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なぜ没落御家人新田義貞が鎌倉攻めをしたのか


1 :2013/03/08 〜 最終レス :2013/04/02
新田よりも力のあるのはたくさんいたはず。
なぜ弱小の新田が立ち上がったのか?
足利との談合があったのか、それとも単独で立ったのか。ナゾだ。

2 :
Rの鎌倉攻めに見えた。オワタし。

3 :
幕府に莫大な借金があったからだよ
倒幕と言うなの踏み倒し

4 :
尊氏が六波羅倒すから鎌倉同時に攻めて欲しいって言う相手って普通なら
関東にいる足利一門に頼まないか?
尊氏から義貞に一緒に倒そうとか、同じタイミングで攻めようってお願いしない
と思うんだけどな。
徴税しに来た奴を斬っちゃったから見切り発車でどうせ死ぬなら戦して死のうって
事で鎌倉攻めを起こしたんじゃ?
それがたまたま足利尊氏と同じ時期に重なっただけ。
しかしどうも分からんことがあるんだが越後の新田勢がすぐ合流しにきたって
事は何日か前には決まっていたんだろうか。
新田義貞がなぜ鎌倉攻めを行ったか分からん。

5 :
新田一族の領内に、得宗が入り込むようになり新田氏は貧困のために
代々受け継いだ土地をも、売ることになってたようだ。
 ちょうど世間は、後醍醐天皇、護良親王らが令旨を名のある武士にだして
義貞のところにも、お誘いが来たわけだ。
 どうせこのまま鎌倉殿に従っても貧しいままだし、一か八かで挙兵したんでしょう。

6 :
>>5
一か八かだと思うが黒沼彦四郎を斬ったのは5月初め頃で、挙兵が5月5日
だか8日でしょ?
それから越後やらの新田勢が1日2日で合流出来るって用意周到すぎじゃね?

7 :
用意周到というか黒沼を斬ったのは黒沼が上野でしばらく民から徴税した後だよ。
黒沼を斬る前に越後やら周辺の新田一族に使い出してるんじゃない?明日黒沼を斬るからみたいに。
千寿王はなんで来たかはしらんが。
まあ勝算があったのかは謎だよね。

8 :
信濃の小笠原が参加していたり、御内人の長崎氏の手下の白河結城が倒幕側につくなど
相当畿内の幕府苦戦の情報が広まっていたのだろう。最大の要因は尊氏が反旗を翻したことだけど、
反幕府を宣言した4月29日以前に決めていただろうから関東の武士に軍勢催促したから
義貞に呼応する勢力が多かったのだろう。
鎌倉陥落後、義貞が千寿王に付けられた細川兄弟との紛争に負けて上京したことからも
義貞を上にいただこうとする武士は少なかったと見ていいだろう。

9 :
黒沼達が来なかったら新田は動かなかったって事かな?

10 :
おそらく足利の指示で動く事で準備中だったのが、思いもかけずに黒沼ら幕府役人が乗り込んできたので慌てて足利の指示を待たずに慌てて決起したんじゃない?

11 :
つまり本来は関東に残ってる足利軍が鎌倉を攻めることになっていて、義貞はその軍に加わる事になっていたと?

12 :
尊氏は同時期に六波羅探題を攻めているけど2万の兵を率いていたらしい
尊氏が鎌倉を攻めるためにそんなに大量の足利軍を鎌倉に残していたとは思えんが
北条家が不審がるだろう

13 :
そもそも新田は、弱小ではない
足利とのツートップだろ

14 :
150騎で出発したけど越後勢が加わるっていうから立ち上がったんじゃないの?
足利勢を抜きにして7000弱集まったらしいが、足利が加わらなかったらこの軍勢だけで
鎌倉を倒せたかね。

15 :
>>14
当時4歳の千寿王が率いる足利軍ってどれだけの数がいたの?
六波羅探題攻めた尊氏の軍には他の御家人の軍勢も交じってるからね。

16 :
西国に大軍を派遣してたから鎌倉は手薄だったんだろ

17 :
>>15
多摩川までは新田系だけで7000。
多摩川越えて千寿王と合流した途端に関東近郊の源氏が集結して数万
に膨れ上がった、と太平記ではなってるが。
千寿王が合流しなかったらこんなに合流してなかったのかね?

>>16
手薄とはいえ、分倍河原の戦いで10万(誇張だと思うが)の兵を繰り出せる
北条だぞ?

