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2012年4月心と宗教20: 座禅と見性八十五章 (217)
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座禅と見性八十五章
1 :12/04/12 〜 最終レス :12/05/03 このスレの1章は、南予さんが建てたスレッドである。 遠くの山は、青く見え、旅に誘う。 あの青い山の向こうに、何があるのか。 白い雲は、山にかかると、さっと分かれて、又、元に戻り、何事も無かった如く流れていく。 水も又、川面に顔を出している大石にあたると、さっと分かれてまた、もとの流れとなる。 行く雲、流れる水に、修行僧がたとえられるゆえんである。 旅とは 、そして必ずの別れである。 宇宙の始まりからの一期一会である。 縁があって、対話してきた各章のつらなり。 来るものは拒まず、去るものは追わず、である。 1000章が、次のステップである。 行住坐臥がそのまま、真理、ダルマ、法であるわれら。 あらゆる場所に禅宗の旗を立てるのであった。 曹洞宗の宗祖とも言われる洞山和尚は、 仏とはなにか? と聞かれてこう言ったという。 ここに麻が三斤あるよ ・・
2 : 【白隠和尚の隻手の声】 「蓋し隻手の声とは如何なる事ぞとならば、 即今両手打合せて打つ時は丁丁として声あり。 唯隻手を挙ぐる時は、音もなく、香もなし。 是れ彼の孔夫子の所謂烝天の事といはんか、 将又彼の山姥が云ひけん丁丁空しき谷の響は、 無生音をきく便りと成るとは、此等の大事にや。 是れ全く耳を以てきくべきにあらず。 思慮分別を交へず、見聞覚知を離れて、 単々に行住座臥の上に於て、 透間もなく参究しもて行き侍れば、 理尽き詞究まる処に於て、 忽然として生死の業根を抜翻し、 無明の窟宅を劈破し、鳳、金網を離れ、 鶴、籠を抛つ底の安堵を得。 此時に当りて、何時しか心意識情の根盤を撃砕し、 流転常没の幻境を撥転し、三身四智の宝聚を運出し、 六通三明の神境を超過す。云々。」 (詠みびと知らず) みぎひだり 相対するもの やかましや 分けぬ音をば 一如と言うなり
3 : 前すれ忘れてた、、、 坐禅と見性8484章 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1327425773/
4 : >>1 (ノ゜▽゜)ノ ⌒~【☆:*:・おつかれさま でーす・:*:・゜★.。・:*:♪・゜☆ パチパチ・:*゜☆】
5 : >>1 御苦労でござる。 >>2 すばらしきこと。
6 : 坐禅と見性スレ・スレ主 ポッたん・アハサン侯爵閣下に呈す ポッたん閣下 、 各人が禅学の育成に分に応じて見性することは、取りも治さず閣下ご自身の関心に力を致す ことにも相成ります。蓋しこのことは、スレ主としての閣下の高貴な地位によってのみならず、 公案の愛好者にしてしかも同時に明哲な禅師であられるという遙かに親しい関係によって、諸 法と緊密に結びついているからでございます。それ故、私もまた幾分なりとも私の力にかなう 唯一の方法を用いて、閣下が私をかかる目的のためにひとかどの寄与を致し得る者と思召して 私にお寄せ下さいました辱けないご信頼に対し、感謝の衷情を披瀝する次第でございます。 閣下が当スレの維持に賜わったご眷顧に報いるために、私は今後のスレをも閣下に捧呈する と同時に、坐禅に携わる者としての私の本分に関する自余一切の事共をも閣下の神通力に委ね たく存じます。甚深なる敬意をもって 心と宗教板 坐禅と見性スレッド 2012年4月13日 閣下の従順なる アンドリュー・アンダーソン
7 : >>1 、おつ〜
8 : ここはタイトルとは真逆の擬似似非の野狐禅を展開している糞スレである。 ポッタン(別名あは)と称する者が師家気取りを演じている。(本人曰、糞スレだから銀蝿が湧いてしょうがないと) 自己愛性人格障害のこの者は坐禅修行もろくにせず、名誉欲や偽善心、虚栄心など我執煩悩が旺盛である。 三昧と執着の違いも分らず、三昧であれば何でも禅と言い放って、もっぱら日々、競馬三昧、2ch三昧にのめり込んでいる。競馬や低俗なコピペを方々に貼付けては顰蹙を買うほどの俗物である。 本人は無師独悟とか称して、隻手の音を聞いた、その後次々と公案を透ったと大見栄を切っている。 しかし所詮、自分免許の浅はかさ。書込みからは証悟の片鱗すら伺い知ることはできない。 一例が「私は払子を立てた。これが私の禅です」と坊主の真似事が禅だと、恥とも知らず失笑を買っている。 そんな者がどこからか禅語をコピーしては、矛盾に満ちた皮相的で幼稚な取るに足らない曲解を書き込んでいる。 突っ込まれて答えられない質問には、恥隠しのはぐらかしや長文コピペで誤魔化すこと枚挙に暇がない。 またときに、尊大な我執による妄想妄念から、あられもない説法をしでかす。 「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」と幼児童話レベルの妄想が禅の悟りであると吹聴している。 しかも30年近くもこの有様というから愚かの極みで、恐らくボタンを掛け間違ったまま生涯を終るものと想像できる。 野狐禅に陥ったら、五百生間狐となって迷妄の深淵から抜け出せないというよい例である。 この様に我執に塗れた者が無我を語り、見性せぬ者が空を語るなど、入門者でも胡散臭さを感じて俄に信じる者はいないとは思う。 しかし中には、類は類を呼ぶ、同病相哀れむという諺通り、ポッタンを師とする者が現れた。 素人Aというポッタン酷似の者で、なにやら激しい妄想妄念を、誤字誤変換だらけで書き込んでいる。 最近は師への切替えが混乱し、妄想妄念も激しくなって分裂症も進んでいる様子である。 祖師禅とかけ離れたこの野狐禅スレに、間違って来られる入門者があるやもしれない。 しかし、よもやこの師弟に惑わされることはないと思われる。 万が一のため、ポッタンのように野狐禅に陥って人生を無駄にせぬよう警告の意味で記しておく。
9 : ぽったんの見性渇望物語である。 まだ、ぽったんが”あは”と名乗っていた時代のことである。 酒場に働く女から金色の炎が立ち上がってるのを見て、見性したというのがことの始まりであった。 勿論、見性とはまったく無縁のことは云うまでもなく、当然のことながら呆れた幼稚さに批判非難紛々であった。 それでもぽったんはそれが見性だという持論で仕切りに反駁したが、誰一人、頷くものがなく、渋々引っ込めざるを得なかった。 暫らくこの自説を封印して大人しくしていたのだが、持って生まれた猛烈な虚栄心はそれで収まる訳はなかった。 次には新たに、「お花さんが微笑んで、おはようとご挨拶」と童話風物語を語り始め、これが見性ですと新説を打立てた。 それが素性の知れぬマンゴー先生とかいう者に見性してると”認定”され、今日までそれがぽったんの唯一の拠り所になってるのは衆知のことである。 しかしそれだけではまだ虚栄心を満足させることができなかった。 その後、「隻手の音声」という公案について、頭の中で組上げた理屈でもって、音を聞いたと吹聴し始めた。 だが、そうはいったものの、ある人物から「本当は聞こえない」と指摘されたことから、組立てた理論が敢なく崩れ落ちてしまった。 すっかり自信を失なってしまったぽったんは、ここでも見性の自説を下さざるを得なかったのである。 その後は、音が聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえずそれが空即是色であると実に珍妙な見解に変えている。 その度に、都合良く解釈を変えるもので虚言癖もなかなかのものである。 またつい最近では、方々のスレで「無とは何か」などと、公案がパズルであるかの如く回答を募って師匠然を気取っていた。 しかしこれもまた、ある人物からトラック一杯の答えを集めても正解などはないと指摘され、あえなく撤退してしまう嵌めになった。 このようにどれもこれも、もともと見性などしておらず、ただ嘘でもいいから異常体験をしたとの虚栄心と師匠を気取っていたいがためであるのは明らかである。 真に見性してものであれは実体験からくる確固たるものを掴んでいるので、誰が何を言おうと一切右往左往することはないものであるが、この体たらくである。 次は何を言い出すのか実に見ものであるが、このようにポッタンの見性への思いは渇望というより飢餓に近いと言える。
10 : 以前にポッタンの隻手の音声のいい加減さを指摘したが、その後のポッタンの隻手の音声である。 最近では「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」に変更したようである。 かって「聞いた」から「聞こえるのは色即是空までで、その体験後は音は聞こえない」に変更したが、驚くなかれ再び三度の変更である。 今度は何に影響されたかは定かでないが、この様に他人の言にいとも簡単に左右されるのは、禅体験からくる確たる根拠がない為である。 そもそも隻手音声の公案とは、「片手で打つ音を”聞いて来い”」という問いである。 その答えが「聞こえません。キッパリ!!」では全く笑い話にもならない。 ポッタンはそんなことすら分からない全くの野孤である。それは禅を頭で理解するものと勘違いしているからこういうことになる。 (禅語の字面をなぞっただけの表面だけを追いかけて知識で理解しようとしているのが、コピー文の随所にみられる) 隻手音声は生易しいものではなく、ある面、無字の公案よりも難しい。 ポッタン如きの野孤がチョコット知識を並べた程度で透過することなど全くのナンセンスである。 「聞いてこい」という師家の問いに対して、「聞こえません。キッパリ」などと公案から逃げずに、日夜真剣に取り組まなくては、到底聞くことが出来ないのは言うまでもない。 さらに聞いたと言うのならば、師家にも聞かせてやらねば証明したことにはならない。 それが真面目な顔して、俗世間人が言うのと変わらぬ「聞こえません。キッパリ」では、師家もこの幼稚さには、ただただ苦笑するしかないだろう。 野孤禅の野孤たる例として、最たるものといってよい。 さらに滑稽なのは「片手の音は、聞こえないよ、キッパリ!!」と答えておきながら、方々のスレで「片手の音を聞いて来い」と師匠面して問うていることである。 この自家撞着にさえ気がつかぬ愚か者に、付ける薬はない。 主体性だとか主人公だなどと、普段偉そうなことを言っているが、この様に借り物の知識ばかりで主体性が全く身についていない口先だけの禅であることがよく分かる。 三十年近くも禅を学んでいるというのに、未だに禅の周りをウロウロして入口にも近寄れず、ちっとも埒のあかない野孤禅ポッタン師匠。 禅の資質、素養が無いに等しいポッタン”師匠”の口から、この次にはどんな言葉が飛び出てくるのか・・・・・、野孤禅は永遠に続く。
