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2012年2月戦国時代87: 関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか? (794)
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週刊 戦国武将データファイル (240)
関ヶ原の西軍の真の首謀者は毛利輝元だったのか?
- 1 :11/11/02 〜 最終レス :12/02/06
- 実は関ヶ原の戦いの西軍の真の首謀者は
石田三成ではなく毛利輝元であったという事を
議論しようではないか。
- 2 :
- このスレッドは、終了しました
- 3 :
- 確実な史料がないからと言って、輝元が首謀者ではないと断定するのは誤り
そもそも三成程度に西軍の諸将を纏められるわけがないのである。
- 4 :
- 自分の家中もまとめられないのに到底無理だろ。
- 5 :
- それでも三成如きにはもっと無理。
- 6 :
- 小早川→旧臣は離反、豊臣系武将が固める
吉川 →まともな部類 おしむらくは関ヶ原に陣取ったこと
秀元 →徹底抗戦するなら吉川超えていけよ カス
- 7 :
- それよりなんで南宮山があのような布陣になったのか?
吉川がうまく秀元を言い包めたのか?
- 8 :
- 【治部】石田三成総合スレ 9【佐吉】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1309539113/
このスレからあらしを追い出すためのスレのようです
- 9 :
- >>7
毛利家の軍事面は吉川広家に依存していたので、南宮山に陣取り秀元隊に蓋をするぐらい
訳も無いでしょう。
- 10 :
- こーゆー逆説、異説ってだいすき 生暖かく見守りたい
- 11 :
- 毛利輝元もグリコ森永事件の指揮を執ったking of 無能・四方修と同レベルの阿呆か。
ちなみに小早川秀秋と四方修のどっちが馬鹿か、結構いい勝負。
- 12 :
- 何で秀秋が馬鹿扱いなの?
寝返りは黒田も福島もねねもみんなから進められてたんでしょ
- 13 :
- ぜんぜんバカじゃないでしょ 北政所おね様の一派はみんな徳川についた
西軍の負け惜しみさ ただ評判は悪い すんごいチャラチャラしてて、
空気が読めずにアホなことをいうやつだったらしい
- 14 :
- ねねが徳川に付いて秀秋に寝返りを誘ったとするソースはなに?
- 15 :
- >>14
どっかのホームドラマじゃね?
実際にバカなら、あの状況から寝返れない。
あんなのに期待した(秀吉跡継ぎの座から放逐されて、毛利の陪臣の家に養子に出されて、恨まない筈がない)
石田だかなんだかの西軍首脳が、びっくりするほどのバカ
最初から東軍についてたら、
一門のくせに豊家を裏切った人でなしって、その内難癖つけて改易される。
西軍にいたって、
万が一にも勝ったところで秀次の運命が待ってる。
(秀吉が単純に発狂して秀次一族を誅しただけなんて当時なら思ってない奴もいたろ)
- 16 :
- >>15
秀次事件の背後には
秀次と秀吉による軍事的緊張が奥州で勃発していた。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158404852/912
- 17 :
- 首謀者は石治少、直江山城、安国寺である
- 18 :
- それは全部吉川の捏造だって
- 19 :
- とらえられてされた三人
三成 安国寺 小西行長
でいいだろ
- 20 :
- >>18
有り得なくはないなw
毛利のgdgdっ振りは、なにか裏がありそうだし。
ちゃんと資料揃えて歴史小説にでもしてみたら?
- 21 :
- >>19
そいつらは巨悪輝元が保身を図った為に生贄として、
スケープゴートされた手駒の犠牲者達。
- 22 :
- ではこいつらが打ち首になる前に、輝元こそが首謀者とか吐かなったのは何故?
- 23 :
- >>22
そもそもその前後で何をしゃべったかなんて一次史料にまったくない。
- 24 :
- 輝元が首謀者だっていう一次史料もないじゃん
- 25 :
- 三成が首謀者だっていう一次史料が無いどころか
首謀者と思われるような傍証も感情の吐露も三成にはまったくない。
しかも蟄居ではなく、隠居で減封も改易もなく
家督譲渡された息子は秀頼に仕えることが許され、
秀次事件に連座した前野長康や
前田と家康暗を企てたとして甲斐の領地と家督を息子に譲り
武蔵府中に出て監視され謹慎させられた浅野長政よりも
かなり罪が軽かった。
- 26 :
- 襲った側には何の罰もなく襲われた側が奉行を辞めさせられ隠居させられたこれで不満が無いとか三成アホ過ぎwww
実際は不満があったから挙兵し武力によってこの裁定を下した家康の排除を試みた訳で
- 27 :
- 首謀者は 城下をスルーされた 長束正家だな
- 28 :
- いや三成はどのような処罰になろうとも
輝元や景勝に一任すると言っていて
別段、政治に執着してるわけでもなく、
不満を抱いてるわけでもない。
前野長康や浅野長政の失脚を見てれば
いつ政争の舞台から失脚しようが浮沈の覚悟もあって当然だろうね。
輝元のように家康にしてやられ、
悔しくて涙が出るとか、胸糞悪いなんて未練たらたらで憤ってる姿は三成にはない。
- 29 :
- >>27
輝元主導で最初に計画に参画したのが
西国取次の毛利殿がそれほどの決意なら!と
長束や増田や大谷や玄以や秀家が賛同したと言うのは
ありえるかも知れない。
しかし三成がその計画を知らされたのは
さらにその後だろうね。
それと浅野長政(幸長は能登国津向配流)が秀次事件に連座した時に
代役として因幡・但馬に領地を持ち山陰道を押さえる
鳥取城の宮部継潤が奉行に参加していたこともあるので
息子の宮部長房も早期に知らされていたかも知れない。
- 30 :
- >>28
> 輝元のように家康にしてやられ、
> 悔しくて涙が出るとか、胸糞悪いなんて未練たらたらで憤ってる姿は三成にはない。
輝元がそういったのですか?
それ何の史料にのってました?
