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2012年6月戦国時代357: 戦国時代における騎馬武者の実像とは (532)
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戦国時代における騎馬武者の実像とは
- 1 :09/06/26 〜 最終レス :12/05/04
- 戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。
戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?
- 2 :
- 知らんがな。
2げと
- 3 :
- ┌─┐
|武|
|田|
│三│
│輪│
└─┤
ゼー( `Д)ゼー
( ヽ┐U
〜 〜◎−>┘◎
キコキコ
- 4 :
- 基本的には突撃兵種
時代や場所や状況によって馬上や徒歩かは異なる
- 5 :
- >>4
時代と場所についてもっと詳しく。
- 6 :
- 騎馬武者隊の突撃なんて例外中の例外
馬を飼育するのにどんだけコストかかるのか
- 7 :
- >>6
乗り換えの馬を複数持つのが騎馬武者の常識なのだが。
- 8 :
- 戦車や十九世紀の騎馬隊のコストも出かかっただろうな。
鎌倉時代にいた立派な鎧を着た侍の騎射もものすごいコストだろう。
これらもコストが高いから存在しないのか?
- 9 :
- >>5
先ず東国より西国の方が徒歩突撃を始めた時期は早い
時期としてはやはり投射兵器の増大が大きく舵を切る、一つの契機といえる
- 10 :
- 戦国期の話に、「十両の馬を一頭買うくらいなら、五両の馬を二頭買え」ってのがあったな。
- 11 :
- そういや、竹中重治だかも
「名馬なんか買うと、馬が惜しくなっていざというときに手柄を
立てられなくなるから、買うなら断然、駄馬のほうがいい」
って言ってたとかなんとか…
- 12 :
- 朝倉の誰だったっけ
「高価な名刀買うより、安物の槍を沢山買ったほうがイイ!」
っていってたな。
- 13 :
- 騎馬武者はあくまでも侍大将や部将格。
騎馬突撃や馬上槍なんてあり得ない。
騎馬武者も戦うときは馬を降りる、これ戦国の常識。
騎馬はあくまでも移動の手段でしかない。
- 14 :
- >>13
違うよ、騎馬隊は千石クラスを指揮官として、数百石クラスを一般隊員として
数十騎で構成されております
- 15 :
- >>13
巣に帰れ鈴木信者
- 16 :
- 戦車みたいに、一人の騎馬武者に数人の足軽がついて
グループごとにちゃんばらしてると思ってたけど、違うんだな
数百石なら、10人〜20人ぐらい動員できるけど
騎馬隊に配属されたら、足軽の賦役は免除されるわけ?
- 17 :
- そもそも騎馬突撃なんて映像的には映えるけど
実戦ではそこまで有効でもないしな。
歩兵の不意をつけば重量と機動力任せの奇襲強襲はできるけど、対策立てられればあっさり槍や飛び道具に潰されるし
乱戦になっちゃえば最大の利点の機動力が死んで、馬上よりも徒歩の方がよっぽど武器も取り回しやすい。
実際騎馬騎士が集中的に運用されてたヨーロッパでも孤立した騎馬隊は大抵あっさりとやられてる。
- 18 :
- >>16
騎馬隊隊士の主力である200〜300石は戦闘要員の従卒は徒武者1人で、
その他は鑓持や小荷駄などの後方要員
- 19 :
- でもさ。相馬家は当主自ら陣頭で突撃して家臣が慌てて随伴した
と記録になかった?伊達家を悩ませたとあったとあるような。。。
- 20 :
- >>13
長篠の段では
「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
というように武田方の馬を間違いなく警戒しているし
「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
と、馬を巧みに乗りこなす関東衆が突撃して来てますよ。
- 21 :
- >>6
江戸時代の侍じゃねえんだから(荻生徂徠)
- 22 :
- また、鈴木論者のアホがいるなwwww
- 23 :
- 馬は雄大で美形なサラブレッドにあらず
- 24 :
- >>23
×雄大で美形なサラブレッドにあらず
○華奢で貧弱なサラブレッドにあらず
- 25 :
- どっちもあってるだろう
日本の馬も小さかったが、タフだった
ただ騎馬隊突撃とかは笑っちゃう
- 26 :
- 騎馬突撃が無かったとかw
また古臭い鈴木信者がw
- 27 :
- 平成元年武田家の居館内で馬の全身骨格が発見されたのだが、体高は120aほど
こんな小さな馬がはたして重い甲冑を着た武者を乗せて疾駆できるものなのか?