18 :
>>17
その源氏軍たちは千寿王が合流しなかったら新田に味方せず
鎌倉を守って新田を攻めていたかは微妙だよね。
尊氏だって、佐々木や赤松らと一緒に六波羅を落としたはいいが鎌倉が落ちなかったら
ただの賊軍で北条氏にうちとられる。
尊氏の軍が京を制圧してから改めて鎌倉へ攻め込み北条本軍と戦っていたら
勝てた保証などない。

19 :
>>18
尊氏は後醍醐を擁してて、光厳も保護してるから賊軍は北条
それに北条軍(幕府軍)の主力は京周辺に送り込まれていて、それが六波羅陥落で瓦解している時点でもう詰みだろ
六波羅陥落の報を聞いて倒幕に寝返った御家人も多かったのでは?

20 :
六波羅陥落の報が東国に伝わったのはいつ?

21 :
>>20
当時だと京→鎌倉は早馬で3泊4日くらい

22 :
六波羅攻防戦が、鎌倉幕府の命運を分けたな。
探題の北条仲時、時益が光厳天皇を引き連れて東国へ落ちようとしていたのか
分かったわ。
楠の足止めによって六波羅の守りも不十分だったに違いないが・・・・。
足利も鎌倉をよう裏切ったものだ、千寿王と赤橋登子が人質になってたはずだが。

23 :
>>22
大河じゃないけど兄の執権守時が逃したんじゃないかな?

24 :
>>23
逃がしたけど逃がす事にはなってないでしょ。

25 :
七里ヶ浜の磯伝い 
稲村ヶ崎 名将の
剣投ぜし 古戦場♪

26 :
>1
歴史詳しくなくてすいませんけど、自分的には、
新田は頼朝のような源氏の本流(嫡流っていうの?)以外では最もそれに近い、言ってみれば「主筋」で、
足利の兄貴であり、本来なら源氏の幕府内では最も尊重されるべき家柄だったのに、
頼朝に嫌われて二流的な扱いを受け、以来鎌倉時代を通じて不遇をかこっていた家だったので、
鎌倉の政治体制に相当反感があったのでは?
鎌倉に乗り込んでのあの殺傷ぶりを見ると、単なる政局とか利害とかによる必要性以上の物を感じる。

27 :
>>26
新田が頼朝に目を付けられた(睨まれた)のは、どこだかに際しての挙兵で軍勢を寄越すのが遅かっただか
寄越さなかったかだよね?
新田家自体には、そもそも頼朝の時代既に源氏の名門としての意識があり、「頼朝何するものぞ」的な
気風があって、頼朝に対してそんなに忠誠心がなかったから、軍勢を寄越すに際してトラブったのかもしれない。

28 :
>>27
司馬遼太郎の「街道をゆく」に出てくるが、少なくともこの著作の発表時点では、
鎌倉市内の小学校とかの校庭の石ころには、多数の人骨が混じっていて(今でも?)、
それはこの新田による鎌倉攻めの時のものとのこと。
女子供含めて皆殺しだったんだよね?死者2万だっけ?この今の時代に残る凄惨さからして
恨みの感覚が混ざっていたとしか思えないw

29 :
>>28
この新田の鎌倉攻めが今の時代に意外に大きな負の影響を与えていると思うのは、
このせいで鎌倉幕府の公式の?著作物(史料)とかが全部燃えちゃったことだよな。
おかげで、鎌倉時代の各地の地震だのを始めとする災害の記録も失われたと思うし、
また、鎌倉時代に各地に派遣された守護・地頭のデータも失われた。
今は吾妻鏡にちょっとしかこれ関連の記載が残ってないらしいし。
結構、とんでもないことをしてくれたと思う。

30 :
>>29
火をつけたのって新田軍なの?
よく負けた軍が何も残らないように火をつけていくっていうのはあるし。

31 :
数万?あの貧乏御家人の新田が?みな頭がどうかしておるのではないか?

32 :
新田勢どこから数マンも集まったんだ?
坂東武者がこぞって勝ち馬に乗るの構図か?

