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2012年09月世界史142: 倭寇 (491)
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倭寇
- 1 :2011/09/18 〜 最終レス :2012/10/19
- 倭寇の構成や活動範囲、軍備、船の作りなどを検証しましょう
- 2 :
- 途中からチョンや中国人がメインになったという説があるが事実はいかに?
- 3 :
- 割と最近でも「アイムザパニーズ」とか言ってるらしいぞ。
- 4 :
- 倭寇は日本では否定的なイメージないよなあ
なんでだろう
- 5 :
- 五島あたりでは堂々と「元海賊です」ってtvに顔だししてたな。
昔すぎる上に男のロマン的ななにかだろ。
日本で一番売れている書籍は多分海賊を主人公にした、例のあれだぞ
- 6 :
- ヨーロッパを荒らしたイスラム系海賊はイメージ悪い
- 7 :
- ONE PIECEっていう漫画だな
- 8 :
- 「寇」の持つ「侵略者」という否定的なイメージがいまひとつピンと来ないせいもあるな。
「倭寇」とあとひとつ「元冦」だけではどちらも遠いお伽話だ。
中国語の「冦」は革命歌で日本軍を「日冦」などと呼ぶように、バリバリ現役の造語成分。
「賊」「匪」も同様。20世紀まで土匪が山のようにいたし、犯罪者を単に賊と呼ぶことも多い。
日本は平和と治安が長く保たれて「海賊」も「倭寇」もロマンの香りを帯びるに至った。
もっともワンピースの作者は倭寇が好きじゃないみたいだね。
- 9 :
- イギリス王室にはモロに海賊の血が混じっているんだよな。
- 10 :
- 日本側が海賊の被害を受けていないから何をしていたか知らないんだろうな
- 11 :
- 海賊って沿岸の町から略奪するだけなのに
- 12 :
- 日本じゃ某漫画のおかげもあってヴァイキングのほうがイメージわきやすいな。
最終的にやることは大きな違いなかろうから、画にするとけっこう悪辣非道だろうなw
- 13 :
- 小さなバイキングビッケか?
そいや、この映画の実写版がドイツで作られて、大ヒットしたのだが、日本じゃ全然放映されない
んだよな。ドイツ在住の方のブログとか見ても面白いという話だったので、是非日本でも放映して
もらいたいモンだが、やはりアメリカ文化マンセーなのか日本じゃ。
- 14 :
- 前期はともかく後期の倭寇の代表格といえば王直とか徐海とか
日本人がイマイチパッとしない
- 15 :
- >>13
ヴィンランド・サガ。メジャーじゃないが評価は高い。
>>14
パッとする必要もない気が。そもそも日本人いうても西九州の人だけの話だしねぇ。
- 16 :
- 海禁策なければ減るのに
- 17 :
- カリブの海賊はイギリス人がスペインの領土にちょっかい出したって事だろ。
- 18 :
- いやそういう私略船もあったが、国家と関係ない単なる無法者集団もいた。
ちなみに当時の資料見てたら基本的に統制がとれた「無法者」が多いな
操船は技術と組織がある程度必要だからだろう。
- 19 :
- >>13
>そいや、この映画の実写版がドイツで作られて、大ヒットしたのだが、日本じゃ全然放映されない
韓流ドラマなんていいから、そっちを放送して欲しいねw
- 20 :
- >>10
何を言ってる。
世宗公認の鮮賊が対馬を襲ったのは無視かい。
- 21 :
- >>2
ポルトガル人、イスラム教徒も参加していた。
- 22 :
- >>11
だけじゃないよ。
海賊によってもいろいろ。
倭寇は商人(密貿易)でもあったし、植民もした。
- 23 :
- >>21
不思議なんだけど、それだけ多民族が集まった集団で、コミュニケーションは何語でやったんだろう?
中国語?
