2013年17趣味一般130: 【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】 (937) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】


1 :2012/05/27 〜 最終レス :2013/09/10
前スレ 埋蔵金発掘が趣味の人
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1191231282/
古今東西埋蔵金の話ならなんでも結構です。ただし、「my雑巾」は禁止します。
※前スレが「5年」も続いたんで、皆さんの自由闊達で、活発そして想像力豊かな書き込みをしてください。
【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
【指定返信方法】
個別の書き込みに対して返信したい場合は、半角で入力しましょ。
>>71 ←全角×   >>71←半角○
【注意事項@(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に
A仲間募集・共同出資・物証等売買において、詐欺等の可能性もありますので、くれぐれもご注意ください。

【注意事項A(スレ立てについて)】
荒らし煽り反応直リン、全て控えましょう。
次スレは事前にスレ立てを宣言してから>>950が立てる。
応答がない時は>>960以後10レス刻み、>>980から順次。

2 :
できたおー 2ゲット

3 :
【スレッドを見失う方へ】
スレッドを見失う方は、http://find.2ch.net/ ←2チャンネル検索などを用いて、「埋蔵金」キーワードで探せます。
お気に入りに入れて、頻繁にチェックしましょうw
今年こそは、現地調査を含めたオフ会をしたいと真剣に考えております。
飲み会には必要ありませんが、【ここでメンバーを集め現地調査をする方々】は、
成年・未成年は問いませんが、免許証・パスポートなど顔写真入りの身分証明書及び、連絡先をご提示いただける方に限らせていただいたほうがよろしいと思います。
これは、現地調査等で事故にあわれた時の連絡や警察・消防等へ問い合わせのためです。
私自身もバイクに乗っているため、免許証のほかに緊急連絡先、血液型等を書いた紙をパウチして常に携帯しています。

4 :
165さん
 新スレ立ち上げ、ありがとうございます。

5 :
早速来ていただいてありがとです。
前にも書きましたが、遊女であろうと花魁であろうと、あったとすれば村の女性が滑落して死んだ程度の話で、
淵の上に演舞台を作って躍らせて、台ごと葬り去ってのは難しいと思いますね。
どう考えたって、まとめて切り殺したほうが手っ取り早いでしょう。
河童とか妖怪の類もそうですが「戒め」「注意喚起」で、その場所に近づいたらダメよという警告のためではないかと思います。
その場所とは、荒らされたくない場所、危険が多い場所が多いですね。
確かに谷川とか危険がいっぱいです。
また、近づかれたくないので伝承を残している場合も多いです。古墳などね。
埋蔵金があるかはわかりませんが、なるべく近づくなって場所なんだと思います。

6 :
前スレで
>畠山氏の記述は意図的に場所を変えてたりは考えられないですか?
>私はある意味での作為的なものを感じますけど。
とありますが、地図や交通が発達した世の中で、ちょっと調べればわかりそうなもんなんですが・・・。
畠山氏は、ほかの著書でも橋の名前を間違えたりもしています。
作為的にではなく、意外と緻密ではないんじゃないかと思います。それでも頼らざるを得ないですがね。
おいらん淵が間違えなのか、柳沢川が間違えなのかはわかりませんが、前スレで書いたように
一之瀬川を柳沢川と間違え、その合流地点をおいらん淵と間違えた可能性「も」ありますね。
地図等を含めた現状から見るに「一之瀬川と龍喰川の合流地点」がしっくりきます。
ですが、なんか違う気がしてならないのです。
龍喰川を間違えてる可能性のほうが、一之瀬川を柳沢川に間違え、合流地点をおいらん渕に間違える(2点の間違え)より現実的です。
地図を見ると、おいらん淵の近所に鶏冠山より流れ込む川があります。
国土地理院の地図にも記載されていないし、古地図に河川名が書かれていないけど、川?沢?がありますね。A川としましょう。
「柳沢川とA川が合流するおいらん淵近くの山中を」のほうがしっくりきます。
ですが、龍喰川という変わった名前の川を間違えるでしょうか?
あ 河川名じゃないや 正確には、龍喰谷と大常木谷ですね。

7 :
やはり、龍喰谷と大常木谷を丹念に調べるしかなさそうです。
そしてA川 枯れてしまったんでしょうか?現在の地図に載ってません。
龍喰谷と大常木谷、A川を丹念に調べるとなると一苦労ですね。
もちろん沢登りが活発なので、沢から見える場所にはないでしょうし。
果たしてどこなのでしょうか。。。

8 :
「武田の宝」を読んでますが、花魁淵の件は「平八郎長者の埋蔵金」らしいとあります。
黒川=武田の埋蔵金とは無関係なんでしょうか?
それから高橋某の野宿跡も転落場所から僅か離れてるだけ。
「宇沢某が通った花魁淵近くの道」って旧旧道を指すのなら、165さんの先記に矛盾しますね。

9 :
あ 失礼失礼 まぎらわしかったですね。
おいらん淵の件は、平八郎長者の埋蔵金です。
畠山氏の日本の埋蔵金「武田の秘宝 甲州武田氏秘宝」章のを順におっていっているだけです。
修二郎の話の最後に「すると、「Rの老人の中から、それはきっと、平八郎長者の宝を探しあてたにちがいない」と、いいだすものが出てきた。
となり、平八郎長者伝説につながっています。
平八郎長者伝説は昔話であり、滑落した修二郎の話のほうが埋蔵金メモの話もあるので、地図の解説も含めて連投してました。
また、同じ著書の中に「信玄『牛の金鉱』」の章があり、信玄の軍費の話、黒川千軒になっていきます。
その章の中にも「柳沢川と龍喰川の合流地点である『花魁淵』だ、といわれている。」と書いてあります。

10 :
そこで、まず「誰の埋蔵金かは、おいといてw」修二郎がどこで見つけたのかを考えていたんです。
まずは、畠山氏が2度も間違えている「花魁渕」の位置と、修二郎の滑落場所についてを抑えておきたいと思っています。
上にも書きましたが、整理すると
<花魁淵はどこだったのか?畠山氏は河川の名称の間違いなのか?>
 @一之瀬川を龍喰川と間違えたのか? → 一之瀬川と柳沢川の合流地点=現在の花魁淵で正解。
 A一之瀬川を柳沢川と間違えたのか? → 一之瀬川と龍喰川の合流地点=本当の花魁淵???
<宇沢某の話 Rの連中以外にはめったに足をふみ入れない場所とは?>
 @花魁淵近くの山中→現在の花魁淵は青梅街道沿い → 現在の青梅街道は新道だった → 旧道は馬車道だった → 馬車道になる前の旧旧道もしくは、馬車道になれなかった旧旧道があるのではないか?
 A逆を返せば、『二ノ瀬』Rの連中が足をふみ入れる場所→部外者はめったに足をふみ入れない場所→街道の脇道(二ノ瀬R方面へ)なのか?→当時の脇道はどこなのか?
<滑落場所はどこか?>
 @金塊を持った人が、青梅街道沿いに野営するとは思えないが、帰り道だった → 青梅街道筋の脇道ではないか?横に柳沢川もあるし
<混合>
 @畠山氏が勘違いして、一之瀬川と龍喰川の合流地点を花魁淵としてしまった → 一之瀬川と龍喰川の合流地点の周辺が怪しい → 二ノ瀬に近いし、川沿いで滑落
 A畠山氏が勘違いして龍喰川と書いてしまっただけで、一之瀬川と柳沢川の合流地点(現在の花魁淵)である → Rの連中も行き来するし、花魁淵の周辺で滑落

11 :
いずれにしろ、川沿いで人目に付きにくい場所ですね。
明治時代の地図にも龍喰川も一之瀬川も書いてあるのに・・・。
しかも、花魁淵の位置を2回も書いているのに・・・地図見なかったんか?
滑落した場所がわかればその周辺が怪しい。
その周辺って言っても、埋蔵場所から早朝に出立して、滑落した場所(野営地)まで歩ける範囲。
埋蔵場所が川沿いなどと一言も書かれていないから、山中を含めたいたるところ。
でも帰り道だと思われるので、花魁淵の近所の青梅街道に「出よう」としたかもしれないし、
街道に出たので、一旦、山中の脇道にそれて一泊したのかもしれない。
その滑落した場所が、Rの連中以外はめったにふみ入れない場所の川沿い。
川はいくつかあるり、花魁淵は川の合流点だが、近くの山中と書かれており、龍喰川や柳沢川とは書かれていない。
いったいどこなのだろう?

12 :
過疎ってしまうw

13 :
花魁淵に関する武田家の埋蔵金の件。
ことこの件に関する限り、埋蔵金はない。
武田家は、金山のありかがよそに知られるのを防ぐために花魁を殺したのではなく、
金が枯渇し、金山が閉ざされるのをよそに知られることを恐れて殺したのが
真実だからだ。
枯渇した中でも、残ったわずかな金を埋蔵したという確たる資料があるなら別だが。

14 :
>>13
もし埋蔵金があるなら、噂は噂を呼び、武田家縁の者達の間を
駆け巡るであろうから、
武田家旧臣で後に佐渡金山の開発・運営にも携わった大久保長安などが
放っておかなかったろう。
しかし、彼が武田家埋蔵金を探索したなどという話は寡聞にして聞かない。

15 :
>>13
いやぁ〜いきなり凄い新解釈ですね。
>武田家は、金山のありかがよそに知られるのを防ぐために花魁を殺したのではなく、
金が枯渇し、金山が閉ざされるのをよそに知られることを恐れて殺したのが
真実だからだ。
確かに一理ありますね。金の枯渇=財力の低下、つてことですよね。
周りの国主にすれば侵略するいい機会になり得る訳だし。
勝頼が天目山で自刃した際にも埋蔵したらしい話もありますけど。

16 :

>>13
新解釈は驚きましたが、「花魁淵の件=黒川金山埋蔵金」との根拠って???
983にも書いたのですが、No8・9にもあるように「花魁淵の件=平八郎長者の埋蔵金」では?
事実、“ぶつ”を持ってた高橋某なる遺体も見つかってますからね。
もしかすると既に掘り出されていて無いかも知れませんが。。。

17 :
どもども^^
私の書き方が悪くて、「花魁淵の件=黒川金山埋蔵金」となってしまってるようですが、
上でも書きましたが、「花魁淵の件=平八郎長者の埋蔵金」です。
ただ、畠山氏の著書で、修二郎の話の最後に「すると、「Rの老人の中から、それはきっと、平八郎長者の宝を探しあてたにちがいない」と、
いいだすものが出てきた。 となり、平八郎長者伝説につながっています。
実際、修二郎が見つけたお宝は、誰の埋蔵金なのかはわかっていません。
鶏冠山はもとより、岩岳、牛王院平も怪しいと思っています。
ただ、武田氏の金山が枯渇してっていうのは違うみたいです。
黒川周辺には、まだまだあったみたいですよ。
大久保長安は、埋蔵金などを探すより、金山奉行としての地位や賄賂だけで十分潤っていたでしょう。
なので、大久保長安の埋蔵金の話や、徳川家が激怒して大久保家を蹂躙したんでしょう。

18 :
さてさて
どうしましょうか?

19 :
過疎ってきましたw

20 :
新幹線に乗って外を眺めてるときに、埋蔵金が埋まっているところも知らずに通過してるんだろうなぁ。
なんてたまに思います。
埋蔵金ってロマンですよね(^O^)

21 :
こんにちは。
以前>>13>>14で書いたたわけです。
ここで語られている花魁淵関連の埋蔵金って武田家の金山関係の埋蔵金じゃないんですか。
そりゃ失礼しました。
花魁淵=武田家=金山っててっきり思い込んでました。
どうりで、武田家関係で埋蔵金なんて聞いたことないのになぁと。
ちゃんと読めとツッコまれるかもしれませんが、中身が難しいためスルーすることが多く、
雰囲気だけで誤解していました。
そういうことなので、金探しに今後とも頑張ってください。
ちなみに、その平八郎って人の埋蔵金ってことですが、その人はそもそもどこで
それを手に入れたんですかね?
その元を辿ると、やっぱり武田家の金山関係じゃないんですかね?
それも書いてある!とツッコまれるなら、私の怠け心のせいでございます。

22 :
どもども
ヤフオクなどで畠山氏の日本の埋蔵金などを買われると、もっとワクワクしますよ。
昔と違って、上下巻で5千円ほどでしたので手が届く範囲だと思います。
平八郎ってのは、金鉱脈を発見して成金になった人です。
個人的には、あまり信じられない話です。
上に書いた滑落者の修二郎の話は、「あるなら」武田のではないかと思っています。

23 :
さてさて どうしたもんかね?
ユーチューブで、武田の埋蔵金(龍バミ川支流)と、結城の埋蔵金(中久喜城跡)の動画がありますね。
この動画をアップしている人は、邪馬台国の話もしているので、ちょっと遠くへいちゃってる感じで
す。
ネットでいろいろ見ているけど、謎の「日本の埋蔵金」研究所さんと、八重野氏の「日本トレジャーハンティングクラブ」さんしか
埋蔵金を専門に扱っているところはない。
謎の「日本の埋蔵金」研究所さんは、各地の埋蔵金伝説の紹介と更新はされているものの、活動内容が不明です。
「日本トレジャーハンティングクラブ」さんは、八重野氏のクラブなんで、本格的に現地発掘などをしている。
メンバーも募集しているが、現地発掘もしているので土木等の特技がないと敷居が高そう。
赤城本命さんみたいにホームページでも作るかね?

24 :
また過疎化が進むと、お酒のつまみに文章が書けなくなるので、休日の余暇を持て余してしまう。
まぁHP作るとなると文章だけでは面白くないので、現地の画像や動画も必要になるな。
以前に調査したときの画像はあるものの、記念撮影になってしまっているので撮り直す必要もあるね。
赤城と武田に絞ってもいいが、武田は山歩きになるんでつらいな。山歩きなんかしたことないもん。
結城?ありゃーダメありそうにもない。あるなら中久喜だね。現地行けばわかるけど、大岡越前が掘ったり他の人が大々的に掘って出ないんだもの。
結城城跡じゃないだろうね。まぁ三種の和歌ぐらいが見どころかな。
他は遠すぎ

25 :
はじめまして。
前の「埋蔵金発掘が趣味の人」が閉じてから、誰か後をついでやってくれる
人がいないかなと、ずっと待っていました。165さん有難うございます。
ここで再開していることを知らない人が多いと思います。私自身も、掲示板
を偶然に覗いてみて、たまたま発見しました。
私の現在の関心は主に梅雪の埋宝ですが、竜喰谷にも2,3回行ったことが
あるので、次回、畠山清行氏の本の「武田の秘宝」の一部を整理して数日中
に書き込ませて頂きます。

26 :
埋蔵金のRル「日本の埋蔵金」の著者畠山清行氏は、埋蔵金研究者であると同時に、
作家でもあるので、若干の創作や脚色があると思われます。まずは素直に信じて読み、
どこか辻褄が合わないところは自分なりに修正解釈するのがよいと思われます。
山梨県一之瀬高橋近辺、高橋修二郎が発見した埋蔵金に関連して、時系列的に整理してみます。
(1)黒川金鉱開掘の少し前  黒川谷(高柳村)平右衛門、信玄の軍費の一部、黄金の延棒、
   平右衛門は三河→甲府→高柳村へ移住。 [三河にいる時情報入手か。]
(2)天保11年、黒川金鉱の開掘、地元高柳村の名主、次郎左衛門と倅善蔵、開掘失敗。
    [金鉱開掘に名を借りた埋蔵金探しか。]
(3)明治8年、辺見正順と家来10人、埋蔵金発掘失敗。
(4)明治40年9月末、高橋修二郎、棒金発見、転落死。二の瀬Rの宇沢某遺体発見。
   花魁ぶち近くの山中。修二郎のメモから3か所に埋蔵。少なくとも1ヵ所は川沿い。
   メモにはのべ板もあると記されていた。場所は高橋・・・に、とある。
(5)大正元年、帝国電灯社員金沢猪作、大菩薩登山途中、道に迷い弓削一司郎と埋蔵金に
   遭遇。砂金2壷、朱1壷。 [朱があったとすれば、朱が砂金と同じくらい貴重だった
   大昔の埋蔵金か。こちらこそ時代も知れない平八郎長者伝説のものか。] 
私は、高橋修二郎(の発見した)埋蔵金は3か所あり、1ヵ所位は未発掘で、川沿いの洞穴
ということで、その川を竜喰川と推定して2,3回行ったことがあります。川違いだったかも
知れません。皆さんはどう思いますか?宇沢某は地元の人間で遺体発見現場の川とメモも
見ていること、小埋蔵金と思われるので、既に発掘されている可能性も否定できません。
とにかくその川はどの川か、探索するなら、候補の川を絞ってつぶしていくほかないと思
われますが・・・

27 :
はじめまして
上にも書きましたが、畠山氏は2度もおいらん淵の場所を間違えています。
おいらん淵の場所(龍バミ川と柳沢川の合流)が創作なのか、
単に間違えたのか(一之瀬川と柳沢川の合流)のかは、今となっては謎です。
もし、候補を挙げるとしたら、龍バミ川(上流に埋蔵金伝説があります。)
宇沢某の記述によるならば、青梅街道を越えて黒川山方面ではない気がします。
黒川山には金鉱山があったことからも、候補地としては捨てきれません。
しかし、高橋修二郎が帰り道だったことも考えれば、畠山氏がいうおいらん淵と、現おいらん淵を中心とした
片道半日の半径内でしょう。

28 :
あげてみる

29 :
高橋修二郎の残したメモから推理すると、
(1)「高橋(以下十字不明)・・・に」から、一之瀬高橋から片道半日の半径以内の場所。
(2)「・・・口は川について下って三つ目の(一字不明)のほらあなから入る」から、
  険しい渓谷の川で、大岩か滝が三つ以上あり、その近くにほらあながある所。そしてその川は、
  「下って」が間違いなければ、河口からはさかのぼるようには近づき難く、川の中流か上流から
  川に下りて、下流方面へ「下って」行く方が到達しやすい地形の川。(例 渓谷の対岸が河口の川)
ということになると思います。
竜喰川上流に埋蔵金伝説があるのは知りませんでした。差し支えなければその内容を教えて
下さい。私は行ってみて、竜喰川はその名前ほど険しい川でなく、この川ではなさそうとの
印象を持ったので、大常木川あたりかなと思いつつも、ターゲットを梅雪に変えました。

30 :
穴山梅雪の埋宝について何か意見がある方はいませんか?

31 :
すいません すいません
忙しくて書き込み遅れました。
将監峠(しょうげんとうげ)は、奥秩父東部の峠である。
埼玉県と山梨県の県境に位置し、龍喰(りゅうばみ)山と牛王院平(ごおういんだいら)の最低鞍部である。

かつての将監峠は、大洞川の最低鞍部「井戸沢のタル」とは異なった場所に位置していたようである。
牛王院平周辺には、武田氏が金鉱を採掘した遺跡がある。(wiki参照)
牛蒡金採掘ノ跡ともいい、或いは平賀源内採鉱ノ跡ともいう。
一方明和年間平賀源内は中津川に信玄の遺鉱について採鉱に従事したという確定した事実があるから、中津川もここも信玄公の遺跡について再掘をしたと考えるのが妥当であろう。
しかも中津川においては大規模にやっただけ失敗も大であったというから、恐らくここはその以前極めて地味にやったものではあるまいか。
これは恐らく寺院の存在を伝える名称であると思うが、梓山の奥には常楽院、入川の奥には清光寺と、いずれも仏教の信仰篤き信玄公が、
採鉱当時、遊女屋軒を並べるという本能満足の設備の一方に、又霊的救済の施設を講じたことも賭易き事実である。
ここもその一例と思うが、まだ遺跡を発見した事はない。
国志には御王院とあるが、古老にはギウワウヰンと発音する人もあり、その点から考えてみればやはり牛の字が正しいと思われる。
出典:昭和十年七月 朋文社発行 原全教著
この地域に武田の埋蔵金伝説がありますが、だれがいつ?などは不明です。
金鉱=埋蔵金から派生したのかもしれませんね・

32 :
>>31
詳しい回答を有難うございました。参考になりました。
黒川谷の埋蔵金については秘文、秘図がないので、やるなら足でかせぐしかないですね。

33 :
武田の埋蔵金にうといので、いろいろ見てみると
川沿いってのは、難しいと思う。
川はあくまでも目安や小道(小径)がない場合の上り下りの順路にしか過ぎないと思った。
増水すれば流されてしまい、護岸を壊してしまうしね。川を考えるなら支流じゃないかな。

34 :
竜喰川へ行ったとき、沢登りのパーティーに二度会いました。沢登りの人達
に簡単に中を覗かれるようなほらあなでないことは確かですが、彼らの目的
は埋蔵金探しではないので、岸より少し上の方にあるほらあなで、崖の上の
道を通る人からは見えないほらあなだと思います。既に持ち去られているの
では・・・
ところで、165さんは徳川埋蔵金に詳しいのでしたね。
こちらの進度状況はいかがですか。
私は徳川は全く分りませんが、本当にあるのですか?場所が特定できないだけですか?

