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2013年01月三国志・戦国146: 【劉備】漢中の戦い【曹操】 (623) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【劉備】漢中の戦い【曹操】


1 :2010/12/04 〜 最終レス :2013/01/03
参加武将 曹操軍:曹操、曹洪、曹仁、夏侯惇、夏侯淵、張郃、徐晃、龐徳、許褚、曹休、曹真、曹彰、夏侯徳、韓浩、杜襲、郭淮、張魯 参謀:楊修、劉嘩、賈詡、司馬懿
     劉備軍:劉備、張飛、趙雲、馬超、黄忠、魏延、呉蘭、雷銅、厳顔、劉封、孟達、霍峻、陳式、張翼、張著 参謀:諸葛亮、法正、黄権
  兵力 曹操軍:20万
     劉備軍:11万
  説明:215年に漢中に攻め込んだ曹操は、太守の張魯を降伏させ漢中を手に入れた。
     218年に劉備は張飛を派遣して巴西に攻め込み、曹操は張郃に迎え撃たせた。
     張郃は張飛の誘引の計に掛かり、わずか10騎余りで漢中に逃げ込んだ。さら
     に劉備は張飛、馬超、雷銅、呉蘭を武都に派遣した。曹操は、曹洪、曹休、曹真
     らに迎え撃たせた。曹休は張飛の計略を見破り、呉蘭、雷銅を討ち張飛、馬超を
     撃退した。219年に劉備は定軍山に攻め込んだ。曹操は張郃と夏侯淵に迎え撃たせた。
     劉備は張郃を攻撃し、撃退した。夏侯淵は援軍を張郃に送ったため自身の軍勢が少なく
     なった。そこを法正の助言によって劉備軍に攻め立てられ、夏侯淵は劉備軍の大将の黄
     忠に討ち取られた。それに怒った曹操は長安から20万の大軍を率いてやってきた。劉備は
     黄忠に食料庫を攻撃させた。曹操は黄忠を取り囲んだ。そこを趙雲が切り込んで黄忠を助け
     出した。趙雲は城門を開いておいて一騎で門の前に立ち、追ってきた曹操軍に一斉に弩を浴びせ
     て撃退した。こうして曹操は漢中から撤退し、劉備が漢中を領する事に成功した。

2 :



Gominianの母親はR婦であった。

500円渡せば誰にでも股を開いたので、付いたあだ名はワンコイン女。

しかし醜い容姿のため、その破格の低価格をもってしても抱く男はほとんどおらず、

しかたないので専ら公園や河原で寝起きする浮浪者相手に春を売っていた。

そのような生活を送る中で彼女は妊娠したが、中絶費用が無かったために不本意ながら出産した。

そうして産まれてきたのがGominianである。

つまりGominianの父親は名前も知らない浮浪者であり、Gominianは母親からも望まれない子であった。



3 :
こういうネタはWなんとかが一手に引き受けるべき

4 :
前スレひどいことになってて吹いた

5 :
夏侯淵の短慮が目につく戦い

6 :
劉備が蜀の人員・物資を根こそぎ動員して
漢中の夏侯淵らを圧倒的物量で攻め立てて戦死させ
曹操の援軍に対しては徹底した篭城で戦火を交えず
諦めて撤退するのを待った戦いだよね
趙雲の逸話は全部後世の人の妄想だし

7 :
>>5
…渾身の生が惟惟眩しい

8 :
コテスレを馬鹿にする糞コテのJominian
三戦皇帝:献帝が三戦コテに官職を発表する
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1289918090/l50
25 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/12/02(木) 00:15:01
>>1もいなくなったみたいだし、俺の提案も受け入れられないみたいだな。
まぁ、そんなもんだろう。
所詮はコテスレという事だろうな。
27 :無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 14:28:42
自分の意見が通らなきゃコテスレと蔑むのかw
発言者の人格が現れているな
31 :無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 14:41:58
要するにJominianは人間性が残念なコテなんだな

9 :
>>6
圧倒的ってほどでもない
てか夏侯淵の戦死は法正の戦略で防衛体制をずたずたにされた事と黄忠の奮戦が大きい
曹操に対しても、劉備の防御を前に何度攻撃しても何もできず
魏軍は犠牲者逃亡者が続出して撤退に追い込まれた事が正史にある
趙雲の戦いは注釈にあるもの
これは陳寿が書きたくてもかけなかったエピソードなどが
後世で再編集されたもんだから、特に妄想とする根拠はないな
残念だが曹操・魏軍の完敗といっていい戦い

10 :
要害堅固な山上に布陣してひたすら守りを固めて相手の疲弊をまつ戦法
これって劉邦が項羽にやった戦法とにてるな
その時、焦った項羽がいくら挑戦しても劉邦はまったく応じなかったそうな

