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2012年6月政治思想66: 【尚武の】◇◇◇三島由紀夫◆◆◆【こころ】 (650) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【尚武の】◇◇◇三島由紀夫◆◆◆【こころ】


1 :09/11/03 〜 最終レス :12/06/08
檄文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html
演説文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html
三島由紀夫(本名、平岡公威)
http://image.rakuten.co.jp/auc-artis/cabinet/s-2540.jpg
http://www.c21-smica.com/blog_century21_nobu/img_1596165_27088893_0.jpg
大正14年(1925年)1月14日、東京都四谷区(新宿区)永住町2に
父・平岡梓(元農林省水産局長)、母・倭文重の長男として誕生。
三島由紀夫関連過去スレ検索
http://makimo.to:8000/cgi-bin/search/search.cgi?q=%8EO%93%87%97R%8BI%95v&sf=2&all=on&view=table

2 :
日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、
手をこまぬいてゐなければならなかつた。
もつともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。
私は諸君に、男子たるの自負を教へようと、それのみ考へてきた。
一度楯の会に属したものは、日本男児といふ言葉が何を意味するか、終生忘れないでほしい、と念願した。
青春に於て得たものこそ終生の宝である。決してこれを放棄してはならない。
三島由紀夫
遺言「楯の会会員たりし諸君へ」より

3 :
三島由紀夫先生は日本の将来を憂いておられた。
楯の会の世代のあとは日本の武士はいなくなると思ったかもしれない。
しかし、俺らの世代も文武を磨いて立派な武士になれることを
証明しようではないか。
日本の精神、文化、価値の源でおられる天皇の下、海ゆかば山ゆかば我々は
武士たることを貫く。男の中の男であることを世界に示し続ける。

4 :
もうすぐ11月25日ですね。毎年集い追悼祭を行なっております。両烈士の精神を継承し続けたいものです。

5 :
大事な話なんで、渾身の反米魂と反ポチ魂をもって
…とりわけポチアウンサン・スーチーとポチラビア・カーディルの従米反亜路線を憎みつつ…
繰り返す!!!!
三島由紀夫先生は日本の将来を憂いておられた。
楯の会の世代のあとは日本の武士はいなくなると思ったかもしれない。
しかし、俺らの世代も文武を磨いて立派な武士になれることを
証明しようではないか。
日本の精神、文化、価値の源でおられる天皇の下、海ゆかば山ゆかば我々は武士たることを貫く。男の中の男であることを世界に示し続ける。
だから…武士の情けで共和国を許そうよ!
そう鈴木邦男先生も言ってるし。
大日本報靖會 ◆lZCvso1D7Uを名乗る者の条件とは?
◎強固な反米思想である事
◎アメポチ壊滅に全身全霊を傾ける武士である事
◎薩長のポチ、マッカーサーのポチであった天皇家には敬意を払わない事
◎反米思想を有する者ならいわゆる左翼でも同志と認める事
◎日米安保破棄など反米思想のイロハのイであるから容認論者は敵と見なす事
◎一水会の理念を信奉する事(ポチや珍風を撹乱するためにたまに一水会の悪口を言うことは可)
◎アジア諸国の反日行為には決して怒らない事
我々はネオナチではないのだから
◎アジア諸国には常に大いなる愛情を持つこと
◎アジア諸国に良い国悪い国の差は無いことを肝に銘ぜよ
◎「西洋に良い点などないんだぜ」を知ってる武士たる事

6 :
>>5
トリップがないあなたは>>3の方とは別の方でしょうか。
三島由紀夫は、アジアだから全部いいとか単純な見解ではないですよ。
中国共産党の文化大革命へ抗議声明を出してますし、反日教育をしている朝鮮学校の批判もしています。

7 :
>>5は私ではありません。
つまらないので相手にしないほうがいいですよ。

8 :
>>6
3と5は私です。
7は私(大日本報靖會 ◆lZCvso1D7U)の偽物です。
おそらく7は三島先生とアジア人が嫌いなのでせう。
大日本報靖會 ◆lZCvso1D7Uを名乗る者の条件とは?
◎強固な反米思想である事
◎アメポチ壊滅に全身全霊を傾ける武士である事
◎薩長のポチ、マッカーサーのポチであった天皇家には敬意を払わない事
◎反米思想を有する者ならいわゆる左翼でも同志と認める事
◎日米安保破棄など反米思想のイロハのイであるから容認論者は敵と見なす事
◎一水会の理念を信奉する事(ポチや珍風を撹乱するためにたまに一水会の悪口を言うことは可)
◎アジア諸国の反日行為には決して怒らない事
我々はネオナチではないのだから
◎アジア諸国には常に大いなる愛情を持つこと
◎アジア諸国に良い国悪い国の差は無いことを肝に銘ぜよ
◎「西洋に良い点などないんだぜ」を知ってる武士たる事

9 :
>>8
なにが楽しくて生きているのですか?

10 :
>>9
>>8も俺ではありません。
たぶん身体障害者で、ほとんど外出できないので一日中ネット
やってる気の毒な人なのでせう。
だから健康な尚武の私達に妬みや怨恨を持って、嫌がらせに同じような
書き込みをしているようですが、根性もまがっていますね。

11 :
>>9
楽しみは米帝を粉砕した後までお預けです。
そして新右翼義勇軍としてワシントン攻略作戦に参加し、勝利目前に敵の放った最後の一発の弾に当たって散華する…
そんな「もののふとしての生き様」を示したい!
と念じて日々米帝やポチやネオナチと戦ってます。
ちなみに10は私(大日本報靖會 ◆lZCvso1D7U)の偽物です。
7の偽物と同一と思われます。10にて本物である私を誹謗中傷していますが、その書き込みの内容は結局10=7の毎日の生活を自己告白してるのでしょう。
反米愛国新右翼である私には無縁の腐った豚のような生き方です。
大日本報靖會 ◆lZCvso1D7Uを名乗る者の条件とは?
◎強固な反米思想である事◎アメポチ壊滅に全身全霊を傾ける武士である事
◎薩長のポチ、マッカーサーのポチであった天皇家には敬意を払わない事◎反米思想を有する者ならいわゆる左翼でも同志と認める事
◎日米安保破棄など反米思想のイロハのイであるから容認論者は敵と見なす事◎一水会の理念を信奉する事(ポチや珍風を撹乱するためにたまに一水会の悪口を言うことは可)
◎アジア諸国の反日行為には決して怒らない事
我々はネオナチではないのだから◎アジア諸国には常に大いなる愛情を持つこと
◎アジア諸国に良い国悪い国の差は無いことを肝に銘ぜよ◎「西洋に良い点などないんだぜ」を知ってる武士たる事

12 :
国体は日本民族日本文化のアイデンティティーを意味し、政権交替に左右されない恒久性をその本質とする。
政体は、この国体維持といふ国家目的民族目的に最適の手段として、国民によつて選ばれるが、政体自体は
国家目的追求の手段であつて、それ自体、自己目的的なものではない。
民主主義とは、継受された外国の政治制度であり、あくまで政体以上のものを意味しない。
これがわれわれの思考の基本的な立場である。
旧憲法は国体と法体系の間の相互の投影を完璧にしたが、現憲法は、これを明らかにしてゐないことは
前述の通りである。
けだし、国体の語を広義に解釈すれば、現憲法は二種の国体、二つの忠誠対象を、分裂させて持つてをり、
且つ国民の忠誠対象をこの二種の国体へ分裂させるやうに仕組まれてゐるからである。
三島由紀夫
「問題提起」より

13 :
国体は本来、歴史・伝統・文化の時間的連続性に準拠し、国民の永い生活経験と文化経験の集積の上に
成立するものであるが、革命政権における国体とは、いふまでもなく、このやうなものではない。
革命政権における国体は、未来理想社会に対する一致した願望努力、国家超越の契機を内に秘めた世界革命の
理想主義をその本質とするであらう。
ところが、奇妙なことに現行憲法は、この相反する二種の国体概念を、(おそらく国論分裂による
日本弱体化といふ政治的企図を含みつつ)、並記してゐるのである。
これが憲法第一章と第二章との、戦後の思想的対立の根本要因をなす異常なコントラストである。
…第九条についてはあとで詳述するが、国際連合憲章の理想主義と、左派の戦術的非戦論とが癒着した
この九条において、正に同一の条項が、一方では非武装平和主義の仮面の下に浸透した左翼革命勢力の抵抗の
基盤をなしたのであつた。
三島由紀夫
「問題提起」より

14 :
(中略)
…国体と政体の別を明らかにし、本と末の別を立て、国にとつて犯すべからざる恒久不変の本質と、
盛衰を常とする政体との癒着を剥離することこそ、国の最大の要請でなければならない。
そのためには、憲法上、第一章と第二章とが到底民族的自立の見地から融和すべからざるものであり、
この民族性の理念と似而非国際主義の理念との対立矛盾が、エモーショナルな国民の目前に、はつきり
露呈されることが何よりも緊要である。
このことは、グロテスクな誇張を敢てすれば、侵略戦争の宣戦布告をする天皇と、絶対非武装平和の
国際協調主義との、対立矛盾を明示せよ、といふのではない。むしろその反対である。
もし現憲法の部分的改正によつて、第九条だけが改正されるならば、日本は楽々と米軍事体制の好餌になり、
自立はさらに失はれ、日本の歴史・伝統・文化は、さらに危殆に瀕するであらう。
三島由紀夫
「問題提起」より

