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2012年3月日本史211: 陸奥♪奥州安倍氏と奥州藤原氏を語るスレ♪出羽 (914)
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陸奥♪奥州安倍氏と奥州藤原氏を語るスレ♪出羽
- 1 :
- 語ってください。
- 2 :
- 日高見国
- 3 :
- >>1
スレタイに出羽清原氏も入れんか!
- 4 :
- 源氏(頼義、義家、義光…頼朝)の粘着質で陰険な性格には参るよな。
初代経基以来、戦はからっきし弱いクセしてw
- 5 :
- 奥州藤原氏の末裔はいるの?
- 6 :
- あべし
- 7 :
- >>4
源氏は、人間関係で抑えるやり方。
平氏は、マジで荒地を開墾して土着するやり方。
- 8 :
- なるほどぅ
- 9 :
- >>5
やすひらの弟は許されてるから子孫はいると思う。
ただしその後藤原を名乗ったとは考えにくい。
あとは傍流で家臣レベルの家系。
- 10 :
- 家臣でいいなら伊達の一門とかにいたはず。
白石だか古内だか柴田だか
- 11 :
- >>9
たしか奥州征伐の後に反乱を起こした奥州藤原氏の分家筋が居たな。
>>5
むしろ安倍氏の末裔は居るだろ、安倍元総理だけど。
- 12 :
- あと米内光政が安倍氏の子孫
- 13 :
- 1018年 陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、税金の徴収や蝦夷との貿易を巡り合戦
同年 陸奥国司 藤原貞仲の要請により平維良は、鎮守府将軍職を解任される(陸奥国司 藤原貞仲は、鎮守府将軍職廃止も要請)
1019年 平永盛が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再要請)
1025年 藤原頼行が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再々要請)
1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍が正式に廃止、朝廷は奥六郡を放棄を決定
1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される
1051年 陸奥国司 藤原登任と秋田城介 平重成の数千の兵が、鬼切部で安倍頼良の部隊と衝突、藤原登任と平重成は大敗する。
(鬼切部の戦い)
- 14 :
-
1018年 陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、税金の徴収や蝦夷との貿易を巡り合戦
同年 陸奥国司 藤原貞仲の要請により平維良は、鎮守府将軍職を解任される
(陸奥国司 藤原貞仲は、鎮守府将軍職廃止も要請)
1019年 平永盛が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再要請)
1025年 藤原頼行が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再々要請)
1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍が正式に廃止、朝廷は奥六郡を放棄を決定
1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される
1051年 陸奥国司 藤原登任と秋田城介 平繁成の数千の兵が、鬼切部で安倍頼良の部隊と衝突、
藤原登任と平繁成は大敗する。 (鬼切部の戦い)
- 15 :
- 年表を見ると
1027年に朝廷が鎮守府将軍が廃止し、奥六郡の支配を放棄してから
安倍氏の奥六郡の侵食・支配が開始されたと思われる。
朝廷が放棄した地区の侵食は、朝廷による抑止が効かない為に、
この地の住民の抵抗が無い限り、力のある豪族により制圧されてしまう。
この時期に奥六郡には、和人の入植が進んではいないし、朝廷が支配を放棄
した時点で和人入植民の撤退も行われた可能性が高く、この様な侵食・支配を
行えるのは、蝦夷系豪族だけであり、安倍氏は中央官人系豪族では無い。
1036年に安倍頼良の父の可能性がある忠良(忠好)が陸奥権守に任命されている事
から、奥六郡の委任支配や交易、納税を認められて辺境軍事貴族に遇された、と理解できる。
これは朝廷や陸奥国府の「夷を持って夷を征す」の方針が陸奥の実情見て遂行された、
と見るべきだろう。
さて安倍氏の本貫地は、頼良の次男で跡継ぎの貞任の厨川柵が奥六郡最北端の
岩手郡に存在している事から、この岩手郡にあった、と思われる。
安倍氏は、奥六郡の支配を鎮守府が存在している胆沢郡から開始された訳ではなく、
最北端の岩手郡から開始され次第に南下した、可能性が高い。
安倍頼良は、奥六郡の支配体制が完成した事(父 忠良の代に奥六郡制圧完了?)により、
奥六郡北部(岩手郡・厨川柵?)から胆沢郡の衣川柵に移ってきた、そして
安倍氏の支配地域を奥六郡から更に南下させるべく活動していた。
事実、安倍氏の活動拠点は、奥六郡の南隣である磐井郡にも設けられており、
記録では三つの柵が確認できる。これらの柵は、衣川以南に存在し、安倍氏の
勢力南下と磐井郡が、鬼切部の戦い以前に安倍氏勢力圏に併呑されていた可能性
を物語っている。
- 16 :
- 安倍氏と陸奥国司や朝廷との最初の武力衝突が、玉造郡鬼切部で行われた
と言う事は、安倍氏は、既に磐井郡の制圧を終えており、次の目標として
磐井郡の南隣の栗原郡やそのまた南の玉造郡にまでに支配権拡大を目論ん
でいた可能性がある。
特に玉造郡鬼切部は、陸奥と出羽の交通の要所となっており、鬼切部にも柵が
設けられていた、と言う地元の伝承もある事から、玉造郡にも安倍氏の支配が
浸透してきたか、それを阻止する為に陸奥国司が柵を設けたか、どちらかの可
能性がある。
いずれにせよ、鬼切部の戦い以前に磐井郡や更にその南の郡にも安倍氏の
勢力が浸透を開始していた可能性すら考えられるのである。
「陸奥話記」には、安倍氏の衣川以南への進出が陸奥国府を刺激し、戦闘になった
と記述しているが、安倍氏の磐井郡以南の郡への進出が、その記述に当るのだろう。
- 17 :
- やれやれ。
二度も続けて同じ年表レスを出してきから、過去スレで最後にはファビョッて逃げた奴と同一人物とは思っていたが・・・
> 1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍が正式に廃止、朝廷は奥六郡を放棄を決定
>朝廷
が
>鎮守府を
>廃止
したことがどうして
=>奥六郡を放棄
したことに繋がるのだ?
朝廷は奥六郡を、元の支配の及ばない蝦夷地に戻したとでも言うのか?
陸奥国府との権限の重複により、鎮守府機能は廃されたとしても、そのかわりに陸奥国府が、かつての鎮守府機能を吸収したのに決まっているだろう。
だいたい、そのような説を展開しているのはどの研究者?
工藤雅樹氏も高橋富雄氏も高橋崇氏もそんな説は唱えていないぞ。
- 18 :
- >>17
返答が、欲しいか?
