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2013年02月大河ドラマ342: こんな天地人が見たかった!4 (203)
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こんな天地人が見たかった!4
- 1 :2010/04/29 〜 最終レス :2013/02/06
- 「いきなり、スレに書き込めなくなっていてびっくりしましたぞ」
- 2 :
- >>1乙です(ひょっとして作者ご自身?)
続きを楽しみにしています
- 3 :
- PやDは下衆レベル
- 4 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(11)
大きな岩の横をすり抜けると、川の幅が広くなり流れが緩やかになる。左右の
視野が開け、遠くの方まで見えるようになった。駿河の国に入ったようじゃ。
うん、なんじゃろ。川の上を、紅い甲冑をつけた騎馬隊が渡っている。
「あれは舟橋でござるよ。舟を並べて、その上に板をはり、騎乗でも渡れるよ
うになっております」
榊原が教えてくれる。井伊直政の率いる赤備えらしいが、最精鋭の旗本先手衆
が、なぜ川を渡って西に移動しておるのじゃろうか。何かあったのじゃろうか。
「舟橋とは、便利なものでございますね。予想外の地点から、渡河して、敵陣
を後背から奇襲することもできまするな」
信之も目をまるくしておるようじゃ。それがしも、初めて見た。これは、新発
田攻めに使えるかもしれぬ。よく、構造を見ておかねばならぬ。
「ところで、舟橋もすごいものでござるが、この舟もりっぱなものでございま
すね。舟から見た川沿いの道も念入りに整備されておりました。徳川様は、河
川交通による交易をお考えなのでしょうか」
信之が質問する。信之殿、よく見ておられたな。それがしも、不思議に思った。
交易に力を入れるとしても、あれだけ立派なものを作ると、経費も馬鹿になる
まい。家康公は、つましい人じゃと聞いておったが。
「ははは、この舟も、お二方がご覧になった道も、施設もすべて総見院様のた
めに作られたものでござるよ。総見院様が、武田を滅ぼした後、富士山をご覧
になりたいと仰せになったので、わが殿が作らせたものじゃ。あの舟橋もそう
じゃ。総見院様が、天竜川を渡るために特別に作らせたものじゃ」
武田崩れの時か、あの時は、信長軍が北上し、ついでに上杉も滅ぼす気ではな
いかと心配したものじゃ。してみると、われらは富士のお山に助けられたのじ
ゃろうか。振り返ると、富士山がゆるやかな山肌を見せて屹立している。その
姿が、兼続には神々しく映る。
「天竜川は、激流じゃから、舟橋が揺れないように、足軽雑兵どもを何百人も
上流に入らせ、流れを緩くした。さすがの総見院様も、大儀大儀とみなをねぎ
らいながら、御渡りになられた。わが殿は、二十年以上におよぶ総見院様の、
我らに対する物心両面の支援に対して、心からの感謝の意を表そうとして、で
きるかぎりの接待をされたのじゃ。しかし、井伊のやつ、こんなものまで持ち
だして」
榊原の井伊直政に対する物言いに棘があるように感じるのは、邪推じゃろうか。
「榊原様でございまするか」
一行の乗る舟に気がついた騎馬武者が声をかけてきた。
「井伊殿が、橋のたもとでお待ちいたしておりまする」
榊原、わかったというように片手をまっすぐ上げる。
- 5 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(12)
「殿は浜松城に向かわれたじゃと。何か変事でも出来したのか」
榊原が、声を荒げる。やはり榊原は、井伊に対して物言いがきついようだ。
「すまぬが、すこし井伊と話がある。ここでお待ちくだされ。万千代、来い」
舟橋のたもとにしつらえられた小屋に残される兼続と信之。
「家康公は、駿府から浜松に引き揚げたようでございまするね。われらに会う
必要がないと思われたのでございましょうか」
信之が尋ねる。
「家康公は慎重の上にも慎重なお方。そなたの父上の戦闘行動を陽動と知った
故、急に西の方が心配になったのではないか」
「声東撃西と思われたということですか」
「そうではないかのう」
やはり真田の息子は、兵法に詳しいのう。
「家康公に会えるかどうか、わからなくなったが、これで真田への攻勢は、な
くなったようじゃ。よかったのう」
「ほんに、よかったです。ありがとうございました」
「なんの、なんの。それがしもひと安心じゃ。しかし、われらも相当急いで来
たのじゃが、われらに先んじて、われらの本意をどうやって榊原は、家康公に
伝えたのじゃろう」
兼続、疑問を口にする。
「ふふ、烽火が上がっておりました。きっと、烽火を使ったのでございましょ
う。信玄公は、北信に対する謙信公の進攻に備えて、すぐに出陣できるように
烽火による連絡網をお作りになられました。その後、烽火台は、領内すみずみ
まで作られておりまする」
ほうほう、死んでから十年以上たつが、信玄公の遺徳は健在じゃのう。しかし、
信玄公は、何から何まで、よく準備されておるお方じゃ。感心する。
そこに榊原が井伊を連れて戻ってきた。
「こちらは、井伊直政じゃ。以後お見知りおきを」
若い、秀麗な顔立ちじゃ。家康公の寵童じゃったという話は本当かもしれぬ。
「遠来の客人に申し訳ないことでございまするが、わが殿は急用のため、浜松
城に向かわれました。ぜひとも、浜松までお越し願いたいというのが、殿の伝
言でございまする。それがしは、先を急ぎますゆえ、これで失礼いたしまする」
「おっつけ、残余の旗本を率いて本多平八が来るようじゃ、われらは、平八と
同道することになったが、それでかまいませぬか」
榊原が申し訳なさそうに言う。
「御懸念無用でございまする。われらも、ひと安心。肩の荷を下ろしたような
心持でございまするよ。どことなりとも、お供いたしまする」
兼続、笑って答える。
- 6 :
- 次は本多忠勝の登場か
後に舅と婿になる忠勝と信之の初対面がどうなるか楽しみです
- 7 :
- 三十五話「三方ヶ原」(13)
徳川の最精鋭部隊が次々と舟橋を渡るのを眺めながら、本多忠勝を待つ三人。
日暮れが近づき平八が来るのはきっと明朝じゃと、榊原が言い出し酒宴になる。
「榊原殿は、井伊殿と仲がよくないのですか」
信之、まっすぐ聞く。それがしも気にはなっておったが、榊原が答えるかな。
「悪くはない。井伊は、なかなかできる男じゃし、殿のお気に入りじゃ。わし
は、ただただ悔しいのじゃ。殿が井伊に配属させた赤備え三千は、山県昌景殿
や土屋殿など武田の名将勇将の、旧臣じゃったものからなる、最精鋭部隊じゃ。
いわば戦局を決するような場面で投入される決勝部隊じゃ。その指揮官が、な
ぜ井伊なのじゃ。徳川にその人ありと勇名を天下に轟かす、この榊原康政殿に、
せめて半数は配属させるべきではないか。わしは、悔しくて悔しくて、悔しく
て仕方がない」
勇名を天下に轟かすなんて自分で言うかな。いきなり、できあがっておるよう
じゃ。榊原康政、戦闘指揮では日本一の男じゃが酒の弱さも日本一のようじゃ。
「家康公にお願いすればよいではないか」
兼続、なぐさめる。
「悔しさのあまり、わしは酒井様に訴えた。悔しい、面目がつぶれた。このう
えは、井伊と刺し違えて死ぬと。そして、こっぴどく叱られた。ごちゃごちゃ
言うておると、榊原一門、串刺しにして皆殺しにするぞと脅かされたのじゃ」
「酒井様とは、酒井忠次様のことか」
「そうじゃ、殿のお父上の妹君の婿じゃ。ゆえに、殿も逆らえぬお人じゃ」
ほんとの叔父さんじゃな。
「実は酒井様をはじめ、重臣のほとんど全員が殿の上洛に反対しておるのじゃ。
しかも、それには、ちゃんとした理由がある。前回の上洛で、殿をはじめお供
した者全員が、死を覚悟した。わしも同行しておったが、本当に危機一髪じゃ
った。」
そういえば、本能寺の時、徳川の一行は確か堺におったとか聞いておるぞ。
「富士山をご覧になった後、総見院様は、徳川の領内を通って凱旋されたのじ
ゃが、われらは総見院様と馬廻り衆を心をこめて接待した。この小屋も、その
時に作らせたものじゃ。千五百ばかり作らせた。これは分解して移動させるこ
ともできる。総見院様御一行が宿泊する地点に先回りして、馬廻り衆はもちろ
ん、中間下人にいたるまで、みなさまが快適にお泊りできるように用意したも
のじゃ」
なんとまあ。実のある接待じゃな。よく見ると、りっぱな造りじゃ。
「われらの心をこめた接待に感激された総見院様は、殿を安土へ招待して下さ
った。徳川殿も骨休めされよ。わしもお礼がしたいとおおせられてのう」
徳川の一行の接待役は、当初明智が担当しておったとかいう話じゃな。何か、
おもしろそうじゃ。
「上洛にあたって殿は、随行の人数を絞られた。同行することになった穴山様
の人数を合わせても、五十人ばかりじゃ。大勢連れて行くと、接待する側の負
担も大きくなるのでな。わしらは、勇躍上洛した。われらを苦しめ続けた武田
は滅びたし、北条を総見院様の鼻息をうかがってへつらっておったから、何の
心配もない。のんびりした楽しい旅になるはずじゃった」
- 8 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(14)
「安土城下についたのは、夕暮れ時じゃったが、御城の天主から、城下の町な
かまで灯篭に火がともされており、この世のものとは思えぬほど、美しかった
のう。」
安土城か、今や廃墟となっておる。本当に祇園精舎の鐘の声じゃ。
「総見院様は、どのようなお方じゃったのですか。」
信之が尋ねる。
「一言で言えば、聡明で何もかもよく弁えたお方じゃ。恐ろしいとか、よく言
われるが、わしは、そんな風に思ったことはない。わしは、康政康政とよくか
わいがられたものじゃ」
「それは、そなたが姉川の戦いで、朝倉勢を打ち破るきっかけを作り、総見院
様に勝利をもたらしたからではないか」
兼続も訊く。
「わしは、世上よく姉川合戦勝利の立役者といわれておる。総見院様が浅井勢
に敗北する寸前だったのを、徳川が朝倉勢を打ち破って救った。そのきっかけ
を作ったのが、わしの側面攻撃じゃと。わしにとっては、名誉なことじゃが、
実はわしなどが、奮戦せずとも、総見院様は勝っておったであろう。」
うん、初めて聞く話じゃ。
「大体、われら三河勢は強いが、総見院様の率いる尾張・美濃勢は弱いとか、
よく言われておるが、そこから、間違っておる。総見院様の軍勢は、尾張・美
濃の高い生産性と各地の都市からの豊かな税収に支えられた、専業の兵士じゃ。
一年中、戦闘訓練しておる軍勢が弱いわけがないじゃろ。弱く見えるのは、
兵士ひとりひとりまで、戦の駆け引きを心得ており、形勢不利となれば、損害
を少なくしようと、平気で退却するからじゃ。それを、尾張勢は、弱兵などと
決めつけるのは、戦のことが何もわかっておらぬとしか言いようがない。わし
ら三河衆は、戦えと命令されれば、一本調子で戦うだけじゃが、総見院様の軍
勢は、負戦のふりをすることもできる。それゆえ作戦にも幅が出るのじゃ」
榊原は戦闘指揮にかけては日本一の男じゃ。なにか常人には分からぬことが、
分かっておるようじゃ。
「姉川の戦いのとき、浅井勢は約八千、これに対する織田勢が約二万。これに
対して、朝倉勢は約一万、これに対する徳川勢が約五千じゃった。この日、総
見院様は、浅井勢に対し十三段の備えを構えさせた。そして、浅井勢に十一段
まで突破され、あやうく本陣にまで迫られた」
ここで榊原が、笑う。
「と、言われておる。しかし、これは作戦じゃ。浅井勢を徹底的に殲滅するた
めに、わざと薄い備えを十三段も構えさせたのじゃ。そして、わざと突破させ
た。突破された各部隊は、左右に後退し、部隊を再編して待機しておったのじ
ゃ。そして、戦い続けている浅井勢の戦意と体力が尽きるのを待っておったの
じゃ。」
なんと、信之と兼続、息をのむ。
「もともと、戦意の乏しかった遠来の朝倉勢が、わしの側面攻撃で、崩れたの
を契機にして、浅井勢も崩れたが、戦意も体力も限界に来ておったことは確か
じゃ。そして包囲殲滅戦が開始された。突破されたはずの軍勢が、左右から殺
到して、浅井勢を殲滅した。浅井長政の弟、重臣の遠藤など、浅井の主だった
武将がほとんど戦死した。すべて総見院様の作戦通りじゃ。見事なものじゃ」
「しかし世間では、榊原殿の功績のみ喧伝されておりまするが、なぜじゃろう」
信之、疑問を口にする。
「はは、孫子の旗の文句には続きがある。そなたも、武田の旧臣であれば、存
じておろう。知りがたきこと、陰の如くじゃ。総見院様は、ご自分の軍勢を弱
く見せたがっておった。後々のことを考えてな。どうじゃ、何もかも弁えたお
方じゃろう」
- 9 :
- ほしゅ
- 10 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(15)
「うん、弁えた。ちょっと違うかのう。心得た、うん、うん、これも違う」
酔っ払い特有のしつこさで、信長の天才を表現する言葉を探し出す榊原。
「はじめて聞くお話で驚いておりまする。しかし、本当じゃろうか」
信之、顔をほんのり赤くして尋ねる。信之殿も、少し酔っておる。
「本当じゃ。姉川の戦での織田軍の戦死者は驚くほど少ない。名のある武将で
戦死しておるのは、先陣を承って気が逸っておった板井殿のご嫡子尚恒殿だけ
じゃ。もしほんとに突破されておったのならば、誰か名のある武将が戦死して
おるはずじゃし、戦死者ももっと多いはずじゃ」
兼続、榊原の盃に酒を注ぐ。弱いくせによく飲む男じゃ。ほんとは強いのかな。
「長谷川秀一殿をご存じじゃろうか。総見院様に側近として重用されたお方じ
ゃ。われらにとっても、命の恩人ともいうべき人で、本能寺の後、われらが無
事帰国できるように尽力して下さったお方じゃ。」
堀秀政殿は、関白殿下への使者、長谷川殿は、家康公の案内役として、本能寺
の災難を免れたのか。人の運命とは、測ることができないものじゃなあ。
「この長谷川殿が、姉川の戦の時の、総見院様の様子を教えてくださった。総
見院様は、旗本五千に、戦闘準備を下令した後、静かに、浅井の先鋒・磯野が
池田殿、柴田殿などの備えを突破するのを見ておったそうじゃ。そして、浅井
勢の兵士の疲労度を逐次、使い番に報告させておったそうじゃ。どんなに強く
ても、どんなに戦意があっても、戦い続ければ、疲れてくる。それを冷静に見
ておったそうじゃ。」
「しかし、総見院様が冷静に戦況を見ることができたのも、そなたら徳川勢が、
朝倉勢一万を、五千の手勢で引き受けておったからではないか」
兼続が質問する。
「朝倉義景自身が出陣しておらぬことで、わが殿も総見院様も、朝倉勢の戦意
のなさを見切っておった。しかし、朝倉義景は見下げ果てた男でござる。浅井
は、総見院様との同盟を破ってまで、朝倉を助けようとしたのに、そのせいで
浅井が攻められておるのに、自分自身で出陣せぬとは。武人の風上にもおけぬ
男じゃ。それに、総見院様は、われらが心おきなく戦えるように、後詰に充分
な兵力を用意してくださっておった」
そうかなあ。
「しかし、それは稲葉一鉄殿の兵一千ではないか。少ない気がするが」
「ははは、稲葉殿の後ろにも軍勢はおった。横山城の抑えとして配置されてお
った丹羽長秀殿の五千の兵じゃ。横山城は、この戦の直後、開城しておる故、
調略もすんでおったのじゃろう。つまり、抑えは偽装じゃ」
「稲葉殿の一千だけではなく、丹羽殿の五千も、徳川勢の後詰として、配置さ
れておったのですか」
信之も驚く。
「丹羽殿の配下には、安藤殿・氏家殿が配属されておった。この二人は、稲葉
殿と三人で西美濃三人衆といわれた方々じゃ。協同作戦もなれておる。わかる
か、もし、われらが朝倉勢に押されたら、稲葉様が後詰し、さらに安藤殿・氏
家殿、そして丹羽殿が救援をする仕掛けができておったのじゃ」
なんと、まあ。六千の援軍というわけか。
「総見院様は、わが殿が朝倉勢に対する先陣を買って出られた、心情を愛でら
れて、お許しになられたが、五千の軍勢で一万の軍勢が打ち破れると思うほど
甘きお方ではない。もしもの時に備えて、きちんと手は打つお方じゃ。また、
それゆえ、われらも心おきなく戦うことができたのじゃ。もっとも、朝倉勢が
予想外に早く崩れたので、稲葉殿・安藤殿・氏家殿の部隊は、浅井勢に振り向
けられることになったがのう。」
なんとなく、総見院様のことがわかったような気がする。何もかも、考え抜か
れておる、しかも、それを見せないお人じゃ。若年のころ、阿呆の振りをして、
敵を油断させたと聞いておるが、ほんに、知りがたきこと、陰のごとくじゃ。
「戦勝祝いの酒宴で、総見院様は、われら主従を激賞された。徳川殿のお蔭で
こたび、勝つことができたと仰せになられた。ほかのものは、有頂天になって
おったが、わしは、あまりうれしくなかった。殿も、わしと同じ気持ちじゃっ
たのか、そっと、信長公にはかなわぬなと、つぶやかれた」
- 11 :
- 対徳川の方針を巡る、反徳川の兼続と親徳川の藤田信吉との路線対立が
リアルに描かれる「天地人」
(対立する人間を矮小化、醜化するならまだしも、登場すらさせないってのはどうよ?)