35 :
徳川埋蔵金の最大の欠点は、掘らなきゃいけないことです。
めぼしいところがあったとしても、掘ってみないとわからない。
穴が30センチずれても当たらない。30センチ浅くても当たらない。
掘るということは、労力と私財が必要なんです。
これがハードルを高くしていますね。
そう考えると、武田の埋蔵金はほら穴系なんで見つけやすいかもしれません。
落盤とかで埋まってるかもしれないけど、穴自体は見つけやすいと思います。

36 :
前レスから書いていますが、徳川埋蔵金はあると思います。
TVでやっていたような400万両は尾ひれがついた話ですが、いくらかはあるでしょう。
水野氏の詐欺という方も多いですが、すでに詐欺として成り立ってないことと、
お亡くなりになられた水野氏から「嘘でした」との答えもないことから「有る」方に分がありますね。
場所の特定ですが、これまた水野氏の情報からしか得られないのも難点です。
いろんな物証や情報が世に出回っている中、コツコツとふるいにかけ、候補地をしぼっていっています。
しぼっても「掘る」これがネックですね。

37 :
え!三代目水野智之さんが亡くなられたのですか。知りませんでした。
DVD「あたえられるか否か 徳川埋蔵金120年目の挑戦」は見ました。
水野さんが”絶対の信頼を寄せる人”というふれ込みで掘ったのに出ませんでした。
水野さんから情報を得て掘ったのに出ないということは、どこか根本的に間違いが
あるのではないでしょうか。(出ていればDVDは中止。でも噂にはなります。)
たとえば・・・武田の話に戻ってしまいますが、弓削一司郎は怪しまれないよう行者
の格好して何年も柳沢峠付近を探索していました。結果的に砂金樽を発見しましたが、
そもそも一司郎が探していたお宝は祖先の弓削新太郎正勝が穴山梅雪と一緒に埋蔵した
信玄の財宝だと思います。ところが、弓削新太郎はこの財宝を梅雪が別な場所に移し替え
たのを知らずに子孫に自分が埋蔵した場所を書き残した・・・。弓削一司郎のお宝探しは
根本的に間違ったエリアを探し回っていたのだと私は考えています。

38 :
梅雪から「風」と名前を変えます。軽〜く。

39 :
まずは、確率が高い高橋修二郎の方からの方がいいかもですね。
弓削の方は、創作の部分が多すぎる気がします。

40 :
高橋修二郎は3ヵ所なので、1ヵ所位は未発掘かも知れませんね。
「川について下って三つ目の○・・」の○が滝だと仮定すると、滝と言える
ような滝が、少なくとも3つはある川ということになりますね。
柳沢川、一之瀬川、竜喰川、及びこれらの川に流れ込むある程度大きい川の
近くと推理しますが・・単独でなくできれば二人以上で行かれた方がよろしい
のでは・・。熊や怪我対策のほかに、ほら穴の存在を対岸から確認してくれる
人がいると大変助かります。


41 :
「川について下って」だから滝じゃないと思う。
川について下ってだと、再上流から3つ目でしょ?
川下からのアタック(川・沢のぼり)じゃないのかな?上流から川を下ってくるのだろうか?
修二郎の滑落場所を考慮しても、川・沢登りだと思うけど。

42 :
りゅうばみのどん詰まり辺りは、熊の巣なんですよね。熊だなだらけだった覚えが(笑)

43 :
竜喰川には2,3回行ったことがあるので、多少なりとも参考になればと思います。
竜喰に簡単に接近するには、二之瀬集落から山道に入り、途中右方面の山道を選んで進めば
竜喰川の崖上の道に出て、やがて滝が目の前に現れます。河口に山道は無く、言わば中流域
にぶつかる感じです。
竜喰川を河口から遡るには、一之瀬川沿いの一之瀬林道が一之瀬集落に入る手前に一之瀬川
の岸まで下りやすい斜面があり、ここからほんの数メートルですが流れに流されないよう
岩につかまりながら腰まで水につかって進むとすぐ浅瀬となり、対岸から水が流れ込んでいます。
これが竜喰川の河口です。あとは沢登りの感覚で歩くといくつかの滝にRます。
 つまり竜喰に限って言えば、集落から竜喰川へのアクセスは河口からの沢登りよりも中流域からの
川下り、又はさらに上流への遡行の方が楽と言えると思います。
畠山さんは宇沢某が偶然に高橋修二郎の遺体を発見したように書いていますが、私の想像では日が暮れに
人がいないはずの山中で野営中の火がちらちら見えたので、翌日又は翌日が雨の場合は翌々日行ってみた
のだと思います。
火があって人がいることが分っていても、集落に直接通じる道がない、あるいは橋がないなどの理由で
簡単には近づけないところだと思います。
そういう意味で私のおススメは大常木谷です。ただし事故は自己責任でお願いいたします。

44 :
高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
省略
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る


45 :
省略がまずかったな
高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川について下って三つ目の
○のほらあなから入る
まずこれをなおそう
省略がまずかったな
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
大本○○○右三本○○○○○○○○ 山○○○○○あり穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴にもま○○○○○ある。
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。

46 :
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
大本○○○右三本○○○○○○○○ 山○○○○○あり穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。
↑これは一つ目の穴の場所の説明。
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴にもま○○○○○ある。
↑これは穴の中のお宝の説明。 「木で」とあるが、鋳造途中の枝みたくなっている奴だと思う。銅銭とかでよくみられる製造途中のもの。
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。
↑右のとは、縦書きでの「右」であるから、二つの穴=二つ目の穴の場所の説明と思われるが、「三つ目の○のほらあなから入る。」と書いているので
二つ目のほら穴の説明ではなく、穴は一ヶ所で途中で3つに枝分かれしている他の穴のはないのか?

47 :
次に
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る
古地図を見ても「一之瀬高橋」で、「二ノ瀬」であり「二ノ瀬高橋」ではない。
落合集落の上の「高橋」集落があり、一之瀬高橋、二ノ瀬には神社仏閣学校があることと、
犬切峠を越えなければいけないことから、高橋集落の一之瀬、二ノ瀬(二ノ瀬は一之瀬高橋に付随)ではなく単独集落だと考えられる。
では、なぜ高橋からスタートしているのか?
これは、今と違って花魁淵から一之瀬高橋に行く道がない。高橋集落を通過して犬切峠を越え一之瀬高橋、二ノ瀬へ行かなければならないので、
高橋から文章がスターしているの「かも」しれない。
以前ココで、花魁淵は塩山駅とは逆方向でると書いた人がいた。オレもよく覚えてるなw
道が高橋を通過し犬切峠を越えて一之瀬高橋に入っているので帰りも逆ルートだと思われるが、なぜか高橋から塩山駅とは逆の花魁淵で滑落したことになっている。

48 :
最後に
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。
これが話をややこしくしている。
「高橋・・・」の文章で、場所の説明をしているからだ。
「穴は大きな岩の左からみ」←この部分ね。
違うな。あくまでも仮説で
「高橋」から始まる文章は、「川」の場所の説明だろう。
で、最後の文章が、穴の場所の説明ですな。
でね。「高橋」と書いておきながら「龍バミ谷(川)」がわからないということは無いと思うんです。
もちろん当時の地図にもしっかり龍バミ谷って書かれていますし、高橋〜一之瀬高橋まで明治の新道も通っていますし。
一之瀬高橋(龍バミ谷)が、地図にも書かれていない秘境の地ではないんです。
でね。
「川について下って」「川に滑落した修二郎」で、みんな騙されていると思うの。

49 :
文章の「右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。」から
「高橋・・・穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。 」の穴をイコールだと勘違いしているかもしれない。
「高橋・・・」の文章は、道の説明であって、文中の穴は「穴に向かう道」の「穴」じゃないかと。
で、上(>>48)に書いたように龍バミ谷の位置、名称がわからなかったとは考えずらいのね。
となると、「右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。」の○が、龍バミ川ではない気がする。
かといって、龍バミ川以外に滝があるとなると「沢」ってわけにもいかないし。。
おっと、アニメの見すぎだ。滝の裏にほら穴があるなんてww 「崖」かもしれない。
「右の穴の入口は川について下って三つ目の崖のほらあなから入る。」んーしっくりくるね^^
こう考えると、龍バミ谷、大常木谷など当時から名の知れた所じゃない気がします。
もちろん、修二郎が東京の人で、現地へ行くには地図を買ったでしょうから、すでに龍バミ谷、大常木谷はでていたでしょう。

50 :
まとめ
お宝がある川が、龍バミ谷、大常木谷ほど有名ではないので、
まず「高橋・・」でマイナーな川を特定させるための説明が必要だった。なので「山」が出てくる「山間(やまあい)」「山道」など
二つ目の穴ではなく「二つの穴」とのことなので、入口が一つで3つに枝分かれしている穴。
その3つに枝分かれしている一つの穴のお宝の内容を記入し、残りの二つの穴にもまだある。としている。
その穴(お宝があった穴)の入口は、「高橋」で書いた川の三つ目の崖のほら穴からはいる。そこまで行く間に2つほら穴があるのでは?
直すと「川について下って三つ目の○のほらあなから入ると、右の(お宝の穴)○○入口がある」
どうですか?大胆推理しすぎですかねww
明治43年の地図をみると、小径(小道)のほか、獣道?小道より細い道が書かれています。
もしかしたら、獣道のような道を見落とさないために、まず「高橋」から書いたんじゃないでしょうかね?
もしそうなら、川とかしていますが、龍バミもしくは、大常木にそそぐ川の支流かもしれません。
まずは文章と同様に「一之瀬高橋」からスタートしてみるといいかもしれません。
風さん連れて行ってww

51 :
んー 読み直してみたが、思いつきで書いているので文章がグチャグチャだな。
文才がなく面白おかしく書けてない・・・。
次回は、前にも書いたけど畠山氏の言う花魁淵?の場所の大胆推理をしてみるねw

52 :
高橋から二ノ瀬を抜けた奥に椀の形の岩あり横の道を登る。
大本の道の右三本目の小道より登る 山間に数本川あり穴は大きな岩の左からみた側の小川にある。
木で○○○○数十本
棒は大小合わせて数十枚
のべ板が数十枚二つの穴にもまだいくつもある。
右のあなの入口は川について下って三つ目の崖のほらあなから入る。


53 :
梅雪の埋宝探索の時に同行して貰えるなら修二郎の時同行もOKですよ・・
ところで椀ではなくて腕となってます。(ミスプリの可能性もありますが)なので岩ではなく「腕の形をした木」
が目印だと思います。木が何本か立っている所だが険しい崖のようになっていて、右から3本目の木の間から
でないと下に降りられない・・降りると山のような大岩があるが、その大岩の左側まで行ってみないと穴の入口
が見えない・・
一之瀬高橋が起点と考えずに、そのすぐ近くが埋蔵地点と解釈するなら、竜喰川ではなく、藤尾山か石保戸山が
有力と思いますが、そのあと「川について下って三つ目の○の・・」があるので、すぐそばに険しい谷川がある
ことが条件となりますね。さてその川とは・・・

54 :
165さん
連投の嵐ですね。
どうしたの?

55 :
えwww
だって、みんなあまり書いてくれないからww
過疎化が進むし、さみしいしでww

56 :
まぁそれと、今年こそはオフでもって・・・。
赤城本命さん飲みいきますよー
そちらまでおうかがいします^^

57 :
165さん
秋あたりに赤城に行こうと思っています。
その時でも。
それから、解読の最終段階が近づきましたよ。
石、炭、雨がなんとか説明できそうです。

58 :
いよいよ、水野家三代の弔い合戦の始まりですね。期待しています。

59 :
大常木谷がやっぱり怪しいですな。

60 :
蔵の奥にしまってあったツボから大判小判がザックザック(数億円)

コレクターに売却予定なんだけど税金かかる?

61 :
>>60
にわかには信じがたいですが・・
埋蔵金を探しに行かなくても蔵の奥にあったわけですね!マスコミに知れたら・・
雑所得で申告納税するか、それとも少しずつ少しずつ現金化する?

62 :
こんばんは^^
赤城埋蔵金さん
解読の最終段階とは・・・・すごいですな。
秋までは先が長いので、途中で一杯飲みましょう。
そちらまでお伺いしますよ。
ただし、飲んでバイクで帰れないので、次の日休みの日がいいです。
風さんもw
意見交換や現地視察程度ならOKです。
会って突然掘ったり、川登ったりは無理ですw 準備ができていないww
片道200kmぐらいなら、そちらまでお伺いしますよー

63 :
165さん 梅雪をやってみませんか。
赤城をやったり梅雪をやったりで忙しいとは思いますが。
私は梅雪の方が確実性があると思っています。だって諸澄九衛門が現実にその
一部を掘り出しているわけですから。
都内のどこかで待ち合わせ、意見交換を2,3回したあと来年現地視察。
いきなり掘ったりはしません。確証を得るまで一緒に山道の散歩ですね。

64 :
165さん
いい感じなんですよ。
風さん
tomari-hirosi.com
黄金円陣 
私の徳川埋蔵金のホームぺージです。
見てもらえたらありがたいです。

65 :
ちょwww 赤城本命さんいい感じなんですかwww
赤城で?? 赤城以外説の私はどうすればww
メールくださいなw
梅雪のほうというか、武田の埋蔵金はヒントがかなり多いのと、埋蔵場所がわかりやすいですよね。
埋蔵金の中でも、一番現実的です。
大丈夫!「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」を買って今読んでいるところです。
知識を蓄えているところでございます^^

66 :
赤城本命さん
 ホームページ見させて頂きます。ITに弱いのでアクセスできなかったら
 質問させて貰います。
165さん
 その後あらためて「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」の大常木谷が書かれたところ
 を見て、あまりに険しくて、修二郎の埋蔵金はここ以外の所かなと思うように
 なりました。・・・となると一の瀬川本流ですかね〜

67 :
赤城本命さん
 黄金円陣読ませて頂きました。難しい!長文の力作であることは分りましたが、
基礎知識が無いのでよく理解できませんでした。また後でもう一度読ませて頂き
ます。
一つだけ疑問があります。埋蔵者は、誰のために何の目的で埋蔵したのでしょうか。
徳川家再興のため、自分の子孫のため、それとも赤城流八門遁甲の謎を解ける
知識人なら誰でもいい?

68 :
風さん
私は歴史部分はあまり調べていないので、実は詳しくないのです。
誰の為かという問題もよく解りません。
私は自分がよく解らないことには、簡単に答えを出さないことにしています。
これはこれまでの解読作業で学んだことです。簡単に考えると絶対に間違えます。
私が赤城を本格的に始めたきっかけは物証Aを調べていて、奇妙なことに
気付いたことでした。その後、物証Bで同じような一致点があり、
灯明皿の解読は、物証A、Bの延長にあるのです。
黄金円陣の内容が難しいのは事実です。実は物証A、Bの解読結果を
書かずに灯明皿だけを書いたために非常に歯切れが悪いものになったのです。
黄金円陣で言いたかったのは
@八門遁甲は16方位の式盤を使用した暗号であること。
A和算を使用し、暗号化してあること。
B物証A、Bと明確な規則性があること
以上なのですが、Bの詳しい内容は書けなかったのです。

69 :
赤城本命さん
回答有難うございます。奥が深いんですね。
数学の順列、組み合わせは私が最も苦手の分野です。遁甲についても「敵の
目を欺いて己の身を隠す」術、くらいの理解しかありません。
やっぱ、徳川に首を突っ込むのはやめて、梅雪にしますね。
連絡とりたい時はメールさせて頂きます。

70 :
またまた名前を「風」から、「風の子」に変えます。
前の「埋蔵金発掘が趣味の人」で「風」さんがいたのを思い出しました。
書かれた内容はよく覚えていませんが、かなり先を行って居られる大先輩だった
ように思います。「風」さんの復活も願って、私は「風の子」に改名しますのでよろしく。
「風」さんは、以前「赤城」も「梅雪」もあると思うと書かれていましたが・・我々の努力不足か。

71 :
んー 本を読んでいたけど、いたるところに鉱山があったんですね。
鉱山跡をひとつひとつ調べるのも地道な作業ですが、確実かもしれません。
砂金採りもしたいですな

72 :
泉昌彦さんの本を読むと、山梨はあっちこっち砂金だらけ。
一番興味を持ったのが「砂金溜り」。川の水が流れる岩盤に「砂金溜り」の穴
があるのだから、行けば案外簡単に見つかるかもです。

73 :
いきたいなー 砂金でもいいからとりたいなー 熊怖いなー

74 :
蛇も居るよ。

75 :
>>72
砂金だまりは、ありそうですよね!
僕も本を読んでそう思いました。
先日、前を通ったので、チョットだけ一ノ瀬高橋の方へ細い山路を入って見ましたが、入る人がほとんど居ないのか荒れてました。
沢も藪だらけで、観光の帰りでは沢にも降りる気になれませんでした。軟弱でスミマセン。

76 :
こんな暑くちゃ現地行く気にもならないw
だけど、砂金採りにはいい季節かもw

77 :
>>75
大城川に合流する渓谷に砂金ツボが七つ。まず滝のすぐ上の岩盤に穴一つ、続いて
20分ほど遡行すると流れが急カーブした岩盤上で四つの穴・・とありますから、
行くならここがいいんじゃないかと思います。
一之瀬高橋の山に入る場合はある程度の準備をされて、その気で行かれた方がよろしい
と思います。できれば誰かと一緒に複数で。何年も前ですが、藤尾山で熊が歩いている
のを見たという人がいます。


78 :
アク禁で書けませんでした。
自分も現地偵察行くなら同行希望してます。

79 :
ちょっと 風の子さん 983と3人で現地調査してみますか
沢登り、山登りは初心者なんで下見ということで
一之瀬あたりのキャンプ場にか、裂石温泉あたりに一泊して
初日は現地入りと地図等の確認→早朝から現地調査(夕方解散)→次回につなげる
旧旧道や滑落場所、一之瀬川・龍バミ川と柳沢川の各合流地点の確認、その他の合流する川の確認
この程度なら、装備もトレッキングブーツ程度で十分かと思います。

80 :
オプションとして砂金採りなどw
今は昔と違って砂金採りを本業としている人はいないと思うので、それなりの成果がでるかも
まぁそもそも金が枯渇して閉山でしょうから物自体もないかもですが
http://home.f01.itscom.net/yaeno/golddust.htm
砂金採り用の道具が、http://www.mdj-inter.com/index.htmで売ってました。
砂金採りの方法 英語ちんぷんかんぷんだけど、かなり参考になった。最後はスポイトで吸うんだね。
ユーチューブ(英語)http://www.youtube.com/watch?v=0Cbiiohp5bQ&feature=related

81 :
本来の目的から外れるけど、砂金採り楽しそうw
ユーチューブ見いちゃったw
まぁ初回ということで、顔合わせと山沢上りの道具もないということでw
で、秋ぐらいに修二郎、梅雪などにせまってみるのもいいかと。
もちろん!徳川埋蔵金も忘れていませんよ!赤城本命さん!

82 :
>>165さん
是非、行きましょう! 連れてって下さいまし。
因みに旧旧道や滑落地点(推定)の確認は、危険性が少ないでしょうか?
晩秋辺りが最適でしょうか。
ヤブも枯れて涼しくなるし、動きやすい時期でしょうから。

83 :
>>165さん
同じ趣味を持つ人がネットだけでなく会って情報交換できるのはいいことです。
日時、場所を指定して下さい。そこへ集合します。私は仕事をリタイアした身
なので、基本的に合わせられます。どこかに泊って打ち合わせ、翌日現地偵察
でよろしいと思います。他に参加希望者があればそれでも構いません。
 場所にもよりますが、砂金採りまでする時間はないのではないでしょうか。

84 :
調査山行に混ぜて欲しいデス (>_<)
固ハンにしないとダメですかね?