なら、ご返答をお願い致します。
が、無いぞ、オラ!オラ!
>安倍氏の本貫地が、奥六郡最北端の岩手郡の厨川柵
認めたんだな、
安倍氏の本貫地が岩手郡の厨川柵って事を。
- 19 :
- >>18
> 返答が、欲しいか?
> なら、ご返答をお願い致します。
質問に質問で返してくるなよw
学術板でのルールを心得ていないのは相変わらずだなw
> が、無いぞ、オラ!オラ!
つまりお前の脳内ソースってことをそれこそ
>認めたんだな
w
> >安倍氏の本貫地が、奥六郡最北端の岩手郡の厨川柵
>
>
> 認めたんだな、
> 安倍氏の本貫地が岩手郡の厨川柵って事を。
それお前のレスだろ?
それに安倍氏の最重要拠点は厨川柵よりも(厨川も重要拠点には違いないが)むしろ鳥海柵だ。
つまり、安倍頼良の嫡子はこの鳥海柵を任されていた宗任である可能性の方が高いと見てるが?
- 20 :
- 蝦夷は、現在の盛岡県太平洋側の蝦夷と内陸部北上川沿いの蝦夷に大きく2分類
されており、奥州安倍氏は、当然内陸部の蝦夷としてカウントされる。
両者の詳しい性格、生活、経済活動の差は、後に述べるが、両者は通交しながらも
対立する事がママ在り、必ずしも蝦夷側が、一致団結する事はなかった。
780年に多賀城を一時陥落させた“宝亀の乱”の伊治公呰麻呂は、栗原郡の受領の
可能性がある蝦夷で、同じ俘囚出身である牡鹿郡受領の道嶋大盾は、呰麻呂を見下
して夷俘として侮ったために“宝亀の乱”の勃発となるが、これも内陸部の蝦夷と
海岸部の蝦夷の対立の可能性がある。
“宝亀の乱”は、当初は、内陸部の蝦夷と海岸部の蝦夷との対立が発火点であり、
後に陸奥国府が巻き込まれた可能性があり、蝦夷と陸奥国府の単純な対立だけが
奥州での戦乱とはいえない。
1018年には、中央官人同士の陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、
税金や交易上の利害の対立から、合戦に及んでおり、朝廷サイドすら一概に
団結しているともいえないのが実情である。
1018年の陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良の合戦を前九年の役の
前哨戦と位置づける向きもあるが、同じ日本人官人同士の対立である為に朝
廷がすぐさま介入し事態は長期化・広域化しなかった。
しかし、奥六郡を管轄する鎮守府将軍と陸奥国司が税や交易の処理で合戦まで
及んだのは、前九年の役の勃発理由に通じる処もあり、この時代の奥州北部
の経済活動の重要性と事態の不安定さを物語っている。
- 21 :
- いいから>>17の質問に答えろよw
お前の脳内妄想の敷衍はいいから。
- 22 :
- 一般には安倍氏は鎮守府時代から在庁実務官吏として活躍しており、鎮守府の形骸化、廃止により、そんな彼らがより表に出る形で奥六郡に台頭してきたと言われる。
そのような経歴を有すると考えられる安倍氏が蝦夷であるわけがない。
またこれも過去スレで既に述べたが道嶋嶋足も、その姓、氏、高い官位を有することから見て蝦夷系豪族ではなく、中央官人の系譜を引く一族であることは明白である。
- 23 :
- >>21は、
「奥州安倍氏の出目は、俘囚系蝦夷豪族でありながら、奥六郡の“兵”
つまり辺境軍事貴族として陸奥国府や朝廷に採用された。」
これを百回このスレに書き込んでおけ!
- 24 :
- またファビョッたか・・・
奥六郡安倍氏は最近の研究者の間では、中央官人系氏族であり、在地豪族との姻戚により、陸奥に根を下ろしたとの考え方が主流になってきている。
つまり、安倍氏は関東その他の地域と同じ経緯を辿って在地豪族化していった一族とみなされて良い。
従ってその視点から見た「辺境軍事貴族」というなら、その見方は正しい。
だいたい蝦夷の者が陸奥権守などという高い地位に任じられるわけが無かろう。
「陸奥話記」に五位貴族への尊称である「大夫」等と記されるはずが無かろう。
(これも「陸奥話記」だが)一族に無官有位貴族への称号である「散位」と冠される人物が存在するはずも無かろう。
- 25 :
- 出羽仙北三郡清原氏が「真人」の姓を有し、前九年役の功績により鎮守府府将軍という高官に任じられたことを以て、清原氏は中央官人系氏族だとお前は過去スレで述べていたことと思うが、
ならば同じように「大夫」と称され、鎮守府将軍職よりも更に高位の陸奥国衙の最高職である受領職(権守)に任じられ、
「散位」号を冠する人物(安倍為元=忠良子息、頼良弟)が一族に存在する理由を以て、
陸奥奥六郡安倍氏をも、清原氏と同様に中央官人系氏族と見なすことは至極自然の成り行きであろう。
むしろ史料(といってもその数は甚だ少ないものではあるが)的には清原氏よりも、そのように見なされる材料が揃ってもいるのだ。
- 26 :
- あの〜
「奥州安倍氏の出目は、俘囚系蝦夷豪族でありながら、奥六郡の“兵”
つまり辺境軍事貴族として陸奥国府や朝廷に採用された。」
の100回書き込みがまだ無いんですけど。
早くして下さい。
- 27 :
- >>26
今回は壊れるのが早かったなw
- 28 :
- >>27
相変わらずアホやなw
アホなんだから
「奥州安倍氏の出目は、俘囚系蝦夷豪族でありながら、奥六郡の“兵”
つまり辺境軍事貴族として陸奥国府や朝廷に採用された。」
を100回書き込んで覚えとき!www
- 29 :
- >>28
それをやるとどうなるの?ねえ、教えて?
『嘘も100回書き込むと真実になる』のww?
- 30 :
- >『嘘も100回書き込むと真実になる』のww?
奥州安倍氏中央官人系豪族説の事だろ?
奥州安倍氏中央官人系豪族説=プロレス真剣勝負説w
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
- 31 :
- >>30
> >『嘘も100回書き込むと真実になる』のww?
>
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説の事だろ?
>
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=プロレス真剣勝負説w
>
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
・・・・
一ヶ所間違えている。
>奥州安倍氏中央官人系豪族説
のところを、
>奥州安倍氏俘囚系蝦夷説
ときちんと直しとけ、この火病りチョン太郎w!
