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2012年3月日本史88: 【初心者】スレッド立てる前に質問をPart28【歓迎】 (869)
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徳川幕府の経済政策について (109)
日本史で一番好きな人物は? (105)
いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない (839)
平成は日本の暗黒歴史 (195)
平成は日本の暗黒歴史 (195)
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart28【歓迎】
- 1 :
- テンプレはお願いします。
- 2 :
- 分からないことがあるときは、スレッドを立てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問については、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。
回答に時間がかかったり、回答が得られなかったりしても、怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップを付けることをお奨めします。
また質問する前に一度自分でも調べてみましょう。
人名・用語について調べたいときは、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。
※まずは下記でチェックしてください。
日本史・世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html
■歴史系他板質問スレ
日本史総合スレpart30 (大学受験板)←受験勉強の日本史についての質問はこちらで。
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1312308118/
世界史なんでも質問スレッド95
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/
中・高生用質問スレ Part13
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1287489895/
<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・過度な論争は自粛してください。
・煽り質問はスルー。
前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart27【歓迎】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1301328282/
- 3 :
- すまん、テンプレのURL間違えた
世界史なんでも質問スレッド95
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1318664627/
- 4 :
- >>1-3乙
- 5 :
- 上級者向けはこちら
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ26
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1317667731/l50
あくまでもここが学問板だということを忘れないように>>5-
あんまり低能丸出しの質問はすんな
質問を書き込む前にひととおりぐぐれ
分かったな
- 6 :
- 上級者の定義を教えてくらはい
- 7 :
- 中級者向けはどこですか?
- 8 :
- 丁度>>5のスレで邪馬台国の話が出ていたので質問させてください。
邪馬台国論争は、今は畿内説が有力なようですが、どの程度北九州説より有力になっているんでしょうか?北九州説もまだまだ強いように思いますが。
また、神護寺の伝源頼朝像については、足利直義像説とどちらが有力なのでしょうか?
- 9 :
- もはや大半の考古学者が畿内説支持になり、
九州説を支持する考古学者は片手で数えられるほど減った。
のではなかったかな。
文献研究は既に下火なので、考古学の動向が大きく影響するようになってきてるなかで、
九州説の考古学者が減ってるということ自体、九州説の劣勢を物語っている。
- 10 :
- 江戸時代には荻生徂徠は有名人だったらしいけど
古義学ってどのくらい一般に広まってたの?
- 11 :
- 考古学界で九州説が減ってるのはわかるんですけど
いわゆる自虐史観とか非皇国史観の人たちはなんでまだ九州説を信じてるんですかね?
畿内説=皇国史観なんですか?
- 12 :
- >>11
畿内説=皇国史観だと言う主張は九州説の人が畿内説を非難して
言い始めたんじゃなかったかな
今の天皇家以外が日本を統治した過去はない=卑弥呼は天皇家の先祖一族
ということにしたいがために無理矢理出したのが畿内説だという意味で
しかし現在の研究者が畿内説を支持する理由は考古学的成果
(弥生時代の大規模遺跡が畿内で見つかる)が最大の理由
畿内説を支持する研究者の中でも邪馬台国=大和王権と考える人もいれば
王朝交代があったとみる人もいて意見は様々
畿内説=皇国史観とは言い難い
- 13 :
- >>12
考古学と関係ない日本史の学者は九州説支持してる人が多いんでいつも不思議に思ってました。
納得できました。ありがとうございます。
- 14 :
- もともと九州説の方が皇国史観と親和的。
畿内説だと、「古代の天皇が中国王朝に朝貢した」と確定するが、
九州説だと「中国に朝貢したのは、当時の九州にあった辺境王朝」となり、
日本の天皇は中国に朝貢などしていない、と言い張ることが可能になる。
邪馬台国九州説が出現した当時には、復古的趣味の大元とも言える国学者が説の中心だったしな。
そういう来歴もあって、戦前には、
東大の学者が九州説、京大では畿内説が有力だったぐらい。
- 15 :
- 武士の名乗り方の変化ですが。
鎌倉時代だとホントの官位を名乗ったり、「三郎」「四郎五郎」なんて
出自に基づいて名乗ってるけど、室町後期からかな?
