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2013年01月一般書籍26: 司馬遼太郎をあれこれ語る 35巻目 (322) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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司馬遼太郎をあれこれ語る 35巻目


1 :2013/01/01 〜 最終レス :2013/01/15
前スレ
司馬遼太郎をあれこれ語る 34巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1352082667/l50
〔項羽と劉邦/長安から北京へ/対談・中国を考える〕

2 :
【過去ログ】
司馬遼太郎をあれこれ語る 29巻目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1314512612/
〔梟の城/上方武士道/空海の風景/鬼灯/風神の門〕
司馬遼太郎をあれこれ語る 30巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1318845804/
〔胡蝶の夢/最後の伊賀者・兜率天の巡礼ほかの短篇〕
司馬遼太郎をあれこれ語る 31巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1325657994/
〔竜馬がゆく〕
司馬遼太郎をあれこれ語る 32巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1336720073/l50
〔菜の花の沖〕
司馬遼太郎をあれこれ語る 33巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1346486590/l50
〔燃えよ剣/新選組血風録/幕末〕

3 :
>>1
お疲れ様でございます。

4 :
元日に新スレとは、めでたい。おめでとうございます。

5 :
韓のくに紀行
モンゴル紀行
人間の集団について

6 :
>>1
乙〜

7 :
>>5
もういいです。

8 :
元日から司馬遼太郎なの?

9 :
『韓のくに紀行』は、週刊朝日の昭和46年7月16日号−昭和47年2月4日号に連載された。
基礎になった旅は、昭和46年5月15日から5月18日までの4日間の韓国旅行である。
たった4日間の旅で、このボリューム。おそれいった。

10 :
[朝鮮半島地図]
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/02/ba/ryojpgo/folder/559322/img_559322_25358316_0?1324568792
三国時代前半の朝鮮半島略図
http://stat.ameba.jp/user_images/20110122/00/ikushimadakkan/64/a6/p/t02200277_0658082710997486897.png
三国時代後半の朝鮮半島略図
http://stat.ameba.jp/user_images/20110130/02/ikushimadakkan/dd/67/j/t02200254_0247028511014240805.jpg

11 :
>>9
『街道をゆく』は第2巻から始めるの?
第1巻はやらないの?

12 :
>>11
街道は全集に収載された順序でやろうと思っているので、単行本・文庫本の順序と異なることがあります。

13 :
「韓のくに紀行」は第2巻、「モンゴル紀行」は第5巻です。
第1巻に収載された街道は「湖西のみち」「竹内街道」「甲州街道」「葛城みち」「長州路」の五篇でした。

14 :
『街道をゆく』の最終巻は、司馬さんが終戦を迎えた地である「佐野から関東平野へ」
という構想だったそうだが、未完に終わってしまったな。

15 :
第1編 【加羅の旅】
第1章 韓国へ
この章は、日本国内におけるお話。旅行社のミス・チャ(車)との会話。
「日本人も朝鮮人も一つだ」といった感じの無邪気な発言にすら、「それは日韓同祖論か?」
と過剰に反応(しかも相手は旅行社の顧客)してしまう韓国人の姿が描かれる。

16 :
        ∧__∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ∩`Д´><  つまりゴウヘイ(合併)しようとおっしゃるかニダ?
□………(つ  |  \_______________ 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

17 :
京城駅
http://ccce.web.fc2.com/si/img/b10.jpg
高麗青磁のような屋根の家屋があるだろうか?
http://ccce.web.fc2.com/si/img/b12.jpg
京城駅から見た禿山
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200802/23/34/e0140334_15235912.jpg

18 :
ミス・チャのふるさと高霊にある伽耶山。
なお、高霊は慶尚南道にあると書かれているが、慶尚北道の誤りである。
http://homepage2.nifty.com/tabuchi_family/korea2011/3-kayasan.jpg
[地図]
http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.files/title-map-large2.jpg
高霊の町並み
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/daegaya04.jpg
なお、高霊郡はいにしえの大加耶国の王都である。

19 :
李恢成氏と著書「伽耶子のために」
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1f/9f/mitosya/folder/1127459/img_1127459_28013520_0?1245995587
http://pub.ne.jp/Sightsong/image/user/1289433208.jpg