- 12 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(16)
「そういえば、安土で何があったのじゃ。そなたたちの接待役は、明智じゃっ
たのじゃろう。何か、気づいたことはなかったのか」
本能寺は、われらにとっては、まさに天佑神助じゃった。原因を知りたいぞ。
「じぇんじぇん、ありましぇん」
いかん、こいつ完全に酔っ払っておるのか。
「いや、われら主従、あの後、何十回何百回と、みんなで話し合ったが、何も
思い当たることはなかった。そうじゃ、これを見ればわかる」
急に真顔になった榊原、懐から書付を取り出す。なんじゃろ。
「わしは、ちゃんと記録をつけておる。ええと、われらが浜松城を出発したの
が五月十一日、安土城についたのは五月十五日のことじゃ。殿は、さっそく総
見院様にお目にかかり、駿河拝領のお礼を言上された。右府様が、それがしを、
今川の人質から解放して下さり、そして今川と同じ身代まで引き立ててくださ
いました。そのご恩は終生忘れるものではございませぬ。今後も、犬馬の労を
厭いませぬ。なんなりとお申し付けくださいませ、といわれたそうじゃ」
家康公は、なにもかもよく心得たお人じゃのう。
「実は、殿は、武田滅亡後の徳川家の位置づけを心配しておられたようじゃ。
総見院様にとって、徳川の存在意義は東の藩屏として、武田の攻勢を防ぐとこ
ろにあった。しかし武田は滅び、関東管領として上野に入国した滝川一益殿が、
関東の諸将を糾合しておったし、北条も協力姿勢を見せておった。われらは、
当面何もすることがない状況じゃった。それを殿は心配されておった」
ふむ、家康公は、防衛本能もすごいお人じゃ。自分がわかっておる人なのかな。
「今後の徳川の扱いを、総見院様がどのようにお考えなのか、それを探る旅じ
ゃったのじゃ。われらは、呑気に、物見遊山のつもりじゃったが、流石に殿は
考えが深い。総見院様から、毛利征討のため援軍を頼まねばならぬかもしれぬ。
西国で、また逢おうと言われた時、しんからほっとしたそうじゃ」
三河・遠江・駿河の大大名なのに、誠実・謙虚な対応じゃ。これだけ、へりく
だっても、卑屈な印象がないのは、何故じゃろう。実があるということかな。
「明智のことといわれても、よくわからぬ。われらの接待役は、当初丹羽殿じ
ゃったのじゃが、四国征討の軍勢が大坂に集結中で、丹羽殿も準備のため忙し
くなったので、明智が代りを勤めることになったのじゃが、毛利と対陣中の関
白殿下、当時は羽柴殿じゃが、羽柴殿から、援軍要請が来たので、明智も出陣
することになったので、接待役をはずれた。これが十七日のことじゃ。われら
からみれば、明智の接待は、完璧なものじゃった」
書付に助けられたか、詳細な記憶を披露する榊原。
「しかし、料理の味付けが悪かったとか、魚が腐っていたとか、いろいろ言わ
れておるようですが。それで総見院様の御不興をかったとか」
信之が尋ねる。それがしも聞いたことがある。
「みな明智が謀反を起こした理由がわからぬので、いろいろなことを言うてお
るようじゃが、そんなことはなかった。すべての料理が美味かった。わが殿な
ど、美味い美味いと、お代りする勢いで平らげておった。わが殿は、若い時か
ら食いしん坊で、最近めきめき太っておる。はて、殿は子供でも身ごもってお
るのじゃろうかと、家臣どもに、からかわれておる程じゃ」
なんか徳川家中は愉快な雰囲気じゃのう。みな言いたい放題なのじゃろうか。
- 13 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(17)
「では、明智の謀反の原因は何だったのでしょうか」
信之がさらに尋ねる。
「出雲・石見への転封がいやじゃったとかいう話もあるようじゃが、毛利を滅
ぼした後のことであれば、何の不都合もないと思うぞ。総見院様は、ご自身の
出馬によって、毛利を滅ぼし、あわよくば九州まで平定するお考えじゃったの
じゃから。そうじゃなあ、あの時、わしが思うたことは、われらは二十一日、
甲斐から凱旋された信忠様と一緒に安土を出立し、上洛したのじゃが、信忠様
が、それがしの家臣どもは、みな東国で新しい領地を任され、張り切っており
ます。なにかのときは、徳川殿にご助力お願いするやもしれませぬ、と仰せに
なられた時に、そういえば、信忠様の軍勢は、旧武田領内に残ったままじゃ。
さすれば、こたびの羽柴殿への増援軍は、明智殿の部隊が主力じゃのう、と、
ちらと思うたくらいかな」
ふむむ、つまり軍事的空白が生まれたということか。
「佐久間様が追放された後、佐久間様の与力じゃったものは、ほとんど明智に
転属になったゆえ、明智軍の兵力は少なく見積もっても三万はあった。これに
対抗できる兵力を持つ、柴田殿は、上杉と対陣中じゃし、羽柴殿は、毛利と対
陣しておった。われら徳川は、上洛中じゃし、織田家中最大の戦力をもつ信忠
様の軍勢は旧武田領内に占領軍として残ったままじゃ。隙ができたということ
かのう」
「しかし大坂に集結中じゃった四国征討軍があったのではありませぬか」
信之、さらにさらに尋ねる。聞く手間が省けて助かる。
「四国征討軍は、寄せ集めの雑軍じゃ。征討軍の大将は信孝様・副将は丹羽殿
じゃったが、おふた方とも、なぜか領地は少ない。活躍の場に恵まれなかった
ということじゃと思うが、信孝様は五万石、丹羽殿は十万石程度のものじゃ。
それゆえ、近辺の牢人などをかきあつめて、一万五千の軍勢をしたてた。その
内情を、明智は知っておったのではないかのう。征討軍には、明智の娘婿の津
田信澄殿もおられたからのう」
「津田殿とはどなたでございますか」
「総見院様に殺された弟信之様のご子息じゃ。なかなかできるお人で、将来を
嘱望されておった。総見院様も大変ご寵愛されておったと聞いておる。」
「それがし、前田様より、明智の謀反の理由を、果てしない戦にうんざりした
からではないかと、聞いたことがあるのじゃが」
兼続も、つい尋ねる。
「それもあるかもしれぬのう。総見院様の敵は、戦えば戦うほど、強くなって
おった。降伏しても許されぬことが、だんだんに知れ渡っておったから。総見
院様は、そこらへんのこと、どのようにお考えじゃったのじゃろう」
榊原、思考がそれる。
「信忠様も家康公と一緒に堺に行かれるご予定じゃったそうですね」
信之殿は、なんでこんなに詳しいのじゃろう。
「それが運命の分かれ道、五月二十七日のことじゃ」
- 14 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(18)
「その日、わざわざ信忠様は、われらの宿舎まで来られ、上様が西国に出陣さ
れるのに、それがしが堺に物見遊山に行くわけにはまいりませぬ。上様の上洛
を待ち、そのまま西国に出陣することにいたしました、と仰せになられた。そ
して、われらが堺に出立するのを見送ってくださった。今思うと、これが運命
の分かれ目となった。もし、信忠様が、予定通り堺に行っておれば、明智も謀
反を起こさなかったかも知れぬ」
「なぜでございますか」
榊原殿と信之殿は、ぴったり呼吸があっておる。話し上手と聞き上手じゃ。
「総見院様と信忠様、お二人を倒さねば天下は取れないからじゃ。信忠様は、
武田攻めで赫々たる武勲をあげ、総見院様の御信任ますます厚く、後継者とし
ての地位を揺るぎのないものとしておった。もし、総見院様を討つことができ
たとしても、信忠様を討ちもらせば、信忠様のもとに織田家中のものが結集し
て、謀反軍は一気に殲滅されるじゃろう。お二人が、わずかな護衛で、京にお
る。自分は、編成の完結した一万三千の軍勢を有しておる。天下に望みのある
ものにとって、またとない好機じゃ。ほれ、天の与ふるを採らざれば、かえっ
てその咎を受くということじゃ」
「韓信か、しかし韓信の謀反も失敗しておるぞ」
兼続が受ける。
「してみると、総見院様を想う信忠様の孝心が、明智の謀反を招来したという
わけでございまするか」
信之がぽつりとつぶやく。
「隙ができたのじゃ。信忠様は、まったくよくできたお方じゃった。勇敢で、
士卒の心をつかんでおったし、わしらにも丁寧なお人じゃった。残念じゃ。大
体、明智のような牢人を重用した総見院様が悪い、流れ者は所詮流れ者じゃ。
われら徳川のものは、みなそう思っておる」
結束の固い三河衆の言いそうなことじゃが、それでは他国者は肩身が狭かろう。
「しかし、信雄様が伊勢におられましたでしょう。」
「小牧の戦いの進退を見ての通り、信雄様には、なにか欠けたところがある。
総見院様も、全然期待しておらず、家中の信望もなかった。そうじゃ、われら
は、本能寺の後、伊賀の国を通って命からがら脱出することができたのじゃが
伊賀の国は焦土となっておった。信雄様が、独断で伊賀攻めをして失敗し、激
怒された総見院様が大軍を派遣して、伊賀の民草を皆殺しにしたためじゃ。総
見院様らしからぬ短慮じゃ。伊賀は、甲賀と並んで細作の出身者が多い地域じ
ゃ。明智の率いる一万三千の大軍が、予定を変えて京に進軍してきたのに総見
院様のもとに情報が入らなかったのは、故郷を焼き払われた伊賀者が、怠業し
ておったのではないかという意見もある。服部半蔵がいうておった」
服部半蔵、徳川の諜報機関の長か、覚えておこう。しかし、榊原は、親切じゃ
が、枢機に参画しておる重臣にしては口が軽すぎる。それとも、何か魂胆があ
るのじゃろうか。酔っ払っていても相変わらず、感心なほど腹黒い兼続である。
- 15 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(19)
「五月二十九日、われらは堺についたのじゃが、信忠様が同行されなかったの
で、堺の衆はみな、がっかりしておった。利休様なども、青菜に塩のようなご
様子じゃった。みな、信忠様をお迎えするため、はりきって準備されておった
からのう。この世に二つとない珍しい宝ものを集めて、贅をこらした歓迎の茶
会がいくつも企画されておった。折角じゃからということで、わが殿が招待さ
れたのじゃが、わが殿は、さようなものに一切興味のないお人じゃ。これは、
肩衝きのなんとかの茶器と、説明する堺の衆が気の毒に思えたくらいじゃった」
榊原、思い出し笑いをする。
「もっとも殿も、信忠様のことばかり聞かれて往生したそうじゃ。信忠様は、
東国を平定したのじゃから、やはり征夷大将軍になられるのですかとか、それ
はいつじゃろうとか、いろいろ聞かれたそうじゃ。」
書付を見ながら話す榊原、次第に口調が沈んでくる。
「われらは、五月二十九日、六月一日と、堺に滞在し、六月二日に上洛して、
総見院様にお目にかかる予定じゃった。二日の朝、上洛する先ぶれとして、
本多平八が先発した。昼ごろ、われら主従が河内の飯盛山というところを進ん
でおったら、向こうから血相を変えた平八が茶屋を連れて馬を飛ばしてきた。
茶屋は、われらと昵懇の京の商人じゃ。そこで、本能寺の変の第一報を聞いた。
茶屋がわれらに変事を伝えようと早馬を飛ばしてきたところ、平八と行き当た
ったそうじゃ。総見院様、信忠様、討ち死にと聞いた。」
静かになる小屋、川の流れる音が聞こえてくる。
「驚いたとか、なんとか、言葉では言い表せぬような衝撃じゃ。みな、その場
にへたりこんだ。明智が謀反を起こすなど露ほども思うておらなかったからの
う。足元の地面が割れて、奈落の底に落ちるような心境じゃ。つい先日、お目
にかかったばかりの総見院様、信忠様が、もうこの世におられぬとは、信じら
れぬ気持ちじゃった」
「家康公のご様子は、どうだったのですか」
信之が尋ねる。
「わが殿は、道端にへたり込んだまま、静かに泣いておられた。総見院様は、
肉親のおらぬ殿にとって、実の兄のようなお方じゃったからのう。かなり、厳
しい兄上様じゃが。そして、殿は、このまま上洛して知恩院に入って、追腹を
切ると言いだされた。」
やはり、実のあるお人ということなのじゃろうか。
「われらも、それがよいかもしれぬと思うた。帰り道は、明智に封鎖されてお
るはずじゃし、変事を聞いて落ち武者狩りの一揆も現れるにきまっておる。
われらは、穴山様の人数を含めても五十人程度じゃ。どうしようもない。名も
知れぬ土民の手にかかって命を落すより、総見院様のご恩に報いるために、追
腹を切った方が、ましじゃ」
まさに絶対絶命じゃな。その場におれば、それがしも、そう思うやも知れぬ。
「ところが、平八が言い出した。武士は命を惜しんでなりませぬが、粗末にし
てもなりませぬ。もし、この変事が明日起こっておれば、われらも総見院様も
ろとも明智に討たれていたでありましょう。これを天運と思し召されよ。一刻
もはやく、三河に帰り、明智討伐の兵を挙げねばなりませぬ、と」
唐の頭に本多平八は、武勇だけのことではないようじゃ。
- 16 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(20)
「明智軍が乱入した時、本能寺には、厩番をしていたものが二十名ばかり、身
の回りの世話をする小姓が三十名ばかり、ほかは女房衆が数十名しかおらなか
ったということじゃ。そこに完全武装の明智軍の精鋭が攻め込んだのじゃから、
勝負はあっという間についた。信忠様が、謀反に気がついて、兵を集めて本能
寺に向かおうとしたが、その時には、もはや本能寺は焼け落ちておったという
ことじゃ。総見院様は、明智の謀反を知った時、是非に及ばずと仰せになられ
たそうじゃが、さぞかし無念であられたことであろう」
長い間の苦闘の末、天下統一のめどがたったところじゃったからのう。
「信忠様は、なぜ二条御所に立て篭もることにしたのじゃろ。逃げようとはさ
れなかったのじゃろうか」
信之、質問をする。
「二条御所はもともと総見院様の京の宿泊施設として造られたものじゃ。後に、
誠仁親王様に献上されたが。ゆえに、頑丈な要塞じゃ。ここに立て篭もって、
援軍を待つ考えじゃったのではないじゃろうか。」
ふむ、ふむ。
「永禄十二年正月に、三好三人衆が一万余の軍勢で、本圀寺の足利義昭様を襲
撃したことがあった。将軍様を守護する軍勢の中には、明智もおったが、奮戦
して、三好の攻撃を食い止めた。翌日になると、各地から援軍がきて、三好勢
は退却していった。二条御所に立て篭もるように進言したのは、村井殿らしい
が、瞬間そのことを思い出されたのではないじゃろうか。逃げて追っ手に捕捉
されることを考えると、より安全と思うたのではないか」
ふむ、ふむ、ふむ。
「信忠様のもとに、京の町に分宿しておった馬廻り衆が、三々五々集まってき
て、軍勢は千五百ばかりになったそうじゃ。数は少なく、鎧を着ておる者も、
おらぬが、一騎当千の兵ばかりじゃ。何度も門を開いて討って出て、明智軍を
さんざん討ち懲らしめた。明智の重臣が負傷し、名のある武者が何人も戦死し
た。ここで、明智は作戦を変更、隣の家の屋根に鉄砲隊・弓隊を登らせ、狙撃
することにした。飛び道具を持たない信忠様の軍勢には防ぐすべがなく、ばた
ばたと打ち倒され、とうとう信忠様も観念され、切腹されたということじゃ。」
「やはり、お逃げ遊ばされたほうがよかったのではないじゃろうか。現に、脱
出に成功したお方もおられるのではありますまいか」
「織田長益殿のことじゃろ。戦が半刻ばかりで終わったから、逃げた方がよい
という意見もよく聞くが、明智のように名もなき土民の手にかかって死ぬこと
もある。戦場では、なにもかも分からぬことばかりじゃ。何が正しく、間違っ
ておるかは、一概には言えぬ。もし、鉄砲隊が、隣家の屋根から狙撃しなかっ
たら、信忠様も持ちこたえることができたやもしれぬ。山崎合戦の後、信孝様
も関白殿下も、隣家の主人を詰問しておる。なぜ、屋根を貸したと」
詰問する気持ちもわからぬではないが、無理難題のような気もするのう。
「なぜ、そこまで知っておるのじゃ」
兼続が訊く。不思議じゃ。
「隣家の主人は、上杉とも昵懇のお人じゃ。前太政大臣近衛前久様じゃ。関白
殿下のあまりの剣幕に恐れをなして、浜松まで逃げてきておられる」
げらげら、笑う榊原。
なんと、やはり明智謀反の黒幕は朝廷勢力じゃったのじゃろうか。
- 17 :
- うむ、「信長燃ゆ」を思い出しますな
相変わらず面白いです!
- 18 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(21)
「明智謀反の黒幕は朝廷勢力で、近衛前久様が中心じゃったのじゃろうか」
近衛様は、謙信公と肝胆相照らす仲じゃったと聞いておるが、意外と辣腕の陰
謀家じゃったのじゃろうか。おそるおそる尋ねる兼続。
「近衛様は、勇気も行動力もあるお方じゃが、陰謀を企むようなお方ではない。
第一、総見院様と大変親しかったお人じゃ。関白殿下は、総見院様のお側に仕
えて立身出世されたお人ゆえ、信忠様が奇妙丸様と呼ばれておった御幼少のこ
ろから、よく遊んでおられたということじゃ。それゆえ、信忠様に対する哀惜
の念から、近衛様を詰問したのじゃろう。八つ当たりのようなものじゃ」
どうも、見方が甘いような気がする。榊原自身の人の好さはわかるのじゃが。
榊原は、戦巧者じゃし、外交の駆け引きもできるが、謀略が嫌いなようじゃ。
「信忠様は、純なお人じゃったから、関白殿下の気持ちは、わからぬでもない。
われらは信忠様と共に上洛したのじゃが、都の大官貴顕は、みな信忠様にとり
いらんと必死じゃった。なかには、えり抜きの美女を送り込んでくるお方もお
ったのじゃが、信忠様は鄭重に御断りされておった」
女嫌いなのじゃろうか。しかし、三法師様が生まれておるが。
「わが殿は、年がら年中、子作りに励んでおるお方故、不思議に思われたのか
酒の席でお尋ねになられた。信忠様は、女子は御嫌いなのじゃろうか、そうい
えば、なぜ御正室様を貰われぬのですか、と。すると、信忠様は、それがしに
は許婚がおりますると言われた」
兼続の脳裏に、高遠城で会った清らかな美女の顔が浮かぶ。
「武田の姫が、信忠様の許婚であったことは、われらも知っておったが、とう
の昔に婚約は破棄されておる。しかし、信忠様は、武田の姫のことを、まだ許
婚と言われたのじゃ。幼き頃に政略で決められた婚約を大切なものを思われて
おったのじゃ。じゃが、武田を滅ぼしたのは、信忠様じゃ。姫の兄上・仁科盛
信殿を討ちとったのも信忠様じゃ。姫の生死も不明じゃが、もし生きておられ
ても、嫁にするわけにはいくまい。姫もかつての許婚とはいえ、一族を滅ぼし
た張本人との婚姻を承知するまい。それに第一右府様もお許しにはなるまい。
われら一同、心の中で思ったが、口には出さなかった。すると、信忠様は、今
生で結ばれることはあきらめておりまする、といわれた」
そういえば、松姫様は、仁科殿の小さな姫などを連れて、信州・高遠から武州
・八王子まで無事避難することに成功しておるが、信忠様の意志が働いておっ
たのかもしれぬな。なにか、失恋したような気分じゃ。
「信忠様の武田攻めは、無人の野を行く勢いで進んでおった。総見院様の調略
によって、武田は、ばらばらにさせられておったからのう。唯一、抵抗したの
が、仁科殿の高遠城じゃ。勝ち戦に奢る信忠軍は、われ先に、高遠城に攻めか
かったのじゃが、伊奈衆の戦意は高く、攻め手の被害が続出し、攻撃は頓挫し
た。それゆえ、督戦するため信忠様自身が旗本を率いて、最前線まで進出した。
それを見た全軍が奮い立って、攻撃を再開した。そして、すさまじい斬り合い
となった。伊奈衆は、女子供に至るまで、なんとか一矢報いんと抵抗するもの
じゃから、こちらも、女子供に至るまで、いちいち殺していった。地獄図絵じ
ゃ。それを信忠様は、塀の上に立って見ておられたそうじゃ。手練の美しい女
武者がおったそうじゃ。何人もの武者を斬り殺したが、自らも負傷したのか、
刀を口にくわえて、さかさまに飛び降りて、自殺した。それを見て、信忠様は、
もう二度と、松姫に会うことはできぬと思われたそうじゃ」
兼続、高遠城で真田と仁科様にあったことを思い出す。平和を希求する民の願
いが、信長の天下一統を後押ししておるのではないかという仁科様の言葉を思
い出す。松姫様の顔を思い出す。なぜか、不意に涙ぐみそうになる兼続。それ
をごまかそうとして、寝たふりをする。すると疲れていたのか、本当に寝てし
まう。
- 19 :
- <反省会>
「いつものことじゃから、もう溜息も出ぬが、今回の旅も難航しておるようじ
ゃのう」
「御意、榊原がここまで話題豊富な男とは思いもよりませなんだ。筆者は、大
体、登場人物だけ決めて、あとは何も考えずに突き進むゆえ、頭を抱えるよう
な羽目になるのでござる。いささか、つめこみすぎでござるな」
「まだ、富士川河畔で酔いつぶれておるのじゃろう。三方ヶ原は、まだ遠そう
じゃのう。本多平八もまだ来ぬようじゃし」
「ゴドーを待ちながら、でも気取っておるのでしょうか。極端に話が進まない
という点で不条理といえば不条理じゃが」
「しかし、徳川家康は不思議なお人じゃ。関ヶ原・大坂の陣が本心で、それま
でが、演技だったのじゃろうか。野心を隠しておったのじゃろうか」
「そこがわからぬから、筆者も困っておるのでしょう。三方ヶ原は、家康公を
解く鍵でござる。この敗戦は、かれの重大な栄光となった、と司馬先生も論じ
ておられまする。それに、関ヶ原も大坂の陣も、城からおびき出して野外決戦
で勝負をつけておりまする。御自分が、おびき出された三方ヶ原から、学んで
おられるのでしょう」
「それに、そなたのことを誰よりも分かっておるのは、もしかして大御所様か
もしれぬのう。大御所様は、古典を収集し、それを出版することに力を注いで
おられる。文を以って天下を治めんとしておられるのじゃ。そんなこと考えて
おるのは、天下に大御所様とそなたしかおらぬのではないか。読書傾向もぴっ
たりあっておるように思うが」
「そういえば、大御所様は、亡くなる直前、『群書治要』の出版を下命されて
おられましたが、校合するためか、それがしに『群書治要』を持っておられる
か、お尋ねになっておられます」
「関ヶ原で敵対した毛利輝元殿は隠居に追い込まれ、前田利長殿も自ら早死に
したいと言われるほど、追いつめられておったのに、上杉は領土は減らされた
ものの、お館さまもそなたも、まったく変化なしじゃ。それどころか、そなた
は江戸城でも、大威張りじゃったと、徳川譜代の者どもがペコペコしておった
といわれておるが、案外大御所様がそなたに一目置いておったせいかもしれぬ
のう」
「関ヶ原戦後、降伏のため上洛した、それがしに対し、大御所様は、日本の天
下は両人の手にありしが、既にわが手に落つれば、子吾に輸せり(子吾に屈せ
り)と、仰せになられました。関ヶ原の戦いは、大御所様とそれがしの戦いじ
ゃったということでございますね。過分のお言葉でございますが」
「うむ、関ヶ原も複雑じゃな。しかし、いつになったら関ヶ原にたどり着くの
じゃ。去年から天正十四年をさまよっておるぞ」
「もはや、のだめちゃんどころではありません。『神聖喜劇』や『戦争と人間』
ペースになっており、筆者も完全に開き直っております」
「どうなることやら、そういえば、気がついたこと忘れないようにメモってお
こう。毛利は、なぜ高松城水攻めの時、講和条件を承諾したのじゃろう。信長
公記には、攻めつぶす気じゃったと書かれておるが、毛利が講和しても意味が
ないではないか。なぜじゃろう。ははあ、どうせ、筆者のことじゃから、小早
川殿に聞くのではないじゃろうか。」
「さらに脱線する気満々でございまするね。ほんに、読んで下さる読者の皆様
には、感謝感謝あるのみでございまする」
- 20 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(22)
川の流れる音に目を醒ました兼続、小屋を出る。空はうす紫色で、東の方は白
みがかっている。もうすぐ夜が明けそうだ。
やれやれ、不覚じゃった。頭が痛いぞ。川の水で、顔を洗っていると、信之も
起きてきた。
「榊原殿は、まだ寝ておられるのか」
「はい、ご家老さまがお休みになった後も、榊原殿のお話は止まらず、大層お
もしろうございました」
「どんなお話じゃったのじゃ」
「長篠のお話でござりました。それがしの伯父が二人も戦死した戦でございま
するが、総見院様の謀事は、人智を超えたものでござりまするね。悔しいのを
通り超して、感心いたしました」
残念、聞きそこなった。二人が話していると、向こう岸に黒い騎馬隊が現れた。
先頭には本の字の旗指物がはためいている。
向こうも二人に気づいたのか、騎馬隊が割れて、なかから一人の長身の武者が、
かなりの早さで駆けてきて、そのまま揺れる橋を渡りきり、こちらに近づいて
くる。大変な技量じゃ。これが、東国一の勇士と謳われる本多平八か、感心し
ていると、本多平八、みのこなしも軽く馬から跳び降りた。
「お待たせいたしました。その御様子では、榊原の独演会に付き合わされたよ
うじゃのう。おお、その前に、遅れたことをお詫びする。大体、井伊が、精鋭
を預かったことで、うれしがり、機動演習など考えたせいじゃ。舟橋ひとつで、
三千の兵を渡河させるのに、どれくらい時間がかかるか、分かりそうなものじ
ゃ。おかげで、わしらは駿府で一日中待機させられた」
本多の配下の部将が近づいてきて、指示を仰ぐ。本多平八、手を挙げて、部下
に、こちら岸に渡るように指示する。そして、二人に向きおなり自己紹介する。
「おお、忘れておった。それがしは徳川の家臣本多平八郎忠勝でございまする」
「それがしは、直江山城守兼続でございまする。こちらは、真田昌幸殿の長子
信之殿でございまする」
信之も軽く会釈する。
「おお、そなたが直江殿か、関白殿下お気に入りの切れ者と聞いておったが、
お若いのに吃驚いたしました。そなたが、真田信之殿か、上田合戦の活躍は
聞いておる。しかし、そなたは」
本多平八、信之のまわりをぐるぐる回る。
「大きいのう。見事な武者ぶりじゃったと聞いておったが、これほどの大男と
は思わなんだ」
確かにそれは言える。これほど大きい男は、藤堂くらいのものじゃ。
本多の配下のものが、手早く床几を持ってきて席を作り、朝粥を持ってきてく
れる。本多の部隊は、ここで朝食を採るつもりのようだ。
「榊原は、荒れておったじゃろう。あやつは井伊のことが羨ましくて仕方がな
いのじゃ。おかしな男じゃ。兵など訓練次第でどうにでもなるのに」
流石、小牧の陣で、関白殿下の大軍の進撃を、わずかな兵で遅延させようとし
た勇将のいうことは違う。武勇絶倫じゃから、どうでもよいのじゃろうか。
「いや、榊原殿は、われらに懇切丁寧にお話して下さいました」
兼続、弁護する。
「そうであったか。実は、榊原は、そなたたちに力を貸して、殿に上洛を決意
させ、自分の能力を殿に見せつけたいのじゃ。最近殿は、帰り新参のものを重
用しておる。それが、榊原には、我慢ならないのじゃよ」
ほうほう、榊原は好い男じゃが、謀略の話し相手にはなるまい。重用しておる
といえば、井伊のことじゃろうか。しかし、井伊は、遠江出身じゃが、帰り新
参者ではないとおもうが。誰じゃろう。兼続、注意深く、聞き耳をたてる。
- 21 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(23)
「重用されておるお方とは、井伊様のことでしょうか」
相変わらず、物おじしない信之、あっさり聞いてくれる。
「井伊は、あたりは柔らかいが、胆力もあり、知恵も回る男じゃが、本質的に
は武人じゃ。謀略は陰険で腹黒いものでなければ務まらぬ」
自分のことを言われておるのかと、どきどきする兼続。しかし誰じゃろう。本
能寺以降の家康公の変化は、その男が帷幄に参じたからなのじゃろうか
「おお、平八。遅かったのう」
榊原が、寝ぼけまなこで起きてきた。
「小平太、客人より遅く起きてくるとは、たるんでおるぞ」
さっそく出発する一行。しかし、数千の軍勢を率いての行軍なので、速度は遅
い。昼ごろ、天竜川が見えてきた。川を渡れば、浜松まで少しじゃ。
「そういえば、一言坂とは、この辺りではございませぬか」
おお、本多平八の武勇が天下に轟いた戦さじゃ。三方ヶ原の前哨戦にあたる。
家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八と、謳われた戦じゃ。
しかし、本多平八、つまらなそうに信之に答える。
「武田に追いまくられただけの戦じゃ。それにしても、驚くのは、武田の兵要
地誌の調査能力じゃ。武田が、天竜川沿いに南下してきたので、殿自身が、三
千の兵を率いて、川を渡って威力偵察に出た。相手は大軍じゃが、こちらには
地の利がある。包囲されそうになっても、武田の知らない近道を通って脱出で
きると、高を括って出陣してみたのじゃが、どうやっても振りきれないのじゃ。
それゆえ、それがしが殿軍を買って出ただけの話じゃ。武田全軍が、遠江の地
理を飲みこんでおった。やっと振りきったと思ったら、騎馬隊が先回りして、
襲撃してくるのじゃ。大乱戦となった、わしは槍を振り回して、武田の出足を
止めておっただけじゃ」
ここで、本多平八、槍持ちに槍を持ってこさせる。
「そなた、これを持ってみよ」
おお、これが蜻蛉切りか、ほんとに槍先にとまった蜻蛉が真っ二つになるのじ
ゃろうか、きょろきょろ蜻蛉を探す兼続。
びゅんびゅん、軽く振り回す信之。あつらえたようにぴったりじゃのう。
「そういえば父に聞いたことがあります。信玄公は、出陣する前に、攻め込む
地域の、小川や深田や間道の所在まで、すべてを綿密に調査させ、それを、信
玄公も加わった侍大将の軍議で、詳細に検討し、絵図面を作成して、全軍に徹
底させると」
そうじゃろう。そうじゃろう。兼続、いつか高坂にもらった資料を思い出す。
「ほうほう」
喜んでいる本多平八。信之を、えらく気に入った様子。
「婿にでもする気じゃろうか」
榊原が、兼続に話しかけてきた。
「信玄公ほど、狡賢く悪どいお方はおらぬのう、さすがの総見院様でさえ、こ
ろりと騙されてしもうた。本来ならば、信玄公の西上作戦など不可能であった
はずじゃ」
榊原は、徳川の外交担当の重臣じゃ。おもしろそうな話が聞けそうじゃ。
- 22 :
- <研究ノート>
「なんですかな、<研究ノート>とは。何を始めたのでございますか」
「実は、筆者がストーリーを決めるために、最も参考にしておる本のひとつが
鴨川達夫先生の『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像―』(岩波新書
二〇〇七年三月二〇日)じゃが、このなかで先生は、元亀二年の武田の三河進
攻はなかったと論じられておる。天正三年の長篠直前の勝頼公の行動と誤認さ
れておると。状況的に、説得力のあるお話じゃ。ゆえに、この説を採用するこ
とに決めたのじゃが、定説と違うので、他の文書との整合性が不明となり、ち
ょっと時系列がわからなくなったのじゃ」
1560年(永禄三年)桶狭間の戦
1567年(永禄十年)義信、自害
1568年(永禄十一年)信玄、信長と同盟(七月)駿河進攻を開始(十二月)
1569年(永禄十二年)北条、上杉と同盟(五月)信玄、小田原攻撃(十月)
1570年(元亀元年)徳川、上杉と同盟(十月)。
1571年(元亀二年)北条、上杉との同盟を破棄、武田と同盟(十二月)
1572年(元亀三年)信玄、軍を発す(九月)三方ヶ原の戦(十二月)
「鴨川先生は、上杉・北条・徳川に包囲されておる元亀二年春の段階で、三河
を攻撃するということは、自動的に信長公を敵に廻すことになる故、ありえな
いという御説じゃ」
「筆者は、織田と武田の同盟は、信長の上洛のためじゃと思い込んでおったが、
武田の駿河進攻作戦のためでもあったわけですね」
「うむ、筆者は基本的なことが分かってないのじゃ。国盗物語を読んでから何
十年もたつが、はじめて、気づいたぞ。余りわれらが話すと榊原のセリフがな
くなるので、本編にもどるぞ」
- 23 :
- ほしゅ
- 24 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(24)
「万事抜け目のない総見院様が騙されるようなことがあったのじゃろうか」
兼続が訊く。
「ご存じないのか。信玄公が西上作戦を開始したとき、総見院様は、信玄公の
依頼に基づいて、武田と上杉の和睦の仲介をしておったのじゃ。間抜けな話じ
ゃろう。完全に騙されておる。ええと」
榊原、懐から例の書付を取り出す。ちょっとほしくなってきた兼続。
「山県の軍勢が動き出したのは、元亀三年九月末じゃ。五千の部隊が、三河北
部に侵入してきた。引き続いて二万二千の本隊が、天竜川に沿って南下、二俣
城を包囲した。これで遠江は東西に分断され、東に孤立した掛川城・高天神城
は、戦局に全く寄与しない存在になった。まったく見事じゃ。さらに、秋山の
別働隊が美濃に進攻し、岩村城を攻略した。これが、ええと十一月十四日のこ
とじゃ。長島の一向一揆も動き出し、これで総見院様は、岐阜城を動けなくな
った。信玄公に騙され、絶体絶命となった総見院様は、信玄公に対するすさま
じい怒りをぶちまけた書状を謙信公に送っておられる」
ほうほう、謙信公に。しかしそれがしは当時十二歳じゃ。知るわけあるまい。
「なぜ、それを知っておるのじゃ」
総見院様の謙信公への書状の内容を、なぜ徳川が知っておるのじゃ?