昭和54年NHKが「歴史への招待・義経騎馬軍団」の中でこのような実験を行った
まず体高130a体重350`の馬を用意する
それに45`の砂袋(甲冑武器馬鎧の代わりに)をくくり付けたうえで体重50`の馬術部員(当時の男性の体格を考慮して)が騎乗し、そのスピードと走行距離を調査した
結果は最初こそ駆歩だったが(といっても普通駆歩は分速300bくらいなのだが、この実験では分速150bにも達していなかったのだが…)すぐに速歩に落ちてしまい、10分後にはもう首を大きく振り、やっと走っているという格好だったため、この時点で実験は終了となった
またこの実験の馬は蹄鉄を打ってたから戦国時代の馬よりもスピードが出るはずだったのだがこの結果である
- 28 :
- Q,騎馬軍団がどのような活躍を見せたのか武田の資料に残っていますか?
A,ありません。甲陽軍鑑にすら騎馬隊の活躍を伝える話が出てこない
だいいち他流の軍学でも、当の武田流軍学でも馬上の槍を「犬槍」といって非難しています
せいぜい信長公記に長篠の戦いのくだりで、西上野の小幡の手勢が乗馬が上手かったから騎乗のまま信長の陣に攻め掛かってきた、ということが書いてあるくらいです
これが後に小説家小瀬甫庵によって「武田勝頼の軍勢は皆乗馬が達者で、どんな敵に向かうときでも馬を駆け入れ、駆け崩すのがもっぱらであった」と拡張され、武田=騎馬軍団という誤った認識が世間に広まっていったのです
- 29 :
- Q,モンゴル帝国の馬も日本馬くらいの大きさだったって事を忘れちゃいけないね。モンゴルの鎧も十分重いよ?
A.モンゴル人は、主に、合成弓を使う弓騎兵 (甲冑を着用しない) として戦った。合成弓は、驚異的な射程と貫通力を持つ小型の武器である。
彼らは中国人と中東人を攻城技術者として雇い、歩兵部隊、守備隊、そして槍を使う重装騎兵隊 (甲冑を着用する) は、服属民族の軍隊から調達された。
Q,蹄鉄の有無は特に関係ないよ。
A.少しオーバーな例えだが素手の拳で砂や砂利や小石や岩場を殴りまくるのと、メリケンサック着用ではどっちの方が力が入るかな?
Q,大事なのは重い鎧とかを着た人間を載せて移動の訓練を積ませた軍事訓練の有無だから。スタミナの問題では?
A.具体的にどんな訓練をしてたのか資料はありますか?
ちなみにモンゴルでは1人の兵士が約5頭の馬を連れて出征したため、馬をすばやく変えて迅速に移動することができた。そして犬槍など奮うのではなく合成弓による一撃離脱。必要なら馬を乗り換えてまた一撃離脱。敵陣を崩してから上記の服属民族の軍隊の突撃
以上、武田信玄vs上杉謙信vs北条氏康vs毛利元就vs島津義久スレから抜粋
- 30 :
- Wikipedia の「母衣」に写真がないんで入れたいんだけど
誰かフリーライセンスで公開して良い幌武者行列まつりとかの写真
持ってたら Commons か Wikipedia にあげて頂けませんか?
- 31 :
- >>27
訓練をさせていない馬にさせた意味のない実験
>>28
長篠のときに家康の書状で「武田の騎馬体に気をつけろ」という書状が残ってる
>>29
馬の訓練のため「日ごろから常に馬を責めて置くように」って話は何ぼでも残ってる。
いかにも鈴木信者のたわごとらしいQ&Aだねw
- 32 :
- 騎馬隊に気をつけろが、なんで騎馬突撃になるんだ?w
婉曲すぎるだろ、それw
実際にところは武田の騎馬武者は強いから気をつけろって事だろ。
武田の記録に、騎馬突撃した記載はないはずだが?
