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2012年6月登山キャンプ330: ▲昭和40年代末期の山屋スタイル▲ (703)
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▲昭和40年代末期の山屋スタイル▲
- 1 :10/09/09 〜 最終レス :12/05/18
- ♪あの頃き〜みは〜若かった〜♪
「ロックやフォークより、山がすべてだった。」
気のきいたプレイバックを書き込みしてちょ!
- 2 :
- tes
- 3 :
- カテゴリの「旅行・外出」がぶっ飛んだみたいですね
- 4 :
- >>3
カテゴリは飛びません
飛んだのは鯖です
分かりましたか?お爺ちゃん
- 5 :
- >>4
は〜い!
よくわかりまちた、ボク
- 6 :
- >>4
自分の鬱屈した人生を他人(世代)のせいにして生きているタイプだな
- 7 :
- もうちょっと盛り上がると思ったんだけどここダメみたい
- 8 :
- 手ごたえ全くないしな…
- 9 :
- ここはおかしいのが二人いるようですね(単独の自作自演かも知れんが)
- 10 :
- そうだな
釣るアフォーに釣られるアフォー
自作自演じゃないか
- 11 :
- なぜいいスレが落ちっぱなしで、こんなクソスレが復旧しているのか
- 12 :
- 1975年以前の山屋で2ちゃんへ来られる方は限られると思う
パソコン入力が満足に出来まへんw
- 13 :
- 物置の奥で眠っていたSIMOND スーパーDを昨年冬から使っています。
- 14 :
- >>12
1975年で25歳として今60歳 30歳として今65歳 35歳なら70歳か
Windows95から15年・・・仕事で使ったか使わないかで個人差が出てくるね
- 15 :
- 門田の鍛造アイゼンを押し入れにしまってある。
もう二度と履くことはあるまい。
- 16 :
- こんなとこ上げんなよ
いまならすぐ落ちる
- 17 :
- >>12
呼んだ?
- 18 :
- >17
学生の時にFORTRAN、BASIC等のプログラミング演習を大型計算機で行っていた方 w
- 19 :
- FORTRAN、BASIC。カセットテープとかカードとか懐かしいw
- 20 :
- >>15
今はシモン履いているけど最初はタニの12本爪だったなぁ〜
http://www.nirayama.com/~suwabe/Eisen/Tani/Tani.htm
- 21 :
- 独り言スレ
- 22 :
- 学生はまだキスリングだったけど、社会人なんかはカリマーのジョーブラウンが
かっこいかった。今風のザックの出始めで懐かしい。
- 23 :
- 昔話してくれるオッサンと知り合いたい。
昭和スタイルは格好いいと思う。
山で挨拶する時も昔話してくれないか
期待してるんだけど若いねぇで終わってしまう。
- 24 :
- 1975年頃の夏と言えば、新宿駅から夜行の臨時急行アルプス号が4、5本出ていた時代。
その電車に乗るために、夕方ぐらいから地下通路には山登りの格好をした人の幾つもの
列が出来ていた。ということを語るのは、おじさん。
- 25 :
- あの頃の山屋は衣食住担いだ今でいうスレムーホ。
駅の待合室でブス焚いてアルファ米にペミカンぶっこみ喰らったものだ。
不衛生とか不潔とは無縁の世界であった。
- 26 :
- この頃から夏用テントが三角形からドーム型になってきた。
吊り下げ式でジュラルミンフレームという現在の主流となっている構造をいち早く採用した画期的なテント。
後に橙色にフライが青色のダンロップテントが涸沢をほぼ占領した時もあった。
- 27 :
- 学生時代のグラウンドシート分離式の家型テントが懐かしい。
丈夫ではあったが帆布製で何しろ重く、山行は背負子+キスリングの
組合せで立ち上がるのに先輩に支えてもらったものだ。
防水メンテのために白熊印のパラフィンをたっぷり塗布したものだ。
軽量化の技術進歩で社会人になってからはダンロップのXシリーズ
のお世話になったものだ。
- 28 :
- 振り返るとザック、テントの順で現在の形になり、そしてコンロが続いた。
はじめはキャンピング・・・・・・だったが性能、利便性に欠け、今の岩谷などのコンロに。
一方、ラジュース、フォエーブスといったプレヒートが必要なコンロは、山岳会とかサークル
といったグループ登山の方々に愛用され続けた。(そして、どうなったたか?)
