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2012年09月モータースポーツ146: 【Gr.C】グループCを語るスレ其の20 (325)
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【Gr.C】グループCを語るスレ其の20 (325)
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【Gr.C】グループCを語るスレ其の20
- 1 :2012/08/13 〜 最終レス :2012/10/28
- <前スレ>
【Gr.C】グループCを語るスレ其の19
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/f1/1319898422/l50
- 2 :
- <過去スレ>
グループCを語るスレ
http://sports.2ch.net/f1/kako/1003/10030/1003048907.html
グループCを語るスレ2
http://sports.2ch.net/f1/kako/1021/10214/1021440353.html
グループCを語るスレ3
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/f1/1039264228
グループCを語るスレ4
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/f1/1062073173/l50
グループCを語るスレ其の五
http://ex8.2ch.net/test/read.cgi/f1/1081261445/
グループCを語るスレ其の六
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/f1/1096914695/
グループCを語るスレ其の七
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/f1/1105172869
グループCを語るスレ其の八
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/f1/1113834995/
グループCを語るスレ其の八 (ほんとは9)
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/f1/1127440761/
グループCを語るスレ其の10
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/f1/1147614677/
- 3 :
- <過去スレ続き>
グループCを語るスレ其の11
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/f1/1162629635/
グループCを語るスレ其の12
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/f1/1174807262/
グループCを語るスレ其の13
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/f1/1204784076/
グループCを語るスレ其の14
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/f1/1220497165/
グループCを語るスレ其の15
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/f1/1236504870/
グループCを語るスレ其の16
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/f1/1261571234/
【Gr.C】グループCを語るスレ其の17
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/f1/1275564473/
【Gr.C】グループCを語るスレ其の18
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/f1/1309515449/
【Gr.C】グループCを語るスレ其の19
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/f1/1319898422/
- 4 :
- <関連サイト>
Mulsanne's Corner
http://www.mulsannescorner.com/
Maison Blanche
http://www.maisonblanche.co.uk/
Race Organisation
http://www.raceorganisation.com/
classic car.com(過去のルマン、WSPC、SWC、JSPC結果一覧)
http://www.wspr-racing.com/index.htm
Le Mans Register
http://www.formula2.net/
Racing Sports Cars
http://www.racingsportscars.com/
Cカー列伝
http://yy11.kakiko.com/test/read.cgi/yuni/1078885639/
カテゴリーP(Cカーサイト)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ip3t-nksn/Category-P.htm
Group C Racing
http://www.groupcracing.com/
962c.com
http://962.com/
Motorsport.com
http://www.motorsport.com/photos/series.asp?S=LEMANS&Y=-1
- 5 :
- Gr.Cの時代(82〜92年)
WEC(82〜85年)
82年 ポルシェ4勝 ランチャ3勝 ロンドー1勝 チャンプ=ポルシェ
83年 ポルシェ7勝 チャンプ=ポルシェ
84年 ポルシェ10勝 ランチャ1勝 チャンプ=ポルシェ
85年 ポルシェ8勝 ランチャ1勝 日産1勝 チャンプ=ロスマンズ
WSPC(86〜90年)
86年 ポルシェ7勝 ジャガー1勝 ザウバー1勝 チャンプ=ブルン
87年 ジャガー8勝 ポルシェ2勝 チャンプ=ジャガー
88年 ジャガー6勝 メルセデス5勝 チャンプ=ジャガー
89年 メルセデス7勝 ポルシェ1勝 チャンプ=メルセデス