20 :
“日本帝国主義支配三十六年”
★36年の日本帝国主義支配のせいで
★朝鮮半島の人口が2倍に増えて
★24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて
★人口の30%を占めていた奴隷が開放されて
★幼児Rや幼児売買が禁止されて
★5200校以上の小学校がつくられて
★師範学校や高等学校が、あわせて1000以上つくられて
★239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって
★大学が造られて、病院が造られて
★日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに
★朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされていて
★志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって

21 :
俺も司馬さんと同じくウラル・アルタイ語族という概念に慣れてしまっているのだが、
どうやら現在ではウラル語族とアルタイ語族との関連性は否定されているようである。
本文に出てくるフィンランドやハンガリーはウラル語族。
なお、日本語・朝鮮語をアルタイ諸語に含めるのも、そういう学説があるというだけで
通説ではないようである。

22 :
百済郡の健郡は、百済最後の王・義慈王の王子・善光が難波に定住するようになったことと関係する。
なお、善光の兄・豊璋は日本の朝廷から兵を借りて百済に帰国し、白村江の戦いで大敗を喫して
高句麗へ逃亡した人物である。

23 :
在日朝鮮人にしても、被差別Rにしても、差別されたことのない側からみると、
「えっ?こんなことで差別されたと感じるの?」と思うような些細というか意外なことで
被差別意識をもつようだ。自意識過剰というほかないのだが、庶民同士におつき合い
のレベルでなら、相手の日本人も我慢できないことはない。
しかし、政治問題として韓国が“日本帝国主義支配三十六年”を出してくるのであれば、
日本政府は自国の立場の正当性を主張していかなければならないな。
自意識過剰を国家の外交レベルにまで持ち込まれては、かなわない。

24 :
>>15
加羅の旅とはいうものの、前半はずっと対馬藩の対朝鮮外交の話だな。

25 :
南北朝鮮がここまで色合いの違う国になってしまうと、統一しなくてよいような気もするが、
北朝鮮の国民の不幸を思うとき、金王朝は遅かれ早かれ滅亡させなければならないであろう。
その前提として、北朝鮮の保護者である中国共産党の一党独裁を終了させる必要がある。
梃子になるのは、香港だろうな。香港のような自由と民主主義が欲しいと中国の国民が願うことが梃子になる。
そして、中国共産党の支配が動揺し、内乱になる。金王朝を撲滅するのは、その機会だな。

26 :
韓流ファンか、韓国企業が取引先ででもないかぎり、
ふつうの日本人は、一年のうち5分ぐらいしか韓国のことを考えないよ。

27 :
>>14
「私の関東地図」という司馬作品にしてはやけにセンチメンタルな私小説があるな。

28 :
第2章 釜山の倭館
飛行機は釜山空港に到着しているのだが、これから訪れようとしている倭館跡についての前説が長い。

29 :
昭和4年生まれの「私の家内」が読んだ国定教科書は、第4期の通称「サクラ読本」であろう(昭和8年から15年)。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/t-kyoudo/jpeg/2room/kokutei/IMGA0302-2.jpg
次の第5期国定教科書が、「アカイ、アカイ、朝日、朝日」という戦後の朝日新聞を予言した通称「アサヒ読本」である。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/t-kyoudo/jpeg/2room/kokutei/IMGA0300.jpg

30 :
「この島(対馬)の北端の韓崎」とまるで岬のように書かれている韓崎であるが、実際には小島である。
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/waniura5.jpg
韓崎という小島に渡るには小舟が必要なので、おそらく韓崎に立って釜山を見る人は少ないと思う。
しましまあ対馬から見た釜山の夜景は下のようである。
手前にある島は、航空自衛隊の基地がある海栗島である。
http://livedoor.blogimg.jp/tsushima_taikou/imgs/8/3/83f09404.jpg?474eebfa
釜山の街中に炎があがっているが爆撃されたわけではなく、花火大会である。
http://livedoor.blogimg.jp/tsushima_taikou/imgs/a/3/a3f8e66b.jpg?5597a900

