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2013年08月日本史38: 任那日本府とは何なのか? Part 2 (123) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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任那日本府とは何なのか? Part 2


1 :2013/07/22 〜 最終レス :2013/08/02
前スレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1362859337/

2 :
弥生時代終末期の北部九州、筑紫・博多。
 漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国【銅鐸祭祀】も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)
の邪馬台国【銅鏡祭祀】に国を譲る【銅鐸一斉処分→九州=銅鏡に鋳直し/九州以外=埋納】。
 これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と全面戦争になり、「和」国が分裂、卑弥呼は急死(男弟/魏の張政/狗奴国による暗殺説)。
-分裂した「和」国
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)筑紫/宇佐┃→安芸→吉備→「大和」朝廷
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向┃↑≧神武東征ルート≧
...................隅国(鹿児島)┘
 卑弥呼の跡を継いだ♀女王「台与」は投馬国長官♂を婿として迎え、旧奴国&隅国(隼人)とも同盟を結び、肥後狗奴国(後の熊襲)を
一網打尽にし、倭「和」国を再統一した。
 「和」国再統一の偉業をなした男系先祖の出自を後世に伝えるため、神武は日向(投馬国)から出航し、中国における五胡十六国の
内戦の影響から距離を置くべく、都を筑紫・博多から先遣隊長ニギハヤヒが拓いた奈良・三輪山麓(纏向)へ東遷し、その女系先祖・
卑弥呼(アマテラス)&台与以来の【銅鏡祭祀】「大和」朝廷を創始する。
※古事記・日本書紀が、日向長官の先祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)を
その姉としたのは、「大和」朝廷・天皇家(♂日向長官と♀筑紫女王「台与」夫妻の子孫=神武の末裔)による系図操作。
 銅鐸祭祀をしていた漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は、倭(和)建国の功績を消され出雲に祀られる。

3 :
-「大和」朝廷における、♂日向(投馬国)系大王と♀筑紫(邪馬台国)系大王の(双方の男系男子途絶による)政権交代
4世紀〔前期古墳〕三輪(銅鏡)王朝(1神武〜14仲哀)=♂日向(投馬国)系大王【四道将軍派遣→国造任命→日本武尊東西平定】
5世紀〔中期古墳〕河内(鉄剣騎馬)王朝(15応神〜25武烈)=♀筑紫(邪馬台国)系大王【神功の三韓征伐→倭の五王(讃珍済興武)】
   →高句麗の南侵に脅かされた百済支援により金官伽耶(後の任那日本府)からの「鉄の大量供給ルート」を確保し、王権強大化
6世紀〔後期古墳〕近江王朝(※26継体〜38天智〜50桓武〜現在)=♂日向(投馬国)系大王【仏教伝来→白村江の戦い→律令国家】

-26継体・27安閑・28宣化=日向系大王〔樟葉宮→筒城宮→弟国宮→磐余玉穂宮〕
  …(×応神5世孫○日本武尊7世孫)継体大王の「大和」入りが筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫国造・磐井の乱」を誘発
-29欽明〜♀35皇極(37斉明)=筑紫系大王〔飛鳥・板葺宮〕
  …筑紫系大臣、蘇我氏(娘達を続々大后に→外戚として大王を操縦)による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」(大化の改新)へ
-38天智・39弘文=日向系大王〔近江大津宮〕
  …「白村江の戦い」完敗→百済・任那日本府滅亡で半島権益(鉄の大量供給ルート)を喪失。国力低下→「壬申の乱」へ
-40天武〜♀46孝謙(48称徳)=筑紫系「天皇」〔飛鳥・浄御原宮→藤原京→平城京/恭仁京/難波宮〕
  …両系和解の古事記・日本書紀・風土記編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「長屋王の変」「道鏡事件」へ
-49光仁・50桓武〜南北朝〜現在=日向系天皇〔長岡京/平安京〕
  …筑紫系天皇の奈良〔平城京〕から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの〔長岡京/平安京〕に遷都

4 :
>>2-3
時代小説は創作文芸にでも行っておくれ

5 :
>津堂という地名はいつからかは分からないが、
>川に面してた「津」が語源であることは間違いないだろう。
地名の多くは地形地勢から名付けられるが必ずというわけではない
支配者や居住者の人名に基づいた可能性や
施設であれば移転前の旧名が移転後の地形と無関係に定着した可能性もある
少なくとも大和川開削以前からの遺称かどうかくらい確認してから論じるんだな