90年 メルセデス8勝 ジャガー1勝 チャンプ=メルセデス
SWC(91〜92年)
91年 プジョー3勝 ジャガー3勝 マツダ1勝 メルセデス1勝
チャンプ=ジャガー
92年 トヨタ1勝 プジョー5勝 チャンプ=プジョー
JSPC+富士LD+WSPC
82年 ポルシェ1勝
83年 ポルシェ6勝
84年 ポルシェ5勝 MCSグッピーマツダ2勝
85年 ポルシェ4勝 童夢トヨタ1勝 日産1勝
86年 ポルシェ6勝
87年 ポルシェ3勝 トヨタ2勝 ジャガー1勝
88年 ポルシェ5勝 ジャガー1勝
89年 ポルシェ4勝 メルセデス1勝 トヨタ1勝
90年 日産3勝 トヨタ2勝 メルセデス1勝
91年 日産3勝 トヨタ3勝 プジョー1勝 メルセデス1勝 ジャガー1勝
92年 日産4勝 トヨタ2勝 プジョー1勝
93年 日産1勝
- 6 :
- 83年 全日本耐久 M=ポルシェ D=シュパン 富士LD トラスト
84年 全日本耐久 M=ポルシェ D=長坂 富士LD トラスト
85年 全日本耐久 M=ポルシェ D=高橋国 富士LD アドバンノバ
86年 全日本耐久 M=ポルシェ D=高橋国 富士LD アドバンノバ
87年 JSPC M=ポルシェ D=高橋国 富士LD アドバンノバ
88年 JSPC M=ポルシェ D=岡田 富士LD フロムA
89年 JSPC M=ポルシェ D=高橋国 富士LD オムロン
90年 JSPC M=日産 D=長谷見 富士LD ニスモ
91年 JSPC M=日産 D=星野 日本LD ニスモ
92年 JSPC (C1)M=日産 D=星野
(C) M=トヨタ D=リース
- 7 :
- 遅いよ。でも1乙華麗
- 8 :
- ttp://www.classiccarsforsale.co.uk/classic-car-page/159585/1987-porsche-962/
これって既出?手放しちゃったんだね・・・
- 9 :
- >>8
トラストは最初に106Bを購入して、この個体がテスト中の事故で大破したあと
203RLを追加購入、その後は主に203RLのほうを使っていたんだったはず。
ただし91年のSWCオートポリスで使用された車両が
「日本のレース100戦」の記録によればこの106Bの方とされている
(ただしこの号ではマツダの787B-001と003の記録が入れ違っていると思われるので信憑性は?)ので
203RL導入後もスペアとして所有されていたのかも。
一方の203RLはADAエンジニアリングから93年・94年のルマンに出たあと
トラストに戻って保存されていたようなので(「Cカーの時代」ポルシェ特集で取材されたのはこちらの個体)
他の数台の962Cやトラスト94C-V同様まだトラストにある可能性も。
もっとも、あそこに並んでいたうちの1台
(未使用新車のスペアとして確保されていた最終型ボディキット装備の170番台の真っ白な車両)は
海外のポルシェのイベントに登場していたので売却されちゃったようだけど。
- 10 :
- >>8
ごめん。よく見たら普通に106Bって書いてあったなw
つまりイベントでこのカラーのが走ってたらこの106Bの可能性が高いと
- 11 :
- 国内グループC思い出のレース(順不同)
・85年鈴鹿500q ポルシェが新規定の燃費に合わず、童夢トヨタが優勝。国産C1初勝利。2位に星野・日産。初の表彰台。
・85年WEC 予選初日日産がワークスポルシェ押さえ1−2。翌日雨なら初のフロントロウだったが、雨は降らずポルシェが逆転。決勝日は雨で海外勢撤退したものの星野・日産が独走優勝。
・86年富士500q 最終LAPでアドバンポルシェガス欠。このままリタイヤならトラストが逆転チャンピオン。しかしセルを回しアドバンチェッカー。国光2連覇。
・87年鈴鹿1000q ミノルタトヨタ独走優勝。まじでWECでジャガー食えるんじゃないかと…。
・87年WEC 中盤までジャガーとトヨタ互角。トヨタは燃費的に苦しかったが、ペースカーランも多く最後までわからない、と思われたが100周でリタイヤ。もったいない。
・87年富士500q トヨタポイントランキングトップで最終戦。しかし序盤で2台とも潰れる。代わって日産V8が初めて上位を走るも終盤リタイヤ。アドバン、ロスマンズ、日石、日産パーソンズが最終LAPまでドッグファイト。アドバンが制し逆転で3連覇。
- 12 :
- ・88年富士500マイル トヨタ88C−Vデビュー。いきなりトップ快走。デビューウィンか?と思わせたかトラブルでリタイヤ。
このトヨタと序盤争ったのが日産R88C。しかし燃費に苦しみ結局優勝はフロムAポルシェ。日産は2年ぶり表彰台。
・89年WSPC鈴鹿 PPはトヨタ。しかし決勝はメルセデス独走。前年チャンピオンのジャガーは新燃費規定に合わずリタイヤ。ひたすら燃費走行していたカルソニック日産が4位入賞。
・89年富士1000km 序盤から独走するオムロン。抑える日石、カルソニック日産。燃費に余裕を持たせた2台の猛追が始まる。しかしカルソニックハCVジョイントのトラブルで後退。日石はオムロンに追いつきヘアピンで交わそうとするが抑えられる。オムロン逃げ切り優勝。
- 13 :
- >>12
89年富士1000km(春)
燃料が1リットルしか残っていなかったという逸話のあるレースね。
日石は、1回ヘアピンでオムロン抜いたけど、
Bコーナーで日産に引っかかってストレートが伸びず、オムロンに抜かれたんだよん。
- 14 :
- ・90年WSPC鈴鹿 序盤メルセデスが出遅れ、トヨタと意外な速さを見せるジャガーのトップ争い。
なのにいつのまにかメルセデス1−2体制。ベンドリンガーのデビュー戦。日産が3位表彰台。でも差は前年より広がっていたような。
これがグッドイヤータイヤの威力と知るのは後のこと。
・90年富士500マイル ル・マン凱旋レースで単なる国内耐久なのに超満員。トヨタ・日産のドッグファイト。
日産は星野組がピットでスタート出来ず遅れ、長谷見組もパンクで遅れ、トヨタの連勝か?と思われたが残り30周でトヨタ自滅。日産5年ぶり優勝。
星野も最後尾から追い上げ5年ぶりの表彰台。
・90年富士1000km 星野・長谷見の日産同士のチャンピオン争い。途中長谷見組のオロフソンがAコーナーでグラベルにはまりこれで星野のチャンピオンは決定かと思われたが…。
上位がつぶれ5位まで復帰。星野組は優勝すればチャンピオンだったが、天候に翻弄されタイヤ選択を誤り2位に。同ポイントで勝利数で長谷見がチャンピオンに。星野(F3000、グループA)三冠王ならず。
- 15 :
- ウィキペのVRH35の項で林義正に度々イチャモン付けた上司が出てくるけど
それぞれ同一人物だとしたらこれって誰のことだろ?