「織田から、武田と絶縁した証拠として、写しが送られてきたのじゃ。ええと、
こうじゃ。信玄の所行、まことに前代未聞の無道といえり。侍の義理を知らず、
それにこうも書いてある。未来永劫を経候といえども、再びあい通じまじく候
とな」
確かに、すさまじい怒りじゃ。総見院様は根に持つお人じゃからのう、勝頼公
は和睦を必死に追求されておったが、詮なき努力じゃったのかもしれぬ。
「なぜか、総見院様は、信玄公のことを信頼しておったのじゃ。自分には敵対
しないと思い込んでおられた。われらは、最初から気がついておったのに」
ふむ。
「永禄十一年、総見院様の仲介で、山県と穴山殿が使者として来た。今川領の
駿河・遠江を武田・徳川で分割する悪だくみじゃ。武田は、総見院様を通せば
徳川は拒否できまいと踏んでおったようじゃ。われらにとっても、渡りに舟の
話じゃ。しかし、後がこわい話でもある。わが殿も、金を滅ぼして蒙古に滅ぼ
された南宋みたいになってはならぬと最初から仰せじゃった」
ふむ、ふむ。やはり、家康公は、好学のお人じゃ。歴史を学んでおられる。
「嫡子義信殿をはじめ親今川勢力をすべて粛清してまで、南進してくるのじゃ。
駿河一国で満足するはずがない。あわよくば、遠江もとり、三河も併呑するつ
もりなのは、最初から、分かっておった。そして、われらも、武田を包囲して
攻めつぶすことを考えた。やらなければやられる。共存は無理じゃ」
ふむ、ふむ、ふむ。小牧の戦のときも、徳川は、たくみな外交戦をしておった
が、昔からそうなのか。
- 25 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(25)
「永禄十一年十二月に武田の駿河進攻作戦が開始された。武田の軍勢の勢いは
すさまじいもので、七日で駿府を占領した。疾きこと風の如く、という文句そ
のままの速さじゃ。われらも、武田との約定に従って、遠江に出陣、駿府より
逃亡してきた氏真公を掛川城に包囲した」
ふむ、武田の進撃も早いが、徳川も早いのう。
「徳川の進撃も早いようじゃが、今川に対する調略が進んでおったのか」
兼続が質問する。
「氏真公は、求心力を失っておったからのう。もっとも忠実かつ精鋭の今川の
本陣勢が桶狭間で全滅しておるのじゃから、いかに名門今川といえども、武力
の裏付けがなければ、家臣に言うことを聞かせることはできぬ。ある意味、長
篠以降の勝頼公より大変じゃったといえるのではないかのう」
ふむ、そういえばそうじゃ。氏真公は、手の打ちようがなかったかもしれぬな。
「武田が駿府を攻略したのが、十二月十三日。われらが、掛川城を包囲したの
が、十二月二十七日のことじゃ。」
榊原、書付を見ながら、得意気に言う。本当に、何から何まで書いてあるのう。
「ところがじゃ、秋山信友の軍勢が、突然、天竜川沿いに南下してきて、見附
に着陣し、掛川を包囲しておる、わが軍勢と、三河との連絡を遮断した。やは
り、案の定じゃ。武田信玄、あわよくば、わが軍勢を殲滅して、遠江も、併呑
しようと考えておったのじゃ。わが殿は、最初から、腹を括っておったから、
武田に厳重な抗議の使者を送った。返答次第では、武田と戦を始めるつもりじ
ゃった」
ふむ、家康公は、切所では、かならず気魄で押し切ろうとするお人なのじゃろ
うか。総見院様のような天才でもないし、関白殿下のように大きな器量がある
わけでもない、しかし、武人として、共感できるお人じゃ。
「すると、武田信玄、秋山の軍を撤退させると、鄭重なお詫びの書状を送って
よこした」
なんと。
「秋山の独断によるものじゃったのじゃろうか」
「秋山は、武田家中第一の切れ者じゃが、独断で軍を動かすことなどありえよ
うはずがない。信玄の意向を体した行動じゃ。北条が今川救援の軍勢を発した
ので、方針を変えただけじゃ」
「北条にしては、速い行動じゃのう」
「駿河は、北条の本国ともいうべき、伊豆・相模の隣国じゃからのう。即座に
大軍を招集するとともに水軍まで繰り出して今川救援に乗り出してきた。」
ふむ、信玄公は、北条に了解をとっておらなかったのじゃろうか。焦っておっ
たのじゃろうか。
- 26 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(26)
「北条氏政公が、伊豆・三島に出陣したのは十二月十二日、水軍を使って掛川
に援軍を送ったのが十二月二十三日じゃ。確かに早い。北条の初代・早雲公は
今川の家臣じゃったお人じゃから、代々の深い縁があるからではないか」
榊原、書付を見ながら、得意げに、しかし呑気そうに言う。
「そして、北条が謙信公に和睦を申し入れたのも、同じ十二月二十三日じゃ」
黙って聞いていた兼続、あることに気がつく。いくらなんでも、早すぎる。
今川への援軍のことはともかくとして、謙信公との和睦は、北条にとって、外
交革命ともいうべき、一大方針転換じゃ。万事、のんびりしておる北条にして
は、対応が機敏すぎる。北条は、信玄公の駿河進攻作戦を知っておったのでは
ないか。
「信玄公の駿河進攻作戦の開始時期を、誰かが北条に教えたようじゃのう。信
玄公の駿河進攻作戦は、極秘の作戦ではなかったか。信玄公は、越中の一向一
揆を動かして、謙信公を越中に引き寄せた後、本庄に謀反を起こさせた。そし
て、自身は飯山城を攻撃しておる。これが、永禄十二年の七月のことじゃ。そ
の後も、信濃・長沼に陣を張っておった。誰が、どう考えても、越後に攻め込
む態勢じゃ。現に、謀反を起こした本庄など、信玄公が後詰のため、越後に進
攻すると、最後の最後まで信じておった」
兼続、榊原の顔を覗き込む。本庄、元気にしておるじゃろうか。
「ところが、信玄公は、突如南進して、駿河進攻作戦を開始した。電撃戦じゃ。
あっという間に、駿府を攻略した。信玄公は、一気に駿河を制圧して、既成事
実を作ったのち、富士川以東の地を割譲することで、北条との折り合いをつけ
たい心づもりをされておったようじゃ。ところがじゃ、虚を突かれたはずの北
条は、機敏に対応しておる。三百艘の軍船で掛川に援軍を送る一方、氏政公自
身が主力を率いて、三島まで出陣してきた。できすぎておる。誰かが、北条に
軍機を教えておる」
さらに榊原をじっと覗き込む兼続。
「誰じゃろう」
とぼける榊原。
「武田の駿河進攻作戦の開始時期を知っておるのは、今川領分割の密約をした
徳川殿しかおらぬのではないか」
さらにたたみかける兼続。
「やれやれ、噂にたがわぬお人じゃ」
観念したようにつぶやいた榊原。
「北条氏康公の五男氏規殿と、わが殿は親しい。今川の人質時代、隣に住んで
おったのが、氏規殿じゃ。われらは、信玄公が駿河進攻作戦を開始する以前か
ら、氏規殿と緊密に連絡をとり、武田を一気に滅ぼす計画をたてた」
やはり。しかし徳川は目立たないが、外交が上手い。なぜじゃろう。
「永禄十二年正月、北条勢は駿河・薩唾峠に進出した。これで、久能山に布陣
しておる武田軍は甲斐への退路を断たれたことになった。形勢逆転じゃ。これ
で、謙信公が信濃に進攻すれば、武田領内は大混乱に陥り、武田軍も土崩瓦解
する。われらも、西から信玄公を攻撃するため、掛川城内の氏真公との和睦を
ひそかに進めておった」
「完璧な作戦じゃなあ。」
感心する兼続。
「おうよ、信玄公は慎重なお人じゃが、このときは何もかも拙速じゃった。そ
こを狙ったのじゃ。ところがじゃ」
榊原の顔が、曇ってくる。
「総見院様が、絶対絶命の武田信玄に救いの手を差しのべたのじゃ」
- 27 :
- 暑いけど頑張ってください!
- 28 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(27)
「もうすぐ天竜川じゃ。川を越えると、すぐに浜松城じゃ」
あまりの長い行軍に気を使ったのか、榊原が教えてくれる。
駿河・遠江は、大きな川のある、水利に恵まれた豊かな国じゃが、田畑が荒れ
ておる。働き手が、ごっそり徴兵・徴用されて、おるようじゃな。この有り様
では、早晩飢饉が発生するやもしれぬ。末期の武田領内のようになっておる。
家康公は、この農村の惨状を、どのように考えておるのじゃろうか。
「われらは、謙信公の信濃出陣の知らせを待っておった。北条の大軍が、薩?
峠を封鎖しておるため、武田の本隊は、甲斐に帰りたくとも帰れず、駿河・久
能山で立ち往生しておった。武田は、二万足らずの軍勢、北条は四万を超える
大軍じゃ。そして、われらは、今川との和睦をすすめ、西から、武田の背後を
つき、武田軍を殲滅するつもりじゃった。ところがじゃ、いくら待っても謙信
公信濃出陣の報告がこないのじゃ」
榊原、真顔になって、兼続の顔を見る。
「謙信公にとっても、宿敵武田を滅ぼす、千載一遇の好機じゃ。われらは、謙
信公が、躍りあがって、信濃に攻め込むと信じて疑っておらなかった。ええと」
榊原、例の書付を取り出す。
「永禄十二年の三月に、本庄が降伏した。これで、謙信公は村上城を包囲して
おった部隊も、使えるようになった。一方、信玄公は、甲斐への退路を開くた
めに、必死で薩?峠の北条を攻撃したが、うまくいかず、被害続出じゃ。とこ
ろがじゃ、信越国境の雪が溶けても、上杉は動かなかった。北条は、地団太踏
んで焦っておった。ここで、武田を滅ぼすことができなければ、武田の反撃に
あうことになるからのう。謙信公の性格を、われらは読み違えておったという
ことじゃ。不思議なお人じゃ。本庄まで調略されて、煮え湯を飲まされておる
のに、千載一遇の好機を見逃すとは」
「それは、将軍家から、武田との和睦をすすめる御内書が届いたからじゃ。謙
信公は、関東管領のお役目を大切に思われておった。そのお方が、将軍様のご
意向を無視するわけがないじゃろう」
兼続、自分自身不思議に思いながら、一応答える。
「謙信公は、そういうお人なのじゃ。自分の利害では、戦はせぬ。それに、不
思議なのは、総見院様も同じじゃろう。前年の九月に、将軍義昭様を奉じて上
洛を果たしたばかり、総見院様と将軍様の仲も良かった時期じゃ。将軍家の御
内書は、総見院様のお考えで、出されたものじゃろう。総見院様が、武田に救
いの手をさしのべたわけじゃな、後から、考えれば、迂闊な話じゃ」
兼続、逆に聞く。
「実は、われらも驚いたのじゃ。堅実・慎重な信玄公が、ここまで強引な作戦
をとったのは、総見院様が上洛を果たされたからじゃ。信玄公は、総見院様を
最終的には打倒するために、駿河進攻作戦を発起したのに、われらの意向を無
視して、将軍様に働きかけた。今、考えても、このときの総見院様の判断は、
間違っておるとしかいいようがないのう」
総見院様にとって、徳川も武田も親戚じゃ。徳川より、武田の方を重視してお
ったということなのじゃろうか、冷静沈着な外交をする総見院様にしては、不
可思議な話じゃな。
- 29 :
- てす
- 30 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(28)
やっと天竜川に到着したが、馬が水を飲みたがって進まなくなったので、大休
止となる。河原の土手にしゃがみこむ兼続と榊原。信之を探すと、本多平八と
二人で、代わる代わる河原の葦草を、槍の穂先で横薙ぎにしている。しかも、
片手で。一体、何の修練なのじゃろう。しかし、二人とも、大変な力持ちじゃ。
なにやら楽しそうじゃのう。
「面白いものを見せてしんぜよう」
榊原、例の書付をめくりながら、手を止め、その頁を差し出す。
「なになに。信越の境、雪消え、馬足叶い候よう告げきたり候。然らば輝虎信
州に向け出勢必定に候。よんどころなき進退の条、無二薩?山に取りかかり、
興亡の一戦を遂ぐべく候。なんじゃ」
「信玄公が、永禄十二年三月に、京に派遣しておった家臣に送った手紙の一部
じゃ。前年の十二月に出陣して、駿河を制圧したのはよいが、北条の大軍に、
甲斐への退路を遮断され、一月二月三月と長期の対陣を強いられておった時に
出されたものじゃ。ここも、ご覧くだされ」
「ふむ、信玄ことは、ただいま信長を頼むほか、また味方なく候。この時、い
ささかも疎略あるに於いては、信玄滅亡疑いなく候。これを、信玄公が、書い
たのか。相当に、追いつめられておったようじゃのう」
「北条は、退路を遮断するだけではなく、間道を通ってくる武田の小荷駄隊を
襲撃して、補給線も完全に絶った。現地調達しようとしても、春じゃ。一年で
一番食糧の少ない季節じゃ。また、田植えの時期でもある。兵どもは、田を恋
しがって、浮足立って、一刻も早く帰りたがっておる。その上、同盟していた
はずの徳川も、今川との和睦して、東進を開始した。北条と連携して武田勢を
包囲殲滅する態勢じゃ」
榊原、他人事みたいに言うておるが、徳川も大概腹黒いのう。
「その上、謙信公が、信濃に進撃してきたら、武田の領国は瓦解する。だから、
必死で、総見院様にお願いして、将軍様の御内書で謙信公を抑えようとしたの
じゃ。武田信玄、絶体絶命でも、やるべきことをやっておる」
しかし、それにしても、謙信公は、この千載一遇の機会を逃したのじゃろう。
関東でも、北陸でも、謙信公の理想実現の邪魔を一番しておったのが、信玄公
なのに。うん。
「なぜ、そこまで詳しく知っておるのじゃ」
「信玄公が、訓令の手紙を出した相手は、穴山梅雪殿の家来の市川右衛門尉と
いうお人なのじゃが、われらが穴山殿と一緒に、総見院様に招待された時、京
をよく知る者として、穴山様に随行しておったのじゃ。本人から、直接聞いた。
市川殿は、総見院様に、信玄公の手紙を、そのまま見せてお願いしたそうじゃ」
「総見院様に見放されたら、信玄滅亡疑いなく候と書いてあるのを、みれば、
総見院様も心を動かされたのじゃろうか」
武田信玄、流石じゃ。謙信公の抑えどころを心得ておる。しかし、なぜ、信濃
に進撃しなかったのじゃろう。高坂が八千の兵を率いて、海津城におったから
じゃろうか。惜しい。惜しいのう。はるか、昔のことを悔しがる兼続。
- 31 :
- 地元の話だ、嬉しい!