適当な勝手名乗りを始めるようになったのは。
なんで名乗りが変化したんでしょうか?
- 16 :
- 朱子学があんまり流行ってない現代では孟子の位置づけってどんな感じ?
- 17 :
- 日常的には空気。
- 18 :
- 中世の武士道の話で
だれもいないときはあやしてるのに女房や妻が近づくと
強い武士になれるか見ているのだ、とか答えたのってどの話か知ってる?
- 19 :
- 知ってる?
- 20 :
- 非常に大雑把な質問で恐縮なのですが、
日本史の中で「水神」として祀られている武将や公家といった方はいらっしゃるでしょうか?
「神」として祀られているだけならかなり多くの人物が該当すると思いますが、
「水神」と限定すればどうなるでしょうか。
天災の多い日本では、
治水や農耕に絡んで「水神」様もかなり重要な神仏であると思いますが、
「水神」としての特性を持たされた人物がいれば教えてください。
- 21 :
- 母がわかりません
なぜ母になるのですか?おを出す以上、生まれたばかりの自分の子がいるのでしょう
母の本当の子はおを与えられずに死んでしまうのですか?
- 22 :
- >>21
昔は、高貴な女性は自ら育児をするものではなかった、そういう文化だったのです
そのために母が必要でした
母というのは、児の頃に母を与えるだけの存在ではなく、幼少期の(時として成人するまでの)養育係でもあります
だからこそ、母に育てられた子と母やその一族との間には、現代人の我々が思う以上に、強い家族的な絆があるのです
足利義政と今参局、徳川家光と春日局、源頼家と比企一族など、母やその一族を重用した権力者は少なくありません
母自身の子は、母が一緒に育てます
そのように一緒に育てられた母の子のことを兄弟(ちきょうだい)といいます
同じ釜の飯を食った仲どころか、同じを吸った仲であり、権力者の子が物心ついた頃に最初に出会う年齢の近い遊び相手
であるわけで、成長後は、実の兄弟同様、あるいは実の兄弟以上に重用されました
- 23 :
- >>22
よくわかりました ありがとうございました
- 24 :
- 駿河大納言様や秀頼公を見ると、あの時代母親が自分で育てて甘やかすとろくなことにならねえって感じがするな。
そういえば、この二人従兄弟同士か。
そもそもお市の教育が悪かったか?
- 25 :
- 忠長については、家光の側の者が記録を残しているわけで、忠長の乱行とされる行為は
話半分ぐらいに見るべきだろう
たとえば、神社に保護されていた猿を狩ったことが忠長の悪行の一つとされているが、
農村に被害をもたらす害獣だったから駆除しただけだという説もある
- 26 :
- >>24
忠長も秀頼も母が育てんだが・・・
茶々が秀頼を母で育てた事実はあったが江は確認できない
江も茶々も世継ぎの母となった
その重責から盲目になっただけだろ
嫡男は大勢の守役や母を付けられ母親から隔離されて育つため
母親が守役に取られた兄を疎んじ手元に置いた弟を可愛がるというのは
織田信長母、伊達政宗母などにも例がある
- 27 :
- 後醍醐天皇は政治理念しかない人だと思うんだけど
足利尊氏は反対に政治理念がまったく無い人なのかな?