- 24 :
- >>15
瀬戸内からも行ってるだろ
>>23
リングア・フランカのように
日本語をベースにしたピジン的なカタコト日本語ができていたと想像する。
後期倭寇になるほどビン語になっていったんだろう。
- 25 :
- >>15
瀬戸内沿岸からも参加してたぞ。というか南朝の後ろ楯があったのは知られた話だろ。
- 26 :
- どのくらいの大きさの船に乗ってたのかな
- 27 :
- 小早や関船をつかったんだろうか?
それともジャンク船かな?
- 28 :
- 後期倭寇って日本人殆どいなかったんだろ
日本を襲ったりしなかったのか?
- 29 :
- 倭寇って武装密貿易団が基本じゃなかった?
日本は海禁してないから襲う価値低い。
貿易許したら倭寇減ったはず。
人間や強盗狙いの倭寇は減らんみたいだが。
- 30 :
- 韓国では倭寇を日本の韓国に対する三大侵略という人もいますね。
- 31 :
- >>26
たしか10数人乗りの小型船で基本的に手漕ぎで帆は小さいのが一つついてるだけ。
倭寇の船は舷側が低いので、高さのある船にはあまり攻撃してこない。
みたい中国の記録が『和船〈1〉 (ものと人間の文化史)』に書いてあった。
うろ覚えだけど。
- 32 :
- 三韓征伐、倭寇、朝鮮出兵の三つ?
- 33 :
- 和冠の盛んなりし頃、明將の記文のうちに曰く、
倭奴刀を揮ふこと~の若し、人之を望めば輙ち懼れて走る、
其長ずる所の者は刀法のみ、其鳥嘴銃の類これ猶ほ我兵の如きなり、
弓矢の習猶ほこれ我兵の如く、此外殊に稱するに足るものなし、
唯だ倭性殺を好む一家一刀を蓄へざるものなく、童にして之を習ひ壯にして之に精し。
(中里介山 續日本武術神妙記)
- 34 :
- >>11
略奪者というよりも
地回りのRといったほうが実態に近いのかもしれない。
中世の社会だとヨーロッパでも日本でも、現在のソマリア、南米、アフガニスタン
中小領主は要所に砦を築いて、通行料をせしめていただろう
陸地部は、こういった連中は封建領主として扱われる例もあるのに、
海の上とか港町でやれば海賊認定されていたのではないかな
略奪なんてそんなに引き合うものでもないし、通行料なり、水先案内で
金を稼げたらそのほうがらくだから
今の日本のRでも、カツ上げをしたり、覚せい剤の密売みたいな
犯罪をするよりも、企業のトラブルの解決や銀行の手先になって地上げ
芸能人のトラブルの解決をしたり、示談交渉や競売物件で
稼ぐ比率のほうがおそらく多いのではないかな。
ただ、企業のトラブルや地上げの立ち退き交渉、示談交渉は
一般人がやれば下手すりゃ犯罪認定されるのに、
弁護士や警察がやれば合法ビジネスになる
それと同じように、関所でお金を巻き上げたり、商売のトラブル等で
私的制裁を加えたら、陸地の中小領主がやれば正統な権力の行使として
(あの時代は自力救済主義だから)認められたのに対して、
陸地から追い出されたアウトローがやれば海賊認定されたのではないかな。
- 35 :
- >>28
>後期倭寇って日本人殆どいなかったんだろ
比率が少なくなっただけ、絶対数はそんなに少なくないよ
- 36 :
- 真倭二三偽倭七八ってな。
もっとも明側の記録では、日本人が戦闘の主力っぽい感じになってるけどな。
- 37 :
- 大内さんの勘合貿易をずーと明が認めてれば倭寇もそんなに多くなかったかも?
毛利は何で勘合貿易しようぜって明に持ち掛けなかったんだろ。
下克上で正統性とか無いから?
- 38 :
- 10数人乗り程度の小舟で外洋航海できるのか?
島伝いに行く感じならなんとかなるのかな?
- 39 :
- 外洋航行はそもそも無理だよ。
船の作りの問題以前に、島影が無いと自分たちの現在位置を知ることができなかったから。
要は知識の問題。
- 40 :
- >>38
中国船に乗って行ったのではないかな?