- 16 :
- カーグラの林教授の連載でも色々愚痴られてた人かw。
「リーダー極小化の法則」(後継者に自分より小者を指名することが慣例化すると最後は限りなくゼロに近くなる)とか
ダンゴムシ管理職(普段は汚いものが大好きで危険を感じると丸まる)とかいうのもあるいはw
- 17 :
- まあ結局日産のそう言う体質が、社内派閥抗争で国産車初のル・マン制覇のチャンスを自ら潰し、その後倒産の危機迎えることになるんだな。
- 18 :
- 逆にエアバッグ開発の最終段階に達した時には
最後のクラッシュテストを自ら買って出た管理職なんてのも居たとか。
もちろん一発成功でズレたメガネを直しながらスタッフにサムアップを返してきたと。
一方スカイラインにひところ採用されてたプラズマ点火システムは林氏は否定的だったな。
「でも名前だけはかっこよかったから当時の日産のエンジンシリーズ全体の名称になった」ですとw。
あのカーグラの連載も由良さんの時みたいにまとめて本になるべき。
- 19 :
- 林教授はカーグラの連載で、自分の会社のあれこれいくらか暴露してたけど、91年ル・マン欠場の件はもにょもにょもにょ、って感じだったな。
あの件だけは恥ずかしすぎて書けないと言うことか。
- 20 :
- タミヤの88C-Vで再現されているところ(箱側面の実車写真でも同様になってる)で
ミラーの延長線上に来るサイドウィンドウのところに換気穴がついてるけど
これはやっぱり走行中にミラーの後方に出来る負圧で車内の空気を引き抜くのが狙い?
一見するとこれだけで十分効果がありそうに見えるのに
サイドウィンドウ後端寄りにも普通のCカーによくあるような丸穴が開いてるのは
それぞれの役割が違う
(ミラー後ろのから引き抜いて丸穴の方から吸う、でもないだろうけどフロントとサイド各々の曇り止めを分担する的な?)のか
あるいはミラーの陰の穴は理論としてはよくても実際使うとそれだけでは足りなかった?
- 21 :
- 海外の回顧録だと名指しでボロクソに扱き下ろすのが普通なので
日本のそれは奥ゆかしいというか物足りなくていけない
- 22 :
- マンセルの自伝でネタにされたピーター・ウォーとかかw
- 23 :
- >>20
負圧だの吸出しだのの小難しい理屈なんてなく
ただ換気のためにボコボコ穴が開いているだけだろう。。
- 24 :
- >>19
日産は1990年の秋に来年の世界選手権には出ませんと発表しているだろ
株価が急降下していたしなぁ
トヨタは、ル・マンまではカテゴリー2エンジンの車を走らせて
後半戦にカテゴリー1エンジンの車を走らせることも不可能ではなかったが、
日産はトヨタよりも新規定エンジンの開発を始めたの遅かったし
1991年の世界選手権に出なかったのは妥当な判断だろ
1990年のWSPCでカテゴリー1エンジンのスパイスが日産と互角に走行しているわけで、
1991年の世界選手権に出てスパイスの後ろをトロトロ走らせるのか?
- 25 :
- >>24
91年日産がル・マン出たら、優勝候補ナンバー1だったろ。社内のシミュレーションでも(ブレーキ改良、GYタイヤ採用で)8秒UPと出ていた。ハンデ背負っても5秒落ち。メルセデスC11とほぼ同タイム。
結果的にメルセデスは自滅するわけで。
林教授も連載で「出場出来る方向にFIAは配慮してくれたのにもにょもにょもにょ…」って書き方だった。
クラージュにマシン貸出しシリーズ参戦すればル・マン参戦権得られる。ル・マンだけワークス参戦すればよかった。
FIAも配慮してシリーズエントリー締切を鈴鹿のSWC開幕戦予選前日まで待ってくれた。
それでも日産が出なかったのは社内の抗争。
91年日産の強さは92年デイトナで証明されたわけだが。
- 26 :
- だが92年のデイトナでもまた燃料タンクのガスバッグはダメになってる
(NPTIが3台持ち込んだうちの2台が氷点下のデイトナの夜に耐えられずに破損、
1台分は症状が酷くて修復不可能だったため戦わずして1台を失うことに)からなぁ…。
メルセデスが自滅するより前にいつものタンクとミッションとアクシデントで自滅オチかもしれない。
- 27 :
- 久しぶりにネットに落ちてるWSPCのレースを見てみたが・・・・
今見ると、
「あのモンスターマシンを、よくこんなコースで走らせてたな・・・」
っての多いね。ブランズハッチとかゾっとするわw
- 28 :
- 負圧でマンホールの蓋が飛ぶストリートコースも恐ろしいけどな
- 29 :
- >>25
日産自動車の株価チャート
http://bigcharts.marketwatch.com/quickchart/quickchart.asp?symb=JP%3A7201&insttype=Stock&freq=2&show=&time=20
1991年の世界選手権は欠場、
世界選手権用の新型車の開発は継続、
景気が回復すれば世界選手権に復帰、
景気が回復しなければそのまま撤退という
日産自動車の判断は妥当
自動車レースなんかに大金を突っ込む余裕はなかった
ベンツは新型車の開発を優先させるために1990年のル・マン24時間を欠場
トヨタも新型車の開発を優先させるために1991年の世界選手権を欠場
日産に1991年の世界選手権に出場しながら、、
新型車の開発の進める時間的、予算的、人的余裕は無かった。
優勝候補とか社内の抗争とか、何それ?
- 30 :
- 林教授曰く、お偉いさんが「ルマンはもう何回も出場してるんだからそろそろパリダカとか
他のモータースポーツに力を注いでもいいんじゃないか」とか言い出したからだそうだ。
- 31 :
- >>27
1980年代の二座席レーシングカーは
コーナリングスピードかなり低かったし、
ニッサンR89CとかベンツC11とか
クラッシュテスト受けて合格しているやつは衝突安全性低くないだろうけど
それ以前のやつは衝突安全性低くかっただろうが。
- 32 :
- >>29
なんか昔も全く同じ内容のレスあったが同一人物だろ
当時の日産の話を知らないなら黒井本読めと言われてたと思ったが、読んだのかお前?