何となく尊氏にそれがないせいでグダグダになってる感じがするんだけど
戦には勝ちまくってるのに
- 28 :
- まあ普通に考えたら
グレるだろ、忠長
- 29 :
- >>27
中世の社会は、既得権とか人脈、地縁などが重要視される社会で、
政治理念とかはむしろ異端。
あの時代の為政者としては尊氏の方が正常型に近く、
後醍醐天皇は生まれる時代を間違えたと言っていいほどの特殊な人物だ。
あまりにも時代を間違えすぎたせいで、追従できる人がほとんど居なかった。
ただ、尊氏を裏で支えて幕府開設まで事態を動かした直義も、
あの時代としては珍しい、理念先行の人物っぽい。
(その影響もあってか、戦場ではあまり活躍がない気がするが)
- 30 :
- ってか尊氏って理念もないけど政治能力というがガバナンスがなくね?
政治は弟と家臣に丸投げじゃん
- 31 :
- 江戸時代の学者で、無茶苦茶父親が嫌いで
父親が死んだ時にやったーって喜んだ人がいたと思うんですけど
誰でしたっけ?
- 32 :
- 江戸時代には寺子屋で論語孟子学んだらしいけど
五経はあんまりそれに比べて重要視されなかったの?
江戸時代の儒学者って四書五経暗記してる?
- 33 :
- 儒学者は暗記してるだろうけど、寺子屋で論語はやらないんじゃなかろうか。「読み書き算盤」だよ。
- 34 :
- 戦国時代板のスレタイそのままなんですが、足利将軍家はなぜ娘を使った政略結婚をしなかったんでしょう?
当時だと細川家などもそういった戦略を採っていません。
また、天皇家の皇女が結婚しない例が多かった時代もありましたが、それと似たような理由でしょうか?
- 35 :
- このスレはage進行なのに何故みんなsageるんですか。
ルールは守るべきではにでしょうか?
- 36 :
- >>34
足利将軍家も細川京兆家も政略結婚を利用していると思うけど。
近隣の有力大名家に娘を嫁がせてますよ。
足利義晴は若狭武田、細川政元は姉を赤松、澄元や晴元の娘も北畠・山名・畠山など。
戦国後期の場合は、対象となる女性がいない(義輝以降は短命)とか、彼らの勢力・権威が衰えてしまったから
相手側にメリットが少なくなったからではないでしょうか。
- 37 :
- >>36
回答ありがとう。
それ以前についてはどう思われますか?
義満とか義持、義教あたりはあまり印象にないんですが。
政元の姉は、出家していた政元姉を還俗させての結婚でしたよね。こちらは政元の異母姉(側室の子?)にあたるので、尼にさせられていたのかもしれないですが、やっぱり少ない印象です。
側室の子をかなり出家させていたから持ち駒が少なかったのかな。
- 38 :
- 大和朝廷が仏教を受入れたのは、中央集権化に利用できるから、だそうですね
仏教のどういった部分が、中央集権化につながったのでしょうか?
- 39 :
- >>38
質問の前提となる「仏教受け入れは中央集権化のため」が違うかもしれないですね。
- 40 :
- >>38
そうだな。前提が間違ってるように思われる。
- 41 :
- キリスト教はいずれおこる世界最終戦争時にキリストが復活して信者を天国に導いてくれる。
ユダヤもイスラムも同じ
仏教は厳しい修行すれば死んだあと極楽浄土に行ける
これはわかります。
では神道は神を信じたら具体的にどういういい事がおこるのでしょうか?
- 42 :
- >>41
宗教についての質問ならば「カテゴリー歴史」で聞くよりも
「カテゴリー宗教」分野の方が適しているかもしれません。
- 43 :
- キリスト教は世界最後の日に「俺を崇めた奴の中から幾許かを救ってやるよ」という宗教
仏教の一部には「善人が救われるのは当然のことであり悪人こそ救ってなんぼ」という派もある
原始神道には終末思想がない
- 44 :
- >>41
世界史板のなんでも質問スレで間違ってると指摘したのに改めないとは?
あんた、莫迦??
