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週刊文春の悪質な秋篠宮紀子妃殿下叩きを許さない


1 :2012/04/08 〜 最終レス :2013/04/14
日本国民のため、皇室のために日々全力で尽くされている紀子様。
日本の未来のために男のお子様を命がけでお生みくださった紀子様。
そんな日本の国母秋篠宮妃紀子様を、
悪質な捏造記事で陥れようとする文春を許さない奥様のスレです。
抗議の手法について、また、背後の東宮家の動きについて皆さんで語り合いましょう。

2 :
◆秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ (週刊新潮 2011/08/18)
ttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1315754335539.jpg
◆紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ−職員が秋篠宮家に異動したくない (週刊文春 2011/08/25)
ttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1314719928366.jpg
◆美智子さま、秋篠宮家職員たちが続々と退職!心痛める紀子さまの孤立 (女性自身 2011/09/13)
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◆秋篠宮ご一家への〈逆風〉 結果を残す 紀子さまがなぜ悪者に? (週刊女性 2011/09/13)
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◆紀子さま45歳、秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」−10人以上の職員が交代! (週刊文春 2011/09/22)
◆悠仁さま、紀子さまが励むマスコミ取材への<秘>特訓! (女性自身 2011/09/20)
◆秋篠宮ご夫妻、ダンゴ虫帝王学と「多忙な秋」 (サンデー毎日 2011/09/18)
◆悠仁さま5歳。皇室史研究第一人者が認めた「帝王教育の不安」 (週刊文春 2011/09/15)
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◆雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って (女性セブン 2011/10/06)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/ms/1315526074/260-271
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ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1321013486147.jpg
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1321013569207.jpg
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1321013655612.jpg
◆紀子さまが神経質に? 悠仁さま幼稚園「トンデモ警備」体験記 (週刊女性 2011/10/04)

3 :
女性自身(2012/04/03), 頁:39
紀子さま激怒!陛下お見舞い問題で爆発させた「東宮への不備」
   ◆ 天皇、雅子妃、宮内庁、秋篠宮、紀子、皇太子、東宮職員
中吊り
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1332085104486.jpg
雅子さまご病状は“暗転”・・・陛下のお見舞い問題でついに・・・
紀子さま 激怒!
東宮への不満
「いつも私たち後回し――」

4 :
紀子さまって温厚そうなのに本当に激怒するの?

5 :

女性セブン 2011年10月6日号
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1321013655612.jpg
■ 雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 9/12
 【普段の紀子さまはしゃきしゃき話される】
 幼稚園に登園される悠仁さまを、一部マスコミが、ビルの屋上から撮影し、グラビアに掲載したことがあった。
 「このとき、皇宮警察に対して、“ こんなところから撮影されるなんて、どういうことなんですか ” と
  紀子さまは血相を変えて激怒されたそうです。
  その怒りはなかなかおさまらず、
  所轄の警察官がビルの所有者のところに出向き、屋上に入り込めないよう、
  鍵を付けるという処置をしたと聞きました」 (別の皇室関係者)
しかし、その紀子さまのいらだちが思わぬ波紋も呼んでいる。お茶ノ水女子大学付属幼稚園の
近所に住む主婦が、こんな不満を漏らす。
 「朝、犬の散歩に行くと、ちょうど悠仁さまの登園時間と重なったんです。
  そしたら私服警察官がやってきて “ 住所と名前は? ” と職務質問みたいなことをされました。
  ただ散歩をしているだけなのに…。
  それで警察官に“不審者扱いされるなんて気分が悪い”といったら、
  その警官は “妃殿下が気にされているから、見えにくいところにいてください”というんです。
  そして再度、住所と名前を聞かれたので、“答える必要ないでしょ”と断ったら
  “ 私たちが叱られるんです ” って」

6 :
紀子さまってお優しそうなのに本当に激怒ばっかりしてるの?
鯰殿下の仕事じゃないの?

7 :
「雅子さまと愛子さまはどうなるのか?」 P237 
原文まま転載。
 "以前、生ものの献上品が届き、
 職員の一人が悠仁さまが食あたりしたら大変だとの思いから、
 『職員に下げましょうか』と紀子さまにお伺いを立てたら、
 眉をひそめて 『ほしいの?』 とおっしゃったそうです。
 しかし、あのプレッシャーとお忙しさを思うと、
 厳しい口調になったりされるのは仕方がないことかなと思っています』"

8 :
このスレ終了
全然伸びないし・・・・・・・・・墓穴ほってる。

9 :
アレ まだあるよこのスレ

10 :
毎日グラフ臨時増刊1990年7月14日号 おめでとう礼宮・紀子さま 秋篠宮家創立
<川嶋家家系図 父方川嶋家は和歌山 母方杉本家は静岡に>
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1297715962429.jpg
週刊女性 1990年7月?日増刊ムック 礼宮さま紀子さま青春華燭
<紀子さまのルーツとその人々>
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1331531580963.jpg
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1331534304264.jpg

11 :
文春は、秋篠宮殿下のタイの愛人報道を完全なデマだと記事にしてる。
週刊文春 1996年12月12日号
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1230018258195.jpg

12 :
・週刊新潮 1996年4月18日号
<秋篠宮殿下 度重なる「タイ訪問」に流言蜚語>
・週刊文春 1996年4月18日号
<秋篠宮殿下「クリントン大統領歓迎晩餐会」欠席の理由は「ナマズ見物」>
・週刊女性 1996年4月30日号
<紀子さまを悩ませる「秋篠宮さま、タイ美人と」報道>
・女性自身 1996年4月30日号
<紀子さま「殿下とタイ美人」報道に、ご心痛>
・女性セブン1996年5月2日号
<天皇家激震!「秋篠宮さまに親しいタイ美人」報道 >
・女性自身 1996年6月4日号
<本誌記者タイ現地取材 秋篠宮殿下の噂のタイ美人を徹底追跡!>
・週刊新潮1996年6月20日号
<天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下>
・週刊現代 1996年8月24・31日号 
<「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」>
・女性セブン 1996年9月3日号
<紀子さまショック! 秋篠宮殿下、「ソープ見学」が発覚!>
・週刊文春 1996年12月12日号
<紀子さま同席で語られた『タイの愛人』問題>
・女性セブン 1998年9月26日号
<秋篠宮さま紀子さま「タイに女性報道」「夫婦の不仲」に肉声反論>

13 :
週刊新潮(96/4/18)
秋篠宮殿下 度重なる「タイ訪問」に流言蜚語
・ 殿下には結婚前から親しくしているタイ女性がいて、その女性に会うために
 タイに行くのではないか
・「ナマズ研究所のスタッフかアシスタントと聞いています。身分の高い女性で
 エキゾチックな美人だそうです」(学習院のご学友)
・「今度の訪問は私的な旅行になっていますが、実は殿下からもっとプライベートな日を
2、3日作ってくれないかという申し入れがありました」(宮内庁職員)
・「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていたんです。今回の旅行だって
 タイ女性とプライベート・ビーチに行くんだと聞きましたよ」(学習院のご学友)
・「困った問題ですね。このことでは両陛下もお心を痛めていることでしょう。
 タイに親しい女性がいることは間違いないみたいですよ」(陛下と同窓の会社役員)

14 :
女性セブン(96/5/2)
天皇家激震!「秋篠宮さまに親しいタイ美人」報道
・「殿下が結婚後、2〜3年経ったころですが、紀子さまと家庭内騒動が
 あったと聞いています。何でもタイ女性が殿下を追いかけて日本に来たのが、
 紀子さまに気づかれてしまったのがケンカの原因だというのです」(皇室評論家 河原敏明)
・「昨年あたりから確かに噂は広まっていました。秋篠宮さまに
 タイの彼女がいるという噂がね」(現地の日本人商社マン)

15 :
週刊新潮(96/6/27)
「秋篠宮殿下」記事への宮内庁抗議に答える 1
・重要な公務を放り出して。私的なナマズ見物など言語道断。
 そもそも、この一件を発端に、秋篠宮殿下を巡るさまざまな話が
 一気に噴き出すことになったのだ。
 本誌が四月十八日号で報じた“タイに親しい女性がいる”という話も、
 そうした中で出てきた情報に他ならないのである。
 これまでの経緯を知っている宮内庁関係者が、こう打ち明ける。
 「実は、私が秋篠宮殿下の女性問題を知ったのは、去年の暮れのことでした。
 私にその話をしてくれたのは、ある宮家に仕える奥向きの職員です。
 二人も子供がいらっしゃるのに、秋篠宮には別に女性がいる。
 それも外国人の女性でタイ美人だというのです。
 しかも、一人ではなくて複数の女性と付き合っているということでした。
 初めは、“まさか”と思ったのですが、やがて、そのために紀子さまとも夫婦喧嘩が絶えず、
 紀子さまが、“もういい加減になさい”とやり返す場面もあったという話も聞えてきて、
 “ああ、やはり”と思ったのです」
  秋篠宮殿下の知人の一人も、引き取っていう。
 「確かに、秋篠宮ご夫妻を見ていると、何となくギクシャクしているところがありますね。
 夏に軽井沢に行かれた時に、お二人で散歩に出かけられたのですが、
 殿下が突然、“先に帰る”といって帰ってしまわれたことがあった。
 何か気に入らないことがあり、先に戻って本を読んでいたらしいのです。
 殿下が急に帰ってしまったので周りいた人は驚いてましたが、こうしたことが度々あるのです。
 それに、殿下が紀子さまのご両親に対して気を遣わないことを心配している取巻きもいます。
 学究肌の川嶋教授を殿下が敬遠されているようなのです」

