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2012年3月軍事121: 元冦の軍事分析 2 (251)
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元冦の軍事分析 2
- 1 :
- モンゴル帝国が2度にわたって鎌倉日本に大敗した元寇を軍事的に考察しましょう。
- 2 :
- 文永の役では
@新機軸の撹乱兵器てつはう等に見る技術力の差
A編成・統率力の差
(日本:御家人達が各家ごとに散らばった編成、指揮系統確立せず
元:指揮系統の確立した組織的な編成)
が勝敗を分けたんだっけか
結局は神風だけど
- 3 :
- 北条時宗っていうクソドラマみたいなストーリーだな
- 4 :
- >>2
アホの60年代の思想学者みたいなこと言ってないでまともな史料読みなさい。
大まかには上陸初日に準備の整わない日本側とやりあったにもかかわらず、モンゴル側の損害多数、日が経つにつれて不利になるのは明白だから元軍指揮官の判断で即日撤退。
という流れ。
実際この時応戦に出たのは地元九州の武士だけで、本州からの主力は全く関わっていない。台風はこの時は無い。
個人的には即日撤退した歴戦の指揮官の判断は評価できると考えている。高麗は立場もあってか撤退に強行に反対したんだけどな。
- 5 :
- 当時の帆船で朝鮮半島から九州まで何日くらい
かかったのですかね
- 6 :
- 文永役は、威力偵察なので占領地確保の有無は、
作戦目的とは特段関係無い。
抵抗が極端に少なければ占拠しただろうけど。
- 7 :
- まーた始まったw
- 8 :
- 威力偵察も棄民も全くのデタラメというソース
「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ。今、朕、爾の国の猶お一家のごときを視る。
爾が国、若し難あれば、朕、安んぞ敢えて救わざらんや。朕、不庭の国を征するに、
爾が国の出師し助戦すること、亦た其の分なり。爾、帰りて王に語り、戦艦一千艘、
米三、四千石を載すべきを造れ」
(高麗史・巻102・列伝15・李蔵用・1268年5月29日条)
- 9 :
- 文永は少なくとも大宰府ぐらいは落として交渉、停戦、地元勢力も引き込んだ戦力補強後に再戦、と移るつもりだったんだろうなぁ。
その手法は大陸ではともかく日本相手では全く通じなかったと思うのだが…
しかもよりにもよって鎌倉時代。グラつきはじめていたとはいえ、日本全国の武士を動員、支援できる体制が固まっていたわけで、たとえ数倍が上陸していても勝てたとは思えない。
弘安が棄民というか反対勢力弱体化のためという説は中国史の他の例を見ても近い例があり、朝鮮戦争の人民志願軍などと通じるものを感じている。
これはまだ検証の余地があるなように思うな。
南宋の兵隊だから北周りでない危険な直行ルートを取らせたというのもあながち間違いではないと思う。
- 10 :
- 十万の旧南宋兵が高麗国内を通過したら、
成り行きによっちゃ、そのまま居座りかねないからな。
早めに征旅につかせるに限る。
- 11 :
- >>9
同意!
幕府が領地問題でグラつき始めていたからこそ、逆に守護や御家人は
領地没収を恐れて、文字通り一所懸命で戦ったろうしな。
- 12 :
- >>9
でも、問題はその反抗勢力弱体化説唱える奴の大半が
そっから「元は全然本気じゃなかった!」とか「全部フビライの狙い通り!武士プギャー」って話を飛躍させまくってる点なんだよね。
まあ日本の中世史関係者は軍事に疎い奴ばっかだからしゃーないが。
なら、朝鮮戦争の中国軍はあの米軍相手に手抜くようなマヌケだったんかいと。
- 13 :
- まぁねぇ。
大規模な軍事作戦の評価ってのは時々の政治的背景も考慮しないといけないのに、それがわからないと話にならない。
元は本気じゃなかった、なんていうやつはゲームのやりすぎかなにかだろうな。
とりあえず元としては、政治的観点からは本国の安定第一と考えていた面は否めないと思う。
軍事的勝利のみを目指して、南宋兵みたいな爆弾勢力を本国に置いて信頼の置ける主力を日本向けに動員したら、例え勝ったとしても本国が危ないだろうw
このあたりは政治と軍事のバランスを見て現実問題としての全力を注いだらああいう作戦になった、というあたりでみておいてよいかなと。
机上の編制では、これで勝てる!と思ったとしてもおかしくないほど集めたわけだし。
しかし弘安でこそホントの意味での事前偵察と作戦への反映をすべきだったんじゃないかと思うw
現地に着いたら想定外の石塁で奇襲上陸不能になってました。どうしましょう。
というのはあまりにも杜撰すぎるわな。この点ばかりは手抜きと見られてもしょうがない気がする。
- 14 :
- まあ、防塁の上から戦闘のプロ集団が上陸時を狙って片っ端から
射してくる時点で、精鋭集めようが歴戦の名将に任せようが無理ゲー臭いけどなw
- 15 :
- なんで石塁のあるところに上陸しようとしたのかねぇ。
瀬戸内に入り込むか、山陰沿岸目指せば、上陸は容易なのになぁ。