- 32 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(29)
「北条は、地団駄踏んで悔しがっておった。氏康公をはじめ、氏邦様・氏照様
など一門の方々が、謙信公に出陣を要請する手紙を、次々と出したが、謙信公
は動かれなかった。北条とすれば、武田を滅ぼした後、謙信公との、和睦交渉
をすればよいと考えておったのじゃな。謙信公からは、上野はもちろん、武蔵
・下野の返還を要求されておったからのう。武田を滅ぼせば、西上野・信濃・
甲斐を分割することになるのじゃから、交渉もよほど簡単になるはずじゃと」
ふむ、北条はそのように考えておったのか。北条は、謙信公のことが何もわか
っておらぬようじゃ。謙信公は関東管領として、関東の秩序回復を志しておっ
たのであり、別に領土的野心があったわけではないぞ。
「いつまでたっても、上杉が動かないので、われらも腹を括った。武田軍の退
路は、薩?峠に布陣する北条が断っておる。そこで、われらが武田の背後に攻
めかかるのを契機に、北条と総攻撃することにした。田植えのため、家に帰り
たがっておったのは、われらの方もおなじじゃからのう。ところがじゃ、武田
は、われらが動き出したのを探知した直後、興津川沿いに北上、撤退を開始し
た。武田には、金山の採掘をしていた者どもをそのまま工兵にした部隊がある。
これらのものどもが、突貫工事で道を作っておったのじゃ。薩?峠を越えられ
ないと考えて、何カ月もかけて脱出路を啓開させておったのじゃ」
ふむ、城の水の手を絶つだけではなく、いろいろな使い道があるようじゃ。
「われらは間に合わず、北条は追撃し、かなりの戦果をあげたが、とうとう信
玄公を討ち漏らしてしもうた」
残念そうに榊原が言う。
- 33 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(30)
ちょうど昼になったので、弁当が配られる。本当に至れりつくせりじゃ。
「何の話をしておるのじゃ」
いつの間にか、本多平八と真田信之も傍に座って弁当を広げている。
「信玄公が駿河進攻したとき、なぜ謙信公は信濃に攻め込まなかったか、直江
殿に訊いておったのじゃ」
またまた、むしかえすのか。いさかかしつこい。魂胆があるのじゃろうか。
「なぜでございますか」
案の定、信之がくいついてくる。
謙信公のお考えを、それがしごときが忖度して、他家の人間に話してよいもの
じゃろうか。珍しく、躊躇する兼続。
「謙信公は昔の人なのじゃ。これは、総見院様の受け売りじゃが」
本多平八が助け船を出してくれる。
「長篠の後、祝宴が開かれた。最強武田軍を打ち破り、東方の脅威から解放さ
れたのじゃから、みな心底からほっとしており、にぎやかなものとなった。総
見院様も、いつになく御機嫌じゃった。その場で、わが殿が訊いたのじゃ。武
田の次は上杉ですかと」
ほんに家康公は、先をよく考えておるお人じゃな。苦笑いの兼続。
「総見院様は、笑って、上杉殿は、今のところは、われらの大切な同盟者じゃ
が、しかし、それがいつまでつづくか分からぬ。毛利に庇護されておる将軍様
が、上杉殿に御内書を出して働きかければ、上杉殿は、信長討伐の兵を挙げる
じゃろうとおおせじゃった」
ふむ、そのとおりじゃが。
「わが殿は、上杉殿は、何を考えておるのか、わからぬお人でございまするな
と、総見院様に話しておられたなあ」
なんと、聞き捨てならぬ物言いじゃ。
「謙信公は、軍を発する前に急逝された故、生涯かけて何をやりたかったのか、
わからなくなったように見えるが、あの時、春日山には数万の大軍が集結して
おった。関東を平定した後、上洛するつもりじゃったと、そして、それはたや
すきことであったと、それがしは信じておる」
珍しくむきになる兼続。
笑って本多平八。
「そのことは、総見院様はもちろん、われらもわかっておった。われらが、わ
からぬのは、戦の目的じゃ」
「室町幕府の再興じゃ」
「それが、わからぬというておるのじゃ。何の力もない将軍様に何ができると
いうのじゃ。上杉殿は関東に何度も出撃して、関東公方を頂点とする旧秩序の
再構築に半生をかけておったが、完全に失敗しておるではないか」
ふむ、そういう見方もあるのか。
「謙信公には、御自分が何かになる、何かをするという欲がない。それが、謙
信公の特徴じゃ。個人としては、りっぱなお人じゃろう。しかし、幕府を再興
して何になると言うのじゃ。それで、民の暮らしがよくなるのじゃろうか。百
年の戦乱を引き起こし、民に塗炭の苦しみを強いてきたのが、足利幕府ではな
いのか。わが殿は、そこを不思議がっておったのじゃ」
ううん。
「総見院様は、要するに、謙信公は昔のお人なのじゃ。わしが、斯波の名跡を
継ぎ、将軍様の名前を頂いて、斯波昭長などと名乗り、管領あるいは副将軍と
なって幕府の柱石となること、何の意味も見出せぬが、謙信公は、そういう生
き方なのじゃ。わしと違って、高い教養と厚い宗教心のあるお人ゆえかのう、
というておられた」
う、ぐうの音も出なくなった兼続。家康公には、天下を治める経綸があるとい
うことなのじゃろうか。それは、総見院様の影響なのじゃろうか。
- 34 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(31)
「謙信公のお父上長尾為景殿は、越後守護・関東管領を討ちとった下剋上の極
めつけのようなお人じゃが、なんとも奇特なお子が生まれたものじゃ」
まだ言うか、しかし、反論する元気のない兼続、不本意ながら黙って弁当を食
べる。ウナギの蒲焼が苦い。焼き過ぎじゃ
すると、紅い騎馬武者の伝令が到着し、本多と榊原が話を聞きに行く。
「相当数の細作が出ておるようでございまする。われらの護衛は、下がらせた
方がよいのではござりませぬか」
信之が耳打ちする。兼続、黙ってうなづく。すると、信之が、川に石を投げ込
んだ。警備が厳重になっておるようじゃ。浜松城が近いせいかのう。
「わが殿は、朝から鷹狩りに出ておるとのことじゃ。わしが案内する」
榊原が言う。本多平八を残し、三人で向かうことになった。
「家康公は、どこにおられるのじゃ」
「早朝に城を出て、北の台地の方にお出かけになられたということじゃ」
鷹狩りの陣場でお目にかかることができれば、こちらも好都合、余人を交えず
家康公の人物を測ることも容易じゃ。うん、北の台地。
「もしや」
「三方ヶ原じゃ」
- 35 :
- 第三十五話「三方ヶ原」(32)
やっと、家康公に会える。それも、三方ヶ原で会えるとは、うれしいぞ。
しかし、家康公は、昨日駿府から帰って来たばかりなのに、元気なお人じゃ。
「信玄公の駿河進攻作戦の話の続きを聞かせてくだされ」
「おお、どこまで、話したかのう、そうじゃ、そうじゃ。永禄十二年四月末、
武田の本隊に引き続いて、駿府を占領しておった山県の支隊も撤退したので、
われらは無血で駿府を接収した。そして、北条氏政公と協力して、駿府館を再
建、掛川城にこもっておられた氏真公をお迎えした。われらは遠江、北条が駿
河を実質的に支配することとなった。しかし、われらも北条も真っ青になって
おったわ。必ず、武田信玄は復讐してくる。なんとかせねばならぬと、必死じ
ゃった」
「なぜ、そこまで武田を恐れるのじゃ。たしかに、強敵じゃが。徳川・北条を
あわせれば、充分対抗できるじゃろう」
兼続、何の気なしに尋ねる。大体、戦略の中心に、謙信公の信濃出陣を据える
のは、あまりにも他力本願が過ぎるのではないか。
「ははは」
榊原が大笑いする。驚いた兼続と信之、思わず顔を見合す。
「流石、武名を天下に轟かす上杉の家老だけのことはある。武田を怖がらぬの
は上杉だけじゃ」
うん、どういう意味じゃろう。
「お二方とも、もちろん川中島の戦いを知っておろう」
大きくうなづく、二人。騎馬三頭、榊原をはさんで進んでいる。
「われらが驚き恐怖したのは、その死傷率じゃ。そなたたちの方が詳しいかも
しれぬが、上杉の死者は三千数百余、まあ殆どが妻女山別働隊に背後を突かれ
て、総崩れとなって追撃された時のものじゃな。そして、武田の死者は、四千
数百余。武田全軍二万のうち、妻女山別働隊一万二千はほぼ無傷じゃから、こ
の死傷者のほとんどは、本陣勢八千のものじゃ」
ほうほう、こまかい分析じゃ。
「武田本陣勢は、半数近くあるいは半数以上が戦死しておる。部隊によっては、
全滅しておる部隊もあったじゃろう。それなのに、謙信公の秘術を尽くした攻
勢をしのぎ切ってお。」
「妻女山別働隊が、来ることを知っておったからじゃ」
兼続、自分でも驚くほど、冷たく言う。
「それにしても、兵どもの戦意・錬度、そして統制力は恐るべきものじゃろう。
武田の兵どもは、最後には自分たちが勝つことを知っておった。それゆえ、部
隊が全滅しても、指揮官が何人も戦死して、指揮系統がめちゃくちゃになって
も、最後の最後まで戦い続けるのが武田じゃ。このような軍勢と戦いたいか」
ほうほう。
- 36 :
- う〜ん、深いなあ。
その高い士気が、逆に長篠では命取りになったのかしらん?
作者さん本当に勉強してるね。感嘆です。
- 37 :
- 第三十五話「三方ケ原」(33)
「信玄公を討ち洩らした北条は即座に越後に使者を送り、和睦交渉を本格化さ
せた。そして、謙信公の要求を丸呑みした」
丸呑み、丸呑みか。
「北条高広などにも寝返られ、関東の足場を失いかけておった謙信公に上野だ
けではなく、武蔵の一部を割譲、さらには人質も差し出すというのじゃから、
丸呑みは言い過ぎかもしれぬが、大譲歩であることには間違いない」
榊原、兼続の心を読んだのか、言い方を変える。
それで景虎様が越後に来たわけじゃな。美しい横顔を思い出す兼続。
「すべて、武田の復讐に備えての布石じゃ。そして、態勢を立て直した武田の
反撃が始まった。六月には駿河・伊豆が攻撃され、大宮城が落とされた」
北条は駿河に大軍を集めておったろうに、武田の攻勢は鬼気迫るものがあるな。
「武田は、九月には、碓氷峠を越えて上野に進出、そのまま南下して長駆小田
原を突いた。八十里におよぶ長距離攻撃じゃ。城下に火が放たれた」
信玄公は北条の一番嫌がることを知っておる。
「小田原の城下を焼かれては、いつもの堅守だけでは、家臣に示しがつかぬ。
いやいや、大軍を繰り出し、武田を包囲殲滅せんとして、三増峠で返り討ちに
あった。武田の巧みな部隊運用に、北条の大軍が蹴散らされたのじゃ。われら
も三方ケ原で同じ目にあったから、いま思えば、よく調査分析するべきじゃっ
たといえる。さらに、武田は、十一月に、駿河に出陣し、蒲原城が落とされた」
一年間に三度の出陣か、前年十二月の出陣を合わせれば、四度になる。一年間
ほとんど戦い続けたことになるのう。武田の末期、勝頼公は、戦をしすぎると
批判されておったようじゃが、それ以上じゃ。兵の疲労・領内の疲弊も大変な
ものじゃったろう。
上洛の道を開くためじゃろうが、病の進行と競争しておったのかもしれぬなあ。
- 38 :
- がんばってください。
焦らされまくってる家康の登場が楽しみだw
- 39 :
- 第三十五話「三方ケ原」(34)
「三増峠で打ち取られた北条勢は、三千七百余じゃ。北条は、二万の軍勢で
三増峠を確保して、武田の退路を断ち、後方からは氏康公直率の大軍で、包
囲殲滅する作戦じゃったが、さすがは武田信玄、氏康公の軍勢が到着する前
に、前面の北条勢を、たくみな部隊運用で打ち破った。本隊が攻勢をかける
一方で、山県昌景殿に別働隊を率いさせ、北条勢の側背をつかせたのじゃ」
ふむ、川中島の戦いに匹敵する戦死者数じゃ。やはり、武田の強みは、山県
殿や、馬場殿、高坂殿、秋山殿など、戦の駆け引きに長けた名将が揃ってお
ったことじゃろうな。
「しかし、武田も浅利殿が狙撃されて戦死し、九百余の戦死者を出しており
ます。さらに戦のあと、疲れはてた兵が、寒さをしのぐため、諏訪神社の支
社を焼くという不祥事も起きました」
信之が武田のことを教えてくれる。
榊原、動ぜず、話を続ける。
「三増峠で討ちとられた北条勢は、北条の本国ともいうべき相模・武蔵の者
どもじゃ。以後、北条は単独では武田と戦うことを徹底的に避けておる。大
体、北条というか、関東のものは、戦を好まぬ」
ふむ、北条は民政に優れて聞くが、関東武士の気質も考えておるのじゃろうか。
「ところで徳川は、北条が攻められておる間、何をしておったのじゃ」
兼続が聞く。
「われらは、総見院様のご命令を受けて、遠く朝倉攻めに参戦し、そして姉川
で戦っておった」
武田が北条を攻撃し、駿河を制圧しておるのに、呑気な話ではないじゃろうか。
あるいは、律義ということじゃろうか。
榊原、左右に首を振って、兼続と信之の顔を見て、かすかに笑う。
「徳川は律義とか言われておるが、これは律義ゆえではない。われらも、浜松
城を築き、武田の攻勢に備えておった。謙信公にも使者を送った。必死じゃ。
ところがじゃ、当然後詰をお願いすることになる総見院様の考えが読めぬのじ
ゃ」
- 40 :
- 第三十五話「三方ケ原」(35)
「総見院様は、何もかも見通す明晰なお人ではあるが、徹底的に自己中心的な
お人でもある。総見院様は、ご自分の都合で、われわれを使うためか、われら
が遠江に進出することに、当初よりあまりよい顔をされてなかった。われらを
尾張国境の守備隊として、岡崎に、そのまま置いておきたかったのじゃろう。
あるいは、遠江へ進出することで、武田を刺激することを恐れておったのかも
しれぬ」
そこまで、武田を恐れておったのじゃろうか。
ゆるやかな坂を上ると、一面に草原が広がっている。
三方ケ原は広いところじゃな。家康公は、ここを浜松まで逃げまくったのか。
「わが殿の浜松進出にも、総見院様は反対しておられた。危険すぎるというて
な。われらの力を、過少に評価されておったのじゃ。わが殿が、浜松進出につ
いての総見院様の了承を取ったのは、姉川の戦いの後じゃ」
ふむ。二十年におよぶ鋼鉄の同盟も、内実は微妙なものじゃ。
あるいは、総見院様は、武田の脅威をうまく利用して、徳川を従わせておった
ともいえるのう。なかなか、奥が深いお方じゃ。
三人の前の遠くのほうに、ぼろぼろの陣幕が見えてくる。炊煙も上がっている。
下人が飯炊きでもしておるのじゃろうか。
「やっと、着いた。お待たせいたしました、殿はあそこにおられるはずじゃ」
- 41 :
- 第三十五話「三方ケ原」(36)
下馬した三人、幔幕に近づいていく。見れば見るほど、みすぼらしい。
ここに本当に家康公がいるのじゃろうか。
どのようなお人じゃろう、家康公は。
「それにしても、駿府から帰ったばかりじゃというのに、翌日には、鷹狩とは
家康公は、元気なお人のようですね」
信之が、言う。そういえばそうじゃ。天文十一年の生まれというから、四十四
歳くらいじゃな。年の割には元気じゃ。
「いや、殿はお疲れじゃ。天下広しといえども、わが殿ほどの女好きはござら
ぬ。じゃが疲れておるときに子作りをすれば体に障るというて、そんな時は鷹
狩に出るのじゃ。鷹狩ともなれば、女子同伴というわけにもいかぬからのう。」
ふむ、兼続、いまだに子をなす気配さえ見えぬ主君の顔が浮かぶ。
「家康公は、子孫繁栄のために子作りをしておるのであって、ただの好色とは
いえぬのではないじゃろうか」
家康公は、天涯孤独なお人じゃから、子孫を増やさねばならぬという強迫観念
があるのではないかなあ。
「そういう見方もできるかもしれぬ。わが殿は、つねづね石女相手に、空鉄砲
は撃ちたくないというて、子連れの後家を専門に狙っておる。道端で、子供を
つれた後家を召し出したこともある。子孫繁栄のためというても、異常に思え
る時もあるぞ」
榊原、限度をこえた批判をする。
英雄色を好むというが、どうも、景勝公にも、それがしにも、そういう生々し
い精気のようなものが欠けておるのう。謙信公の影響じゃろうか。しかし、上
杉も、はやく跡取りを定めなければならぬ。お館の乱のような同胞相撃つ内戦
は、二度とごめんじゃ。景勝様にも、頑張ってもらわねばならぬ。いや、それ
がしも、がんばって、男児を授からねばならぬなあ。臣下が、まず範を示さね
ばならぬじゃろう。
兼続が、とりとめなく連想していると、榊原、幔幕のなかに二人を案内する。
「小平太でございます。直江殿をお連れいたしました」
三人が、奥に進むと、小太りの男が、四・五歳くらいの童をつれた若く美しい
女性の手を握り、何か熱心に、かき口説いておる様子。
「殿」
榊原、すこし口調が厳しい。
「誤解じゃ、小平太」
三人に気付いた小太りの男、おおきな目をくりくりさせて、驚いた様子で、手を
離す。
「誤解じゃ」
「何が、誤解じゃ。殿、遠来の客人の前で恥ずかしゅうござりませぬか」
「小平太、落ち着け。わしの話を聞け」
これが、徳川家康。もしや、影武者か。
- 42 :
- 第三十五話「三方ケ原」(37)
「今日という今日は呆れ果てましたわ。殿は関白殿下の妹君を奥方様に迎えた
ばかりではござりませぬか。にもかかわらず、城下で女子を物色とは」
「小平太、落ち着け。わしの話を聞け」
「関白殿下が、どのようなお気持ちで、妹君を送り込んでこられたのか。妹君
が、どのような覚悟でお輿入れされたのか。知らぬとはいわせませぬぞ」
榊原、相当怒っておるようじゃ。しかし、他家の人間の前で、主君に恥をかか
せるのは、如何なものかと思うぞ。
「関白殿下が、このことをお知りになれば、大変なことになりますぞ。また、
戦になりますぞ。殿はそれで、よいのか」
「あうう、小平太、少しは黙ってわしの話を聞け」
「いや、今日という今日は言わせていただきまする。大体、どこの誰かも知れ
ぬ女子を召し出すのは、危険じゃ。女子遊びをしたのであれば、家臣の娘にす
ればよいではござらぬか」
榊原、一向に説教をやめる気配がない。正論じゃが、少ししつこいのう。そう
いえば、榊原は信康公に諫言して、射殺されそうになったという話を聞いたこ
とがあるが、あんまりしつこいので、信康公も頭に来たのかもしれぬ。
「黙れ。小平太。こちらの女性は、土屋惣蔵殿のご内儀じゃ」
とうとう、がまんできなくなった家康、割り込む。榊原、驚いて黙る。
「片手千人斬の土屋殿でござるか」
「ついに探し当てたのじゃ。こちらのお子は、土屋殿の忘れ形見じゃ」
「ほほう」
榊原、兼続、信之、驚きつつ、困った顔の若い母親と無邪気な男の子を見る。
「土屋殿は、最後まで勝頼公に従い、勝頼公・信勝公の介錯をされ、ご自分は
腹を十文字に掻っ捌いて亡くなった、誠忠無比の武士の鑑というべきお人じゃ」
その通りじゃ。武田崩れのとき、武田の一門・重臣が一斉に離反する中で、最
後の最後まで、勝頼公に従い、天目山で奮戦されたお人じゃ。
兼続、沼田城や甲府で、勝頼公に目通りしたとき、そばに控えていた土屋昌恒
の端麗な容姿を思い出す。
考えてみれば、それがしと土屋殿は、同じ立場じゃ。本能寺がなければ、同じ
運命じゃったかもしれぬ。
「奥方の実家が岡部じゃから、駿河におられるのではないかと見当をつけて、
探しておったのじゃが、寺に隠れておったのを探し当てたのじゃ。わしは、さ
っそく、このお子を召し出して竹千代の小姓になってもらおうと思ったのじゃ」
徳川家康、やはり流石じゃ。
「おお、殿、はやとちりで失礼いたしました。それは、よきことをされました」
「そうじゃろう、これほどの忠義者の血筋を絶やすのは惜しい。竹千代にも、
忠義な家来は必要じゃ。ところがじゃ、お子は少し体が弱いので、ご奉公に上
がるのは、少し大きくなってからにしてくださいとお願いに、来られたのじゃ。
昨日の今日の話なのに、律義なことじゃ」
「そこに居合わせたのでございまするか、それは失礼いたしました」
「小平太、奥方より、土屋殿の話を聞いてもらえるか。真田殿、そなたは武田
のことは、われらより詳しいはずじゃ。手伝ってもらえぬか」
ははあ、それがしだけと話がしたいのじゃろうか。しかし、信之殿のことも、き
ちんと情報が入っておるようじゃ。
「驚いたじゃろう、わしが徳川家康じゃ」
- 43 :
- 第三十五話「三方ケ原」(38)
「直江殿は喉が渇いておらぬか」
家康、自分で茶を淹れてくれようとする。腰の軽い気軽なお人のようじゃな。
家康が煮え立つ鍋の前にしゃがみ、茶をいれる道具をひきよせる。
しかし、その道具の粗末なこと、まったく茶湯には興味がないようじゃな。
それに着ている着物もみすぼらしい、つぎはぎだらけで、貧乏な百姓のようじ
ゃ。勢子と間違われるのではないかのう。実用一点張りのお方か。
「失礼仕りまする」
そこに五十がらみの男が入ってきた。やれやれ、人払いしたのではないのか。
「やはり、あの鷹は、羽を痛めておったようでござりまする。おおかた、他の
鷹と喧嘩でもしたのではないじゃろうか」
おかまいなしに話しかける。
徳川の君臣関係は特殊じゃと聞いておったが、驚かされる。
「よう、わかったのう」
家康、屈託なく言葉を返す。
「昔取った杵柄でござるよ」
誰じゃろう。兼続に気がついて
「これはお客様がおられましたか、失礼いたしました」
「上杉家の家老の直江殿じゃ」
「おお、真田討伐をやめさせるためにこられたとかいうお方でございまするか」
そして、兼続に向き直り
「直江殿がこられても、真田を許すわけにはまいりませぬ。われら徳川にとっ
て、痛恨の出来事をご存知か。それは、信康公の切腹でござる。なぜ、切腹に
追い込まれたかご存知か」
総見院様の指示と聞いておるが?
「武田の調略じゃ。そして、その調略の指揮をとっておったのが真田昌幸じゃ。
真田は、われらにとって不倶戴天の敵ともいうべき者じゃ。許すわけにはまい
りませぬ」
五十がらみの男、にこにこ笑いながら、兼続に無理難題をふっかける。
そして家康も、にこにこ笑いながら聞いている。
- 44 :
- 第三十五話「三方ケ原」(39)
それがしを測るために聞いておるのじゃろうか。
「それがしの知る限り、岡崎城に関係するお人が調略されたのは、こたびの石
川数正殿で三人目でございますね。一人目は、長篠直前に武田に内通した大須
賀弥四郎とか申すもの。内通が露見して、逮捕され道端に埋められて、のこぎ
り引きの刑に処せられたと聞き及んでおります」
これも、武田を誘い出す謀略だったかもしれぬが。
「そして二人目は、信康公に関係するお方」
築山殿とは言いにくいので、ぼかす兼続である。
「岡崎城は、徳川家にとって根本の城であり、現在も大改修が行われておるよ
うでございますが、なにやら徳川の弱点のようでございまするね」
万事隙なき男直江兼続、何から何まで調査ずみであり、このような議論で負け
るはずもない。
相手の心に石を投げ込み、その波紋が静まらないうちに、さらにたたみかける。
「相手の弱点をつくのが調略の基本でございまする。まして、真田は、信玄公
に、わが目であるとまでいわれた男、見逃すはずもありますまい」
一呼吸いれる兼続、にこっと笑って、家康と、もうひとりの男を見る。
「ここに来る途中、上田城に寄ってまいりました。上田の城には、風林火山の
旗が翻っておりました。真田は、海野次郎様の遺子を擁し、孫子の旗を押し立
てて甲斐に攻め込むつもりじゃと言っておりました」
はっと、二人が息をのむ音が聞こえたような気がする。それはそうじゃろう、
依田信蕃殿を召し抱えたり、土屋惣藏殿の遺児を探し出したり、武田の旧家臣
団の心を獲らんと心を砕いておるのに、ぶち壊しじゃ。
さらにさらに追い打ちをかける。
「してみると真田は、小牧の陣の家康公に似ておりまするな。家康公が旧織田
家臣に人気が高いように、真田も旧武田家臣に人望のある男でございまする。
関白殿下のように、家康公も手を焼くことになるのではござりませぬかのう」
「ははは、弥八郎、そなたの負けじゃ。いや、わしも一本とられたわ」
家康が笑う。このお方は、心の底から笑っておるように見えるな。
「失礼した。こちらの男は、本多正信と申すもの。若き頃、諸国を放浪してお
ったせいか、いろいろ物知りな男じゃ。ゆえに、わしの知恵袋となってもらっ
ておる男じゃ。」
本多正信、ははあ、榊原殿や本多忠勝殿がきらっておる寵臣とは、このお方か。
「さすが、評判通りのお人でござりまするね。わしも、ここまでやりこめられ
るとは思いませなんだ」
本多正信も笑う。
歳の差じゃろうか、軽くいなされたような気もするぞ。
- 45 :
- 第三十五話「三方ケ原」(40)
「直江殿、こちらへ来られよ」
徳川家康、自分の隣の床几を指さす。
「ところで、そなたは、直江の家に養子に入る前は樋口というたそうじゃが、
木曽義仲殿の四天王のひとり樋口兼光殿のお血筋なのか」
史書が好きであると聞いてはおったが、変わったことを聞かれるのう。
「さようでございまする」
「おお、そうか」
さらに機嫌がよくなる家康。
よく調べてあるなと警戒する兼続。
「それにしても、樋口兄弟の忠義は見事なものじゃのう。木曽殿と樋口兼光・
今井兼平兄弟の主従の絆は美しい。武士の鑑じゃ。土屋惣藏殿と同じじゃ」
ふむ、家康公が土屋惣藏殿の遺児を探し出したのは武田旧臣の心を獲るためだ
けではないのじゃろうか。徳川家の忠義一途の家風は、家康公の好みが作り出
しておるのじゃろうか。それがしの見立ては浅いのじゃろうか。
「そなた、平家物語の木曽殿の最期のところは存じておるじゃろう」
勿の論でござる。幼き頃より、読み聞かされておりまする。
それがしが書物に親しむきっかけになったものじゃ。
「今井兼平が木曽殿を励まし自害させようとして果たせず、殉死するところは
平家物語のなかでも、もっとも美しい場面じゃ。それにそなたのご先祖様であ
る樋口兼光殿の最期も立派なものじゃ。まことによきお血筋じゃ」
悪い気はせぬが、話の意図が見えずとまどう兼続。
「木曽義仲殿は、木曽の山奥育ちゆえ、都の流儀になれず、それゆえ平家物語
などでも馬鹿にされておるが、頼朝公に先んじて征夷大将軍になったことを知
っておるか」
うん、征夷大将軍、どういう話じゃろうか、明智も征夷大将軍になっておるが?
