってきているイメージ。
強いて言えばクライマックスの小御所会議で、容堂が慶喜を擁護しようと薩摩に反発した一瞬だけじゃないか?
結局、西郷に短刀一本で黙らされたのが史実かは知らんが、薩摩に対してはその程度の反動があったくらい。
ただ歴史が大転回した劇的シーンの一節であることから、さも薩摩と土佐が対立していたかのような印象になるのかも。
大政奉還については薩摩を納得させているのだから、薩摩と土佐が協調路線であるのは間違いない。
大政奉還が倒幕派の陰謀をくじき、幕府を守るための策であると勘違いされているのが、
いつのまにか坂本龍馬が幕府の味方であるという本末転倒な捏造につながっているのかもね。
- 97 :
- 「大政奉還は、坂本龍馬が平和的な政権作りのために武闘に走る薩摩に突き降ろした鉄槌、土俵際のうっちゃりなのだ」説は、
中村彰彦あたりが声高に唱えたが、
当時の坂本龍馬の言行からはとても考えられず、逆に坂本は討幕派を有利にするために
幕府を政府の座から引き摺り下ろそうとして、山内容堂と徳川慶喜を詐欺に掛けたのではないかと思う。
土佐藩の佐々木高行が薩土盟約締結時の経過を克明に記しているのだが、その中に次の文章がある。
此日才谷曰く 吾が藩は是迄幾度も藩論を変じたる故 薩藩も未だ疑念解けず (中略)
才谷、石川両人の考えにも大政返上等の事を吾が藩主張し 其主人と相成候はば
薩藩も必ず信用すべし
(ここでは才谷が坂本龍馬で、石川が中岡慎太郎の変名)
要するに、「土佐藩は大政奉還を推進し幕府を政府の座から引き摺り下ろし、この功績で薩摩藩に味方だと信じてもらおう」
と坂本龍馬は言っている。
もっとも、大政奉還には「徳川慶喜の目指した新政権への先鞭」という意味もあり、この場合も推進をしておけば損をすることはない。
土佐藩にとっては、薩摩に政権が転んだ場合でも徳川慶喜が維持した場合でも、大政奉還を主張していれば自分の立場は有利だった。
そのため、公武合体説をとっていた山内容堂も大政奉還を熱心に支持した。
しかし、坂本自身の考えは、討幕だったと思う。
- 98 :
- 政局の主導権をどこが取るかっていうつばぜり合いぐらいだろうな。
基本的には慶喜を13代に擁立しようとした時の勢力はそのまま小御所会議まで緩やかな連合だったし。
主導権争いと政策路線の対立は分けて考えないとな。
幕末ギリギリの段階で慶喜一派にしろ雄藩連合にしろ開国して富国強兵へ向かおうとしていたのは間違いない。
その時の日本のかじ取りをする政権に幕府・佐幕派や慶喜一派を含めるかどうかという部分で対立していた訳だ。
薩長は「慶喜いらね」と言い安芸や備前などにも「いらねーよな?」と呼びかける。
土佐や越前は「250年政権を担当した徳川氏を排除するのはおかしくね?」とそれに待ったをかける。
慶喜一派は「江戸では不評で心許ないから京都で仲間増やしつつ主導権を…」と多数派工作。
会津・桑名は「これまで尊王の本拠地京都を守ってきた俺達は爪弾きかよっ!」とヘソを曲げ始める。
諸勢力・人物が全く違う思惑と感情を持っていた。
この状況に対し「取りあえずこれで水入りにして様子を見ましょうよ」というアイデアが大政奉還だったと思う。
大政奉還実現後はどの勢力にも次の主導権を握れる可能性を匂わせるアイデアであったから実現できた。
- 99 :
- だが、その中村あたりの説を採ると、
慶喜の大政奉還表明後、薩摩の小松と土佐の後藤が朝廷に日参してすぐ受理するよう
朝廷内を説得したという史実や、会津・桑名が激怒して大政奉還停止、後では即時再委任を
主張して回ったことへの説明がつかないんだよ。
大政奉還で得をするのは、
1.討幕に走る薩摩・長州・芸州
2.諸侯会議に属する有力諸侯の尾張・越前・岡山・宇和島・佐賀・土佐
3.新政権を夢見る徳川慶喜
あたりで、諸侯会議の構成員と全く不仲であった会津・桑名にとっては現状が最高であり
大政奉還では実権の全てを失う恐れがあった。
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