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2013年01月戦国時代114: 少弐氏について語ろう (308)
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織田信長の一日〜八日目〜 (630)
少弐氏について語ろう (308)
【権六】柴田勝家 その2 (457)
イケメンだった戦国武将 (748)
織田信長は過大評価されすぎ11 (920)
滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか (538)
少弐氏について語ろう
- 1 :2007/05/04 〜 最終レス :2012/12/30
- 歴代当主ほとんど戦死。戦争に勝ったことすらほとんどない。
しかし戦国まで続いた大宰府少弐氏である。
とりあえず勝った戦いおしえてくれ
- 2 :
- 弐
- 3 :
- http://same.u.la/test/r.so/hobby9.2ch.net/sengoku/1162216015/l10n
- 4 :
- 家臣の馬場頼周が謀略で龍造寺を壊滅状態に追い込んでるね
- 5 :
- 初代武藤資頼、二代少弐資能(弘安の役で受けた傷が元で戦死)、三代少弐経
資、四代少弐盛経、五代少弐貞経(有智山城で戦死)、六代少弐頼尚(筑後川
の戦いで菊池に敗北、少弐衰退の一因をつくる)、七代少弐直資(筑後川の戦
いで戦死)、八代少弐冬資(今川貞世に謀殺される、水島の変)、九代少弐頼
澄(北朝の菊池に反抗するも敗れ亡命、死亡か)、
- 6 :
- 十代少弐貞頼(豊前守護職を大内氏から奪い取るも病死、毒殺かも)、十一代
少弐満貞(大内氏に討たれ筑前秋月城で戦死)、十二代少弐資嗣肥前与賀庄の
戦いで戦死)、十三代少弐嘉頼(少弐氏再興のため大友と結び戦うが大内氏と
の戦いで戦死)、十四代少弐教頼(応仁の乱で東軍につき戦うが高祖城におい
て大内氏に敗れ戦死)、
- 7 :
- 十五代少弐政資(大内氏に奪われていた筑前・筑後を一時回復し少弐氏再興
を果たすが結局大内氏に敗れ専称寺において自害)、十六台少弐高経(父政
資より三日長く生きたため当主とする、政資とともに討たれる)、十七代少
弐資元(大友氏や竜造寺家兼の助けもあり一時的に勢力を回復し、大内義隆
と和議を結ぶがこれは謀略で結局自害する)、
- 8 :
- 十五代少弐政資(一時的に筑前・筑後を回復し少弐氏再興を果たすが結局大内
義興に敗れ専称寺で自害)、十六代少弐高経(政資より三日長く生きたので当
主、しかし結局大内に討たれる)、十七代少弐資元(大友氏や竜造寺家兼の後
ろ盾もあり大内氏と和議を結ぶがこれは謀略で、結局大内義隆に攻められる前
に自害)、
- 9 :
- 十八代少弐冬尚(竜造寺家兼に助けられ少弐再興を果たすも、馬場頼周の諫言
を信じ竜造寺一族を討つ、結果的にこれが少弐滅亡の要因となった、1559年竜
造寺隆信に攻められ勢福寺城で自害、しかし生き延びたという説もある)、
十九代少弐政興(一般的に政興は投手として認められていないが、大友宗麟と
結んで少弐再興を目指すも肥前中野城で竜造寺隆信に降伏)
- 10 :
- 少弐氏を見ると大内氏が偉大に見える
- 11 :
- グドンとツインテール
- 12 :
- 一族衆
少弐景資(二代少弐資能の三男、文永の役で敵の副将劉復亭を討ち取る、しか
し霜月騒動で兄の資能に討たれる)、千葉胤頼(少弐資元の次男か三男、1559
年兄の冬尚とともに竜造寺隆信に討たれる)
その他もろもろ
- 13 :
- 太宰大弐て官職あるけど、大弐家ているの?
- 14 :
- 少弐政資が大宰府を回復した後、大内義興が幕府から太宰大弐の位を
幕府から得て少弐攻撃の大義名分ができた、のでその時に大弐と名乗っても
いいはず・・・だが正確には名乗ってなっかったと思う
- 15 :
- 武家で大弐だったのって大内だけじゃない?