- 46 :
- う〜む凄いです
これだけ自由自在に話を展開できるのは並の知識では不可能な筈
作者さん本当に、よく調べられていますね
- 47 :
- 大物がたくさん出てきて嬉しい。
頑張って下さい!!
- 48 :
- 第三十五話「三方ケ原」(41)
「あれ、木曽義仲殿は朝日将軍ではありませんでしたかのう」
本多殿は、あまり歴史には詳しくないようじゃ。
「確かに木曽殿は、朝日将軍を授けられておったが、敗死する十日ほど前、さ
らに朝廷より征夷大将軍を賜っておるのじゃ。義仲殿は、倶利伽羅峠で平家の
大軍を打ち破って上洛したのはよいが、寄せ集めの軍勢の悲しさ、兵どもが略
奪暴行を繰り返し、都の民心は離反してしもうた」
徳川家康、気軽に本多正信に語りはじめる。
「ために木曽殿は、名誉挽回を期して平家を征討するために播磨に出陣したの
じゃが敗れてしもうた。東からは鎌倉の大軍が迫ってきておる。さらに足元を
みた後白河院が木曽討伐の軍勢を集め、その軍勢を背景に都から出て行けと命
令を下してきた。頭に来た木曽殿は、院の御所に攻めかかり、やんごとなき人
々を殺戮し、後白河院も捕らえて幽閉した。そして、自らは強引に関白の婿と
なり、公卿四十九人を解官した。やりたい放題じゃな。
木曽殿の無法と戦闘力に恐怖した朝廷は、鎌倉軍迎撃の名分として征夷大将軍
を授けたのじゃ」
一体、どんな意図があってこんな話をされるのじゃろう。
まったく読めない兼続である。
それにしても、義経公などもご先祖様のために命乞いをしてくださったようじ
ゃが、ここまですれば許されるわけはないのう。
「吾妻鏡によれば、征夷大将軍に任命されたのは、木曽殿で三人目じゃ。一人
目は、桓武帝の御代、奥羽を平定した坂上田村麻呂、北天の化現つまり神毘沙
門天の化身と讃仰されたお人じゃ、二人目は、平将門討伐の大将軍として派遣
された藤原忠文、そして三人目が木曽殿じゃ。征夷大将軍は、政戦のすべての
権限を委任された非常大権ゆえ、めったに任命される者はおらぬ役職じゃ」
謙信公みたいなお人が古にもおられたのじゃのう。しかし、家康公が勉強家で
あることは分かったが、それがしに何のために聞かせるのじゃろう。
「頼朝公は、木曽殿の征夷大将軍を羨ましがり、ご自分もなりたがっておった。
日本一の大天狗といわれた後白河院は、なかなかお許しにはなられなかったが
のう。東国に新たに武士の国を作らんとされておったから、その名分と権限が
ほしかったのじゃろう」
「鎮守府将軍として三代にわたって奥羽に強固な地盤を築いていた奥州藤原氏
征討をお考えになっておられたから、鎮守府将軍をうわまわる権威として征夷
大将軍の地位を欲したという側面もあったのでございましょう」
兼続、わけもわからぬまま、口を出す。そして、思い切って聞く。
「家康公は吾妻鏡を座右の書として愛読されておられると承っておりまする。
頼朝公は武家関白を打倒して幕府を開かれたお方、家康公もそのひそみに習わ
んとされ研究されておられるのですか」
- 49 :
- 第三十五話「三方ケ原」(42)
きょとんとした顔をした家康、少しして笑い出す。本多正信も笑う。
「やれやれ、切れ者とはきいておったが、目から鼻に抜けるとは、そなたのよ
うなお人のことじゃ。しかし、その見立ては間違っておる。わしは、秀吉公が
関白になられる前から、好きで読んでおるのじゃ。わしは、この戦乱を鎮め、
太平の世を築くにふさわしい政治のあり方はどういうものか、考えておる」
徳川家康は、普通のお人の様に見えるが、やはり普通のお人ではないようじゃ。
天下の政治のあり方を考えておるとは。変わっておる。
「家康公は、若いころより、天下に志があったのでございまするか」
「わしには、そんな大それた志はない。第一、わしは運だけの男じゃ。天運に
恵まれて、不世出の天才・信長公の驥尾に付することができたおかげで現在が
あるだけの男じゃ」
ふむ、家康公はご自分から、自己宣伝めいたことは言わないお方のようじゃ。
それに話が長い、こちらで管制せねばならぬ、すばやく計算した兼続、ふる
話を選び出す。
「家康公の家の字は、源義家公のお名前から選ばれたのではござりませぬか」
「おお、そのようなことを聞いたのはそなたが初めてじゃ。わしは、天下に志
などもったことはないが、今川家で育ったものじゃ。今川は、足利一門の名門
将軍家にも特に重んじられ、関東公方監視という重きお役目を担ってこられた
お家じゃ。それゆえ、ほかの大名とは違い、天下のことを義元公も重臣の方々
も、よく話されておった。それゆえ、自然、天下のことを考えるようになった
のかもしれぬな。しかし、わしには天下を、どうこうするというような野心は
今も昔もない。わしが子供のころから、考えておったのは、よき武者になりた
い、そして家臣を大事にしたいということだけじゃ」
家康、お茶うけとしてか、麦焦がしを出してくる。
「源義家公は武家の棟梁というべきお方、一歩でも近づきたいと思うておる。
わしは人質生活で苦労したといわれておる。まあ、自分でもそういうことも
あるが、実は苦労などしておらぬ。いやな奴に苛め抜かれたことはあったが」
孕石なにがしのことを言っておられるのかな。
「わしは六歳のとき織田、八歳のとき今川の人質になった。物心ついたのは、
今川の人質になってからじゃが、今川の人々は、わしを大事に扱ってくださ
った。義元公も姪御を娶せて一門に準ずるものとして扱って下さった。それ
ゆえ、わしは、わがままいっぱいに育った。ある時など、小姓の鳥居元忠を
縁側から蹴落としたこともある。わしは、鷹狩が好きじゃったのじゃが、そ
の鷹が隣家によく迷いこむ。ところがじゃ、あまりに頻繁なため隣家のもの
は、鷹を返してくれなくなった。それゆえ、わしはほかの鳥を仕込むことを
考えたのじゃが、元忠が不注意で逃がしたので、腹を立てて、蹴落としたの
じゃ」
隣家の主人とは孕石のことじゃな。切腹させたのは鷹の恨みということかな。
「わしが、よき武者になりたい、そして家臣を大事にしたいと思うようにな
ったのは、岡崎に墓参りのために帰ったときのことじゃ」
- 50 :
- 第三十五話「三方ケ原」(43)
「わしが岡崎に墓参のため帰ったのは弘治二年の夏、十四歳のときじゃった」
はるか昔のことを思いだし、ぽつりぽつり話し出す家康。
「わしはこの年の正月、義元公のお指図で、関口の姫を娶った。すでに偏諱も
賜わり、元信と名乗っておったが、これで、名実ともに今川の一門に準ずるも
のとして扱われることになったわけじゃ。わしは有頂天になり、故郷に錦を飾
るような気持ちで帰ったのじゃ。駿府を出発して、遠江・三河と、はずむ気持
ちを抑えかえるような道中じゃった」
家康、少し黙る。話すことを整理しているようだ。
「わしが岡崎につくと、家臣どもが集まって出迎えてくれておった。
わしは、義元公の覚えめでたく、一門にまで取り立てられたと、みなに伝えた
く、立ち上がって、みなをみた。その時に気がついたのじゃ。
みなの姿のみずぼらしいこと、年寄りと子供ばかりで、壮年の者が少ないこと
にな。年寄りも、不具の者が多かった」
ここで、家康、兼続の顔をじっと見る。
「なぜか、わかるか。わが家臣どもは、今川の先手として、織田との戦いに動
員され、夥しい戦死者を出しておったのじゃ。わしは、知らなかった。いや、
小姓どもや、岡崎よりの便りで聞いておったかもしれぬが、ここまで、ひどい
ことになっておるとは気が付いておらなかった。百聞は一見にしかずというこ
とじゃ。わしは、出迎えてくれた家臣どもに係累の戦死者について聞いてまわ
った。親も子も討ち死にし、絶家となったものさえおった」
家康公の目のふちが赤くなっているように見える。
「じゃが、恨みがましいことを言うものは、誰一人おらなんだ。わしは気がつ
いた。わしがなぜ今川に大切にされておるか。年貢もほとんど横領され、貧窮
にあえぎながら、戦となれば、先手にかりだされ、死んでいった、わが家臣ど
もの犠牲・献身の賜物じゃということに。早く早く、ひとかどの武者になって
家臣どもを守らねばならぬと思うたのじゃ」
本多正信も、黙って聞いている。
「わしほど不甲斐ない主君はおるまい。城も領地も守れず、家臣に満足に飯を
食わせることさえできぬ男じゃ。ところが、わしに恨みがましいことをいうも
のは一人もおらなかった。それだけではない。わしが縁側から蹴落とした鳥居
元忠の父親が、わしをこっそり自分の家の蔵に連れて行ってくれた。お見せし
たいものがあるというてな。蔵を開けると、中には、米と銭がぎっしりと積ま
れておった。わしが岡崎に戻ってくる日のために、わずかな年貢をやりくりし
て、貯めてくれておったのじゃ。わしは、泣いた。大声をあげて泣いた」
- 51 :
- 第三十五話「三方ケ原」(44)
「駿府に帰ったわしは、手当たり次第に勉強をした。兵書を読み、剣術を学ん
だ。ともかく、はやく一人前にならないと、わしの家臣どもが根絶やしにされ
るのでな」
ふむ、家康公は初陣から水際立った駆け引きをされたときいておるが、研鑽の
賜物じゃったわけか。
やはり、今川は、名門故、兵書や史書があふれるくらいあったのじゃろうか。
本については、特別な関心のある兼続、ほかの人とは、観点が違う。
「駿府には、足利文庫のようなものがあったのでございまするか」
「いや、わしが主に見せていただいていたのは、雪斎様の蔵書じゃ。雪斎様は
義元公の信任あつい、戦も政治も巧みなお人じゃったが、京都五山で修行され
た学識豊かなお人でもある。あの時代に中国の史書の印刷さえされておった。
お忙しいお人じゃったから、毎日というわけにはいかなかったが、わしのこと
を気にかけてくださり、よく勉強をみていただいたのじゃ。ある日、雪斎様の
残された蔵書を見ておると、竹千代殿へ、と表に書かれた紙の包みを見つけた」
なんじゃろう。
「雪斎様は、弘治元年に急逝されておったから、わしに渡しそびれたまま亡く
なったのじゃろうと思うて、わしはそれを開けてみた。なんじゃと思う」
兵書か、なにかかじゃろうか。
「それは、雪斎様が安祥城を攻めた時の、戦死者の名簿じゃった。わしは、今
川の人質になるため送られる途中に裏切られ、織田に連れて行かれたのじゃが、
雪斎様が、安祥城を攻め、織田信広さまを捕虜にして、交換という形で、今川
に戻ることができた。その時の戦いの戦死者の名簿じゃ。見ると、わしを取り
戻す戦いじゃということで、岡崎衆の主だったものが、たくさん戦死しておっ
た。本多平八の父親も戦死しておった」
家康、軽くため息をつく。
「わしのために、どれほど多くの家臣が犠牲になっておるか、胸がはりさけそ
うになった。わしの人生は、家臣どもの犠牲の賜物じゃ。わしは、わしのため
に死んでいった家臣、わしのために苦労しておるのに文句の一つもいわぬ家臣
に応える生き方をせねばならぬと誓った」
徳川は、出来星の成り上がりものじゃといわれておるが、かような君臣関係は
一朝一夕でできるものではないのう。百年二百年、長い時間をかけて、親から
子へと受け継がれるなかで、つくりだされたものじゃ。家康公の歴史好きも、
根本は、かようなところにあるやもしれぬ。
- 52 :
- 第三十五話「三方ケ原」(45)
「わが家中では、敵の首を獲るより、傷ついた味方を助けたほうが、手柄とな
りまする」
本多正信が、得意そうに横から口を出す。
ふむむ。そういえば池田恒興の首を討ち取ったのは、永井とかいうお人らしい
が、実は手柄を譲られた貰い首じゃったと聞いたことがある。奇特な話と驚い
たが、背景には徳川独特の考え方があるのじゃろうか。不思議じゃ。
「それに殿は、家臣の既往を咎めたりは致しませぬ。現にそれがしも、かつて
は殿に弓引いたものでござりまする」
「弥八郎は一向宗の熱心な信者じゃたからのう」
のんびりした口調で家康が補足する。
「謙信公も一向一揆には、ことのほか苦労したようじゃが、三河も一向宗が盛
んなところで、わしもひどい目にあった。なにしろ、家臣の半分が敵に回った
のじゃ。永禄六年、三河一国を平定を目前にしたときじゃった。これまでの努
力すべてが、瓦解した、すべて一からやり直しかと、目の前が真っ暗になった
ことを覚えておる。宗教の力は恐ろしいものじゃ。いつ終わるかもしれぬ、戦
いとなった」
内戦が一番嫌じゃなあ。家康公は、どのように収めたのじゃろうか。
「わしはいちいち陣頭に立って戦った。策も何も考えずに。一進一退の戦いが
半年続いた。わしは、百年でも戦い続ける覚悟じゃったが。すると、和議が持
ち上がったのじゃ」
「殿は、一向一揆に与した家臣を、みなお許しになられた」
「そなたは、出奔したがのう」
「若かったのでござりまする」
「なぜ、お許しになられたのでござりまするか」
我慢できずに、兼続口をはさむ。
家康公と本多正信、入り込む隙間のない主従じゃ。
「家康公の祖父清康公も、父広忠公も、家臣に刺殺されたのではありませぬか。
それなのに、自分に弓引いた家臣を許すことができるのは、何故でござります
るか」
われらは、新発田重家を許すことはできぬが。
「いや、わしも許す気はなかったのじゃが、大久保などわしの方にたって、戦
ってくれた家臣どもが、泣いて許してやってくれというてくるのじゃ。殿への
忠義と、仏への信心は次元が違うものじゃというてな」
ふむ。
「わしは、根負けして皆を許した。今川と戦わねばならぬときに、自分の戦力
を減らすわけにもいかぬからのう」
ふむふむ。
「わしの祖父、清康公は武略に優れたお人で、あっという間に三河を平定し、
尾張に攻め込んでおったのじゃが、家臣に刺殺されてしもうた」
それなのに、一度裏切った家臣を信じることができるものなのじゃろうか。
一度裏切ったものは、二度三度と裏切るのではないじゃろうか。
けげんな表情を浮かべた兼続に気がついた家康、少し笑う。
「わが祖父が家臣に殺されたとき、父広忠はまだ九歳じゃった。その幼子を助
け忠義を尽くしてくれたものは、その家臣の父親じゃ。阿部大蔵と申すものじ
ゃが不忠不義の息子の罪を悔い、忠義を尽くしてくれた。わが父が岡崎を回復
できたのは、そのもののおかげじゃ」
ほほう。
「情けは人のためならずじゃ。三方ケ原敗戦のとき、わしはもう少しで武田の
追撃に捕捉されそうになったのじゃが、夏目定吉というものがわしの身代わり
になって死んでくれたので助かった。一揆の首謀者じゃったものじゃ。わしは
許した夏目に命を救われた」
- 53 :
- お疲れ様です。
いつも楽しく読ませていただいています。
- 54 :
- 第三十五話「三方ケ原」(46)
「そういえば、家康公はなぜ浜松城を出撃されたのでござりまするか」
「三方ケ原の戦の話か。敗軍の将は兵を語らずじゃが」
ここで家康、にっこり笑う。
「わしは、信玄公に釣り出されたのじゃ」
どう見ても、気のいい農夫にしか見えぬなあ。
「外に出てみぬか。景色を見ながら話をしたい」
家康、兼続を外にいざなう。
「信玄公直率の本隊二万二千が二俣城を包囲したのは、元亀三年十月十六日の
ことじゃ。二俣城を落とされると、遠江は東西に分断され、掛川城・高天神城
は無力化することになる」
幔幕の外に出た家康、兼続を振り返り、小高い丘を指さして歩きながら、話を
続ける。
「二俣城と浜松城は七里半しか離れておらぬ。なんとかせねばと気は焦るのじ
ゃが、何もできぬ。夜襲をかけようと、物見を出してみたのじゃが、馬場信春
が、手ぐすね引いて待ち構えておることがわかった。信玄公は二俣城を囲む兵
から、五千ばかりを抽出して馬場に預けて、われらの攻撃に備えさせておった
のじゃ。信玄公の作戦は、感心するほど全く危なげのないものじゃ」
小高い丘につく。夕日が照らす草原が赤く広がる。
「広々としたよき景色でござりまするね」
「わしは、この草原を逃げて逃げて逃げまくった。恐怖のあまり、糞を洩らし
たのも気が付かぬほどのありさまでな」
可笑しくてたまらぬように笑う。
徳川家康、本当に飾らぬお人柄のようじゃ。
家臣が懐く秘密はそこらあたりなのじゃろうか。
「元亀三年十二月に入ると、山県昌景の別働隊、吉田城を落とした五千の部隊
が武田の本隊に合流した。これで武田は二万七千となった。われらの機動戦力
は八千、正面切ってはとても戦えぬ」
やはり、慎重な上にも慎重なお人のようじゃが、
「なぜ、信玄公に釣り出されたのでござりまするか。不思議でござりまするな」
しばらく考える家康。
「そうじゃのう。わしは石橋を叩いて渡らぬほどの男じゃ。考えてみれば、心
のどこかに信長公を見返してやりたい、いや、少し大それた表現じゃのう。信
長公に、見直されたいと逸る気持ちがあったようじゃ。その隙をつかれたのじ
ゃ」
- 55 :
- 第三十五話「三方ケ原」(47)
「元亀三年十二月十九日、ついに二俣城が落ちた。次は、浜松城での籠城戦と
覚悟しておったら、待ちに待った信長公の援軍が来た。ところがじゃ、佐久間
殿などが率いてきたのは、わずか三千ばかりの兵じゃった。佐久間信盛殿とい
えば、信長の一の家臣じゃ。それにしては、兵の数が少ないと、家中からも
不満が出た」
上洛戦、朝倉攻め、姉川の戦いと、犬馬の労を尽くしてきたのじゃから、当然
じゃな。
「まあ、兵の数はよい。戦は兵の数でするものではないからのう」
そのとおりじゃ。戦は算盤でやるものではない。
「わしにとって不本意じゃったのは、佐久間殿が話された信長公の作戦構想じ
ゃった。上様は、三河・尾張国境付近での決戦を構想されており、その準備を
進めておられまするといわれたのじゃ。」
ふむ。信長公は桶狭間の再来を狙っておられたということなのじゃろうか。
「佐久間殿は、上様の作戦構想のため、徳川様も主力を温存したまま、岡崎ま
で撤退してもらいたいとも言われた。佐久間殿に同行して来られておった水野
の伯父上様も、しきりに撤退を勧めた。われらと後図を策しましょうぞとな。
佐久間殿、水野の伯父、平手と織田からの援軍の指揮官はみな、尾張東部に領
地を持つものじゃ」
行く先の見当をつけた家康、ずんずん丘を下りだす。
太っておるが、足腰は丈夫そうじゃ。日頃の鍛錬の賜物かな。
「わしにとっては、到底受け入れられる話ではない。犬居城の天野や、山家三
方衆など、寝返りものが続出しておるのに、わしが岡崎まで後退することは、
わしが遠江・三河を放棄するに等しいことじゃ。わしの軍勢も春の淡雪のよう
に消えてなくなるじゃろう」
「それに信玄公の大軍を目の前にして、撤退もできぬことでしょう」
兼続も同意する。
- 56 :
- 第三十五話「三方ケ原」(48)
「本当に信長公は、三河尾張国境付近で決戦するお積りだったのでしょうか。
秋山の別働隊に岩村城を落とされ、岐阜城を動けなくなっておったのではござ
いませぬか」
「その通りじゃ。織田軍の主力は北近江に釘付けになっておるし、長島の一向
一揆も動きだし、将軍様も松永などと信長公討伐の計画を進めておった。
それにそなたのいうとおり、秋山が効いておる。秋山の別働隊は三千にすぎぬ
が、信長公の家臣の中には、安藤伊賀守など以前武田に通じておったものもお
る。それゆえ、信長公は岐阜を動けなくなっておったのじゃ」
「織田天下政権、最大の危機じゃったわけでございまするね」
「秋山は、信長公の伯母上を嫁にした後、調子に乗って明智城などを攻めてお
ったから、信長公も相当苦にしておったと思うぞ。それゆえ、長篠のあと、秋
山と伯母上様は、逆さ磔にされて処刑され、岩村城の城兵も焼き殺されておる」
突然、立ち止まった家康、あたりを見回して大きくうなずく。
「ここがわしが陣を敷いておった場所じゃ」
家康、遠巻きについてきていた小姓などに指図して、床几を持ってこさせ、隣
に兼続も座らせる。
「こちらをご覧あれ」
指し示す方向にゆるやかな登り坂がある。
「電撃的に進攻してきた武田軍じゃったが、二俣城の攻略には時間をかけてお
った。二か月近くも。われらは、武田の意図を測りかねた。本当に西上作戦な
のか。二俣城攻略に手間取ったので、このまま撤退してくれるのではないかと
わしも思うたほどじゃ」
希望的観測というやつじゃな。しかし、緩急をつけた攻撃をされると、混乱す
るのう。
「そして十二月二十二日になって、ようやく武田勢が動き出した。われらは、
武田がまっすぐ浜松城に攻め込んでくると思うた。ところがじゃ、武田勢は、
二俣城から南下する途中道をかえて、西に向かい始めたのいじゃ。それも、
ゆっくりゆっくり時間をかけて。これも信玄公の罠じゃったのじゃが」
- 57 :
- 第三十五話「三方ケ原」(49)