6 :
津なんて姓無いからな

7 :
>>6
おまえの辞書には無いんだろうな
津史 津連 津宿禰

8 :
津史 津連 津宿禰 があの辺に定住したと証明しろ。

9 :
>>7
それらの何処に「津」姓があるのかな?ん?
1つも無いよね。出せ無いなら大人しく黙ってような

10 :
津堂の地名が少なくとも大和川開削以前に遡ることを確認しないと
古事記撰述の頃に長江と呼ばれた土地に結びつけられないよね
なんで可能性として呈示しただけの人名由来を否定することに必死なの?
津堂が人名に由来したに違いないなんて言ってないんだけど
津堂と呼ばれた仏堂が別の場所から移転して来て当地の地名となったという可能性を全く否定できるの?

11 :
>>9
とりあえずこういうのはあったよ
ttp://books.google.co.jp/books?id=q1MTSSwsfJ8C&pg=PA416&dq=%E6%B4%A5%E5%A0%82%E6%9D%91&hl=ja&sa=X&ei=4fDuUaeONIyPkgXepYCIBw&ved=0CDQQ6AEwAQ#v=onepage&q=%E6%B4%A5%E5%A0%82%E6%9D%91&f=false

12 :
恵賀うわっ、まだ言ってるのかしつこいなぁ。
こんな事、2スレに渡って言いつづけるような話かよ。
元々が応神天皇陵墓より一段階古い大王墓で、
津堂という川のそばにある地名なので古事記の恵賀の長江なのではないかという自説を言っただけだ。
「否定することに必死なの?」 「可能性を全く否定できるの?」はこっちの台詞だ。
しつこいんで以後無視。

13 :
×恵賀うわっ
○うわっ


14 :
都合が悪くなると無視

15 :
>>9
>>7であがってるのはみんな現代風にいうと「津さん」なんだけど…

16 :
船連が船に関連してる名前だと簡単に推測できるように、
津さんも船溜まりや港に関連してるだろ
ならば津という人名が語源であっても津があったということ

17 :
>>16
津さん一族が未来永劫水辺でしか活動しないならそうだろうね

18 :
>>12
じゃあもうレスするなよ
>津堂という川のそばにある地名
この雑な考えを検討してるんだけどな
初め大和川のそばだと思ってたのに誤りを指摘されたら石川に変えて結局は東除川を選び
いつのまにか二つの川に挟まれた土地とか言い出しはじめた
長江も津堂も川に挟まれた土地なんて意味ではないよね
津堂城山はその名の通り中世には城砦として利用されていたけどその名称は小山城
当時この城砦のある丘は津堂と呼ばれず小山と呼ばれていたことになる
津堂の地名は中世までは遡れるかもしれないけど川のそばだったから名付けられたと言い切れる根拠は何なのか
この辺りは津氏が活動していた土地だったから
津堂の津が水辺に由来するのではなくて氏姓によった可能性も無いとは言えない
意味も発音も違うのに水辺っぽい地名だから津堂が長江で違いないというのは希望的観測でしかない
普通は地名から探索するならまんま音が変わってないか少し転訛してるくらいの場所を遺称地として考える
後世の津堂が古代に長江と呼ばれた場所であると主張するなら相応の説明を要するはずなんだけど
その必要が無いと思っているなら自説を只の思いつきとしてしか組み立てる気がないということだ
紀と式の長野を考慮しない理由は現在どこだかわからないからとか
そんなんで良いと思ってる程度だからまあ仕方ない
どうしても長江に着目したいなら最初期の二重濠を指して或はそれへ川の水を引き込むために作った堀なんかを
長江と称されたのが少なくとも古事記の頃までは伝わったいうような考え方のがすっきりする
板葺きの屋根が珍しかった頃に称された名前が後代にも伝わった飛鳥板蓋宮みたいに