- 32 :
- >ときちんと直しとけ、この火病りチョン太郎w!
君ファビョリ杉。
このスレから退場汁!
出て行け、二度と書き込むな!
- 33 :
- __
, ‐' ´ ``‐、 / ̄:三}
. /,. -─‐- 、. ヽ / ,.=j
_,.:_'______ヽ、 .! ./ _,ノ
`‐、{ へ '゙⌒ `!~ヽ. ! /{. /
`! し゚ ( ゚j `v‐冫 , '::::::::ヽ、/ そんなことより野球しようぜ!
. {.l '⌒ ゙ 6',! / :::::::::::::::/ __
. 〈 < ´ ̄,フ .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
. ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠. ヽ_} ゙ヽ
,.r` "´ /:::::::::::::::::::ィ´ `ゝ !、 /
/ / :::::::::::::::: ; '´ /´\ / r'\
. i ! ::::::::::::::/ 墨 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
{ {:::::::::::;:イ / ‖i:::::::/:::::::::::::/ \
. ヽ ヽ,.ァ‐'´ /ヽ 二 ,/`ヽ、::::::::: /
- 34 :
- 奥州安倍氏氏を何が何でも、蝦夷氏系であると主張する人たちがいる。
なぜだろう?
中央官人だと何か不都合なことがあるのだろうか?
俺はどっちでもいいけど。
- 35 :
- 安倍氏といえば、神武東征で大和を追われた大毘古の弟、安日彦の子孫だろう?
安倍氏が移り住んだ地域には横穴式墓が多く、埼玉県吉見の百穴、栃木県長岡の百穴、宮城県矢本町の百穴などがあります。
安倍氏は、阿部氏、我孫子などと名を変え今でも東日本各地で生きながらえています。
- 36 :
- >>34
> 奥州安倍氏氏を何が何でも、蝦夷氏系であると主張する人たちがいる。
約一名だけだよ。過去スレ以来ずーっと。
> なぜだろう?
> 中央官人だと何か不都合なことがあるのだろうか?
こっちもそれが聞きたいところだが、どのような論拠や傍証を用いて話をしても、↑のようにファビョリ逃げした上で、悪態をついてくるだけになってしまうので議論にならない。
よってスレが非常に勿体無いので、そろそろ相手にしないのがよろし。
- 37 :
- 稲荷山鉄劍名分には、大彦は大和朝廷を佐治したとある。
大彦は、神武大和朝廷の尖兵隊として関東や東北勢罰に使われたのだ。
- 38 :
- 大君を補佐したのは大彦の子孫のヲワケ臣ね。
大彦とその子の建沼河は四道将軍。
- 39 :
- そんな軍事力はどこにもない
先進文化の受容を通した緩い支配関係
- 40 :
- >>39
それはヤマト王権による西国及び畿内近国の“制覇”過程においても、ほぼ同様のことが言える。
- 41 :
- 安倍晋三は腐臭w
>>24
>奥六郡安倍氏は最近の研究者の間では、中央官人系氏族であり、
>在地豪族との姻戚により、陸奥に根を下ろしたとの考え方が主流になってきている。
これは自民党安倍政権時代のヨイショ学者の説だろw
- 42 :
- >>41
> 安倍晋三は腐臭w
あちこちのスレで同じレスしまくっているのもやはりお前だったのかw
- 43 :
- >>41
>自民党安倍政権時代のヨイショ学者の説だろw
残念ながら安倍政権時代(2006・9〜2007・9)以前からだよ。
- 44 :
- 自民党清和会になんで俘囚がいるの?
- 45 :
- いちゃいけないって法律でもあるの?
- 46 :
- 先祖の兄を清和源氏に惨されたのにね。
- 47 :
- 小沢一郎はアテルイの生まれ変わり。
- 48 :
- >>43
岸、佐藤時代以降だったらヨイショは十分立証されるなw
- 49 :
- どのように?
- 50 :
- >>46
> 先祖の兄を清和源氏に惨されたのにね
肉親同志の凄惨なしあいや暗なんて清和源氏内では全然珍しくもないし。
近年の研究では安倍氏の一族内でも(清原氏も関与する形で)、それぞれの政治的立場に微妙な温度差があったという説が唱えられはじめてきているんだよ。
それは安倍氏の総領筋を継ぐべき立場である宗任にとって、兄・貞任は邪魔な存在となりつつあり、また脅威な存在ともなりつつあったというもの。
この説に従えば宗任にとって、貞任が戦死したことは怨恨を抱くことでも何でもないことになる。
- 51 :
- 近年のけんきゅーってな〜に?
- 52 :
- 鋸引きリンチ人は戦死じゃ〜ないね
- 53 :
- >この説に従えば宗任にとって、貞任が戦死したことは怨恨を抱くことでも何でもないことになる。
安倍氏丸ごと潰されているのに怨恨もヘッタクレも無いだろうw
奥六郡は、出羽清原氏に丸呑みされている。
奥州安倍氏の内部で温度差があったというなら、頼良-貞任ラインで推し進めている
支配地拡大的南下路線についてだろう。
この南下路線を推し進める為に頼良-貞任ラインは、明らかに陸奥南部の中央官人系受領
との婚姻関係強化に動いており、本来蝦夷俘囚系が血統的ルーツである安倍氏にとって
自らの蝦夷系血統を否定するもしくは薄める方法で支配地拡大動いており、これに反対
する声が安倍氏内部や奥六郡での蝦夷系住民内部で大きくなっていた可能性がある。
事実、出羽清原氏では、後に子の居ない真衡の跡継ぎとしての海道平氏との養子縁組の
是非を巡る感情的な対立から後三年の役が勃発している。
>安倍氏の総領筋を継ぐべき立場である宗任
そんな記録も状況証拠も無いぞ。
>兄・貞任は邪魔な存在となりつつあり、また脅威な存在ともなりつつあったというもの。
ジオン公国のザビ家の事だろう?
- 54 :
- 宗任キシリアなら重任がドズルかよw
- 55 :
- >>53
他人の質問は(>>17)スルーするわ、論に詰まると荒らし行って逃げまくるわでどの面下げてレスしてくるんだとは感心するが。
> 安倍氏丸ごと潰されているのに怨恨もヘッタクレも無いだろうw
それは結果から見ているからだよ。
けど宗任、正任、そして清衡母子は助かっているね。
その理由について考察しているのが樋口智志岩手大学教授だ。
> 奥六郡は、出羽清原氏に丸呑みされている。
その仙北三郡清原氏を背景にして強い関係で結ばれていたのが宗任らだというのだ。
樋口教授の推論によれば、宗任、正任、そして経清妻=清衡母の母は清原氏であり、貞任の母は気仙郡司・金氏の一族であるという(但し、工藤雅樹氏は貞任母は岩手郡の在地豪族であろうと推測している)。
> 奥州安倍氏の内部で温度差があったというなら、頼良-貞任ラインで推し進めている > 支配地拡大的南下路線についてだろう。
そう推測する根拠は?
