2012年3月軍事152: 日露戦争を語る (128) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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日本の次世代戦闘機!! (149)
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日露戦争を語る


1 :
Z旗上げ!

2 :
2ゲット

3 :
戦争は何も語らないよ
体験した人が、知った人が語るだけ

4 :
日露戦争経験者はさすがにいない

5 :
おきもちいいお(´;ω;`)

6 :
このお腹の痛みが消えるなら征露丸でもヒロポンでも何でもいい
とにかく助けて…

7 :
韓国人のイメージ100年
「上流階級は不正でまひし、無駄食いしている。
出世への道を閉ざされた中産階級にはエネルギーを発散できる職場が見つからない。
下層階級は飢え死にしない程度に働く」。
英国の地理学者イザベラ・ビショップ氏が『韓国とその隣国』に書き記した朝鮮王朝時代末期・大韓帝国時代の韓国人の姿だ。
ビショップ氏は1894年から97年にかけて4回も来韓し、韓国の問題点として三つのことを指摘した。
国家システムの崩壊、官僚の腐敗、寄生虫のような両班(貴族)階級だ。
同氏は、韓国人が最も劣った民族で、その状況が改善される見込みはないと考えた。
そうした中、ロシアの自治区で韓国人の移住者に出会った。
「政府の干渉なしに村を興そうとしている彼らは美しく活気に満ちあふれ、豊かに見えた。
国を後にした男たち特有のしょげた姿はみじんも感じられなかった。
疑心と怠惰、自分よりも恵まれた人をねたむ奴隷根性は、主体性と独立心に変わっていた」。
さらに「母国の韓国人たちも、正しいことを行う政府の下で生計の保護を受けることができれば、真の市民として発展するだろう」とつづった。
日本占領軍司令官のダグラス・マッカーサーは1947年、次のように話した。
「韓国人は日本人と違って、民主主義を行う用意ができていない。韓国人には権威的で力強い統治者が必要だ」。
さらに、血生臭い韓国戦争(朝鮮戦争)を経験することで、韓国に対する世界の人々の否定的な見方はいっそう深まりを増していく。
しかし、戦争ドキュメンタリー作家のジョン・トーランド氏はピュリツァー賞を受賞した『大日本帝国の興亡』で「韓国人は嵐のように強烈な性格を秘めている」と表現した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/12/11/2011121100201.html

8 :
フィリピン獲られて悔しくて大騒ぎした坊ちゃん爺が何言ってんだよ
米軍内でもめんどくて扱いに困ってたようなアホだろ

9 :
真珠湾攻撃は日米合作の八百長戦争
http://s1.shard.jp/deer/0202/8/183_2.html
日本は、戦争から相撲・野球まで何でも八百長。
問題は、生まれた時から八百長を「正義」と教えられて大人になる多くの、
「気持ちの悪い」日本人がいることだ。
もちろん、こいつらは、天皇・徳川一族の下部組織の者たちで、
多くは、伊賀・甲賀などの多くの流派に分かれた現代版忍者部隊だ。
(仮説を含む)
( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p033.html )

10 :
アウ・・ォォォウ・・
○    ○ グッポグッポ
( ヽ  ○/l ))
)))」 ̄[ 乙

11 :
関連スレ
もし日露戦争が起こってなかったら
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1312889555/l50

12 :
28センチ榴弾砲ぱねぇ〜

13 :
安濃豊のラヂオ学門所 ”嫌なら聴くな" 戦勝国は日本だった
http://www.ustream.tv/channel/%E5%AE%89%E6%BF%83%E8%B1%8A%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%82%E3%82%AA%E5%AD%A6%E9%96%80%E6%89%80-%E5%AB%8C%E3%81%AA%E3%82%89%E8%81%B4%E3%81%8F%E3%81%AA

14 :
「三笠・長門見学」

船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。
併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。艦前に来て
再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。
お話が終ると私は始めて三笠を全望した。
見よ! 此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。
時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。艦頭の国旗は、うすらな風に
ひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。
やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。
こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。
其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

15 :
「三笠・長門見学」

私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃
此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。
士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。艦の全体に
ペンキで戦痕が記されてある。こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、
天皇の御稜威のいたす所であらう。艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。
そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。
クレーンや、色々の機械の動く音と、金槌の音が、あたりを震はせてゐる。「今造つて居る戦艦は、十一月に
進水式をするのです」と案内の人が言つた。あちらでは古い旗艦を保存してゐるのに、こちらでは新しい軍艦が
どんどん生れて来てゐる。一寸面白く思つた。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

16 :
「三笠・長門見学」

其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、
余りにその設備の新式なのに驚いた。艦上には四十糎(サンチ)の素晴らしい大砲がある。其の太い砲口から
大きな大きな砲弾が出たらどうであらうと思ひ乍ら、案内の人にともなはれて下へ行く、水兵さんの頭を
刈つて居る所、色々な室、何も彼も物珍らしく面白い。時間が無かつたので、ゆつくり見学することが出来ず
残念であつたが、記念撮影をして再びランチに帰つた。あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、
日本の海は安全なのであらう。ランチが着き菊丸まで歩いて、かうして今日の有益な見学を終つた。

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

17 :
伊地知 幸介は評価されるべき。

18 :
評価ならちゃんとされてる。
あれほど悪評ふんぷんの人物も滅多にいるもんじゃない。

19 :
乃木批判家はうそつきしかいない。
根幹的にうそしかかかない。
あれ、乃木無能なら間違いなく部隊全滅。
乃木ががんばったから無理で極端な奉天追撃戦ができた。
単に最初から自爆するのわかってて、乃木自命令だしただけだよね。で乃木がおしきって勝ったんだよ。