それにメルセデスがル・マン欠場したのはWSPCから外れたせいだし
- 33 :
- >>29
尼でこれ探して読めや。
ル・マン―偉大なる草レースの挑戦者たち
黒井 尚志
- 34 :
- >>32
日産自動車は、EC諸国で厳しい日本車の輸入制限があったので、
ル・マン24時間を除くWSPCの欧州ラウンドには出たくはなかったが、
バブル期で余裕があり1989年、1990年のWSPCの全戦に出場。
1989年12月29日の日経平均の終値 38,915円87銭。
日本中が「来年は4万円だ 5万円だ」と浮かれていた。
尾上縫とかいう妖怪がでてきたり、九州の山奥にF1を開催できるレーシングコースが建設されたり。
身の丈に合わない販売網の拡大を行った自動車メーカーもあった。
浮かれていたのか?1990年のル・マン24時間レースにファクトリーチーム5台体制で出たのが日産自動車。
そのころバブル崩壊が進行。
バブル崩壊と共に大きく会社が傾いてSWCと名を変えたスポーツカーレースの世界選手権に参加する余裕がなくなったのが日産自動車。
これでしょ 当時の日産自動車の話。
優勝候補ナンバー1?だとACOとかから支度金がでたの?
社内のゴタゴタ?がなければ参加する余裕があったの?
>メルセデスがル・マン欠場したのはWSPCから外れたせいだし
意味がわからん
チーム・ザウバー・メルセデスは世界選手権からはずれた1989年のル・マンに出場したし
多くのチームが1990年のWSPCと1990年のル・マン24時間の両方に出場した。
WSPCには出たくないがル・マン24時間には出たいというチームも少なくなかった。
スプリントはプライベートチームに車を貸与してとか。もうね。
当時生産台数世界6位だったかの自動車メーカーがそんなことできるかって。
自動車メーカーのレース活動は知名度アップ、企業イメージアップのためなのにね。
優勝を狙うなら翌年はどうするんだ?
「優勝したので、もう用事はありません」というわけにはいかないだろうな。
何度か優勝している、フォーミュラ1にステップアップするなら兎も角。
- 35 :
- >>33
で、それには
「会社が傾いてきていたが、社内がゴタゴタ?しなければSWCに参加するぐらいの余裕はあった」
「SWCに参加しながら平行して新型車を開発する余裕があった」と書いてあるの?
ノンフィクション風小説?
トヨタTS010は1991年6月に袋井で初走行。
1992年のSWC開幕戦でブレーキ部品の交換なしに走りきろうとしたプジョーを逃がさずに優勝するが
エンジンに問題を抱えたまま1992年のル・マン24時間レースを迎えることになったし、
マツダが1992年用の車を走らせたのは開幕戦直前。
日産に時間的余裕があったの?
- 36 :
- >>30
それが事実だとして、
「ル・マンは金がかかるから、そろそろ別なのに」という意味だろうな
- 37 :
- その辺の話が全部書かれてるから読めっつってんだけどまあ読まねえだろうな
当時の経済情勢だけで推論した自説を絶対として他のソースを断固拒絶してるような奴じゃなw
- 38 :
- 黒井さんって何屋さん?
物書きには違いないけど軸足をどこに置いているのか判らない
- 39 :
- >>38
趣味が高じてレース記事も書くようになった経済系ノンフィクション作家
- 40 :
- おれは>>34じゃないが、
黒井本じゃ歴史の考証資料にはならんわな。
最高に思い白いがあれは大河ドラマみたいなもんだと俺は思ってる。
会社が傾こうがどうしようがレース部門の人間は「やらせろ」と言うだろうし
「それはダメだ」と判断されたらそれも社内のゴタゴタには違いない。
そんな事はいつでもどこの会社でもあることで、
黒井本の内容も>>34の考証も矛盾しないのでは?
