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2012年6月戦国時代105: 戦国ちょっといい話32 (1001) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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戦国ちょっといい話32


1 :12/05/03 〜 最終レス :Over
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話31
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329316941/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話31
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1335874012/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/

2 :
>>1 殿は天下人にあられまする

3 :
>>1
骨折り

4 :
>>1
(^^)つ九十九茄子

5 :
立花宗茂ちょっといい話 切腹(一命)立花家ヴァージョン(上)
ある日、御書院番頭立花左近将監奥州棚倉三万石の屋敷の門前にむさ苦しい浪人が座り込み
「ご門前を借りて切腹いたしたい。ついては介錯をお願いしたいのでお取次を」と言い出した。
門前を血で汚されるの厭う大名家から幾ばくかの銭をゆすり取る、近頃、流行りの切腹詐欺である。
「では、取り次ぎます故、暫時お待ち下さい。取り次ぐまでの間、どうぞ門内でお待ち下さい」
「お気づかいなく、ここにて待ち申す」
先ごろ、夜叉掃門こと井伊直孝の屋敷で、切腹詐欺の武士を屋敷内に誘い込み、かねて用意の
竹光で無理やり切腹させたという噂を知っているのか浪人は、梃子でも動かなかった。
「いかがいたします。門内にでも放り込みますか」古びた虚無僧の衣装を取り出してきた
十時摂津を見て宗茂は苦笑した。
「まあ、待て。我が家を選ぶとは奇特な仁もいるものだ。会って見るか」
門前に座り込む浪人の前に据えた床几に腰掛けると宗茂は言った。
「切腹されるとのこと。見上げたご覚悟だが、首はどちらに届ければ宜しいかな」
静かな物言いだが、西国無双の威圧感に押されたのか浪人は無言になった。
「父母に届ければ、貴殿の親不幸を告げなければならぬ。貴殿の妻子に届ければ、去り状もなく
寡婦や孤児となった妻子が泣くであろうな。独り身であれば、骸も首も門前に打ち捨て犬の餌にする
しかないが、いかがかな?」
「恐れ入りましてござりまする」
そう言うと浪人は、病の妻子を抱え、貧に迫られたあげく、幾ばくの銭を得るために切腹の一件を
思い立ったと白状した。
「左様か、摂津聞いたな」宗茂は片膝をついて控えていた十時摂津に声をかけると立ち上がった。
「すぐに仕る」
そう言うと十時摂津は浪人と話し始めた。

6 :
立花宗茂ちょっといい話 切腹(一命)立花家ヴァージョン(下)
立花左近将監が、ご門前にて切腹いたしたいと騒ぎ立てた切腹詐欺の犬侍を召抱えたという噂を聞きこんだ
御書院番を務める三河依頼の旗本の一人が、まさか左様なことはござらんな。犬侍を雇い入れるなどお家の
恥ではと詰問した。
「恥とは、父母に孝養を尽くさんとした侍を召抱えたことですかな」
「理由はどうあれ、出来もせぬ切腹をすると騒ぐ武士など武士の風上におけぬのでは」
「当家にて、武士の風上におけぬとは、国法を破り、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶ者のこと。貧に
迫られ恥を忍んで手を尽くす者を武士の風上におけぬとは申さん」
「し、しかし、嘘偽りを申す侍を召し抱えるなど慮外千万では」
「武士の嘘を武略と申す。かの者の武略、いささか欠けておりますが、当家には義父道雪以来、他家にて、
ひけ者、臆病者、腰抜けと言われたものは我が家を訪うべし。いずれも万夫不当の勇士になさんという家訓が
ござる。それ故、召抱えたのでござる」
召抱えた経緯が経緯だけに、子孫のことを慮って某としか伝えられていないが、かの侍、大阪夏の陣にては、
大樹公ご本陣潰乱の際に立花勢の先鋒として大阪方を蹴散らし、遥か後年に起こりし島原の乱にては
十時摂津老と共に忠茂公の元にて戦いしとのこと。
切腹詐欺の侍を万夫不当の勇士にした立花宗茂のちょっといい話。