安倍頼良の嫡子は奥六郡内における最重要拠点である鳥海柵を任されていた宗任である、との見解は工藤、樋口両教授の一致した意見だぞ。
そして、その宗任母について上述の考察を加えているのが樋口教授であり、その論に従えばということでレスしたのが>>50で書いた内容だ。
俺自身は宗任らの母が清原氏であるかどうかについてはまだ確信を持つには至っていないでいる。
だが、清原、安倍両氏とも累代に渡って隣接したエリアにおいて勢力をふるっている以上、この両氏が姻戚関係によって結ばれていない筈がないとは思っている。
よって樋口氏説は非常に魅力ある見解ではある。
- 56 :
- >>53
> この南下路線を推し進める為に頼良-貞任ラインは、明らかに陸奥南部の中央官人系受領
> との婚姻関係強化に動いており
>頼良-貞任ライン
等ではないよw
在地豪族が受領や中央軍事貴族と姻戚関係を結んでその一族と化していくのは、全国共通のプロセスだ。
特に中央軍事貴族(系一族を含む)と結ぶのは東国全体の傾向だ。奥羽では奥六郡安倍氏、仙北三郡清原氏ともにこれをやっている。
清原氏は海道平氏、安倍氏は桓武平氏(永衡)、秀郷流藤原(経清)の両軍事貴族から招婿を行っている。
> 本来蝦夷俘囚系が血統的ルーツである安倍氏にとって
俺の再三に渡る(しかも過去スレ以来のだw)論拠の提示はもはや完全スルーかw
どうしても安倍氏を蝦夷と主張したいのなら、俺の論拠が霞んでしまうぐらいの説得力のある論拠を挙げた上でやってみろw
- 57 :
- >>53
>安倍氏の総領筋を継ぐべき立場である宗任
> そんな記録も状況証拠も無いぞ。
>記録については当たり前だw
10世紀から安倍、清原両氏の登場する11世紀半ば頃までの奥羽地方は史料の極端に不足する時期だからだ。
高橋崇氏の言葉を借りるならば「(史料の)暗黒時代」だ。
だが
>状況証拠
についてはどうかね?
すでに上でレスしたはずだが。
だいたいお前
>状況証拠
の意味分かってる?
- 58 :
- >他人の質問は(>>17)スルーするわ、論に詰まると荒らし行って逃げまくるわで
>どの面下げてレスしてくるんだとは感心するが。
お前偉そうだな、別にこのスレに書き込みする必要は無いんだよ。
“奥州安倍氏中央官人説のスレ”でも建てて自分の意見を開陳していろ。
それともナリスマシを見破られて、異民族である事がばれると困る立場なのかな?
民団?ソー連?韓青?
>樋口智志岩手大学教授だ。
シラネーよ!ナンだそいつは?
>樋口教授の推論によれば、宗任、正任、そして経清妻=清衡母の母は清原氏であり
客観的な史料どころか状況証拠すらないのにw
>この両氏が姻戚関係によって結ばれていない筈がないとは思っている。
姻戚関係はともかく協力関係には有っただろう。
「東日流外三郡誌」には、清原守武という出羽清原氏の一員が、宋との密貿易をとがめられ、
佐渡に流罪となったが、安倍頼時が、奪い返し身柄を奪回した。とある。
同書は、いい加減な書だが、安倍氏と清原氏には関係がある事を言いたいのだろう。
>その仙北三郡清原氏を背景にして強い関係で結ばれていたのが宗任らだというのだ。
出羽清原氏ですら割れているよ。
- 59 :
- >>55
宗任が貞任を裏切ったというなら宗任に恩賞が有るか、逆に余計な事を言わないようにすかだろう。
流罪は中途半端。
- 60 :
- >>58
> お前偉そうだな、別にこのスレに書き込みする必要は無いんだよ。
感情論はいいからきちんと反論してみなよ。
出来ないのかな?
> “奥州安倍氏中央官人説のスレ”でも建てて自分の意見を開陳していろ。
それを言うならお前も
>「論拠は無いけど(w)何がなんでも安倍氏は俘囚蝦夷系豪族なのw!説」
を建てて、そこで自分の妄想を念仏のように延々と
>開陳して
いないといけないと言うことになる罠w
但し、ここは学問板だから、論拠を述べられないのなら他でやってくれ。
最悪板がメンヘル板がオススメだよw
過去ログ読み返せよw
繰り返すがお前本当に
>状況証拠
の意味分かって言ってるw?
>出羽清原氏ですら割れているよ
出羽清原氏は割れていないなどどこでも述べていないが?
それと時系列理解してる?
- 61 :
- >>59
>中途半端
なのはお前の推論能力の方だよ。
清原氏は、頼義からの再三に渡る安倍氏討伐戦への参戦依頼に対し、
乱後は母系で自分たち(清原)の血を引く宗任を中心に据えて安倍氏を再編成する目論見を抱いて頼義の依頼に応じたとするのが樋口氏説だ。
だが乱後、清原氏のその目論見は頼義に見破られ、それで宗任、正任らは都に連行されていくことになる。
それに魅力はあるが俺はまだ樋口氏説は保留中だと言ってもいるが?
それで
>>17の質問への答えはまだか?
- 62 :
- 上で2回もヒントを出してやってるのに
>状況証拠
はまだ分からんか?
