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2012年6月三国志・戦国267: 司馬イがいなくても北伐失敗してたんじゃね? (286) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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司馬イがいなくても北伐失敗してたんじゃね?


1 :09/04/21 〜 最終レス :12/06/01
蜀の敗因って基本的に自滅だよね

2 :
ネタスレにしては、センス無いし
終ってる

3 :
>>1
もう一回三国志を読み直せ。
それでも同じ考えしか出てこなければ、頭が追いついてない証拠。
頭悪すぎだから幼稚園からやり直せ。

4 :
諸葛亮時代の曹真、姜維時代の郭淮やケ艾…
司馬懿以外でも成功していないのは事実だね。
ま、国力の差が大き過ぎですわな。

5 :
>>1
司馬「懿」と書けるようにしろ
話はそれからだ

6 :
>>4
張コウもいるではないか。
まっ張コウは司馬懿のミスで殉職したからな。

7 :
曹一族の重鎮である曹真と曹休が相次いで病死したときに司馬懿と唯一、
官位で対抗できたのは曹操の五将軍最後の生き残りである車騎将軍張合βであった。
司馬懿は、孔明の北伐を抑えるために張合βを指揮下に置き、わざと死なせる。
ライバルを同じ土俵に上がらせずに抹るのは司馬懿の得意技であった。
【明帝期】226-239  ●は明帝期に死亡 
1:●曹休:(征東将軍→大司馬)
1:●曹真:(大将軍→大司馬)
4:≪司馬懿≫:ヒョウキ将軍→大将軍→太尉&大都督→都督中外&録尚書事)
1:【曹宇】:(大将軍)
4:●鐘ヨウ:(太尉)
2:●華キン:(太尉)
2:●王朗:(司徒)
4:●董昭:(司徒)
2:●陳矯:(尚書令&司徒)
3:●陳羣:(中護軍&鎮軍大将軍&司空&録尚書事)
4:衛※至秦:(司空→司徒)
2:崔林:(司空)
2:劉放(中書監)
2:孫資(中書令)
2:●張合β(征西将軍→車騎将軍)
4:●満寵(征東将軍)
5:●黄権(鎮南将軍)
1:≪曹爽≫(武衛将軍)
1【夏侯献】※夏侯覇の子?
1【秦朗】※特別扱い
1【曹 肇】※曹休の長男

8 :
宗室派(曹家、夏侯家)1 
北海派(華キン・王朗)2 
頴川派(陳羣)3 
司隷・(エン州)派(司馬懿・鐘ヨウ)4 
その他5
【 】は皇帝が示した後見人
≪≫は、孫資と劉放が偽造した詔勅による後見人

9 :
数字は何?

10 :
大将軍&大都督であった司馬懿が
諸葛亮死亡に伴い、太尉&都督中外に権力を縮小されたことからわかるように
曹叡は、司馬懿の持つ影響力が曹一族が支配する魏帝国を揺るがせることになることを
十分熟知していたと思われるのだが、北海派の重鎮である。華キンと王朗が死に、宗室から
嫌悪されていた孫資と劉放が自己保身のため皇帝を裏切ったことから曹魏の崩壊が始まるのである。
この後、孫資と劉放は車騎将軍とヒョウキ将軍の官位を得ることになる。

11 :
孫資と劉放は249年の正始の変の曹爽誅殺後ほどなくして死去していることから、
司馬懿の要請で詔勅を偽造したのではなく、曹爽に抱きこまれたものと思われる。
ちなみに曹爽は曹真の長男である。
曹真は元々秦真と名乗っていたことからわかるように曹家とは関係の無い家柄であった。

12 :
車騎将軍じゃなくて衛将軍だった。
孫資が衛将軍(後にヒョウキ将軍)で、劉放がヒョウキ将軍。
車騎将軍は姜維の上司であった郭淮。

13 :
北海派は、曹魏の中枢である魏国(キ州の業βを中心とする河北)で勢力を張っていた派閥。
赤壁の戦い後の、魏公国成立の際に、漢王朝補佐を考えていた北海派閥の大多数は粛清されていた。
頴川派は曹操が地方勢力の時に助力したジュンイクを中心としたグループ
のちに司馬懿の司隷派に飲み込まれていく。

14 :
地勢上からわかるように曹家1と、業βを中心とする北海派2は結託していて、司馬懿の司隷派4と対立する。
本来、司隷派閥の対抗馬であった頴川派3は、陳羣死後、求心力を失い、司馬懿の派閥に吸収。
正始の変後、主に北海派閥を中心とする司馬家打倒の反乱が鎮圧されると、
曹魏の本拠地である北海派閥2も司馬家に追従するものしか高位に登れなくなる。
こうして、司馬一族による魏帝国の侵食は達成されていくのである。

15 :
【斉王期:正始の変★まで(曹芳)】239-249
4:司馬懿(太傅)
1:★曹爽(大将軍&都督中外&録尚書事)
4:●満寵(太尉)
5:●蒋済(太尉)
2:王凌(征東将軍→車騎将軍→司空)
4:●衛※至秦(司徒)
4:高柔(司空→司徒)
2:●崔林(司空)
2:●孫礼(司空)
4:司馬フ(司空&録尚書事)
4:鄭沖(司空)
2:劉放(中書監&ヒョウキ将軍)
2:孫資(中書令&衛将軍)
5:胡質(征東将軍)
2:王※永日(征南将軍)
1:夏侯玄(中護軍→征西将軍)※夏侯尚の子。曹真の妹の子
1:曹義(中領軍)※曹爽の弟
1:曹訓(武衛将軍)※曹爽の弟