- 16 :
- 少弐政興と千葉胤頼(少弐資元の子)の系統が生き残ったはず、現在でも少弐という苗字は全国に10軒ほど残っているはず
- 17 :
- 少弐政興と千葉胤頼(少弐資元の子)の系統は生き残った、今でも少弐という苗字は全国に10軒ほどあるらしい
- 18 :
- かぶった
- 19 :
- >>18
かぶった、ってw
おまえひとりなのに
- 20 :
- 五代少弐貞経は精力絶倫で20人ほどの子があったらしいが
皆有智山城で菊池に滅ぼされたのか?
誰か知らないか
- 21 :
- 自己解決した、一族郎党ほとんど討ち死にということらしい
このスレ自分しか書き込んでないのでだれか質問でもしてくれ
- 22 :
- 大内氏は、筑前を奪取する大義名分を得るため、公家に多額の献金をして、
太宰大弐の官職を得て、少弐は先祖が太宰少弐だったことから名乗っているのに対して、
その上だと誇示したところが面白い。
- 23 :
- 少弐ってなんで弱いのに筑前とか筑後とかの守護に代々なれたんだろ?
- 24 :
- 元寇の時、日本軍の総大将として奮戦したんだぞ
- 25 :
- 弱いとか、馬の骨が戦国大名の強弱論を語るなよ。
- 26 :
- すまんかった、つい口が滑った
おわびに武勇伝を一つ
少弐資時(三代少弐経資の三男、文永の役で十二歳で初陣、このとき先陣に
立ち鏑矢を放つがそれが元・高麗連合軍のあざけりの対象となった話は有名、
弘安の役にも壱岐の守護代として出陣、壱岐にて元の東路軍と戦い激戦の末
守備隊全員が玉砕、若干十九歳であった)
- 27 :
- 非国民は腹斬ってR
- 28 :
- 少弐一族の肖像画って見たことないんだが、どっかにあるのか?
- 29 :
- 歴代当主がほとんど真っ当な死に方をしていない、凄いな。
- 30 :
- 要するに何百年かかっても大内を越えられなかったダメ豪族
対馬の宗や肥前の江上・神代とか動員できる戦力は決して小さくはないのに
無能続きだったまさに滅びるべくして滅びた一族
- 31 :
- 蒙古襲来の時の絵巻に少弐景資が描かれていたはず、他は知らぬ
- 32 :
- 少弐武藤(詳しい系図関係は不明、筑後川の戦いで戦死)
- 33 :
- 筑後川の戦いも大友少弐連合軍五万で、一万に満たない菊池軍に敗退しているし戦下手は否めない
- 34 :
- 嘉頼の死因は不明で、高経は政資より先に死んだって記憶があったが
まあウェブ経由の情報しか知らんが
朝日氏とか横岳氏ってどうなったんかな
勝ったのは大内盛見倒したときと田手畷ぐらいか
- 35 :
- 確かに嘉頼は1444年に対馬で死去している。スレ立て者として誤った情報を書いて申し訳ない。
高経が大内氏に討たれたのは1497年4月21日、父政資が自害したのは4月19日でわずか3日だが高経のほうが長く生きてる。
- 36 :
- 田手畷の戦い
1530年北九州で起きた大内氏と少弐氏の戦い。1497年少弐政資を自害させ、少
弐氏を肥前の小領主にまで追い詰めた大内義隆は、少弐氏にとどめを刺すべく
少弐資元の居城勢福寺城を攻撃するも竜造寺家兼、馬場頼周、鍋島清久などの
諸将が奮闘し、鍋島清久の赤熊軍団(詳しくは忘れたがお面をつけて奇襲をか
けたという)の活躍などあり大内氏を敗走させた。
この後、勢いに乗った少弐氏は大宰府に侵攻するなど、一時精力を回復するが
1535年大内氏当主の義隆が自ら大軍を率いて出陣してくると、竜造寺家兼の裏
切り?もあって結局資元は自害。
- 37 :
- 田手畷の戦いで大内方は横岳資貞、筑紫尚門らを戦死させてるが
どちらも少弐氏の一族という悲劇。
- 38 :
- 少弐冬尚の誕生年って1527〜1529年とするものが多いのですが、父親が年取りすぎている気がする