- 45 :
- >>41&43
日本史と無関係な質問を意図的に繰り返すのは荒らし行為です。
- 46 :
- >>37
天皇家は内親王に釣り合う家柄の男性が限られる→
皇族や摂家に嫁ぐのでなければ寺に入り出家という流れだったように思いますが
足利将軍家も京に幕府を置いたことからかなり第二の天皇家を意識した面はあると思います
足利義政と日野富子の間に生まれた正室腹の娘すら出家させてますからね
それから洛中における仏教勢力はかなり強かったので
そこの門主を子息や娘で抑えるというのは大変意味のあることでした
将軍足利義教なども青蓮院に入り比叡山天台座主だったのを還俗させてます
- 47 :
- >>46
御免なさい。非難するつもりはないのですが意味がわからないです。
一行目ですが「天皇家は内親王に釣り合う家柄の男性が限られる」
主語が二つです、(天皇は)(〜男性が)
それとも(男性が)→(男性と)(男性に)なのでしょうか。
二行目(多分皇族女子の身の振り方かなと思うのですが)、
最後の「思います」が三行目の「足利〜思います」に繋がっていないので文意が分かりません。
五行目、六行目は分かりますが、それを以って七行目に入ると義教なども仏教勢力の門主を還俗させ子息等に迎えたのかなと考えてしまいます。
「天台座主だったのを」が「〜だった人物を」なら迷わないのですが、
「義教が出家した後還俗させられた」とも読み取れるので意味が分からなくなってしまいます。
- 48 :
- いくつか質問を
1、伸展葬が出現した背景には稲作の伝来によって本格化した生産経済があるのでしょうか?
縄文人には飢餓線という年輪のようなものがあったといいます。
それは当時の人間が一年の自然環境の変化によって摂取できる食べ物の量が大きく変わっていたことを示しているのだと思います。
そのような中で人間が自然や霊的なもの対して恐れをなすのは当然のことに思えます。死者を屈葬したのも死者の霊への恐れだと言われています。
そこに稲作という自然に人の手を加えることで多くの食料を得ることができる技術伝来し、比較的安定した生活を送れるようになったならその恐れも薄らぐでしょう。
その結果として屈葬が伸展葬に変わったのではないでしょうか?
また、マツリゴトの語源となったといわれるマツリが行われていたことが青銅器などからわかるのは、
人間が自然や霊的なものを恐れる立場から、その力を積極的に利用しようとする立場へと変化したことを表しているように思えます。
2、縄文土器から弥生土器へと変化したきっかけは稲作でしょうか?
弥生式土器の注目すべき点は使用目的によって形状が変化したことにあるらしいですが、そこで例に出されるのは甑や高杯などどれも食に関係した物のようです。
これは稲作の伝来が画期になったことを示しているのではないでしょうか?逆にいえば稲作伝来しなければ弥生土器は生まれないことになりますが
稲作が伝わらなかった北海道では続縄文文化が発展したり、稲作伝来直後は土器がすぐには変化せず、従ってしばらくは縄文土器が使われ土器を基準に時代を考えると縄文時代晩期となるのは自然なことに思えます。
はたして、この考えは正しいのでしょうか?
以上ゆとり浪人生が教科書読んでて勝手に思ったことです。半分くらい独学なので的外れなこと言ってるかもしれませんが、現在専門家の間ではどのような見方が一般的なのですか?
