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2013年02月政治191: ■■■三島由紀夫の檄文■■■ (534)
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■■■三島由紀夫の檄文■■■
- 1 :2011/01/14 〜 最終レス :2013/01/30
- 三島由紀夫(本名、平岡公威)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Yukio_Mishima_1931.gif
http://image.rakuten.co.jp/auc-artis/cabinet/s-2540.jpg
http://www.c21-smica.com/blog_century21_nobu/img_1596165_27088893_0.jpg
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PADZ21PEL.jpg
http://image.blog.livedoor.jp/maccy1977/imgs/8/e/8e3b520d.jpg
大正14年(1925年)1月14日、東京都四谷区(新宿区)永住町2に
父・平岡梓(元農林省水産局長)、母・倭文重の長男として誕生。
- 2 :
- われわれ楯の会は自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に
報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で
準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、またわれわれも心から自衛隊を愛し、もはや
隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知った。
ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。
このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を
呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に
出たのは何故であるか。たとへ強弁と言はれようとも自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
三島由紀夫「檄」より
- 3 :
- われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして
末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、
自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただ
ごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるを夢見た。
しかも法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の
法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を
なして来ているのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
三島由紀夫「檄」より
- 4 :
- 自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけてきた。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、
警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。
われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目覚める時こそ日本が目覚める時だと信じた。
自衛隊が自ら目覚めることなしに、この眠れる日本が目覚めることはないのを信じた。憲法改正によつて、
自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる
責務はない、と信じた。
三島由紀夫「檄」より
- 5 :
- 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念はひとへに
自衛隊が目覚める時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。
憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の
前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。
政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の
本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」
ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍(なが)ら
訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
三島由紀夫「檄」より
- 6 :
- しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こつたか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な
警察力の下に不発に終わつた。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変らない」と痛恨した。
その日に何が起こつたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の
反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。
治安出動は不要になつた。政府は政体護持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、
国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで左派勢力には憲法護持のアメ玉をしやぶらせ
つづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、
実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は
気づかない筈はない。そこで、ふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。
三島由紀夫「檄」より
- 7 :
- 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来
二十年に亘つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は
政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の
可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた
自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が
残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。
男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、
決然起ち上がるのが男であり武士である。
三島由紀夫「檄」より
- 8 :
- われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な
命令に対する男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを
正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に
与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。
シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、
軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に
操られ、党利党略に利用されることではない。
三島由紀夫「檄」より
- 9 :
- この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。
武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。
繊維交渉に当たつては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる
核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、
抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを
喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの
傭兵として終るであらう。
三島由紀夫「檄」より
- 10 :
- われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、
共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、
この挙に出たのである。
三島由紀夫「檄」より
- 11 :
- 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変へはしたが、今もあひかはらずしぶとく生き永らへてゐる。
生き永らへてゐるどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまつた。それは戦後民主主義と
そこから生ずる偽善といふおそるべきバチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考へてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべき
ことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、
文化ですら。
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思はれてゐた。私はただ冷笑してゐたのだ。
或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・
自分のシニシズムに対してこそ戦はなければならない、と感じるやうになつた。
三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」より
- 12 :
- (中略)
この二十五年間、思想的節操を保つたといふ自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、といふことである。否定により、
批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与へて約束を果たすわけではないが、
政治家の与へうるよりも、もつともつと大きな、もつともつと重要な約束を、私はまだ果たしてゐないといふ
思ひに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、といふ考へが時折頭をかすめる。
これも「男の意地」であらうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間を、否定しながら
そこから利得を得、のうのうと暮らして来たといふことは、私の久しい心の傷になつてゐる。
三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」より
- 13 :
- 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやつてきたことは、ずいぶん奇矯な企てであつた。まだそれは
ほとんど十分に理解されてゐない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、
私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによつて、その実践によつて、文学に対する近代主義的
盲信を根底から破壊してやらうと思つて来たのである。(中略)
二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望が
いかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけの
エネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。
三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」より
- 14 :
- 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、
その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が
極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」より
- 15 :
- 日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいて
ゐなければならなかつた。もつともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。
私は諸君に、男子たるの自負を教へようと、それのみ考へてきた。
一度楯の会に属したものは、日本男児といふ言葉が何を意味するか、終生忘れないでほしい、と念願した。
青春に於て得たものこそ終生の宝である。決してこれを放棄してはならない。
三島由紀夫
昭和45年11月、楯の会会員への遺言「楯の会会員たりし諸君へ」より
- 16 :
- 松陰はやはり、日本の根本的な問題、そして忙しい人たちが気がつかない問題、しかし、これをはづれたら
日本が日本でなくなるやうな問題、それだけを考へつめてゐたんだと思ふんです。
わたくしは、精神といふものは、いますぐ役に立たんもんだといふことを申し上げました。
わたくしは、自分の書いたものや、いつたものが、いますぐ役に立つたら、かへつてはづかしいといふふうに
考へてをります。ですから、たとへばけふ申し上げたことが、あるひはみなさんのお心のどつかにとまつて、
それが十年後、二十年後に役に立つていただければ、それはありがたいけれども、あつ、三島のいつたことは
おもしろい、ぢや、けふ会社で利用して、つかつてみようかといふやうなことは、わたくしは申し上げたくもないし、
申し上げる立場にもゐないと思ふんです。わたくしは、その、ぢや日本の精神ていふのはなんだ。日本が
日本であるものはなんだ。これをはづれたら、もう日本でなくなつちやふもんはなんだと。それだけを
考へていきたいです。
三島由紀夫「現代日本の思想と行動」より
- 17 :
- (中略)
そして、いま非常な情報化社会がありますから、精神といふものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのは
ノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。そして人間はみんなステートメント
やることによつて、なにかしたやうな気持になつてゐるんです。わたくしは、そこまでいけば、どんなことを
やつたところで、目に見えない精神にかなはないんぢやないかといふふうに思つてゐるんです。
昔のやうに爆弾三勇士、あるひは特攻隊、ああいふやうなものがあつたときに、はじめてこれはすごい、
これはテレビにも写らなかつた、なにも出なかつたが、これはすごいといふ一点があると思ふんですが、
いまテレビに写つてるものは、どんなものが出てこようが、結局、情報化社会のなかでとかし込まれて、また
忘れられ、笑はれ、そして人間の精神体系になにものも加へないままで消えていくんぢやないか。
三島由紀夫「現代日本の思想と行動」より
- 18 :
- わたくしは、政治自体も非常にさういふ点で危険な場所にゐると思ひますのは、政治もあらゆる場合に
ステートメントだけになつていく。そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、
ちやうどあたかも塵埃処理のやうに、早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうづまつてしまふ。
紙くずでうづまつてしまふ。それで情報化社会といふものは過剰な情報をどんどん処理してゐるんです。
この東京といふもの、日本といふものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになつてくる。
そのなかで人間はなにをすべきかといふことについて、わたくしはなんとか考へていきたいと思ふんです…
三島由紀夫「現代日本の思想と行動」より
- 19 :
- 剣を失へば詩は詩ではなくなり、詩を失へば剣は剣でなくなる……こんな簡単なことに、明治以降の日本人は、
その文明開化病のおかげで、久しく気づかなかつた。大正以降の西欧的教養主義がこの病気に拍車をかけ、
さらに戦後の偽善的な平和主義は、文化のもつとも本質的なものを暗示するこの考へ方を、異端の思想として
抹Rるにいたつたのである。(中略)
以前から、終戦時における大東塾の集団自決が、一体何を意味するかといふことは、私の念頭を離れなかつた。
神風連は攻撃であり、大東塾は身をつつしんだ自決である。しかしこの二つの事件の背景の相違を考へると、
いづれも同じ重さを持ち、同じ思想の根から生れ、日本人の心性にもつとも深く根ざし、同じ文化の本質的な
問題に触れた行動であることが理解されたのであつた。
影山氏の「日本民族派の運動」を読む人は、かういふ氏の思想の根を知ることによつて、さらに興趣を増すことと
思はれる。
三島由紀夫「一貫不惑」より
- 20 :
- 氏はおそろしいほど実証的であり、歴史を正す一念において、博引旁証、及ばざるところがない。忘れつぽい
日本人から見ると、その点、却つて日本人離れがしてゐる。実に皮肉なことだが、神風連の事件そのものが、
純潔に自分の思想を守つて抵抗するといふ徹底性の点で、却つて西欧人に理解されやすい要素を含んでゐると
思はれるのと、このことは照応してゐる。西欧化した日本人が、西欧から学ばなかつた唯一のものこそ、
思想に対するこのやうな西欧人の態度なのである。(中略)
又、思想的立場を異にする花田清輝氏などに対しても、本書は公正な態度で、さはやかな記述をしてをり、
その点、思想上の敵に対して卑劣な悪罵の限りをつくす一部の左翼人の著書とは対蹠的である。(中略)
昭和の文学史は、あまりに多くのイデオロギッシュな歪曲や、眼界のせまい文壇人の文壇意識などによつて
毒されてきた。今後昭和の戦前戦中の文学について語る者は、必ず本書に目をとほすことなしには、公正な目を
養ふことができないであらう、と私は信ずる。
三島由紀夫「一貫不惑」より
- 21 :
- 戦後日本の歴史が一つとぎれてしまつた。そのとぎれたところに自衛隊の問題があり、警察の問題があり、
またいろいろ複雑な言ふにいはれない、日本人として誠に情けない状態があらゆる面に発生してきました。
(中略)
大体戦後の民主主義といふものは、アメリカといふ成金の新しい国から来たものでありますから、アメリカは
アメリカとしての歴史はもちろん持つてはをりますが、彼らが大切にしてゐる古い歴史といふのはせいぜい
十八世紀です。アメリカに行くと、これは非常に古い家である、十八世紀だなどとよくいはれる。
彼らはどんなにさぐつて見ても十八世紀以前に遡つてアメリカの歴史を語ることができない。
それより古い頃にはインディアンがゐたんで、インディアンの方がよつぽど歴史上における誇りもあるし、
自信もあるはずです。これが白人に駆逐されてしまつた。
白人であるアメリカ人といふものは、人の家にどかどか入つて来て、平和に暮らしてゐた人間を追ひ散らして、
新しい国を建てた。それが移民の国アメリカです。
三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
- 22 :
- さういふ国の人に、日本のやうな古い歴史、文化を持つた国の伝統と連続性の力といふものは判らない。
彼らにどう説明して聞かしても判らない。それは無理はないです。何となれば彼らの感覚にはそんな古い
歴史といふものがないのですから……古いといふと十八世紀を思つてゐる人間にいくらいつても判らない。
判つて貰はうとすることが所詮無理なんでせう。
まあ、日本がアメリカに占領されたといふことは国の運命で仕方がないかも知れませんけれども、一番
根本なところが彼らに判らなかつたことは日本にとつても不幸だつたのでせう。それはわれわれだけが判つて
ゐるのであつて、国といふものは、永遠に連続性がなければ本当の国ではないと思ひます。
そしてとに角今は空間といふものがここに広がつてゐる。この空間に対して時間があるわけです。
三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
- 23 :
- 今のこの世界の情勢といふものはハッキリいひますと「空間と時間」との戦ひだと思ひます。
(中略)
しかしながらその国際的な争ひは、あくまで空間をとり合つてゐるわけです。
ところがこの地球上の空間を占めてゐる国の中にも一方では反戦、自由、平和といつてゐる人達がをります。
この人達は歴史や伝統などといふものはいらんのだ。歴史や伝統があるから、この空間の方々に国といふものが
出来て、その国同士が喧嘩をしなければならんのだ。われわれは世界中一つの人類としての一員ではないか。
われわれは国などといふものは全部やめて、「自由とフリーRと、そして楽しい平和の時代を造るんだ」
と叫んでゐる。彼らには時間といふ観念がない。
空間でもつて完全に空間をとらうといふ考へ方においては、彼らもまた彼らの敵と同じなのです。
それでは、今日の人類を一体何が繋いできたのかといふことを論議し、つきつめてゆくと、結局最後には
「時間」の問題に突き当たらざるを得ない。
三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
- 24 :
- (中略)
今ソビエトで一番の悪口は何だと思ひますか。ソビエトで人を罵倒する一番きたない言葉、それをいはれただけで
人が怒り心頭に発する言葉は何だと思ひますか……私はロシア語を知りませんから、ロシア語ではいへませんが、
「非愛国者だ」といふことださうです。さうすると一体これはどういふことなのかと不思議になります。
その伝統を破壊し、連続性を破壊してゐる共産圏においてすら、現在は歴史の連続性といふものを信じなければ
「愛国」といふ観念は出て来てないことに気付き、その観念のないところには共産国家といへどもその存立は
危ぶまれるといふことを気付いたに違ひない。
ですからこの「縦の軸」すなはち「時間」はその中にかくされてゐるんで、如何に人類が現在の平和を
かち得たとしても、このかくされてゐる「縦の軸」がなければ平和は維持できない。
それが現在の国家像であると考へられていいんです。
三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
- 25 :
- ことに日本では敗戦の結果、この「縦の軸」といふのが非常に軽んじられてきてしまつた。
日本は、この縦の軸などはどうでもいいんだが、経済が繁栄すればよろしい、そして未来社会に向つて、
日本といふ国なんか無くなつても良い。みんな楽しくのんびり暮して戦争もやらず、外国が入つて来たら、
手を挙げて降参すればいいんだ。日本の連続なんかどうなつてもいいんではないか、歴史や文化などは
いらんではないか、滅びるものは全部滅びても良いではないか、と考へる向きが非常に強い。
さういふ考へでは将来日本人の幸せといふものは、全く考へられないといふことを、この一事をもつてしても、
共産国家が既に明白に証明してゐると私は思ひます。
(中略)
共産主義国家が、国家意思を持つてゐて、日本のやうな、佐藤首相が自らの手で国家を守るといつてゐるこの国に、
国家意思がないとは一体どういふことだらうか。
さういふことになるのは今の日本の根本が危ふくなつてゐるからです。根本はここにあるのです。
三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
- 26 :
- 自衛隊法第三条にも明記されてゐる通り、いまや我々が自衛隊は間接侵略の対処及び、通常兵器による局地的な
侵略については、安保条約の力を借りずに全くの自分の力でこれに対処するやうに規定されてゐる。
…なぜこのやうな変化があつたのかといふと、これは日本の自主防衛力が多く認められてきたことばかりとは
いへない。すなはち、間接侵略といふものは、高度に政治的な戦争形態であり、高度にイデオロギッシュな
性質なものであり、またその範囲はきはめて広く思想戦、心理戦、言論戦から実際のゲリラ戦や、いはゆる遊撃戦
活動から社会主義革命に至るまで、あらゆる段階を含んで進行することは自明であるから、このやうな国内問題に
類する間接侵略に対して、外国軍隊が直ちに第一段階で介入することは内政干渉と受けとられる恐れが充分あるので、
したがつてアメリカとしても間接侵略に対する対処を早く自衛隊自らの手にゆだねようとしたわけであらう。
三島由紀夫「自衛隊二分論」より
- 27 :
- 日本の周囲の情勢を見渡すのに、直接侵略事態はむしろ可能性が薄く、間接侵略事態がある程度進行した場合に
はじめて直接侵略事態が起こるであらうといふことが常識として考へられる。
一例がソビエトはいはゆる熟柿作戦といはれてゐるやうに、昔からいつたん相手を安心させてから、例へば
一国が両面作戦を恐れてソビエトと手を握つた時に、ソビエトは一旦これと手を握つて相手を安心させた後に、
相手がソビエトに背をむけて敵と戦つてゐる留守を狙つて背後から、その条約を破つてこれを打ちのめし、占拠し、
あるひは自分の手に収めるといふ時機を狙ふ戦略に甚だ老練であり、甚だ狡猾である。
三島由紀夫「自衛隊二分論」より
- 28 :
- ソビエトが現下のやうな政治情勢で、日本に直接侵攻してくることは、すぐには考へられないけれども、
ソビエトなり北鮮なり中共なりのそれぞれ色彩も形態も異なつた共産主義諸国が、もし日本に政治的影響を及ぼして、
間接侵略事態を醸成するのに成功した場合、そしてそれが日本全国の治安状態を攪乱せしめ、国内の経済も崩壊し、
革命の成功が目の前に迫つた場合、このやうな場合にはソビエトが、あるひは新潟方面に陽動作戦を伴ひつつ
北海道に直接侵攻してくる危険がないとは決していへない。
決していへないけれども、このやうな直接侵略事態を考へる前に、最も我々が問題にすべきものは、これを
最終目的として狙つてくる、間接侵略事態の進行である。
三島由紀夫「自衛隊二分論」より
- 29 :
- Q:あの戦争をどう呼ぶのが適切だと思ふか。
三島:大東亜戦争でいいぢやないか。歴史的事実なんだから。
太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。
戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢやないか。
Q:あの戦争をどう意味づけてゐるか。
三島:あの戦争の評価は、百年たたないとできないね。
いま侵略戦争だつたとかなんとかガチャガチャいつてもどうにもならん。
三島由紀夫「歴史的事実なんだ」より
Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?