7 :
さすが安心の立花家w

8 :
安心できるけど、熊と鍋のとこのクオリティーも捨てがたいなぁ〜

9 :
爽やかだわあ

10 :
>>5
棚倉時代の宗茂は一応赤館城が居城なんだけど、
ほとんど城は使わずに代官屋敷に住んでたらしいね。

11 :
昌幸「・・・」

12 :
今の日本の教育、企業、ネット評論家たちに欠けているのは立花精神だなと思った

13 :
>>11
昌幸さんのは立花さんの定義なら武略だよね、しかもとびっきりの
ここで言う表裏比興との違いってなんだろう?いや、何となくは分かるんだけどね
ちょっと違うかもだけどざっくりだと、敵はなんぼ騙してもOK 、味方を出し抜くとこまではギリOK?
味方を蹴落として自分がってのはNG、みたいなとこだろうか
如水さんなんかも世間一般の腹黒い印象とは違って味方からは世話焼きの親切な
親戚の叔父さんみたいな感じで若手からは頼られてること多いよね

14 :
よし、ハローワーク通いはもうやめた
柳川の御花に首吊り用の縄を持参して泊まりに行く

15 :
鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ!

16 :
そしてお縄になった>>14であった

17 :
 本阿弥光悦の姉の法秀は雁金屋という呉服屋を経営している尾形道柏のもとへ嫁いだ。
仲人の話では尾形家は裕福なところのように言ってたが、実際にはかなり貧しかった。
後でそれを知った法秀の父親の本阿弥光二は「あんな貧乏なところへ行った娘は内心
つらい思いをしているのではないか」と後悔していた。それに対し、光二の妻の妙秀は
「貧乏なのはつらいことではありません。それよりも富貴な者の場合、ケチで欲深なゆえに
金持ちになったのではないかと気になってしまいます。婿殿の父親は正直な親孝行者と
いう評判を伝え聞いていましたので、そういうところに心ひかれて尾形家に娘を嫁に
やりました。先祖が良い心の持ち主であることに勝る宝物はないからです。どうか、
娘の夫婦仲のことは心配なさらぬようお願いします」と言って夫を安心させた。
 最初は貧しかった尾形夫婦であったが、元々尾形道柏が小谷城主の浅井家の家臣だったことが
幸いして、浅井三姉妹の淀殿に気に入られて呉服御用をつとめるようになった。そして、
徳川の時代になってからは同じ浅井三姉妹の二代将軍正室お江の方のひいきとなって
雁金屋は大いに繁盛したので尾形道柏・法秀の夫婦は幸せに過ごせた。貧乏だからといって
心配は無用と判断した妙秀の言葉に間違いはなかったのだ。

18 :
妙秀さんのリサーチ能力の勝利w
いつの世でも事前調査が大事、という事か。ちがうか。

19 :
まあ幸せはともかく繁盛云々は取引先の盛衰次第

20 :
>>11
大丈夫、「当家では」と言ってるじゃないかw
しかし立花家はめんどくささが美談な方向に転がるから不思議だな。

21 :
>>19
ご利用は計画的に

22 :
地味に井伊直孝ヒドスw

23 :
島津家に西野隆元という侍がいた。
島津家では名の知れた武辺者で前後朝鮮の役では大将首6つ、雑首23個を取る大功を立てた。島津兵は合戦になるとつねに保身の為に彼の後ろに群がった。
…が これだけの戦功を立てたにも関わらず西野は一向に出世せず足軽頭の補佐のような役に任じられるに留まった。
何故か? 彼は気に入らなければ上司を平然と怒鳴りつけ、島津義弘にさへ憎まれ口を叩くような男であった。
かの中馬と殴り合いの喧嘩をすることもしばしば、中馬でさえも彼を見かけると身を隠す有様となった。
だが義弘はこの男を愛してたらしく、領地を与えない代わりに大将兜や黄金造りの刀をしばしば与えた。
さて関ヶ原、 島津軍の決死の敵中突破が始まった!
西野は追い縋る敵を突き臥せ突き臥せ鬼神の働きを見せる! いや西野だけではない、島津軍全員が修羅となり群がる敵にキリを揉み込むように突き進んだ。
だが次第に数を減らす味方の中、島津軍は遂に捨て身の鉄砲陣をしいた。(狭道の両側に間隔を置いて一列に座り鉄砲を順に撃ちかけ撤退の時間を稼ぐ。当然鉄砲を撃ち終われば群がる敵に鯰斬りにされる)
中馬が鉄砲陣の最後尾に座らされた。
…が
西野が中馬を殴りとばした。「ここで早々死ぬとは臆病千万!義弘様を守って貴様は薩摩に帰れ!だがここからの道は死ぬより辛い。貴様にその度胸があるか!?」
中馬「……西野」
西野「朋よ、生きろ」
中馬が最後に見た西野の姿は最高の笑顔だった。
老いた中馬が一度だけ語った回想録である。