16 :
週刊新潮(96/6/27)
「秋篠宮殿下」記事への宮内庁抗議に答える 2
  で、問題は、その川嶋教授が天皇陛下を御所に訪ねて、苦言を呈した事実が
 あったかどうかという点だが、先の宮内庁関係者によれば、
 「川嶋教授が、四月に秋篠宮の女性問題が報じられた後に、陛下に会っているのは間違いない。
 宮内庁では、年初の挨拶以来、一度も会っていないといっているようですが、
 陛下がプライベートな時間に誰とお会いになっていたかは、奥向きの話であって、
 表にいる宮内庁職員は把握していない事柄なんです。
 かねてから、川嶋教授は何かあれば御所にいらっしゃいましたが、
 去年から今年にかけては以前より頻繁になっているとういうことは、ハッキリ聞いています。
 川嶋教授は去年以降、御所に三度いらしているということです。
 特に一回目と三回目はシリアスな内容だったようで、
 その三回目というのが四月二十一日に当る。
 まさに、怒鳴り込んできたという感じで、川嶋教授とお会いになられた後、
 陛下のご機嫌があまりよろしくなかったそうです。
 陛下がプライベートで人と会われるのは、土曜か日曜の午後が多く、
 その時に川嶋教授とお会いになっているということです」
  以上のような情報を得た結果、本誌は前号のような記事を掲載したのである。
 そしてその後、さらに取材を重ねた結果、四月二十一日と特定することはできなかったが、
 複数の女官や職員からも、「ともかく、四月中に川嶋教授が陛下を訪ねているのは間違いない」
 という証言を得るに至っている。

17 :
週刊文春 1996.12.12
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 1
 何しろ異例の出来事なのだという。秋篠宮文仁殿下(31)が誕生日に際しての記者
会見で、自らの「女性問題」を報じた記事に直接反論されたことが、である。会見の席
上、殿下はこうおっしゃった。
「私も週刊誌を読みましたが、根も葉もない女性問題について(笑)、いろいろ話が広
がっていってしまったわけですね。
 そういうことはまったくないことですし、火のない所に煙が立ったというか、非常に想
像力豊かな人がそういう記事を書いたんだと思いますけれども、完全に事実と異なる
報道がなされたということについては……」
 そこでしばし間を置き、語気を強めて、
「不満をもっています」
 と語られたのである。
 殿下が問題にされているのは、『週刊新潮』の記事。今年四月と六月に同誌が報じ
た内容について、わざわざ「事実無根」とおっしゃったのだ。
 しかし、記事が出てから半年以上も過ぎた年の瀬、“そういえば今年、そんな話もあ
ったな”という程度が世間の感触だろう。いまごろ何故、ご自分から蒸し返すようなお
話をされたのだろうか。

18 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 2
 コトの発端は、今年四月十七日、殿下がクリントン・アメリカ大統領の歓迎宮中晩餐会
を欠席し、私的にタイへ旅行されたことにある。タイ訪問の目的は、おなじみナマズの調
査。タイ北部の村で、メコンオオナマズの捕獲儀式を見学することになっていた。
 そもそも昨年四月に行く予定だったが、阪神淡路大震災で今年に延期されたもの。そ
こへ、二転三転したクリントン大統領の訪日が、あとから重なるという事情があった。関西
空港からバンコクへ、十七日午前に出発する予定でいたところ、この日の夜に晩餐会が
組み込まれてしまったのである。その経過については、小誌も『晩餐会欠席の理由はナ
マズ見物』と報じたのだが……。
「クリントンをとるかナマズをとるか、という論調からして間違っている。アメリカかタイか、
なんです」
 と語るのは、このご旅行に同行した東京水産大学の多紀保彦名誉教授。
「訪問は非公式でも、受け入れるタイ側の歓迎は公式行事です。二年続けてキャンセル
できないし、こちらが先約だったわけですから」
 殿下はこのときの調査を元に、文化人類学、民族学の見地からメコンオオナマズ捕獲
儀式についての論文を書かれたという。それは国立民族学博物館が出している研究報
告の次号に載る予定だ。

19 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 3
 だが『週刊新潮』四月十八日号は、『秋篠宮殿下度重なる「タイ訪問」に流言蜚語』と
題した記事の中で、こう書いた。
「殿下には結婚前から親しくしているタイ人女性がいて、その女性に会うためにタイへ
行くのではないか」 
 お相手の女性については、
「学習院の同窓で、陛下と親しい会社役員」のコメントとして、こう述べている。
「ナマズの研究所のスタッフかアシスタントと聞いています。身分の高い女性で、エキ
ゾチックなタイ美人だそうです」
 続いて、こんな匿名コメントまで載っている。
「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていたんです。今回の旅行だってタイ
女性とプライベート・ビーチに行くんだと聞きましたよ」
 記事の内容はかように、何ともショッキングだったのだ。
 タイへのご出発は、この記事が出て六日後、当然のように、女性週刊誌やワイドショ
ーが行く先々で待ち受け、物々しい旅となった。

20 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 4
帝国ホテルにいた川嶋教授
 その騒ぎは、一週間後のご帰国と共にひとまず落ちついたのだが、『週刊新潮』は六
月二十日号で追い打ちをかけた。『天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下』がその
記事。今度の内容は、以下の如くであった―。
 六月七日以来、天皇陛下が体調を崩され、静養されることになった。『前庭神経炎』と
いう病名で、原因は不明。ストレスが誘因ではないかという仮定のもと、記事はこう進む。
 陛下にとって頭痛の種といえば、皇太子ご夫妻のお世継ぎ問題に、紀宮さまの結婚
問題。しかし一番心を痛めているのは、秋篠宮殿下の一件である、と。
 記事の核心は、紀子さまの父親である学習院大学の川嶋辰彦教授が、殿下の女性
問題を問い質すために御所へ怒鳴り込み、陛下に苦言を呈したというくだり。それは四
月二十一日午後三時のことだった、と日付・時刻まで特定してみせたのである。
 前回の記事には無反応だった宮内庁だが、ここからの対応は素早く、積極的だった。
発売当日の六月十三日、鎌倉節宮内庁長官が定例記者会見の席で、
「事実無根の記事。訂正を求めたい」
 と語る、総務課長と報道室長が新潮社を訪れ、松田宏編集長に面会したのは、その
翌日。抗議は、四月十八日号の記事にも及んだ。

21 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 5
『週刊新潮』側は翌週、反論記事を掲載した。タイトルはそのものズバリ、『「秋篠宮殿
下」記事への宮内庁抗議に答える』。内容は、
「重要な公務を放り出して、私的なナマズ見物など言語道断」
 と一刀両断のもと、宮内庁関係者や殿下の知人のコメントで、女性問題の存在、殿
下ご夫妻の仲がギクシャクしていることなどを改めて強調した。
 しかし、川嶋教授が御所を訪問した日付については、
「四月二十一日と断定することはできなかった」
 とトーンダウン。

22 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 6
 宮内庁が納得するはずはない。再び発売の翌日、今度は森幸男次長が新潮社を訪
れて副社長に会い、再度の抗議。このとき、川嶋教授が鎌倉長官宛てに送った手紙の
コピーも手渡している。手紙のポイントは、三点あった。
 まず、四月二十一日に御所を訪れた事実はないこと。この日午後は帝国ホテルで知
人の結婚披露宴に出席していた。
 次に、陛下に対し、宮さまの女性問題で苦言を呈したという事実はなく、そのような気
持ちを抱いたこともないこと。
 第三に、これまでも事実と食い違う報道はあったが、原則としてそのままにしてきた。
なぜなら、ひとつの事柄を否定すれば、気づかずにいるほかの事柄を肯定していると受
け取られる可能性があるからである。
 手紙は、川嶋教授の思慮深さを窺わせる言葉で綴ってあった。
 教授の親しい知人も、
「川嶋さんは『事実でないということは、いつか相手にもわかるはずです』と穏やかに語っ
ておられた。御所へ怒鳴り込むなど、まったくありえないことです」
 と証言する。
 それでも新潮社から、訂正するとの答えは得られなかった。宮内庁側はその後、七月
十一日にも回答を求めたが、やはりナシのつぶて。
 それから四ヵ月たった十一月十八日、『週刊新潮』はようやく、鎌倉長官に宛てて文書
を出す。内容は「訂正には応じない」という従来通りのものだが、
「鎌倉長官と新潮社の常務が顔を合わせた際、改めて文書を出すようにとの要請を受け、
承諾したため」(松田編集長)
 という。

23 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 7
お心を痛められた紀子さま
 宮内庁は半年の間、執拗に訂正を求め続けた。しかもその働きかけは、最初が総務
課長と報道室長から編集長へ、二度目が次長から副社長へ、さらに長官から常務へ、
と次第にレベルを上げているのだ。しかし新潮社側は一貫して、「訂正はしない」。
 誕生日会見が行われたのは、そんなやり取りの直後だったのである。
「殿下には、記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかと
いう最終決定権があります。女性問題については、この機会に自らの言葉で話しておこ
うというお気持ちが強かったのでしょう。皇族方がご自分のお言葉で話される機会はお
誕生日会見しかないので、記事が出てから半年後になってしまったのは、仕方がないこ
と。
 一方、宮内庁には、自らの抗議ではラチが明かないため、殿下のお言葉を借りようとい
う狙いがあった。
 日頃、“宮内庁の広報”とまで揶揄される記者クラブにも、『この件だけは聞いておかな
ければ、どう批判されるかわからない』というプライドが働いた。
 三者の思惑がうまく噛み合って、あのやり取りが実現したのだと思います」(元宮内庁
担当記者)

