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舞台の批評・感想を!


1 :10/10/30 〜 最終レス :12/06/03
観てきた舞台の批評・感想を書いてね・・・
フォーマットは・・?
■公演名?
■スタッフ、キャスト?
■劇場名、期間
(■URL)?
■批評・感想

2 :
■かもめ
■原作:アントン・チェーホフ、演出:松本修、出演:MODE
■池袋・あうるすぽっと、2010.10.27−31
http://www.owlspot.jp/performance/101027.html
■幕が開くと旅芸人一座の姿で全出演者が登場します。 借り舞台が作られていて雰囲気を盛りたてます。 上演中、広すぎてガランとした寂しさが漂っている舞台の周辺に、役者が座って舞台を見つめ出番を待つ姿はこの劇にとてもよく似あいました。
そして終幕、再び旅芸人のように去っていきます。 印象深い構成でした。 しかし観た後の爽快感がありません。 チェーホフはいつもこんな感じに陥ります。 「どうしてまた、チェーホフなんですか?」。 距離感を持ってみる芝居はどうも苦手です。
一体になり芝居のリズムを共有したい・・、これってコドモの観方ですかね。

3 :
■DANCE PLATFORM 2010
■新国立劇場・小劇場、2010.10.22−31
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/pdf/20000353.pdf
■8作品が上演されたが良かったのは以下の2作品。 子供の観客が多かったがC/OMPANYを観るために来ていたようだ。 どの劇場も子供イベントが盛況だし・・、多分この流れの一環かな? 将来の観劇ファンは大切にしなきゃいけない。
しかし場内に響いていた子供たちの笑い声が耳に残ってしまった。
・高瀬譜希子振付「AUTUMN HUNCH」。 剛性の中に柔軟さがあり、細部の振付も面白い。 音楽は出娑張らず引っ込まず、そして照明がなんといってもすばらしい。 質の良いデテールたちが全体をうまくまとめている。 よかったなあと心からおもう作品である。
・原田みのる振付「果てに・・・」。 舞台は凛としていて緊張感が伝わってくる。 テーマはフィルムノワールだが振付も動きに溶け込んで奇異を感じさせない。 筋書きは不明だが映画ファンは素晴らしかった場面の思い出に浸れるだろう。

4 :
■こうしておまえは消え去る
■演出:ジゼル・ヴィエンヌ
■にしすがも創造舎、2010.10.30−11.3
http://www.festival-tokyo.jp/program/vienne/
■林の中で男女の体操選手が床上練習をしているところから始まります。 異様な光景です。 固唾をのんで舞台を見てましたが、ロック演奏者らしき人が血を流し倒れるところで終了します。 劇的という表現がありますが、これはヨーロッパ的な劇的とでもいうのでしょうか。
俳優の身体性などから論じるこの言葉ですが、少ないセリフの中に降臨が述べられていたので宗教が絡んでいるとみました。 大量の霧と光を放出した舞台のため、スピルバーグの「未知との遭遇」や古いところではドライヤー「奇跡」を思いだしてしまいました。
観劇後チラシを読んだら権威と秩序の象徴がテーマだと書いてあり予想は外れてしまったようです。 しかし感動に宗教的な感覚が入り混じっていたことは確かです。

5 :
■いつかの森へ
■作:しゅう史奈、演出:小松幸作、出演:海市−工房
■下北沢「劇」小劇場、2010.10.27−11.4
■父の違う姉妹弟が過去の誘拐殺人事件や直近の放火事件、家族・恋人・近隣の問題を抱えて日々の生活を演じていく物語のようね。 結構大きな問題に直面しているので表現表情はそれなりに出ているけど、それが大事だということが伝わってこないわ。
そして最後は何と無くハピーエンドで終了してしまったのよ。 出口の無い森の中で彷徨っているセリフが何回か出てくるけどそのまま森に留まってしまったようね。 観終わった後は無味乾燥な夢を見ていた感じだわ。 細部はそれなりよかったけど・・。
観客側が美容室の鏡になっている演出も面白かったわ。

6 :
■さようなら
■演出:平田オリザ、テクニカルアドバイザー:石黒浩、出演:ジェミノイドF、ブライアリー・ロング
■池袋・あうるすぽっと、2010.11.10−11
http://www.is.sys.es.osaka-u.ac.jp/research/0007/index.ja.html#androidappearance
■出演者であるアンドロイドのジェミノイドFはついに「不気味の谷」を越えたのか? しかし芝居が始まって直ぐに落胆する。 原因は声だ。 口が音源ではないこと、そして明らかにスピーカから聞こえた声だ。
もう一つは顔を横に動かす時に力が入り過ぎている。 この二点が「不気味の谷」さえも到達していない理由である。 観客へ3度ほど顔を向けたが正面から見た表情は横から見るより出来が良い。 そして笑顔が一番いい。
そして「さよなら」を言うにはまだ早すぎる。 アンドロイドが電気羊の夢を見るのはこれからだ。

7 :
アンドロイド演劇じゃなくて
ロボット演劇だけど
今月の末に科学未来館でやるよ

8 :
■ありきたりな生活
■作・演出:伊藤拓、出演:FRANCE_PAN
■池袋・シアターグリーンBOXシアター、2010.11.11−14
http://arborstep.system.cx/france/
■劇場に入ると出演者と観客が組みになり舞台上でお互いに自己紹介をします。 名前は? 生まれはいつ? 好きな有名人は? 今一番の興味は? ・・・。 そして観客は靴を脱ぎそれを舞台に置いて席に座ります。
途中俳優自身の紹介が続いたり、いきなり演出家が登場して自己紹介をする場面があります。 このように芝居の途中で現実への戻しが何度もあります。 観客が自己紹介をしたことで芝居の構成がより複雑に感じます。 ここで観客の靴が舞台上にある理由が分かります。
「俳優」と俳優の「私」と「観客」と観客の「私」の境界があやふやになります。 観終わって池袋の繁華街を歩きなが自己紹介をした「私」とは誰なのか考えてしまいました。 ひさしぶりの刺激的な芝居でした。

9 :
>>7予約は即一杯になって取れなかったわ

10 :
■現代能楽集「春独丸」「俊寛さん」「愛の鼓動」
■作:川村毅、演出:倉持裕
■三軒茶屋・シアタートラム、2010.11.16−28
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/11/post_190.html
■能「弱法師」「俊寛」「綾鼓」が原作よ。 「俊寛さん」は狂言風に仕立ててあるわ。 「春独丸」は母子の愛情、「愛の鼓動」は刑務官と死刑囚との愛の物語ね。 愛がテーマでしかも死刑場面もあるけれど観劇後はサラッとした感じが残ったわ。
「春独丸」の結末は重たいし「愛の鼓動」の刑務官娘の登場は余分に見えるの。 それでも能の良き軽さを引き継いでいるのは物語に固執しなかった為ね。 映画ファンならば「賞は取れないが納得できるB級映画だ」と賛辞を送るはずよ。

11 :
■−ところでアルトーさん、
■演出:三浦基、出演:地点
■東京芸術劇場・小ホール、2010.11.19−23
http://www.festival-tokyo.jp/program/chiten/
■朗読劇に近い芝居のためセリフに集中して観ていたがそれだけでは終わらなかった。 「たましい」と声に出すときの俳優の動作で言葉が身体そのものからの分身のように見えた。 手紙の中の「ボク」を手信号の動きと声を強調して読むところもそうだ。
アルトーのおもいが伝わるようだ。 キリスト教の話しはよくわからなかった。 残酷演劇とは肉を切るとか血を出すことではなくむしろ制度に関係しているようだ。 一部のセリフで自分なりの解釈と納得を同時におこなった為、観終わった後はカタルシスを伴った疲れがでた。

12 :
■中庭にリング
■作・演出:矢内文章、出演:アトリエ・センターフォワード
■シアター風姿花伝、2010.11.17−24
http://www.centerfw.net/4-nakaniwa/nakaniwa-top.html
■アパートの住人が老後を支えあうコミュニティを作ろうとするが資産運用で破産する物語である。 カネでのドロドロした人間関係や政治も絡めた共同体などの問題は一度は参加しないとわからないということだ。
アパートの各部屋が舞台周辺に透視設定されている構成なので全体の動きがよく見え中庭も強調できて全体に安定感が出ていた。 セリフや場面切替に粗さがあったが逆にこれが芝居の流れを生き生きとさせていた。 爆弾で誰も逃げなかった後に居候の言うセリフがよかった。
しかし観終わった後に芝居の感動はすぐ消え失せてしまった。 それは日常生活を誇張し過ぎている面白さだけだから・・。 次は中庭から飛び出てまずは1ラウンド3分間から戦うしかない。

13 :
■巨大なるブッツバッハ村
■演出:クリストフ・マルターラ、美術:アンナ・フィーブロック
■東京芸術劇場・中ホール、2010.11.19−21
http://www.festival-tokyo.jp/program/marthaler/
■会場はガランとしています。 舞台の前面とA〜E座席は使用していないからです。 このため役者との距離があり覚めた雰囲気の上演でした。 舞台はヨーロッパのどこかの待合室です。 特に壁紙のデザインが日常生活そのままを持ってきた感じに強めています。
音楽劇ですが舞台の倦怠感と曲がよく似合います。 金融危機以後のヨーロッパの人々の心の持ち様が出ていました。
この芝居のように物語性や劇的さが無い芝居は、観客と舞台のリズムの同期を取るのに長い時間が必要です。 上演時間は長かったのですがリズムを得るタイミングがありませんでした。 観客は飽きてしまったはずです。
また壁に映し出された日本語訳ですが、「クソ野郎」は漫画ならともかく実生活では聞いたことがありません。 「くおん」は仏教語ですがたぶんキリスト教のある言葉を翻訳したのでしょう。
それ以外でも状況が掴みとれない箇所が多々ありました。 翻訳の不味さも飽きてしまった理由の一つです。

14 :
■令嬢ジュリー
■原作:ストリンドベリ、演出:毬谷友子
■赤坂レッドシアター、2010.11.27−12.2
http://www.red-theater.net/image/reijyou.jpg
■奥行きがありそうでないような、正面に階段と小さな窓があり先が見えない舞台構成。 芝居によく合っているわ。 ・・伯爵令嬢って何なのか観ていて考えてしまったの。
ジュリー役が毬谷友子だからよけいにそうだわ。 かわいいくて時には姉御のような令嬢で独特な声調の日本的な感じのジュリーを演ずる。 まさしく彼女にぴったね。 このため当時の社会情勢などを抜きにした閉じられた舞台のように見える。
逆にジャンは出世欲が言葉にでているのでぶれていない。 ジュリーの感情の流れは楽しめたけど感動は少なかったわ。 何かが足りない・・、それより何かが多過ぎるのよ、、きっとね。 友子、これからどうするの?