33 :
坂東武者どころか御内人が離反する有様だったよ。
義貞も集まってきた武士たちに着到状を発行したり司令官としてやることはやっている。

34 :
>>33
単なる没落御家人ならば
その辺りのノウハウは不完全だ罠

35 :
>>34
武士ならみんなわきまえているよ。
義貞自身も赤坂城攻めとかで総大将に着到状や軍忠状を提出しているはずだし。

36 :
実際に鎌倉攻めでは各方面を一門の連中を指揮官にしたりと集まってきた武士たち
を掌握しているから新田氏の力はかなりあるよ。

37 :
鎌倉攻めの時に
「新田義貞が総大将なの??」
ってみんな不安にはならなかったのかね。それか足利家から「鎌倉攻めの際は
新田殿を立てるように」とお達しが出てたとか?まさかそんな事はありえん。
けど、鎌倉攻めに対しては恩賞目当てというよりは今の境遇の呪縛から解き放たれたい
という思いだけで皆立ち上がったんだよね?太平記だけを見るとそうなんだけど。
まあ結局戦が終わったらみんな恩賞求めたり恩賞すくねーって文句ばっかだったけど。

38 :
ほとんどは新田は足利千寿の代官だと思っていた

39 :
千寿王が合流したのも討幕軍が爆発的に増えた要因
もう1つは幕府軍の主力を送り込んでいたはずの六波羅陥落で鎌倉が死に体になったこと

40 :
六波羅陥落以前に北条の軍事的ヘゲモニーなんかほとんどないよ。
後醍醐の捕縛や楠木の逃亡から幕府の勝利に見えても、それまでの
東北の安東氏の紛争や播磨をはじめとする悪党海賊の跋扈に打つ手なしなんだから。
後醍醐の綸旨や護良の令旨のせいで足利や楠木は討幕軍やレジスタンスに見えているが
楠木、赤松、名和長年を見てもわかるが新興エスタブリッシュメントや
白河結城、京極佐々木のように力をつけた庶流が参加していることから、弱体化した既成権力に対する
下克上と見たほうが正しいよ。

41 :
>力をつけた庶流
新田氏にたいする足利氏がまさにそれだったな。

42 :
足利が本宗家で新田が庶宗家じゃないのかい?

43 :
その頃は庶嫡の区別なんて曖昧。
実力で成り上がった者が嫡流。

44 :
>>33
>着到状を発行
「それがし参陣いたしました」という上申書にサインするだけだから馬鹿でもできるべ

45 :
着到状はあとで恩賞を請求するときに必ず必要になるから誰でもいいというわけではない。
当時の褒賞は敵をどれだけ殺したかよりも戦死が第一とされているように
結果に繋がらなくても頑張れば恩賞が出るシステムだからこういう働きの証明書
はとても重要だよ。

46 :
鎌倉攻めで新田義貞が花押据えている着到状ってあるん?

47 :
それから鎌倉攻めで新田義貞の名で軍勢催促状出してるん?

48 :
義貞→新田一族→足利一門
って流れで出したんじゃ?

49 :
>>46
存在する
>>47
見たことないなあ
存在しないんだろう
ということは他の御家人に命令できる立場ではなかったんだろう

50 :
六波羅が落ちたことが伝わったことで関東の武士が雪崩のように討幕側に寝返ったってことだろ

51 :
大将首取るとどのくらい恩賞もらえるの?
なんか記録ある?

52 :
蒙古襲来で竹崎季長は地頭職をもらっている。

53 :
緒戦の小手指原の戦いに勝利したのが大きかった。

54 :
新田義貞の肖像画ってあるんだっけ?

55 :
足利千寿王の参加と六波羅陥落って、わりと副次的要因だと思ってる

56 :
副次的じゃねーよ
幕府軍の大半は京周辺にいてそれが瓦解したんだぞ
しかも光厳を捕えられたから朝敵扱い
大局的に見ればその段階でもう鎌倉は死に体、詰みだよ

57 :
義貞の挙兵は5月8日以前。他にも坂東の御家人が相次いで挙兵の動きを見せている
5月11日の小手指原の戦いの時点で六波羅陥落の詳報はまだ坂東の御家人に伝わってない。
千寿王の参加は利根川渡河のあたりだが、その時点で新田一族も義貞軍に合流して既に一方面軍に匹敵する兵力になっており、
六波羅陥落の報を待つまでもなく坂東においても情勢は一変していた
坂東の情勢は泡沫御家人と見られていた義貞の挙兵の初期段階の成功で既に一変してる

58 :
5月11日の小手指原、12日の久米川の戦いで幕府軍が渡河を許したばかりか、
武蔵南部まで後退したことが坂東の反幕側の士気を大きく士気を挙げている。分倍河原の段階では雪崩現象は必然だな
たぶん足利・新田の両一族は挙兵について黙契があったと思うが、
義貞の挙兵のタイミングまでは正確に分からなかったと思うよ

59 :
>>54
江戸時代に描かれたものなら

60 :
六波羅陥落が5月7日、京→鎌倉は早馬で3〜4日だから5月10日頃には東国にも届いてるだろ
しかも足利の謀反や六波羅軍苦戦の知らせはもっと早く伝わっている

61 :
足利高氏が最初に発した島津等への軍勢催促状の日付が元弘3年4月25日だからなあ。
高氏挙兵のうわさは五月初には義貞の耳にも入っていたんじゃねえの?