11 :
光武帝劉秀もそういう勝ち方したことあったよな
劉邦、劉秀、劉備・・・
三人の劉氏に共通する性質なのかもな

12 :
演義での曹操は悪く描かれているけれどそっちの方が良いよな
正史だとほぼ完璧に描かれていて面白みがない

13 :
>>12
もしかしてあなたが読んだ正史の表紙には蒼天航路と書いてませんでしたか

14 :
俺の戦いは至弱より始まり至強を倒すに至る(`・ω・)キリッ

15 :
ならばよし

16 :
>>12
本当に正史読んだのか? 
正史の曹操は完璧になんて描かれてないぞ 

17 :
スレ違い

18 :
漫画を見て正史を読んだ気になってる人もいるからねw
アモーレ蒼天航路とかw

19 :
五彩棒・10打擲の刑に処す!!(`・ω・)キリッ

20 :

ヤフーの三国志の人気投票
       ______
      /  \    /\     ネットではみんなが曹操を天才・詩人・超人とほめてる
    /  し (>)  (<)\   もう蜀なんて入れる奴居ないだろ…
    | ∪    (__人__)  J | ________
    \  u   `⌒´   / | |          |
    ノ           \ | |          |
         ____
      /  \    ─\   チラッ
    /  し (>)  (●)\
    | ∪    (__人__)  J | ________
    \  u   `⌒´   / | |          |
    ノ           \ | |          |
         ____ 
      /::::::─三三─\   >曹操患者が鬱陶しいので蜀に入れるわ
    /:::::::: ( ○)三(○)\   >曹操患者が発狂するのが楽しいから とりあえず蜀に入れることにしておくわ
    |::::::::::::::::::::(__人__)::::  | _______ >曹操患者発狂目的で蜀しかありえない
     \:::::::::   |r┬-|  / | |          | >曹操患者がファビョルの見たいから蜀かな。
    ノ::::::::::::  `ー'´   \ | |          |  >蜀一択だろ。ばかじゃねー


21 :
スレチども帰れ

22 :
まったく同じ名前のスレがもう一つあるんだが>>1は板荒らし?

23 :
コピペ荒らしで書き込みできなくなったからだろ

24 :
だだっこかw

25 :
この戦いで頑張っていたのは龐徳だよな
一騎打ちで魏延を撃退しているし

26 :
劉備強いな

27 :
曹彰が勇猛さ全開

28 :
馬超が全力を出して欲しかった

29 :
この頃が劉備軍の全盛期だな

30 :
じょしょー!!
帰ってきてくれ

31 :
蜀と魏の総力戦だな

32 :
鶏六

33 :


    劉備が倍以上の兵を率いた曹操軍を追い払う事に、関羽は不要だった


34 :
孔明と方正ついてて聞く耳持ってれば誰でも勝てる

35 :
曹操でも余裕だなwww

36 :
孔明の兵站のおかげで劉備が勝てたとも言える

37 :
うむ

38 :
法正が神がかってた戦いだな

39 :
空城の計とか黄忠を単身助け出したとかは正史ではなく注に引く趙雲別伝にあるが全くのガセだろう
なぜなら劉備の漢中王即位の時、趙雲は・・・・☆趙雲は一切昇進していない☆
子龍の別伝これはったりなり

40 :
>>39
では昇進した人は漢中戦で功績があった人だけかね?
逆に昇進しなかった人は漢中戦で功績なかった人だけかね?
答えはNO
つまり昇進によって功績の有無を図るのは不可能
目安にはなってもね

41 :
>>39
関羽なんか漢中戦で参戦もしてないのに
劉備の漢中王即位において、筆頭将軍ともいうべき前将軍に任じられてるぞ
張飛には張コウ撃破と巴郡奪取の功績があるが、馬超は下弁方面で曹操軍と相対してただけだけど
それでも四方将軍の一人である左将軍になってる
むしろ夏侯淵軍撃破、夏侯淵本人も討ち取り、そこから魏軍本陣大破して陥落、
(これによって漢中戦の戦略的勝利はほぼ決まった)
という大功を立てた黄忠で大昇進して後将軍であって
それを考えれば趙雲が曹操を砦で撃退しただの、黄忠を助け出したりしただのだけでは
将軍位昇格にまで至るかどうかはわからん
4方将軍が既に占められている以上、ポストの問題もあるだろうしな

42 :
特に記述のない魏延が昇進してるのに別伝で獅子奮迅の活躍をしてる趙雲は昇進してないという
関羽は漢中攻防の間、荊州の統治をしていたのだから功績はある
馬超は一応敵地の武都に侵入してるわけだが張飛が主に指揮してたようなので何をしてたのかは不明だな
侵入する際テイ族達が呼応してるんでそこまでの動きは予想できるが
張飛が指揮で呉蘭 雷銅が先鋒軍くらいしかわからないからなー
交戦記録も呉蘭軍が集中攻撃で全滅くらいしかなかったはずだし
あと関羽が筆頭たる所以は官位よりも節だと思うが、
馬超・張飛は仮節 黄忠は無しだから厳密には順位は関羽>馬超 張飛>黄忠のはず

43 :
>>42
魏延の昇進なんて、本来は張飛が任命されるだろうと誰もがおもっている所に
劉備個人による大抜擢だから、あんまり参考にならんような
>関羽は漢中攻防の間、荊州の統治をしていたのだから功績はある
これいったら劉備がどこか別の土地を得るたびに関羽がいなくても関羽を昇進させる事にならないか
他の太守クラスも昇進させなきゃならなくならないか