黒井タンはノンフィクション「作家」だから盛るんだよ。面白いように。
しかしひさびさに盛り上がってきたなw
- 41 :
- 話盛ったらノンフィクションじゃなくなるが。「作家」の意味誤解してるだろ
- 42 :
- ああもうそんな話はどうでも良いわ
せっかくCカーの話かと思ったのに。
オヤスミ
- 43 :
- 結局日産R91CPはル・マンを制覇するだけの力があったことを認めたくないアンチ日産なんだろうな。92年のデイトナは無いものと思ってる。
日産ヲタでも91年の社内の内紛はバカなことと思ってるが。
- 44 :
- だからどうした?たらればの話なんて聞きたくないよ。実際勝ったのは787Bなの。
C11だって潰れただろ。悔しかったらデルタウイングで総合優勝して見ろってんだw
- 45 :
- 当時のオートスポーツのコットンおじさんのレポート紹介しておくと、
「日産がクラージュにマシンをレンタルし、ル・マン参戦権を確保しなかったことは、欧州のジャーナリストにとっては理解不能なことだった」と。
- 46 :
- 当時を知らないから、勝手に話してるんだろうさ。
91年といえば、普通は株価の前に湾岸戦争があったことを思い出すはず。
で、世界同時株安になった事を忘れてる。
それに株価チャートではトヨタも同様に下がっている。
また、当時は日産車も売れていたし、マツダがWSPCに参加出来ている事を考えれば、日産がなぜ出来ないのか不思議に思っていたね。
少なくとも90年シーズン中は、91年もルマンに参戦する事をファンもNISMOも疑っていなかったはず。
そういうアナウンスしていたし。
年末くらいかな、キナ臭くなってルマンに出られるのか心配しだしたのは。
- 47 :
- 少なくとも当初カテゴリー2が950kgと言う時点で日産はSWCに参戦することになっていた。町田さんが証言してる。
1000kgになった時点で白紙に。そこまでならいいが、町田さんがその後左遷。ここに日産のキナ臭さが。
SWCにワークス参戦しなくとも、ル・マン欠場は有り得ないだろう、常識的には誰もがそう考えたはず。
- 48 :
- 出れば勝つ可能性はあった。それだけのマシンは持っていた。
でもただそれだけ。後から何を言っても所詮は負け犬の遠吠えw
- 49 :
- >>45
まあ、実際あれこれ迷うよりは
とりあえずクラージュにR90CKを1台渡しておいてそこから先は後で考えたらよかったんだよな。
クラージュにしても旧態化したポルシェやクーガーよりは1年落ちの日産のほうがマシな戦いが出来たろうし
日産にしても「社内であれこれ進めたけど結局ルマンにワークス参戦はできなくなった」ってことなら
あくまで車貸してる現地プライベーターの支援ってことで済ませられるし。
- 50 :
- >>49
FIAはそこを配慮し、SWCエントリー締め切りを開幕戦予選前日まで引き伸ばしてくれた。で、とりあえず予選だけ走ればOKと。
「流石に日産は(クラージュにレンタルと言う形で)出て来るだろう」と思ってたはず。
- 51 :
- >>48
だから欧州のジャーナリストは「理解不能」と言ってたんだし。
その裏に日産社内の抗争があったと。
- 52 :
- あるいは大橋さんやジャッキーみたいな思考の持ち主なら
フランスチームであるクラージュを支援する形になることがACOやFIAとの関係の上でもプラスになる、
とかいうところまで考えるかもしらんし。
マツダスピードがオレカと、日産がクラージュと組んだそもそもの理由は
そういうことまで折り込み済みで動いていたのか
あるいは単に「地元フランスのチームだからルマンのことをよく知っていたり
テストの前線基地として使うにも有利」というところまでだったのか、なんてことも気になる。
- 53 :
- その二つの例は同じ組んだでも形態が違い過ぎるだろ。
マツダはオレカを欧州基地として使っていたがニッサンにはNMEがあったし。
クラージュと絡んだのはNMEを使うより経費が安くLM出場権が得られるからかも知れんが、
じゃあ何故クラージュかと言えばそういう打算がちょっとはあるかも知れんな。
それにしてもニッサンがルマンだけ出たとして、優勝までしたとして
エントラント名がクラージュなのはやっぱりワークスとして恰好がつかなすぎやしないか
クラージュにしてもなんだかなあな思い出になるわ。
- 54 :
- マツダの場合イギリスのドッキングからオレカにしたのがそういう打算かというとそれは無いだろ。
ニッサンと違って方針ははっきりしていた訳だし、
そんなにACOやFISAにご機嫌取る必要があるかな?
- 55 :
- 日産91年ル・マン欠場の流れ
・90年6月ル・マン直後コンコルド広場、91年カテゴリー2は950kgで行くことで話がつく。
町田も本社に了承取り、91年ル・マンSWC参戦ほぼ決定。カテ2じゃ勝負にならんだろうが、
翌91年ル・マンがSWCに加わることが確実視されており、そのためにSWC出場。
マツダも91年SWC出場決定。はっきり言って他のSWCは出てるだけでどうでもいいが、ル・マンに出るため。
・ところが突然トッドとバーニーの陰謀でカテ2が1000kgに。日産91SWC出場白紙に。ジャガーはカテ1製作に急ぐ。
でも91年ル・マン制覇車カテ2になるのは各マニファクチャー一緒な考え。
・90年10月、日産翌91年のSWC欠場決定。NMEイクザワチームも解散。しかし町田はル・マン出場を諦めたわけじゃなく、クラージュにマシン貸し出しル・マン参加権を得、
ル・マンだけワークス参戦を画策。しかしこの頃現われた日産社内「反町田分子」の影響で、町田はグループC主管を外され、子会社日本プラストへ左遷。
この案も白紙に。日産は海千山千の欧州モタスポ重鎮と対等に渡り合える人材を自ら葬る。
- 56 :
- レースやらせてもらえないなら「日産からの出向じゃなくて技術者個人として」
NPTIにでも移籍しちゃうという手も…っていってもまあさすがに家庭人としてとか色々考えると無理か。
NPTIがIMSAレギュラーシーズンで使う当てのないR90CKをどう使うとか
場合によっては誰か適当なユーザーにGTP-ZXTかNPT-90の余りでも渡しておいて