「高陵には向かうことなかれじゃ。まったく、ひどい戦をしてしもうた」
孫子を引用する家康。
坂の上の大軍に、このような場所で挑むとは。家康公らしからぬ失策といえる。
「武田軍が動き出した二十二日の朝から、物見の報告が続々届いた。
武田軍、浜松城に向かって進軍中と」
少し言葉を切って思い出しながら考えている様子の家康。
「わしは、籠城戦の準備をしておった。浜松城は、この日のために造った城じ
ゃ。毛利元就公は、若年のころ、尼子の大軍を籠城戦で打ち破って勇名を天下
に轟かされ、中国の覇者としての第一歩を踏み出された。わしも、それにあや
かりたいと考えておった。わしも家臣も張り切っておったわ」
「武田に包囲されることを不安には思われませんでしたか」
どうも、籠城戦は不気味じゃ。受けるだけじゃから。
「心配したのは水の管理じゃ。間者に井戸に毒でも投げ込まれたら、籠城戦は
成り立たぬ。そなた、知っておるか。信玄公や謙信公が囲んだ城は、疫病が流
行ることを。間者を使っておったのではないかと、わしは推量しておるが」
おお、矛先が謙信公にまで向いてきたぞ。とぼける、兼続。
「それ以外は、あまり心配しておらなかった。春になれば、謙信公が信濃に兵
を入れてくださる筈じゃ。信長公が動けなくても、わしが数か月粘れば、戦局
は転換すると。武田が強いことは分かっておるが、われらの備えも万全じゃ。
それよりも、いよいよ戦が始まると逸る気持ちを抑えかねておった。
もう、二か月も二俣城の攻城戦を見ておるだけじゃったからのう」
風が吹いてくる。
「ところがじゃ。武田の軍勢は、浜松城から一里もない欠下というところで停
止した。浜松城を包囲するため、部隊を分散させておるのかと思うたら、道を
変え、三方ケ原へ向かって坂を登りだした」
兼続、淡々と話す家康公の横顔をみる。
「そのときの気持ちは、複雑なものじゃった。いよいよ、戦ということで、織
田の援軍も含め、われらは一丸となって戦う心づもりができておった。それな
のに、肩透かしを食ったというか。ほっとしたというのも事実じゃ。しかし、
わしの本城の前を横切っていく敵軍をそのまま行かせるわけにもいかぬ。
みなの反対を押し切り、わしは出撃を下令した」
名誉を重んじる勇将なのじゃろうか。
「全軍を挙げて出撃した。そして武田軍を、距離を取って追尾することにした。
なあに、武田軍が矛先を変えてきたら、浜松城に撤退すればよいと軽い気持ち
じゃった」
徳川家康、あくまで淡々と話す。
「武田は、われらの出撃を知っておるはずなのに、素知らぬ顔で進んでいく。
そして、武田の先鋒が、祝田に達したとの物見の報告が入った。祝田は、三方
ケ原台地の降り口じゃ。道が狭くなっておる。降りる武田軍を、背後から強襲
してやろうと考えた。願ってもない好機じゃ。逸る気持ちを抑えながら、急い
で、ここまで進軍して、罠にはまったことに気づいたのじゃ」
- 58 :
- 第三十五話「三方ケ原」(50)
「先行させておった物見より武田の軍勢が停止しているとの報告が入った。
三方ケ原台地の降り口は狭くなっておるゆえ、滞留しているのじゃろう。
先手の部隊が降りておるならば、勿怪の幸い。残るは、本陣と輜重部隊じゃ。
わしは勇み立った。桶狭間じゃ。これこそ、わしの桶狭間じゃと。
馬に鞭をいれ、みなを急がせ急がせ、ここまで来た」
「ところがじゃ、武田の軍勢は、われらを待ち構えておったのじゃ。
驚いたとか、そんな次元ではない。口をあんぐりとあけて、魅入られたように
武田の陣変えをみておった。わしが驚いておる間に、武田の軍勢は、魚鱗の陣
を敷いた。あっという間じゃった」
「武田の軍勢が、なぜ、こんなに早く陣形を敷くことができたか、わかるか」
「分数と形名でございましょう」
孫子で答える兼続。にっこり笑う家康。
「凡そ衆を治むること寡を治むるが如きは、分数是れなり。衆を闘わしむるこ
と寡を闘わしむるが如きは、形名是れなり。(大部隊を動員しているのに、ま
るで小部隊を動員しているように整然としているのは、部隊の編成が整頓され
ているからであり、大部隊を戦闘させているのに、まるで小部隊を戦闘させて
いるように機敏であるのは、指揮系統が明確であるからである)勢編じゃな」
「それだけではないぞ。武田勢は、行軍序列を入れ替えておったのじゃ」
「つまり、先手が後、本陣・輜重部隊が前に配置されておったのじゃ。
全軍、回れ右をすれば、すぐ戦闘態勢を作れるように。わしは、まんまと騙さ
れてしまっておった。しかも功名心に駆られて、それが見えてなかったのじゃ」
- 59 :
- 第三十五話「三方ケ原」(51)
「魚鱗の武田に対して、鶴翼に開いたのは、なぜでございまするか」
兼続が尋ねる。
「武田の陣立てが完了した以上、いつ、騎馬武者の突撃があるか、わからぬの
でな。慌てふためいて、陣立てした。相手は、二倍以上。遊兵を置く余裕はな
い。そのため一重の陣をしき、後方の予備隊は、わしが握ることにした」
「当初の構想は、武田の先鋒が押し出して来たら、全軍で包囲して殲滅し、乱
戦に持ち込むことじゃ。そして、あわよくば、わし自身が直率する予備隊を迂
回させて、信玄公の本陣を突くつもりじゃった。ともかく、わしは信長公の桶
狭間にとらわれておったのじゃ」
家康、苦笑する。しかし、悪くない考えじゃな。
「ところがじゃ、武田は動かないのじゃ。ほれ、あれじゃ、動かざること山の
如しじゃ。それに静かじゃった」徐かなること、林のごとくじゃな。
「武田が動かないので、われらも動けなくなった。長かったぞ。寒い風の吹く
師走に、馬のそばに立っておった。圧倒的に不利な地形じゃから、攻めかかる
こともできぬし、圧倒的に不利な兵力差じゃから、逃げ出すこともできぬ。」
兼続も、眼前に武田の大軍が布陣しているような気がしてきた。
「落ち着いたわしは、怖くなってきた。わしは、とんでもない間違いをしてい
るのではないかと。表向きは、強気を装っておった。相手は、出陣してから二
ケ月以上、疲れておるじゃろうし、病気になっておるものもおるはずじゃ。わ
れらは、休養十分の新鋭じゃし、信長公からの援軍も加わっておる。勝てる戦
じゃ、と触れて回らせた」
- 60 :
- 第三十五話「三方ケ原」(52)
「しかし、織田の援軍から崩れたのではありませぬか」
「戦意がなかったことは確かじゃ。しかし、わしはそれでよいと考えておった。
右翼に酒井の軍勢、中央に石川の軍勢をおき、その間に織田の援軍を配置して
おったのじゃが、武田が織田援軍の戦意のなさを見抜いて、攻めかかってきた
ら、戦いながら、後退するよう指示した。
右翼・中央が後退しながら、戦線を維持している間に、左翼の旗本先手衆と、
わしの本陣勢で、一気に突き崩し、武田本陣まで迫るつもりじゃった」
徳川家康、しぶといお人じゃな。
しかし、不利な状況も作戦構想にくみこむ柔軟性と叡智があるようじゃ。
「日暮れまじかになって、武田勢が動き出した。われらは一刻あまり睨み合っ
ておったわけじゃ。日が落ちれば、暗闇に紛れて、逃げることもできるのでは
ないかと、思い始めた矢先じゃった」
家康、兼続の顔を覗き込む。
「まったく、信玄公は神の如きお人じゃ。われらの心を読み切っておられる。
逃げ腰になったところを突いてきたのじゃ。案の定、織田の援軍が狙われた。
石を投げてきたのじゃ。投げるというても、この高低差じゃ。二階から、投げ
落とすようなものじゃ。
織田勢が怯んで、後退したところを、見計らって、小山田・山県・馬場など、
武田の先手が押し出してきた」
ふむ。いよいよ戦闘開始じゃな。
- 61 :
- この話がどう繋がっていくか…楽しみです。
- 62 :
- 第三十五話「三方ケ原」(53)
「うん」
あることに気づいた兼続。
「してみると徳川様の陣立ては、姉川の再来を狙ったものではございませぬか」
「ほう」
うれしそうな顔をする家康。
「わかってくれたか。旗本勢のなかから、大久保兄弟・榊原・本多平八の部隊
を抽出して左翼に配置したのは、わし苦心の陣立てじゃ。
偽装後退する右翼・中央の部隊を深追いして、武田の軍勢が伸びきれば、その
隊列を左翼から横撃するつもりじゃった」
なるほど、本隊が粘っている間に、榊原などに迂回攻撃させるとは、まったく
姉川と同じじゃ。
追いつめられると、人は成功体験にすがるものなのじゃろうか。
「ところがじゃ、小山田・馬場・山県は、押し出してきたかと思うと、下がる
のじゃ。つられた、わが軍勢は、三町ばかり出てしもうた。
策にはめようとして、逆に策にはめられてしもうた。はあー」
ここで、深い溜息。
「最初は、うまくいっておったのじゃ。榊原、あやつはなぜか、敵の隙をつく
のがうまい。武田の最精鋭山県勢を打ち破り、突破口を開いてくれた。
ところが、右翼・中央が混戦となっておるので、後退しながら時間を稼ぎ、
左翼から迂回攻撃する時間が無くなった。それで、わしも覚悟を決めた。
本陣勢で正面攻撃じゃ。中央突破をはかる。武田がさがっておる。このまま、
祝田の坂へ突き落すことを考えた」
なかなか、謙信公ばりの勇将じゃ。
「全軍を突撃させた。みな死力を尽くして戦ってくれた。それで、武田の先手
を突破して、本陣の前まで出た。あと、一息。風林火山の旗が見えた。そして
武田の本陣が槍衾を作ったのを見た。そのときじゃ、武田の二の手、勝頼殿と
内藤の部隊が迂回攻撃してきた。あべこべに、横撃されたのじゃ。隊列ののび
きったところを包囲攻撃されたのじゃ。その時点で全軍が、崩壊した」
ほうほう。
「どうしようもないぞ。部隊編成が、ぐちゃぐちゃになり、みな烏合の衆とな
った。それでもわしは、武田の本陣に斬りこむつもりじゃったが、気がつくと
馬の轡をとられて、逃げておった。何が何やら、わからぬかった。そして、武
田の追撃が始まった。信玄公は、わしの首を取るつもりじゃったようじゃ。逃
げても逃げても追いかけてくる。わしも、弓で追っ手を撃ったり、忙しく戦い
ながら、逃げた。遠いのじゃ、浜松城が」
大変じゃ。
- 63 :
- 第三十五話「三方ケ原」(54)
「よくぞ御無事で帰還されましたなあ」
兼続、感嘆しながら尋ねる。
「忠義な家来どもが、わしの身代わりになってたくさん死んでくれたお蔭じゃ。
武田の騎馬武者が追いついてきたら、家来どもが踏みとどまって、わしを逃が
してくれた。わしの短慮のため、かけがえのないものを大勢失うてしもうた」
「しかし、今から思えば、敗れたとはいえ大敵に挑んだことは、家康公の大き
な財産となったのではありませぬか。関白殿下も、家康公の三方ケ原における
進退を激賞され、律義なお方じゃ、ぜひとも、わが政権の柱石としてお迎えし
たいと申されておられました」
兼続、さりげなく、こたびの旅の目的を果たす。
「ふふ」
家康、笑う。
「わしは運が良いだけじゃ。その後、信玄公が急逝され、朝倉・浅井が滅ぼさ
れ、将軍様が追放された。もし、信玄公が、ご病気でなければ、わしはきっち
り滅ぼされておったわ。負け戦を財産じゃなどと言えるのは、結果論じゃ。」
- 64 :
- 第三十五話「三方ケ原」(55)
草原が赤く染まり、日が沈もうとしている。
「そろそろ夕餉にしませぬか」
どこからともなく、本多正信が現れる。
そういえば、榊原殿と信之殿は、どこに行ったのじゃろう。
「直江殿のお口に合うかどうか」
徳川家康、小姓が持ってきた袋をごそごそ探し出す。そして手をとめる。
「そういえば、これをご覧くだされ」
家康が出してきたのは、一枚の絵だった。
「ほう、これが有名な顰像でございまするか」
手に取って眺める兼続、今より痩せておられたのじゃな。
しかし、三方ケ原敗戦直後、城に逃げ帰って一番先に絵を描かせ、自分への戒
めとするとは、なかなか思いつかぬことじゃなあ。
「血気にはやって突出したご自分への戒めとして書かせたと聞き及んでおりま
すが」
「うむ、わしが反省すべきことは山のようにある。一晩かかっても語りつくせ
ぬくらいじゃ。何度も何度も武田の騎馬武者に追いつかれた。振り切ったと安
心したところに、追いつかれる。わしも逆上して、馬を返し、斬りこんでやろ
うと思うた。そのたびに家臣どもに、引きとめられた。精も根も尽き果てて、
いよいよ討ち死にかと覚悟した時に、浜松城から迎えに来てくれた夏目という
者が、わしの兜をかぶり、わしの馬に乗り、身代わりとなって死んでくれた」
本当に忠義な家来をおもちじゃ。将に将たる器ということなのじゃろうか。
「わしは、これまで多くの家臣を殺してきた。これからも、Rことになるじ
ゃろう。戦の世じゃから、仕方がない面もあるが、わしの判断ひとつで、死な
なくてもよい者が死ぬこともある。わしは二度と軽率なことはせぬと、この絵
を見るたびに思う」
これは、上洛を拒否するということじゃろうか。
兼続が考えておると、家康、にっこり笑って、竹の皮を解き、焼きお握りを、
ひとつ兼続に渡して、自分もかぶりつく。
- 65 :
- 貴方とか妄想大河の人とかに大河の脚本やってほしいわ
いや、マジで
世の中色々とおかしいよ
- 66 :
- <大・大・大反省会>(上)
「今度という今度は、それがしも怒っておりまする」
「そうじゃろう、いくらなんでも長すぎるのではないかと思うじゃろ」
「御意。それがしは筆者につけて送る閻魔大王への手紙を書いておりまする」
「流石、兼続殿じゃ。準備がよいのう。ええい、罪人をひったてい」
話があまりにも進まないので、ついにお船と兼続に裁かれることとなった筆者。
どうなるのでしょう。
「大御所様は、人気はありませぬが、後世に与えた影響からいっても、日本史
上最大の英雄ともいうべきお方、長くなるのは仕方ありませぬ」
「ものには程度というものがあろう。兼続殿が、家康公に会いに旅立ったのは
筆者の時間では、昨年の三月のことじゃ。どこの世界に主役が一年も出ぬドラ
マがあるのじゃ」
「ちょちょちょ、それがしは、でずっぱりでござりましたか」
「裁きの途中に、茶々をいれるでない」
「いや、いや、それがし直江兼続が主役の話でござりまするよ」
「じゃから、前から言うておるじゃろう。三国志に例えれば、わらわは孔明、
そなたは劉備じゃ。そなたは一見主役のようでただの狂言回しの役じゃ」
「曹操にあたるのが、大御所様でござりまする。時間がかかるのは仕方ありま
せぬ」
調子に乗った筆者、お船に乗って自己弁護する。
「大御所様は、後世、狸親父とかなんとか、言われておりまするが、太閤殿下
が亡くなるまで、まったくその気配はござりませぬ。そこが、大御所様の恐ろ
しいところでござりまする。時間がかかるのは仕方ありませぬ」
「ええい、詮議無用じゃ。刑場にひったてい」
「ちょ、お待ちを。筆者、確かに筆が進まぬことは事実でござりまするが、
勉強はすすんでおりまする。実は、秀頼公は、太閤殿下のお子ではありませぬ」
「石田の子とでも、ぬかすのか。そんなこと、江戸時代から言われておるわ」
ずるずる、引きずられていく筆者。
あわれ、遅筆の罪で刑場の露と消えるのか。
反省会までも、長くなるようでございまする。
- 67 :
- <大・大・大反省会>(中)
じょろ、じょろ、じょろ、無理やり座らせられた筆者の真後ろで水の音。
ややや、どうも、刀に水を掛けているようです。
「じ、じつは、筆者、直江様こそ、諸葛武侯の生まれ変わりではないかと思う
ておりまする」
「うん、どういう意味じゃ」思わず身を乗り出す兼続。
「武候には出師の表、直江様には直江状がございます。そして、武候は北伐の
途中で病死し、直江様は関ヶ原で敗北しております」
「なんじゃ、褒めておらんぞ」お船と声と興味をなくした兼続の顔。
「そこがよいのです。土井晩翠先生は、高き尊きたぐひなき『悲運』を君よ天
に謝せ、と歌うておられます。武候を後世の人々が賛仰してやまないのは、武
候の悲運に対してであると。直江様も同じではありませぬでしょうか」
「なかなか、正しいことをいうておるように思いまする。助けてやりましょう」
筆者、捨て身のおべんちゃらに、心を動かされた様子の兼続。
「一番よく似ておるのは性格です。武候は誠実な人となりで、人に信頼される
お方であったようでございまする。赤壁の前、孫権との同盟をあっという間に
成立させておりまする。豊臣政権では石田、徳川では本多正信に信頼された直
江様も、武候と同じく、誠実なお方だったのではないかと思料しておりまする」
「助けてやりましょう」
「現金な奴じゃのう」
「お船様にも、上杉家を救う大切な役どころを用意しておりまする」
「本当か」
「本当です」
本当なのでしょうか。
「筆者を許してはならぬぶー」
なんと、そこに、どこかで聞いた声が。
- 68 :
- <大・大・大反省会>(下)
「歴史探偵伊達政宗参上じゃぶー」
「おお仙台候、生きておったか。こたびの大災害、心からお悔やみ申し上げる。
仙台藩百姓さんたちは、ご無事じゃろうか」
「丁重な慰問、痛み入りまする。わしも心配しておる。わが領民じゃからのう。
ところで、話をもどすが、直江山城、筆者に騙されてはならぬ。
こやつのせいで、龍馬殿は出番なく、大河が終わってしまったぞ。
蒼穹の昴も終わってしもうたぞ」
「李鴻章がでないので、ちょっとびっくりしましたな」
「はてしなく脱線するつもりか、筆者の罪は万死に値するというておるのじゃ」
「確かにそうじゃ」お船がうなづく。
雲行きが怪しくなってきた。
「仙台候の言葉に乗せられてはなりませぬ。
仙台候は、筆者の時代では、外患誘致罪の適用を受ける売国奴でござりまする」
必死で抗弁する筆者。
「外患誘致罪とは、法定刑が死刑しかない重大犯罪じゃが、仙台候が何をした
のじゃ」
「イスパニアの国王に親書を送り、無敵艦隊を呼び寄せようとしたのでござい
まする。みずからの野心のために外国勢力を招き入れようとするなど、日ノ本
の武士にあるまじきことでござりまする」
「信長新記みたいな話じゃのう。しかし、仙台候らしいといえばらしい。やは
り、大御所様のご懸念はただしかったのう」
「大御所様のご懸念とは、なんじゃ。それがしは三代の将軍にお仕えし、天下
の副将軍とまでいわれた男じゃ。大御所様がなんといわれたのじゃ」
「大御所様は、そなたの野心勃々たる心底を見抜いておられ、そなたが謀反を
起こした時、われら上杉が先鋒となって鎮圧する話になっておったのじゃ」
「本当か」
「本当じゃ。われらが五千の家臣団を維持したのは、第一にそなたの謀反に備
えるためじゃ。謀反をまっておったのじゃが。そなたが、へたれのため、無駄
になったのじゃ」
「太閤殿下も大御所様も、やはり、最終的には、ご自分との戦いになるようじ
ゃ。太閤殿下が秀次様を殺したのは、ご自分が、信雄様を操って天下を取った
ように、秀次様を操るものが現れることを、恐れたのじゃろう。大御所様も、
危険を察知して、そなたの婿の忠輝公を勘当したのじゃ」
お船がひきとる。
「思いもよらぬ話じゃ」とぼける歴史探偵。
「あれ、筆者は」
「逃げたようでござるな」
あまりのスローペースに、もう終わったの?といわれてしまいました。
この調子であれば、いつ終わるか、わかりませぬが、最後の最後まで、やり遂
げるつもりでございまする。
なにとぞ、長い目で、ご寛恕賜りたく、伏してお願いいたしまする。
- 69 :
- 第三十六話「長篠」(アバン)
「はて、長篠とは、以前に使ったタイトルではないか」
「は、長篠は一話で振って二十話で回収いたしました。あやうく、忘れそうに
なるところでございましたなあ。ところで、始める前に、反省会ですか」
「わらわの出番がないので、無理やり作らせたのじゃ。葵のまねじゃ」
「筆者は、まだぐずぐずする気満々のようでござりまするな」
「ついに、のだめちゃんにも追いつかれたのう。あまり気にならんが」
「感想を一言でいえば、役者殺しでござりまするな。
のだめちゃんはじめみなさん頑張っておられるのが、不憫でござりまする」
「ところで、長篠といえば、藤本正行・鈴木眞哉両先生の著作について聞かれ
たので、この場を借りてお答えしておきまする。筆者は、なるべく先行研究に
は目を通すようにしており、当然勉強させていただいておりまする。しかし、
司馬遼太郎先生や黒沢明監督の映画に対する批判には、首肯しがたく感じてお
るのも事実でございまする。小説家にうそつきというのは、人殺しに人殺しと
いうておるようなものではないかと」
「ストップ!その辺にしておきなされ。われらは上杉じゃ、人の批判はほどほ
どにな。それに言いたいことは、本篇でいうべきじゃ」
- 70 :
- 長篠に係る考察なら、名和弓雄先生の著作が最も首肯できましたな
それはともかく気長に頑張ってください!