11 : ポッタン野孤禅では、禅語や公案を字面を追って理屈的解釈するものと勘違いをしていると、以前指摘したことがある。 ここでは、最近よく出してくる「眼横鼻直」を例に、その行き着く果てが自家撞着という矛盾であることを説明しよう。 直近によると「主人公、主体性、自由、鼻は直に涅槃」とポッタン流に珍釈している。(これはこれで全く酷いものだが・・) その言下に「公案は、常識や知識で、これとそれを分けている妄想を、これとそれを分けない、これとそれは 一の如し」などといっている。 しかし何より、己自身が分別心によって、しっかりと区別している矛盾に全く気がついていないのであろうか。 他にも「自己はありません」と言ったかと思うと「自己を語ろうよ」と、「悟りは語れません」と言ったかと思うと「悟りを語ろう」と呼びかけたり、また「リアル(な世界)には・・・・云々」と言って、現実と観念上の世界が夫々別に存在するかのようにハッキリ区別したりする。 これらの例に限らず、悟りや仏の解釈に酷い矛盾があることや、隻手音声を透過したと言っている自身の言動に、甚だしい不一致や我執紛々として悟証の欠片も見出せない支離滅裂なことは、過去スレをちょっと覗いても数多見出される。 禅を、言葉の字面を追って理詰めで解釈するものと勘違いしている者は、必ずこのような矛盾にぶち当たる。 更に悪いことに、指摘された矛盾を取り繕ろうとしたり、相手に打ち勝とうとして、さらに分別心を掻きたてていることである。 矛盾を、さらに矛盾で覆い隠すため、理論武装の屋上屋を重ねていることである。 その様な、禅そっち除けの自我妄執愛に陥って悪循環に嵌ってしまっては、もう手の施しようもない。 その先には精々、禅に手が届かぬ絶望感と人格破綻であろうか。 そして、字面を追いかけた先に禅や悟りがあると思っているようで、空がどうの悟りがどうのと、いくら難解な仏教語を駆使して、己の禅を誇示しようと、素人、入門者の域を出ることはない。 最近では、質問には以前にも増して的確な回答が出せず、拾ってきた仏教語を自己流で解釈して誤魔化すようである。 畢竟、言うなれば十牛図の尋牛にも届かぬ、禅の周りをうろついているだけの単なる野孤なのである。 このように迷妄の底無し淵に落ち込み、禅の入口さえも見出せないで、もがいているのがポッタン野孤禅師匠である。
12 : 今回は、その後の隻手音声の続きであり、以下は最近のそのままの引用である。 「ある禅僧が、隻手の音声を聞いた!お師家様にも喜んでいただこうと足音を踏み鳴らして師家の部屋に飛び込んだとき、お師家様は静かに言われたそうです。片手の音は、聞こえない。 そこが、空即是色です。1秒もかからず、リアルに舞い戻していただいたそうです。 お師家さまの指導下で修行する事のすばらしさは、こういうことにあるのでしょうね」 とある。 しかし、この話は禅を心得た者から見れば、全くバカバカしい限りの虚言、虚構創作であることが明々白々にして容易に分かろう。 まず、隻手の音声を出した師匠が、未だ法身も会得していない者に、積み上げつつある修行を元の木阿弥に戻す様なことは絶対、口にしないからである。 いわんや「片手の音は聞こえない」などと、音がどうの、聞える、聞えないだのと分別差別の相対概念を、ここで持ち出すなど、まったくのナンセンスである。 かつ、俗世的相対固定観念に捉われたまま、未だ始末できない生煮えな禅匠がいる筈もないからである。 そして「そこが、空即是色です。1秒もかからずリアルに舞い戻していただいたそうです。」と続く。 法身が何たるかも分からないものが、1秒にしてリアルに舞い戻るも何もないものである。 よしんば、万が一そうであるにしても、まずは、無にしろ空にしろ、徹底させて、法身を会得させた後の、まだず〜と先々のことである。 証明する事にさえ苦心してるのに「片手の音は聞こえない」などと、足を引っ張るような愚劣な指導がある筈もないのは参禅したものなら承知のことであろう。 なぜポッタンがろくでもない嘘に満ちた拙話をでっち上げるのか。 それは、ポッタンの脳内で作り上げた「音が聞こえるのは色即是空まで、その後は音は聞こえずそれが空即是色である」という珍妙な屁理屈の辻褄を合わせようとの魂胆があるからに他ならない。これを嘘言の屋上屋を重ねるというのである。 ちょっと禅を齧った者にも、容易にわかる幼稚な作り話を、平然と書き込みする愚かさを繰り返すのが、ポッタン野孤禅の本領であろうか。 この様に、このスレにはポッタンの虚飾、虚言、嘘妄の作話で満ちているが、初心者は、野孤禅サンプルとしての反面教師としてならともかく、決して野孤禅に惑わされないよう、大いに気をつけて欲しいと思うのである。
13 : ポッタン禅が、いかに野孤禅なのかを指摘してきたが、最近も野孤禅のよい(?)サンプルを提供してくれている。 その中で、しばしば、不二一如の説法を垂れているので、それを紹介しよう。 最近の曰く、「二は二では無い、一の如し、バカの一つ覚えで、一如と言ってきてるよ。」 そして「視点を弱いものと同じ目線で見ることです。」 「相手とわたしがいて、相手は相手、わたしはわたしが、世間ですが、それでは、いけません。痛みを分かち合う事です。」 と、他人も私もなく一如なのだと、今度は聖人にでも変身したかのような、一見、大変結構なことを語っている。 しかし、これが口先だけのとんだ戯言なのである。 仏教に接しているものならば、五戒は知っているであろう。 その中に不妄語戒と言って、嘘言するなかれ、という人であれば当たり前な戒がある。 ポッタンは、今まで数々の嘘言や作り話で人を騙しているが、嘘言を吐くことは人の尊厳を蔑ろにするから出来ることであり、更に人を騙すのは詐欺にも等しい罪業である。 己が可愛いと思うなら、同様に他人も大切にすると思うのが、自他一如でもあろう。 また公案にしても、正師の元で、印可はおろか透過すらしていない。にも係わらず、師匠面して公案に答えよ、と人を愚弄にした書き込みを続けたりしている。 これらの例に限らず、他にも数々の愚かな行為を繰り返してきているが、これらの所業が他人にはどう写っていると思うのであろうか。 自他一如が分かっているならば、この様な行為はとても出来ることではあるまい。 更に、己が他人を慮る気持ちがないのを棚に上げ、他人には「視点を他人と同じ目線で見ること」と注文をつけている。もう滅茶苦茶である。 ポッタンの自他一如は、いかに自分に都合のよい自己中心的で、それを言うには到底、程遠い行為であるかが分かるであろう。 そもそも、己の所業による不徳を羞じる良識があれば、自他一如の説法する資格などないと思う筈である。 ところが、それを口にするのだから、すでに人を欺いていることだと分かっていないらしい。自他一如などとは、ポッタンの己自身を省みれば、安易に説法できるものではない筈である。 以前、ポッタンの言行不一致を指摘した。 この例も、いかに身につかない単なる口先だけの野孤禅ということを証明してくれている例である。
14 : 野孤禅は野孤の数だけ種類があるが、ポッタン野孤禅は差し詰め、口先禅とでも言ったところだろう。 最近、それに加えて猿真似禅(しかも幼稚的)というのを追加してくれている。 「宇宙未始前の一句をもつて来い。 宇宙が未(いま)だ始まる以前の一句を言いなさい。 だろうか。 わたしは、すっと立ち、両手を後ろにやって、羽をばたつかせながら、口では、チュンチュンと鳴く。」 と、これが「宇宙未始前の一句」の、ポッタンの「どうじゃ」と胸を張った自信満々の回答である。 どこぞの公案回答集から拾ってきた真似かは知らぬが、禅家はそんな猿真似が透る程甘くはない。 精々、化けの皮が剥れるのが関の山である。 無字も、隻手音声の公案も透過していない程度の未熟さは隠し様もなく、隙だらけの回答ですぐに正体を露呈する。 禅の本源が分からぬものが、勘違いをすると、このような、道化師のようなことをしでかすのである。 あらかじめ頭に描いたシナリオを、時と場所と状況も見極めずに、ただ演技するだけである。 如何にうまく演技しようと、所詮、猿真似は猿真似である。 猿は何でも真似をするから猿真似だが、さらに猿真似の芝居をする、これを猿芝居という。 それにつけても、この猿芝居、幼稚さはなんとかならないものか。 毎度の、お遊戯は幼稚園児並ではないか。 「すずめさんがチュンチュンとこんにちは、タンポポさんがニコッとこんにちは」が悟りだと言い、「私は払子を立てた。これが私の禅です」と語った類と同レベルのものである。 これを師家の面前でやれば 「何の演技じゃ、そんな猿芝居は幼稚園でやれ」 と一笑に付されるのが落ちであろう。 「倶胝竪指」では物真似小僧が指をチョン切られただけで済んだが、これが関羽将軍の面前であったなら、ポッタン猿真似禅師匠は首が胴体から離れているかもしれない。実に剣呑である。 ところでポッタンは人を笑わせる才能があるようだ。 三十年近くもやっている禅が、ちっともものにならず、しかも今後も見込みがないならば、さっさとイッパツ芸人に転向することを勧めるとしよう。 それとも、これからもポッタン野孤禅師匠の言動で、大いに野孤禅のサンプルを提供してくれるというのだろうか。