31 :
褌すがたで朝鮮や明国を襲った倭寇。褌すがたの三島由紀夫である。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/5c/bc/honeymoon_stardust2006/folder/1174449/img_1174449_35794293_0?1313793045
福島次郎「三島由紀夫―剣と寒紅」には、次のような三島由紀夫の姿が描かれている。
みずからのヌードの生写真を小包で送りつける三島由紀夫。
強く抱きしめると、女みたいな甲高い甘い声で呟く三島由紀夫。
ふんどしひとつの姿で「尻を触ってみろ」と誘惑する三島由紀夫。

32 :
数種類のこっている倭館図の画像
http://matsu.rcks.kyushu-u.ac.jp/past/2008/p/study/13tsusinsi-kenkyu/1chousentsuusinsi/1wakan/wakan_zu.html

33 :
>>27
なぜか評論随筆枠で語られてしまう「私の関東地図」であるが、小説だよな。
しかも作者が主人公でラストで大泣きしてしまう。
司馬作品のなかでは、ある意味もっとも驚いた一作であった。

34 :
>>14
「私の関東地図」は
“その後、箕輪にも佐野にも、あるいは九十九里浜というところにも行っていない”
の一行で締めくくられている。
これを読むと、「街道をゆく」の最後の旅は、
九十九里浜で終わらせてあげたかったと思うね。

35 :
先日から「竜馬がゆく」を読み始めたんだけどさ……。
なにこのハーレムラノベ。

36 :
>>33
たしか涙で濡れた顔を海水で洗うシーンがあったと覚えていたんだけど、
佐野に海はないはずだと自分の記憶に自信がなかった。
と思っていたら、佐野から九十九里浜に移動してたのね。やっとわかった。

37 :
『歴史の舞台』の文庫本には「イリ十日記」に関する写真がふんだんに載せられている。
トルスングリさんの写真もある。若くてスタイルもよくてどちらかというと可愛らしい顔ではある。
しかしこの程度の顔で、故障したトイレの修理の手配をしてくれなかったら、腹は立つと思う。

38 :
>>37
紡績工場で働くウイグル人女性の写真もグラビアにある。
風景や動植物や物品は写真があった方がわかりやすいけど、
女性は顔ではなく後ろ姿の写真の方が作品のイメージを壊さないと思う。
司馬遼太郎という人は女性の容姿を手放しに褒める癖がある。
後日その方の写真を拝見して首をひねることが多い。

39 :
>>38
こういうことをいつもやっていると、創作上の人物であるお田鶴さまのような人まで、
実はブスなのではと疑ってしまうようになる。

40 :
第3章 倭城と倭館
司馬さんの釜山での目的は対馬藩の倭館跡を見学することであったが、
ガイドのミセス・イム(任忠実)の勘違いにより、壬辰ノ倭乱の倭城に案内されてしまった。

41 :
ミセス・イムは日本の財界人の韓国旅行のガイドもしたようで、後日日本に招待された。
招待側のひとり石橋幹一郎は、鳩山由紀夫・鳩山邦夫兄弟の伯父である。
はじめて写真を見たが、邦夫に似ている。
http://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080shisei/2010shoukai/3020profile/images/1-6.gif

42 :
ミセス・イムの母は、閔妃(明成皇后)の一族で、忘憂里共同墓地に眠っているそうである。
閔妃は『対談・中国を考える』に出てきた。親日派の大院君と敵対していた親露派の頭目である。
http://blog-imgs-34.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/588858.jpg
忘憂里共同墓地には、日本人の墓もある。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bluetears_osaka/20100215/20100215131342.jpg

43 :
ミセス・イムは戦時中は上海の日本人租界にある上海日本高等女学校に通っていたようである。
http://red.ap.teacup.com/hangui/timg/middle_1191623097.jpg
上海租界には終戦直前には10万人の日本人が居住していた。

44 :
司馬さんたちが宿泊した釜山市東莱区の中洞極東ホテルは見つからなかった。
40年以上前のことなので、ホテルの名称が変わったか、廃業したのかもしれない。
詳細はわからない。現在の東莱の様子。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/11/Dongnae-gu_BUSAN.PNG
http://nekonote.jp/korea/fukei/tongne/01.jpg
http://nekonote.jp/korea/fukei/tongne/04.jpg
http://nekonote.jp/korea/fukei/tongne/nosin02.jpg