あるなら、教えてくれw
- 33 :
- 信長公記・長篠の合戦記述
家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、
(中略)
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
- 34 :
- >>29
残念ながら、中世以前の日本には蹄鉄はなかったが、馬用の草鞋があったんだよね。
- 35 :
- 蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
(中略)
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%84%E9%89%84#.E8.B9.84.E9.89.84.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E6.96.B0.E3.81.9F.E3.81.AA.E8.A6.8B.E8.A7.A3
- 36 :
- ちょっとズレるけど、義経の一ノ谷の逆落としとかはどうなの?
あれの方が遥かに難易度高いと思うのだけど
- 37 :
- 一ノ谷がそんな大袈裟な坂だったかどうかもあやしいわけで
- 38 :
- >>31
>長篠のときに家康の書状で「武田の騎馬体に気をつけろ」という書状が残ってる
騎馬体wの資料を出してください
- 39 :
- 設楽が原の決戦では、徳川方からは金の揚羽蝶と、金の石餅の旗印を掲げた大久保兄弟2名だけが、特に許されて柵外に出て武田軍を挑発した、との記述が三河物語にあったと記憶している。
この時の大久保兄弟は明らかに騎乗して戦っている。
- 40 :
- 出典:三河物語
- 41 :
- >>38
先刻申し含め候場所の事、様子見積もらしめ、
柵等能々念を入れらるべく候事、肝要に候。
馬一筋入れ来るべく候。
(『龍城神社文書』)
騎馬武者が騎兵的に運用されることもあったことを窺わせるに十分でしょ
- 42 :
- >>33
それ、武田方の記載なのか?
>>36
個人的な意見だと、一ノ谷の逆落としは、坂から下りた後に、平家方に突っ込んだ
じゃないかと思う。
>>41
騎馬隊の運用はあったんだと思う。
ただ、それこそ講談や映画の様な、華やかな騎馬部隊の突撃はなかったと思う。
- 43 :
- 西上野の小幡一党が織田家中のわけないしw
- 44 :
- >>41
>馬一筋
これをどう読んだら、騎馬体wが騎兵的に運用されたという
意味に解釈できるのですか?
頭大丈夫w?
- 45 :
- >>44
君こそ頭大丈夫か?日本語読める?
ためしに君の解釈でいいからこの文現代語に訳してみ?
- 46 :
- 有岡城の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%B2%A1%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
『信長公記』では
足軽隊を出した後、武藤宗右衛門やその配下の者どもが敵陣に駆け入った。宗右衛門は伊丹方の侍と馬上で渡りあい、首四つをあげて尼崎に凱旋した。
- 47 :
- http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/yosinarihyper.htm
二、『信長公記』に登場する可成
首巻
(弘治二年四月)軍終り、頸の実験して、信長御陣所大良口へ人数を出し候(中略)、森三左衛門、千石又一に渡し合ひ、馬上に
て切り合い、三左衛門臂(ひじ)の口きられ引退く
1556年4月、信長が舅の斎藤道三を助けるために軍を出した時の戦いの模様。森可成は千石又一との馬上戦で臂を切られて退く。
- 48 :
- 信長公記 河内長嶋御成敗
http://www.alliance-souyaku.co.jp/AllianceKK/Hot-hitoiki-data48-.htm#hot-no52
騎乗戦闘
↓
西は賀鳥口
佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊豫守・同右京助、蜂屋兵庫頭、松之木の渡り一揆相支え候を、どつと川を乗渡し、馬上より数多切捨て候なり。
刀戦闘
↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
- 49 :
- 信長公記・長篠の合戦記述
家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、
(中略)
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
- 50 :
- 普段の生活で暴れ馬で死んだ人は実際いたのだから
数十頭で突撃されたら堪らんだろ雑兵的に考えて・・・俺なら逃げる
余程限定された状況でしか使えないかもしれないが
あったと考える方が自然じゃないか?