PRIMUS(岩谷)が独占?
- 29 :
- 今年60歳だけれど、20歳代の時には、夏山のアンダーウェアは綿の下着で
よかった。せいぜいこって網シャツだけれど、それも素材は綿が主。
冬はもちろん「死にたくなかったらウール」だったけれど、夏山については
今ほどうるさくなかったと記憶している。
30台で山からとおざかり、50台で再開したら、衣類がえらく進歩していて
おどろいた。
いったいいつから、夏山でも「下着に綿はダメ」になったのだろう。
- 30 :
- 天然記念物のカモシカの尻皮が手に入った頃の話・・・
- 31 :
- 還暦をカミングアウトする人にびっくり
- 32 :
- 今どきの若者より、今どきの還暦の方が明るい未来が開けていそうだ。
- 33 :
- >>29
記憶でしかないですが、ダクロン製の下着が出てきたのは1980年はじめぐらいでは。
それより前にゴアテックス製のレインウェアが売り出されていました。(←購入したので確実)
1980年初頭ぐらいに登山用具は、おおかた新素材、新型になったと思います。
そして、雨具、テントは軽量化へと展開。
- 34 :
- トレッキングポール?ダブル?
グレゴリ?オスプレイ?アーク?
クマ鈴?北海道か?
- 35 :
- 今はトレッキングポールも熊鈴も必携。
- 36 :
- ニッカボッカにニッカホース。下着はウール。
ピッケルはKADOTA、アイゼンはSALEWAのクロモリ12本。
いまだに使ってるぞ。
- 37 :
- >>36
ご立派!!
中高年から山始めた人達とはちと違う
- 38 :
- >>29
似た方がいますなぁ〜
大袈裟かも知れないが30代で(山を)取るか(仕事・家庭)を取るか・・・
山取ってたらいずれ死んでたろうけど
- 39 :
- >>33
ありがとうございます。西穂〜奥穂の縦走にいって、悪天でひきかえしたのが
1978年で、それ以降は山らしい山に行かなくなったので、新しく登場した
新素材のウェアを着ることもなく終わったようです。
1度1985年に知人と下廊下を下ったときに、新しい軽量テントにお目に
掛かって驚いたことがありました。でも、山行きを復活させるまでにはいたら
ず、2002年に再開した時には、まさしく浦島太郎状態でした。
- 40 :
- そういやあ、あの頃ってまだ新宿23:55発の普通列車長野行があったなぁ。
初めての南アルプスで、しかも北岳に登る時に乗車した。
甲府が午前3時着。
広河原行きのバスが4時発で待たされたという思い出。
あの頃は若かった、セブンティ〜ンw
- 41 :
- >>38
そうですか。同志というわけですね。私は子供が生まれたので、山から
足が遠のきました。そんなに先鋭な登山はしてなかったので、そのまま
続けていても、死ななかったとは思いますが、岩登りは下手だったので
墜落して大けがはあったかもしれません。
- 42 :
- 儂は既に山から引退したが、ついこの間まで現役だった友人は二度ばかり死にかけたな。
そいつは生涯独身を貫いていたが、好きな女が出来て山をやめたよ。
我が家の下駄箱には二度と履かれないであろう、トップ靴店の重登山靴が鎮座してる。
- 43 :
- ここ団塊のたまり場ですか?
