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デイヴィッド・ヒューム


1 :2011/05/22 〜 最終レス :2013/01/20
哲学のみならず経済学や歴史学の分野でも業績を遺した、
スコットランドの啓蒙思想家デイヴィッド・ヒュームについて語ろう。

2 :
全物質主義の元祖なんで、藤原雅彦がろくでもないと批判してましたが、
今の技術至上系のダーウィニズム(国際競争殲滅思想)は彼が原因じゃないでしょうか。
ハイテクがもたらした弊害の殆どは彼の因が大きい。形而上学には。

3 :
どの本のどの部分が国際競争殲滅思想?

4 :
3 というか、結果的にそうみちびかれたという話では?
物質主義とダーウィニズムが結べば当然そうなります。ハイテクが勝つ。
スコットランドの技術志向も彼に一つの源があるのか。

5 :
そもそもヒュームってダーウィニストじゃないよね

6 :
原理主義に対しては一つの解答を示してますね。
「物しかない」と言えば脱構築vs原理主義 の普遍論争も終わる。
にも関わらず語りえないことを語ろうとする第三諸国(英・大陸・その他の意味で)はオリエンタリズムで処理できる。

7 :
ヒュームのせいで人類はお先真っ暗
明日、太陽が東から昇ってくれないなんて!
という理解でよいですかw

8 :
7 聖体論争の時代ですから。
結局ルターとカルヴィンがその辺は宗教学面で奪った。
結局ヒュームが残したのは「物質独立起源説」ではないか?
これをいまだにホーキングも信じてる。

9 :
まあライプニッツやスピノザ、カントのうちの形而上の部分、
ヘーゲル、ハイデガー
このあたりと比べれば、英米思想ってのは現代日本人にもすんなり入っていけるもの
が多くないか?近世から現代まで
最終的に納得できるかどうかは別としても、きり口としてはね

10 :
英米の方が歴史的にしがらみが少なかった分、何かを気にして思想がくねくねまがることなく、ストレートなんだよ

11 :
大物感がないという批判がありますが、小物らしさに利点がある。
この「利点」というのが曲者で、やはり哲学とみれば小さなスケールでしょう。
物質主義はどうすべきか、の問いではない。しかしヘーゲルもハイデガーもべきの問い、
普遍倫理の本質を求めようとしている。物質主義はただの科学補修の説です。
当時あった魂と肉体の論争、デカルト的世界観をしりぞけた、という島国の論理。

12 :
まあほんとは経験論的観念論をおしすすめると
物質主義にはまったくならないけどね。
科学も同様。当方、理系だけど物質主義でもないし唯物論でもないです。

13 :
12 とは?

14 :
まあヘーゲルよりヒューム、もっとくだれば分析哲学のほうが知的営みとしてはまっとうだと思うけどねえ。
そもそも哲学に大物なんてないんじゃないか?フレーゲみたいな斬新な切り口の天才はいても
誇大妄想もいい加減にしろよ、なにが精神の自己展開=現実だよ、
誇大妄想をあげつらって大物扱いするのはおかしいんじゃねえか?と思っちまう
>>11
物質主義で何を意味してるんだ?なんか悪いもんなのか?
それが経験論と何の関係があるんだ?

15 :
経験論は脳の力学です。以上

16 :
>分析哲学のほうが知的営みとしてはまっとう
自作自演のどこがまっとうだよ?
分析哲学は自らの偏狭さで問題を山ほどつくりあげてから、
解決策を議論したり、提示された解決策の批判を繰り返してるだけ。

17 :
具体例をどうぞ

18 :
>>7
ヒュームに対する誤解の代表乙。
ヒュームの主張は、因果関係は論理的な関係でなく自然的な関係であるということ。
この辺、自然の斉一性原理とも関連してる。
因果関係が存在しないと主張してるわけではない。

19 :
>>8
物質独立起源説って何よ?
ぐぐってもこのスレのあんたのレスしかヒットしないぞw

20 :
>>18
自然的な関係というのは因果関係がアプリオリに存在してるということ?
それで人間がその因果関係を見いだす時は恣意的でしかないみたいな感じですかね

21 :
ヒュームはヒューマニスト

22 :
なんか経験論と物質主義?の関係がわからねえ。
経験論的観念論って、
そもそも
つきつめればアプリオリなものなんてのはない
ってことじゃねえのか?
因果関係は自然にあるものではなく、われわれが経験から帰納して勝手に結論づけているだけ。
つまり因果は経験内容を勝手に解釈したアポステリオリな代物ってことにならないか?
世界も物質も科学も懐疑される。
因果関係は論理的な関係でなく自然的な関係ってのはヒューム独自なんだろうけど、なんでそうなっちゃうんだろ?
カントはこの因果律ってのは人間の悟性能力としてアプリオリに備わっていて、
「経験」を悟性の因果律のワクにあてはめていくとした。
つまりヒュームがアポステリオリとした図式にのっとったまま、解釈を変えてアプリオリに読み替えたわけね。
このへん、カントは因果関係は論理的な関係でありかつ経験的な関係ということにできたということか?
しかしカントの悟性概念やカテゴリーってのも、やっぱり独断的な前提にすぎないんだよな。

23 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86
ヒュームの原理(Hume's Principle、HPと略称される)とは、数Fsと数Gsの間に一対一対応(全単射)
があるとき、FsとGsは等しいとする原理。ジョージ・ブーロス(George Boolos)によって命名された。
ヒュームの原理は二階述語論理の考え方に沿って定式化できる。