- 16 :
- 一部が長門に上陸したという説もあるけども、やはり基本的には大宰府を落とすことが最優先目標だったために博多付近への上陸にこだわったんだろうなぁ。
あんな長期間待てるぐらいならどこへでも行けた訳だが。
流れを見ると、江南軍と合流して一気に強襲すれば石塁でも突破できると読んでいたのだろうけども。
そもそも全体の連携不足で江南軍の到着が遅れたりと、大兵力による戦略的奇襲の価値が全く無くなっていたのが痛い。
初手の段階で全軍全力で攻撃可能であればあるいはと思わなくも無い。
時間をかけすぎて、攻撃場所を選んだり、戦力を集中できるという、攻撃側最大のポテンシャルを自ら失ったことは明らかな失策だな。
弘安の役にははるばる関東の武者まで参加できているような状況では、勝機は全く無かったわな…
純軍事的に考えると、江南軍を朝鮮〜壱岐対馬まで来させてから準備、軍勢を整えることは出来なかったんだろうかね。
港湾施設の問題もあるかもしれんが、洋上待機できるような食料資材に余裕があるならそのぐらい出来そうなもんだが。
やはりこのあたりは>10の言うような内情があるように思うんだがな。
- 17 :
- 歴史学者様(笑)は元高麗の目標が太宰府だった事にあまりふれない
- 18 :
- 石塁から上陸失敗したから、志賀島から陸伝いで攻めようとしたんだろ。
でも、逆に志賀島に武士が攻め込んできて、元軍は遁走
- 19 :
- どうも壱岐なんかまで下がって再度陣営を立て直すようなこともやってるみたいだなぁ。
志賀島もあくまでも泊地として確保したかったのかもしれないけど。陸伝いで攻めるにもあの地形じゃどうしようもなさそうだしなぁ…
日本側はそのあたりも含めて読んでいたのかねぇ。
昔からの疑問なんだけど、随分とたくさんの船が、九州にたどり着く前、洋上に点在している状態で台風食らったんじゃないのかね。
出発が遅れたせいでわけもわからず洋上で沈むことになった船がずいぶんといそうだなぁと…
- 20 :
- 全体に三々五々のグダグダになってるが、そもそも最初の作戦計画ってどんなんだったんだろうな?
1・東路軍は1281年5月31日までに壱岐対馬を制圧、休養、停泊地として同地を確保すること。
2・東路軍は続いて、北九州博多付近の沿岸部に上陸を行い、同年6月15日までに停泊地と橋頭堡を確保、持久すること。不可能な場合は壱岐対馬を停泊地とし、江南軍を待つこと。
3・江南軍先遣隊は、先行する東路軍が確保した停泊地に対し、同年6月15日までに到着、九州上陸後は速やかに橋頭堡の維持拡大に努めること。
4・江南軍後続隊は、編成が完了次第、寧波を出航し、増援として北九州に上陸し、大宰府の制圧作戦を行うこと。
5・増援の戦力については、状況に応じ、順次後続部隊を編成派遣し対応すること。又、投降日本人勢力の懐柔、戦力化に努めること。
こんな段取りだろうかな…だとすると1は成功、2でコケて3は遅れるわで以降グダグダという感じではないか。
- 21 :
- >>15
瀬戸内や山陰沿岸じゃあ上陸は容易でも、陸に上がった後で四方八方から攻められる。
と、なると、やっぱり、大宰府を落として拠点とする攻略法しか選択肢がないような。
- 22 :
- 瀬戸内の島を占拠して要塞化すればいいだろう。
関門峡の近くで手頃な島はないものか。
- 23 :
- どうやって無事に瀬戸内まで行けるんだ?
行ったとしても、補給路を自ら遮断するようなもんだぞ?
史実通り、兵糧不足、疫病蔓延、全滅の道を歩むだろうな。
- 24 :
- 救援が期待できるから立てこもるんでしょう?
どうやって救援を依頼するのかと
- 25 :
- 大宰府は古来から大陸との窓口になっていたから、大陸の連中も大宰府までの道行きはわかるだろう。
だがそこから先は殆どわかるまい。
いきなり山陰などに上陸したって右も左もわからぬ土地で右往左往するばかり。
- 26 :
- そもそも日本に対してはどの程度の認識だったんだろうな。
小さい島国でちょっと兵隊派遣して実力を示せば屈服するだろうとかそんなかんじか?
いくら世界最強の時代だからといって、渡洋攻撃自体がかなり難しいのに、相当見くびらないとこんな計画は出来ないとおもうけどな。
第二回だって何年も経ってるのに、第一回と同じパターンで増援をつけたら行けると考えてたろうけど、
的確な位置に築かれた石塁にしてもそうだが、敵に備えて極めて高度な対抗戦略を立てて実行、それを維持できる国が相手だぞ。
対日戦では国が傾くほど力を注がないとまともな戦いにもならない、とは思いもよらなかったのでは。
しっかし石塁のことって果たして元は情報を得ていなかったんだろうかね。日本は南宋とも経済的なつながりはあったわけでしょ、それとなく情報はもれ伝わってたと思うんだけどなぁ。
- 27 :
- 防塁は過大評価だと思うのは自分だけ?元軍と日本軍が防塁で戦ったのは一日だけ。
で、防塁のない志賀島や鷹島でも、元軍は日本軍に駆逐されてる。
- 28 :
- 元軍の副司令官・劉複亨が負傷したのは鳥飼潟の戦闘で敗走している時、というレスが前にあったがどうなんだろう?