44 :
少なくとも空城の計や黄忠奪還が本当なら正史に記述あるなり昇進なりはあるだろう。
本当にやってたならそれくらいの活躍のはず。
関羽に関しては漢中戦以降も劉備が勢力伸ばしていったら戦闘参加してなくても自動的に昇進していくのは確定なんじゃない?
留守居じゃなく別方面担当だから挟撃なりでなんだかんだ作戦参加状態で功績あることにはなるだろう。

45 :
>>44
そのくらいの活躍か?
黄忠奪還は黄忠が兵糧焼き払ったののサポートだし、
曹操撃退に関しては、そもそも漢中戦では劉備軍が要害を守って曹操軍の攻撃を撃退しまくって
被害続出させ、結局曹操が諦めて撤退、という流れなので
趙雲に限らず劉備軍は曹操軍の攻撃を撃退してるはず
結局、趙雲の活躍も各地の要害を守って曹操軍を撃退した劉備軍の活動の一つだったという事だろう
少なくとも漢中戦では完全に留守居だろ
どっかを挟撃したわけでもなし

46 :
・椿まみ「月の世界でランデブー」
今やローヤルの歌姫の異名を持つ椿の代表曲で、唯一オリコンチャートにランクインされたことでも知られている。
発売がちょうどアポロ11号の月面着陸に成功した頃なので、タイムリーではあるがなかなか楽しめる宇宙的お座敷ソング。
B面「恋の終りが…」は普通のムード歌謡。
・那須あけみ「おでこの子守歌」
地元名古屋のマイナーレーベルにシングルを発表していた那須の全国デビュー(?)作。
タイトルは子守歌だが、中身はなかなかのビート歌謡。作詞は川内康範。
・小林さち子「恋地獄未練ばなし」
不遇時代にローヤル/マキシムから発表した情念歌謡。北原ミレイよりもおどろおどろしい。
上村一夫のイラストジャケ&コメントが秀逸。

47 :
劉備の全盛期だなこの頃は

48 :
>>43
> 劉備個人による大抜擢だから、あんまり参考にならんような
大抜擢には違いはないが、その抜擢に反対や取り下げるように諌言した人がいたって記述はない
張飛もこの件で何もアクションを起していない
自分が漢中を守る気まんまんだったのにも関わらずね
そんなところを見ると、抜擢に見合う功績や武威・武略があったと推測しても良いのでは?

49 :
>>48
別に張飛が漢中守る気まんまんだったという記述はないだろう
魏延の武功に関しては書かれるものはちゃんと書かれてるのに、
漢中戦では正史・正史注釈問わず一切記述が無い
蜀側のあらゆる伝のみならず、魏側からすら魏延の漢中戦での活躍を伺えるものは無い
周囲にとっても意外だと驚かれてる事からして、本当にただの劉備の大抜擢にしかならんだろ
漢中戦最大の武功保持者である黄忠の昇進に関して諸葛亮が「こんなに昇進させたら関羽が怒るのでは?」と言って劉備が「自分が説明する」と言ってる事や
漢中戦での法正の劉備への一時後退進言のエピソードから見ても、
呉遠征への大敗後に諸葛亮が「法正が生きてたら主君をとめられたのになあ」と
いってる点などからして、劉備には己の決断に有無を言わさず周囲を従わせられるだけの威があった事が伺える
その劉備が決断した事であれば、
軽々しく文句を言える人間なんてそれこそ関羽くらいだったんじゃなかろうか
だから魏延抜擢に対して文句言う人間がいなかったのもそれほど不自然でもなかろ

50 :
法正は劉備に信頼され、己の意思を上手に伝えて、うまく聞き入れてもらう事には長じていたようだが、
関羽のように軽々しく文句を言える、というような関係ではなかったろうな

51 :
ただ記録がないだけで昇進した魏延らが功績がある可能性は十分にある。
別伝が事実だと仮定するにしても正史には何も記録が無いわけだしな。
馬超 張飛も下弁から敗走した先は漢中、当時陽平関すら劉備はとっていない激戦状態の漢中だが下弁以降彼らの記述は無い。
まぁ馬超 張飛の場合は戦力を失い形勢が悪くなって敗走したのは一面の事実ではありそこだけを見れば失敗だが、
当時『漢中』を全力で奪取する方針だった以上、『漢中』ではない『下弁』に別の経路から侵入した数ヶ月が、
劉備軍のその間の作戦上意味があった可能性は十分にあるわけで、そこだけみても単純に功績そのものが無いとも言えない。

52 :
>>51
別伝含めても注釈含めても
魏延の活躍記録は一切ないわけで
それで活躍したはずというのは無理だろ
魏延にはそういった記録すらないのですが
馬超・張飛は漢中方面に全面撤退したして劉備と合流したわけでもないから
多分下弁と漢中の間くらいにとどまって対陣でもしてたのか
これなら、下弁方面の曹操軍を漢中に参戦させなかった、という点でそれなりの功績

53 :
てか、馬超は四方将軍位に任じられたのはかっては群雄の一人だったという点が
考慮されているのだろうし、張飛は張コウ相手に大勝利して巴郡奪取した実績があるから
それが考慮されているのだろうし

