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2012年6月戦国時代384: 【次郎右衛門】戦国時代の剣豪 三人目【金左衛門】 (911) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【次郎右衛門】戦国時代の剣豪 三人目【金左衛門】


1 :09/12/05 〜 最終レス :12/06/11
戦国時代の剣豪について語るスレ
時代は多少ズレるのは許容範囲だけど、
最強論はスレ違い

2 :
裏柳生も禁止

3 :
上泉四天王(上泉伊勢守信綱(源五郎、秀綱)1508-1577の代表的門下)
・羽田源太郎
・疋田豊五郎(文五郎・景兼・景忠?小伯・虎伯・栖雲斎)1527?-1605?
      {疋田陰流(後継者である山田浮月斎が称す)}
・神後藤三郎(宗治・伊豆守・鈴木移柏・意伯)
      {神後流}
・奥平孫次郎(定国・奥山公重・休賀斎)1526-1602
      {神影流(奥山流は本人以外が称す)}
・丸目蔵人佐(長恵・徹斎)1540-1629
      {タイ捨流}
その他の信綱の弟子たち
・宝蔵院胤栄 1521-1607
      {宝蔵院流槍術}
・柳生石舟斎(宗巌、又左衛門)1527-1606
      {新陰流道統継承者。四天王に匹敵する重要人物。無刀取を考案}
・上泉主水正憲元
      {会津一刀流。信綱の弟説あり。上杉景勝に仕官し、関ヶ原時に戦死←の経歴は、信綱の孫である泰綱とする説あり。}
・上泉秀綱(伊勢守、秀胤?)1530-1564
      {信綱の実子。上泉流軍法を伝承。北条家に仕官。国府台合戦で致命傷を負い、死去。子は泰綱(-1600)}
・上泉秀胤(常陸介)
      {信綱の養子。長子秀綱没後に迎えられた。上泉軍法と新陰流を伝承。子は義胤(1592-1672)}
・狭川甲斐守助貞
      {狭川新陰流。柳生宗矩から学んだという狭川助直との関係性が要検討}
・野中新蔵成常
      {新神影一円流}
・松田織部之助(清栄)
      {新影幕屋流}{曾孫が福井藩に道統を残す。その伝承者は横山記章。後は横山家が伝える}
・駒川改心(太郎左衛紋尉国吉)
      {駒川改心流総合武術}
・羽賀井一心斎(芳賀平馬、浅右衛門)1553?-
      {羽賀井流}
・磯端伴蔵(秀国)
      {磯端神陰流。経歴と実在性が謎}

4 :
●疋田栖雲斎の系譜
山田勝興(浮月斎)
      {疋田栖雲斎の弟子、自流を疋田陰流と称す}
●奥山休賀斎の系譜
奥平信昌(貞昌、九八郎)1555-1615
      {休賀斎の族弟であり、早期の弟子。徳川家康に仕え、家康に指南役として休賀斎を斡旋した。後に家康の娘婿になる}
徳川家康(次郎三郎、松平元信、元康)1543-1616
      {姉川の合戦で活躍した奥平貞昌の剣技に強い興味を持ち、その師である休賀斎を招く。8年間に亘って指南を受ける}
小笠原金左衛門(長治、源信斎)1570または74-1644?
      {真新陰流を称す。大陸に渡って修行し、八寸の延金を考案}
神谷丈左衛門(真光、伝心斎、幼名は幸之助)1582-1663
      {源信斎の弟子。道統を継承し、新陰直心流を称す}
高橋真翁斎(重治)
      {伝心斎の道統継承者。直心正統流を称し、直心影流に繋がる}
針ヶ谷夕雲(正成、五右衛門?五郎右衛門?)
      {源信斎の弟子。秘技・八寸の延金を伝授された。無住心剣流を興す}
●丸目徹斎の系譜
立花宗茂(高橋統虎)1567-1643
      {数奇な人生を歩んだ勇将。1596年にタイ捨流免許皆伝。抜刀術隋変流を興す。弓術にも長け、日置流などの免許を得る}
東郷重位(藤兵衛、弥十郎)1561-1643
      {タイ捨流を修行。しかし後に天真正自顕流に、これを元にした示現流を興すことになる。
       タイ捨の流儀はあまり反映されなかったらしい}
奥山左衛門太夫忠信
      {徹斎の高弟。心貫流を興す}
永山大学入道信樂
      {奥山から五代目の道統。心貫流から信抜流(居合)に改める}