- 44 :
- ゴミは持ち帰れ
それだけだ
- 45 :
- >>33
昔の事なので違っているかもしれませんが、アルパインクラフト(通称アルクラと
言っていたような)が日本で最初にゴアテックスの雨具、テントを製造、販売して
いましたね。
モンベルはまだ無かった時代ですね。
当時はマンモスと呼んでいましたが、今のマムートのザイルにマンモスが刺繍された
ワッペンが付属していて、エイダーのクライミングジャケットに手縫いで縫い付けて
クライミング時に着ていた記憶がありますね。
懐かしいですね。
- 46 :
- まだ鋲靴全盛の時代ですね
- 47 :
- >>43
いえす
- 48 :
- 鋲靴は20〜30年代じゃないかな。
- 49 :
- >>45
33です。
1978年に初めて憧れの北アルプスへ一人で行く時にゴア製の雨具を購入しました。
それは、HERITAGE のでした。
当時は、ゴールドウィンはありましたが、NORTH FACE は無かったと思います。
- 50 :
- 1970〜75年(S45〜S50年)を基準にすると靴は普通にビブラムでしたよ
- 51 :
- 当時購入の靴は、ビブラム底で、底の張替えを2回して何とか新調せずに来たが
さすがに重く、日帰り登山が多いということもあり、今はランニングシューズで
登っているという現実。
- 52 :
- ベテランの方々へ
若者に説教たれてないで同世代の初心者への啓蒙をお願いします
- 53 :
- 昔は中高年になってから山を始めるという人は少なかったと思う。
20〜30代で単独、技術の限界を感じ山岳会に入ってレベルアップというパターンが多かった。
- 54 :
- 同世代の初心者って学習能力がないというか連れてって〜気分でダメ。
それは、中高年者の事故が、減少しないことが物語ってるのかも。
- 55 :
- >>54
>同世代の初心者って学習能力がないというか連れてって〜気分でダメ。
じゃ、打つ手なしデスカ??
- 56 :
- 儂も中高年じゃけど、山に対して畏怖と言うか、そういう気持ちはいつも持ってる。
何かあったら、撤退を考えるし計画の延期や中止も考える。
中高年登山者の多くがそういう事を考えないで行動してるとしたら、同じ中高年登山者として悲しい事だ。
- 57 :
- あの頃ってやっぱストーブとかは
ラジウス系だったの?
- 58 :
- >>57
儂はスペア123使ってたな。
いまだに現役だぞ。
- 59 :
- ×スペア
〇スベア
間違えたぜ
- 60 :
- スベアガソリン入れて600gぐらいだね
カセットガス系と同じくらいの重さになる
マナスル96は700gぐらいだった
- 61 :
- >>60
スベアは単独にはちょうどいい大きさなんだよ。
しかも火力は大型にも引けを取らないし。パッキングもしやすかった。
- 62 :
- なんで昭和40年代末期なんだよ
登山ブームのピークは昭和30年代だよ
- 63 :
- ここのスレに来る昔取った杵柄タイプとツアー依存の登山趣味の中高年とはかなり考え方が違うと思う。
日本100名山や300名山なんぞ困ったものだ。
- 64 :
- >>62
そう思うなら自分でスレ立てればいい。
何でも他人任せだから団塊団塊って馬鹿にされるんだよ
- 65 :
- >>55
おいらの推測です。以下に。
1995年にNHK教育テレビで 『趣味百科 中高年のための登山学』 という番組があり、
それが切っ掛けで中高年の登山が盛んになりはじめたとすると、約15年が経過した。
当時、50歳として現在65歳。あと10年もしないうちにピークを向かえ、減少傾向に
転ずると考えられる。
百年に一度の不況で倒産、早期退職。そして、バブル崩壊後への世代となり、山を楽しむ
という余裕はなくまた、物が豊富な少年期をすごしたことで山への関心も少なくなる。