20 :
20

21 :
>>19
司馬史観に沈んでる老人が沢山いるからな。そして中高年は現在は「平成の開国」という言葉に酔ってる。
サイエンスの記事の中に司馬をけなしてる一文があったけど、かなり毛嫌いしてるのだと思った。

22 :
F-22

23 :
日ロ戦争で日本がロシアに勝ったことが
第ニ次大戦で日本がロシアに負けたことの最大の原因である

24 :
シベリア出兵はスルーかよ

25 :
おれもかなり長い事、乃木無能説に組していたし有能説には抵抗を覚えるけど
もしかしてもしかして、
チェルノブイリで軍30万人を投入して火消しの決断をした赤軍将軍と同じ心境だったんじゃないか
だって

26 :
自分が犯した戦略のミスを、前線まで出向いて自ら処理した
ヒトって児玉さんくらいかな。

27 :
まあ聞いてくれ
最近、フクシマで大惨事があって、いまだあーでもないこーでもないと原因が入れ替わっているが
203高地論争、旅順論争ってのはそういうもので
おれは結局、乃木は、誰かが人しとして人命を投入しなければいけない時に
甘んじて人し将軍、無能将軍の汚名を着て、「木石」となって汚れ仕事を引き受けたのではないのかと
ふっと寝しなに思って・・・乃木の生前の気持ちを思うとたまらなくなってしまった
もしかして乃木は、まさしく
>満州軍児玉の旅順要塞戦力算定ミス
(でも最新刊の歴史人とかよむと、当時、旅順要塞は開戦後も急速造成中で外郭要塞未着手、内郭のみ急造)の
で第一回総攻撃で、死傷15000人を出して、以降、外債募集、第三軍の北方への完全転用、大連補給港の安全の為に
児玉ともども旅順決戦に勝利しなければいけなくなってしまったのではないのか
そのためには旅順要塞を完全攻略しなけれなならないし
以後、大本営と海軍の稚拙な203高地早期攻略圧力をのけて・・・
そうだな、11月26日に予備兵力の白襷隊3000人を投入した時点で名将でも何でもなく
本当に人間の限界まで知力を振り絞って以降、児玉に指揮権を譲ったんだろうな
そこら辺が、おれは昨今の乃木名将論には違和感を覚える

28 :
たぶん明治帝の更迭拒否、終生の敬愛は
統帥中枢だからこそできる俯瞰で、
乃木が明治37〜8年戦役で果たした機能を
純粋に評価しての結果だろうし
そして乃木の殉死は西南戦争の連隊旗などではなく
やはり自死を禁じた明治帝の不在にともない
心おきなく自分が死を命じた爾霊山(二〇三山)の同胞への
過不足ない自分への罰だった・・・としたら浪花節か

29 :
乃木の無能はババから逃げなかったこと。
明治帝が自決を禁じたのは、任命者責任を追求されるのを嫌がったからだろ(w

30 :
>乃木の無能はババから逃げなかったこと。
ごめん。こっちはババ(JOKER?)の意味が判らない
>明治帝が自決を禁じたのは、任命者責任を追求されるのを嫌がったからだろ(w
なるほどな そういう見方もあるわな
乃木が有能・名将という説には違和感を覚えるが
第一回強襲は、満州軍総司令部の敵要塞戦力算定ミスで、死傷者15000で総攻撃中止
第二回総攻撃(塹壕・坑道延長による強襲)は、死傷4000程度で、露軍死傷5000で拮抗でややまさっている
第三回総攻撃 (塹壕・坑道延長による強襲)で・・・このあたりから第三軍司令部は死傷者の多さに
たぶんPTSDとかストレスで機能停止したんだと思う
攻撃目標203高地転換のあたりから、満州軍総司令部の派遣参謀が徐々に第三軍の指揮権に浸食し
結末として大山さんが指揮権割譲の書類をこさえて、児玉が最終、名目的に派遣されたのだろう
ちなみに第三軍と満州軍の意見の対立はそれほどなかったはず

31 :
戦術的にはミニWW1の塹壕戦だからね。
敵の一線を占領しても通信が間に合わずに敵の逆襲部隊に奪回される。
これの繰り返し。
203高地のときはロシアの逆襲の前に援軍が間に合った。

32 :
予備兵力の抽出合戦で、203高地でついにロシア軍の予備いうか戦意がつきたということかな
昨今、戦略的には黄海海戦で旅順艦隊は戦意を失い戦略的には日露戦争の帰趨が決まったいうし
早計にも203高地、引いては旅順戦の意義を否定する誤解も多いが
「同兵力のバルチック艦隊は、遠征疲れの分、日本GFに必敗し、ロシアは制海権を失う」は
かならずしも主戦場の満州への補給を、陸路シベリア鉄道に頼るロシアの敗北条件ではない。
やはり旅順要塞を陥落させ、外債募集に好影響を残し
反転、第三軍は奉天会戦にまにあい、左翼で包囲延翼運動をして
クロパトキンの後退動機にならなければ、そのあとの日本海海戦、革命運動のコンボで
講和には至らなかったろう
いろんな要素が同時進行して、奇跡的に日露戦争は短期決戦講和がなった
そのなかで・・・やはり203高地は戦争全体の中の天王山だったんだろうな

