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2013年08月日本史2: 邪馬台国は九州にあった27 (686)
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邪馬台国は九州にあった27
- 1 :2013/07/21 〜 最終レス :2013/08/03
- 九州説が妥当だと思うが
邪馬台国は九州にあった26
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1373112542/
- 2 :
- >>1
乙
九州説こそ真理、異説を駆逐し燦然と輝く真実を希求しましょう。
- 3 :
- 九州だと思う
でも短里は無いと思う
- 4 :
- 邪馬台国と発しまするは、女王の都楼(台)を戴く、ケチ(邪馬)な国でござんす・・
どうせ倭人伝は、こんな寅さんノリで書いてるんだろな
九州のどこかにあった戸数七万の超大国、その御台はどこに??
- 5 :
- 1乙。
戸数は眉唾です。
何十万も人口居ませんから…
嘘と真実を見分けて謎を解きましょう!
- 6 :
- 前>>833
>倭地でも、不弥国までは大陸との交流も多く東夷の里が使えた。
>しかしそれから先は、東夷の里ですらわからず、
>倭の日数を持ちいた。
じゃあ12000余里はどこから出てきた数字?
- 7 :
- 粘着さんが来たわ
- 8 :
- >理由は何、根拠は何、出典は何、論証が求められる、具体例が求められる、
これはローガンの口癖だけど、>>6 の指摘で気づいた。
逆に言うとローガンは、他人の説であれ自分の論であれ、理由・根拠・出典さえしっかりしてれば即納得するということ。
例えば超一級の出典である倭人伝に「自郡至女王国万二千余里」とあるからには、
その根拠・背景なぞまるきり詮索する必要なしとの安直思考。
ある意味、他人を騙す前に、第一級の出典だから疑う余地なしと自分自身を騙し(無条件で納得させ、信じ込み)、
それから論戦に出発するわけだ。
ところがスタンス(根拠出典)がその時々でくるくる変わるだけでなく、
論戦に敗退すると責任を出典のせいにして涼しい顔をしてるので、世間には不信感だけが蓄積していく。。。
- 9 :
- 出典原理主義って古典的で凝り固まった思考だな
閉鎖的で外部との交流がまったくない環境で何十年も生きてきたんだろうな
里数を現代の地図から推定することさえ否定したのがその典型的な例
- 10 :
- <熊本県>
世帯数・・・約70万世帯
人 口・・・約180万人
邪馬台国(7万戸)が熊本県あたりであったとすると、単純にいって平成の世帯数・人口のおよそ1/10程度
- 11 :
- >>6
実際に行けば、ある程度は検討つくだろ
- 12 :
- >>8
>>>6 の指摘で気づいた。
なら、6に返信してあげたらどう?
>逆に言うとローガンは、他人の説であれ自分の論であれ、理由・根拠・出典さえしっかりしてれば即納得するということ。
勿論論証として認める。なけりゃ単なる空想だ。空想とは議論にならん。だから求めるんだが…
>例えば超一級の出典である倭人伝に
「超一級」とはどういう意味か?
私は使った覚えも無いし、勿論「超一級」なんて考えたこともない。
ゆえ「超一級」とは単なる君の思い入れ
>例えば超一級の出典である倭人伝にその根拠・背景なぞまるきり詮索する必要なしとの安直思考。
一度「史料批判」で検索してみなさい。
で君の思考の一助となった>>6に答えてあけだたらどう?
- 13 :
- >>9
とはいえ当時の一里はおよそ430mで確定しているのだから、それと異なる「里」があったと主張するのであればそれ相応の根拠を求められるのは当然じゃないの?
存在が確認されていない物を「あった」と言い張る以上はさ
- 14 :
- >>13
根拠とは現代の地図だよ
現代の地図で測ると430mなんて明らかに間違ってるんだから事実を受け入れるしかないでしょ
科学の進歩を否定して文献にそう書いてあるから正しいと信じるってローガンと同じくらい頭が固い
- 15 :
- >>12
畿内説は、魏志倭人伝を否定しないと成立しない説だからな。
- 16 :
- >>15
そうでもないんじゃん?