19 :
>>17
http://www.maido-habikino.com/walk_page/machiaruki_1.htm
「王氏一族の白猪史(シライノフヒト)が元正天皇の養老5年(721年)に
河内恵我長野邑(藤井寺近辺の旧名)に土地をたまわり、
名も「葛井連(フジイノムラジ)」と改め、本拠地としていた。
 葛井連の親族には柏原国分や羽曳野市野々上から
伊賀・南宮・北宮・島泉・小山・津堂附近にかけて分散居住していた
船史(フナノフヒト)や津史(ツノフヒト)があり、いずれも帰化系の文化人でした。 」
つまり津堂をふくむ長野邑に船史(フナノフヒト)や津史(ツノフヒト)が居住していた
船史や津史は川にかかわる地域だったからそう命名されたのだ
8世紀においても津があったということ

20 :
>>18
氏姓の始まりを考えれば、役目や地理が先ずあって其処から名前
津姓が先で其処から津堂と名付けるのは、古代には考えられない
大陸出身の帰化民でさえ読み名は役割や地名から付けられているし

21 :
http://pub.ne.jp/luckfield/image/user/1257797875.jpg
(上の赤丸は関係なしね)
これを見ても藤井寺あたり湿地がせまってて津があったのは確実だよ

22 :
>>19>>20
津堂の地名が古代からあったのなら史料を教えてくれ
>>21
川の近くで津堂という地名が成立したとして
長江と津堂が同一地点であるというのは古墳から導いている希望的観測だというのが分からないか
特に理由なく川の近くでいいなら何処でも長江や津堂でいいことになるんだが

23 :
>津堂の津が水辺に由来するのではなくて氏姓によった可能性も無いとは言えない
と言ってて、>>19であのあたりに住んだ船史や津史を指摘され、
また>>20の「氏姓の始まりを考えれば、役目や地理が先ずあって其処から名前」
に対して
>津堂の地名が古代からあったのなら史料を教えてくれ
というのは
>氏姓によった可能性も無いとは言えない
という自分の意見を撤回したの?

24 :
>>23
津氏からの由来を否定するために津氏が活動する以前から津堂の地名があったことを確認したいのがそんなにおかしいかね
津堂の地名が古代から脈々と続いてきたとする史料がないのに古代の成立だと盲信して古代に人名由来の地名などありえないというのは乱暴ではないのかね
そもそも津堂がそんなに古い地名だとするなら長江がいつまで残っていたにもよるけど異なる場所だという蓋然性が高まるような気がするんだけど
長江が川のそばだから名付けられたのだろうというのは良いとしても
城山古墳を津堂と呼びはじめたのは近代以降のことで
村名をとったにすぎず川のそばだったから津堂と名付けたわけではない
この点が分かっていない
中世には小山と呼ばれていた所なのに近世では津堂村の領域となってるのは偶々村社が建立されたからだろう
中世以前に遡って津堂の地名の存否や領域について何の証拠も提示できてないのに勝手に古代以来だと確信してるのはどういうわけなのか
川のそばだったから津堂と名付けられたと主張するには
少なくともいま東除川との間にある島泉・小川・若林といった集落の場所がかつては津堂と呼ばれていたと言いうる証拠や
東除川がもっと津堂よりに流れていたことでも示されないと話にならん
大水川(旧大乗川)の方が近いけど東除川の場合と同じくより川に近い古墳が存在するし
間にある小山との関係を説明できないとやはり話にならない
隣村より川から遠いのに川のそばなのかね

25 :
>少なくともいま東除川との間にある島泉・小川・若林といった集落の場所がかつては津堂と呼ばれていたと言いうる証拠や 東除川がもっと津堂よりに流れていたことでも示されないと話にならん
もはや日本中の川傍の地名が津堂でならなくてはならんという狂論
君は異常

26 :
>>24
>城山古墳を津堂と呼びはじめたのは近代以降のことで
だから津堂という地名は近代からという論理か?
ならばソースを示してくれ

27 :
http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,92,51,261.html
 「この深居神社は、奈良時代の養老元年(717)の創建と伝え、
品陀別命(応神天皇)を祀っています。棟札から、
一間社流造りのこけら葺の本殿は、江戸前期の万治3年(1660)に建てられました。
また、寛政5年(1793)をはじめとする多くの絵馬が拝殿天井に掲げられています。
もともと、同社は小川だけではなく、津堂や市域の若林・大堀・川辺(大阪市平野区)の総産土神でした。
それが、元弘~建武期(1331~35)以降、現在のように小川一村の氏神となったのです。」
717年以前から津堂はありました ヾ(*・∀・)/