24 :
なお、この話しには続きがある。
西野には家族はなく家名は途絶えた。
だが数年後、内縁の妻と男児が一人いることが分かった。
義弘は男児に家名を復させようとしたが、西野の妻はもう辛い思いをしたくないと涙ながらに辞退した。
義弘は母子を哀れみ名字帯刀を許し僅かながら田畑を与えた。
母は息子の武士の道を絶つために西野という性を改めた。
…時は経ち、幕末。
西野隆元の子孫、西郷隆盛は幕府を倒し先祖隆元の恨みを雪いだ。

25 :
義弘「おいどんの隆元ーー!」

26 :
さすが島津、ばねぇな!
しかし、末裔の隆盛どんが、薩摩武士の道を断つために西南戦争をおこすとは、
隆元どんの奥方が、極楽で喜んでいるだろうな。

27 :
あれ、西郷隆盛の家って江戸時代になってから島津家に仕えた下級武士だったんじゃ……?

28 :
>>27
西野→西郷(百姓)→下級武士として士官(家祖の教えを破る)→幕末西郷どんじゃね?

29 :
そういえば西郷隆盛の薩摩西郷氏は、徳川秀忠の母親も出した三河西郷氏の庶流、ということになってるらしいな。

30 :
"従三位"波多野秀治
明治維新が成った後、戦国大名への位階の追贈が一種のブームとなった。
勤皇の志を持った過去の偉人を称えるというのが一応の建前だが、実際には
維新に功のあった藩への慰労といった側面が強かったようである。
長州藩の先祖に当たる毛利元就や、言わずと知れた信長・秀吉に正一位が追贈され
島津義弘・長宗我部元親らには正三位が贈られた。
その他にも、近世に残った大名の祖先は大体がこの時期に追贈を受けている。
…だが、この戦前期官位追贈組の中に少し異質な人物が混じっている。
信長と戦った末に処刑された丹波の土蒙・波多野秀治だ。
お世辞にもメジャーとは言えない彼が従三位という公卿クラスの高位を
追贈された背景には、ある逸話がある。

31 :
永禄三年(1560)年、日本朝廷の困窮はいよいよ頂点に達していた。
三年前に践祚した正親町天皇の即位式も、資金不足により未だに行えていなかった。
京の都は応仁の乱以来すっかり荒れ果て、本来朝廷を庇護すべき畿内の権力者達は自分の権益
の為に争いを続けている有様。大内義隆のような物好き金持ちも今やおらず、
朝廷を顧みようとする者はもはや絶えてしまったかのように思われていた…
そんな折に朝廷に手を差し伸べたのが、三好氏と絶賛激闘中だった波多野秀治であった。
「任せてください、ちょっくら伝手を使って工面しますから!」
帝の威光が甚だしく軽んじられている現状に心を痛めた彼は、一門である宗高や
中国地方の覇者・毛利元就(!)と相談の上、共同で即位式の為の献金を行ったのだ。
それだけに留まらず、式の際には秀治自ら手勢を率いて警護役に加わったとの伝承もある。
ともかくも、この際の秀治の働きに感銘を受けた正親町天皇は秀治を正四位侍従に叙す事で
その働きに報いた。(同じく献金を行った元就は従四位下陸奥守を賜る)
件の大正期の従三位追贈も、この故事を踏まえたものであった。
この逸話は八上城跡の「波多野秀治公表忠碑」に記されたものであるそうだ。
昭和六年建立のこの石碑は当時の毛利家当主・毛利元昭氏による揮毫とのことで、
千言万語を尽くして秀治の壮挙を称えている。
目立たずも良い事をすれば神様、もとい帝様が覚えていてくれるという話。

32 :
事の真偽はともかく、西郷さんもこういう逸話がでる程の英雄ってことなんでしょ〜

33 :
>>32
おそらく西郷さん自身、もしくは西郷さんの周囲が倒幕後に創作したのではないかな。

34 :
>>31
浅井長政が確か大納言になってたよね。

35 :
>>31
三好は金がなかったのか?
それとも幕府と朝廷の間に亀裂があったのか?