- 31 :
- おもしろおかしく毛利黒幕論を書き募るスレかと思いきや
三成ヲタが発狂してるだけのスレか?
滋賀の茶坊主に、そこまでの才覚は無いって話ならわかるが、
何だか私の大好きな三成様が失敗するはずが無い(涙)で暴れられてもな
確かに、さきちどんのアイデアに毛利や上杉が乗るってのに違和感は感じるがな
- 32 :
- 三成如きが必死に説得したところで、
毛利や上杉や宇喜多の家中の者共が、
わかりました!三成殿の申し出に乗りますなどと、
説得されるわけがない。有り得ない。
西国の責任者である大身の輝元が説得するなら話はべつだが。
- 33 :
- 首謀者の輝元が保身に走った結果、
三成が首謀者に見えるように歪曲されただけだな。
- 34 :
- >>32
反家康の下地はあったからね
後、三成の影響力は石高以上のものがあるでしょ
三成失脚も 有力7将が騒いでようやくだから
- 35 :
- 伏見城を包囲した有力武将7人は奉行全員の罷免を要求してたみたいだよ。
彼らには毛利と上杉がいたから地位を保てただけ。
毛利としては家康が後援する秀元の分家によって
毛利領が大きく奪われるのを阻止するために
三成ら奉行と利害一致してたから
三成後援してたに過ぎ無いし。
だから三成自体には影響力は無いよ。
大谷も毛利に三成の後援しても仕方が無いとアドバイスしてるくらいだし。
影響力あれば7将にも対抗できたはずだが片桐などが家康派になり大坂城を家康側に取られてしまい
佐和山隠居になったからね。
輝元が首謀して片桐ら家康派を抑えこんで大坂城を占拠し挙兵したとしか考えられない。
- 36 :
- 毛利の動きを見るに輝元は西軍の主導権を握り東西対決の混乱をついて毛利領拡大を図ろうとしてるだけで家康打倒を狙ってるとはとても思えん
- 37 :
- 毛利は関ヶ原を通じて、自領の拡大と独立性に努めている。
これは西軍本来の目的である家康打倒とは大きなズレがある。
なので、毛利が西軍の首謀者というのは有り得ない話。
西軍が毛利領拡大のための組織なら別だけど。
- 38 :
- 毛利が領土拡大を目指すのがおかしいだって?
徳川が権勢を誇っていたのはその石高のおかげもあるでしょうに。
もし上杉や前田や毛利が、
徳川を超える300万石の大大名だったら、
関ヶ原自体起きてないよ。
前田が凹まされて、いま上杉攻め、
次は自分だと思ったのが毛利でしょう?
関ヶ原の部分は、実質福島と三成の喧嘩だけど、
日本全体では毛利は賭けに外れて領土を失った戦。
大坂城西の丸に入った時点で輝元は首謀者だ。
- 39 :
- 前スレから見てたけど、どっちが首謀者かわからないってことでしょ。
通説では石田三成だが決定的な史料はない。以上。
確定しているのは、
・最初に挙兵したのは三成
・西軍の総大将は輝元
まあ、遊んでるのはわかってるけどさ、
それならそれでソースにこだわらなくてもい、とは思う。
推論でああでもないこうでもないとやりあうのは楽しいもんだと思うし。
個人的には、前スレからまったく名前があがらない
小西行長が不憫でならない
- 40 :
- >>39
流石に小西行き長では、石田三成以上に小物感があんじゃね?
関ヶ原の戦いは、徳川家康の自作自演。
家康が書いた偽の輝元書状に三成、直江が動いて、
そこに木っ端大名(小西、大谷)が同調して、
嘘に真実味が付いたところで宇喜多、上杉が乗っかって、
吉川広家とかの非戦思考の幹部も当の輝元も気付かないうちに
西軍総大将に祭り上げられてた。
それであれば、関ヶ原以降のグダグダは、理解しやすいんじゃね?w
小説かドラマの筋くらいにはなりそうだがな
- 41 :
- >>36
毛利は当分、家康の西上は無いと考えて
火事場泥棒やらかしてる。
だから長政が広家に家康に付けよって書状もシカトしてる。
だが予想に反して家康がやってきたから焦って
関ヶ原の戦い前日にいきなり
「毛利は首謀者じゃないから安堵して」などと
三成に首謀者の座を押し付けて責任逃れの保身を開始。
しかし関ヶ原の戦いごに
やはり毛利首謀者が判明し
家康は毛利改易し輝元の責任を問うと決定する。
だが島津や上杉が降伏せず、
如水や清正が組んで過大褒美を家康に要求し、
九州に盤踞する姿勢を示した為に家康は警戒し
輝元を先鋒に秀忠を大将に島津攻略を宣言
上杉には和睦を申し出る形になり毛利は助かっただけ。
- 42 :
- >>39
最初に三成が挙兵って
なにがソースだ?
挙兵と共に出した
内府たがい条に三成の署名は無いし、
最初に真田に書状を出してるのは大谷。
前スレにもそんなこと一切書いてないだろ。
- 43 :
- >>38
何で西の丸に入ったら首謀者って事になるの?西の丸に入った事から分かるのは毛利が総大将になったって事だけだぞ?