三島:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。
侵略に対処するには力しかない。
三島由紀夫「これでいいのか日本の防衛」より
- 30 :
- 自主独立の問題一つとつても、戦前の「自主独立」の日本が、軍縮会議以来、いや三国干渉以来、絶えず列強の
干渉によつて軍縮に対するチェックを受け、それによつて国内世論が、沸騰してきたことを考へると、
日本のやうな地理的要衡の、一定の経済力と一定の軍事力しか持ちえない小国が、条約下にあらうがあるまいが、
国際同盟の参加国であらうがあるまいが、外力の影響によつて左右されるのは宿命的だと思はなければならない。
(中略)
抵抗とは遊戯ではない。完全無防備の抵抗といふものがもしありうるならば、その最有力な例をとり上げて
指摘するならともかく、それが成功するかしないかの時点で、それを無防備的抵抗の良きお手本とすることは、
それ自体が国家を否定し、民族の自立を否定する思想であると言はなければならない。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より
- 31 :
- (中略)
無益な武力的抵抗によつて、国家主権を奪はれるくらゐなら、流血の惨を避け、秩序を保つて表面的に妥協を
受け入れ、国家の存立をはかつたはうがよい、といふならば、非武装抵抗の利点は、一つは血を流さないですんだ、
といふことと、一つは国家の主権が曲りなりにも保たれたといふことでなければならない。
しかし、それはあくまで「非武装抵抗」の利点であつて、「非武装」の利点ではない。非武装(チェコは事実上
非武装国家ではなかつたが)それ自体は、強大な武力に対して何らの利点を持ちえないことは明らかである。
武力抵抗の反対概念は、非武装そのものではなく、非武装抵抗といふことであらう。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より
- 32 :
- そして非武装抵抗の存立条件は、国民の結集した否(ノン)にしかなく、又、陰に陽にサボタージュその他で
抵抗する他はないが、次に来る段階は、非武装抵抗ですら血を流さずには有効性は発揮しえぬ、といふ段階であり、
又、国家の主権が曲りなりにも保たれても、その国家権力の実質的な主導権を奪はれるといふ状況をすでに
容認するならば、そのあとで、実質的な主導権を奪ひ返さうといふ抵抗は、抵抗の最初の論理的根拠を欠くことになる。
なぜなら、われわれが抵抗の手段の選択を迫られたとき、その一方(すなわち非武装)によつて、論理的に
一貫するならば、敵をすでに受け入れた己れの状況に対する抵抗とは、われわれ自身に対する抵抗に他ならなく
なつてしまひ、抵抗の論理は自らの身を喰ふものになるからであり、つひには抵抗それ自体が成立たなくなる
からである。
そのとき、われわれは、非武装抵抗の利点が一つもない地点に立つてをり、「非武装抵抗」と「非武装」とは
同義語になり、つひには敗北主義の同義語になるのである。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より
- 33 :
- もし暴力肯定が戦争肯定につながるといふ市民主義的な思考に従ふならば、三派全学連の存在理由は全く
認められないことにならう。その点では私は国家といふものの暴力を肯定してもそれが直ちに無前提に戦争を
肯定することにはならないといふ立場に立つものであるが、この立場に真に対立するものが次のやうな毛沢東の
言葉なのである。すなはち「われわれの目的は地上に戦争を絶滅することである。しかし、その唯一の方法は
戦争である」これが毛沢東の独特な論理であつて、この論理がすなはち右に述べたやうな暴力肯定の論理と
ちやうど反極に立つものである。すなはちそれは平和主義の旗じるしのもとに戦争を肯定した思想なのである。
私は戦後、平和主義の美名がいつもその裏でただ一つの正しい戦争、すなはち人民戦争を肯定する論理に
つながることをあやぶんできたが、これが私が平和主義といふものに対する大きな憎悪をいだいてきた一つの
理由である。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より
- 34 :
- そして、私の暴力肯定は当然国家肯定につながるのであるから、平和主義の仮面のもとにおける人民戦争の
肯定が国家超克を目的とするかのごとき欺瞞に対しては闘はざるを得ない。国家超克はいはゆる共産主義諸国の
理論的前提であるにもかかはらず、現実の証明するとほり共産主義諸国も国家主義的暴力の行使を少しも遠慮
しないからである。(中略)
しかし「人民戦争のみが正しい暴力である」(このことは、「中共の持つ核兵器のみが平和のための正しい
核兵器である」といふ没論理をただちに招来する)といふ思想は、それほど新しい思想であらうか。それは又、
古くからある十字軍の思想であり、その根本的性格は「道義的暴力」といふことであるが、道義的主張はどんな
立場からも発せられうるものである。かくてあらゆる道義が相対化されるときに、被圧制、被圧迫の立場のみが、
道義的源泉であるとすれば、その自由と解放は、たちまち道義的源泉を涸(か)らすことになるのは自明である。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より
- 35 :
- 道義の問題を別としても、暴力に質的差異をみとめること、正義の暴力と不正義の暴力をみとめることは、軍隊と
警察の力のみを正義の力とみとめ、その他の力をすべて暴力視する近代国家の論理と、どこかで似て来るのである。
かくて毛沢東の論理は、結局、国家の論理に帰結する、と私は考へる。
私はかりにも力を行使しながら、愛される力、支持される力であらうとする考へ方を好まない。この考へ方は、
責任観念を没却させるからである。責任を真に自己においてとらうとするとき、悪鬼羅刹となつて、世人の
憎悪の的になることも辞さぬ覚悟がなくてはならぬ。それなしに道義の変革が成功したためしはないのである。
自分がいつも正しい、といふのは女の論理ではあるまいか。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より
- 36 :
- (中略)
彼らは今なほ「朕はタラフク食ってるぞ。ナンジ人民飢えてR」といふやうな、古くさい左翼風の下品な
きまり文句のとりこになつてゐた。そして彼らは、目に見える天皇像があまりにも週刊誌に毒され、マス・
コミュニケーションに毒されてゐる、その毒された媒体を通してしかこれを評価し得ないことも明らかである。
彼らはその根本について少しも疑つてみようともせず、また、マス・コミュニケーションに耐へながら
存続してゐる天皇といふものが、何ゆゑこのやうな新しいマス・コミュニケーションと極度の言論の自由の中で
存立し得てゐるかといふ、歴史的意味や時間の連続性の問題についてもよく考へてゐないことが察知された。(中略)
天皇といふものが現実の社会体制や政治体制のザインに対してゾルレンとしての価値を持つことによつて、
いつもその社会のゾルレンとしての要素に対して刺激的な力になり、その刺激的な力が変革を促して天皇の
名における革命を成就させるといふことを納得させようとしたがうまくいかなかつた。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より
- 37 :
- 天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もあり得ない、
(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。すなはち、天皇は私が古事記について述べたやうな
神人分離の時代からその二重性格を帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、
現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは
歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな
現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと
私は考へる。そして現在われわれの前にあるのはゾルレンの要素の甚だ稀薄な天皇制なのであるが、私はこの
ゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になり得るといふことを主張してゐるのである。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より
- 38 :
- 安保体制はそれ一つで孤立してゐる問題ではなく、わかり切つたことですが、新憲法とワンセットになつてゐて、
どうしても切り離せないやうにできてゐて今も続いてゐる。このワンセット関係、換言すれば、シャムの双生児の
やうにおなかまでつながつてゐて頭が二つといふ状況を十分把握しておかないと、安保、憲法は論じられないと
思つてゐる。安保は新憲法における欠陥、すなはち安全保障についての無力を補填するといふ形でできてゐる。
アメリカの本音としては日本を属国にしておきたいけれども、まあ日本が強くならない程度の憲法ぐらゐは
与へておかうと考へたわけですね。さういふ背景を考へると、安保、さらに沖縄の問題が派生的な二次的な
問題だといふことがはつきりしてくる。
私が諸君に、目前の変転する事象に惑はされることなく、根本的なことだけを考へてくれと言ふのは、憲法が
このままでは、日本の防衛問題も最終的な解決はつかない、日本が本当に姿勢を正して本来の姿に戻るには、
このままではだめだと思ふからであります。
三島由紀夫「『孤立』ノススメ 三、安保、新憲法はシャムの双生児であるといふことについて」より
- 39 :
- このやうな日本の生温い状況が、現在および将来にどのやうな意味を持つてゐるかを探つてみれば、これは
安保以前、安保以後の問題ではなく、精神の問題であると考へられる。精神といふと、またいつもの精神主義かと
いはれるかもしれないが、われわれの決意としては、吉田松陰の「汝は功業をなせ、我は忠義をなす」との
信念で行くほかないと思つてゐる。「功業」といふのは、自分が大政治家として権力を握らなければ役立たない。
そしてその権力を背景として自分の考へたことを実現していくことが「功業」の意味で、それはいづれは
大勲位の勲章をもらつて、うまくすると国葬にまでしてもらへるみちです。
しかし、「忠義」は枯野に野垂れ死にするみちです。何の効果もなく、人のわらふところになるかもしれず、
その瞬間瞬間には、全く狂人の行ひとしか見えないやうなことになるかもしれないわけです。
三島由紀夫「『孤立』ノススメ 六、松陰は狂はなければならなかつたといふことについて」より
- 40 :
- 吉田松陰が「狂」といふことを盛んに言ひ出したのは晩年ですが、やはり松陰の時代にも、全てをシニカルに
見てわらひ飛ばすやうな江戸末期の民衆の世界があつたわけで、とにかく毎日が楽しければよく、明日のこと
など考へる必要がないではないか、お国なんかどうなつてもよいといふやうな民衆の心理的基調があつた。
さういふ基本的メンタリティがあつたわけです。さういふ状況の中で、松陰は、孤立して狂つてゐるのでは
ないかと疑はれるほど精神が先鋭化していくのを自覚したに違ひない。そして、松陰が異常に孤立した、
自分一人しかゐない、自分が狂人だと思つた段階から明治維新は動き出したわけです。
三島由紀夫「『孤立』ノススメ 六、松陰は狂はなければならなかつたといふことについて」より
- 41 :
- 私は、諸君がこれを肚の中に一人一人持つてもらひたいと思ふ。左翼の大衆運動といふものは、大衆を
動かさなければどうにもならないので、まづ大衆を巻き込んで、彼らの大きな力で状況を変へていく、といふのが
基本的な立場ですね。赤軍派の場合は例外と言へるかもしれないが、左翼は一般にさうですね。ところが
われわれの立場は、孤立を恐れない、孤立でほかにみちなく、助けてくれる身方もゐない、さうなつた状況から、
初めて何かが始まるのです。いはば絶望からの出発といふのが特色だと思はれる。いはゆる能動的虚無、
さういつた絶望感を胸の中で噛みしめたことのない人間は、松陰の忠義のみちを行くことはできない。
かりにも世間を甘く考へて、世間の支持を期待したり、大衆をあてにするやうな思想の磨き方ではどうにも
ならないところまで来てゐることを自覚して欲しい。
三島由紀夫「『孤立』ノススメ 七、絶望から思想を磨くといふことについて」より
- 42 :
- たしかに、自衛隊には明るすぎるほど明るい一面がある。しかし、すべてがさうではなくて、たとへば若い幹部の
あひだにも三種類の傾向があるのがわかりました。
一つは理知的かタイプの行動家。もう一つは、いまの都会のインテリよりも、もつと懐疑的な懐疑派。それから、
すべてを振りきらうといふ行動派です。第二のタイプはもつとも少ないけれど、なかには十九世紀的な懐疑派もゐて、
さういふ連中が私に向つて「日本の防衛は私におまかせください」などといふと、私はかへつて不安になりました。
生死観ですが、自衛隊の精神教育については、私はだいたいに不満足です。といふのは、隊員の反撥を恐れてか
世間の反撥を恐れてか、生死観につながるやうな教育をやつてゐないのです。私の意見では、隊員には幸福追求を、
幹部には死の覚悟を、それぞれ別途にはつきりわけて教育すべきであると思ひます。しかし、その裏付けには
退役後の生活保障などを充実してやる必要があるので、いま、それがないことが、彼らの生死観をコン濁させる
一因になつてゐます。
三島由紀夫「三島帰郷兵に26の質問」より
- 43 :
- ある若い候補生が私にかう聞いたことがあります。「私たちに“戦争待望心理”といふものがあるといふ人が
あるがどうでせうか」と。私は答へました。「消防隊員が火事を待望するのはあたりまへぢやないか。火事が
なければ、どうして火消しがウデを見せることができるんだ。“備へる”といふことと“待つ”といふことは、
人間の心理のウラ表である。“待つ”といふ気持がなければ“備へる”気持もないだらう。だから世間の思惑など
忘れて、自分たちの危機に備へる意識に毎日毎日、生きる覚悟をしなくちやならない」とね。
(中略)
私は、私の考へが軍国主義でもなければファシズムでもないと信じてゐます。私が望んでゐるのは国軍を