で、船長は中国人だけど日本人を護衛に雇って出かけて、
現地の役人と賄賂などでもめると先頭になったのではないかな?
>>37
銀山を占領したから、中国人のほうが勝手に出向くように
なったのではないかな
あの時代中国は、銅銭から銀本位制に変わったから
それに、家の言い伝えでも大江広元と百済聖命王の末だと
違っていたようだし
中華の皇帝に頭を下げるのが嫌だったのかもしれん
南北朝時代の話だけど、脅迫状に近い明からの国書に対して
南朝から(このときは島津あたりが勝手に返事を出した可能性が高い)
の返事で、「難ならこっちから攻めてやろうか?おぅ」
と出したこともあるみたいだし、
南朝(南北朝時代の島津?)と比べたら
毛利は、かなりしっかりした勢力だから
中華の皇帝何するものぞと考えたのかもしれない。
- 41 :
- 勝手に勘合持って貿易に行った大名同士が中国で鉢合わせして戦争をやらかし、
中国側に怒られたりしてなかったか
- 42 :
- 質問する前にぐぐれ
- 43 :
- 勘合って冊封のことだよ。
臣下契約です。なお毛利がやりたがっても明が認めてくれなきゃ
勘合できません。だって子分だもん。
また前にあるように毛利がやりたがるとも別に限らない。
- 44 :
- 朝貢貿易ウマー
- 45 :
- 大内だって、正式に冊封された日本国王(足利将軍)ではないのに、
よく義隆の代まで明をごまかすことができたな。
大内が国書に使ってた国王印って、偽物だろ。
大体、足利将軍自体が応仁の乱以降は将軍が動乱にまきこまれて、
京都から追い出されたりしてて正式に冊封されてないだろ。
- 46 :
- >>14
後期倭寇のボスって、中国人だよな。
王直とか五島や平戸に根拠地置いてたそうだけど、松浦氏とか王直の子分だったんだろ。
中国人海賊に頭下げて、みかじめ料とられてたんだろ。
- 47 :
- >>40
南北朝時代に明から恫喝的な手紙を受け取ったのは南朝方の懐良親王。
確かに、明の恫喝を突っぱねるような返事はしたものの、
北朝方に対する南朝方の劣勢を自覚してたので、明の後ろ盾を得るために、
ちゃっかり冊封を受けて明に臣下の礼をとりましたとさ。
- 48 :
- >>45
アレは中国の役人に賄賂を渡していたのかねぇ
それとも、意外と本物だったのかもしれないぜww
大内氏は一時京都を完全に占領していた時期があったから
まあ、日本国王の金印こそ奪えなかったにしても
五山あたりの外交僧を大量に山口に連れてきて
明の外交システムを本格的に学んで、偽造できるだけの知識は
あったのかもしれない。
- 49 :
- 降倭の沙也可ってぇのは、誰なんだろうね。
名のある武将ではないようだけど、あちらの国ではやたら取り上げられる。w
- 50 :
- >>45
「冊封」というのは、中国皇帝に封されるもの。
征夷大将軍は日本の制度なんだから、中国様に冊封されなくてもなれるんだが。
中国様に日本国王にしてもらう必要は、国内向けの箔付け以外に何の意味もない。
京都から追い出されようが関係無いぞ?