15 : これまで、ポッタン野孤禅の幾つかの実例を挙げて、野孤禅とはどんなものかを見てきた。 それから分かると思うが、ポッタン野孤禅は異常にまで文字語句に執着していることである。 万巻の書を読めば悟りが得られと思い込み、肥しにもならない屁糞知識を頭一杯に詰め込んでいる。 しかも悪い事に、強い自己顕示欲と虚栄心から、他人の悟りを己の悟りと偽るのである。 たとい好意的にとったにしても、頭に詰め込んだ他人の知識で悟った、と錯覚しているのが今のポッタンである。 しかし悟りの理論を組立てる必死の努力も報われず、すぐにボロが出てしまうのは哀れと言うしかない。 また、言葉に執着しているのは、2chでのレスの往来でも往々にして見られる。 ポッタンに好意的なレスには、“φ( ̄ ̄*) メモメモ、と熱心にメモをとるが、拙文(野孤禅スレです)レスのような気に入らないレスには、「内容がない」と言って批判、不満を垂れる。 どうやらポッタンは、よちよち歩きの幼児のように、アンヨがお上手と手を引いて貰いたいらしい。 小児幼稚性向はこれに限らないが、老齢による退行症状のなのであろうか、一層進んでいるようである。 そもそも、禅の本質が文字語句にある筈もないのは言うまでもない。 これが分からない様ならば、達磨が中国に渡った意も分からない。 「内容がない」と文句を垂れる前に、ポッタン己自身に禅の素質の無さを嘆いたほうがよい。 しかも先頃、ポッタンは次の様に語っている。 「法華経と言う経典を主人としてこれにひれ伏せば、こちらは奴隷である。こちらが主人公となって、法華経をこき使えば、こちらは主人公である。汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公でありえようか。」 己を知っていれば、書ける筈も無い文章ゆえ、どこからかのコピー文だろう。しかも本当に分かって書いてはいまい。 ”法華経”を”文字語句”に置き換えれば、今のポッタンに、そっくり当て嵌まるではないか。 文字語句を追いかけ、振り回され、ひれ伏して文字語句の奴隷となっているのは、ポッタンそのものである。 いみじくも、ポッタン自身のことを指摘しているが如くの文章ではある。 三十年近くも文字語句に溺れている、これはもう性癖と言うべきで、自ら手に負えないようだ。 容易なことでは真ともになりそうもない。実に恐るべしである。
16 : ポッタンと川上雪担老師との過去の会話の件で、最近、ポッタンが何やら呟いている。 雪担師もすでに遷化されているので替わりに一言、解説しておこう。 ポッタン曰く「彼との会話の争点は、色即是空、空即是色だ。彼には色即是空はあって空即是色が皆無だった。そこを、悟り半分と云ってたのだが、右の耳から左の耳へとスルー。聞く耳を持たない」 まるで雪担師がポッタン野孤禅師以下の語り方である。これ程、身の程知らずの軽口を叩く、厚顔無恥の輩を知らない。 雪担師は、大事を了畢した修行底の禅師であり、仮初めにも一寺の住職で禅を布教している専門の禅家であった。 ろくに修行もせず、屁糞知識を詰込んだだけのポッタン野孤禅師匠、あなたとは全く違うんです。 当時、雪担師はポッタンが禅を知らぬ者と早くから見抜き、無師独覚とか言って、無知も幼稚すぎる色即是空、空即是色の珍釈に呆れ果てていた。 そして、(隻手の音が聞こえるまでが色即是空だとか、その後の聞こえないのが空即是色だなどと言った)愚かな観念をスパッと放り捨て、空のどん底を見て来いと、雪担師独特の語り口で説法していたのである。 その握って離さない固執した自説と、その元の我執から離れることを、色即是空で丁寧に説明していた。 我執に塗れ、空も観てないものが、やれ色即是空だ、空即是色だなどと言ったところで、所詮、青臭い屁理屈でしかない。 まずは、我執を捨て、空の空の空の空、色即是空のみ、空のどん底を観て来いと、空を徹底的に説いたのであった。 然るに、ポッタンは、その意を汲み取れず 「(雪担師は)空即是色が皆無だった」と、いかにも愚鈍なポッタンならではの戯言を言ってる。 青臭い屁理屈などいらぬ、空のどん底をぶち抜けば、全てがガラーッと一転、空即是色が観て取れるのだと言う、雪担師の親切すぎる説法もポッタンの耳には届かなかった。 それどころか「(雪担師は) 自己が立ってる地点から、一歩も踏み出そうとしなかったしできなかった。そこで分かれた。なにか彼の胸の奥にくさびを打ち込めたのか、打ち込めなかったのか」 などと、思わず失笑してしまう程、どこまでも愚か者の視点で嘯いている始末である。 野孤が禅師と同レベルにあると思っているこの野孤感覚。 普通の感覚の持ち主ならば、狂気の振舞いという他ないが、やはり、虚栄心と自己顕示欲の塊の性格異常者である。
17 : 北朝鮮のミサイル実験?いや一応人工衛星団等に入れているのだから人工衛星か? さあとりあえずの日本人としては経値が高まるのは困る。日本人で悟った人は悟りの立場が 無いので一応形は人工衛星と認めなきゃいけないのか?悟っても日本人としてミサイルなのか? 成るようになると社会の立場無しなのか?もし北朝鮮に居たなら金総督万歳とさけば無ければ いけないのか?ミサイル失敗して落ちてきても打ち落とせるのかどうか?まあ そんな事心で思っても私は日本人として困る立場だし、悟っている人も夢の如しで逃げるのかも。 人工衛星成功したら?金総督の声明が全世界に聞こえるだけの何の意味もない衛星なら 面白いかもでも困る。完全に悟ったら処方無我の平等心と諸法無常の他他だから 勝手にせいの能力が身に付き。DVDのように未来も固まって見えるのか。打ち上げ迫る 無責任な私は自衛隊米軍打ち落とせ。たぶんそれは自信がないののでやらないか。まあ 色々な立ち話
18 : 以前、ポッタン野孤禅の行き着く先が、禅に届かぬ絶望感と人格破綻であろうと指摘したことがある。 その兆候が、すでに”雪担氏との会話”の中にあり、ポッタンの性格が異常なものであることを紹介した。 その人格破綻の進み様が、最近の書込みに見れ取れる。 まずは、ポッタンによる無門関「久響竜潭」の書込みの中に、その徴があるので、それを見てみよう。 ポッタン曰 「まっ暗闇は、昼間の明るさの中で、色は、ひとつずつが他と区別して独立している。真っ暗闇に差し出された紙燭の灯りに浮き上がってきた世界はまさにリアル、色の世界である。 ふっと吹き消された世界は、何も差別できない無分別の世界、空である。空であるから、金剛経の注釈書を積みあげ、一句を唱えて引導を渡し松明で火をつけた。」 とある。 竜潭和尚の慧敏な禅のはたらきには気づかず、読み取ることができないポッタンの非力さである。 以前の眼横鼻直での 「眼は水平に自由を、鼻は縦に主体性を表す」と同レベルの、相変わらず皮相的で字面を追い掛けた解釈と幼稚さで、コメントに値するものは何もない。 そして 「だが、(途中略)この人は、空だけを見ただけである。隻手の音声で言うところの、片手の他人がたたく拍手の音を聞いただけである。ここから空即是色へと立ち戻らなければならない」 と続く。 吹滅の因縁を、見解とはいえない屁理屈でしか捉えられないのは、ポッタンの貧粗な力量なら仕方が無い。これでは、香厳撃竹の因縁も分かる筈もない。今は一応、失笑しつつも目を瞑っておくとしよう。 ところが、「師家である竜潭和尚の力不足である。 こうして徳山は竜潭和尚の法を嗣ぐことになった、と言うことであるが、空即是色が未だ透らずである。」 と徳山、竜潭和尚の力量を、ポッタン野孤禅師匠の比ではない、と大言壮語しているのである。 野孤禅を次々暴かれ、後が無いポッタンにとっては、徳山、竜潭の両和尚をコケにし、貶すことによって、ポッタン野孤禅師匠は偉大なり、と虚勢を張りたい気持ちの裏返しである。 ポッタンは、(愚かで悪いのは、ポッタン野孤禅を理解しない世間であり、我こそが大覚者なのだ)、とカルト教祖の論理を主張したいのである。 その伝でいくと、仕舞に全ての祖師方々否定してしまうのは間違いなさそうで、自我肥大のパラノイア(誇大妄想狂)は、深く々々、人格の破綻が進行しているようだ。
19 : 前回は、ポッタンの貧粗な力量を省みずに、雪担老師、更には古仏の徳三、竜譚和尚までも貶し、悟りが不十分と豪語したポッタン、その自我肥大異常性格を暴いた。今や、その自我肥大は止まる事を知らず、人格破綻へと、まっしぐらである。 最近、頻繁に使っているのが、無師独悟(独覚)とかいうポッタン用語である。 無師なのは、本人によると、人嫌いによると言っているので、普段の幼児並性向から、異論を挟む余地は全く無い。 しかし、独悟や独覚となると、悟ったものでも憚り多くて、なかなか口にできる言葉ではない。それを機会ある度に、常套句のように喧伝しているのは、自我の肥大化がどこまで進んで行くのか、の感がある。 本人は 「決して自慢、ひけらかしていってるものでは、ありません」と言い訳しているが、額面どおり受け取るのは安直である。 その言下に「お釈迦様も、沙羅樹の下で瞑想され、暁の空に輝く明けの明星を見られて悟られたのだよ、と言っています。と言うことで、私の無師独悟は、お釈迦様と同じ無師独悟の仲間です。」 と舌の根が乾かぬうちに、本心が別にあると言っているのである。 上から目線はポッタンの常であるが、ポッタンの無師独悟は、釈迦と同様に崇高なものだと、本音が透けて見える。 形は似ているが、内容は月とスッポン、魚目燕石である。 ここまで自我肥大が進行すると、悟りなど無論、望むべくも無い。 自我清算のない悟りがあろう筈もないからである。 しかも、過去スレでは時折、坐禅などいらぬ、と本音を吐露していた坐禅修行が嫌いなポッタンである。 歩み始めた第一歩から、自我清算の方向ではなく、自我増大に走ってしまったのがそもそもの間違いで、しかも正す者のない無師が致命的であった。 三十余年間、肥しにもならない糞知識を頭に詰込むだけで、坐禅修行を怠ってきた代償は余りにも大きく、そのつけが今になって回ってきたのである。 その期間を、自己に謙虚になって、まともに修行していたならば、ここまで自我肥大化していなかったであろうし、少しは悟りに近づいていたとは思うのである。 失った時間が取り戻せる筈も無いが、自我が強大になってしまった上、高齢の今になって、自我の清算など到底適わぬ事であろう。墓場まで野孤禅を連れて行くのは仕方ない。 賢明な諸氏には、決してポッタンの様な轍を踏まず、坐禅修行に力をいれて貰いたいと思うのである。