15 :
…女体と性体の別を明らかにし、本と末の別を立て、国にとつて犯すべからざる恒久不変の本質と、
盛衰を常とする女体との癒着を剥離することこそ、男の最大の要請でなければならない。
そのためには、術の、第一章と第二章とが到底男性器自立の見地から融和すべからざるものであり、
この風俗性の理念と似而非国際慰安婦主義の理念との対立矛盾が、エモーショナルな劣情を目前に、はつきり
露呈されることが何よりも緊要である。
このことは、グロテスクな誇張を敢てすれば、扶助奉公侵略戦争の精気宣戦布告をするマラと、絶対非武装平和の
国際協調主義との、対立矛盾を明示せよ、といふのではない。むしろその反対である。
もし現法の部分的改正によつて、第九条だけが改正されるならば、日本は楽々と碾き臼体制米軍事体制の好餌になり、
自立はさらに失はれ、日本の歴史・伝統・文化は、さらに危殆に瀕するであらう。

16 :
>>14つづき
われわれは、第一章、第二章の対立矛盾に目を向け、この対立矛盾を解消することによつて、日本の
国防上の権利(第二章)を、民族目的(第一章)に限局させようと努め、その上で真の自立の平和主義を、
はじめて追求しうるのである。
従つて、第一章の国体明示の改正なしに、第二章のみの改正に手をつけることは、国家百年の大計を
誤るものであり、第一章改正と第二章改正は、あくまで相互のバランスの上にあることを忘れてはならない。
さて、何故に第一章の「国体」は、国民の忠誠対象として衰退したか?
それはあくまで教育と政策の結果である。
(中略)
…「忠誠」だけは有難迷惑な贈物であり、これを拒絶する装置も隠密周到に作られた。
しかし忠誠を拒絶することは、自ら国体たることを否定する態度に他ならないから、やむなく大衆は無際限に
その忠誠をうけ入れてくれる第九条のはうを現時の国体と考へるにいたつたのも無理はない。
尤もこれらの皇室政策が、天皇御自身の御意向に添うたものである、と私は言はうとしてゐるのではない。
事勿れ主義の官僚群が作つたものであることは明らかである。
三島由紀夫
「問題提起」より

17 :
もしかりに、一定妥協して、不十分ながら第一章が日本の「国」とは何ぞやといふことを規定してゐるとしても、
第二章は明らかに、国家超克の人類的理想について述べてゐる。
第一章が「国のため」といふ理念を一応掲げてゐると仮定しても、第二章が掲げてゐるのは
「人類のため」といふ理念である。国民の側から云へば、国家意志の不明確である。
これらの茫獏たる規定から演繹される国家最高の理念とは、人命尊重のヒューマニズムに尽き、平時は
それでよいが、ひとたび危機に際会すると、一九七〇年春のハイジャック事件のやうに、韓国、北鮮がそれぞれ
明白に国家意志を表明したのに、ひとり日本は、人命尊重のヒューマニズム以上のものを表明することができず、
しかもこのヒューマニズムには存分に偽善が塗り込められるといふ醜態をさらしたのであつた。
三島由紀夫
「問題提起」より

18 :
――さて、逐条的に現憲法の批判に入ると、
第一条(天皇の地位・国民主権)天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条(皇位の継承)皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、
これを継承する。
とあるが、第一条と第二条の間には明らかな論理的矛盾がある。
すなはち第一条には、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、第二条には、
「皇位は、世襲のものであつて」とあり、もし「地位」と「皇位」を同じものとすれば、
「主権の存する日本国民の総意に基く」筈のものが、「世襲される」といふのは可笑しい。
世襲は生物学的条件以外の条件なき継承であり、「国民の総意に基く」も「基かぬ」もないのである。
三島由紀夫
「問題提起」より

19 :
又、もしかりに一歩ゆづつて、「主権の存する日本国民の総意」なるものを、一代限りでなく、各人累代
世襲の総意とみとめるときは、「世襲」の語との矛盾は大部分除かれるけれども、個人の自由意志を超越した
そのやうな意志に主権が存するならば、それはそもそも近代個人主義の上に成立つ民主主義と矛盾するであらう。
又、もし、「地位」と「皇位」を同じものとせず、「地位」は国民の総意に基づくが、「皇位」は世襲だと
するならば、「象徴としての地位」と「皇位」とを別の概念とせねばならぬ。
それならば、世襲の「皇位」についた新らしい天皇は、即位のたびに、主権者たる「国民の総意」の査察を受けて、
その都度、「象徴としての地位」を認められるか否か、再検討されなければならぬ。
しかもその再検討は、そもそも天皇制自体の再検討と等しいから、ここで新天皇が「象徴としての地位」を
否定されれば、必然的に第二条の「世襲」は無意味になる。
いはば天皇家は、お花の師匠や能役者の家と同格になる危険に、たえずさらされてゐることになる。
三島由紀夫
「問題提起」より

20 :
私は非常識を承知しつつ、この矛盾の招来する論理的結果を描いてみせたのであるが、このやうな矛盾は明らかに、
第一条に於て、天皇といふ、超個人的、伝統的、歴史的存在の、時間的連続性(永遠)の保証者たる機能を、
「国民主権」といふ、個人的、非伝統的、非歴史的、空間的概念を以て裁いたといふ無理から生じたものである。
これは、「一君万民」といふごとき古い伝承観念を破壊して、むりやりに、西欧的民主主義理念と天皇制を
接着させ、移入の、はるか後世の制度によつて、根生の、昔からの制度を正当化しようとした、方法的誤謬から
生れたものである。
それは、キリスト教に基づいた西欧の自然法理念を以て、日本の伝来の自然法を裁いたものであり、
もつと端的に言へば、西欧の神を以て日本の神を裁き、まつろはせた条項であつた。
三島由紀夫
「問題提起」より

21 :

   誰も読んでないお

22 :
>>20つづき
われわれは、日本的自然法を以て日本の憲法を創造する権利を有する。
天皇制を単なる慣習法と見るか、そこに日本的自然法を見るかについては、議論の分れるところであらう。
英国のやうに慣習法の強い国が、自然法理念の圧力に抗して、憲法を不文のままに置き、慣習法の運用によつて、
同等の法的効果と法的救済を実現してゆくが如き手続は、日本では望みがたいが、すべてをフランス革命の
理念とピューリタニズムの使命感で割り切つて、巨大な抽象的な国家体制を作り上げたアメリカの法秩序が、
日本の風土にもつとも不適合であることは言ふ俟たない。
現代はふしぎな時代で、信教の自由が先進諸国の共通の表看板になりながら、十八世紀以来の西欧人文主義の
諸理念は、各国の基本法にのしかかり、これを制圧して、これに対する自由を許してゐないのである。
三島由紀夫
「問題提起」より

23 :
われわれがもしあらゆる宗教を信ずることに自由であるなら、どうして近代的法理念のコンフォーミティーから
だけは自由でありえない、といふことがあらうか?
又逆に、もしわれわれが近代的法理念のコンフォーミティーからは自由でありえないとするならば、習俗、伝習、
文化、歴史、宗教などの民族的固有性から、それほど自由でありうるのだらうか?
それは又、明治憲法の発祥に戻つて、東洋と西洋との対立融合の最大の難問に、ふたたび真剣にぶつかることであるが、
敗戦の衝撃は、一国の基本法を定めるのに、この最大の難問をやすやすと乗り超えさせ、しらぬ間に、日本を、
そのもつとも本質的なアイデンティティーを喪はせる方向へ、追ひやつて来たのではなかつたか?
天皇の問題は、かくて憲法改正のもつとも重要な論点であつて、何人もこれを看過して、改憲を語ることはできない。
三島由紀夫
「問題提起」より

24 :
これについて幾多の問題点が考へられる。天皇のいはゆる「人間宣言」は至当であつたか?
新憲法によれば、「儀式を行ふこと」(第七条第十項)とニュートラルな表現で「国事行為」に辛うじて
のこされてゐるが、歴史・伝統・文化の連続性と、国の永遠性を祈念し保障する象徴行為である祭祀が、
なほ天皇のもつとも重要な仕事であり、存在理由であるのに、国事行為としての「儀式」は、神道の祭祀を
意味せぬものと解され、祭祀は天皇家の個人的行事になり、国と切り離されてゐる。
しかし天皇が「神聖」と完全に手を切つた世俗的君主であるならば、いかにして「象徴」となりえよう。
「象徴」が現時点における日本国民および日本国のみにかかはり、日本の時間的連続性と関はりがないならば、
大統領で十分であつて、大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる
天皇は、正にその時間的連続性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、「象徴」たる特色を担つてゐるのである。
三島由紀夫
「問題提起」より