- 44 :
- 逆に毛利がしっかりやる気あるなら西軍はもうちょっとまとまってたし、三成がそこまで関わってなかったなら福島なんかの東軍武断派はもう少し動揺したんじゃないか
- 45 :
- >>43
首謀者と総大将に違いを求めるのは日本人的だな〜、
誰が計画したにせよ、事を進めた総大将に責任がある。
三成が居なかったら、福島の動きは違うモノになるだろうが、
毛利の動きには大きな変更はないだろう。
豊臣家の大老としての行動と言い訳しながら、
徳川を越える領土を得ようとするでしょう。
- 46 :
- >>44
淀、利長、三奉行が家康を騙す為に三成と大谷が謀反挙兵したとフェイク情報を出してる。
その裏で輝元や秀家らが諸大名に西軍に着くよう勧誘してる。
家康は三成じゃ大した事出来ねーなと楽観して
大津城への増強すら出さずに事態を放置。
その隙に毛利軍主力で
伏見城や勢田の渡河点の占領、大津城の三の丸占拠をやってしまい、
毛利主力の伊勢侵攻を開始。
家康は完全に騙されてしまい会津征伐どころか、
江戸で立ち往生してしまった。
フェイク情報の三成首謀者に正則らが反応しただけの話。
七将による伏見城包囲の時に
家康派の片桐らに大坂城を押さえられ
大谷に三成支援は益が無いからやめた方がいいと言われた輝元がその時の教訓を学んで、
一気に大坂城と伏見城を押さえて主導権を握る為のフェイク情報。
家康は完全に騙されてしまって
三成ではなく毛利や宇喜多らが背後にいたのが発覚したので、
家康は尾張に行った福島らも警戒して疑心暗鬼になって江戸に引きこもった。
毛利もまた家康は当分西上しないと睨んだ。
しかし福島らは伊勢の東軍側からの援軍要請を無視して
私怨で大垣城まで三成襲撃に出撃。
福島らは三成、秀家、島津らを破り大垣城を完全包囲したと家康にフェイク情報を流した。
これに勢いづいて家康が西上して福島らに急いで追いついた。
- 47 :
- >>46
利長って前田?
何のメリットが?
小説としちゃ弱いんじゃね?
- 48 :
- 前田利長は豊臣秀頼にけっこう強い忠誠心をもってた気がするな
のちに家康を暗しようとしたとして家康の加賀征伐を受ける直前に降伏したけど、
たぶんほんとに暗計画を立ててたんだろうな
加藤・福島よりよっぽどヤバイことしてる よく大大名として生き残れたな
- 49 :
- >>48
仮に、利長が関ヶ原の戦い時に、家康をやる気満々だとしたら、
自分が西軍総大将についた方が早くね?
毛利みたいな信用できん余所者よりも、秀吉盟友の息子の方がみんな与しやすいだろうし、
実際的な戦費の調達も朝鮮にそんなに渡ってない分楽なんじゃね?
- 50 :
- >>49
おまつ様を人質として江戸に送った時、すべてを諦らめ、観念した
・・・そうか、こいつは観念したと家康が確信したから生き残れたんだな
淀・秀頼や加藤・福島はまだ諦らめずに何かを狙ってると家康が思ったから、
潰されるハメになったわけか
- 51 :
- 毛利が首謀者だっていう書籍や研究者は?
- 52 :
- >>50
加藤・福島は潰しやすそうだったから潰したんじゃね?
加藤は清正死後だし。
福島正則が、徳川に舐められ過ぎで泣けた。
安芸に籠もって、一人でも多く徳川方をすって構えりゃ、
天下分け目第二段くらい始まったかもなのに
- 53 :
- >>30
3/4に三成が大坂から伏見へ移動しているのでそれ以後の日付と思われる輝元書状で
「三成に加担するのは無益なことなので人数合わせをするのがよいと大谷の内意です」
また次の輝元書状では「大谷と三成が景勝と我らの覚悟次第で何に分にも相定むべきとの儀」
などと書いてあり、上杉と毛利の判断に三成らは従い。どのようになろうが構わないと情勢の丸投げをしてる。
さらに別の輝元書状では三成の身の上について毛利・上杉と家康の間で調整が着き
「増田も三成と同様になるでしょう。三成はことの外、折れたる様子を聞き私は涙を流した」と書いて悔しさを滲ませてる。
閏3月9日に家康が三成の子息が昨晩我らの所へ来たと書状を出していて
輝元書状において「三成の息子が大坂へ来て秀頼様へ奉公するようにとの事になり
一礼として夕べに内府の元へ挨拶にいった」と書いてあるので同日書状と特定されるが
その後に続く文章に「気分悪く笑止千万候」などと輝元が胸糞悪いなどと憤ってる。
毛利を屈服させた家康は、毛利弱体化を目的に毛利に介入しまくっていた
秀元への給地分配問題にまた介入して、家康&秀元ラインによる毛利分断化工作が進んでる。
「元康へ秀元重臣が言ってきた内容ですが、どうしても長門と吉敷一郡じゃないと、毛利は成り立ちません。」
この後、7月に広家38歳が浅野長政とケンカし輝元が「広家は下々の者レベルの分別しかなくどうしようもない」と言ってる。
ちなみに広家は元康とも不仲だったりと、仲が良い人間なんていないんじゃねーかレベルのDQN。
黒田長政と仲が良かった話も真偽不詳な長政と広家が協力しての
正則と宗茂の仲直り斡旋詳述が楚漢春秋の鴻門の会の丸パクリだったりと岩国藩のデッチ上げっぽい。
>>47
秋田宛て榊原書状において下記の人たちが家康にガセ情報を流していたのがわかるね。
大坂より御袋様(淀)並びに三奉行(内府たがい条に署名してる面々)・北国羽肥州(利長)
前田利長まで巻き込んでこれだけおおがかりな詐欺まがいの政治外交を
指示できるのは西国取次ぎ役の大老輝元しか無理と言える。
- 54 :
- 毛利を首謀者とする書籍や研究者はいるのかな?
総大将=首謀者のわかり易い図式なら、とっくに定説になってると思うんだよね。
私の読書量の問題かもしれないけど、見たことないし、定説にもなっていない。
毛利が首謀者でない、何か決定的なものがあるんじゃないかと思うんだけど。
- 55 :
- >>54
関ヶ原における輝元の主軸は、自国の領土拡大。
西軍の主目的である反家康行動とは一致していない。
故に、輝元首謀者説は成立しない。
以下、光成準治氏の著書が、関ヶ原における輝元の立場と思惑を総括している。
「輝元は豊臣奉行衆と同盟して表面的には豊臣政権を支える姿勢を見せながら、
その真意は独立的な領国を形成することにあり、実際には豊臣政権の根幹的な
政策である惣無事令や海賊停止令をも否定しようとしていたのである。」
- 56 :
- 輝元も、家康と同じ穴の狢って事だな
- 57 :
- >>55
毛利が首謀者と主張している書籍、もしくは研究者はいないんですか?