「ルマンだけはウチが出る」って言ってきた場合に日産本社が止める道理があるかというのもあるし。
- 57 :
- ・町田はいなくなったが、SWCに出場しなくても、絶望的にエントリーの少ない91SWCなら、ル・マンスポット参戦を認める可能性も残されていた。
と言うことで現場はル・マン参加の準備続行。
・その一環として日産はNPTIがGTPじゃなくR90CK、ニスモがR90CPでデイトナ参戦決定。しかし湾岸戦争の影響でニスモはキャンセル。
NPTIがクラッシュに巻き込まれながら2位に入る。
・日産の現場は着々と準備を進める。ニスモはオール自社製R91CP製作。1000kgでのテストも始める。
日産のシミュレーションでは前年ネックだったブレーキとミッションの改良、NPTI通じてGYタイヤ供給を受けることで前年より8秒UPと。
ハンデ背負って5秒落ち。これはメルセデスC11とほぼ同等。
・参戦体制は、ニスモからR91CP1台、NPTIからR90CK2台、ノバとルマンから1台ずつの5台体制。昨年ほどではないがそれなりの体制。
・91年3月、やっぱSWCのエントリーは絶望的に少なく、FIAはル・マンのスポット参戦を認めると発表。日産もル・マン出場可となる。
しかしこの発表にジャガー・メルセデスが猛反発。白紙撤回に。
・結局SWCにエントリーしなければル・マン出場は不可に。FIAも日産を見捨てたわけじゃなく、SWCのエントリーを開幕戦前日まで延ばす異例の配慮。
開幕戦鈴鹿に取りあえずマシン持ってきて予選走るだけでいいと。欧州ラウンドではクラージュにマシン貸せば?と。
・しかし日産は動かず。ル・マン制覇に一丸のマツダと異なり、日産社内では国産初のル・マン制覇より、町田の影響力を削ぐことの方がが大事と思う勢力が闊歩していた。
・で、マツダル・マン制覇。この年はマシンの速さのヒエラルキーがはっきりしていた。
ハンデ付きメルセデス>マツダ>ハンデ付きジャガー。日産はメルセデスとほぼ同等の速さを備えていたろう。メルセデスが結果的にトラブルに遭うこと考えれば、日産がノントラブルで走れば優勝してたろう。
トラブルが出ればマツダ優勝。
・ル・マンの仇をデイトナ、と言うことでニスモは92年デイトナ出場、楽勝。この帰りの飛行機で林教授は「もう日産辞めよう」と思ったそうだ。
社内の内紛に嫌気が差したか・
- 58 :
- 鈴鹿サーキット50周年アニバーサリーデーにR90CKが走るみたい。
http://www.suzukacircuit.jp/50anniversary/event/#1000km
海外から引っ張ってきたのかな?
- 59 :
- >>58
座間のコレクションに複数
(元NME車かと思われるワークスカラーのとノバの車両と)いたと思うので
それらのうち1台ぐらいは走行可能なコンディションにあるのかも?
- 60 :
- 結構最近、ルマンの前座でやってるCカーレースでクラッシュした日産車いなかったっけ?
修理とかどうなったんだろう。金持ちの道楽だから湯水のごとくつぎ込んで直すのかね
- 61 :
- ザクじゃなくって、ドム
ttp://www.facebook.com/pages/Dome-Racing-Team/162448577207190?filter=1
- 62 :
- >>60
シルクカットジャガーだったかを持ってるコレクターの人は
壊れたらパーツは自分で用意して(ってもちろん専門業者に依頼するんだろうけど)
直す、みたいなことは言ってたな。
だいぶ前に海外のサイトでR90CKのユーザーの人が書いてた話で
メーカーじゃないと出来ないレベルのメンテナンスとかパーツの融通とかそういうことは
日産のほうでも協力してくれる、とは書いてた記憶があるので
オリジナルパーツの在庫がある場合とか、もしくはエンジンOHするとかいう話ならそうなるのでは。
マツダだったりすれば…オレカとかダウニングとかに持ってったら何とかしてくれそうだなw。
- 63 :
- ジャガーはXJR-15が50台以上作られたからメンテ自体は楽だろう。
- 64 :
- >>62
マツダのプロト系はオートエグゼ(旧マツダスピード社屋)でなんとかならんのかな
- 65 :
- マツダのは車体関係に関しては至って単純な構造だから
(ミッションもポルシェだし)
向こうの並み以上のレーシングガレージやレストア業者なら手に負えるレベルかと。
エンジンをどうするってなった時にそれが旧マツスピ関係者系ショップ(もしくはマツダ本社?)か
ダウニングみたいな高レベルのレーシングロータリーをやったことのある会社の出番だというところで。
787Bのレストアの時の話を見ても、なるべくオリジナルを維持しつつ可能な限り当時の部品そのもので、と
こだわったから作業が大変になってたけど
現代の技術で同等品とか互換品とかを用意して組み替えていいならこれは話は早いなと思った。
「フロントスクリーンはガラスで特注すると高いが樹脂製でよければ安い(787B-003は既にそうなってる)」
「タイヤは新品が出る」「カウルは修復不可能なぐらい損傷したら(費用はかかるが)現物を反転させて型を起こすことになる」
とかいうし。
- 66 :
- >>58
今日行ってきたよ。
フロントカウルにCGAのロゴが入ってたから海外で走ってる個体だね。
ttp://cgaracing.com/2011/07/cga-race-engineering-run-nissan-r90ck-at-the-silverstone-classic/
ttp://imbbs5.net4u.org/sr3_bbss/48008kkncp95g/28_1.jpg
787Bのサウンドはやっぱ良いわぁ…
CカーはあとR92CPと767グッピー、屋内展示でR88Cがあった。
今回トヨタはCカー持ってきてなかったな。(ターボ7と2000GTとスープラ)
グッピーは午前中カウル外して走行してたけどなんだったんだろう。
- 67 :
- 昔デイトナ24時間(確か日産があとちょっとで勝てなかった89年だか90年)で
ジャガーの1台がオーバーヒートするっていうんでリアカウル外して走ってたから
似たような原因かも?