5 :
●柳生石舟斎の系譜
柳生宗章(五郎右衛門)1566-1603
      {石舟斎の四男。米子藩の中村一忠に仕えるが、重臣間の騒動に巻き込まれる。敵兵17ないし18名を斬りつつ討死}
柳生宗矩(但馬守)1571-1646
      {石舟斎の五男。剣術史上の最重要人物の一人}
柳生四天王(宗矩の高弟代表格とされるが、実際は兄弟弟子。いずれも柳生家家臣)
・木村助九郎(友重、矩泰)1585-1654
・庄田喜左衛門(教高)
      {庄田心流}
  市輔 {庄田の弟子中、抜きん出た実力を持っていた。庄田との勝負に完敗してショックを受け、刀を置く。
      その後は槍の名手となる数奇な運命を辿る}
・出淵孫兵衛(平右衛門または平八?)
・村田与三
      {和歌山藩の徳川頼宣に仕える}
・狭川助直(新左衛門または新三郎。甲斐守)
      {四天王に入るべきか不明瞭。天和三年、仙台の伊達綱村に招かれて師範に就任。
       松島の瑞巌寺にて天嶺和尚と会談中に雀が飛び込み、雀を傷つけることなく扇子で抑えた}
小栗仁右衛門(正信)1589-1661
      {徳川家臣旗本の子で、小姓として家康に近侍した経歴あり。石舟斎に学ぶ。
       関ヶ原、大坂の陣といった実戦に参加した経験から組討重視の小栗流を興し、土佐山内藩に伝える}
金春七郎(氏勝)1576-1610
      {金春流能楽宗家八郎安照の子。能好きな柳生家とは家ぐるみの交流があり、石舟斎から新陰流を学んで免許皆伝。
       他に胤栄から宝蔵院流槍術、穴沢浄見から新当流長刀術、上田吉之丞から大坪流馬術を学び、印可を得た異能の人物}
柳生三厳(十兵衛)1607-1650
      {宗矩の長男。徳川家光に近侍していたが1623年に不興を買って退任。そこから十余年間の動向が不明。
       ゆえに自由に弄り易く、多くのフィクションで主人公にされる}
柳生友矩(左門、刑部)1612-1639
      {宗矩の次男。三巌・宗冬の異母兄弟。家光に寵愛された美男子とされ、謎の夭逝を遂げる}
柳生宗冬(又十郎)1613?-1675
      {宗矩の三男。徳川家綱の指南役。あまり強くはないとの評}
柳生兵庫助(利厳、如雲斎)1579-1650
      {石舟斎の嫡孫。加藤清正に仕えたが、不祥事を起こし出奔。後、尾張藩指南役に就任}
高田三之丞 
      {兵庫助の高弟。上泉義胤が尾張指南役に推薦される際、試験相手を務めた}
柳生連也斎(厳包)1625-1694
      {兵庫助の子。柳生一族最強とも言われる。生涯}

6 :
●野中新蔵の系譜
野中新蔵(成常)
      {上泉信綱の弟子。新神影一円流を興す}
野中権内玄慶
      {新蔵から新神影一円流道統を継承}
福井兵右衛門(嘉平、川上善太夫)1702-1782
      {野中権内の弟子。神道無念流を興す}
戸ヶ崎熊太郎(暉芳)1744-1809
      {兵右衛門の弟子。神道無念流を継承する}
大橋虎吉 
      {暉芳の門人。農民出身。仇討ちを成功させ、注目される}
岡田十松(吉利)
      {暉芳の弟子。胤芳に流派を伝えた。道場「撃剣館」を設立}
戸ヶ崎熊太郎(胤芳)1772-1818
      {二代目熊太郎。暉芳の子息。岡田十松に鍛えられた}
鈴木斧八郎(重明)
      {十松吉利の弟子。鈴木派無念流を興す}
斎藤弥九郎(善道)1798-1871
      {十松吉利の弟子。道場「練兵館」を設立}
木村定次郎
      {胤芳の弟子。芳栄に流派を伝えた}
戸ヶ崎熊太郎(芳栄)1805-1865
      {三代目熊太郎。胤芳の子息。木村定次郎に鍛えられた}
斎藤弥九郎(龍善、新太郎)-1888
      {二代目弥九郎。新たな場所に、焼失した練兵館を再建}
岡田十松(吉貞)
      {二代目十松}
岡田十松(利章)
      {三代目十松。この代の撃剣館門人に永倉新八がいたと思われる}
桂小五郎(木戸孝允)1833-1877
      {練兵館塾頭を務めた人物中、有名人の代表格}
渡邊昇(武常、東民、其鳳)1838-1913
      {練兵館塾頭を務めた人物中、有名人の代表格。桂小五郎と併せて練兵館の双璧と評される)
永倉新八(載之、杉村義衛)1839-1915
      {新撰組幹部を務めた人物。撃剣館で学んだ}