24 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 8
 今回、記者クラブから出された質問は、四つあった。まず、今年一年で印象に残った
ことは何か。
 二番目は、眞子さま佳子さまお二人の内親王の教育について、この問いには主に、
紀子さまがお答えになった。
 四番目は、国立総合研究大学院大学から博士号を受けられたことについて。
 問題の質問は、三番目である。晩餐会欠席に批判が出たこと、宮内庁が抗議してい
る一部週刊誌の報道や、今後の公務と私用の兼ね合いをどう考えるか、お尋ねしたも
のだった。
 殿下はまず、晩餐会欠席の件について、説明された。天皇陛下や宮内庁の了解をと
っていたこと。一年延期した上、タイ政府を始め、多くの人たちが半年以上前から準備
していたという事情があったこと。公務と私用の兼ね合いについては、
「公務を優先させるべき」
 とした上で、
「宮中行事は、全皇族の日程を考慮して決められてはいません。皇族全体を対象にし
たものと、特定の皇族に限定して行われる行事がぶつかった場合、後者を優先させる
ほうがいいのではないかと思います」 
 とお答えになった。そのあとで『週刊新潮』の記事に触れ、
「宮中晩餐会を欠席してタイに行ったことの是非についての記事であれば、議論は大
切だと思います」
 と述べられて、
「女性問題は根も葉もないこと」
 と続けられたのだ。紀子さまはその間、お隣で小さく頷いておられた。

25 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 9
「一連の報道でお心を痛められたのは、むしろ紀子さまではないでしょうか。不仲とま
で書かれたわけですから。会見のお姿も、少し窶れられたような印象を受けました」
 と、川嶋家の知人は言う。
 ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた十一月三十日の夜、御所では殿下の
誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、
紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さま
の成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)

26 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 10
愛人と目された女性も困惑
 とはいえ、問題の女性が存在するのかしないのか、やはり気になるところではある。
『週刊新潮』側はもちろん、「報じた内容じゃ間違いない」(松田編集長)という立場。
 これに対し多紀名誉教授(前出)は「ありえない」と断言する。
「お相手と目されている女性は、半分は私の教え子のような研究者です。夫のある身
ですし、彼女もとても困っているんです」
 四月のタイ行きに同行した、別の研究者の証言。
「あのころ宮さまと、『きちんと文書で反論しようか』と話し合いもしました。しかしそれを
やれば、かえって騒ぎが大きくなると考えて、やめたんです。
 結果として、今回ご自分の言葉で話されたことは正解でしたね」

27 :
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 11
 会見の評判は概ね良好だ。
宮内庁関係者の話。
「二十分の予定の会見が、四十分に延びました。和やかな雰囲気でしたが、あそこまで
踏み込んでしっかりしたお答えがあるとは、記者たちも考えていなかったようですよ」
 皇室評論家の岸田英夫氏は、こう感想を述べる。
「美智子皇后や雅子妃のように記者の質問に文書で答えるのでなく、記者たちを前にご
自分の考えを述べられたのはとてもよかった。出版者に対しての直接の抗議であり、しっ
かり対応できない宮内庁への批判にもなっていました。
 当の『週刊新潮』松田編集長も、殿下がご自分の言葉でお話しになった点には意義を
認める。
「ほとんどの役所が情報公開を進めている中、宮内庁だけが時代の流れに逆らっている。
殿下ご本人があのようにお話になるのはこれまでなかったことで、国民の知る権利を満
たすし、歓迎すべきことです」
 紆余曲折あるにせよ、今度の騒ぎが「開かれた皇室」に向かう動きのひとつだとすれば、
国民にとっては喜ぶべき傾向に違いない。
 来る九日は、皇太子妃・雅子さまのお誕生日。こうした流れを受けてかどうか、どうやら
ご成婚以来初めての単独会見が実現しそうな運びとなった。皇室の歴史からいえば、こ
れまた異例中の異例だそうである。

28 :
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1230018258195.jpg

29 :
週刊新潮(96/6/20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 1
・天皇陛下が「前庭神経炎」という聞きなれない病気で、突如、ご静養されることになった。
・ある宮内庁関係者は陛下が一番心を痛めているのは、やはり秋篠宮殿下の一件だと打ち明ける。
 「川嶋教授が一人で御所を訪れたのは、四月二十一日の日曜日。秋篠宮殿下が、
 まだタイをご訪問中の時でした。この日は午後三時から、陛下のプライベートな
 アポイントメントが入っており、その相手が川嶋教授だったのです。
 もちろんこれまでにも、川嶋教授は何度も御所を訪れて、両陛下とお話や会食を
 されているのですが、この時ばかりはそんな和やかなものではありませんでした。
 有体に申し上げれば、紀子妃殿下の父親として、秋篠宮殿下の女性問題を問い質すため、
御所に怒鳴り込んで来られたようなものですから」
 教授が帰った後の陛下は、随分と沈んだご様子だったという。
・川嶋教授をよく知る学習院のOBは言う。
 「考え方が西洋的というか、周囲の状況を気にせずに、自分の思った通りのことを言う方ですから、
相手が誰であっても、その弁舌は全くひるまない。
 それはおそらく陛下に対して同じで、何か言いたいことがあって御所に赴いたとしても、
彼にとって相手が天皇であるという意識はなく、娘のご主人の親御さん、
という感覚なのだろうと思いますよ」
  実際、川嶋教授が秋篠宮殿下ご夫妻に関して、陛下に言わば「苦言」と呈したことは、
何も今回が初めてではない。
 「それは遡れば、平成2年に秋篠宮さまと紀子さまがご結婚される前にもありましたし、
長女の眞子さまがお生まれになってからもありました。でも、それも結局は、
いつも秋篠宮さまのわがままや自分勝手のため、紀子さまが辛い思いをされているためで、
火種は秋篠宮さまの方にあるんです」
 と川嶋家に近い事情通はこう語る。

30 :
週刊新潮(96/6/20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 2
 と川嶋家に近い事情通はこう語る。
 「四月二十一日の件にしても辰彦さんが心配されて、
“秋篠宮さまについて、こういう報道があるが、どういうことなのでしょうか”と
陛下にお尋ねになったと聞いています。いくら皇室に差し上げたお子様とはいえ、
それは父親として当然のことでしょう。にもかかわらず、秋篠宮さまご本人は
まったく気にしていらっしゃらないのか、その後もご友人とのお酒の席で
“ああ、ボクにはタイに彼女がいるんだよ”と公言されたという話も伝わっています。
記者会見では笑いながら“夫婦喧嘩はしょっちゅうします”と話されていたお二人ですが、
 本当は紀子さまの方が、かなり我慢されているんですよ」
 たしかに、これでは陛下のご心痛も増すばかりだろう。
 だが、仲には事態をさらに深刻に受け止めているムキもある。
さるベテラン皇室記者が語るには、
 「このままでは秋篠宮ご夫妻の仲が、ますますギクシャクしていくのではないか、
 という話は宮内庁職員や他の宮家でも、かなり以前から語られていることです。
 巷間、言われているような秋篠宮殿下の浮気が原因かどうかはわかりませんが、
 とにかくあのお宅は、家の前を通ると、殿下が紀子さまに向かって、
外に漏れるぐらいの大声で“お前は何も分かってない。もう出て行け”という怒鳴り声が
 聞こえるほどだそうです。紀子さまもたびたびお里帰りをされていますが、
 このままでは英国王室の二の舞になりかねない、という声すら出ています」

31 :
>と川嶋家に近い事情通はこう語る。
> 「四月二十一日の件にしても辰彦さんが心配されて、
>“秋篠宮さまについて、こういう報道があるが、どういうことなのでしょうか”と
>陛下にお尋ねになったと聞いています。いくら皇室に差し上げたお子様とはいえ、
>それは父親として当然のことでしょう。
週刊文春 1996.12.12
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題
宮内庁が納得するはずはない。再び発売の翌日、今度は森幸男次長が新潮社を訪
れて副社長に会い、再度の抗議。このとき、川嶋教授が鎌倉長官宛てに送った手紙の
コピーも手渡している。手紙のポイントは、三点あった。
 まず、四月二十一日に御所を訪れた事実はないこと。この日午後は帝国ホテルで知
人の結婚披露宴に出席していた。
 次に、陛下に対し、宮さまの女性問題で苦言を呈したという事実はなく、そのような気
持ちを抱いたこともないこと。
 第三に、これまでも事実と食い違う報道はあったが、原則としてそのままにしてきた。
なぜなら、ひとつの事柄を否定すれば、気づかずにいるほかの事柄を肯定していると受
け取られる可能性があるからである。
 手紙は、川嶋教授の思慮深さを窺わせる言葉で綴ってあった。
 教授の親しい知人も、
「川嶋さんは『事実でないということは、いつか相手にもわかるはずです』と穏やかに語っ
ておられた。御所へ怒鳴り込むなど、まったくありえないことです」
 と証言する。
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1230018258195.jpg

32 :
週刊文春 1996.8/15・22  1
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか?
 天皇陛下が前庭神経炎で倒れられ、突如御静養されることになったのは今年の六
月七日。
 それを受けて『週刊新潮』6月20日号は、その遠因は紀子さまの父、川嶋辰彦学習
院大学教授(56)が御所に出向き、秋篠宮殿下の女性問題について陛下に直談判し
たことにある、とやってのけた。
 ホントに川嶋教授は陛下に苦言を呈したのだろうか。
 そもそも今回の騒動の発端は『週刊新潮』4月18日号の「秋篠宮殿下度重なる『タイ
訪問』に流言蜚語」の記事。その中には、
「殿下には、結婚前からの付き合いになる高貴なタイ美人がいる」という流言蜚語が宮
内庁職員や取り巻きの間で飛び交い、件の女性に会うために秋篠宮殿下がタイ行を重
ねているという記述があった。
 さらに6月20日号で『週刊新潮』は「天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下」、の
タイトルのもと、殿下の女性問題をめぐって夫婦喧嘩が絶えず、苦悩された紀子さまが
里帰り。事態を憂慮した川嶋教授が四月二十一日に御所に“怒鳴りこんだ”と書いたの
である。