15 :
■測量
■作・演出:横田修、出演:タテヨコ企画劇団
■笹塚ファクトリー、2010.12.1−12.5
http://tateyoko.com/next/sokuryo/index.html
■温泉旅館と言えば会社の慰安旅行だ。 そのためか旅館ロビーの舞台は親近感がある。 そこには測量器具らしきものが幾つかぶら下がっている。 タイトルも謎だ。
幕が開いてすぐ、俳優の話し方に日常世界から少しずれた聞こえ方を感じた。 リアルさが出ていない。 意識的な演出かと思って観ていたがどうもそうではないらしい。 これが日常のしゃべり方だと思って喋っているようだ。 会話の位置づけがしっかりしていないのだろう。
ストーリはありきたりな内容である。 個々の事件も付け足しに見える。 そしてこのままズルズルと終わってしまった。 謎も解けない。 どうもよくわからないが、ひどい芝居を観たということだけは確かなようだ。

16 :
■肉体の迷宮
■原作:谷川渥、振付:和栗由紀夫・関典子、出演:好善社
■日暮里サニーホール、2010.12.3−12.4
http://www.otsukimi.net/koz/j_index.html
■舞踏では珍しい、何も無い空間での公演です。 開幕後、映像を使う為だと知りました。 衣装替えをしながら和栗と女性ダンサーたちが1920年代のメカニカルな雰囲気の舞から、赤と黒服の宗教的な舞迄の6章?の構成で飽きさせない流れでした。
和栗がゆったりとした白の夏スーツで踊るところ、大野一雄の再現が印象に残りました。 女性たちの艶めかしさが、和栗の肉体が迷宮で彷徨っている原因に見えました。 そして終章の関典子の凛とした振付が全体を引き締めたようにおもいます。
映像は生身の身体が薄くなり成功とは言えないでしょう。 もっと厳選すべきです。

17 :
■ストラヴィンスキー・イブニング
■演出・振付:平山素子
■新国立劇場・中劇場、2010.12.4−12.5
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/pdf/20000354.pdf
■平山素子の振付は肩腕を大きく速く動かしてとてもシャープに見える。 このため観ていてもついていくのが大変だ。 脳と身体がひとつになる喜びを楽しむダンスではない。 第二部「春の祭典」はこの傾向が強いので、観たままをそのまま楽しんでしまった。
途中の衣装交換は時間がかかり過ぎて事故が起きたのではないかと一瞬思ってしまった。 終幕、カーペットが奈落へ落ちていくところはとても面白い。
物語性の強い第一部「兵士の物語」は振付に言葉が付着してスローになった分、ダンサーひとりひとりの動きがハッキリと見え総合力の面白さが出ていた。 チラシを真似ると、素晴らしい生演奏が物語を補強し過ぎたので<物語 X 身体>かな。 ・・ありきたりだけど。

18 :
■田園に死す
■演出:高野美由紀、出演:劇団A・P・B−TOKYO
■ザムザ阿佐谷、2010.11.26−12.5
http://www.h3.dion.ne.jp/~apbtokyo/index.html
■寺山修司のエッセンスが一杯詰まっていたから2時間半だけどアッというまに観てしまったわ。 舞台は荒っぽいところが多々あるけど良く練れてるしね。 再々演だからかな。 そして舞台はとても懐かしい感じがした。
途中、演出とは知らず客席から駄目押しが出たのはビックリしたわ。 蝋燭や燐寸の火を多用することで舞台に深みが出てたけど、東北の寺山修司のネットリとした肉体から言葉を紡ぎ出すには火が一番よ。
でも青年の寺山役は立派過ぎるわ。 もっとオドオドしなくっちゃ。 ジェニファー松井もエイリアンね。

19 :
■砂町の王
■作・演出:赤堀雅秋、出演:THE SHAMPOO HAT
■下北沢ザ・スズナリ、2010.12.1−12
http://www.shampoohat.com/
■東京下町の鉄工所やスナック店の従業員、が登場し保険金目当てで二人も殺されるストーリーである。 工業地帯の汚い空をボケーッと見上げるシーンが多い。
この場面があるお陰で、激しい声高のセリフが多いにもかかわらず静けさのある芝居になっている。 そして純心な青年が騙され死んでいく悲哀もその静けさに加担する。
漫画に出てくるような殺人方法やセリフが多々あったが、零細工場の経営や下町の生活など描き方に力強さが出ている。 この強さと空を見つめる場面が、あるリズムを醸し出していて映画的手法の感動があった。 ひさしぶりに演劇の感動とは何か?を考えてしまった。

20 :
■リア王
■演出:鈴木忠志、出演:SCOT
■吉祥寺シアター、2010.12.15−21
http://www.scot-suzukicompany.com/season6/
■英独韓日本語の4ヶ国語の上演である。 以前英語版を観た時は痛く感動してしまった。 今回はそれほどでもない。 何故か? 上演言語が日本語→○、英語→○、露語→○、英語日本語→×、英独韓日本語→×である。
○は感動大、×は感動小の意味である。 つまり多言語に日本語が入ると何故か劇的感動が弱められる。 その理由がよくわからないが、一つは字幕に問題があるのではないか?
日本語でセリフを喋るときは字幕が出ない。 観客はそれを聞く。 他言語では字幕がでる。 そこで観客はそれを読む。 芝居を観ていてこの動作が微妙だが不自然に感じた。
観客の脳味噌内の処理が舞台で演じられている俳優の身体とほんの少しだが同期がずれてしまうような感じである。 いっそのこと日本語のセリフの場面でも字幕を入れてしまったらどうだろう。
但しこの場合は外国人が読む日本語訳で表示すべきである。 これで良くなるかどうかはわからないが・・。

21 :
■日韓アートリレー2010
■日暮里D−倉庫、2010.12.17−27
http://www.geocities.jp/kagurara2000/artrelay2010
■毎日違った出演者が登場します。 ダンスカンパニーアンジュ「その島に行きたい」、ユ・ジンギュ「韓紙」、鶴山欣也&雫境DUO「ずるだけい」、宮下省死「ほわいと・です」を観ました。
最初の韓国2グループは古臭さのある舞台です。 共産主義国と強く対峙していた為か、20世紀後半の凍結されていた生活文化が今になって解凍しているような内容でした。 アンジュにはもう少し踊って欲しかった。
鶴山欣也は身体の動きも滑らかでエレキベース系の生演奏に合っていました。 しかし変化に乏しいつまらない舞台でした。 落とし所を付けるべきです。 ところで宮下省死はついに本物の鼠になってしまったのでしょうか?
一日しか観ていないのでなんとも言えませんが、どれも即興的または一部分を抜きだしたような作品でいまいちでした。

22 :
■ガラパコスパコス
■作・演出:ノゾエ征爾、出演:はえぎわ
■こまばアゴラ劇場、2010.12.17−29
http://haegiwa.net/next/22/
■老人ホームから逃げ出した老女が大道芸人をしている主人公と生活するストーリのようね。
チラシを見るとこの劇団は老人ホームで実際に芝居をしているらしい。 それで主人公とその兄に辛抱強さが出ているのね。 それと必要な小道具類は舞台の壁にチョークで描くことで間に合わせていて経済的にもうるさいようね。
でも老女や主人公の家族も社会的にズレているし、老人ホーム社員の行動も変わってるわ。 その場限りの面白さはあるけど芝居として生きていないようにみえる。 結局は老人の進化をガラパゴス的に表現したいがまとまりきれなかった。
逆にこのような家族関係や職業観がガラパゴスに見えてしまった。 今の日本はガラパゴスで一杯ね。

23 :
■ブラボーO氏へ
■出演:上杉満代・大森政秀・武内靖彦
■中野・テルプシコール、2010.12.22−23
http://www.bigakko.jp/files/u1/butou_2010.pdf
■O氏とは大野一雄のこと、多分ね。 大森の手足の動きは安定していてエスプリもあり観ていて気持ちがいいわ。
武内は登場後のゆっくりとした動きは素晴らしかったけど、その後は動きが大胆で白塗りで無いから肉体が前面に出過ぎてた感じよ。 このため都会と田舎がぶつかっているような舞台だった。
途中上杉と大森は衣装を替えたけど、どれもとても似合っていた。 そしてこの二人は音楽との相性も良かった。
結局は武内が浮き上がってしまったのよ。 それなりのダンサーが3人登場するのは難しいことなのね。 でもこれで変化を出せたから消極的に良しとすべきかな。

24 :
■ディオニュソス
■演出:鈴木忠志、出演:SCOT
■吉祥寺シアター、2010.12.24−26
http://www.scot-suzukicompany.com/
■衣装は歌舞伎、動作は能、セリフは能・狂言の舞台ね。 そして照明も音楽も言葉も全て俳優の身体に入り込み、一つにまとまってから再び身体から発散しているようにみえる。 その逆に俳優やセリフや照明や音楽などに分けて観るということはしない。
つまり不可逆性の舞台なの。 この全てを吸収している俳優の身体と観客との共振が感動を呼び起こすのね。
途中、スピーカから発する神の言葉がこの芝居の流れを台無しにしているようにみえるわ。 白石加代子の声だったようだけど生身の俳優が喋れば緊張感が持続するはず。 そして全体が様式にこだわり過ぎて固すぎる感じもしたわ。 ギリシャ劇だからしょうがないっか・・

25 :
■嫌な世界
■演出:喜安浩平、出演:ブルドッキングヘッドロック
■新宿・サンモールスタジオ、2010.12.17−31
http://www.bull-japan.com/stage/iyanasekai/
■最初の火星旅行の夢を見る場面はとてもいい。 多くの俳優がここで登場し後場面を関係付けるので再帰的な構成に出来上がり物語に深みが出る。 そしてひさしぶりに観客席で笑ってしまった。 日常生活での相手を揶揄するセリフが核心をついている場面が多かったからだ。
また東京の下町工場地帯の庶民生活も面白く描かれていた。 上演時間が3時間弱もあったが気にならない。 後半で現実になる火星旅行は遣り過ぎである。 無いほうが面白いストーリになるとおもう。 夢だけで十分である。
SFの導入は苦しい時の神頼みだが、まだその時期ではないだろう。

26 :
■大きな豚はあとから来る
■演出:工藤千夏、出演:渡辺源四郎商店工藤支店
■こまばアゴラ劇場、2011.1.2−3
http://www.nabegen.com/
■朝、玄関で妻が会社へ行く夫に「いってらっしゃい」と言う場面が何回も登場します。 女性が精神的安定を得るための目指す光景だと言いたいようです。 これを得たい気持ちと「外交官」の社会的権威が結びついて女性主人公は容易に騙されていきます。
・・偽外交官に「中東の王様の妃にしてあげる」と騙されてしまう結婚詐欺の話しでした。 観ていても「リアル」さには少し欠けてましたが、騙されていく楽しさがある芝居でした。 そして別女性を登場させ強引に終幕に持っていく流れも違和感はありませんでした。
「警察官」「銀行員」「弁護士」でコロッと騙されてしまうオレオレ詐欺。 どこも芝居で一杯ですね。

27 :
今年はあまり書かなくなったね?