- 51 :
- 騎兵隊は第二次大戦まで実戦で戦ってたんだから戦国騎馬軍だってあったでしょ。
運用出来ないって戦国人はどんだけ原始人だったんよ。
- 52 :
- まあ槍持って突っ込み、めぼしい武者のいくらか突いたら下馬、首取り
またはいきなり拮抗、馬上で組み打ち始めて転落
だろうな
首とらないならどんどん数減らしながら行けるところまで突っ込む
- 53 :
- >>51
運用できないと言うより、日本という風土で考えると、騎馬運用はかなり大変
だったんじゃないかな。
効率から考えて、移動手段が主な役割で、>>50の言ったように、限定的だった
ら使える程度ではないかと思う。
>>52
古今東西、最初から騎馬隊が突っ込むという戦いは少ないぞw
- 54 :
- 西洋の様に連隊単位で分けることはしていない
日本では精々、中隊単位
- 55 :
- http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq17t03.jpg
- 56 :
- 徒歩武者「そこの騎馬武者!勝負せよ!」
騎馬武者「おう!ちょっとまってろ!」
ガチャガチャ
騎馬武者「よし!さぁ来い!」
徒歩武者「おう!」
- 57 :
- 馬の関東
戦国関東の合戦では、人馬とも大量死してるのに
- 58 :
- >>55
すごいなー義経のアレもただの伝説では無いかもね
- 59 :
- モンゴルポニーの競馬
http://www.youtube.com/watch?v=xcxm5hAq6wM
- 60 :
- 西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、
蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、
馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
- 61 :
- 武装した兵士を乗せて模擬戦をするモンゴルポニー
結構速いな
War Horse Battle Charge
http://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8&feature=fvw
- 62 :
- 桶狭間では騎馬武者は馬から降りて戦った
- 63 :
- ケースバイケースだろう。
わざわざ「馬を下りて槍を振るうほど混戦だった」
ってかくぐらいだから、乗ったままの時もあったんじゃね?
- 64 :
- 長久手の戦い、父勝入斎の討ち死にを聞いて駆け戻ってきた元助を、徳川方の安藤直次は鑓で突き倒して討ち取った。この時、元助は騎乗、直次はこの日、戦いの始めから徒歩。
勝入を倒したのも直次で、親子二人を討ち取ったことになる。ただし、勝入の首は永井に譲った。
- 65 :
- 尼子勝久の上月城籠城のとき、包囲する毛利軍の児玉元兼と、救援に来た織田軍の
薮内匠が、藪を挟んでの槍合わせをしたが、その時は双方騎馬。
- 66 :
- 『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
- 67 :
- http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/edo14.html
江戸時代の辞書にみる牛
江戸時代の辞書にみる馬
◇和漢三才図会
大抵関東には、馬多く牛少し。
関西には牛多く馬少し。
京師には天子・皇后・三公の御車を牽き、市中の車牛は米穀・薪木等を運送す。
皆特牛(ことひ)を用う。農牛は田を耕して人力を助すく。
関東にてはすなわち馬をもってこれに代う。
◇本朝食鑑
大抵参州・遠州以東から奥州・夷にかけては、馬が多く牛は少ない。
それで、耕耘運転には皆馬を用いる。
尾州・濃州以西より海辺の国にかけては、牛が多く馬は少ない。
それで、耕耘運転には皆牛を用いる。
就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はんしょく)する。
馬は関東の産が上い。
したがって奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。
- 68 :
- 騎士身分なら徒士より訓練つむだけの余裕はあるだろjk
- 69 :
- 武具要説には
「勝負が決しない内に下馬して戦い、また馬に乗るなどという事は戦場を知らぬ者の言である」
と記してあるお( ^ω^)
- 70 :
- age
- 71 :
- 歩兵は誰が指揮するわけ?
- 72 :
- 足軽大将の任を受けた侍
- 73 :
- 拡声器でも持ってるわけ?
- 74 :
- 一組に付き20から50人程度、下士官的な小頭も二人程付く
- 75 :
- 足軽大将は歩兵?騎兵?乗馬歩兵?
- 76 :
- 足軽大将は士分なので騎馬
- 77 :
- 指揮系統の確立以外の騎乗意義は?