54 :
魏延は漢中太守のみならず将軍位も飛び級であがって4将軍の下に来る。
これで功績が無いとは考えにくい。
そして下弁の戦いそのものだが、
反乱させながら侵入した記録(10月〜12月)と
張飛の策の看破により3月に呉蘭らを失って、その月に漢中に逃げた記録しかない。
その間は何をしていたのかが不明、あくまで漢中に脅威を感じて奪取を目論むなか、
手始めに張飛・馬超ら劉備軍の中核である将軍らが下弁にはいったのは、
作戦上それなりの目的があったはずで、このことからも記録が無い=功績がないとはならないとは分かると思う。
敵戦力の分散、漢中の孤立、あるいは陽平関周辺への進軍の手助けなどを担っている可能性が十二分にある。
もう一つ下弁と漢中の間は陽平関や陳式軍が激戦を繰り広げた道がある。
張飛 馬超の撤退時期はこれらの地点を巡って戦いが起こる直前だから、
仮にそこを撤退地点とすると撤退先もまた最前線に限りなく近い。
何にせよ、記録そのものがやはり足りてないことはわかるでしょう。

55 :
>>54
考えにくいも何も実際に記録ゼロなんだから仕方ない
あるというなら出してみそ
もともと漢中太守就任だって周囲に予想されたことではなかったのがそれを裏付ける
作戦行動の意図が書いてないのと
作戦行動自体の記録が無いのは別物
はっきりいってあんたの書いてるのは憶測でしかなく
根拠となるものが何も無い
これで「わかるでしょう」とか大見得切る前に何か根拠足りうるもの出してね

56 :
最近の魏延信者は記述ない事まで憶測で魏延の手柄を創造しないと
気がすまなくなったのか?
魏延の具体的な武功は諸葛亮時代のはちゃんと明記されてて
それに伴う昇進とかも書かれてて、
入蜀のときでも「度々武功を上げて将軍に任じられた」と概括で書かれてるのに
漢中戦では具体的な記述どころか入蜀時みたいな概括文すら無く、
周囲からも漢中太守になるなんて想像されてなかったという事実で十分察せられるだろうに

57 :
つか、某スレといい憶測だけで「〜のはずだ」の一点張りで持久戦に持ち込もうとする輩は
正直言って話しててもつまらん
相手してんのが馬鹿らしくなる

58 :
>>49
衆論以爲必在張飛、飛亦以心自許。

59 :
>>58
「周りが張飛がなるだろうといっていたので、張飛もまたそのように心を許していました。」
よーするに周りがそうなるだろうといってたから、自分もそうなるだろうとおもってた、ってだけで
張飛自身が劉備に抗議する程守る気満々だったとか、そういう意味じゃなかろ
てか最初の「魏延に功績があったはずだから、張飛は魏延がなっても抗議しなかったんだ」という前提からしておかしい
誰も魏延が漢中太守になるとはおもっておらず、下馬評では普通に張飛だったんだから
史書に功績を記した記述が無いことからも、魏延に漢中戦で大きな功績といえるものは無かったと考えられるだろうに
入蜀時みたいな概括文での功績書きも漢中戦役では無い
もとから法正関連のエピソード見る限り、劉備が決定下したらそれに文句を言える奴なんてそうはいなかったようだから
張飛が文句言わなかったのも別に不思議な事でも無し

60 :
>>59
> 張飛もまたそのように心を許していました
それ、日本語としておかしくないか?
「人々は張飛こそが相応しいと考えて、張飛自身もそう自負していた。」
> 張飛自身が劉備に抗議する程守る気満々だったとか、そういう意味じゃなかろ
張飛の性質上、自分のモンだと考えてたのを横から掻っ攫われて、そいつがたいしたことの無い奴だったら
一悶着起しそうなもんだろ
それに周囲の家臣も驚きはしても諌めたと云う記述はない。
> 下馬評では普通に張飛だったんだから
張飛には功績云々以前に先主の義弟って立場がある
荊州に関羽ならもう一方の重要拠点は張飛と誰もが思っても不思議じゃない。
> 劉備が決定下したらそれに文句を言える奴なんてそうはいなかったようだから
別に直接劉備に文句を言う必要はない
関羽は黄忠や馬超の扱いに対して不満をぶちまけてる
趙雲は諌言してるな、別伝だが
> 史書に功績を記した記述が無いことからも、魏延に漢中戦で大きな功績といえるものは無かったと考えられるだろうに
> 入蜀時みたいな概括文での功績書きも漢中戦役では無い
元々、大抜擢であることに否定はしていない。
しかし、大抜擢を受ける程度の史書に載らない程度の功績はあったのだろうという推測。
それすらないとするなら、劉備は自分の気まぐれで、功績の有無も考慮せずに不公平な人事を平然と行う、
どんな勲功を立てようと報いることを知らない主君としてあるまじき人物になる
>>59は劉備に対してそういった人物であると評をしているのか?