36 :
>>5-6
>貧に迫られ恥を忍んで手を尽くす者を武士の風上におけぬとは申さん
虚無僧に身を窶してまで尽くす家臣団がいるのも当然だなあ
道雪以来の教えが太平の世にも息衝いている素晴らしい話だ

37 :
>>31
この即位式の逸話だと、毛利元就が石見銀山が尼子に抑えられて苦しい時期だったのに献金したことばかりがクローズアップされるけど。
毛利家はきちんと波多野氏の功績を覚えてたんだな。

38 :
>>17
放蕩息子の光琳が後世に名を残すとは何たる皮肉。

39 :
>>5-6
安心と信頼の立花家だなぁ・・・やり方がスマートだわ
この人のエピソードにはあんまり血が流れないからいいわww

40 :
波多野さん意外とやるなあ。
てか生前既に正四位だったんだ。

41 :
>>35
長慶も献金等は行ってるだろうが
どっちかというと金を撒く方向性が少し違うんじゃないかなと見てる
長慶生存時の三好政権(1550〜1562)の特徴として(長慶が飯盛山に居を移すまで)
畿内において一揆が発生していないっつう珍しい点がある(1550以前1562以後は割と目立つ)
長慶死後は再び一揆がポツポツ増えてくるから何処に金を使っていたのかが見えてくるよね
まあ地方にいる大名と当時の都にいた三好長慶では朝延に対する感覚の違いでしょう。
割とこの傾向は調べたら解るよね、伊東とか相良とかw
波多野秀治はこの時三好に服属してるから
正親町天皇の即位式には別段普通に参列していた筈
三好の子孫が残ってない事を・・・w
汚い、長州、流石汚い
まあ波多野秀治が努力した事は本当でしょうけど

42 :
酒井忠次は主君である徳川家康が豊臣秀吉に臣従してからは、寺社の復興に尽力し、眼病を患うと
家督を嫡男の家次に譲り、秀吉からかねてより
「若者の師になって欲しい。」
と求められた為、京都の屋敷で隠居生活を送った。秀吉からはそれまでの武功を評価され、朝鮮出兵に
おける前線基地である肥前の名護屋城が完成した際の、場内に続く橋を初めて渡る役を諸大名を差し置いて
抜擢される栄誉を得ている。一方で家康に対する忠義心は全く衰えておらず、ある時、家康に対面すると
「目が見えないのでござる。久しく様子を伺えておりませんが、お元気ですか。」
とその手を押し頂いたという。そして、晩年は浄土宗への信仰に打ち込んだ忠次は、わずかな身内に
看取られながらその生涯を閉じたという。

43 :
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e122320936

関原軍記大成の古書、これってお宝なの?

44 :
>>31
いやこれ一族の子孫が出世して長州閥に働きかけたんだと思う
子孫を残すことって大事ですね

45 :
会津蘆名の臣、金上遠江守盛備は「蘆名の執権」と称され
家中の政事、軍事を取り仕切った重臣であったが、
弓馬の道だけでなく会津出身の僧・岌州を通じて
細川幽斎と和歌のやりとりをする等、
一流の教養人としても知られていた。
盛備は生涯三度に渡り、主の名代として上洛しているが、
今回の逸話は天正十六(1588)年、三度目の上洛の時の事。
会津訛りを嘲った都人をその教養で逆にやりこめた話は
このスレでもすでにでも紹介されているが、
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html)
この逸話を聞いた後か、その前か、盛備と引見した関白秀吉
「その方、鄙にも稀な風雅の人と聞いているが…どうだ、この句に上句を接いでみよ。」
 「女も鎧を 着るとこそ聞け」
と下の句を詠んだ。盛備は寸刻思案すると恐れ入りながら
 「姫百合か とも草摺りに 花散りて」
と詠み上げた。
「女も鎧を〜」というのは、源義経の郎党・佐藤兄弟が戦死した後、
嘆き暮らしていたその母を慰めるため、兄弟の妻が二人の形見の甲冑を
身に着け、その雄姿を演じてみせたという故事に取材している。
盛備の郷里である陸奥国の英雄二人の逸話を秀吉は題材に取ったわけである。
(ただ佐藤兄弟の出身地信夫郡は(●Д・)の故地近くだったりするけど気にしないw)
草摺りは鎧の腰周りから膝上にかけてを守る、スカート状の部分であり、
野をゆき、足に摺った姫百合の花が散る様子と、二人の姫君がともに
草摺りを身に着けて舞う様子をかけたわけである。
このみごとな返歌に秀吉は天晴であると賞賛し、盛備に
帰国時の人夫伝馬の便宜はかる朱印状を下賜したという。
また盛備が上洛途中、近江の国で詠んだ一首が残っている。
 「雪ならば いくたび袖を払はまし しぐれを如何に 志賀の山越え」
  (雪ならば何度でも袖を払い落とせるが、袖に染み着く時雨は
   この志賀の山を越えるのにいったいどうやってしのごうか)
当時の蘆名家は伊達家の侵攻に加え、家臣団の対立により四分五裂しており、
外敵(雪)の侵攻ならば自分が何度でも追い払って見せようが、
払う事が出来ぬ家中の内紛(しぐれ)どう収めるべきかという、
盛備の苦衷を詠んだ歌と言われる。
蘆名家が摺上原の合戦で滅亡し、盛備がそれと運命を共にするはこの翌年の事である。