28 :
■ウル、森に眠る記憶
■演出:水野大輔、出演:トランジスタONE
■せんがわ劇場、2011.1.12−16
http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/05031/image1L.jpg
■考古学者が南の島を調査中に、巫女でまとまっている古代住民の過去の気配を感じとる物語・・。 素直さがあるお芝居よ。 そして「信じる」というセリフがとても多いの。
この言葉は日常を豊かにする力を持っているわ。 でも舞台での呪術や考古学の対立や議論の結論は、この言葉と付随する演出で超越への判断を停止をしてしまうの。 古代祖先を含めた人間関係の満足は得られるけれど劇の深みには行けない。
全体としては質の良い高校生演劇を観たようだわ。

29 :
■メタファンタジア[眠りの森の・・・]
■演出:長堀博士、出演:楽園王
■新宿タイニイアリス、2011.1.13−16
http://www.rakuenoh20.net/Metafan6.html
■チラシの「鑑賞の手引き」を読まないで観たからストーリが混線してしまった。 小泉君の恋人葵ちゃんの仮死体を冷凍睡眠室に
保存して葵ちゃんの過去の夢を語る芝居だとみていた。
しかし小泉君が冷凍睡眠室に入れられて未来の夢を見ていたということが終幕で明かされ、この二つが演じられていたということを知った。 多くの女性出演者のセリフや行動がとてもナイーブで中学・高校時代を思いだしてしまった。
教室での授業迄はとても面白かったがその後の家庭での出来事がつまらない。 この原因は対話モードから会話モードに入ってしまったからだと思う。 これで白けてしまった。 後半は再び盛り返したが2時間半の上演は長過ぎる。
途中の会話モードを取捨選択して2時間に短縮すればハリのある芝居に変わったずだ。 財前教授の「死んだら意味など無い!」という台詞は人間が背負う覚悟のようなものだ。
しかし生きている者にとってはそうはいかない。 この兼ね合いをどうするかだが、夢はこの触媒になれるのか?

30 :
■白石加代子「百物語」第二十八夜
■演出:鴨下信一
■岩波ホール
http://www.doudou.co.jp/shiraishikayoko/schd/2010/28ya/28yaomote.pdf
■池波正太郎「剣客商売天魔」、幸田露伴「幻談」の二題。 物語に引き込まれると舞台上の白石加代子を見ているけれど見ていない状態になります。 そして物語風景が脳の中で現前します。 ここが演劇と朗読の違いです。
演劇は舞台の物語風景と脳で想像した像の二つが舞台上で重なり合います。 像の焦点が舞台か脳かの違いです。 「幻談」で釣舟の浮かんだ海を青い照明で効果を出す場面がありましたが、いきなり脳内風景の焦点が舞台に移り困惑しました。
ところでこの二題、「天魔」のほうがリズムがあり読み手も生き生きしていました。 「幻談」は活字を追うほうが合うのではないでしょうか? 白金、麻布、湯島、本所、そして磯の香り・・・。 どちらも江戸時代の風景が心地良くみえる物語でした。

31 :
もうすぐ百になるんじゃないの?

32 :
■僕を愛ちて、燃える湿原と音楽
■作:丸尾丸一郎、演出:菜月チョビ、出演:劇団鹿殺し
■本多劇場、2011.1.15−23
http://shika564.com/bokuai/
■僕を愛ちての式です。
 (釧路名物芸能丹頂鶴舞+北海歌舞伎妖狐伝+湿原ロックフェスティバル)/3+札幌テレビホームドラマ+高校ブラスバンド北海道地区決勝大会=僕を愛ちて

33 :
■投げられやすい石
■作・演出:岩井秀人、出演:ハイバイ
■こまばアゴラ劇場、2011.1.19−2.20
http://hi-bye.net/2010/11/03/1036
■言葉が少なく長続きしない、末尾が未完成のようなセリフが多い。 このためクライマックスで途切れの無いカラオケを歌うことでここに全てが集中して来る。 そしてカラオケ場面で突然のように幕が閉じてしまう。 これは劇的とも言える。
この劇的の発生は事前の対話にリアルさがあったからだと思う。 そしてこのリアルさが出演者への気持ちを思う感情を芽生えさせる。 なぜ変わった石の投げ方をするのか?なぜカラオケが好きなのか?わかるような気がする。
このように一つ一つわかっていく気持ちを探し求めることができる芝居である。
リアル感度の低い部分もあった。 それは佐藤が病気つまり肉体の崩れで一気に崖っぷちに立たされてしまうところである。 現代ではよくある事実であるがそれがリアルにはならないのが芝居である。 でもこれは些細なことだが。

34 :
■わが町
■作:ソーントン・ワイルダ、演出:宮田慶子
■新国立劇場・中劇場、2011.1.13−29
http://www.atre.jp/wagamachi/message/index.html
■牛蒡はアメリカでも食べるのでしょうか? 小さな町にこんなにも宗派の違った教会があるとは驚きです。 舞台は数組の机と椅子しかありません。 あとはパントマイムで補います。 エミリーの動きは心と一体化していてとても軽やかで素晴らしかったです。
緩やかに進んでいくので20世紀初頭の古き良きアメリカを想像できます。 しかし舞台監督の状況説明だけで前半は終わってしまいます。 盛り上がりはエミリーとジョージの結婚式くらいです。 不満が残りました。
休息時間に気を取り直して期待しますがなんと後半は、いきなり死後の世界です。 驚きの展開です。 難産で死んだエミリーを含め死者達が登場します。 葬式シーンは広い舞台をとても有効に使っていて見栄えがありました。
「神」という言葉が出てこないので日本人でもとっつき易い場面が続きます。 ここでエミリーは生きることの素晴らしさを再発見しますが、最後に死は忘れ去られていくものだと悟ります。
人と時間をたっぷり使って広い舞台で作り上げているのでしょうか、アメリカらしさが出ていました。 観客もゆとりを持って観ることが必須のように感じました。 国立劇場らしい芝居でした。

35 :
■チェーホフ
■作・演出:タニノクロウ
■東京芸術劇場・小ホール、2011.1.25−2.13
http://www.geigeki.jp/saiji/025/index.html
■幕が開き舞台の中に舞台、そしてその中にまた小さな舞台・・・。 切絵のような風景に原色の照明。 俳優の動きも歌も衣装も人形のようでとても素晴らしいわ。 でも直ぐに飽きてしまったの。
舞台は物でとても豊かなのに、それが持っている存在の不思議や感動が出現しないの。 友子の良さも含めて役者も同じね。 タニノクロウが医者だと今回のチラシで初めて知ったわ。 これで前回観たアンダーグラウンドの謎が解けた。
そして通底にアリストテレスがいるようね。 このチエーホフのよさは、あのチェーホフをアリストテレスからみてみようと言っているようだわ。 でもこれがいつも失敗してるようにみえるけど? 舞台は絵画や医学そして文学とは違うようね。

36 :
■明るい表通りで
■作・演出:三谷智子、出演:文月堂
■三軒茶屋・シアタートラム、2011.1.27−30
http://www5.ocn.ne.jp/~masa69/news1.html
■若人発掘目的の「ネクストジェネレーション」で入場料も半額なので観に行ったのですが思った以上に質の良い芝居でした。 三姉妹の長女と不動産社員の結婚が物語の中心のようです。
チラシに丁寧な作りと書いてある通り、男女間の感情の遣り取りはとても現実的に面白く描かれています。 ところで若い女性演出家の作品の多くはこの芝居のようなホームドラマ系です。
この主の作品は次のセリフがキーワードになっています。 「しあわせとはなんでしょうか?」がそれです。 これがあると観ないでも中身がわかります。 この芝居でも長女が安易に使っていました。
戦略を立ててこのセリフを越える芝居をこれからは上演しないと、同じような他劇団と共に埋もれてしまいますね。 ところで以前、とある劇団の「ガラスの動物園」で母も姉も亡くなり弟のトムが旅立つ時にこのセリフがありましたが、最高でした。

37 :
■風のほこり
■作:唐十郎、演出:金守珍、出演:新宿梁山泊
■芝居砦・満天星、2011.1.21−30
http://www5a.biglobe.ne.jp/~s-ryo/kazehoko11/kazehoko11.htm
■とある芝居小屋の舞台下、そこが劇団の文芸部室。 水が流れ落ち、まるで大きな下水道の中の溜まり場に作られているような舞台だ。
幕があがってすぐに義眼女田口加代と文芸部水守三郎が遠い思い出の甦るようなセリフを早口で喋り、観る者は昭和5年の浅草に引きこまれていく。
水が目薬になり、水の鍵を探そうとしたり、水は芝居の流れに寄り添いドロッとした空気のように感じられた。 そして目玉の不思議さも加わり妖しい雰囲気が漂う。
これに過剰な言葉が役者の身体から紬ぎ出されると観客も未知の過去世界に落ちていく。 ひさしぶりに唐の水の世界に浸った。 しかし寒い冬に水の舞台は身にしみる。 題名に風をつけるのは合わない。

38 :
■ゾウガメのソニックライフ
■作:演出:岡田利規、出演:チェルフイッチュ
■神奈川芸術劇場・大スタジオ、2011.2.2−15
http://www.kaat.jp/pf/zougame.html
■仕事上の講演会に出席しているようでした。 役者の動きや喋り方が下手なプレゼンテーション時のしぐさのようです。 その説明がうまくいったかどうかを確認するような役者の視線が観客に降り注ぎます。 これは説明会型演劇または講演会型演劇です。
日常生活でよく意識にのぼる想いや感情そのものを話題にしています。 「残りの40年という人生は短い・・」。 ですから日常の先にある死も同時に考えることになります。 旅行の話しはもちろん出てきます。 何故なら旅行は死の予行演習ですから。
夢の話しもします。 夢は生活の大部分を占めている無意識世界の出入口ですから。
質を向上するのは悪くはないがしかし、日常生活に質の良し悪しなど無いだろうということです。 パフォーマンスのある、モノローグ構成が面白い、下手なプレゼンテーションの、感動は無いが刺激的で、とても為になった、講演会のような芝居でした。

39 :
>>38「人生の幸せとはなんでしょう?」を追う芝居が多い中
このようにメタ日常生活を論じてるのは貴重だね

40 :
■アライブ・フロム・パレスチナ、占領下の物語
■芸術監督:ジョージ・イブラヒム
■川崎アートセンター・アルテリオ小劇場、2011.2.11−13
http://kawasaki-ac.jp/img/alivefrom_palestina_omote11.pdf
■ベトベトした昔のトマト、あまーい西瓜、林檎、サクランボ、タマネギの匂い、黒オリーブ、・・・、ゴム爆弾、戦車、ロケット弾、ヘリコプターの音・・、日常生活の言葉は極端へ跳ぶようね。
舞台は丸めた新聞紙で一杯。 メディアでは伝わっていないパレスチナ人の日常生活を描きたいと監督の言葉がチラシに載っているわ。  しかし俳優の動きもセリフも無駄が無く滑らかで、しかもブラック・ジョークが多くてその生活がよくみえない。
上演回数や受賞の多さが芝居の持っていた牙を丸めてしまったのよ。 パレスチナ問題が深く潜行してしまった今、次なる作品を早急に作るべきね。