- 49 :
- >>48
浪人生ですか。受験勉強頑張って下さい。
国語力は大事です。伝える力を養ってください。
- 50 :
- >>47
46じゃないけど書き直してみました。
>天皇家の一員である内親王は釣り合う家柄の男性が限られる→
>皇族や摂家に嫁ぐのでなければ寺に入り出家という流れだったように思いますが、
>足利将軍家も京に幕府を置いたことから、娘の扱いに関して天皇家を意識した面はあると思います。
>足利義政と日野富子の間に生まれた正室腹の娘すら出家させてますからね。
>それから洛中における仏教勢力はかなり強かったので、
>子息や娘を出家させてそこの門主に据えるというのは大変意味のあることでした。
>足利義教なども、青蓮院に入り比叡山天台座主になっていたのを還俗させられて将軍になっています。
- 51 :
- >>47
横レスだけど、
足利義教を含め、義満の子供の多くは出家していた。
出家してなかったのは義持(4代将軍)と義嗣ぐらいじゃないかな。
で、5代義量の没後、将軍空位のまま政治を行っていた義持が死ぬと、
義持の弟(故人である義嗣を除いて、全員が出家済み)のなかから次の将軍を選ぶことになった。
で、弟たちの中で最高齢である義教が、結果的に次期将軍に選ばれ
当時は天台座主だった彼を還俗させることになり、還俗後に足利義教という名前になったんだよ。
だから、「義教が出家した後還俗させられた」と読むのが正しい。
将軍になってから出家したのではないので、順番にだけは注意。
幼少期に出家してから青年期に還俗し将軍就任。
>>49
>2、縄文土器から弥生土器へと変化したきっかけは稲作でしょうか?
新しい土器技術を持った人間集団の移住による新技術の持ち込みだと思う。
技術体系としてまったく異なっているんじゃなかったかな。
技術的な断絶がある一方で、文化的には断絶してはいないはずで、文化的連続性は、ある。
土器の用途別多様化は、
土器の数的拡充があって、より多くの局面で用いる事が可能になったという事情もあるんじゃなかろうか。
従来よりも壊れにくく長持ちするようになったという面も無関係ではないのでは?
また、より薄手に作れるようになって軽量化や熱伝導などの理由で従来には土器を用いることができなかった新しい使い道が生まれたとも思える。
稲作自体は主たる要因ではないと思うよ。
- 52 :
- 1.人が人である限り闇を恐れることからは逃れられない
これは人種・宗教・時代に左右されない
2.縄文末期の土器と弥生初期の土器に明瞭な差異はない
- 53 :
- >>47
書き直してみます。
内親王は釣り合う身分の男が限られるので
ふさわしい男がいなければ出家しました。
足利将軍家の女子もこれに似たことがあったということです。
洛中における仏教勢力は非常に強いものでした。
そこで天皇家や将軍家では娘や息子を
有力寺社の門跡として入れて仏教勢力を味方につけようとしたのです。
固有名詞を入れると難しい文章になったみたいですね。
言いたかったのはこれだけです。
- 54 :
- ここで質問するのが正しいのかどうかわからないのだが、
役という言葉に公務員や地位という意味、役人、役職なんかの意味をもたせるようになったのは、
受領やその下働きを現地で採用したからだろうか?
それとも、防人などの軍役労役賦役などから転じていったのだろうか?
役人の語源が知りたいです。
- 55 :
- >>48
>人間が自然や霊的なものを恐れる立場から、その力を積極的に利用しようとする立場へと変化した
それ以前は祀らなかったとでも思ってるんですか?自然や霊的なものを恐れ、鎮めるのが元々のマツリでしょう。
縄文時代と青銅器が入って以降とでどれだけ違っているのか(あるいは変わってないのか)判ったものでは有りません。
俺も全くの素人だけど。
- 56 :
- >>50-51>>53
ありがとう。質問者(>>37他)です。
いえ、>>46でも充分分かりましたよ。宗教界を味方につけたかったというのは考えたこともなかったです。
ありがとうございました。
- 57 :
- 足利氏歴代将軍のうちで、
比叡山に対して最も強権的・高圧的に接したのが、
ほかならぬ義教(もと天台座主)ってのは、皮肉なのか必然なのか。
- 58 :
- 日本は唐に支配されたという説をネット上で見かけたんですが、
最近、こういう学説も学界で出されているんでしょうか?