85 :
現地に最寄りのキャンプ場に泊まるのが良いですね。天候次第ですが。
裂石温泉からだと移動時間も掛かるようですし、現場の距離とかどうでしょう?
夜は軽く「顔合わせ」がしたいです。
>>84さん
はじめまして。
自分なんかも新参者の余所者です。
これを機会にお会いしてみたいです。

86 :
おおお みんなステキwww
ちょっと作戦を練りましょう。
上にも書きましたが初回から山登り、沢登りは無理ですww 知識と経験、道具がありません。
まず、時期なんですが、素人ですいません。季節は今ぐらいでも大丈夫なんですかね?アドバイスをお願いします。
次にコースですが、基本的なコースとして
Aコース(歩いちゃうよコース)
一之瀬川〜龍バミ川合流地点(畠山氏のいう花魁淵)を見学
川沿いの林道を通って柳沢川の合流(現在の花魁淵)〜藤尾橋(真の花魁淵?)まではいきましょう。
で、落合、高橋を通って一之瀬まで
道も整備されていて畠山氏の足跡をたどることともなり、初回向きかなと思います。
Bコース(水の中に入っちゃうかもコース)
龍喰川をいきなり遡るのはアレなんで、
一之瀬川の支流である石橘花橋の近所の支流を登る?w
龍喰川の下駄小屋の滝の手前の支流を登る?w どこまで?ww
いやいや、旧旧道をいきましょうか。
これは、地図とにらめっこする限り畠山氏の文章の通りで、当たりじゃないかと思う地点です。
現在の花魁淵では小径(小道)が確認できませんでしたが、ここにはあります。
宇沢某が通った可能性大です。
また、現在の山歩きコースではないようなので、何か発見があるかもです。

87 :
で、一泊二日となると
場所的にも一之瀬キャンプ場 http://www.cosmo.ne.jp/~camp/
に泊まって、作戦を練りつつ、翌朝から出発です。
キャンプ道具はまったくもっていないので、バンガローにでも泊まりましょう。
参加資格ですが
成年・未成年は問いませんが、免許証・パスポートなど顔写真入りの身分証明書及び、連絡先をご提示いただける方に限らせていただいたほうがよろしいと思います。
これは、現地調査等で事故にあわれた時の連絡や警察・消防等へ問い合わせのためです。
私が幹事になりますが、連絡先が取れるようホームページを作ります。2〜3週間後には完成するでしょう。
完成後、ここでお知らせいたします。

88 :
さて、集合の仕方ですが、車を捨てたのでバイクしかないです。
一之瀬キャンプ場に自力で来れない方がいましたら、申し出てください。
持ち物・・・なんだろ?
・トレッキングブーツ(替え用のクツ)・虫よけスプレー
は基本として、見ずにはいるようなら、
・着替えフルセット(替え用のクツ含む)・軍手
熊と戦うなら武器ですかね?
あと何かあれば、追加お願いします。

さて、今日はここまで
あ >>84さん
コテハンや知識・経験は全く必要ありません。
このスレの通り、趣味(興味)の範囲で結構ですよ^^

89 :
>>893さんのご心配にお答えしていなかった。
Aコースは車も通れて楽ちんです。(確認済み)
Bコースで書かれている道は、両手を広げればいっぱいいっぱいの道だと思います。
旧旧道はそんなもんです。
ほとんどが川沿いの道ではないので、川に落ちることもないでしょうが、山の斜面でしょうから転げ落ちる可能性もあります。
※畠山氏の文章にも宇沢某が川沿いの道を通ったとは書いてありません。
 修二郎の遺体を発見したのは、谷川への降り口を見てみたら(降りてみたら)あったと書いてあります。

例えばですが、どうでしょうか。。
旧旧道は、沢や川を山側に迂回するコースを必ずとります。(前スレで紹介した動画にもあります)
今回Bコース(旧旧道)も同様で、山側へ迂回しています。
道なき道より比較的歩きやすい旧旧道(村の者もめったに通らない道)を修二郎は通り、その道からハズレ川を下り始めた。
旧旧道に腕の形をした木などがあるかもですよーw

90 :
893じゃないwww  983さんだw 大変失礼いたしました><
まぁ その旧旧道自体を探すのも難しいことは確かで、明治から平成も24年なんで
入口すら見つからないかもしれません。


91 :
165さん
あははは

92 :
165さん
幹事を引き受けてくれて有難うございます。何かとご苦労ですが誰かがやらないとまとまりませんから。
各自、自由に意見は述べても行動を起こすときは幹事の決定に従うことにしましょう。
[季節・時期について]
本当は早春〜5月の連休前後までが理想的と思っています。その理由は、我々の目的が隠れた「ほら穴」
を見つけることだからです。木の葉がなくて見通しが良ければ、遠くからでも穴や岩が見えるからです。
木の葉が邪魔して「ほら穴」らしき所まで折角行っても、岩が剥がれた跡が黒い影となっているだけだったり
黒っぽい葉やコケだけだったりします。6月の梅雨入り前で、新芽が蕾の頃、萌えて新緑になる前の見通しが
いい頃が理想的です。
 ただ今回は顔合わせと事前調査だけですから、険しい谷間に分け入るわけではなく、いつでもいいと思います。
それから、探索しようとする川が対岸にある場合は、渡河しなければならないので水温、気温が高い夏場がいい
ということになると思います。
ところで「旧旧道」とはどの辺り(どこからどこまで通じる道)を言っているのでしょうか。



93 :
旧旧道と書きましたが、「小径=小道」です。
明治の新道(馬車道)の表示もなく、秩父往還に通じる道でもなく、生活道路(村々をつなぐ道)でもなさそうです。
畠山氏に出てくる、炭焼きで生計を立ててた人が利用していた道かもです。
場所は、二ノ瀬の集落と、一之瀬川・龍喰川の合流地点のちょうど中間ぐらいです。
現在の山道は、当時の地図より南下しています。これは時代の流れとともに渡河がある程度しやすくなったからかもしれません。
となると、二ノ瀬の宇沢某も通るでしょうし、生活道路でもなければ「めったに通らない道」となると思います。
上の方で、畠山氏は「河川名を間違えたのか?花魁淵を間違えたのか?」と長文を書きましたが、この小道についての自問自答になっていました。
もし、河川名を間違えていたなら、かなり有力な道だと思われます。

94 :
水差すようで、すみません。
自分は個人的に現地入りの前に町中で一度、顔合わせをしたいと思っています。
現地入りの前に各自の顔合わせを行なって、当日の必要装備の抽出や交通手段など直に検討した方がスムーズに行きませんか?
ネット上(メール等)で事前打ち合わせして現地にいきなり出掛けるよりも、互いの素性も装備も分かり安心できます。
各々地理的に現地集合の方が都合良いなら従いますが、山中に行くのですから準備周到に越したことはないと。


95 :
>>94
前日顔合わせ、翌日偵察、本格探索は次回の予定で、装備は山道を歩ける程度の靴くらいに考えていますが。
その意味でAコースかBコースかといえば、Aコースに近いスタイルではないでしょうか。初回なので、全く
の顔合わせ、自己紹介だけなら都内のどこかで会合ということになりますが。幹事のお考えを聞きましょう。
ところで、改めて本を読み直してみたので、気付いたことを書いてみます。読んだ本は、
 @日本の埋蔵金 上 畠山清行著 昭和51年3月発行のもの(昭和48年2月初版)
 A信玄の黄金遺跡と埋蔵金 泉昌彦著 昭和50年8月発行
@・・二の瀬Rの宇沢某・・明治40年頃のある秋の朝、・・・「花魁淵」近くの山中を通りかかると・・
A・・ところが、本来女郎が沈められたというのは、銚子の滝(現在の花魁淵)から2.5キロも離れた藤尾橋
 の下にある淵である。・・
@、Aを合わせると、宇沢某は藤尾橋の近くで高橋修二郎の転落遺体を発見したことになり、「川について
 下って三つ目の○」の川は柳沢川の可能性が濃厚になるのではないか?すると、竜喰川などは的外れで、
探索すべきは柳沢川のしかも藤尾橋近辺、の左岸又は右岸の山中又は沢沿いということになりはしないか?
私が過去に事前偵察も含めると3,4回行った竜喰は何だったんだ〜(反省!)
ちなみに、畠山さんは柳沢川と竜喰川の合流する「花魁淵」と書いていますが、「柳沢川と高橋川」の間違いと
して読めば、合流してすぐ藤尾なのでピッタリ合います。Aによればこの辺りに「女郎道」があって、始末される
ことを恐れて一之瀬高橋を経て奥秩父(大滝村)の方角へ逃れようとして・・とあります。


96 :
983さん
一度、ご飯でも食べながらいろいろお話するのもいいですね^^
埼玉の川口ですが、東京駅を利用していますので、山手線内であればどこでも、いつでもいいですよ。
風の子さん
私のは初版本ですが、中身は同じでしょう。
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
の高橋が気になりました。
高橋川なのかな?藤尾橋(新の花魁淵)なのかな?と思いました。
さらに、一之瀬高橋なので、高橋からスタートするのは高橋川か、地名の高橋が有力だと思いました。
古地図を見ると河川の表示はありますが、高橋川と書かれていないのです。
それと、藤尾橋を通るのは明治の新道(馬車道)で、滑落するにはしっくりこなかったのです。
馬車道ですから、往来はあるでしょうし、馬車が曲がれるよう緩やかになっています。
もちろんそれは、青梅街道なのです。
藤尾〜落合(青梅街道) 落合〜高橋の奥 高橋〜一之瀬まで、明治の新道です。
畠山氏の著書の「Rの連中以外にはめったに足を踏み入れない場所」ではないという感想です。
また、高橋と二ノ瀬には、神社仏閣がそれぞれありますから別々の集落で、二ノ瀬の人間が高橋の地域を「Rの連中以外」と表現するかが問題です。

97 :
それと、現在の花魁淵でも、藤尾橋でもそうですが、
金を持った修二郎が帰り道に塩山駅方面とは逆方向の道を通るかも問題です。(以前、これを指摘した人がいました)
また、落合、藤尾橋周辺には、民家の表記もありますので、畠山氏を信じるならココではない気がしました。
ただ、現在の花魁淵と藤尾橋との間の柳沢川に黒川山から支流が入ってきていますので、支流となればいい感じかと思いますが、
やはり青梅街道が引っかかりますね。
明治の新道といえど、青梅街道沿いにテントをはるとは思えませんし、
現地をみているならお分かりでしょうが、街道から外れてテントを張るのも難しいかと思います。
なので、現青梅街道は新道であって、明治の新道(明治天皇行幸(明治10年〜)ため)の上に作られているが、旧旧道があるのではないか?
そしたら現青梅街道は柳沢川の北岸を通っているが、明治の新道は南岸を通っている。
ということは、旧旧道があるとすれば南岸だろうし、旧旧道なら滑落する可能性も高くなると考えたわけです。

98 :
上で書いた民家は、明治の新道沿いにありますので、忘れ去られた旧旧道なら民家もないでしょうし、
新道があるためめったに足を踏み入れない場所になっているのではないかとも思いました。
それと、二ノ瀬の宇沢某が時間をかけ朝、青梅街道まで出てくるのも引っかかりました。
そうなると藤尾も難しいかな・・・と
徳川埋蔵金もそうですが、畠山氏を信じるしかないのと、考えられる場所(藤尾橋周辺を含む)をかたっぱしから調査する必要があるということですかねww
花魁淵に振り回されている感じがしてならないのです。

99 :
>>165さん
自分、神奈川湘南地区。勤めは都内なんでOKです。
旧旧道の存在に興味があります。
冷やかし歓迎されますか?宜しくお願いします。
おいらん淵周辺はバイパス化されて以前の道が旧道になりました。
時間があったら青梅街道からですが下見して来ます。

100 :
畠山清行氏がどれ程正確に書いているかは、私も若干疑いを持ちながら読むことにしています。
「花魁淵」だけにこだわらない方がいいとは思いますが、一度はこれを信じて確認してみるのも
いいかも知れません。
泉昌彦さんの本に書かれていることで、長くなるので前回はしょって書かなかったことを補足します。
「塩山市と丹波山村の境界にある一之瀬橋は、新道の開発された昭和34年に完成した永久橋で、旧道は、
 落合から2キロあまり丹波よりの藤尾から、黒川谷の合流する三重河原に通じている。」
これでいくと、藤尾から(恐らくは柳沢川の南岸沿いに)通じる道があるはずです。
昔の旧道が柳沢川の南岸にあったのなら、そのことからも宇沢某が歩く山道はあったわけです。
しかし柳沢川南岸はイコール黒川金山で昔賑わった黒川山、鶏冠山の山裾です。採掘跡のほら穴には(特に中腹)
事欠かないかも知れませんが、黒川千軒時代からの道も多く、宝物を隠すには必ずしも適当でないような気もします。
・・となると、柳沢川北岸の山の山中、つまり一ノ瀬高橋の藤尾山(天狗棚山)も一度は探索してみる価値があるように
思われます。崖の上に人一人が通れるくらいの(昔の一ノ瀬林道のような)狭い山道があるかも知れませんね。崖を
よじ登らずに、まず犬切峠方面「高橋」集落に向かい、途中適当な入り口があったら入山する。つまり来年の春の候補地
の一つとしての提案ですが・・。新道を作るとき工事の人が崖の上もすべて調査済みの場合は、その人達が既に発掘済み
かも知れません。

101 :
風の子さんは、どの辺にすんでいらっしゃいますか?
そのほかこれを見ている人はどの辺に住んでいらっしゃいますかね?
冷やかしOKで参加したい方はいますか?
時期は未定ですが、なるべく集まりやすいところを会場にしたいと思っています。


102 :
>>165さん
>>風の子さん
初歩的質問です。
旧旧道(跡)に取り付くには、現国道(R411)から渡渉せずに行けるのでしょうか?
「南側=現国道の川を挟んだ対岸」の解釈でOK?

103 :
渡渉!
Aコースの現花魁淵、青梅街道からだと渡渉することになると思います。
大きく迂回するなら、旧旧道との分岐を見つけられて渡渉することは無いと思いますが、
その分岐を見つけるには、調査が必要です。

104 :
あの周辺の川の両岸は切り立っており、仮に川まで下降後渡渉した場合に斜面取付
は困難では?
また対岸に渡る橋があれば良いのですが、旧旧道に接道してる訳もなく難儀ですね。

105 :
いやいや 新道(北岸)と旧道(南岸)の分岐はあるんです。
そこから入って旧道と旧旧道の分岐を探せば、渡渉せずにいけると思っています。
【訃報】
平成23年6月23日付 朝日新聞デジタルによると
豊臣秀吉の埋蔵金 多田銀山で37年間埋蔵金探索をされていた 鈴木盛司氏(77歳)が
平成23年2月18日 病院でお亡くなりになりました。
鈴木氏の著書「豊臣秀吉の埋蔵金を掘る(新人物往来社)」も読みましたが、ワクワクさせられる内容で、勉強させられました。
もう一歩という感じでしたが、決め手がなかったようにも思えました。
松江工業高専の久間英樹教授が坑道をロボットで探索しているとのことで、結果が待たれます。
水野氏に続き鈴木氏までも。。。
実際に掘られた両名の偉業に感謝するとともに、このスレに来る方々へ埋蔵金という夢を与えてくださってありがとうございました。
その遺志を継ぎ埋蔵金探索を続けていきたいと思っています。
ご冥福をお祈りいたします。

106 :
>>165さん
私は茨城県在住です。常磐線で上野まで1時間ちょっとです。都内に限らず東京近郊なら
どこでもOKです。
>>983さん
旧道を歩いたことがないので確かなことは言えませんが、地図と今までの経験を総合して書いてみます。
165さんが言われる「旧道が載っている古い地図」を見たことないのでそのことも考慮して読んで下さい。
@落合から入るコース
 地図では落合に小学校(?)があります。川向こうに渡る橋も記載されています。学校の辺りから柳沢川に
沿って歩くと落合キャンプ場がありますが今は営業していない可能性もあります。さらに行くと現在の花魁淵の
近くを通り過ぎると一之瀬川となり、黒川金鉱跡から流れ下る黒川谷に架かる黒川橋を渡って少し行けば三重河原
に到着し、泉水谷林道にぶつかるはずです。
A三重河原から遡るコース
 上の逆コースです。青梅街道を行き余慶橋、羽根戸橋を過ぎると「丹波山トンネル」があり、これをくぐったら
左側を注意深く見て走ると三重河原、泉水谷林道に下りる狭い急角度の下り道があります。柳沢方面からは右折に
なるので要注意です。この道を行くとすぐ一之瀬川にかかる三条新橋を渡り、直ぐ右に下りると三重河原となります。
真っ直ぐは泉水谷林道を昇っていくことになってしまいます。三重河原からは山道を歩いて黒川谷に架かる黒川橋を
渡るところまではいいのですが、そのまま行けば黒川金鉱跡まで山登りになってしまいます。どこかで右に折れて
一之瀬川、柳沢川に接近しなければなりません。歩いたことがないので、地図上に点線もなく分りません。
以上のことから、一人で行く場合は@の落合から山道を下るコースがいいような気がします。
それから落合キャンプ場(跡?)の近くに青梅街道から対岸に架かる橋が地図上にはありますが、私の記憶では、
通行止めになっていたように思います。
(参考地図)山と高原地図23 「大菩薩連嶺」、同26 「奥秩父1」 (昭文社)
      2万5千分の1地形図 「柳沢峠」 (国土地理院)



107 :
>>風の子さん
詳細にありがとうございます!
地図が手元にないので判断できませんが、なかなか探し応えのありそうな「物件」ですね(笑)
もし事前の会合が持てれば、その際に御教示下さい。
しかし、モノホンを見付けちゃったら届け出ないとマズイんでしょうか?
言わなきゃバレないと思うんですよね…って、取らぬ狸ですね。

108 :
165さんの言われてる「馬車道」とは、ここを指すのでしょうか?
ttp://tabihatsu.jp/program/72625.html
だとすれば本当に幅員のある道ですね。

109 :
>>101
165さん
参加希望です。職場は新宿で住まいは八王子方面です。
どうぞよろしくおねがいします。

110 :
>>983さん
廃道あるき「黒川通り」見ました。きっとこれに違いないと思います。ここに書いてあるとおり
廃道歩きが趣味の人たちが行くのですから、Aの三重河原から藤尾橋まで遡って歩くコースも
迷わず行けそうですね。いい情報を有難うございます。

111 :
>>110 風の子さんありがとうございます。
そのホームページは以前に紹介したのですが、どこにいちゃったかわからなかったので、893さんへの説明に苦慮していました。
幅員も狭く、まさに滑落しそうな場所ですが、その赤い線は明治の新道(馬車道)です。
地図でも緩やかにカーブしているのがわかると思います。
しかし、この赤い線(明治の新道)を通って行けば旧旧道が見つかるかもと思っています。
明治の新道の多くは、旧旧道の拡幅で、急峻なところを新しく掘割りをしたりしながら旧旧道に復帰したりします。
なので歩いていけば、左手に旧旧道の入口があると考えています。


112 :
また893になってしまったお・・・983さんごめんなさい><
あ ホームページを探してくれたのは、983さんでした。訂正とお詫び申し上げます。
先ほどのホームページを基にさらに解説しますと
赤い線は寸足らずで、丹波山の高尾からムジナ沢(右端)を渡渉し、藤尾手前の沢まで(HPのゴール地点)柳沢川の南岸を通っています。
地図中央の所要時間2〜3時間と書かれている右 に黒川谷を山側に迂回している突起部分があると思います。
それからは緩やかなカーブを描いて行っています。
しかし、地図中央やや左に国道の青いおにぎりマークがあると思いますが、そこにも地図にない沢が流れています。
そこを山側に迂回していないということは、旧旧道とどこかで分岐した証拠です。
どうして旧旧道にこだわるかというと、修二郎が明治の新道から崖をよじ登ったとは考えづらく、
明治の新道より山側の旧旧道から分け入ったのではないかと考えられるからです。
旧旧道の多くは尾根づたいですから、分け入るには簡単なのです。

113 :
>>165さん
983改め『893ヤクザ』に変番しましょうか?(笑)
旧旧道などに関して自分は、皆さんのように知識を持っておりません。
故に初歩的やトンチンカンな質問をさせて頂くことをご理解ください。

>>165さん
>>風の子さん
単純な質問です。
当時の旧い道は渡渉せざろうない地形と、開削技術などから設定されたのですか?
川の水量により渡渉の可否が決まれば、その時は通行困難になりますよね?
つまり、架橋することで渡渉を避け得るのに敢えてなぜ?渡渉するのか?
主要道と異なって地元民しか使わない「杣道」ならば理解できます。
う〜ん、何か勘違いしてるか理解不足だと思いますので御教示お願いします。
事前会合で可能ならば、「この辺」の説明など頂けると助かります。

114 :
まず、土木技術の未発達により架橋自体がが困難だったということです。
下流だと雨の時に水位が増し、橋自体や路盤が流されてしまうのです。
また、川幅も広くなりとても危険だったわけです。
沢や川を渡る際は、山側の水が少ない地点まで登る必要がありました。
天気予報はありませんので、常に山側を通ることになりました。
ちなみに川幅が広く浅い川は、河口付近まで下って渡河していました。
もちろん雨が降れば川は渡れません。川止めですね。何日も渡れないので川の両岸にある宿屋・飲み屋は大繁盛ですね。
このわずらわしさは庶民向けで、将軍様が日光へ参拝するための道 日光御成り街道(国道122号)は低地を避け、高台を進んでいます。

115 :
旧旧道=青梅街道、と言う位置付けで良いのでしょうか?
それともここで言う「旧道、旧旧道」は地元民の使う「杣道」ですか?
前者だと解釈しての113の質問でした。

116 :
作戦会議参加は、風の子さん(茨城) 983さん(神奈川) 109さん(八王子)の3名かな?
上野駅か東京駅近辺にしましょう。
日時場所については追ってお知らせします。

117 :
お 983さんがいるっぽい
旧旧道=青梅街道でよいと思います。
ですが、杣道ではないですね。江戸中期にはすでに青梅街道でしたから。
新道、旧道、旧旧道は
ニコニコ動画の「原付で甲州街道を走ってみた」を見てみると一発でわかりますw
いま38話目ですね。

118 :
>>165さん
杣道でなくて渡渉を必要とされていた「主要道」…了解しました。
作戦会議の日時ですが、何日か複数の候補日をお願いします。
ポッポ屋なんで平日休みや週末出勤があり、単発ですと参加できないこともありますので。
動画を見て認識新たにしてみます。

119 :
整理しておこう
新道=現代の自動車が通れる道路
旧道=明治に作られた馬車の通れる道、馬車道
旧旧道=人や人に引かれた馬は通れるが、馬車が通れない道
基は旧旧道で、時代の移り変わりによる物流量の増加と明治天皇巡幸のため、今まで使ってきた旧旧道を馬車の通れる道にする必要が出てきた。
馬車が通るとなると、急峻な崖を登らせるわけにもいかず、また道幅の狭いカーブを曲がらせるわけにはいかなくなった。
さらに土木技術の進歩により架橋や掘削が可能となり、馬車が通りやすい直線的な道路の建設可能となり着手した。
旧旧道の急峻な地点の道幅を広げても急峻なことには変わりはない。また、つづら折りの道は片側が崖なので道の拡幅は困難であった。
旧旧道の急峻な地点、狭いカーブが連続するつづら折りの山道を避け、より直線的に進むためには山を削り・掘ったところ
旧道(明治の新道)と旧旧道の分かれ道ができた。
新道(現代の道路)は明治よりさらに土木技術が進歩し、旧道(明治の新道)の拡幅や路盤整備が可能となり、旧道(明治の新道)の上を通る道路を作ることができた。
しかし、新道(現代の道)も時代の移り変わりによる物流量の増加により、パイパス道路を作ることとなった。
この時、今までの道路(現代の道路)が旧道となり、バイパス道路が新道ということになる。
この場合も新道(現代の道路)と新新道(バイパス道路)の分岐点が存在する。
明治の道は、人しか通れなかった旧道のバイパス道路ってことですね。

120 :
そう >>118で書いていただいたように「主要道」ってとこが引っかかるんです。
主要道の横でテントをはるでしょうか?
上記のホームページでもご覧になった通り明治の新道といえども、片側は谷底、片側は崖なのです。
ちょっと道を外れてテントをはるのは難しいと思います。
特に金の延べ棒を抱えた人間が、やるでしょうか? 目立つ=襲われる可能性もあると思います。
ただ、女性でも自転車&野宿で日本一周とかしている方がいて、その野宿は公園とか橋の下じゃないんだそうです。
なんと交通量の多い道の中央分離帯だそうです。
公園など人気の少ないところでは、襲われる可能性があるからだということで、中央分離帯ww すごいですよね!

