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2013年05月哲学20: ニーチェ31 (300)
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ニーチェ31
- 1 :2013/03/15 〜 最終レス :2013/05/04
- 我々はまばたきする。
ニーチェ30
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1349871954/l50
- 2 :
- ミッキーマウスはピョンピョンと跳ねる。
その時、世界は小さくなっている。
- 3 :
- あれは何だ?鳥だ?飛行機だ?いや・・・ぴょんぴょんピョーンと無限に飛んでけば、誰でもユーバーメンシュ、超人だ。
- 4 :
- ニート31
- 5 :
- >>1
花粉症なん?
- 6 :
- 私の精神は子供だから最終段階に到達してしまいました。
- 7 :
- ちゃんと駱駝と獅子の精神を通過したの?
永遠の未成年者集団じゃないよねw
- 8 :
- ニーチェの思考を追って行くと最後は狂うんでしょう?
- 9 :
- それはあくまで仮定だろ
- 10 :
- 最後は超人になる?
- 11 :
- 全部理解して自分の本質を取り戻し自分の世界を打ち立てることが出来たら超人になれるんじゃないかな?
- 12 :
- 《形而上学的真理の唯一の源泉は命令する(jubere)である。》(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)
- 13 :
- >>7
>ちゃんと駱駝と獅子の精神を通過したの?
人の実存の類型やから通過とかちゃうやろ。
>>11
>自分の世界を打ち立てることが出来たら超人になれるんじゃないかな?
理念とすることは目的合理性やんか。せやけど超人それ自体は非論理的
やろ?つまり論理に基づいて非論理に至るのは矛盾してるのとちゃうかな。
そういう意味であんたはんのその主張は文章として間違うてるのやで。
- 14 :
- 無である世の中が、無であると認識されること、論理性が介入したことが、
ニヒリズムの始まりや。ニーチェは人類史上ニヒリズムの始まりを最初に
看取したということを意識し、そしてそれを神の死として表したのやで。
- 15 :
- そうですね
神は死んだ、だから我々が神にならないといけないのではないか?と言っていますね
神が死んで頼るものが無くなった、道徳の系譜により道徳すらも誰かにとって都合のいいように作られたものでしかないことが分かってしまった
だからこの虚構だらけの世界にニヒリズムすら反転させる強力な意思を以て自分の世界を打ち立てその中で神のごとく愛をもって振舞う必要があるんですよね
- 16 :
- >>15
意思を持って世界創造なんて論理的に矛盾してるてゆうてるやんか。
世界観なんて刷り込み以外の何者でもないやろ。例えば意思を持って
信心してたら完全なキリスト者になれるか?常に躓きの石が転がってるし、
そやから信心するのやないか。
- 17 :
- 意思に基づいて神を目指すことそれ自体が別の宗教なのであって、それは
オウム真理教同様の超人教でしかないよ。
- 18 :
- 気持ち悪いコテ使うなょ
- 19 :
- キリスト教にとってよかったのは、キリスト教が当たり前の世界観
として受け入れられてた時代や。そこにニヒルが進入してきてキリスト教が
相対化されたとき、神は意思で獲得するようなものに変容したんや。
それと同様に、人類を支えてきた神も当たり前やったからよかったので
あって、今はそうでなくなったから目的になってもうてるんや。そこで
神との合一はどのように行われるべきなのやろか。それは少なくとも意思に
基づいたものでないことは確かや。超人を理念から救い出して、アクセス
するような空間性から飛来してくる時間性へと復帰させなあかんねん。
- 20 :
- 一神教の世界観は理解できない。人間の脳ミソの創造でしかない絶対神なんか矛盾だらけ。
- 21 :
- つるじょあさんは超人とはどんなものかお考えでしょうか?