- 59 :
- 世の中には数多くの与太話がある。
おおかた、通説に圧されて死にかけの九州王朝説が起死回生を掛けてぶちまけた与太。
- 60 :
- 奈良の大仏に水銀が使われていて、水銀が蒸発したために、都を遷したってのは
与太話なのかマジ説なのか教えてもらいたいんですけど
- 61 :
- 日本は古代大韓帝国の一部だったって書いてある教科書なら
読んだことはあるが
- 62 :
- >>60
大仏製造に水銀使ってたと思う
- 63 :
- 水銀と金のアマルガムが液体になることを利用して
大仏を金メッキ仕様にするために用いられたんだよね
塗った瞬間に蒸発するもんだから多くの仏師が水銀中毒に悩まされただろうね
- 64 :
- だが、それが遷都の理由かというと、別問題だな
- 65 :
- 水銀蒸気が平城京全体に健康被害を与えうるほどの濃度で拡散したとは考えにくいな
- 66 :
- 妙薬として直接経口していた奴らの方がやばくねぃ
- 67 :
- >>59
どうもありがとうございました。
そのような説を唱えている論者は、資治通鑑に唐が日本を
支配したと書かれていると主張していたんですが、昔から
読み継がれている資治通鑑にそのような記述があれば
既に気づいている人がいるはずだと思ってたんで、奇妙に
思っていました。
ありがとうございました。
- 68 :
- >>39>>40
ありがとうございます
前提が間違っていましたか
見ている日本史の本に書いてあり、納得できなくて質問しました
- 69 :
- >>60
それについては白須賀公平(東京大学環境安全センター)という
応用化学が専門の理系の教授による論文があるらしい。
ただし、当時の人がそれを認識していてそのために遷都したかというと疑問。
本当に酷い水銀中毒が続出したのならば東大寺の高僧なんか逃げ出しそうだし。
- 70 :
- >>49
国語は一番苦手ですね。基本数学勝負です。現役の頃、数学は上位0.5%には入ってました。
無論国語もがんばりますが…
>>51
>技術的な断絶がある一方で(ry
52で指摘されている通り、最近は共に轆轤不使用、野焼きなど余り差が無いので弥生時代を土器で定義しないみたいですね
山川詳説日本史研究にも書いてありました。勘違いしてました。
耐久性、軽量化や熱伝導ですか、詳しくは知らないのでなんとも言えませんがそれもあるかもしれませんね
>>52
>人が人である限り闇を恐れることからは逃れられない
夜になると闇が視界を遮り人間を無力化します。 しかし、人間は光を手に入れ闇に抵抗しました。
それどころか、夜にまで活動時間を広げていきました。人間は人智で一見、抗えない物を掌握し利用したのです。
でも、その人智の結晶たる科学技術も過信は危険だと震災後よく思うようになりました。
なぜ、山川の教科書が最終段落全で現在形を使い科学技術の信頼に対する再検討が大きな課題だと言っているのか よく考えて見たいと思います。
>>55
祀っているだけでは利用してるとは思いません。
縄文時代の呪術的なものは土偶にしろ石棒にしろ神秘的なものを象徴化しています。しかし、青銅器の祭器はすべて人工物です。
大陸の影響があったにせよ、大きな思想の変化は否定できないと思います。もし思想が変わらなかったなら銅棒でも作ったのではないでしょうか
まぁ想像に過ぎないと言われればそこまでですが。
- 71 :
- 江戸っ子が
宵越しの銭はもたねえ
とうそぶいていたのは
日雇いで働いてたからですか?