61 :
漢中攻防において正史に欠片ほども功績がなく昇進もない趙雲ですら子孫が書いた別伝で群を抜く活躍なんだから
大抜擢の魏延に功績(当然漢中攻防で交戦中 平定後と2度昇進した黄忠よりは下だが)があってあたりまえだと思う
ただ記録がないだけだろう
益州平定での功績も詳細は書かれてないし

62 :
>>60
日本語そのまんまだろ
文字通り訳しているだけにすぎんぞ
講談ならいざしらず、正史における張飛がそんな事をした記録は特に無い
てか正史では張飛について「下の者には過酷だったが、目上の者には丁重だった」とある
その性質を考えれば普通の反応と見られるが?
てか、なんでわざわざ張飛自身も文句言わないのに、他の奴が言う必要あるんだよ
普通に正史に残る活躍として、張飛には張コウ大破して巴郡奪取という功績がある
少なくとも記録ゼロの魏延よりは下馬評でそうなるに相応しいな
あと、張飛が義弟というのは演義の評価か?
正史では特に張飛が劉備の義弟という記述は無いぞ?
「関羽とともに劉備に仕え、二人に対して劉備は兄弟のような恩愛をかけた」とあるだけだ。
義兄弟にまで発展したのは演義の影響
関羽については諸葛亮からも劉備に懸念を表しているように
もともと劉備に文句を言えるのが関羽くらいだったということだろう
趙雲云々は呉遠征前の事か?あれは国家の命運を左右する戦の前だったからだろ?
それでも結局劉備は趙雲の諫言では考えを翻さなかった事はスルーか?
蜀側のあらゆる列伝はおろか魏側にすら残らない、それでいて漢中太守に任じられて相応しい功績ってなんだよ
無理あるに決まってるだろ
張飛はちゃんと軍のトップ4というべき四方将軍に任じられてる
十分報われてるのに何をいってるんだ?
大抜擢だからこそ、わざわざ劉備も魏延に抱負をたずね、魏延が勇ましいことをいって
周囲を納得させる必要あったんだろ
なんかこれ、高祖劉邦が韓信を抜擢したのを真似たっぽい流れだし

63 :
>>61
別伝は別に子孫が書いたわけじゃないけどな
清代の学者がそう疑ってるだけで
当たり前とか憶測だろうが
もともと功績あるならあるで概括でも書くもので
諸葛亮時代の功績と昇進ではしっかりと具体的に書いてあり
入蜀では具体的ではないものの概括文で書いてあるのに
漢中戦ではそれすらない記録ゼロ
蜀側はおろか魏側にすらそれを示すもの無い、これであって当然とかいわれたって
笑わせるなとしかいえんだろう

64 :
>>62
この「許」は「気をゆるす」じゃなくて「資格がある」みたいな意味だ
日本語化されてニュアンスが変わってる字とかあるの分かってないからそんな妙な訳になる
自ら資格があると思っていたのだから「張飛もまたそのように自負していた」となるだろ
「張飛もまたそのように心を許していました」なら要するにそういう先入観があったということだし
抗議うんぬんは誰も言ってねえよ

65 :
>>62
> 講談ならいざしらず、正史における張飛がそんな事をした記録は特に無い
陳寿評曰く
関羽は剛直で自信を持ちすぎ、張飛は乱暴で情を持たず、
その欠点のため身の破滅を招いたのは道理からいって当然である。


66 :
>>60
そんな立場ねぇよ
劉備と張飛が義兄弟なのは演義
正史における義兄弟は公孫サンを除けば、糜竺・糜芳、孫権のような姻族関係者だけだ

67 :
魏延が手柄を立てたとしても表に表れない地味なものだったんだろうね
はっきりした手柄がないのに抜擢されるのは劉備配下にはよくある事だから
ことさら記述のない手柄があったと仮定する理由はないし
漢中太守に相応しい実務能力があれば劉備健在のうちは人事的にも問題なかっただろう
張飛は張飛で漢中戦前後で順調に昇進してるから
大駒の使い道が衆目と劉備の判断で違っただけの話だ

68 :
>>65
だーかーらー
正史にはしっかりと
「張飛は目下のものには過酷だったが、目上の者には丁重だった」とあるだろ
お前の言ってるような事柄をはっきり否定してる記述だろうが
張飛が乱暴で情をもたなかったのは目下の者に対してなんだよ
目上の者に丁重だった張飛なら普通に劉備の決定を受け入れて終わりだったろうよ

69 :
>>64
妙な訳じゃねえだろうが
普通に大意は通ってる
自分に資格がある、というのと「自負」はまた別もんだろ
ましてや、お前のいう守る気満々というのとはさらに異なるニュアンスだろうが
お前は抗議云々を言ってるだろうが
痴呆症かなんかか?
>張飛の性質上、自分のモンだと考えてたのを横から掻っ攫われて、そいつがたいしたことの無い奴だったら
>一悶着起しそうなもんだろ
こういう風に>>60で自分で書いておきながら、今更何をいってんだ?
そんでお前のイメージとは別に、正史における張飛は目上の者に丁重だったとはっきり書いてあるから
主君である劉備が下した決定なら悶着なんぞ起こさずに、普通に受け入れて終わりだったろうよ、って事だな

70 :
>>67
魏延は入蜀時に武曲を率いて幾度か功績があり、牙門将になったとある
牙門は軍の門、まあつまり劉備直属で且つ先鋒を務める役割だから
漢中戦では劉備の手足となって戦ってたということがわかる
夏侯淵を直接斬った黄忠は一気に出世したし、
そこまでの戦いを支えた魏延も大出世を果たしただけだろ
地味でもなんでもないと思うんだが