ヒュームの原理は、フレーゲの『算術の基礎』において、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』
第1巻第3部からの引用というかたちで言及されている。この著作でヒュームは観念と観念の基本的
関係には7種類あると述べている。その1つである量や数における比例についてヒュームは、量に関
してわれわれがおこなう推論は幾何学によって表現されるが、それが「完全な厳密さと確実さ」に
達することはありえないと述べている。幾何学の原理は感覚認識に由来しているからである。これ
に対して、ヒュームによれば、数や算術について行われる推論は厳密さと確実さに達しうると述べ
ている。
 それゆえ、われわれが、推論の連鎖をどれほど複雑に続けても、完全な厳密さと確実さを保持する
 ことができる学問としては、代数学と算術だけが残る。われわれは、数の等しさと比を測定するた
 めの正確な基準をもっており、数がこの基準に一致するかどうかによって、誤る可能性なしに数の
 間の関係を決定するのである。われわれは、二つの数が、一方の数が他方の数に含まれるすべての
 単位〔数の一〕をに対応する単位〔数の一〕を含むように構成されているとき、それらの数をたが
 いに等しいと言う。そして、幾何学を完全で誤ることのない学問と見なすことがほとんどできない
 のは、〔空間的〕延長においては、等しさのこのような〔正確な〕基準がないからである[1]

24 :
やはりヒュームは近世では最重要古典だな。
カントからヒュームにたちかえってもう一度立て直す。
ドイツ観念論が日本で中心にあったのは大日本帝国の特殊事情だろ。

25 :
認識論が懐疑主義的であることと政治哲学の業績があることではカントもヒュームも共通している。

26 :
>>22
例えば全ての人間が梧性、感性等で成り立ってると
必ずしもそうではないではないかと言いたいのであろう、その前提に根拠がないと
言いたい事は良く分かる
しかし、そこを批判しちゃったらそもそも人間の前提を批判しちゃって
何にも成り立たなくなっちゃう、カントはそういうものを前提にしているように思える
そしてヒュームとかの懐疑論だと懐疑論の懐疑論になっちゃって話が進まない
一方、近現代の哲学者でカント(プラトンもそうだが)を批判しているのは
批判のピントがずれてるように思える
例えば人間の自然のままの性質、こういうものを批判しないとカントやプラトンを
真に批判した事にならないように思える
カントやプラトンは人間の自然の絶対的な性質を前提として
その上でありのままに生きるのが正しいのではないかという哲学を展開
しているように思える
カントやプラトンの前提というか縄張りみたいなものを批判できるのか?という

27 :
大陸とは別の理念、というのが骨ですよ。それを見越してる。
大陸哲学と同一地平で争ったら負けだからニュートン力学の形而上学解釈に進んだ。
こういう意味で、プラトンからカントへの王道は決して辿らない、というのが英吉利なんですよ。

28 :
>>24おそらく伊藤博文が一人の主犯ですよ。彼がドイツ憲法を輸入した。
そのせいで福沢-ミルのラインから傾いたんです。
 物質主義系譜はその後、京都学派の成立で途絶えました。

29 :
>>27
むしろ経済力や軍事力、自然科学、工学、政治力などの実質面で
近代の英米に太刀打ちできないから
ドイツなんかは形而上学的な哲学思想に引きこもってきた傾向があるとおもったが。
>>28
君、物質主義ていってるけどどういう意味でいってるの?
イギリス経験論的な観念論と、自然科学と、機械論的唯物論と、産業経済とすべていっしょくたにごっちゃになってないか?
物質主義?むしろそういう時代を通り過ぎた第三次産業中心の記号的消費社会だとおもうけど。
>>26
>>例えば全ての人間が梧性、感性等で成り立ってると
必ずしもそうではないではないかと言いたいのであろう
>>人間の自然の絶対的な性質
いえ、そういうことでもない。悟性や感性自体まで疑ってはいませんよ。ヒュームも
そうではないでしょうか。
ただ、絶対的な性質、というと人間のイデア(神のような)やら定言命法やらという形而上
な慣習法や律法主義のニュアンスが出てくる。
私としては現代的にはより広くおおきな意味でのプラグマティズムでこれらも包括し解釈した方がいい気がするんですよ。
(実利だとかいう意味ではないですね。
あなたがいうように、社会的便宜としての形而上学的概念だととらえるということ。
しかし自由な思考はもっと疑い、西欧の伝統的呪縛の外で自由に他の可能性を探ってみてもいいのではないだろうか。)
というより、本来は認識のしくみというのは認知科学や心理学、神経科学などの知見を待たねば何も断定的なこと詳細なことは
いえないはずでは。(これらでもわかりようがないといえばどうしようもないけど。)
一方で、「論理構造」の部分については矛盾がなくうまくいくならそういう独断的前提もあっていいのでは。

30 :
議論の混ぜ返しはルール違反だと思いますね。よみかえせば分ることを。聴けばいいのですよ分らないときは。

31 :
Pragmatismが支配的思想というのは植民地の自虐ですよ。別に其れだけが思想じゃない。
大陸哲学との関係は日本にとっても似た条件であり、国家単位の問いに返ります。
つまりナショナリズムですよ、どれかの思想を他に包括させようとは。
 それと、物質主義自体は確立した用語。実際元祖の一でしょう。

32 :
お前の方がルール違反だろ。
論破されるのが怖いのか?