国軍たる正しい地位に置くことだけです。国軍と国民の間の正しいバランスを設定することなんですよ。
三島由紀夫「三島帰郷兵に26の質問」より
- 44 :
- 自衛隊は、必ずしもアメリカの中古兵器を使つてゐるわけではありません。少なくとも、いま使つてゐる国産の
「新小銃」は優秀な兵器です。むしろ私が一番疑問に思ふのは、万一いま大戦争が起つたら自衛隊全部がアメリカの
指揮下にはひるのではないかといふ危惧です。この問題については、隊内のいろんな人たちとも話合ひました。
私の考へはかうです。政府がなすべきもつとも重要なことは、単なる安保体制の堅持、安保条約の自然延長など
ではない。集団保障体制下におけるアメリカの防衛力と、日本の自衛権の独立的な価値を、はつきりわけて
PRすることである。たとへば安保条約下においても、どういふときには集団保障体制のなかにはひる、
どういふときには自衛隊が日本を民族と国民の自力で守りぬくかといふ“限界”をはつきりさせることです。
三島由紀夫「三島帰郷兵に26の質問」より
- 45 :
- 私はあらゆる国家は固有の自衛権を持つてゐるといふ考へから自衛隊を合憲と見る人々の主張に反対してゐない。
しかし、本来民主国家の国民的権利に属する国防の問題を義務化することには反対といふ観点から徴兵制度には
賛成でない。若者にとつて団体生活が必要だといふ私の考へは、徴兵反対となんら矛盾しないのである。いまの
青年に自制心とか規律とかが欠けてゐるのは事実だから。
終りに、私は考へやうによつては現在ただいまが危機だと信じてをり、国民が危機感を持つてゐないことに
焦燥してゐる。自衛隊員の危機感を孤立させないことが、むしろ危機感を最新的に解消させる方法だと信じる。
私が望んでゐるのは国軍を国軍たる正しい地位におくこと、国軍と国民の間の正しいバランスを設定すること
なのである。そして日本人であること、愛国心、国土防衛、自衛隊の必要性――この四者の関係はイモズル式で
一つ引つぱると全部出て来るものと考へる。
三島由紀夫「青年と国防」より
- 46 :
- 左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。いつもより良き未来社会へ向かつて我々は
進歩してゆくと考へてゐるのです。(中略)
ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、
帝国主義なのです。そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。もう
スターリン批判以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。では、中共はどうか。中共はどうも日本人の
西洋崇拝から言ふと少し外れる処があつたんだけど、文化大革命といふことがあつたので、ますます日本人の
理想から遠くなつてしまつた。近頃は経済的には先進国になつてゐますので、その点でも、あらゆる後進国的な
ラディカルな革命のやり方でやれるものかどうかといふ疑問は幼稚園ぐらゐ出てゐれば大体分るわけです。
そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 47 :
- それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの
本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、“われわれの窮屈に閉込められたこの自由といふ名の
下に於いて、人間が一種のフィクションに堕してしまつた社会”から何とか抜け出して、“自由な人間主義の
本当に実現される世界、しかもそこでは社会主義がその最も良いところを実現してゐるやうな社会”であります。
いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても
実現不可能のやうな、より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の
行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。(中略)
何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。別にそれを職業にしてゐる人間でもありません。
ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 48 :
- (中略)
私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。
(中略)我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を手探りで少し先の未来までは予測ができる。或ひは
来年くらゐまでは予測できるかもしれない。しかし、人間が予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の
彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに対決して本当に自分の現在に生きるかといふことの
二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。
“未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。そして、自分をプロセスとしか感じられない人間の
することであります。(中略)
このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 49 :
- 実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた
不思議なところです。人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。
「葉隠」といふ本を御覧になつた方があるとみえて、笑つてゐる方がそこに居りますが、やはり死といふ事を
毎日毎日起り得る状況として捉へるところから人間の行動の根拠を発見して、そこにモラルを提示してゆく。
非常に極端な考へ方なのですが、あれ程生きる力を与へられた本を私は知りません。
あの思考には、未来が無いのです。我々は常識で考へて「未来がない」と言ふと、まるで破産宣告を受けた人間とか、
ガンの宣告を受けた人間のやうに考へますが、さうではなくて、私は、「青年にこそ未来がない」と、
私自身の考へから、経験から言へるのです。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 50 :
- (中略)
そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。
未来を信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、
今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。
そして、長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。
つまり、自分が支へてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。
今、私が四十歳であつても、二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、その人間の
ところで文化は完結してゐる。その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 51 :
- われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であるといふ
気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、今日の仕事に完全な成熟といふ
ものを信じられないのではなからうか。或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。
自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを
背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、それが即ち今日の行動の本になる。
(中略)「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。
けれども、私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、
「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いた
ことがあるのです。しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 52 :
- 自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。
しかし、そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。(中略)
ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。
そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。これは又、人間の行動の強さの
源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無い生命であります。
しかし、明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができる
といふのは、人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 53 :
- 本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が
結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。
しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と
伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、生命を賭けてゆくところにあるのです。
特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと
思ふのです。ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。
私は未来は信じないけれども後世は信ずる。
特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、若い皆さんの一人一人がさういふ気持で
後輩を、又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、その力たるや恐るべきものがあると
思ひます。
三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
- 54 :
- 昨今の中国における文化大革命は、本質的には政治革命である。百家争鳴の時代から今日にいたる変遷の間に、
時々刻々に変貌する政治権力の恣意によつて学問芸術の自律性が犯されたことは、隣邦にあつて文筆に
携はる者として、座視するに忍びざるものがある。
この政治革命の現象面にとらはれて、芸術家としての態度決定を故意に留保するが如きは、われわれの
とるところではない。われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に
抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究をも含めて)本来の自律性を恢復するためのあらゆる努力に対して、
支持を表明する者である。
われわれは、学問芸術の原理を、いかなる形態、いかなる種類の政治権力とも異範疇のものと見なすことを、
ここに改めて確認し、あらゆる「文学報国」的思想、またはこれと異形同質なるいはゆる「政治と文学」理論、
すなはち、学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する。
三島由紀夫「文化大革命に関する声明」昭和42年3月1日
(共同執筆・川端康成、石川淳、安部公房)
- 55 :
- Q――つぎに東南アジアについてちよつと聞きます。インドも中共との交戦の経験を持つ国ですが、東南アジアと
日本との最大の相違点は、中共の脅威を感じてゐるのと感じてゐない点にあると思ひますが。
三島由紀夫:中共と国境を接してゐるといふ感じは、とても日本ではわからない。もし日本と中共とのあひだに
国境があつて向かう側に大砲が並んでたら、いまのんびりしてゐる連中でもすこしはきりつとするでせう。
まあ海でへだてられてゐますからね。もつともいまぢや、海なんてものはたいして役に立たないんだけれど。
ただ「見ぬもの清し」でせうな。
三島由紀夫「インドの印象」より
- 56 :
- Q――日本人が中共をこはがらないのは一種の幻想的な“大平感”なんだらうけれど、日本にさういつた幻想が
あることも、また一つの現実ぢやないでせうか。
三島由紀夫:たしかにさうですね。幻想(イリュージョン)といへどもなにかの現実的条件によつて保たれてゐる。
ぼく自身は、日本にも中共の脅威はある、と感じてゐます。これは絶対に「事実(ファクト)」です。
しかし、日本人が中共に脅威を感じないといふことは「現実」です。「現実」とはぼくに言はせれば、事実と
イリュージョンとの合金です。「現実」をささへてゐる条件は、いはくいひがたしで、恐らく何万といふ条件が
あるでせう。海もあるし、長い中国との交流の歴史もあるし……。
ものを考へようとするとき、片方の「現実」を「事実」だけでぶちこはさうとしてもダメです。幻想をくだくには
幻想をもつてしなくつちや。ですからもし、ぼくが政治家だつたら……。
Q――「中共はこはくない」といふ幻想は、どうやつてくだきますか?