>>
元軍の劉復亨って博多から撤退する日本軍を追撃中に水城付近で少弐景資に射られたとされてるじゃん。
でも、少弐氏関連の史料では射られた場所が百道原ってことになってるんだよね。
〔少弐系譜〕
景資、資能三男、初名三郎左衛門、後號豊前守、弘安四年於筑前百路原射蒙古大将
〔武藤系圖〕
(景資傳)弘安蒙古出来時、蒙古大将百道原射留ラル
〔筑紫系圖〕
弘安四年蒙古襲来之時、忠功一門、劉相公討捕、身丈七尺乗黒馬
成立したのが元寇の随分後だったり、文永の役と弘安の役を混同してたりで史料としては弱いんだけど、
他の一次史料から日本軍が鳥飼で元軍を撃破した戦闘に少弐景資が加わっていたと考えられるのなら、
話は別だよね。
劉復亨は元軍が鳥飼から撤退中に百道原で追撃する少弐景資によって射られた。
- 29 :
- うろ覚えだが、倒したのは少弐景資自身じゃなかったとおもうけどな。
配下の武将が上級者の馬を借りて射に出て倒したと読んだ記憶がある。
まぁ部下の手柄は長の手柄なんだろうけども。また資料探してみる。
石塁
まぁ志賀島なんかは限定的な戦場だからどうかわからないけど、石塁の有無に関わらずそもそも待ち構えている状態に上陸するなんてこと自体が無謀だったんだろうな。
- 30 :
- 文永の役は蒙古軍の圧勝
『元史』
巻二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國
「至元十一年冬十月、入其国敗之、而官軍不整、又矢尽惟虜掠四境而帰」
卷一百五十二 列傳第三十九 劉通伝
「十年,遷征東左副都元帥,統軍四萬、戰船九百,征日本,與倭兵十萬遇,戰敗之」
『高麗史』
巻一百四 列伝十七 金方慶伝「分道而進、所過當。倭兵突至衝中軍、長劍交左右。方慶如植不少却、拔一?矢、弱゚大喝、倭辟易而走。之亮忻卞李唐公金天祿申奕等力戰、倭兵大敗、伏屍如麻。」
- 31 :
- 都合のいいとこだけ引っ張ってくるなよw
上陸戦で有利に戦闘を進めながら、なぜ撤退を決めたのか。
戦術的勝利は得られても戦略的に負けていれば圧勝とは言えない。
そのことを元も理解していたのは記録からも明らか。
ああ、金方慶だけは理解できてなかったようだがw
- 32 :
- そもそも戦術的に勝利したかすら怪しい
- 33 :
- 日本軍が勝ったという史料を出せよ。
- 34 :
- 日本が勝った史料?
それこそ元史高麗史を読めよw
- 35 :
- 『元史』『高麗史』読めば、蒙古軍の圧勝ぶりがわかるなw
- 36 :
- 本気で言ってるの?それともゲーム脳なの?
蒙古軍が圧勝とか、運動会の玉入れみたいなこと言ってんじゃねぇよw
- 37 :
- >>36
文永の役は蒙古軍の圧勝。
『元史』
巻二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國
「至元十一年冬十月、入其国敗之、而官軍不整、又矢尽惟虜掠四境而帰」
卷一百五十二 列傳第三十九 劉通伝
「十年,遷征東左副都元帥,統軍四萬、戰船九百,征日本,與倭兵十萬遇,戰敗之」
- 38 :
- あほか。話にならん。
- 39 :
- 『高麗史』金方慶伝
倭兵大敗、伏屍如麻、忽敦曰、蒙人雖習戦、何以加此。諸軍与戦、及暮乃解。
方慶、謂忽敦茶丘曰、兵法千里懸軍、其鋒不可当。我師雖少、已入敵境。人自為戦、即孟明焚船、准陰背水。請復戦。
忽敦曰、兵法小敵之堅、大敵之擒、策疲乏之兵、敵日滋之衆、非完計也、不若回軍。
欧亨 中流矢、先登舟、遂引兵還。会夜大風雨、戦艦觸岩崖多敗
- 40 :
- 今でも台湾沖航空戦の大本営発表を
一次史料だといって信じちゃうタイプ?
- 41 :
- 特に高麗史を読んで蒙古軍圧勝と読み解くなんてどう考えても困難だと思うけどな。
まさか正面戦闘しか見てないとかじゃないよな。全部読めば、蒙古側が不利を悟って撤退した、という流れが書いてるだろ。
数分の一しかない日本勢相手に決戦に引き込まれてたった一日で継戦力を喪失した蒙古軍のどこが圧勝なんだよ。戦争は何人したかじゃないぞ。
金方慶が撤退に反対したことからも判るように、予定に反して帰らざるを得ない状況に追い込まれた事実はどう説明するんだ。
- 42 :
- たとえば、勝利したとしてその果実を利用できなければ敗北と同じだよなw
勝ったのに利用できないって、敗北より悪いかw
- 43 :
- 危険な夜間の三々五々の退却を選んだというのも、そのタイミングでなければまともに撤退できなかったという判断だったんじゃないか。
偵察にせよ圧勝にせよ予定通りなら朝を待って粛々と牽制しながら引き上げればよいだけの話だとおもうんだがな。
こういう話は、行間が読めないというか、文字だけ追って圧勝だと一人納得する人間には判らないかな。
- 44 :
- 上記の史料では日本軍に勝ったという戦闘場所が書いてないよな。対馬、壱岐、松浦党との戦闘のことかもしれん。
『元史』洪茶丘伝には戦果を島を抜いたことしか書いてない。
「八月,授東征右副都元帥,與都元帥忽敦等領舟師二萬,渡海征日本,拔對馬、一岐、宜蠻等島」
九州で勝利していたら、記述があるはずだと思うが。確かに、10月5日〜19日までの島や松浦党との戦闘は
元軍が圧倒的だった。ようするに文永の役の大半の期間は、元の将兵は戦勝気分を味わっていたはずだ。
しかし、博多湾から上陸してみると、日本軍の主力と衝突し、壊滅はしなかったが、相当な劣勢となった。
だからこそ、戦闘に参加した日本側の武士竹崎季長の『蒙古襲来絵詞』や福田兼重の申状でも日本軍の勝利が
確認されるのではないか?
