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2012年5月世界史110: 【東アフリカ】スワヒリ語圏【アラビア半島】 (143)
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【東アフリカ】スワヒリ語圏【アラビア半島】
1 :12/03/24 〜 最終レス :12/05/05 スワヒリ語圏の歴史、文化について語るスレです。 対象地域は現在スワヒリ語使われている地域、 かつて使われていた地域です。 また、スワヒリ語圏だけだとネタが少ないので、他のバントゥー語群(ショナ語や ズールー語など)の話もあっていいかと思います。 主な対象国、地域: タンザニア、ケニア、ウガンダ、紅海南部、アラビア半島南岸、ペルシャ湾岸、コンゴ民主共和国、 ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、コモロ、モザンビーク、マラウイ、マヨット島等
2 : 今じゃ、中東側はスワヒリ語まったく使われて無いんだよね? ソコトラ島辺りで話されていたらおもしろかったんだけど。
3 : スワヒリ語って、使用人口増えてるの?減ってるの?
4 : オツガイが来るとスレが伸び、こないと伸び悩む法則
5 : スワヒリ文明って、ブラックアフリカでは珍しく文字があったんだから、 ヨーロッパ人が来る前の記録もいろいろ残ってて良さそうなもんなんだが、 アフリカ史の本読むと、他の地域と同じぐらい大雑把なことしか書いてないよね? あんまり研究が進んで無いだけなのかな。
6 : インド洋の歴史 http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1253671468/
7 : >>5 長期的に記録を残したいような場合は、アラビア語で書いたんじゃないの? スワヒリ語って商業言語だし。 16Cのキルワ年代記だってアラビア語で書かれてるしね。
8 : 東アフリカはえらい人口爆発地帯のようですが、スワヒリ語も増えるのだろうか
9 : そうなの? どの国の人口が増えてる?
10 : スワヒリ首都たるザンジバルのあるタンザニアは増加率2-3%、近年でも下がらない状態 なのでこのままだと数十年で2億とか3億になっちまうとか
11 : 先頭に立ってスワヒリ語を普及させているタンザニアの人口が増えてるんなら、 当然スワヒリ語人口は拡大だろうな。
12 : ここに出てくる『キルワの慰めの書』って初めて聞いたんだけど、 キルワ年代記とはまた別に、そういう記録があるんだろうか? http://kokkaron.web.infoseek.co.jp/2003_rep.html
13 : 関連スレ 【サハラ以南】アフリカ史総合【ブラックアフリカ】 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1296298389/l50
14 : イスラム世界って南はどこまで知られてたん? 喜望峰を周航したのは本当にヴァスコ・ダ・ガマが最初なのか?
15 : ヴァスコ・ダ・ガマは単に、キリスト教徒で最初ってだけ。
16 : これいいよ。 これだけの情報をただで公開してくれているのはありがたい。 旧海洋イスラーム王国キルワ島にみるスワヒリ海村の構造 http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/10227/1/ キルワ島スワヒリ海村.pdf
17 : >>11 あとは、スワヒリ語を積極的に採用する国が増えるかどうか。
18 : ペルシャ人、ペルシャ語文化圏の歴史 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1329219743/l50
19 : 気 あ を の 付 民 け 元 主 .ろ 朝 党 鮮 .員 人 圖 ∧_∧ ( ´∀`) ( ○ ) 280 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:26:01.31 ID:sGoAT50E 三年前ごみんすに投票した連中、今どんな気持ち? 287 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:27:00.18 ID:P8V2Yy+50 >>280 橋下様なら何とかしてくれるとお経上げてるよ。 09年の選挙では 民主なら誰でもよかった 今度の選挙では 維新なら誰でもよかった 幾らB層でも流石にこうはならないな
20 : オツガイ流石に守備範囲外か
21 : >>7 >長期的に記録を残したいような場合は、アラビア語で書いたんじゃないの? >スワヒリ語って商業言語だし。 やはり表現力でだいぶ劣るのかねぇ。
22 : 571 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/01/27(金) 21:38:12.17 0 イスラーム化した海岸諸民族は、他の民族と区別されアラブ人と同一の社会を構成した。 その場合14?15世紀に薄いスワヒリ語を媒介とした連帯が16世紀に完成したと見なす。
23 : スワヒリ文明って言い方もあるんだねぇ。 初めて知った。
24 : 単に言語だけでは無い、共通の文明基盤があるってことなのかな?