まぁ余談はさておき
そんな主要道ではなく、道から外れた道 旧旧道でテントを張ったのではないかというのが推測です。
また、上にも書きましたが、一之瀬川と龍喰川の合流地点を花魁淵とするならば、
983さんの「杣道」となりますので、人目にも付きづらくテントを張れるのかと思いました。

121 :
詳細かつ迅速なレス、ありがとうございました。
読んでみて以前に解説頂いた内容でした。
失念してましたが改めて理解できました。
テント設営地が必ずしも発見地点(間近)ではないのでしょうね。
または間近だったのかも…重いブツを持っては行動制限されるでしょう。
「ほら穴より発見(?)」なので、道沿いの崖の穴ではない筈ですし。
埋蔵金発見→下山途中の野営(遺体発見場所)ですよね?
そんなに遠く離れてる場所ではないでしょう。埋蔵金の在り処は。

122 :
>>165さん
>>84さんも居られるのでは?(ただし別人ならば)
>>983さん
いわゆる旧道、旧旧道については歩いたことがなくよく分りませんデス。
一度歩いてみれば埋蔵金の匂いがするかどうか、状況が分ると思います。 高橋修二郎は、
「十中八九、いや九分九厘間違いなしというところを、俺はこの前に行った時、探し当てているのだから、
一緒に行かないか」、と弟憲三郎を誘っています。「今度は、目のさめるようなお土産をもって帰るよ」
と言っていたので、金鉱探しでなく、明らかに埋蔵金を探していたのであり、ズバリ言えば埋蔵金を隠して
ある「ほら穴」を探していたのだと思います。それらしき「ほら穴」があるかどうか、期待したいですね。

123 :
>>風の子さん
周辺はバイクで周ること何度もありましたが、
まさか対岸にこんな歴史が埋まってるなんて思わなかったです。
作戦会議もさる事ながら、当日行動も大変興味あり楽しみです。
まずは「無事故」が最優先されるべきですが、165さんに指揮権を委ねたいと思います。
ここ最近、この板も賑やかになって来ましたね。
84さんも居らっしゃったはず。是非、お仲間に。。。

124 :
こんにちは!
109 = 84 です。みなさんの書き込みを地図など見ながら、読ませてもらってます。

まだまだ土地勘がなくて(/ _ ; )
これからは、109の名前でいきますね。
ヨロシクお願いします。

125 :
【再確認】
現在の作戦会議参加は、風の子さん(茨城) 983さん(神奈川) 109=84さん(八王子)の3名
興味ある方は会議だけでもいいので参加してくださいね。



126 :
もうある程度決めてしまいましょう。
8月10日を除く各週金曜日もしくは土曜日
現地調査日は、9月15日(現地入り)16日(探索)でいかがですか?

127 :
場所は、東京駅ならほとんどの人の中間点になるかと思いますが、上野でもかまいません。
作戦会議は、
http://r.gnavi.co.jp/gak5811/ びすとろ家 八重洲
http://r.gnavi.co.jp/gak5821/menu4.html 湊や 上野
など、個室がいいかと思います。
日程等をお知らせください。

128 :
>>165さん
お忙しい中、お骨折りありがとうございます。
作戦会議及び現地調査の都合の可否は、後日改めてで宜しいでしょうか?
勤務がまだ出来てませんので即答しかねます。
今しばし、時間を下さいませ。希望は東京駅です。

129 :
それと…2ちゃん書き込みは規制時に書き込み不可になるので、
捨てアドを設定して頂ければ助かります。

130 :
作戦会議の場所は東京駅でもどこでも結構です。曜日も仕事を持っている
皆さんの意見を聞いた上で幹事が決定して下さい。異存ありません。

131 :

893さんのご都合で、8月の金曜日(17・24・31日)が候補で
109さんを含め、金土のいずれか1日で
ここで皆さんのご都合を集約したあとにフリーメールを書きますので、そこにメールしていただいた後
個別に時間・集合場所を追ってお知らせいたします。

132 :
ホームページ作成順調に進んでいます。
今月末ぐらいにはテストも兼ねて公開したいと思っています。

133 :
>>165さん
勝手ながら、17日の金曜日なら出席可能です。
他の候補日ですと勤務調整が付きませんでした。
風の子さん、109さんのご都合もお有りでしょうから調整願います。
出来れば東京駅希望です。すみません。。。

134 :
17日あいてます!
ヨロシクお願いしますっ

135 :

では、17日にしましょう。
tokugawa165@hotmail.co.jp  にメールください。
追って時間場所をお知らせいたします。

136 :
風の子さん 983さんからメールをいただきました。
返信しておきましたので、ご確認ください。

137 :
165さん
返信届きました。有難うございました。
暫くぶりに近くのごく低い山へ山歩き(ハイキング)に行ってきます。

138 :
風の子さん お気をつけて行ってきてください。
基礎体力をつけないとなぁ。。。うむー

ここでご意見を聞きたいのですが
>>127でお話ししたように顔合わせといえども、現地調査のお話になると思うので
コース等の確認を地図等でご説明しておいたほうがいいと思うのです。
そのため顔合わせと下打ち合わせになると思うので基本的に「個室」がいいかと思いますが
居酒屋の個室だと人数にあった部屋となり、テーブルを料理や飲み物が占め窮屈かと思います。
カラオケボックスなら部屋も広いし、程度が悪いですが食事や飲みもできます。
テーブルが広いのが魅力です。歌を歌いたい方はどうぞww
どうしましょうか?

139 :
個人的に居酒屋を希望します。
カラオケBOXだと、本来の趣旨から逸脱しそうなんで。。。
私自身がです(謝)
コース料理にせず、単品注文しすればどうでしょうか?
状況見ながら注文すれば良いかと思うのですが。

140 :
もう10年位前ですが、職場で暑気払いか忘年会かも覚えていませんが、ある
居酒屋で飲食したことがあります。隣りの席との区切りがなく、会場全体が
騒音に包まれていて、一緒に行った人との会話も聞き取れない位でした。場所
は居酒屋でもどこでもいいですが、お互いに会話が普通にできる程度の会場を
希望デス。

141 :
109さんからもメールをいただきました。
了解しました。お店の手配が済みましたら皆様にお知らせいたします。
他の方いませんか?特に赤城本命さんw
お目当てのものではありませんが、いかがですか?

142 :
165さん
仕事なんです。また、今度ということで。

143 :
ホッシーさんが新たに参加することとなりました。よろしくお願いいたします。
また、983さんお返事遅くなりましたが返信しておきました。
現在20時スタートですが、19時スタートにできるか調整中です。

144 :
>>165さん
何から何までお任せ、誠に申し訳ありません。
当日の顔合わせ、今から楽しみにしております。
よろしくお願い致します。
19時スタート、出来れば助かります(謝)

145 :
んー いろいろお店がるけど、東京駅で個室になると、一人あたり5,000円の予算だね。
そうそう ホームページを途中まで作ってみました。
レポートもありますので、お時間あったら見てみてください。
http://tokugawa165.web.fc2.com


146 :
んーー
無料ホームページのFC2が悪いのか
作り方が悪いのか
表示されない画像がある。何度か読み込むと表示される。ファイルが大きいとも思えないんだけどなぁ
一部画像も乱れてる。
なんでだろ

147 :
【作戦会議会場等変更のお知らせ】
作戦会議等の変更のお知らせを皆様に送りましたのでご確認ください。
旧20時〜 → 新19時〜
八吉 → とりかく

148 :
>修二郎が滑落死した場所の特定
ホントにそんな事故があったならお巡りさんに聞けば早いんじゃね
それか新聞に載ってないか探すとか

149 :
畠山氏の著書の他に、何か裏付ける資料があるのでしょうか?
言い換えれば、確たる証拠然としたものが。

150 :
確たる証拠があれば、すでに誰かが発見しているでしょう。
まずは現地の状況を見て、当たりをつけて長い時間をかけて丹念に調査するしかないのです。


151 :
見つけたいのはやまやまですが、見つからなくてもいいのです。
お酒を飲みながら資料や地図をみて推理し、ニヤニヤして
日頃の気分転換で、ハイキングがてら現地を調査。
趣味ですから。
真剣になりすぎると日常や私財を失ったりします。
そんな中、足尾で埋蔵金を発見したというグループの話を聞いたりすると。
ウズウズしちゃうのですw

152 :
畠山氏著の「日本の埋蔵金」初版本ゲット
たんさく社のブックレットになかった地図や写真が入ってるのがイイネ

153 :
今日はみなさん大丈夫かな?

154 :
OKです。しばらく東京へ出てないな〜

155 :
今日はみなさんお疲れ様でした。
あっという間に時間が過ぎてしまいましたね。
各自の推理や疑問点を直接お聞きできて有意義でした。
まず滑落場所ですでが、一之瀬川・柳沢川など実際見てみないと絞りきれませんね。
修二郎がどうやって埋蔵金のありかを知ったかという疑問があり、仮説を立てますと
畠山氏の著書に たしかなものであるかは知らないが と前置きしてある。
その埋蔵に関する記録めいたものが、平八郎長者の妻の実家である青梅の河西という家に残っていたことは事実ののようだ。それが天保年間、河西家の自火で、
家財道具と一緒に消失したといわれているのである。
と、あります。
ところが明治八年、旧幕時代に御書院番を務めていた・・・うんぬん
十名ほどの家来を連れて集落に乗り込み埋金の探索をはじめた。その辺見の根拠とした記録なるものが、
この河西系に伝わったものの写しではないかと言われているのである。
なんの成果も上がらずに終わっているこの探索ですが、彼の持っていた絵図なるものが、素人の心得に書いた程度の不完全なものだったとあります。
修二郎は、なんらかでこの絵図を手に入れ、毎年二度ぐらいずつは探索をしていたのではないでしょうか?
不完全なものだったからこそ年度も足を運んだのではないでしょうか?そして見つけた。

156 :
腕の形の木ありそこから入る
大木があり右三本目のあいだを入る
そこを進むと大木があり右三本目のあいだを入る
山のような岩あり大きな岩の左からみえるところにある
ふむ。。まず、沢でも道でもいいですが
「腕の形の木ありそこから入る」
まっすぐ進むと左右どちらかに腕の形の木があることになります。
直進は道や沢が続いているでしょうから、木があったら道をふさぐ形になります。沢を上るか下ればこれもアリですね。道ならかたずけられちゃうでしょう。
腕の形の木から、左右どちらかにある沢を上るか下るかします。
沢から上がる道は無いと思いますので、ここも沢なんでしょうか。
「大木があり右三本目のあいだを入る」
その左右どちらかの沢を進んでいくと、目の前に大木があるわけです。
この大木は3本。仮に山の中で大木3本を見つけられるかどうか。
行く手を阻んでいるように3本立っていれば、わからなくもないです。
また、大木は3本ではなく1本で、その右三本目の普通の木なのでしょうか。
もちろんその沢沿いの左右どちらかに大木があれば、それでも問題はありません。
山奥での狭い沢もしくは道で、普普大普普普●普←ここから
どこの間からはいっても、進む方向は同じ気がします。右3本目と4本目の間のことを指しているのでしょうか。
そうすると、右3本目と4本目の間には、沢もしくは道に降りられる道があるのでしょうか。
「山のような岩あり大きな岩の左からみえるところにある」
山のような岩と大きな岩が重複しています。重複していても問題はないですが、
3本目と4本目の間と書いていないことから、

157 :
皆さん、お疲れ様でした。
全くピントはずれの質問にも丁寧に対応してくださり、本当にありがとうございました。
まだまだ疑問に思うことが沢山あるのですが、突き詰めると今度は逆に矛盾が。。。
晩秋か初冬には現地視察をしたいです。う〜ん、柳澤か一ノ瀬…どっちかなぁ?
ところで、詰まらない質問なんですけど。
「二之瀬高橋に宇沢なる家系」がいまだにあるのか?現地入りした際に訊いてみようと思います。
明治の話でしょ、末裔がいれば何か教えて貰えるんじゃないかと。

158 :
皆さんが推理するときのあくまでもタタキ台として見て頂ければ幸いです。
修二郎は出発に当り、「九分九厘まで間違いなしというところを、俺はこの前に行った時、
さがし当てているのだから、・・」と語っています。このことから、どなたかが言われたとおり、
事故があったこの時は、ほら穴がある場所へ直行して目的の宝物を手に入れたと考えるのが自然
だと思われます。労少なく出来る限り短時間でほら穴に直行するには、途中までは山道を歩いて
行き、あるところ(目印)から崖(急斜面)を下って(又は昇って)目的のほら穴に直行する。
しかし二つ目、三つ目のほら穴は、「川について下って・・」とあるだけで、近くの山道から崖を
下りるときの目印について記されていません。修二郎のメモは、前回確認したほら穴の位置関係を
述べたもので、二つ目、三つ目のほら穴に直行するための目印を得るためには、ほら穴から崖をよじ登り
目印となる大木や大岩を確認しなければなりません。しかし9月の末の秋雨が降ってきたので、マントと
帽子をかぶって行動せざるを得ない状況となった。・・物語作家だったらこのように書くかも知れません。
修二郎「場所も目印も分かった。次回はここを下りればいい。今夜はここで腹ごしらえをして一夜を明かし
明日は一気に柳沢峠を越えて塩山駅に行くことにしよう。」
・・「それにしても、延べ板も少し持って帰ろうか。」と考えたかどうかは分りませんが・・

159 :
ご挨拶するのを忘れていました。
皆様、お疲れ様でした。
幹事さんお手数おかけ致しました。

160 :
今日、丹波山から塩山にバイクで抜けて来ました。
(新)おいらん淵はバイパスとトンネルの開通により、ゲートが設置されて立ち入り不可でした。
ちょうど塩山側のヘアピンカーブに抜けるので、戻ってみたのですが…。
藤尾橋から東側に少し戻ってみましたが、道筋は残ってました。
その先は行かずに戻りましたが、一之瀬林道は次回にして帰途へ。
根拠は全く無くて直黒川通り沿いに平坦地は皆無みたいだし、急峻な両側の崖を見るとここではない気がしました。

161 :
金曜日の書き込みの途中に寝てしまって、そのまま放置してしまいました。
謎が謎を呼んでますな。
修二郎が弟?に九分九厘間違いないから一緒に行かないか?と誘っています。
この時点で、埋蔵金は見つかってないわけです。
文章からも読み取れますし、見つけているのであれば金塊のサンプルを見せていたでしょう。
滑落死した時は、見つけただけでしょう。
本当に見つかるとは思っていなかったのかもしれません。
あと1厘でも調査で終わってしまうかもしれないので、軽装だったのでしょう。
なので、多くを持ち出せなかった。
手帳の謎文を修二郎が見つけた後に書いたとしますと
そこまでにたどり着くためのナニかが必要になることは、みなさんと話しました。
川西家の古文書なのか絵図なのかはわかりません。
ナニか持って行って、それを頼りに探した。→見つけた→メモした。

162 :
埋蔵量までメモする必要があったのでしょうか?
これからごっそり掘り出そうとする人が、その埋蔵量を書くのでしょうか?
修二郎がメモものではない可能性もあります。
たとえば、旧幕時代に御書院番を務めていた辺見も持っていたと思われる、平八郎長者の妻の実家である青梅の川西家の古文書の一部の
子孫に宝のありかを示唆するための文章だったとか。
と、なると辺見が見つけられなかった宝を見つけたのではないでしょうか?

163 :
983さん 調査お疲れさまです。
旧道(馬車道)は、丹波山方面から藤尾の手前で柳沢川と交差し、川の北側を走っています。

164 :
>>165さん
>藤尾の手前で柳沢川と交差し、川の北側を走っています。
手前で交差とは、藤尾橋で北岸に移ってその後藤尾まで続くと言うことですか?
藤尾橋から塩山側の部分が現R411になるのでしょうか?
先ずは修二郎転落地点の確定が出来れば、その後は何とか行けませんか?
現地を周り感じたのは「本当にココらへんにあるのかな???」って。
一之瀬林道を回ればまた、違う感想を持つものと思います。

165 :
黒川谷から(新)おいらん淵までの馬車道は、結構高い位置を通っていたんですね。
これでは現青梅街道R411から見る南岸の斜面より上部になって、馬車道の存在など思いつかないです。

166 :
そこは歩いてみないと何とも言えません。
前に紹介してくれた廃道歩きのホームページの画像も高い位置だった気がします。
当時は、水を大変怖がっていました。
護岸工事ができないので、低地に道は作りませんでした。
原付で甲州街道を走ってみた。のほか、原付で日光街道を走ってみた。も見るとよくわかります。

167 :
大変遅くなりましたが、皆様作戦会議お疲れ様でした。
983さん。現地へいくとは頭がさがります。
さて例の廃道歩きの文に、
新青梅街道は、「道路県令」と渾名された、山梨県令藤村紫朗の尽力により、
明治8年から11年にかけて建設された馬車の通れる新道で、
山梨県北都留郡丹波山村と甲府市を結び、現在の国道411号の前身にあたる。
「黒川通り」は、このうち丹波山村内の黒川周辺における呼称で、
新青梅街道中最大の難工事であったと共に、現在の国道が別の道を通るため、
昭和40年代以降長らく廃道になっている区間だ。
甲州街道に代わる甲府と首都東京を結ぶ産業道路として整備する構想があったものの、
隣県との工事の調整や、高額に及んだ工事費の問題から、
未踏の山河を切り開く明治のバイパスは、黒川通りの先に延ばされることはなかった。

このコースの見どころは、明治以降ほぼ手つかずのままに残る馬車道の風景そのものである。
特に、道中至る所に残る石垣や、橋の跡、さらに往来の証明となる馬頭観音碑などが代表的な遺構である。
また、道を取り巻く自然環境もすばらしく、明治以降首都の水源林として保護されてきた広葉樹の原生林が、
自然と人工物の合作である廃道の魅力を引き出している。
とあります。
以上長文コピペ失礼いたしますが、探索の価値は十分あると考えます。

168 :
わざわざ山梨県立図書館が閉鎖中で資料をあたれない時期に突っ込むとか

169 :
旧旧道(人道)の上部に旧道(馬車道)があると言う事でしょうか。
その逆なのか、先日伺い忘れました。

170 :
参考になれば。
http://d.hatena.ne.jp/hajisan/20090601/1243843763
前回と同じかな?

171 :
いろいろ調べると
旧旧道は、新道の上にあることがおおいですね。
上のURLのサイトを見ても、崩落して路肩が狭くなっていますが、道幅といい新道ですね。

172 :
いろいろ調べると
旧旧道は、新道の上にあることがおおいですね。
上のURLのサイトを見ても、崩落して路肩が狭くなっていますが、道幅といい新道ですね。
橋が落ちていますが、古さゆえですね。

173 :
あら、二重投稿
いくら旧旧道とはいえ、崖をよじ登るようなことはないので、
旧道(馬車道)の続きであれば、橋が壊れるか崩落して崖になったのでしょう。
例えばこのようなポイントの場合、武田時代に架橋できたとは思えませんので
崖の上を通る旧旧道があるかもしれません。
下を通る旧旧道があまり考えられません。

174 :
ちょっと見直したところ
埋蔵金に関するものの本と、「日本埋蔵金研究所」さんのホームページに
平八郎長者の埋宝 埋蔵地】=富士川源流
武田の埋蔵金とも関連する鶏冠山。国師岳の麓に住む平八郎という猟師が【鶏冠山】で
“黄色い砂”を発見、妻に教えられるまで砂金と知らなかったという。
この砂金を集めて洞窟に隠した。
とある。※本と研究所さんの内容はほぼ同じで、国師ヶ岳と国師岳の違いぐらい。
で、鶏冠山だが、山梨県甲州市にある鶏冠山(けいかんざん)ではなく、山梨県山梨市にある鶏冠山(とさかやま)である。
おいらん淵まで直線でも10km余 わざわざ狩りにくる距離ではない。
仮に修二郎が高橋川をさかのぼったとしても、山梨県山梨市にある鶏冠山までたどり着くわけもない。
また、平八郎長者の埋蔵金が砂金であれば、修二郎の埋蔵金は「武田」のものと思える。

175 :
>>161 165さんの「修二郎はナニか持っていてそれを頼りに探した。→見つけた。→メモした。」
>>162 165さんの「これから発掘する人が、埋蔵量までメモする必要があったでしょうか?(必要ない。)」
について、同感です。埋蔵量については、書くならほかの二つの穴の宝物についても書かれていないのは片手落ちのように思います。
また12行のメモのうち7行までは、最初のほら穴へのアクセス方法と発見・確認した埋蔵金の種類と数量のメモであります。
これらのことから修二郎の手帳のメモは、修二郎自身の覚え書きであり、最初のほら穴と埋蔵金を発見した後、第2、第3のほら穴も
発見したものの、その詳しい数量を数えてメモする前のものと思います。(延べ板以外にも何かあったかも知れない!)
雨が降った、食料が尽きてきた、体調が悪かったなど何かの理由で第2、第3のほら穴の延べ板などは次回出直してごっそり
持ち帰る予定、しかし次回この場所に短時間で直行するには、何か目印を探してそこから崖下に下りるのが一番早い。
・・つまり修二郎が転落事故に遭った場所は、正に第2、第3のほら穴のすぐ近い所だった可能性もあります。
それから、「川について下って」は、崖上の道を歩いてもほら穴は見えない場合が多いので「沢下り」だと考えます。

176 :
1回、2回では目的は達成できないかも知れませんね。3階、4回目くらいで本格的に探索する場合、
つまり沢に下りて沢を下る(又は上る)場合、膝まで濡れてもよい服装、安全のためのロープ(足でも
体重が支えられるよう、輪っかの結び目を作っておくと素人でも安心ですね)、あと状況にもよりますが、
仲間との交信ができるトランシーバー(?)を誰かから借りられればなおベターだと思います。
崖から下りる場合はできれば上に見張り1人、下りる人最低2人(一本の川は熊はいないような気がしますが
もう一本の川は分りません。)、携帯電話が通じればトランシーバーは必要なくなりますね。仲間がいれば
安心です。