16 :
【斉王期:正始の変後】249-254
4:●司馬懿(太傅)
4:●司馬師(中護軍→衛将軍→撫軍大将軍→大将軍&都督中外→大都督&録尚書事)
2:●王凌(太尉)
4:司馬フ(太尉)
4:高柔(司徒)
4:鄭沖(司空)
2:●劉放(中書監)
2:●孫資(中書令&ヒョウキ将軍)
1:●夏侯玄(太常)
2:郭淮(征西将軍→車騎将軍)
4:司馬昭(衛将軍)
5:胡遵(征東将軍)
2:王永日(征南将軍)
2:諸葛誕(鎮東将軍→鎮南将軍)
4:カンキュウケン(鎮南将軍→鎮東将軍)

17 :
【貴郷公期(曹ボウ)】254-260
4:司馬フ(太傅)
4:司馬昭(大将軍&大都督&録尚書事)
4:高柔(太尉)
4:鄭沖(司徒)
2:●蘆イク(司空)
2:●王永日(ヒョウキ将軍→司空)
5:●孫壱(車騎将軍)
5:●胡遵(衛将軍)
3:陳泰(征西将軍)
5:ケ艾(鎮西将軍→征西将軍)
3:何曾(征北将軍)
2:●カンキュウケン(鎮東将軍)
2:王基(鎮東将軍→征東将軍→征西将軍)
2:●諸葛誕(鎮東将軍→征東将軍)

18 :
【陳留王期(曹カン)】260-265
4:●司馬昭(相国)
4:司馬炎(相国)
4:司馬フ(太傅)
5:●ケ艾(太尉)
2:王※示羊(司空→太尉)
4:司馬望(司徒&中護軍→護軍将軍→中領軍→征西将軍→ヒョウキ将軍)
3:●鐘会(司徒)
3:何曾(司徒&征北将軍)
3:荀ギ(司空)
3:●陳泰(太常)※征西将軍→太常?
4:衛カン(鎮東将軍)
2:王沈(鎮南将軍)
4:司馬亮(鎮西将軍)
4:羊※示古(中領軍)
4:カジュウ(中護軍)

19 :
捕捉の人って1?

20 :
諸葛亮にとって不運なのは、魏の二代目に曹叡になったことだ。
曹叡以外の曹家の一員が三代目だったらあるいは北伐は成功していたかも。

21 :
最後の一行
三代目→二代目ね。

22 :


23 :
北伐の成功とかありえないから
蜀の兵力で魏を打ち破るなんて無理
司馬懿がいなくても魏ががちがちに守りを固めている時点で蜀に勝ち目なし

24 :
http://imepita.jp/20090923/567180
http://imepita.jp/20090923/582480

25 :


26 :
>>23
だな

27 :
>>1
で正解をだしたから終わり

28 :
そもそも司馬懿が居たから北伐失敗したという理由kwsk

29 :
2〜3万の兵を率いて陳倉攻めた時にカク昭の3千の軍相手に撤退してるのがなあ…

30 :
それの何が問題?

31 :
ハイコスト、ローリターン

32 :
諸葛亮よえ〜

33 :

ここ枯れてんね
北伐の話題で使わせてもらって良いかな?

34 :

他スレから移植
前半 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1274697068/275-375
後半 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1274697068/375-435

35 :
>432(元スレの)
勝たないように攻めたんじゃなくて、攻めても落とせないのを分かっていて攻めた
万一降伏してくれるようなら、城も傷つかないし矢も消費しない
兵糧も落城後呼んだ漢中から支援がくるまでもつだろう
降伏してくれるなら大変有り難いが、要地には良い人材を置いているだろうから
普通、要地レベルは根回しもなく寝返ったりしないだろう
落とす気がないのに囲むに足らず攻めたのは「それこそあり得ない」からだよ
時間が経てば援軍が来て不利になるのに囲んでいただけというのは「あり得ない」
攻めておきながら取る気がないというのは「あり得ない」
攻めてみせることで本気だと思わせることが出来る
逆に、攻めなければ本気ではなかったというのがバレバレで真意に気付かれる
>魏にそんな情報網があったのなら一次で疑軍にひっかかるはずがない
動員かけただけで他国に伝わるよ
蜀軍の漢中での駐屯地は沔陽
趙雲ら前軍は沔陽から東に行き褒斜道に入った
この動きは秦嶺の4道の何処からかすぐ伝わった  
それに合わせて、斜谷に来ると前もって知っていた曹真も出た
諸葛亮本隊も数日後に趙雲に続く筈なんだが
諸葛亮本隊はいつまで経っても駐屯地から出てこなかった
駐屯地沔陽は陽平関の傍にある
こっそり関から西に出れば蜀軍の動きは東へ伝わらない
武都から祁山経由で関中に伝達されるのみ
いつまで経っても駐屯地から出てこないと見えた諸葛亮本隊は
密かに陽平関を出て西へ向かっていたのだった
てことだろう