45 :
ホテルの窓から見えた金井山
http://www.pusannavi.com/miru/1054/#
そこから一行は釜山の市街に引き返し、倭城に向かいました。
はじめに行ったのが釜山鎮城で、次に行った動物園が釜山鎮支城であろうと思われます。
文禄・慶長の役の最初の戦闘である釜山鎮の戦い(1592年4月13日)は、
日本軍の圧倒的な勝利に終りました。日本軍の指揮官は、対馬の宗義智です。
翌14日の早朝、宗義智は東莱城を攻撃しました。

46 :
釜山鎮城の朝鮮側の守将が鄭揆になっていますが、鄭撥の誤りです。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6d/WakouLandingColor.jpg/394px-WakouLandingColor.jpg
釜山鎮城から見た釜山の工業地帯
http://art10.photozou.jp/pub/810/66810/photo/8211945.jpg
釜山鎮支城…毛利秀元が作 り、小西行長が使ったといわれる。
http://www.pusannavi.com/miru/1127/#

47 :
日本風の石垣が残るこの丘は子城台公園と呼ばれ、現在は、簡単な運動が出来る施設、
そして園内をぐるっと一周できる形で作られた散歩道などがあると書かれていますが、
動物園はなくなったのかもしれませんね。

48 :
高麗による対馬への侵略は、1389年に行われています(康応の外寇)。
李氏朝鮮も、1419年に侵略戦争を行っています(応永の外寇)。

49 :
第4章 釜山にて
対馬の対韓外交。とくに慶応4年、明治維新後の対韓外交は、征韓論や江華島事件につながってゆく。

50 :
対馬藩の本土における領土は、筑前国・豊前国・肥前国だけでなく、下野国にもあった。

51 :
元禄期の対馬藩の奉行・陶山庄右衛門は、訥庵の号とイノシシ退治で有名です。
雨森芳洲とは木下順庵の同門で、友人でもありました。

52 :
対馬は朝鮮に朝貢していたから韓国の領土であると主張する朝鮮日報の論理からすると、
中国に朝貢していた朝鮮は中国の領土ということになる。
どうしてこういうバカなことを平気で口にすることができるのか、不思議である。
半島すべてを精神病院にすべきである。

53 :
“皇祖・皇上”の文言を含む日本の親書が受領拒否された後、新政府の外務省から朝鮮へ派遣されたのは、
佐田白茅(久留米藩士)、と森山茂である。これが明治3年3月のことであるが、この紀行では「三人の外交官」
で「うちひとりは天誅組生き残り」とある。

54 :
>>53
>三人の外交官
明治3年3月の佐田白茅と森山茂の派遣は、調査団という名目だよ。
明治3年10月に、外務卿・沢宣嘉の国書を携えた外務権少丞の吉岡弘毅が正式に派遣されている。
その随員が森山茂と広津弘信だ。合計三人。「韓のくに紀行」に書かれているのは、こっちだろう。
ただし、この3人のうちの誰が天誅組の生き残りなのかは知らない。

55 :
韓国では「服装だけは頑固に変えず、いまなお、この釜山市で一目瞭然であるように、
老若男女の多くが、その「俗」を守りつづけている」とあるが、韓国で日常の服装として
韓服が着用された最後の時期が、司馬さんのこの旅行の時期だと思われる。

56 :
で、いつになったら倭館跡を見学するんだ?

57 :
第5章 李舜臣
釜山市の地図
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/7f/35b840887a37ed1c086aad3035bc1c9d.jpg
西面駅と竜頭山公園の位置を確認してください。
司馬さんが運搬した「中戦車」とは、九七式中戦車(チハ車)。
http://www.iatriahealthcenter.com/d/97m.gif

58 :
竜頭山公園と李舜臣銅像の画像がたくさんあります。
http://yutaka901k.choitoippuku.com/page12.htm
「両朝平攘記」とありますが、正しくは「両朝平攘録」です。