- 78 :
- 馬に乗れば視点を高くすることができ、状況の把握がし易い
- 79 :
- つか、戦国時代云々より、第一次世界大戦でも騎馬隊突撃ってあったじゃん・・
日本だけじゃなくて、世界各地で・・
それこそコストがかかるってんで航空隊を余り持っていない時代、
戦車・装甲車両が通れない山岳地帯や湿地帯は騎馬隊が主流だったそうだぞ。
後、山岳の地上部隊は騎馬隊の変わりにバイク部隊になった・・らしいwwwww
てか、騎馬突撃が効率悪いとか言ってるけど、効率云々じゃないよwwwww
だって、突撃ラッパ吹くのだって敵に位置知られるから
効率、クソ悪いけど第一次世界大戦までは鼓舞するために行われていたんだしwwww
近代でも効率悪い戦いはいくらでもやってるwwwwwww
- 80 :
- 当時の馬ぐらいの大きさでちょうどよかったのでは。
サラブレッド並だと
鞍が高すぎて乗れない上に
家来は追いつけないし
- 81 :
- サラブレッドが出てくるのは近代競馬の確立まで待たないといかんなぁ。
西洋の騎士にも従者ら数名の世話係、もとい歩兵がいて、
突撃する時は馬上の御主人様と一緒に走ってったんだよな。
あっちの馬も小さくて足も遅かった事だろう。
17世紀の強国・スウェーデンの騎兵の馬も平均体高120cmだったしな。
- 82 :
- 小さく大人しい馬の方が戦に向いていると書いている人が多いおね( ^ω^)
でも武具要説の著者(高坂?)のように大きい馬の方が絶対よいと言っている人もいるし結局は好み問題だと思うお
と言うか要は己の扱い易い馬にせよと言っているわけだお
大きい馬程有利ではあるけれど手に余るようでは戦で働きが鈍るから
それなら己の扱い易い小さい馬にしたほうが良い働きが出来るという事だお( ^ω^)
- 83 :
- モンゴル馬とモンゴル兵
ttp://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8
小さいけどカッコよすぎる
- 84 :
- 分かった!
武田家ってみんな馬だったんだよ!
- 85 :
- 武田家猛々しい
- 86 :
- 実際は追撃か側面攻撃だろうな。
- 87 :
- 迂回攻撃もな
- 88 :
- 日本の騎士ww
- 89 :
- 元々、騎士は徒士の対比語で日本の騎馬武者のことを指す
- 90 :
- 蹄鉄のない時代の馬に長時間乗ることはできなかったろう
本当に必要な瞬間だけ、乗馬すると思う。
- 91 :
- >>90
蹄鉄の有る無しは運動能力とは関係ない。
だいたい蹄鉄の代わりに、爪の保護のため馬わらじと言うものがあったんだから
そのへんは変わらんよ。
- 92 :
- 家畜の馬が蹄鉄を必要とするほど蹄が弱くなる原因に
湿気やアンモニアに蹄が晒され続けることが挙げられますが
武士の厩は床を板敷にし、頻繁に掃除を行うことで馬の足元を清潔に保ち
蹄が劣化することを防いでいます。
当時の厩は馬の目の前で各々が寛ぎながら歓談する、ちょっとしたサロンでした
ttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/gadan/naoki/naoki.htm
ttp://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/0801/24.html
- 93 :
- >>89
ナイトと直訳して無学を晒してすみませんでした
- 94 :
- >>90
蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。
野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
しかし長年の馬小屋での飼育方法と蹄鉄の伝統は、これらの見解によっても容易に変化するものではない。
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%84%E9%89%84#.E8.B9.84.E9.89.84.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E6.96.B0.E3.81.9F.E3.81.AA.E8.A6.8B.E8.A7.A3
木曽馬の特徴
3・蹄が堅い
蹄鉄のいらない蹄
http://05210643.at.webry.info/200909/article_7.html
- 95 :
- >>92
厩ってもっとぼろいと思ってた。
これだけきれいなら目の前で歓談していても不快じゃないね。
- 96 :
- 前にディスカバリーチャンネルで中世ヨーロッパ騎士も
小さい軍馬を好んだといっていた。
理由は
1、小回りが利く
2、落馬しても怪我しない
3、餌が少なくてすむ
だったと思う
- 97 :
- ごめん、ヒストリーチャンネルだったかも
- 98 :
- >2、落馬しても怪我しない
フロイスは武士が落馬しても滅多に死なないという事を書いてたけど
ヨーロッパでは落馬で死んだりするんだろうか?
西洋の武術テキストには受身に相当するものが載っていないと聞いた事があるし
ひょっとして受身をとるという概念が無かったのかな。
- 99 :
- 着てる甲冑の重さも違うんじゃないかな
鎖帷子着たうえに鉄の甲冑きる場合もあったらしいし
- 100read 1read
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