福田兼重申状
「右、昨年十月廿日異賊等襲来渡于寄来畢早良郡之間、各可相向当所蒙仰之間、令馳向鳥飼塩浜令防戦之処、就引退彼山徒等、令懸落百路原」
日本軍の勝利によって、元軍では『高麗史』金方慶伝に記載されいている戦況の不利ともとれる議論になったのではないか?
「方慶、謂忽敦茶丘曰、兵法千里懸軍、其鋒不可当。我師雖少、已入敵境。人自為戦、即孟明焚船、准陰背水。請復戦。
忽敦曰、兵法小敵之堅、大敵之擒、策疲乏之兵、敵日滋之衆、非完計也、不若回軍。」
ようするに、博多湾から上陸した後の鳥飼潟の戦闘で日本軍が勝利したことを元側は意図的に無視した可能性があるのでは?
でないと、「倭兵大敗、伏屍如麻」の後の記述に、急に戦局の不利ともとれる議論が行われるのは不可解。
」
- 45 :
- 威力偵察だから大成功でしょ
- 46 :
- >>37
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/koukurigaisi/kokuri-king12-nakagawa.htm
三国史記・高句麗中川王
魏將尉遲楷名犯長陵諱將兵來伐。王簡精騎五千、戰於梁貊之谷。敗之。斬首八千餘級。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/koukurigaisi/kokuri-king19-dantoku.htm
三国史記・高句麗高広開土王
三年秋七月、百濟來侵、王率精騎五千、逆撃敗之。餘寇夜走。
四年秋八月、王與百濟戰於水之上。大敗之。虜獲八千餘級。
「戦・・敗之」は単なる定型文に過ぎないわけだが
しかも同じ高麗史に書いてある劉復亨が射倒され、総司令官の忽敦が戦闘継続を断念して撤退を主張、
主戦派の金方慶が「焚船」「背水の陣」の故事を持ち出すくだりを無視して
「蒙古軍の圧勝」を主張するとはお笑いだなw
- 47 :
- >>45
168 名無しさん (2010/07/02(金) 18:50:58 ID:26SMAwUoBI)
「文永の役威力偵察説」を唱える連中って、根拠として侵攻に先んじて威力偵察を行うのは
モンゴル軍の常套手段だって言うじゃん。
でも、現実のモンゴル軍は、数年かけて準備した数万人規模の威力偵察を行い、
その数年後に改めて侵攻し直すなんてアホみたいに非効率的な作戦を、常套手段どころか
一度もやったことないわけ。
じゃあ、「モンゴル軍の常套手段である威力偵察」ってのは一体何かっていうと、
モンゴル軍の部隊編成では本隊のおよそ70マイル(約113キロ)先んじて威力偵察部隊が侵攻。
この威力偵察部隊が敵と接触すると、相手が弱ければそのまま撃破し、強ければ偽装退却して
本隊の所まで敵を誘導し、包囲殲滅するってのを常套手段としてたわけ。
要するに「モンゴル軍の常套手段である威力偵察」ってのは戦術レベルの話なの。
日本史研究者って呆れるほど軍事オンチの連中だから、戦術レベルの話である威力偵察を、
文永の役みたいな作戦レベルの話とゴッチャにしてるんだよ。
- 48 :
- >>45
つ>>8
- 49 :
- スレの流れ面白いw
軍事オンチが的確に迎撃されて敗走させられてる。この流れも
「威力偵察だから圧勝」
とか言うのかなw
- 50 :
- というかこの流れ見てやっと理解できたわ。
日本の歴史関連は本書いてるような奴も、ネット上で色々書いてる奴も
軍事的な背景やセオリーも物理的な常識もまるで無視して
史料の単なる意訳のみに目が向いてるから、「文永は威力偵察」だの
「日本に騎馬武者は存在しなかった」だのけったいな説が横行するんだな。
まあそれでも一次史料読んでる手合いは幾分マシっちゃあマシか。
最近(つってももう十年以上だがw)は信野暮の感覚で軍事作戦語るゲーム脳も多いからな。
まあ、こんなんだからフィクションでも日本の戦記モノはお粗末な内容のものが多いのも頷ける。
- 51 :
- それに、マッカーサーと天皇が並んだ写真は日本人にアメ公への劣等感を植え付ける為にはものすごく効果的だったよな
日本で一番えらい人がマッカーサーの隣では単なるみすぼらしいジジイなんだから
一方でマッカーサーがちょっと天皇褒めたら
「神様仏様マッカーサー様」
つまり、天皇ってのは日本人を簡単に操れるリモコンなんだよ
日本と戦争したきゃ天皇けなせば勝手にファビョってくれる
日本無茶苦茶に叩いても最後に天皇さえ褒めれば簡単にケツ穴まで渡してくれる
そんな弱点をいつまでも後生大事に保っててもしょうがない
とっとと廃止した方がいい
- 52 :
- 誤爆wてつはう乙w
- 53 :
- ・君主は国家を象徴的に具現し国民統合を容易にする。×
⇒天皇陛下が国家を治めているわけではない。○
(天皇の意思に関わらずマッカーサーに勝手に象徴にされただけ)
・君主制は政治家の権力欲を制御する。×
⇒政治家の権力欲を増進させる。 ○
(麻生一族(財閥)なんて皇族と政略結婚してる)
・君主制は外交の連続性を保つ。×
⇒現在の日本は君主制ではない。○
・君主は重要な政治的調整力の役割を果たす。×
⇒ただのお飾りです。○