28 :
>>25
大和川開削以前に津堂が川傍だったかどうか確認できていなのに盲信する方がおかしいでしょ
>>26
津堂が少なくとも近世には遡れることくらい検索すれば分かるでしょ
>>27
その記事をどう読むと8世紀に津堂という地名があった証拠になるのかね

29 :
>>28
>その記事をどう読むと8世紀に津堂という地名があった証拠になるのかね
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/oosaka/matsubarasi/fukai/fukai.html
「社伝によると、創建は養老元年(717)に、もと津堂若林大堀小川川辺の総産土神であったが、
中世の元弘建武の兵乱(1331〜35)に分離して、小川町だけの産土神となる。」
創建時に、津堂、若林、大堀、小川、川辺の総産土神だったという事
負けず嫌いなのは結構だが日本語くらい理解しよう

30 :
>>29
創建の時点で五箇村が成立していた証明になるのかね
元弘建武の時点で五箇村が奉斎していたようにしか読みとれないが
何れにしてもかなり古くから津堂と東除川との間に小川と若林が存在しており
津堂村が川と接していないことの傍証なんですがいいのかしら

31 :
そもそも長江の地名が古事記にしか出てこず
他の史料がみな長野である時点でアレだけどな

32 :
>創建の時点で五箇村が成立していた証明になるのかね
そう書いてるのだからあきらめろ
>何れにしてもかなり古くから津堂と東除川との間に小川と若林が存在しており
>津堂村が川と接していないことの傍証なんですがいいのかしら
昔の地図なんてないのだからどこに川が流れてたのかは分からないが、
小川と言う邑があるのだから察しろよ
おまえは病気
>津堂の地名が少なくとも大和川開削以前に遡ることを確認しないと
>古事記撰述の頃に長江と呼ばれた土地に結びつけられないよね
と言ってたのだから、
大和川開削以前に遡るわけだから「あった」でいいな?

33 :
>>31
触れたくないらしいね
>>32
元弘建武より以前に津堂村があったという証明にはなっても創建時に成立していた証明にはならないでしょ
近世中世の村落は全て古代に遡れるとでも思ってるのかね歴史人口学とか知らないの
小川は今も東除川のそばだけど津堂はそうじゃない
津堂が過去のある時点で川のそばだったと主張したいなら
当時の川筋を史料やら地図やら航空写真やらで考察すればいいだけのことなのに
地名は地形から名付けられたに決まってると勝手な臆測だけで論じてる方がよほど病気
>>津堂の地名が少なくとも大和川開削以前に遡ることを確認しないと
>>古事記撰述の頃に長江と呼ばれた土地に結びつけられないよね
>と言ってたのだから、
>大和川開削以前に遡るわけだから「あった」でいいな
もう飽きたのでしたらお好きなように

34 :
>となのに

35 :
>元弘建武より以前に津堂村があったという証明にはなっても
認めるのだな
ならそれでいい

36 :
>>35
最初から否定してませんけど?
中世には小山と呼ばれていた場所なのに近世か近代以降の呼称に従って
古代は川のそばだったと確信できるだけの頭脳が欲しいわ

37 :
否定してないのなら津堂の津は川の傍または水辺じゃないか
当たり前な事
津氏も船氏も川があったからこその氏族名

38 :
津堂の地名が大和川開削以前に遡れることと
川辺から採られた地名だったかどうかは別の話
地名は大抵の場合は地形・地勢から名付けられるけど
人名から採った例や移転してきた施設の旧名を付けた例なんかがあるわけ
古代にそんな例は無いと言うなら古代から津堂という地名があったことを証明するのが先でしょ
いまのところ南北朝まで遡っても津堂が川のそばだったかどうか分からない上に
川との間に別の村落が所在していることが明らかなんだから川辺を意味する地名が付けられた蓋然性は低いと言わざるを得ない
地名の語源が確定しているわけでもないのにその地名を根拠にして川筋が変わっていることを前提にするとか
希望的観測の積み重ねでしかないことがまるで分からないのならもうどうしようもないね
それと無視すると言ったならちゃんと無視してください