41 :
■沼袋十人斬り・改訂版
■作・演出:赤堀雅秋、出演:THE SHAMPOO HAT
■シアタートラム、2011.2.10−20
http://www.shampoohat.com/numabukuro/index.html
■しがない三人の中年男の友情物語である。 セリフは漫才のように面白いところがある。 しかし殺人も盗難もどこか中途半端だ。 道路工事や蕎麦屋のアルバイト、気晴らしのパRやスナックバー、親の介護など生活の匂いはするが断片しかみえてこない。
いつまでたっても芝居は煮つまってこない。 これがわかっているから歌舞伎調でカムフラージュせざるを得ないのではないか? 過去のモジュールを寄せ集めたようで、息抜きをしている作品だ。
「・・いよいよ15年目になる。 しかし同じ場所でひたすらぐるぐる回っている・・」と書いてあったが、次はぐるぐる回らず真っすぐにすっ飛ばしてくれ。

42 :
■焼肉ドラゴン
■作・演出:鄭義信
■新国立劇場・小劇場、2011.2.7−20
http://www.nntt.jac.go.jp/release/pdf/1011_yakiniku_dragon.pdf
■1970年頃の在日コリアンの生活の力強さ、戦争の傷跡をそのまま舞台に乗せて直球で勝負している芝居です。 加えて経済成長期の明暗の強さが一体となった激しさがある面白さを持っています。
三姉妹と息子の別れでひさしぶりに涙が止まりませんでした。 兄弟がたくさんいた時代の家族の繋がりや別れが懐かしく見えました。
戦争終結の時、日本人は「敗戦」ではなく「終戦」だと受け止めていることが芝居から見えてきます。 この差異の言葉である「責任」が時々顔を出します。 日本人は「責任」を忘れてはいませんが他人事のように想像してしまいます。
これが息子の死の原因にも繋がっています。 そして生活の苦楽が集約している息子の語りが芝居に一層深みを与えていました。

43 :
■品潮記−品川宿物語−
■作・演出:市村直孝、出演:BOTTOM−9
■新宿・サンモールスタジオ、2011.2.9−20
http://bottom-9.com/next.html
■舞台は障子が幕のように立っている。  この旅籠屋の障子の開け閉めで物語が一つ一つ進んでいく。 開け閉めのリズムが心地良い。 景色は見えないが品川の磯の香りが海風に乗ってくるような舞台構成だ。
黒船来航、桜田門外の変、水戸浪士の東禅寺事件(?)、箱館戦争・・を絡めるので流れが緩やかだ。 上演時間はなんと3時間。 旅籠の丁稚だった主人公が20年前の物語の進行を務める。 そこで演じられる人間関係や事件は素直であり礼儀もある。
このような古さのある芝居好きは多いかもしれない。 精神的浄化が作用し至福の時間に浸れるからだ。 観客の年齢層が分かれていたのも興味深い。 この種の芝居はあまり観ないがたまにはいいなあ、と思える出来えであった。

44 :
■ダイダラザウルス
■作・演出:深津篤史、出演:桃園会
■下北沢・スズナリ、2011.2.16−20
http://www.honda-geki.com/suzunari.html
■オデッサの階段を切り取ったようなのがドカーンと置いてある舞台。 「銀河鉄道の夜」のオマージュのようね。 主人公は列車に乗りながら過去の出来事を想起しているみたい。 海辺、ドライブ、遊園地、祭り、京都、夕飯・・。
でも個々の出来事はプライベートに包まれているようで話しの繋がりが見えない。 そして「関西弁で・・・」というセリフが数か所あり関東弁?との二つを切り分けながら喋るので余計に観客を遠ざけてしまう。 切り分けの理由はわからないけど・・。
このような舞台構造と芝居構造を持っていればいくらでも感動を呼び寄せられるのにそれができていない原因がこの二つね。 通りすがりの客には冷たいのね。 これは勿体無い! でもこの閉鎖的な感じがいいと言う観客も多くいたようだけど。
ところで大阪万博の跡地に遊園地がありここのジェトコースターの名前がダイダラザウルスなんだ。 いいタイトルだわ。

45 :
■TPAMショーケース
■出演:@スサンナ・レイノネン・カンパニー(フィンランド)Aラバーバンダンス・グループ(ケベック)Bカハーウィ・ダンスシアター(カナダ)Cペリーヌ・ヴァッリ(フランス)Dコンセントラート(ポーランド)
■神奈川芸術劇場他、2011.2.17−20
http://www.tpam.or.jp/2011/j/international/index.html
■国際舞台芸術ミーティング(TPAM)での海外5グループのダンス公演。
@寒くて暗い大草原にいるような舞台。 足はいつも地面から離さないで腕を大きく振りまわし、鉛の靴を履いているような歩き方をするの。 大地のリズムが伝わってくるようなダンスね。 身体・体重のある北欧人だと様になるわ。
Aストリートダンスの変形型ね。 音楽が合ってないので展開にまとまりがでないのよ。 そして手足が縮こまるってるわ。 街中で踊るならいいかも。
B北アメリカ先住民族的舞踊と樺太アイヌ弦楽器演奏のコラボ。 横浜ランドマークホールは舞台が狭すぎるわ。 これで過去から現在迄のごった煮のような踊りになってしまったのよ。 緊張していたダンサーが終幕に疲れがでてきてからは良くなったわ。
C「夫婦」を上演。 男と女二人のダンサーの心理的な静かな舞台。 短かい上演でうまく入り込めなかった。 多分面白いダンスだと感じるけど・・。
Dダンサーは一人。 振付の理由や経緯を説明してから踊る手順は面白いわ。 ソビエト崩壊をまだ引きずっているような感じも憎めない。
グループの多くは振付も音楽も古い感じがする。 20世紀に戻ってしまったようね。 いつも観ているTOKYOの舞台を見直してしまったわ。

46 :
■美しきものの伝説
■演出:西川信廣、出演:文学座
■紀伊国屋サザンシアター、2011.2.13−22
http://www.bungakuza.com/utukusiki/index.html
■劇場に入ると三味線が迎えてくれていい気分になりました。 大正元年、伊藤野枝とその周辺の話しです。 芝居の話しも出てきます。 しかし少し観て席を立ちたくなりました。 歴史や人物の解説をしているような芝居です。 人間関係がとても表面的です。
いかにもセリフを喋っているという感じの対話が続きます。 感動など湧いてもきません。 三味線弾きの突然坊が「・・芝居の結末は歴史書を見ればわかる」と言ってましたがまったくその通りになってしまいました。 義務感で上演をしているような芝居でした。

47 :
■苦悩
■作:マルグリット・デュラス、演出:パトリス・シェロー、出演:ドミニク・ブラン
■両国・シアターカイ、2011.2.21−22
http://www.theaterx.jp/11/110221-110222t.php
■以前観たデュラスの「インディア・ソング」「愛人」が素的だったことを思い出して両国へ急いだの。 強制収容所の夫ロベールを待つデュラスの日記の芝居化よ。 オルセー駅、今の美術館?、へ毎日通って収容所からの帰還者を確認するデュラス。
そこは帰還者ばかりか捕虜や兵隊がいっぱいの喧騒な世界。 アフリカ戦線、ド・ゴールとド・ゴール派批判、ルーズベルト、ベルリン陥落、収容所解放、赤痢、チフス検査と話しが続いていくの。 結局はドイツも同じヨーロッパだと認識し直すデュラス。
そして驚くべき夫の帰還。 しかし姿は無残にも体重が38kg。 41度の高熱と緑色の泡のような大便。 なんとか持ちこたえて、夫の台詞「おなかがすいた」で幕が閉じる芝居。
途中アンリ・コルピの「かくも長き不在」を思い出してしまったの。 劇的だった映画と違ってこの芝居は淡々としているわ。 だから想像力が必要なのよ、1945年の帰還者を待つ芝居を今観るにはね。

48 :
■TABLEMIND
■演出:川口隆夫
■川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場、2011.2.23−27
http://kawasaki-ac.jp/img/110223_TM.pdf
■特設舞台両側に客席が60席。 手紙を小声で書くところから始まる。 そして青白い光の帯が身体の脆さを浮き出させながら舞台の世界に入っていく。 バス停で見失った友、入院したことなどが日記のように読まれるがしかし話しは徐々に薄くなっていく。
映像の他人に同化して「冬の散歩道」をバックに激しく踊るクライマックスはとてもいい。 曲目も合っている。 終幕に再び手紙を読むがノイズ音で聞き取れなくなり声は粒子のように分散していく・・。
小道具や映像・光はダンサーから付きず離れず他者のような関係を保っているように動き回る。 舞台、振付、ストーリすべてがコンパクトにパーソナルにまとめられている。
日常生活から少しばかりズラした身体を意識させてくれた。 休息ができる短編小説を読んだようなパフォーマンスであった。

49 :
■カゲロウの黒犬
■作:李大京右、演出:寺十吾、出演:TSUMAZUKI
■下北沢・スズナリ、2011.2.23−3.2
http://tsumazuki.com/image/kuroinu_omote.jpg
■場内に入ったら、住みたくない家の典型が舞台に作られていて不吉な予感がしました。 チラシには「現代社会の一番嫌な、出来れば見たくないようなものみせつけられた・・」と過去の感想が載っています。 幕が開くとチラシどおりの世界が展開されます。
祖母と父親の死、後に残された引き籠り兄弟とこれに群がる貧困ビジネスの人々の話しです。 日常生活を営んでいる船底を開けるとこのような地獄があることを薄々気づいているから余計に見たくないのです。
でもこの地獄は人類が登場してからずっと存在しているものではないでしょうか。 登場する人間関係は直ぐにでも分解しそうですが、舞台は非常に濃い負の対話が続きます。 ここが芝居の面白さですかね。
老人介護職員が通帳を預かっている場面があります。 自立支援ボランテアと祖母の年金を分ける話しもでてきます。 ここで長男が何も言わないのは前後の筋からいっても理解できません。 このようなストーリだとお金の処理はやはり気になります。
この芝居は出口がありません。 永遠に続く現実の一部を誇張だけしてそのまま舞台にのせているからです。 次も観たいか?と問われれば今回で十分だと答えます。 なぜなら劇場をでれば現実が待っていますからね。 これが売れない理由です。

50 :
■公演名 アントンとチェーホフの桜の園
■スタッフ、キャスト 大窪寧々 高.ok.a.崎拓郎
■劇場名、期間 2011.02.25〜28
(■URL)http://www.kaimakup.com/anton/
■批評・感想
ビックリするくらいつまんなかったです。途中で寝そうになりました。
他の観客もつまらなそうで、あまり笑ってませんでした。
たまに笑ってましたが、少しだけ。
最初の出オチだけ、自分も笑えました。
ストーリーはほぼ無くて、ほぼ勢いだけです。

51 :
■花札伝綺
■作:寺山修司、演出:青木砂織、出演:流山児★事務所
■SPACE早稲田、2011.2.25−3.6
http://www.ryuzanji.com/r-hanafuda11.html
■歌が多いのでこれは歌劇ですね。 狭い舞台に同時に10人以上が登場するので身動きができません。 これで役者は日常生活の動きに戻ってしまいます。 これが顔にも伝わり締まりの無い表情になってしまいます。 とうてい物語の深みには入れません。
オペラのようなものだと初めからみればよかったのです。 そうすれば歌う時の無条件に明るい表情や、紙で作ったハリボテの衣装も納得できたかもしれません。 ところでチラシに「「三文オペラ」の本歌取り・・」とありましたがどこが本歌かわかりませんでした。