33 :
たまたまNHKで先日、(あきらかに東電の資料提供で)福島原発事故の回避の可能性を
遠からずガンで死ぬであろう現場職員のECCS系作動ミス(点検のための停止)に矮小収斂させようとする番組を見て
反吐が出た
(違うだろ、そもそも重心の高い軽水炉が津波以前の震災で配管が破れて(つまり耐震設計ミスだ)
放射能漏れを心配しての停止じゃねえか)
あの事故の後、ありとあらゆる情報操作、印象操作があふれて真相が見えにくくなったが
日露戦役後、乃木の没後の、神格化と、すでに大正時代から始まった愚将批判は
長岡外史はじめとする生存者の名誉欲とか、海軍の旅順港封鎖失敗の責任回避とか
いろんな要素が多すぎてなあ

34 :
>>30
君は第三軍司令長官を引き受けるか?
自分なら全力で辞退する。

35 :
日露戦争体験者の本なら「肉弾」桜井忠温、「此の一戦」水野広徳が
手元にあるんだが、軍上層部が本音でどう考えていたかは「日露戦争:
英国参謀本部機密文書集 全5巻」でも読まないとわかんないよな。

36 :
まじか そんな本があるのか
図書館とかで借り出せないかな
いやさ、先日の坂の上の雲第三期の神ぶりに驚嘆してさ
とくに「203高地」は、2000年代以降の軍事研究家が参加している時点で
児玉督戦という見せ場をつくるための、悪役伊地知のポジションとか怒りとか、要所要所でよく研究しているなと思ってさ
あと村上連隊の高地奪取に至る最後の突撃「決別!命の落とし所は戦場(いくさば)じゃ」以降
NHKは一線を踏み越えた よくもわるくも別時代、戦前の価値観、突撃の高揚感と歴史的評価を
うまく映像化したなと思った
超望遠で、豆粒のような日章旗が榴散弾破裂する丘陵を、延々のぼっていく様でちょっと泣いた

37 :
>>36
その後の村上連隊長のいく末を考えると嫌な気分になるのは、
俺だけ?

38 :
いや、村上のその後を知っていれば現代の多くの人は嫌な気分になるだろうよ
後の「生きて虜囚の辱めを受けず」という価値観は当時からあったにしても
「肉弾」として先頭で戦った人には敬意を払うべきとは思うわな
流石に無礼を働いたのはごく一部の将校だけとは思いたいが…

39 :
こんな話もあったそうな。
陸軍少将守永弥惣次が日露戦争の捕虜についての思い出として語っているところによると
彼が歩兵第三連隊付の大尉のころ、開戦いらいはじめての捕虜が連隊本部に送られてきた。
大隊からロシアの捕虜が見たいものは許可するから本部まで来いと言ってきた。
命令ではないので希望者だけを行かせることにして、兵を整列させ、見たいものは手を挙げろと言うと、半分の者が手を挙げた。
そこで、手を挙げない兵に、守永中隊長が「どういう理由で見たくないのか?」と尋ねると
いろいろ答えが出たが、兵の一人金子亀作という一等兵が
「気の毒でありますから」

と答えた。なぜか? と聞くと
「敵とは言えロシア軍人として懸命に戦った者が、武運つたなく捕らわれの身となりました。
それがあちらこちらに引き回され、見世物扱いにされては無念でしょう。
自分は捕虜を辱めたくありませんから見物に行きません」
その答えを聞いて、それでも見物に行こうという兵がいなくなった。
守永中隊長も「自分も同感である」と誉めたという。
日本捕虜志  長谷川伸

40 :
http://battleshipmikasa.blog.fc2.com/
日本元気劇場の三笠セット問題B
更新来たよ。 マジで酷い三笠セットw

41 :
煙突の太さと位置に命をかけるキチガイさんのサイトか

42 :
日露戦争で日本が勝利したことが、親ロシア感情を持ったロシア・東欧
出身ユダヤによるコミンテルンという組織を作ってしまったからな。
 その後明石将軍がやった手口で日本に対する工作を続ける事になる。
日本国内の不満分子を指導組織化し、多額の工作資金をつぎ込み国内を
混乱させる。共産党や社会党がクレムリンからもらっていた政治資金の
一部はソ連崩壊の後に判明したが、戦前のソ連大使館、上海、モスクワ
経由の資金についての全体像は不明。

43 :
>>39
WW.2で、んな事言おうもんなら
この非国民めッ!とボコボコに殴られるか即、銃www

44 :
>>43
日露戦争は国家の名誉のための戦いでもあったからね。
WW2には名誉はないから。

45 :
二〇三高地で督戦隊があったときいたけど
誰か詳細知りませんか?
いや、まじあれ
仏映画スターリングラードでおなじみのあれ
おい、あそこに喝をいれてやれ

46 :
>>45
ギニューの連中があの戦場に居たのか知らなかったゾ
チェンジ!

47 :
最近何冊か旅順モノ読んで、機密日露戦史の分析で、
どこかでたった1行 「●●17大隊についてその機能は研究の余地あり」は督戦隊と思われると
誰かが言っていたんだ

48 :
督戦隊とは異なるかもしれないが、
よく引用される志岐守治少佐(後の中将)は、
攻撃の際に各部隊に補助憲兵が配置された事に不満を述べている。

49 :
日露戦争でまぁちょっと有利に講和

時は流れてWW1では英仏露に日本も加担して連合国 ← ここが大日本帝国の天井

アメリカの横槍で日英同盟破棄 ← 終わりの始まり

50 :
PHP文庫の別宮本「旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった 」探しに
きょう書店行ったけど見つからないorz
大庭二郎日記とかも見つかったらしいし、読みたいなぁ

51 :
なんだよ 乃木有能説いうけど
203高地への攻撃変換は、すでに第三回総攻撃前に
東北正面攻撃失敗時の予備案として、すでに満州軍大山巌元帥の命令があったんだね
これじゃあ「最初から203高地だけ落としていればよかった」いう
海軍〜長岡・井口〜大本営〜司馬遼太郎の説が正しかったことになる