7 :
●針ヶ谷夕雲の系譜(無住心剣流系)
小田切一雲(空純)
      {夕雲の弟子。夕雲と三度相抜けした}
高田源左衛門(能種)
      {一雲の弟子。神之信影流を興す}
山森喜兵衛(俊勝)
      {高田源左衛門の弟子。神之信影流道統継承者}
真理谷円四郎(義旭。初名、山名勝之助)
      {一雲の弟子で、一雲に勝った。千回に及ぶ他流試合で勝ち続けたという}
井鳥巨雲
      {一雲の弟子。以前に天真正伝神道流の分派・弘流を修行しており、これと混ぜた雲弘流を興す}
●東郷重位の系譜(示現流系)
重位の五高弟
・長谷場伝兵衛
      {初期の弟子}
・篠原伝内
      {初期の弟子}
・大野正右衛門
      {中期の弟子}
・児玉筑後守
      {中期の弟子}
・薬丸兼陳(刑部左衛門、如水)1607-1689
      {後期の弟子。この子孫が伝えた流儀が、後に薬丸示現流へと派生する}

8 :
新陰流とその流れが入っている流儀以外は、未だ纏めている最中でござる
御容赦

9 :
素晴らしい頑張ってくれ

10 :
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/comic/1259670174/l50
368 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日: 2009/12/06(日) 19:07:21 ID:LJxvX7/hO
槍や薙刀よりも間違いないなく剣が強い。
薙刀で全国3位の奴とやったけど、瞬殺してやったから。
足を警戒して平正眼で構えて出小手の要領で薙刀をはたいて面で余裕だよ。
槍も殺傷能力高そうだけど、あれはあくまて槍襖的な使い方しないとダメ。
あくまで戦(主に対騎馬)の武器だよ。タイマンには不向き。

11 :
>>10
そっちじゃイマイチ。これを貼りな。
993 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:32:15 ID:4l/W2DqT
なぜあの時代に剣術が流行ったんだろう。こう言っちゃ何だが戦では役に立たない
だろう。弓や槍のほうがずっと実用的だったろうに。

12 :
では、弓と槍が合体した筈槍が最も実用的ということで。

13 :
>>1
乙でござる

14 :
前スレ993だけど、刀は近距離/個人戦闘用武器で拳銃と同じ。あくまで最後の
護身用。清正だの正則だの、戦が強かったと言われる武将はみな槍遣い。なのに
なぜ流行ったの?
雑兵でなく総大将向きの武芸だからかえって流行ったのかな?

15 :
個人戦闘用とか護身用とか戦さでは役に立たないとか一方的に決め付けているが、
『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述
「其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。
小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり」
刀ばかりの一揆衆に織田家の者はじめ、多数が殺された例もある。腰に差して持ち歩ける程度のもので
使いようによっては槍とも渡りあえ、いざとなればこれだけの働きができる。少なくとも当時の人間は
護身等に限定しては考えなかったようだよ。
『一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸より
インドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰』
「市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、更に近づきて
槍を用ひ、最後に剣を交ふ」
戦さにおける刀剣の使用は宣教師も見ている。

16 :
槍を持ってる場合でも狭い場所など状況が変わるから、
携帯性やその他諸々考えて刀を帯刀するのが現実的だったんじゃないかな?
刀を帯刀する事が多ければ、自ずと扱い方を上手に使える剣術を学ぼうと考えるのは当然だろうし。

17 :
>>15
なら戦国時代に抜刀隊ってあったの?弓隊、槍隊、騎馬隊、鉄砲隊、つぶて打ち隊
は聞いたが抜刀隊は聞いたことないんだが…

18 :
そりゃ戦闘要員なら全員刀持ってるしw
あんたのいう槍の得意な武将だって腰に差してるよ。

19 :
=゚ω゚) 刀のみの専門部隊はたぶん無かったと思うが、臨時に編成されたとは思う。
窪田説では田宮も刀部隊作ってたらしい。
騎馬隊なども必ずしも専門部隊ではなく、戦況での臨時編成が多いね。
前スレでも書いた気がするが雑兵物語などに騎馬での抜刀突撃など書かれてる。
まあ、合戦図など見ればわかるが、刀剣はふつうに使ってるよ。
さらにもっと遡れば源平の頃は騎馬刀剣がメインだわな。

20 :
戦術として有効ならば、剣豪ばかり集めた抜刀隊があってもいいんじゃないの?