三島由紀夫:「中共はこはい」といふファクトではなく幻想をもつてですよ。
三島由紀夫「インドの印象」より
- 57 :
- Q――寺院も寺院だが、信仰をする人々、つまりレリジョン・イン・アクションはどうでしたか。
三島由紀夫:これはもう……インドでは宗教が生きてゐます。あれだけ宗教がナマナマしく生きてゐる国は
見たことがありませんね。…
Q――実践を持つてゐる宗教は強いといふことぢやないですか。キリスト教を例にとつても、宗教改革いらい
プロテスタンティズムは、宗教とは人間の頭のなかの問題である、といつてきた。ところが、長い目で見ると
カトリシズムのはうが結局は強かつたといふやうな……。
三島由紀夫:さうです。現代の人間が、自分の良心の力だけで自己の魂にベルトを締めることができるかどうか。
人間は、目で見えるもの、なにか形のあるものに直面することによつて魂をゆすぶられるんです。だから
カトリックの荘厳な儀式、祭服、音楽、彫刻といつたものは大切です。ヒンズーも同様だが、生きてゐる宗教とは
そんなものなんですよ。プロテスタンティズムのやうなものは理論としてはりつぱだし、啓蒙主義の時代には
役立つたかもしれないが、いま宗教が復活するとすれば、あんな形では絶対に復活しませんね。…
三島由紀夫「インドの印象」より
- 58 :
- Q――日本人のものの考へかたのなかで、絶対に日本以外には通用しないものがある、と感じませんでしたか。
三島由紀夫:…ぼくは外国に行くときは、必ず「ノー」といふ言葉を用意して行くんです。外国では「ノー」
といふのが三分の一秒でも五分の一秒でもおくれたら、あとで自分がえらいめにあふ。「ノー」といふべきときは
必ず「ノー」(大声で)と急いでいはなくちやならん。日本ぢや「ノー」といはなくても、あとでちやんと
始末がつきます。
Q――日本文化をどう思ひましたか。インドは、いはば日本文化の源流ですが。
三島由紀夫:昔から唐・天竺といはれてゐました。ぼくのいまの小説(豊饒の海)も、唐・天竺的な大きい
文化圏の上に立つたものを書きたいと思つてゐた。ところが唐が「唐くれなゐ」になつちやつたから、ハッハッ。
で、いまはもつぱら天竺を研究してゐます。日本文化の源流を求めりやみんな天竺へ行つてしまひますね。それは、もう、みんな
あすこにあります。
三島由紀夫「インドの印象」より
- 59 :
- どうもこの日本人といふのは、防衛といふ問題について、まだ戦争のアレルギーが残つてゐる。すぐ、徴兵制度の
恐怖といふのを考へる。私はこの機会にもはつきり申し上げておきますが、徴兵制度は反対であります。少なくとも
自分の意志に反して兵隊にするといふことは、これからの時代には、私は原理的に不可能なんぢやないかと思ふんです。
そんな兵隊が軍隊にゐたら反戦運動やるに決まつてるし、パンフレットを配るに決まつてるんです。そんな人間で
軍隊が内部崩壊することを恐れるのに比べれば、人数は少なくつてもいいから、やりたいつて奴だけ集めればいい。
それ以外の人間は、もし戦争でも起きたらどういふふうに国に協力できるか。それは各々の軍を持つてやればいい。
…普段の平時からそれぞれの能力に応じて、一旦緩急ある時に協力できる体制を作ればいいぢやないか。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
- 60 :
- 国民精神といふものは、歴史と伝統と文化との誇りから自然に生まれてくるものである。外国から押しつけられた教育で、
国民の誇りをなくすやうな方向へ日本を持つて行きながら、さうして国民精神を自ら崩壊させる方向へ持つて
行きながら、何をもつてさういふものを基盤にした防衛といふものが成り立ちうるか。
それで、私はまたしても憲法の問題に戻つてくるんです。私共のやうな人間が絶えず憲法を改正しろと言つて
ゐなければ、もう憲法改正の気運は永久にどつかへ消えてしまふでありませう。私はあの敗戦憲法を敗戦の日本に残した、
この傷跡をですね、なんとかして改善しなけりやならんといふことを永年考へてきたんです。しかし、我々が
いくら言つてもダメだといふやうな悲しい事態になつたのに、国民はそれについて憲法改正できないといふことは、
何を意味するんだといふことを考へないできたんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
- 61 :
- それでは憲法改正すりや、ファッショになるだらうか。これが非常に問題なんですね。
ナチスはワイマール憲法を改正してないのは、皆さんご存知と思ふんです。
ナチスはたうとう憲法改正事業つていふことを、やつてないんです。そして、全権授権法つていふのを成立させたのは、
ワイマール憲法下で成立させたんです。あくまで平和憲法下でナチズムといふものは出てきたんです。
この事実、歴史的な事実をよく知らない人間は、憲法改正すればファシズムになる、ナチズムになると言ふんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
- 62 :
- 今の日本の大威張りの根拠は、みんな西洋発明品のおかげである。
これはそもそも、大東亜戦争の航空機についてさへ言へることで、あの戦争が日本刀だけで戦つたのなら
威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦つたのである。ただ一つ、真の日本的武器は、
航空機を日本刀のやうに使つて斬死した特攻隊だけである。
そして今日の「日本は大したもんだ派」は、みんなこの上に立脚してゐるのである。私がお茶漬ナショナリスト
といふのは、かれらのナショナリズムの根拠を追ひつめてゆくと、舌の上に感じる「ものの味」といふ、
どうにも否定できない、しかも主観的で説得力のない、さういふもののエモーションを一方に持ちながら、
一方では文明開化以来の迷妄に乗つかつてゐることだ。
では、「日本はまだ貧しい」とか、「日本はどうして大したもんだ」とか言はないで、問題をそんな風に大きく
しないで、ただ、
「お茶漬は実にうまいもんだ」
とだけ言つたらどうだらうか?
比較を一切やめたらどうだらうか?
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
- 63 :
- (中略)
自然な日本人になることだけが、今の日本人にとつて唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮で
あつても少しも構はない。これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、
衰亡してしまふ。子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちよぼ口のPTA精神や、青少年保護を
名目にした家畜道徳に乗ぜられてはならない。
ところで、私はこの元旦、わが家の一等高いところから、家々を眺めて、日の丸を掲げる家が少ないことに
一驚を喫した。こんな美しい国旗はめづらしいと思ふが、グッド・デザインばやりの現在、むづかしいことは
言はずに、せめてグッド・デザインなるが故に、門毎に国旗をかかげることがどうしてできないのか?