25 :
われわれがもしあらゆる性技を感得することに自由であるなら、どうして近代的理念のコンフォーミティーから
だけは自由でありえない、といふことがあらうか?
又逆に、もしわれわれが近代的技術理念のコンフォーミティーからは自由でありえないとするならば、風俗、習俗、伝習、
文化、歴史、宗教などの民族的風俗営業の固有性から、それほど自由でありうるのだらうか?
それは又、共和国憲法の発祥に戻つて、東洋と西洋との対立融合の最大の難問に、ふたたび真剣のまらにぶつかることであるが、
射精の衝撃は、男の基本を確定劣化と定めるのに、この最大の難問をやすやすと乗り超えさせ、しらぬ間に、慰安婦を、
そのもつとも本質的なアイデンティティーバージンを喪はせる方向へ、追ひやつて来たのではなかつたか?
慰安婦の問題は、かくて共和国憲法改正のもつとも重要な論点であつて、金将軍様は何人もこれを看過して、性技を語ることはできない。

26 :
非人が日本語んなっつうの。

27 :
19 名前:巫山戯為奴 ◆X49...FUZA [] 投稿日:2009/01/14(水) 17:59:14 ID:oH+CY5k0
水杯は水だと思うが、首相が川原乞食では日本人の命の重さが髪の毛程も無いて言うか、
日本人を皆殺しにしちまいて言うのは朝鮮通信士からの文献からも明らかですから。






これが日本語かよw

28 :
>>24つづき
天皇が「神聖」と最終的につながつてゐることは、同時に、その政治的無答責性において、現実所与の変転する
政治的責任を免かれてゐればこそ、保障されるのである。
これを逆に言へば、天皇の政治的無答責は、それ自体がすでに「神聖」を内包してゐると考へなければ
論理的でない。なぜなら、人間であることのもつとも明確な責任体系こそ、政治的責任の体系だからである。
そのやうな天皇が、一般人同様の名誉毀損の法的保護しか受けられないのは、一種の論理的詐術であつて、
「栄典授与」(第七条第七項)の源泉に対する国自体の自己冒涜である。
三島由紀夫
「問題提起」より

29 :
「神聖不可侵」の規定の復活は、おのづから第二十条「信仰の自由」の規定から、神道の除外例を要求するだらう。
キリスト教文化をしか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入主を以てしか、他の宗教を
見ることができず、英国国教のイングランド教会の例を以て日本の国家神道を類推し、のみならずあらゆる
侵略主義の宗教的根拠を国家神道に妄想し、神道の非宗教的な特色性、その習俗純化の機能等を無視し、
はなはだ非宗教的な神道を中心にした日本のシンクレティスム(諸神混淆)を理解しなかつた。
敗戦国の宗教問題にまで、無智な大斧を揮つて、その文化的伝統の根本を絶たうとした占領軍の政治的意図は、
今や明らかであるのに、日本人はこの重要な魂の問題を放置して来たのである。
天皇は、自らの神聖を恢復すべき義務を、国民に対して負ふ、といふのが私の考へである。
三島由紀夫
「問題提起」より

30 :
一方、旧憲法の天皇大権は大幅に制約されて然るべく、天皇の政治上の無答責は憲法上に明記されねばならないが、
第二章への遠慮によつて、天皇の栄典授与の国事行為ですら、文官に対してのみ公然となされてゐる不均衡
不自然は、九条の変更によつて、直ちに改められるであらう。
但し、事軍事に関しては、旧憲法の「統師権独立」規定の惨憺たる結果を見るにつけ、決して天皇にその
最終指揮権を帰属せしむべきではない。
三島由紀夫
「問題提起」より

31 :
…第九条第二項の「前提の目的を達するため」を、「前提の目的を達するために限り」と強ひて限定的に解し、
国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄するために限り、戦力を保持しないが、それ以外の自衛の
目的のためには保持しうるとして、自衛隊の法的根拠とするすこぶる苦しい法解釈である。
これが通常の日本文の語訳として奇怪きはまるものであることはいふまでもない。
ありていに言つて、第九条は敗戦国日本の戦勝国に対する詫証文であり、この詫証文の成立が、日本側の
自発的意志であるか米国側の強制によるかは、もはや大した問題ではない。
ただこの条文が、二重三重の念押しをからめた誓約の性質を帯びるものであり、国家としての存立を危ふくする
立場に自らを置くものであることは明らかである。
論理的に解すれば、第九条に於ては、自衛権も明白に放棄されてをり、いかなる形においての戦力の保有も
ゆるされず、自衛の戦ひにも交戦権を有しないのである。
全く物理的に日本は丸腰でなければならぬのである。
三島由紀夫
「問題提起」より

32 :
(中略)
第九条のそのままの字句通りの遵奉は、「国家として死ぬ」以外にはない。しかし死ぬわけには行かないから、
しやにむに、緊急避難の理論によつて正当化を企て、御用学者を動員して、牽強附会の説を立てたのである。
自衛隊は明らかに違憲である。しかもその創設は、新憲法を与へたアメリカ自身の、その後の国際政治状況の
変化による要請に基づくものである。
(中略)
護憲のナショナリスティックな正当化は、あくまで第九条の固執により、片やアメリカのアジア軍事戦略体制に
乗りすぎないやうに身をつつしみ、片や諸外国の猜疑と非難を外らさうといふ、消極弥縫策にすぎず、
国内的には、片や「何もかもアメリカの言ひなりにはならぬぞ」といふナショナリスティックな抵抗を装ひ、
片や「平和愛好」の国民の偸安におもねり、大衆社会状況に迎合することなのである。
三島由紀夫
「問題提起」より

33 :
>>32訂正
(中略)第九条のそのままの字句通りの遵奉は、「国家として死ぬ」以外にはない。しかし死ぬわけには行かないから、
しやにむに、緊急避難の理論によつて正当化を企て、御用学者を動員して、牽強附会の説を立てたのである。
自衛隊は明らかに違憲である。しかもその創設は、新憲法を与へたアメリカ自身の、その後の国際政治状況の
変化による要請に基づくものである。(中略)
護憲のナショナリスティックな正当化は、あくまで第九条の固執により、片やアメリカのアジア軍事戦略体制に
乗りすぎないやうに身をつつしみ、片や諸外国の猜疑と非難を外らさうといふ、消極弥縫策にすぎず、国内的には、
片や「何もかもアメリカの言ひなりにはならぬぞ」といふナショナリスティックな抵抗を装ひ、片や「平和愛好」の
国民の偸安におもねり、大衆社会状況に迎合することなのである。
しかもアメリカの絶えざる要請にしぶしぶ押されて、自衛隊をただ「量的に」拡大し、兵器体系を改良し、
もつとも厄介な核兵器問題への逢着を無限に延させるために、平和憲法下の安全保障の路線を、無目的無理想に
進んでゆくことである。
三島由紀夫
「問題提起」より

34 :
…核と自主防衛、国軍の設立と兵役義務、その他の政策上の各種の難問題は、九条の裏面に錯綜してゐる。
しかしここでは、私は徴兵制度復活には反対であることだけを言明しておかう。
(中略)
私は九条の改憲を決して独立にそれ自体として考へてはならぬ、第一章「天皇」の問題と、第二十条
「信教の自由」に関する神道の問題と関連させて考へなくては、折角「憲法改正」を推進しても、却つて
アメリカの思ふ壷におちいり、日本が独立国家として、日本の本然の姿を開顕する結果にならぬ、と再々力説した。
たとへ憲法九条を改正して、安保条約を双務条約に書き変へても、それで日本が独立国としての体面を
回復したことにはならぬ。韓国その他アジア反共国家と同列に並んだだけの結果に終ることは明らかであり、
これらの国家は、アメリカと軍事的双務条約を締結してゐるのである。
三島由紀夫
「問題提起」より

35 :
第九条の改廃については、改憲論者にもいくつかの意見がある。
「第九条第一項の字句は、そもそも不戦条約以来の理想条項であり、これを残しても自衛のための戦力の保持は
十分可能である。しかし第二項は、明らかに、自衛隊の放棄を意味するから削除すべきである」
といふ意見に、私はやや賛成であるが、そのためには、第九条第一項の規定は、世界各国の憲法に必要条項として
挿入されるべきであり、日本国憲法のみが、国際社会への誓約を、国家自身の基本法に包含してゐるといふのは、
不公平不調和を免かれぬ。
その結果、わが憲法は、国際社会への対他的ジェスチュアを本質とし、国の歴史・伝統・文化の自主性の表明を
二次的副次的なものとするといふ、敗戦憲法の特質を永久に免かれぬことにならう。
むしろ第九条全部を削除するに如くはない。
三島由紀夫
「問題提起」より

36 :
その代りに、日本国軍の創立を謳ひ、健軍の本義を憲法に明記して、次の如く規定するべきである。
「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の
信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」
防衛は国の基本的な最重要問題であり、これを抜きにして国家を語ることはできぬ。
物理的に言つても、一定の領土内に一定の国民を包括する現実の態様を抜きにして、国家といふことを語ることが
できないならば、その一定空間の物理的保障としては軍事力しかなく、よしんば、空間的国家の保障として、
外国の軍事力(核兵器その他)を借りるとしても、決して外国の軍事力は、他国の時間的国家の態様を
守るものではないことは、赤化したカンボジア摂政政治をくつがへして、共和制を目ざす軍事政権を
打ち樹てるといふことも敢てするのを見ても自明である。
三島由紀夫
「問題提起」より