71 :
>>70
そこまでの戦いを支えた、という記述が全然無いだろ
概括文でも一切無い
黄忠が夏侯淵を討ち取った経緯は先主伝や黄忠伝を見る限り
普通に黄忠直属部隊が奮戦して行ったものであって、
他の部隊が関与した形跡は特に無いぞ
てか牙門将ってだけで手柄立てたはずっておかしすぎるだろ

72 :
ここまで行間を読めない奴も珍しい
>>71の中じゃ、例えば蔣琬や費禕なんかも録尚書事に至るまでの昇進は大抜擢で
就任後も功績をあげることも無く過ごしたってなってるんだろうなw
何しろ就任以前に手柄に関して記述は乏しいし、就任後は特に目立った手柄の記述もないものw

73 :
>>72
もともとその二人のうち蒋エンに関しては成都で孔明の代理として政治を見ていた人物で
留守責任者をずっと問題なくこなしてて、
孔明からも「私が死んだ後は蒋エンに任せるべき」といわれてたんだから
その昇進は単なる規定路線
そして孔明死後は国内の全ての政治・軍事は全て彼の決済を受けて遂行されたとされる
どう見ても孔明亡き後の蜀の最高責任者として見事に役割果たしてただけに見えるが
費イも孔明生前から呉との交渉を成功させ、北伐軍中の内部調整も行い、孔明死亡前後に「蒋エンの後は費イに」といわれてるくらいだから
これまた規定路線
孔明死後には王平の後詰を務めて侵攻してきた魏軍を撃破している、という大功も立ててるし
蒋エン死亡後は国内中の政治・軍事の諸事項の処理も担ってる
十分すぎる実績かと

74 :
>>73
> もともとその二人のうち蒋エンに関しては成都で孔明の代理として政治を見ていた人物で
代理なんて記述はないな
> 留守責任者をずっと問題なくこなしてて
問題がなかったともないなw
> 孔明からも「私が死んだ後は蒋エンに任せるべき」といわれてたんだから
たいした功績もないのに孔明のお声がかりの大抜擢か、魏延と一緒だなw
> そして孔明死後は国内の全ての政治・軍事は全て彼の決済を受けて遂行されたとされる
> どう見ても孔明亡き後の蜀の最高責任者として見事に役割果たしてただけに見えるが
昇進し続けているが具体的な功績の記述はないなw
> 費イも孔明生前から呉との交渉を成功させ、北伐軍中の内部調整も行い、孔明死亡前後に「蒋エンの後は費イに」といわれてるくらいだから
呉との交渉なら費禕以外にも2〜3人は交渉を成功させた人がいるがな
> 孔明死後には王平の後詰を務めて侵攻してきた魏軍を撃破している、という大功も立ててるし
え!? どこにそんな記述が??
曹爽の侵攻の時には死んでるぞ?
このときの援軍は費禕で援軍が来たら魏軍は撤退していて撃破なんぞしとらんが?
> 蒋エン死亡後は国内中の政治・軍事の諸事項の処理も担ってる
> 十分すぎる実績かと
だから、具体的になにをしたっての?
って、>>71の言ってることはこんな感じだw
あ、王平の後詰の件は詳しくよろしく、さらっと読み直したが蔣琬伝や王平伝には見当たらなかったよ
後主伝の方か? あとで読み直そう

75 :
>>74
>> 孔明死後には王平の後詰を務めて侵攻してきた魏軍を撃破している、という大功も立ててるし
>え!? どこにそんな記述が??
>曹爽の侵攻の時には死んでるぞ?
>このときの援軍は費禕で援軍が来たら魏軍は撤退していて撃破なんぞしとらんが?
ああ、費禕の方か、主題の人物が変わってて勘違いしたよ
だけど、援軍が来たら魏軍は撤退していて撃破なんぞしとらん

76 :
>>71
牙門将軍が軍から外れるっていう記述がない限り
基本的には従軍して親衛隊として劉備の手足となってると考える方が妥当だろ
もし魏延が牙門将軍なのに漢中戦に参戦してなかったら、サボタージュか何か別の理由を考える必要がある
そういうことを思わせる記述はない
特に理由なく劉備の手足となって働かされる職務についた人間が
その職務をしていない、というのは理屈に合わない

77 :
>>76
だーかーら
参戦してるかどうかはともかく
「牙門将軍なら武功を立てているはずだ!」という考え自体が
決め付けだっての
実際に蜀・魏・その他あらゆる伝や注釈において魏延の活躍記録は存在しない
参戦してたって特に活躍らしい活躍をしてないと考えたほうが妥当だろう
少なくとも漢中太守に任じられて不自然じゃないほどの大功立てたなら
確実に入蜀のときみたいな概括文でも書いてあるはず