36 :
>秦嶺の4道
訂正、3道

37 :
引越しのため一度age
>>35
>攻めても落とせないのを分かっていて攻めた
あなたは諸葛亮が何のために陳倉に出たと思っているの?
(私は補給をある程度用意していたという前提で「陳倉の拠点化」と思うけど)
>兵糧も落城後呼んだ漢中から支援がくるまでもつだろう
落城後に漢中から呼んでいるようじゃ魏の救援が先に来てしまう
下手すりゃ退路を断たれるおそれすらある
>動員かけただけで他国に伝わるよ(以下略)
部隊の移動を察知するだけならその程度の情報網でも十分だろうけど
それで輜重の規模や後続部隊の有無まで把握した上に
方城〜河南城にいる時点での張郃に知らせるのは無理だろう

38 :
>>37
つまり、そちらは蜀軍の補給部隊は陳倉と漢中の間のどこかにいて待機していた
と考えているんだね?
それで 蜀国内に魏の密偵がいて、後続の有無などの情報が伝わる となると辻褄が合わない
と?
じゃまず、密偵から
輜重の規模は車両の数を数えれば大体分かる
後続部隊の有無も見ていれば分かる
張郃は十日ともたないと予想し、その通りだった
ということは張郃が河南城にいたのは攻城開始から十余日経っている日
諸葛亮が漢中を出てから大分経っている
時間的に情報伝達は全然可能 かなり余裕がある
で、後方からの補給があるか無いかが分からないと、懸軍かなんて判別できないじゃないか
陳倉の蜀軍だけを見ていても、その後方何日を補給部隊が進んでいる・いないかなんて知り得ない
張郃が懸軍って言ってるということは補給部隊が無いと知ってるということ

39 :
>漢中から支援
補給より先に魏援軍が先に陳倉に来ても構わない
蜀軍の兵糧が底をつく前に着けばOK
魏中央からの第一援軍は想定三〜四万
諸葛亮軍は実数不明だが数万
堅城を確保し陣を布けば対抗できる
対抗できるというより、有利に戦える
後方の補給路を断たれるようなことも無いだろう
補給が間に合えば敵の第二援軍が来ても大丈夫
これは初っ端降伏してくれた場合の話で
散々攻撃させられたあと降伏されるとちょっと困ったことになるのだが、
最初に郝昭が「死んでも降伏しない」と言ってくれたから一安心ってとこだろう
まぁでも援軍が迫っている状態で途中降伏は普通しないと思うけどね
力攻めによる陳倉落城の可能性もなかった
張郃が落ちる心配をしていないところを見ても
陳倉が短期で落ちるような事はなかったと分かる

40 :
>陳倉攻めの狙い
祁山の突破

41 :
>>38
部隊後方の輜重の規模や後続部隊の有無まで分かるということは
密偵は沔陽又はその付近にいて全容を確認したと言うことだよね
(>この動きは秦嶺の3道の何処からかすぐ伝わった とあったから
各道に配置していた偵察部隊が報告したと思ってた
これだと敵が来た時点で撤退して報告しないといけないから)
ただそこまで近くにいたなら一次で諸葛亮の動きが分からないはずがない
(小部隊ならともかく本隊だから数万〜10万くらいの大軍でしょ)
もちろん一次の後に魏が密偵を送り込んだとするならあり得るけど

42 :
>>39
>補給より先に魏援軍が先に陳倉に来ても構わない
>蜀軍の兵糧が底をつく前に着けばOK
もし底をついたら即全滅だが諸葛亮にはそんな危険な賭けはできないだろう
東からの援軍だけでなく西から郭淮が来ることも想定しないといけないし
後世の人間であれば蜀軍が魏軍相手に戦闘で強かったことを知っているけど
陳倉を攻める前の諸葛亮がそんな確信を持てるはずがない
だって一次では予定どおりの展開を進めながら戦闘では負けているのだから
>>40
ごめん意味が分からない
一次でも負けていない祁山が目標なら直接行けばいい
別に「勝てそうにない」と自ら判断するような陳倉に行く意味はない

43 :
何で陳倉を狙ったのかが分からないからなぁ。
魏の援軍がなかなか来れない西から時計回りに攻略しようとしたのが失敗して、
何で魏の援軍がすぐ来る北の陳倉を選んだのか。
重要な位置にあるのに城兵が1000人程度しか入らないような小城だから、思わず欲が出たのかな。
あと、何か輜重隊の話で揉めてるみたいだけど、
大軍を賄う物資ってのは最低でも数ヶ月前から集める必要があるからね。
商人の往来があるのでスパイは送り込み放題だし、事前情報で規模や時期ぐらいは分かるよ。

44 :
>>41
沔陽の基地周辺は哨戒が厳しくて密偵はおそらく近づけない
そこまでの危険を冒さなくても遠巻きに伏せて道を見張っていれば必要な情報は得られる
諸葛亮も陽動作戦だから察知されないよう細心の注意を当然払う
正確な位置は分からないが基地から陽平関まで5kmもない
街道沿いの哨戒を強めて人を近づけないようにし、夜陰にまぎれて進発すれば気付かれない

45 :
>>42
西は、渭水上流隴関あたり、山が狭まっている所で塞げばいい
兵糧が底をつくのは60日先ぐらい
第3次で陳式が率いる兵力が漢中に待機しているのでこれも使える
諸葛亮は自分が強いことは20代前半には分かってた
一次で戦闘に負けたのは馬謖