52 :
■私たちは眠らない
■演出:東野祥子、出演:BABY−Q
■三軒茶屋・シアタートラム、2011.3.4−6
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/03/post_219.html
■前作の「ヴァキュームゾーン」で、特に照明に踊りが追いついていけなかったところはクリアしたようね。 理由は照明のコヒーレントが増したため踊りと対等になったからよ。 音楽も一層よくなったけど同じ理由が言えるわ。 そしてダンサーには切れがあった。
結果、東野の持ち味のドロドロさがなくなったの。 このドロリの原因はアニミズムに通ずるようなものだと思うの。 東野は恐山のイタコだったのよ。 しかし今回これが別なものに変化した。 それは宗教よ。
こんかいの音楽はイスラム教を思い出させるの。 そしてマイクを持った女性の演説がグローバリズムを語るの。 これは宗教と兄弟よ。 最後に箱を繋ぎ合せて十字架を作りコヒーレンスな照明で精神を高揚させる。 こんなにも宗教的な舞台は珍しいわ。
しかし最後に藁と骸骨が登場したの! どういう意味だか理解できないわ。 でも二つの方向が考えられる。 東野は再び恐山のイタコに戻る、あるいは本格的な宗教へ突き進む。 どちらへ行くかは次の作品を観ればわかるはずよ。

53 :
■グリム童話−少女と悪魔と風車小屋−
■作:オリヴィエ・ビィ、演出:宮城聰、出演:SPAC
■静岡芸術劇場、2011.3.5−13
http://www.spac.or.jp/11_spring/grimm
■父が悪魔に娘を与える契約をしてしまうが、娘は両手を切り落とし旅に出る。 娘は王と一緒になり子供を産むが再び悪魔の謀で娘は子供と森へ逃げる。 しかしさいごに父や王と喜びの再開をする。 そして両手も再び甦る・・。 感動ある死と再生の物語ね。
舞台は白一色。 悪魔だけが黒よ。 木々や動物はもちろん衣装の一部も紙でできているの。 打楽器のシンプルな演奏は物語にマッチしている。 人形のような動きとセリフの、動かないダンスをみているような役者。 舞台は玩具箱をひっくり返したようね。
細かいところにも気を使っているのが伝わってくるわ。 照明のメリハリも良かった。 天使と悪魔はセリフも動きも切れがあった。 舞台全体の総合力で勝負していてそれに勝っている芝居ね。 そして奇跡の芝居は格別よ。

54 :
■人形の家・解体
■作:エヴァルド・フリザール、演出:高取英、出演:月蝕歌劇団
■ザムザ阿佐谷、2011.3.15−17
http://page.freett.com/gessyoku/
■二組のノラとヘルメルが登場して頭の中は混乱しました。 どのように解体したのかわかりませんでした。 パラレルワールドは面白い構想ですが、物語に深みがみえない、それに加えて歌が多過ぎてストーリーを潰してしまったことが原因です。
このためか和服姿や演歌、狐の仮面や光線もどことなく白々しくみえました。 煙もモクモクし過ぎですね。 舞台全体のリズムが乱れてしまったのです。
役者が不可思議なリズムと感情を奏でている舞台を楽しみたいと観に来る観客が多いのですから、ここは緻密な計算をしてほしいところです。

55 :
■ホフマン物語
■振付:金森穣、出演:NOISM
■静岡芸術劇場、2011.3.19−20
http://www.spac.or.jp/11_spring/hoffmann
■操り人形オランピア、男装娼婦ジュリエッタ、病弱な娘アントニアの三幕もの。 とても切れ味の良い振付だ。 これに比して照明の緩やかさ、床の肌色、沢山のブロックの木で作られた温かさ、衣装の中間色の多い細かい柄。 振付とは対照的な構成だ。
この為なんともいえない雰囲気がある。 恋の破たん劇に合っているようにみえるが、まとまりが無く混乱している舞台にもみえる。
人形の踊りや舞踏会など楽しめる場面もあったが、演者の視線が鋭く拒絶のしぐさが多いため緊張感が過ぎたようだ。 三幕のうち一幕を毛色の違う振付で臨んだらより面白くなったのでは?

56 :
■バルカン動物園
■作・演出:平田オリザ、出演:青年団
■こまばアゴラ劇場、2011.3.18−28
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/03/seinendan/
■役者は動きが少なく椅子に座っている時間が多い。 結果舞台は満員の状態が続く。 セリフが重なって聞きづらいところが多々ある。 そして流れがよく見えない。 しかも奥行きの無い舞台で役者と観客の距離を縮めている。 このため息苦しい。
プロジェクターを利用した解説は強すぎる。 これで役者全てが凍りつく。 もちろん観客も。 科学史、免疫、生物実験、コンピュータ、確率などの説明が物語に溶け込んでいかない。 脳波がでている脳味噌だけの研究も異様だ。
自閉症の話題はまだしも、研究員の結婚話も動物実験材料の是非も突飛な感じだ。 科学シリーズ前二作と比較してギクシャクしていて練れていない。 今は理工学専門家と机を並べているとチラシに書いてあったがまだ演出は手がけているのかな?

57 :
■冬の旅
■作:松田正隆、演出:高瀬久男、出演:アル☆カンパニー
■新宿SPACE雑遊、2011.3.17−27
http://www.zatsuyu.com/performance_info.html#pafo03
■俳優の夫婦がイスラエル?旅行をしてきた話です。 ですから平田満と井上加奈子は二重の意味で夫婦ということですね。 日常会話とモノローグから構成されています。 機上やホテル、レストランのこと。 パレスチナ?や死海のこと。
マクベス夫人の科白を舞台上で忘れてしまったこと。 何故忘れたのか?とか。 ベティ・デイヴィスや題名がわからない映画のことなどなど、お互いの生活や性格を軽蔑や柔らかな非難をしながらすすみます。
芝居ですから現実の会話より知的になっているので眠くはなりません。 かといって身をのりだすほどでもありません。 演出や俳優に興味が無い場合、この種の芝居はチケットを購入する時に躊躇します。 先日ハンマースホイ展を観たので決めました。
しかし観てしまったからにはやっぱ良かったなあと想うところがあれば得した気分になりますが、はたしてこの芝居には有りました。 もちろん口にする程のことではありませんが。 チラシはもちろんハンマースホイですがこの絵よりもっと雑音のある芝居でした。

58 :
■カスケード 〜やがて時がくれば〜
■作・演出:岩松了
■下北沢・駅前劇場、2011.3.16−27
http://www.dongyu.co.jp/cascade/
■青春群像劇よ。 学園ではなく既に社会に出た話だから、甘酸っぱい香りが漂っているとは言えないけど。 青春も歳をとったのね。 カモメを上演する演劇関係者の話し。 前半人物関係がみえなかったけど、チラシを見たら役名と本名が同じだった!
舞台はトレープレフ役の青年が自殺をしたところから始り、時間を逆に進ませるから余計混乱した。 台詞は切れが良くテンポがあるし役者もキビキビしていてスピード感がある舞台よ。 いつも観客だから芝居の作成過程が現実にこうなのかわからない。
企業と同じにトップが確固たるヴィジョンを持ちそれを役員レベルが組織に具体的におとすことが要だということはわかったわ。 でもこれが出来ないから芝居になるのね。 感動というより切ない想いが押し寄せてくればこの種の芝居は成功だとおもうけど。
抑えの効いた演出だったし観た後も雑音を残さない良い舞台だわ。 ところでここは客席が少ない劇場だけど今回は倍の席に模様替えしていたの。 しかも観にいった日は立ち見もいたし・・。 芝居をみてもわかるわ。

59 :
>>56 演出も若手がやってるんじゃないかなあ

60 :
■材料アリストパネース
■演出:杉浦千鶴子、出演:ラドママプロデュース
■お茶の水・FREESPACEカンバス、2011.3.24−31
http://www.geocities.jp/radomama/
■「アカルナイの人々」「女の平和」「雲」を題材にしています。 時々演出家が登場してギリシア地図の説明や用語の解説をします。
演目の切れ目に映像が入ります。 米軍厚木基地で日米安保条約強化反対について、宮下公園でナイキ移管の公共施設利用規制反対について、過去の公演「バッコスの信女」でのギリシャ古典劇議論などです。
舞台とこれらの映像から他ポリスやペルシアとの政治状況、主人公の行動などが現代と結びついてくるのがわかります。 そしてギリシア劇とはポリスを考えることだ、に到達します。
神田界隈の通行人をそのまま連れてきたたような役者、しかも配役名を首にぶら下げて登場します。 平和、喜劇そして下ネタの話で盛り上がりそうですが、観る楽しさや歓びからは遠い舞台です。 ギリシアが近くなったり遠くなったりする芝居でした。

61 :
■交換
■原作:ポール・クローデル、演出:フランク・ディメック
■こまばアゴラ劇場、2011.4.6−11
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/franck/
■幕が開き、女優レキの劇中劇や資本家トマの登場をふくめて4人の役者が出揃う前半はひさしぶりの感動に出会えました。 役者の身体と言葉がとても生き生きしていたからです。 しかし以後は萎んでいきます。 後半再び盛り上がりますが既に終幕です。
それはルイがインディアンに戻った少しの間だけ、マルトはもちろんですがレキもトマもそれを感じとるからです。 その時のルイは素っ裸ですが筋肉や肌から発する言葉は想像以上のチカラを持っています。 ギリシャ時代のオリンピックもこうだったのでしょう。
マルトは旧ヨーロッパというよりインディアンの血が流れている演技をしました。 これでヨーロッパ対アメリカから旧アメリカ対新アメリカへと比重が傾いてしまい芝居の集点が定まらなくなったように思えます。
そしてインディアンから何故かパリのアフリカ人を思い出してしまいました。 このためか、ギリシャ、アメリカに加えてアフリカ植民地の影のあるフランス的のなんとも言えないテンポのある舞台に浸れました。 しかし2時間半はやはり長く感じた芝居でした。

62 :
■わが星
■作・演出:柴幸男、出演:ままごと
■三鷹市芸術文化センター・星のホール、2011.4.15−5.1
http://www.wagahoshi.com/
■人生は宇宙と同じように壮大なんだ!という感覚が押し寄せてくる家庭劇?でした。 星として家族の一員として役者はコロスのように円周を飛び回ります。 このリズムに共鳴して観客も子供の遊びのように疲れも飽きもしない舞台をみることができます。
実際子供の遊びの名前や初めて自転車に乗った時のことなどが話題になり観客を過去の時間に戻します。 祖母がいつ亡くなるかの話題もよくのぼります。 しかし湿っぽさはありません。 理由はこの芝居が宇宙とうまく繋がっているからです。
10のマイナス30乗のプランク世界に関しての本を読んだのですが、この世界の住人からみると人の身長1mは宇宙の大きさと同じ比になるとありました。 137億光年が人の身長だって!?この芝居はプランク世界をも取り込んでいる面白い感動を持っています。