そんな金上さんのノブヤボでの教養値
ttp://hima.que.ne.jp/nobu/bushou/fuundata.cgi?keys2=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&IDn002=key&IDv002=%81%9B&print=25
ttp://hima.que.ne.jp/tenkasousei/tensoudata.cgi?up1=0&keys3%2C6=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&print=20
・・・。

46 :
あの訛りの逸話好きだったな
生き延びて豊臣政権でも活躍してくれればどっかの大名もホームシックにならずに済んだかも

47 :
>>46
「(前略)同じ奥羽の者でも、会津の金上入道などは、
都人の意地悪も当意即妙に切り返して、陪臣なのにリア充しちゃってます。
それに比べ、私なんて気の利いた返事すらできません。
ああ、はやく帰りたい・・・」
冗談はさておき、金上さんと北の爺様って似てる印象
同世代だし、御家騒動豪腕で収拾して、若い主君のかわりに年取っても骨折って・・・。
ただこっちは最後は滅亡しちゃったから、ノブヤボでの能力も、このスレでの知名度も差が開いちゃってるけど。

48 :
個人的には運の無い直江兼続って印象だ>金上さん

49 :
下克上の代表者の一人として有名な斉藤道三。
その彼の最後は、皮肉にも息子に下克上されるというものだった。
娘婿である織田信長が、危機の道三の救援に向かったが間に合わず、信長は軍を引きながら美濃の国取りを決意する……というのはドラマとかでよく見るシーン。
が、実は信長軍は木曽川を超えて進軍しており、美濃勢と交戦していた。
道三を討って意気上がる相手と激突、この時期の信長は未だ弱小勢力だったこともあり大苦戦。
織田方の山口取手介・土方彦三郎らが討たれ、森可成が負傷。その上、道三がやられたとの報告が織田方にも入って負けは確定。
しかも織田軍の背後は退却の難しい川であり、全滅もありえた。
織田軍が引き始めたのを見ると、美濃勢はもちろん追撃。
川筋まで達して織田軍を捜し求めると……。
美濃兵その一「織田軍見つけた! ……ってあれ? 舟が一艘だけ残ってるぞ?」
美濃兵その二「あの程度蹴散らして、追い首じゃあ!」
美濃兵その三「ま、待て! 舟の上にいるのってまさか……」
ジャーン! ジャーン!
信長「わたしだよ」
美濃勢「げぇ! 信長!?」
なんとこの状況で織田信長は部下達を先に引かせ、僅かな供回りを付けただけで殿軍を務めたのだ。
しかも神経s……細かい所に気が回る信長、恐慌を起こしかける部下の武将達に
「後ろは川だ、まず足の遅い雑人や牛馬を後退させろ。それからお前が川を渡れ。しんがりは俺がやるから安心して逃げろ!」
と厳然と命じてから、戦地に残った。
突撃してこようとする美濃勢に、自ら鉄砲を撃ちかけて防ぐ信長。
総大将の殿軍という気迫に押されたのか、それとも奇策を警戒したのか美濃勢は追撃を中止、織田軍は無事尾張へ帰る事に成功したのだった。
若き日の信長、窮地の中で自ら部下を守るといういい話。
(ほぼ)一人殿軍なんて三国志の張飛じゃあるまいし……と思うが、信長公記にもしっかり書かれている実話です。