のですけど・・・。兄弟も1530年以降の生まれみたいなのでつじつまはあっているようですが、
定説ってあるんですかね・・・。天下統一とか戦国史では1510年を生年と設定してますけど。
ご存知の方レス願います。
- 39 :
- スレ立て者だが、自分の手元にある資料によると、少弐資元が1517年に幕府から正式に大宰少弐の位を受け、家督を松法師丸(冬尚)に譲った、と書いてあるから冬尚の生年は当然1517年以前ということになる。
あと、上の少弐歴代当主一覽は自分が書いたのだが、間違いがあるかも知れぬ。
- 40 :
- 少弐頼澄(一族が、筑後川の戦いで菊池に多大な損害を被ったため
父少弐頼尚の命で宮方につく、このことに兄の少弐冬資は非常に怒り
少弐氏は分裂することとなる。この後今川貞世に兄冬資が暗殺されると、
少弐九代当主となるが、同盟を結んだ菊池他の北朝方の勢力が衰えて
くると、有智山城を追われ肥後に亡命した)
上の歴代当主一覧でなぜか、北朝の菊池に反抗するも、と書いたが
正しくは難聴の今川貞世に反抗するも、だった、申し訳ない。
- 41 :
- 難聴の(誤)→南朝の(正)
- 42 :
- 戦死率74%=少弐当主
- 43 :
- 冬尚の生年定説は1510年。 ただ父資元の生年がはっきりしてないので、何歳の時の子かは分からん。 このスレほとんど自分しか書きこんでないので、誰か何でもいいから質問してくれ、俺はこのスレをなんとしても100までいかせたい。
- 44 :
- 鍋島氏は少弐教頼の子経房が祖と名乗っていたが、家紋が明らかに違う(少弐一族なら四つ目)、 ただ、筑紫氏は四つ目なので少弐氏と関係があるのは確か
- 45 :
- 眠かったので意味不明なこと書いた。正しくは北朝の今川貞世に反抗するも、であっていた。 申し訳ない。
- 46 :
- 冬尚の生年について、このマニアックな質問にお答えいただきまして本当にありがとうございます。
ウィキペディアや信長の野望は1529年を生年と記載してますが、何が根拠
なんですか。1559年に死んだときに享年30才とでも記録されてるんですかね。
- 47 :
- 足利尊氏を助けて多々良ヶ浜で菊池に勝ったのは何代目?
この頃が小弐氏の最盛期だよな。
- 48 :
- 冬尚の年齢の根拠はさすがに分からんが、前にも書いたが1517年に家督を継
いでるのが明白だから人名辞典とかだと1510年生まれと書いてある。
あと、余計なことだがかりに1529年が生年で1559年に没したなら、享年は31歳になる。
昔は生まれたときから1歳と数えたから。
- 49 :
- 少弐頼尚、少弐家六代目当主。
ただ、少弐氏全盛期を築きながら筑後川の戦いで大友含め六万の兵を率い
一万程度の、菊池に負けたのが惜しまれる。
一族は相変わらず戦死するし、有力家臣を多く失ったので、
少弐氏が分裂するきっかけを作ってしまった。
- 50 :
- 南北朝争乱じゃ大友も分裂してたし、九州は南朝が強かったけど、
少弐の場合は室町幕府にも終始逆らってるんだよな、応仁の乱の一時期を除いて
冬尚の娘が横岳資房に嫁いでたって話も聞くけど
資房の父の資貞が幼少の資元を引き取ったみたいな話も聞くから
けっきょく何がなんだか分からん一族だ
ウィキペの生年はいいかげん、というか武将ファイルソースので書かれて
そのまま残ってるってパターンだろうな
- 51 :
- 横岳氏(横岳氏は少弐氏の支流で、少弐貞頼の次男頼房に始まる)
横岳資貞(横岳頼房の子、少弐政資・高経父子が大内氏との戦いで討ち死に
したため、家督を継いだ資元をよく支援し、大宰府回復に貢献した。しかし
1531年幕府が大内氏に少弐氏追討の命を出し、大内氏が大軍を持って攻めて