33 :
週刊文春 1996.8/15・22
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか?  2
 この報道に驚いた川嶋教授は、六月二十日、宮内庁の鎌倉節長官宛に、事実関係
にかかわる次の三点について書簡を出している。以下は少々長くなるが川嶋書簡から
の引用。
<1 本年四月二十一日には、御所に上がらせて戴いてはおりません。午後三時頃は、
帝国ホテルで催された知人の結婚披露宴に出席致しておりました。また、本年は御所
に上がっておりません。
2 (『週刊新潮』)6月20日号及び6月27日号の記事の中で、陛下に対して私が宮様の
女性問題で苦言を呈した旨、記されておりました。しかし、これまでそのようなお話を申
し上げた事は一度もございませんし、些かもそのような気持ちを抱いた事もございませ
ん。
3 数は限られているかも知れませんが、過去に私共に関して事実と食い違う報道がな
されたことがございました。そのような時私共は、原則として取り上げられた事項に関し
そのままにしておくと言うプリンシプルを大切にして参りました。何故ならば一つの事柄
を否定致しますと、気がつかないでいる他の事柄を肯定していると受け取られる可能性
がございますし、その逆の場合も考えられるからでございます。>

34 :
週刊文春 1996.8/15・22
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか?  3
 さて、コトの真相を直接、川嶋教授に伺うべくお訪ねしたが、あいにく教授は海外出
張中。
 代わって教授と親しい友人が語る。
「御所にあがったとされる四月二十一日に、川嶋さんは知人の結婚披露宴に出席して
いて、とても御所にあがる時間などなかったんです」
 去年から三回、御所に上がっているという報道もされたが。
「昨年の九月八日に、天皇皇后両陛下のお招きで、紀宮さま、川嶋夫妻の五人でプラ
イベートな会食をされたそうですが、以来、御所には上がってないそうですよ。その後も
両陛下をはじめ皇太子殿下、妃殿下の方々との私的な会食はされてますが、それらは
すべて秋篠宮邸で行われた紀子さまや眞子さまのお誕生祝の席。みなさんで十二名。
それは楽しい会だったそうです」
『週刊新潮』は再び6月27日号で、「四月二十一日とは特定できないが、四月中に教授
が陛下を訪ねているのは間違いない」
と反撃に出た。
「それならば、川嶋さんが陛下に会ったという日付を特定して示すのが報道の最低のル
ールではないでしょうか。また、川嶋さんが“御所に怒鳴り込んだ”という表現がありまし
たが、確かに川嶋さんはモノをはっきりいう人ではありますが、およそ怒鳴り込むような
人ではありませんよ」(前出・友人)

35 :
週刊文春 1996.8/15・22
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか?  4
 タイには秋篠宮殿下がお気に入りの“高貴なタイ美人”が存在し、紀子さまが殿下
の女性問題で苦悩されて里帰りされたとも報じられたが……。
「そんなこと誰がおっしゃるんでしょうか。殿下の女性問題ももちろんそれに伴う里帰
りもなくて、両殿下はとても仲がよろしいそうですよ」
 殿下のナマズ研究仲間もこう言う。
「タイ当局の警備は厳しくて、殿下の同行者の家族、たとえ大使館員の夫人が夫に
面会を求めても、それは厳しいチェックを受けます。噂されるような女性が近づける余
地は全くありませんね」
 昨年九月と今年三月にもタイ行をされたと指摘された点についても、
「昨年九月は、タイの二つの大学からいただいた名誉博士号の授与式に出席するた
め。今年三月はタイ国王のご母堂の葬儀に参列するためだったんです。一連の報道
に対して殿下は、『困った問題ですね』と漏らされていますが、一方で、『そんな女性
がいたらいいですね』なんてご冗談を交えて、一笑に付しておられました」(前出の研
究仲間)
 さて、秋篠宮殿下を巡るこの“激震”を果たしてメコン大ナマズはどう見ているのか。

36 :
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート 
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 1
 軽井沢で目撃された「異変」
  8月4日午後3時半ごろ、旧軽井沢にある「軽井沢海テニスコート」でのこと。
観覧席の最上階で、友人数名と地元のテニス大会を観戦していた秋篠宮文仁殿下(30歳)は、
ふいに席を立ち、ひとりでコートに出て、宿泊先の万平ホテルに歩いて帰り始めた。
  同じテニスコート敷地内の、すぐ目の前のクラブハウスでは、紀子様(29歳)が
一生懸命にふたりの子供の面倒を見

37 :
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート 
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 1
 軽井沢で目撃された「異変」
  8月4日午後3時半ごろ、旧軽井沢にある「軽井沢海テニスコート」でのこと。
観覧席の最上階で、友人数名と地元のテニス大会を観戦していた秋篠宮文仁殿下(30歳)は、
ふいに席を立ち、ひとりでコートに出て、宿泊先の万平ホテルに歩いて帰り始めた。
  同じテニスコート敷地内の、すぐ目の前のクラブハウスでは、紀子様(29歳)が
一生懸命にふたりの子供の面倒を見ている。通常の仲の良い夫婦であれば、
帰りしなに子育てに忙しい妻に、ひと声いたわりの言葉をかけてもよいところだろう。
だが、殿下は紀子様や愛娘の様子を見ようともせず、声もかけなかた。
  紀子様もまた、殿下のほうを見ようとしない。残された紀子様と子供たちが
 ホテルへ引き上げたのは、それから小1時間も経ってからのことだった。
  8月2日から7日まで、秋篠宮家が静養に訪れた軽井沢では、ご夫妻が一緒にいる
 ところはほとんど見られず、別行動をとる光景ばかりがあちこちで目撃されている。
 「秋篠宮殿下と紀子様の仲がしっくりいかなくなっている」
  こうした情報が盛んに流れたのは、すでに4ヶ月も前のこと。
 4月に、秋篠宮殿下がクリントン大統領歓迎の宮中晩餐会を欠席し、タイに
 私的なナマズ研究旅行に出掛けたのが発端だった。
 「タイに行くのは親しい女性に会うためだ」と、秋篠宮殿下の不倫疑惑を
 取り沙汰する噂がさかんに流れた。噂のなかには、相手の女性について、
 「タイ人でナマズ研究のアシスタント」「タイ政府の高官の娘で通訳を務めている女性」
 などと、具体的に名指しで語られたものもある。
  少なくとも戦後日本で、これほど皇族が明白な批判に晒され、さらに女性問題の噂が
 露骨に報道されるのは前代未聞であろう。噂は、皇室、および宮内庁を震撼させ、
 いまもくすぶっている状態なのである。

38 :
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 2
 「このままでは、殿下にまつわるスキャンダルがどんどん噴出して収拾がつかなくなる」
  こう危惧するのは、自民党の元重要閣僚である。
 「首相官邸には、殿下の女性に関する情報は途切れることなく入ってきていた。
 官邸では、殿下はご結婚が早すぎたのではないか、との危惧の声まであがっている。
 殿下は普通の男なら遊びたい盛りに、紀子様とご結婚して2児の父になり、
 いまや皇室の幸せな『親子像』を象徴する役割を一手に担うようになった。
 もともと奔放な性格の殿下だけに、そうした役割が重荷になっているのではないか」
  理想の夫婦、理想の家族を象徴していたはずの秋篠宮家が、まさにグラグラと
 揺れているというのである。
  それにしても、秋篠宮殿下の訪タイは、学習院大学の学生時代の85年8月に初めて
 訪れて以来、実に9回に及ぶ。しかも、本誌の取材では、これ以外に数回の隠密旅行が
 あるとの証言すらある。訪タイのなかには、新婚旅行を含めて紀子様同伴のこともあるが、
 多くは単身での訪問。89年には1ヶ月滞在したほか、過去1年間では3度もタイを訪れている。
  なぜ、秋篠宮殿下は、繰り返し、繰り返し、タイに出かけるのか。
  宮内庁を通じて示される訪タイの理由は、その都度、「私的なナマズ 研究旅行」というもの。
 ▽ホテルを脱出してソープランドを視察
  しかし、タイで殿下の警護にあたる駐タイ日本大使館関係者から聞こえてくるのは、
 思いきり羽根を伸ばす殿下の行動に対する不満だ。
 「殿下のタイでの行動には、警護の者は困惑することが多いようです。
 スケジュールを突然、変更したいといったり、とにかく行動が突発的で
 予想が付かないため、大変だとボヤいていましたよ」(全国紙バンコク 特派員)