177 :
調査はについては、継続的に行っていきたいと思いますが
とにかく範囲が広いので、初回はハイキングだと思います。
それ以降、現場の状況等を勘案して範囲を狭めていきたいと思っていますが、
趣味の範囲でいきたいと思っています。

178 :
そうですね。あくまでも趣味の宝探しですからハイキング気分で行きましょう!
ところで梅雪の埋宝ですが、畠山さんの本では梅雪一行を襲ったのは諸澄九衛門
配下と書いてありますが、別の史書には「・・この時に梅雪の行く手を阻み、百姓
達を指導して梅雪主従を討ち取ったのは、綴喜郡の土豪石原源太であったと伝え
られている。」と書いてあるそうです。討ち取ったのは誰であれ、最終的に「武功録」
を手に入れたのが諸澄九衛門であれば、大勢に影響はありませんが。

179 :
みなさんの行動力に影響されたのかわかりませんが、
この地区の歴史に興味を惹かれたのでちょっと調べてみました。
埋蔵場所はここだ!なんて直球勝負ではありませんが、
なんとなくつらつら書きます

 行政区とその変遷
 http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/text/084121.htm

 山梨県塩山市内には,多摩川上流地域に属する集落に一之瀬・高橋・落合があるが,
 いずれも東山梨郡神金村に属していた.
 1954年(昭和29)3月,松里村・大藤村とともに(神金村が)塩山町へ編入合併し,         
 さらに同年4月,塩山町は塩山市となった.(現在は甲州市) 
さらにもっと古い記録がないか調べるとありました。

 一ノ瀬高橋の歴史 −多摩川最上流の村− (年表)
 http://potapotakan.com/ichinose/09History/History.html

 近年行われた発掘調査により、黒川金山は15世紀末(1400年終頃)開発され、
 16世紀前半(1500年前半)に盛期を迎えたと推定される。
 発掘調査の結果、黒川金山には400軒からの家屋が存在していたは確実である。とされ、
 当時、一ノ瀬高橋は金堀たちが通い作場として焼畑耕作に使われていた土地であったと
 想定されている。

 寛永17年(1640)
 この頃、離散していく金堀たちの一部が黒川金山から一ノ瀬高橋に移住を始めたと推定される。
 集落は一ノ瀬(一ノ瀬川)・高橋(高橋川)・刑部平(柳沢川) 刑部平は18世紀に入り消滅 (続く)

180 :
 延宝2年(1674)
 萩原10ヶ村と丹波村との間に山境論(上野福男『近世萩原山の泉水谷流域における国中萩原村と
 郡内丹波山村との間の境界論争』)起こる。
 この山論により一ノ瀬・高橋・刑部平の3集落、萩原10ヶ村の枝郷の位置確定。
 (年貢。訴訟など、親郷である萩原10ヶ村経由となる)
 この頃、黒川には3軒の家と12人が留まっており、一ノ瀬・高橋・刑部平には30軒ほどの民家が存在した。
 「萩原10ヶ村と丹波山村山境論公事留書」による

 享保9年(1742)
 『萩原10ヶ村入会山明細帳』 ハ麻布ナド仕申候
 両沢(一ノ瀬・高橋)家数42軒(本百姓34 水?6 寺院2)人数 139人(男73 女64 僧2) 馬23 
 畑作 一毛作(稗4 粟2 蕎麦3 野菜1) 男女家之儀 男農之間ニハ山内ニ而白箸并材木取申候、
 女ハ作物之間ニハ麻布ナド仕申候

 文政10年(1827)
 家数38軒(うち寺院2) 人数206 (塩山市史 通史編上巻) 
 天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。

 明治5年(1873)
 戸数38 人口218(神金村役場資料) 
 幕末から明治初期にかけての戸数・人口は変わらない。(天保13年の家数、高橋16 一ノ瀬22)

 明治8年(1875)
 神金村のうち旧一ノ瀬高橋組となる。(続く)

181 :
 明治11年(1878年)
 6月 柳沢越えの青梅街道開通 落合集落出現 戸数7 一ノ瀬高橋の経済的地位向上
 明治22年(1889)
 皇室御料地(世伝御料地(林)に編入 23年、「草木払下規則」施行 御料地の荒廃は進行した。
 戸数80 戸数の極端な増加は、「青梅街道」開設と「山稼」・「焼畑耕作」の盛大化の相関関係による
 一ノ瀬高梁地区の経済的地位の向上によるものである。
 明治40年(1907)
 8月21日夜半からの豪雨により山梨県一帯に大水害起こる。
 柳沢峠を挟んで道路は全滅し落合で4戸流出1名死亡、耕地は壊滅し、交通断絶のため住民は餓死に瀕して
 馬を殺して食料としている。と救助を求めた一ノ瀬高橋地区区長雨宮武十郎は語っている。
 泉水谷府有林における22日から一週間の雨量は994.7mmに達した。
 大正2年(1913)
 一ノ瀬高橋地区の無立木地2,000町歩強の植林を開始 15年完了
 大正7年5月21日より水神社祭始まる。
 昭和27年(1952)
 甲府・青梅線(「青梅街道」 現、国道411号)改修工事 柳沢〜落合間部分開通

182 :
別のサイトによりますと、 
 甲斐の金山遺跡(その1) - 高橋山放光寺 -
 http://mineralhunters.web.fc2.com/houkouji.html
 略〜遠方への移住に踏み切れなかった人々が新たな生活の場として選んだのは、黒川金山から
 北西約4kmにある、一之瀬高橋であった。
 ここが黒川に比べ特に開けているという理由ではなく、秩父方面への交通の便から、
 この場所が選ばれたと推測される。
 一之瀬高橋に移住した金掘は、その後採金に携わることもなく、主に畑作と林業で生活を
 営んでいたが、その生活は厳しく、何度も飢饉に見舞われた。
 また、一之瀬高橋は、江戸時代を通じて独立した村として認められず、親郷10ケ村の枝郷として、
 親郷の支配下に置かれた。
 文久3年(1863年)、一之瀬高橋が親郷に無断で黒川金山に接する「東木」で金掘を雇い
 試掘を行ったことを発端に両者が対立し、結局一之瀬高橋側が詫び状を提出して決着した。
 黒川金山の金掘の子孫を自認する一之瀬高橋の住民にとって、この一件が彼等の心に残した
 傷痕は決して小さくなかっただろう。

長々と引用してきましたが、謎文冒頭の高橋〜とは高橋集落を指すのだと思います。
放光山高橋寺って無人のお寺もあるみたいですが。

183 :
あと、ちょっと話が逸れますが、当地周辺は黒川金山時代からの森林伐採と焼畑により、
江戸時代の中頃には無立木地となってしまい山々が荒廃したとのことです。
度重なる江戸の大火が木材資源の枯渇を加速させたともあります。
この無立木地的状況の対策として、江戸幕府はかなり早い時期から伐採規制、焼畑の禁止、植林などの
対策を打ってきたとのことですが、時代が下り大正時代の大植林事業を経て現在に至るまで、
完全復活とまではいかない状況であると。
一ノ瀬高橋地区の荒廃地は現在防火帯となっており、当時の景観を偲ばせるような
草原環境となっています。
↓以下の論文に詳しく書いてあります。
 多摩川上流域における開発と水害 増渕和夫・藤澤正一
 http://www.tokyuenv.or.jp/.../c59e170c3ff90b798779e6a462da04f91.pdf
 1842 年の「玉川泝源日記」(東京都水道局,2001 転載を利用)によれば、『三条河原から
 一ノ瀬高橋の大方は茅、茨ばかりで森林なし、三条河原から丹波山間山地ブナの大木多し。 
 一ノ瀬高橋、文化9 年(1812)38 戸で焼畑と山稼が生業』とある。
 多摩川最上流部の後の東京市水源林域である三条河原から一ノ瀬高橋の大方は
 恐らく焼畑と山稼によって草原植生となり、これに対し、三条河原から丹波山間山地はあまり人為が
 及ばずブナ林=夏緑広葉樹林の広がりが想定される。
また話が長くなりました。
つまり、明治40年頃の黒川鶏冠山周辺の山地は裸地が多く、
坑口、ほらあなの入口なんか案外見つけやすい状況だったんじゃないかと思います。

184 :
それからみなさん既にご存知かもしれませんが、ヤマレコというサイトに
当地周辺の山行記録が数多く投稿されています。
投稿者の辿ったコースのルートが地図や標高グラフ、写真で紹介されており、
コースタイムや状況もかなり詳しくわかります。
他にもGPXファイルをダウンロードすることができたりと、事前調査に大いに役立つかと思います。
ヤマレコ
https://www.yamareco.com/
日曜暇でしたのでAコース(歩いちゃうよ)のルートを作成してみました。
ルート中の最低点が旧おいらん淵近辺で標高890m、最高点が犬切峠で標高1378m
トータル12.8Kmありますね。
予定ルートを地形図に重ね合わせてニヤニヤしながら見ています。
皆様頑張ってください。

185 :
おおお!かなり興味の湧く書き込みありがとうございます!
大水害については、先日、東京駅でバッタリ出会った作戦会議に出席したホッシーさんに教えていただきました。
かなり大規模な災害で、餓死者もでたとのことです。
あれ?この書き込みホッシーさん?
特にきょう深いのは、天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。
 文久3年(1863年)、一之瀬高橋が親郷に無断で黒川金山に接する「東木」で金掘を雇い
 試掘を行ったことを発端に両者が対立し、結局一之瀬高橋側が詫び状を提出して決着した。
ですね

186 :
おっしゃる通り、高橋から始める文章は、高橋の可能性があります。
あの辺一帯が高橋なのが問題です。

187 :
>>179さん、詳しい情報有難うございます。
>>181の記述は、もしかしたらと思わせるものです。
畠山清行氏の本: 〜明治40年頃のある秋の朝〜
>>181の記述: 〜明治40年(1907) 豪雨により山梨県一帯に大水害起こる。
       泉水谷府有林における22日から一週間の雨量は994.7oに達した。
修二郎がこの大雨に遭遇していたら、最初のほら穴に到達できても第2、第3のほら穴
へ到達するのに「沢下り」では濁流のため無理で崖上の山道から下りるしかありません。
雨が降る直前にいったん到達して延べ板だけは確認したもののその後大雨が・・かな?

188 :
165さん初めまして。
>天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。
この下りは興味深いです。
何故、青海の商人が来たのか
記録に残すほど特記事項だったのか
高橋って高橋集落のことなのか
どのルートできたのか
などなど
>あの辺一帯が高橋なのが問題です。
高橋集落・一之瀬集落と分かれていたのが、いつの間にやら合体して、
あの辺り一帯が一之瀬高橋となってしまったんでしょうか。
ただちょっと気になるのが、「山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋高橋」と高橋が二連続する
住所があることです。
http://www.its-mo.com/search/addr/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E7%94%B2%E5%B7%9E%E5%B8%82%E5%A1%A9%E5%B1%B1%E4%B8%80%E3%83%8E%E7%80%AC%E9%AB%98%E6%A9%8B%E9%AB%98%E6%A9%8B/19213002B23

189 :
脈絡無視してまた、つらつら書きます。
多摩源流部で最も人間の侵入を阻む谷、その名を大常木谷と呼びますが、
1658年には既にその流域で伐採が行われています。
1657年の明暦大火により木材需要が増大し、所謂復興用材として伐採されたとのこと。
大常木谷での伐採は近年まで行われ、その全てが谷に沿って流送されました。
大常木谷には「セングノ滝」と呼ばれる滝がありますが、正しくは「千人工の滝」です。
切り出して川に流す上で一番の難所がセングの谷だったからです。
落差が有るので木を痛めないようにしゅらを張ったのですが、そこは谷が深く多くの人手が必要。
大勢の加勢が要ることから千人の工(たくみ)を当てて「千工の滝」と呼ばれたとのことです。
大常木谷は人も寄り付かぬ深山、ではなかったんではないでしょうか。
と書いてるうちに、
>>187さん、初めまして
当地周辺は明治43年も
水害に見舞われたとのことです。
明治40年大水害時の神金村の写真が残っており、随所で斜面崩壊したのが確認できます。

190 :
また話題が飛びますが、
東京都水道局水源管理事務所が、当地周辺の詳細な地図を作成しているとのこと。
その地図には、水源管理のための巡視道が広大な源流部に網の目の様に
張り巡らされており、水源林管理上に必要な沢や尾根には詳細な地名が書き
込まれているとのこと。
水源だから当然かとも思いますが、当時の研究者は大変驚いたらしいです、
微に入り細を穿つその地図に。
時間ないのでこの辺にしておきます。
そうそう、>>165氏の現地巡検Aコースはルートラボで公開しています。
http://yahoo.jp/vu3RN4
見れるかな。

191 :
さて、9月だけどどうするべ?

192 :
私はどうも皆さんの足を引っ張ることになりそうなので、今回は遠慮させて頂きます。
なので、旧道コースで行くのかハイキングコースで行くのかも含め、行かれる方達で
決めて頂きたいと思います。

193 :
勤務の都合が合えばいきたいですね。
旧道は危険な面もあるようで、実際に「在り処」にはちょっと結び付かないような…
「在り処に近いと推測されるコース」に行きたいですね。          
土日になりそうですかねぇ。。。

194 :
9月はぜひ、行きたいですねー。
皆さんの都合や、現地までのアシや、コース選定など今一度すりあわせが必要ですね。
>天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。
一ノ瀬高橋の歴史年表にあっさりと書かれているのですが、
早苗は商人ではありますが、探検家であり詳しく正確な多摩の源流を初めて著作に
記した人物です。著書名は「玉川泝源日記」です。水干関連なので記載されているのでしょうね。
話は変わりますが、教科書にのせたい!(TBS)の8月21日放送の毛利元就の埋蔵金を調査!を
見ましたか?YOU Tubeにアップされています。
八重野さんが陣頭指揮をしています。結果は見てのお楽しみということで…。

195 :
>YOU Tubeにアップされています。
八重野さんが陣頭指揮をしています。結果は見てのお楽しみということで…。
探し方が悪いのか見付けられませんでした。

196 :
毛利元就の埋蔵金を調査!で、ぐぐると教科書にのせたい!の公式サイトで見つけられるねw
八重野さんは埋蔵金発掘の第一人者だけど、Lvはウチらと同じ程度。
ホッシーさんからの資料で、
臼の形をした岩がある臼淵、
渓谷をまたぐように等間隔の3つの石が並ぶ。左岸にはその石に連なるように上に向かって3つの石が並ぶ 猿はね淵も重要ポイントになるのかな

197 :
資料を見ていくと、畠山さんの「高橋」から始まる修二郎のメモは、
もじってる可能性がありますね。

198 :
明日下見に行ってきます。
Aコース(歩いちゃうよコース)
一之瀬川〜龍バミ川合流地点(畠山氏のいう花魁淵)を見学
川沿いの林道を通って柳沢川の合流(現在の花魁淵)〜藤尾橋(真の花魁淵?)まではいきましょう。
で、落合、高橋を通って一之瀬まで
は、全行程 舗装道路なので、一周してきます。 舗装道路なら、風さんも来れるのでは?
前回までの予定が9月15日(土)16日(日)の一之瀬キャンプ場に泊まる一泊二日でした。
17日(祝)があり、体を休めるには良いかなと思っています。
983さんのいう「在り処に近いと推測されるコース」って?
作戦会議の時に私が言ったところかな?

199 :
結局、修二郎のメモが唯一の資料だとすれば、公開時に畠山氏が捩った可能性はありますね。
ただ…どこをどう弄ったかの判断ができないのが泣きどころか。
二之瀬高橋に宇沢某の子孫がいるか、自分は聞き取りしたいですね。
機会を作って行ってみようと思ってます。もう居ないかも知れないけど。

200 :
書き込みが被りました。
「在り処に近いと推測されるコース」って?=165さんの主張の場所周辺です。
生憎、上記の期間は仕事が立て込んでて参加不可能です。

201 :
明日、そこを含めてみてきますよ

202 :
ホームページ作成順調に進んでいます。
今月末ぐらいにはテストも兼ねて公開したいと思っています。

203 :
>>165さん
今日の現地行きはバイクですか?
多分、雨で行ってないと思いますが。

204 :
自分もスクーター乗ってるんで、バイクで行くならおkです。
日帰りの周辺巡回なら。。。

205 :
165さん
ひょっとしたら、物証つくった人わかるかもしれない。
赤城の郷土史を調べていたら、妙な人物発見したよ。
今度の赤城行きはこれ中心の調査になる。
まいったよ。その人だったら、赤城はガセネタだなあ。

206 :
今日は雨で中止でしたw
983さんとツーリングで周回もいいですね。
スクーターとアメリカンで峠道&林道wwww まったく合わない車種ですなww

え?物証つくった人?誰ですかね?
銅板以降三枝氏の物証とかはねつ造だと思っていますが、
根本から崩れてしまう重大事項じゃないですかwwwww

207 :
いやあ、まいった。
双栄寺に算額があるって話しましたよね。
それを奉納した人、和算が趣味で卜占を生業にしてたらしい。
徳川埋蔵金検証辞典で「天狗」という言葉が何度か出てきていて
この人も「浅天狗」って呼ばれてたらしい。
1834年頃生まれてて年代もぴったり。
ひょっとすると、児玉惣兵衛かもしれない。
下手すると、完全崩壊の危機です。


208 :
双栄寺の算額には私も触れてみました。
境内に碑もありますね。
金山宮は、剣道の練習場?で、今でも修行に来る人もいるとのおばーちゃんの話で
児玉惣兵衛が剣術を教えていたのでは?と、ココでもご紹介しました。
まぁ大きな天狗のお面などが飾られていたりして、どくどくの雰囲気ですね。
その奉納した人が物好きな一般人ではなく、児玉惣兵衛であって
幕末からの長い年月の間に算額や卜占をやっていたのであれば、
坊主でもないし剣じゃ食えないし暇だしのむしろ自然の流れかと


209 :
浅天狗=児玉惣兵衛であっても
水野氏が着手するきっかけは児玉惣兵衛ではなく中島蔵人です。
児玉惣兵衛が水野氏を妨害しようと、数多くの物証をそろえるには疑問が残ります。
大義兵法秘図書を渡した理由も不明になります。
ん?
ということは、赤城の物証から答えが出るってことですね。

210 :
銅板は双栄寺発見となっているけど、双栄寺では否定している。
出所が不明ですよね。ところが私の解読結果では銅板と灯明皿は
同一人物の作だと判明している。
銅板も灯明皿も児玉由来とするとすっきりくる。
浅天狗こと須田浅造は双栄寺に同時期に算額を奉納するなど双栄寺と
関係が深い。なおかつ和算、卜占の知識がある。彼は沼田に通った形跡があり、
沼田街道沿いに徳川埋蔵金と天狗が一体になって語られている。
宝神流という剣術が行われていたらしい。郷土史にも天狗堂の話が出てくる。
児玉と須田は年齢的にも近いと思う。
児玉=須田説は思いつきだけど、須田は状況証拠真っ黒なんだ。

211 :
須田浅造でしたか。
須田浅造に関しては、埋蔵金関係のホームページに載ってる名前ですね。
宝神流ではなく、法神流ですね。
私がかなり参考にしているホームページがありますので、ご紹介しておきます。
http://sky.geocities.jp/amb_akagi/mytown/
沼田往還の地図など貴重ですw また地図かよww
児玉惣兵衛=須田平八かと思ってましたよ。
法神流秘巻。極意の歌「もとのやの もとの古巣を 立ちいでて またたちかえる もとの古巣へ」

212 :
角川日本地名大辞典にも須田浅造が出てきますね。
角川日本地名大辞典には、
寺は字中棚に曹洞宗双永寺がある。山号は鈴岳山、開基は鑑翁東察和尚で寛永元年創建と伝える。
東に隣接する字中山の金山宮の別当寺であったとみられる。境内には寛永堂があり、算額が掲げられている。
鎮守は金山宮で、祭神は金山彦命。創始は、永保3年源頼信の末子小太郎が、以前から金山彦の神体と仰がれていた鈴ケ岳の里宮として祀ったと伝える。
中世末期宮田の土豪須田加賀守が麓から山の中腹の社殿に至る360段余の石階を寄進したとも伝える。加賀守は白井の長尾憲景の臣で白井衆の1人。
金山宮は通称天狗様で武人に信仰され、当地方の剣客として知られる楳本法神が、当地で天狗飛切の術を会得したと伝え、数多くの木刀が奉納される。
最古のものは永保元年の墨書がある。
農民からは養蚕神として崇敬され、春蚕前に参詣者が多い。
村役人は名主1・組頭4。
嘉永年間名主須田平八が寺子屋を開き、剣術・手習いを教授し、寺子20人。平八は法神流の剣をよくしたという。
文久年間には須田浅造が和算を教えた。

213 :
赤城本命さんがいいところなんで、ちょっと整理してみる
明治 8年
水野智義が、母親の内縁の夫である中島蔵人から埋蔵金の話を聞かされる。
明治10年
赤城山の麓で調査の結果、津久田原が怪しいとにらんだ。児玉拡平(惣兵衛)、角田恒二郎の義理の従弟・角田源次郎のことを知る。
また津久田原で謎の武士団が何かやったことを知った。
明治16年 移住。本格的発掘に着手 カラ井戸との話から源次郎の井戸に着目
明治23年5月19日
源次郎の井戸に近い場所から黄金の徳川家康像と銅皿が出土。
津久田原に近い深山村の双永寺から謎の銅板3枚が見つかる。
明治24年
児玉拡平(惣兵衛)が亡くなる直前、御用金の隠匿の経緯を記したといわれる「大義兵法秘図書(たいぎへいほうのひずしょ)」なる謎の巻物や、
やや曖昧ないくつかのアドバイスを智義に与えた。
その後
義治・愛三郎兄弟、愛三郎の次男・智之氏が発掘していた。

214 :
物証@ 家康像
源次郎の井戸の近辺から、壺に入って発見されたという、黄金の像
初代智義が掘り出したが、二代目義治が人に預けすり替えられたと主張する。
この家康像を見たことあるという人は、掘り出したものと返ってきたものはまったく別物だったと言っている。
「黄金の仏像は、小さい私が見ても、そりゃ綺麗でした。返ってきたものは全く別物になっていた」という内容だったと記憶する。
物証A 燈明皿
家康像と一緒に掘り出されたとする謎の文字が刻まれているお皿。義治が人にくれてやり、現在は他人の手にあるそうです。
家康像の頭に笠みたいに配置されていたいたが、発掘の際にどの方向に向いていたとかわかっていない。
物証B 双永寺の三枚の銅板
双永寺では出土を否定している。おばーちゃんの話だと「そんなものが出たなど聞いたこともない」とのこと。
現物がどこに行ったかは不明

215 :
はじめ、児玉拡平(惣兵衛)を須田平八と思ったが、大正七年に死亡が確認されているので別の人物とした。
須田平八
天保元年(1830年)生まれ。 大正7年(1918年) 89歳で没
明治10年(1877年)当時 47歳だった。老人というか初老であり、これも的外れ。
須田浅造 天保4年(1834年) 没不明だが、明治5年9月に算額を双永寺に奉納していることから生きていたと思われる。
この人は、上のホームページに書かれているように
「常にそろばんと書類を入れた風呂敷包みを背に負い、興至れば路傍と砂上とを問わず、尻を下ろしてそろばんをはじき、書物を披見して時の移るのも知らなかった。」
武士のイメージはなく、特に気にもかけていませんでした。
そう考えると、須田平八かな?と思ったが、没年が違うのでスルーしました。
ただ、児玉拡平(惣兵衛)と須田平八の剣豪両名が、狭い範囲で活動していたこととなり、
お互いに顔をみないで過ごせるとは思えませんでした。
また、出会ったときどうしたんでしょうか?やはり仲間だったのでしょうか?
この辺は、全くわかりません。

216 :
楳本法神に関しては、伝説の人なんでw
ただ、教え子に四天王といわれる人がおり、
林国太郎(林鶴梁の長男)、羽倉鋼三郎(林鶴梁の次男)、雲井龍雄(元米沢藩士)、屋代昇平(元前橋藩士)と
ダブってしまうのはどーしょうもないですね。
深山一帯は須田姓ばっかりだったそうで、よくわからないので、気にしないですね。w
赤城本命さんがおっしゃる 須田浅造もしくは須田平八が、埋蔵金発掘を妨害するようなことをしたのでしょうか?
赤城本命さんの心配する 須田浅造が物証を作ったというのはないと思います。
何のために?