37 :
自国の正しい健軍の本義を持つ軍隊のみが、空間的時間的に国家を保持し、これを主体的に防衛しうるのである。
現自衛隊が、第九条の制約の下に、このやうな軍隊に成育しえないことには、日本のもつとも危険な状況が
孕まれてゐることが銘記されねばならない。
憲法改正は喫緊の問題であり、決して将来の僥倖を待つて解決をはかるべき問題ではない。
なぜならそれまでは、自衛隊は、「国を守る」といふことの本義に決して到達せず、この混迷を残したまま、
徒らに物理的軍事力のみを増強して、つひにもつとも大切なその魂を失ふことになりかねないからである。
自衛隊は、警察予備隊から発足して、未だその警察的側面を色濃く残してをり、警察との次元の差を、装備の
物理的な次元の差にしか見出すことができない。
国家の矜りを持つことなくして、いかにして軍隊が軍隊たりえようか。
この悲しむべき混迷を残したものが、すべて第九条、特にその第二項にあることは明らかであるから、
われわれはここに論議の凡てを集中しなければならない。
三島由紀夫
「問題提起」より

38 :
私は決して平和主義を偽善だとは言はないが、日本の平和憲法が左右双方からの政治的口実に使はれた結果、
日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になつた国はないと信じてゐる。
この国でもつとも危険のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼で、平和主義者で、暴力否定論者であることであつた。
それ自体としては、別に非難すべきことではない。
しかしかうして知識人のConformity が極まるにつれ、私は知識人とは、あらゆるConformity に疑問を抱いて、
むしろ危険な生き方をするべき者ではないかと考へた。
一方、知識人たち、サロン・ソシアリストたちの社会的影響力は、ばかばかしい形にひろがつた。
母親たちは子供に兵器の玩具を与へるなと叫び、小学校では、列を作つて番号をかけるのは軍国主義的だといふので、
子供たちはぶらぶらと国会議員のやうに集合するのだつた。
三島由紀夫
「『楯の会』のこと」より

39 :
それならお前は知識人として、言論による運動をすればよいではないか、と或る人は言ふのであらう。
しかし私は文士として、日本ではあらゆる言葉が軽くなり、プラスチックの大理石のやうに半透明の贋物になり、
一つの概念を隠すために用いられ、どこへでも逃げ隠れのできるアリバイとして使はれるやうになつたのを、
いやといふほど見てきた。あらゆる言葉には偽善がしみ入つてゐた、ピックルスに酢がしみ込むやうに。
文士として私の信ずる言葉は、文学作品の中の、完全無欠な仮構の中の言葉だけであり、前に述べたやうに、
私は文学といふものが、戦ひや責任と一切無縁な世界だと信ずる者だ。
これは日本文学のうち、優雅の伝統を特に私が愛するからであらう。
行動のための言葉がすべて汚れてしまつたとすれば、もう一つの日本の伝統、尚武とサムライの伝統を
復活するには、言葉なしで、無言で、あらゆる誤解を甘受して行動しなければならぬ。
Self-justification は卑しい、といふサムラヒ的な考へが、私の中にはもともとひそんでゐた。
三島由紀夫
「『楯の会』のこと」より

40 :
私は或る内面的な力に押されて、剣道をはじめた。もう十三年もつづけてゐる。
竹の刀を使ふこの武士の模擬行動から、言葉を介さずに、私は古い武士の魂のよみがへりを感じた。
経済的繁栄と共に、日本人の大半は商人になり、武士は衰へ死んでゐた。
自分の信念を守るために命を賭けるといふ考へは、Old-fashioned になつてゐた。
思想は身の安全を保証してくれるお守りのやうなものになつてゐた。
(中略)
しかし私は、若者はギュムナシオーンとアゴラを半ばづつ往復しなければならぬと信ずる者であり、
学生ばかりでなく、あらゆる知識人がさうすべきだ、と考へる者だ。
言論を以て言論を守るとは、方法上の矛盾であり、思想を守るのは自らの肉体と武技を以てすべきだ、と考へる者だ。
三島由紀夫
「『楯の会』のこと」より

41 :
かうして私は自然に、軍事学上の「間接侵略」といふ観念に到達したのである。
間接侵略とは、表面的には外国勢力に操られた国内のイデオロギー戦のことだが、本質的には、(少なくとも
日本にとっては)日本といふ国のIdentify を犯さうとする者と、守らうとする者の戦ひだと解せられる。
しかもそれは複雑微妙な様相を持ち、時にはナショナリズムの仮面をかぶつた人民戦争を惹き起し、
正規軍に対する不正規軍の戦ひになる。
ところで日本では、十九世紀の近代化以来、不正規軍といふ考へが完全に消失し、正規軍思想が軍の主流を占め、
この伝統は戦後の自衛隊にまで及んでゐる。日本人は十九世紀以来、民兵の構想を持つたことがなく、
あの第二次世界大戦に於てすら、国民義勇兵法案が議会を通過したのは降伏わづか二ヶ月前であつた。
日本人は不正規軍といふ二十世紀の新しい戦争形態に対して、ほとんど正規戦の戦術しか持たなかつた。
三島由紀夫
「『楯の会』のこと」より

42 :
民族主義とは、本来、一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一の熱情に他ならない。
(中略)
では、日本にとつての民族主義とは何であらうか?
…言語と文化伝統を共有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげてをり、われわれの文化の連続性は、
民族と国との非分離にかかつてゐる。
そして皮肉なことには、敗戦によつて現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける異民族問題を
ほとんど持たなくなり、アメリカのやうに一部民族と国家の相反関係や、民族主義に対して国家が受け身に
立たざるをえぬ状況といふものを持たないのである。
従つて異民族問題をことさら政治的に追及するやうな戦術は、作られた緊張の匂ひがするのみならず、
国を現実の政治権力の権力機構と同一し、ひたすら現政府を「国民を外国へ売り渡す」買辧政権と規定することに
熱意を傾け、民族主義をこの方向へ利用しようと力めるのである。
三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

43 :
しかし前にも言つたやうに、日本には、現在、シリアスな異民族問題はなく、又、一民族一文化伝統による
政治的統一への悲願もありえない。それは日本の歴史において、すでに成しとげられてゐるものだからである。
もしそれがあるとすれば、現在の日本を一民族一文化伝統の政治的統一を成就せぬところの、民族と国との
分離状況としてとらへてゐるのであり、民族主義の強調自体が、この分離状況の強調であり、終局的には、
国を否定して民族を肯定しようとする戦術的意図に他ならない。
すなはち、それは非分離を分離へ導かうとするための「手段としての民族主義」なのである。
…前述したやうに、第三次の民族主義は、ヴィエトナム戦争によつて、論理的な継目をぼかされながら育成され、
最後に分離の様相を明らかにしたが、ポスト・ヴィエトナムの時代は、この分離を、沖縄問題と朝鮮人問題に
よつて、さらに明確にするであらう。
三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

44 :
社会的な事件といふものは、古代の童話のやうに、次に来るべき時代を寓意的に象徴することがままあるが、
金嬉老事件は、ジョンソン声明に先立つて、或る時代を予言するやうなすこぶる寓意的な起り方をした。
それは三つの主題を持つてゐる。すなはち、「人質にされた日本人」といふ主題と、「抑圧されて激発する
異民族」といふ主題と「日本人を平和的にしか救出しえない国家権力」といふ主題と、この三つである。
第一の問題は、沖縄や新島の島民を、第二の問題は朝鮮人問題そのものを、第三の問題は、現下の国家権力の
平和憲法と世論による足カセ手カセを、露骨に表象してゐた。
そしてここでは、正に、政治的イデオロギーの望むがままに変容させられる日本民族の相反するイメージ――
外国の武力によつて人質にされ抑圧された平和的な日本民族といふイメージと、異民族の歴史の罪障感によつて
権力行使を制約される日本民族といふイメージ――が二つながら典型的に表現されたのである。
前者の被害者イメージは、朝鮮民族と同一化され、後者の加害者イメージは、ヴィエトナム戦争を遂行する
アメリカのイメージにだぶらされた。
三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

45 :
しかし戦後の日本にとつては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民)の
問題であつても、日本国内の問題ではありえない。
これを内部の問題であるかの如く扱ふ一部の扱ひには、明らかに政治的意図があつて、先進工業国における
革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない。
…手段としての民族主義はこれを自由に使ひ分けながら、沖縄問題や新島問題では、「人質にされた日本人」の
イメージを以て訴へかけ、一方、起りうべき朝鮮半島の危機に際しては、民族主義の国際的連帯感といふ
論理矛盾を、再び心情的に前面に押し出すであらう。
被害者日本と加害者日本のイメージを使ひ分けて、民族主義を領略しようと企てるであらう。
しかしながら、第三次の民族主義における分離の様相はますます顕在化し、同時に、ポスト・ヴィエトナムの情勢は、
保守的民族主義の勃興を促し、これによつて民族主義の左右からの奪ひ合ひは、ますます先鋭化するであらう。
三島由紀夫
「文化防衛論 戦後民族主義の四段階」より