21 :
>剣豪ばかり集めた抜刀隊があってもいいんじゃないの?
なんか漫画の見すぎだねこの人。漫画板から来たの?
ちなみに大太刀から発展した長巻を持たせた部隊ならあったよ。

22 :
こんな感じか
平安中期まで、直刀:突く
平安後期から、湾刀:騎馬戦で扱いやすい
・・京八流・鹿島七流の登場
平安後期〜鎌倉、太刀:騎馬戦で敵の大鎧を断ち切る肉厚の刀
室町時代
・・中条・陰・神道流の登場
戦国中期まで、槍・野太刀
戦国後期から、打刀:戦法が変化、最終的に白兵戦が雌雄を決するようになったため
          生き残るための剣技を磨く必要が生じた。
「敵をすべてなで斬りにせよ!」というのが勝ちを確信した大将の言葉だな。

23 :
流行した理由だが、戦場に立つ誰にでも使う機会や可能性があったからだと思う。
長柄が折れ矢が尽きたとき、あるいは敵の肉薄を許したとき刀の使い方を
知っているか否かで生存率はまったく変わってくる。
弓の巧者が剣術の巧者でもあった例。
『信長公記』浮野合戦の事
「信長の御小姓衆佐脇藤八走り懸かり、林が頸をうたんとするところを
居ながら大刀を抜き持ち、佐脇藤八が左の肘を小手くはへに打ち落す。
かかり向かって、終に頸を取る。林弥七郎、弓と太刀との働き
比類なき仕立てなり」

24 :
>>20
朝倉だと大太刀を持たせた力士隊があるけどな。
弓と槍は相容れないからそれぞれの部隊が必要になるが、
刀は当然どの武器とも併用できるわけで、わざわざ近接戦闘のみに
特化した部隊を最初から用意する必要はあんまりないわな。

25 :
槍を日頃常に持ち歩くのは厳しいけど刀は出来るしなー。

26 :
>>24
つまり刀は特科部隊のない補助的兵器ってことでは?
>>21
反語とか皮肉ってわかる?頭悪い?

27 :
>>26
すまんが頭悪いので反語としても何が言いたいのかよくわからん。
刀はサブウェポンなのに何故流行ったのか?と言いたいのかな?よくわからん。

28 :
それが反語だという意味ワカリマセンw
刀の携行性を犠牲にして打撃力を強化すれば大太刀や長巻の類になり
それらの専門部隊はいるという話も出てるしなあ。

29 :
>>28
大太刀や長巻の流派とか剣豪とか聞いたことないんだが?いるの?

30 :
何を決めつけようとしてるのか分からないな・・
今の兵士の戦場での主武器が小銃であっても
決して拳銃はいらないと言う様な事では無いだろうに。

31 :
>>29
>長巻の流派
あんたが聞いた事無いだけだよ。
ためしに柄太刀でぐぐってみ。古書店に出てる新心流長巻の免許が見れるよ。
形名に馬刃刀とかあるみたいな。ちなみに柄太刀って長巻の別名な。
一応薙刀の流派って事になってるけど肥後古流長刀は刃四尺、柄四尺のほとんど長巻的な形状の薙刀を使うし、林崎新夢想流は三尺三寸で柄一尺以上の打刀を使います。

32 :
真柄っちや薬丸どんなんかは大太刀の剣豪なんじゃないか
長巻だと武蔵坊とか・・戦国じゃないけど

33 :
>>30
もちろんその通り。刀が要らないはずはないよね。
ただ、このスレに巣くってる「剣術最強!」みたいな厨が気にくわないんで
ちょっと煽ってみた。案の定長巻とか持ち出して、太刀が主武器たり得ない
ことを自分で認めて自爆してくれたし。

34 :
>>33
今のスレと前スレ見たけど、
「剣術最強!」
的な事を言ってる人いないけど???