- 51 :
- >>50
いや、大内が日本国王名義で勘合貿易やってた頃、
肝心の足利将軍は日本国王に冊封されるような状況じゃなかったってこと。
あれって、明側は使節を送ってくるのが足利氏ではなく、大内氏って認識してたのかな。
明らかに国王詐称なのに、よく受け付けてもらえたな。
- 52 :
- >>49
でも、そのサヤカの子孫のおかげで、清は曲がりなりにも緒戦はロシアの東進に対抗
できたんだよな。もしもサヤカがいなかったら、ロシアのシベリア・東洋進出はもっと早く
なっていたはず。
(李氏朝鮮はサヤカの鉄砲隊を清に貸し出して、満州防衛を行った)
- 53 :
- 最近の教科書では日本に鉄砲を伝えたのはポルトガル人じゃなくて倭寇の王直だったと
書いてあると聞いたが本当かな
- 54 :
- >>52
朝鮮は、やたらと沙也加の名前を持ち上げて見せたからね。
ヤツらの発想で言うと、
「非道な日本の軍隊から逃れて罪もない朝鮮民衆のために戦う正義の戦士」
という役どころだから。
だから沙也加の功績とやらも、やたら持ち上げられているけど、実際はどうだったんだか。
李氏朝鮮は降倭とか、あまり気に入らない部隊を北方の防衛戦に回して死ぬまでこき使ったというのが、本音だろうね。
- 55 :
- >>53
日本に鉄砲を伝えた「One of them」が王直であった、とどこかで読んだ。
ほぼ同時期にあちこちから伝えられたらしいね。
- 56 :
- >>55
中国人が伝えたのは鉄砲ではなく14〜15世紀に中国で開発された指火式銃筒。
16世紀、日本に鉄砲を伝えたのは東南アジア経由で来たポルトガル人など西欧人。
その鉄砲を独自に頬付瞬発式に改良して17世紀初頭に東南アジアに逆輸入したのが日本人。
ここ試験に出るから、よく覚えておけ。
- 57 :
- >>54
まあ、実際シベリアあたりまで行ったのだから、こき使われたのだが、一応領地ももらえて
一族は定住してたのだからねぇ。その一族も日韓併合時には肩身が狭かったとか。
**
中国からも鉄砲みたいなモンも来ていたけど、ポルトガルのモノにはかなわなかった。
中国はねじの発想がなかったから、砲身の後部を回転分離して掃除ができなかった。
従って、命中精度や威力が上がらなかった。
- 58 :
- >>56
そんな試験を受ける予定は、もうないんだが。w
出なかったら喪前が責任を取って腹を切るのか?w
- 59 :
- 王直以外のルートで、西欧の鉄砲が日本に入った可能性があるらしいですね。
たまたま種子島に入ったものが注目されたのだけど。
>>55氏の言っているのがその説のことであれば、>>56氏のツッコミは的外れですね。
- 60 :
- 火縄銃は明の嘉靖27年(1548)に倭寇から獲得したのが伝来の契機といわれる。
手銃に比べて射撃性能が格段に高いことから、嘉靖37年には早くも1万丁が国内生産され、
その後急速に普及し、清代には兵士の6割強が所持するまでに至った。
「歴史群像 戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編」より
- 61 :
- 倭寇も鉄砲を使っていただろうが、製造や運用となると話は別次元。
製造するためのノウハウを伝えたのは当時ポルトガル人。
マラッカの兵器工廠から職人を連れて再来日したんだよ。
その辺の記述が細かく記されているのが種子島家が書き残した鉄砲記。
ポルトガル人技術者が伝えたのはネジ、銃身、起動装置の製造方法、そして黒色火薬の調合比率。
その引き換えに種子島から渡されたのは鍛冶職人の娘。
この辺は歴史通にとって常識なので後で恥かかないように、よく覚えておけ。
- 62 :
- >>49
山田長政みたいなものでないの?
負け組みが一旗あげようと思って小西の軍に参加しただけじゃ
ないのかな
似たようなのに、アキバツ(安芸八郎?)というのも南北朝
(高麗末期)に出て来るだろう
あれも南朝が潰れたから、向こうで一旗あげようとでたのだろうな
- 63 :
- 東南アジアに日本の瞬発式火縄銃を伝えたのが山田長政など御朱印貿易業者。
のちにそれが日本へ伝わったと誤解される要因になってしまった。
- 64 :
- >>54 >>57
降倭に関しては、いまだに韓国人は好意的に見ているようだ。
むろん、ヤツらの小中華思想的な、正義に目覚めた野蛮人としての扱いだが。
朝鮮の中に快く受け入れたという言い方をする韓国人が多いが、ではなぜ400年以上も
経っているのに、降倭の子孫だけ朝鮮人とは別にいるのか聞くと、まともに答えない。
これは結局、朝鮮は何百年経っても降倭を自分たちの本当の仲間として考えることができず、
あくまで別人種として見下そうとしたせいだろうな。
日本では、かなりの渡来人が先祖もわからないほど日本人になりきっている、つまり日本では
外来人も仲間として受け入れたのだけどね。
どうでもいいが、上げているやつの中で、偉そうなシッタカ阿呆がいるね。ww
- 65 :
- >>62
阿只抜都って人名と言うより、集合的な人格?みたなものという説が有力なんじゃなかったっけ?