52 :
203高地占領作戦って海軍の要請に応える為だけの作戦だろ
陸軍の面子だけでされた兵隊はタマラン

53 :
一応、11月26日の第三回総攻撃まで要塞東北正面2保塁を抜いて
最高地点の望台を落し、もっと旅順要塞を制するというのは
満州軍児玉の意志だしね
児玉督戦の正体は、児玉の主導で第三軍が東北攻撃を重ねていたら
とうとう12月になってしまった。
ここでせめて203高地を落して旅順港の観測射撃をしなければ責任問題になる
「私が行って乃木を指揮してきます」
「行けよ児玉さん、行って落さなければ、乃木に東北正面攻撃を継続させた、おはんの責任だぜ、はっきりいって死んでもらわなければならない」という
大山巌の冷たい視線による

54 :
児玉が来る前に乃木は203高地を主攻にしてますがな

55 :
 
黄海海戦と黄海海戦を記念する誕生日
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0204/44/292_2.html
黄海海戦には、日清戦争の黄海海戦(1894年)と日露戦争の黄海海戦(1904年)の二つがある。
だが、この両方の日付が西暦・旧暦でクロスするめでたい年が約20年に一度来る。
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p006.html )

56 :
手元に旧刊の類しかないので断言できないが・・・
旧参謀本部編さん「日本の戦史/日露戦争」(徳間文庫)によれば
明治37年11月 東郷GF長官→伊東海軍軍令部長→山県陸軍参総長質問
「12月までに旅順が落ちなければ、艦隊整備休養修理の為、港湾封鎖を一時解く(バルチック艦隊向けにGFを引き上げる)」
これに対して山県⇔大山巌満州軍司令官
「12月初めまで旅順要塞攻略(望台攻略)ができなければ、港湾を見下ろせる高地(203高地)をとり、市街軍需施設+旅順艦隊を砲撃するつもりだ」
と回答したとの一文がある
かりに11月26日に第三回総攻撃が失敗し、総予備の第7師団さえ全消耗する直前なら、
いちおう満州軍の総意として、乃木も、戦術ではなく国家の戦略として
「203高地攻略」を<えらばざるをえなかった>と思うな

57 :
もっとも、よりジャーナリスティックで、
昨今の旅順戦再評価(黄海海戦時点で旅順艦隊は機能を失い、第三軍もそれを把握している)、
あるいは日本海海戦再評価(バルチック艦隊の接敵直前位置の誤報により、東郷はやむをえず敵前回頭を行うしかなかった)についての材料も
すでに記載している児島穣『日露戦争』なんかよむと・・・。
11月初旬 GFの「対バルチック艦隊戦に備えて旅順港湾封鎖作戦を解きたい」→
海軍軍令部「203高地をとれば旅順艦隊を俯瞰射撃できる」→
参謀本部次長長岡外史「旅順を陥落させるのがベストだが、できないなら203高地とって敵艦隊を処分するが次善だ」→
                      →(論点衝突)←
←満州軍「旅順を落とせばおのずと旅順艦隊は全滅する」
←(多少の温度差あり)第三軍「要塞外の203高地は、要塞攻略とは無縁」で
<203高地をおとす>という満州軍≒第三軍回答は、ついになかった・・・

58 :
その他、第三軍は清国密偵を使用して
旅順港内の敵艦位置の「素人目測による通報」をうけ
予測半径内への「28センチ砲推測射撃」を10月にも実施し
被弾見込みもうけている
だから203高地主攻撃でなく旅順完全攻略に固執したんだろうけど
でも結局、11月27日に東北正面を抜けず
日本国最後の予備総兵力第7師団いよいよ投入しようとしている時
203高地主攻変更を命じた瞬間、
「現場のプロ」としてどんな見込みがあったというのか
とれば維持ができるものなのか
敵の逆襲、隣接敵保塁からの防御射撃、回復攻撃の有無は?
11月29日なると敵歩兵の回復攻撃がはじまり
予備兵力の消耗合戦になり、自然「決戦になる」と第三軍司令部(津野田)も
見込みを立てられたけど
11月26日の乃木の203高地攻撃主軸転換の重さというのはどんなものなのだろう
検討モトム ヲワリ

59 :
二百三高地争奪戦って
旅順要塞攻略じゃなくて、あくまで要塞の外で決戦したって事だよね?

60 :
203高地の奪取成功にはそれまでの正面攻撃での戦果があってこそってのが完全に無視されてるよね
最初から203高地攻撃してればロシアも予備兵力潤沢なんだから泥沼でしょ

61 :
攻撃目標を203高地に変えずに望台のままならどうなったのかな。
1月1日までに開城させられたかどうか。
実際望台を攻略出来て開城の決め手になったのだから、正攻法を続ければ攻略できたのか。
或いは203高地で消耗戦に持ち込めなかった分、予備兵力があるロシアに更に苦戦して1月1日以降になるか。

62 :
               兵力        死傷者数
第一次総攻撃 日  50765        15860
          露  33700         1500
第二次総攻撃 日  44100         3830
          露  32500         4532
第三次総攻撃 日  64000        16936
          露  31700        17000
第三次総攻撃で、ロシア軍の死傷者数が17000に飛躍したのは
やはり27日から要塞外の二〇三高地に「予備兵力を派遣」して
決戦したからでしょうね
これが望台占拠の為の前哨砲台争奪戦だけで、ロシア軍の被害は増えたかどうか?
ブルアリモン式要塞として、一旦、陣地を後退させ、側面からの回復攻撃
(要塞からの一方的な射撃)で、肉弾の日本軍を撃退させるだけでしょう。
旅順要塞内の露軍は、攻囲下ゆえ人的資源の再補給を受けられないのに比べ
日本軍は内地からの増援を受けられる
31700人から17000人も死傷者を出したら、これは降伏するしかないんだろうな
もっとも旅順要塞内の野戦病院のロシア兵の仮病率(=厭戦率)も相当なものらしいけど

63 :
まあ9000人が壊血病にやられてるわけだが。
で、開城の後入った日本人が一言
「もやし食ってればよかったのに…」

64 :
豆は食うけど、芽が出たらロシア人は食わないんだっけ

65 :
日本軍は脚気で相当死んだんだろ?