・君主制は義務をわきまえた官僚の効率よい行政の優れた基盤となる。×
⇒君主制なんて前時代のものであり、例え君主制であったとしても、官僚は腐敗する。○
・君主制下の軍隊は将校団を中心とし自然な団結と忠誠心を保持しやすい。×
⇒誰も天皇陛下個人の為に戦うわけではないので団結や忠誠心なんて皆無。○
・君主は長い歴史と文化的伝統に支えられて国民の情緒と道徳と文化の支柱となる。×
⇒長い期間、平民から税収を搾取し自己保身の為に、都合の良い文化を作り上げた。○
- 54 :
- なんだ最近はチョンコも軍板にくるようになったんか
- 55 :
- どっちかっていうと高麗軍だなw
- 56 :
- ああ、なるほどw
だから大勝利なのかw
だれが上手いこといえとwww
- 57 :
- 死者を祀り神様にするのは、昔は自然な形では存在した。
菅原道真公。崇徳天皇とか。
しかし、明治の現人神の天皇制樹立以降、軽々な人間神化や
人間神社の濫用が始まった。
乃木希典の次は海軍が競うように東郷平八郎の東郷神社とかね。
明治維新以来、古代より受け継がれた日本固有の伝統にない本来無い
仕掛けが 人間の都合で急に突貫工事で次々と工作され、「靖国で会おう」
とお互いに自発的に 言葉を掛け合い「天皇陛下万歳!!!」と突っ込んで
くに至る 迄もニワカ教義の国家神道で洗脳し、そのプレハブ細工
みたいな即製で出来上がった屓目にも日本の宗教文化の抽出とも言いよう
もない教えのために重火器の十字砲火の中を塊になって突っ込んでいった
国民一人ひとりの姿やその魂は、どういう道理でもって元のそれぞれの
産土の神の懐に安らかに還っていけるというのか?
ニワカ教義の国家神道によって、どうやって各み魂が救われるというのか?
近代国家以降で、ここまでも伝統ある国の風土や精神文化の根元まで
重機で踏み入って根底からグチャグチャにした国家なんてないだろう。
古来からの産土の神たちの怒りは尋常じゃないね。
- 58 :
- 万世一系なんてインチキ。
都合良く系図書いてるだけ。遺伝子は父親母親半々づつ。
先祖は母親側にも繋がっていく。
桓武天皇の母親は朝鮮人。天皇の先祖は朝鮮人にも繋がっていく。
要は先祖なんて何万何十万もいるってこと。
都合のよい先祖だけ取り上げて、自分は○○の子孫ですってナンセンス。
血なんて一代ごとに2分の1づつになる。何十代も続けば最初の先祖の
血などほとんど入っていないことになる。
要は血筋など馬鹿げたもの。
いずれにしても、天皇制などというバカな制度は即廃止すべきだ。
- 59 :
- 予備戦力が尽きれば勝敗が決するのは戦場の常。
だから攻撃側は十分な余裕を持たないと何も出来ないのよ。
それを見越して蒙古軍は数万もの兵力を上陸させたんだろ。その手法は間違ってない。
しかしその駒を一日であらかた使い切って、圧勝です。
なんてほざくのはゲーム脳の最たるものだな。翌日以降どうするつもりだったんだよ。それこそ船燃やして玉砕か?
威力偵察言ってるやつって、それに乗じて短期間に戦力を集中投入するべき予備兵力はどこにあるのか考えてみろ。
今日はこのぐらいにして数年後にまた来ます。ってそれ、相手を利するだけだからw
歴戦の蒙古軍はそんなバカだったのかよw。
- 60 :
- 天皇カルトとGHQが呼んでいたことだけは
覚えておいたがいい。
その天皇カルトをGHQは利用したがね。
只の人間や、只の人間の家系を尊ぶなど
時代錯誤であり、人が人として、この世に生まれさせられた
意味を否定する、迷信でしかない。
そんなものは、ゴミ箱に捨て去り、
人の心の平安は、別次元に求められるべきであるのは
当然のことだ。
天皇という存在が、近代になって
日本人に与えたものは、
「惨禍」でしか無かった筈だ。
取り巻きは別だろうが、
大多数の日本人にとってはね。
今後は天皇とか不合理な権威を、やたらに持ち上げる社会にしてはならない。
先祖も天から降りた神ではなく、単に覇権者の末裔が権威の御輿化しただけ。
- 61 :
- 実際の国民の本音はここの低能ネトウヨみたいな天皇マンセー
が総意じゃない筈なのに、マスゴミが天皇が被災地ったって
だけの事で大変な苦労して頑張ってらっしゃるみたいな報道ひたすら
繰り替えして、ここのネトウヨもどきの連中が「陛下ご夫妻には頭が
下がる。一方菅は・・・」って喚くのがマジでむかつくわw
被災地訪問ごときの何がそんなに重労働なんだってのw アホどもw
同じ被災地回ってる菅はボロクソ叩いてアホかw お前らのやってる
事は池田先生崇めてる草加となんら変わらんぞキチガイどもw
- 62 :
- うはw
高麗兵ワンサカw
そうかー圧勝いってるやつは高麗兵だったのね。納得。
金方慶も明らかに軍事オンチだったし。
誰か菊池武房殿呼んできてよww
- 63 :
- 日本が未だ抱える歴史教育や政治上の問題点は
@皇国史観、明治に突如出現した捏造宗教・国家神道の未清算
A万世一系という固定化した妄想により歴史のリアリズムの軽視が強化され
日本固有の文化や伝統を破壊
B明治〜昭和政府の国家神道という天壌無窮のゴリ押し教義の強制や
洗脳によって、戦争の道具のように扱われた戦死者、戦病死者、