39 :
>地名は大抵の場合は地形・地勢から名付けられるけど
>人名から採った例や移転してきた施設の旧名を付けた例なんかがあるわけ
>>37

40 :
やはりまるでわかっていないな
地形由来を否定するだけの明確な根拠がないから否定しないだけであって
他の可能性を全て否定しうる地形由来を肯定しなければならない根拠もないわけ
そういうことが理解できないから長江=津堂なんていう風に安直に考えるんだろうけどね

41 :
>小山と呼ばれていた場所なのに近世か近代以降の呼称に従って
>古代は川のそばだったと確信できるだけの頭脳が欲しいわ
小山は小さな山があったのだろうね
なら津堂は津=船溜りがあったのだろう
水辺以外に船溜りはできないのだよ

42 :
>>38
河内は地名の通り中世まで無数の川が錯綜する地形で
津堂の地名は大和川開削以前に遡れるし
津とは元々水辺を意味する文字
川辺を意味する事から津堂の名が付けられた蓋然性は極めて高い

43 :
>>41
川筋とは関係なく津氏の祭祀する仏堂のあった場所だから津堂と呼ばれたとか
元々別の土地で津堂と呼ばれていた仏堂が今の津堂に移転してきて地名がそこから採られたとか
現時点で川のそばでなくより川のそばな場所があるにもかかわらずそういった可能性を根拠なく悉く排除して
意味も発音も違うのに古代の江津の跡で長江と同一地点だと確信できるのは不思議だね
>>42
蓋然性でいうなら古事記にしか伝わらない長江が正確かどうか怪しいのでは

44 :
>元々別の土地で津堂と呼ばれていた仏堂が今の津堂に移転してきて地名がそこから採られたとか
醜い言い訳

45 :
>>42
全くその事を言ってるわけです
にもかかわらずこれだけ言い逃れするやつも珍しいです

46 :
>>44
もう一つの方は醜くないのかな
>>45
前スレでも言ったけど石川と大和川の合流地点より北方なら分かるけど
藤井寺・松原・平野あたりでそんなに大きく川筋が変わっているとは思えないんだけど

47 :
>前スレでも言ったけど石川と大和川の合流地点より北方なら分かるけど
>藤井寺・松原・平野あたりでそんなに大きく川筋が変わっているとは思えないんだけど
合流地点より南方でもいいではないか
津があったから津堂だろ
何が不満なんだ

48 :
東除川の右岸は島泉丸山の辺りまで標高が少し高いので
津堂のそばを通っていたとすると小川あたりから東進することとなるが急カーブを描くことになり近世まで知られる川筋から見て不自然
大水川(旧大乗川)が今より近くを通っていたとする方が理解はしやすいが
そうなると川のそばの古墳で長江と呼びうる候補が津堂城山以外に数多くなり断定材料が乏しい
そういう安直な思考でいいと思ってるならそれで別にかまわんよ

49 :
>>41
小山村の地名の元になった小山は
津堂城山古墳のことだと推測されている
(山川の地名辞典)
現地行ったら分かるけど、他に小山なんてないからね

50 :
東除川から考えるのならともかく
大乗川や石川から考えるなら川辺にある・あった数多の古墳を差し置いて
特に長江と称された理由を考えないといけないんだがね
>>49
まあそうだろうね

51 :
>>48
大和川を造成するとして高い土地をわざわざ開墾しないよね
ということは津堂のあたりは土地が低かったから造成に適してたのだろ
ならば昔なら津があったということだ

52 :
>>51
大和川の開削がどんな工事だったのかくらい調べればすぐにわかるよ
現代のだけど地図から標高を調べることができるからやってみなはれ

53 :
>>52
なんでそんなことするんだよ
川からすごく高いならともかく津があったであろうことくらいわかるよ

54 :
>>53
なんだエスパー様だったのか
それなら津氏に関わる仏堂があった可能性も否定できるし
長野の方が間違ってると断定できるな
恐れ入りました

55 :
津氏に関わる仏堂があった可能性なんて言ってる時点で終わりだ
それより津に関わってるから津氏だろ
ま、俺は蓋然性の話をしてて
あんたは何とか津から言い逃れしようとしただけ