シンドバッドみたいな。
坂本龍馬みたいなファンタジーっぽい話だよな。
- 66 :
- >>61
>マラッカの兵器工廠から職人を連れて再来日したんだよ。
ソースは?
- 67 :
- さやかの子孫の村の奴らのインタビューあったな。
田舎でひっそり生きてたみたい。
特に差別はなかったみたいだが
- 68 :
- >>65
負け組みのさらに負けたほうだから、そんなに詳しい資料は
残されていないからな、今となってはほとんどファンタジーだよ
李朝の初代の手柄話だから、あることないこと
大げさに書いているだろうし、
- 69 :
- 集合的な人格ということは、そういう存在が実際何人かいて、業績を一人に集中化させることで民族のヒーローにしたってこと?
- 70 :
- >>66
鉄砲記&若狭伝説♪
- 71 :
- 伝説か
- 72 :
- >>67
差別されたと言うことではないよ。
同じ同国民として受け入れられなかったということ。何百年経っても我々の仲間(ウリ)ではなく、
降倭の子孫として同化できなかったという、朝鮮民族の偏狭性。
永遠に、朝鮮の一人ではなく、降倭の子孫として生きるしかないんだろうね。
日本ならばほとんどの渡来人が、すんなりと日本人となっていったのにね。
- 73 :
- 日本では菅とか羽田元首相が渡来人の子孫と言われていなかったか
長宗我部さんみたいに秦氏の子孫を自称していた人もいたし
- 74 :
- 渡来人と沙也可を比較するのはどんなものか。
年月の長さが全然違うしね。
- 75 :
- >>72
>永遠に、朝鮮の一人ではなく、降倭の子孫として生きるしかないんだろうね。
それ、必ずしも悪いことだと思わないけどな。
- 76 :
- (^∀^)「韓国の人達は宗族、自分のルーツを大切にするから元日本人も自分の祖先を明らかにするんですよ」
(`∀´)「朝鮮人は偏狭だから余所者は帰化して何百年たっても余所者!だから元日本人は明白に区別される!」
同じ事を善意で解釈するか悪意でするかという話のような
- 77 :
- 日本人の同調圧力の強さも関係しているかも。
太平洋戦争のときの植民地化のときも言われたけど、現地人を自国民化しようとしてしまうんだよねぇ。
善意のつもりかもしれんが、先方からすれば逆に最悪の仕打ちをされたと受け取られたり。
イギリス、フランスは、植民地人を自国民化しようなんて最初から考えもしないから。
- 78 :
- おいおい東郷外相の一族とか
秀吉の朝鮮征伐でつれてこられた朝鮮人の子孫は言葉と文化を残したまま江戸を生き抜いただろ
どちらも事情は変わらんと思うぞ
- 79 :
- >>45 50
お前らは・・・
足利は日本国王と冊封されたその人で
大内はその為に現れた代理人だ。大内氏ってそれまでいないだろ。
帰化人だから。朝鮮系の。正確には知らんけど、
きっと足利が冊封を受けたその時に渡って来たんだと思うよ。
- 80 :
- 完全にアイデンティティを消失した北部の女真人とアイデンティティを保持し続けた日本人
さてどちらの扱いが良いのやら
- 81 :
- >>79
平安時代から周防の国の国府に居たぞ。
- 82 :
- ふん
ちょろっと調べたら、多々良の名で鎌倉時代までいたらしい。
足利時代に百済帰化系大内氏として売り出したようだ。
まあ山口北九州あたりは古くから朝鮮系なぞごろごろ渡って来ているし。