- 22 :
- まず美貌ありき
- 23 :
- 超人機メタルダー
- 24 :
- >>21
神性合一は、前近代においては受動性・時間性・一般性やったわけやけど、近代以降は
能動性・空間性・個別性で行われることになったんや。せやけどこれは神をRことであって、
ニーチェはこれを神の死として問題の深刻さに気付いて、こうしてこれを克服する思想を生み
出そうとしたわけや。その結論が超人思想や。
超人思想とは、神性合一を相対化させるような人類史上初めて生じた無の深淵を、近代以降
において埋めようとする試みなんや。意味の無限指定から回避不可能な近代以降において、
あの受動性・時間性・一般性の神性合一を如何に行うのかということなんやで。
- 25 :
- アマデウス・モーツアルト作
俺の尻をなめろ(Leck mich im Arsch)
http://www.youtube.com/watch?v=dz1tj2tu794
- 26 :
- 前近代における受動性・時間性・一般性の神性合一を、近代以降いかにして行うのやろうか。
近代以降において能動性であるということは無を立脚点にしている事を意味し、そうであるが
ゆえに無の深淵に飲み込まれてしまうんや。空間性であるということは選択する対象という
ことを意味し、そうであるがゆえにこれまた無の深淵に飲み込まれてしまうんや。個別性で
あるということは多様性であるという事を意味し、そうであるがゆえにこれまた無の深淵に
飲み込まれるんや。そこで近代以降においてあの受動性・時間性・一般性である神を取り
戻さなあかんのやで。
ここで行われるのが共同主観性の書き換えであって、例えばキリスト者足らんと信者が、
意味を経由して聖書が示す世界観を信じようとしてるやろ?せやけどそれは意味を経由する
がゆえに論理必然的に座礁する運命を辿るんや。それを乗り越える為にキリスト者は死後に
永遠の福祉を得るという彼岸主義のアクロバットが用いられるのであって、そもそも現世での
神性合一の不可能性を僧侶たちは理解してるんや。
- 27 :
- 共同主観性の更新はそもそも意味を経由するような意識的なものやなしに、その成立は
無意識的なものや。端的にあるがままに経験することで世界観が形作られて、無意識的
な受け取りは感覚器官を通じて行われて論理構成上社会的諸関係の総体として共同主観
性は形成されるんや。
そこで共同主観性の覇権は如何にあるがままの経験をするかにあるのであって、そこでの
神は受動性・時間性・一般性でなけなあかんのやで。受動性とは神自ら飛来するということ
であり、時間性とは神が歴史的に存在するということであり、一般性とは唯一の神であると
いうことや。神を自ら求めていったり、自由に会ったり、商品みたいに多様であるのが、
なんで神といえるのやろうか。
- 28 :
- キリストは祈る時は部屋ん中で一人で祈れ。見栄のために祈るなと
言っとる。キリストの教え無視してキリスト教考えても仕方ないだろ。
- 29 :
- そこらのオッサンの出任せに考えた教義を真に受けて救われる
という保証はない。文学的キリスト教主義ならフィクションだが。
- 30 :
- 弱いからわるい 40代で寿命とか弱小 オレの情報網サイキョー
というニィーチェりずむですな
- 31 :
- ルナン後の自由主義のキリスト教は半分文学だ。近代的地平には
最早、聖霊は下って来ない。ニーチェはさすがにルナンは否定した
はずだが。
- 32 :
- 合衆国初代皇帝、ジョシュア・ノートンは超人の一人といえるやろうな。ニーチェの
言う仮象とは物語のことであって、これは世界観のことや。そしてノートンの世界観と
世間一般の世界観があるのやけど、世間一般はノートンに同情するのやけど、
ノートンからしたら世間一般は下々の臣民でしかないのやで。そこには解釈の違い、
世界観の違いが存在するだけで、ノートンにおける世界観の覇権は初代皇帝と
してのものなんや。
意味の無限指定から回避不可能な近代以降において、絶対的な覇権を持つ世界観
が、意味を持ちつつもそれと同時に生存実感が得られるというこの構成、日常と共に
神と合一することこそ超人の地平なんや。神はやってくるし、現実に存在してるし、
それは唯一であって、こうしてノートンは無の深淵に飲み込まれること無く、意味の
只中で神を享受したのやで。
- 33 :
- ありがとうございます
神我一体や悟りの境地あたりの超人を想定していたんですね
- 34 :
- >>32
近代的地平に腰を据えてる限り、全ては主観主義であり、
他者にとっては単なるファンタジー以上のものにはなり得
ないということにならんのか?