(とりあえず樋口教授説は措いておくとしても)
安倍氏の嫡氏が宗任であるのは、宗任の根拠地が奥六郡内最重要拠点である鳥海柵であるからであり、
その鳥海柵が最重要拠点である理由はそこが奥六郡内にある安倍氏の諸城柵の中で、かつての胆沢鎮守府と最も至近距離にあるのが鳥海柵だからだよ(工藤雅樹氏説)。
つまり、鳥海柵とはかつての鎮守府機能の継承的存在なのであるというのが工藤雅樹氏説。
これはその通りと俺も考えている。
- 63 :
- しかし恥ずかしげもなく
>「東日流外三郡誌」
を出してきたのには固まってしまったな。
やっぱりオカ板かメンヘル板の範疇だわお前w。
いやしかし悶絶させて貰うには十分だったよww
- 64 :
- >>61
俺はお前さんの論戦相手じゃないんだけど。清原の目論見が外れたにしては清原が手に入れた物はあまりに多く、
頼義が手に入れた物はあまりに少ないな。
ちなみに59は俺ね。
- 65 :
- >>64
> 俺はお前さんの論戦相手じゃないんだけど。
それは失礼したね。
何しろ病人相手にしてるものでね。
>清原の目論見が外れたにしては清原が手に入れた物はあまりに多く、
> 頼義が手に入れた物はあまりに少ないな。
それは貴方の主観にすぎないな。
>多
い
>少ない
なんてのは見る人それぞれの基準によって違ってくるだろうからね。
前九年役の最大の功労者が誰であるのかという観点から評価する人の基準に依ったならば、清原氏、頼義両者への恩賞の
>多
い
>少ない
の見方は貴方と違って至極妥当のものである、と認識されることであろうしね。
- 66 :
- >>65
清原の目論見では安倍氏の当主となった宗任の黒幕として奥州に影響力を持つ。これが失敗して
実際に得た物は奥州の支配者の地位。どっちが大きいか判らんというの?
対して頼義が手に入れたもの。宗任の身柄。清原の支配権を確立する手助けにしかなってない。
- 67 :
- > >>65
> 清原の目論見では安倍氏の当主となった宗任の黒幕として奥州に影響力を持つ。これが失敗して
> 実際に得た物は奥州の支配者の地位。どっちが大きいか判らんというの?
何を言っているんだ?
清原氏にとっては単に参戦前の「目論見」と戦後の恩賞に開きがあったというだけのことだろう(あくまでも樋口氏説に沿って論を進めた場合の話な)。
そして清原氏にとってはそれは「嬉しい誤算」だったということだろう。
それともお前の考えでは、参戦前に描いた「目論見」と戦後に受けた結果とがぴたりと一致しなければならないのか?
> 対して頼義が手に入れたもの。宗任の身柄。清原の支配権を確立する手助けにしかなってない。
だからそれも結果論だろw
頼義は頼義で勿論、奥州そして奥六郡に対して抱いていた野心があったことだろう。
だがそんな頼義は黄海の合戦で命を落としてもおかしくないほどに安倍軍に惨敗している。
そこで「臣下の礼」を取るようなやり方をしてまでも出羽清原氏に参戦を乞い願ったのだ。
この点、頼義と清原氏の関係は、承平天慶の乱での貞盛と秀郷の関係に似ているといえる。
同乱鎮圧における恩賞の一番手は貞盛ではなく、秀郷であったことからも明らかなように、
国家(国府)への反逆行為への鎮圧においては、まず反逆者を倒した武力の担い手に対して乱後の恩賞が最優先に下されることになっていたのだろう。
- 68 :
- アンカミス
↑は
>>66
に対してね。
- 69 :
- >乱後は母系で自分たち(清原)の血を引く宗任を中心に据えて
>安倍氏を再編成する目論見を抱いて頼義の依頼に応じたとするのが樋口氏説だ。
そんなの無理な説だ。 めんどくさ杉。
源氏に奥州安倍氏を滅ぼさせて、陸奥国司や鎮守府将軍の任期切れを待ち、
畿内に源氏が帰った後に奥六郡を丸呑するのが一番手っ取り早い。 事実、史実ではそうなっている。
それよりも頼義は出羽清原氏に再三、協力を依頼し続け(清原氏は、頼義が清原光頼に
臣下の礼を取って参戦を依頼したと伝えていた)、ついに清原氏は重い腰を上げて参戦を決意した。
しかし、出羽清原氏内部で本来の嫡流である光頼・頼遠親子は、従来の安倍氏
との協調関係を考えて自らの出兵を差し控え、その代わりに光頼の弟の武則
武貞親子が出兵を指揮した。
ある意味この時点で出羽清原氏は、親安倍派の光頼・頼遠ラインと反安倍派
(親源氏派)武則・武貞ラインに分裂し始め、武則の鎮守府将軍任官で出羽
清原氏の分裂は決定的になった。
また、源頼義は自分の依頼を受けて出動し安倍氏と戦ってくれた武則を
鎮守府将軍に遇する事で、新たな出羽清原氏の嫡流に据えてしまった。
これにより旧出羽清原氏嫡流の光頼・頼遠親子は、源頼義や光頼・頼遠
ラインに反発を強め、余計に奥州安倍氏残党を擁護結託する姿勢を示す。
清原頼遠が、前九年の役の最中に安倍正任をかくまったのは、この為である。
安倍正任は、大鳥山太郎(清原)頼遠の許に隠れていたが、
後に宗任が帰降した事を聞いて、出頭して来たと言われる。
出羽清原氏は、武則・武貞ラインが安倍氏を攻めている時でも、光頼・頼遠ライン
で出羽の国の中に、安倍氏の一員をかくまっていた事実があり、事実上の前九年の役
では出羽清原氏は分裂状態にあったという事である。
また、それほど実際には、奥州安倍氏と出羽清原氏は親密な関係にあったとも言える。
- 70 :
- >>67
それで清原の邪魔をするつもりで宗任を拉致したのにかえって全部清原に持って行かれたって理屈が判らん。
「臣下の礼」を取る立場でなんで宗任を拉致出来るんだ?
- 71 :
- >>69
> そんなの無理な説だ。 めんどくさ杉。
>めんどくさ杉
でもなんでもないよw
手段としての戦争を漫画か何かのように軽く考え過ぎているから、そういう結果論でしかものを見られないのだ。
戦争して相手を滅ぼすなどというのは最終手段だ。
それをするには一体どれだけのリスク、コストがかかると思っているんだ?
だからこそ、清原氏はなかなか思い腰をあげようとはしなかった。
言っとくが参戦前の段階での話だぞ。
それをするぐらいだったら姻戚関係を通じており、しかも政治的思惑の一致した相手と謀ってことをすすめる方がよほど
>手っ取り早い。
こちらが受けるダメージを最小限におさえるべく、相手を調略して取り込むという戦略の方こそ古今東西変わらぬやり方だ。
さまざまな理由により、それが叶わなくなった時になって初めて戦争という最終手段を選択するようになるのだ。
- 72 :
- >>70
> それで清原の邪魔をするつもりで宗任を拉致したのにかえって全部清原に持って行かれたって理屈が判らん。
重箱の隅をつつくような真似はもうやめとけよw
清原氏の思惑があり、頼義の思惑があり、そして朝廷の思惑があるからに決まっているだろう。
> 「臣下の礼」を取る立場でなんで宗任を拉致出来るんだ?