20 : 無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。 それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。 昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。 そんな凡夫でも、日々努力を続ければ、因縁が熟した時、何かの契機に見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れない、暫しの事かもしれない。 見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。 臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。 見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。 ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。 また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。 世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。 書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。 書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。 ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。 しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。 仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
21 : 以前、何処かのスレで、禅入門者が2chで真に悟りを得ている者か否かの見分け方を知りたい、という質問があった。 悟りを得ている者を見極めるのは、入門者には難しい。何をもって悟りを得ているかということからして難題である。 しかも、悟りの境地、境涯というものは、同じく悟ったものにしか窺い知れぬものである。 その上、ある者を悟ってると思っても、それは同じ境地にあるだけで、より悟ったものから見れば、未熟ということがよくあることだ。悟りに終着はなく、生涯の課題なのである。 また仏教知識を理路整然と捲くし立てるものが悟っている訳ではない。それは全くの別物である。 有余る知識を持つ理論家が悟っているのであれば、仏教学者は皆悟っていることになる。しかし現実はそうではない。 むしろ、自らの知識の呪縛にあって悟りを得られない方が多いかもしれない。 以前にも言ったことだが、知識は薬の能書きみたいなもので、能書きをいくら集めても、薬効が得られないのと同じである。悟りに知識は無用なのである。 一方、偽の悟りを見分けることは、入門者にも難しいことではない。 まず、偽者は悟りの心境にないので言葉も行為も軽く浮ついていることである。一端の理屈を語っても、こと行動や態度となると、如何に繕っても隠すことはできず、言葉について行けない。所詮、借り物の言葉でしかない。 ポッタンの例を見てみよう。彼は「区別しない」、「分別しない」と頻繁に口にする。(もっとも逃げ口上に使われることが多い) しかし、本人はこの言葉の意味をよく承知してはいない。彼ほど区別しているものは珍しい位であるからだ。 彼はしばしば「マンゴー先生、素人Aという仏様に出会った」と語る。本人に好意的なものには、やたら諂い卑下するが、本拙稿のようなレスには、狗呼ばわりし異常なほど敵意をむき出し区別する。 また以前、何某から「悟っている」と煽てられては舞上がり、「あなたは仏様です」と手放しで喜んだ。かと思うと「勘違いでした。ポッタンは悟ってはいません」と取り消されると「あなたは悪魔のようです」と、手を還すようにコロッと態度を変えたこともある。 彼が他人の言葉に振り回され、私感情に振り回されるのは日常茶飯事であり、主人公々々々と説法するほど口程にもない。 この様に底が浅いので、言行不一致に注意を払えば、偽の悟りを見分ける簡単な方法の一つにはなるだろう。
22 : 言葉が軽いのは、偽悟り野孤禅の特徴でもある。最近、ポッタンは常套句のように眼横鼻直を説法しているので再掲してみよう。 彼の曰く、「眼は水平に自由と平等を、鼻は縦に主体性を表す」などと語っている。 しかし、この説明そのものが、眼横鼻直とは全く懸離れた迷妄の視点にあり、眼横鼻直になっていないことに気付いていない。 眼横鼻直は、彼の云う、眼が水平にどうの、鼻は縦にこうのとか、そんな分別観念を捨て、「すずめさんがチュンチュンとお早う、タンポポさんがニコッとこんにちは」などの彼我の妄想も捨て、 全ての妄念妄想を放捨して、真実在を真っ正面から受け止めれば、縦もなく横もなく、「すずめさんがお早う」とか、「タンポポさんがこんにちわ」とか、そんなものもない。 しかし乍ら、あるべきものはあるべき様に、ちゃんと納まっている。仏の世界は何も特別の世界ではなく、この真実在の世界が、即、仏の世界だという端的を、道元さんは眼横鼻直と云っているのである。 この、眼横鼻直の一句は、僅か四文字と雖も、色即是空、空即是色の一切を含み、俗世的な説明では、容易に解説し尽くせぬ手強く、侮れない一句であると云える。 ごく簡単に能書きを垂れはしたが、これを知ったところで、知的な理解に留まっているうちは、真に眼横鼻直は分からない。眼横鼻直に直参直入してこそ、分かるというものである。 然るに、ポッタンの説明は、水平だの縦だのと、悪癖悪習の二元対立、相対観念に捉われた見地で、全く仏法になっておらず、自らの偽悟りを証明している。 この観念に捉われた見方は、この例に限らず、彼の他の全ての説明について云える。 つまり、見性体験がなく無我を知らない。故に俗世的観念に捕縛されたまま、そこから脱却できない。その為に知的な理解に留まり、浅薄で皮相的な説明しかできない、と云うことだろう。 畢竟、見性体験のないことが元凶と云える。 そして、このポッタンの事例は、禅入門者へ幾つかの大切なことを示唆している。 30有余年の禅経験があると云っても、年数で悟りは開けないということ。誤った方向に進めば、後の修正は難しく、一生を台無しにすることもあると云うこと。 また、知識を詰め込んだだけでは悟りは開けず、見性の無い禅は無意味ということ、などである。 今後も、ポッタン野孤禅大師匠の偽悟り語録が続くであろうが、多いに注意して貰いたいものである。
23 : 言葉の軽いポッタン語録の中から、もう少し拾ってみよう。 ポッタン曰く「ほとけとは、さとりである。さとりとは平等である。平等とは無我である。無我とは一如である。一如とは如来である。 如来とは如である。見性とは、悟りと涅槃、現代語では平等と自由。また、無差別と主体性と言えます。禅のさとりは、一の如しですが、無分別とも言います。」 こんな能書きの類を言ってるうちは、全くの落第である。 これが30有余年間の集大成の言葉と言うのだから、実に進展の無い禅生活を送ってきたもので気の毒で哀れとしか言いようが無い。 どの師家に持って行っても、その初心者レベルの未熟さを瞬時にして見破られ、棒喝にも値しないと、追い返されるのが関の山である。 しかも、30有余年禅経験の結論です、などと言おうものなら、それだけで参禅入室を許されないのは勿論、読本は一切禁止、その上、只管の坐禅修行を命じられることだろう。 先に、ポッタンは眼横鼻直が分かっていないと指摘したが、そもそも、ポッタンは、自由、平等だとか涅槃などの仏教語を全く分かっていない。 お馬さんのケツを追い回し、取った取られただのと我欲に振り回され、我執に縛られたまま真の主人公にも会えず、二元相対の既成観念に囚われているものに、自由もなにも分かる筈が無い。 真に自由が分かっているならば、固定した観念に囚われた言葉などを繰り返し使う筈が無いからである。 また、人一倍、悪知悪覚の有無得失是非善悪などで区別する分別心旺盛で、しかも見性もない故、平等性智が発現しておらず真の平等など分かるはずが無い。 ましてや、自己顕示欲、虚栄欲、我欲など、煩悩の嵐が吹き荒れ、一瞬たりとも心休まることが無いものに、涅槃の境地などチラッとでも味わったことは無い。 そんな、言葉と心境が全く懸離れて見性も知らぬものが、「悟りとは・・・・うんたら、見性とは・・・・かんたら」と素人衆を相手に偽の説法である。 ポッタン野孤禅の正体を知った賢明な諸氏には、そんな薄っぺらい説法を真に受けることはないと思うが、 傲慢、増上慢この上なく素人衆を誑かすこの所業は、仏法を汚し冒涜する重罪であり、昔の修行僧なら、山から追放され、二度と山門を潜ることは許されまい。それどころか、簀にぐるぐる巻きにされ川に放り込まれても仕方あるまい。 いずれ地獄に落入って贖罪しなければならない罪業ではある。
24 : 言葉の軽さ薄っぺらさを指摘するのは、これまでの説明でも十分であるが、ポッタンの言説に戻って、肝心な点を指摘しておこう。 長年、肥溜め桶に漬け込んだ能書きの中から、拾い集めたのであろう。 悟り、見性を平等だ自由だなどと、頑愚なまで固定した観念に固執し、もっぱら、使い回しの草臥れた文字言句で説明しているが、そんな底が浅いものではない。 文字言句の字面を追いかけた結果、悟り、見性を、わずか数語の死んだ文字言句で定義するなど、これを死句を並べるといい、そこには禅のはたらきなど一片の欠片も無い。つまり、法が全く現われていないのである。 師家が一瞬にして、未熟を見抜くのはそこにある。 30有余年間の禅経験があると言いながら、仏法というものを未だ掴めず、法を見て取れる目も、表す力も全く付いていない。 無師独覚と放言しているポッタン野孤禅大師匠の越えられない限界である。野孤禅、まさに恐るべしである。 真に見覚めたものは、言葉で表現するにしても、直截で端的である。 一例を挙げよう。 無門関の「庭前柏樹」をご存知であろう。 ある僧が趙州和尚に「如何是祖師西來意」。達磨が中国に来た意図は何か、つまり悟りとは何かと訊ねた。 それに対し趙州は「庭前柏樹子」。ただ一言、庭先の柏の樹、と応えたのである。 これは何も、柏の樹に仏性があると言っているのでも、悟りの意味があると言っているのでもない。 柏の樹に用はないのである。 趙州の、法のギリギリのところ、悟りの端的を直截な言葉によって表現しているのである。 その言葉には、趙州の禅機に溢れた仏法が、実に活き活きと輝いている。これを活句という。 死句を並べただけの「悟りとは・・・・うんたら、見性とは・・・・かんたら」とは天と地ほど、雲泥の違いである。 また、無門はその頌の中で、「言無展事、語不投機。承言者喪、滯句者迷。」 と、「言葉で説明は出来ぬ、語れば本質の機微に触れることが出来ない、言葉を聞けば本来の意味を失い、句について滞れば道に迷う」と、言葉に執着する危うさを忠告している。 禅を志す諸氏には、書物から知識を得るにしても、文字言句の字面を追いかけて、死句を並べるのではなく、このような活句に参じるようになって欲しいと思う。 そのためにも坐禅修行に励んで、法を見て取れる目と力を、是非、養って頂きたいと思うのである。