59 :
玉浦の海戦
この本でも、韓国ドラマ『不滅の李舜臣』でも、敗れたのは藤堂高虎になっていますが、誤りです。
藤堂勢の朝鮮渡海は七月以降で、五月初旬には壱岐・対馬で兵員の輸送任務に当たっています。
後世の軍記物「朝鮮征伐記」が文禄の役と慶長の役を混同したために誤解が発生したようで、
藤堂氏側は訂正を主張したようですが、水戸藩の川口長孺が訂正しなかったため、誤りが定着してしまいました。
『不滅の李舜臣』
元均http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/leess/image/016.jpg
藤堂高虎http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/leess/image/021.jpg
脇坂安治http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/leess/image/019.jpg

60 :
唐浦の海戦(1592/6/2)
6月2日朝、李舜臣は唐浦に停泊中の来島通之・亀井茲矩率いる20余隻の船団を攻撃し、来島通之を戦死させた。
閑山洋の海戦(1592/7/8)
脇坂安治は抜け駆けをして7月7日に巨済島へ単独出撃
脇坂艦隊は李舜臣の迎撃を受け大きな被害を出し、脇坂安治も窮地に陥るが、機動性を生かして撤退(1592/7/8)
脇坂の抜け駆けを知った九鬼嘉隆と加藤嘉明の水軍は7月6日に釜山出帆
安骨浦に日本艦隊が停泊しているとの報告を受けた李舜臣は、10日に停泊中の日本艦隊を襲撃
攻撃を受けた日本艦隊は夜の内に安骨浦を脱出して帰投し、朝鮮水軍も翌日から根拠地へ帰投

61 :
以上が文禄の役における海戦です。
露梁津の海戦は慶長の役の海戦ですが、朝鮮の役のなかで最大の海戦です。
秀吉没後に小西行長軍を中心とする陸兵を帰国させる途上で起きた海戦です。

62 :
明治38年の日本海海戦の前に、鎮海湾で川田功少佐(当時は少尉)が李舜臣の霊に祈った、
という話は、川田功の小説のなかに出てくる話なのかもしれません。
申し遅れましたが、川田功少佐は退官後、小説家になられています。

63 :
>>56
“帰国してから調べてみると、うかつなことにこの竜頭山はなんと対馬藩の倭館の構内だったことを知った。”
宗氏が建立した金刀比羅宮が現存しないのは本文に書かれているとおりですが、
その後継となる龍頭山神社は、戦前は残っていたようです。
http://www.genbu.net/haizetu/old/ryutou_title.htm

64 :
>>63
これ本当は帰国してから調べたんじゃなくて、旅行前から地図で調べていたと思うよ。
「街道をゆく」は、偶然の出来事じゃなくても、わざと偶然の出来事のように書くことが、よくある。

65 :
>>64
書いてあることを素直に認めてやれよ。
しかし、「倭館、倭館」と連載5回も引っ張っておいて、
「おや竜頭山公園は、倭館跡だったんですか」というオチは、いかにもくさいな。
結局、ミセス・イムは客が希望していた倭館を倭城と勘違いしたまま、倭館へは連れていかなかったということだからな。
あれだけ「倭館、倭館」と騒いでいたんだから、旅行中も、司馬は「倭館へ連れてゆけ」と強く希望したはずだ。
おかしい。

66 :
文章の好みでいうと、昭和45年から50年あたりが
密度の濃さと判りやすさのバランスが良くて
ピークかなという気がする。

67 :
第6章 駕洛国の故地
朝鮮人が漢民族風に改姓した始めは、新羅の武烈王(7c)であるといわれている。

68 :
百済から来た阿直岐を祀ったとされる阿自岐神社
(滋賀県犬上郡豊郷町安食西663)
http://kamnavi.jp/en/oumi/ajikij1.jpg
http://kamnavi.jp/en/oumi/ajikij2.jpg
http://kamnavi.jp/en/oumi/ajikij3.jpg
阿直岐は、東漢氏の祖といわれる阿知使主と同一人物ではないかといわれている。

69 :
『対談・中国を考える』のあとがきには、司馬さんの大阪外語時代のモンゴル語の先生の名前が
書かれていませんでしたが、ウルトンバートル先生であることが判明いたしました。

70 :
東莱で一泊した後に、金海に向かいます。
本文に登場する東莱市場の画像です。
http://stat001.ameba.jp/user_images/20090603/04/haruai02/44/30/j/o0478031810190648957.jpg
http://stat001.ameba.jp/user_images/20090603/04/haruai02/d5/fb/j/o0500033110190648967.jpg
釜山と金海の位置関係は、下の地図を参照せよ。
http://www.kampoo.com/travel/bus/map.htm