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
- 64 :
- 去秋の旅で、私は二度鮮明な日の丸の思ひ出を持つた。
一つは私の泊つてゐたニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルに、たまたまオリエント研究関係の
国際会議か何かで、三笠宮殿下が御来泊になり、正面玄関に大きな日の丸の旗が掲げられ、パーク・アヴェニューに
ひるがへつた。これは実に晴れがましい印象だつた。自分も一日本人、一同宿者として、その巨大な日の丸の旗の、
一センチ角ぐらゐを受持つてゐる感じがして、心がひろがるのであつた。
もう一つは、他にも書いたが、ハムブルグの港見物をしてゐたとき、入港してきた巨大な貨物船の船尾に、
へんぽんとひるがへつてゐた日の丸である。私は感激おくあたはず、その場にゐたただ一人の日本人として、
胸のハンカチをひろげて、ふりまはした。
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
- 65 :
- かういふことを、私は別に自慢たらしく言ふのではない。私にとつては、ごく自然な、理屈の要らない、
日本人の感情として、外地にひるがへる日の丸に感激したわけだが、旗なんてものは、もともとロマンティックな
心情を鼓吹するやうにできてゐて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、
胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあはれむやうな目付をする奴がゐる。
厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになつてゐる。(中略)
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だつてもつてゐる筈の心情である…(中略)
私の言ひたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬の味とは縁の切れない、さういふ
中途半端な日本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつき
ながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より
- 66 :
- 近代日本が西洋文明をとりいれた以上、アリの穴から堤防はくづれたのである。しかも、文明の継ぎ木が
奇妙な醜悪な和洋折衷をはやらせ、一例が応接間といふものを作り、西洋では引つ越しや旅行の留守にしか
使はない白麻のカバーをソファーにかける。私はさういふことがきらひだから、いすが西洋伝来のものである以上、
西洋の様式どほり、高価な西洋こつとうのいすにも、家ではカバーをかけない。
昔の日本には様式といふものがあり、西洋にも様式といふものがあつた。それは一つの文化が全生活を、
すみずみまでおほひつくす態様であり、そこでは、窓の形、食器の形、生活のどんな細かいものにも名前がついてゐた。
日本でも西洋でも窓の名称一つ一つが、その時代の文化の様式の色に染まつてゐた。さういふぐあひになつて、
はじめて文化の名に値するのであり、文化とは生活のすみずみまで潔癖に様式でおほひつくす力であるから、
すきや造りの一間にテレビがあつたりすることは許されないのである。
三島由紀夫「日本への信条」より
- 67 :
- 私はただ、畳にすわるよりいすにかけるはうが足が楽だからいすにかけ、さうすれば、テーブルも、じゆうたんも、
窓も、天井も、何から何まで西洋式でなければ、様式の統一感に欠けるから、今のやうな生活様式を選んだのである。
それといふのも、もし、私が純日本式生活様式を選ばうとしても、十八世紀に生きてゐれば楽にできたであらうが、
二十世紀の今では、様式の不統一のぶざまさに結局は悩まされることになるからである。
私にとつては、そのやうな、折衷主義の様式的混乱をつづける日本が日本だとはどうしても思へない。
また、一例が、能やカブキのやうなあれほどみごとな様式的美学を完成した日本人が、たんぜんでいすにかけて
テレビを見て平気でゐる日本人と、同じ人種だとはどうしても思へない。
こんなことをいふと、永井荷風流の現実逃避だと思はれようが、私の心の中では、過去のみならず、未来においても、
敏感で、潔癖で、生活の細目にいたるまで様式的統一を重んじ、ことばを精錬し、しかも新しさをしりぞけない
日本および日本人のイメージがあるのである。
三島由紀夫「日本への信条」より
- 68 :
- そのためには、中途はんぱな、折衷的日本主義なんかは真つ平で、生つ粋の西洋か、生つ粋の日本を選ぶほかはないが、
生活上において、いくら生つ粋の西洋を選んでも安心な点は、肉体までは裏切れず、私はまぎれもない
日本人の顔をしてをり、まぎれもない日本語を使つてゐるのだ。つまり、私の西洋式生活は見かけであつて、
文士としての私の本質的な生活は、書斎で毎夜扱つてゐる「日本語」といふこの「生つ粋の日本」にあり、
これに比べたら、あとはみんな屁のやうなものなのである。
今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、といふのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、
われわれは日本につかまれてゐる。だから私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことに
なるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである。
三島由紀夫「日本への信条」より
- 69 :
- 低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ
劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを
卒業してゐると考へてゐる。ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。
さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。
そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を
造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。
できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つてゐたのである。
三島由紀夫「日本への信条」より
- 70 :
- このごろ世間でよく言はれることは、「あれほど苦しんだことを忘れて、軍国主義の過去を美化する風潮が
危険である」といふ、判コで捺したやうな、したりげな非難である。
しかし人間性に、忘却と、それに伴ふ過去の美化がなかつたとしたら、人間はどうして生に耐へることができるであらう。
忘却と美化とは、いはば、相矛盾する関係にある。
完全に忘却したら、過去そのものがなくなり、記憶喪失症にかかることになるのだから、従つて過去の美化も
ないわけであり、過去の美化がありうることは、忘却が完全でないことにもなる。
人間は大体、辛いことは忘れ、楽しいことは思ひ出すやうにできてゐる。この点からは、忘却と美化は
相互補償関係にある。美化できるやうな要素だけをおぼえてゐるわけで、美化できない部分だけをしつかり
おぼえてゐることは反生理的である。人の耐へうるところではない。
三島由紀夫「忘却と美化」より
- 71 :
- 私は、この非難に答へるのに、二つの答を用意してゐる。
一つは、忘れるどころか、「忘れねばこそ思ひ出さず候」で、人は二十年間、自分なりの戦争体験の中にある
栄光と美の要素を、人に言はずに守りつづけてきたのが、今やつと発言の機会を得たのに、邪魔をするな、
といふ答である。
この答の裏には、いひしれぬ永い悲しみが秘し隠されてゐるが、この答の表は、むやみとラディカルである。
従つて、この答を敢てせぬ人のためには、第二の答がある。
すなはち、現代の世相のすべての欠陥が、いやでも応でも、過去の諸価値の再認識を要求してゐるのであつて、
その欠陥が今や大きく露出してきたからこそ、過去の諸価値の再認識の必要も増大してきたのであつて、
それこそ未来への批評的建設なのである、と。
三島由紀夫「忘却と美化」より
- 72 :
- ……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。当時十一歳の少年であつた私には、
それはおぼろげに感じられただけだつたが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の
怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。(中略)
それをニ・ニ六事件の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であつた。
その純粋無垢、その勇敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶つてをり、かれらの挫折と死とが、
かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしてゐた。
(中略)
その雪の日、少年たちは取り残され、閑却され、無視されてゐた。少年たちが参加すべきどんな行為もなく、
大人たちに護られて、ただ遠い血と硝煙の匂ひに、感じ易い鼻をぴくつかせてゐた。悲劇の起つた邸の庭の、
一匹の仔犬のやうに。
三島由紀夫「二・二六事件と私」より
- 73 :
- (中略)かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようと
いふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の
「人間宣言」に引つかからざるをえなかつた。
昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の
根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。これは文士たると
否とを問はず、生の自然な欲求と思はれる。そのとき、どうしても引つかかるのは、「象徴」として天皇を
規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのづから、二・二六事件まで、
一すぢの影を投げ、影を辿つて「英霊の声」を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。自ら「美学」と
称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまつてゐることを
知らねばならなかつた。それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである。
三島由紀夫「二・二六事件と私」より
- 74 :
- 絶望を語ることはたやすい。しかし希望を語ることは危険である。わけてもその希望が一つ一つ裏切られてゆくやうな
状況裡に、たえず希望を語ることは、後世に対して、自尊心と羞恥心を賭けることだと云つてもよい。
私は本来国体論には正統も異端もなく、国体思想そのものの裡にたえず変革を誘発する契機があつて、むしろ
国体思想イコール変革の思想だといふ考へ方をするのである。それによつて、平田流神学から神風連を経て
二・二六にいたる精神史的潮流が把握されるので、国体論自体が永遠のナインであり、天皇信仰自体が永遠の
現実否定なのである。
道義の現実はつねにザインの状態へ低下する惧れがあり、つねにゾルレンのイメージにおびやかされる危険がある。
二・二六は、このやうな意味で、当為(ゾルレン)の革命、すなはち道義的革命の性格を担つてゐた。