民間罹災民や死者に対する魂の救済と全国民への洗脳前の精神状態、
つまり素朴な豊葦原瑞穂の国の国民として有していた自然な精神文化
への原状回復
て所です。
これらが解決しないと、日本の未来はありません。
- 64 :
- 威力偵察厨か?荒らしてるのは。話誤魔化そうとしてんじゃねーよ。
スレチだ消えろ。
- 65 :
- >>63
誰かさんのせいで、一気にクソスレ化したな。政治思想板でも行ってきたらいいのに。
君の気持ち悪い思想なら、みんな構ってくれると思うよ。
- 66 :
- しっかし、軍事板に元寇を扱うスレがあってよかったわ。
だいぶ勉強になった。
- 67 :
- だから
西洋の王族の猿真似と明治期の新発明の国家神道スタイルに京都時代までの1000年来の
仏教文化が前提の真言宗の両部神道と天台宗の山王神道だったのを改竄した奇天烈なのを
なんちゃって伝統文化として血税で存続する、文化資産としての価値がネーから
京都時代のスタイルにルネッサンスして戻すなら
天皇制を100%否定するもんじゃないってわけさw
近代天皇制が浅はかで見ちゃいられんということだ!www
- 68 :
- 誰も読んでねえから、違う板行けよ。元寇に関係ねえレスすんな。
- 69 :
- ■リメンバー・ルキタニア
1915年第一次世界大戦中に、イギリス貨客船ルキタニア号が、当時交戦国であったドイツのUボートの攻撃で
撃沈させられ、乗客乗組員1198名死亡、内アメリカ人128名が含まれていた。ここでも「リメンバー・ルキタ
ニア」が米国民に反独感情を燃やす言葉となった。当時モンロー宣言の孤立政策をとっていたアメリカが参戦す
るきっかけになった。ルキタニア号はイギリスの武器や弾薬を搭載し、ドイツの攻撃宣言海域を護衛艦なしにあ
えて航行していたという。しかもドイツは、ルキタニア号向けに攻撃を警告していたという。
■リメンバー・パールハーバー
1941年12月7日、日本海軍が真珠湾を攻撃した。開戦したかった大統領が開戦反対派議員(議員の80%
が対日戦に反対していた)を押さえ込むために過去に習って使った言葉。第二次世界大戦参戦時の言葉。
■リメンバー・トンキンワン
1965年、トンキン湾で米国の駆逐艦が攻撃を受けた(らしい)。大統領はこの攻撃を北ベトナム政府による
攻撃と判断し、これを名目に北爆を開始した。ベトナム戦争北爆開始時の言葉。
■リメンバー・911
2001年9月11日、テロリストに乗っ取られた旅客機が世界貿易センタービル及び国防省に突っ込んだ。こ
のテロ攻撃はアルカイダによるものとしてアフガンへの派兵とイラクへの攻撃を行った。アフガン対テロ戦争及
びイラク戦争開戦時の言葉。
- 70 :
- あれ?ここって元寇スレだよね?
なんか気持ち悪いのが湧いてるんだけど
- 71 :
- ■リメンバー・ロスアラモス
当時メキシコ領だったテキサス内にあったアラモ砦に、親米派住民支援のため来援したテネシー及びアラバマ
民兵が立て篭もった。メキシコのサンタアナ将軍の軍隊がアラモ砦を攻撃し彼らは全滅した。その報復戦を行
う際にヒューストン将軍が叫んだ言葉。テキサス戦争開戦時の言葉。
■リメンバー・フォートサムター
サウスカロライナ州チャールストンにあった海上砦がサムター砦。1861年、サウスカロライナ州が連邦を
脱退し、続いて南部9州が脱退して南部連合政府を結成した。連邦政府はこれを承認せず、サムター砦からの
退去を拒否した。1861年4月、南軍が強制排除を実施した。これを引き金で南北戦争が勃発した。南北戦
争開戦時の言葉。
■リメンバー・メイン
1899年11月、USSメイン号がハバナで謎の爆沈を起こした。この爆発はスペインのテロ攻撃と米国政
府は判断し、スペインに宣戦布告した。事件自身は未だ霧の中で、メイン号は調査されることなく海没処分さ
れた。その米西戦争開戦時の言葉。
- 72 :
- >>30〜>>48で散々に撃破された高麗軍が
恥ずかしいレスを早いとこ流してしまおうと必死になってるんだろ
- 73 :
- 天皇カルトとGHQが呼んでいたことだけは
覚えておいたがいい。
その天皇カルトをGHQは利用したがね。
只の人間や、只の人間の家系を尊ぶなど
時代錯誤であり、人が人として、この世に生まれさせられた
意味を否定する、迷信でしかない。
そんなものは、ゴミ箱に捨て去り、
人の心の平安は、別次元に求められるべきであるのは
当然のことだ。
天皇という存在が、近代になって
日本人に与えたものは、
「惨禍」でしか無かった筈だ。
取り巻きは別だろうが、
大多数の日本人にとってはね。
今後は天皇とか不合理な権威を、やたらに持ち上げる社会にしてはならない。
先祖も天から降りた神ではなく、単に覇権者の末裔が権威の御輿化しただけ。
- 74 :
- >>72
これで鎌倉幕府軍ディスってるのがチョンかブサヨであることがハッキリしたなw
- 75 :
- 所詮高麗軍はこの程度。
千年経とうが万年経とうが変わりなしw
- 76 :
- くどくどネチネチと何がしたいんだよ。
- 77 :
- 恥隠しじゃないの?