- 17 :
- >>14
だからそれは普通は数字が間違っている(錯誤、誇張等)と判断するでしょ
頭が固い柔らかいの話じゃないよ
むしろ短里支持者の考えの方が安直過ぎるよ
- 18 :
- >>13
>当時の一里はおよそ430mで確定しているのだから
9ではないが、それは皆が承知している。しかしだ、
そこで思考停止するということは魏志倭人伝を読み解くことをやめたと言うことに等しい。
對海國から一大國まで南渡一海千餘里と書いてあるのだが、
じゃぁこの「里」は何なんだと言うことだ。みんなそれを探っているんだろ。
根拠は魏志倭人伝そのものだ。
逆に聞きたい、一里およそ430mとすると對海國や一大國は一体どこのことなんだ?
これが答えられなければ、お前さんに批判する資格はない。
- 19 :
- そもそも、彼の国で一里約430m基準とした方法ってなんなの?
- 20 :
- >>17
数字が間違っているのならどう間違ってるか提示するべき。
- 21 :
- >>19
基本は「分」ということかな。分を10倍したのが「寸」。
寸を10倍すると「尺」。尺を10倍して「丈」。
6尺が「一歩」。300歩が一里。
- 22 :
- >>17
だから間違いでもなくデタラメでもなく創作でもないんだよ
里数には一定の基準がある
これを見ろよ
538 :日本@名無史さん:2013/07/15(月) 20:46:31.42
簡単な数学の問題
4つのサンプルから平均と標準偏差を出す
・帯方郡→狗邪韓国 7000里 670km (一里=96m弱)
・狗邪韓国→対馬国 1000里 92km (一里=92m弱)
・対馬国→壱岐国 1000里 98km (一里=98m弱)
・壱岐国→末廬国 1000里 51km (一里=51m弱)
↓
平均1里=84.25m、1里の標準偏差22.3
↓
68%の確率で1里=62m〜106mに収まる
95%の確率で1里=40m〜129mに収まる
- 23 :
- >>18
>根拠は魏志倭人伝そのものだ。
それを根拠とは云わない
そういうことが理解できるようになってからおいで
- 24 :
- >>22
670kmの求め方を書いてごらん。 その上でそれが実際の航行距離と合致するか考えてみなさい。
- 25 :
- >>22
逆の言い方をしたほうがいいかもしれないな。
帯方郡から狗邪韓国まで七千里。一里を434mとすれば、3000kmあまり。
帯方郡はいったいどこにあったのか。
- 26 :
- >>24
602 :日本@名無史さん:2013/06/30(日) 18:57:42.98
>>584
帯方郡→狗邪韓国
(京城・沙里院) (巨済島・金海) 7000余里 630-710km
距離の中間値(670km) 一里=96m弱
狗邪韓国→対馬国
(巨済島・金海) (佐護・厳原) 1000余里 64-120km
距離の中間値(92km) 一里=92m弱
対馬国→壱岐国
(佐護・厳原) (原ノ辻・勝本) 1000余里 53-138km
距離の中間値(98km) 一里=98m弱
壱岐国→末廬国
(原ノ辻・勝本) (呼子・唐津) 1000余里 33-68km
距離の中間値(51km) 一里=51m弱
算数が少しできれば、倭人伝記述の1里は360mではないことが明白。
- 27 :
- >>26
> 630-710km
をどうやって求めたのか? を尋ねられているのがわからないようだ
- 28 :
- >>27
現代の地図に当てはめるしかないだろ
- 29 :
- 簡単な数学の問題といいつつ 数字が理解できていない という笑い話www
- 30 :
- >>29
いちゃもんか
他に方法があるなら書いてくれ
- 31 :
- 三國志の中にも公里と短里が混ざってるみたいね
何とか先生が比較出来る里数拾い上げて調べたんだと
で、陳寿は短里で書いたのではと