全くない、というのも不思議なんですよね。
- 58 :
- >>57
別に不思議がることか?
首謀者なら、徳川幕府に対する大逆人として認定される。
大逆人となれば、意地でも徳川幕府としては討たなければならない。
毛利は、そんな目にはあいたくないと考えるのが正常だから、
そう取れる資料は全て消す。
幕府側にとって毛利に更に追い討ちをかけることが、コスト的に厳しければ大逆人認定しない方向で情報操作する。
(大乱の首謀者を野放しにしてたんじゃ統治能力0認定される)
毛利を、とりあえず滅ぼさなかった時点で仮にどんな事実があろうとも、
毛利家首謀説を学説レベルで展開出来る資料は残させない。
まあ実際、毛利が自分から関ヶ原の戦いを仕組む程バカ揃いとは思えないがな。
テレビドラマじゃ良く石田三成が色んな大名の石高を足し算して、これで家康と互角だってはしゃいて島左近に窘められてるが。
実際、他人がどれだけ真面目に戦うか当てにならんのは後北条の壊滅的な敗戦で、当時の大名は分かってるだろう。
まして、毛利は小早川分の石高は削られ、朝鮮には駆り出され、広島で戦争には使えない大城を作らされで金が無いはずなのに。
毛利首謀説は、おもすろおかしく創作するためのネタだろ
- 59 :
- まぁ、ネタだろうとは思うんですけどね。
一次史料はないにしても、周辺状況や経緯から、
毛利首謀者説を呈示する研究者がいてもいいと思うんですよね。
そもそもからして、総大将なんですから。普通は首謀者と考えてもいいですよね。
でも、そんな研究者は一人もいない。というか、知らないだけかも。
- 60 :
- >>57
知らないし、見たことがない。
毛利首謀者が、いかに蓋然性の乏しい妄想であるかの証左だな。
ネタを本気で主張してる人に聞いた方がいいと思う。
- 61 :
- 毛利首謀者説がないのは
単に輝元がその程度の人物だったってことだろ
- 62 :
- 三成という影の首謀者に操られてたはずの木偶の坊が実は
すべてのシナリオを書いてた男、というのはミステリー小説としてはいいんだけど、
その真犯人がちゃんとやってりゃ勝ててた勝負だからなあ〜
- 63 :
- ちゃんとやってたら?
真田の小勢に遊んでもらってた三男率いる主力と、
佐竹(や、おまけとしての上杉、伊達)と睨めっこしてた次男が手付かずで残ってますよ。
関ヶ原の戦いに負ければ、関ヶ原にいた東軍(井伊含めて)が瓦解しても、
譜代衆(三河衆)が残ってるってのは圧倒的な強み。
だから、毛利が首謀者ってのは結構無理がある。
負けた場合の失う物と勝って得るものを
(勝ったところで、どこを改易してどこを取るんだ?って考えたら絶望する。
徳川を改易なんて出来る訳がないし、黒田も改易しようとしたら質の悪い親父と殲滅戦になる。)
考えたら、戦う気にはなれないはずなんだが
まあ、バカだから西軍総大将になっちゃったんだろうけど、そこまでバカとも思えない。
- 64 :
- >>55
毛利家内への介入と分断を図る家康が目指す覇権へ抵抗するために
会津征伐をチャンスに毛利は反家康行動に踏み切った。
家康は上杉が気になり当分上洛ができないと判断し、
その隙に自力でも家康に対抗できるよう自己のために領土拡大を謀った。
光成氏は毛利の領土拡大と西軍の反家康行動は両立しないなどとは、まったく書いておらず完全に歪曲。
〜光成氏の主張〜
家康と組んだ秀元の別家創設で輝元から毛利領の1/4獲得を狙っていた(出雲や石見なので吉川は長門へ飛ばされる)
その後の交渉で出雲から長門や周防や父の遺領に変更になりながら、やむなく妥結した。
輝元は遺領問題で天下の人々はどうおもうだろうか?と毛利の外聞を非常に気にしてる。
家康や秀元によって恥をかかされたと認識してるから輝元も上杉征伐を最後のチャンスと思ったんだろうね。
さて輝元が在国してて、家康が会津へ出発すると大坂は大老不在になってしまうことから
秀家は会津へ行かずに在京。秀家の代わりに会津へ行ったのは詮家。
ちなみに毛利は吉川と安国寺が会津へ従軍予定。
7/5の豊国神社参拝での武運長久を秀家が行ったことに関しても
肝心の詮家が出発した後にそれをやるのはおかしいとされ、
しかも家康が介入した宇喜多騒動の主役の1人の詮家を会津へ派兵したのは
西軍挙兵において家中で邪魔になるであろう詮家の弊害を恐れ
事実上、秀家による家康の下への放逐行為であると考えられる。
そして秀家は大谷と親しいので、大谷の決起も秀家の士気の高さに引っ張られたとされてる。
6/16の家康出立直前の6/8〜10頃に輝元は領国へ向け出立
6/17日夜に広島に着いているわけだが、7/2に家康が江戸城着を経て
7/12付け三奉行の輝元への上坂要請文が7/15に輝元の元に到着した可能性が高く、
待ち構えていたように即日のうちに輝元は家中を率いて広島から船を出したと考えられ
7/17夜には秀元が大坂西の丸を占拠してしまうなど迅速に家康のいた場所が制圧されてる。
明らかに出兵の準備のために帰国してたとしか思われないわけで
輝元は6月の時点で家康を油断させるために領国へ帰ってるとされる。
そして七将襲撃の時に輝元ー三成ラインが敗北した原因である
家康側による大坂占領と伏見城の治部少丸包囲と真逆の行動を開始するなど戦訓を生かしている。