33 :
経験論と、カント以後の形而上学を接続したのがウィトだった。
 この経験論の胴元がいわばヒューム。「科学」とは何かを最初に定式化している。
当時の物質主義は人間との関係を失っていた(無神論に漸近していた)が、彼が懐疑的認識を肯定した。
その後の産業革命、社会ダーウィニズムな帝国主義時代も実際は科学利用という意味でヒュームが胴元でしょう。
ウィトはこの後にきて、語りえないこと=論証の不能さ、を科学認識へも持ちいれた。
要するに、大陸との関係とみてヒューム胴元とその物質主義的傾向のイギリス哲学は、一貫して形而上学の成立を否定してるんですよ。
机上の空論を全面否定しているとみてもいい。科学認識が物への確信でしかない、といったのはヒューム。その上にウィトが「他は語るな」といった。

34 :
>>物質主義自体は確立した用語
>>聞けばいいのですよ、わからないことは
聞くのは三度目だが、今度こそ説明してもらおうか。君が物質主義という言葉で何を
意味しているのかを。
>>経験論と、カント以後の形而上学を接続したのがウィトだった
たしかに古い経験論とカントの影響を受けている部分もあると思わされるが、彼は認識論や存在論の
問題は(公的には)棚上げにして議論している。私はこの姿勢は正しいと思っている。
カント以降の形而上学?それは関係ないと思うが。
>>Pragmatismが支配的思想というのは植民地の自虐
アメリカ発の思想方法だが、別にアメリカの専売特許でもない。
Pragmatismを法的にアメリカから強制されているわけでもない。
Pragmatismであることがナショナリズム?賛同する奴はここにはひとりもいないだろう。
別に君に強制するつもりも毛頭ないし。
政治的文脈を切り離して、素直なアタマで諸学の概念や社会通念を反省してみればよいという提案だよ。
(数学や論理における公理の選び方から定言命法的とされる律法までね)
批判は論説に内在する論理そのものや経験にもとづいてやるべきであり、君のは単なるぼんやりとした被害妄想。
(話はそれるけど、まあ今の日本やドイツ=植民地でもいいだけどね。はっきりいって長い間日本国民が背負ってきた絶対的貧困は
解消されたし、言論の自由も拡張されたし。プロイセンやドイツ帝国、戦前の大日本帝国の一元論的権威主義(そしてそれに一役買ってきたドイツ観念論)よりはるかにましだよ)

35 :
>>科学認識が物への確信でしかない
ヒュームの経験論的観念論からすれば、科学はモノへの確信ですらないだろう。
知覚や経験に立ち現れる現象の帰納的な規則(とおもわれるもの)、これが科学ということになるだろう。
つまりヒュームは科学の基礎付けなど行っていることにはならずその根本から懐疑的である。
むしろカントの悟性的認識までの議論の方が科学の肯定になってるくらいだと思える。
イギリスの経験論や分析哲学が物質主義?百歩譲って功利主義を挙げるにしても、
ミルのいう功利主義は単純な物質主義などといえる代物ではない。より大きく広い意味での高尚な人間の功利・幸福も視野に入れたものだ。
>>その後の産業革命、社会ダーウィニズムな帝国主義時代も実際は科学利用
産業革命では物理学や化学の成果を応用しているが、工業と純粋な科学とはその精神性も
目的意識も全く違う。分けてかんがえるべきものだ。(確実にあるいは高確率にいえることを見極める)純粋科学のどこが問題なんだ?
科学からはなれていうならば、産業革命からつづく現代ということで批判されるべきことと、生産力拡大による絶対的貧困の撤廃と、余裕ができたことによる庶民の教育・文化・生活水準の向上いう成果
をトータルで考えるべきもの。君はどういう文脈で批判しているのかな?

36 :
さらに付け加えれば、
物質主義とはフェティシズム(モノへの崇拝)のことだと思っていたが。
理科系で自然科学やってきた俺は別に物質主義ではないし(いまの西欧先進国の多くの人間もそうだろう)、
唯物論ですらない。
またヒュームの懐疑的な経験論的観念論と物質主義とは関係ないと思ってきたが。
ヒュームの経験論的観念論とフェティシズム(モノへの崇拝)とどう関係あるのか論理的に示してほしい。

37 :
ウィトゲンシュタインの有名な箴言を換言すれば「わからないことは考えるな」。
これじゃ哲学にはならんでしょ。
ウィトゲンシュタインやその後継は、哲学の主題をすべて言語体系という狭い領域に押し込めて
言語がすべてを表現しうるものとして自明視してしまってる。
それではヒュームの言う「触発」は起こりえない。
ドゥルーズはそこを批判したんだ。
実際、われわれ人間は言語で考えてる(思考してる)わけじゃない。
言語化される以前のイメージ(表象)で考えてるわけで。
ちなみにプラグマティズムの直接の期限は南北戦争にある。
南北間の埋めがたい溝を解決するひとつの思考実験としてプラグマティズムが生まれた。
また明治日本がドイツ憲法を範にとったのにはシュタインの影響が大きい。
彼の憲法学(ある意味ホッブズ的)が伊藤や西園寺に引き継がれ日本に移殖された。

38 :
>ちなみにプラグマティズムの直接の期限は南北戦争にある
ちなみにプラグマティズムの直接の起源は南北戦争にある

39 :
>>わからないことは考えるな
言語がすべてを表現しうるものとして
いやちがうと思うよ。ウィトはわからないことも考えてはいたしそういう領分の尊重を否定してもいなかったよ。
そうではなく現代の学として「語る」という点で、「語りえぬことには沈黙しなければならない」
という自明なことを確認しただけだろう。
また言語ですべてを表現しえないが、学的には言語で表明するしかない以上、
言語で表現しえない領分を学的な対象にするわけにはいかないという姿勢ではないか。分析哲学は。
ある意味、カントの理性批判の方向とも重なるのでは。
その着眼点や手法はちがうが。

40 :
現代人における哲学の主題とは?

41 :
>>36
>理科系で自然科学やってきた俺は
哲学科卒でもないのに哲学を語るな!