きたため、筑紫尚門、朝日頼貫らとともに大内方に寝返った。このとき子の
横岳資誠、馬場頼周・頼員父子、竜造寺家兼、鍋島清久、筑紫惟門、出雲頼
通らの活躍で、なんと大軍の大内勢を破った。この戦いで大内方の横岳資貞、
筑紫尚門、朝日頼貫ら少弐一族が多数討ち死にするという悲劇。
横岳資誠が寝返らなかったのは少弐冬尚の娘を妻にしていたからとされる)
- 52 :
- 当主壊滅状態じゃないかw
- 53 :
- なんという暗黒
- 54 :
- どちらかが勝っても家名を絶やさない策に出たのだろうが裏目に出たな
どうせ大内はこいつらを先陣に使ったんだて
- 55 :
- 宗像大宮司に伝わる逸話、
大宰府を回復した十五代少弐政資は自信を得、おごり高ぶるようになった。
宗像大宮司に猫の金像があった。政資はそれを無理に所望し、大宮司はしぶ
しぶ手渡した。
ところが、政資は「猫の金像はもうひとつあるはずだから、それも欲しい」
と言い出したのである。
これを聞いた宗像大宮司は非常に怒り「あるものはもうすでに渡した。ない
物を請うとは、奇怪なことよ。必ずや少弐を七代のうちに滅亡させる。」
と言い、小指を噛み切り、壁に少弐への恨みを書き綴り切腹して果てた、と
いう。
ただ、そのような事があったとはどの書物にも記されていない。
事実なら恐ろしい話なんだが
- 56 :
- 確かに七代のうちに滅亡したな
- 57 :
- 竜造寺家門(竜造寺家兼の子。竜造寺家兼は1535年少弐資元が自害したさい、
大内氏との内通を疑われ、それ以来少弐氏の家臣から孤立するようになった。
しかし、十八代少弐冬尚は少弐氏の危機を感じ、竜造寺家兼と和解することを
決意する。
そして、家兼の子竜造寺家門を少弐の執権とすることを決め、復帰した家兼ら
の活躍で少弐氏は再興を果たした。
しかし、これを見た馬場頼周は竜造寺が強大になることを危惧し、冬尚に
先代少弐資元が自害したのは竜造寺の企みによるもの、と諫言した。
冬尚はこれを信じ、竜造寺一族をことごとく滅ぼしたのであった。
このとき家門も討ち取られ、馬場頼周らによって家門の首は散々足蹴りに
されたという。ちなみに竜造寺隆信は家門の兄家純の孫に当たる)
家門というより、竜造寺一族抹殺の話になってしまった。
- 58 :
- 大内は少弐相手に強いのか、少弐が弱いのか
- 59 :
- 伊達家も少弐家には及ばないな。
探題レベルで同じとみなすと奥州探題=九州探題となる。
現地受領の総帥のレベルで並ぶのが鎮守府将軍陸奥守=太宰少弐筑前守の家柄。
探題と現地受領トップでどちらが上になるのかは見方は論争もあろうが
東北九州という保守的土地柄を考慮すると
新設探題職は歴史の重みからみてやはり軽いとみられたはず。
鎮守府将軍の歴任者としては藤原秀郷、平貞盛、源頼義、源義家、藤原秀衝、
足利尊氏、北畠顕家ら歴史を彩った華やかな名が連なる。
太宰少弐も現地実務官では事実上トップ。
太宰大弐の平清盛、頼盛、少弐の藤原隆家らこれも摂関家血筋や伊勢平氏棟梁ら
歴史上の著名人物がつらなる。
伊達家は戦国末期に奥州探題を拝命したり
系図上奥州藤原氏につなげかえたりしているけど
鎌倉一御家人からスタートした家史は変えられなかった。
少弐家は鎮西すべてを束ねる鎮西奉行職からスタートしている。
その意味からも少弐家は伊達家よりは上であろう。
- 60 :
- これほどまでに少弐氏を褒め称えた文ははじめて見たw
- 61 :
- この板は近日中に取り潰されるようです。
続きは三戦板でやりましょう。
http://ex21.2ch.net/warhis/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167304387/554