- 72 :
- >>71
それもありますし、私有財産を殆ど持っていなかったからです
働ける限りは日銭が入ってきます
- 73 :
- >>71
>>72さんの意見を否定する意図はありません。
その他の意見としてですが、
「宵越しの銭はもたねえ」
この価値観が江戸期の江戸町民達一般を表象しているとは限らないのではないでしょうか。
一部の人の価値観が印象的であるが為に全体にあてはめられているとも思われます。
江戸に於いては金銭による物流が存在しています。職に対しての報酬が金銭であれば其れは財へとなるのではとも考えられます。
定住と定職、それを得た人が長期的には江戸の住民の核となるでしょう。
「江戸っ子」とはスラムの住民ではなく賃借家屋や長屋下宿の人々だとすれば多くの人々は定職を持ち蓄財もあったのかもしれません。
- 74 :
- >>73
江戸は火事が名物ってくらいに多いから家財が有っても燃えてしまう。長屋が簡素な作りなのも燃える事を
前提にしている。そういう訳で蓄財は無いのが普通。技術が有れば日銭を稼ぐくらいの仕事は必ず有るので
蓄えが無くても大丈夫。商人とかはそういう訳にはいかないけど。
- 75 :
- 壱与の名前は壱与説と台与説のどっちが有力なの?
有力な理由は何?
- 76 :
- >>71-73
貧乏人が強がりや見栄で言ってたって面もあるだろうね
もともとたいして稼ぎもないのに、稼いでいるんだけどその日のうちに使ってるからないだけだ、と
>>74
健康な人なら毎日稼げるだろうけど、蓄えゼロだと病気の時や老後はどうするんだろうね
男性過多の江戸では独身男性も多いから、老後は子供に世話してもらうってわけにいかない男も
少なくなかったはず
- 77 :
- >>76
そこんところは俺も知らないから疑問では有るが、たぶん五人組とか町名主とか共同体が
何とかするんじゃなかろうか。これが田舎だと後家の嫁入り先とかも名主が世話する訳だから。
- 78 :
- >>71
・江戸は火事が多いので私有財産を所有してもすぐに焼失してしまう
・江戸は地方から出てきた農家の二男三男が多く圧倒的な男あまり
多くの男性は独身で家族を扶養していなかった
・医療が発達していない江戸時代は体が弱れば案外簡単に死に
働けなくなってからも長生きする(老後)ことを考えなかった
現代人がとにかく貯蓄に走るのは老後が不安だからです。
また大商人などで妻や身請けした妾を大勢所有し、生涯養っていく必要があり、
幼い子供を大勢もっていたのならば貯蓄も必要だったでしょう。
現代人も老後の不安がなく扶養家族もいないならばこういう考えの人は結構出てきそうです。
- 79 :
- 財産が焼失するから蓄えないって、おかしくない?
貨幣は、火災で避難する時に持ち出すのにそんなにかさばるものでもない
(銅銭は、穴を紐でくくっておけばいい。かさばる小判は、庶民は持っていないか、
持っていたとしてもほんの数枚程度だろう)
持ち出せなかったとしても、普通の火事の火力程度なら溶けたりしないだろうから
盗まれさえしなければ後で回収もできる
むしろ火事に備えてこそ、貨幣の形で財産を蓄えるべきでしょ
- 80 :
- >>79
現在でもそうだが、最大の財産は家だよ
家が燃えてしまったら現在でも多額の負債が残るだけ
しかも江戸時代に火災保険はない
また自衛手段として町内ごとに戸を作り番人を置いたほど窃盗も多かった
火事になれば焼け跡からあらゆるものが盗み出されてしまう
現在ほど治安も良くなかったんだよ
- 81 :
- >>80
だったらなおさら、家自体には金をかけず、その分、貨幣で蓄財しておいて、火災の時には
それ持って逃げるべきだろ
家は持っいけないが、貨幣は避難する時、持っていける
- 82 :
- 冠位十二階や十七条憲法が隋との対等外交を成立させるための準備、と指摘した人って誰がいましたっけ?
以前本か論文かで読んだことがあるんですが、誰の指摘か忘れてしまいましてorz
- 83 :
- 打出浜の戦いで敗れた尊氏が戦後すぐの段階でも強い発言力を保っていたのはなぜ?
- 84 :
- >>81
野宿生活して貨幣だけ持ってろってかw
雨露凌げる家を所有すればそれなりに金はかかるよ
そして雇われ町人がそれほど大金持ちなはずもない
家がどれくらいの値段がするのか分からない人?