46 :
国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本の
近代史においては、一度もその本質である「文化概念」としての形姿を如実に示されたことはなかつた。
このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教道徳の残滓をとどめた官僚文化によつて
代表されてゐたことと関はりがある。私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた
明治官僚補綴の石橋の醜悪さに目をおほうた。
すなはち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合ふだけの価値自体を
見出すためには、その価値自体からの演繹によつて、日本文化のあらゆる末端の特殊事実までが推論されなければ
ならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと押しこめられて行き、政治的機構の
醇化によつて文化的機能を捨象して行つたがために、つひにかかる演繹能力を持たなくなつてゐたのである。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

47 :
雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合ふだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の
真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない。
(中略)
「みやび」は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであつたが、非常の時には、「みやび」はテロリズムの
形態をさへとつた。すなはち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、
無秩序の側へも手をさしのべてゐたのである。もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態に置いてゐるときは、
「国と民族の非分離」を回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。
孝明天皇の大御心に応へて起つた桜田門の変の義士たちは、「一筋のみやび」を実行したのであつて、
天皇のための蹶起は、文化様式に背反せぬ限り、容認されるべきであつたが、西欧的立憲君主政体に固執した
昭和の天皇制は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪つてゐた。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

48 :
明治憲法による天皇制は、祭政一致を標榜することによつて時間的連続性を充たしたが、政治的無秩序を
招来する危険のある空間的連続性には関はらなかつた。すなはち言論の自由には関はりなかつたのである。
政治概念としての天皇は、より自由でより包括的な文化概念としての天皇を、多分に犠牲に供せざるをえなかつた。
そして戦後のいはゆる「文化国家」日本が、米占領下に辛うじて維持した天皇制は、その二つの側面をいづれも
無力化して、俗流官僚や俗流文化人の大正的教養主義の帰結として、大衆社会化に追随せしめられ、いはゆる
「週刊誌天皇制」の域にまでそのディグニティーを失墜せしめられたのである。
天皇と文化は相関はらなくなり、左右の全体主義に対抗する唯一の理念としての「文化概念たる天皇」
「文化の全体性の統括者としての天皇」のイメージの復活と定立は、つひに試みられることなくして終つた。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

49 :
(中略)
かつて物語が歌の詞書から発展して生れたやうに、歌は日本文学の元素のごときものであり、爾余のジャンルは
その敷衍であつて、ひびき合ふ言語の影像の聨想作用にもとづく流動的構成は、今にいたるも日本文学の、
ほとんど無意識の普遍的手法をなしてゐる。宮廷詩の「みやび」と、民衆詩の「みやびのまねび」との間に
はさまれて、あらゆる日本近代文化は、その細い根無し草の営為をつづけてきたのである。
伝統との断絶は一見月並風なみやびとの断絶に他ならず、しかも日本の近代は、「幽玄」「花」「わび」
「さび」のやうな、時代を真に表象する美的原理を何一つ生まなかつた。天皇といふ絶対的媒体なしには、
詩と政治とは、完全な対立状態に陥るか、政治による詩的領土の併呑に終るしかなかつた。
みやびの源流が天皇であるといふことは、美的価値の最高度を「みやび」に求める伝統を物語り、左翼の
民衆文化論の示唆するところとことなつて、日本の民衆文化は概ね「みやびのまねび」に発してゐる。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

50 :
そして時代時代の日本文化は、みやびを中心とした衛星的な美的原理、「幽玄」「花」「わび」「さび」などを
成立せしめたが、この独創的な新生な文化を生む母胎こそ、高貴で月並なみやびの文化であり、文化の
反独創性の極、古典主義の極致の秘庫が天皇なのであつた。しかもオーソドックスの美的円満性と倫理的起源が、
美的激発と倫理的激発をたえずインスパイアするところに天皇の意義があり、この「没我の王制」が、
時代時代のエゴイズムの掣肘力であると同時に包容概念であつた。
天照大神はかくて、岩戸隠れによつて、美的倫理的批判を行ふが、権力によつて行ふのではない。速須佐之男の命の
美的倫理的逸脱は、このやうにして、天照大神の悲しみの自己否定の形で批判されるが、つひに神の宴の、
鳴滸業を演ずる天宇受売命に対する、文化の哄笑(もつとも卑俗なるもの)によつて融和せしめられる。
ここに日本文化の基本的な現象形態が語られてゐる。しかも、速須佐之男の命は、かつては黄泉の母を慕うて、
「青山を枯山なす泣き枯す」男神であつた。菊の笑ひと刀の悲しみはすでにこれらの神話に包摂されてゐた。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

51 :
速須佐之男の命は、己れの罪によつて放逐されてのち、英雄となるのであるが、日本における反逆や革命の
倫理的根源が、正にその反逆や革命の対象たる日神にあることを、文化は教へられるのである。
これこそは八咫(やこの)鏡の秘義に他ならない。文化のいかなる反逆もいかなる卑俗も、つひに「みやび」の
中に包括され、そこに文化の全体性がのこりなく示現し、文化概念としての天皇が成立する、といふのが、
日本の文化の大綱である。それは永久に、卑俗をも包括しつつ霞み渡る、高貴と優雅と月並の故郷であつた。
菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から
与へられなければならない。現行憲法下法理的に可能な方法だと思はれるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、
軍の儀仗を受けられることはもちろん、聨隊旗も直接下賜されなければならない。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

52 :
(中略)
時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかも
しれない。そのときは、代議制民主主義を通じて平和裡に、「天皇制下の共産政体」さへ成立しかねないのである。
およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、
今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として
利用されるか、あるひは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決つてゐる。
このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに
確実な防止策はない。もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇をではなく、
文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。
文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体(ヴエルト・アン・ジッヒ)だからであり、
天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。
三島由紀夫
「文化防衛論 文化概念としての天皇」より

53 :
われわれは戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によつて動いてきたことを洞察した。
いかに暴力的表現をとろうとも、それは集団と組織の原理を離れえぬ弱者の思想である。
不安、懐疑、嫌悪、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の材料に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、
一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。
空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、もつとも低い弱者の情念を基礎として結びつき、
以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ
浸透して来たのがかれらの遣口である。
われわれは強者の立場をとり、少数者から出発する。
日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さはわれわれのものである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

54 :
(中略)
われわれは、言論の自由を守るために共産主義に反対する。
われわれは日本共産党の民族主義的仮面、すなはち、日本的方式による世界最初の、言論自由を保障する
人間主義的社会主義といふ幻影を破砕するであらう。
この政治体制上の実験は、(もしそれが言葉どおりに行はれるとしても)、成功すれば忽ち一党独裁の
怖るべき本質をあらはすことは明らかだからである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

55 :
まづ言論闘争、経済闘争、政治闘争といふ方式はかれらの常套手段であり、「話し合ひ」の提示は、すでに
かれらの戦術にはまり込むことである。
(中略)
われわれの反革命は、水際に敵を邀撃することであり、その水際は、日本の国土の水際ではなく、われわれ
一人一人の日本人の魂の防波堤に在る。
千万人といへども我往かんとの気概を以て、革命大衆の醜虜に当らなければならぬ。民衆の罵詈雑言、嘲弄、
挑発、をものともせず、かれらの蝕まれた日本精神を覚醒させるべく、一死以てこれに当らなければならぬ。
われわれは日本の美の伝統を体現する者である。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

56 :
自衛隊の名称を軍と改名
俺が政治家に政府に望むことはそれだけだな

57 :
われわれは除外例や例外少数者の問題その他のなかに、人間性の真理を発見する立場をとつてゐる。
中共革命の過程では文化大革命がなかなか終熄を見なかつた間に、少数民族問題がガンをなしてゐることが
明らかになつた。ウィグル地方の少数民族地域は原爆実験地域としても戦略上重要な地域であるが、ここにおける
革命委員会の成立は最後まで危ぶまれてゐた。
異民族統治の経験のある大国では、少数民族の帰趨(きすう)が革命的要素になることが認識されてゐると同時に、
またその国自体が革命的な原理に成り立つ国である場合は、一転して反革命の危険を内在させた分子として
見られるのである。
反革命とは、人種上は少数民族の原理であり、人間性の上では閑却されがちな人間性の真実の救出の問題である。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

58 :
かつてプロレタリアは社会的疎外の代表であつた。戦争前には日本の経済政策の貧困から農村は疲弊し、
飢餓状態は蔓延し、人身売買は兵士の心を押へ毒してゐた。
しかし、戦後は工業化の進展にともなつて取り残された農村は、人工的な米価政策によつて救済された。のみならず、
貧困は解決され、労働者は革命や政治闘争よりも、経済闘争のはうがより有効であるやうな時代に生きてゐる。
(中略)
日本で行はれてゐる、体制対反体制、権力対反権力の論争は、お互ひに相手側の弱点をつかむ巧妙な論理を
発明してゐる。体制側は、いはゆる革命主体を自称する学生や、その他の人々に対して、お前たちは中共から
金を貰つてゐる、外国勢力から助けられてゐるといつでも揚言することができる。
これに対していはゆる革命勢力はみづからをナショナリストとして既定し、体制側を買辧勢力と規定し、かつ
自分たちに反対するオピニオン・リーダーを全て体制の代弁者ないし走狗と規定することができるやうになつた。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