問題はそれが書いてあるソースを落とした…
- 32 :
- >>28
海岸は一直線じゃない。そしてここの記述は循海岸水行だ。しかし
(京城・沙里院) (巨済島・金海) 7000余里 630-710km
は直線での数字だ。
出来るだけ短くしたいという意図の透けて見える、誰にも相手にされない数字だ。
- 33 :
- >>32
狗邪韓国から対馬國まで千里。対馬國から一支国まで千里。一支国から末盧国まで千里。
もともとがこんなに大雑把なのに、そこだけ詳細な数字を求めることにあまり意味が
あるとも思えないが。
- 34 :
- >>32
おかしいな、島嶼がたくさんある海岸を迂回して、
少し外海にでた航路で700キロくらいなんだが。
島嶼がたくさんある中を直線で突っ切ってる訳じゃなく、
少し長めに出るはずなんだけどね。
- 35 :
- 開始地点が、京城・沙里院、
終了地点が巨済島・金海で、
google earth のパス計測機能で辿ってみると690キロくらいだった。
島嶼部に入らずに、すこし外洋を遠回りした結果である。
- 36 :
- ↑ こういう現代の科学的方法を考えろよ。3世紀の記録を対象に根拠、根拠
と騒ぐ奴はパーカね。
- 37 :
- >>26
>帯方郡(京城・沙里院)
おめーも懲りねー奴だの。これが間違えーだと何度も言っとるだろが。
一度自分で調べてみれ、つーの。
ま、おめーのよーなパカは調べる方法も分らねーのだろうからよ、
山形明郷の本でも読んでみれや。
浜名寛祐は難しすぎるだろうからよ、おめーには無理だべ(カラカラ)
伊作などはよ、叱ってやったら出て来なくなったべ。
その後自分で帯方郡の位置を調べとるのかどーかは知らねーがな、
調べたらよ、帯方が京城や沙里院ではねーことが分かるのさ。
尤も、おめーのよーなパカでは分んねーかも知れねーがな(ガハハ)
- 38 :
- >>35
690km7千余里だとすると、1里100mとなりますね。
行路が確定しているのは、対馬壱岐間ですから、その間100kmとなりますね。
そんなにないでしょ。
それとも100kmになるところを結ぶとか?
- 39 :
- 洛陽から遼東まではざっと2800里くらいなものである。
その遼東に玄菟郡や楽浪郡があったのだが、
玄菟は洛陽から四千里、楽浪は五千里と書いてある。
実際の約3/2倍に書かれているのである。
だからといって公里の2/3の短里があった、などと考える者はいない。
実際よりやや大きく見積もっているな、と思うだけである。
帯方〜狗邪韓国も同様で、実際には三千里ほどだが七千里と書かれている。
だからといって公里の3/7の短里があった、と考える者はいない。
同様に狗邪韓国〜末盧が実際の5〜6倍に書かれているからといって、
公里の1/5〜1/6の短里があったと考える者はいない。
実際の数倍に見積もっていたんだな、と思うだけである。
ところが九州人は公里の1/5〜1/6の短里があったと考えるのである。あゝ、哀れ(泣)
- 40 :
- 満州もローガンも良く似た思考回路をもってる。
漢文風に全部漢字で「短里」と書いて音読みさせると学術用語と認識し、あれこれ詮索した揚句に間違いだー、と詰問する。
しかし「倭人伝はみぢかい里(短い里)で書かれた・・」と平仮名交じりの訓読みにすると、
不思議なことに公里の1/5〜1/6の短里があったとは考えない。
実際の数倍に見積もっていたんだな、と思うだけである。
旧帝大出の一流学者になればなるほどその傾向をみせる。満州がその好例である。不思議な人種だ。
- 41 :
- 帯方郡から狗邪韓国まで行くのに南と東しか書かれてないんだから
海岸線べったりってことはないな
ある程度陸から離れた航路で南に行き、半島南端で東に進路をとった
海岸線べったりだったら北に行くことも西へ行くこともあるのだから
- 42 :