- 85 :
- >>83
足利直義が排除を求めたのはあくまでも高師直であって
尊氏を敵としていなかったからでは?
直義は師直だけを排除して尊氏のナンバー2を目指した
- 86 :
- >>85
それでも主導権握ってるのはなんとも…
普通なら傀儡にされてもおかしくないと思うんだけど
- 87 :
- >>48
(*´ω`*)
- 88 :
- 今テレビでジョン万次郎の特集してますけど
ジョン万次郎が帰国した当時、すでに日本には英語が話せる武士が何人もいたので
万次郎が明治維新に与えた影響は全くないと聞いたことがありますが、本当ですか?
- 89 :
- はるか昔の900年代末期は今でも「末法思想」が流行し、世が乱れたと記憶され、
1000年以上経た現代でも歴史の授業で習います。
バブル崩壊後のこの20年ほどは「失われた20年」とか「閉塞感」に支配されているとか、
「平成不況」と言われていますが、かなり後世にまで伝えられることになるでしょうか?
また、100年以上後の歴史の授業でも習うようになるでしょうか?
- 90 :
- 国王が統治する国は王国、天皇や皇帝が統治する国は帝国と言われますが、
戦前の日本は王国ではなく帝国でした。
つまり、天皇は国王よりも皇帝に近いと言うことですよね?
国王と皇帝の相違をわかりやすく教えてください
- 91 :
- >>89
今の授業で神武景気とか岩戸景気とかたいしてやらない程度にしかやらんでしょう。
- 92 :
- >>90
日本の場合は特殊で、言ったもん勝ちという程度の意味しかない。つまり自称に過ぎない。
歴史的には「諸王の王」が皇帝。つまり諸王の上に君臨するのが皇帝。
- 93 :
- >>91
サンクスです
つまり、日本史として俯瞰的に捉えた場合、平安時代の一時期の
末法思想が流行した頃の方がはるかに意味がある、と言うことですか?
- 94 :
- >>90
天皇はkingではなくemperorだと自称したことがおそらくは大きいのだろうけど、
「多くの民族を束ねる帝国」という体裁を、名目的ではあるのだろうけども、作ろうとしてはいたはず。
つまり、帝国という名目に実態を合わせようという努力も、おこなってはいた。
>>93
末法思想は、けっこう長期にわたって続いたんじゃなかったっけ。
思想というか世相だが。
>バブル崩壊後のこの20年ほどは「失われた20年」とか「閉塞感」に支配されているとか、「平成不況」と
は短期間過ぎるからなあ。
ただ、1929年の世界恐慌の影響による、1930年代の説明と同程度には教えられることになる可能性がある。
え? その時代の授業を受けた記憶がない、だと?
- 95 :
- >>93
今の世相が画期となって、末法思想が浄土系の仏教や浄土庭園を生んだような影響を残せば
習うようになるかもしれんけどね。
- 96 :
- >88
オランダ語を話す人達は沢山いたけど、
英語を話せる人は余りいなかったから、ペリー提督との通訳に抜擢されて重宝したのでは?
しかも、黒船の乗組員の中には、万次郎の滞米時の時の商船学校時の同窓生が居たから、交渉もやり易かったらしい
- 97 :
- >末法思想
中世以降の日本では末法思想を、この世の終わりとする終末論的なものであると捉えることも多い。
しかし末法思想はあくまでも仏法の衰退、つまり仏の教えが時代を経て次第に通用しなくなる事のみを指しており、そこに世情不安や天変地異は含まれない。
したがって末法思想は「この世の終わり」を意味するものではない。
ペリーは蘭語の通訳も連れて来ている
- 98 :
- この世の終わりでは無いが法が失われるので、世が乱れるのも間違いではないと思われる。
- 99 :
- >>96
万次郎の知人もいたのか、それは初耳だ。
交渉の話以外に昔話もしたんだろうか?
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