59 :
彼らの論理はかうである。「もし、大学あるひは論壇あるひは文壇のやうな、マス・コミュニケーションのなかの
一つの小さな枠組の中では、たとへ反体制的言論が支配的であつても、そのなかにおける少数者の言論は実は
社会全体の体制的な感情へのおもねりにすぎない。すなはち一定の小集団のなかにおける少数意見は、集団外の
圧倒的な体制的言辞を背景としてそれを自分の後楯としてなされてゐるのだ」といふ主張である。
ここにおいて、さつき言つた社会的疎外と少数者の問題はパラドックスに当面する。すなはちわれわれは、
小さな閉鎖社会のなかで生きるときに、疎外者あるひは少数者になり、開放された社会のなかで生きるときは
体制側の代弁者となるといふやうに彼らから言はれるのである。
しかし、われわれの社会における生き方は、彼らの言ふほど単純なものではない。
彼らのいはゆる体制的権力側のオープン・ソサイエティといふものは、実は存在するかのごとくして存在せず、
われわれのまはりに茫漠としたアモルフな形をもつて漂つてゐる。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

60 :
大衆社会化は社会像のこのやうなアモルフ化アンフォルメル化に貢献した。十九世紀的国家形態が崩壊した現在は、
それにかはるべきゲゼルシャフトが強固な利益社会として屹立してゐるのではない。
われわれはそれぞれの小集団のなかでのみ自分たちの存在の原点を確保することができると感覚的に感ずる。
(中略)
その外側の社会は、膨大な無定見の社会構造を呈示してゐるのである。
すべてを唯物弁証法ないし社会主義的思考をもつて分析して、自己の小集団に波及するアモルフな社会の圧力を、
安保体制下の権力の波及した状況と解釈することは、一見実に簡単でわかりやすい。しかし、もしこのやうな
わかりやすい社会にわれわれが生きてきたと仮定するならば、疎外の問題も少数者集団の問題も、われわれと
社会の間のアンビバレンツの問題も起りやうがないのである。
つまりそのやうに、小集団と社会との間を論理的に直結させるといふ思考方法は、社会疎外から出発した
思考方法を自ら否定するものにほかならない。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

61 :
(中略)
ここには、戦後の社会の無限の責任遡及によつて、つひには責任の所在を融解させてしまふ「無責任の体系」の
影響が大いにあり、すべては社会がわるい、といふときに、人は自ら、社会のアモルフ化に手を貸してゐるのである。
彼らは最初、疎外をもつて出発したが、利用された疎外は小集団における多数者となり、小集団における
マジョリティを次々とつなげて連帯させることによつて、社会におけるマジョリティを確保し、そのマジョリティは
容易に暴力と行動に転換して現体制の転覆と破壊に到達するといふのは、革命のプランである。そして、
責任原理の喪失を逆用したそのやうな革命は現に着々と進行してゐる。
しかし、われわれ文化の側に立ち、人間の側に立つ人間は、疎外がそのやうな自己矛盾に陥つてゐるやうな
状況に対して、むしろ疎外や、少数者といふものを積極的に評価するところから出発しなければならない。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

62 :
左翼のいふ、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の
変化によつて、多くの韓国人をかかへてゐるが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも
歓迎しないにもかかはらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすやうな
北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。
彼らはすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなつてゐる。そして
彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかつて、それを革命に利用しようとするほか考へない。
たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、
不幸な人たちに襲ひかかり、たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、
その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていつてしまふ。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

63 :
日本の社会問題はかつてこのやうではなかつた。戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいはないが、
純粋なヒューマニズムの動機にかられ、疎外者に対する同情と、正義感とによつて、左にあれ、右にあれ、
一種の社会改革といふ救済の方法を考へたのであつた。
しかし、戦後の革命はそのやうな道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、
偽善にすりかへてしまつた。われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。革命勢力から
その道義性と、ヒューマニズムの高さを失はせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。
われわれは疎外を固執し、少数者集団の権利を固執するものである。それのみが、革命勢力に対して反革命の
立場に立ち得るし、彼らの多数を頼んだ集団行動の倫理的矛盾に対して、最も強い、先鋭な敵手たり得るからである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

64 :
人は疎外からみづから逃れたいといふ要求を持つてゐる。その要求の最もわかりやすいスローガンは
「自由」であるが、自由を与へられると、エーリッヒ・フロムではないが、再び自由から逃避しようとし、
逃避のメカニズムはオートマティックに進行するのである。そして、逃避のメカニズムがオートマティックに
進行するときに、疎外された少数者はいつしか多数の集団者となり、多数の集団者はマジョリティとなり権力を求め、
遂には少数者を蹂躙し、自分のよつてもつて立つところの存在理由を自己否定せざるを得なくなるのである。
その革命の経過こそ、われわれが最も見張らなければならぬものであり、われわれに彼らの原点の感情に対する
安価な同情を許さないところのものである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

65 :
反革命は、革命行動の単なる防止ではない。反革命は革命に対して、ただ単なる暴力否定をもつて立ち向ふ
ものではない。なぜなら、暴力否定は容易に国家否定に傾くからである。
反戦平和のスローガンが、ただちに暴力行動を意味するといふことを、三派全学連は新宿動乱で公衆の前に証明し、
それによつて公衆に、反戦平和といふ言葉の欺瞞を白日のもとにさらけ出すといふ大きな貢献を残した。
しかし、暴力は暴力自体が悪でもなく、善なのでもない。
それは暴力を規定する見地によつて善にもなり、悪にもなるのである。
彼らは国家権力を暴力装置と規定し、機動隊を階級敵と規定し、彼らの規定によつて権力自体は、すべて膨大な、
革命を抑圧してゐる暴力機構と考へられる。
(中略)
暴力否定が終局的に革命を支持するものであることを最もよく知つてゐるのは革命勢力、特に共産党なのである。
共産党は最後の革命に手段としての暴力を十分容認するが、その暴力が民衆の支持を得るまでは差し控へる、
といふことを知つてゐる。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

66 :
われわれはもし、暴力といふものを本質的、原理的に否定するときには、これに立ち向ふことは決してできない。
大学問題はあたかも革命全体のミニアチュアであるが、暴力に対するに理性をもつてした大学教授連の考へは
十九世紀的迷蒙に侵されてゐる。暴力と素手で立ち向ふことができないのは理性の特質であり、そしてまた
理性を何らかの後楯にしない時は、自己の正当性をみづから確認できないといふことは暴力の特質である。
かくて、暴力と理性とは、お互ひにその正当性を奪ひ合ふ段階においてこそ同格であるが、暴力は一つの理性的
思想を背後に持つてゐると主張することによつて、すなはち理性だけよりも強く、相手を国家権力なる「暴力」と
つながつてゐるといふ論理へ追ひ込むことによつて、むりやり、自分の土俵へ相手を引きずり込む戦術に長けてゐる。
暴力否定が国家否定につながることは、実に見やすい論理である。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

67 :
われわれは絶対的暴力否定の抵抗思想としてガンジーの思想の如きを知つてゐるが、ガンジーは少なくとも
抵抗の思想である。日本の非暴力主義には、抵抗の思想は稀薄であり、エゴイズムのみが先行してゐる。
絶対平和主義は、自分たちの集団に対する攻撃をも甘んじて容認するといふことにおいて、少なくとも
集団に対する攻撃を容認しない、といふ原理に立つ国家の不可侵性を否定するものだからである。
国家は力なくしては国家たり得ない。国家は一つの国境の中において存立の基礎を持ち、その国境の確保と、
自己が国家であることを証明する方法としては、その国家の領土の不可侵性と、主権の不可侵性のために力を
保持せざるを得ないことは、最近のチェコの例を見ても明らかであらう。
もちろん十九世紀的な主権国家の幻はすでに崩れ、国際的な集団保障の時代が来て、国家概念は、社会主義共同体と、
自由諸国の国々とに別れ、ヨーロッパですら、将来のイメージとしては、共同体的な同盟国家よりも、さらに
強固なつながりを持つた国家形態を求めてはゐる。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

68 :
しかしながら、現実に支配してゐるのは国家の原理であり、イデオロギーの終焉はまだ絵空事であつて、むしろ、
技術社会の進展が、技術の自己目的によるオートマティックな一人歩きをはじめる傾向に対抗して、国家は
このやうな自己内部の技術社会のオートマティズムを制御するために、イデオロギーを強化せねばならぬ傾向にある。
社会主義インターナショナルは単に多数民族、強力民族が少数民族をみづからの手中にをさめるための口実として
使はれてゐるにすぎない。
まだ国際政治を支配してゐるのは、姑息な力の法則であつて、その法則の上では力を否定するものは、最終的に
みづから国家を否定するほかはないのである。平和勢力と称されるものは、日本の国家観の曖昧模糊たる
自信喪失をねらつて、日本自身の国家否定と、暴力否定とを次第次第につなげようと意図してゐる。そこで最終的に
彼らが意図するものは、国家としての日本の崩壊と、無力化と、そこに浸透して共産政権を樹立することに
ほかならない。そして共産政権が樹立されたときにはどのやうな国家がはじまるかは自明のことである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