39 :
  週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
  「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 3
 タイの日本大使館関係者から不満が上がるのは、殿下のスケジュール管理をタイ政府が
  仕切り、日本側の裁量が及ばないからである。
 また、殿下のタイご訪問には、毎回必ず日本から殿下と親しい学者たちが
  ピッタリと寄り添って同行する。そして、彼ら同行学者たちは、まるで
  殿下を囲い込むかのように常に行動を共にする。特に殿下に近しいのは、
  東京水産大学元教授・多紀保彦氏とタイの政治事情に詳しい大阪外国語大学教授・赤木攻氏。
 「多紀さん、赤木さんは、ホテルで宿泊するときも殿下のすぐ隣の部屋を占め、
  しばしば殿下の部屋に行って、深夜までお酒を飲んだりしている。
  そうした場でどんなお話をしているのか、殿下がどんな振る舞いをしているのか、
  日本大使館員にはわからないんです」(前出・特派員)
 こうした、日本大使館の目が届かないなかで、89年には秋篠宮殿下はタイ北部の町・
  ピサヌロークで、「行方不明」になり、大使館員たちがパニックに陥ったこともあった。
 この殿下の行方不明事件は、表向きはホテル内のディスコを見学にいった、
  ということにされている。が、実際に殿下が出かけていたのは、同町にある「ソープランド」だった。
 タイ人ガイドで、殿下のタイ旅行には必ず案内役として付き添うというソムチャイ・コシタポン氏
  が前もって地元警察に警備を依頼。店に連絡して貸し切り状態にして店内を見せて回ったのだが、
  日本大使館員たちは、突然、殿下を見失い、大騒ぎになっていた。
 タイのソープランドでは、ガラス張りの大部屋のなかに雛壇があり、女性が数十人ズラリと並ぶ。
  通常、客は雛壇の女性を選んで指名し、店内の個室に連れて入るか、ホテルに女性を連れ帰る。
「殿下はガラス越しに雛壇を見て回り、説明を聞き終わった後、ポツリと『わかった。もう帰ろう』と
  いって、つかつかと店を出ていった。ただ社会勉強のためにシステムを説明しただけで、
  断じてそれ以上はなかった。とにかく私は、行動が自由にならない殿下に、システムだけでも
  教えてあげたかっただけなんです」(ソムチャイ氏)

40 :
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 4
  もちろん、肝心のナマズ研究には熱心に打ち込んでいることは事実である。
 現在の研究テーマは、ナマズの系統分類である。殿下は学習院幼稚園時代から
 生物に興味を持ち、ピラニアや青大将を飼育していた経験もある。タイでは
 生き生きと、ナマズの捕獲・研究に打ち込む。
 ▽時には激しい夫婦喧嘩も
  ところが、こうして熱心に打ち込んでいるナマズ研究にも、日本の外務省
 はじめ政府関係者のなかには眉をひそめる者もいる。
 「気に入ったナマズを見つけると、すぐに持って帰るといってきかない。
 研究熱心なのは結構だが、あれほど自分を通されては、周囲は振り回されるばかりだ。
 また、殿下は私的な調査旅行のつもりでも、タイ国では『国賓』としてもてなされるし、
 ナマズ調査も外交の一環としてみなされるんです。タイに恋人がいるという噂が流れるのも、
 殿下の振る舞いを快く思っていない人もいるからでしょうし、自重していただかないと
 困るのです」(前出・元重要閣僚)
  いっぽう、紀子様は、どんな気持ちで殿下の「奔放な行動」を見つめているのか。
  殿下と紀子様の関係を語る際にしばしば引き合いに出されるのは、宮内庁担当記者の
 複数が打ち明ける、次のような有名な「伝説」である。
 「92年の夏、赤坂御用地内のグラウンドで宮内庁職員と天皇家とで親善ソフトボール大会が
 開かれたが、秋篠宮殿下は、ゲームに参加せずに、応援席で昼間からビールを次々に空けていた。
 酔っぱらって、女性職員をからかう秋篠宮殿下を見て美智子皇后が一度たしなめたが、
 殿下はやめない。皇太子殿下がみるに見かね

41 :
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 4
  もちろん、肝心のナマズ研究には熱心に打ち込んでいることは事実である。
 現在の研究テーマは、ナマズの系統分類である。殿下は学習院幼稚園時代から
 生物に興味を持ち、ピラニアや青大将を飼育していた経験もある。タイでは
 生き生きと、ナマズの捕獲・研究に打ち込む。
 ▽時には激しい夫婦喧嘩も
  ところが、こうして熱心に打ち込んでいるナマズ研究にも、日本の外務省
 はじめ政府関係者のなかには眉をひそめる者もいる。
 「気に入ったナマズを見つけると、すぐに持って帰るといってきかない。
 研究熱心なのは結構だが、あれほど自分を通されては、周囲は振り回されるばかりだ。
 また、殿下は私的な調査旅行のつもりでも、タイ国では『国賓』としてもてなされるし、
 ナマズ調査も外交の一環としてみなされるんです。タイに恋人がいるという噂が流れるのも、
 殿下の振る舞いを快く思っていない人もいるからでしょうし、自重していただかないと
 困るのです」(前出・元重要閣僚)
  いっぽう、紀子様は、どんな気持ちで殿下の「奔放な行動」を見つめているのか。
  殿下と紀子様の関係を語る際にしばしば引き合いに出されるのは、宮内庁担当記者の
 複数が打ち明ける、次のような有名な「伝説」である。
 「92年の夏、赤坂御用地内のグラウンドで宮内庁職員と天皇家とで親善ソフトボール大会が
 開かれたが、秋篠宮殿下は、ゲームに参加せずに、応援席で昼間からビールを次々に空けていた。
 酔っぱらって、女性職員をからかう秋篠宮殿下を見て美智子皇后が一度たしなめたが、
 殿下はやめない。皇太子殿下がみるに見かねて注意したら、秋篠宮殿下が、『そんなに堅いこと
 ばっかりいって』と、皇太子殿下に言い返したというんです」(全国紙元宮内庁担当記者)
  温厚な皇太子殿下の顔色がサッと変わり、その表情の険しさに周りは 息を呑んだという。
すかさず紀宮様が「(お兄さん)やめなさいよ」と割って入り、なんとか収まった。
 ところが、紀子様はすぐ横にいたにもかかわらず、秋篠宮殿下をたしなめるでもなく、
 見ているだけだったという。

42 :
あたいが正室でお腹様です。アーヤ殿下何ぞ皇室離脱してください。
後の皇室ははあたいが全部仕切りまですで存じます。

43 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
  紀子さまのルーツとその人々 1
  すべては わらぶき屋根の家から始まった
 大祖父のふるさと・和歌山県清水町は人口6千人の静かな山村。
 紀子さま誕生までの足跡と、新ロイヤル・ファミリーの知られざるプロフィール。
 昨年12月、紀子さまが家族とともに訪ねられてから、和歌山県清水町は
“紀子さまの里”として、すっかり有名になってしまった。
「せんだっても大阪から団体の観光客がバスをつらねてきましたわ。紀子さんの実家を
教えてほしいいう人が、あんまり多いんで、松浦さんも家のことは教えないでくれというてますわ」
 そう地元の人は苦笑いする。
“松浦さん”とは、紀子さまが泊まられたわらぶき屋根の家のご主人・松浦朗さん(55歳)。
紀子さまの大祖父。川嶋庄一郎さんの生家の現在の当主である。
 川嶋家はもともと和歌山市内の大庄屋であったが、庄一郎さんは清水町の農家松浦家から
婿養子に入った人だったー。
 和歌山県有田郡清水町は有田川の上流の深い山々に囲まれた小さな町。人口は6000人。
町の9割が山林で、一昨年、町内に初めてたったひとつの信号機が設置されたときは、
珍しさから、子供たちの見学がしばらく続いたというところーそこが、紀子さまの
ルーツの地であった。
「(紀子さまは)小学校6年の冬休みに1度、来ましたので、去年は、かなりなつかしがって
いました。とても喜んでいましたね…」
 紀子さまを迎えた松浦朗さんは農作業の手を休めて、そうつぶやいた。だが、それ以上は
語ろうとしなかった。水田が6反、ほかに、大根、キャベツ、ほうれん草なども栽培。
出荷しているのはお茶だけだという。川嶋辰彦さん(50歳)のまたイトコにあたる朗さんの
母・良子さん(74歳)が話してくれたひと言が、松浦さん一家のすべての思いなのかもしれない。

44 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
  紀子さまのルーツとその人々 2
「神さまのように思っていた天皇家は身内のものが嫁ぐなんて夢みたいです。辰彦さんは
小さいころと、東大に合格したあとは2〜3回いらした程度で、ふだんは年賀状のやりとりが
あるくらいです。でも、去年みえたときは、裏のお墓をお参りしていただいたり、こんなに
遠縁でも親しくしてもらってありがたいことです。遠い人になってしまうんだなあ、もう
会うことはありえんわなあと思うと寂しい。だからこそ、紀子さんのことは大事に大事に
胸の中にしまってあるんです」
 紀子さまの大祖父・庄一郎さんは明治3年4月、松浦平吉さんの次男として生まれた。
 幼名は力松。寺子屋では1度教わったことは忘れなかったことから“袋耳の力松”と
呼ばれていたという。父の平吉さんは若くして亡くなり、母・かつのさんの手で育てられたが、
その秀才ぶりは村誌に、
《天資英明、遠く衆童に勝れしは人口の膾炙する所にして、母に事ふること至って厚く、
常に近隣の人をして驚嘆せしめし程なり…》
 と、記載されているほどだ。
 庄一郎さんは、やがて東京高等師範学校を卒業した明治27年、川嶋志まさんと結婚、
川嶋家の婿養子となる。
「農地改革で土地をとられるまでは、それは広い田畑を持つ大地主やったね」
 紀の川のほとり、和歌山市府中の古老はかつての川嶋家をそう振り返る。いまは府中地区に
「川嶋山」という地名は残っているのがわずかな面影だが、教育者としての庄一郎さんの
足跡は輝かしいものだった。
 京都、富山、滋賀の師範学校で教べんをとり、やがて、学習院教授、学習院初等科長、
奈良市版学校長をつとめた。
 晩年は和歌山に戻って隠居生活。近所の人の話によれば「いつも頭巾をかぶり袴に前だれ
という水戸黄門のようないでたちで庭の畑を耕していた」という。