56 :
>>55
終わりならそれで結構よ
無視するはずが随分と気になったようで

57 :
誰と間違えてるのかな?
まぁ名無しなんで意味ないけどね

58 :
長江=津堂で良いと思える人が多いんだな
勉強になったわ

59 :
中国や朝鮮では「江」は川そのものを意味してるみたいだけど
日本では陸地に入り込んだ所って感じか・・・

60 :
>>51
津堂城山古墳は東除川と西除川に挟まれた低位段丘上に立地している
(現在は大和川に分断されているが、本来は南から北へ延びる低い丘陵の上)
だいたい大型の前方後円墳は港が立地するような低地にはつくられない

61 :
>>60
東除川と西除川の間じゃなくて東除川と大水川の間だと思うけど論旨には賛成

62 :
>>60
大型の前方後円墳を低地には作ったと言ってるのではなく、
そのどちらかの川に津があったから津堂と言う地名なのではという話でしょ。

63 :
>>60
応神陵のそばに川流れてるし。
低地に造られてるよ。
あと松原?に一津屋という地名があるのだが、
大和川からかなり南なんで大和川改修以前からの地名だろ。
津なんて普通にあったんだよ。

64 :
>>63
津がありふれてるなら長江にあたるかどうかの決め手にならないのでは

65 :
葛井氏の寺で藤井寺って地名の例がすぐ近くにあるのに
津氏の堂なんてありえないってのはおかしくないか

66 :
>>64
長江というからにはこれも川沿いだろ、
どこかは分からんが。
津堂地域は旧・長野邑なんでそれでいいんじゃないの。
くだらない話だ。
そろそろスレタイに戻さないか。

67 :
>>66
津堂は長野村じゃくて隣の村だし
記と式の言う長野と近代町村制の長野村が合致しているかどうかも知らないけどね

68 :
http://www.maido-habikino.com/walk_page/machiaruki_1.htm
「王氏一族の白猪史(シライノフヒト)が元正天皇の養老5年(721年)に
河内恵我長野邑(藤井寺近辺の旧名)に土地をたまわり、
名も「葛井連(フジイノムラジ)」と改め、本拠地としていた。
 葛井連の親族には柏原国分や羽曳野市野々上から
伊賀・南宮・北宮・島泉・小山・津堂附近にかけて分散居住していた
船史(フナノフヒト)や津史(ツノフヒト)があり、いずれも帰化系の文化人でした。 」

69 :
ほんなら長江なんての拘る必要なくて長野の陵ってことで決着じゃん

70 :
>>69
何古墳なんだよ。

71 :
>>70
津堂城山の話してるんじゃないの?

72 :
>>71
そうだよw

73 :
>>63
現地を知らないことが丸わかり
応神陵も南から北に伸びる台地上に立地している
近鉄南大阪線に乗ってみればすぐ実感できるぞ
同じ台地上に連なるのが仲津山であり允恭陵だ
古墳の分布図を見てみ
ま、大和川の付け替えも知らないようなアフォどもは
船橋遺跡とか知るよしもないのだろうなあ

74 :
>>73
応神陵のそばに川が流れてるが高台なのか。
津堂城山が高台ではないのでどうでもいいが。

75 :
>>72
古事記にしか伝わらずどういったものを指すのか分からない長江を頼りに
どこまで遡れるかも地形に由来したかも定かでない津堂を比定するよりは
津堂・小山あたりも長野の遺称地だと考える方がよほど簡単ですっきりしてると思うね
>>74
高台のすぐ下を川を流れてる可能性は考えないのか

76 :
いいねこのスレ。希望的観測で論理を組み立てるなとか
マンツーマンで普通のおっさんが論文の書き方教えてもらえる。

77 :
屁理屈だけで結局自分が何古墳だと思うのかさえ言えないやつ多いよね

78 :
屁理屈だけで何古墳だと思ってるやつも多いよね

79 :
仲哀墓が4世紀後半の大王墓である津堂城山古墳だとして何が屁理屈なのだろう。

80 :
学問の世界では結論にいたる論証過程も結論と同様に重視されるものなんだよね
屁理屈というか、論証過程のおかしさを突っ込まれたら顔を真っ赤にして説明を二転三転させたという話だったな
学問的な話ができるレベルでないって自覚すらできないところが救いかな

81 :
学者ではないのに格好つけてもな。
津堂城山が河内王朝開始期の大王墓は定説。
川が流れてる事が分かって慌てて川から離れすぎで津ではないなんて
顔を真っ赤にして説明を二転三転させたという話だったな。