- さよう、倭人伝の里程は、古代人のおおらかさでザックリ・ザックリ書いてある。
重箱の隅をつついて微塵の差異を得意気に自慢する現代人とは、そもそも肝っ玉の大きさがちゃうわ。
- 43 :
- いいかい、中国の度量衡は時代によって異なるのですよ。
さらに大昔は地方によっても異なるのです。
魏志倭人伝の行路記事も、いつの時代に計測記録されたのかを考えなければなりません。
魏の公里であわないと考えられるならば、ほかの時代や地域でと考える必要があるのです。
それで私は、多方面から考察した結果、これは、周尺(周の時代につかわれた尺度)で1里67.5mであるとの結果に達したわけです。
- 44 :
- >>40
何が言いてーだか、さっぱり分らんばい。
おらとローガンの思考回路が似ているんでは無ーて、
普通の人ならそう思う、つーことだど。
>>42のように、ザックリ書いたから5〜6倍になっただけだど。
短里つーもんがあったわけではねーど。
- 45 :
- >>43
これは有り得るな
- 46 :
- コテの中で誰を信用しようかというとやっぱりサガミさんだな
本を出版してるサガミ > ブログやってる満州 > 何もなってないローガン
- 47 :
- >>44
>(魏の度量衡制度に)短里つーもんがあったわけではねーど。
このような論調で噛みつくところが、ローガン老教授と瓜二つの漢字漢民族優越思考なのだ。
「短里」は古〜い九州説の大学者ご用達の造語、そんなことわかっとるわ。
>>43 のサガミハラハラ先生によれば、
(魏制による「短里」ではないが、)「短い里」として周尺の1里67.5mを利用したのではないかと。
確かに納得させられる御説ではある。
- 48 :
- 周尺で一里67.5mだなんて聞いたこと無い
周代の一里は約540mだろ
自説に都合のよい未確認情報をさも既定事実の様に吹聴するのは良くない
- 49 :
- 高麗史地理志にこういう記述がある。
凡往耽羅者發羅州則歷務安大堀浦靈岩火無只瓦島海南於蘭梁凡七晝夜至楸子島
發海南則從三寸浦歷巨要梁三內島
發耽津則從軍營浦歷高子黃伊露瑟島三內島皆三晝夜至楸子島.
耽羅は済州島、楸子島は済州島の北にある島である。
半島南端から楸子島に至るのに三晝夜かかると書いてある。
そうすると済州島に至るには一週間か十日かかってしまうことになる。
船で一週間か十日もかかるなら千里くらいはあると思ってしまう。
これが対馬まで千里と書かれた理由である。
半島から済州島までと、対馬まではほぼ同じような距離である。
短里とか周代の里で書かれたわけではないのだ。
- 50 :
- 予想が外れて、今年の夏はあまり暑くならないとかで、
コメの不作が心配され始めているようだが、
それはどこの話じゃ。
佐賀、久留米は相変わらず殺人的に暑いぞ。
少々の冷夏は、九州では減収ダメージにならない。
むしろ限度を超えた猛暑のほうが、収穫が減る。
- 51 :
- こういうのもあるな
1里=76.5m
http://www.mctv.ne.jp/~kawai/old/log/note2012/20121130.html
- 52 :
- >>41
>ある程度陸から離れた航路で南に行き、半島南端で東に進路をとった海岸線べったりだったら北に行くことも西へ行くこともあるのだから
貴説に従い、沙里院の西側入江から、「海岸線に沿わず半島南端に向け南へ出航する」ためには、
まず100kmほど西へ航行しないと、龍淵郡を通過出来ない。
また、途中寄港するなら100km以上、東へ航行しなきゃならんがそれぞれの距離を加算してあるのか?
海岸線沿いの航行なら、そんな馬鹿げた事を考える必要は無いが、直線距離よりはだいぶ伸びる。
まあ、それ以前に
n=4
μ=84
SE=55
に規則性を見るのは無理
- 53 :
- >>52
>>41 の出発点は沙里院??