- 35 :
- 単なるファンタジー以上のものに為り得ないから、諸価値は低落したんだろう
そこはもう通過している
- 36 :
- 主観という概念は、主観的意識が超越的になるほど、相関的に客観的存在が、
明確化してくる。つまり、「主観」と言う存在が無ければ、「客観」もないのである。
主観的意識が、極限に達した「領野」が、デカルトの「超越論的主観」であると思う。
だから、主観的存在と客観的存在は相関的に密接に関わっているのであり、その視点より、
相互主観性(間主観性)という連関が生じて来る。
- 37 :
- 客観的存在が明確化? 不可知になるだけだろう。
それが神の死。
- 38 :
- >>35
そして俳優が登場する。
>>36
「間主観性」とは「主観と主観の間」であって、
「主観と客観の間」ではないのでは?
- 39 :
- >>34
>近代的地平に腰を据えてる限り、全ては主観主義であり、他者にとっては
>単なるファンタジー以上のものにはなり得ないということにならんのか?
近代地平て共同主観性てゆうてるやん。いうなれば個人的な共同主観性や。
例えば共同体は異なる神を戴いてるわけやんか。そしてそれは時には神々の
戦いに、すなわち解釈の競合になったりするわけやろ。それが個人レベルに
なるだけの話や。意識を経由せえへんからこそ神は飛来し、現実に存在し、
全てに君臨しうるのやで。
- 40 :
- 例えば共同体は→例えば諸共同体は
すみませんなあ。
- 41 :
- 「共同主観性」ってのは「我々」意識のことだろう。
それは裏返したら「主観的共同性」にならんか?
- 42 :
- 近代主義が全体主義的である点は否定しないが。
ニーチェなどは逆だろう。一見すると自己顕示欲の
囚人みたいにも見えるが。
- 43 :
- >>41
共同主観性とは意識されない私的判断の前提となるような世界観、すなわち
共通の価値観や概念のことや。これは共同体における社会的関係によって
培われるものでな、そうであるがゆえに共同体が異なればそこでの通用的
真理もまた異なるんやで。そういう意味で先にあげたノートンは、共同
主観性が異なってて、こちらの通用的真理とは異なる部分がある訳や。
彼が愛されたのはこちらの通用的心理を理解しつつ敢えて狂人を振舞った
のやなしに、彼自身がほんまに意識せんと彼自身の共同主観性に基づいて
真剣に振舞ったからや。そうであるがゆえに彼は「本当に皇族ではないか」
て思われたほどでな、恐らく彼に襲った困窮が自己防衛の為に世界観を
大きく更新させたのとちゃうかな。この様に世界観の更新は意識的に
行うのは理論上不可能であり、超人地平は無意識的に到来するものなの
やで。
- 44 :
- モルモン教の教組のジョーゼフ・スミスだな。
天才的詐欺師だった。
- 45 :
- 「たじろぐことを知らぬペテン師」だったかな。
エドマンド・ウィルソンが楽しそうに書いてたが。
- 46 :
- あの男の血が流れているのが嫌で嫌でたまらなかったんですよ砲ですよ
- 47 :
- >>43
>「共同主観性」とは、意識されない私的判断の前提であり、すなわち、
共通の価値観や概念のこと。
>共同主観性とは、「現象学」では、「間主観性」と述べている。現象学では、
間主観的還元によって、他人の自我(主観)の成立を明らかにすることであり、
自我の所属圏に於ける、他者の「身体」の現出を介して、自我が転移・移入される
ことにより共同的(客観的)な主観性が形成される。
従って、>36の「共同主観性(間主観性=相互主観性))」の概念と異なっている様に思う。
- 48 :
- 客観なき主観とか、主観なき客観とか苦手だな〜
- 49 :
- 身体的行為ってのは主観だけじゃごまかし効かないところはある。
共有しきれない範囲は存在する。
- 50 :
- モルモン教モルモン教いってる女のケツにDNA注射をしたら板が元に戻ったんですよ
- 51 :
- 俺は正直ニーチェはちんぷんかんぷんだった。
あれを読んでわかるやつがいるのか?
あの人は何がそんなにすごいんだ?