63 :
■サブロ・フラグメンツ
■振付:勅使川原三郎
■アルテリオ小劇場、2011.4.30−5.8
http://kawasaki-ac.jp/img/SF-press0329 karas-2.pdf
■等加速度の動きが冴えていたけど、ヴァイオリンの音色が粘りついたような感じだった。 しかも運動エネルギーを外に出さず蓄えたまま踊り続けているようにみえる。 発散しないダンスは心が踊らないわ。 後半はもがき苦しんでいるようね。
途中のピアノは合わせ難かった、だから直にヴァイオリンに戻してしまったのかしら? 若いダンサーたちは三郎からフィードバック機能を取ってしまったように動き回っている。 もっと制御を効かせて逆にスローにしたほうが変化がでて面白かったはずでは?
終幕の照明と踊りは付け加えた感じで馴染まない。 省いた方が自然な流れになるとおもうけど・・。 3.11を意識し過ぎたのね。 100年後の人類が人造の肉体を持った時の苦しみがどういうものかを想像してしまう、ようなダンスだったわ。

64 :
■走りながら眠れ
■作・演出:平田オリザ、出演:青年団
■こまばアゴラ劇場、2011.4.29−5.16
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/
■題名がとてもいいわ。 でも芝居は眠るほうに比重がかかっていたようね。 走っているのがみえなかったわ。 それは船旅やファーブルの話しが面白過ぎて二人の日常生活の対話に深みがでなかったからよ。 多分リアルさだけでは不足なの。
チラシに「明るい、おおらかなサヨク、大杉栄・・」とあって「革命日記」を思い出してしまった。 雑誌「テアトロ」の2010年度ベストワンで「革命日記」をワーストワンに掲げていた批評家がいたことも。
「こんなことでは革命などできない・・」とか言っていたようだけど。 ソビエトは崩壊しちゃったんだからこんなことでも御破算よね。 でもどちらの芝居も革命家でなくても成り立つかもしれない。 おおらかさだけでも不足なのよ。
走っているのがみえるにはどうすればいいのかしら?

65 :
■ヤルタ会談
■作・演出:平田オリザ、出演:青年団
■こまばアゴラ劇場、2011.4.28−5.17
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/
■「新作落語として書いた」とあるが観て納得した
オリザ型対話劇は公演時間が30分だと身体性が展開し難くて言葉だけの面白さで終わってしまう
今日みても3人漫才かコントのようで芝居の面白さは無い
観終わった後は史実としてのヤルタ会談を調べ直してしまった
そして落語として書いたことを再び納得した

66 :
■マッチ売りの少女たち
■作:別役実、演出:平田オリザ、出演:青年団
■こまばアゴラ劇場、2011.4.28−5.17
■ストーリに細かい非連続があって観ていても躓いているばかり。 80年代生まれの会話とくすんだ戦後風景が同時にやってきたり、少女たちの主張がかけ離れていることだとか、・・いろいろあるわね。 これが流れを澱ませて芝居をつまらなくしたのよ。
この非連続を不条理にまで昇華させると少しはみられるようになるわ。 でも不条理ではなくて不合理で止まってしまった。 しかも別役実の不条理劇はあまり面白くないし。 これをコラージュしたのが原因かな。 特に初期作品をね。
ところで5日に緊急対談があったのね。 知らなかった。 緊急というからには重要なことよね。 しかも子供の日に。 是非内容をHPに載せて欲しいー。

67 :
>>64-66中旬まで演劇展をやってるみたいだね

68 :
■鳥瞰図
■作:早船聡、演出:松本裕子
■新国立劇場・小劇場、2011.5.10−5.22
http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000327.pdf
■老女将と息子が経営している釣船の店が舞台。 作者は磯の香りを観客に届けたかったのでは? でもカサゴ・あなご・白キスの大文字看板や部屋に飾ってある海岸や釣船の額縁写真は最後まで知らん顔のままだ。
浮気や離婚など複雑にみえる人間関係は中途半端で女性週刊誌を読んでいるようだ。 食べる場面も多過ぎる。 玉蜀黍・西瓜・煮物・アイス・オムレツ。 これが噂話と絡み合いテレビドラマのようだ。
そして時間が経っても登場人物の過去の結びつきが結晶化していかない。 だからミオによそよそしかった佐和子が親しみの態度に急変した心理も頷けない。 孤独死峯島の葬儀で終幕にするのも東京湾の死に、掛けているようだが感動は小さい。
残念ながら磯の香りは届かなかった。 細部が分散と停滞のまま俯瞰したので毒にも薬にもならない舞台になってしまったようだ。

69 :
■デビルマン
■作:永井豪、脚本:じんのひろあき、演出:高瀬久男
■プルヌスホール、2011.5.13−5.20
http://www8.obirin.ac.jp/opai/opap_item.php?no=73
■漫画とは知っていたが読んだことはない。 観劇後ウィキペディアで調べたところ面白そうなストーリーだ。 演出家も笑顔になるだろう。 原作はゴシックホラーだが後半は人間同士の信頼の話しになっていくらしい。 芝居もここが中心になっている。
生きるために他人を殺せるか? 悪魔狩に包囲された最悪の状況で全登場者は決断を迫られる。 「人殺しなんかできない。 しかし殺されそうならば状況による。 やはり生きたいから・・」。 これが普通の答えかもしれない。
だがこの答えこそ悪魔の証だと聞こえてしまった。 そして不動は待っても来ない・・。 興味が消えないので近々にレンタル店で「デビルマン」を借りてこようとおもう。 ところで舞台は役者の動きもセリフも簡潔明瞭でとても観やすかった。

70 :
■ロマン
■作・演出:高井浩子、出演:東京タンバリン
■三鷹市芸術文化センター・星のホール、2011.5.13−22
http://tanbarin.sunnyday.jp/roman/index.html
■階段が部屋にもなるシンプルな舞台、雑踏での役者・照明・音楽の協調ある動き、要点を押さえた日常対話、メリハリある場面切替、リズミカルな時の流れ・・、とても洗練されている芝居ね。 計算され尽くしているのを観客にみえるのが弱点くらいかな。
帰り道では、今観て来た舞台を何度も思いだしてみたわ。 織物の地から最初は見えなかった柄が浮き出てくるような芝居だった。 でもその素晴らしい柄に感動する手前で止まっているような後味ね。 原因はただ一つ、それは身体が見えないから。
このように身体性を抑えている芝居は時々観るけど多くは失敗しているわ。 でもこれは成功している、ようにみえる。 チラシに「劇的でなくててもいい」とあったけど近いところでウロウロしているみたい。
小津安二郎は計算尽くしで身体性を抑えて静かな劇的さを出している、・・もちろん映画的劇的と演劇的劇的は違いがあるけど、 きっと新しい劇的さを出せるとおもうわ。

71 :
文章が下手で何を言っているのかわからないから
次回より評価を★数で表示、文章最後に追加して・・
★★★最高
★    最低
★★ 上記以外・並

72 :
■散歩する侵略者
■作・演出:前川知大、出演:イキウメ
■シアタートラム、2011.5.13−29
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/05/post_232.html
■ヒトが持っている概念たとえば所有・家族・・を盗み取る「宇宙人」が登場する。 取られた人はその対象概念が無くなり別人のようになってしまう。 脳科学の言語機能主義が背景にあるSFストーリーである。 そして神や愛の概念になると一筋縄ではいかない。
神は逃げてしまうし、真治が鳴海の愛の概念を盗む肝心な場面の二人の行動は不可解にしかみえない。 要の「侵略」という概念もボヤケているし古すぎる意味で使っている。 もっと深く突っ込んだら面白い展開にできるはずだ。
舞台の小道具や背景はすべてが灰色系で物語とマッチしていた。 役者が一瞬で別の場所と時間に跳んでセリフが続いて行く切替方法は面白い。
SFは何でも有りで空想力豊だが制約が無いぶん観客の想像力は減少する。 SFを採用した時のデメリットが目につく芝居であった。 ★★。

73 :
■戦争にはいきたくない
■作・演出:石曽根有也、出演:らくだ工務店
■下北沢駅前劇場、2011.5.20−29
http://www.rakuda-komuten.com/s-ura.htm
■東京下町のネジ工場の、社長の自宅でもある事務室が舞台です。 テーマが見えてきません。 別に見えなくてもいいのですが、話がいっこうに進まないので気懸かりになりました。
犬の世話やジャニーズやパンダ、デズニーランドのことなど日常の会話に終始していきます。 結婚話やそして認知症で少しばかり盛り上がるのですがこれも付け足しにみえます。 付け足しだけでできている芝居です。
「具体的な物語の断片を・・」積み重ねるだけではリアルは現れません。 普遍とリアルのどちらが先か?・・、ここではリアルが先だと思います。 リアルは舞台と観客の間で存在や関係性の本質が立ち現れることですから。
その結果「普遍的な物語の断片を・・」描けたと言えたのではないでしょうか。

74 :
■どん底
■原作:M・ゴーリキ、演出:鐘下辰男、出演:THE・ガジラ
■笹塚ファクトリー、2011.5.20−29
http://image.corich.jp/stage/img_stage/l/stage20819_1.jpg?1306060274
■上手を観客席にしているので下手は奥のある舞台にみえる。 前半は愛憎劇。 セリフは短いが男女間の複雑な背景が凝縮しているので理解しようとすると動きについていけない。 幸いにもセリフに間があったので言葉を一度噛みしめることはできた。
後半は自由を絡めてくる。 観客自身がこの二つに苦い経験を持っていないとすんなり舞台に溶け込めない雰囲気がある。
若い観客が多いなか拍手も無かったのは、武骨な愛憎と自由、酒での連帯強化は馴染まなかったのでは? パンフレットの「私たちの自由と社会を再考」するのにゴーリキは遠い人のように感じてしまった。
演劇博物館「伊藤憙朔と舞台美術」展にモスクワ芸術座「どん底」(1950年)の写真が数枚展示されていた。 俳優の顔かたちや表情がガジラの役者と瓜二つだったので笑ってしまった。 「どん底」を経験すると似てくるようだ。 ★★。

75 :
■黒い十人の女
■作:和田夏十、演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、出演:ナイロン100℃
■青山円形劇場、2011.5.20−6.12
http://www.sillywalk.com/nylon/info.html
■風松吉のような男は現実にいるのかね? たまに似ている奴がいるけど多くは仕事も出来ないニセモノなんだ。 前半は面白かつた。 理由は男と女の綱引きが精神的に対等で緊張感があったからだとおもう。
しかし松吉を話が持ちあがってからは急に面白さは萎んできたな。 そして終幕まで退屈が充満していた。 「殺人遊び」は古過ぎるし、「檻遊び」の場面は目を背けたよ。 男女間の汚らしいところが表出し舞台を現実に戻してしまったんだ。
しかし10人もの女性のキャラクターをここまで出せたのは素晴らしい。 そして役者や小道具の動きに見覚えがあったけど、振付が小野寺修二と聞いて納得。 この映画は観ていないが監督が市川崑だからつまらないかな?