25 : | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ||【このスレに来られた方へ】 || ||★ここは野孤禅の本格スレです。まずそのことを充分、認識してください。 || ||★野孤禅とはどういうものか、まともでない見本が満載です。 || ||★ポッタン、素人Aと称するものの発言内容は、まさに野孤禅の見本といえます。 || ||★素人Aとかいうものはポッタンの携帯黒子ですので、ご注意。 || ||★この者達の自作自演が多々有ります。相手にならぬようご注意。 || ||★同様に、かまって貰いたいが為のツリが多々見られます。相手にせぬようご注意。 || ||★まじめな質問は別スレにてお願いします。 || ||★誤って、禅の質問をしても、その回答はいい加減と思ってください。 || ||★本スレの使用目的は、禅に関すること以外、ストレス解消、AAの練習等々、自由です。|| ||★書き込む内容は、品格など一切問いません。 || ||★あらしも排斥しません。 || || 。 ∧_∧ || || \(´・ω・`) いいかな・・? || || ⊂ ⊂ )旦~ || ||___∧ ∧___∧ ∧___ ∧ ∧__ ∧ ∧___| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_______|| ( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 〜(_( ∧ ∧( ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い。 〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,) 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
26 : >>6 Ann ちゃん 自分より 上にも 下にも ひとは いません。
27 : >>17 A ちゃん 南北の朝鮮戦争は、休戦ラインをはさんで今も戦争状態である、見る眼を持つと、今回に限らず一連の騒動が見えてくると思います。 北朝鮮は、かって戦ったアメリカと不戦条約を結びたいのです。 この条約を取り付けたら、朝鮮半島南部を支配下に置くのです。 ですから、今回のテポドン・ツーの発射もアメリカを交渉のテーブルに着かせる手段です。 また、核実験も、またその目的、手段です。 アメリカと不戦条約を締結し、南部朝鮮を獲得するのです。 まさに 妄想、 なんと 申そうか・・・
28 : 片手の人の無情の説法を聞いて来いで、無常説法 とう山の悟本大師は、その師なる雲厳大和尚に参じて 問うて言った。「無情説法は、いったいどんな人が聞くことができるのでしょうか」 雲厳和尚が言った 「無情説法は無情なるものが聞く事ができる」 とう山が言った。「和尚には聞こえるのでしょうか」 和尚が言った「もし私に聞こえたら、お前は私の説法を聞くことが出来ないだろう」 とう山が言った「もしそうであれば、私は和尚の説法をききますまい」 和尚が言った「私が説いても、なおお前は聞かない。まして無情説法をどうして聞く事ができよう」 そこでとう山げを述べて和尚に呈していった。「奇なるかな、奇なるかな、無情説法は誠に不思議。 もし耳で聞こうとすれば、ついに解し得ないであろう。 眼で声を聞いて、はじめて知る事ができよう」 ?? 煩悩の怒鳴り声ばかり聞いている私には音無しい片手の人の声は虫の声か。少しは聞きたいのだ けど、まあ少しずつ色んな眼に会ってすこしずつまあええに進むか。百聞は一見にしかしずーつと私の 説法を聞かされている片手の人も少しは可哀想だし。まあぼちぼち行くか
29 : >>28 A ちゃん わが国にあるのは、 「岩に染み入るセミの声」 と言う。
30 : まあ修行という毎日の単純な骨コツが苦手な私は見えない座禅はこのごろサボるし、春なのに飽きてきて 見える修行小周天大周天など?一番分かりやすいクンタリーニを上昇させるのが簡単なのだろうけど三日 と続かず。まあ煩悩も制御できなくて今まで私のまつくらな体の中で修行の出来て無い仏がいきなり太陽 の光に焼かれてしまうのか?やつぱりコツコツ平凡な生活の中でどおのこうので適当に修行真面目にしよう。 そんなにあわてずこの世の仕事せい。生きている者以外の物は決められた法守るだけで何も考えないのだろ うか?迷わずつべこべ言わず太陽の中で広い心で生きているのか?私はさ迷っているというのに、いい加減 だからそんなには迷っていないか。 あそうだみかんさんスレたてありがとう。
31 : 春の花も終わりになったと思ったら、 今度は庭にチューリップのつぼみが出てきた。 寒冷化なのだろうか、遅いですねー。 んで北ちょーはミサイル失敗ですか。 イルソンとかジョンイルってミサイルと名前似てんなーと思うけど、 ジョンウンって名前はミサイルと似てないやん、 発射する必要なかったのかもしんないね。 これって小泉元総理の十八番ネタ、 人生にはいろいろな坂があって、 その中には「まさかの坂」という坂があるのだ、 というヤツなんだろうか? それで先週は、親戚のおじさん死んで一年たったから、 跡取りもいないし、うちで坊さん呼んでやるかっつって、 安さ自慢のBさんドットコムに電話してみました。 4万6千円プラスお車代1万円って言われたので、 とりあえず止めといて、かわりにご近所の曹洞宗のお寺さんに きて読経してもらい、三万円包んで機嫌よく帰ってもらいました。 これでおじさんにも義理が果たせて ほっとしたわ・・・
32 : 今週急上昇のキーワード・・ 【ちょうしたのサンマの蒲焼】 なぜかいまだにスーパーの棚に置かれつづける、 長寿ブランド缶詰。広告業界系某有名人も御用達です。 【ひろはのはなかんざし】 英名は、swan river everlasting (白鳥が泳ぐ永遠の河) 。 紅花、帝王貝細工、スターチス、などと並ぶ、ダイエーでも売ってた、 ドライフラワー系生花の定番商品です。 【ゲティスバーグの戦い(Battle of Gettysburg)】 南北戦争において事実上の決戦となり、北部合衆国軍と南部連合国が 激突した南北戦争史上最大の激戦。南北合わせて五万人の死者を出した この戦いが転換点となり、北部軍はこの戦い以降優勢となり、 南北統一を成し遂げることになります。アメリカ軍の戦争の犬 (プロ) としての歴史は、この悲惨な戦争の呪縛から始まったのかもしんないね。 【人狼 (biowolf)】 帝国軍、ウォルフガング・ミッターマイヤー提督率いる艦隊の旗艦。 「疾風ウォルフ」の異名で、艦隊が移動するスピードの速さに特徴があり、 帝国軍が惑星同盟のヤン・ウェンディ提督による追撃にあって危機に陥ったとき、 その理知的かつ手堅い戦略で帝国軍の危機を救ったことでも有名な戦闘艦。 【コードレス受話器】 Panasonicの新製品買ったんだけど、子機がコードレスなのは当然として、 親機の受話器をとると、ねじりコードがつながってなくてこれもコードレス、 「あれーっ? 」みたいに宙に放り出された感覚、これが自由ってヤツか? 【うちわ風】 去年、扇風機コワれて、買いに行ったら一台も売ってなかった。 今年はベビー風とかリズム風とかそんなのが欲しいわ。
33 : (・∀・)? □今週のHello! 毎日かあさん Look closely. (よく見なよ) One more time. (もう一回) Be patient. (がまんして) Leave me alone. (ほっといて/邪魔すんなよ) □先週分 I'm rooting for you. (あなたのこと応援してるよ) What is that. (なんじゃ?) I knew it. (そうだと思った) I'm running late. (遅刻しちゃうぅー)
34 : へきがん録三十二 【臨済一掌】 りんざいいっしょう /\___/ヽ / :::\ . | (○), 、(○)、 .:| | |_, .:::| ←臨済和尚に引っぱたかれた . | r―-、 .:::::::| 定上座さん \ `ニニ´ .:::::/ /`ー‐--‐‐―´\ ※臨済・徳山一派は、実質ネタこんだけですから・・
35 : ∧∧ ( ・ω・) _| ⊃/(___ <Diablo3は五月十五日に / └-(____/ 発売予定らしーです。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ <⌒/ヽ-、___ <寝て待つか・・ /<_/____/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Kiss of the Spider Woman - Trailer http://www.youtube.com/watch?v=1FVd6uRrYhM
36 : 前にちょっと来た時に、レス返そうとしたらiPhone規制で 書き込めなくなって放置してました(テヘペロッ せったんに会ってみたいっておっしゃってた方、せったんは どっかのお寺のリアル住職さんらしーし、会いにいけるんじゃないでしょーか? しかし、何県のお寺かすでに忘れちったw
37 : >>36 ぢれさん。 せったんはお亡くなりになったんすよ。 去年の五月、肺炎こじらせて、とのこと。 もう1年経つんだなぁ。
38 : >>37 えええええっ!? それは全く知りませんでした・・・ せったんのご冥福を心からお祈りいたします 憎めんエロじっちゃんやったよなぁ・・・