35 :
剣術最強?どこにいるのそんなの?
刀が実用的でないとか言ってる変なのがいるからみんな反論してるだけで
誰も剣術最強論を打ち出した人なんていないんだけど?

36 :
>993 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:32:15 ID:4l/W2DqT
>なぜあの時代に剣術が流行ったんだろう。こう言っちゃ何だが戦では役に立たない
>だろう。弓や槍のほうがずっと実用的だったろうに。
>994 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:35:30 ID:s+08IpD0
>あの時代っていつだよ
>995 :人間七七四年:2009/12/06(日) 21:53:47 ID:QgffvcBj
>http://changi.2ch.net/test/read.cgi/comic/1259670174/l50
>368 名前: 名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日: 2009/12/06(日) 19:07:21 ID:LJxvX7/hO
>槍や薙刀よりも間違いないなく剣が強い。
>薙刀で全国3位の奴とやったけど、瞬殺してやったから。
>足を警戒して平正眼で構えて出小手の要領で薙刀をはたいて面で余裕だよ。
>槍も殺傷能力高そうだけど、あれはあくまて槍襖的な使い方しないとダメ。
>あくまで戦(主に対騎馬)の武器だよ。タイマンには不向き。
前スレのこれか?お前がカキコしてからコピペされてるじゃないか。

37 :
刀の携行性を犠牲にして威力を追求すれば大太刀になるし、
大太刀の取り回しをよくしようとすれば中巻野太刀や長巻になる。
長巻術なら新当流や荒木流などに伝えられているぞ。

38 :
>>33
「〜が強い」だなんてのは状況によって違ってくるわけで、一概に言えるわけが無い。
「戦国時代の主力武器は刀だ」なんて言ってる奴も見受けられないしな。
当然遠中距離での戦闘後に近接戦闘に至るわけで、最初から近接戦闘専門の部隊を
用意する必要があるわけもないのに、その事ばかり論っても意味が無い事くらい理解したら?

39 :
ヤンマガ作品のスレから来てるってことはセンゴクで色々刷り込まれた人
なのかね?センゴクか何かで聞きかじった知識と脳内イメージだけで
語られても困るわ。

40 :
>>38
同意だね
武器も色々状況も色々・・・感動した!

41 :
まだ漫画厨がウロウロしてんのか?

42 :
事実として戦国末頃から各地に剣術を含めた武芸者がたくさんいたわけで、武芸者の中でも剣術が一番流派も人数も多いわけじゃん。
理由は実用性から文化的なものまで色々考えられるけど、剣術にある種の必要性があったから広がったわけじゃないの?

43 :
個人的には江戸になるまでは、身分にかかわらず戦の時も日常もほぼ常に携帯してる武器だったから日本の武芸の基準になったんだろうな、と思うけど。
実際、ほとんどの武器流派で対剣術の形が主体になってるしな。
例外は弓や槍くらいかな。槍にもほぼかならず太刀合があったけど、基本的に戦場の武器だから槍合の方が主体だよな。
だから香取鹿島に始まって上泉にしろ一刀斎にしろ槍と剣の両方を伝えてるみたいな。香取なんか江戸時代には槍で有名だったみたいだし、元々は槍術が主体だったんじゃないか?て説があるくらい。

44 :
最初に基本として剣を修めると他の武器にもシフトしやすいが
長柄武器専門から剣に移行するのはそれより手間がかかるとは聞いたことがある。
誰の発言かは忘れた。

45 :
長物と剣は結構技術が違うな。たしかに。
でも武器全般を考えると刀はかなり特殊なんだよな。柄が短いのに両手で使うように出来てるし。
槍や薙刀、棒から三道具、鎖物まで長物の操法はそれなりに共通してるし、小刀、十手なんかの小道具は体術系で共通してるし。
刀だけが少し仲間外れなんだよな。一刀流も新陰流も古い形は長物に近い気がするけど。

46 :
ト伝百首を見ても、弓や槍についても言及してるし、
武蔵や宗矩の伝書でも槍や長刀についての言及がある。
忠明や兵庫助も槍・長刀に絡むエピソードがあるし、
少なくとも、戦国時代を知っている武芸者にとっては、
剣以外の武器も一通り使える方が標準だったんだろうな。
その上で、一番扱いやすい獲物として剣がピックアップされたんじゃないだろうか。
剣や剣術が武士の象徴として特別な存在となっていくのは、
長い江戸時代の存在があってこそだろうな。