66 :
ロシア側にとってそこまで203高地にこだわる必要はあったのかね
後知恵で見たら、要塞外でいたずらに予備兵力減らしてるように思える

67 :
>>65
まあ、あっちは兵士の補充が出来ないわけで

68 :
陸軍の面子が203高地だろ

69 :
一応、第二回総攻撃の頃から
二〇三高地は「旅順港=旅順艦隊を見下ろせる西北側の瞰制地」で
これをとられると、旅順艦隊を観測射撃され、要塞の存在意義を失うと
反ステッセルの、スミルノフ要塞司令官=コンドラチェンコ陸正面防衛司令官で認識されている
だから11月27日から12月5日にかけて日露両軍の第消耗戦がおきたけど
・・・でも要塞の更に1ヵ月後の先の降伏は、食料とか弾薬は一応あるし
壊血病といっても兵隊もけっこういるから
やっぱ旅順艦隊全滅や主戦派コンドラチェンコ中将戦死による士気の低下と・・・
2月まで頑張って全滅するより正月明に降伏して、無事に帰国したいって突き上げで
ステッセルも1月1日降伏したんだろな

70 :
>>67
旅順戦だけ考えればその通りなんだが、日露戦全体で考えると
日本の方も補充は効かなかったわけで。そう考えると、日本軍に
大被害を与えた旅順守備隊はいい仕事をしたとも言える。

71 :
>>70
>そう考えると、日本軍に
>大被害を与えた旅順守備隊はいい仕事をしたとも言える。
軍港が落ちちゃ、バルチック艦隊もマジで困るわけだが。
わざわざ大公開した後、ウラジオストックを拠点に活動?
無事にウザイ艦隊かわせたとして。

72 :
>>71
旅順が維持できなきゃバルチック艦隊の有効な活動はほぼ不可能だったわな
往路で連合艦隊にボコられても、乾ドックのある修理施設すらなかったんだし
旅順に逃げ込んでも、ユトランド海戦後のドイツ艦隊と同じ状況だったろうさ
半壊状態の浮かぶ鉄塊が狭い軍港に雪隠詰、と
旅順陥落でバルチック艦隊の回航取りやめって意見少なからず出たみたいだが、まあ当然だよな

73 :
ロジェントウェスキーはウラジオに逃げ込む予定だったんでしょ

74 :
>>73
そうなの?
何時の話?

75 :
カムラン湾を出た時点で
決戦意図に欠けて

76 :
>>73
ああ、72は旅順とウラジオ書き間違えたw
? 旅順に逃げ込んでも
○ ウラジオに逃げ込んでも

77 :
いいさ、おれだって
×ロジェントウェスキー
○ロジェストウェンスキーと書いている

78 :
菊田愼典「東郷平八郎 失われた五分間の真実」(光人社)読了
内容は・・・黄海海戦で2時8分
島村参謀長と秋山参謀との間で南東に舵を切るか、北東に舵を切るかで
3分ほど意見が分かれて、東郷は島村案に賛同
しかし、その3分がたたり結局、日没まで3時間以上、敵を砲撃距離に収めるまで苦労したという
山本英輔の見分記事(水交社)を引用し
東郷は秋山を嫌った
だから日本海海戦では敵前大回頭以降
「司令長官と参謀長以外は、みな艦橋からおりろ」(史実)と
秋山を除けた・・・と信じると作者は言う
さらに上村艦隊(第2戦隊)の独断専行を
第一戦隊の射撃を妨害した5分間だと切り捨てる
筆者は防衛研究所戦史部OBというけど・・・・うーん、そんなものかね
無闇に通説への反論をこじつけているようにしか読めなかった

79 :
>>78
みなおりろ、だったら誰かを嫌ったのか、それが誰だったのか断定できねえじゃねえかなあw
追っかける進路とか、博打みたいなもんだし
論理の飛躍と牽強付会がひどすぎるわ
まあ秋山は行儀の悪い札付きの秀才みたいなとこあるから、東郷が好む要素もないけどな
間に島村くんがいてくれてよかったところはあるんでね

80 :
日本の歴史の真の国賊、本居宣長ねえ
魏に知られてしまっている邪馬台国の王統や血統と皇室との
関連を庶民にまで疑問視される事態を怖れて、「やまと」とから
「やまたい」と読むように仕向け、おまけに当時の中国に
朝貢していた事実までも認めたくないという、学者とは掛離れた
下衆の我の強さ故に、邪馬台を神夏磯姫の国に無理やり比定する
低脳国賊ぶり。
こうい奴らの過ぎた真似が、その後日本玉砕への直接間接の原因に
なってるんだからな。
そろそろ、A級ばかりじゃなくて、このあたりを総括しろよ。