あらゆる制度は、否定形においてはじめて純粋性を得る。そして純粋性のダイナミクスとは、つねに永久革命の
形態をとる。すなはち日本天皇制における永久革命的性格を担ふものこそ、天皇信仰なのである。
三島由紀夫「『道義的革命』の論理――磯部一等主計の遺稿について」より
- 75 :
- 追ひつめられた状況で自ら神となるとは、自分の信条の、自己に超越的な性質を認めることである。
決して後悔しないといふことは、何はともあれ、男性に通有の論理的特質に照らして、男性的な美徳である。
事実(ファクト)が一歩一歩われらを死へ追ひつめるとき、人間の弱さと強さの弁別は混乱する。弱さとは
そのファクトから目をそむけ、ファクトを認めまいとすることなのか? もしさうだとすれば、強さとはファクトを
容認した諦念に他ならぬことになり、単なるファクトを宿命にまで持ち上げてしまふことになる。私には、事態が
最悪の状況に立ち至つたとき、人間に残されたものは想像力による抵抗だけであり、それこそは「最後の楽天主義」の
英雄的根拠だと思はれる。そのとき単なる希望も一つの行為になり、つひには実在となる。なぜなら、悔恨を
勘定に入れる余地のない希望とは、人間精神の最後の自由の証左だからだ。
三島由紀夫「『道義的革命』の論理――磯部一等主計の遺稿について」より
- 76 :
- 戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。(中略)
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、絶対
ありえないからだ。これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべてウソである。
被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる被曝者は
一人もゐない。(中略)
広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。(中略)
それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。世界の終りだ、と思つた。この
世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。もつとも、原爆によつて突然発生したと
いふより、私自身の中に初めから潜在したものであらうが……。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 77 :
- ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度と
くりかへしません」といつた。原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の
「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される
工業力誇示である。だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。
いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。日本は
核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 78 :
- 核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることが
できない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、
輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。
日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。
戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が
保たれたかといふと、さうは思へない。第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、
今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さが
わかつてゐても、必ず使はれたらう。人間とは本来、さういふものである。その意味でヒロシマこそが、最大の
「核抑止戦略」であつた。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 79 :
- 加へて、第二次大戦を転機に、世界的に被害者と加害者の逆転がおこつた。先進国が後進国に負ひ目をもち、
大国のアメリカが外ではベトナム、内では黒人問題で手をやく――といつた一連の現象である。つまり弱者が
優位に立つといふ“逆勢力均衡”なのだが、その先端を切つたのは、被害者の極、ヒロシマなのであつた。
将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。ベトナムのやうに、今使ふかと世界の注目をあびて
ゐる地点よりも、未開の国で突如使はれるかもしれない。大国が、中程度の国をそそのかして核使用の口実を
つくることも考へられる。
だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としての
ICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ考へに
達した時であらう。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ――原爆の日によせて」より
- 80 :
- 現下の日本のもつとも重要な問題は、国家理念の確立と、青年に「大義とは何か」を体得せしめることであります。
多くの青年が、日本が犯される時は銃を執つて戦ふ覚悟を、口でこそ示しますが、その方途も、真の敵の所在も
明確につかんでゐないのが実情であります。
間接侵略の過程においては、まづ基幹産業の侵蝕と破壊が企てられることは、常識でありますが、わが企業体を
身を以て守るといふ覚悟乃至行動は、それ以上の高い国家理念の裏附なしには期待することができません。
企業防衛こそ国土防衛の重要な一環であり、一例が電源防衛にしても、それ自体がただちに国土防衛の本質的な
ものにつながります。
しかしこのやうな自覚も、強い思想的バック・ボーンなしには、たちまち足元から崩れ去るのが、今後の複雑な
政治状況であり、又、そのためには団体生活の訓練と、一定の基礎的な肉体訓練が必須であります。
三島由紀夫「J・N・G仮案(Japan National Guard ――祖国防衛隊)」より
- 81 :
- このやうな青年によつてこそ、日本の安全保障と自主防衛の精神は、将来へ向つて輝やかしく保持され、国の安全こそ
企業の安全につながることが、国民全体によつて理解される糸口がひらけるのであります。
企業防衛イコール国土防衛の精神を確立するために、われわれは陸上自衛隊の協力を得て、従来の体験入隊より
一歩前進した、比較的長期間の組織的体験のプランを作製し、各企業体経営者各位の賛同を得て、J・N・Gの
横の組織を創り出したいと念ずるものであります。
仮 案
一、中卒あるひは高校卒の青少年を、一定期間(十日乃至一ヶ月)当組織へお預りし、体験入隊をお世話し、
必要に応じて年一回、あるひは春秋二回といふ風に継続し、J・N・G隊員として、溌剌たる挺身的な模範社員を
各職場へお返しします。企業防衛を国土防衛の基盤として理解する、信念ある中堅社員育成のために、資する
ところ大なるものがあると信じます。(後略)
三島由紀夫「J・N・G仮案(Japan National Guard ――祖国防衛隊)」より
- 82 :
- 戦後平和日本の安寧になれて、国民精神は弛緩し、一方、偏向教育によつてイデオロギッシュな非武装平和論を
叩き込まれた青年たちは、ひたすら祖国の問題から逃避して遊惰な自己満足に耽る者、勉学にはいそしむが
政治的無関心の殻にとぢこもる者、「平和を守れ」と称して体制を転覆せんとする革命運動に専念する者の、
ほぼ三種類に分けられるにいたりました。(中略)
われわれは一九六〇年以後、言論活動による国の尊厳の回復の準備を進めて参ると共に、一九六五年にいたつて、
国防精神を国民自らの真剣な努力によつて振起する方法の研究に着手しました。(中略)…核兵器の進歩は
却つて通常兵器による局地戦(いはゆる代理戦争)の頻繁か発生を促し、これを戦ふ者も正規軍のみでなく、
ベトナム戦に見る如く人民戦争の様相を呈して来た以上、必ずしも高度に技術化された軍隊でなくとも、
通常兵器を以て国防に参与できる余地のあることが常識化されるにいたりました。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 83 :
- そもそもわが自衛隊は、安保体制下集団安全保障の一翼を担つて、国防の任務に就いてをりますが、この任務のうち、
純然たる自主防衛の領域は、新安保条約によれば、
一、間接侵略に対する治安出勤
二、非核兵器による局地的直接侵略に対する防衛
の二領域であります。この二つのケースにおいては、自衛隊は、いかなる外国軍隊の力をも借りず自らの手で
国防を引受けるといふ重大な任務を負うてゐるのであります。(中略)
「間接侵略」の形態も亦、一様ではありません。革命の客観的条件の成熟と向うが認めた時点が何時であり、
そこへ向つて、いかなる一連の動きによつて「間接侵略」といふ内戦段階へ移行するかは予断を許さぬのみならず、
現に今日只今の平和な日常生活の中にも、間接侵略の下拵(したごしら)へは着々と進められてゐると考へて
いいのです。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 84 :
- これに応戦する立場も、単に自衛隊の武力ばかりでなく、千変万化の共産戦術に応じて、あるひは言論、あるひは
行動により、千変万化の対応の仕方を準備するのが賢明であります。そのための最後の拠り処は、外敵の
思想的侵略を受け容れぬ鞏固な国民精神であると共に、民族主義の仮面を巧妙にかぶつたインターナショナリズムに
だまされない知的見識であり、又、有事即応の不退転の決意でなければなりません。このやうな決意を持たぬ思想は、
怯懦に陥つて、いつか敵の術策に陥ることをなしとしないのであります。
不退転の決意とは何か? すなはち、国民自らが一朝事あれば剣を執つて、国の歴史と伝統を守る決意であり、
自ら国を守らんとする気魄(きはく)であります。
しかし、気魄だけでは実際の役に立たないので、武器の取扱にも周到な教育を要し、指揮統率の能力も、
又これに応ずる能力も、一定の訓練体験なしには、つひに画に描いた餅にすぎません。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 85 :
- 又、別方面から考へれば、何事も感覚的にしか理解しえない無関心層の青年に、国防精神を植ゑつけるには、
単なる思想指導や言論による教育では不十分で、実際に彼らに執銃体験を与へることによつて、彼らが
武器といふものの持つ意義も危険も知り、感覚を土台にして、より高い国防精神に覚醒する端緒をつかむといふ
ことも十分考へられるのであります。
ここに思ひ到つたわれわれは、諸外国の民兵制度を研究し、左記のやうな各種の資料を得ました。
(中略)
以上のやうに、民兵制度なるものを種々検討してみたわれわれは、平和憲法下の日本で、われわれ国民が
市民としての立場で国防に参与する方途は、ここにあると確信するにいたりました。民主国家国民としてあらゆる
自由と権利を享楽してきた日本人は、戦後、義務の観念を喪失したと云はれますが、実はまだ使つてゐない権利が
一つ残つてゐるのではないか、民主国家の国民としてのもつとも基本的な権利である、「国防に参与する権利」
だけは、まだ手つかずのままではないか、といふのがわれわれの発想のもとであります。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 86 :