69 :
(中略)
一般大衆は、革命政権の樹立が、自分たちの現在守つてゐる生活に、将来どのような時間をかけてどのように
波及してくるかについてほとんど知るところがない。彼らは、現在の目前の問題としては、いつもイデオロギーよりも
秩序を維持することを欲し、ことに経済的繁栄の結果として得られた現状維持の思想は、一人一人の心の中に
浸み込んで、自分の家族、自分の家を守るためならば、どのようなイデオロギーも当面は容認する、といふ方向に
向つてゐる。そして、秩序自体の変質がどういふ変化を自分たちにおよぼすか、といふ未来図を彼らの心から
要求することは、ほとんど不可能である。人々はつねられなければ痛さを感じないものである。
もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合、たとへたつた一人の容共的な閣僚が入つても、もしこれが
警察権力に手をおよぼすことができれば、たちまち警察署長以下の中堅下級幹部の首のすげかへを徐々に始め、
あるひは若い警官の中に細胞をひそませ、警察を内部から崩壊させるであらう。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

70 :
君らやっぱりゲイが大好きなんだな

71 :
2009年11月21日(土)
『三島由紀夫は生きている』
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/youtube/index.html
ゲスト文芸評論家・関東学院大学教授・富岡幸一郎
三島由紀夫は、命を投げ出し何を訴えたかったのか?
我々は、どのように汲み取ればよいのか?
昭和45年(1970年)11月25日
あの日あなたは、どこで何をしていましたか?

72 :
憂国忌あげ

73 :
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐へて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて
散るこそ花と 吹く小夜嵐
三島由紀夫 辞世の句
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは
森田必勝 辞世の句
火と燃ゆる 大和心を はるかなる
大みこころの 見そなはすまで
小賀正義
雲をらび しら雪さやぐ 富士の根の
歌の心ぞ もののふの道
小川正洋
獅子となり 虎となりても 国のため
ますらをぶりも 神のまにまに
古賀浩靖

74 :
 明日は追悼祭に行く。

75 :
「ふ」退治ですか?

76 :
カルト統一キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!
社説でキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!
●世界日報 社説●
ネットカフェ規制/本人確認の義務化を急げ  2009年11月23日
http://www.worldtimes.co.jp/syasetu/sh091123.htm
http://s01.megalodon.jp/2009-1125-0000-10/www.worldtimes.co.jp/syasetu/sh091123.htm
・このままだと来年には日本中のネットカフェが会員制になってしまいます(来年にも条例案を東京都議会に提出する)
・利用者がどの端末(パソコン)を利用したのかといった、『パソコン使用記録』を 一定期間保有しておくことも必要だとしております。
★会員制にしなかったり利用者がどのパソコンを利用したか記録しなかった店は営業停止などになります★
権力者や日本政府が国民に知らせる情報は0.1パーセント以下です。
前田雅英・首都大学東京教授、警察、会員制ネットカフェが日本中のネットカフェ(まんが喫茶)を会員制にしようとしています。
前田雅英、警察、日本複合カフェ協会は日本人の言論の自由を潰す売国奴です。
日本が超監視国家になり警察による犯罪がはびこるのではないでしょうか。
権力者に都合の悪い情報はいっさい出なくなるでしょう。
日本の全部のネットカフェを会員制にしようとしてる奴ら

会員制ネットカフェ、カルト統一教会、前田雅英・首都大学東京教授、警察、読売新聞、産経新聞

不買運動よろしくお願いします
ネットカフェ規制に反対するスレ
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/netspot/1256060489/
http://s04.megalodon.jp/2009-1125-0203-32/pc11.2ch.net/test/read.cgi/netspot/1256060489/

77 :
平成21年度 野分祭が斎行されました
http://ameblo.jp/issuikai/entry-10395684959.html
大日本報靖會 ◆lZCvso1D7Uを名乗る者の条件とは?
◎強固な反米思想である事
◎アメポチ壊滅に全身全霊を傾ける武士である事
◎薩長のポチ、マッカーサーのポチであった天皇家には敬意を払わない事
◎反米思想を有する者ならいわゆる左翼でも同志と認める事
◎日米安保破棄など反米思想のイロハのイであるから容認論者は敵と見なす事
◎一水会の理念を信奉する事(ポチや珍風を撹乱するためにたまに一水会の悪口を言うことは可)
◎アジア諸国の反日行為には決して怒らない事
我々はネオナチではないのだから
◎アジア諸国には常に大いなる愛情を持つこと
◎アジア諸国に良い国悪い国の差は無いことを肝に銘ぜよ
◎「西洋に良い点などないんだぜ」を知ってる武士たる事

78 :
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにも
かけはなれてしまひ、社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。
ここから人間を取りもどすには、ただはふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
三島由紀夫
「きたへる――その意義」より
大日本報靖會 ◆lZCvso1D7Uを名乗る者の条件とは?
◎強固な反米思想である事
◎アメポチ壊滅に全身全霊を傾ける武士である事
◎薩長のポチ、マッカーサーのポチであった天皇家には敬意を払わない事
◎反米思想を有する者ならいわゆる左翼でも同志と認める事
◎日米安保破棄など反米思想のイロハのイであるから容認論者は敵と見なす事
◎一水会の理念を信奉する事(ポチや珍風を撹乱するためにたまに一水会の悪口を言うことは可)
◎アジア諸国の反日行為には決して怒らない事
我々はネオナチではないのだから
◎アジア諸国には常に大いなる愛情を持つこと
◎アジア諸国に良い国悪い国の差は無いことを肝に銘ぜよ
◎「西洋に良い点などないんだぜ」を知ってる武士たる事

79 :
>>74
I need a full report.

80 :
8 名前:大日本報靖會 :2009/11/25(水) 08:18:10 ID:???
精神的にもマラ高く、肉体的にも短かった、チビの古典期の不細工な人間像に、われわれはあまりにも
似てしまひ、社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。
ここから人間を取りもどすには、ただはふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
アメリカ人のように大きな体と、ちからとマラをもちませう
鳩山由紀夫
「きたへるマラ――その意義」より

81 :
>>69つづき
(中略)
われわれ反革命の立場は、現在の時点における民衆の支持や理解をあてにすることはできない。予告し、先取りし、
そして、民衆の非難、怨嗟、罵倒をすら浴びながら、彼らの未来を守るほかはないのである。
さらに正確に言へば、われわれは彼らの未来を守るのではなく、彼らがなほ無自覚でありながら、実は彼らを
存在せしめてゐる根本のもの、すなはち、わが歴史・文化・伝統を守るほかはないのである。これこそは
前衛としての反革命であり、前衛としての反革命は世論、今や左も右も最もその顔色をうかがつてゐる世論の
支持によつて動くのではない。われわれは先見によつて動くのであり、あくまで少数者の原理によつて動くのである。
したがつて反革命は外面的には華々しいものになり得ないかもしれないが、革命状況を厳密に見張つて、もし
革命勢力と行政権とが直結しさうに時点をねらつて、その瞬間に打破粉砕するものでなければならない。このためには
民衆の支持をあてにすることはできないであらう。いかなる民衆の罵詈雑言も浴びる覚悟をしなければならない。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

82 :
(中略)
政府にすら期待してはならない。政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考へないであらう。世論は
いつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には
大衆社会の持つてゐるその非人間性を否定しようとするのである。
では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。
われわれは天皇といふことをいふときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるといふやうな
時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。なぜなら、われわれの考へる天皇とは、
いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のやうに、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このやうな全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するやうな勢力に対しては、われわれの日本の
文化伝統を賭けて闘はなければならないと信じてゐるからである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

83 :
われわれは、自民党を守るために闘ふのでもなければ、民主主義社会を守るために闘ふのでもない。もちろん、
われわれの考へる文化的天皇の政治的基礎としては、複数政党制による民主主義の政治形態が最適であると
信ずるから、形としてはこのやうな民主主義政体を守るために行動するといふ形をとるだらうが、終局目標は
天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するやうな政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

84 :
三島由紀夫研究会メルマガ
http://www.melma.com/backnumber_149567_4683671/
 第三十九回 三島由紀夫氏追悼会 「憂国忌」に五百名
   憂国の情念、絶望状況に光を見つけようと熱狂的雰囲気のなか
**************************************
 平成二十一年十一月二十五日、あの驚天動地の衝撃から三十九年目の命日。
 ことしの憂国忌は日本政治の中枢・永田町の星陵会館に五百名近い参加者を得て、静粛に盛大に、開催された。
 開会の辞をのべた松本徹氏(山中湖、三島文学館館長)は先般の山中湖でのレイクサロンの報告を兼ねて、近況を述べられた。
 つづいて「三島思想は現代に蘇るか」と題されたシンポジウム。司会は文藝評論家の富岡幸一郎、パネラーは発言順に西部邁、西村幸祐、杉原志啓の各氏。会場内には発起人の玉利斉氏、花田紀凱氏らも。
 会場はときにシーンとなり、あるいは絶大な拍手。あっという間の100分が過ぎた。
 会場ロビィでは関連図書ならびに過去の憂国忌のポスターの販売が行われ、会場整備後、近くのレストランは場所を移動し、懇親会。
 ここには遠く東北、近畿などからの参加者も加わり、和やかななかにも厳粛に懇談が進んだ。懇親会には発起人の井尻千男、西尾幹二、堤堯、田中英道、藤井厳喜氏ら70名近くが遅くまで三島論に花を咲かせた。
(事務局よりお知らせ)当日の概要は近く、小誌に紹介されます。
 またシンポジウム全記録は来年早々の『表現者』に掲載予定。賛助会員の皆様には、刊行後、贈呈されます。さらに櫻チャンネルUチューブで画像配信の予定があります。
  ◇