- 71 :
- 久々にお船さまが活躍しそうでwktk
これからも楽しみにしてます!
- 72 :
- 第三十六話「長篠」(1)
「われらは、明日、三河に入る。井伊の統括する機動演習を観閲するためにな。
直江殿も、同行せぬか。もうすこし話がしたい」
徳川の演習を、それがしに見せてくれるというのか。願ってもない話じゃ。
用意された幕舎に案内される。ゆったりと造られた寝床にもぐりこむ。
先んじて上洛したそれがしの話を聞きたいということは、
家康公は上洛する気があるということじゃ。
ほっと安心した兼続、あっという間に寝てしまう。
すると夜半、寝ている兼続の耳元で女の声が。
「ご家老様、ご家老様」
徳川は伽の女子まで用意してくれているのか。いたれりつくせりじゃのう。
しかし、それがしにはお船殿というものがおる。
それに徳川の策略かもしれぬ。ここは、丁重にお引き取り願おう。
いや、いや、いや、このような機会は、人生に二度とないかもしれぬ。
幸い、徳川の警戒線にかからないように、それがしの護衛は下がっておる。
それがしは自由じゃ。何をしても、お船殿にばれることはない。
「ありがとうごじゃいます」
がばっと起きた兼続、女を抱きしめようする。
ところが、女は、瞬間に、兼続の手首をとり、逆にねじりあげる。
「いてててて」
完全に目が覚めた兼続、しかし、様子がつかめない。
女は、すぐさま飛びのき平伏する。伽の女子ではないのか。
「ご家老様、失礼いたしました。私は、ご家老様の警護を命じられておる細作
の波里と申すものでございまする」
なんと、なんと、では、お船殿の手の者か。
お船殿に報告されると、ことじゃ。寝ぼけていたことにしよう。
「すまぬ、お船と間違えた」
瞬間的に、選び抜かれた嘘がでる。こういうところは流石である。
「奥方様よりの書状をお届けに参上いたしました」
「大儀じゃった。厳重な警備をよくかいくぐったのう」
書状に目を通す。石田からの情勢報告と三河の現地調査報告か。使えそうじゃ。
「なにか、気がついたことはないか」
「は、関白殿下が、家康公の出した人質の於義丸様を殺害するという噂が流れ
ておりまする」
ふむ。関白殿下も焦れておるようじゃなあ。
こんな脅しが通用する相手でないことは、おわかりのはずなのに。
- 73 :
- 第三十六話「長篠」(2)
「直江殿の寝所に、上杉の細作が入り込んだようでございまする」
「そうか。羽柴のものかもしれぬな。ともかく、危害を加えてはならぬぞ。
半蔵にしかと申しておけ。ところで、弥八郎は直江殿をどう見た」
「あれほど、姿かたちの美しいお方とは思いませなんだ。おつむの方も、
なかなかどうして。切れ者ですな。驚きました」
「学識も、相当なものじゃ。下剋上の者とは違うのう。あの若さで上杉の家老
を務めるだけのことはある。羽柴が欲しがるのも無理ないお方じゃ」
「しかし、不思議なお方でござりまするな。
真田ごときのために、わざわざここまで来るとは。」
「流石にそれだけのためではなるまい。わしに上洛を勧めに参ったのじゃろう」
家康、しばらく考え込む。
「直江殿は、辺土の陪臣なれど、天深を知る井蛙かもしれぬ。
勇気もあるし、行動力もある。天下を治める経綸もあると見た。
天下太平のために、わしに上洛を勧めに参ったのじゃろう。
しかし自分を押し出す類の欲がないゆえ、器量が小さいように誤解されておる。
天下に立つ気概をもつにしては、教養がありすぎ、伝統的権威に謙虚になりす
ぎるということか」
また、黙って考え込む家康。
「謙信公も直江殿のようなお方じゃったかもしれぬ。
小平太に上杉との取次ぎを任せるつもりじゃが、
そなたも直江殿と個人的な関係を作っておいてもらいたい。
小平太では、手に余ることがありそうじゃ」
- 74 :
- 第三十六話「長篠」(3)
「九州では、島津が全土を席巻する勢いとか。秀吉公も、気が気ではないので
はありますまいか」
朝食の席で本多正信が、絡んでくる。
お船殿の書状がさっそく役にたつとは。情報こそが、外交戦の武器じゃ。
「黒田官兵衛どのが軍監として派遣されたようでございまする。黒田殿は、
関白殿下の張子房ともいうべき功臣。毛利とも、因縁深く、親しいとも言える
間柄でございまする。おっつけ、毛利勢も順次進発するのではありますまいか」
ここで、兼続、家康をはじめとする朝食の席の徳川の面々を睨めまわして
「さらに、四国勢も投入されると聞き及んでおります。毛利は西国一の大国、
四国を制覇した長宗我部も、なかなかの戦上手。してみると、関白殿下の親
征が無くとも、九州は平定されるやもしれませぬな」
しんと静まる席。
はったりには、はったりじゃ。どうじゃ、朝飯が不味くなったじゃろう。
「ふうむ。九州が平定されると、秀吉公は、後顧の憂いなく、再び東国の経略
に乗り出してくるということか」
家康がつぶやく。
「わが上杉は、関白殿下より、関東の反北条勢力との取次ぎを任されておりま
す。これは、ここだけの話にしていただきたいのですが、関白殿下は、北条攻
撃の準備をするよう、関東の諸将にひそかに命令を出されておりまする」
たたみかける兼続、どうじゃ、ぐうの音もでないじゃろう。
「実は、わが上杉にも、関白殿下の関東攻撃ための準備命令が年初より、何度
も出されております」
「では、直江殿は、一刻も早く、わが殿に上洛せよと勧めに来られたのでござ
るか」
本多正信、たまりかねて、口を出す。
釣り針にかかったようじゃが、急いてはことを仕損ずるということもある。
「徳川様には徳川様のお考えがおありでしょう。わが上杉は、上洛を果たした
ばかり。天下泰平のため、上洛に対する徳川様のご懸念を、少しでも晴らした
いと思うだけでございます」
押したり引いたり、直江兼続、関白殿下が乗り移ったような駆け引きをする。
- 75 :
- 第三十六話「長篠」(4)
家康主従と兼続は、三方ケ原を離れて、三河に向かう。
徳川の精鋭の演習とは、どのようなものじゃろう。楽しみでたまらぬぞ。
「直江殿、ちこうちこう」
家康が呼ぶ。
「のんびり話しながら行かぬか」
家康と兼続が、馬を並べて進む、その後ろに、本多正信が控えている。
「三方ケ原で、なぜ、わしが助かったかわかるか」
「忠義一途な家臣のみなさまが身代わりになったからじゃと承りましたが」
昨日と同じ話をするつもりなのじゃろうか。
「そのあとの話じゃ。あのまま全軍で、浜松城に攻め込んで来たら、わしは
首を挙げられておったやもしれぬ。ところが、武田は攻めてこなかった」
「家康公が、敗走してくる味方を収容するため、城門を開けはなち、いわゆる
空城の計をとったからと、伺っておりまするが」
孔明みたいじゃ。それがしも、やってみたいのう。
「武田が不気味に思ったとかいう話か。信玄公には、小手先の策略は通用せぬ。
実は、織田援軍のあまりの逃げっぷりのよさに、信玄公が不審をもったためじ
ゃ。まったく、佐久間殿や水野の伯父上の逃げっぷりのよさはなかった。平手
殿は、不運なことに、道に迷うて、討ち取られたが、佐久間隊は、ほぼ無傷で
敗走したし、水野の伯父上に至っては、岡崎まで一直線で逃走した」
家康が笑う。
「何が幸いするかわからぬ。不審に思った信玄公は、偵察隊をかなり出した。
その索敵線に、たまたま織田の補給部隊がひっかかったのじゃ。三百ばかりの
小部隊じゃったが、偵察隊は、大部隊の一部と誤認したようじゃ。報告を受け
た信玄公は、新手の織田の援軍が接近しておると判断し、陣形を整えるために
追撃を中止したのが真相じゃ。これは穴山殿に確かめた話じゃ」
ふうむ。
- 76 :
- 第三十六話「長篠」(5)
浜名湖畔に到着する「馬に水を飲ませねばなりませぬ。ご休憩くださいませ」
兼続、家康とともに、しつらえられた幔幕のなかに案内される。
「ここは刑部、三方ケ原で勝利した武田軍が、宿営し、年を越した場所じゃ」
家康が教えてくれる。
「信玄公は、ここで、信長公の援軍を待ちうけておったのやもしれぬ。
慎重細心な用兵をされておったから、尾張に攻め込む前に、今一度、信長公の
主力を殲滅したいと考えておったのではないかのう」
ふうむ、突然何を言い出すのやら。しかし、長篠のことを考えれば、武田には
領国近くまで、信長公を引き寄せて決戦する作戦構想があったかもしれぬ。
「信玄公は、討ち取った平手殿の首を信長公に送りつけて、断交を宣言した」
「ところがじゃ、信長公は、ここ刑部に使者を派遣して、信玄公に申し開きを
したのじゃ。家康は若年もの故、心得違いがあってはならぬと、家臣を派遣し
て和睦をさせようとしたが、勝手に戦を始めてしまった。平手の家は絶家とす
るなどと、使者に持たせた書状には書いてあったそうじゃ」
「われらにとっては心外な話じゃ。何のための戦いじゃったのか、ということ
になる。後になって信長公は、信玄公が死病にとりつかれておることを探知し
ておったので、時間稼ぎをしておったのじゃというておられたが、それは嘘じ
ゃと思う。信玄公の病については、われらも必死で探索しておったが、最後ま
で確信を持てなかった」
「なにしろ、長篠のあと、謙信公の上洛戦が開始される風聞が立った際、勝頼
公に、謙信公に対する共同作戦を申し込まれるようなお人じゃ」
- 77 :
- 第三十六話「長篠」(6)
家康公にとって、信長公は兄上様のようなおひとじゃと聞いておったが、
実際のところ、どのように思っておるのじゃろう。
「信長公は、どのようなお方だったですか」
「ううむ」
少し黙る家康。
「測り知れないお人じゃった。何もかもじゃ。政戦両略の天才じゃった。わし
のような凡人には、とうとう理解できないお人じゃった」
小姓が、お茶を運んでくる。
「わしが信長公の招請を受けて上洛した時」
そこまで言って家康、しばらく考え込む。
「そなた、中国の覇者毛利元就公が、家訓に天下を競望せずと遺言されたのは、
なぜか知っておるか」
急に何の話じゃろう。
「元就公は、京の政局に乗り出していくことの難しさをご存知じゃったのじゃ。
元就公が小身のころ、服属していた西国一の大大名大内義興公が、将軍様の跡
目争いに介入して、大軍を率いて上洛したことがあった。そして、十年余り覇
をとなえたが、しかし結局徒労に終わった。将軍様と不和になり、国許では尼
子が勢力を伸ばしてきたので、撤退するしかなかったのじゃ」
ううん。
「京の都は、難しいところじゃ。天子様がおり、将軍様がおられる。それに、
公家がおり、寺社がある。町衆の力もあなどれぬ。天下をとったつもりになっ
ても、時期が来れば、それは終わる。わしは、信長公も難しいのではないかと
思うておった。将軍様と不和になったという話も聞こえておったのでな」
ふうむ。若い時から冷静なお方じゃなあ、家康公は。
- 78 :
- 「閑話休題」(上)
「なんですか、司馬遼太郎先生のまねですか」
「うむ、いつものことじゃが、今回も長くなりそうじゃ。筆者が勉強したこと
忘れそうなので、メモっておきたいのじゃと」
「なんと、そういえば、それがしも言いたいことがございまする」
「筆者は、「真田太平記」を何十年ぶりに読み直し、十一巻まできて、疑問に
思うことがでてきた。それは、なぜ真田昌幸は紀州九度山に流されたというこ
とじゃ」
「信之殿や信之殿の岳父本多平八の助命嘆願で、流されたのでございましょう」
「理由ではない、場所じゃ」
「紀州九度山は大坂から近い。現に、幸村殿は大坂に入城して、華々しく戦っ
ておる。それに紀州は関ヶ原のあと浅野家の領地じゃ」
「話がみえませぬな」
「わからぬか、浅野家は豊臣家に一番近い家柄じゃ。北の政所様の実家じゃ。
関ヶ原のあと、豊臣家を支えていたのは加藤・福島と浅野じゃ」
「さらに見えませぬ」
「そなたは、鈍いぞ。大御所様は歴史を学んでおられる。「吾妻鏡」も愛読も
されておられる。なぜ、頼朝公は伊豆に流されたのじゃろう」
「それは、源頼政殿の任国だったからでござりましょう」
「伊豆は、源氏が代々の根拠地にしていた鎌倉に近いところじゃ」
「さらにさらに見えませぬ」
「真田を紀州に流したのは、真田を触媒として浅野が決起することを望んでい
たからではないか」
「ほうほうほう」
「浅野幸長殿が立てば、東西を二分する大戦に発展して、大御所様も苦労した
かもしれぬが、大御所様は、老齢、豊臣をつぶすことを焦っておったことも事
実じゃ。どうじゃ、このみたては」
「ほうほうほうほう」
「安倍龍太郎先生の「徳川家康の詰将棋」を読んだのじゃが、面白かった。
大御所様は、豊臣家をつぶすために、周到に準備されておられる。それだけ、
豊臣家は大きかったということじゃ。「吾妻鑑」には承久の乱も出ておる。
大御所様は、このまま豊臣家を残したままだと、ご自分が亡くなった後、承
久の乱のような大戦がおこることを懸念されておったのではないか」
「ほうほう」
- 79 :
- 「閑話休題」(中)
「それがしも、池波先生には言いたいことがございまする」
「筆者は、世上にもてはやされるほどに、直江山城守兼続を買っていない
(第七巻四八四頁)と、書かれていることか。そなたも存外こまい男じゃのう」
「いいえ、もとより関ヶ原敗戦の責任はそれがし一身が背負うべきものにて、
その点について、いかに悪しざまに言われようとむしろ本望でござりまする。
後世の人に、わかりやすく言えば、東京裁判の東条元首相のような心境でござ
りまする」
「かえってわかりにくくなったぞ」
「話をもどして、それがしが問題にしておるのは、第十一巻の、
しかし、冬の陣における上杉景勝の戦ぶりが、家康には、「不満であった」と、
つたえらえている(三〇二頁)
でござりまする。これは、ひどすぎまする」
「確かに、武勇にかかわることで、ここまで真逆に書かれると、驚くのう」
「われらは、冬の陣で苦戦はしましたが、鴫野・今福を制圧しました。
ここは、大坂城の北西部に当たり、天守閣までの距離が一番近い地点で、大御所
様は、ここに砲兵陣地を配置、天守閣に砲撃を加え和議にもちこんでおります。
後世の人にわかりやすくいえば、旅順要塞の二百三高地を占領したようなもので
ござりまする」
「その例えはやめなされ。かえって混乱する。
ところで、そなた、ここまで、とぼけとおしておるようじゃが、わらわの顔を
まっすぐ見ることができるか。証拠は挙がっておるぞ」
「エエエ!なんのことやら。わかりませぬが」
「どこまでも、とぼけるつもりか。波里から報告がきておるぞ」
- 80 :
- 「閑話休題」(下)
「あうう、ええと、そういえば、陸自の戦術教官だった人の関ヶ原に関する話
も、メモっておきましょう」
「そなた、波里に抱きついたそうじゃな」
「波里殿、どなたですかな。まったく面識がござりませぬ。はて」
「知らぬとは言わせぬぞ。そなたの浮気監視にはりつけておるわらわの配下
の細作じゃ」
「なぜ、石田は佐和山城に撤退できなかったか、わかりましたぞ」
「うん」
「関ヶ原は、中山道・北国街道などすべての交通の要衝。中山道を抜けると、
佐和山城につきますが、中山道は、松尾山の麓を通っています。つまり、小早
川の裏切りによって、石田は佐和山への退路を断たれたというわけでござりま
する」
「なんか、期待して損したぞ。がっかりじゃ。」
「関ヶ原の翌日、佐和山城攻めの先鋒は小早川と朽木など、寝返った部隊であ
りましたが、西軍に属しておった罪滅ぼしというより、佐和山に一番近い部隊
だったと考えるべきでございましょう」
「ふむ。松尾山に、石田が布陣しておれば、万々万一関ヶ原で敗れたとしても、
佐和山に後退し、あるいは大坂で再起を図ることもできたわけじゃ。ところが、
石田殿は、北国街道沿いに布陣しておる。石田殿は、百戦百勝の関白殿下の側
近であったためか、詰めが甘いのう」
「残念でござりまする。中途半端なのじゃ。戦が不得手と自覚しておれば、大
坂に籠城しておれば、よいものを」
「まったく、そうじゃ。負けようのない戦いで、負けるのじゃから、われらの
苦労も水泡じゃ」
「いささか、先走りすぎましたのう。石田は、関ヶ原を碧蹄館の戦いと同じ包
囲殲滅戦と想定したようじゃが、小早川違いでしたな」
- 81 :
- お船久しぶりw
- 82 :
- 第三十六話「長篠」(7)
少しずつ、考えながら話す家康、黙っている時間がとてもとても長い。
それがしがそばにおることを忘れておるのじゃろうか。
幔幕の隙間から、入り江ごしに湖が見える。きれいなところじゃ。
信玄公は、三方ケ原のあと、ここ刑部に二十日あまり陣を張っておったという
話じゃが、やはり…。
「信玄公は、家康公の服属を望んでおったのではございませぬか」
兼続、水を向ける。
「うん、なぜそう思うのじゃ」
家康、顔を上げて兼続を見る。大きな目がくりくりと動く。
「三方ケ原のあとの信玄公の進軍があまりにも遅いからでござりまする。刑部
に滞陣した後、武田勢は、三河野田城を攻囲しておりまするが、攻略まで一月
余りかかっておりまする。信玄公は、慎重な用兵をされるお方、信長公の援軍
を待ち受けておったのかと考えておりましたが、同時に後ろの家康公をみてお
ったのやもしれぬと思うたのでござりまする」
「直江殿もご承知のごとく、信玄公は死に至る病に取りつかれておった。武田
の軍勢が遅いのは、そのせいじゃ」
むきになって本多正信が口を出す。なんか、悪いことを言ったのじゃろうか。
「信長公を裏切るなぞ、思いもよらぬことじゃ。本当に、はかりしれないお人
じゃった。なんというか、ともかくすごいのじゃ」
家康、やおら信長のことを話し出す。
「わしが、信長公の招請を受けて、はじめて上洛したのは元亀元年の春のこと
じゃった」
何を話し出すのじゃろう
「信長公は、東は武田から西は尼子までの大名に上洛の招請状を出された。勿
論、使者を送ってお茶を濁すものがほとんどじゃったが、信長公を憚る近隣の
大名は上洛した。当然、わしも上洛した。」
ふむ、朝倉攻めの直前の話じゃ。
- 83 :
- 第三十六話「長篠」(8)
「信長公が義昭公を奉じて上洛したときは、参陣しておらなかったので、わし
にとっては初めての上洛ということになる。信長公といっしょに上洛すること
になったのじゃが、近江の堅田のあたりまで公家衆が迎えに来ておられた。都
に入っても沿道には、町衆が人垣を作って、それはそれはすごい歓待じゃった」
ここで家康、お茶を飲む。
「実は、わしはすこし心配しておったのじゃ。将軍様と信長公が対立しておる
と聞いておったのでな。信長公といえども、思うようにはならないのではない
かとな」
家康、やおら傍らの書付を取り出す。榊原といい、筆まめな家中じゃ。いや
家康公の影響かもしれぬなあ。
「ところがじゃ、やはり信長公は信長公じゃった。将軍様に、五箇条の条書
を突き付けて無理やり承認させておったのじゃ。ええと、これじゃ」
「なになに、
一、諸国へ御内書を以て仰せ出ださるる子細これあらば、信長に仰せ聞かれ、
書状を添え申すべきこと。
二、御下知の儀、皆以て御棄破あり。その上に御思案なされ、相定めらるべき
事。
三、公儀に対し奉り忠節のともがらに、御恩賞、御褒美を加えられたく候とい
えども領中などこれなきにおいては、信長分領の内を以ても、上意次第に申
しつくべきこと。
四、天下の儀、何様にも、信長にまかせおかるるの上は、誰々に依らず、上意
を得るに及ばず、分別次第、成敗なすべきの事。
五、天下御静謐の条、禁中の儀、毎事御油断あるべからざるの事。
ううむ、これはひどい」
兼続、思わず、つぶやく。
「これでは、将軍様は何もしてはならないということではありませぬか。これ
では、折り合いをつけることも難しいのではござりませぬか」
信長公は、将軍様を完全に傀儡にするお積りじゃったのじゃろうか。
それにしても、家康公は、なぜ、書き留めておられるのじゃろう。やはり、天
下に志があるということなのじゃろうか。
- 84 :
- 第三十六話「長篠」(9)
流浪の将軍様の弟君を奉じて上洛し、幕府の再興を果たす。
そして新しい将軍様より、御父と敬われる。
謙信公であれば、わが人生に悔いなしと言われるところじゃが。
「信長公には、政治に対する独自の構想があったのでしょうか」
将軍様の権威を超える政治体制を構想しておられたのじゃろうか。
「信長公は」
黙る家康。
「古今独歩のお人なのじゃ。本当に変わったお人じゃった」
少し思い出し笑いをする家康。
「初めてお目にかかったのは、わしが六歳の時じゃった。
人質じゃったわしの無聊をなぐさめんと遊びに来てくれたのじゃ。
意外と気軽で、優しいお人なのじゃ。ところが、風体が悪い。
信長公は、十四、五才じゃったと思うが、吃驚するようないでたちじゃった。
髪は茶筅じゃし、服装は下人のようにみすぼらしいものじゃった。。
なにより、おかしいのは、腰回りに竹筒や瓢箪や袋をぐるりぶら下げておるこ
とじゃ」
ふむむ、おかしな恰好をして、
家臣たちに、うつけものじゃと馬鹿にされておったとは聞いておるが。
「何が入っておったのですか」
「ありとあらゆるものが入っておった。
甘酒とか、おこわとか、鮑とか。干し柿も入っておったことがある。
何でも出てくると、幼心に感心したことを覚えておるぞ」
ふむむ。
「信長公は、世間の評判とか、他人の思惑など一切気にしないお人なのじゃ」
- 85 :
- 第三十六話「長篠」(10)
「殿、半里ほど北に雉がおるようでござりまする」
突然、農夫が入ってきて報告する。
なんじゃ、家臣か。みすぼらしい恰好をしておるのは理由があるのじゃろうか。
「直江殿、急ぐぞ」
太っている割に機敏な家康、馬に走り乗り駆け出し、兼続も続く。
「勢子に農夫の恰好をさせておるのは、信長公のまねじゃ。まったく、信長公
は、何から何まで、よくお考えになられるお方でのう。このやり方が一番、獲
物がたくさん獲れるとおおせじゃった。そして、実際そうなのじゃ」