宗任は「清原宗任」か?
- 73 :
- >>60
>但し、ここは学問板だから、論拠を述べられないのなら他でやってくれ。
安倍氏中央官人説は、論拠なし、エビデンスなしw
おまけにお前の勝手な仕切りは無視されているw
馬鹿じゃね〜
- 74 :
- 初めて書き込むが・・・
これだけ言わせてくれ
>安倍氏中央官人説は、論拠なし、エビデンスなしw
三郡誌を持ち出す人間がエビデンスを口にするか(笑)
それと「樋口智志」じゃなく「樋口知志」岩手大学教授な
近々本が出るらしい
はい、続きどうぞ
- 75 :
- >ある意味この時点で出羽清原氏は、親安倍派の光頼・頼遠ラインと反安倍派
>(親源氏派)武則・武貞ラインに分裂し始め、武則の鎮守府将軍任官で出羽
>清原氏の分裂は決定的になった。
出羽清原氏は、前九年の役以後には仙北三郡と奥六郡双方を領有する奥羽清原氏になる。
そして陸奥鎮守府と出羽秋田城に分かれていた東夷成敗権が鎮守府に一本化された事で
新たに清原氏の嫡流となった武則・武貞・真衡ラインは、安倍氏の重要拠点であった
奥六郡の胆沢郡に居を移す。
これは安倍氏が陸奥国府や朝廷から委任されていた、鎮守府業務を清原氏新嫡流である
武則・武貞・真衡ラインが引継ぐ為であるが、他にも理由があるのかもしれない。
つまり、仙北三郡では、清原氏旧嫡流である光頼・頼遠親子の勢力が根強く、安倍氏との
同盟を解消し源氏と新たに同盟する事で奥六郡を手に入れた武則・武貞ラインへの反感
や蔑視が強く、新嫡流の武則・武貞親子としては、新天地での奥六郡での業務遂行の方が
よりやりやすかったのかも知れない。
そういう背景から、清原氏が仙北三郡と奥六郡双方を領有し、新嫡流の武則・武貞ラインが、
奥六郡に移って来た事それ自体が、清原氏の分裂を既に内在していた事になる。
真衡、家衡、清衡三兄弟なってから急に仲たがいを始め、清原氏が分裂したのではなく、
武則が清原氏の新嫡流になり鎮守府将軍に任官して奥六郡に移って来た事が、もはや
清原氏が分裂し始めの一例に過ぎないのである。
- 76 :
- >>73
> 安倍氏中央官人説は、論拠なし、エビデンスなしw
ほぉ。
ならば清原氏中央官人説の
>論拠
>エビデンス
についてはどうなってんだ?ん?言ってみ。聞いてやるから。
> おまけにお前の勝手な仕切りは無視されているw
お前の悔しい気持ちがひしひしと伝わってくる文面ではあるよなw
よっぽど
>仕切り
たかったんだよね。
残念だったねw
- 77 :
- >>74
> 三郡誌を持ち出す人間がエビデンスを口にするか(笑)
同感だが、本人にとっては一向に構わないことであるらしい。
> それと「樋口智志」じゃなく「樋口知志」岩手大学教授な
素で間違えてた。以後気をつけます。
> 近々本が出るらしい
それは楽しみ。
良い情報をありがとう。
- 78 :
- >>75
そこで、光頼系統は既に以前から安倍氏と姻戚関係によって結ばれていた可能性について触れているのが工藤雅樹氏なんだけどね。
- 79 :
- >ほぉ。
>ならば清原氏中央官人説の>論拠>エビデンス
>についてはどうなってんだ?ん?言ってみ。聞いてやるから。
うんうん、機動戦士ガンダムって面白いよね。
>お前の悔しい気持ちがひしひしと伝わってくる文面ではあるよなw
うんうん奥州安倍氏中央官人説は、ちーとも広がらんねw
- 80 :
- >>78
可能性はあるが、記録がない。
どっかの公家の家にでも、その手の記載があればな〜
安倍-清原同盟の窓口は、頼良時代は、光頼で、貞任時代は、頼遠かも…
貞任が気仙郡の金氏(海道蝦夷)との婚姻を進めた為に、頼良時代程の同盟
の緊密性が無くなり、清原氏の武則・武貞ラインが源頼義の誘いに応じて
しまったのかも知れない。
それと貞任は、南下志向が強かったのかもしれない。清原氏との同盟関係
の維持は、他の一族に任せて、もっと陸奥南部に進出したかったのかも。
ま〜南下政策は、父頼良が始めたモノで、貞任はより積極的にそれを担った
のかもしれない。
清原氏からしても、安倍氏の南下政策は、同盟関係が無くならないのであれば、損ではないはず。
磐井郡を領有した安倍氏は、更に南下すべく行動し始めるが、気仙郡や登米郡、新田郡には進出
せずに栗原郡や玉造郡に進出している。事実、玉造郡の鬼切部で陸奥国府と秋田城介の連合軍と
戦闘になっている。これは、気仙郡の金一族と貞任は婚姻しており、既に安倍氏と金一族は同盟
関係有ったので進出しなかった。登米郡、新田郡にも金一族やそれに近い海道蝦夷が居住していた
為に進出しにくかった。残るは栗原郡であり、そのまた先の玉造郡であった。
- 81 :
- (>>80のつづき)
栗原郡は、宝亀の乱の伊治公呰麻呂が受領を勤めていた郡で、蝦夷俘囚を血統的なルーツとする
安倍氏にとって領有する事は、特別な意味があったのかもしれない。しかし他の要因の可能性も
検討すべきだ。例えば出羽清原氏からの要請も安倍氏が栗原郡や玉造郡に進出した要因にもなる、
可能性があると思う。
なぜ出羽清原氏が、安倍氏に栗原郡や玉造郡に進出を要請したのかといえば、まずは出羽清原氏
自らは動けない事があげられる。この時点では、平繁成が秋田城介の任にあり、秋田城介が行政
機構として機能していた。胆沢郡の鎮守府の様に朝廷や陸奥国府が廃止した訳ではない為に
出羽清原氏は動けなかった。そして鬼切部の関が、陸奥北部と出羽北部を結ぶ交通の結節点に
なっており、ここを安倍氏が制すれば、陸奥国府軍も秋田城介軍も交通出来なくなり、双方が
支援することが難しくなる、事が挙げられよう。陸奥国府と秋田城介はお互いに何か軍事的な
事態が発生した時は支援し合う事になっている。事実、鬼切部の戦いの時は、安倍氏は両軍と
戦っている。出羽清原氏と奥州安倍氏の同盟関係も陸奥国府や秋田城介サイドには、知られて
おり。この同盟に対応すべく陸奥国府と秋田城介は連係していたのかもしれない。
出羽清原氏は、奥州安倍氏に鬼切部の関を制圧させる事で、陸奥国府と秋田城介の連係を妨害し、
孤立させるべく考えたのかもしれない。この事から、鬼切部の戦いには、秋田城介軍には当然
清原氏の部隊は居ない、平繁盛としても安倍氏を攻撃する為に清原氏を動員したら、裏切られる
と思ったのかも知れない。
この様に安倍-清原同盟は、陸奥国府と秋田城介の連係に対応したモノであり、安倍・清原両氏とも
陸奥国府と秋田城介の連係を阻害する事で、自己の立場の強化を考えていた可能性がある。
- 82 :
- 871年〜 朝廷と陸奥国司が、奥六郡の和賀郡・碑貫郡・紫波郡(岩手郡も?)の放棄を決定