- 54 :
- >>51
どこの馬鹿が書いたのか知らないが、論理が無茶苦茶である。
まず、一歩を一歩としているが、表を見てもどの時代も二歩を一歩としている。
さらに、「三百歩を里と為す」周制を認めていながら勝手に百歩を一里としている。
また、6を聖数としたのは秦王朝だというが根拠の提示がない。
また、6尺に根拠がなく、三百歩にも意味がないというが、根拠と意味を知らないだけである。
昔の度量衡が60進法とか12進法を採用していたという歴然たる事実を無視している。
10進法は近代になって人為的に採用されたものなのである。
百歩を一里とするというこの男の勝手な言い草は近代人の発想である。
要するに古田信者の馬鹿である。
- 55 :
- どっとはらい
- 56 :
- >>52
>>26のデータを元に計算すると、
n=4
σ=25.97
se=12.9 になったよ。
- 57 :
- ごめんなさい。22.3÷2 でした。お詫びの上訂正します。
- 58 :
- なお、>>57の数字22.3は>>22に基づいたものです。
>>54
>要するに古田信者の馬鹿である。
その古田氏が短里の根拠とする周髀算経に
「即平地徑二十一歩,周六十三歩。令其平矩以水正,則位徑一百二十一尺七寸五分」とある。
径21歩 周63歩の地を平らにし、水正をもって平をはかり 即ち径121尺7寸5分を位す
アバウトに平らにした直径21歩の円の中に 直径121.75尺の水平な円があるわけだ。
1歩が6尺を下回る事は無い。もし、周髀算経を短里の根拠と考えるなら、短尺を主張する以外にないだろう。
- 59 :
- >>58
意味がイマイチ不明だが、21歩=121.75尺ということか?
すると一歩≒5.8尺ということになるが、なぜそれが短里の根拠になるのか?
中国の度量衡というサイトによると1尺=19.9cm、1歩=6尺=119.4cm とあるから、
短里があるなら60歩=1里という体系がなければならないのである。
しかし「三百歩を里と為す」という資料があるそうだから、60歩=1里という体系はない。
要するに短里というのは空想なわけである。
- 60 :
- >>58
術曰:倍正南方,以正勾定之。即平地徑二十一歩,周六十三歩。令其平矩以水正,
則位徑一百二十一尺七寸五分。因而三之,為三百六十五尺、四分尺之一,
以應周天三百六十五度、四分度之一。審定分之,無令有纖微。分度以定,
則正督經緯。而四分之一,合各九十一度十六分度之五。於是圓定而正。
則立表正南北之中央,以繩?顛,希望牽牛中央星之中。則復望須女之星先至者。
如復以表繩希望須女先至,定中。即以一游儀希望牽牛中央星,出中正表西幾何度。
各如游儀所至之尺,為度數。游在於八尺之上,故知牽牛八度。其次星放此,以盡二十八宿度,則之矣。
訳し方がわからんのでなんともいえないが、九章算術も周髀算経も、
「意地でも」、と言っていいくらい、歩里単位系と尺寸単位系を混ぜないんだよね。
ここでも、二十一歩と六十三歩、
一百二十一尺七寸五分、三百六十五尺、四分尺之一,
こんなかんじで別に書いている。
九章算術では八歩四分三みたいに、意地でも尺で書こうとしない。
それで一度、そっちの方面からの解析を諦めたことがある。
この2つの関係は、ローガンの言った通りの訳でいいのか、
古代中国語が翻訳できないのでわからない。
- 61 :
- 対馬 四百里四方
壱岐 三百里四方
- 62 :
- 倭国が周代の里を使ってたってのは、太伯の後ってのとも整合性があるな
ところで倭をワって読むのは絶対なの?
倭にはシって読み方もあるわけだが
倭国=シコク=後の四国説も捨てがたい
- 63 :
- 倭人伝の距離表記は実距離と大きくかけ離れている→間違っているのは一里当たりの距離だ
根拠は?→倭人伝が根拠だ
短里信者は倭人伝原理主義なんだよね
- 64 :
- >>23
根拠だろ。
魏志倭人伝では430mとは違う「里」を使っているのだから。
数字が間違っていると言うのならどう間違ってるか提示するべきと言ってるだろ。
この点はお前さんより満州の方がまだましだ。
数字の間違いに関してだが6、7割ならまだしも2割なんてザックリしすぎだろ。
いくら大雑把とはいえ公文書に使う記録でここまで数字を盛るというのはありなのか?
ここまで数字を変えるのなら時間を使った方がよかったんじゃないか?