馬を二頭並べて駆けながら、話す家康。
「直江殿は、ここで待っておられよ」
馬から滑り降りた家康、腕に鷹をのせ、雉の群れに近づいていく。
雉が飛びったった瞬間、鷹を離す。
おお、天高く上がった鷹が。なんかときめくなあ。
「どうじゃ」
家康が、勢子に叫ぶ。
「落ちておりまする」
「わしは信長公ほど、頭脳明晰なお方にあったことはない。それに、何もかも
よく考え込まれておるのじゃ。天才とは、あのお方にあるような言葉じゃ。
将軍様のことを完全な傀儡にしようとしたのも、深いお考えのあってのことじ
ゃと思うぞ」
しかし、将軍様を怒らせたため、包囲網を作られ、苦戦したのではないか。将
軍様と明智の関係を考えれば、命取りになったともいえると思うが。
「信長公は、経綸の才もあった。異常なまでに潔癖で、どんな些細なこともお
許しにならない厳しいお人じゃったが、そのため、信長公の領国では、盗賊は
いなくなった。それに、経済にも見識があった。関所を廃止し、道路を整備し、
楽市・楽座の制度で城下町を作った。岐阜・安土と、美しくにぎやかで豊かな
都市を作り出したのじゃ。民にとっては名君じゃったといえるのではないか」
うむむ。
- 86 :
- 第三十六話「長篠」(11)
つまり信長公には、ご自分が民草のために正しき政治をしておる確信があっ
たということなのじゃろうか。
「信長公は、ほとんどしゃべらないお人じゃから、何を考えておられるか、
全くわからぬが、ともかくお考えが深いのじゃ。将軍様に五箇条の要求を突き
つけた後、信長公は参内し、天子様より、天下を静謐にするよう綸旨を頂いた。
そして、そのまま朝倉攻めじゃ」
なんと。
「われらは、二条御所の落成を祝うため上洛したつもりじゃったから驚いたぞ」
「信長公は、家康公にはご説明されたのではござりませぬか」
「いいや、大体信長公は、あまりしゃべらないお方じゃ。であるか、とかしか
仰せにならない」
のんびり馬を進めながら話し込む家康と兼続。
小高い丘を登ると、河原に出た。そこには大きな幔幕が張られていた。
「なんじゃ、まだこんなところにおるのか」
家康がつぶやく。
「直江殿、今度の演習を統括する移動司令部じゃ。ちょっと寄ってみぬか」
家康公ご自身が観閲しないのじゃろうか。
- 87 :
- 第三十六話「長篠」(12)
「殿、よいところにこられた」
幔幕の前で本多平八が出迎える。
「小平太と万千代がやりあっておりまする。殿のご裁断をお願いいたします」
面白そうじゃが、しかし、それがしが入るわけにも参るまい。
「直江殿も参られよ」
兼続の躊躇する気配を察する家康。
「戦というものは、千変万化、ひとつとして同じものはない。
小牧の陣のような陣地戦を想定するのは、おかしいのではないか」
榊原、口から泡を吹く勢いで吠えている。
「上方勢は大軍、陣地を作らねば、戦えませぬ」
井伊殿も負けておらぬようじゃ。
「そもそも、長篠も鉄砲によって勝ったわけではござりませぬ。
強力な陣地を作って武田騎馬隊を寄せ付けなかったから、勝てたのじゃ。
わが手の者も、武田は鉄砲に敗れたのではないと申しておりまする」
ほうほう。面白い。
「そんなことは分かっておる。そなた以外の者は、みな参戦しておるでな。
わしが言いたいのは、どんなに強力な陣地を作っても、注文通り、攻めて
くるとは限らぬということじゃ。今、当家は、三河一国を要塞化する勢いで
各所に陣地を作っておる。そなたの采配でな。しかし、三河に攻めてくると
は限らぬというておるのじゃ。また秀吉公と再戦することになれば、今度は
上杉を先鋒に北から攻めてくるやもしれぬぞ」
榊原は、それがしが目に入らぬのじゃろうか
「ほうほうほう、なかなか面白い話じゃな。確かに、双方道理のある話じゃ。
どうじゃ、みなで長篠に行ってはみぬか。ここから近い。支度いたせ」
家康がうまく裁く。
- 88 :
- 第三十六話「長篠」(13)
「直江殿。そうじゃろ、もし、秀吉公と再戦ということになれば、上杉は北か
ら進攻してくることになっておるのじゃろう」
榊原、兼続を見つけて加勢を求める。榊原、あいかわらずじゃ。計算がない。
仕方なく
「お二方の議論を最初から聞いておったわけではないので、きちんとしたお答
えになるか、わかりかねまするが、お答えいたしまする。
関白殿下は、徳川様との和平を望んでおり、われら上杉が徳川様と戦うような
ことはありえませぬ」
ここで一息入れる兼続。
「一般論で申せば、関白殿下の用兵は、兵を惜しみませぬ。四国攻めの時も、
長宗我部は、阿波に全軍を集中させたようでござりまするが、関白殿下は、
裏をかいて、毛利に伊予、宇喜多に讃岐を攻撃させました。そのことを考える
と三河一国を固めても思うようにはならないかもしれませぬ」
「ほうれ、直江殿は関白殿下に寵愛されておるお人じゃ。やはり、上杉・前田
が北から攻めてくることになっておるのじゃ」
違うと言っておるじゃろ。榊原、そなたは何を考えておるのじゃ。
「それでは、榊原殿は、この機動演習自体無益と申されるのか」
「なにい」
「まあまあ、続きは長篠で話そうぞ」
家康、二人をなだめる。
家康、兼続、本多平八、榊原、井伊など川沿いに北上する。
「ここは吉田城の北、豊川沿いに北上すると長篠に行きあたりまする」
いつの間にか、兼続の傍らに信之が寄ってきて、教えてくれる。
「信之殿、本多殿にえらく気に入られたようじゃのう。重畳至極なことじゃ」
「おかげさまでござりまする」
「そなたは何を見た。何を感じた」
兼続と真田信之、いろいろ情報交換しながら進む。
やはり、信之殿は具眼の士じゃ。鋭い。
- 89 :
- 第三十六話「長篠」(14)
「それがしは本多殿の部隊に同行しておりましたが、
兵どもが疲れはてておる様子でござりました」
「いつ攻めてくるか、わからぬから、軍勢を解くわけにもいかぬからのう」
「田畑も荒れ果てておるようでございまする」
天下を相手に何年も臨戦態勢を取り続けておるのじゃから、無理があちらこ
ちらに出ておる。
「反乱が起きないのが不思議なくらいのありさまじゃ。それがしが見た武田
の末期に似ておる」
「この大がかりな機動演習は、われらに見せつけるだけではなく、民草を威圧
するためという側面もあるやもしれませぬなあ」
なかなか鋭いことをいう信之。
二人がひそひそ話をしていると、先行していた家康一行は、川を渡ろうとして
いた。榊原が声をかけてくる。
「直江殿、この川を渡ると、長篠じゃ」
- 90 :
- 第三十六話「長篠」(15)
「直江殿こちらじゃ」
川を渡ったところで家康が手招きする。
一行は、しばらく馬を駆けさせ、井伊の幔幕のはられたところに到着する。
「万千代は、相変わらず手回しがよいのう」
井伊を褒めた家康、西を流れる小さな川を指さす。
「連吾川じゃ。この連吾川にそって、われらは野戦陣地を構築した」
ふうん、狭いところじゃ。北は険しい山、南は、さっき渡ってきた大野川、
「三十町くらいしかないのではありませぬか」
こんな狭いところに柵を作って縦深陣地を構築しておったのか。
にも、かかわらず勝頼公は突撃を命じたということか。なぜじゃろう。
「われらが居るところは、ちょうど武田の先鋒山県昌景殿が布陣しておった
ところじゃ。小平太、説明せよ」
手早く床几が並べられ、大きな地図が出されている。
榊原、例の書付を取り出し、得意げに一同を見まわし、井伊を睨みつける。
「どんなに強力な陣地を作っても、敵をおびき出せねば無益じゃ」
- 91 :
- 第三十六話「長篠」(16)
「わが手のものの話によれば、山県殿は、十発以上被弾しておった
- 92 :
- そうでござりまする。山県様は武田の先鋒の指揮官、当然鉄砲隊の最優先目標
でございますな。それなのに、十発以上命中させても、山県様は健在で指揮を
通り続けておったというわけでござりまするな。つまり、鉄砲だけでは勝てぬ、
陣地がなければ、武田の突撃によって鉄砲隊も蹂躙されておったということに
なります」
井伊が、自説を蒸し返す。
「山県殿は、天下一の名将じゃが、かわいらしいほど小さきお人じゃったから、
当たらなかったのじゃろうかな」
家康が、横から口を出す。
「当たらなかったのではなく、当たっても鎧を貫通しなかったということでご
ざりまする」
井伊が、訂正する。
「それゆえ、万千代は、陣地が必要じゃというわけか」
本多平八が話を戻す。
「しかし、どんなに強力な陣地を作っても、敵をおびき出すことができねば
無益ではないか、とわしはいっておるのじゃ」
榊原が続ける。
「信長公が、われらに造らせた陣地は強力なものじゃった。騎馬隊の突撃を
防ぐ馬防柵の前に、空堀が掘られておった。ええと、たしか」
榊原、例の書付をめくりだす。
「あった。これじゃ、信長公が、南蛮人の宣教師に聞いたとかいう、ごるどぼ
陣地というのじゃ。西南蛮のごるどぼとかいう武将が強力な野戦陣地を構築し
て敵を打ち破ったらしい。それを信長公がお聞きになれれて、応用したのじゃ」
ごるどぼ、西南蛮も戦国時代なのじゃろうか。
「われらは、念入りに陣地を造った。みな、武田との決戦におびえておったか
らのう。稲葉一徹殿は、もし信玄公が生きておられて、うってこられたら、ど
うなりまするか、と、信長公の面前でわしに聞いて、怒られておった。わしも
わしで信康を岡崎に後退させようと思案しておった」
家康が、また口を出す。
「三方ケ原敗戦の後遺症は深刻で、われら徳川だけでなく、織田勢も怯えてお
った。しかし、信長公は、三方ケ原の敗戦さえ組み込んだ調略で、勝頼公を、
おびき出したのじゃ」
- 93 :
- 第三十六話「長篠」(17)
「われらが今おるところは、武田の先鋒山県昌景様の布陣しておったところで
ござる。この正面が、連吾川をはさんで、われら徳川の先鋒大久保兄弟の陣地
じゃ」
なぜ、武田側から戦の検討をするのじゃろうか。それが不思議じゃ。
「その北に大須賀や、わし本多平八とならび、殿の本陣はその奥の弾正山じゃ。
その奥の天神山の北の麓に信長公の本陣があった。その前には、滝川殿、羽柴
殿、丹羽殿、そして北の端に佐久間信盛殿・水野信元殿が布陣しておった」
親切な榊原、絵図面と実際の地形を指さしながら、兼続と信之に教えてくれる。
そこに東の方から騎馬武者が駆けてきた。なんじゃろ。
「殿、婿殿がお弁当をお持ちいたしたいとのことでござりまする」
本多正信が取り次ぐ。
「おお、亀は元気じゃろうか」
そういえば奥平信昌は、家康公の娘婿じゃ。
「わしは、長篠の戦の直前、信長公と手を切り、武田と和睦しようと思うたこ
とがある」
家康が、横に座る兼続に話しかけてくる。
「奥平は、山家三方衆のひとり、武田に服属しておったが、信玄公が亡くなっ
た後、わしの調略を受けてくれた。三方ケ原のあと、遠江・三河の土豪は武田
に靡いておったから、有難かった。当然、武田にだしておった奥平の人質は処
刑された。戦国のならいとはいえ、人質はその家にとって大事なお人じゃ。そ
れを犠牲にして、わしについてくれたのじゃ。わしは長女を娶せ、長篠の城主
とした」
榊原は家康の話がすむのを待っている。
「その長篠が武田に包囲された。ところが、信長公は、なかなか後詰の兵を出し
てくださらぬ。もし、長篠が落ちたらどうなる。奥平は、わしの長女の婿じゃ。
見殺しにしたら、わしの信義は立たぬことになる。遠江・三河の土豪どもの心も
わしから離れることは必定じゃ。それゆえ、わしは本気で武田と和睦することを
考えた。どんなことをしても、奥平と長篠の将兵を救わねばならぬのでな」
ふむむ、やはり家康公は信義の人ということじゃろうか。
武士の進退ということを心得ておる。
- 94 :
- 第三十六話「長篠」(18)
「信長公には前科がある。武田に高天神城が包囲された時も後詰に来てくださ
れなかったのじゃ」
榊原が、割り込んでくる。
「小平太、言い過ぎじゃ。信長公は援軍を率いて来てくださったではないか」
「高天神城が落ちる頃を見計らってこられました。慰藉のための金貨を前もっ
て用意されて」
榊原、続ける。井伊も本多平八も本多正信も黙っている。
「長篠城も二の丸まで攻め込まれておりました。武田が攻撃を緩めた故、落ち
なかっただけの話でござる」
ふむ。
「信長公の援軍が来る前に、城を落としてしまったら、高天神城のときのよう
に決戦の機会を逸すると勝頼公は考えたのでしょうな」
ふむ、ふむ。
「高天神城が落とされたのは、天正二年五月のことじゃが、勝頼公は一月に、
美濃に攻め込んで明智城を落としておる。信長公も援軍を繰り出したが、山県
殿に追い散らされてしもうておる」
家康公と榊原は、見方が違うといういうことなのじゃろうか。
「つまり榊原殿は、信長公は、あまり戦う気がなかったとお考えなのですか」
兼続が質問する。
「長篠は、最強武田軍を完膚なきまでに叩きのめした大勝利ゆえ、すべて信長
公の策略と思われておるが、それはすべて結果論じゃ。信長公も含めわれらに
は勝利の確信はなかったし、戦が始まっても、なかなか難しい戦じゃった。」
ふうむ。
- 95 :
- いつもお疲れ様です!!
- 96 :
- 第三十六話「長篠」(19)
「というても、わしは信長公の天才を否定するわけではない。どんなに強力な
野戦陣地を造っても、敵をおびき寄せることができなければ徒労におわる。信
長公は、勝頼公をおびき寄せるため、ありとあらゆる策をうたれておる」
「しかし、もともと勝頼公は決戦を望んでおった故、策を弄する必要がなかっ
たのではござりませぬか」
榊原に食い下がる井伊。
「勝頼公が決戦を望んでおったことは確かじゃ。信玄公が亡くなり、西上作戦
が中止されたあと、将軍様が追放され、浅井・朝倉が滅ぼされ、そして長島の
一向一揆が殲滅された。日一日と信長公の勢力は強大になっておった故、勝頼
公は焦っておったのじゃろうな」
また家康が割り込む
「ううう。わしが言うておるのは」
黙った榊原、また例の書付をめくりだす。
「時系列にそって、話を整理させてくださいませ。
ええと、勝頼公が長篠を包囲したのが、天正三年五月十一日のことじゃ。
殿の援軍要請を受けて、信長公が岐阜を出陣されたのが五月十三日、
連吾川河畔に着陣したのが十八日、そして長篠の決戦は二十一日のことじゃ」
あまり日にちがないのう。
信長公は、参陣しない大名からも鉄砲隊を借りたとか聞いておるが、
間に合う時間と距離だったのじゃろうか。
「長篠は二の丸まで攻め込まれておった。普通であれば、二の丸まで攻め込ま
れれば、降伏するものじゃが、奥平殿は事情が事情ゆえ、降伏することができ
ぬ。われらも見殺しにするわけにもまいらぬ」
榊原、一息入れる。
「そこで殿は、もし信長公が援軍を出してくださらないのであれば、徳川は武
田と和睦し、遠江を割譲する代わりに尾張を侵略すると使者に言わせたのじゃ」
ほほう。徳川家康もぎりぎりの駆け引きをしておったのじゃな。
「次に鳥居強右衛門の登場じゃ。足軽じゃというに、まことに忠義な男じゃ。
奥平殿はよい家臣をもたれた」
「強右衛門の子は、いくつじゃろ」
家康がつぶやく。ほしいのじゃろうか。
「落城寸前という報告を受けたのに、われらは直接長篠救援には赴かず、連吾
川に着陣した。信長公の作戦じゃ。そればかりか、陣地を造りだした。ごるど
ぼ陣地じゃ。どう考えても、武田と戦う気がないとしか言いようがない。われ
らは、内心信長公は、また見殺しにするのじゃろうかと腹をたてておった」
- 97 :
- 第三十六話「長篠」(20)
「鳥居強右衛門は、長篠城の兵糧蔵が焼失したこと、ありとあらゆる建物が、
武田の制圧射撃のため、穴だらけになり、蓆を吊るして銃撃を防いでいるとい
うておった」
武田も、かなり鉄砲を持っていたようじゃ。しかし蓆で防ぐことができるのじ
ゃろうか。後に上杉の雷筒と天下に喧伝される強力な鉄砲隊を作りあげた兼続、
当然鉄砲に関心が深い。
「にも、かかわらず、われらは連吾川を渡らず、陣地構築じゃ。連吾川を堀に
見立てて、岸を削って断崖にし、その背後にも空堀を掘った。三間も掘り込ん
だ。落ちれば、絶対に出てこれない深さじゃ。まあ、それもよい。われらは、
武田を恐れておったのじゃからな。兵どもも熱心に陣地構築に従事しておった。
不安を打ち消すには、目の前の作業に没頭させるのは、よい考えじゃ」
榊原は、戦の名人。話をきいておるだけで、勉強になるのう。
「しかし、これでは、武田の騎馬隊の突撃を防ぐことはできても、われらも攻
勢に出れないのではないかと、わしは心配した」
「柵は三十間で互い違いにしておったし、空堀も障子堀じゃが、通路を作って
おったゆえ、攻勢に出れないということはないぞ」
またまた、家康が口を出す。
「それに、あまりにも強力な陣地を造れば、武田も気づいて、攻勢に出てこな
いのではないか、それどころか撤退するかもしれぬとさえ心配した」
まったく動じない榊原、話を進める。
「つまり負けることはないが、勝つことはないという戦いになるのではないか
と、思うたのじゃ」
ここで榊原、兼続を差し招き、尋ねる。
「この陣地、直江殿ならどこから攻める」
- 98 :
- 第三十六話「長篠」(21)
ううむ、これ以外はないと思うが、
「北は山が迫り、南には川がありまするが、柵があり鉄砲が待ち受ける正面は
さけて、南北より、攻めるべきかと、迂回攻撃も考えるべきでしょうな」
兼続、身を乗り出して絵図面を指でなぞりながら、答える。
「さすがじゃな、直江殿。そのとおりじゃ。武田もそのように考えたか、南に
は山県殿、北には馬場殿の軍勢が展開した。これに対して、信長公は、南には、
われら徳川、北には、佐久間殿を配置した」
うん。
「そうじゃ。信長公は、徳川と佐久間殿、三方ケ原で武田に大敗した部隊を南
北の両翼に配置した。武田に組みやすしと思わせるためじゃな」
「信長公は、けじめをきちんとつけさせるお人なのじゃ。朝倉攻めの先鋒じゃ
った羽柴殿は、浅井が裏切り、撤退せねばならなくなったとき、殿を買って出
ておるし、姉川の戦の時、先鋒ですぐさま崩された坂井殿は、滋賀の陣で堅田
に機動攻撃をして討ち死にしておる」
またまた、家康が注釈をいれる。
ふむ、信長公は、信賞必罰の基準が厳しいお人じゃったということなのか。
榊原、まったく無視して声を細めて
「その上、信長公は、武田をおびき寄せるために、佐久間殿に、偽りの内応を
するよう命じておる」
「しかし、佐久間殿は信長公の一の臣ともいうべき重臣、武田も容易には信じ
るはずもないのではござりませぬか」
思わず、兼続が尋ねる。
「普通はそう考える。しかし、信長公と佐久間殿の関係は、われらが見ていて
も、次第に険しいものとなっていっておった。佐久間殿は、信長公を一度も裏
切らず支え続けた忠臣じゃ。ゆえに佐久間殿は、ご自分だけが信長公に諫言で
きると思い定めて諫言されておったようじゃ。」
ふう。信長公に諫言とは、命知らずじゃ。
「佐久間殿は、後に最大の難敵石山本願寺攻撃の総指揮官に任ぜられておるほ
どのお人じゃ。力のあるお方じゃったと思うぞ。ところが、次第に信長公は変
わられ、忠義一途な佐久間殿の諫言を疎ましく思い始め、辛く当たるようにな
った。武田も、信長公の身辺には、細作を何重にも配置しておったようじゃか
ら、偽りの内応を信じてしまったのやもしれぬ」
「三方ヶ原で敗れてより、信長公に蔑にされておるというと、信じるじゃろう。
実際に、そうなのじゃから」
また、家康。
- 99 :
- 第三十六話「長篠」(22)
長篠城から弁当が届けられる。鮎の塩焼きか。うまそうじゃ。
「ええと」
一同が弁当を食べるそばで、榊原が例の書付をまためくり出す。
「これじゃ。
敵、行の術を失い、一段逼迫の体に候の条、無二に彼の陣へ乗り懸け、
信長・家康両敵共此度、本意を遂ぐべき儀、案の内に候」
なんじゃろ
「これは決戦の前日に、勝頼公が後方の部将に出した書簡じゃ。
勝頼公には、われらが手立てもなく途方に暮れておるように見えていたと
いうことじゃ」
織田勢が三万、徳川が八千、それなのに、勝頼公は躊躇なく突撃して、
信長公・家康公を討ち果たすというておるのか。
やはり過信があったのじゃろうか。
「信長公一流の用心深さに、勝頼公は幻惑されたのじゃ。
ここから見れば、よくわかるが、連吾川の向こうは、小高い山が連なってお
るじゃろう。信長公は、織田の軍勢を目立たぬように小部隊ごとに行軍させ、
到着した軍勢を山の陰に隠しておったのじゃ」
なんとまあ。やはり図りがたきこと陰の如くじゃ。
「それゆえ、軍勢の実数をつかみ損ねておったのじゃ。その上、柵を作って、
空堀を掘りだしたのじゃから、兵力が足りず、途方に暮れていると誤認した
のじゃ」
ううん。
「武田が寒狭川を渡らず、鳶の巣山から動かなければ、どんなに強力な陣地を
造っても、どうしようもなかったのじゃが、武田は、川を渡って、設楽ケ原に
展開した。途端に、それまで、いつも以上に仏頂面の信長公の機嫌がなおった」
いよいよ、決戦じゃ。
「軍議の席上、酒井忠次殿が、別働隊で鳶の巣山の武田勢を攻撃することを、
献策した。武田勢が設楽ケ原まで進軍したとしても、武田が動かねば、われら
は、動くつもりがないのじゃから、戦にはならん。日にちが立てば、兵糧蔵が
焼失した長篠城は保たん。それゆえ、徳川の総意として、別働隊を出して、と
りあえず、長篠を救援することを考えたのじゃ」
ふむむ。
「ところが、信長公は、酒井殿の献策を下策と面罵された。驚いたぞ。
酒井殿は、殿の伯父御であり、戦上手じゃし、なにより東三河衆の統率者じゃ。
このあたりの地理に詳しいお人じゃ。最適任なのに、やはり信長公には、戦意
がないのかと、殿もわしも内心怒った」
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