現役当時の25年前の暑さと今の夏の暑さじゃ全然違うだろうし
あるいは最後に走ったのが夏のレースじゃなくてその時の仕様のままだから全然冷えないとか。
- 68 :
- >>67
そうかもしれませんね。つか見てる方も暑さでダウンしたw
グッピーはフロント以外が薄汚れてたのが何とも(汗)。
和歌山の上住さんだっけ、他のマシンも持ってきてたので
クリーニングが間に合わなかったのかな。
ttp://imbbs5.net4u.org/sr3_bbss/48008kkncp95g/29_1.jpg
- 69 :
- >>66
この獰猛な顔つきがいつ見ても良いな〜
どうせならフェンダーミラーじゃないYHPの方を持ってきてほしかったな。
- 70 :
- >>66
1周も出来ずにリタイヤしたJECS号ですね。
こんなとこで出会うとは。
- 71 :
- >>44
マツダが富士500マイルはガチで走行することはわかっていただろうし、
国内規定ではなくFIA規定で出場して迎え撃てば面白かったのにね。
マツダはFIAでもIMSAでも速さは変わらないだろうな。
IMSA規定ギリギリまで軽くできない。
どっちが速かっただろう?
- 72 :
- 90年のル・マンでR90CKが優勝したらどれだけ感動しただろう?
エンジンは間違いなく日本製(日産製)だが、車体は英国製じゃん、と言う気になったかな?
92年デイトナは純国産のR91CPでチームもニスモ、運転手も日本人トリオと言うことで感動したが。
91年のマツダ優勝は感動した。完全な国産だったし(設計がナイジェル・ストラウドでも)。
92年マツダ(TWR/ジャッドだなw)が連覇してもそんな感動しなかったと思う。
- 73 :
- >>57
当時の関係者が言っていることがどこまで本当かわからないが
http://www.sports-carracing.net/
これっだったかな?
町田氏が、
カテゴリー2エンジン車の最低重量が950kgなら
なんとかベンツと戦えると考えていたが、
1000kgでは厳しいと
そう語っていたよ
- 74 :
- >>71
91年富士500マイルで、JSPCでマツダがダメなのは運転手のせいだと思った。
あのレース、ハーバードの勇気ある行動が無ければ、マツダは表彰台立てたろうからね。
92年JSPC、相変わらずテールエンダーのマツダが、ル・マンで快走するの見て確信に変わった。
- 75 :
- >>73
1000kgになっても、ベンツも1000kgになるんですよ。
- 76 :
- こんな私でも、英国製のマシンに米国チューンのエンジン積んだマシンで、海外勢が総撤退した85WECジャパンの星野・日産の優勝は感動しました。
- 77 :
- 日産転がしてる頭のネジ飛ばしたオッサン達と比べたら
悪いけどマツダの日本人ドラはロートルだかんな
- 78 :
- >>72
IMSAでエレクトラモーティヴのニッサンが勝ちまくてったときはやや感動程度w
- 79 :
- >>78
感動と言うより、日産と言う名前のクルマが勝ちまくってると言うのは嬉しくはあったな。
米国製車体に、米国チューンのブロックだけようやく日本製のエンジン積んだマシンでもw
でもあれで「技術の日産」って宣伝してたらお笑いだったなw 流石にやらなかったけど。
- 80 :
- でさあ、トヨタヲタはドイツ製トヨタF1に、ホンダヲタは英国製ホンダF1にどれだけ思い入れ持てたんだろう?
TS030もドイツ製で、どうせならTMGじゃなく日本のTRDで作ってれば、って思うけど、やらないよりはやってる方が遥かに嬉しいわけで。
先週の2位表彰台もそれなりに嬉しかった、ストリーミング見てて。
だから富士には2台出せよと思う。
- 81 :
- >>46
マツダは「いかにロータリーを活用するかを研究している」,
「いかにロータリーを存続させることを株主等に納得させるかを研究している」ところ。
「そんなが金どこにあるんだ」とか「会社を潰す気か」とか社内で意見がでても
あの人の鶴の一声でル・マンに行けたんだろうな。
「ロータリーが走れるのは来年が最後なんだろ。 行かせてやればいいじゃないか」とか。
- 82 :
- >>80
酷評されているトヨタF1だけど、既存のF1チームの買収で即席ラーメン的な成り立ちの他マニュファクチャラー系
チームの中で、唯一手持ちのTTEの叩き上げで参戦した点は評価できるでござる。
まあ、そのTTEも大昔まで遡ればいちプライベーターだったわけだけどさ。
- 83 :
- 日産というのは結局万事こういう会社だった
ttp://dic.nicovideo.jp/a/%E9%A1%A7%E5%AE%A2%E3%81%8C%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE
…ということだろうか?