42 :
>そうではなく現代の学として「語る」という点で、「語りえぬことには沈黙しなければならない」
>という自明なことを確認しただけだろう。
現代の学を「成り立たせる」ためだけに、分からない事は語るなと言うのなら、
それは魔女狩りをした宗教と大差無い暗愚ですよ。

43 :
>>39
それじゃたとえば映像については説明できないわけだよね?「学的」には。
そこでは「学」というものの範囲が極めて限定されることになる。
そんなものに存在意義はあんの?
ベルクソンは否定的ではありながらも、このことをしっかりと考えていた。
ウィトゲンシュタインやその後継たる分析哲学に足りないのはそこだよ。
これだけ根拠不明なイメージが幅を利かせてる時代に。
少なくともスターリン=ヒトラ−以降の哲学としてはポンコツでしかない。

44 :
>>これじゃ哲学にはならんでしょ
そりゃ伝統的哲学の独善的なアフォリズムやなぐりがき散文、定義や用法の混乱に乗じた煙幕・ごまかし・誤解を一層して
あらたにメタ学問・メタ科学としての現代的な哲学を立て直そうっちゅうとこじゃないか?
存在の神秘だとか神の神秘だとか自我の謎だとかを問題設定にしたければしても良いけど、
それはもはや現代の学となるものではなく伝統的な秘教の延長だよ。それは各自が瞑想でもして究めるべきこと。西欧がこういう領域にまで
理性や言葉(ロゴス)で語りつくそうとしたことが誤り。このあたりに関心のあり、合理化したいものには謙虚で限定的で慎重すぎる分析哲学や諸学では不満があろうがね。

45 :
>>44
現実がよく見えてないようでw
現実の政治や経済は言語化される以前の根拠不明なイメージで回ってる。
政治家や企業経営者がなぜあれほどまで執着的にイメージにこだわるか、
イメージが人間の社会を回してるからであり、戦争も革命も大虐殺も、
こうしたイメージと深く関わってるからだよ。
そうした現実に対して深く切り込まないのならば、哲学はその名を返上して
修辞学にでも道を譲ったほうがいい。
まぁそれこそ中世的な「秘教」への回帰だけどねw

46 :
>>41
話の内容自体を批判・検討してください。
>>43
>>それじゃたとえば映像については説明できないわけだよね?「学的」には
映像については、どういうことなら学的に語れるが、
こういうことは語りえないということはあるだろう。
映像ということであなたが何をさしているのかはわからないが。
>>42
言論封鎖しているわけではない。
私は禅の姿勢は正しいと思っている。
そして経典を著した禅の大家たちも、その境地が本来語りえぬものであり、
書物や文言はその領域の本質をさししめしていない、本来的にできないと自覚している。
それは媒介(触発)の道具である。ハイデガーやヘーゲルをそのような位置づけで読むのはいい。
そういう書物や文言は学といえる代物ではない。
言葉どおりに学としてとってはいけない。「境地」の周りを永遠にめぐるだけでたどりつけないだろう。
カントでもウィトでもいいが、きちんと区別せよ、ということではないか。

47 :
>存在の神秘だとか神の神秘だとか自我の謎だとかを問題設定にしたければしても良いけど、
>それはもはや現代の学となるものではなく伝統的な秘教の延長だよ。
それは、答えが出せないからかな?
ならば問おう。答えを出す為に問題設定をするのか?
それは、救いという答えを求めて、聖書を読み耽るのとどれほど差があるだろう?

48 :
>>45
イメージを否定しているやつなどこの世にはいない。
言語がすべてというやつもいない。ウィトも分析哲学屋もそんなことを考えてはいない。
学として明晰に物事について「語る」という観点から言っている。
学的には「語る」しかないのだ。
もちろん、分析哲学のような言語主義は問題や文脈、語彙のごちゃまぜをふせいでいえることをいう一つの方法。
人間理解には心理主義もくわえるべきだろう。
言語、心理、生命原理、これらが人間の基本であると考える。
言語や論理に比べて、心理や生命原理についてはいえることはまだ限られている。
だが、たんなる言語的論理的関心にとどまることはないだろう。

49 :
正義っ何色なのかな?
愛の血液型って何かな?

50 :
>>47 それは、答えが出せないからかな?
そうとはいいきれない。
道元和尚にとっては答えは出ているであろう。
問題はそこではない。
>>答えを出す為に問題設定をするのか
そうであるといえるし、それだけではないともいえる。
論理学上、物理学上の問題設定、工学上の問題設定は救いという答えを求めて、聖書を読み耽ることとはちがうであろう。

51 :
>>46
映像は映像でしょ。
視覚を使って光学的に受け取るもののことでしょ。
つか
>映像ということであなたが何をさしているのかはわからないが。
こういう物言いこそおまえさんの批判する伝統哲学の常套手段「誤魔化し」じゃないのかい?
スターリンが始めてヒトラーが踏襲した政治的プロパガンダの手法はその後東西の枠組みを越えて
世界中に広まったし、経済においてもマーケティングという手法で映像は強力に利用されてる。
そういう現実に対して「わからないことは言わない」じゃ、現状に為すに任せよ(レッセ・フェール)
と言ってるのと同じだ。
まぁだからこそ大体の論理実証主義者は政治的に西側陣営についてきたのだろうけど、
プロパガンダの普及に見られるように、西も東も関係ないからね、そんなものは。

52 :
>>51
>>映像は映像でしょ。
視覚を使って光学的に受け取るもののことでしょ
それだけの意味であるならば、それは語りうるだろう。
色のクオリアについては語りえないだろう。
もっと意味をもたせているのかと思っただけだ。
別に何もごまかしてはいない。むしろはっきりさせようとしているだけだ。
>>マーケティングという手法で映像は強力に利用されてる そういう現実に対して
そういう商業主義の問題の文脈で話をされているようには見受けなかったが。
であれば、映像は視覚を使って光学的に受け取るもの、とだけいえるものではない。
それは(まだまだ不確かで弱い科学だが)経済学や心理学によって(物理学ほど精度はよくないが)語りうる事象ではないだろうか。
それともこういうことをあえて形而上学や形而上学批判、弁証法、存在論で語りたい欲求を抑えられないということだろうか?
映像を使ったマーケティングは企業の商業的プロパガンダであるということであるが、
大衆が喜んで便益を受けて来ている以上、ただスターリンやヒトラーのそれと同じくくりで並べてしまうのは
単なるルサンチマンや劣等感ではないか?そうではないというなら、問題点について具体的にあげてくれれば一緒に考えよう。