- 52 :
- 人間的、あまりに人間的とかアフォリズムが好きだ。ツラストラはよくわからん
- 53 :
- 反ユダヤ主義が神様に仕立て上げたんで、皆、いやいや相手に
しなきゃならなくなったとか。
- 54 :
- 客観的な事実がある、という考え方がそもそもダメなんや。0点。
「私(観測者)から見て客観的であると思える事実」つまり客観風味な事柄しか無いわけで、
客観そのもの(神の視点)は持ち得ない。不可知論ですな
- 55 :
- コテ落とした。俺、理系出身だから安易に客観的事実性って
奴を等閑に付すの苦手でさ。
19世紀後半から20世紀に向かう合理進歩主義の潮流に対して
毒を吐きまくるという点でニーチェと反ユダヤ主義が手を
組んだのはあながち間違いではなかったか知らん。
- 56 :
- 現実は歯痛のようなものだ。客観的事実を幾ら否定しても決
して消滅しない何かだ。
- 57 :
- >>54
>客観的な事実があるという考え方が、そもそもダメなんや。
「私(観測者)から見て客観的であると思える事実」つまり、
客観的風味な事柄しか無いわけで客観そのものは、持ち得ない。
>デカルトは、「方法的懐疑」によって、不可疑な源泉的領野としての
「超越論的主観」に到達している。 この「超越論的主観」より、主観の
外にあるものとしての、客観的存在を認識している。この認識から、
「「主観−客観」構図として実体二元論が創出している。
この様な難しい理論は、別として普段、私達は主観としての「自分」を一個の存在
として認識し、「自分」を基点として、外部(客観)を認識し、判断している。
自分とは異なるもの、それが実体としての「客観」であり、その客観的存在の中に神の概念も
含まれるものである。
ニ−チェのパ−スペクティブ(遠近法的展望)も、自分と外部(客観)との現象を、自己内部の
生命との共鳴としてあるのであり、客観的実体は自己の認識の強度に比例して体現されるものと思う。
- 58 :
- 実体としての客観? 全ては解釈でしょ。デカルトもバカな事を言ったもんだね。
客観性(神)の喪失がニーチェの言う「暗闇」。自分を中心とした解釈だけが、人が持ちえるものだからして。
- 59 :
- ニ−チェは「神は死んだ」と述べているが、自分の外にあるものとして神を述べている。
だからヘ−ゲル的な内在としての「主観的領野」として神を捉えているのだと思う。
つまり、観念論の領域内でパ−スペクテブ的な「神」概念を捉えている。だから、デカルトの
超越論的主観と相関的な、客観的存在とは、理論的に異なると思う。デカルトは、省察の中で、
超越論的主観から、ア・ポステリオリとして主観から、「外部」に触れると言う現象によって
「外部」としての「客観的存在」を認識している。
- 60 :
- プラトンと同じ間違いだ。彼はソクラテスが洞窟の外(外部)に出たと思っていた。
しかしソクラテスは洞窟の中(不可知論)に居たし、それは彼が真理(洞窟の外)を求める事とは矛盾しない。
- 61 :
- と言っても「××の解釈」という言い方をするかぎり、
どういう言い方をしても解釈される××は暗に前提されるわけね。
「直接的な知覚」というのはもちろん直接的な知覚なわけだけど、
「直接的な知覚」というだけでは、
「過去の直接的な地殻」「現在の直接的な知覚」「未来の直接的な知覚」というあり方を許すので、
時間概念のなかで「現在」だけが突出することをあかせない。
- 62 :
- ソクラテスは、洞窟の中にいても、洞窟の外は、外部であり、客観的領野と言うことになる。
ソクラテスが、洞窟の中に居ても、居なくても実体として、そこに洞窟の外(客観的領野)は、
存在している。
- 63 :
- >どういう言い方をしても解釈される××は暗に前提されるわけね。
確かにそうだ。しかし人はその前提となる物が確かに在ると断定する事は出来ない。
柳の下の幽霊は存在するだろうか? 確かに在ると思う、という解釈しか持ち得ない。
- 64 :
- >そこに洞窟の外(客観的領野)は、 存在している。
これは全くの誤りである。ソクラテスが在ると言えば在るのか?