217 :
須田浅造が徳川埋蔵金の物証を作った理由は二つしか考えられません。
@埋蔵金詐欺の目的で偽造した。
A愉快犯(知的な遊戯)だった。
現時点で須田浅造が犯人とは断定できませんが、第一容疑者と考えています。
 
解読作業は概ね終了しましたが、そのとたんにこれですから。
本当に参りました。


218 :
須田浅造のことは、紹介したホームページのうわべしか知らないけど
@もAもあり得るのかなー
児玉惣兵衛はどうしましょ。大義兵法秘図書は・・・
銅板に関しては、特に絵地図は算額とは関係なさそうだし・・・。

219 :
灯明皿の解読は三枚の銅板が解読できたのがそもそもの発端なんです。
だから灯明皿と銅板は同一人物の製作となるわけです。
須田浅造については「徳川埋蔵金検証辞典」を発注しましたので、天狗の記述の再確認をします。
確か、天狗が座っていたとか何とかの記述があって、何故天狗何だろうと
疑問に思ったので記憶に残っていたんだす。
須田説がはっきりと否定できれば、いいんですが。
だっていままでの成果がすべて無になる事態ですから。

220 :
徳川埋蔵金検証辞典が到着したので、早速確認しました。
「天狗」の記述は昭和村長者久保の欄に「山犬天狗という謎の人物が
 明治治22年頃迄、埋蔵金を見張っていた。」とありました。
この山犬天狗と浅天狗(須田)が同一人物ではないかと考えました。
須田は深山から沼田へ通っており、旧沼田街道をよく利用しておりました。
しかし、長者久保は旧沼田街道よりかなり山側にずれています。
須田が日常的に使った道筋ではないように思います。
完全ではありませんが、須田への疑いは若干薄くなりました。

221 :
おじゃまします。はじめてです。
毛利元就氏の埋蔵金これ見られるかな?
ttp://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-20465.html

222 :
>>221 ひつじさん
httpのhが落ちてますね。httpで始まればあとはいいみたいです。
この「毛利元就の埋蔵金」は話のもっていきかたが少々強引でしたね。
>>211さん
赤城のHP見ました。甲府にあった幕府の御用金24万両を榛名山に埋蔵したが
掘り返されていたとのこと。徳川はよく分かりませんが、江戸城にあった360万両
と一緒にするためだけに一度埋めたものを掘り起こしたのでしょうかね?指示したのは誰?

223 :
ん? まいっかw
毛利元就の埋蔵金は、八重野氏の勇み足でいたね。
それにしても地中レーダーの信頼性の無さと言ったら、どーしょーもないですな。
まだロシアでwwUの遺品さがししたほうが儲かりそうですw
榛名のお寺の境内に一度埋蔵し、柴田監物の指示で赤城「方面」へ移送しています。
沼田街道を経て会津若松まで移送するつもりだった思われます。
小判で24万両はあり得ないので、棒金・笹流し金などの延べ棒の類で、さほどかさばるとは思えませんので埋蔵は容易だったと思います。

224 :
165さん 有難うございます。指示した人もちゃんと分かっていたんですね。
ところでふと思い出しました。かなり以前に、古文書に大変詳しい方が、結城の埋蔵金に
関連して驚くようなことが書かれていたというのです。それは結城近辺に幕末の幕府の金
を運んできて埋蔵したというものだったと記憶しています。えっ、結城の埋蔵金って結城
晴朝の埋蔵金のほかに、幕末の徳川の埋蔵金もあるの?と半信半疑でしたが、何の証拠も
なく終わりました。暇なとき昔の資料を探してみます。幕末は風雲急でしたから何があって
もおかしくないかも知れませんね。

225 :
はじめまして、私も同じくトレジャーハンティングに興味があります。
2ちゃんねる は初めて書き込みます(ホントです)。
名前は、考えてなかったもので、とりあえず日向徹にしました。
文章はうまくはありません。
主に興味が有るのは、山梨方面(武田・穴山)方面です。
こういった掲示板上のやり取りやメールは苦手ですので、皆さんとは直接お会い出来たらと思っています。
武田オフ会のお知らせの日程が、平成24年24月となっていますが・・・。

>>223
> 毛利元就の埋蔵金は、八重野氏の勇み足でいたね。
八重野氏は、著作家であり、タレントでもあると思います。
番組は、バラエティー番組なのです、ドキュメンタリーではありません。
事実などどうでも良い事です、いかに番組を盛り上げるか、意図はそこに有るのではないでしょうか?
バラエティーではなく、ドキュメンタリーに出演していただきたいと思いますが、難しいのでしょう。
世間では第一人者と呼ばれているようですが、埋蔵金作家としては、確かにそうだと思います。
しかしトレジャーハンターとしては、疑問です(特に抜きん出ているとは思えません)。

> それにしても地中レーダーの信頼性の無さと言ったら、どーしょーもないですな。
探知機の反応が無いのに掘る事は、番組の都合上いまいちですね。
これ以上書きませんが、演出が有る事で誤解を招いている一面も有るのではないでしょうか?

226 :
はじめまして、私も同じくトレジャーハンティングに興味があります。
2ちゃんねる は初めて書き込みます(ホントです)。
名前は、考えてなかったもので、とりあえず日向徹にしました。
文章はうまくはありません。
主に興味が有るのは、山梨方面(武田・穴山)方面です。
こういった掲示板上のやり取りやメールは苦手ですので、皆さんとは直接お会い出来たらと思っています。
武田オフ会のお知らせの日程が、平成24年24月となっていますが・・・。

>>223
> 毛利元就の埋蔵金は、八重野氏の勇み足でいたね。
八重野氏は、著作家であり、タレントでもあると思います。
番組は、バラエティー番組なのです、ドキュメンタリーではありません。
事実などどうでも良い事です、いかに番組を盛り上げるか、意図はそこに有るのではないでしょうか?
バラエティーではなく、ドキュメンタリーに出演していただきたいと思いますが、難しいのでしょう。
世間では第一人者と呼ばれているようですが、埋蔵金作家としては、確かにそうだと思います。
しかしトレジャーハンターとしては、疑問です(特に抜きん出ているとは思えません)。

> それにしても地中レーダーの信頼性の無さと言ったら、どーしょーもないですな。
探知機の反応が無いのに掘る事は、番組の都合上いまいちですね。
これ以上書きませんが、演出が有る事で誤解を招いている一面も有るのではないでしょうか?

227 :
良く理解出来ていなかったので、二回書き込んでしまいました(恥)。
あまりにも地中レーダーの能力を低く思われていらっしゃったので、つい書いてしまいました。
バラエティー番組では番組の演出上、金属探知機を故意に敏感に反応させるような演出は当たり前に行われています。
今回は、通常の金属探知機よりも、はるかに高価でハイテクな地中レーダーです。
演出により、結果的に最新科学が否定されかねません。
そして、おかしな方向(超能力)へ傾きかねません。
やはり、超能力より科学です。

228 :
>>225日向徹さん
はじめまして。私も梅雪の埋蔵金に興味を持っています。今後よろしくお願いいたします。
毛利元就の埋蔵金バラエティーで、金属探知機が鉄、銅、銀、金を見分ける話、そこまで本当に
機械の性能が進化しているのでしょうか。ちょっと信じられませんが。
165さん
徳川埋蔵金by165のホームページはアドレスなど、どこかに移動されましたか?
お気に入りに入れたものを見ようとしたら見ることができませんでしたので。

229 :
>>228
風の子さん、はじめまして、こちらこそ宜しくお願いいたします。
金属探知機ですが、金属を見分ける能力については、気象庁の天気予報より、
正確さは劣るように思います。
また、今のところアルミニュウムシートと金貨の見分けは、事実上不可能です。
磁化する物とそうでない物の見分けは、出来ます。
砂金取り用の物は、小粒の金属でも、良く反応するように、設計されています(金以外でも反応します)。
深い所でも探査可能な物は、小粒の金属には鈍感です(ほぼ反応しません)。
毛利元就の番組見ました。
八重野さんが、使用している機種は、ロレンツのX-3で間違いないと思います。
番組内で60以下は、鉛などと表現してありますが、
メーカーのマニュアル(翻訳ソフトで見ました)によると・・・。
以下、番組内での表現
 〜60、鉛など
60〜70 鉄
70〜80 銅
80〜90 銀
90〜99 金
以下メーカーのマニュアルを、翻訳ソフトにかけてみたもの。
0〜10 アルミニュウムシート・金貨
10〜20 ブロンズ色のコイン/銀貨/ニッケル・コイン
20〜30  スズの箱/細い鉄板金
30〜50  鉄(たとえば釘/破片)
50〜60  鉄の箱/鉄の腕
60〜80  穏やかな大きさの青銅、銅、銀の物
80〜100 大きい青銅、銅、金そして銀

230 :

テレビの説明を鵜呑みにして使用すると、金貨(姫小判)の反応が出ていても、
鉛などと思いこみ、見逃してしまいます。
またメーカーのマニュアルには、鉛と云った表現は無く、
理解度の低い視聴者にすり寄る為には平気で嘘がつける人が、作ったのでしょう。
・・・いや、私が間違っていました。バラエティーですから、必ずしも事実通りに伝える必要が無いのです。
それを作った人は、一般の視聴者に、ワクワクしてもらう為に作ったのです。
こういった番組を見る時には、半分はインディージョーンズを見ているつもりで見るのが、私は良いと思います。
24時間テレビ(2006年、海賊キッドの宝をさがせ!)が、ヤラセだったとか云った事を、ネットで見ましたが・・・。
24時間テレビは、出演者はしっかりギャラをもらっています。
24時間テレビの実態は、チャリティー風のバラエティー番組です。
バラエティーは、全て嘘で固められているわけではありませんが、事実を拡大解釈したり、都合の良い情報だけ利用したり、虚飾で飾ったりしたりして、番組として楽しめるように作って有るのです。
ドキュメンタリーかバラエティーかの違いを考えてから、番組を見た方が良いと云う事です。
私の知人で、ある趣味(乗り物関係)で有名な方がいるのですが、ホンダさんがスポンサーなので、ふざけた番組では無いと説明を受けて出演されたそうですが・・・。
『二度とテレビには出ない』、と言っていました。
テレビ(特にバラエティー)は、真実をそのまま伝えたい、人間は出演者には向きません。
八重野さんは、埋蔵金作家の第一人者であり、埋蔵金タレントとしても第一人者であるわけです。
・・・金属探知機の話から脱線していまいました。
頭が理系なので、すみません、つまらない話を。

231 :
自分の思いです。

※トレジャーハンティングに興味があります。
※トレジャーハンターは、埋宝を出して一人前と考えています。
※研究者の方のお話を聞いたり、出そうと云う意志の有る方と一緒にやっていきたいと考えています。

これからは、作り話として聞いてください。

某番組の話は、出演された方から直接聞いています。
迷惑がかかるとと思えば、ストレートに書けず悶絶しています。

232 :
誰か、15〜6年前ぐらいの写真週刊誌にたぶん明治かそこらで実際発見してかけらを持った人が
点とか何かの中で心臓麻痺か何かで死んでたってきじ覚えてる?
あれって何の埋蔵金だっけ?よく覚えてないけど衝撃的だったな、他の埋蔵金伝説も沢山載ってた記事だったけど。

233 :
今日、高橋、一之瀬高橋、二ノ瀬を走ってきた。
まず、衝撃的話から、花魁淵の横を走る青梅街道が廃道になっていた。
物々しくフェンスが張られ、バイクすら通行不可になっていた。
もう二度と花魁淵を見れることはないでしょう。
勝沼から柳沢峠を越え、藤尾の手前で左折
車が通れる舗装道で、右手に高橋川
バイクを止め、高橋川に3〜4m下の高橋川に触れてみた。
水は浅く冷たい。
対岸は切り立った絶壁ではなく、渡河すれば登れそうだだった。
途中、木製の人道橋がかかっており、橋の向こうは笹で覆われていたので、興味がわいた。
緩やかに上り、奥多摩養魚場横で高橋川を渡る。
左手に高橋川を見ながらいくと、高橋の集落に到着した。
道は二手に分かれ左手は高橋の奥に、右手は犬切峠へと続く
二股から黒川鶏冠神社が見えたので停車。参拝してみることにした。
鳥居があるが、境内へ続く道は放置されたのか跡形もなく、山の斜面を登るがごとく足元を取られながら上がる。
途中、道なき道をふさぐように倒木があり、何年ぐらい放置されているのかわからなかった。
境内らしき姿もなく、社殿は痛み、床や壁の一部が崩れ社殿には窓枠すら入っておらず、風雨および獣のされるがままの状態だった。


234 :
高橋は、集落といわれるが人影もなく、畑らしいものも見れなかった。
家屋は二股路の横にぽつんとあるだけだった。
神社を過ぎるとすぐ犬切峠。
411号を左折して、林道ですれ違ったのは3台だけだった。
犬切峠も車が通れるよう舗装され、道幅と路盤は悪いものの、杉の香が立ち込めるいい道だった。
また二股路があり、まっすぐは三ノ瀬へ続く道だが右折、一之瀬を目指す。
しばらく行くと、正面に橋と家屋が現れる。
橋を越え、家屋のまで停車。
正面の家屋は廃屋で、壁には薄らと商店の文字が見れた。
右手には、人の気配がする家屋が数棟点在していた。
橋の欄干を見ると「一之瀬川」と書いてあり、一之瀬集落だと確信した。
橋の手前を右に曲がる道があるが、地図でもある通り集落を避けるための道路である。
古地図には載っていないので、昭和の道路だ。
果敢に集落を抜ける旧道をアメリカンで攻めてみることにした。
本当に馬車が登れたのか?と思わせる勾配と幅員の狭さ。
坂を登りきった左手に見落としてしまうような放光山高橋寺跡を発見。
「泉雅彦著 震源の黄金遺跡と埋蔵金」の64ページに出てくるような小規模のお堂ではなく
、祠(ほこら)と言ったほうが的確ではないかと思うようなものとなっていた。

235 :
集落を抜けた左手の斜面に神社を発見。
神社名が確認できなかった。
傍らには、一之瀬憩いなんとかという集会場があったが、窓ガラスは割れ廃れていた。
社殿の中をみると、お札が立てかけてある程度で、何を祭ったのかすら不明であった。
ふと、神社の裏手の山を見上げると、地蔵?観音?なんか石像が一体置かれていたが近寄れなかった。
神社の道を挟んだ向こう側には、藤尾山と深い谷底が見渡せる景観地であり、その藤尾山と一之瀬川、木谷の渓谷を見ているような配置であった。
また少し走ると、金鶏寺が右手下にあり、道から墓地を見ることができた。
新しいのと古いのが混在しているが墓石の数は少なく、昔から人を拒み続けた村の墓地といったところだった。
すぐ横にはまだ使われていそうな分校?があり遊具もあった。
果敢にも金鶏寺に近づいて外から中の様子を覗いてみると、何年も使われていなそうな楽器のドラムが寂しげに置いてあった。
金鶏寺を後にすると、すぐ二ノ瀬だった。
別荘らしきものと、保養所?民宿?があり、保養所みたいなものは、まだ新しかった。
もし、この辺を攻めるなら、一之瀬キャンプ場ではなく、この保養所を利用するのがいいかも。
今回の目的地でもある、一之瀬川と竜喰川の合流地点を目指す。
途中左手に林道があった。
この林道は、作戦会議の時にお渡しした竜喰川を回る山歩きコースの二ノ瀬からの出発点であった。
ミノワ谷?へ向かう林道なのか?よく整備された登り口であった。
林道の手前に「荒廃した渓流の復旧」と称して、東京都水道局が平成25年1月31まで工事するとの看板もあった。
この林道の少し先に明治時代にはあった登り口があるはずなのだが、確認できなかった。

236 :
柳沢峠からここまで周りに注意して走ってきたが、いたるところに使われなくなった道があった。
柳沢峠もすっかり整備され、深い谷をまたぐ大規模な平成の道が出来上がっていた。
眼下には昭和の柳沢峠道が随所に見られ、また昭和の道の横に旧道(明治)の入り口がいくつもあった。
時代時代の土木技術はすぐにわかった。
昭和の道を走ると、これは流石昭和!と思わせる作りがあると、旧道(明治)の路盤と思しき草木にまみれた道があった。
明治時代には不可能だった崖沿いの緩やかな昭和の道。
山から低地を探し、できる限り沢を避ける形の明治の道。
高橋へ向かう林道に入ってからは、黒川鶏冠神社あたりから昭和の道から山を登る旧道(明治)が見られた。
さて、石橘花橋を越えると左手に一之瀬川と竜喰川の合流地点になるはずだが。
とんでもないところだった。
眼下のはるか下に流れる川。花魁淵へ向かう林道から川まで絵にかいたような断崖絶壁。
これじゃとてもじゃないが、水を汲むなんて絶対思わない断崖絶壁。
落ちたら死体すら発見できないんじゃないかな。

237 :
この石橘花橋は明治の地図には記載されていない。
金鶏寺から石橘花橋までの道すらない。
もちろん。金鶏寺から花魁淵まで抜ける一之瀬川沿いの林道もない。
これは、藤尾経由ではなく一之瀬・二ノ瀬・三ノ瀬への近道として昭和に作ったものだということ。
なぜなら、一之瀬集落で見た橋の欄干と石橘花橋の欄干には、昭和と刻まれていた。
山側(藤尾山)をみると、山を削ったあとが多くみられ落石しているのと、今まで見られた旧道(明治)の登り口らしきものは見つからなかった。
旧道(明治)を山側を削って拡幅したのかと思いたいが、途中、切遠しもあり旧道(明治)を拡幅したとは思えないかった。
このロケーションを見る限り、この道沿いで修二郎が滑落したとは思えないのだ。
一之瀬から花魁淵までの一之瀬川沿いの道の可能性はなくなったとみていい。
そんな思いをしながら花魁淵を目指す。
途中、待避所に路駐が目立ってきた。ハイカーを何人かみたのと、高齢者のグループが待避所でバーベキュー?をしていた。
まぁ密林の中の舗装道路で、車もたまにしか通らず(この道では一台もすれ違わず。)、木しか見えないので(沢ははるか下)、
都会を忘れるにはいいかもしれないが、待避所でやるのはどうかと思う。。
しばらくすると、道は、花魁淵の真横に出る。
左を見ると平成のトンネルがあるので、その直前を左折するとすぐ花魁淵である。
が、通行止め。昨年の11月末に閉鎖され、看板には廃道になったとしっかり書かれていた。
ガードレールから下をみると、石橘花橋からずいぶん下りてきたせいもあり、沢はよく見えた。
と、言っても十数メートルしたである。さっきまでの数十メートル下よりはマシ。
もう旧青梅街道になってしまった昭和の青梅街道は、花魁淵までさらに下がっていくので、
花魁淵の塔婆の横から見た渓谷は、水を汲みに降りられる高さだったと思う。

238 :