45 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
  紀子さまのルーツとその人々 3
 紀子さまの祖父・川嶋孝彦さんも和歌山市の出身。旧制一高から東京帝大法学部に進み、
旧内務省入りしたエリート官僚であった。
 内閣統計局長、参議院人事委員会専門員などを歴任したが、昭和33年、国会図書館
専門調査員の仕事についていたとき亡くなった。61歳であったという。
 妻の紀子(いとこ)さん(83歳)とは見合い結婚。紀子さんは大正2年から10年間、
大阪市長を務めた池上四郎さんが父であり、9人きょうだいのいちばん末娘(六女)だった。
池上家は元会津藩士というお家柄だという。
 孝彦さんとの間には3男2女が誕生。だが長男の啓一さんは1歳で亡くなった。
長女が小菅宮子さん(61歳)、次女が佐藤豊子さん(58歳)、次男が紀子さまの父・辰彦さん、
三男が川嶋行彦さんである。
 紀子さまの母方の祖父・杉本嘉助さん(75歳)は、脊椎矯正器具の開発で特許を持ち、
昨年まで整体治療院を開いていたが、もともとは旧南満州鉄道の技術者であった。
 静岡で家具製造業を営んでいた杉本吉太郎さんは、嘉助さんを木工職人にし、家業を
継いでほしいと考えていたといわれるが、
「成績が優秀で、学校の先生のすすめもあり、地元の工業高校から、横浜工業専門学校
(現在の横浜国立大学工学部)へ進んだんですよ」
 と、嘉助さん宅の近所の人は話す。
 紀子さまの祖母・栄子さん(74歳)の父・服部俊太郎さんは旧満鉄の副参事で、嘉助さんの
上司であった人であるという。嘉助さんとの間には2女が誕生。長女が紀子さんの母・和代さん
(48歳)だった。
「ご両親が物静かでとても礼儀正しい方なんです。そのせいか和代さんもおとなしい人で、
道で会うといつも会釈してくれました」
 と小さいころの和代さんを知る地元の人は話す。また、杉本家は教育熱心な一家としても
評判であり、和代さんと、3歳違いの妹・育代さん(45歳)もともに静岡の名門女子高・
静岡英和女学院で中学・高校を過ごした。

46 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
  紀子さまのルーツとその人々 4
「学校までは4キロほどあったんですが、和代さんは毎日1時間かけて歩いて通学していました。
頑張り屋さんで、成績はトップクラス。英語はなかでも得意だったと思います」
 静岡英和女学院での同級生はそう話していた。
 その後、東京の昭和女子短期大学英文科に学んだが、そのとき知り合ったのが、
東大経済学部に在学していた辰彦さんだった。
「道を歩いていて石をけとばしたら女房に当たった」
 と。ふたりのなれそめを聞く友人に、辰彦さんはこんなふうに話したことがあるという。
ときには和代さんは研究室を訪れ、辰彦さんの論文の整理などのお手伝いもした恋愛時代をへて、
ふたりは昭和39年10月、結婚。
「辰彦さんはまだ大学院の学生で、和代さんが近所の子供たちの家庭教師をして生活を支えて
いらしたんですよ」
 そう、和代さんの同級生は振り返る。
 辰彦さんは東京都立戸山高校から東大経済学部、東大大学院を経て米国のペンシルバニア大
大学院に留学、博士号を得った。ペンシルバニア大大学院で助教授をつとめたが、昭和48年に帰国、
学習院大経済学部の助教授に迎えられ、昭和51年、36歳の若さで教授となった。
 専門は「交通経済学」で『道路交通需要の将来予測』『都市化現象と都市分析』などをはじめ、
50をこえる著書や論文がある第一人者である。
 また、環境問題や人口問題などを研究している国際応用システム分析研究所にも所属し、
昭和52年から54年まではオーストリアのウィーン郊外にある研究所の主任研究員として赴任もした。
 学習院大での辰彦さんは「やさしい」と評判の教授。
「授業より大切だと思うことがあれば、そちらを優先してください」
 そう、ニコニコしながら話し、
「笑っていれればみんな幸せですから、笑っていられるようにみなさんにAを差し上げましょう」
 ということがしばしば。

47 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
  紀子さまのルーツとその人々 5
 辰彦さんの弟・川嶋行彦さんも学習院大経済学部の助教授を経て、東京国際大学商学部教授。
現在は同大のアメリカ校(米国オレゴン州)に赴任しているが、講義は辰彦さん同様、学生たちの評判のマト。
「黒ぶちメガネに髪は坂本竜馬のようなオールバック。いつも風呂敷包みに袴をはいて教室に来ますので、
学内で知らない人はいないという名物教授です」
 と、東京国際大の卒業生は話す。出席は「あまり重視しません」ということだが、学生で
教室はいつも満員。それだけ人気もあったという。
 また、辰彦さんもふたりの姉も、そろって学者に嫁いでいる、
 長姉の宮子さんの夫は、東京・小平市にある白梅学園短期大学保育課教授の小菅茂雄さん。
 すぐ上の姉・豊子さんは、元専修大学文学部教授の佐藤英一郎さんと結婚、教育学を専門とした
佐藤教授だったが、昭和58年9月に亡くなった。
 紀子さまの祖母・紀子さんのオイには京都大学掲載が国教授の池上惇さん(57歳)もいて、
まさに川嶋家は学者一族である。

48 :
2012/03/03(土) 20:06:57.94
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
  紀子さまのルーツとその人々 6
 昨年7月末、紀子さまはご家族、祖父母の杉本嘉助さん・栄子さん夫妻、親戚一家と旅行なさっている。
お出かけになったのは静岡県伊豆の湯ヶ島の吉奈温泉・東府屋旅館。ここもまた、紀子さまのご親戚だった。
「紀子さんとはそのとき会うのが初めてでした。おじさん(杉本嘉助さん)から“おてんばで活発”と
聞いていたんですが、まったく印象は違いました」
 そう話すのは東府屋旅館の“若奥さま”城所由佳さん(23歳)。由佳さんは昨年3月“若主人”の城所達也さん(29歳)
と結婚したが、由佳さんの父親が嘉助さんのイトコで、紀子さまとは“またイトコ”にあたる。
「うちには“子宝の湯”という露天風呂があって紀子さんも入られました。お風呂に入るときも
浴衣姿でお辞儀をされたのを覚えていますが、その浴衣姿がとても可愛らしくお似合いでした」
 と由佳さんはいう。
 名物のキジ鍋とシシ鍋を召し上がり、親戚そろっての楽しい一夜を過ごした翌日、達也さんは、
直営のキジの飼育園へ紀子さまのご一家を案内された。現在約6千羽が育てられている。
「私が“ときおり突然変異で白いキジが生まれることがあるんですよ”と説明し、お見せしたところ、
紀子さんと、弟の舟くんが、むずかしい遺伝学の話を始めたんです。やはり、学者一家だなあと、
そのとき思いました」
 と、達也さん。
 由佳さんが礼宮さまと紀子さまのご婚約を知ったのは、実家の母親からの「新聞をみてごらん」
という電話でだった。
「もうびっくり。でも、ここへいらしたとき紀子さんは“おじいさまを今後ともよろしくお願いします”
と、私にごあいさつされたんです。いま思えば、これからはおじいさんともなかなか会えなくなるので、
そんなふうにおっしゃったのではないでしょうか。
 私は紀子さんとは同じ年の同じ月の生まれなんです。でも、私よりとても落ち着いていて、笑顔も
本当に素敵でした。でも、私もいわれるんですよ。笑ってるときがいちばんいいって…」
 由佳さんはさわやかな笑顔をみせた。どことなく、紀子さまに似た笑顔だった。

49 :
神一行 改訂新版『閨閥』(角川文庫)
http://megalodon.jp/2012-0419-1252-03/www.dotup.org/uploda/www.dotup.org2880231.jpg
 さて、その雅子さまの実家の小和田家であるが、そのルーツは現在の
新潟県村上市を治めていた村上藩内藤家五万石の下級武士の出身だ
ったようだ。代々、下横目(目付)、奥方付きお庭番などの役職につき、柔
術「制剛流」の達人の家柄だったというが、はっきりした系譜は曽祖父に
あたる金吉からしかわかっていない。
>はっきりした系譜は曽祖父にあたる金吉からしかわかっていない。

50 :
川口素生『小和田家の歴史』
 
 さて、江頭豊氏の祖父・嘉蔵氏は明治維新までは肥前佐賀藩主・鍋島家の家臣
であったといわれる。ところが、明治初年の二種類の佐賀藩 侍着到(註=現代の
出勤簿に相当)には嘉蔵氏の名が見えない。これについて、豊氏の甥(優美子さん
のいとこ)にあたる作家の江藤淳(本名江頭淳夫)氏は、嘉蔵氏は佐賀藩の「手明
鑓」と呼ばれるクラスの藩士ではなかったかと推測している。「手明槍」は平時は無
役だが、戦時には槍や具足を携えて戦場に赴く者たちを指す。江戸時代中期以降
は無役だった「手明鑓」も藩の役職に採用されたし、幕末維新期には多くが鉄砲を
担当して活躍したといわれる。ただ、嘉蔵氏以前の系図や史料が現存していないた
め、嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
明治維新前後、嘉蔵氏は家族とともに肥前佐賀郡北川副村木原(現=佐賀市北川
副町木原)に移り住んだ。
    (  中        略  )
 範貞少年、安太郎少年が学齢期を迎えた頃、父・嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校
(現=佐賀県立佐賀西高等学校)に小使として勤務していた。
 嘉蔵氏の生年はわからないが、安太郎少年が生まれた頃、すでに四十数歳であっ
たといわれる。

>嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
>嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校(現=佐賀県立佐賀西高等学校)に小使として勤務していた。

51 :
ここは紀子妃殿下のスレ
雅子の話はこちらでそうぞ
【雅子妃】皇室における東宮問題を語りつくす【小和田家】★57
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1332511849/