78 :
>>74
本当にお前は言いがかりだけしかつけられない感じだな
長史として政治・軍事の双方を携わって留守居やってるだろ
んじゃ問題あったのか?あげてみな
立派に留守居務めて後方を支えてたんだから十分だろ
参軍もやってたし
だから問題なく後方で政治やってます
逆に言うと2〜3人しかいないがな
てか、費イとトウシと他に誰かいたか?
漢中戦の魏延でいうなら、2〜3人に並ぶほどの大功はおろか、
まともな活躍すらない状態だろ
だから費イの事な
費イのほうの伝注釈では撃破した、となってる
魏側だと魏将の落ち度はさらりと書いたりして流すわけな
国内政治の最高責任者として政治をry
問題なく最高責任者やってた事の何が問題が?
漢中戦の魏延の場合、そういった概括文による活躍すらないよね
ま、お前さんの言ってる事はこの程度って事だな
そうやって否定と質問返しと言いがかり続けるつもりみたいだが、
どこまで粘れるか楽しみだな
>>75
上記参照

79 :
>>74
ああ、ついでに後、何か問題あったのかについてはよろしく

80 :
>>77
武功を立ててる、とは誰も言ってない
もうちょい文章読めよ
劉備の軍事活動を手足となって支えていた、と言ってるんだわ

81 :
>>78
> てか、費イとトウシと他に誰かいたか?
そんなこともしらないの?
それにしては偉そうに語ってるなww

82 :
>>80
何がいいたいのか具体的にどうぞ
抽象的すぎてわけわかめ
>>81
はいはい具体的に事例をどうぞ

83 :
>>81
それから、結局何か問題あったのかについても具体的にお願いね

84 :
>>82
つまりは具体的な功績なく軍事的活動を下支えしたという総体で以って
漢中太守に抜擢された可能性があるってことよ
記述がないからって安易に何もしてないって言うのはどうかと
ニートじゃねぇんだから職務に応じて何かしてないとな

85 :
具体的な功績が書かれていないことに変わりはないのに
魏延は功績談がないから功績がまるでないかのように扱い
蔣琬はその期間は短かったのにも関わらず留守責任者と扱い(北伐の3次までは留守役トップに非ず)
失敗談がないからと問題なくこなしたとしてそれを功績と考える
ナイスなダブルスタンダード
しかも知識は中途半端w

86 :
>>84
だーあーかーら、
具体的に何したんだってんだよ
抽象的すぎて何いってんだかわかんないっつーの
下支えって具体的にどんな事をさしてるんだよ
しかもそれで史書に一切記録残らないってなんだよ
ちゃんと説明してくれ
>>85
ん?北伐第3次以降にはちゃんと留守役トップになってるだろ?
何かおかしいこといったか?
第一、お前は蔣エンを留守居役トップじゃないとかいってたろ
しかも結局お前、何か問題があったのかについては答えてもらってないぞ、早くしてくれ
あと、費イとトウシ以外に呉との交渉での功績保有者についても説明をお願いね
自分は知識中途半端じゃないという割に具体的な事はさっきから一切答えられてないぞ
あおりに逃げてないで早くしろ
魏延は軍事的功績で蔣エンのは政治的功績
蔣エンにはちゃんと国内政治・軍事を滞りなくやっていた、という実績あるし、
概括文でそれを書かれている
魏延も入蜀では概括文でその功績を書かれてる
漢中戦では一切それを書かれてない
軍人のあげた功績は書かれるのが普通の史書に一切どこにも記述無し
どうみたって功績ないとみるのが普通だろ

87 :
>>86
入蜀以降牙門将軍という役職
これは劉備の直属部隊となって働くお仕事
漢中戦後に兼任太守に出世したし帝位に就くと鎮北将軍になる
つまり記述はないが直属部隊の間地道に職務を遂行してないと中々出世はできないってこと
皇帝即位の時はさすがにスライド人事だと思うがそれでも大きなミスして失脚してるわけでもないから
大過なく職務遂行はしたのだろうな
一切記録ないって言うなら○○という役職に就いた、で終わる大半の人がそうなるよ

88 :
>>87
だから、ここで問題になってるのは「魏延が漢中戦で漢中太守になるだけの功績あげたのか否か」
それで正史であらゆる伝に功績の記載が無く、下馬評でも漢中太守は張飛で
周囲が驚く大抜擢で、劉備も周囲を納得させる意味を込めてその抱負をたずね魏延もこれに勇ましい事をいって答えねばならなかった
これで何をどうやったら功績あった事になるんだよ
普通にこれは高祖劉邦たらんとしていた劉備が、劉邦にならって漢中王に即位して
高祖劉邦が異例の大抜擢で韓信を要職につけて抱負を尋ねた逸話まねただけだろ
入蜀のときでは度々武功をあげて将軍に任じられた事が書いてあるのに
漢中戦ではそれすらない
これで功績あげてたと見るのは無理

89 :
>>88
上げたと劉備は判断した、だから漢中太守になった
君はその判断材料を知らない、それだけのこと
そしてそれを判断する要素として職務を遂行していただろうことがわかってるので
そこで地道に働いたということだな
張飛の話はそれとは別で絶対的なNo2関羽に次ぐNo3の張飛がいるのに
その張飛を差し置いての抜擢だから色々抱負聞いたりしてるだけで
韓信に準えてるわけではない
韓信に準えるならそれこそ蜀の総大将に任命せにゃならんよ