それはソクラテスを神格化したプラトンの考え方である。洞窟の外自体が解釈の産物であり、実在を証明できない(不可知論)
- 65 :
- ここで述べている「客観的領野」とは、カントの「物自体」の概念であると思う。
カントは、「物自体=客観的存在」の概念を認めていても、それは、理性(形而下学的領野)
では捉える事は出来ないと述べている。この「物自体」の存在が、デカルトの「客観的存在」であり、
「主観−客観」構図として、デカルト以後の西洋哲学に定着している。
- 66 :
- われわれはもう現象学的にものを見る準備はできている。さあ、フッサールに学ぼう
- 67 :
- カントなんてニーチェの批判の対象ですがな
在るかどうか分からないもの(神=物自体)を、人間が必要とするからって定着させてどうする?
主観と客観の構図は崩されている。だがそれを知るにはまだ早すぎたかな?
- 68 :
- 日常会話に主語と述語が無用となる日は恐らく来ないであろうw
- 69 :
- >>67
>主観と客観の構図はくずされている。
>西洋哲学に於ける「主観−客観」構図が崩されているとは、新しい構図が
構築されつつあると言うことでしょうか?
- 70 :
- 新しい構図? 無いよ。だから暗闇なんじゃないか。
だからこそニーチェは恐るべき出来事と評しているし、神の死とニヒリズムを説いている
我々は無限(永遠回帰)の虚無の中をさ迷って行くのではないか? それが不可知論の深淵だわな
- 71 :
- 主観と客観の構図が崩されれば、ありとあらゆる論理は価値を失うだろう。神を失った信徒のように。
諸価値の低落。そろそろ分かってきたかな? ニーチェはそこをすでに通過している。
- 72 :
- いかれて意味不明の殴り書きしてたもんな。
- 73 :
- 世界観とは歴史観である。
- 74 :
- 勿論チェーンソーで神様をバラバラにするよ。
当然神は死んだ。
- 75 :
- >>62
いつの時代の哲学やねんな。そんなん物象化の誤認以外の何ものでもないやろ。
洞窟の中にソクラテスがいたとしてやで、外で例えば殺し合いが起きたとしたら、
ソクラテスはそれをどないしてしるんや。中で外を判断したものは対象化した、
反省された、歴史を切断して抜き出されたものであって、それは全くの別物やで。
共同主観性は無意識的な、意識の前提になるような世界観のことであって、
人々はこれに基づいて解釈し、そしてその解釈の数だけ共同主観性は存在
してるわけやけど、そんな中生じたニヒリズムの無の深淵を、飛び越えるような
世界解釈が可能なんや。それは意味に身を委ねながらも生存実感を持つような
ものでなけなあかんのや。その解釈が超人地平やろ。常に神と共にあるのやで。
- 76 :
- 洞窟の中と、外は実体として現実にあるとすれば、その洞窟の中にソクラテスがいて、
その洞窟の外(客観的領域)を認識し判断すると言うことは、ソコラテスが、主観的に
外を認識(観念論として)することであり、洞窟の存在(内と外)とは別次元の問題として捉えられる。
- 77 :
- 洞窟の比喩が、いわゆる「二世界論」だとういうのは、
つまらんよ。
たとえば、もっとふつうに、壁にうつったいわな(平面の)影絵から、どうして、
立体像が構成されるのか、というふうな、
もっと「現実的」な問題を考えているのだととったほうがよい。
幾何学的に構成される、というのが一つの答えで、
このばあい、ピタゴラスの定理、などがイデア的なものということになるのじゃないか。
- 78 :
- なにが問題になってるのかよくわからない。
「主観」と「客観」?
ニーチェは、ハイデガーと違って、「主観-客観」という問題意識は
あまりなかったと思うよ・・・
- 79 :
- つるじょあさんの言う「神との合一」なんていうものは
ニーチェが最も嫌うものだろうねぇ・・・
神との神秘的合一は、無への憧れにすぎない
というようなことをニーチェは書いている。
- 80 :
- 共同主観性って集合的無意識みたいなものですか?