52 :
話題逸らしが来たのでもう一度
>>43-48
週刊女性 1990年7月?日増刊ムック 礼宮さま紀子さま青春華燭
<紀子さまのルーツとその人々>
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1331531580963.jpg
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1331534304264.jpg

53 :
>>2
◆秋篠宮ご夫妻、ダンゴ虫帝王学と「多忙な秋」 (サンデー毎日 2011/09/18)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1334792857814.jpg

54 :
ダンゴ虫?帝王学?なんじゃそりゃ〜

55 :
ttp://jisin.jp/image?mode=show_image&cb_image_id=56846
女性宮家へ激震!雅子さま「砕かれる母の希望」、紀子さま「膨らむ未来」
   ◆ 学習院初等科、雅子妃、愛子内親王、皇室典範、宮内庁
女性自身(2012/05/15), 頁:49

56 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■テレビが好きだった父・辰彦さんが自戒を込めて一大決心
川嶋家にはテレビがないー。
 これはあまりにも有名な話。かつて、テレビの有無が家庭の裕福さを示すバロメーター
になっていたが、今日では、あえてテレビを置かないところに、主体性とともに優雅ささえも感じられる。
「うちは教育面を考えて、テレビは置いてないのよ」
 紀子さまは学習院の同級生や友人によくそう話されていたが、弟の舟さんにいわせると、
多少ニュアンスが違ってくる。
「うちのテレビは押入れの中に置いてあるんだ」
 と、友人にもらしていたという。
 母・和代さんは、その理由を、やはり「教育的配慮から」と熱弁されていたが、本当の
“テレビ追放”の理由は、意外にも父・辰彦さんにあったようだ。
「私はテレビが大好きなんです。だから、テレビを見始めたら途中ではやめられない。
時間がとってももったいない。短い人生なのだから、テレビに大事な時間をとられず、
また、テレビに自分を縛られることなく、主体性を持って行動したい。本をたくさん読んだり、
音楽を聴く時間を失いたくない。もちろん、子供たちにもたくさんの本を読ませたい…」
 辰彦さんの一大決心だったが、紀子さまも舟さんも、その“テレビのない生活”に、
不満をもらされることはなかった。
 その紀子さまが、新聞が<ご婚約固まる>という報道をした昨年8月26日以降、報道陣に囲まれ、
自宅を容易に出られなくなったことから、初めて、
「テレビが見たいわ」
 と口にされた。友人に電話で話した言葉で、自分がどのように取り沙汰されているのか
お知りになりたかったようである。
 ともあれ、辰彦さんの一大決心はしっかりとした教育方針を形づくっていった。
「私どもは精神の自由、主体性、創造性を重きを置く教育をしてまいりました。しかし、
帰結に対しては自らの責任で甘受できる器となるような教育をしてまいりました」

57 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>

「肌の色の違いや国境を超える人間に育ってほしい」
紀子さまとテレビの最初のかかわりは6歳のとき。静岡に住む母方の祖母・杉本栄子さん(74)は、当時のことを次のように語ってくれた。
「紀子が両親とともにアメリカへ渡ったのは1歳のときで、戻ってきた6歳のときに、ここで3ヶ月ばかり一緒に暮らしました。
 そのころの紀子は、日本語を十分に理解できませんでしたからテレビにはほとんど興味を示しませんでした。
ただ、英語番組のセサミーストリートは喜んで見ていましたね。
 弟の舟はテレビの前でそりゃ大騒ぎ。大喜びしてテレビを見てるんです。あまりに喜ぶんで、
和代に聞きましたら、テレビを見せてない、というんです。それであの喜びようが納得できました」
 紀子さまのアメリカ生活は1歳から6歳までの5年間。すでに、川嶋家の教育方針は打ち出されていた。
「うちは学者ですから、なんの財産もありません。唯一あるとしたら、アメリカやオーストリアでの貴重な海外生活が財産だと思っています」
 と、和代さん。アメリカでは、「肌の色の違いや国境を超える人間に育ってほしい」という思いを込めて、
さまざまな国籍の子供たちが学ぶ公立学校へ、あえて紀子さまを入学させた。アメリカ、オーストリアといった
2度にわたる海外生活で、紀子さまは語学力とともに国際感覚をしっかりと身につけられたようだ。
多方面に積極的に出ていかれる行動力も、ご両親の教育方針によるといって間違いない。
 辰彦さんの姉・佐藤豊子さんが語る。
「弟夫婦は、それはそれは紀子と舟を可愛がっておりました。弟は学者で、お金はすべて本に変わってしまいます。
だから、子供に残せるものはないからと、テニス、スキー、乗馬と、いろんなことをやらせていました。
紀子が積極的にいろんなサークルに参加するのを心強く思っていたようです」
テレビだけではなく、塾には通わせず、マンガや雑誌もおかない主義。“まじめで”“礼儀正しく”“温かく”
をモットーに紀子さまを育てたご両親。そこには教育者の家系・川嶋家の血が脈々と流れている。

58 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
 父・辰彦さんの生活ぶりにも、それははっきりとあわられていた。
「子供のころから人付き合いがよく、人の気をはずさない子でした。外交官になればよかった、と
よくいっていたものです」(佐藤豊子さん)
 だれに対しても物腰が極めて丁重で、学生にも人気がある。タバコは吸わず、昨年9月、婚約発表直前に
剃り落した頬ヒゲは個性的なうえに穏やかな雰囲気を漂わせていた。
「紀子には皇族としての責務をしかと自覚し、自覚のもとに自重し、自覚にてらしあわせ両陛下に対して
尊敬申し上げ、礼宮さまのご指導のもとに新しい家庭、宮家の中で、気負うことなく人間性を結実してくれれば
と願っています」
 皇室会議でご婚約が正式に決定したその日、辰彦さんの嫁ぐ娘に贈る言葉も、川嶋家の教育方針に
しっかりと裏づけられていた。

59 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■生活は質素に。川嶋家の財産は“家族”そのもの
一方、母・和代さんについて、古くからの友人は、
「とにかく本当に家庭的なんです。布地なんか買って来て、自分のものや紀子さんの洋服を仕立ててますよ。
学生時代から地味で堅実な生き方をする方です」
 と、そっと教えてくれた。
 まだ、紀子さまと礼宮さまのさわやかな交際が始まって間もなくのころ、
「とんでもない。家柄も格式も全く違います。そんなことあるわけありませんよ」
 和代さんは、質素でごくふつうの家庭を強調していた。
 学習院大学経済学部教授という社会的地位に比べ、収入は「国家公務員の給与水準よりやや高いぐらい」で、
約800万円ー。
「家族がみんな健康で仲よく暮らしているというのが、環が家庭最大の財産です」
 辰彦さんは大学の講義で笑っていたというが、このご両親だからこそ、主体性のある子育てが実行できたのだろう。
 和代さんはもちろん“母”としての教育も決して忘れなかった。
「根本的には夫の考え方に賛成ですが、あまりに自由すぎるのもどうかと存じます。私はある程度は規制を持って、
ときどき厳しく娘と接してきました。自分を主張することも大事ですが、人の和も大事であることを理解できる
ような子供にしたいと願ってきました」
 その言葉どおり、紀子さまは健やかに成長されていった。
 帰国後、日本語にはかなり苦労したが、いつも明るく振る舞い、ハンディキャップを克服。
あのゆっくりと落ち着いたていねいな話し方でもわかるように、かつて紀子さまに
インドネシア語を教えた先生は、「ほかの学生じゃ敬語もろくに話せない」と、留学生の世話を紀子さまに頼んだという。
「学業も優秀でした。心理学の学生はカリキュラムでいろいろな実験をしたり、構内でインタビューしたりするんですが、
そういうことにも実に熱心で積極的でした。とにかく一生懸命している、そういう面が目立つ存在でした」(学習院大学文学部教授)
 テニスでは、サーブ1球を打ちこむごとに相手に会釈なさるなど、謙虚な奥ゆかしさも忘れなかった。

60 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
 ■母・和代さんが自ら実践した行動力と頑張りを目標に
 礼儀正しく、しとやかで、成績優秀ばかりではない。紀子さまは無類の頑張り屋。このあたりは
母・和代さんに似たのだろうかー。
「礼宮さまとのご婚約が内定してからも、早朝、学習院大学の構内をジョギングする紀子さんの姿が見かけられました。
Tシャツにスウェットパンツ。髪を後ろで束ね、右手に白いタオルを握りしめて黙々と構内を4〜5周するんです。
このジョギングは高校時代からずっと続けてるんですからすごいですよね」(女子高等科時代の同級生)
 さらに、行動的。母・和代さんは紀子さまの英会話再教育で、次のような一面を見せた。
「帰国後の紀子さんは英会話のチャンスが少なく、それを心配した和代さんは、いい英会話の相手を探そうと
目白駅前へ毎日出かけたんです。そこで、“私は怪しい者ではありません”と前置きして“娘の家庭教師になって
くださいませんか”と話しかけたんです。結局、聖心インターナショナルスクールの方を見つけられて…。
控えめと思われていますけど、いざとなると行動力があるんですね」
 と和代さんの高校時代からの知人。
その母を見習って、紀子さまも行動範囲を広げ、ボランティア活動に参加された。高等科時代は、
ハンセン病患者のための募金活動に走り回り、大学時代には、手話を学び、国文学で習った沖縄の『琉歌』を
自分でも詠むようになった。そして、東南アジア青年の船では、琉球舞踊の『貫花』を踊り、周囲の人々を感心させた。
「彼女が福祉関係の話をよくしていたのを覚えています。人助けになるようなことを将来していきたいっていってました。
“青年の船”の写真を見せてくれて、“苦しんでる人を助けてあげたいなあ”って、真剣な表情で話していましたね」(大学時代の友人)
 父・辰彦さんとともにヨーロッパへ旅行されたときは、アムステルダムでアンネ・フランクの家を見学して
カルチャーショックを受けられたようだ。
「もっともっと、私たちは世界で起きたことを知らなくっちゃね」
 紀子さまの社会への関心は限りなくふくらんでいった。