- 民兵といふ言葉はみすぼらしく、魅力的でないので、われわれは祖国防衛隊といふ言葉を使ひます。(中略)
専門家の概算によると、長大な海岸線を持つわが国の国土防衛のためには、三五万から百万の陸上兵力を
必要としますが、(中略)…のこりの十七万は何とか国民の自主的な努力により確保せねばならぬのであります。
従つて祖国防衛隊は、大都市においては都市防衛、海浜地域においては沿岸警備、山間地域においては
対ゲリラ防衛を任務とすることになるでせう。又、出勤した正規軍師団の後方警備要員としても有効適切であります。
ヨーロッパ諸国の軍事制度を研究した者は、むしろ戦前の日本の国軍一本化がむしろ異例であることを知つてゐます。
正規軍以外の各種の軍隊の並立のうちに発達してきたヨーロッパ軍事制度の歴史に鑑み、日本の戦前の軍事制度に
関する常識を、戦後の平和憲法下の特殊事情を考慮して、一ぺん徹底的に考へ直し、真に有効な現代的方途を
発見してゆかなければなりません。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 87 :
- 現に戦時中も、総力戦体制と称しながら、軍の権力構造を保持するために、知識人や行政上経営上の指導者をも
一兵卒として召集し、無理な一本化を急いで弊害のみを助長させた教訓は近きにあり、むしろ、戦争末期は
市民軍の養成を別途に推進すべきであつたのであります。
正規軍の増強と精鋭を望む議論としては正論でありますが、日本の現状から見るとき、徴兵制度の弊害の記憶が
ありありと残つてゐる国民感情から見ても、又、もし将来徴兵制度復活が実現されても、そのときはもはや
国論統一が成し遂げられた時点であり、国論統一が成就するや否やわからぬ過渡期の危機を収拾するには間に合はず、
前途のとほり、間接侵略の複雑微妙な進行過程において、徴兵制を強行すれば、軍自体の赤化の危険さへ
懸念されるのであります。その点からも、「思想堅固な者にのみ、武器をとらせる」方式を別途に考へなければ、
間接侵略に真に対処することは不可能なのであります。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 88 :
- これらの考察ののち、われわれは一九六六年秋にいたつて、祖国防衛隊のもつとも基本的な原案を作製しました。
(中略)
概ね、右のとほりでありますが、無給である以上、隊員には強い国防意識と栄誉と自恃の念の養成が必要とされます。
又、まだ法制化を急ぐ段階ではありませんから、純然たる民間団体として民族資本の協力に仰ぐの他はなく、
一方、一般公募にいたる準備段階に数年をかけ、少くとも百人の中核体を一種の民間将校団として暗々裡に
養成することが先決問題と考へられたのであります。(中略)
われわれはかくて自衛隊内部にも知己を得て、国防問題について真剣に論じ合ひました。われわれの知りたいことは、
市民軍の指導者たる幹部要員の教育に、必要最低限度、どれだけ訓練が必要とされるか、現行法制下でそれが
可能か、といふことでありました。そしてつひに、それが可能であるといふ成果を得たのであります。
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 89 :
- 祖国防衛隊基本綱領(案)
祖国防衛隊は、わが祖国・国民及びその文化を愛し、自由にして平和な市民生活の秩序と矜りと名誉を
守らんとする市民による戦士共同体である。
われら祖国防衛隊は、われらの矜りと名誉の根源である人間の尊厳・文化の本質及びわが歴史の連続性を
破壊する一切の武力的脅威に対しては、剣を執つて立ち上がることを以て、その任務とする。
隊 歌
強く正しく剛(たけ)くあれ
文武の道にいそしみて
正大の気の凝るところ
万朶(ばんだ)の花と咲き競ふ
日本男子の朝ぼらけ
われらは祖国防衛隊
若く凛々しく勇ましく
高根の雪に恥づるなき
市民の鑑(かがみ)武士の裔(すゑ)
祖国を犯す者あらば
かへりみはせじ楯の身を
われらは祖国防衛隊
清く明るく晴れやかに
憂憤深き夜は明けて
正気光りを発すれば
歩武堂々の靴跡に
敵影(てきえい)霜と消え失せん
われらは祖国防衛隊
三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」より
- 90 :
- 三島さんは純粋な線の細い文学者。
小沢一郎は主権回復を願う本物の政治家。
安保破棄
主権回復
国軍再建
- 91 :
- 小沢が言ってるのは、国軍再建じゃなくて「すべての軍を国連軍に一本化する」だけどな。
中学生並みの妄想。
- 92 :
- 当時(戦時)の文化界のことを研究すると、時代からの流され方が、何だかあんまりだらしがなかつたやうな
気がする。だらしがなかつたのならそれでもよいが、戦後の変節の早さ、かりにも「一国一城の主」が、女みたいに
「私はだまされてゐた」と言ひ出すのを見ては、私はいはゆる文化人知識人の性根を見たやうな気がしたのである。
大体、文化人や知識人と名乗るだけの人間が「だまされてゐた」では通るまい。この種の人たちは、十中八九、
口ほどにもないお人よしで、実際にだまされてゐたのかもしれないが、それを言はないで、だまされてゐたままの
自分の形を押し通すだけの自負がなかつたのか。思想的弾圧のはげしさは言語を絶してゐたかもしれないが、
いくら割り引いてみても、知識人文化人のたよりなさの印象はのこるのである。
変節防止のために相互監視をやつたらどうか。言論の自由を守るとは、結局自分を守ることだといふのでは情けない。
三島由紀夫「フィルターのすす払ひ――日本文化会議発足に寄せて」より
- 93 :
- 「われわれの考へる言論の自由」といふものを本当に信じ、それを守り抜くためには、一人一人ばらばらでは、
はなはだたよりなかつた前歴があるから、今度は二度と引き返せぬやうに、相互監視でもやつて変節を防止しなければ、
第一、われわれの言論を信じてくれる読者各位に対して申し訳ないではないか。十年もつといふ宣伝で買つた洗濯機が、
三日でこはれてしまつては、商業道徳に反するではないか。
大体、文化人知識人などといふものは、弱い立場なのである。社会的地位もあいまいで、非常の場合に力で押して
来られたら一トたまりもない。幸ひ今は平和な時代で、大きな顔をしてゐられるが、われわれが大きい顔をして
ゐられるから、平和がありがたい、といふのでは、材木が売れるから地震がありがたい、といふ材木屋の考へと
同じである。
三島由紀夫「フィルターのすす払ひ――日本文化会議発足に寄せて」より
- 94 :
- (中略)
世論なるものの作られ方自体にも、相当怪しいところがあるのである。子供にだつて、シュークリームと
あんころもちの二つを選ばせれば、どちらがうまいか、自分の意見を決めることができるが、シュークリームだけを
与へつづければ、世界中でシュークリームほどうまいものはないと思ふやうになる。今、日教組がとなへてゐる
「教育の自由」とは、シュークリームだけを与へる教育の自由なのである。ジャーナリズムの有力な傾向も、
公正に見せかけた「選択の自由の排除」であつて、われわれは言論を通じて、公正な選択の場を何とか確保しようと
努めてゐるにすぎない。
現代政治の特徴は何事も世論のフィルターを濾過されねばならぬことであらうが、そのフィルターにくつついた煤の
煤払ひをしなければ世論自体が意味をなさぬ。かくも強力なフィルターが、煤のおかげで、ひたすら被害者、
被圧迫者を装つて、フィルターの濾過を拒んでゐるやうな状況は、不健全であるのみならず、フィルターの権威を
落すものであると考へられる。
かくてわれわれは、手に手に帚を持つて、煤払ひの戦ひに乗り出したといふわけなのである。
三島由紀夫「フィルターのすす払ひ――日本文化会議発足に寄せて」より
- 95 :
- このごろは、デモ見物に歩くことが多くなつた。デモの当事者からすれば、弥次馬は唾棄すべき存在だらうが、
かういふときには、一人ぐらゐ「見る人間」も必要である。鴨長明が洛中の屍体の数まで、自分手で数へあげて
ゐる態度は、学ぶべきだと思ふ。
新聞を見てもテレビを見ても、どうしても報道そのものに主観的態度が入つてゐるやうに思はれる。写真や映画は
正に実物そのものの筈だが、必ず主観的なアナウンスが入つてゐて、印象を混濁させる。かうなつてくると、
いはゆるマス・コミは却つて不便で、どうせ主観なら自分の主観、どうせ目なら自分の目を信ずる他はなくなるのだ。
私の目だつて大したことはないが、カメラのレンズよりは少しばかり精巧であらう。
三島由紀夫「同人雑記」より
- 96 :
- >>90
私と小沢は真逆である。私には戦争が起これば国を守るために最前線で戦う覚悟がある。
小沢は民を戦地という死地に追いやり自身は国内で安穏と芸者をあげて遊び、
敗れれば命乞いをして、しかも嘘を吐き戦争責任を逃れ戦後も権力の座に居座り、
国を又しても誤まった方向へと導く逆臣である。
戦後民主主義政治などと聞こえはいいが、その実体はこの私利私欲に走り民を奴隷の如く扱い、
失政の限りを尽くした生きさらばえた°t臣共の茶番劇に他ならない。
国民よ、今こそ目覚め、日本神道に立ち返り天皇を中心とした国に戻し、
逆臣共を完全に駆逐し、日本を再興しようでは無いか?
天皇陛下万歳!
- 97 :
- 私は弱い者が大ぜい集まつてワイワイガヤガヤ言つて多数の力で意見を押しとほすといふ考へがきらひだ。
全学連だつて、一人一人会えば大人しい坊ちやんだし、体力的に弱いタイプが多い。なぜ多数を恃むのか。
自分一人に自信がないからではないのか。「千万人といへども我行かん」といふ気持がないではないか。
もつとも一人の力では限りがあることがわかつてゐる。だから私は少数精鋭主義である。その少数の一人一人が、
「千万人といへども我行かん」といふ気構へをもち、それだけ腕つ節がなければならない。たつた一人孤立しても、
切り抜けて行けなければならない。
三島由紀夫「拳と剣――この孤独なる自己との戦ひ」より
- 98 :
- 衛藤瀋吉氏の或る論文で「間接侵略に真に対抗しうるものは武器ではない。国民個々の魂である」といふ趣旨があつて、
私も全く同感だが、そこに停滞してゐては単なる精神主義に陥る惧れがあり、魂を振起するには行動しなければ
ならない。動かない澱んだ魂は、実は魂ではない。この点で私の考へは陽明学の知行合一である。又「自らの手で
国を守る気概」といふ自民党のスローガンは立派だが、では一体何をするかといへば、国民一人々々は税金を払つて
三次防を認めればよい、といふのでは、戦後の経済主義を一歩も出ず、次元の低い傭兵思想にすぎない。私はひたすら
「文武両道」といふ古い言葉で、この両様の機会主義に反抗して来たのである。
(中略)今や空前の素人時代、軍事問題防衛問題も、玄人のほかに、熱烈な素人の厚い層があつてよいではないか。
因みに一言つけくはへれば、私は戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス
(無防備の富)だと考へる者である。
三島由紀夫「わが『自主防衛』――体験からの出発」より
- 99 :
- ノサップ岬には数回足をのばし、ガスの晴れ間から水晶島にソ連の監視兵が動いているのさえ観ることができた。
還らぬ北方の島々への関心はさすがに高く、私達の使命感はより一層高まった。現地の漁民はただもくもくとして
働き、涙さえ浮かべようとしない。(中略)
学生運動は社会的起爆剤としての役割を持っている。学生及び青年の行動が、連鎖反応的に運動の輪を拡げ、
大きな力へと成長させてゆく。その歴史的自覚を持ったときこそ、新しい学生運動の明るい展望は開けて
くるのである。とするならば、北方問題に関しても、政府も漁民も立場上言えないような主張を代弁するのが
学生ではないのだろうか。民族の悲願として、全千島、南樺太をあらゆる条約や障害をのりこえて取り戻すこと。
この正当な主張も、政府及び根室市がソ連と交渉するときには、歯舞、色丹、国後、択捉だけが対象となっている。
千島列島はサンフランシスコ条約で放棄したから可能ならば日本に復帰させて頂きたいと及び腰である。
森田必勝「民族運動の起爆剤を志向」より
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