62 :
天狗って本当にいたの?

63 :
その前に六波羅を足利が攻めるって話はどのレベルまで伝わってたのかな?
新田は知らされてたのかな?
知らされてないで新田が立ったとなれば運が良かっただけかね?
六波羅が陥落してなかったら負けてた?
そもそも足利が六波羅を攻めてなく、北条方として普通に戦ってたらどうしてた?
混乱してきたわ。

64 :
足利はなぜ親族である北条を裏切ったか?

65 :
足利は特別困った扱いをされてたのかね。

66 :
>>60
7日に陥落としても3〜4日かかるのだから小手指原の戦いの段階では分からない
あと新田が幕府に金納を要求されて使者を斬り、所領召し上げなんて事件までは想定外でしょ
だから、挙兵に踏み切ったのは多分予定日より早かった
千寿王の身柄に関しては新田一族(≠義貞)の保証があったのだろうけど、
たぶん岩松が「うちの義貞が金に困って幕使を斬りました、挙兵しますからすぐ来てください」
的な感じで、あわてて参陣したら、既に利根川渡河の段階で一族が加わって大軍になっていたと言うのが実情では

67 :
>>63
新田・足利一族系は暗黙裡に連携して動いてたと思う。
だから当初は尊氏が後醍醐方と連携に成功して六波羅を制圧した時点で挙兵のつもりが、
新田本家が幕使を斬ってしまい、早めの挙兵に追い込まれた

68 :
・北条以外では最大の御家人の足利が謀反
・幕府軍の大半を送り込んでいるはずの六波羅が謀反軍に苦戦
この情報を聞いただけでも関東の武士たちは相当動揺するだろ

69 :
やはり後醍醐天皇はすごい

70 :
動揺しても、東国の情勢は畿内の情勢とはまた別だからね
もし動揺していたなら、鎌倉幕府が新田に厳しい処分を加えない
おそらく新田は怪しいと睨んで一罰百戒的な対応に出た

71 :
御家人の東国偏在

72 :
新田軍相手に北条は10万単位で兵を繰り出してきたんでしょ?
まだこれだけの兵力があるのに簡単に東国の源氏が裏切るとかって考えるのかな。

73 :
忠臣新田義貞
逆臣足利尊氏

74 :
出征兵士を送る歌
わが大君に召されたる 生命はえある朝ぼらけ♪
たたへて送る一億の 歓呼は高く天を衝く♪
いざ征け(ゆけ)  つわもの 日本男児 ♪

75 :
幕府は、新田の決起はないし、決起してもおそらく一族結集のため退守策を取ると予測していて、
まさか真っ直ぐ南進してくるとは思わなんだのだろう。
実際、新田も督促使の黒沼の殺害事件を引き起こしながら、金沢親連は送り返しているしね
幕府としては足利荘に手を出すわけにもいかないから、その与党・周辺を鋳つぶしていこうと思ったんではないかな

76 :
ここまでの話をまとめると
@黒沼を斬ったのでイチかバチか兵を挙げてみた→運よく六波羅陥落
A足利と連携をとっていた→千寿王やら足利等の援軍は確約
B新田一族の間で倒幕の時期はおおよそ決まっていた(なぜ新田かは?)
のどれかかな?

77 :
新田氏系は、本宗家の新田家は衰退していたが
新田の分家は、そこそこ頑張っていただろう?
腐っても、そういった新田氏系の本宗家だから。
あと、足利氏系と新田氏系は、互いを近い同族という意識もあったぽいし。

78 :
高氏自身が名越高家の戦死まで挙兵の意思を明らかにしたとはいいがたい

79 :
幕末の新田は足利にかなり頼って接近している。
おそらくは、千寿王を擁して足利に参陣協力することで話がついていたのだろう。
それに突発的に幕使がやって来て無断帰国の詰問と科料の強制徴収を始めたから、予定を変更して足利の指図を待たずに決起したんじゃないか?

80 :
>>75
ウィキにも書いてあるけど出雲介親連って金沢氏なの?
根拠は?