39 : >>36 せったん老師は遷化しました・・・。 東山寺で検索すればhpあるから 法語が見れるよ・・・・・。
40 : 暇で何もしない時や寝て暇な時やたまの坐禅の時何か分からんエネルギーが尾骶骨あたりから 腹の裏辺りで最近いっもぶるぶる振動しているけど、起きて何かしている時は感じない。クン ダリーニかも知れないけど痛いわけはないからそのままほつとけがいい良い様な、皆もそうな のか分からんけどあまり気にしない。師匠の24時間コンビに坐禅の要領でありのまま気にし ない、でも時々は力む?力んで意識を集中すれば何とかまずいいこと無いと思う、まよ うになるで大した事にはならない。さとりさあとりあえずはまあよいか時々少し頑張るけど 成るようになるからまあええか。 考えがわき起こったら、わきおこるものを見つめよ。何も考えが起こらなかつたら、その静寂 なる状態を見つめるのだ。どちらの瞬間も等しく空だ。(ガラップ・ドルジェ)
41 : >>30 A ちゃん 当世のお坊さんは、妻帯、飲酒、魚や、肉も、躊躇無く食べる、 どこで、肉を食うのか、と言うと、仏具屋さんのはなれ屋敷の奥座敷。 たらふく食い、たらふく呑んで、ご帰還になる。 いいねー、京都の坊さん。 在家が、何を修行する? プロの物真似、にしかならない。 それとは違って、在家の者は、おまんまのもとである ビジネスにまいしんして、まっとうな金を稼げば、それが 在家の修行 というものだろうね。
42 : The Last Emperor 2:43:11 http://www.youtube.com/watch?v=uS6Lz8N7YfE&feature=related
43 : 菩薩 http://www.youtube.com/watch?v=SUkyapZeG_g 大悲咒 (完整) 29:46 http://www.youtube.com/watch?v=NAb2wYMpyaE&feature=related 大悲咒2_0001.wmv?是我???而作的~大悲咒 http://www.youtube.com/watch?v=f4MS4qI_h7k&feature=related 大悲咒 (HD) −4 http://www.youtube.com/watch?v=fE874epnlTY&feature=list_related&playnext=1&list=SPD82C97F8FDE27381 大悲咒教念 1:00:17 http://www.youtube.com/watch?v=JiTTICLIqcc&feature=related 【中國經典動漫系列】六祖壇經(蔡志忠).f4v 1:01:25 http://www.youtube.com/watch?v=GX-DX5bQwu0&feature=relmfu 六祖壇?(?一主?:心?) 2:09:01 http://www.youtube.com/watch?v=odW55A1D3lU&feature=fvwrel 六祖慧能傳 1:33:04 http://www.youtube.com/watch?v=3ILzIB6EYgU&feature=related 釋迦牟尼佛 上 下 http://www.youtube.com/watch?v=F-n_7SyH26o&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=nfLIQmTN62k&feature=relmfu 觀世音菩薩的故事-佛教動畫.f4v 1:39:49 http://www.youtube.com/watch?v=e9PQuaxHIIM&feature=relmfu 佛教電影 -觀世音.flv 1:37:40 http://www.youtube.com/watch?v=dWRvXqXIDgM&feature=relmfu 電子舞曲版南無觀世音菩薩 http://www.youtube.com/watch?v=Uh_4dysBeYU&feature=results_main&playnext=1&list=PLF5EF7FA95F4CA076 江山美人(全集) 3:11:01 http://www.youtube.com/watch?v=g6brxxKlouo&feature=fvwrel
44 : 無門関 第三十五則 倩女離魂 和尚が僧に聞いた。「魂と肉体が別々になっていた女があった。どちらが本質か」 揚子江の畔、衡州という所に張鎰という金持ちがいて、倩女という才色兼備な娘をもっていた。 張鎰には王宙という甥が居たから、冗談半分に、「お前達は将来夫婦になると良いなあ。」などと言っていた。 年頃になった倩女は引く手あまたで、或る役人から熱心に申し込まれたため父親は承諾してしまった。 いよいよ嫁にやるという時、王宙はとても耐えられず、遠い他国へ行って暮らそうと決心し、揚子江を下って蜀の方へでも行こうと船を漕ぎ出した。 すると堤防をばたばたと走ってくる者がある。 見ると倩女であった。 二人は手に手を取り合って蜀の奥地に入って十数年の歳月が流れた。 子供にも恵まれ幸せな家庭を築くことが出来たが、思い出されるのは故郷に残してきた両親である。 さぞ自分達のことを心配しているだろう、一度国へ帰って両親に謝りたい。 そこで二人は船に乗り衡州へ帰った。 いきなり行って年老いた両親を驚かせてもいけないと、先ずは王宙一人が無断で倩女を連れ出したことを詫び、懇ろに謝罪した。 「お陰で子供も二人授かり今は幸せに暮らしております。」と言うと、「何を言っているんだ。倩女はお前が国を出てから、ずっと病気で寝たきりだ。」 驚いた王宙は船着き場に戻り倩女と子供を連れて来た。 すると寝ていた倩女もむっくり起き上がって表へ出ると、いま来た倩女と顔を合わせにっこり微笑んでピタツと一つに成ったという。 倩女幽魂 A.Chinese.Ghost.Story.2011.720P 1:41:07 http://www.youtube.com/watch?v=gxM-Vinkong&feature=fvwrel A Chinese Ghost Story (1987) 倩女幽魂 (Cantonese) Fulll Movie 1:35:41 http://www.youtube.com/watch?v=WfR7amivIXI&feature=related 【新倩女幽魂】【www.6park.jp】【 古天?, ?亦菲, 余少群】 1:37:46 http://www.youtube.com/watch?v=ea409-DZStg&feature=related Tony Leung 倩女幽魂3:道道道(?語)梁朝偉 王祖賢 張學友 利智 Cantonese 1:49:12 http://www.youtube.com/watch?v=VJ5mygDCaZ0&feature=related
45 : >>40 もっと気張れ!
46 : 悟りよくわからんけど行くか十方玉城さんの解説より。・・最後の項目は光明である。十方全体は 自己の光明であるという。その自己とは父母未生以前の鼻の孔である。その本当の自己が実現する と、仏殿が開いて仏にまみえる。しかしいつの間にか別人のための別のものに取り替えられてしま う。またそれを打破してあいま見える。私はこの繰り返しを性懲りもなく繰り返し続けてきたこと であろうか。道元もまた同じ思い「本来の面目を呼び出すことはやさしいが、忘れ去る事は難しい。 しかし呼び出されるならば、これまでの私はぐるりと回転すれば何の用もなくなる。おやおやまだ わからんか三十棒を恵んでやつたではないか」 私よく分からんけどエネルギーの法則なのか。 食欲性欲権力欲等あクンダリーニや勝負事なども山の頂上に上って人休みの少し前が一番なのかそ れを少し過ぎるとああ楽しかったの思い出残し知らん不利なのか。何言いたいのだろうか皆なんか 煩悩も悟りもすべての物も世界も一つのエネルギー菩提心があれこれ活動している姿化。よくわか らんゲームやソフトやスポーツもルール作って遊んでいるだけ。覚めた心ではむなしいと思えても 一生懸命何も分からないで未知歩いている旅そのものが目的だつたりして?よくわからん? 全ては元の黙網陀が一人で静か過ぎるし寂しすぎて空想で夢見ている世界なのか一人遊びでもいい んだ。相手の居ない時は私も色々もうそうするし。
47 : 寂しいと言うより、退屈なんだと思います。 始めから一つでしかないのなら、誰かがいない寂しさなんて知るはずもありませんから…。
48 : >>38 そういうわけであたしは、せったんとここらへんでご一緒してたぢれさんがうらやましいわけよ。 いーなー、エロじじーといっぱつやったんだぁ・・・いいなー・・・って。
49 : ・・・・・・っというわけ、んで再登場する、あっはっは・・・。 137 :ネオ ◆XRhOafI0.w :2005/07/04(月) 08:39:01 ID:ac6kehwO >>136 台風と言っても目であれば不動、脇に寄ればすっ飛ばされるよ 138 :せったん@myoejoe:2005/07/04(月) 08:41:27 ID:4ScMJ2N7 137ありゃうまいことこくねこの人。 台風の眼だって動いて移動するじゃんか、って言ったら、六祖ならずともせったんから「是れ眼の動くにあらず、心動くのみ」と。言わるかな。あはは・・・ 無門関第29則「非風非幡」 六祖、因みに風刹幡を?(あ)ぐ。二僧有り、對論す。一は云く、「幡動く」。一は云く、「風動く」と。往復して曾て未だ理に契わず。祖云く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者の心動くのみ」と。二僧悚然たり。 139 :せったん@myoejoe:2005/07/04(月) 08:44:27 ID:4ScMJ2N7 哲学者は記述するんでしょ、哲人はどうあるべきというわずかに紐がくっつく、仏者は糸の切れた凧。 記述するから、もう分離してるもんな。それから離れなきゃ本当のことは分からないんじゃないの。 思慮分別の糸が切れりゃ、そのものだわな。 142 :せったん@myoejoe:2005/07/04(月) 08:58:14 ID:4ScMJ2N7 科学も記述ですか、観察者と被観察者があって記述という、それでは真実に出会うことはないんです、近似値の利用価値もしくは百害あって一利なし、なーんていうと笑われますか。 そりゃあ、無明の世の中、笑われるに決まってます。 真実に出会うこと無くても、近似値であっても、科学の進歩あっての、今日の世の中といいますからなあ。 しかし、これが真実在と思って執着する、顛倒して不幸の始まりです。