ちなみに7/19秀忠が江戸より会津へ出陣。7/21家康が江戸から会津へ出陣。
よって光成氏は下記のように書いているわけだ。
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
しかも慶長5年6月・7月の挙兵への道程における三成の関与について光成氏はまったく書いていない。
これでも光成氏が輝元首謀を主張してないと歪曲して強弁するならお前は完全に文盲かキチガイw
- 65 :
- 美濃は最初から西軍だし尾張侵攻も毛利主力の伊勢攻略軍による北上。
しかも伊勢を毛利が占領する意思を輝元は表しており、
増田が何を言おうが関係ないとまで言って野心を露わにしてる。
首謀者輝元は幼君秀頼を利用して軍事も主導して専制独裁をしていて
前線指揮官の1人でしかない三成はそれを黙認する機関でしかないのが実態で奉行に復帰してるかどうかすら疑問。
しかも輝元へ三成は直接意見を言えずに、増田を経由している始末。
秀頼に会ってないどころか大坂城にも一度も行ってない三成が首謀者だっていう一次史料が無いどころか
首謀者と思われるような傍証も感情の吐露も三成にはまったくない。
しかも蟄居ではなく、隠居で減封も改易もなく、家督譲渡された息子は秀頼に仕えることが許され、
秀次事件に連座した前野長康や浅野長政(幸長は能登国津向配流)
前田と家康暗を企てたとして甲斐の領地と家督を息子に譲り
武蔵府中に出て監視され謹慎させられた浅野長政よりも
三成はかなり罪が軽かった。別段、政治に執着してるわけでもなく、不満を抱いてるわけでもない。
前野長康や浅野長政の失脚を見てれば いつ政争の舞台から失脚しようが浮沈の覚悟もあって当然だろうね。
そして一年以上に渡り、三成はおとなしく生活していて事を起こすような証拠はまったくない。
嫡男の石田重家(三成が実父正継のために建立した寺である寿聖院の三代目を継ぎ生存)
次男の石田重成は津軽重臣として生存。
津軽2代藩主正室の辰姫として生存(子が津軽3代藩主信義)
三成首謀説は大老にもなった若狭酒井忠勝が主導して造られた東国太平記が
三成と兼続の陰謀話の証拠として登場させたのが発端だからw
それには現在では偽書状認定されている原書が存在しない書状が記載されてる。
6/20三成→兼続書状・7/14三成→兼続書状がそれ。
これはのちに続武者物語にも転載され一般化され根付いたもの。
三成と直江がすべて悪いと汚名を着せられたことと、
陰徳太平記を書いた岩国藩の香川景継が、
吉川家の意向を受けて、関ケ原軍記大成などの軍記類に偽書状を元ネタに
吉川の主張を隠密裏に盛り込む活動をして毛利は被害者ぶった史観を作りあげただけ。
三成と直江首謀→三成首謀→三成と輝元首謀→輝元首謀と
だんだんと三成の関ヶ原での権力が疑問視されてきてるのが流れだ。
また毛利は首謀者として改易させられ輝元の罪も問われる予定だったが、島津征伐が議題に上がったので
輝元は先鋒にすることになり減封になったのであり、偽書状のように広家のおかげで輝元が助命されたわけじゃない。
- 66 :
- >>40
それで予想以上に西軍に人が集まって家康が負けてしまうIF小説が見たい。
>>63
そこまでバカでなかったら最初から決起しないだろう。決起した上で何もしないのが一番のバカ。
お前は輝元がそういう奴だと言ってる。ナメ過ぎだ。
- 67 :
- 輝元は首謀者だったが
家臣を統御できずに自爆しただけだろ。
肝心なところでヘタレたのがバカ輝
- 68 :
- >>64>>65
残念だが、光成氏の主張は下記で動かない。
「輝元は豊臣奉行衆と同盟して表面的には豊臣政権を支える姿勢を見せながら、
その真意は独立的な領国を形成することにあり、実際には豊臣政権の根幹的な
政策である惣無事令や海賊停止令をも否定しようとしていたのである。」
光成氏は著書の中で、特に輝元視点の分析に35ページを割いており、
上記主張はその最終章題『輝元の思惑』の総括に該当する部分。
内容を見ればわかるが、明確に輝元と三奉行の関係を同盟としている。
そしてキミが主張している箇所、
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い(のではなかろうか)」→文章改竄
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
は、その前段の章であり、且つ記載箇所の小題名は「安国寺恵瓊の策謀だったのか」。
つまり、上記文章のとおり、従来の安国寺主導によらず輝元自らが関与したのではないか、という推測。
関ヶ原自体を、輝元が首謀したという主張では全くない。
当該著書を読んでない人が多いだろうとタカを括って、適当な事を言ってはいけない。
- 69 :
- 追記
輝元が志向する『自国領土拡大と独立性の強化』は、
自ずと西軍の目的(家康打倒)と一線を画すのは自明。
よって、毛利首謀者は有り得ない。
西軍の目的が、毛利領拡大であれば別。
- 70 :
- 中途半端な野望があったのは事実だろう
- 71 :
- >>69
なんで毛利は伊勢攻めたの?
中国地方に所領がある毛利の領土拡大と伊勢は繋がるの?