53 :
次は「ヒュームと解離」ってお題で

54 :
>>50
>論理学上、物理学上の問題設定、工学上の問題設定は救いという答えを求めて、聖書を読み耽ることとはちがうであろう。
私は、そこは違わないと思いますね。少なくとも、根本においては。
宗教、論理学、物理学の出す解答とは、どれも不確かな物です。明日も成り立つとは限らない…。
そのいずれもが、明日も成り立つであろうという確信の上に成り立っています。
ですので、それらは極端に、その確信を崩されるのを拒みます。神を、言葉を、疑って語ってはならないなんてね。

55 :
ミルらとの合流はまだしてないと思いますね。違う系譜じゃないですか。
ミルの時点で物質主義的傾向は消えている。それとは違うのが科学ー物質主義系譜じゃないか。
自分はベーコン、ホッブズ、ロック、ヒュームの系譜をまとめて仮に物質主義とよんでいる。経験論は要は物質主義ですよ。
脳を物としてとらえる。生物機械論とかはそうやってでてくる。
 にほんでも水戸学と京都学はやはり系譜がちがうわけです。武家系と公家系として。それと似た状況ではないですか。

56 :
分析哲学・言語学派は、ホーキングに批判されてるわけですが、彼はやはり物質主義ですよ。
唯物論とまではいってなくて心は認めている。人間らしい心を。けどそれはやはりホッブズ経由で彼にとって生物機械の働きです。
 神がいなくていい、ってのは物質主義。宇宙に神がいなくていいと。
こういうわけで、ヒュームの時期に「確信」という意味合いでもう理性と科学の関係は総合されてると思います。
その時点で確信にすぎないが、実証知識だけを語れ、という暗黙の了解ができあがった。カントはそれを古典的形而上学にひきもどした。
 ある意味では、語りえないことは沈黙しなければならない命題(沈黙命題とします)は、定言命法への反命題でしょう。
この形而下学限定派と、大陸的な形而上学の伝統派はいつもやりあっている。ホーキングがその先鋒で、デリダとかを馬鹿にしている。

57 :
ウィト以降は、ヒュームも学問じゃないといえるでしょうよ。沈黙命題の一つなんだから。
「確信」という語も定義というか実証できない。だから黙っておいた方が得策となる。
語り得ることは語ってもよい、という意味で形而下学しか認めない。これが英吉利流じゃないですか今も。
 功利主義はどっちかといえば傍流じゃないか。それは基督教との便宜的調和の為でしょう。あまり信じてないのではないか。

58 :
形而上学は遊びでしかない、ってのが英吉利哲学のかたほうの根っこにあるのではないか。基督教は利用しつつ。
ホーキングは完璧にけなしてますからね、言語学派を。
デリダらはやはり律法の解釈学とかで大陸型の主導権をにぎりたかった。けど遊びである、と。
沈黙命題の前では何も言えてないもしくは定義の錯誤なのだから。

59 :
にほんでは、モギケンさんはもう物質主義でしょう。彼の思想は脳をどう扱うかにしかない。
ホッブズの後継でしょうよ。
唯物論というのはいいづらいですからね。それは神学用語ではないですか。
ヒューム級のゆるい唯物論は物質主義・materialismといえるのではないか。

60 :
みてるとヒュームスレというかイギリス思想スレみたいだが、
功利主義はイギリスの本流のひとつだよ。
古典経済学(スミスからはじまる自由主義経済学)の発想にも影響を与えている 現在もだが。
功利主義を信じていないというのはどういうことか。
それですべて説明できるとは言い切れない問題点はある、が
多くの現代的課題や生活において功利的観点で考えることのないやつはいないと断言してよい。
無意味な道徳的縛りややせがまんはいらん多くの場合で合理的な処方として採用することはある。英米の強さはここにもあったと思う。
あるいはプロテスタンティズムを強く擁護することも可能である。

61 :
>>私は、そこは違わないと思いますね。少なくとも、根本においては。
宗教、論理学、物理学の出す解答とは、どれも不確かな物です
そこはむりやりすぎるだろう。その構造、方法、出自、精神性も全く違う。
また徹底的な懐疑主義をとるにしろ確かさ、不確かさの度合いはある。
明日も成り立つとは限らない。これは帰納法の限界というやつでたしかにそのとおりではある。どこまでいっても暫定的な知識で推測的しかありえない。
だが明日、万有引力の法則が成り立たないかもしれないといって物理学を使わず聖書と同列にする人間はどこにもいないだろう。
確実性の面でいまのベストはそれしかないし、それでうまくいかなかったことはないからだ。うまくいかない事態があればさらに改良(相対論・量子力学)、それを繰り返して近づけばよい。
完全である必要はないし不可能なのだ。その時点でのベストでしかない。だがそれは検証なく受動的に聖書にすがることとは異なる。