81 :
日露戦争も100年を過ぎてしまうと
さすがに語る奴も少なくなったのが寂しいね

82 :
三国干渉されても、中国みたいにトチ狂ったかのように列強に戦争吹っかけまくるのではなく
10年間耐えに耐えて忍びに忍んで大国ロシアに勝ったってのが大東亜戦争よりもずっと格好いいところなんだけどな

83 :
太平洋戦争(第二次世界大戦)は大規模過ぎるんだが、日露戦争はコンパクトだからわかりやすい
そろそろ自分の専門分野にしようと日露戦争を勉強しようかなあと思ったり

84 :
>>80
三国人は日本から出ていけ

85 :
>>81
「坂の上の雲」の映像化で、もっと盛り上がっていいはずなんだが。

86 :
だよね
司馬の行過ぎたプロパガンダをそっと静かに訂正して映像化した
奥ゆかしさがよかった

87 :
あと、司馬がおそらく意図的にスルーしたであろう
日清戦争の旅順虐をにおわせる描写を入れたり。

88 :
あれか・・・「日本の兵隊さん有難う」だっけ?
大江志乃夫の研究あたり、紛れ込んでいるのかなと思った
旅順戦は別宮暖朗とか兵藤二十八とか絶対ベースに入っているはずだけど
タイトルクレジットには出なかったのかな

89 :
>>78
極端な新説出さないと本が売れないからね
史実だけならもう腐るほど本が出てるわけで
露天艦橋から退けたのはもし自分が戦死した時のためだろうどう考えても
第二戦隊がいなきゃどうなってたんだか
敵前大回頭前の航跡図見てもわかるけど第一戦隊は結果オーライとは言え褒められた機動してないだろw
映画とかドラマになるとなぜか敵前大回頭前の機動が触れられずにガン無視になるけどさ

90 :
例の連携機雷・・・つまり黄海海戦でT字戦法が有効に機能しないと判った時に・・・敵艦隊の進路にばら撒き
陣形を乱して肉薄水雷を挑むか、進路を限定し決戦を強制するかのあれ。
「天気晴朗ナレドモ波高シ」で実は、当日荒天で水雷出撃困難、
実施不可を暗に大本営に通知したんじゃないかというアレ。
秋山が考えた苦肉の策というソースだけど、
『明治37・8年機密日露海戦史』なんだね
全150巻×3セットのみ印刷して 海大、軍令部、皇室に配布。
昭和20年8月敗戦時に、前2セットは焼却したけど、皇室だけは保管
昭和天皇が昭和40年代に、防衛研究所に下賜されたので公になった
酸素機雷出現以前、昭和初期までの海軍の決戦時の「秘密兵器」として
その存在を消されて、その代わりといっては何だが
「日本海海戦のプロパガンディスト」「東郷の腰巾着」小笠原長生が
「日本海海戦は肉を切らせて骨を断つ!必の東郷ターンことT字戦法で勝った」と大衆に宣伝しまくった
でも『公刊 明治37・8年日露海戦史』(全4巻)にも『機密海戦史』にも「T字戦法が日本海海戦で使われた」とは
1行も書いてないんだよね

91 :
>映画とかドラマになるとなぜか敵前大回頭「前」の機動が触れられずにガン無視になるけどさ
そうなんだよな
本当はバルチック艦隊の進路左右いずれか(ウラジオ入り妨害が主なら大陸側だから左)を
日本艦隊はそもそも占位しなければならない
ここから取り舵(左回頭)して、敵の頭を抑える。
回頭時には艦が遠心側に傾斜して砲が使えない(俯角上限でも海面を撃ってしまう)から
できれば敵の砲撃距離から遠いところで済ませたい
ところが通報艦の誤報で敵位置を東西1万m間違え、会敵時、正面に見てしまう
だから東郷は間合いを取るため、まず・・・
13:40 面舵・右回頭して西に行き、
14:02 取り舵左回頭(A)バルチック艦隊と並行=反航針路をとる
・・・ついで安保砲術長「どっち側で戦をなさるのですか!?」の大声で
14:05 さらに取り舵左回頭(B)いわゆる東郷ターンを開始する・・・

92 :
もちろん基本戦策はT字戦法、あるいはイの字で
なぜかというと敵艦縦列の前方砲のみに
味方側面砲の全力を集中して、
火力比で圧倒できる陣形だから
でも風力のトラファルガル海戦と違い、蒸気時代、敵艦隊は縦横に進路を変えられるから
いずれにせよ並航戦には、最終なる
なるが東郷はやはり、敵砲撃距離内で、うまく敵艦の頭を抑えられる回頭時期を
14:02から14:05 じりじりと待ったんだろうな
よく「実質、あれは同航戦、並航戦」「いやα運動だ」というが
緒戦のT字の基本戦策(教導艦スワロフへの初弾集中)は動かないと思うんだ
そこから延々、同航戦にならざるを得なかったろうけど佐

93 :
>>90
第三艦隊のお陰でロシア艦隊の隊列乱れたんだっけ?

94 :
>>92
T字戦法から同航戦への移行は難しいぞ。バルチック艦隊が逃げる気なら、
日本艦隊とは逆方向に針路を変えるだろうから、同航戦にはなりにくい。
だからこそ敵前回頭で、相手に逃げる間を与えずに同航戦に持ち込んだんだよ。
日本の方が速度が速いので、同航戦でも結局「イ字」になって有利に戦える。
T字戦法は陣形を維持できる時間が短い。そしてこの時代は、大砲より装甲の方が強い。
よって敵戦艦を沈めるためには長時間の砲戦が必要で、T字戦法は適しない。
というのが黄海海戦の戦訓なのでは。

95 :
>日本艦隊とは逆方向に針路を変えるだろうから、同航戦にはなりにくい。
しばらく考えたが、黄海海戦の図譜をみて納得した
一応、開戦から3回、連合艦隊戦策は改定されて、最終4月12日(日本海海戦が5月27日?)
いずれもT字戦法の記載はあるけど
そういわれると東郷が「実質目指したものは同航戦」という物言いがやっと納得できた

96 :
本当かね?