47 :
江戸以前、武士の象徴は槍と弓馬だよな。
明治までは槍術も剣に劣らず盛んで、防具試合が盛んになったのは槍の方が早いって話もあるくらいなんだよね
やっぱ長すぎるから明治以降は没落したのかな…
いまでも試合盛んにやってるのって広島の富田流の佐分利流槍と愛知の貫流だけだよなあ。
昭和半ばまで鳥取に疋田新陰流槍術と薙刀が残ってたらしいのに、いまは薙刀しか残ってないらしい…

48 :
小野次郎右衛門と近い年代の剣豪から見繕い、
小笠原金左衛門を採択したのは、左右の衛門で対になるからと考えたのだけど。
序盤のリストはテンプレのつもりじゃなくて、ネタ振り兼参考資料ということで、自分のメモ帳からコピペ。
元々がテンプレ用に作ったものじゃないため、時代区分を考慮に入っていなくてダラダラと続いていたから、
直心影流系の部分をバッサリ切った(個人的には男谷精一郎が好きなので、泣く泣く)。
神道無念流系で幕末人物まで載せてしまったのはミス。編集し忘れた。
手入れして、今後テンプレ化してもいいし、
再利用してくれなくても、どっちでもいいです。

49 :
>>48
おいとわしや・・・

50 :
>>47
槍術などの長柄物の武術が廃れたのは、やっぱ携帯性の悪さが原因なのかもね
西欧だと小銃の高性能化や銃剣の発明でパイクや両手剣が廃れたけど、
それでもサーベルはしばらくは存命したし、現代でもフェンシング競技の一つになってるしね
あー、でもそれだと、日本での薙刀や中国での長兵器の武術が今でも活動してる理由にはならないか、うーん

51 :
>>50
日本や中国の場合、
江戸幕府や清といった長期安定政権の存在が大きいんじゃないか?
西欧の場合、地域内で国同士が頻繁に戦争を繰り返していたから、
実戦で不利な武器や技術は廃れていったけど、
政権の確立後、武器や技術の革新が必要になる程の戦争がなかったから、
「戦の時のための技術」として19世紀まで生き残り続けたとか。
それ以降は、それだけ長く生き残ったことで伝統芸能化して、
そっちの面で生き残れるようになった、というのはどうだろう。

52 :
当初外国流の銃剣術を導入したがうまくいかず、槍術を応用した
国産銃剣術を作り上げたという経緯があるし、槍術は
近代においても死んだわけじゃないさ。

53 :
俺の私見だが民族性の違いの気もするな勿論一概には言えないが
日本はより深く技術を突きつめて余分なものは削り
西欧はより有効な武器を場面に合わせて・・みたいに感じる
中国はその中間かな?変な武器多いし・・

54 :
柳生宗厳は合戦で活躍した感状が残ってるみたいね。松永久秀からの感状で
槍で数人を負傷させ首級を打ち取ったものをほめた内容。
しかしその2年後落馬して重体になって興福寺の僧たちに嘲笑されるというw

55 :
ドイツ〜ベルギーやオランダあたりでは槍術が盛んだけど
それも近代に入ってかららしい

56 :
音に聞くスイスのハルベルトやパイクはいらなくなるとあっさり廃れたのかね?

57 :
というか日本と同様に銃剣に吸収というべきか。

58 :
=゚ω゚) うん。たしかパイク兵や槍類はマスケット時代までは
銃隊の補助に居たが、それ以降は銃剣に吸収されてたと思う。
まあ、銃剣とはそれほどの大発明なんだな。
スイス時代はまだ装備がバラバラで特定戦術が
確立されていなかったとか聞いた事が有る。
それもドイツのランツクネヒトとかに吸収されたんじゃまいか?
まあ、変な話だが西欧では銃が発達して戦場での重装備の甲冑が廃れ
剣技が発達したという説も有る。
んで、塹壕戦の頃になるとスコップとか使われたりして(笑)

59 :
銃の尺だけで見ると、槍術よりも杖術の方が
応用効くんじゃないかって印象があるんだけど、
杖術は銃剣術に影響を与えてるのかな?

60 :
あ、応用が効くんじゃないかってのは、
銃剣術に対して、ってことで。
戦前の銃剣術の元になったのは
宝蔵院流や佐分利流あたりが挙げられてるけど、
一応、当初は西洋式のものが導入されていたんだね。
和洋のいいところを掛け合せたものだったんだろうか?