実際使ってる箇所もあるし、「里」を使う必然性がないだろ。
- 65 :
- >>63
根拠は倭人伝だと? またまた錯覚しとるなw
- 66 :
- 前に、記録者の主観で距離はかなり狂ってると書いたことがあるし
対馬→壹岐=1000里をだいたいの基準にしてるから
正直、短里だろうが数字の間違いだろうがどうでもいいが
批判のための批判しかしないレスにはイラッとくる。
- 67 :
- まあ、短里なんて主張するより、
破賊文書,舊以一為十
(勿論、倭が賊だと言うわけではないが…)「大袈裟に記録する場合があった」とまでは言えると思う。
魏最後の皇帝である明帝。 徳を慕って大海中の倭から朝献。
返使を派遣した所、なんと、そこは萬里の彼方の地だった。帝の徳とは遥か萬里を超えるものだ。
と明帝時の魏老中が私撰の書に距離を大袈裟に記述した。
…ってどう?
- 68 :
- >>49
船の進む距離ってのは、船が水に対して進んだベクトルと
海流のベクトルとの合成ベクトルの長さだもんな。
前スレで古代船の平均速度が2ノットと紹介されていたが、
海峡の再隘部の流速は3〜5ノット。島を目指して漕いでいる
つもりでも、あれよあれよという間に下流に流されてしまう。
だからまず、流速の緩いところで思いっきり上流(西)に移動しておいて、
おもむろに南下するとかしなければ、目的地に着かないのだな。
>>41とか>>52とか
沿岸航海については、帆走ならある程度陸から距離をとるのも利があるけど、
漕走の場合は基本的に海岸線と平行だと思う。もちろんちょっとした岬や入り江の
場合は大回りにパスすることはあるだろうけど、島嶼部は積極的に利用して
波を避けると思う。波があるのとないのとでは漕ぐ疲労が格段に違うから、
距離を犠牲にしても波を避けたい。
- 69 :
- >>58 が事実なら、6尺1歩が崩れたことになる。
数学書だから誤差という言い訳は通じない。
実測値ではないからだ。
尺という単位と歩と言う単位が別にあって、
たまたまある時代に六尺と一歩が近かったというだけになる。
六尺一歩という法は、少なくとも当時は存在しなかったと言うことだろう。
- 70 :
- >>67
可能性ないこともないな。
- 71 :
- 一里=約80mで計算すると実距離と合うから倭人伝の距離表記は正しい
一里=80mの根拠は一里=80mで計算すると実距離と合うからである
こういう理屈に違和感を覚えないのが短里信者
- 72 :
- 伊都国ー奴国間が100里=7キロ弱なら、候補地はどことどこになるんよ?
- 73 :
- 短里は伊都国を佐賀にもっていくにも実は都合がいい
桃太郎のきびだんごのようなアイテム
- 74 :
- >>72
小城市−佐賀市、あるいは佐賀市−神埼市
- 75 :
- >>71
>一里=80mの根拠は一里=80mで計算すると実距離と合うからである
こういう現代的合理性に嫉妬を覚えるのが畿内説信者
- 76 :
- どっちにしろ九州南部説は安泰w
- 77 :
- >>75
君の思考が論理的でない事はよくわかった
- 78 :
- >>69
>>>58 が事実なら、6尺1歩が崩れたことになる。
なんで?
「アバウトに平らにした直径21歩の円の【中に】 直径121.75尺の水平な円があるわけだ。」
なんだけど。なお【 】は、わかりやすいようにこのレスで加えた。
- 79 :
- >>77
お前さん、魏志倭人伝なんかどうでもいいんだろ。
対馬→壹岐=1000里の意味を考えようともしないのだから。
それとも考えたくない?w
- 80 :
- 畿内説スレが無いのは論理的でないからw
- 81 :
- >>71
というか、それが帰納的アプローチなんじゃね
複数の共通する結果から未知の法則を発見する方法
物理学などでは典型的な方法
- 82 :
- 結局、ローガンは一里を何mと思っているのだろう。
その一里で、どのように、邪馬台国までの里程を考えようとしているのだろう。
- 83 :
- >>78
【中に】、この表現の文字はどれが該当するの?