スレ違いのことを延々書いて。
彼は天皇陛下の御恩寵を受けえぬ立場らから仕方ないんだろうけど。
- 78 :
- ■リメンバー・ルキタニア
1915年第一次世界大戦中に、イギリス貨客船ルキタニア号が、当時交戦国であったドイツのUボートの攻撃で
撃沈させられ、乗客乗組員1198名死亡、内アメリカ人128名が含まれていた。ここでも「リメンバー・ルキタ
ニア」が米国民に反独感情を燃やす言葉となった。当時モンロー宣言の孤立政策をとっていたアメリカが参戦す
るきっかけになった。ルキタニア号はイギリスの武器や弾薬を搭載し、ドイツの攻撃宣言海域を護衛艦なしにあ
えて航行していたという。しかもドイツは、ルキタニア号向けに攻撃を警告していたという。
■リメンバー・パールハーバー
1941年12月7日、日本海軍が真珠湾を攻撃した。開戦したかった大統領が開戦反対派議員(議員の80%
が対日戦に反対していた)を押さえ込むために過去に習って使った言葉。第二次世界大戦参戦時の言葉。
■リメンバー・トンキンワン
1965年、トンキン湾で米国の駆逐艦が攻撃を受けた(らしい)。大統領はこの攻撃を北ベトナム政府による
攻撃と判断し、これを名目に北爆を開始した。ベトナム戦争北爆開始時の言葉。
■リメンバー・911
2001年9月11日、テロリストに乗っ取られた旅客機が世界貿易センタービル及び国防省に突っ込んだ。こ
のテロ攻撃はアルカイダによるものとしてアフガンへの派兵とイラクへの攻撃を行った。アフガン対テロ戦争及
びイラク戦争開戦時の言葉。
- 79 :
- おちゃめな武烈天皇豆知識
500年9月 妊婦の腹を割いて胎児を見るという行為に及ぶ。
この年以降、人の生爪を剥して山芋を掘らせる、
人を木に登らせ、その木を倒してす、
池の樋から人を流して矛で刺する、
人を木に登らせて弓で射する、
など猟奇性を帯びた愚行を行ったとされる。
また女性を裸にして目の前で馬の交尾を見せて、陰部が濡れた者をし、そうでないものを官婢(女奴隷)とするといった異常な行動をしている。
また、天下の飢えを忘れ日夜問わず宮人と酒食に溺れた。
ソース・『日本書紀』
- 80 :
- 戦争は引き際が肝心。
金方慶は文永でも弘安でもそれを理解できず無能無策をさらけ出した。
同じことをここでもやってるやつがいる。
- 81 :
- 蒙古は暴風雨で負けましたが、倭猿は津波で死にました(笑)
- 82 :
- 通用しない戦法を無為に繰り返しても無駄だな。
軍板住民は低脳には冷たいぞ。他の板で身を立てなさい。
- 83 :
- あれか?
こいつは「ノモンハンは実は日本の勝利」とか本気で言っちゃうタイプの人か?
- 84 :
- 今度は日本史板にバカが湧いたみたい
>>83
なわけないじゃん。
むしろWW2日本軍は現地軍のゲリラにぼこられまくった雑魚とか本気で言い出すタイプ。
- 85 :
- >>44
その件に関して以前、高麗伝のもっと詳しい史料上げてた奴がいたんだが
確か対馬じゃなくて福岡での戦闘を勝利として扱った内容だった気がする。
でも、仮に福岡平野の戦闘が元軍の圧勝だったなら
尚更元軍の行動が不可解なんだよな。
本当に圧勝だったならせめて橋頭堡築いて、暫くは
そこを足掛かりに活動しそうなものだし、威力偵察なら
すぐに第二陣を派遣するはずだし、秀吉の唐入りのような
食糧問題や疫病があったような記述も特にない。(弘安は疫病があったみたいだが)
ましてや、棄民とやらが目的ならむしろワザと強行させるだろ。
- 86 :
- 強いていうなら元軍の副将が射られた事による士気の低下を恐れての撤退か?
- 87 :
- どっちにしろ、あのままだと元軍の全滅は必至だったんだから
それを見越して早期に撤退を決意した元軍の総大将は個人的にはなかなかの名将だとは思うがね。
- 88 :
- ただ、日本側も大勝したって訳じゃないんだよな……。戦後処理もうまくいかなかったし……
- 89 :
- 文永は引き際はうまかったと思う。
それにしても蒙古軍がもっと強力で、日本側が片っ端から死んで、どうにかやっと撃退したという流れならかえって土地問題が解決して安定したかも知れないと思うんだがなw
そりゃぁ討ち死には名誉だって恩賞の必要もあるだろうけど、そもそも増えすぎた武士の食い扶持の増やしようが無くて不安定になってた面が大きいんだろうし・・・
- 90 :
- >>66
2chで勉強になったとか本気か?