76 :
■ビタースイート
■作・演出:椎名泉水、出演:スタジオソルト
■SPACE早稲田、2011.5.25−29
http://www.studiosalt.net/btsw/201105_cu.html
■北朝鮮の兄妹が空港で捕まり、出された菓子の旨さに国家観が心揺れてしまう一話。 二話は死が近い父に20年ぶりに再会して言葉から情へ移っていく子の心模様。 三話は顔が崩れている女性が好きになり告白をするが振られる男の独白。
放射能汚染5km圏内で無断生活している人へインタヴィユする四話。 ・・放射能は人間生活圏では理解不可能な異物にみえました。 以上のオムニバス四話で構成されています。
タイトル通りに少しばかり非日常的な行動をビターとスイートで包みこんでいます。 どれも涙と笑いを誘います。 バカバカしさのある話でしたが人生の納得が積み重なっていく芝居でした。 ★★。

77 :
■月食のあと
■振付:平山素子
■世田谷パブリックシアター、2011.5.27−29
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_p_110527_hirayamamotokosolo_rl_pm_poster_3.jpg
■照明がとても素的だった。 照明技術の進歩が舞台を変えていくのがよくわかる。 でも踊りとは無関係にみえたわ。 ダンサーが照明に対して受け身だったからよ。 特に宇宙線を変換する光や、制約の多い豆電球の衣装を着て踊る場面はね。
春に観た祥子>>52は照明をなんとか身体に絡ませようとしていたけれど、素子はまだ傍観してるだけね。 でも次は電球ではなくて光を纏って踊ってちょうだい。 ★★。

78 :
■DANCE TO THE FUTURE 2011
■振付:キミホ・ハルバート、石山雄三、上島雪夫
■新国立劇場、2011.5.28−29
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/
■3作のどれも低調な感じですね。 でも「ナット・キング・コール組曲」は楽しめました。 この中劇場はどうしても集中できないもどかしさがあります。 なにもない空間どころか、雑念が漂っている空き地で上演しているようです。
最初の「ALMOND BLOSSOMS」はダンサーが舞台中央まで来るのに10M近くもあるから、観ていても繋がりが切れてリズムが狂ってしまいました。 舞台袖も廃れた街角のようで出番を待つダンサーの演出も台無しです。
2作目「QWERTY」 はデジタルメディアとの関係がみえませんでした。 情報処理をした映像や音楽を使用することでしょうか?キーボードの映像上をダンサーが動き回るなど30年前のイメージです。 映像に遊ばれていたようにもみえました。 ★。

79 :
■泥リア
■作:林周一、演出:笠原真志、出演:風煉ダンス
■調布市せんがわ劇場、2011.5.27−6.5
http://www.sengawa-gekijo.jp/_event/05657/image1L.jpg
■嵐の中のリア王→リアの妻の葬儀→三人娘や夫の登場→壁の模様替え→泥人間登場・三人娘がギドラに変身・エドマンドの謀略・・→壁の模様を戻す→嵐中のリア王→リアの妻の葬儀、こんな流れだったかしら?
ギドラや泥人間の楽しい登場は、暗い場面の嵐のリア王や葬儀に一層の深みを届けている。 リア王の二人は舞台慣れしていてそこだけ違う芝居のようね。 これで→が進むごとに時空を超えていくような舞台にみえた。 一種の劇中劇かな。
そしてあらゆる観客層を取り込もうと努力しているようね。 ギドラや泥人間が登場の理由はこれかも。 賑やかさと楽しさのある荒っぽい芝居だったわ。  ★★。

80 :
■届けて、かいぶつくん
■振付・演出:KENTARO、出演:東京ELECTROCK STAIRS
■シアタートラム、2011.6.1−5
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=tokyoelectrock_todoketekaibutsu_l_pm_poster_2.jpg
■日常の動きに速さと丸めを加えた振付、しかも腕と手先に比重が分散してきてとてもいい感じだ。 自作の音楽もまあまあ。 しかし観客にいつものような躍動感が伝わって来ない。 これは90分の流れにメリハリがなかったからだ。
いつもは数グループの一つとしての出演だから10数分の踊りっ放しだった。 短い時間だから無条件で楽しめた。 今回のように上演時間が長い場合の戦略・戦術は見直したほうが良いと思う。
たとえば、素人レベルだが・・ 歩くことや走ることも取り入れる。 音楽やセリフを厳選する。 セリフに詩を増やす。 ダンサーを舞台袖で休息させる(これも客に見せる)。 ・・などなど。

81 :
■真夏の夜の夢
■潤色:野田秀樹、演出:宮城聡、出演:SPAC
■静岡芸術劇場、2011.6.4−5
http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/nightsdream
■木々と梯子で奥行と縦の立体感を出しグレー系の落ち着きのある舞台美術。 衣装も料理屋従業員の白から、妖精達の灰色、メフィストフェレスの黒までの無色、そしてそぼろだけワイン色なのは彼女の夢だったから?
野田の言葉優先から来る緊張感ある舞台と違って宮城の言葉と身体を対等に置く表現は落ち着きのある宇宙を作り出している。 メフィストの登場で善悪・恋愛・人生などを反芻する余裕ができて、観客は物語に深く分け入りながら進んでいくことができるの。
最後に恋愛の行き違いから森を失ってしまうのをみて人間の些細な出来事の積み重ねが歴史だと見えてくる。 グリム童話はシンプルだったけど今回は肉が付き過ぎね。 だから観劇後の帰り道に舞台を思い出すごとに充実感が増していくのね。

82 :
■天守物語
■原作:泉鏡花、演出:毛利亘宏、出演:少年社中
■吉祥寺シアター、2011.6.3−12
http://www.shachu.com/tenshu/
■妖怪の住む天守閣と人の道が深い自然で分かれている舞台、父親に戻る時間の展開方法、妖怪と人の相違を説明している多くのセリフ、「妖怪も人も死ぬのは怖い」。 具体性を持っているにもかかわらずシンプルで分かり易い舞台です。
そして中国風の華麗な衣装と日本の祭りの踊りがこれを包み込んで少年らしい世界を提示しています。 そのぶん深い精神の襞は描けていません。 しかしそれは観客が想像すればよいのですから。
もう少し抽象性を進めたらまた少し夢幻世界へ近づけたかもしれません。 ところで黒衣の鷹の動きは、右腕だけで羽を表現し身体とその位置を分離して面白い存在感を持っていました。 楽しい一時を過ごせた芝居でした。

83 :
■光ふる廃園
■振付:工藤丈輝・若林淳
■座・高円寺1、2011.6.10−12
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=455
■発行態での若林淳のダイナミックなソロでは照明が前後左右から点滅を繰り返しユックリみることができなかった。 観る楽しさを壊している。 この場面の照明はどっしり構えていて欲しい。
工藤丈輝は鋼鉄の肌黒い肉体を持った河原乞食だ。 若林と対照的な体を持っている。 この二人なら面白い舞台が作れるはずだ。 しかしそのように進行しない。 なぜかつまらない。
女性が登場しても展開に硬い感じが続いた。 ダンサーは汗をたくさんかいていて緊張しているようだ。 チラシの解説は数行だが重たく難しい言葉で綴られている。 この言葉を身体迄に落とすのに精神を使い果たしてしまったのではないだろうか。

84 :
■椿姫
■原作:A・D・フィス、演出:鈴木忠志、出演:SCOT他
■静岡芸術劇場、2011.6.11−12
http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/camellias
■主演を固めるのは台湾俳優たち。 歌われる14曲の多くは1900年前半の中国流行歌謡曲。 初めて聞く曲ばかりだわ。
背景の客人達=コロスはニューヨークのウォリアーズ感のある衣装で場所がどこだか見当がつかない。 多分上海ね。
アルマンの父がマルグリットに息子から手を退くように懇願する、物語の高揚場面で北京語から台湾語に替わったらしい。 日本の観客は見過ごすけど、台湾の観客には身体と歴史が塗れている言語変換でとても感動したと聞いたの。 これはわかる気がする。
最後の「緑島小夜曲」がよかったかな。 でももっと歌にけだるさがあってもいいかも。 上海の雰囲気ももっと欲しかった。 そうすればS・メソッドの重みのある身体動作と一層マッチしたはず。 テレサ・テンの「何日君再来」を聞きながらこれを書いたのよ。 ★★。

85 :
■四番倉庫
■作:宮森さつき、演出:多田淳之介、出演:二騎の会
■こまばアゴラ劇場、2011.6.4−15
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/06/nikinokai/
■「友だちがいない」というセリフが決定場面で必ずでてきます。
これが「ダメ男たち」の条件のように聞こえました。
でもこれは十分条件にみえます。
必要条件は会社や家族などなどの組織から外れていることです。
ところで、この芝居は変形版ボケとツッコミですね、
そして客席の二人が時々ストーリーを延ばす為の野次を飛ばす感じ。
ツッコミの内田や野次を飛ばすことができるのは必要条件を持っていない人、
つまり曲がりなりにも会社や家族という組織に居る人です。
速水にはそれがない。 「ダメ男」はボケをやるしかない。 昔なら速水は仙人です。 ★★。

86 :
■雨
■作:井上ひさし、演出:栗山民也
■新国立劇場・中劇場、2011.6.9−29
http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000328.pdf
■前半途中から平畠弁?になり戸惑ったが、後半は少しずつ耳に馴染むようになった。 いつもと違って歌舞伎を観ているような場面が多々ある。 声がよく届き、歩き方も他役者とは違う、主演である市川亀治郎の影響力に驚く。 他役者も張り切るしかない。
成りすましの徳が紅花問屋に藩に幕府に騙されていたことが終幕近くでまでわからない。 他の井上作品と比べて物語の流れに複雑さが無い。 これも歌舞伎的演出を活かせた一つの理由のようだ。
そして中劇場の締まりのない広さが気にならないのも、この不要を捨てた抽象性が効いている。 「観るまで読むな、観てから読め」は井上ひさしの芝居の観方である。 今回もチラシだけしか読まないで劇場に向かったのは正解だった。

87 :
■モリー・スウィーニー
■作:ブライアン・フリール、演出:谷賢一
■シアタートラム、2011.6.10−19
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/06/post_229.html
■盲目モリーの目の手術の前後まではヘレン・ケラーを思い描きながら観ました。 触覚優先の別世界へ想像力が働く舞台です。 しかし後半は再び目が見えなくなってしまいますが、真の原因が伝わってきません。 モリーは何かを失ったことはわかりますが。
夫フランクはコント?を演じたり、時にはケーシー高峰のようにホワイトボードで医学論を展開したり、セリフは叫び、観客にも愛想をふりまきます。 ライス医師も手紙を読んでるような棒読み、フランクに釣られてか時には叫び調子になります。
モリーとフランク、ライス医師の三人は別々の芝居の役者のようです。 そして舞台にある机や椅子や本棚のある、つまらない日常風景が、後半は黒の基調で赤いコート黄色い傘水色の服、波を打っている黒銀色の床への抽象的風景へ再編成されます。
この舞台移行の理由も不明です。 SFのような物語でしたら気にしませんが、以上の三点が観劇後に残った芝居の不可解さです。