97 :
丁字戦法をT字戦法と書くニワカに言われても

98 :
どっちでも変わりやしない。

99 :
どっちも普通に使われてないか?

100 :
あのさ・・・なんか揉めるの好きじゃないんで頭のいい人はいい人同士でやって欲しいんだけど
安保砲術長「どっち側で戦をなさるのですか!?」って
以前から、史実の台詞なのか疑問を持っていた
結論から言うならもちろん実在の台詞らしいけど
砲撃時間を長くしないと打撃を与えられないなら
反航戦(左砲撃戦)は明らかに取り逃がすから
同航戦(右砲撃戦)しかない
じゃあ右舷で合戦やるのは自明だから、なんでそんな台詞が出るんだろう
ようは有速を生かして敵の頭をおさえつの同航戦が決着点なら
東郷ターンとは02:05「左17点敵前回頭」じゃなく
01:40から始まる長大な「α運動」全体を指すことになるのか
するとT字(丁の字でもええや)の結成が、必技=東郷ターンとなったという
小笠原長生のプロパガンダは難だったんだろう

101 :
T字戦法を完全に実行したのはレイテのオンデンドルフ
東郷のやったのは同航戦

102 :
安保が分かりきったことをわざわざ確認するか?と言う話?
安保の質問の意味が「転舵をいいかげん決めてくれ」と言うことだった場合、
それは驚くにはあたらないのではないかな

103 :
ま、みなさん1977年に公開された日露秘密海戦史をもとに
幾多の研究者の論文を読んでおられるから
回頭ではなく「転舵」という時点で
読者として結論はお分かりでしょう
ただnHKの例のドラマは、なかなか陸戦もそうだけど
例の津軽への移動命令、石原軍団の中でも島村参謀長の突出振りから
秋山神話にも結構切り込んでいるなと、今になって感心したわ

104 :
>>103
あのドラマって秋山兄は別として弟は大して優秀に見えなかったねw

105 :
秋山は黒島亀人タイプで理論先行
脚本書いている連中も苦慮したろうな
旅順戦は、第三軍および乃木伊知地の再評価だが
日本海海戦については・・・「日本を救った兄弟のより救った弟の方」については
島村参謀長役の館ひろしの巴投げとか、東郷の冷たい視線とか
・・・「最新の史実」を判っているけど直接には描かないのがいいよね

106 :
日露戦争ってもうちょい早く始めれなかったのかねって
端的に言えば旅順要塞が完成される前に

107 :
旅順要塞は未完成言うか造成中でしょ
分派堡塁式要塞いうの?
司馬の書き方だと城壁都市みたいにイメージするけど
実際は縦深防御で堡塁間を抜いても、突出部として後方から切りはなされ
堡塁からの側面射撃で全滅する
だからべトンの堡塁を、いやでもひとつひとつ潰していくしかなかった

108 :
第3軍が乃木じゃなくて黒木ならどうなってただろうね

109 :
大差ないだろ
時間に追われた条件で力攻強いられるわけだし
緒戦の被害がどの程度か、ぐらいじゃね?

110 :
>>106
それを言うならむしろシベリア鉄道だろ
まあ日露戦争は龍岩浦事件でのロシア側の協定破りが端緒だから、時期は動かんよ
まともな理由なく日本側から戦争仕掛けたら、せっかく味方についたイギリスに見放される
戦機を伺ってのある程度の調整はできるけどね

111 :
第一次総攻撃前に大弧山からの観測で、旅順艦隊に重大な損害を与える砲撃をしてるんだよね。
旅順要塞の当初の計画では、大弧山も含めた大規模なものになる予定だったらしいけど、予算と期間の関係でできなかったとか。
艦隊を防御できなかった段階で、要塞としては片手落ちの感じはする。

112 :
8月7日が最後でなく、その後も第三軍は前進のたびにできる限り観測点を設置して
港内を砲撃している
死角部分は地図上で格子に区切って全砲撃もしているし
10月にはほぼ9割がた被弾機能停止と中国人密偵その他で情報も得ている
実際9月にロシア艦隊も水兵を上げて陸戦隊に組み込んでいるしね
でも確かに港内東北側が死角となり、そこに生き残りの1割、稼動戦艦もあったのも事実
仕方ないから北西の「旅順港湾1望の」203高地を獲れいうのも、まあ

113 :
南山まで死者4200を許容して(でもこのころから海軍砲艦の支援射撃でようやくおとせた。ようは火力不足)
すすめたけど、もうそこが分岐点だったんだろうな
人死許容、歩兵強襲で敵陣を攻めて、ついに旅順で第一回総攻撃(M37.8/19)で
死傷者15000で失敗してしまった。死者5000余
以降、官僚として長岡ー井口ライン(井口は伊地知と犬猿の仲)が
「命令出したのは俺たちだが、乃木が無能だから死傷者が増えた」
「おれらは西北主攻を主張していた」と戦後まで手を変え品を変え
宣伝しまくったから、なあ
谷寿夫の日露秘密陸戦史だって、陸大講義用だけど、ずいぶん派閥におもねって
偏向しているぜ

114 :
日露戦争時のハバロフスクやウラジオストクってどうなってたか知らない?
旅順以上の要塞になってたのか?