- 84 :
- >>79
どうしてそういう発想になるのか分からん
実距離とかけ離れた「千里」の表記から導き出されるのは「倭人伝の数字の信用性は低い」という結論だろ
君らは金科玉条の如く倭人伝の数字に拘り過ぎてるんだよ
- 85 :
- >>83
a平地とb其平矩以水正の記述から。
言えることは、bの円はaを超えない だけ。a=bを主張するなら別の論拠が必要。
- 86 :
- >>84
> 実距離とかけ離れた「千里」の表記から導き出されるのは「倭人伝の数字の信用性は低い」という結論だろ
横槍だが…
んじゃ里の度に拘る必要もないじゃない。
アバウトに測られて、アバウトに書かれたモンだろ?
俺もそう思うよ。
だから現在の地図と比較して、一里垂W0mが
妥当って結論を出してる訳だ。
公里とか短里とかじゃないの、『倭人伝里』なの。
- 87 :
- 周代の特別な度量衡とかもったいつけたことを言い出すと
どんどん袋小路に入っていくのは確か
- 88 :
- 現状では東夷の文献ってないからなあ
- 89 :
- 江戸時代の(出版は明治)道中記でも対馬ー壱岐、壱岐ー唐津間は実際の距離の
4倍近くに書かれているが
この当時に海上だけ短里が用いられていたというやつはいないだろう
これは海上の距離は近世になっても求めにくかったことと
所要時間を距離に換算して考えていたことがいえるのではないか
- 90 :
- 邪馬台国論争界隈以外で短里なんて聞いたこと無いよね
- 91 :
- >>84
あいかわらず本末転倒・錯覚しとる。これだからな文系人間は。
いうまでもなく倭人伝に書いてあるから対馬と壱岐が生まれてきたのではない。
先に倭の国土という実態あってこその倭人伝の里(短い里)であり、
例えば海を隔てて存在する対馬〜壱岐の実距離を千余里と記述したにすぎないのだ。
- 92 :
- 辻褄の合いそうな数字を算出したら1里70〜80だったと
どうにも無理矢理感が拭えない
- 93 :
- >>89
海里ではないの
幕末だと入ってるでしょ
- 94 :
- >>93
いや、そういう書き方はしてない
- 95 :
- そもそもカッコ良く、千里−千里−千里、と書いてるわけだ、ただそれだけ。
それをグダグダ詮索するのは野暮、ダサイ。
- 96 :
- 見知らぬ土地で、Aさんの感覚で距離を測って地図を作って貰った。
地図には地点間の距離もちゃんと記載しておく。
Bさんに地図を渡す。
Bさんには車のオドメーターで距離を確認しながら回って貰う。
当然誤差は出る。
5kmと書かれてた地点は3kmしかなく、かと思えば
1km長かったり、はたまた丁度に良かったり…
平均すると、Aさんの1kmの感覚は600m程だった。
Aさんの地図を実際の地図と見比べる時は、1kmを
600mで計算すると、すんなりその土地を回れそうだ。
おわり。
- 97 :
- 短里の発生原因が解らないな
6町だっけかを1里と定めていて、その元になる尺が時代によって変化したため、十数%の違いが生じただけだろ
尺は人間の尺骨の長さから来た単位だから、そう変わること自体がおかしい
日本の里は後に半時に人が歩ける距離をもって1里とするという慣習が行われて、江戸時代にそれを公里と定めたから≒3.9qになったと言う
倭人伝で邪馬台国を語るときだけ短里を使ったなら、それは何処で作られた単位なのだ
- 98 :
- >>91
>先に倭の国土という実態あってこその倭人伝の里(短い里)であり、例えば海を隔てて存在する対馬〜壱岐の実距離を千余里と記述したにすぎないのだ。
そう。ただ「記述したにすぎない」んだ。
「短い里1里80m」とやらが、別史料から得られる「真の前提」なら、
「記述したにすぎない」倭人伝の里が、当時使われた短い里であるという論証は可能なんだがね。
- 99 :
- 「里」というのは陸行にも使われている。
末盧国から伊都国まで五百里など。
一里を434mとすれば、五百里は217km程度になる。
唐津市を中心に200kmの円を描くと、九州の場合は鹿児島市がその距離になる。
その後の奴国まで百里などを考えると、やはり魏の時代の一里=434mでは
計算が合わない。短里主義者ではないが、一里は50〜100m程度と
考えたほうがつじつまが合う。
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