46 :
>ごめん意味が分からない
分からなくて当然
簡単に分かるようなら諸葛亮は大したことないってことだよ
諸葛亮は一次と四次の2度の機会に2度祁山を抜いた
あまりにあっさり抜いているので気付かないが、実はこれは凄いことなんだ 
諸葛亮の軍事能力は異常
忘れがちだが忘れてならないのは、祁山が魏の重要防衛拠点であるということ
敵を通してしまうようなら防衛拠点とは言えない
防衛拠点は敵が通過出来ないようになっているからこそ、そう言える
何の仕掛けも無しに抜くのは不可能

47 :

第一次前・第二次前の状態を、初期状態と設定して
蜀軍が普通に漢中を出発し、西回りで進むとする
その報せはすぐに伝わり、長安から曹真が隴西へ向かう
隴西の兵は祁山に集結し蜀軍の進攻を阻む
蜀軍が祁山を攻めあぐんでいる間に曹真の大部隊が到着し合流する
こうなっては蜀が勝つのは難しい
諸葛亮は第一次の時、郿に魏の注意を集めさせ、陽動で曹真を箕谷に引き付けた
こうして祁山を突破した
同じ手が使えない次はどうするか、新たな策が必要だった
詳しくはこれでも読んで   そっちのほうが説明が早い
他スレにあったやつの修正コピペだけど
(一次から五次まで一続きだから頭から読んでいかないと分からない)

48 :
四次では抜いてない。
それから、優れて理論的な計算に基づいて一般化しうるのが戦略的思考。
それが俯瞰的に見て明瞭に説明できないってのは、つまり現実を知らない無能が考えた役立たずってこと。
諸葛亮を馬鹿にすんな。

49 :

北伐
戦略の基本 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/345
諸葛亮一度目の北伐
■第一次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/346-349
街亭の戦い http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/352-363
街亭追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/378

50 :

二度目の北伐
□第二次および第三次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/383-392
追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/406-407
○反論A http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/409
↑に対する追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/418-420
○反論B http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/411
↑に対する追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/421-423
□曹真の蜀討伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/431-433
■第四次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/453-460
木牛考 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/461-462
○木牛考に対しての「蜀水牛説からの反論」に対する否定
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/516
○木牛が後世に残らず消滅した理由
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/491

51 :

三度目の北伐
■第五次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/542-568
(google mapの仕様が変わって「地形」は一つ左の「その他」の中)

52 :
>>48
邪魔

53 :
>>42
>一次でも負けていない祁山が目標なら直接行けばいい
上(>>47-52)を踏まえ、
第二次のタイミングで本命の祁山に行かなかったのは、祁山も落ちないからだよ
一次・四次ともに祁山は落ちていない
囲んで無力化しただけ
第一次の時より魏の援軍は遅れるが、蜀も大戦直後で兵を郷許に帰したりして
第一次のような規模での進攻は準備できてなかったろう
祁山を得るのが不可能なことは明らかだし
その先へ軍を進めて戦を展開するには戦力不足

54 :
諸葛亮は臨機応変が苦手と言われているが、文官らの見当違い
いくら諸葛亮でもあのタイミングで関中が手薄になるのは計算できなかったはず
第一次の後、同じ手は使えないから次は如何にして祁山を突破するか思案したはずだけど
降って湧いた好機を活かし、咄嗟に深遠な計画を練り上げ、成功に繋げている

55 :
>>43
作戦の意図が明確な形で残っていないから
どう考えてみても憶測が入ってしまうんだよね
あと物資について事前準備の段階である程度推測できるのはそうだけど
連動していたかどうかは別として二次と三次は続けて行われたから
二次の開始前に蜀が用意していた物資は両作戦に耐えられる分あったことになる
この場合張郃は蜀の情報を得たとしてもむしろ過大に見積もったと思うんだけど

56 :
>>44
密偵は当然商人として入ってくるだろうし
沔陽や陽平関は成都に向かうルート上なのだから
夜間外出は禁止するとしても普段通行するのは禁止できないだろう
>>45
(前段)
あなたは諸葛亮を相当な自信家だと思っているようだね
私は慎重だったと考えるから同意しないけどその前提なら違和感はないな

57 :
>>46ほか
とりあえず別スレを読ませてもらうけど
>祁山が魏の重要防衛拠点であるということ
これの根拠があったら教えてほしい(別スレにあるならいいけど)
>>54
陳寿等が「応変の将略」が足りなかったとするのは実行段階の話であって
計画を立てる段階の話ではないと思うのだが
あと後半は>関中が手薄になるのは(以下略)とあるから二次の話だと思うけど
三次の陽動とする説以外では二次は失敗じゃないのか

58 :
諸葛亮とか言う無能に国を任せた結果がこのざま

59 :
うむ、蜀は豊かで諸葛亮が有能であっても貧困で無能の魏を破れなかった
何なんだろうね?
この蜀補正はさ

60 :
答えは簡単。魏は蜀より豊かで、諸葛亮より曹真や司馬懿の方が有能だったから。

61 :
>>60
ま、それはそうだが
ラスボスが戦略の鬼才(奇才)、あの明帝だもんな

62 :
諸葛亮は戦術レベルでは物凄く強いんだが、
戦略レベルではいつも曹叡や曹真や司馬懿や張コウに一歩先を行かれてる。

63 :
というか、曹叡単体でもガチで凄まじすぎる。
あの判断の速さと鋭さは異常。
これに加えて、国力の差+司馬懿らが加わる。
普通に考えれば勝てるわけないわ。
こいつら相手に奮闘した諸葛亮も十分天下の奇才ではあるのだけれどね。