- 62 :
- 西の少弐、東の大宝寺
- 63 :
- 大宝寺氏は武藤頼平の子氏平(少弐資頼の弟)が祖、
代々氏を通字にしている。
出羽の戦国大名、戦国期には大宝寺氏のほうが栄えていたかも知れぬ
- 64 :
- 朝日、綾部、江上、神代、宗、筑紫、馬場、鍋島、横岳、竜造寺ら
優秀な家臣は山のようにおり、大友とも関係が厚いのに、
戦いには負けるという悪夢を繰り返した。
- 65 :
- なぜか小学校の頃から名前だけ走っていた>少弐氏
- 66 :
- >>64
竜造寺と鍋島を併記するのは如何なものかと
まあ並べられた名前を見ても独立色の強い豪族たちばかりで、
小弐家が家臣団を作り上げることが出来なかったことが見て取れるな
- 67 :
- 千葉氏も入れてくれ
- 68 :
- 千葉氏は実質少弐一門
- 69 :
- 少弐Rこについて教えて
- 70 :
- 十一代少弐満貞(十代少弐貞頼の子。子に資嗣、嘉頼、教頼ら。
1404年父貞頼の死により家督を継ぐ。九州探題渋川満頼・義俊らと戦い、
1423年博多にて渋川義俊を打ち破った。しかし義俊が大内盛見と結んで再び
戦いを挑んできたため、窮地に立たされる。相変わらず大内との戦いになると
弱い少弐氏は案の定大敗し、博多を放棄し逃亡した。
しかし、粘り強いこの当主は1431年大友持直と結んで筑前守護大内盛見を攻め、
なんとこれを討ち取った。
しかし大宰府回復もつかの間、1433年先代盛見の恨みを果たすべく家督を継いだ大内
持世が自ら出陣してくると、大内の大軍には敵わず結局筑前秋月城で自害した。
このとき子の資嗣も肥前与賀庄の戦いで戦死したという。
満貞享年39歳というので、資嗣はまだ十代だったかもしれぬ。二人の遺児は
対馬の宗氏のもとへ落ち延びた。後の嘉頼、教頼である)
個人的には、満貞は歴代当主のうちで最も戦上手ではなかったか、と密かに思っている。
大内氏の将を討ち取ったのは後にも先にも、少弐満貞だけ。
名称ということにして良かろう、と思っているが…、異論あれば言ってくれ、
- 71 :
- まあまあかな
- 72 :
- さっき書き込んだばかりだが、資嗣享年二十一と書いてある本を
みつけた。あと小法師丸という兄もいたらしい。
何か質問あったら書き込んでてくれ、できる限り答える
- 73 :
- 小法師丸って資嗣の幼名ってわけじゃないんだ
- 74 :
- また間違った事書いてしまった。確かに資嗣の幼名は小法師丸だった。
兄と思ったのは氏法師丸という名の人物であった。申し訳なかった。
しかし少弐満貞は若くして死んだのに子が多い。系図に見えるものだけでも、
資親、氏法師丸、十二代資嗣、十三代嘉頼(初法師丸)、十四代教頼(松法師丸)、
頼経(馬場氏祖)、資治、頼門(筑紫氏祖か?)らがいる。
- 75 :
- 少弐氏は代々幼名に〜法師丸とつける。
あと、個人的に少弐氏のことが知りたい人は、「武藤少弐氏の興亡」という
本がある。絶版だが九州地方の古本屋とか図書館にはあるかも知れん。
興味がある人は読むといい。
- 76 :
- 過疎ってるな
- 77 :
- 少弐直資は当主ではなかった、という説もある
- 78 :
- 少弐元盛(少弐資元の四男。父少弐資元が自害した時はまだ一歳であった。
資元が自害した後は横岳資誠に養育されたという。
それ以後のことは良くわからんが、子に少弐資宗、関新左衛門、中牟田七郎兵衛、
中牟田新兵衛がいる。この兄弟は皆少弐滅亡後は竜造寺に仕え、1584年沖田畷の
戦いで兄弟全員討ち死にしたという。
なお元盛は僧になったと何かの本に書いてあった気がする)
- 79 :
- 間違えたか?