近場での山がせいぜいで、百名山への挑戦等は少なくなると考えられる。
また、山に登る手段として車を利用しているという中高年が将来的に減ることが、若者の
車離れから予想される。
よって、もう少しの辛抱。流れに逆らってはダメ。打つ手なしですw
- 66 :
- >61
スベアいいよね気に入ってる
ただ人ごみの中で使うのには気が引ける
昔はそんなの関係なかったんだろうなー
- 67 :
- >>65
分りました。ありがとうございます。
でも、マナーの悪い中高年パーティが多いので、同年輩のベテラン風の人に一喝されると
効くんじゃないかと思った次第です。
- 68 :
- 昭和30年代の山を語れって言われてもそんな人いなそう。
無理でしょう。
- 69 :
- だが先人達には、もっと多くの事を語って頂きたい
なんならPC関係の相談にも乗ってあげるから
- 70 :
- >>67
50過ぎたおっちゃんは、仕事から離れたら、遊びモードとなって羽目を外すのみ。
初心者であればなおさら。歳を取っている分、厄介なのかもしれませんが、
歳が近い程、注意となると難しいです。
山の基本は、自己責任であることをしっかり理解させ、連れて行くガイドとなる方が
しっかり統率することだと思います。(持ち物、コース、タイム、天候、体力etc)
- 71 :
- 登山を始めた頃は小西政継や加藤保男のような届かぬ存在だが武骨な山屋に憧れた。
書物では、松涛明の「風雪のビバーク」や加藤文太郎の「単独行」の描写に衝撃を受けた。
今では、中島みゆきの「時代♪」の情景が走馬灯のように思い出される。
- 72 :
- おれは
ヘルマンブールの8000の上と下だな。
- 73 :
- >>66
スベアに限らずコンロの類は土間で使ってた。
小屋によっては外で使えって言われるけど、昔は小屋の中の土間で調理したよ。
炒め物なんか作るといいにおいがして、食事つきの泊り客から羨ましがられたもんだった。
で、「どうぞ・どうぞ」って勧めるとお礼にビールなんぞ貰ってね。
今思うといい時代だったんだな。
- 74 :
- ヘルメット・ゲバ棒・手拭いにサングラス
顔を隠して、山中でオルグだ粛正だと遊び回ったな
懐かしい
- 75 :
- >>74
スレ違いも甚だしい
恥ずかしいこというもんじゃない
- 76 :
- 蓼科ロープウェイで登って、記念コイン作って
楽しかった小学生時代
74のようなお兄ちゃんが何か放水されたり、鉄球攻撃を受けたり
ケダモノと本当に思ったwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 77 :
- >74
山岳ベースってそんなにいっぱいあったの?
金剛山とか葛城山あたり気になる
- 78 :
- >>71
私も遠い田舎から山学同志会なんかに憧れをもっていました。
主だった人達はみんな山に散っていった。
あなたが上げた小西政継、加藤保男、松涛明、加藤文太郎も。
山に一歩踏み込んだらツアーであれ、山岳会山行であれ、全ての責任は自己にあると自覚して欲しい。
- 79 :
- 北アは昔から混雑してたが、南アは空いてたなぁ。
さすがに白峰は混んだけど、仙丈や甲斐駒でも小屋で窮屈な思いしたことなかった。
最盛期の仙丈から塩見まで馬鹿尾根縦走した時なんか、仙丈から三峰の間で誰にも会わなかった。
途中両俣に降りたけど、宿泊客0、小屋番不在で本当に誰にも会わなかったよ。
現在では予約なしじゃ泊まれない塩見小屋も余裕だった。と言うか、小屋に予約入れた事なんかなかったな。
- 80 :
- >>69
>>なんならPC関係の相談にも乗ってあげるから
思い上がるなよ小僧
ワシを誰だと思っている
- 81 :
- ↑
皆から嫌われているのでは。不愉快なりw
- 82 :
- 団塊がPC苦手と思ったら大間違い!