三成の思惑は分からないが、輝元の目的は徳川追い落としでしょう。
じゃなきゃ大坂城に入らないよね。
結果から輝元を軽くみたり、
三成を過大に捉えるのは如何なものか。
- 72 :
- >>68
>>(のではなかろうか)
さしたる問題でもない前スレと同じ語尾の部分を再度に渡り文章改竄と書いくるあたり
やっぱりお前は三成スレや秀吉スレを荒らしてた在日毛利厨か。
そもそもお前は自分が大幅に不利になる、その該当2行を丸々抜いて
転記したほどの大規模文章改竄をやってのけてたのを忘れたのかw
つうか「輝元は豊臣奉行衆〜否定しようとしていたのである」の部分を
ムリヤリ強調して問題化しないとお前は困るようだなw
該当文章は三章の最後に書いてあるが、
そもそも1章から2章で秀吉の死から関が原終了まで書いており
今議論している西軍挙兵までの推移とはまったく関係がないのが3章。
お前の論理は、ハル・ノートを突きつけられて
対米開戦を決意し交渉打ち切りするまでの内容が自分に都合が悪いから
完全無視して開戦後のインパール作戦などを持ち出して
東南アジア支配を目指しただけで反アメリカじゃないとアホみたいな曲学をしてるだけ。
3章は西国の統括者毛利輝元のタイトルで
豊臣政権西国取次役の輝元の命に従わない西国大名へ懲罰権を行使したと書き
毛利軍による阿波・伊予・豊後・豊前での動きを書いており
その侵攻理由として家康が策謀した財政負担増になる旧隆景家臣団帰属問題と絡めた
秀元の別家創設問題による給地の減少と毛利家内の分断の打破を列挙し、
毛利家臣団の給地の総入れ替えも可能になる領土拡大も視野に入れてのことと書き
その目的のために惣無事令や海賊停止令をも否定する行動をしたと書いている。
これは上杉が出羽や陸奥を屈服させてから関東侵攻を考えていたのと同じで
(お前の理論からすれば堀の讒言や家康の糾弾の使者や直江状は完全に黙して
奥羽を敵にしてるのであって反家康ではないと主張するんだろうがw)
脅威になる家康との戦いへの準備であり、
結局は家康を打破しないと毛利の領土拡大が水泡に帰すことには変わらない。
しかもその最後の締めとして光成氏は輝元の失敗を
1大坂城を出て戦わない最終局面での決断力の欠如。
2佐野道可事件のようなことをする人望の無さが失敗につながったとしている。
また「安国寺恵瓊の策謀だったのか」についても
福原や堅田は輝元から決起計画について事前に知らされており、
恵瓊の行動も織り込み済みだったのではなかろうか。としている。
>>69
つまりお前の主張は捏造と歪曲を重ねただけのこと。
毛利の自国領土拡大と独立性の強化は反家康行為ではないなどと実に馬鹿馬鹿しい。
- 73 :
- >>72
さしたる問題でないのであれば、指摘後は原文に忠実に記載すれば良い。なぜしない?
というか、この語尾があるのとないのとでは、ニュアンスは全く違う。
× 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
○ 「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高いのではなかろうか」
下記主張を問題化?これが光成氏の輝元主張のエッセンスなだけだ。
主張はその最終章題『輝元の思惑』の総括に該当する部分。
明確に輝元と三奉行の関係を同盟としている。
「輝元は豊臣奉行衆と同盟して表面的には豊臣政権を支える姿勢を見せながら、
その真意は独立的な領国を形成することにあり、実際には豊臣政権の根幹的な
政策である惣無事令や海賊停止令をも否定しようとしていたのである。」
更に、キミが『(光成氏が)最後の締めとして』挙げているという以下2点。
・大坂城を出て戦わない最終局面での決断力の欠如。
・野道可事件のようなことをする人望の無さが失敗につながったとしている。
これは、完全にキミの読み間違い。光成氏は、最後に輝元の人物像に触れているだけ。
従来の凡庸・被害者ではなく、非常に野心に満ちた人物として、その具体例に
佐野道可の事例を持ち出してるに過ぎない。
関ヶ原の総括に大坂の陣で締める文章構成にするわけなかろう。
もちろん、毛利が総大将である以上、東軍と戦闘を行うのは当然で、
それは自国領周辺に留まる話ではない。
自国領拡大と独立性強化は、方針の主軸だと言っている(>>55)。
打倒家康が目的の組織である西軍とは一線を画す、という話。
そして、キミは論拠の大半に光成氏の主張を採用しトレースしているが、光成氏は、
@三成首謀者がベース A毛利を首謀者としていない(実態は同盟としている)
根本的に曲解している。
- 74 :
- >>72
面倒くさいので先に書いておく。
光成氏が三成を首謀としいる部分。(44ページ)
「七将の襲撃を逃れた三成は、伏見城を拠点に徳川派の打倒に向けてさまざまな
権謀術数をめぐらしており、大規模な軍事衝突が起こる可能性もあったことが
明らかになった。また、この闘争計画の中心的役割を果たしたのが、一年後に
関ヶ原合戦を主導する石田三成、大谷吉継、安国寺恵瓊の三名であった点も注目
される。」
- 75 :
- 議論が過熱しているようだが、参考までに光成氏『関ヶ原前夜』に反論する
論文も出ているのでそれも踏まえたほうがいいよ。
- 76 :
- >>73>>74
>>「一年後に関ヶ原合戦を主導する石田三成、大谷吉継、安国寺恵瓊の三名であった点も注目される。」
はいはい、それは関が原の地における合戦のことであり、挙兵計画に三成が参加してた証明にならんよ。
いい加減に屁理屈は止めろよ。なにが「ニュアンス」「エッセンス」だアホかw
転記がめんどくさいからパパッと打ち込んだから語尾まで確認してなかっただけだし、このスレに貼った時はただのコピペ。
それならその2行をワザと抜いて転記したお前の方が悪質だろうが。
>>輝元と三奉行の関係
そもそも三奉行に三成は入っていないのだから元々、話自体が筋違いで、
しかも挙兵後の軍の動きであり挙兵前から三成が首謀者かどうかとなんら関わりがない。
>>人物像に触れているだけ
違う。三章の総括として一番最後に書いてる。大坂の陣で締めてもいない。
佐野道可事件はただ人望の無さの実例として挙げただけの話で大坂の陣についての論評ではないから完全な歪曲捏造。
実際は佐野道可事件と共に大坂陣よりずっと昔の事件である
輝元が家臣の妻を略奪した話も出しているので大坂陣の云々はまったく関係ない。
つうかさ。あれ?前スレで佐野道可事件の話が出た時に
君は「家臣の妻を奪い、自らの側室にして家臣を害」なんて作り話の捏造って断言したよね?