50 : >>39 ちょっと見てきました・・・せったん節、懐かしい;; >>48 なるほど・・・ いっぱつヤってたら、もっと悟れてたのかもしれまいw 泊まりがけで合宿とか、なんか警戒して、よー参加せんかった;;
51 : 禅者や、ここに居る人たちのいう「悟り」ってやつには程遠いのだろうけど、 昔、ここで遊んでるうちに、ある時なんだか意識が変わったんよね 今でも、日々楽しいことや、悲しいこと、腹立つことや、凹むこと、 それなりに起きるんだけど、なんていうか、芯の部分がブレんくなってん 元々、一般的に負だと称される系の感情を、一晩経ったら忘れるタイプではあったがw と、たまには書きなぐってみよう
52 : それでよいと思いますが・・・。 意識が変わるというか、治るということ鴨。 何かをきっかけに意識が狂ってしまった。 病人になってしまって、それが治った・・・。 治るまでには地獄の業火で焼かれる・・・。 僕は病人になったのは運が悪かった・・・。 時を無駄にしただけだった・・・。 狂った意識と闘い続け、普通になる・・・ だがいつの間にか年を取りすぎた・・・。 無駄にした時間は二度と取り戻せない・・。 来世に思いを馳せる・・・
53 : >>46 A ちゃん 色は空である。 だが、 空は、無い。 空は、色なのである。
54 : >>8-19 毎度毎度の、読ませるテンプレ。勉強になりますな。
55 : 菩提さつた四摂法 一つには布施、二つには愛語、三つには利行、四つには同事。 そのうち布施というのは、不貪で゛あり、貪らないことである。貪らないというのは、世に言う所の へつらわないことである。たとい全世界を統治していても、人々を教化していて正しい道に帰せしめ るには、どうしても不貪でなくてはならない。たとえば不貪の得というのは、貴重な宝を執着せずに 人に施すようなものである。しかも見ず知らずの人に施すようなものである。あるいは遠い山の花に は何の執着も感じないが、それを如来に供養したり、また前世から積んだ今世の宝にも、別に執着は 無いが、それを人に施すように、法においても物においても、布施にふさわしい巧徳が人それぞれに 備わっている。したがって、たとい自分の物でなくても、それを妨げない道理がある。その場合に、 物が軽小だからといって嫌うのでなく、その物が実際に役立つというのが大事である。 仏道を体得する場合は、おのずからなる道に従うときに、そうなるのである。得道の際は道そのものは 必ず道そのものにまかされていくのである。財物がそれ自身の宝に任されるとき、財物は必ず布施となる のである。さらに言うならば自を自に施し、他を他に施するのである。こうしした布施の縁による力は・・
56 : >>52 病人のまま、ちっとも治ってないじゃんjか。 来世になったら、また来世で同じことを繰り返すんだよアホ。 このまま、おっちんでしまえよ。
57 : >>53 あいかわらずのバカ丸出しだな。ハハハハハ・・・・
58 : 運の悪い人も良い人も実はいません。 それはただ、そういうものなのです。
59 : >>55 A ちゃん 同事 というのは、まさに さとりだね。
60 : >ほんとは今言葉にしたいものがある。けども少しあとにします。 今朝紅顔の美少年、夕べには野辺の煙りとなりて 昇りたつ。 明日があるとは、限らないのが、、いのち。 誰が先やら、後やら、わかりません。 わたしが先か、わたしが後か、あなたが先か、あなたが後か、判りません。 解らないから、聞くのです。 片手の拍手の音を聞いたら、もう聞くことも無いでしょう。 わからないを答えとして、答えを出し続けるに取り組んでください。
61 : 道元和尚は心身脱落した時は理屈上見えんで仏という事になるのか? どけんしてもわかったようなわからないような。出鱈目だしまあよいか。
62 : >>61 A ちゃん > 道元和尚は心身脱落した時は理屈上見えんで仏という事になるのか? どけんしてもわかったようなわからないような。出鱈目だしまあよいか。 しんじんが だつらくする とは、何だろう。
63 : > 魂こそ「自分の中心」である。 では、そのたましいを わたしのてのひらに のっけて 見せてくれ。 (人∀・)タノム
64 : >>56 ん?誰に向かってものをいってるんだ! 叛逆だ!
65 : ビシーヌ神、ビル遮那仏なんか言葉が似ている。一人は世界はビシーヌの夢でビル遮那仏は世界は三昧 というが同じでインド関係でぱくり合いの仏教とヒンズー教。真我と諸仏同じと言えば同じような。まあ 昔は特許が無いからぱくり自由だし良いか。仏の立場から見れば我々のこの世は夢やドラマみたいなもので 仏は死何の技だし本当は不生不滅なのは当たり前か。でもこの世に立つ立場から見れば生活しなければ死ぬ の立場だしほつとけも内に居ればほつとけ無い。まあ色々な大変な眼にあうまあよいか。頭も地球にはたく さんあるし脳もたくさんまあ色々な立ち話。世界が消滅したときの真我は立場無し?ブラフマンはアートマン と同じ゛だつたのがバレル。でも立場はなくても夢でも寂しいより増し化?妄想化
66 : 苦しむのは物事の全てを善悪の物差しだけで計る癖がついてしまっているからではないのでしょうか。 私はこれが出来ないあれは嫌い、それを良い悪いだけで判断して肯定しない。 もう無意識の中で瞬時にどちらかに決めている。 他人も他人でその物差しで全てを計っている、だから当然衝突する、善悪しかないから。 心は欲求不満で充満する、そんな自分をまた善悪で裁く、悪循環の繰り返し、世界中で起こっている。 善悪だけで決めようとするから計らいの心があれこれと奔走する、どんなに計らっても満足することがない。
67 : 忘れていました。 善悪で裁く自分も肯定しないと、片手落ちになりますね。
68 : >>64 お前はポッタンと同じで、どうしようもなく強い我に苦しんで、持て余してる基地外さ。 傍から見ていて苦しんでるのがよく分かる。 相当な重症な病気だな。
69 : 若いころの臨済禅師(りんざいぜんじ)の修行は、直向き(ひたむき)で、純一(じゅんいつ)であった。 それを見ていた首座(しゅそ、)が 「この人はまだ若いが、人と違ったところがある」 と感心し、質問した。 「そなたはここに来てどれ程か?」 臨済 「三年です」。 首座 「これまで黄檗(おうばく)和尚に参(さん)じた事があるか」 臨済 「まだ参じたことはありません。何を聞いたらよいのかもわかりません」 首座 「どうして、仏法の根本は何ですか?と問わないのだ」 臨済は黄檗和尚に参じて 「仏法の根本」を質問したが、その声がまだ終わらないうちに 打ちすえられた。 戻ってきた臨済禅師に首座が様子をきいた。 「まだ言い終わらないうちに打ちすえられ、訳が分かりません」 主座 「ならば再度質問してこい」 こうして、三たび質問して、三たび打たれた。 臨済は首座に言った。 「幸いに慈悲をこうむって和尚に質問することができ、三度問いを発して三度打たれました。深い意味を悟ることができません。他の所で修行したいです」 首座は答えた。 「下山する時には、必ず和尚に挨拶してから行きなさい」 首座は先に黄檗和尚に会って言った。 「あの若者は甚だ真面目(まじめ)です。やって来たら導いてやってください。将来かならず一株の大樹となり、人々のために涼しい木陰を作ることでしょう」 臨済が出立(しゅったつ)の挨拶に行くと、黄檗禅師は言った。 「そなたは 大愚(たいぐ)和尚の所に行きなさい。その他の所に行くな。きっとそなたのために説いてくれるだろう」 臨済は大愚和尚のところに行った。 大愚 「どこから来た」。 臨済 「黄檗和尚の所から来ました」 大愚 「黄檗和尚はどのように教えているのか」 臨済 「私は三たび仏法の根本を聞いて、三たび打たれました。私に落ち度(おちど)があったのかどうか、それすらも分かりません」 大愚 「なんと、黄檗和尚はまるで老婆(ろうば)のように親切だ。くたくたになるまで教えてくれたのに、更にわしの所までやって来て落ち度があったかどうかと聞くのか!」 臨済は言下(げんか)に大悟(たいご)して言った。 「黄檗和尚の仏法は、根本そのものだ」 臨済禅師は黄檗和尚のもとに帰り、その法を嗣(つ)いだのであった。
70 : > 隻手の音声 今、言葉にすると、 同行二人。 片手は仏様の手 無心の手 ではないだろうか?って言ってみるテスト?。。 でも、その音は今の私には聞こえないです。 ほとんど冗談なのでしょうが、2chで誰かが言いました。 右手と左手の片手の人が、手を打てば、音は出る、と。
71 : >>68 病気でもかまわんさ・・・。 強い我に苦しんで、持て余してる? そんなの占い師が「あなたには何か悩みがありますね?」と言うのと同じだ。 悩みのない人間なんていないからね・・・。 私が欲するのは、あの栄光だ。まあ私しかわからんことだから何もいわんが。
72 : だったら黙ってな。
73 : >>72 僕に命令できるのは僕の彼だけです・・・。
74 : >ポッたん 私はポッたん仙人が正しいと確信します。 ロンバカこそが誤りであることは毛頭わかっていたこと・・・・。 ろん馬鹿の氾濫はナチスと同様の危機であり阻止せねばならない・・・。
75 : 多数派を根拠に自演による少数者洗脳が行われているのは 周知です。 この計画は阻止されるべきです。 通報制度で同一思想の収斂をすると多くが感染しています。 もはや酌量の余地はなく、極刑をもって臨むしかありません・・。
76 : ロンバカは禅を馬鹿みたいに語っている。 ポッたんを攻撃し続けているのもロンバカの自演部隊です・・・。 町野という禅者のブログもロンバカの釣り拠点だろう・・・。 ポッたんは間違ってなかった・・。 狗も同様の一味だ・・・。 それがロンバカ連合の陰謀だったんだ・・。
77 : この陰謀論好きは・・・・ undoはろんのなれの果てなのか?