どんな板のどんなスレのどのレスでも、基本どこの馬の骨とも知れない人間が書いてる事なんだから
自分で学んだ知識のオマケ位に考えていないと痛い目見るぞ
- 91 :
- マンネルヘイムもそうだが、未だそれなりの戦力を持っていても戦略的に不利の時に名将は力を発揮すると思う。
そういう意味では忽敦も見事だな。
戦い半ば、前線で勝てる可能性があればあと少しと勝ちに賭けたくなるのは兵も将も同じだろう。
それを抑えて撤退を決断して実施させた手腕は並ではなかったと俺は思う。
- 92 :
- 『蒙古襲来絵詞』や『福田兼重申状』などから戦闘に参加した武士も文永の役は日本側の戦術的勝利って認識なんだよな。
他の少弐景資や大友頼康の書状などからも、元軍に敗退したという認識が全くないことがわかる。
結局、両陣営が勝利を主張してるんだが、元側の強行撤退や『高麗史』記載の司令官の軍議や元軍の進撃が全く進まなかった
という状況から総合的に判断すると、武士側の主張の方が事実に近い気がするんだよな。
『元史』の「官軍整わなかったから、四境の日本人を略奪して帰った」というのも、日本軍との戦闘であまり戦果がなかったから
戦果の水増し目的とも受け取れる。
- 93 :
- でもさ、そこから、日本武士最強説はいくらなんでも飛躍しすぎだろ。
- 94 :
- >>85
金方慶伝の「三郎浦」とはどこかというのがポイントだよな。
金方慶伝「一岐島に至るに、倭兵は岸上に陳ず。(朴)之亮及び方慶の婿趙卞、之を逐う。
倭、降らんことを請うも、後に来り戦う。(洪)茶丘と之亮・卞と千余級を斬し、船を三郎浦に捨て
道を分ちて、進み、す所は過当なり。…」
素直に読めば、壱岐の日本軍が反撃したから、洪茶丘・朴之亮らが船から降りて「三郎浦」に船を捨て壱岐の日本兵に
応戦したということだと思うが。もし、これが壱岐の戦いのことを言っているなら、間違いなく「倭兵大敗、伏屍如麻」
とは壱岐の戦闘のことを言っているということになる。
問題は、これが壱岐の戦闘であるなら、すぐあとの記述に例の忽敦と金方慶との軍議があることと、三浦周行氏著の『鎌倉時代史』で
「三郎浦の三郎は早良にして、同郡沿岸即ち百道原の沿海地区ならんといふ」としているところ。三浦氏によれば、「倭兵大敗、伏屍如麻」
とは、九州上陸後ということになる。
「至一岐島、倭兵陳於岸上、之亨及方慶婿趙卞遂之、倭請降、後来戦、茶丘與之亨卞、
撃千余級、捨船三郎浦、分道而進、所過當、倭兵突至中軍、長剣交左右、方慶如植不少却、
抜一?矢、励声大喝、倭辟易而走、之亨忻卞李唐公金天祿申奕等力戦、倭兵大敗、伏屍如麻、忽敦曰、
蒙人雖習戦、何以加此、諸軍與戦、及暮乃解、方慶謂忽敦茶丘曰、兵法千里懸軍、其鋒
不可當、我師雖少、已入敵境、人自為戦、即孟明焚船淮陰背水也、請復戦、忽敦曰、兵法
小敵之堅、大敵之擒、策披乏乃兵、敵日時之衆、非完計也、不若回軍、復亨中流矢、先
登船、遂引兵還、會夜大風雨、戦艦触岩多敗、?堕水死、到合浦、」
- 95 :
- >>93
少なくともこのスレじゃ誰もそんな事は言ってない。
>>94
壱岐〜福岡の戦闘を全部ひとまとめにして
「一連の戦闘を総合すればウリ達の大勝利ニダ」って事にしてるとか?w
壱岐の戦闘と福岡の戦闘を別々に詳細に記述してる部分が見つかればいいんだが。
- 96 :
- 教科書では日本軍大苦戦って書かれてるけど、
実際には苦戦したのは最初だけで、
集団戦法とかに適応してからは日本武士団は相当善戦したらしいね。
- 97 :
- 壱岐の平景隆が元軍と戦ったのが「庄ノ三郎城」。『高麗史』の「三郎浦」と関係があるのかどうかだよなぁ。
「三郎浦」が壱岐のことを言っているなら、『高麗史』は意図的に福岡の戦闘の記述をスルーしていたということにもなり、
『元史』洪茶丘の記述に「八月,授東征右副都元帥,與都元帥忽敦等領舟師二萬,渡海征日本,拔對馬、一岐、宜蠻等島」と福岡の戦闘に
触れていないことから、『元史』日本伝も福岡の戦闘をスルーして「入其国敗之」と勝利宣言した疑惑が湧いてくる。
- 98 :
- よく言われる名乗りをあげて一騎打ちはてんで出鱈目な説だけど
だからといって、武士達の戦術が集団戦だったかと言われるとそれも違うような気がする。
日本の武士達は例えるのは難しいけど、戦略レベルだと
大将の指示通りに動くけど、実際の戦場では
今で言えば曹長クラスの武将達が各自で判断して作戦行動してたんじゃないかと思う。
でもこれが非効率だというのは早計な話で、戦力を分散せざるを得ない時なんかはかなり強いんじゃないかな。
- 99 :
- ここの連中と歴史学者である戦争の日本史「蒙古襲来」の著者の新井と別の事を言ってる
お前らアニメ漫画みたいなもんでそだった脳みそには妄想が調度良いわ
僕の考えたさいきょうのさむらい(笑)の披露会ですか?
職安行け職安
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