81 :
新田がどうこうしようが幾内が平定されれば、別にただの地方反乱だよね

82 :
>>78
4月25日に島津に軍勢出すように要請してるんだから
高家戦死の前に挙兵の意思を明らかにしてるわけだが

83 :
しかし高氏が実際に挙兵したのは29日で、
名越が前線に出て戦没する27日までは首鼠両端を持したと見られても仕方ないよ。
手ごたえを得てから挙兵するつもりだったのだろ。
高氏も「今この状況では北条氏は足利家を咎める余裕がない」と言う状況を最大限に利用してる。
東西とも眼前の戦況に応じて挙兵する場合、事前から打ち合わせがあっても守れる保証はない

84 :
>>80
いや、金沢氏とは断定されてないだろ

85 :
>>81
それは逆。畿内が容易に平定されない状況だったから、
足利氏としては首鼠両端を持せざるを得ない状況になってたと見るべき
畿内が鎮圧寸前なら高氏が挙兵したとでも?

86 :
>>83
でも25日の高氏の軍勢催促状には「後醍醐天皇に味方するから
応援頼む」と書いてあるよ

87 :
なるほど、そうなると足利は新田と連携を取っていたって事か。
千寿王との合流も辻褄が合うな。
どうやって千寿王が逃げたのかしらんけど。

88 :
新田から話が逸れちゃうけど、高氏さんてほんとに鎌倉出発時点で挙兵の意思固めてたの?
千寿王や竹若丸の脱出を見る限り後醍醐側と気脈を通じようとしてたのは間違いないけど、
ほんとに様子見なしで挙兵するつもりだったとしたら、義貞の挙兵よりそっちのほうがびっくりだ。

89 :
尊氏はこの北条への反逆で義貞や他の御家人たちのように護良の令旨ではなく
後醍醐の綸旨を手に入れていることからも計画的なことは確実だろう。
そもそも嫁が北条とはいえ母親が上杉の尊氏では所詮北条の世では貞氏の頃から
菩提寺の法事の費用もケチるほど財政の苦しかった足利がお先真っ暗なのは
目に見えているよ。
この元弘の乱の功績で後醍醐からあてがわれた所領の膨大さからも北条を相手に
戦う意味は十分あるよ。

90 :
だって元弘3年4月の機内情勢は赤松円心などの反幕軍が京都を波状攻撃し
六波羅はてんてこ舞い。楠木城はまだ落ちず幕府の大軍は
釘づけ状態で動けず京都の六波羅を応援できない。
奈良では僧兵や悪党どもが広範囲にゲリラ戦を展開し始めていたし、
長門・四国・九州でも反乱がおき収拾がつかず、後醍醐天皇も隠岐
を脱出して山陰を支配下に置いていたから、西日本全体がはハチの巣
をつついた状態だったんだぜ。
高氏が挙兵する環境は十分そろっていた。

91 :
尊氏は息子と嫁が人質になってるけど死んでも良かったのかな。
もしかして直冬を擁立したかったから…

92 :
鎌倉時代の足利氏は他の御家人と同じように京都に屋敷を持って
いただろうから、そこの家来が西国情勢の情報を収集分析して
高氏のもとに逐一報告していただろう。
だから鎌倉を出陣するときには鎌倉幕府打倒の腹は決まっていたと思うよ。
子供の脱出は計画通りだよ。

93 :
人質ってそんなに簡単に出入りできるのかよ。

94 :
後醍醐天皇の寵妃阿野廉子の兄の阿野実廉は元弘3年5月に鎌倉にいて
高時の兵に館を攻められたが逃げてるがな。
また鎌倉滅亡後に多くの北条氏残党が鎌倉から脱出しているしな。
鎌倉の地形は複雑だから逃げやすいんだろう。

95 :
まあ鎌倉なら海から逃げることもできるし

96 :
江戸時代と違って、嫁はずっと鎌倉にいなくちゃならなかったわけでも
なかろうからねえ。
それに妻子がいるからって、それに影響されて倒幕をやめたりはしないだろう。
死んでも良いってわけはないが、死んだら死んだで仕方がない。
そもそも妻子どころか、自分が死ぬかも知れないわけで。

97 :
義貞単独で鎌倉を落とした成功体験が、
東山道軍や顕家の奥州軍を待たずに箱根竹の下での敗戦につながったかね

98 :
あ、時間軸がおかしいか。
顕家軍の奥州出立はそもそも箱根竹の下の敗戦より後だな

99 :
この時はもう足利の前線基地と言っていい三河を突破しているから
いけると思ったのだろう。だけどこの時は本当に直義が異常に弱かったな。

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