71 :
洛東江は韓国最長の河川で、川の名の由来は駕洛国の東を流れるからである。
伽耶連合国にとって、この大河が南進する新羅軍に対する防衛ラインになっていた。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/22/92/90/lrg_22929023.jpg?20120118235629

72 :
北朝鮮の金錫亨教授…写真右の人物
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/06/20080530j003.jpg
江上波夫のいう「崇神天皇=ミマキイリヒコは任那から来た」は、おやじギャグの類ですから、
こういうことを言う人がいたら、笑ってあげるのが思いやりというものですよ。

73 :
第7章 金海の入江
われわれは、金海の穀倉地帯を走っている。
http://oppegama.blog.ocn.ne.jp/oppegama/images/2011/10/15/dscn4495_4.jpg

74 :
楊樹の葉とポプラの葉をハンカチで作って云々の話が出てくるが、画像で比べるのが早い。
と思うのは今の人。むかしは、便利でなかったがゆえに、この章の司馬氏とミセス・イムのように
男女がイチャイチャすることもできた。
楊樹の葉http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/13/70/52/lrg_13705284.jpg?20100812110309
ポプラの葉http://poplar-trees.up.d.seesaa.net/poplar-trees/image/DSCF0351_R1024-thumbnail2.jpg?d=a0
ぜんぜん違うやんけw

75 :
オランダの画家メインデルト・ホッベマ(Meindert Hobbema)が描いた田園の風景に似ている
http://pds.exblog.jp/pds/1/200606/11/45/b0089045_21585445.jpg

76 :
六伽耶の位置関係
http://www.bell.jp/pancho/travel/korea-2/images/korea-74.jpg
金首露に関しては、3年前にドラマ化されている。
『鉄の王 キム・スロ』(原題:「金首露」)
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6d/bd/marieru_i/folder/955703/img_955703_43210501_2?1332336867

77 :
サブタイトルになっている入江がどこだかはわからないが、金海市の地図を見れば想像がつく。
金海市は洛東江がつくった沖積平野であるが、問題の入江は洛東江の支流が本流から切り離されたために、
海水だけが入ってくる細い入江になったものだろう。注意して見ないと地図では川にしか見えない。
下の画像は本流の中洲から写したものであるが、雰囲気はこんな感じではなかろうか。
[地図]http://busannavi.jp/city/map.php?it_id=1318560757
http://lh6.ggpht.com/_dRLqECnBN0M/TOuRUy2_WeI/AAAAAAAABxA/Vjbo5bwA3bY/s640/20101123river5.jpg
http://lh5.ggpht.com/_dRLqECnBN0M/TOuRfYUIeBI/AAAAAAAAByQ/6KSZN9f9W0Q/s576/20101123river25.jpg

78 :
「項羽と劉邦」で韓信の世話をしていた小蛾という女性は、もう少し出番があってもよかったのにな。
一回こっきりだったね。

79 :
>>78
『風神の門』の小若みたぁにフェイドアウトしただぎゃあ。

80 :
第2編 【新羅の旅】
第8章 首露王陵
ここから第2編「新羅の旅」なんだが、場所は前章と同じく金海。
新羅のシの字も出てこない。厳密には次章から、新羅の旅。

81 :
>>80
こういうのって、男子トイレ7個と女子トイレ1個を一部屋に収めたみたいで、すごく嫌だよな。

82 :
しょっぱなに竜谷大学図書館の屋根が瓦葺きか銅葺きかという話が出てくるが、
現在の建物よりも、二つか三つ前の建物の話なので、パス。

83 :
>>82
そのような現存しない建造物等の画像を執拗に追っかけるのが、このスレの仕事だぞ。
さぼるな。

84 :
この章前半の中心人物である写真家・井上博道さんは、昨年12月12日にお亡くなりになりました。
お別れ会は、1月18日午後2時30分から奈良市春日野町101の奈良県新公会堂で行われます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/3a/85161d38ed000436f2a715b1ccded66b.jpg