61 :
>>59
「突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀」と応用範囲が広くて攻撃が多彩だから、逆に突き中心の銃剣術には
向かないのではないかな?
なんか銃剣道に興味が出てきた。九櫻は銃剣道用品も作ってるんだね。
http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20834119180183.html
http://tozando.net/shopdetail/008007000002/order/

62 :
フランス式銃剣術採用

槍術家「西洋銃剣術がなんぼのもんじゃ!」

銃剣で西洋銃剣術VS槍術

槍術家圧勝
槍術をもとに日本の銃剣術を創作
と聞いてますが。
そもそもフランス式の銃剣術が下がってはいけない、とか色々制約のあるスポーツ的なものだったとかいう話ですが。

63 :
>>59
棒と杖術を嗜んだことがあるけど、持ち方(手の向き)が違うんで全く応用は利かないと断言できる。

64 :
>>63
杖も棒もだいたいの流派は逆手順手両方使うから応用きくと思うけど…
逆手だけの流派ですかね?
棒術をやりこんでたから軍隊の銃剣術未経験で優秀な成績とった古流の先生(故人)知ってるよ。

65 :
>>64
槍と同じ持ち方で棒術の基本的な動作であるシゴキって出来るの?
他の流派はよく知らないけど、突く際にだけ槍の様な動作になるってだけじゃないのか?
それ自体も両手でしっかり持って突く銃剣とは大きく違うと思うけど。

66 :
しごき、て滑らし打ち(突き)でしょ?逆手順手どちらでもできるし、槍の基本はしごいて突きだよ。
棒や杖の巻き落としとかは槍と一種だし、槍にも前後を返して石突で打つ技あるよ。宝蔵院流のでかい槍でやってたよ(笑)
銃剣も昔は滑らし突きが許されたらしいけど、いまの競技ルールじゃ禁止らしい。何故?

67 :
>>66
えーと、棒術のシゴキってのは突きではなくて打ち付ける打撃の際に行う動作のことなんだけど・・・
槍を石突で突く場合でも逆手にはしないはずだけど・・・
念のために書いておくけど、あなたのいう逆手というのは両手の親指が向かい合ってる状態のことだよね?

68 :
逆手はそれでオケ。
すまん、習った流派だとしごきにあたる言葉を滑らす動作なら突きにも打ちにも使ったからそのつもりで書いた。
槍の打ち込みもしごいてると思うけど。特に短い槍。

69 :
もしかしてあなたのとこだと逆手で滑らし打ちする事のみをしごきと言うのかな?なら突きが主体の槍や銃剣じゃ逆手をまず使わないから応用しにくいか。
うちは棒術でも逆手順手両方使う流派だったから銃剣に応用できるし、実際先輩で銃剣に応用してる人がいたんだわ。

70 :
しかし書いててなんだが、歴史板じゃない話題だなw

71 :
理解出来たのならやめれ・・

72 :
>>70
武板の話題だよ。

73 :
お詫びを兼ねてネタ振り
小笠原玄信が唐土で身に付けてた寸の延金、卜伝一の太刀と並んで正体不明の業で、一説には切木みたいな隠し武器だとかいう説まである。
ところが直心陰流の伝承だと棒や槍の滑らし打ちを刀でやって間合いを狂わすような技らしい。要は虎眼流流れは実在したッ!

74 :
既出。
直心影流男谷派の野見テイ(金是)次郎系統な。山田次朗吉系が伝えた話は聞かない。
興味があれば石垣安造『直心影流奥義伝開』を読むといいよ。
きっと山田次朗吉が嫌いになる。

75 :
な、なん(ry
人によってはアレかもしれんが、個人的にそういう話は嬉しいんだぜ。
漫画で出てきた技で、実は実在流派の特定の技法が元になってる技って他にあるんだろうか。

76 :
もっとも、石垣さんの癖があって独善的過ぎる文章のせいで石垣さんのことも嫌いになるかもねw

77 :
武田惣角が当時子供だった佐川幸義に見せた『直心陰流の極意』ってのも似たような技だったちゅう話もあるよ。
普通の直心陰流の技と全然違った、というやつ。

78 :
白井亨は八寸の延金を会得する為に両肩の骨を砕いたなんて話しも聞く
とすれば武器や技では無く身体の扱い方と言う可能性も有ると思う。
例えば唐武術の通背法とか伸肩法みたいなものとか・・
ま、伝承がバラバラで要は謎のままだのう。