25 : アフリカの言語2 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1330324412/l50
26 : >>24 文明基盤とまではいかなくても、いろいろと共通点は多かったのだろうね。
27 : >>1 ショナ語と言うと、ジンバブエ、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ ズールー語というと、 南アフリカ共和国、ジンバブエ、レソト、マラウイ、モザンビーク、スワジランド だから、かなり広範囲だね。
28 : ジンバブエ http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/africa/1228299733/l50
29 : 81 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/02/02(水) 12:20:26 0 それとオマーンは半島起源だが、一時期はザンジバルの方が栄えていたらしい。 1960年代のアラブ人追方騒動以来はアラブの影響激減したろうとおもうけど。 85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/02/02(水) 13:39:03 0 >>81 サイイド・サイードの時代には、ザンジバルを拠点とし、ソマリアの南部からケニア、 タンザニアにかけての沿岸部を支配していたな。 この時期の東アフリカでは、沿岸部の港町と内陸を結ぶ通商がいっそう盛んになった。 またサイードは、通商以外の経済の育成にも熱心で、クローブの木を導入して 栽培させ、これが輸出されて多くの利益をもたらした。 1834年のイギリスの報告書によれば、サイードの歳入は年25万ドル(マリア・テレジア銀貨)で、 うち15万ドルがザンジバルからのものであり、本国マスカトからのものは10万ドルでしかなかった。
30 : >>21 スワヒリ文化の土台は、12〜13世紀に形成されたと考えられているけど、 スワヒリ語の文献で現存しているものは18C以降なんだよね。 大体その時代に、アラブ人とアフリカ人の間のコミュニケーション言語 としてスワヒリ語は重要度を急激に増してきた。
31 : 現存している最古のスワヒリ語文献は、インドのゴアで発見された書簡文。 1711年〜1728年にキルワから送られたものと推定されていて、アラビア文字で書かれている。
32 : タンザニアでも、ケニアでも、スワヒリ語人口と言うのは少数派なんだよね。 少し古くて1972年の資料(Black Africa A comparative Handbook)だけど タンザニア: スクマ語 141万 ヤオ語 123万 ジグア語 69万 スワヒリ語 64万 ケニア: ギクユ語 189万 ルオ語: 139万 ルヒヤ語: 129万 カンバ語: 109万 スワヒリ語(海岸地域その他のバンツー語を含む): 50万
33 : 『エリュトゥラー海案内記』にも、この地域のことは結構出てくるよね。
34 : エリュトゥラー海案内記があるのはありがたいとして、そのあとは15世紀まで何も記録が無いのが寂しい。
35 : 三大陸周遊記が、14Cのキルワについて書いてくれてるだろ。
36 : オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/
37 : スワヒリ語は商業用語としてだけではなく、文学にもかなり盛んに使われてるよ。 現存するスワヒリ詩の最古の写本は、『タブクの戦いの書』(1728年)
38 : フレディー・マーキューリーがいなかったら、ザンジバルは今ほど有名な地名じゃなかったかもな
39 : >>34 鄭和の艦隊が遠征したときの記録もあるし。
40 : ザンジバルって、元々はポルトガルの拠点だったってことでいいんだろうか? それがどのようにしてオマーンの拠点に移り変わったり、またイギリスのものになったのか、 ざっくり流れを語ってくれる人がいるとありがたいんだが。
41 : >>38 パールシー(在印ゾロアスター教徒)がイギリス統治の後ろ盾でザンジバルいってただけだからなぁ。 当人はどれくらい郷土意識があったものなのか・・・
42 : >>40 オマーンとザンジバルの関係はここのサイトが詳しいよ。 ザンジバル共にオマーンの歴史もわりと詳しく書かれてる。 http://www.kaho.biz/at.html
43 : 四十五分戦争に燃えるな!