光成氏がそれを書いてると俺が書いたのに信じられない話だと喚いて粘着を繰り返すから後に下記のように俺が論破してやったよね?
788 :人間七七四年:2011/10/23(日) 17:48:01.32 ID:uY12O8IV
>>786
バッカwww
またwikiの丸パクリwww
wikiの生没年なんてコーエー武将ファイルの丸パクばっかなのにwww
そんなの信じてまたデタラメwww
あのねぇ周防東部に位置する玖珂郡に所領を持っていた
山代本郷成君寺山城主の杉長相って人物と都濃郡の杉元宣を
同じ小次郎名だからwikiは混同してんだよアホが。
杉長相は厳島の戦いの後も陶軍にいて高森城に集結した毛利軍を相手に
成君寺山に籠城して抵抗してる。
一説には落城後に都濃郡須々万の沼城で再度抵抗したとされ、
そのために都濃郡に所領を持つ杉元宣と混同してると思うがなw
山代一揆エリアはその後も大内再興軍に呼応したりと反毛利側で挙兵したりしているわけで杉元宣とは行動的にもぜんぜん合致しない。
お前さ、よく自分の捏造主張を押し通す時に、どうせわからんと思ってたびたび大ウソを吐くよな。
そうやって捏造しまくりの一例だが下記の件も忘れてないよな?
>>武田山から15キロは離れているはるか下流の広島城
おれのグーグル先生は道を歩く徒歩計測で6キロ前後で広島城から
武田山の裾野の麓にある広島経済大図書館なんだが・・・お前かなり遠回りしてて超アホだろw
あとさ、俺は屁理屈を繰り返して粘着する君に対して下記の返答もずっと待ってんだけど、ずっと逃げ続けるの?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1208970502/826-828
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172121280/650-651
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240453594/367
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1295864542/10-11
いい加減に隆景の凄さのソースを出してくれよw
- 77 :
- 正直言うと、光成氏の主張に傾倒しているわけではないんですけどね。
毛利首謀者の結論ありきで、光成氏の著書から我田引水・曲解しているのが
目についたもので。
- 78 :
- >>75
大西泰正氏の意見でしたよね。
>>77
はいはいwそうですかwwwなら粘着を止めて消えてくださいw
- 79 :
- >>76
>関が原の地における合戦のことであり
これが曲解だし屁理屈。いや、いくらなんでもそれは無理な解釈だろ?w
そうされないように、前後がわかるよう文書丸ごと抜いたんだが。
安国寺は本戦を主導なんぞしていないし、寧ろ宇喜多が該当するだろ。
>輝元と三奉行の関係
筋違いじゃないよ。この話は輝元が首謀者には該当しない話。
光成氏は、明確に輝元と奉行衆の関係を同盟としている。
これはどんなバカでも曲解しようがない。
三成の首謀云々については、>>74。
「輝元は豊臣奉行衆と同盟して表面的には豊臣政権を支える姿勢を見せながら、
その真意は独立的な領国を形成することにあり、実際には豊臣政権の根幹的な
政策である惣無事令や海賊停止令をも否定しようとしていたのである。」
>人物像に触れているだけ
記載部分の小表題自体が、『輝元の人物像』なんですけど。
前スレの佐野道可の話は私じゃないので、悪しからず。
- 80 :
- >>79
お前また別人などと逃げるのかwww
粘着文章パターンではっきりわかるわけだがwww
そんで俺の反論はすでになされた話ばかり。
改めて書く必要性すら感じない駄文乙w
>>文書丸ごと抜いたんだが
悪質な削除しておいて転記しておいて意味不明な開き直りwww
つか逃げてないで一刻も早く三成が首謀したとする傍証や感情の吐露でも提出してください。
>>筋違いじゃない
筋違いだから。開戦への道筋を黙しないと君が不利になるからだろお前が譲らないだけw
小表題だからと誤魔化すつもりだろうが
第三章「西国の統括者」毛利輝元の最末尾の締めの部分じゃねぇかw
水野伍貴氏「石田正澄と石田三成」において
「看羊録」と島津側の史料に
利長による家康暗事件において、三成が陰謀を家康に報せ
さらに家康を守るために三成も出兵したと書かれているそうですね。
三成の兄の石田正澄も鹿苑日録の記録から家康の安全を守るために
自分の屋敷を提供し堺町奉行の任に戻ったと。
- 81 :
- >>80
別人である以上、何を言われても響かないな。
キミの気持ちが晴れるなら、お好きにどうぞ。
キミの
@論拠の大半を占めている光成氏は、
@三成首謀者がベース A毛利を首謀者としていない(実態は同盟としている)
@転載
「七将の襲撃を逃れた三成は、伏見城を拠点に徳川派の打倒に向けてさまざまな
権謀術数をめぐらしており、大規模な軍事衝突が起こる可能性もあったことが
明らかになった。また、この闘争計画の中心的役割を果たしたのが、一年後に
関ヶ原合戦を主導する石田三成、大谷吉継、安国寺恵瓊の三名であった点も注目
される。」
A転載
「輝元は豊臣奉行衆と同盟して表面的には豊臣政権を支える姿勢を見せながら、
その真意は独立的な領国を形成することにあり、実際には豊臣政権の根幹的な
政策である惣無事令や海賊停止令をも否定しようとしていたのである。」
逆に、@三成首謀者を否定 A輝元を首謀者、とハッキリ明言している箇所があれば
教えてくれよw
>小表題だからと誤魔化す
いや、読めばわかる話。当該著書は誰でも手に入るし。
最後の佐野道可のくだりは、輝元の人物像を述べてるだけ。
関ヶ原に対する輝元の方針を主張しているものではない。
何なら全部転載してもいいぞ。
- 82 :
- >>81
全部、反論済みで新しい部分は一切なく
お前の自慰繰り返しループレスでしかない。
俺の反論は過去レスを見れば一目瞭然。
再度、同じ内容を繰り返し書き込むのは
外の戦国板利用者の迷惑になるから書かない。
こちらの要求に毎回なぜ一切回答しないで、逃げ続けるのか?