90 :
>>89
しらないんじゃなくて「無かった」
ただそれだけの話だろ
正史にも注釈にもあらゆる文の中に魏延の漢中戦の功績とやらを示すものはない
知ってるひとなんて誰もいやしないよ
強いていうなら君の脳内くらいにしか存在しない
周辺評価ですら張飛で任命されて皆びっくり
これでどうやったら功績ある事になるのかと
君の想像以外に何の根拠も無くて正直相手してるのが馬鹿らしい
蜀攻めの時はまだ劉備が魏延の存在すらろくにしらない頃
劉備が劉邦になぞらえる事を公式宣言した漢中王即位で
それと似たような大抜擢を行ったと見るべきで
ろくに存在自体をしらず、劉邦になぞらえる宣言もしてない時期に
魏延に総大将なんか任せるわけないだろ
張飛には張コウ大破して巴郡奪取の大功績があるが、魏延なんて本当に何もないんだから
下馬評も妥当

91 :
>>86
> あと、費イとトウシ以外に呉との交渉での功績保有者についても説明をお願いね
奥様お聞きになられました?
この子、ここまで偉そうにしていて本気で知らないそうよ
正史にしっかりと記述されているのに自分では調べられないそうよ
ほんと、かわいそうよ

92 :
高祖劉邦が韓信を要職に任命する時の流れ
劉邦が晴れの日に大将を任命すると発表→有力な将は自分がなるだろうとおもう
→周囲の予想に反して韓信が大抜擢→驚く周囲を前に劉邦が韓信に抱負を尋ねる
→韓信が堂々と抱負を述べる
劉備が魏延を漢中太守に任命する流れ
漢中太守が晴れの日に群臣の前で任命される事が決まる→周囲では有力な将で功績もある張飛がなると思い、張飛もそうだろうと思う
→周囲の予想に反して魏延が大抜擢→驚く周囲を前に劉備が魏延に抱負を尋ねる
→魏延が堂々と勇ましい抱負を述べる
どうみたってそっくりな流れ

93 :
>>91
結局具体的には何も答えられないって事でFA?
何か問題あったのかについてもスルーしてるけど結局答えられないでFAって事でOKね

94 :
>>92
大抜擢の内容が全く違うでしょうに
韓信は劉邦以外に上位者のない大将軍、
魏延は重要拠点の太守ではあるがただの一太守だぞ
全く意味が違う
そもそも当時、役職に就く時点で何か口上くらい述べさせられるでしょ
劉備の王即位上奏文だって皇帝に対する抱負が述べられてるし
他の連中も即位時には何らかのアピールをしてる
むしろ抱負を述べるのは一般的なことだったと言っていい
それを鬼の首取ったように騒ぎ立てるのは意味がない

95 :
>>93
ヒントを出してやってるのにわからないそうよ
正史に書いてあるって教えてあげてるのにわからないそうよ
そろそろ気づけ、そうよ
問題がなかったと記述は?
問題なく勤めたとどこに記述があんのよ?
書かれていないことなのに方や功績を認め、方や認めようとしないことが問題だと
提唱してやってるだけだろが、ダブルスタンダードさん
ここまで書かせて、2人以外の呉との交渉での功績保有者がわからないなら
もー、相手にしてやらない

96 :
>>95
だから何伝にあるわけ?
正史正史と連呼してるけど、どうせ正史もよんだことないんでしょ?
具体的には何もいえないで逃亡するならご自由に
問題あったならそうかかれるだろ
でも実際にはそうかかれてない
頭悪すぎ
蔣エンのほうは留守居や孔明死後の政治や軍事を総覧していた事が
概括文でも書かれ、魏延のほうも蜀攻めでは書かれてるのに
漢中戦では概括文すらない
これで功績認めるのは無理だろって話
まるで違うものを無理やり一つにしてダブスタ連呼しかできない頭の悪さなら
さっさと引っ込んでればいいものを
結局あるある詐欺で具体的に何もいえず、どうせ正史もよんだことなさそうだし
逃げるならさっさとすれば?

97 :
>>94
流れと内容は十分にだぶってる
劉備は漢皇帝の許可を得ず、先に自分で名乗る理由を述べた説明文を送ってるだけ
事後承諾を求める意味でもこれはあたりまえの行為
他の連中が抱負を述べてるって例えばどんな?
王とか皇帝クラスが即位する以外で魏延とかみたいな立場になるときに
抱負を述べる例をあげてみて
てか、それ以前の流れも高祖劉邦の流れの写しみたいなもんなのに
これで無関係ってのもなあ

98 :
>>97
劉備が劉邦をなぞるようにしてるのは俺も異論ないが
魏延が韓信の代わりとなったわけじゃあない
司馬懿なんかは燕征伐の総大将に任命された時にやはり抱負を述べてるし
軍事的、政治的に重要なものを任される場合、当然のようにそういう場で口上するのは一般的でしょ

99 :
魏延は漢中太守に抜擢はされたが、将軍位は上昇しておらず
相変わらず劉備の決定なしに動くことの出来ない立場
一方、漢中王即位時に独断専行できる権限が与えられた人物が一人いる
それが関羽
つまり準えるなら劉邦-韓信は劉備-関羽の形であって劉備-魏延ではない

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