64 :
あと七十年ほど早く永嘉の乱が起きてたら長安以西は蜀の領土だった

65 :
超優秀な対呉要員の満寵が対蜀(対諸葛亮)やらせたら面白そうだよねぇ

66 :
満寵は戦術能力では司馬懿より上だと思う。
満寵は守勢に異常に強くてガチの野戦より伏兵や奇襲を得意としてるから、
ガチの野戦でしか強くない諸葛亮はボロ負けしそう。

67 :
>>58-60
その遊び楽しいか?
>>62
上読んだがいいよ

68 :
表面だけ追うとそういう評価になるんだろうなぁ

69 :
68は62へ

70 :
>>55
商人が商取引量から見積もるなんて不可能だよ
商取引があったとしても支流の一つに過ぎないだろう?
兵糧は年貢が中心 
蜀中からどのくらい集まって来ているか
外部の人間に知る由もない
民間人が軍事施設に出入り出来るとも思えない
兵站と軍隊は部署が違うんじゃないかな?
商人と会うのは兵站部の仕事だろう
商人と取引するにしてもそれは政庁のある城でやると思う
それを官兵が基地に運ぶ と
第一、百歩譲って兵糧の備蓄量を知り得たとしても
兵糧を残らず持って移動するでもない限り
遠征に出た1つの軍が何日分の食糧を持って出たかなんて計算のしようもない

71 :
>>56
非常時に関を閉じるのは常識的に行い得ること
禁止できない事ではないよ てかやるよ俺なら
慎重と自信は別に相反しない
自分が優れていることくらい分かるものだ
自分を楽毅に準えていた諸葛亮が戦に自信がないわけがない

72 :
>>57
うん 祁山は関山道(西回り道)上にあり、隴と蜀を線で結ぶとその喉元にあたる
関山道中に西漢水が通る細長い盆地が西北・東南に走る2つの山脈に挟まれて在り
その盆地の中ほど、幅約1.5kmの平野部に喉仏のような小さな山がある
高さ51m 上底1000平米、三面崖の山(丘)で頂上には堅城が建てられていた
それが祁山(祁山城) 
地理条件、立地条件、城址、歴史 から見ても、ここが魏の防衛拠点であったのは間違いない
少なくとも曹丕の時代には既に祁山は魏の防衛拠点だった
明帝曰:「先帝東置合肥,南守襄陽,西固祁山」(明帝紀)
もう読んでくれたかな?
読んだのなら>>57後半に答える必要ないと思うけど

73 :
訂正
×上底1000平米
○上底3000平米

74 :
上にある変なリンクのやつ妄想だらけの仮定で話し進めてるだけじゃん
糞の役にも立たねー

75 :
長安に近づけば近づくほど兵は増員されるだろうし北伐自体、無謀な計画だからな・・・・

76 :
だから、諸葛亮は関中は狙わなかった。

77 :
猫に小判、豚に真珠とも言うしなー
そこは読み手の知的レベルに依るんじゃね?
>>49-51は極めて論理的な推論だよ。

78 :
>>74,>>77
妄想かはともかく論理的かといえばやっぱり違うだろうな
>>72
壮大な仮説としては認めるけど壮大なだけに粗が出ているような
(長くてまだ一次までしか読んでいないのでその範囲で疑問点を)
1.諸葛亮は魏側に降伏者が出るのを想定していなかったのだろうか
(そんなことすら想定していないのなら諸葛亮の考えが足りなかったということになるし
仮にも「漢室復興」を掲げて同調者を想定していないのなら別の意味で問題だろう)
2.以前から都督中外諸軍事だった曹真が「中央軍」ではなく「雍州防衛軍」を率いたとする根拠は何だろう
(魏側の史料である「魏略」が油断していたと認めているのだから
当時「エース」だった曹真を関中に置いていたとは考えられないのだが)
3.張郃が街亭に諸葛亮がいたかどうかを知らなかったとでも言うのだろうか
(現に街亭に到達して敵を破った後の張郃がそれを知らない訳はないし
街亭の戦いに係る情報が張郃以外からもたらされることはないだろう)
4.北伐とは関係ないけど「南方で叛乱が起きることは二度となかった」は明らかに嘘だろ
(あなたが言う「三戦板での議論」については知らないけど
劉冑の反乱でライ降都督張翼が更迭されたのは諸葛亮が死亡する前年だ
もちろん孟獲個人が叛かなかったという意味なら別だけど)

79 :
>>78
1.降伏者が出るというレベルじゃないだろう? 
2.雍州軍ではなく雍州防衛軍  雍州防衛の任につく中軍だよ
>魏側の史料である「魏略」が油断していたと認めているのだから
“魏略”が「魏は油断していた」と言ったところで、それは“言い訳”でしかない
魏は油断なんてしてなかったよ
3.多分、張郃は 居た と思っているだろうね  
4.南中って広いからそれだけじゃ劉冑の叛乱がどこで起きたか特定できないからね
前回叛乱を起こした地域か特定できないことにはこの逸話は否定できない
『故終亮之世,南方不敢復反。』
「南方」と一言で言っても、ニュアンス的には「一度背いて服した地域」だろう
粗は無いよ