江戸時代の城中にだっていた。今日び帰化在日をいちいち話題にするのがアホらしいほど。
なんにしても足利こそまさに中国に国王様にしてもらって権威を得た者そのものなのに。
でなけりゃ何の組織も持たずに日本のトップになれるかよ。
- 83 :
- >>82
日本語がお上手ですね。
もう少し出来事の「順番」に気をつけて日本の歴史を勉強しましょうね。
天皇家の役割についても知っておいたほうがいいでしょう。
あと、「将軍」という位についても、その職名に惑わされないように。
「国王」という職名が日本国内で何かの権威を持ったことは、
少なくともここ千数百年間皆無なのですよ。
- 84 :
- >>83
イタタタタ、そりゃ言葉も乱れるってもんだ。
順番なんて曖昧でしょ。氏族の連続性なんて後付けなんだから。
足利はそのミカドを差し置いて権勢を得た代表格のような存在だぞ。
「国王」という称号は日本では意味を持たず、
中華皇帝の配下という意味のみ持つ。
だが実力が落ちたままの朝廷が中華の威光を上回れることが当時なかった。
だから足利が京に残ったんだろ。征夷大将軍は当時も鎌倉が赴任地なの。
でも行かなかったんだよ。すでに朝廷を眼中なかったわけ。
- 85 :
- 将軍・・・軍隊のトップ、だが日本史上では「征夷」と付けば
それは慣例的に政治上の総統だったと習う。
ちょうど、共産国の”書記長”が名が体を表さず政治上のトップを意味していたように。
だがそれが間違ってるんだよ。「征夷大将軍」は名は体を表していた、
蝦夷征伐将軍の意味しかないの。日本史がウソを教えてるの。
「実質的な国のトップを表した」って、幕府の実質的なトップは執権だろうが。
実質が二回もカブる意味はおかしいだろ。
- 86 :
- >>84足利あたりの氏族の連続性はしっかりしてたので不適切
>>85時代によって変化する。お前はなにを言ってるんだ。
武門の最高権威であることや将軍の中でも土地の支配権の法的根拠がある地位なのはほぼ一貫してる
- 87 :
- >>86
連続性の話は大内の話。
>武門の最高権威であること
結果論としてな。
豊臣秀猿は受けてないけどな。
大阪の陣で東軍が敗れていたら、そんな事象はなかった。
- 88 :
- >>85
>「征夷大将軍」は名は体を表していた、 蝦夷征伐将軍の意味しかないの。
征夷…夷すなわち異民族を征するって意味。だから蝦夷以外にも摘要される。
日本の周囲は異民族だから、それらから国を守る海外防衛の意味もある。
幕府…将軍が占領地で臨時に指揮をとるための幕営地の意味。
なので、幕府の実質トップは将軍で間違いない。
そして、将軍が日本全土の武士とその領民を統率しているのだから、日本のトップと言って間違いない。
だから将軍が統率する者が居なくなった明治以降は将軍職も幕府も消滅した。
- 89 :
- >>88
違ーうもーんねー、あ、また日本語が乱れた。
鎮西将軍とか征西大将軍とかあるもんね。
海外防衛なら征夷大将軍は朝鮮出兵できますかね。
答えはNOだ。華夷思想てのはあくまで中華本山前提の思想だからだよ。
幕府が指揮をとるための幕営地なら室町幕府は一体どこにあったんしょう。
歴史って注意してみれば結構穴だらけだよ。
室町幕府は中世にも関わらず遺構が不明なの。そんなことってあると思うか?