もう重複内容のレスを繰り返すのはウザイから止めてくれ。
- 83 :
- 反論出来てるかどうかはレスを遡ればわかる話。
まぁ読み手と、キミ自身に任せるとするよ。
- 84 :
- お前が自分が一方的に不利になると自覚して隠蔽した
「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
の部分を読めば答えなんて一目瞭然だろう。
自分が意図的に削除してんだから当然不利なのを自覚してるよな。
それと君は三成が挙兵計画に関わっていた傍証を出せという
質問からまたまた逃げるのか?
都合が悪くなると毎回別人だと言い出すし
相変わらず卑怯だね。
君は俺への私怨からずっと粘着してるんであって
俺の反対意見を以前からずっと繰り返して執拗に屁理屈を繰り返しており
はっきり言って自分の意見が正しいか、正しくないかは度外視しており
まったく関係ないのを知ってるからw
さすが万年野党の反対のための反対屋君w
- 85 :
- せっかく学術的な話をしているのにwwとか使ったり、感情的になっているのを
見ると萎えるな。subなんだろうけど。
- 86 :
- その件については、全く取るに足らない話だからスルーしていた。
ここで回答するよ。
こちらが転載した文章は以下。
『輝元が謀議当初からこの決起に直接関与したことを立証する史料は見当たらない』
必要な情報は「輝元が、首謀者として三成に対し直接指示出した証跡はない。」こと。
キミの敬愛する光成氏は、これが存在しないと明記している。この情報のみが必要なだけで、
・「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い(のではなかろうか)」→文章改竄
・「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
の二文は必要ないだろ?前スレで前後のレスを見直してみたらいいと思うよ。
都合なんて悪くないし、キミに私怨なんてないよ。論破されたことないし。
- 87 :
- 三成前スレの流れ
中盤までまったりとレスが続く
突然、三成や秀吉の根拠無き罵詈雑言が開始される。
subが悪口中傷に冷や水を浴びせる。
subの誘導に乗り、関ヶ原の戦いについて
輝元は三成に騙されただけで
一方的に被害者だが広家のおかげで助かったと主張し馬脚を現した。
佐野道可で議論していた時点でも、
光成氏の本を持ってなかったので、
さんざん一次史料を出せと粘着。
本を買ったいま何事も無かったかのように
光成氏の話を否定しまくった毛利厨が
光成氏の本を持ち出して捏造するのに違和感があるな。
基本的に両者の言い争いなので別人なわけがなく、
本を持っていなかったのが原因なのは明らかだし。
この毛利厨は去年も
ウソを繰り返し三成や秀吉の悪口や
朝鮮出兵や秀次スレも荒らしていて
輝元が騙されてた
被害者論を繰り返していた常習者。
去年は秀吉を恨む利長は挙兵時から家康派と執拗に主張し粘着していて
見事に撃退されていた。
だから、淀や利長が挙兵の時にフェイクしてた事実などで論破され、
秀秋の松尾山占拠や内通の話も全て二次資料からだと否定され、
広家が家康から毛利安堵の書状もらっていた主張も論破されている。
(とうぜん屁理屈を繰り返していた)
極端な輝元擁護ですぐ本人特定が可能な
戦国板一のストーカー。
- 88 :
- 南宮山の布陣位置で、妄想してたバカがいた
- 89 :
- まだ毛利厨があばれてたのか。
懲りないな。
- 90 :
- 心あたりがあるわけね
- 91 :
- そいつ第二次木津川口の戦いを
信長が大敗して毛利が圧勝してる
と粘着主張して執拗にSUBに粘着して
さんざん屁理屈を繰り返していた基地外。
論破されようが論破されてないと繰り返すところまでそっくり。
荒らしだから無視推奨。
- 92 :
- つまり三成が挙兵計画に参加してる証拠も傍証も全然ないんだろ。
じゃあ輝元首謀者で決定でいいでしょ。
なんでこんな簡単な話で言い争ってんの?意味ワカンネ。
利長の家康暗計画では三成が家康を守ったと言うし
西軍挙兵と同時に母を人質に出していてリスクある利長が
家康へガセ情報を流しているなんてのは
明らかに三成如き命令で利長が動いたとは思えないし。
三成の子が生存してるなんてのも
謀反首謀者と当時の人間が考えていない証拠だと思う。
どう考えても18万石の三成では成立しない、
背後に首謀者として毛利がいないと不可能なことばかりだと思う。
- 93 :
- >>92
> 西軍挙兵と同時に母を人質に出していてリスクある利長が
> 家康へガセ情報を流しているなんてのは
ガセもなにも「正確な情報」を把握するのがどれだけ難しい時代だったと思ってるんだ?
- 94 :
- 淀・三奉行・利長が直接、ガセ報告してんだから
難しいも何も関係ないでしょ。
- 95 :
- 輝元の場合は、史料に加えて主張する研究者、著書もないみたいだけど。
ここで叫んでるだけで、とても標準とは思えない。
- 96 :
- >>91
subって自分じゃないか。
- 97 :
- >>94
それだけ一致してればガセではなく当初そう見られていたと考えるべきだな。
陰謀論者は違うのだろうがw
- 98 :
- >>97
利長や淀と一緒に署名している三奉行が
同時期に反家康大名に
内府たがい条を出している以上、
あなたが思うような解釈をするのは不可能でしょう。
- 99 :
- >>65
小山会議で自分の城を家康に明け渡すと主張したのは
実は正則なのだが山内一豊と書き換え
福島の功績を意図的に抹消してるのが関原始末記。
関原始末記は若狭国小浜藩主の酒井忠勝(直江と三成首謀とした会津陣物語もこいつ)が作らせた単なる軍記。
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