私はネットワーク構築を仕事にしていたし会議はパワーポイント使用
このスレに来ている団塊はそれなりのスキルを持っている筈
- 83 :
- 最近の中高年登山者はガイドブック以外読めないらしい
ブールやレビファ、エルゾーグの本は不人気でネットで300円で売ってら
- 84 :
- >>82
パソ通の時代は終わったんですよ。
- 85 :
- >>82
もし貴方が団塊世代でPCにも詳しくても、それをひけらかすと自分を下げるだけだぞ。
ちなみに儂はエロいの見たくてPCに詳しくなったがなw
- 86 :
- >>12
>>1975年以前の山屋で2ちゃんへ来られる方は限られると思う
以前の山屋だよ。
キスリング、片桐の2尺4寸、2尺2寸、2尺現存。
尻皮もあるぞ。カモシカかな。
ストーブはスベアの121だな。
カミシマという日本製のストーブが在ったけど、ダメだった。
エバニューのコッヘル(笑)。
速乾下着の代わりに、南極でも着たという「網シャツ」があった。
この網シャツの上にラクダのシャツを着た。
この網シャツのネットがキスリングを背負った時、肩に食い込む。
ウールのニッカーズボン。
ピッケルも8本爪のアイゼンも門田。
もっと、いろんなモノがいっぱい在るぞ。
- 87 :
- >>85
アンタはマジでスキルが高そうだw
- 88 :
- 1975年の大晦日はあの山でビバークしながら布施明のシクラメンのかおりを聴いていた。
- 89 :
- >>86
網シャツw
よく着たなぁ。野郎はみんな着てたんじゃないかな。確かに綿シャツより乾きが速くて冷たくなりづらかったけど、格好は悪かったよな。
だらしなくベローンってなっちゃうしさ。一度網シャツ着たまま昼寝しちゃって起きたら網目の日焼けになって恥ずかしかった。
- 90 :
- 何でか知らんが、脱いだら編み目の穴に当たってた部分の皮膚に点々と痣が出来ていた事が何度かある。
あと、異様に編み目の間隔が広くて、どう考えても下着としての効果に疑問のある製品もあった。
ラグランスリーブみたいな縫製で、肩から腕にかけては普通の布地になってるのは着やすくて、15年位前まで仕事着の下着にしていた。
- 91 :
- 何十年振りかで山を復活させ山岳会に入ったが、同年代のジジババのやかましさ(山の中でも下界でも)に
閉口して退会。
今は単独でシーズンを通して自由気ままに行ってるが、若い頃の経験が無ければ無理だったろうと思う。
- 92 :
- >・・・・・・同年代のジジババのやかましさ・・・・・・
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 93 :
- 当時の水筒と言えばポリタンだと思うが、米軍払い下げの水筒を持ってる奴もいた。
デカくて丈夫そうだったが、戦死した兵士の持ち物だとイヤだと思い使う事はなかったな。
- 94 :
- >>93
戦死した米兵のものといえば、羽毛シュラフだな。
ガサばるし、重いし、羽毛なのにすぐぬれる。
仲間の持ってたシュラフは、血痕が付いてた。
- 95 :
- >>94だが、この話昭和30年代だ。
40年にっても売ってたかどうか、不明。
- 96 :
- >>93
別にデカくなかったよ。
今のと材質が違うだけで、形や大きさは似たようなモン。
水筒よりも、付属のカップの人気が高かった。
これも今のに近いけど、ハンドルがL字型で今より長く、焚き火で側面をあぶって温めながら飲めるんで、沢登りの人達に人気があった。
- 97 :
- >>95
羽毛シュラフだけでなく
ベトナムから流れてきた遺体収容袋も売っていた
シュラフカバー替わりに重宝したし
事故の時は本来の役割も発揮したな
- 98 :
- 1977年当時の小生の装備。
寝袋は貧乏学生のためモンクレーではなく天山(テンシャン=中国?)、ピッケルはシモンではなく
エバニューのローツェ、アイゼンはサレワでなくカジタの鍛造10本、ストーブはスベアでなく
マナスル121、ザン靴はガリビエールではなく安藤、ザックはミレーでなく片桐の強力、天幕は細野、
下着は親父のお下がりの松坂屋のカシミヤ上下だった。
- 99 :
- こなまさん
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