62 :
>>経験論は要は物質主義
>>神がいなくていい、ってのは物質主義
ここはかなり論理の飛躍・思い込みによる一般化があるだろう。
それぞれの言葉の意味からいっても即物質主義だということにはならんし無神論ということにもならんだろう。
これだけの理由でヒューム=物質主義、科学者=物質主義、
イギリスの思想=物質主義だと主張しているのか?
論理的帰結によってではなく、ホーキングのような単純な精神を例に出して勝手に一般化しているにすぎない。
伝統より深い意味での神(という言葉が適切かどうかはわからんが)を信じている科学者、分析哲学者、数学者は多い。
シュレーディンガー、ハイゼンベルグ、アインシュタイン・・・
そういえばウィトゲンシュタインも神を信じていた そしてそれぞれ特有の思想をもっていたようだ
だがそれを学的なものとは考えなかったし学術論文として発表もしなかった。
日記にでも殴り書きしておく類のものだ。

63 :
モギケンが物質主義ってことはチャーマーズも物質主義ってことになるのか

64 :
いいえ、チャーマーズが陰謀論者でモギケンがネオコン陰謀の手先です
ところで、いつからウィトなんて呼ぶようになったんだ?
大昔からずっとヴィトがデフォだと思ってたんだが

65 :
Wienと書いてウィーンと読むが、WittgensteinはそのWienで生まれた。

66 :
ヒュームよりロック派

67 :
ものすごく簡単にしてしまうと、ダーウィニストは殲滅思想でしょう。弱肉強食の肯定。
ただゆるい殲滅をそのほかの傾向がゆとり巾として保っている。米資本はダーウィニズムでしょう、原理。
ネオコンサバとかは、ネオリベと同じでどっちにせよ殲滅思想でしょ。中国共産党も、官僚主義なだけで同じでしょう。
 ヒュームはそこまでの路程表を書いたんじゃないですか、今となっては。物しかない、感情も大事、だから信じろってとか言って。

68 :
やっぱり『国家の品格』は売れただけもあって一発屋ではあるが重要書ですね。
あれはナショナリズムでしょう、単に。けど細かなところではするどい指摘がある。
武士道の復興とか、あれ対ダーウィニズムでしょう。けど、イスラム原理主義もあるから、
その辺りはナショナリズム論争という話にすぎないでしょうけどね。精神論だし。
 哲学的に価値は低いでしょうが、いいあててるのはネオナショナリズムで、
反社会ダーウィニズムという第三諸国での流行でしょう。柄谷がこまかくいろいろ言ってるが、
にほんは帝国主義化しそうだししなさそうというのは政治原理がない、ということで、
ネオナショナリズムに国勢を傾かせたいわけですよ、留学した二流学者は。一種の反動形成として。

69 :
『国家の品格』は間違いや思い込みが多すぎるからそのまま真に受けずに
ちゃんと自分の頭でよくよく考えて検証した方がいいよ。科学や思想の勉強・考察もしたほうがいい。
君はよく考えてみもせずに人の言うことを鵜呑みにしたり、すぐに物事を結び付けすぎる。
あとはなんでもかんでもすぐに政治的文脈にもっていく癖。
それといまはネオ・ダーウィニズムだよ。
もはやイデオロギーではなくれっきとした科学
(遺伝学やフィールド実験の検証に耐える)になっている。
ところで、生命や生態系の法と人間社会をそのままイコールにするのはあらっぽすぎるし弁証法並みに問題があるが、
人間も生命であり社会もその生命の生態系である以上、それが妥当に成り立つ要素はある。
ここは感情的に受け入れにくいからといって、すぐ強者の政治的イデオロギーととるのではなく、
ちゃんと科学的に考察・検証しなければならない。
でなければ弱者が難癖つけているだけになってしまう。
(戦後の日本の、虚勢を張らず前向きで裏ではしたたかな姿勢は正しかったと思っている。
だからといって日本人や日本精神が失われたわけではない。そうとらえるのはロマン主義にすぎない。大多数にとってはろくでもなかった。)

70 :
英国経験論と観念論と唯物論の関係を勘違いしてる人がいるので簡単に解説します。
・ホッブスは唯物論です。
・ロックは心身二元論です。
・バークリーは観念論です。
「存在するとは知覚される事」で有名ですが、人が実証的に検証しうるのは、
直接に「経験」可能な知覚のみであるから、観念論に達しました。
・ヒュームは観念論であり、懐疑主義でもあります。
バークリー流の経験論を徹底すれば、自我や因果関係さえも諸観念から帰納的に
想定されたものと懐疑することが出来るからです。

71 :
>>70
だよな。
ヒュームは観念論の極致であるのに、
ヒュームは物質主義だとかいいつづけるやつがいて、しかも政治と結びつけるなどというお粗末。
なんでそうなるのか意味不明だったが結局まともに答えてはくれなかった。
経験主義=科学=物質 みたいな浅はかな思い込みでいってたのだろうか

72 :
>>52
まったくわかってないようだね。
映像が哲学と直接的にかかわるのは、それがまさに形態を扱うものだからだ。
少なくとも、ヒュームにおいてはそうだ。
おまえさんは(伝統的)哲学を形而上学(観念論)と一緒だと捉えて、
それに論理実証主義や分析哲学を対立させたいようだけど、
ことヒュームに関していえば、おまえさんの捉えかたは180度間違ってる。
ヒュームは形態について徹底的に考えた哲学者だ。
その遺産はたとえば日本では大森荘蔵に受け継がれてるし、
大森を観念論だというバカはどこにもいないだろう。
実際、現在の自然科学においては物理学でも生物学でも、
観念論的な「実体」の存在など否定されてる。
形態はわれわれ人間が器官的感覚的(ヒュームの言葉で言えば「情念」)に受け取る
ひとつの像でしかない、ということだ。
それがわれわれの社会を動かしてる、ということの重みを感じたまえ。
ヒュームの言うハビトゥスとは、われわれの認知パターンをも意味してるのだ。

73 :
ロックが心身二元論的故に唯物論的ではない、とはいえないと思います。ロックは異端?
彼が心の独立を認めていた記述ってあるんでしょうか。そうは思えないんですが。