- 80 :
- うーん
- 81 :
- 誰か質問してくれ・・・
結構力いれてるんだが・・・
- 82 :
- 馬場鑑周って母は龍造寺氏かな
- 83 :
- 馬場鑑周(あの馬場頼周の孫で政員の子。十八代少弐冬尚が自害した後、
弟の少弐政興を擁立し大友宗麟と結んで少弐氏再興を目指すも、竜造寺隆信に攻められ
1565年肥前中野城において降伏。この時の政興の悔しがり方は尋常ではなかった、
といわれている。
少弐政興は出家したらしいが、鑑周は母が竜造寺家純の娘だったこともあり、
一命を救われ竜造寺隆信に仕え、1582年の竜造寺政家の肥後攻めにも
参加している)
ついでだが、母は竜造寺家純の娘というが、家純は竜造寺隆信の祖父であるから
年が変な気もする。まあギリギリあるかも知れんが…少し疑わしい。
- 84 :
- 頼周と政員が殺害されたときも、やっぱりママのおかげで生き残れたのか
東肥前十九将?だったっけ
- 85 :
- 25代義弘、堺で幕軍と戦い自刃
26代盛見、筑前少弐氏との戦いで戦死
27代持世、足利義教暗殺の際、巻添となり死亡
28代教弘、伊予出陣中病死
29代政弘、大軍を率いて応仁の乱に参戦、後半の
戦局を支配
30代義興、足利義稙を奉じ大軍を率いて上洛、再度
将軍とし、11年間幕政を左右する
こうしてみるとライバルの大内も
なかなかドラマチック
- 86 :
- おお! 1ヶ月振りにレスきたか!
確かに大内もなかなかだが、少弐もすごいぞ、
なにしろ歴代当主でまともに死んだのは嘉頼だけだ。
まあ大内と少弐は長年のライバルでもあったからなあ・・・ 少弐との戦いで討ち死にしたのは大内盛見ぐらいか。
- 87 :
- 嘉頼も対馬で客死って感じだからまともにRたとはいえないような
ほとんど記録ないみたいだけど、盛経はまともに死んだと思うよ
- 88 :
- 少弐が生き残れたのは
武藤資頼の世渡りの上手さ…70%
実績はないが名門扱い…25%
悪あがきだけは一流…5%
- 89 :
-
- 90 :
- もうネタがないんだよなあ…
- 91 :
- 前半は菊池、後半は大内、相手が悪すぎた
でも、大友は大内とまともにやりあっていたのに、
大友よりも本来格上であるはずの少弐が、こんなにも脆いというのは、
やはり少弐の側にも原因があったのだろうな
筑前のような交通の十字路のような場所は、逆にまとめにくかったか?
あるいは、鎮西探題がいたから、権力集中できなかったからか?
- 92 :
- 九州北部は常に戦乱の最前線
そんな地域が本領であったことが運の尽きかも
靡下の豪族たちが離合集散を繰り返す最大の要因となってしまった
家を守ることで精一杯、家臣の勢力を削って権力を確立することもできず
優れた当主も特に現れず、最後まで都合の良いシンボル的存在に甘んじてしまった
- 93 :
- あれだけ幕府に逆らってむしろよくもったほうだと思う
探題の渋川よりは長持ちしたんだよなぁ
- 94 :
-
- 95 :
- 少弐家の通字は何だろ?
- 96 :
- >>95
基本的には「資」と「頼」と思われ。
他に「経」や「貞」もあるが。
- 97 :
- 1さんは何故に少弐氏に興味を持ったンですか?
私は野望天翔記の歯応えを求めて、少弐で攻略した事ですが。
- 98 :
- あげ
- 99 :
- >>97
1じゃないが おいらは元寇や尊氏との関係から
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