61 :
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
「大学院では老人の生きがいについて心理的なアプローチをしていました。紀子さんは研究をムダにせず、
しっかり生かしてボランティア的仕事につこうとしていたようです」(大学院の仲間)
 音楽でいえば、チターの演奏の腕は素晴らしい。チターとはドイツ南部やオーストリアの民族楽器で
約30本の伴奏用の弦を弾いて奏でる楽器。
 演奏歴は和代さん、辰彦さん、紀子さまの順だが、ここでも、
「お母さまが目標よ」と、母親ゆすりの頑張りでめきめきと上達された。
 ■「動物でも人間でも、手をあげなくても教育はできます」
 川嶋家の子育ては、紀子さま同様、弟の舟さんを見てもわかる。
「わからないことがあったら
舟に聞けっていうほどです。全学科の成績が優秀でクラスで1,2番。成績だけではなく、性格もいい。
いつもニコニコしていてとても穏やか。今回のことだって、うちのクラスからも皇族が出るかなあ、なんて
冷やかしたんだけど、ニコニコ笑ってました」
 舟さんの学友がそういうように、川嶋家の教育方針は徹底している。
「彼は、中学時代は古武道部にいてマネージャーをしてました。ちゃらちゃらしたり、ふざけたり、
そんな面は全くなく、実に誠実。流行を追うタイプでもありません。たとえば彼の筆箱。青色のカンの
ケースなんですが、たしか小学校のときから使っている物だと思います。実に質素で、ムダ遣いをしませんね」
 舟さんもやはり、健やかに育っている。頭脳明晰のみならず、のびのびと明るい性格。
しつけは厳しいが、こうして成長された紀子さまも舟さんも、両親から1度として叩かれたことがない。
「動物でも人間でも、手をあげなくても教育はできます」
という辰彦さんの信念からだ。だからといって甘やかすのではない。紀子さまは一見おっとりしているように見えても
実は頑張り屋で、芯が強い。ここに、川嶋家の独特の教育があるのだろう。
 ご両親は、家族同士のふれあいをとても大切にされてきた。お互いを思いやる心を育ててきたともいえる。
“テレビのない家庭”の本当の意義は実はそこにあるのではないだろうか…。川嶋家のご両親の
教育方針には学ぶことばかりである。

62 :
週刊女性 1990年7月?日増刊ムック 礼宮さま紀子さま青春華燭
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1335482137021.jpg
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1335482227641.jpg

63 :
NHKの受信料払うのが嫌で押入れにTV御隠しにしていたことと存じます。

64 :
汚我堕ぢゃあるまいし

65 :
>>63
ちゃんと読め>>56

66 :
次期天皇皇后両陛下
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ttp://cache.daylife.com/imageserve/01FFeaj5NT0cw/999x.jpg
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ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1242218434353.jpg

67 :
age

68 :
青春華燭物は言いようだ。美辞麗句

69 :
紀子さま

70 :

φ(゜゜)ノ゜文春!?

71 :
きっこってブロガーが紀子さまdisりしてたよな
妊娠中絶だとか 親父が宮内庁に怒鳴り込んだとか

72 :
本当の事だだから( ´,_ゝ`)プッ

73 :
誰それ

74 :
う〜ん紀子さまかー
あまり女性受けしないのは最初からだね〜
皇族になりたくて狙ってたってあの頃皆言ってた(特に女友達)
普通に可愛い子だったけどね。
TVで男性キャスターやらゲストがいつも(^^)ニコニコして可愛い
って言ってたが別の女性ゲスト2人がな〜んか嫌われる女のタイプ
って言って、ソレからその2人TVに一切出なくなったの覚えてる。
結構お馴染みのコメンテーターだったけど・・・・・

75 :
名前出しなよ。

76 :
嫌われるんじゃなくて、
性格悪い女から妬まれる。

77 :
既婚女性板と女性板で紀子様大人気だよ
むしろ皇太子妃の方が嫌われてる

78 :
名前忘れちゃったんだよ言った人の・・・・
紀子さまは2ちゃんのアイドルです。

79 :
>>77
既婚女性板と女性板探したけど、紀子さんが大人気のスレなんて1つも無かったよ。

80 :
明日>>1に女性セブンも仲間入りしそうな悪寒
伊勢神宮臨時祭主を巡り美智子さま戸惑わせた紀子さまの「それなら私が!」
   ◆ 天皇、美智子皇后、エリザベス英女王即位60年記念式典
女性セブン(2012/06/07), 頁:24

81 :
>>79
皇室御一行様★part2349
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1337690821/
秋篠宮様・紀子様と親王様・内親王様大好きスレ32章
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1334987359/
【比較】紀子様vs雅子様90【アンチ雅子様集合】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/wom/1329112578/

82 :
>>81
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1337690821/
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/wom/1329112578/

これ、ほとんどが雅子さまの話題で紀子さまのことなんてほとんど語られてないじゃん。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/wom/1329112578/

個人ブログの転載ばっかり。
ファン同志の会話とか全然ないし、全く活気のないスレッドですね。

83 :
いちばん上のは皇室全体のスレだから。
あそこでちょっとでも紀子様の批判めいたこと言ったらフルボッコにされるw
>>80の記事も宮内庁にメールするってさ。
紀子様には鬼女がついてるから怒らせたら怖い怖いw
590 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/05/23(水) 20:35:54.62 ID:rsnr9b8P0 [2/3]
>>561>>566>>570>>580
奥様、素晴らしいレポを有難うございます。
今回の新潮は〆まですてきですね。(「対照的なご兄弟の〜」)
また祖母達に届けなければ。
紀子さま、本当にお忙しいのに
全てにおいて着実に成果をあげていらっしゃる。
秋篠宮家を東宮体制でバックアップするよう、宮内庁にメールします。
595 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/05/23(水) 20:42:49.00 ID:3eB1Bzmq0 [11/13]
三人のお子様を育てながら、公務に、ご自身の研究にと活躍され、
その上、エレガントで美しい外見もキープされている文仁親王妃紀子殿下こそ、働く女性の憧れで鑑。
親王妃で、研究を続けられているのは、紀子さまがはじめてですよね。
まさに「新しい皇室」ですわ。
712 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2012/05/23(水) 23:01:07.50 ID:hu6+8Wex0 [7/8]
あの多忙な紀子さまが「それなら私が!」とおっしゃったなら
私なら泣けるわ。アナタ、働きすぎだわ。ご立派すぎる。
ちょっと休みなさいと。有りがたい人ね。

84 :
>>83
御一行様スレと女性板の比較スレは皇太子一家叩きの道具として秋篠宮家を利用してるだけ。
秋篠宮家には何の関心も愛情もない。
大好きスレに、紀子妃の幼少時のエピや写真が貼られたとき、住民が捏造や加工だと騒いでいたのには呆れた。
噂板のアンチスレ住民の方が秋篠宮家について上記スレの住民よりも数千倍は詳しいな。

85 :
黒田清子さん務めた伊勢神宮臨時祭主に紀子さま名乗り挙げた
2012.05.25 07:00
ttp://www.news-postseven.com/archives/20120525_110500.html

86 :
>>81
二つめのスレ、一般人ブログの転載の上にURLも貼りまくってるけど
許可とってんの?

87 :
キコの顔が嫌いだ
微笑んでるつもりだろうが口を横に引きすぎてて唇がないじゃん
みんなも鏡に向かってやってみろよ
あまりにも滑稽な顔になって恥ずかしくなるからさ

88 :
>>87
雅子サマの下品な笑顔がお好きなんですね。わかりますw

89 :
>>17
> 何しろ異例の出来事なのだという。秋篠宮文仁殿下(31)が誕生日に際しての記者会見で、
>自らの「女性問題」を報じた記事に直接反論されたことが、である。
動画
ttp://www.musicasenlinea.com/videos/-;Hbx2wfHtNOE.html

90 :
http://shukan.bunshun.jp/mwimgs/5/f/-/img_5f78ed89416955b527be13591f92a812671755.jpg
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまと雅子さまは本当に仲が悪い?
■悠仁さまはなぜ学習院に通わない?
■美智子さまが目を細める紀子さまの気配り術
■殿下「こだわりファッション」の秘密 ほか

91 :
>>90
方向転換したのかな。

92 :
女性自身 2012年6月5日号
雅子さま、紀子さまと<和解の談笑>生んだ美智子さま「愛の呼びかけ」!
ttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1338294498811.jpg

93 :
東宮家の謎は何?ないよね?

94 :
天皇家が只の私人に戻れば問題ない。
公人として、政治が介入するから可笑しな話しになる。
今の天皇は基本的人権も否定された、政治的傀儡。

95 :
女性自身(2011/09/20)
悠仁さま、紀子さまが励むマスコミ取材への<秘>特訓! 
取材1週間前に予行演習も… “未来の天皇”の帝王教育が始まったー
ttp://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1338437486428.jpg

96 :
川嶋辰彦氏のライフワークとなってる
R問題についての研究はタブーすぎて
さすがの文春も書けないかw
六本木ヒルズの理事にもなってるんだよね
川嶋家は謎が多すぎ

97 :
http://rnavi.ndl.go.jp/books/2009/09/000010411394.php
小和田恒、R解放同盟系のR団体で講演。

98 :
>>90
見出しにない5つめの謎は、
<紀子さまのご実家「川嶋家の人々」はいま?>
だった。

99 :
友納って元カンキリの愛人?

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