115 :
>>112
海軍重砲隊の黒井中佐が区画に仕切って順々に砲撃して、たまたま貯水タンクの近くに当たって
もしこれがやられたら水なしで降参となるので、ステッセルが「知ってて砲撃したのか?」と
大慌てした、って話を歴史群像で読んだ記憶がある。

116 :
>>103
敵艦隊の捕捉が出来ず、転進を検討するシーンじたいは司馬の原作にも出て来るよ。
伊東實の研究が明らかにしたのは、実際に連合艦隊が1回は津軽海峡方面への転進を決めていたということ。
ただ移動の日時を遅らせた結果、発見の報が入ったに過ぎないということでしょ
東郷の「それは対馬海峡よ」と言うセリフはあり得なかったんだよ

117 :
×伊東實 ○野村實

118 :
実際に津軽方面に移動してたらビアクの陽動に引っかかって
マリアナで壊滅した連合艦隊と一緒だったろうね

119 :
絶対本命がある一方で、相手が奇策にでる可能も完全には拭い切れない。
こういうときは集結位置を壱岐にしてどっちの選択にも対処
できる体制にしとくのが良かったんじゃないかなと思う。

120 :
>>115
その貯水タンクを破壊していたら飲料水なしで旅順は降伏。
陸軍も多大な死傷者出さずに済んで、海軍重砲隊は殊勲甲だったね。
たられば話しを言っても仕方ないけど。

121 :
児島譲(こざとへん)の「日露戦争」(文春文庫全8巻)は、
連携水雷への言及とか<機密戦史>公開後の著作で悪くないんだけど
28センチ砲による10月の港湾射撃、これは気球による観測射撃なんだってね
気球使用のソースを知りたいわ

122 :
●国会で地震津波兵器を暴露!
http://www.youtube.com/watch?v=dyJfcqLCe6c
●311地震が起きた3月11日。内閣は極めて重要な法案を閣議決定していた。
 http://ccplus.exblog.jp/14954240
●実際の人工地震動画(W71によるカニキン実験)
http://www.youtube.com/watch?v=qp6aZIhHiRE
●2008年時点で海洋の深さ10kmで水爆を正確に爆発させる技術が存在した
http://mblog.excite.co.jp/user/satehate/entry/detail/?id=16815924&_s=88943a1e17833430d3e9e05b00226869
●NZ地震一ヶ月前出版、中丸薫氏著書に対談相手が「NZと日本で特別な地震が起きる」の発言
http://benjaminfulford.typepad.com/.m/benjaminfulford/2011/06/%E4%B8%AD%E4%B8%B8%E8%96%AB%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%AB%87%E6%9C%AC%E3%82%88%E3%82%8A%E5%BC%95%E7%94%A8.html
・明治維新の真相「ロスチャイルド→ジャーディン・マセソン(中国インド撃破)→グラバー→坂本龍馬→薩長(実働)」
http://nanohana.me/?p=12642
●何故、日本広告界のトップが在日朝鮮人なのか?ようく考えてみよう。戦後在日に武器を供給したのは誰だ??
●偽ユダヤ→米国→CIA→創価学会→公明党→日本国民(奴隷)
           →統一協会→自民党 →日本国民 (奴隷)  
●『目覚める検索シリーズ』「911 CG」「人口削減」「経世会狙い撃ち」「311人工地震」「間接支配」
 「アーロンルッソ」「日銀株主」「電通 成田豊」「MKウルトラ」「正力松太郎」「コシミズ 中国」
 「東電OL人事件真相」「天皇の金塊」「根路銘国昭 」「衛星サーベイランス」「FEMA強制収容所」
 「携帯電話移動履歴監視」「対日超党派報告書」「カルト指定」「オウム 真相」「2ch 統一教会」
 「東日本ハウス 竹中」「ワクチン利権」「サイコトロニクス」「RFIDチップ移植」 「ユダヤ国際金融資本」
 「ベクテル」「恫喝人」「マグナBSP」「黒い手帖」「地下経済」「123便墜落の真相」「橋下 米国」
 「エイドリアンギブズ」「非傷兵器」「ケムトレイル」「国際勝共連合」「統一産経」「共同通信 CIA」

123 :
早朝4時に妄想こじらせると厄介だな
お大事に

124 :
九州小倉第十二師団は、気前が足りん。第一軍で逃げるロシア兵を
追う鬼ごっこならイケイケの九州人じゃが戦闘が膠着すると、敵の後が
無あし、九州人得意のハッタリ虚勢の勢いが止まるけんのう。
まあ、九州兵団は負けっぷりも見事で、熊本第六師団が第二次長沙作戦で
中国軍に敗北し遁走したよう踏ん張ることが出来ん。朝鮮の文禄役の
加藤・小西の肥後熊本勢も李如松の遼東軍に敗北し遁走した歴史は、
繰り返された云うことじゃのう。
 一方広島師団は、日清の平壌でも、日露の奉天、日華事変の忻州でも
敵軍の反攻に踏ん張り通したんとの違いよのう。正面のガR戦闘に
強い広島師団ゆえの激闘よのう。攻撃でも>>418のよう九州の熊本第六師団
と違い、広島第五師団は突破口を築いて攻略する器用さも含め、
九州人の奥司令官の誉める通り。

125 :
キチガイヒバゴン、コテ外したのか?

126 :
日露戦争勃発で動いた特務機関員がいた。
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/41/275.html
その特務機関員は、レーニンに多額の工作資金を渡していた。

127 :
>>126
今さらの常識だな

128 :

『日露戦争、資金調達の戦い ―高橋是清と欧米バンカーたち―』
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/603699/
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