44 : >>42 ありがとう。いろいろ勉強になった
45 : マーチンは、ラム群島の歴史案内書『過去の探求』の中で、10Cの ペルシャ湾の船乗りの伝承として次の話を紹介している。 ある船乗りがオマーンから船出し、恐るべき嵐にあって黒人国(ジンジ)の浜辺に打ち上げられ、 黒人たちによって彼らの王のもとへ連れて行かれた。 姿のよい王は船乗りたちの話を聞き、難破船の荷を自分の土地で商うようにとすすめる。 そして船の修理も終わり、船乗りたちが立ち去る日に、別れを告げるためにみずから船を訪れた。 そこで王の立派な装束が奴隷ひとりの値よりもずっと高いことに気づいた船乗りたちは、 欲心をおこして彼を連れ去ってしまう。 それから何年かの後、くだんの船乗りの船はふたたび漂流し、ジンジの土地にたどり着き、 自分たちが奴隷として売ってしまった あの王を玉座に見出して仰天し、もはや命はないものと覚悟をした。 ところが、王は憎むべき誘拐者たちを、前にも増して歓待するのだった。 王は、メッカ巡礼者の従僕に売られた後、カイロへ行く隊商に加わり、そこで逃亡してナイルを遡り、 ジンジの国へ戻ったのだと話す。 そして、自分がイスラムに改宗したことを告げて言った。 「アラーはわしに微笑を給うた。ジンジの国で、わしほどアラーの恵みに浴したものはいないだろう。」
46 : シンドバットの話のなかで、この地方のことを伝えた話ってどれになるんだろうね?
47 : >>41 港湾都市の住人って、どこでもそんなもんでしょ?
48 : http://www.ustream.tv/recorded/21515843
49 : ザンジバルは交易が盛んってきくけど商品は何を扱ってたの? 奴隷?
50 : 香辛料の丁子(クローブ)でしょう。 さすがに20世紀に奴隷貿易を大々的にはやっとらんて。
51 : >>49-50 オマーン領だった時代は奴隷と象牙が主な交易品だったらしいね。 イギリス領になってからは奴隷制も廃止されたらしいけど。
52 : >奴隷と象牙が主な交易品 いかにもアフリカって感じの品目だなぁ・・・
53 : マダガスカルって旨味の無い土地なのかなあ 近代までどの国も領有しなかったし。 ヒットラーがその気になればユダヤ人の島になったかもだけど
54 : ユダヤ人も結構その気になって狙ってたろう
55 : オマーン海上帝国ってなかなか惹かれるけど、なんせ期間が短いんだよなぁ。
56 : >>53 いや、アフリカの大半は1870年ぐらいまで(欧米の)どの国にも領有されてなかったんだが。。。
57 : >>56 結局フランス領になったんだっけ
58 : >>55 ティムール帝国なみの一代の徒花だからなぁ・・・ シャー・ルフのいないティムール帝国みたいなもん。
59 : オマーンの歴史自体はそれなりに長い。 ただ最盛期が短かったということで、ポルトガルに近いものを感じる。
60 : オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板] http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/134 134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/03/06(火) 02:19:14.33 ID:6SJQ9Uxr Oman–United States relations - Wikipedia, the free encyclopedia (オマーン-アメリカ合衆国関係) http://en.wikipedia.org/wiki/Oman%E2%80%93United_States_relations > Oman was the first Arab nation to recognize the United States, sending an envoy in 1841. オマーンは、アメリカ合衆国を承認した最初のアラブ国家であり、1841年に使節を送っている。 > The United States has maintained relations with the Sultanate since the early years of > American independence. A treaty of friendship and navigation, one of the first agreements > of its kind with an Arab state, was concluded between the United States and Muscat in 1833. アメリカ合衆国は、独立して間もない頃から、このスルタンの統べる国との関係を持ち続けている。 