88 :
■オイディプス神話
■演出:笛田宇一郎、出演:笛田宇一郎演劇事務所
■シアターイワト、2011.6.15−19
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/u1fueda/oedipus01.pdf
■セリフが連続しかも早口で物語の繋がりを追っていくことが出来ない。 登場人物関係も混乱してしまった。 しかしセリフは体から発する特異なリズムがあるので心地良い。 途中から詩を観ている感覚になる。
若い役者も硬さがあるけど離されないで付いてきている。 武内靖彦のダンスは動きが少なくて良かった。 でも他役者はもう少し動いたほうが舞台に興味がより生じたはず。
パンフレット「・・人間が宗教や悲劇を必要としているのは、・・混乱や無秩序に巻き込まれ身体的に一体化することが秩序なのだ・・」とあったが、大震災と芝居を結びつけていて目が止まってしまった。
観終わって、充実感はあったが感動が少ないことに気付く。 役者間の身体からの返信が弱かったからだとおもう。

89 :
■人涙
■作・演出:鈴木アツト、出演:劇団印象
■タイニイアリス、2011.6.9−26
http://www.inzou.com/jinrui/jinrui-omote.jpg
■レーシック手術で見えなかったものが見えてくるお話。 主人公が見えるようになった妖精は、衣装も大好きな涙を食べる仕草もとても素的ね。 今日子の母とその愛人その姉の4人が登場し、対話の中から日常の襞が見えてくる。
それは些細なことだけど生活を意味あるものにしていく事柄なの。 でも結局はどうでもいいことね。 観終わったら妖精の楽しさと登場人物の社会的関係しか覚えていないわ。 しかし塞ぎこんでいる時に観にいきたくなるような芝居ね。 妖精に会えるから。

90 :
■一輪の華をはなむけ手向けることも赦されず
■作・演出:ラディー、出演:劇団ING進行形
■タイニイアリス、2011.6.9−26
http://ing.nobody.jp/
■キリスト教が絡むとそこはSFの世界ね。 ジャンヌ・ダルクの霊を呼び出す場面で始まる神の啓示と使命の物語のようねだけど・・。 演舞と言われるダンスは悪魔的イメージで今回のテーマにマッチしているわ。 にもかかわらず踊りへの必然性が弱かった。
物語を高揚させてダンスに行かなければならないのに、観客は物語を自身のものにできず置いてきぼりにされてしまったからよ。 公演時間が短いとダンスとセリフが同時進行するから観客は容易に受け取れるの。 荒くてもあまり気にしなかった。
展開が粗雑なのかな? 長時間になるとこれが分離する。 すると物語とダンスの結合を緻密に計算しないと感動が届かない。 ということでいまからドラマツルギ2012が楽しみだわ。

91 :
■ソコハカ
■原作:鴨長明、作・演出:岩渕幸弘
■プルヌスホール、2011.6.23−26
http://image.corich.jp/stage/img_stage/l/stage21364_1.jpg?1309044466
■舞台中央に塔婆が立っている。 背景には大きな「夢」文字。 盆踊りの櫓のような舞台が前に進み出て幕は開く。
しかし最初は役者がセリフを叫んでいるようで何を言っているのかよく聞き取れない。 咽が潰れている役者もいるようだ。 2,3の女性役者を除きこの状況が最後まで続いてしまった。 何回も耳を塞ぎたくなった。
物語の流れもよくわからない。 あらすじでも書いてあれば有難かったが。 科白も否定的な言葉が多く、耳に障る。 途中で監督・音響・照明・カメラが登場するが複雑な構造は面白みが遠ざかる。 もっと直球で勝負してほしい。
スタッフ、キャスト共に学生が多いようだが、まずはわかり易い芝居を心がけてもらいたい。 セリフもだ。 「全力プレー」は結構だが、これでは鴨長明も仰天しているだろう。

92 :
>>91 耳を塞ぎたくなった、なんてめったに無いこと、最高だネ

93 :
■EVERY DAY
■脚本:冨士原直也、演出:津田拓哉、出演:津田記念日
■下北沢OFFOFFシアター、2011.6.23−27
http://tsudakinenbi.net/next_files/%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7%E8%A3%8F.jpg
■ストーリに戸惑ったがすぐにゴースト系物語だとわかる。 妻が事故で意識不明だがゴーストとして日常生活を営むという設定だ。 舞台は板や箱が置いてあり、そこに折りたたみ机や椅子や小道具を出したりしまったりできる。 小劇場用デザインにできている。
夫はゴーストに戸惑い仕事も捗らない。 毎日が過ぎていき一週間後の日曜日、お互いに「ただいま、おかえり・・」を繰り返して妻は行ってしまう。 チラシに「甘えた幻想からこの物語はできた」とあるが一週間があるから甘えではない。 逆にとても辛いことだ。
もし死ぬ時期が事前にわかってしまったら、その間は覚悟を持って死に向かうしかない。 しかし日常生活を淡々と過ごす流れになっている。 芝居はこれを肯定してくれるので観客は癒される。
ところで部長が詳細を知らないで部下が始末書を書くことなどありえない。 仕事には少し甘い。

94 :
■THIS IS WEATHER NEWS
■演出:ニブロール
■シアタートラム、2011.6.24−7.3
http://setagaya-pt.jp/cgi/posterWindow.cgi?imgPath=fly_t_nibrollweather_rl_pm_poster_3.jpg
■赤いハイヒールを投げあう場面からやっと見られるようになる。 ダンサーに疲れがみえ角が取れて身心の統一できてきたようだ。 それまでは意識過剰で肉体がピリピリしていた。 続く服を投げ合ったり、床に白シーツを敷いた場面も楽しかった。
前半は最悪だ。 意味ある映像だと解釈したくなるが、これがいけない。 そして舞台右半分に映写するのでダンスと混じり合わない。 しかもダンスも映像もつまらないので一方を集中して見る気にもならない。
振付は直感を繋げている感じだ。 これだけでは発作的な動きになり硬直感が漂ってくる。 別系統の動きも加えたほうがいい。 開幕直後数分の動きはとてもよかったが。
インタビューは使い古した感があるが面白かった。 このようなブリコラージュ的な要素を繋ぎ合せたほうが下手な映像より観る者の身体をはるかに解放してくれる。

95 :
■おどくみ
■作:青木豪、演出:宮田慶子
■新国立劇場・小劇場、2011.6.27−7.18
http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000329.pdf
■時は80年代後半ですが畑中家は60年代前半の家族にみえます。 軽井沢でテニスをしたとか皇族の話題も古すぎるし、背景のバブル景気もそのように見えません。 ところで戦後から続いた時代がここ80年代で変化したことも事実です。
この一つとして?天皇に焦点をあて、畑中家の長と重ね合わせて物語は進みます。 息子の天皇暗殺映画も話題に上ります。 でも終幕までになんとなく中庸に納まってしまいます。 次の一歩を躊躇する見えない流れがあります。
変化できたのに全てを引き延ばして現在に至っているのが日本人である。 その原因は天皇制だ、と芝居は言っているようにみえました。 この時期に昭和の終わりはありましたが、しかしここまで皇族を話題にする畑中家やその周辺も特殊な感じがします。
それは構わないのですが、翌日には観たことなど忘れてしまう部類の芝居でした。

96 :
■ゲヘナにて
■作・演出:松井周、出演:サンプル
■三鷹市芸術文化センター・星のホール、2011.7.1−10
http://www.samplenet.org/08/sample08_flyer.jpg
■劇場に入ると、夕焼けのような照明の中に土手のような急斜面の舞台があり資源ゴミがそこらじゅうに散在している。 すぐに作者の頭の中を舞台一面にばら撒いたのだとわかる。 それは物や人、太宰治やニジンスキーの生まれ変わり、母親、恋人・・。
これは男の意識の流れだ。 なぜなら一体化した女神そしてが底流にあるからだ。 そしてモノローグのような雰囲気を持った対話は青年団俳優独特のリアルさから抜けだしている。 というよりリアルさが壊されている感じだ。
このため観ているとシラケが時々襲ってくる。 これを避けるには弛みないリズムが必要だ。 一流の映画のように。 そうすれば新しさのある劇的感動が生まれるに違いない。

97 :
■ペタルとフーガル
■作・演出:黒川麻衣、出演:熱帯
■下北沢駅前劇場、2011.7.7−11
http://www.nettai.jp/petal_and_fugal/index.html
■バンコク三星ホテルと添乗員の話と聞いて行く気になったの。 旅行好きにはたまらないわ。 舞台はホテルラウンジ。 行き交う人が絶え間なく、歩く流れのリズムがいい気持ちになって旅行へ行った気分ね。
でも物語に入っていくのがずいぶん鈍い感じね。 添乗員も旅行者も表面だけをなぞっていて深入りしていかない。 空港封鎖時に別会社添乗員の行動を見たいと言っていたのにどうなったのか?日本にいる夫と子供もどうなったのか?もね。
観劇後、題名を調べたら家具の配置方法だと知って再び最初から思い出してみたの。 椅子を中心としてまとまっていたことを再認識したわ。 こぢんまりとした芝居だった。 ぁあーぁあ、芝居なんてどーでもいーや、旅行へ行きたぁぁぁい・・

98 :
■1999年の夏休み
■作:岸田理生、演出:野口和彦、出演:青蛾館
■こまばアゴラ劇場、2011.7.10−13
http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/06/RioFes/#a_04
■遠くに聞こえるひぐらしの声、湖からの不気味な風、誰もいない夏休みの学寮、別世界からの言葉・・転校生。 思春期の秘密を思い出し舞台と重ね合わせながら観てしまったの。 科白は率直で想像力を広げられるし役者はとても初々しくて素敵だったわ。
悠が和彦に無視されていたことは言葉に深く刻み込まれていて身体的に納得できるけど、薫の和彦への復讐は曖昧に終わってしまった。 だから終幕の悠と和彦の再愛も弱く感じるの。 残念なのはここだけね。
そして点滅に会えてうれしいわ。 悠が乗り移っている湖の精は涼しさがあり暑い夏に最高よ。 でも日本的表情を消し去れば尚よかったと思う。 だってヨーロッパが舞台ですもの。
「男の子は何で出来てるの? 卵から生まれて・・、蛙に蝸牛、仔犬の尻尾で」できているのが見えるような舞台だった。 久しぶりに時空を自由に飛べたわ。

99 :
■PROJECT POINT BLANK 2011
■演出:小尻健太、山田勇気、児玉北斗&ステファン・ラクス
■アルテリオ小劇場、2011.7.15−17
http://www.projectpointblank.com/2011/entrance.html
■@のちのおもひにABEATBGO−MAの三作品を上演。 @立原道造の詩が読まれたが複雑すぎてついていけなかった。 ダンスと調和したとは思えない。 後半仮面で変化をだしたのは面白い。 全体の動きと流れは素晴らしい。
A女性ダンサーははじめから舞台に登場せずに、いきなり途中から入場したほうが驚きがあるとおもう。 の色は白より青にしたらどうだろう。 ついでに男性ダンサーのシャツを黄色に。 真面目すぎる感があるのでこれにより躍動感がでるとおもうが。
タブラのリズムに乗った面白い振り付けだった。 Bレンガを積んだり、投げ合ったりして重みが伝わってくる踊りというよりパフォーマンスだ。 テーマの時間など無関係に見える。 物質の存在を無視できないでいる人間を表現しているようだ。
その存在と重みを軽々と踊ろうとしているところが面白い。  ・・三作品共によく練られていて誠実さのある作品だった。

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