74 :
経験が心(というのが心臓以外の何物か、形而上学的事物だとして)から起源する、という観点は、ロックはとってないと思うんです。
デカルトはそうだったかもしれないが。そうでないと以前に確立されたホッブズ時代の思想の批判、にならない。観念についての論究が、
単に心身二元論です、故に唯物論ではないんです、という読み方はできない。
 イギリスは大陸哲学とは系譜がちがうと考えていいと思います。デカルトがいう良識(心のうまれもった性質でしょう)もロックは認めていない。
だから経験論はやはり物質主義ですよ。物の働きにしか神の現れも観ない。そもそも神を疑っている。

75 :
>>69>>71-72この人はいつもいるみたいだから、名乗ってもらった方が分かり易いと思います。
この人は議論をまぜかえす。分っていないことを聴かず、相手の記述を間違っていると言う。
この人への直接の返答は無限大の多さをもってしまうでしょう。だからこの人だけをピックアップできた方がいい。
返答するにせよしないにせよ。そうでないと話が進まないと思います。

76 :
>>74>>75
別に名乗る義務はないね。
ロックは晩年において本質的に心身二元論に回帰した。
それまで、そういった言説を批判していたのにも関わらず、だ。
バークリーもヒュームも、そのことを批判した。
経験論は神を疑ってるんじゃなく、現実を超越したものとしての神(の像)を疑ってるんだ。
そのことを知らずして何が「物質主義」だ。
現在の審級においてしか語ってないだろ、そんなのは。
たとえば、スピノザ。
汎神論と経験論の隔たりは意外に小さい。

77 :
イギリスでそもそもドイツ観念論ってどこまで知られてるのかね。
レインの本でヘーゲルの本を渡したら、
「統失患者の面白い例だった」と一笑に付して終わりみたいなの書いてある。
中島義道なんかも、
大陸合理主義とイギリス経験論をカントが批判哲学で折衷したみたいなのは、
それ自体ドイツ哲学の解釈の仕方でイギリスではヒュームの方が偉いのは当然だし、
カントなんてせいぜい道徳哲学者の扱いだ、と言ってるんだが。

78 :
>>72
>>映像が哲学と直接的にかかわるのは、それがまさに形態を扱うものだからだ
??
>>52の内容へのレスには全くなっていないようだが。
映像を形態として考えるの考えないの、それを哲学として扱うの扱わないの話は全くしていないよ。
それと、ヒュームスレのなかで申し訳ないが文面をみてもらえればわかるようにヒューム的な視点だけでは全く語っていない。
>>形態はわれわれ人間が器官的感覚的(ヒュームの言葉で言えば「情念」)に受け取る
ひとつの像でしかない、ということだ。
それがわれわれの社会を動かしてる、ということの重みを感じたまえ
君はなんだ?広告代理店の人間か?
認識論上のどの立場をとるのもかまわない。ヒュームには余計物が少なく現代的思考につうじる古典としては最良のもの
のひとつだと思っている。
それはともかくとして、
映像について、心理法則への作用、生理機能への作用、経済原理・構造、など
から語れる範囲内のことを現代の学として具体的に語ることについての話。
それからヒュームの否定はまったくしてなくて、そこはむしろ肯定的・発展的に受け取っている。
それから観念論=形而上学だとも考えてなどいない。ヒュームがまさに実例。当たり前。
>>現在の自然科学においては物理学でも生物学でも、
観念論的な「実体」の存在など否定されてる
そこもちがうな。自然科学は認識論を問題にはしていない。
科学自体は観念論的な「実体」の存在を否定も肯定もしない。
観念論か唯物論か、実体をとるかとらないか、
どちらをとっても科学はできる.
科学の本質とはそういうことではない。


79 :
>>75
>>分っていないことを聴かず
一部にだけレスして、
核心的なところのほとんどをスルーしてまぜっかえして逃げてるのはあなたでは。
ほかの人はだいたいちゃんと議論や提示をしてるように見受けられるが。

80 :
>>76
ここはIDが出ない板だから、発言者の同一性を明らかするために名前欄に何か入れろって話だろ。
あんたは、自分のレスがわかるから不自由しないけど、周りにとっては迷惑なんだよな。
まあ、典型的な長文駄文レスだから、まともに読んではいないがねw

81 :
たとえば、こんな感じに自分が書いた最初のレス番号を名前欄に入れておくだけで、
スレの流れがずいぶんわかりやすくなるって話

82 :
>>73
>>ロックが心身二元論的故に唯物論的ではない、とはいえないと
あなたは唯物論という言葉で何を指してるの?
唯物論である時点で二元論ではないはずだけど。
ロックはヒュームとちがって、大陸由来の形而上学の影響を残した経験論だよね。

83 :
名前つけといたほうがよかったかな。
それはいいとして、
>>76氏と議論した方が勉強になりそうだ。

84 :
多分、頭から莫迦にしてるんだと思うんです。遅れていると。直接きいても権威がいないから雰囲気で。
ただ仏蘭西系はちょっと影響力あると思います。彼岸の火事って雰囲気ではあると思います。
それに、今現在イングランド功利主義と、スコットランド物質主義の間にも少しへだたりがある気がする。ミルが王道だと思ってる人は、
どっちかといえばイングランドの側に集積していて、スコットランドは思想の母国ですが、眺めているんだと思います。経済規模とは別に。
多分、オーストラリアの功利主義者らはあまり相手にされていないし、根本的には倫理命題は無視されている。キリスト教でいいと思っている。
 哲学の意味が、大陸とは違うと思います。ニュートンの上にあると。ニュートンは哲学者、と言って疑問にされないと思います。
自然科学者は哲学者です。だから大陸合理論の系譜(プラトン→カント→ハイデガー)は、ニュートンの段階で自然哲学の系譜で打ち消されている。
彼らが感心をもっていないのは、合理論→構造主義→言語学派という大まかな形而上学の流れで、遊んでいるだけだということではないか。
 ふざけ気味に、ケインズが「神が来た」とウィト訪問について言ったのは、そういう知性(≒悟性)重視の雰囲気が言わせている。