927年 陸奥北限国域が縮小南下する。
1013年 平維良が、左大臣藤原道長に膨大な賄賂を贈った事で鎮守府将軍任官に成功する
1018年 陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、税金の徴収や蝦夷との貿易を巡り合戦
同年 陸奥国司 藤原貞仲の要請により平維良は、鎮守府将軍職を解任される
(陸奥国司 藤原貞仲は、鎮守府将軍職廃止も要請)
1019年 平永盛が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再要請)
1025年 藤原頼行が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再々要請)
1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍職を正式に廃止し、胆沢城を破棄する
朝廷は江刺郡と胆沢郡をも廃止し奥六郡全てを放棄する
1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される
1051年 陸奥国司 藤原登任と秋田城介 平繁成の数千の兵が、鬼切部で安倍頼良の部隊と衝突、
藤原登任と平繁成は大敗する。 (鬼切部の戦い)
- 83 :
- >>79
> >ほぉ。
> >ならば清原氏中央官人説の>論拠>エビデンス
> >についてはどうなってんだ?ん?言ってみ。聞いてやるから。
>
> うんうん、機動戦士ガンダムって面白いよね。
君、ありとあらゆる質問に答えられなさ杉。
能力ないね。
> うんうん奥州安倍氏中央官人説は、ちーとも広がらんねw
君の『願望』をよそに
もう大勢は決まってんだよ。
- 84 :
- >>80
> >>78
> 可能性はあるが、記録がない。
記録の空白時代だからね。
でも、それを言ったら、清原氏も記録は無い点は同じこと。
だから傍証から探ってゆくしかない。
> どっかの公家の家にでも、その手の記載があればな〜
『範国記』に安倍忠好が陸奥権守任官の記録があるんだよ。
これは同時代記録だから注目に値する。
樋口知志氏も戸川点氏も井手将人氏も、これを重大な論拠として安倍氏中央貴族出自説を展開してる。
- 85 :
- >君、ありとあらゆる質問に答えられなさ杉。
ちゃんと答えている。
オメーは、日本語読めないのか!?
>樋口知志氏も戸川点氏も井手将人氏も
アムロ・レイ(古谷徹)なら知っている。
>安倍忠好が陸奥権守任官の記録があるんだよ
正確には“忠好”だけ
安倍かどうかわからないし、頼良の父の正式名は忠良。
また、任官の記録=中央官人ではない。
アテルイにもモレにも伊治公呰麻呂にも官職の記録あり、
この連中も中央官人だというなら仕方ないけどなw
- 86 :
- >>85
> >君、ありとあらゆる質問に答えられなさ杉。
>
> ちゃんと答えている
どこで?
ちゃんと答えた箇所提示してみなよ。
出来るんなら。
> オメーは、日本語読めないのか!?
一応、あんたと違って樋口教授等の名前ぐらいは知っているけどね。
まあ「東日流外三郡誌」では君に到底及ばないがw
何れにせよお前の虚勢にはもう飽きた。
> >樋口知志氏も戸川点氏も井手将人氏も
> アムロ・レイ(古谷徹)なら知っている。
無知だねえ。
君は答えに詰まると揚げ足とったりして誤魔化すことしか出来ないが、己れの池沼ぶり曝してるだけだからもうやめといたら?
> >安倍忠好が陸奥権守任官の記録があるんだよ
>
> 正確には“忠好”だけ
> 安倍かどうかわからないし、頼良の父の正式名は忠良
時期的に間違いない。
他に候補としてどの「忠好」が挙げられるんだ?
- 87 :
- >>85
> また、任官の記録=中央官人ではない。
過去スレ以来すでに何度も述べているが、蝦夷の者が権守などという高い地位に任じられた例は無い。
> アテルイにもモレにも伊治公呰麻呂にも官職の記録あり、
> この連中も中央官人だというなら仕方ないけどなw
この程度の答えが限界か?
本気で言っているなら、権守と郡司クラスの違いも認識できていないことになるので、やっぱり君は池沼であること間違いなしだよ。
- 88 :
- >>85 は
馬鹿な 津軽衆
安東氏を蝦夷の末裔として誇っているから、安倍氏はどうしても
蝦夷でなければならない。
- 89 :
- >蝦夷の者が権守などという高い地位に任じられた例は無い。
て事は、出羽清原氏が、鎮守府将軍に任官できたのは、中央官人系だからかな?
蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?w
- 90 :
- >>89
> て事は、出羽清原氏が、鎮守府将軍に任官できたのは、中央官人系だからかな?
>
> 蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?w
出羽仙北三郡清原氏が中央貴族系氏族であるとの主張は、過去スレ以来の君の主張じゃないか。
見苦しいからもうやめときなよ。
- 91 :
- 蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?
1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される
この時点で奥州安倍氏の奥六郡支配は朝廷と陸奥国府に認められた。
そして胆沢郡の鎮守府将軍業務は安倍氏の機関委任され、蝦夷系豪族でありながら
事実上安倍氏が鎮守府将軍の役目を担う様になった。
同じ時期、仙北三郡の清原氏は一族が三郡に広まっていたにも関らず、
秋田城の行政・軍事機能がまだ生きていた為に、秋田城介の監督統制下にあり、
秋田城介業務を清原氏が担う状態には無かった。
- 92 :
- >>91
君にはいつものことだが、全然論理的展開になっていないよ。
> 蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?
>
> 1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される
>
> この時点で奥州安倍氏の奥六郡支配は朝廷と陸奥国府に認められた。
公家(平範国)の日記に安倍忠好の陸奥権守任官が記録されたからといって、どうしてその
>時点で奥州安倍氏の奥六郡支配
が
>朝廷と陸奥国府に認められた
なんてことに決めつけられるのだ?