1833年には、アラブの国と結ぶ条約としては初めてとなる和親と航海に関する条約が、合衆国と マスカット政府との間に締結された。 > This treaty was replaced by the Treaty of Amity, Economic Relations, and Consular Rights > signed at Salalah on December 20, 1958. 1958年12月20日、「親善、経済交流、領事権に関する条約」がサラーラで署名され、前述の 和親と航海に関する条約に取って代わった。 > External links (外部リンク) > * Embassy of Oman - Washington, DC 在米オマーン大使館 [http://omanembassy.net/] > * Embassy of U.S.A. - Muscat 在オマーン米大使館 [http://oman.usembassy.gov/]
61 : オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1 [イスラム情勢板] http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/135 135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/03/06(火) 02:36:17.10 ID:??? >>134 欧米列強からの開国要求をオマーン全盛期の頃の君主 サイード・ビン=スルタンの治世に迎えられたというのは、 幕末で混乱していた日本とは違って、実に運が良いな。 サイード・ビン=スルタンの死後、後継者問題で揉めて、 マスカット政府とザンジバル政府が分離してしまったが、 もしそうならずに済んでいたら、日本よりも先に列強の 仲間入りを果たしていたかも知れない。
62 : まさか、スワヒリスレがこんなに盛り上がるとは思わなかったw
63 : 131 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/02/11(土) 19:27:02.10 0 ザンビアの伝承ではカルルという兎がいて、狡猾なキャラとして描かれている。 アメリカでも一部地域では兎を見かけることは不吉とされているが、黒人奴隷 からアフリカの俗信が伝わったから、という説がある。
64 : >>62 しかも、ケニアとタンザニア以外の話題の多さにもビックリwww
65 : 以外っても、ほとんどオマーンじゃね?
66 : そう言えばそうだなwww
67 : >また、スワヒリ語圏だけだとネタが少ないので、他のバントゥー語群(ショナ語や >ズールー語など)の話もあっていいかと思います。 と言ってるのに、そっちは全くレスが無いw
68 : なんと、いつの間にかイタリアスレをレス数で抜いていたw
69 : アラブの航海者イブン・マジードもスワヒリ語を話せたのかな?
70 : 時代的に見て微妙かな。 17Cなら確実に話せたと思うが、16C初頭だと、そこまでポピュラーじゃなかったかも。
71 : >>69 著作はアラビア語ばかりだから、片言くらいじゃないかな?
72 : その時代、スワヒリ語は文章を書くための言語として確立していなかったから、 著作がアラビア語かどうかは判断材料にならないよ。
73 : >>68 イタリアが過疎り過ぎなんだよ。 イタリアの古代はローマ帝国になってしまう分、他のヨーロッパの国に比べて歴史が短くなってしまうせいかもしれんが。
74 : >>73 他のヨーロッパの国だって歴史短いよ。それぞれようやく国家としての態をなしたのは、 西ローマ帝国崩壊以後にフランク王国矢なんかが台頭しはじめたころだろ。 それ以前でローマが健在なころは、ゲルマン人やローマ化が進んでないケルト人など、 奴隷市場で牛馬より安く売られる存在だろ。
75 : >>67 >>63 を見ろ
76 : タンザニア旅行記 ザンジバル http://niger684.blog111.fc2.com/blog-entry-134.html
77 : >>32 ただ、ザンジバル人はほとんど全員がスワヒリ語が母語。 大陸の言葉とはちょっと違うらしく、ザンジバル・スワヒリ語と呼ばれる。
78 : 日本でも浜言葉と村言葉と町言葉は近い地域でも随分違うじゃないか。
79 : なんでそんな微妙な例をw 距離感が違いすぎだろ。
80 : 江戸弁と長崎弁の差くらいのものか?