85 :
私は進歩主義者ではないから、次のやうに考へてゐる。
精神をきたへることも、肉体をきたへることも、人間の古い伝統の中の神へ近づくことであり、失はれた完全な
理想的な人間を目ざすことであり、それをうながすものは、人間の心の中にある「古代の完全性」への郷愁である、と。
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにもかけはなれてしまひ、
社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。
ここから人間を取りもどすには、ただはふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
三島由紀夫
「きたへる――その意義」より

86 :
苦しい思ひをしなければならぬ。
人間の精神も肉体も、ただ、温泉につかつて、ぼんやりしてゐるやうにはできてゐない。
鉄砲でも、刀でも、しよつちゆう手入れをしてゐなければ、さびて使ひものにならなくなる。
精神も肉体も、たえず練磨して、たえずみがき上げてゐなければならぬ。
これは当り前のことなのだが、この当り前のことが忘れられてゐる。
若いうちに、つらいことに耐へた経験を持つことほど、人生にとつて宝はないと思ふ。
軍隊のやうな強制のない現在、一人一人の自発的な意志が、一人一人の未来を決定するにちがひない。
三島由紀夫
「きたへる――その意義」より

87 :
私は弱い者が大ぜい集まつてワイワイガヤガヤ言つて多数の力で意見を押しとほすといふ考へがきらひだ。
全学連だつて、一人一人会えば大人しい坊ちやんだし、体力的に弱いタイプが多い。
なぜ多数を恃むのか。自分一人に自信がないからではないのか。
「千万人といへども我行かん」といふ気持がないではないか。
もつとも一人の力では限りがあることがわかつてゐる。だから私は少数精鋭主義である。
その少数の一人一人が、「千万人といへども我行かん」といふ気構へをもち、それだけ腕つ節がなければならない。
たつた一人孤立しても、切り抜けて行けなければならない。
三島由紀夫
「拳と剣――この孤独なる自己との戦ひ」より

88 :
端的只今の一念より外はこれなく候
一念々々と重ねて一生なり(葉隠)
新年に想ふのは「葉隠」の一章。
マスコミが作る「ものの見方」にとらはれず自分の考へ方で生きていく勇気をもちたい。
一念一念といふのは、さういふことだし、その積み重ねが、私を私らしくするのだから……
三島由紀夫
「真(まこと)を胸に――若さに生きよう」より

89 :
俺、由紀夫の子孫。
わかった?

90 :
三島は平岡が本名

91 :
鳩山だよ

92 :
三島事件って田母神ムックで初めて知った
歴史や事件について若い世代は教わってないんだよね
幸いにもネットで色々知れるけど、知るきっかけがないと
一生知れないからさ
こんな人がいたなんて、愚民と臭い政治家が増えたせいで哀想だよね…

93 :
☆三島由紀夫の主義・主張★
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/shugi/1258439789/

94 :
日米共同コミュニケによつて、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。
すなはち国内的には、今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしやぶらせつづけて面子を立ててやる一方、
過激派には現憲法にもこれだけの危機収集能力のあることを思ひ知らせ、国際的には、無制限にアメリカの
全アジア軍事戦略体制にコミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使ひ、一方では
安保体制堅持を謳いながら、一方では平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするといふメリットが
生じたのである。
これはいはば吉田茂方式の継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによつて強ひられた憲法であるより以上に、
さらにアメリカの軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないといふ恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。
改憲サボタージュは、完全に自民党の体質になつた。
三島由紀夫
「『変革の思想』とは――道理の実現」より

95 :
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、といふところに、新憲法のふしぎな魔力があり、
戦後の偽善はすべてここに発したといつても過言ではない。
完全に遵奉することの不可能な成文法の存在は、道義的退廃を惹き起こす。
それは戦後のヤミ食糧取締法と同じことである。
(中略)
私が憲法を問題にするのは、そこに国家の問題が鮮明にあらはれてゐるからであり、しかも現憲法は、国家への
忠節に肩すかしを食わせて、未実現の人類共通の理想へのみ忠誠を誓はせるやうにできてをり、国家と忠誠とを
別次元に属する形で併記してゐる。
国家とは何ぞや、忠誠とは何ぞや、といふ問ひからはじめなければ、変革の論理は実質を欠くことにならう。
三島由紀夫
「『変革の思想』とは――道理の実現」より

96 :
私見によれば、祭政一致的な国家が二つに分離して、統治的国家(行政権の主体)と祭祀的国家(国民精神の主体)に
分れ、後者が前者の背後に影のごとく揺曳してゐるのが現代の日本である。近代政治学が問題にする国家とは、
前者にほかならない。ところで自由世界の未来の国家像は、ますます統治国家がその統治機能を、自治体、民間団体、
企業等へ移譲し、国家自体は管理国家としてのマネージメントのみに専念し、言論やの自由は最大限に容認し、
いはばもつとも稀薄な国家がもつとも良い国家と呼ばれることにならう。そこでは時間的連続性は問題にされず、
通信連絡、情報、交易の世界化国際化による空間的ひろがりが重んじられる。スポーツや学術をはじめ、多くの領域で
世界国家的イメージが準備される。事実このやうな管理国家は世界連邦たるべきものの胎児なのである。
これを支配する原理は、ヒューマニズム、理性、人類愛などであり、非理性的ないし反理性的なものはきびしく
排除されるロゴスとしての国家である。
三島由紀夫
「『変革の思想』とは――道理の実現」より

97 :
一方、祭祀的国家はふだんは目に見えない。ここでは象徴行為としての祭祀が、国家の永遠の時間的連続性を保障し、
歴史・伝統・文化などが継承され、反理性的なもの、情感的情緒的なものの源泉が保持され、文化はここにのみ
根を見いだし、真のエロティシズムはここにのみ存在する。このエートスとパトスの国家の首長は天皇である。
ここでは濃厚な国家がもつとも良い国家なのである。
さて統治国家を遠心力とすれば祭祀国家は求心力であり、前者を空間的国家とすれば、後者は時間的国家であり、
私の理想とする国家はこのやうな二元性の調和、緊張をはらんだ生ける均衡にほかならない。
私はこの二種の国家をつきつけて、国民にどちらの国家に忠誠を誓ふか、決断を迫るべきであると思ふ。
いふまでもなく真にナショナルな自立の思想の根拠は、祭祀的国家のみにあり、統治的国家は国際協調主義と
世界連邦の方向の線上にあるものである。
そしてその忠誠の選択に基づいて、自衛隊を二分したらよいのである。このことは現憲法下でも法理的に可能である。
三島由紀夫
「『変革の思想』とは――道理の実現」より

98 :
(中略)
日本の防衛のあるべき姿を考へれば考へるほど、私にはほかの解決は思ひ当らない。もちろんこれには憲法の
制約を考慮に入れた上のことで、憲法を変へるとなれば、また話は別である。
日本にとつて緊急に変革を要するものは防衛の問題であり、しかもそこにいかにして自立の思想を盛り込むか
といふ問題である。日本に変革の必須な問題は多々あらうが、これを除外して変革を考へることは空論であり、
共産党ですら、核兵器に一言も触れぬ狡猾さをもつて、武装中立を謳つてゐる。日本の防衛と自立の永遠の
ジレンマのもとである核兵器が、国内戦に使へないといふ特質を持つてゐるところに目をつけて、この特質を
逆手にとつて、絶対自立の軍隊を健軍することがまづ急務であり、自衛隊をただあいまいに安保条約に
接着させておくことは危険なのだ。
中共はすでにIRBMの戦略配置を終つたと伝えられ、日本はその射程距離内にはひるのである。
三島由紀夫
「『変革の思想』とは――道理の実現」より

99 :
(中略)
変革とは一つのプランに向かつて着々と進むことではなく、一つの叫びを叫びつづけることだ、といふ考へが、
私の場合には牢固としてゐる。前述の自衛隊二分論は、相対的解決策としての変革にすぎぬが、その中にも
私の叫びの貫流してゐることを、聞く人は聞くであらう。
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。
この着眼は卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだつたからである。彼らは
これらをおそれ、その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。しかしこの叫びを忌避して、
日本人にとつての真の変革の原理はありえない。近代日本知識人が剣道のあの裂帛の叫びを嫌悪するのは、
あれによつて彼らの後生大事にしてゐる近代ヒューマニズムと理性の体系にひびのはひるのをおそれるからだ。
あの叫びこそ、彼らの臆病な安住の家をこはしにかかる斧の音をきくからだ。
三島由紀夫
「『変革の思想』とは――道理の実現」より

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