82 :
いつまで顔真っ赤にしてんだよw

83 :
細かいことだけど大王墓じゃなくて大王陵とか大王墳と言うべきなんじゃないの
そういう細かいことが認識できそうもなさそうだけど

84 :
検索してみたら大王墓って使う人けっこう居るんだな
墓塚墳陵廟やたらに使い分けしたがるのも何かにとらわれすぎかな
失礼しました

85 :
宮内庁から天皇の墓と認められてるのが、
(たとえ間違ってようが)大王陵なんじゃないの。
たとえば応神天皇陵であって応神天皇墓なんて言う人はほとんどいない。

86 :
>>81
>学者ではないのに格好つけてもな。
学者とか格好とかそういう問題じゃないと思うけど、本当に自覚すらできないのかな。
>津堂城山が河内王朝開始期の大王墓は定説。
津堂と長江の地名の関連性から言及している学究を知っているなら教えてください。
>川が流れてる事が分かって慌てて川から離れすぎで津ではないなんて
附近を東除川や大水川が流れていることは大和川の付け替え以後も変わっていないよね。
津堂村は新大和川にしか接していなくて他の川へ通ずるには隣村を経由しなければならないけど、
そういう村でも川に由来する地名が与えられたとするなら、他所でそういう例を一例でも挙げてみればいいんじゃないかな?

87 :
どうたらこいつ真性のキティみたいだな。
>津堂と長江の地名の関連性から言及している学究を知っているなら教えてください。
そんなものない。
ないからって自分の意見言ったらいけないのか?
津堂地域は記紀の恵賀と長野に合致してる。
長江は不明(そんなもの分かるわけない)。
何か問題か?

88 :
>>87
ん?w
長江=津堂の人とは違うのかな?
それとも長江からの比定をいつの間にか無かったことにしてて長野に鞍替えしたのかな?
書紀と延喜式の長野はどこだか分からないなんて言ってのは夢か幻のようだね。
大和川の付け替えも知らないで川のそばだってはしゃいでいた過去は恥ずかしいもんね。
すぐ罵倒したがるくせは改めないとお里が知れるよ。

89 :
津堂に川が南北に流れてる事を知って大慌てだった過去は恥ずかしいもんね。w

90 :
>>89
大乗川が小山村を越えて津堂に接していたならその史料を挙げてくださいな

91 :
そんな気になるならお前が調べろ。
「津」とは船溜まりであり、昔からある津堂村は、
川や水辺に接してる蓋然性が高いと、
何度言っても理解しない、
あるいは異様な負けん気で「わざと理解したくない」のは惨めだねw
夜中も昼もPCの前にいるお前と違って仕事があるので寝るわw

92 :
無視すると言っておきながら気になるんだね
説明責任の彼我すら分からないならもう議論は止めた方がいいと思います
>>80が言うように自覚すらできないのはある意味救いですわな

93 :
>>92
傍から見てるとオマエは的外れなんだよ
学者の真似事をしてみても、センスが無いから思索の意味に乏しい。
相手の揚げ足取りしか出来無いが
その相手の粗い推測にすらオマエの方向違いの思い付きは及ばない

94 :
>>93
学者の真似事に揚げ足を取られたくなかったら粗い推測をしなければいいだけのことですね
センスに欠ける見当違いの思い付きだと思うなら一々相手をしない方が沈静化すると思いますよ

95 :
学問・人文系日本史板としては
・大和川付け替えの事実も知らずにドヤ顔で語ってた奴
・無知を指摘されたら火病ってそれまでの論理構成とは全く異なる主張を始めた奴
が一番的外れなんだがw

96 :
どや顔とか火病ってとか感情の話なんかどうでもいいんだよ。

97 :
>>96
・大和川付け替えの事実も知らずに語ってた奴
・無知を指摘されたらそれまでの論理構成とは全く異なる主張を始めた奴
感情の部分を削るとこうなるだけです

98 :
>>97
そういう議論を心掛けて下さい。

99 :
学問・人文系日本史板としては
津堂とゆう地名が「津」から出たのではなく
津氏から付いた可能性が高い
とか言っちゃう無知な馬鹿の方が大問題だけどね。
日本の歴史を何も解ってない

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