78 : まあ一生懸命道歩いている人の孝子師匠の悟りの応援かなのか、かないマイナーな詩だがまあ良いなあ。 私は悟りは一生懸命でないし今はさあとりあえず仏に引かれてるし他力本願でもまあ良いか。 でも詩が Answer 答えと? どこまでも続く草原を あてもなく歩いてる 悩みはつきず 時はめぐる 心に降りつもった 幾千の塵 自信を失くして 立たずむ夜も 私が自分を 好きでいるね 終わりの見えない 孤独な静寂(とき)も はるか宇宙の ほんのまばたき 離れゆく誰かの心は もう二度と戻らない こんなにも手を振る私も 瞳には映らない 分かり合えない恋もあると 初めて気付いた夏 空が澄んでた あなたがあなたで いられますように 私はここから 祈っている 深くてせつない ため息の海に 沈む夕陽を見つめながら 風に吹かれて 身を任せる すべての答えは今 私の中に 出逢った奇跡も 別れゆくことも 未来が用意した 試練達 終わりの見えない 孤独な静寂(とき)も はるか宇宙の ほんのまばたき あなたがあなたで いられますように 私はここから祈っている かなたに続いた この道の先に 光り輝く未来がある
79 : 実践だけが全てですね…。
80 : 般若心境ネタで 至難死何の仏の気楽な立場で書かれても? 実際は無い話を、実態は無い話に置き換えて分かり易く願います。 有る元々の実体?ビル遮那と名つけるが世界を色々空想してその 中の一人が私だつたら?私の実態は有るのか無いのか?元々はビル 遮那の空想三昧か?まともに考えれば私はビルシュナの立ち話で私 は元々空想是色で空想無ければ立場が無いか。実際は私はビル遮那 の空想なのか。私の立場は今は有るけど死い死いと追いかけられて でもビル遮那は真我好きだと信じるから気が変わるまでは永遠化。 この世の記憶は消滅するけど気が変わるまで真我はあり輪廻転生も 続く、そうじゃ無いと世界の存在の意味も無いと私の立場から考える。 申そうでも立ち話。それぞれの立場で立ち話三昧が正解か。あまり考 えず適当に書くので茶碗ぽらんで優しい出鱈目か? 私はどうしても三味という言葉のが良くわからない?言葉は意味不明だらけ 人に聞けば私は意外とプライド他界
81 : よろこべ ポッタン! キチガイ安堂がお前の信奉者になったようだ! キチガイのみがキチガイを信奉する、これ狂信の法則。
82 : >>78 A ちゃん 男女間の恋愛感情を何にたとえるのか。 性欲か、生存欲か。 もっと昇華された人間愛か。 人間すらない ほとけのことか。
83 : >>80 A ちゃん (´ヘ`;) う〜ん・・・ どー レス付ければいいのかなーと、小一時間・・・思案中(― ―*)。。oO
84 : >>74-76 Ann ちゃん Ronを禅者と見た事は、無いよ。 ヒトは 2個の眼を持ち、2個の耳を持ち、鼻は2個の穴を持ち、手はふたつ持つ。 これは、外界の様子を感覚する、あるいは,直接外界を見、知る。 これらは、インターネットにたとえていい。 自己があって、他者があって、やっと成り立つ。 他者を斬り捨てるやいばは同事に自己をも斬り捨てていることを知らない者は、政治経済のビジネス社会であれ、文学芸術の世界であれ、許してはいけない。 大学生にはなったものの、就職せず、裏表8年を無為徒食に過ごす者が居る。 また、院に入学試験を変えだまさせ、落ちたと言って、その後何十年も、責め続ける人も居る。 すべては、己がどう生きるか、どう死ぬのか、である。 生まれたから、死ぬ。 生まれなければ、死ぬことも無い。 まあ、Ronに関して言えば、人を切り捨てるのに、公的資格、国家資格があるとすれば、無資格者だね。 そう言うことだ。
85 : > 人という字 一つが二つに枝別れしている それは二元論人間論、ほんとは良くわからない恥書いただけ。早く逃げろ これは 武田哲矢の最大の犯罪。 または、期末テスト。 人と言う字は、 人が歩いている姿を横から見て、表意した文字。 支え合うとか、さもありなん的説明までつけての大嘘は、向こう正面ばかりではなく、A ちゃん までも、だましたんだねー だまされるな、めざめていなさい、と シャキャ族の聖者が、言う。 >・・万巻の書を読むって、 自分のためなんかじゃなく、目の前のことのため、なんだね。 万巻の書を読む時期があるんだよね。 あっちこっち、聞き回る、と言うか。 つまり、解っちゃいないから、手当たりしだい探し物してる、と言う具合。 この頃は、自分の事ばかりだね。 理解(りげ) とも言う。 でも、こういう時間の経過も大切なのではないだろうか。 本は、先人の知識のい集積、知恵の集積。 他者理解のツール。 神通力とは、他者の立場に立つと言うこと。
86 : >>84 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」 ということですな・・・。
87 : >>81 >よろこべ ポッタン! >キチガイ安堂がお前の信奉者になったようだ! >キチガイのみがキチガイを信奉する、これ狂信の法則。 私は誰のことも信奉してはおりませぬ・・・。 誰のことも信奉してはなりませぬ。 悟りを得たならば、悟りを求めてはなりませぬ。ただ修行をするだけであります。 ただし煩悩の残りがあるならば、しばらく針山を登らねばならない。
88 : >>86 Ann ちゃん > 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」 〜するな。 と、命じる者など、要らない。 イラネッ(゜Д゜=)ノ⌒゜
89 : >>88 そう、だから法律は〜するな、とは書かれていない・・。 〜した者は、罰金懲役死刑うんぬんが書かれている・・・。
90 : そりゃ刑法だ。〜するな、という法律のほうが多いよ。
91 : あれやこれや熱心に宇宙とはとか三会惟心とか考えた玄沙和尚も「全世界に仏法を理解している 人を求めても、一人も得ることは出来ない」解らない真理ませんと言うし、御釈迦さんに求めても 無理なのか。私はそれほど考えないうちから解らないと言う、もつと考えろ山の三合目でもう心理ま せん。何か物理学や形而上的問題が心理学の問題なのか?宇宙や実態が生きている生物化よくわからん でも何か生きている様な、だから皆本当はビル遮那仏も世界自体も良くわからんで悩んでいる のか?だから求道者が真理良くわからんで諦めると感同してあーやつと解って暮れれたと思いは皆一緒 でその時我を張らず皆素直になつて入るのか。ということで私はもう五百回輪廻して野狐禅に励んで居 なさい。まあなんだが足らん。
92 : 泣く子と地頭には敵わないで、大きな親おやには小を面倒でも面倒みる責任いや 親心仏心が有るのか。赤ちゃんは何か一寸した事で泣き叫ぶし面倒でもほっとけない。 そのように大法輪はほつとかれても安心だから、泣いている小法輪を解らせようとし ても中々大変。特に食欲は単純だが色欲と社会欲あと悟り善く無数の善くは必要といえば 必要であるのだから楽しみすぎなきゃ当たり前、楽しみが過ぎると苦しみが来るし それを解らせるのが平常進化か、まあ適当に欲張り過ぎなければ仏も自由か。 小を否定すれば益々泣くし煩悩を旨く使うのが密教だけど、いつの間にか仏が使われてしま うし迷うし。適当は難しいし何言っているのか解らなくなつた。とにかく普通で何でもありのまま。 小さい心にもうんそうじゃの理解があれば少しずつほさつとしてもまあ良いになるか。
93 : >>89 Ann ちゃん 絶対の一神が 神の前は、 平等を説く ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のみっつの名前、ヤハウエー、イエス・キリスト、アッラーと変えていく宗教は、まるで違う宗教のよう。
94 : >>91 A ちゃん > 玄沙和尚も「全世界に仏法を理解している人を求めても、一人も得ることは出来ない」 すでに山川草木国土悉有仏性
95 : >>92 >何言っているのか解らなくなつた。 (´ヘ`;) う〜ん・・・、なんだろうねー
96 : >あ、いえ・・眼が悪いのではなく・・肺炎。。 ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!! 肺炎でしたか。。 肺炎は、二つの病気から構成されているそうで、 (◎_◎) ン?、なんだろうね。。 歯と胃炎、つまり 肺炎 加齢による肺炎は、誤嚥(ごえん)が原因とも言われる。 鬼和尚は御縁があるようにと、お駄賃のI円玉 だが・・ お幼い園児の頃か、 お年頃の頃か、 老夫婦か、 手を摂って歩くのは。 特に、 老夫婦がお互いを頼みの杖と思い、ゆっくりと歩いているすがたには、しばし、見とれてしまうほど。 先に、相手の立場に立つと言うのは、神通力とおおげさに言いましたが、 相手の立場に立つとは、さとり ですね。 >目の前のことになりきる練習中にふと、そう思った 三昧(ざんまい) サマーディ と言うことだろうか。 夢中になっている事、などと言われるが、これは 分別しない を言う。 あれとこれがない。
97 : >>93 一神教は今後どうなるのやら・・・。 戦争を続けるのでしょうかねえ。イランは経済封鎖でもくらってるんだったか・・。 身近にスパイがいて密告されるから、イラン国民は政治的なことは一切しゃべれないんだとか・・。 一神教より悟りであろうか・・・。 テレビやパソコンばかりやっていると悟れないらしい・・・。 ポッたんはその理由をご存じだとか・・。
98 : 悟りとかクンダリーニとか大周天とか本やネットで見ても凄い凄いと書いてあるけど本とかなあ と思う。最近気になる尾骶骨から背中の振動?鼓動感なんかクンダリーニなのかよく解らんので ネット色々見たが、凄い超能力?そんなものあるような?内容無い無い、くだらない。そう クンダリーニは降らないと大変と書いてあるし、禅病は白隠さんのなんその法が要するに頭の てっぺんに、イメージとして河童の皿の所のジョウロから水入れて冷やし背骨沿いに流れ落として いけば良いのか。私はなんも困る症状は無く気にしない性格なのでどんな修行も中途半端で困る 症候群だし。でもなんでか書き込みは続くのはなんでか、それは書きたいから当たり前。続く ものは続くし続かないものは続かない。そうか夢中になっている時はあれこれ忘れて時間損した。 無駄な時間が多い。無駄でない時は色々煩悩。
99 : 政治とか社会に宗教は縛られず自由と言うが、キリスト教が世界に広がったのも 圧倒的な軍事力で征服された国の小さな宗教は潰され、金もつかまされて世界に 広がった。宗教団体も生物だし?食い物が人々で沢山の食い物食べる動物は強大 な宗教いや団体ででも今は金が強大になり本との宗教は金教なのか。そのてん ユダヤの人はどの国の中に居てもユダヤの国の人で、金に使われず金を使うのか やつぱり油断出来ない鍛えられている。生命体とは何?一つの輪○。輪から内と ○の外○○。魔法とは丸の中では法は守られるけど○の外では○出聞かない。 そんな色々な二元論の輪で世界は成り立っている。生きているとは何??
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