80 :
論理的だ。

81 :
79は〜ではないと自分の考えを結論付けてるだけの様な・・・・
論理的には程遠いよ

82 :
>>79
二次と三次はまだ読んでる途中なので
1.作戦ってのはありえそうな事態も考慮に入れて立てるものじゃないの
(味方の裏切りはともかく敵の降伏すら考えてないことはないだろう)
2.魏が油断していなかったとしたら
なぜあなたが防御拠点とする祁山の守将の名すら残っていないの
それに特定個人ではなく魏そのものが油断していたとかいう話を
「言い訳」として捏造する必要があるの
3.街亭での捕虜に聞けば分かるだろ(総大将を知らないことはないだろうし)
それとも張郃は敵を大破しながら捕虜を全く取らなかったということなの
4.南征で討伐した場所に限定されていたのね
それなら分かる

83 :
>>78の疑問が論理的でないような気がしないでもないからなー
>>79がほぼ1行で答えている1〜3の解答が>>78の非論理性にぴたりと蓋をしている。
最も論理的な解答だよ。 

84 :
自作自演が臭すぎるスレだwwwwwwwwwwww

85 :
相手が良きライバルで良かったじゃん>諸葛亮
曹叡がガチ相手じゃ秒殺ぢゃね?

86 :
>>82
1.だからレベルが違うって 
極早期での三郡寝返りなんてあり得そうな事ではない
見方の裏切りはともかく? どうしてともかくなの?
表裏一体だろうに

87 :

2.守将の名が残らないのは別に何でもないと思うよ 
第2次で諸葛亮が陳倉を攻めてなかったり、
陳倉があっさり落ちてたり、主戦場が囲まれた陳倉城以外の所であったら
郝昭の名はきっと魏略にすら残らなかったろう
>魏略
捏造する必要があったとか、そんな高尚なものじゃない
言い訳は必要があるからするんじゃなく格好つけたいからする
敵の進攻を深くまで許し、郡に3つも寝返られ、朝廷が大騒ぎになったこの事態を
敵にやられたのではなく自らの過失が招いた事とすることで辛うじて面目を保とうとしたのだろう
よくいじめられっ子が殴られて出来たアザを「階段で転んだ」と親に嘘を言うがそれと似る
油断していなかった根拠
・諸葛亮は南蛮征伐を劉備の死の2年後に行っている
・時期は特定できないが、その前後に『正議』を著し、魏に対してやる気満々であることを伝えている
・『正議』からは諸葛亮の好戦的な性格が読み取れる
・南征から2年、北伐開始の前年の春に、反抗的で好戦的な敵の国家元首が
出師表なる宣戦を行い、大軍を率いて国境地帯に上ってきていた
・その上、元蜀臣の孟達が謀反するなど、蜀に活発な動きがあった
「にわかに諸葛亮が攻めてくるんだもん。みんなビックリしちゃった。」とかいう
魏略の言い訳は面白いw
・北伐前年初頭には夏侯楙が督関中だったのに、いつの間にか軍才も経験も豊富な曹真に交代していた
・なんと言っても魏の対応が早い
曹真が斜谷道途中の箕谷で趙雲と出会ったのもそうだが、張郃の動き  
第一次はひと月ほどで終わっている
蜀軍の行動開始からひと月ほどの間に
荊州に居た左将軍張郃が右将軍となって西行し、街亭で馬謖を破っている事になるが、
開始から三郡寝返りまでの経過、その情報の伝達、兵の準備、移動、
街亭包囲、蜀軍撤退開始の見届けまで の日数を考えれば、ひと月ちょいではとても無理
曹真は長安、張郃は洛陽 各々兵の準備を整え、
蜀軍と時を合わせて よーい、ドン!で出なければ、ああは行かない
また、然るべきだろう

88 :

3.敵を騙すにはまず味方から
兵卒に「少し離れたところに丞相が控えておいでだ」ぐらいの説明はし得る
逆に、捕虜に確認したからこそ、と言えるかもしれないね 
張郃が王平の撤退ぶりを許したのは
敵の眼前を、散り散りになった敗残兵を収集して回収しながらゆっくり後退するなんて
後ろ盾もなく出来ることじゃないだろうからね
襲い掛からなかった張郃の態度が不思議すぎるだろ?