鎮守府機能の健在だった頃から安倍氏は在庁官人として重きを成していたとするのが現在の学界での主流を占める見解だ。
つまり、安倍氏の事実上の
>奥六郡支配
は忠好以前から継続されてきたものと考えられる。
> そして胆沢郡の鎮守府将軍業務は安倍氏の機関委任され
>>17で書いた通りだ。
しばらく鎮守府将軍が中央から派遣されるということが無くなったと考えられるため、自動的に代々在庁としての実務の担い手であった安倍氏が大きく勢力を伸ばしていたということにすぎない。
- 93 :
- >>91
>蝦夷系豪族でありながら
> 事実上安倍氏が鎮守府将軍の役目を担う様になった。
上述の理由により、安倍氏は中央官人系氏族と思われる。
> 同じ時期、仙北三郡の清原氏は一族が三郡に広まっていたにも関らず、
> 秋田城の行政・軍事機能がまだ生きていた為に、秋田城介の監督統制下にあり、
> 秋田城介業務を清原氏が担う状態には無かった。
上述の理由により安倍、清原両氏が中央官人系氏族であったかどうかを、
国府などの
>監督統制下に
あったからとか、無かったから等という理由によって判断することは的はずれも甚だしい。
- 94 :
- >上述の理由により安倍、清原両氏が中央官人系氏族であったかどうかを、
>国府などの監督統制下にあったからとか、無かったから等という理由に
>よって判断することは的はずれも甚だしい。
別にそこまでは言っていない、日本語読めるのか?w
>自動的に代々在庁としての実務の担い手であった安倍氏が
>大きく勢力を伸ばしていたということにすぎない。
機関委任事務だらけの王朝国家だからといって全ての事務手続きがいい加減な訳なかろうがw
なんだ?自動的ってw
陸奥国司は、引継ぎもしないで奥六郡から撤退したとでも?
- 95 :
- >>94
> 別にそこまでは言っていない、日本語読めるのか?w
>そこまでは言ってい
るではないか。
他にどう読めというんだ?
> 機関委任事務だらけの王朝国家だからといって全ての事務手続きがいい加減な訳なかろうがw
> なんだ?自動的ってw
安倍氏の「在庁」というのを、今度は陸奥国衙におけるそれのこととわざと読み間違えか。
相変わらず見苦しいやり方を続けてくるな。
君もはや反論のための反論をするためだけに、あれこれ難癖つけてはレスすることしか出来なくなってしまっているよ。
「在庁」というのは胆沢鎮守府におけるそれのことに決まっているだろう。
いつ俺が、安倍氏が陸奥国衙における代々の在庁実務官人職を継承してきた一族だ、などというレスをした。
胆沢鎮守府のフェードアウト、一時停止化により、
中央から鎮守府将軍が送られるということが途絶えたことにより、
「自動的」に代々「鎮守府在庁官人」を勤めてきた安倍氏が表明に上がってくる形で、その存在感が増してくることになったと言っているのだ。
アホらしい。
- 96 :
- >>94
> 陸奥国司は、引継ぎもしないで奥六郡から撤退したとでも?
ほう。↑のようなレス内容を投下してきたということは、
俺の>>17での指摘を受けて、少しは己れの薄っぺらな見解を修正する気にはなってきたということなんだな?
一歩前進だよ。
- 97 :
- >一歩前進だよ。
奥州安倍氏中央官人説なんて、ちっとも広がっていない。
残念ですた。
君は、まだ奥州安倍氏中央官人説で足踏みしているねw
どうしようもないね〜w
- 98 :
- >>97
> 奥州安倍氏中央官人説なんて、ちっとも広がっていない。
> 残念ですた。
現在の学界でもはや誰も唱えていない安倍氏蝦夷説なんて今や風前の灯火だよ。
> 君は、まだ奥州安倍氏中央官人説で足踏みしているねw
> どうしようもないね〜w
下卑た文面書きつらねながらあんた1人で勝手に
>足踏み
続けてなよ。
- 99 :
- 鎮守府在庁官人の中で力のある、そして陸奥国府に受けの良い蝦夷系豪族が、安倍忠良だった。
そして既に朝廷と陸奥国府が放棄していた奥六郡の北側三〜四郡で最有力の豪族が旧岩手郡に柵を構える
蝦夷系豪族であり、陸奥国府に確実に税金を納め、交易管理を行っていた安倍忠良だった。
そういう意味では、陸奥国府の評価は、安倍忠良>>>>越えられない壁>>>>平維良だったのだろう。
れっきとした中央官人の平維良が、メチャクチャな事をした為に、
真面目に鎮守府将軍業務をやってくれるのであれば、蝦夷系豪族でも構わない、
と言う判断が陸奥国府に有ったと思われる。それだけ平維良の行いは酷かった。(戦闘にまで至った)
他の鎮守府在庁官人中で中央官人系は、陸奥国府がある多賀城やその他の奥六郡以南の郡に撤退した。
蝦夷系の鎮守府在庁官人は、そのまま安倍氏の奥六郡の支配体制に組み込まれた。
1027年に鎮守府将軍職を廃止にした時に忠良に鎮守府将軍業務を委託し、
引継ぎをして朝廷と陸奥国府は奥六郡から撤退した。そしては忠良は、納税と
交易管理は、陸奥国府の期待どうりに成し遂げ高い評価を得た。
尚且つ安倍氏の奥六郡支配体制も確実に深化整備され、これらの功績や実力が認められ、
晴れて1036年に陸奥権守に忠良(忠好)が任命された。
その後忠良は亡くなり、頼義が後を継いだ。しかし忠良には行われていた納税が
怠るようになった。特に貢金が行われなくなった。(貢馬は、それなりにやっていた)
また、頼義は奥六郡だけの支配には飽き足らず、南隣の磐井郡に進出を開始、
これまでの出羽清原氏との同盟だけではなく、海道蝦夷で気仙郡郡司の金一族
と安倍氏の跡継ぎである貞任を結婚させて、今まで何かと対立してきた
山道蝦夷(安倍氏)と海道蝦夷の同盟にも着手した。
これは、陸奥国府にとって重大かつ危険な兆候であった。奥州安倍氏の“平維良”化であった。
いや、“平維良”化よりも悪かったかも知れない、少なくても平維良の関心は“富の蓄積”だったが、
安倍氏は、富の蓄積と同時に支配領域の南下拡大も模索し始めたからだ。
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