50 :
>>47
北信愛も教養人だったそうだしね

51 :
>>48
確かに頑張れば頑張るほど
「あいつでしゃばり過ぎ、」
となる当たりはそっくりだな
>>49
魔王様マジぱねぇっす
しかし義龍と戦ってたのは知らなかった

52 :
>>47>>48
主導した佐竹との養子縁組が結果論だけど
最後のトドメになっちゃったのは痛いと思う
まぁ、マーくんも信頼できんけどw
>>49
森パパ負傷ってあるけど指なくなっちゃったのはこの時だったのかな?

53 :
>>49
どの程度誇張されてるかはともかく、この頃の信長は大体いっつもそんな感じだよな
まあ、まだ国内に敵だらけの頃だし、美濃に連れ出せた兵力がそもそもどれくらいよ?と
総大将みずから〜とか言ってたらへそで茶が沸くような土豪の小競り合いみたいな規模で
時期的にも鉄砲数丁程度で十分相手ビビらせることが可能だったのもあるんじゃないかな

54 :
信長の多面性は……w
信長別人説、とか途中で入れ替わり説とか出てこないのが不思議なぐらい。
あ、小説とか漫画とかじゃあるっけ?

55 :
>>49
安心どころか気が気じゃなくなるだろw

56 :
>>49
嘘くせえ(笑)

57 :
天庵様の本拠地が竜巻でズタズタになってしまった(´・ω・`)ショボーン

58 :
滅びの兆しは、大豆の味噌汁に白き飯
かって小田原攻めの際、三河武士の大久保忠教たちから糠味噌汁を振舞われ、溜り醤油を足して
味を調えれば味良くならんと言って、吊し上げを食らった井伊直政の息子、夜叉掃門こと井伊直孝が
上野白井藩1万石の大名だった時、二代将軍秀忠の使いとして江戸から駿府に使いして大御所に
拝謁し、一連の報告を終えたあと大御所が尋ねた。
「何か面白き話でもあるか?」
「面白き話かどうかはともかく、近頃の小田原では、大豆の味噌汁が流行っております」
「ふむ・・・・・・大豆の味噌汁か。他には」
「城下の米が白くなりました」
「他には!」
「鯛の鱠と上方からのたまり醤油ももてはやされておりました」
「あいわかった。掃門、赤鰯に黒飯を忘れるなよ」
そういうと大御所は、井伊直孝との会見を終えた。
大久保忠隣没落の数年前の話である。
後年、井伊直孝は、「上に立つ者の心得は、兆しを捉えるの一事に尽きる。糠味噌が大豆味噌に
変わり、黒飯が白飯に、赤鰯が鯛の鱠に変わりしことに気づかぬようでは、家すら治められぬ。ましてや天下をや」
夜叉掃門こと井伊直孝のちょっと良い話

59 :
天庵様さえ御無事なら、立て直せます由

60 :
>>59
しかし天庵様自らが復興の陣頭指揮を取ってはならない

61 :
もう小田さんは休ませてやれよ……最後には城取り戻せなかったんだし……。

62 :
>>58
因縁のたまり醤油w
ひこにゃん学習したな
それに比べて大久保さんェ…
黄ばんだ褌の三河武士精神もダレはじめていたのか?

63 :
>>62
ぱぱにゃんの溜り醤油の話ってまだ権現様の小姓やってた頃だから
小田原攻めの時ではないのでは?
しかし相変わらずひこにゃんは深い話をするな

64 :
というかひこにゃんは何で自分の領地でも江戸でもない小田原の食生活の話を報告したんだろう
小田原だけが奢侈に慣れていっていたのか?

65 :
権現様の謎掛け論クオリティは晩年も健在か

66 :
>>64
江戸を出て小田原で休憩して箱根超えて駿府着いてだから、そこで知ったんじゃないの?

67 :
>>53
初期の頃は、一騎打ちで林通勝の弟を倒しているよ

68 :
豆味噌はまだ高級品だった時代だね

69 :
三河武士なら焼味噌ぞ

70 :
焼味噌とはなんと贅沢な・・・・
三河武士は普段の心構えがなっとらん!