- 81 :
- >>79
意識的な神との合一は理論上不可能であるばかりかロマンでしかない、
そやから共同主観性を持ち出してるおっちゃんに対して「それは無への
ロマンにすぎない」て、人の話を聞かなあかんで。
>>80
例えば何がええとかあかんとか、真理性と虚偽性があるとするやろ?
それをある共同体の成員に聞いても根拠を口に出すことは不可能やんか。
「佐々木希はええ」「山田花子はあかん」これは瞬間的に導き出される
共通した答えやろ。その口に出来ない無意識下の根拠が共同主観性や。
個人は人々とコミュニケーションしていく中で知らんところで価値観や概念が
形成されていくものなんやで。
- 82 :
- ニーチェにおいて、いわゆる「神」は人間の下位に在る。とりわけ「キリスト教」における「神」は。なぜなら、それは人間の内なる神的なるものを外化し、疎外し、やがて逆に人間を均一化する制度になってしまったから。
- 83 :
- 神の死とは、人類の過去喪失、記憶喪失。
- 84 :
- 主観客観という静的な二項対立図式もニーチェには無い。ディオニュソス的なるものとアポロン的なるものとしか言いようのない二つの作用が対立し融合結晶する力動的な過程の中で認識は結実する。最終的には「力への意志」という言葉に定式化された多様な力の戯れの中で。
- 85 :
- 「昔は世界を挙げて狂っていた。」
末人なる我らはそう言ってまばたきする。
- 86 :
- 過去を未来も無くし、原因も結果も失い、全ては永劫に回帰する。
- 87 :
- ただ反復だけが無限に続く。
- 88 :
- >>81
やはり集合的無意識の一局面のようですね
ある共同体の文化・道徳・信仰を土台として無意識を構成し、そこに住む人々の自我を成型するに到る
共同体同士の文化・道徳・信仰が異なればそこに軋轢が生まれいずれ互いの善を振りかざし殺し合いをすることになります
何故、汝の敵を愛せよと言うか分かりますか?
ニーチェの言う善悪の彼岸、それを体系化した集合的無意識はつるじょあさんの言う共同主観性の更に下層に流れる源流です
- 89 :
- 動機も目的もなく、
希望も絶望もなく、
意味もなく永遠に。
- 90 :
- 人類は過去を失って永遠に漂流する。
素晴らしい。元のままだ。
- 91 :
- 永劫回帰にも、多分いろんなレベルがあるんだろうがWこれを肯定するのは、ましてや愛するのは確かに難しいなW
いずれにしろ、この最終的判断が自分自身で下せる社会ではあるべきだと思う。
- 92 :
- >>89-90
はは、あまり現実を付き付けてくれるなw
愛してるぜ神よw
- 93 :
- あらゆる権威は瓦解する。
- 94 :
- 理想的な投資社会が到来する。
お 客 様 の ニ ー ズ に お 応 え し ま す 。
- 95 :
- あらゆる権威は見かけ次第、バットで撲殺されねばならぬ。
だからこそ世界は素晴らしい。
- 96 :
- 超人は理念では理論上ありえず、そうであるが故に到来するものであり(受動性)、
それは彼岸などではなく現実に出現するのであり(時間性)、また無意識下の境地に
開かれるものであり(一般性)、こうして意味の無限指定の只中で、意味の体裁を
とりながらも意味を経由せず、歴史を持たず、永遠の福祉が開かれているんや。
これが超人なんや。あの前近代の神がそっくりそのまま現代に担保されてるのやで。
これ以外の神は近代以降の人工的な偽神であって、その正体は無なんや。
人が無の深淵を超えた超人に至り、視空間に広がる日常それ自体が輝きを放って、
生存実感を演出するんや。そこには人工的なものは一切存在する余地がなく、無垢な
生存が永遠にあるだけや。
- 97 :
- 人間の権威など金バエ程の価値もない。偉そうな奴らを手当
たり次第殺せ。
それでこそニヒリズムだ。
- 98 :
- 「権力への意志」、そんなものは唾を吐きかけて、靴の踵で
踏みにじるにも値しない。
- 99 :
- 「権力への意志」こそ金バエの最も好むものだ。
それはニヒリズムから最も遠い。
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