89 :
>>84
俺は基本的に会話文で句点は打たない

90 :
>>89
いやあなたと私のレスがではなく
>>77>>79の擁護レスが自演を疑われているということでは
1.それだと劉備相手に「民が歓迎してくれるでしょう」と言っていた諸葛亮は
劉備がいない=自分が率いる漢では歓迎されないと思ってたということになるけど
2.最終的には勝っているのだから言い訳することもないだろう
別に相手の手際を誉めるだけの度量もない訳じゃないだろうし
あと夏侯楙が更迭されたのは太和二年の「明帝西征」の時だよ
(前年12月の孟達造反で蜀を警戒し始めた可能性は高いけど
翌月に攻められてるのに全域が準備するのは難しいのでは)
3.よくよく考えたら馬謖率いる大部分が山に籠っているのだから
張郃が偵察を出せば諸葛亮がいるかどうかなんて簡単に判るんだよね
蜀軍は街道を封鎖していないのだから偵察を阻止できないからね

91 :
ようやく続きを(まだ途中だけど)
二次1.結局曹操が桟道を焼いた件と諸葛亮がそれを修復した件の出典は何だったの
(三国志集解あたりをざっと見た範囲では分からなかったので)
二次2.三国志集解に引かれている魏略(寰宇記巻三十)には
「(前略)亮本聞陳倉城悪,及至,怪其整頓,聞知昭在其中,大驚愕。」とあるから
諸葛亮は陳倉に備えがあるとは思っていなかったのではないの
三次1.あなたは二郡攻略のための陽動が成功したと言うけど
結局諸葛亮自身が郭淮を牽制したのだから陽動としては「失敗」ではないの
三次2.諸葛亮の目的は別として二郡を奪われた以上魏は対策しないといけないのに
その後の四次でも郭淮等は祁山ではなくて上邽にいたと思われるから
魏はあなたが思う程には祁山を重視していなかったのではないの
曹真征蜀.3軍全てに侵入されていたら蜀が負ける可能性が高かっただろう
(駱谷だけから攻めた曹爽を防いだからといって3方面からの攻撃も防げるとは限らないし
少なくとも司令官3人は曹爽と比較するレベルではないだろう
もちろん漢中に入った後に大雨で退路を断たれれば別だけど)

92 :
曹叡>>>越えられない壁>>>諸葛亮≧司馬懿=陸遜=孫権>>>越えられない壁>>>劉禅

93 :
>>90
1.諸葛亮の言葉は、文字通り「歓迎してくれる」以上には読み取れないけど?
「濡れ手に粟で寝返るでしょう」みたいなことではなく
「百姓が食糧を持ち寄って進攻軍を歓待してくれるでしょう」
要するに、
「現地の百姓は“Welcome!”で迎えるでしょう」と言っている
2.魏略は他国讒謗・自国礼賛が激しい書物だからそんな度量はないし言い訳もするw
魏略をいい人だと信じていたらそこから出られないよ? 
「言い訳することもないだろう」「 度量もない訳じゃないだろうし」
という全く根拠のない信望より、>>87で挙げた事実が上に来る
>あと夏侯楙が更迭されたのは太和二年の「明帝西征」の時だよ
それ言ってるのは「油断していた」と言う魏略
明帝紀本紀に曹真が都督関右だった事が記されている
夏侯楙が都督関中だったのに対し曹真は都督関右だからその権力は拡大されている
これも魏が警戒を強めていた証となる
>(前年12月の孟達造反で蜀を警戒し始めた可能性は高いけど
翌月に攻められてるのに全域が準備するのは難しいのでは)
「警戒し始めた」とするならね
孟達の蜀との密通を申儀が密告しても尚、曹叡は孟達を信じたが、
これも魏略
3.偽兵計がそんなに簡単に見破れるなら誰も引っかからない
魏の斥候はもちろん出るさ そんなことは馬謖も承知 というか戦の常識
第一、敵が斥候出してくれないことには後ろに諸葛亮が来ていると知ってもらえないじゃないか
騙す以前に存在を知ってくれないんじゃ困っちゃうよ
斥候は敵の軍勢が本物かなんて確認しないよ
遠目に大凡の規模や配置を調べるだけ
敵も哨戒してるからいちいち確認に近づいていたら命がいくつあっても足りないって
はじめに魏の人間が街亭に諸葛亮が居たと思っている事実があってね
その話は本伝とも状況が符合する
そこからの推論なんだよ 

94 :
>>91
二次1.何だったかなぁ 本の名前なんて覚えないからなぁ 土地に詳しい本だったよ
とりあえずこの話が世に存在することくらいは証明しておいた方がいいだろうね
「曹操在撤出漢中時,把棧道樓閣燒毀,又派兵築城防守。」でググってみて 
二次2.魏略だっちゅーの  
魏略は信じたらダメだよ  あんなのは良い子しか信じないんだからね 
三次1.陳倉に引き付けておかなかったら郭淮の抵抗に遭っている
三次2.説明丸無視の質問はよしてくれ

95 :

曹真征蜀.どう考えようと勝手だけど、
>駱谷だけから攻めた曹爽を防いだからといって3方面からの攻撃も防げる〜
1進路1危険として、魏軍の抱える危険が3つになる
ひとつでも突破できれば… というのも見方が甘い
漢中 対 関中 は漢中が有利
というのも、秦嶺越えのルートルートが扇のように放射状になっているからなんだ
三路を図にするとこうなる
       関 中  
       | /
       漢中 ― 荊州
漢中はルート出口の距離が近く、ひとつのルートの状況が悪くなっても容易にカバーに回れる
後詰の軍が少なく済むんだ 
兵站の負担も軽い  三路の連絡も取れる
一方、攻める方が連絡を取り合うのは難しい
兵站も大変だ
>とは限らないし
もちろん絶対勝つとは言えないが
>少なくとも司令官3人は曹爽と比較するレベルではないだろう
蜀にも言える