71 :
金持ってないのが使わないと景気が悪くなるけどな。その点尾張様はわかっておられるようだが

72 :
 九州柳川の大名である立花宗茂は関ヶ原の戦いの時、大坂の奉行たちの要請に応じて
西軍に味方するために兵を率いて大坂へ向かった。その途中、瀬戸内海を渡っている際に
徳川家康から派遣された使者に出会った。その使者が持っていた家康からの手紙には、
味方すれば勝利の暁には50万石を与える約束が書かれていた。
 それに対し、立花宗茂は「すでに大坂に味方することに決めました以上、武士として心を
変えるわけにはいけません」と答えて、きっぱりと断った。家康からの使者は手紙だけを置いて
立ち去って行った。
 あとになって宗茂は家臣らに向かって、「恥ずかしいことよ。50万石という文字を見た時、
ふと心が迷ったわ」と言って笑い、家康からの勧誘の手紙を引き裂いて海に投げ捨てた。

73 :
まあ普通は迷いますわな
でも本当は迷わず断っただろと思ってしまうのは宗茂さんだからだろうか

74 :
>>71
戦国時代の質素倹約は合戦という大量消費があることが前提で行われていたのに、
江戸時代はそんな大量消費がないのにもかかわらず質素倹約求めちゃったからねい。

75 :
各藩の力を削ぐべく、参勤交代や普請で大名の大量消費ががが

76 :
>>75
そのへんは将軍の家臣として当然の義務であって、実際には大名の力を削ぐ云々は全く関係なかったりする。
天下普請に関しては忠義の証として、むしろ積極的に関わろうとしてた。

77 :
将軍の部下ではあろうが外様諸侯は家臣じゃないだろ

78 :
>>77
将軍から封土を保証されてるんだから大名は間違い無く将軍の家臣だよ。
鎌倉幕府で言うところの領土や身分の保証が「御恩」、それに対しての「奉公」が参勤や軍役や賦役。

79 :
中高生は黙ってろ

80 :
いまさら徳川至上主義とか、頭がカラッポなのをひけらかしているとしか

81 :
いったいどこが徳川至上主義なのやらw

82 :
大河ドラマ孕石元泰
子供時代に半年ぐらいつかってえんえんと家康いじめを繰り返す、最後は家康に復讐されて終わり

83 :
大河ドラマ毛利新助
桶狭間がクライマックス。

84 :
>>72
ドケチの家康のことだから50万石はありえないと判断

85 :
俺が立花宗茂なら、契約書は公正証書で作成して、江戸城に抵当権を設定させて、前田利長と浅野幸長を連帯保証人に立てさせるな。

86 :
>>72
もったいなかったなぁと部下の前で茶目っ気だしてみたんじゃないかな?

87 :
家名断絶フラグを華麗にスルーしたように見えなくも無い。雪の峠の佐竹とは異なり浪々したけど…

88 :
>>85
そしてひこにゃんに焼き捨てられる

89 :
家康「家臣が勝手に言った事、わしは知らないよ。」

90 :
三河の一向宗門徒「俺らが受けた仕打ちを知っていれば……和睦したら『元のままにする』という約束だったのに、
『寺が建つ前の元のままにする』とか……」

91 :
外堀だけ埋める約束だったのに内堀まで。。

92 :
織田信長の盆踊り大会(○○○もあるよ!)
時は天文年間、まだ信長が弾正忠家さえまとめられない小勢力だった頃。
当時の尾張第一の商業都市・津島で盆踊り大会を主催した。
人気取りの意味合いが大きかったのだろうが、そこは若い頃から派手好きの信長、ただ盆踊りをやらせただけではない。
庶兄や実弟とも争っているのに時間を作り、家臣はもちろん自分自身も扮装し、津島へ繰り出して踊りを町衆に見せにいった。
滝川左近(一益)らは餓鬼を演じ、平手内膳(馬の事で信長と喧嘩した、政秀の息子)らは鬼に。
前野但馬(長康)・飯尾近江守(後、桶狭間合戦で討死)は弁慶となる。祝弥三郎(豊臣政権時代でも大名らの前で狂言を披露した)は鷺に、といった按配。
そして信長自身は……。
天女の格好になり、小鼓を打って女人踊りを踊った。
いわゆるオカマダンスである(違)。
津島の人達もノリノリだったらしく後日、清須に来て信長らにお礼の踊りを見せた(津島伝統の「くつわ踊り」だった、と言われる)。
これに喜んだ信長、やってきた者達一人一人に親しく声をかけ、直々に扇子で扇いだりお茶を振舞ったりと応対。
町衆は感涙して帰っていった。
この後、津島ではしばらく踊りが流行になったとか。
殺伐には事欠かない信長の人生にも、こんな一コマがあったというお話。
尚、くつわ踊りは現代になって少子化の影響とかで一時途絶えたが、今は復活したそうです。