79 :
白井亨の八寸の延金は自分で編み出した技に八寸の延金と名付けたんじゃなかった?てことは八寸の延金がどんな風な技かわかってたのかね?
なんとなく田宮流の「柄に八寸の徳」とかと同じ間合い関係の技術かな?て気はするけど。
ところで小笠原玄信は弟子たちも有名だけど、神後伊豆守は本人は有名だけどなんか弟子はぱっとしないね。

80 :
そういや小笠原長治の話題になると、こまめにいちゃもんつけに来るのがいたけど、
あれってなんなの? 小笠原を持ち上げるアホとかなんとか、意味不明のことを喚く奴。
小笠原は当時の人々に認められた一角の剣客と認めてはいけない宗教でもあるのかいな。

81 :
>>77
直心影流自体に長沼派・藤川派・男谷派とあって、そのうちの男谷派がさらに
二派に分かれているから、もう色々あってもおかしくないんじゃない?
柄八寸といえば似たような技名に新当流の「束に八寸の利有る事」があるけど
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7036731(の4分40秒あたり)
こんな技。

82 :
>>80
蒸し返すな、といいたいが確かにアレはおかしかったな。
玄信斎が八寸の延金で疋田に勝ったという逸話や、その際に上泉を凌ぐと評されたことが
気に入らなかったらしいから、疋田や上泉贔屓の人なんではないの?

83 :
>>75
>漫画で出てきた技で、実は実在流派の特定の技法が元になってる技って他にあるんだろうか。
少なくとも複数の漫画家とかラノベ作家が、手っ取り早いネタ元として戸部新十郎の「兵法秘伝考」購入してるらしいw
あまり漫画とかラノベには興味ないが、探せばいろいろありそうな気はする。

84 :
最近の漫画で剣術とか剣豪出て来るものあるか?あまり思い付かん。
いまマガジンでやってる我間乱は剣豪ものとして見るとひどいなw作者時代劇とか剣術に興味無さそうw

85 :
バガボンドがあるな。
あとAZUMIとICHI。
ちなみにバガボンドスレの荒れっぷりは異常。
作者が無駄に対立軸を作ったせいで石舟斎と一刀斎のそれぞれに信者がついて罵倒合戦。

86 :
>>84
隻眼獣ミツヨシ完結編

87 :
シグルイシグルイ

88 :
>>73
平上さんの本読んだ?
なんとなくだけどw

89 :
読んだw
平上さん真面目にやってるのか、ふざけてるのか知らんが変な人だなw
ちなみにそれ以外のルートでも似た話を聞いた。なんか史料あるのかね?
ちなみに信憑性は保証しないw

90 :
すっかり気違いに乗っ取られたな・・まあもった方かな
ノシ

91 :
そいじゃ既知外は消えるぜ(^-^)/~

92 :
>>89
平上さんもソースは前述の『直心影流奥義伝開』だよ。「曲尺(八寸の延金のこと」は
それまでは公開していなかったが十五代野見テイ次郎からは公開するようになったと
書いている。ま、引用されている伝書には具体的な動作は書かれていないので
野見テイ次郎から始めた可能性がないとも言い切れないな。
石垣さんのテストによると、手の内さえしっかりさせれば通常と遜色ない程度に
据物斬りはできたのこと。

93 :
その極意伝開だと他の直心免許者である斎藤明信の伝書でも
柄の滑らしが書いて無いから次郎吉が勘違いしたんだという理屈なんだが
はたしてそうなのかな?
やはり石垣さんに都合のいい書き方に感じるね。

94 :
流派の当主なり師範なりが書けば、
どうしたって「我が仏尊し」になるのは避けられないしねえ。
ある程度割引いて読むしかないんだろうね。

95 :
祖父の石垣甲龍斎も直心影流の著書を出してるんだな。
八寸の延金が書いてあるかどうか気になるところだ。

96 :
八寸の延金って中国武術の歩法かも。
相手の間合いにスッと入る感じの。

97 :
そんなの日本の武術にふつうに有る。

98 :
>>97
それは知ってるよ。
だから日本の剣術の歩法に慣れた剣士の拍子を外すような歩法だったのでは?
八寸の延金。

99 :
日本の刀術を相手にしたとき剣では遠すぎ、槍では遅すぎとか
むしろ間合いで苦戦している国の軍隊があったけど、その国の武術って
そのころどの程度発達してたんだ?

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