- 84 :
- >>82
むしろ買収する既存コンストラクターすら無い日本のレース産業をどう考えるかだな。
- 85 :
- >>74
ルマンとJSPC
91ルマン以前(活動の大半)と以降(わずかな期間)
では分けて考えてあげてくれ。
以前は全てはルマンの為だった。
以降はその制約をなくす発想が出来た。
ドライバー以外の体制もルマンとJSPCじゃだいぶ違う。
マツダスピードと密着した彼等の地道な活動が無ければ91の勝ちもなかったろう。
それもドライバーのあり方の一つじゃないかな。
ロートル言うが逆に言えばまだ盛りの頃からよく貧乏メーカーチームに尽くしてくれたじゃないか。
- 86 :
- それって暗に「枯れ木の山の賑わい」って言ってるようなものじゃ…
- 87 :
- スポーツカーレースに枯れ木は不可欠だぜw
- 88 :
- ベルとかぺスカロロとか晩年はまさに枯れ木だったよなw
名前はビッグでも超遅かった。この二人が組んだ日にはw
- 89 :
- >>85
ていうか91年のルマンで勝つところまでは
万事「基本的には24時間耐久仕様のマシンを作ってテストのためにレース走ってた」
みたいなもんだしなぁ。
そうやって作った車を3人のF1級に乗せたら勝てたってことは
きちんとベテラン達は一流のテストドライバーだったんだろう。
ルマンが終わって以降は例の#003シャシーみたいに違ったトライがされてきたし
来年は今のままルマンに出られるわけじゃないことを前提に国内戦への向き合い方も変わったんじゃないだろうか。
- 90 :
- >>79
北米でも欧州でも日産の車を生産していたしなぁ。
日産が英国の工場で生産した車を腐乱巣に輸出しようとしたら、
汚腐乱巣が「部品調達率の基準を満たしていない。英国車にあらず。」とかインネンつけてきたことがあった。
- 91 :
- >>89
全日本F3000の一流チームのドライバーとか
高かっただろうしな。
- 92 :
- >>74
プジョー、トヨタはF1並みに回るスプリント用エンジンを投入していたんだよ
マツダにそんなものはなかった。
マツダは律儀だろ
「優勝したら終わりにするのか」とか
「マツダが支えなかったからSWCが潰れた」とか言われる虞があるからともいえるが。
- 93 :
- >>74
あれは異常な事故だったし、
1秒でも早くドライバーを引きずり出さないと焼死する虞があると判断したんだろうな。
よせばいいのに日産のレース関係者が「ル・マンに出れば、○○○周(マツダよりも多い)できた」とか語っていた。
鈴鹿1000kmでも残り数週を残してズドーンだったしなぁ。
- 94 :
- >>75
条件が変われば、有利になる車も不利になる車もある。
それに日産は新コースの950kgでのデータを持っていた。
1990年のアメリカチームの1台は955kg。 もう1台も同じぐらいだった。
TWRは1000kg歓迎だったと思うよ。
「俺たちの車は時代遅れの代物だが、やつらよりも上手く新規定に対応してみせる。
エンジンは下から強力だぜ。前後軸重のバランスも少しよくなるぜ。」とか。
- 95 :
- >>37
嘘つき。 徒歩5分の図書館にその本があったから読んでみたけど、
「SWCに参加するぐらいの余裕はあった」とか
「SWCに参加しながら平行して新型車を開発する余裕があった」とか書いてなかったぞ。
当時の日産にSWCに参加する余裕はあったのか?
SWCに参加しながら平行して新型車を開発する余裕があったのか?
年間販売台数2万6千台とかの自動車メーカーがファクトリーチーム2台体制で出るのにスプリントはプライベーターにとかできるか?
これから本格的に欧州で車を売ろうとする自動車メーカーが。
- 96 :
- >>40
全く当時を知るための資料にならないというわけではないと思うが、
自動車レースに興味がある人向けに自動車レースファンの視点で書いてあるから
客観的な資料とはいえないと思う。
読み物としては悪くないと思うが。
沢木耕太郎の「一瞬の夏」あたりの手法を参考にしたのかな?
書いてあることの信憑性についてはわからないが、
自動車レースに興味のない人が読んだら、
「レース部門の連中がグズっていただけじゃね。」、
「会社の決定に従えないなら、会社を辞めて、自分でレーシングチームをつくってレースに出ればいいんじゃね。」と思うかも?
どこにでも「あのクソガキ、大したことできねーのに粋がりやがって。」とかあるだろうな。
- 97 :
- >>46
イラク軍のクウェート侵攻がどうしたって?
それ以前にバブル崩壊は始まっていたし、バブル崩壊を加速させたことは間違いないだろうが。
1990年の北米での自動車販売は前年よりも落ちている。
ジャガーなんか悲惨だった。 景気後退とレクサス、インフィニティ、アキュラ、新型BMW5シリーズ等に痛めつけられて販売台数激減。
ル・マンではトヨタ、日産を痛めつけたのにね。
トヨタは日産みたいに短期間で半値とかではなかった。
国内ではトヨタが価格決定権を握っていて、トヨタに価格を合わせなければならなかってから数売ってもボロ儲けというわけではなかったよ。
車にこだわりのある人には人気あっただろうけど。
それに強気で設備投資したと思った。
企業は今後を予測して計画を立てるでしょ。
日産の上層部がどのように今後を予測したかだよ。
- 98 :
- なにこいつ
- 99 :
- >>91
それでも若手を乗せたいってのが従野さんが太田選手を誘った理由なわけだろうな。
さらに外国人勢もデュドネとケネディの旧知の二人に新たに加えたのが
ハーバート・ヴァイドラー・ガショー・ヨハンソン・サラとくれば老若のバランスもいいし投資に対する効果も高い。
マツダが高橋徹にアプローチしていたとされる時期にしても
717Cのターボ・テストカーとか84Gターボとかの計画が進んでいた頃と思われるし
レーシングオンのマツダ特集で由良さんを取材したら出てきた図面が
「これが7x7C…じゃなかった、これは結局実現しなかったターボ仕様ですね」なんて言ってたわけだし
若くて活きのいいドライバーを確保できたらC1で勝ちに行くための準備ってのは出来てたんだろう。
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