85 :
井上博道さんが学生時代に使っていたのと同じリコーフレックス
http://www.hayatacamera.co.jp/images/gallery/2007/200709_camera1L.jpg

86 :
井上博道さんが学生時代に通った西本願寺唐門。伏見城の唐門を移転したものです。
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/img/kara_l.jpg
日光東照宮の陽明門
http://totitabi.ame-zaiku.com/nikkou/tousyougu/10/01-00.jpg

87 :
駕洛楼
http://inoues.net/korea/korea_shuro09.jpg
首露王陵
http://inoues.net/korea/korea_shuro13.jpg
三跪九叩頭の礼
http://www.youtube.com/watch?v=9BUet7LouPE
尺取虫の動きに似ていて、ものすごく気持ち悪いです。
日本でやっているとR中毒患者と勘違いされますので、けっして真似しないでくださいね。

88 :
>>83
あったぞ。
龍谷大学大宮図書館の画像があった。司馬さんが話題にしている図書館がこれならば、
正解は瓦葺きだな。
昭和48年に竣工した図書館を新深草図書館というから、おそらく大宮図書館で間違いない。

89 :
龍谷大学大宮図書館
嬉しさのあまり画像を貼るのを忘れとったわい。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/de/4c/hondacp77/folder/1493275/img_1493275_59869379_11?1286666868

90 :
第9章 新羅国
ここからが新羅の旅。旧新羅の王都・慶州に到着しました。
http://www.uraken.net/world/korea/kei16.JPG
http://www.uraken.net/world/korea/kei22.JPG

91 :
慶州朴氏は赫居世の子孫を名乗っている。
朴一族は創氏改名の時代に日本名を名乗ることになったとき、
赫居世が新羅国を建国したことと蘿井という井戸に近い場所で生まれたという故事から
新井姓を通名として使用する事を好んだ。
また、朴の字を分解した「木下」姓を名乗ることも多い。

92 :
水城跡
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/library/guide/rekisi/sitei/img/01mizukiato1.jpg
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/library/guide/rekisi/sitei/img/01mizukiato6.jpg
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/library/guide/rekisi/sitei/img/01mizukiato7.jpg
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/library/guide/rekisi/sitei/img/01mizukiato9.jpg

93 :
d松源一は、大阪外国語大学のモンゴル語の教授。
同教授が刊行した「新蒙日辞典」(昭和34年)
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/014/780/74/N000/000/003/129728180213516215672_DSC_0238.JPG

94 :
周防の大内氏は、百済の斉明王の第三皇子・琳聖太子の末裔であると自称しているが、
周防国で周防権介を世襲した在庁官人の出であること以外、実態は不明である。
百済側の史料には琳聖太子の名前はなく、架空の人物であると言われている。
なお、斉明王は聖明王の誤りである。

95 :
新羅の工芸品は、慶州民俗工芸村に多くが展示されている。
http://www.pusannavi.com/miru/1080/

96 :
第10章 慶州仏国寺
韓国から修学旅行で日本に来た韓国人中学生が、広隆寺の弥勒半跏思惟像を拝観して、
「これも日本が韓国から掠奪したものだ」と言ったそうだ。
日本の新聞は、「ごくさらりとした好意的な書き方」をして、この事実を紹介したらしい。
40年以上も前から、韓国人と日本の新聞はバカだった。

97 :
秦氏は、この作品では朝鮮からの渡来人になっている。
『兜率天の巡礼』では、ユダヤ人だった。

98 :
立命館大学のわだつみの像は、昭和44年、全共闘に破壊された。
昭和51年に再建立されたわだつみの像。
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/55/6f/azyirms/folder/932404/img_932404_32743907_1?1332249450
司馬さんは、日本の全共闘と怒れる朝鮮人が、そっくりだと言っておられる。適切である。

99 :
現在の仏国寺は、昭和48年に一部が再建された。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kocha/meisatsu/data/pulguksa/pulguk1.jpg
http://www.jade.dti.ne.jp/~kocha/meisatsu/data/pulguksa/pulguk2.jpg
http://www.jade.dti.ne.jp/~kocha/meisatsu/data/pulguksa/pulguk3.jpg
20世紀初頭の写真
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Bulguksa_in_1914.jpg/355px-Bulguksa_in_1914.jpg

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