93 :
近江八幡の赤コンニャクの由来もそんなのだったな

94 :
信長は生涯お祭り男だったんだな

95 :
妙向尼、本願寺を救う。
森可成の正室は、出家名・妙向尼で知られる。彼女は、熱心な浄土真宗信徒だった。
が、ご存知の通り浄土真宗の本願寺は信長と長年に渡り戦争を続けた(俗に言う石山十年戦争)。
森可成とその長男・可隆の戦死にも本願寺の対織田攻撃が噛んでおり、妙向尼にとっては御家と信仰の狭間で苦しむ日々が続いた。
次男・長可は元気にヒャッハーし、三男・蘭丸らは信長に可愛がられているものの……。
さて、信長と本願寺の戦いは、最終的には信長優勢になり本願寺滅亡は明らかになりつつあった。
ここで本願寺は、織田家内の門徒(信長は、家臣らに浄土真宗信仰自体を禁じたりはしていなかった)を頼って講和を図ろうとした。
この時、信長に働きかけたうちの一人が妙向尼だったらしい。
そして天皇の勅命講和、という形で事態が落ち着くと決まった時、妙向尼は帰宅していた蘭丸に、
「信長様は今世の主君。法主様(顕如)は来世の救い主。どちらが勝とうと身の置き所がなかったのですが、よかった」
と安心した事を伝えた。
すると蘭丸は顔を曇らせ、信長がなおも本願寺を滅ぼす事を思案している、と伝えた。
実際、信長と本願寺は何度も和睦→破綻を繰り返しており、同じ事が繰り返され今度こそ本願寺が滅びる可能性は大いにあった。
まして本願寺側でも講和反対派が踏ん張っていたから、攻め潰す理由は十分あった。
蘭丸自身、自分の具足に『南無阿弥陀仏』と入れるほどの浄土真宗信徒であったから、つい母に苦衷を漏らしてしまったのだ。
驚いた妙向尼は、信長を訪ねて、
「どうしても本願寺を滅ぼすおつもりなら、命永らえても仕方ありませぬ。蘭丸・坊丸・力丸ら三人の子を仏敵とするよりも自害させ、この尼の浄土への供にしたいと思います」
と、一家心中をほのめかせて信長に哀訴した。
信長は困惑した。余人相手なら一蹴する所だが、森家は信長が尾張の小勢力時代から粉骨砕身した忠義の家。
そして妙向尼自身も、信長の仲介で可成に嫁いだといわれるほど親密な間柄。
しばらく苦悩した信長は、
「ええい! 三左(可成)の忠節と、そちの信心に免じて本願寺は助ける! これでよいな!」
と、森家には甘いよぶりを発揮。
本願寺は石山から退去を余儀なくされるものの、雑賀衆の内輪争いに巻き込まれた際には信長から護衛を出してもらったように、滅ぼされるどころか保護すら受ける事になる。
本願寺側も妙向尼に感謝したらしく、妙向尼に准如自らが賛を入れた画像を送り、没後の回忌は歴代の門主自らが主催し寺社全山を上げて行うようになったそうだ。
信仰を守った森家の母と、その恩を忘れなかった本願寺のいい話。
が、その後も森家には現世での阿弥陀の加護は薄かったのか、蘭丸・坊丸・力丸の三人は本能寺の変で討ち死に。長可もまた、小牧長久手で散った。
妙向尼はどんな思いで生きたのだろうか……?
……ちなみに信長が
「あれ? なんで一家心中を言った時に長可はスルーした?」
と、首を傾げたかは定かではない。

96 :
初陣から仏敵必至な働きだからしょうがないw

97 :
あれはもうどうしようもない、という諦めの境地

98 :
もう妙向尼が本願寺継いじゃえよ!

99 :
浄土の供に神の使いを食う(予定の)鬼とか嫌すぎるw

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