- 90 :
- >>武門の最高権威であること
>結果論としてな。
>豊臣秀猿は受けてないけどな。
豊臣政権時は将軍職が存在しない状況下なので
実質トップは天皇。
その元での政治的最高責任者が関白であり、すべての武士がその下についていたのだから
秀吉が武家の頂点にいたと見るのは間違いではない。
平清盛の太政大臣もほぼ同じ考え方(無論、完全に日本中の武家を掌握していないが)。
- 91 :
- >>89
朝鮮出兵はできるよw
管轄外だがw
88も夷を大きくとらえすぎだが、日本の夷と中国の夷はもはや違うし。
坂之上の田村麻呂が就任していたことで他の将軍に比べ権威は絶大で、
最も沢山の陸兵を率いる軍の象徴でもある。
軍政の権利あったんだから天皇を象徴にすえながらも、貴族の荘園支配に対抗できる
つまり実質的権力者になりうるし実際なった
いったいお前はナニと戦ってんだ
遺構は屋敷じゃだめなのか。なにか陣地がないとあかんのやら。ともかく意味不明
- 92 :
- 想像力を働かせよう。
秀猿がトップなのは当り前で、問題はそのままの歴史だったとしたなら
後世の今、一体誰が将軍を国のトップと考えていただろうか、って話。
自分こそ時間軸の順序考えようよ。
- 93 :
- >>89
>鎮西将軍とか征西大将軍とかあるもんね。
それらは武家が地位を確立する以前の古い官職名ですので
足利や徳川の時代の征夷大将軍と並べて論じるものではありません。
時代が下ると征夷の意味が変化したことに注意してください(夷=四夷=海外勢力全般)。
たとえば幕末の攘夷は蝦夷ではなくて西欧の事ですね。
>海外防衛なら征夷大将軍は朝鮮出兵できますかね。
防衛は国を守ることであって、侵攻することではありません。
なので武家時代の将軍は海外遠征などしませんでした。
>幕府が指揮をとるための幕営地なら室町幕府は一体どこにあったんしょう。
あくまで幕府という名称の由来であって、どこにあったかが論点ではありません。
邪馬台国はどこにあったか分からないから無かったと言ってるようなものです。
- 94 :
- >>91
お前が知らんことを伝えているのみ。
秀猿は明からの「日本国王」宣下を蹴ったの。
冊封を拒否したんですよ。それで戦争になったの。
秀吉の直前の「日本国王」は誰かと言うと足利ラストの義昭さん。
ではその次の国王は誰かと言うと「源家康」つまりタヌキさん。
足利幕府は滅亡しても義昭は死んではいない。
秀吉配下になってその後朝鮮出兵にまで参軍してるのです。
秀吉が絶ったのは中華認可の「日本国王」の称号で、
鎌倉以来失墜してたミカド権威を復活させたのが他ならぬ猿。
- 95 :
- >>93
場所の問題というより組織の痕跡がない、と言っている。
軍事拠点である以上は城がある。
いや形骸化した組織だとしても組織の持てる屋敷ってのは最低限の規模が必要で、
室町幕府みたいに物的証拠の蔭すら残さない少量では
組織は成立してないでしょう。そうは思いませんか。
- 96 :
- >>95
組織の痕跡もないとおっしゃるなら、
歴史書に記されている室町政権の記述は絵空事だったのでしょうか?
足利尊氏も義満も義政も架空の人物で、金閣寺も明徳の和約も日明貿易も
記録に載っていない人物が成し遂げた無名の偉業だったとでも?
- 97 :
- 物的証拠って言ったと思うが。
お前のそれらは状況証拠だ。
人物はいたけど組織が曖昧なんです。
- 98 :
- >>94
お前何の反論をしてるの?マジ意味不明
征夷大将軍が最高権力者でないとか言いたかったんでないのか?
- 99 :
- 京の足利は多くの直轄領を持ってた形跡もなく、
記録で実績として明確なのは財産権力があったことと
あとは中国側の通交記録のみ。
足利が代々『日本国王』であり続けたのは知っている。
じゃあ日本で純粋に内政の実力で将軍になったのって源氏の三代だけで、
後は全部明朝任命なの?マジで?て話
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