96 :
>>93-95
つまり魏略や晋書宣帝紀は魏(や晋)に都合のよい書だから信用できない
漢晋春秋は蜀(や諸葛亮)に都合のよい書だから信用するということですね
まともな人なら各記事ごとに信憑性を確認して判断するものですけどね
(蜀記のように引用した裴松之すら全否定するような代物もあるけど)
1.要するに諸葛亮は民が歓迎してくれることは予想できても
簒奪者の配下であるはずの官や軍隊が寝返ってくることは予想できなかったと
それも徐州や幽州みたいな遥か彼方ならともかく攻め込んだ現地で
むしろ諸葛亮を馬鹿にしているのではないか
2.曹真は諸葛亮の侵攻に対して大将軍として派遣され「都督関右」したのだから
北伐が行われたことに対する対応策なのは明らかでしょ
(いくら魏略を信じたくなくたって夏侯楙の罷免記事まで信用しない理由があるのか)
3.「落とせないのを知っていて城を攻めた」とさえ主張するあなたが
危険だから斥候を出さないとでも言うのですか
実際に張郃は敵の水源を断って邪魔されなかったのだから
「諸葛亮の部隊」が虚構であることは見抜かれていたのでは
二次1.あのね議論なり意見を発表したりするときはね
最低限のマナーとして自説の根拠は自分で出すものですよ
それを相手にググれとは失礼というものですよ
(典拠が出なければ受けて側は根拠なしと判断するだけで)

97 :
これで最後かな
四次1.魏延等が羌中に行って費曜や郭淮を破ったのは230年とされるけど
翌年2月に出発した諸葛亮と合流するまでの間は何をしていたの
(東進して郭淮等を追ったとするなら時間がありすぎるのでは)
四次2.魏延等が東進して諸葛亮と合流したのなら郭淮が上邽に着いた直後だろうけど
そこまで有利な状況でなぜ上邽を落とせなかったのだろうか
(魏側に後将軍と雍州刺史以上の人間はいなかっただろうし
その二人が大敗して逃げ帰ってきたのによく持ちこたえたな)
四次3.会戦に勝った蜀軍が周辺地域を制したとすれば
なぜ周辺の各郡に動揺が起きなかったの
(魏軍陣地は蜀軍よりも東側にあっただろうから
東からの補給線は断たれていなかったのでは)
五次1.郿を始めとして渭水沿いの都市は北岸にあるようだけど
船も持たない大軍で南岸を進軍できるだけの道はあったの
五次2.諸葛亮が司馬懿に送りつけた女物の着物と髪飾りは
前回の戦利品ではなくて諸葛亮が用意したものだと思うけど
(挑発するつもりもなかった魏軍が用意していたとは思えない)
五次3.魏延が陳倉攻撃で手を抜いていたとするなら
なぜ諸葛亮は援軍を送るなどして督戦しなかったの
(晋書宣帝紀を信じないなら攻められて負けることもないし
兵を分けて陳倉攻撃に集中してもよかったのでは)

98 :
>>96
やれやれ
今や史書の記事の多くは反証可能性をもたない
各記事ごとに信憑性を確認するなんて誰にも不可能だよ  まぁ誰もやってないだろうね
だからって反証できないことは全て信じるなんて事をやっちゃうと
作為的なものまで信じる事になってしまう
魏略や宣帝紀は反証されて黒判定うけた記事が多く、書の信憑性が疑問視されている
ウソ塗れの書に[反証不可能で好都合な独自記事]があってもそれは信用に価しない
それが常識的な考え方というものだ
誤解してるようだが、
漢晋春秋は後漢と晋を讃える書物 蜀漢を持ち上げているわけではないんだよ
習鑿歯が仕えた東晋の桓温が簒奪を考えるようになったので
それを諫める為に書かれたといわれている  
簒奪を狙う桓温を諫める為に、後漢から帝位を簒奪した曹氏を傲慢であるように描き
東晋擁護の為に司馬氏を謙虚なふうに描いている
「蜀漢正統論」は蜀漢を万歳する目的で作られたのではなく、
簒奪の悪を説く『曹魏非正統論』の副作用として生まれたに過ぎない 
「蜀漢正統」はただの筋目の話だ
習鑿歯は蜀を万歳していない 魏略や宣帝紀とは性質が異なる
蜀記といえば諸葛亮では郭沖五事か
あれは裴松之の否定が否定されて然るべきだろう 
裴松之による郭沖五事の否定は既に論破されている
昔の人だから正しいということは全くない

99 :

1.能天気な楽天家でもない限りそうだろうね
2.曹真が北伐開始時に監督権をもって長安に居たのは明白だよ
既に夏侯楙は更迭されていたと考えるのが道理だろう
魏が油断していたことになっていないと、「油断していた」と主張する魏略にとって不都合だ
曹真が北伐開始時に都督関右であっては困るのだ
見え透いた辻褄合わせだよ
"孟達を信じた曹叡"も、そうしておいた方が油断してたっぽい
小細工を弄す動機がある と来れば信用に価しない
3.斥候を出したろうって言ってるじゃないか
偽兵も無人じゃないんだよ バレちゃ意味無いから哨戒はきっちりやるだろう
>「諸葛亮の部隊」が虚構であることは見抜かれていたのでは
そう言ってる ちゃんと読んでくれないかな

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