85 :
なぜ大陸より数学自体(言語学派としてではなく)への論究が盛んかというと、数学はもう彼らにとっては明白に道具だと思うんです。
大陸は数学とは何かを考えている段階にある。けど「確信」という概念で、ヒュームらによってもうその疑問は解かれているのではないでしょうか。
とりあえず使える、という点で別に数学とは何かなんて相手にしてない、というのは極論ですが、アメリカとのつながりをみているとそうじゃないか。
解釈学派は、地味に仏蘭西デリダの影響下でドイツに主流化してるみたいなんですが、ハイデガーも解釈学派でしょう。
当人のいた時点では成立してなかった用語・語義だけど。けど、イギリス自体は全然今後も関心もたないでしょう。ウィトも、マルクスもそうでしたから。
 ウィト『論考』の解説をラッセルが書いている。それが一番イギリス本国の現代哲学の事情を照らしていると思います。

86 :
>>多分、頭から莫迦にしてるんだと思うんです。遅れていると。直接きいても権威がいないから雰囲気で。
別にあたまからバカにはしてないと思うよ。
ここは匿名だし、権威とかポジションだとかに配慮はいらないし、みんなしてない。
みんな対等な立場で話の中身自体を検討・考察してるんだよ。ケンカの勝ち負けを競ってるわけではないんだから。
各自が自由に相手に疑問点を問い、自分の頭でよく検討して考えてみて答えていけばよい。
きちんと答えているか?考えてみているか?ということだよ。
検討不足のひとりよがりの思い込みだったと気づくかもしれないし、逆に持論をより強化するきっかけにもなりうるし。

87 :
イギリスも19世紀後半にはヘーゲル主義が盛んでヒュームの
全集を編んだトマス・ヒル・グリーン---日本では河合栄治郎の紹介で
新自由主義(ネオリベラリズムではなく、ニューリベラリズム。社会自由主義とも)の思想家として知られる---
もヘーゲル主義者だった。
ムーア、ラッセルら今日分析哲学の祖とみなされる哲学者たちもヘーゲルの影響から出発し
やがてカント、ヘーゲルと決別した。

88 :
プラグマティズムのパースもカントから、
デューイもヘーゲルからはじめて乗り越え、決別、だったな。

89 :

×プラグマティズムのパースもカントから、
◯プラグマティシズムのパースもカントから、

90 :
デリダ自体、大陸の伝統哲学を批判しまくってるからなあ…
批判そのものが彼の哲学だよ。

91 :
ポストモダンを信じちゃいかんでしょ
子供の遊びだよあれは

92 :
>>合理論→構造主義→言語学派という大まかな形而上学の流れで
ていうか、構造主義も現代言語学の応用も現象学も伝統的な形而上学から離脱した
言説の在り方を探る中で出てきたんじゃないか?
カントも少なくとも純粋理性に関する考察では、言説の峻別をはかる苦闘をしていたのでは。
形而上学批判という意味では大陸も一緒だと思う。
ヘーゲルからカント(あるいはもっともどってヒューム)へ、
ハイデガーからフッサールへ、立ち返って組み直すというのはわかる。

93 :
個人的には、カントの哲学は捨ててしまった方が良いと思う。
カント哲学を絡めようとするから、何もかもが台無しになってしまうのだ。

94 :
言説の有り方を探る、というのは、過去の哲学が執着していた点でもありますね。
厳密な言葉を探るのは何故か。それは答えを導くためですが…。
ではここで、そもそも答えを導く必要があるのか、という疑問が湧きます。
哲学とは問う事であると考えます。そこに必ずしも答えは必要では無いのではないか?
逆に言えば、答えを必要とするあまり、『望まない物を見ないよう』にしているのではないか?
それは、疑問を問う事とは対極にある考え、つまり疑問を語らない事へと繋がります。

95 :
>>93
カントの何がいかんというのか。
理由を書かんといかんぞ。

96 :
カントって三回も言ってる

97 :
>>94
言説の有り方を探る、というのは、過去の哲学が執着していた点でもありますね。
厳密な言葉を探るのは何故か。それは答えを導くためですが…。
厳密な言葉を探るのは答えを導くためではない。
きちんと問題点を把握し、明晰に適切に考察していくためだ。
そして双方のコミュニケーションを成立させるためだ。
科学や論理学、法規定ではないのだから、最終的に同意形成できる答えはでない。
ただ考えてしまうというだけだ。
だが考え、対話し、言葉を用いるのなら、上記の点には配慮しておきたいというのも。
というわけで、>>94の後の2段落の文章で言ってることは少なくとも私には関係がない。
>>93
カントだけの問題ではないな。カントには
形而上と現象界の峻別や、悟性認識の図式、カテゴリーなど、
頭の使い方・物の見方という点で学ぶべきところは多いが、
その古い図式はとうていそのまま使えるものではない。
理性(悟性ではない)をめぐる話や形而上学的議論のくだり、形而上学的な倫理学のくだり。
現代においても説得力・必然性があるだろうか?

98 :
日本でヒュームの哲学の再評価を主張した先駆者は、渡部昇一。

渡部昇一『新常識主義のすすめ』が先駆けだった。

99 :
>>97
しかし何が現代に必要かなんて断言できるのであろうか
それこそ独断論であろう、それはヒューム哲学とは違うと思う

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