この先、トンネルを抜けて道の駅たばやままで行く意味がないので、ここでUターンして藤尾橋を目指す。
前回の現地調査で見落としているので注意しながら進むと、ガードレールの切れ間に突然つり橋が現れた。
急停車させ、まじまじ見ると橋の幅も広く、かつては車も通れたといわれるのもわかる。
現在は人だけといわれるが、通る気にならない。怖い。
真の花魁淵としてではなく、つり橋はサビ、踏み板は木製。抜け落ちたらと思うと。。。
今回の調査報告でした。
いつの間にか、行くのか行かないのか解らなくなった現地調査オフかいですが
Aコースの目的地の一つであった現花魁淵が消滅していたのと、歩いて藤尾山一周は無理!との結果報告w
Bコースの的をしぼるコースなら、落合から高橋を抜け、二ノ瀬の折り返しで。
林道が狭いので注意しながら進めば、犬切峠がキツイですが歩けるでしょう。
また、犬切峠は車で移動で、二ノ瀬周辺および高橋周辺の調査にしぼってもいいかもしれませんね。

239 :
さて、ひつじさん、日向さん、>>232さん はじめまして。
ひつじさん
毛利元就の動画の紹介ありがとうございました^^
あーいうことを私もやってみたいと思う。。
地位も名誉も金もないので、コソコソするしかないですけどねw
日向さんは、機器にお強いみたいですね。
八重野氏は境内の横をピンポイントで掘ってましたね。
TV番組ですし、出ないからと言っての批判はありませんよ。
数値が高かった理由がなんだったのか、地中レーダーの画像はなんだったのか 実に残念です。
武田オフ会の前の勉強会は、私、風の子さんを含め5人で行いました。
風の子さんが時間の関係上、帰られた後に、983さん、ホッシーさん、109さんと4人で2次会と称してカラオケボックスで
歌も歌わず地図を凝視し、最初は小1時間と言っておきながら3時間近くカラオケボックスにこもっていましたw
また、後日、ホッシーさんと駅地下で偶然お会いして、まぁお茶でもと言いながら3時間近くコーヒー1杯で過ごしていましたw
埋蔵金を追う人たちって共通の趣味なんで、時を忘れますね^^
>>232さんの言っている話は知りません・・・。
むしろ詳しく教えていただきたいぐらいで。
今回私が調査した武田の埋蔵金は、
明治時代に高橋修二郎という男がテント一式を残して谷に滑落死し、そのテントに置いてあったカバンの中から
金の延べ棒と、埋蔵の場所を書いたと思われるメモを残しています。
現在そのメモを元に調査しており、今日の調査は場所の特定としての調査でした。

240 :
ここで
国道411号 青梅街道ですが、塩山方面から平成の道がしっかり出来上がっていたのと
今までの道が廃道になっていたので、
あれ?・・・前回行ったときは、大きな橋とか渡らなかったな。ここ1年半で出来上がったのかな?
とにかくwww
新道(平成)、旧道(昭和)、旧旧道(明治)、旧旧旧道(明治以前)となってしまいました。
わかりずらいので
平成の道、昭和の道、明治の道、江戸の道としていきたいと思いますw

241 :
平成の道は、走ればわかりますが、天空の道(橋脚)、真新しいトンネル
昭和の道は、緩やかな対面通行可能な舗装道路
明治の道は、馬車道で馬車が通れる道幅(対面不可)と、沢を下流で渡れる道
江戸の道は、人が通れる程度のつずら折の道で、勾配もきつく、沢を上流に向かって上り・越える道


242 :
165さん お疲れ様でした。大変詳しい報告、次回行く人に大変参考になると思います。
修二郎が埋蔵金の一部を発見したのは明治の末頃ですが、これが埋蔵された時期は江戸時代
以前ではないでしょうか。当時あったのは「江戸の道」と山道ということになります。
ところで、一つ目のほら穴のそばには、山のような大岩があると思われます。
何本か大木もあり、その間をすり抜けて行くと、突然山のような大岩(屏風岩?)が現れる。
山のような大岩がないところは一つ目の埋蔵場所ではないし、その近くの川について下っても
第2、第3のほら穴もないということになると思います。一つ目の埋蔵場所は難しいので、
一つの方法として、第2、第3のほら穴を川に沿って先に探し、その上流方面にある山のような
大岩を探せばその大岩の左側方面に第1のほら穴が発見できる・・ということになりませんか。
ちなみにその川は、花魁淵の現場近くの川、即ち柳沢川と一之瀬川に限定されると思います。

243 :
>>225 日向徹さん
穴山梅雪関係は調査研究進んでいますか?現地探索は何度か行かれましたか?
何か壁に突き当たっていることなどありませんか。

244 :
>>239
どうも!えっと165さんでいいのかな?
232の件は>>239で書かれた高橋某氏のことだと思います。
当時かなり衝撃的な記事だったので頭の片隅に残ってました、明治時代ですか、当時は
この話題って大きく報道されたんでしょうか、どうだったんでしょうね。
この手の分野の定番的な話題で発見から今まで多くの人が探した埋蔵金ってことなんですよね。
残された文書の>>にもま○○○○○ある、これって「にも、まだたくさんある」と解釈するのが
普通ですよね。
この埋蔵金はどんな探求されてきたんでしょうか?興味深いですね。
大正時代とかにこっそり発見されてて換金されてたりするかもですね。

245 :
高橋修二郎の(発見した)埋蔵金を探索する意義はあると思います。
(1)未発掘の可能性も残されている。
(2)仮に発掘済みとしても、ほら穴は存在しその状況を見ることができる。そのことにより
  他の山梨県内、長野、富山その他の山中の埋蔵金探索の参考になる。
(3)「山のような大きな岩」、「川」、その他修二郎のメモの不明箇所がほぼ明らかになり
  解読が完成し、人目を避ける場所、危険の程度など埋蔵した人の心理を裏読みすることが可能。
それとちょっと本題からはずれますが、現物こそ出ない場合でも、「毛利元就の埋蔵金」よりは
はるかに迫真的な「埋蔵金話」のビデオが撮れることでしょう。「山のような大岩」は、
「屏風岩」または「ついたて岩」状かも知れませんね。現物の大岩をカメラに収めたいものです。

246 :
165さん
>TV番組ですし、出ないからと言っての批判はありませんよ。
出ないからといっての批判は、一切しなかったつもりです。
>数値が高かった理由がなんだったのか、地中レーダーの画像はなんだったのか 実に残念です。
私は、こちらの事を問題としているのです。
入力・文章作りが苦手な為、説明には時間がかかります。
この件は後日、時間を作って説明します。
・・・直接お会いできれば、すぐに説明出来るのですが。
某番組の・・・とは、この番組と関係ありません。
その話は、金属探知機の話で、故意に誤動作させるのです。
もし、山でお会いする機会があればその時に、私の金属探知機で実演します。

247 :
風の子さん
徳川埋蔵金by165のホームページはこれかと・・
http://tokugawa165.web.fc2.com/index.html
本命は、穴山梅雪でした。
しかし、パートナーが病に倒れ、半身に軽い麻痺が残ってしまい・・・。
単身で、入山も考えましたが、単身のリスクや発見時の保全・運搬等考えますと・・・。
熊は、しっかり対策をしておけばそれほど恐れる事はないと思います。
熊以外の野生動物も、ナメてかかると危険な事も承知しています。。
通常の山道なら、むしろ一人で歩く事を好みます。
しかし過去にある経験をしてからは、山を楽しむ事が目的以外での単独入山は慎重になっています。
もう一人いるのですが、住居が遠く、別の地方の物を、二人で少しづつ進めています。
穴山梅雪は、持論があり、それを実証したいと思っていましたが、今はその時期では無くなりました。
高橋修二郎の(発見した)埋蔵金話には、大きな疑問が有ります。

248 :
畠山さんの本には、『五分ほどのまるさで、長さ七、八寸の山吹色の棒が十本』と書いて有りました。
寸法からして、ざっと一本200万円位でしょうか?
貧しい山村に、推定一本200万円×10=2000万円分の金
『二つの穴にもま○○○○○ある』のメモ
山間の貧しい村なら『村中大騒ぎ間違いなし』と思います。
それにしては、宇沢某の話以外何の伝承も無いようです。
通常、こういった経緯なら、村中総出で探したとかの話が有るはずです。
しかし、そういった記述は、どの本にも載っていないようです。
私には不自然さが感じられました。

249 :
そういった不自然さとは別に、探索はしてみたいと思っています。
この週末に、165さんのグループで探索されるのなら、集合場所等で、一度お会いしてみたいです。
※さまざま有るのでしょうから、とりあえず一緒に探索は、遠慮しておきます。

250 :
>>245
この高橋某氏の埋蔵金お話は現実感があってわくわくしますね、その頃の地図をベースに探索
するのがいいでしょうね。
>にもま○○○○○ある、この部分はやはり「にも、まだたくさんある」と探索家から解釈されw照るんですか?

251 :
日向徹さん
ホームページ見ることができました。有難うございます。
梅雪は当分の間ひとりで調べます。まだ持論を固めるところまで行ってません。

252 :
どもども
もともと私は赤城埋蔵金を探索していて、ここ最近武田(梅雪)の埋蔵金を薦められ
ちょこっと首を突っ込んでいるのです。なので、武田(梅雪)に関しては、素人です。
なぜ修二郎かというと、比較的近いからですw ただそれだけw
>>250さんのいう「そのころの地図(明治43年測量)コピーではなく本物」すでに手に入れています。
そのころの地図を頼りに上記に書いた探索を行ったのです。
なので、地図にない道とかのお話をしています。
まずは、修二郎のメモの○の部分を埋めたいと思いますが、それは人それぞれの解釈がありますので差し控えます。

際にまだ埋蔵金があるのかどうかも、「あるはずない」は胆略的で悪魔の証明とおなじで、
ないことを証明しなければなりませんのでまずはアタックしてみるということですね。
畠山氏の書いたことも検証してみなければ、今となってはわからないのです。
まぁこれは、徳川だろうと武田(梅雪)だろうと、毛利だろうと同じことです。


253 :
この連休に一之瀬高橋をみんなと探索してみたかったのですが、ご都合があわないせいか無理みたいですので残念です。
そもそもこのエリアは沢登り・山歩きが多く、容易に発見できるならすでに発見されていることでしょう。
ただ、昔の道と今の道、昔の沢と今の沢が違うかもしれませんので、修二郎が滑落した明治40年ごろをたどる必要があります。
梅雪に行かず修二郎に走っているのも、これが明治40年頃の話であり、明治43年の地図があるからです。
素人ですので、持論はありません。

254 :
埋蔵金>>251
風の子さん
どういたしまして。
機会があれば、高橋修二郎の(発見した)埋蔵金のお話を、お聞かせください。
高橋修二郎の(発見した)埋蔵金に肉迫されていらっしゃるのではないかと思います。
信頼関係が築ければ、梅雪の埋蔵金も含め、現地を踏まれる時にご一緒出来ればと思いますが、
まずは機会が有る時に一度お会いしてからですね。

255 :
>>252
165さん
> まずは、修二郎のメモの○の部分を埋めたいと思いますが、それは人それぞれの解釈がありますので差し控えます。
このような事は、秘密にしておきたいと云った一面も有ります。
過去は、各自自分だけの世界や内輪でやってきたのでしょう。
結果、いまだ出せていないのではないでしょうか?
ここで、立場や考え方の違う複数の人間で議論をして、埋宝に肉迫していく、と云った方法が取れれば、それは今までに無い結果が得られるかもしれません。
良い意味で、意見を戦わせる、しかも本気で、そのような機会をどこかで持てないかなと思ったりしています。

256 :
日向さん 了解です。
私が当初書いたものはここにあります。 >>52 ←クリック
まず、「腕の形の木」とすると、どれも腕の形に見え不動のものではないので、石なのではないかということ。
柳沢川(丹波川)で目印とした臼の形の岩は、発見済みです。ただ、花魁淵よりかなり奥多摩湖寄りなので、無視してもいいかもしれません。
腕の形をした石よりは、椀の形をした石のほうがしっくりくるかもしれません。
次に「大本」これを風の子さんは、「大木」の誤植ではないかということでした。
「大本○○○右三本○○○○○○○○」
頂いた資料に「渓谷をまたぐように、等間隔に3つの石が並ぶ。左岸にはその石に連なるように上に向かって3つの石が並ぶ。・・省略・・」
いかがでしょうか?類似しているようには思えないでしょうか?
この二つの地点は、さほど離れていません。
ただ、塩山方面から来たであろう修二郎が、最初に出会うのが3つの石になります。
ここで挫折ですw

257 :
高橋某氏の事故があったときマスコミはどのような報道がなされたのでしょうか、そして今まで
どのような探索がなされて文書化されてるのでしょうかね?
出てきた金はどうなったのかとか、ご遺族は今どのようにこの出来事を解釈されてるのかとか、知りたくなってきますね。
最新の調査なら結果が出そうな気もしますが。

258 :
>>253
165さん
> この連休に一之瀬高橋をみんなと探索してみたかったのですが、ご都合があわないせいか無理みたいですので残念です。
経験上、全てのメンバーを満足させる事は困難です。
165さんは、行動力がお有りのように思いますので、全員が集まらなくとも、複数回行う事で、結果的に全員が参加出来るようにお考えになれば、いかがでしょうか?
複数回の中に、定期的に休みが取れない方の予定も、組入れれば良いと思います。
・・・そう思っただけで、お聞き流しください。
もしかしたら良い意味で、混成チームとなり、今まで出来なかった事が可能となる可能性が上がると思います。
なぜならば、過去の探索は、単独・身内チーム・独裁者チーム・強烈な個性のぶつかり合いチーム等しか無かったように思います。
混成チームならば、今までに無い、新しい発想や、着目点が出てくるはずです。

165さんの方が、高橋修二郎の(発見した)埋蔵金に関する、知識・資料等お持ちである事は間違いありません。
機会があれば、是非お聞かせください。
また、そのような機会があれば参加希望します。

259 :
>>257
名無しの楽しみさん
> 高橋某氏の事故があったときマスコミはどのような報道がなされたのでしょうか、
その件に関しましては、国会図書館で当時の○○新聞(新聞名は失念しました)を調べられた方の話では、見つけられなかったそうです。
念のため、前後誤差も見込んで調べられたそうです。

260 :
修二郎は、柳沢川と竜喰川の合流地点付近の花魁淵で滑落死したと書かれていますが
これは不自然で、竜喰川と合流するのは一之瀬川、柳沢川と合流するのは一之瀬川なのです。
そして、花魁淵があるのは、柳沢川と一之瀬川なのです。
ここに疑問をもち、言い伝えにすぎない「花魁淵」は畠山氏の創作で、
柳沢川を一之瀬川とすると、宇沢某が住んでいた二ノ瀬に近となります。
なので、本命は、一之瀬川と竜喰川の合流地点ではないかと思いました。
「高橋○○○○○○○○○○」の部分は、高橋集落を抜け犬切峠を越え、
一之瀬川と竜喰川の合流地点を目指したものとしています。(当時、現花魁淵〜二ノ瀬に抜ける林道はなかった)
しかし、上で書いた頂いた資料(ほっしーさん提供)を読むと、類似した場所があることがわかり、悩んでいます。
一之瀬川と書くところを竜喰川と書き、柳沢川との合流地点(花魁淵)とすると、上の類似した場所に到達できます。
塩山駅から落合〜花魁淵を通り過ぎ、当時はなかった奥多摩湖近辺まで行き、埋蔵金をみつけた。
その帰り道、塩山駅に向かうため、花魁淵近辺で滑落死した可能性も浮上してきました。
その辺を丹念に調べたいと思っています。
第2回作戦会議を開催してもいいですが、居酒屋の反省から今度は会議室にしましょうw
居酒屋は2時間ww 会議室は、午前・午後と長時間借りることができますw
カラオケボックスで歌も歌わず怪しまれるよりは集中できるかと思いますw
会議については、前参加者の方々も含め、ご意見を聞きたいところです。
会議室となると休日開催で、東京駅周辺となるでしょう。

261 :
>>256
165さん
貴重な回答ありがとうございます。
すみません、本日はそろそろ電池切れです。
正直私の投稿は、ムラが有ると思います。
しかし、その気が無くなったと判断しないでください。
文章を作ったり、入力したり等、不得意で、時間がかかり、エネルギーの消耗も激しいです。
また、書き込みます。

262 :
写真館店主なんだから写真機ぐらい持って行かないよね、当時は大型で携行ほぼ不可能みたいな。
マスコミ報道なしなら信憑性が無いような気もしますね、いくらなんでもマスコミがネタにするでしょう。

263 :
見つけた金はどこにいったんでしょうか、そんな情報も探すべきでしょうね。
本物が出てきたのならご遺族が探索するだろうし、近所見大騒ぎだろうな。
山菜取りに日本人は念供する国民性だから埋蔵金探して山に分け入ることを当時大勢が
やってるはずなんですけどね。

264 :
警察とかの事故記録はあるんでしょうかね?

265 :
ちょっと面白いものを見つけたのでご紹介します。
明治41年芥川龍之介が、この辺を旅したみたいで日記があるそうです。
二十六日 晴
丹波山から落合迄三里の間は殆ど人跡をたった山の中で
人家を素より一軒もない
独りこの道を林の奥の落ち葉を踏みて
凩(木枯らし)の音に耳を澄ましたなら 定めて心地よいことであろう。
こんなことを考えながら落合の荒村を過ぎて
柳澤峠から塩山の町についたのはもう暮方であった。

266 :
>>257
現在、山梨県立図書館が閉館中で資料を調べられません><
新聞とか郷土史とかで裏を取って警察の記録を見せてくださいお願いします、と行きたいとこですがねw

267 :
マスコミは、今のマスコミと全然比較にならないような状態です。
明治の新聞などとググレば、どんな程度だったかわかると思います。
電話なんてなかったでしょう。(東京・横浜開局 明治23年)
上で明治41年の芥川龍之介の日記を紹介しました。
こんなところに警察が駐在していないでしょう。
このような閉鎖された場所で、何かあってもそれがどれだけ外部に伝わるか疑問です。
もし、資料があったとしても第二次世界大戦で甲府は2時間及ぶ大空襲を受けていますから、焼失しているかもしれません。
もちろん甲府市役所、山梨日日新聞社も丸焼けです。(記録あり)
そんな状態の中、事件は起こっています。

268 :
金塊の行方を調べるために遺族を探したらいいかもな、曾孫の世代かな。

269 :
まず、高橋某氏が実在なのか調べることが重要でしょうね。弟氏の名前の分かってますし。
写真館店主なら調べやすいのではないでしょうか、必ず当時の写真館とかの資料が出てくるものです。
写真屋なんだから写真は実在してるはずですし。
そもそもこの話って誰が紹介したんですか?

270 :
絶対に大正や昭和の時代の探索家がご遺族など安否を含めて調べて資料化してると思う。
それがマスコミで書籍化とかなされてないのでしょうかね。

271 :
是非 調べてみてください^^
埋蔵金が見つかるかもしれませんよ^^

272 :
おそらくこの高橋某氏は実在の人物ではないような気がします。
誰もこの人物のご遺族に会ってないでしょう、実在が疑われます。

273 :
結局この高橋某氏の伝説は高橋宇沢氏の子孫を見つけ出して話を聞いたほうが早い。
高橋氏の弟も実在だったら子孫が生きてるはずなんで、探せそうだと思うけどね。
テレビ番組とかで取り上げられたことも無いのかな?

274 :
すみませんいろいろ書きいのですが、とりあえず。
第38回 [新知識階級クマグス]090814 生島ヒロシ、財宝発掘プロジェクト 渓谷編
http://v.youku.com/v_show/id_XMzc0ODI3ODg4.html
八重野説(改行は、日本の埋蔵金・上にならいました)
高橋川の出会から上がった処に
椀の形をした大木が○本ある
大本のうち右三本○○○○○○○○
山石が○○○あり穴は大きな岩の
左からみて正面に三つある
木で○○のべ棒○本
棒は大小○本のべ板十枚
のべ板はあとの二つの穴
にもまだたくさんある
右の穴の入口は川につ
いて下って三つ目の○
のほらあなから入る
また時間の有る時に書き込みます。

275 :
この番組は初めてみました。
これはどこなんでしょうかね?
謎文の内容は想定の範囲でしたが、
「高橋川の出会から上がった処に」
高橋川のRであれば、柳沢川と高橋川のRがまずあります。
このRはこんなところではありませんでした。
高橋川は落合から高橋まで、簡単に降りられそうな状態でしたので、
高橋川のかなり上流かと思いますので、明日行ってきますwww

276 :
これは、一之瀬川だね。
一之瀬川をさかのぼっていて、一之瀬キャンプ場に泊まってるんじゃないかな
時々出てくる地図のE(東)に右から合流してくるのは大常木谷だね。
八重野氏も現花魁淵だと思ってて流石畠山氏に師事しただけのことはある。
でも、書いているところと、探しているところが違うww

277 :
やっと見終わった。途中実況してすいませんでした。
番組で出てくる地図に川の左手に林道もあり、川の形状もほとんど同じなので、間違えなく一之瀬川です。
改めて、動画の解説をすると、この先は滝があって進めないといった滝は「マンガの滝」ではないでしょうか。
鹿が死んでいたあたりは「通らず」ですね。通らないほうがいい危険な場所と思われる地点が4か所ほどあるようです。
後半にいろいろなゴミを見つけていますが、現地報告で書いた「高齢者のグループが待避所でバーベキュー」
花魁淵から二ノ瀬へ向かう林道の脇の車を数台止められるスペースでハイカーかキャンパーが捨てたゴミでしょう。
当たり前ですがゴミは持ち帰りましょう。
これでというわけではありませんが、一之瀬川ではないのでは?と気持ちがさらに強くなりました。風の子さんごめんなさい><
番組を紹介していただきありがとうございました。大変参考になりました!
それと、やっぱり川の両岸の崖じゃないんじゃないかな・・・
「川について下って」は、下る=川下りってイメージになるけど、
川に沿って山道(道は無いけど)を下るんじゃないかと思います。

278 :
>>260 165さん
やっと話に花が咲いてきた頃「はい、お時間です。」でなく、会議室がいいと思います。
室料がいくらなのか気になりますが。黒板があると説明し易く便利ですね。都合がつく限り
参加させて頂きます。
>>258 日向徹さん
次回の打ち合わせ会には是非ご参加下さい。
現地行きですが、全員参加を前提にするとそれぞれの方の都合もあり、実行がしにくくなりますね。
日向さんの提案のように複数回で結果的に全員参加と考えれば実行しやすくなりますね。
>>277 165さん
私の推理する場所をお見通しですね^^ そこをやる場合は何とか万障繰り合わせて
私も参加したい気持ちです。しかしそこを探索するには季節的に難しいと考えます。
山は1時間、谷間は2時間、日暮れが早いです。来年春ですね。その前に165さんや
他の方と意見があった場所を先に調査して下さい。



279 :
高橋某氏がどんな資料を使って調査したのか分かってるのですか?