81 : ヴァスコ・ダ・ガマとその乗組員は、荒涼たる地、せいぜいギネア海岸や コンゴでのポルトガル人の経験の繰り返しを予想してやってきたので あるが、彼らがぶつかったのは、堅固な石造の町と海運でにぎわう港であった。 彼らが出会った人びとは、東方の海を航海し、彼ら自身よりも多く航海のことを知っていた。 彼らが見出した都市国家や政府は、ヨーロッパで彼らが見た どれにもおとらず、富裕で洗練されたものであった。 「この地に二日か三日滞在したとき」とダ・ガマの旗艦サン・ガブリエル号 (全長75フィート)の航海日誌は記録している。 「この国の紳士二名がわれわれに会いにやってきた。彼らはひじょうに高慢で、 われわれがあたえたものには目もくれなかった。彼らの国の一青年は --手まねから理解したところでは--遠い国の出身であり、すでにわれわれの 船のような大きな船を見ていた。」 実をいえば、この東方の旅行者はずっと大きな船を見ていたに違いない。 彼はマストのたくさんあるインドやセイロンの船で航海したであろうし、その帆が 「空の大きな雲」のようだといわれた中国の大型外洋船さえ知っていたかもしれない。 この東海岸の文明の多くは破壊されてしまった。海岸地方の北の一部を 除けば、その物質的繁栄は、全然といっていいほど残っていない。 サン・ガブリエル号の航海日誌に記録された「高慢な紳士たち」の都市は、 おそらく今日のモザンビックのクェリマーネであったろう。 約四世紀のち、クェリマーネを訪れた一イギリス紳士は、それが荒涼とした 絶望の地であるとみて、「地上もっとも恐るべき場所」と名付けたのである。 デビッドソン著『ブラック・マザー』
82 : モザンビーク http://koyaarchitects.com/travel_mozambique.html
83 : >>81 モザンビークって、航海時代のポルトガル植民地時代の街並みが、世界で一番よく残ってるところ らしいけど、ってことはつまり、それ以前の街並みが破壊されたってことなのか?
84 : >>81 クェリマーネってどこ? ぐぐっても全然ヒットしないんだが。
85 : 下手にカタカナにされると、ぐぐりようがないよなぁ。 元のスペルが分かると、まったくヒットしないってことは無いと思うんだが
86 : >>84 ケリマネ(Quelimane)の誤訳・読み間違いだろう。
87 : 近代海岸?
88 : >>86 訳者や校正担当者は、誰もポルトガル語やスペイン語が分からなかったのか? ひどい話だね・・・
89 : >>81 の文章自体、イマイチぎこちない日本語だから、あまりレベルが高い翻訳者じゃないんだろうな。
90 : >>81 公開術の先生は、イスラムじゃなくてインドだったんだな。
91 : 専門外だったら、ポルトガル語やスペイン語が分からなくても仕方ないけれど、 分からないものを当てずっぽうで訳してしまうのは、翻訳者としてどうかと思う。
92 : ただ、一昔前の翻訳って、かなりいい加減だったりするよ。
93 : >>87 どう言う意味?
94 : 素朴な疑問なんだけど、なんでケニア、ナイロビって20Cになってあんなに栄えてたの?
95 : ケニアッタのお陰?
96 : マウマウ団の乱に惹かれる。 名前だけだけど。
97 : >>93 modern beach
98 : だから、単語で書くなって。 何がしたいんだよ。
99 : >>94-95 ケニアッタが親米・親西側諸国の政策を貫いて、 ケニアッタ以降もそれを踏襲したからだろうね。
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