280 :
165さん
解説ありがとうございます、さすが良く現地を把握されていますね。
165さん・風の子さん
第2回作戦会議の件、楽しみに待っています、宜しくお願いします。

以下重複しているのもありますが、動画を探してみました。
教科書にのせたい! - 12.08.21 毛利元就の埋蔵金
http://v.youku.com/v_show/id_XNDQyMDg2NDI0.html
第27回 [新知識階級クマグス]090515 宝探し
http://v.youku.com/v_show/id_XMzc0NTY1MDky.html
第29回 [新知識階級クマグス]090529 富士樹海で財宝探し
http://v.youku.com/v_show/id_XMzc0NTkwMjA4.html
第38回 [新知識階級クマグス]090814 財宝発掘プロジェクト
http://v.youku.com/v_show/id_XMzc0ODI3ODg4.html
第42回 [新知識階級クマグス]090918 徳川埋蔵金発掘
http://v.youku.com/v_show/id_XMzc1NjM1MDI0.html

281 :
面白く拝見させていただきました。
八重野氏の探究心には脱帽です。
富士の樹海は、オウム真理教をはじめ昔からいろんな人が追ってますね。
樹海系は全くわからないので何とも言えませんが、石塁の近所とか考えづらいですね。
富士山の大噴火等もありますから、武田信玄の時代と地形はだいぶ変わっていると思いました。
徳川埋蔵金は、金井沢金山ですね。
書物やhttp://home.f01.itscom.net/yaeno/Kanaizawa01.htmlで、詳しく紹介されています。流石です八重野さん

282 :
さて、徳川の話に戻りたいのですが、赤城本命さんの書き込み待ちなのでw
武田(修二郎)を続けさせていただきます。
武田を追う方に申し訳ないですが、修二郎についてもう一度書き残したメモをここに書きたいと思います。(日本の埋蔵金 上)より
高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川につ
いて下って三つ目の○
のほらあなから入る

283 :
日本国政府が自衛隊を投入して捜索すべきです!野田総理のご決断を!見つけられれば選挙に勝てます!

284 :
> 徳川埋蔵金は、金井沢金山ですね。
> 書物やhttp://home.f01.itscom.net/yaeno/Kanaizawa01.htmlで、詳しく紹介されています。流石です八重野さん
この話、私はどうも物語として不自然に思います。
http://home.f01.itscom.net/yaeno/Kanaizawa06.html
>昭和30年代の半ば、私は山仕事仲間のH氏とともに金山の坑道内に入り、徳川幕府の御用金の一部と思われる千両箱16個を発見した。それは、坑道の左奥の深い立て坑の底に置かれていた。
>1個を回収することに成功したが、仲間が誤って穴の底に落ち、どうしても助けることができなかった。
1個回収したなら、一枚10万円としても1億円、20万円なら2億円、いずれにしても一般家庭ではとんでもない金額。
換金したとしても記念に一枚位は残して有るはず。
焼香ついでに遺族の方に、それとなく聞いてみるとか出来たはず。
私なら、仲間が誤って穴の底に落ちれば、どんな事をしてでも助けようとするし、一人では無理ならば、救援を呼びます。
救援費用など、いくらかかっても安いものです、手元には回収した千両箱が有るのですから。
しかも、あと千両箱15個も残っているのです。
>遺体はそのままになっているので、彼の供養を頼みたい。
>そして、残り15個の千両箱を取り出して、世の中の役に立ててほしい。
落ちた時に、お仲間は亡くなられたようですね・・・生きたまま放置したら残酷すぎます。
もし突き落とした(殺人)としても、死人に口無し、当時の事ですから黙っていればばれるはずもありません。
手元にはお宝の1/16しかありません。残り15/16は、捨てておくでしょうか?
供養する気が有れば、後日偶然見つけた事にして、供養出来たはず、費用も千両箱15個残っているので何の心配もいりません。
・・・物語として不自然ではないでしょうか。

285 :
そもそもなぜ高橋某氏はこの埋蔵金を探そうと思ったのか、どんな資料で探してたのか、そっちのほうが大切な情報と
なるのではないでしょうか、古地図で道なき道を探すことになるでしょうが。
私はこの件の全体像をまったく知りません、何かまとめか参考書などないですかね?

286 :
>>282
165さん
修二郎メモですが・・・。
>椀の形○○○○○○○○○る
>大本○○○右三本○○○○○○○○
大本が大木ではないかと云った説があります(八重野説もそんな感じでしょうか)。
当時の事(ボイスレコーダやデジカメも無く、フィルムも高価だったと思います)です、写し取った、聞き取ったにしても、人為的なミスが入り込んでくるでしょう。
そこで思ったのですが、もしそのようなミスが有るとしたら、木→本よりも、椀→腕の可能性の方が、高くないでしょうか?
このデジタルの時代でも、この掲示板内に、椀・腕のミスがあります。
緻密な考察の、165さんでもミスっています(ごめんなさい)。
256 :165:2012/09/13(木) 23:01
>腕の形をした石よりは、椀の形をした石のほうがしっくりくるかもしれません。
また、現代でも物の形を表す言葉として、『お椀型』と云った表現はしますが、『腕型』と云った表現は聞きません。
もし現地を踏まれる時は、お椀型の何かが無いかと云ったような事も、心の片隅に置いておいても、損は無いのではないでしょうか?
またそのような物を、お知りでしたら、教えていただけませんか。

287 :
>>284
確かに話が不自然ですね。
もし、残りの15個を持ち出しているなら、なぜ今頃(当時)このような話を持ち出したのかも疑問です。
仮説として、友達が穴に落ちたが1個持ち出せた。友達の死を教えると残りの15個を他人に見つかるので伏せておいた。
友達の死骸の横で、日数をかけて残りの15個を持ち出した。千両箱は1個10kg程度だが友達の死骸は重いので上げられなかった。
日数は経過したが白骨化していない死骸には触れられず、あんな穴の中で偶然見つけたとは言えないまま時が過ぎた。
老い先短いと知り、八重野氏を埋蔵金で釣り死体を発見させようとした。
持ち出した埋蔵金は遊行費に散在したが、良心の呵責(友達を見捨てた)によりネパールに学校を5校寄贈 冬場にはよくネパールへ(片品村のど田舎で営林で儲けるには無理がありそう)
こんなところですかねw
>>285さん
「日本の埋蔵金」研究所 と検索すれば、まとめはみられますよ。
また、このスレを1から見直せば、概要もつかめてくると思います。

288 :
いやいや
私は、椀(わん)だと思っています。ミスではありません。
風の子さんは、腕(腕)だとしています。
腕は、著書の誤植だとおもって直したやつを上に書いてますね。
著書のは「腕の形○○○○○○○○○る」です。

289 :
紹介していただいた八重野氏の動画に
高橋川の出会から上がった処に
腕(うで)の形をした大木が○本ある
大本のうち右三本○○○○○○○○
山石が○○○あり穴は大きな岩の
左からみて正面に三つある
とありました。
植林が進んでいるせいか、犬切峠も杉ばかりでした。その杉の中に1本あればわかるでしょうが、八重野氏は○本と書いています。
「腕(うで)の形をした木」だと、どれも同じように見えて目印にはならないのでは?と思うのです。
たしかに大木であれば目印にはなると思います。
腕(うで)が椀(わん)の誤植だとして「椀(わん)の形をした木」はまず考えられませんので、「椀(わん)の形をした石」としています。
さらに石であれば、不動のものですし、目印になるかと思います。
ですが、「高橋○○○○○○○○○○に」の文章に時点で、山にいるのか川にいるのか不明です。
椀(わん)の形をした石なんて、よっぽど大きくない限り山でも川でも見様によってはいくらでもある物なので困ってますw

290 :
皆さんも推理してみてください。
八重野氏の「穴は大きな岩の左からみて正面に三つある」
いまみなさんパソコンの画面をみていますよね?
パソコンのモニタが進行方向で、道をふさぐようにモニタがあれば、右側から見ても正面(モニタの向こう側)が見えるはずです。
ちょっと窮屈ですが、進行方向にモニタがあり、モニタの右側が壁に埋まってたとします。
モニタの左側は通過できることになりますから、進行方向に進めば左から見なくてもモニタの向こう側は見えるはずです。
では、モニタが壁に埋め込まれていたらどうでしょう?
左側に壁とモニタの隙間があるかもしれません。右側には隙間がないのです。
なので、大きな岩は左右どちらかの崖に埋まってて、左からみ た岩の裏側にあ る
ということにならないでしょうか?

291 :
怪しい探検隊w

292 :
165さん
最近凄いノビですね。
前は3年で100スレ位だったのに?

293 :
お 赤城本命さん
徳川より武田が優勢だねぇ すっかり感化されてしまってますよ。
誰も見つけてない徳川より、100年前だけど見つけた人がいるといわれる武田のほうが現実味はあるw
埋蔵金自体は、幕末と戦国時代で400年ぐらい徳川のほうが新しいんだけどねw
修二郎の謎文も第三者って感じ(武田、畠山氏以外)で、客観性もありとっつきやすいのかも。
徳川は、畠山氏か水野氏のどちらかですもん。
まぁ行き詰った徳川より、一から発見がある武田は面白いけど
見つけやすさは、徳川でしょうね。


294 :
出てきた金塊はどうなったのかと。

295 :
165さん
ある程度まで推理したらやはり現地調査しかないと思います。
2,3か所狙いをつけて探し、その結果を反省する。
来年中には修二郎関係に一応の決着をつけ、来年の反省会(忘年会)には
翌年の活動方針(徳川中心か、山梨中心か、結城か)などを話し合う。
165さんはもともと徳川だから徳川になっちゃうかな^^

296 :
ホームページに武田の埋蔵金(修二郎)の現地レポートをアップしました。
http://tokugawa165.web.fc2.com/index.html
無料のホームページサイトを使用しているせいか、画像の飲み込みが悪いです。
画像に「×」が出ている場合は、再度読み込みさせてみてください。

297 :
165さん お疲れ様でした。ホームページ見せて貰いました。
画像もきれいに撮れてます。二度行かれた感じで少し絞り込みが進みましたか。
武田オフ会の日にちと曜日に入力ミスがあるようです。
一点だけ私と見解が異なるところがあります。「明治には花魁淵に通じる道は無かった
はず」のところですが、地図上の正規の道は無くても一之瀬川の崖上には人一人が通れる
くらいの山道が必ずあったと想像しています。昔金堀りが盛んだった地域で、川の右岸にも
左岸にも人が通れる道がないはずがないと思います。特に右岸は上流に一之瀬、二之瀬集落
があり、犬切峠を通らず青梅街道に至る裏道(山道)があったと思います。あくまでも想像
ですが・・


298 :
まぁまぁとにかく現地調査ですよ。
村の古老に聞けば、林道のある程度の話は聞けるでしょう。
一之瀬・二ノ瀬〜落合までの往復ならキツイでしょうが沢に入るより手軽かと思います。
ある程度山の上にあがるなら、それなりの装備が必要かと思われます。
バイクなら気軽ですが、車でも駐車しながら確認していけば楽しいかと思います。
このスレを見た方で、興味がある方は一度訪れてみてはいかがですか?
山の冬は早いです。今の時期を逃すと来年ですね。

299 :
宇沢の子孫を探し出せよ。

300 :
軍資金の保管については超一流な日本
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/47/307.html
フランスに膨大な埋蔵金を置いたのが、徳川幕府だった。

301 :
>>287
165さん
> >>284
> 確かに話が不自然ですね。
> もし、残りの15個を持ち出しているなら、なぜ今頃(当時)このような話を持ち出したのかも疑問です。
> 仮説として、友達が穴に落ちたが1個持ち出せた。友達の死を教えると残りの15個を他人に見つかるので伏せておいた。
> 友達の死骸の横で、日数をかけて残りの15個を持ち出した。千両箱は1個10kg程度だが友達の死骸は重いので上げられなかった。
> 日数は経過したが白骨化していない死骸には触れられず、あんな穴の中で偶然見つけたとは言えないまま時が過ぎた。
> 老い先短いと知り、八重野氏を埋蔵金で釣り死体を発見させようとした。
> 持ち出した埋蔵金は遊行費に散在したが、良心の呵責(友達を見捨てた)によりネパールに学校を5校寄贈 冬場にはよくネパールへ(片品村のど田舎で営林で儲けるには無理がありそう)
>
> こんなところですかねw

そうすると遺骨が有るはずです、また当時の林業は、今と違って儲かる仕事でした。
以下参考まで
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=14591
(知事発言概要)の少し下
昔、地方では、山を持っている方が一番のお金持ちでしたが、今山を持っている方は、経済的に厳しくなっていると思います。

302 :
>>288
165さん
> いやいや
> 私は、椀(わん)だと思っています。ミスではありません。
> 風の子さんは、腕(腕)だとしています。
>
> 腕は、著書の誤植だとおもって直したやつを上に書いてますね。
> 著書のは「腕の形○○○○○○○○○る」です。
了解しました。
私も、お椀型かと考えました。
しかし、どの本を見ても、ウデと書いて有るのですよ・・・。
日本の埋蔵金 上(初版)
日本の埋蔵金 上(新装初版)
日本の埋蔵金100話(第一版)
埋蔵金を発見した(初版)
この件は、また書きます。

303 :
>>296
165さん貴重な現地レポートありがとうございます。

304 :
>>297
風の子さん
>犬切峠を通らず青梅街道に至る裏道(山道)があったと思います。
私も有ったと思います。
一之瀬集落は、金山衆の末裔の集落と思われますので、多少険しくとも、そちら方向へ用が有れば近道した事でしょう。

305 :
腕(うで)と書いてありますが、椀(わん)の誤植、あるいは畠山さんの原稿書き違いの可能性もあります。
「腕(うで)の形の木」か、「椀(わん)の形の岩(石)」かどちらかだと思います。椀(わん)の場合は、
「椀(わん)をかぶせた形」となっていないので上向きなんでしょうかね。
山道から道なき道に入る所のポイントとなる目印ですが、もしかしたらその山道の道路拡幅工事や100年
の間の大風などで目印が失われている可能性もありますね。

306 :
一之瀬川沿いに道があったのか否か?
ここで道はあったということにして、その道の定義を定めてみたいと思います。
<林道の位置>
@現在の林道ができる前になんらかの道があり、その道を拡幅するという形で現在の林道になっている。
A現在の林道は昭和に何にもないところに作られた道で、昔の道はもっと一之瀬川沿いにあった。
B現在の林道は昭和に何にもないところに作られた道で、昔の道はもっと藤尾山の上にあった。

307 :
>>306
@が妥当ではないでしょうか。拡幅工事もやり易いと思います。
Aは峡谷の深さと斜面の急角度から可能性は低いと思います。
Bも可能性は薄いように思いますが、歩いたことがないので分かりません。一度だけ
 サワラ窪を少しだけ上ったことがありますがこれと交差する山道の存在には気が
 つきませんでした。もっと藤尾山の上の方ならある可能性は高いと思いますが
 荒れていると思います。単独だったので熊が怖いのですぐ引き返しました。


308 :
>>306
同じく@が妥当です。
まず@の線で拡幅を進めていき、うまく拡幅出来ないところは、現地に合わせルート変更します。
なぜなら、
分かりやすく説明する為に、スタートとゴールが同じ標高だとします。
急峻な地形の山を巻く場合、どうやって進路を、決めるかと云うと、出来るだけ等高線に沿ったルートを設定します。
なだらかなら、出来るだけ直線的に抜ける方法もありますが、一之瀬川沿いで、そういった事をしようとすると、激しい上り下りになってしまい、危険で疲れる道になってしまいます。
↓急峻な所に道をつける例。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B9%B3%E6%AD%A9%E9%81%93
スタートとゴールの標高が違う場合は、出来るだけ、一定の割合で登る(下る)ように道をつけます。
拡幅するとしても、効率的な道路を作ろうとすると、無用な登り下りは避けたいので、自然と同じラインになります。
急峻な地形であれば、あるほど、ラインは一つに決まって行きます。
未踏の山に道をつけた経験あります、と言うか何度も往復していれば、自然に道になります、勿論必要な所はロープを張ったり工事もしましたが。
歩く場合、多少無理をしても、相当距離を稼げる場合は、急な登り下りの有るルートを設定する場合があります。
もし自動車が通れるように拡幅する場合、そういった事は出来ませんので、出来るだけ傾斜が緩くなるような別なルートで拡幅します。

309 :
>>305
風の子さん
いったんウデの形を否定しておきながらなのですが・・・。
自然に生えている山の木は、曲がっている物が多くて、目標にならないと云った意見も有りますが、自分自身が、山中で一つの目標にしていた木がまさにウデの形でした。
まれに、カクンと直角以上に曲がっている木もあります。
嘘みたいな話ですが、話しても今一歩信じてもらえなくて、画像を撮った記憶がありますので、探しておきます。
完全にクランクしているような木も、ドッグレッグのような木も見た事があります。
基本的に、落石や地滑り等で、折れてしまったのですが、非常に強い生命力が有り枯れなかった木です。
急峻で、斜面に大きな石が有るところで、見つける事が出来ると思います。

310 :
ふむ
明治時代は青梅街道が、柳沢川の南側を通っていたということは、以前にお話ししました。
いろいろな旧道を歩くサイトでも確認することができます。
明治時代の青梅街道に出るには、藤尾橋付近をわたらなければなりませんでした。
風の子さんにお渡しした地図のコピーでもご確認できると思います。
ということは、一之瀬川沿いの急斜面を危険を冒してまで歩く必要がないのです。
二ノ瀬から明治時代の青梅街道まで、2ルート確認できています。
その1つで、一之瀬川を行くルートをご紹介すると
手元の資料を見ると、二ノ瀬から藤尾山に登り、尾根伝いではありませんが、谷を山側に避けるように
牛首ノタル〜牛首谷〜椹谷(じんたに?)〜大窪と抜けて、藤尾橋まで約3〜400m近辺に出てきています。
そして藤尾から青梅街道にでたものと思われます。
一之瀬川との標高差は、約150mほどです。川との距離にして約300m
これが、風の子さんや日向さんが言っている一之瀬川沿いの道だと思われます。
もう1つのルートは、藤尾山の西面に出て尾根をつたい、藤尾橋のたもとに出てきます。
このルートは、風の子さんにお渡しした地図のコピーでも確認でき、作戦会議のさいに「境界の類地は小径(小道)ではないのか?」と
言っていた話が、調べるとやはりそうみたいです。

311 :
正直、一之瀬川沿いの林道が、古い道を拡幅して通してない。新しく作った道だ!とは言い切れません。
ですが、林道の現状で特にあの岩盤への切り通しは、切り通すより避けたほうが手っ取り早いと思います。
林道沿いの谷を観察しましたが、避けられる傾斜ではありませんでした。
ということは、もっと上に道があったのではないかということで調べた結果、上記のようなルートが発見できました。
もっと上のルートを「もっと上のルート」としましょう。
上で「書きもれ」ましたが、川にいちばん近いと思われる場所で、距離で約300m
一之瀬川と大常木谷との合流地点で、距離で約600m
一之瀬川と竜喰川との合流地点で、距離で約800m
一之瀬川と柳沢川との合流地点(花魁淵)で距離で約500m 道のと落差約250mです。
もう、滑落しようがないと思います。また滑落死体を発見するのは困難だと思います。

312 :
この話は、あくまでも二ノ瀬から青梅街道への近道があったというところからスタートしています。
確かに二ノ瀬から藤尾橋(藤尾じゃないよ)近辺までの近道はあったみたいです。
ですが、一之瀬川まで水を汲みに行く距離と傾斜ではありませんでした。
もちろんこの道は、まだ歩いていません。資料によると歩くには技術的難易度の高い「道らしきもの」みたいです。
この道がすべてだとは言い切れません。現在の林道の下に小道があったかもしれません。
このへんは、各自の推理にお任せして、情報だけをお伝えすることとします。
そうそう 花魁淵の近所に岩があるらしいのですが、ご存じ方いますかね?
目立つみたいなんですが。
それと、一之瀬川の反対側の岩岳に鉱山跡があるみたいなんですが、詳しい資料等がないのです。
ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。
資料じゃなくて地図を掘るのが大好きで、地図だけじゃダメなのはわかっているんですが、ついついあてにしちゃうんですよね。
で、また地図ばっかり増えちゃうw
でも、地図って、誰かが確実に調べた結果ですから、文章や言い伝えより正確だと思うんですよね。
さて、お宝はどこなんでしょうか?
まぁ畠山さんの発表から何十年もたっていますから、このへんのことは誰かが調べたんだと思います。
でも、目星をつけないと歩き回るだけなので、目星をしぼっていきたいと思います。

313 :
あ 寝る前に
もっと上のルートで紹介した牛首谷とかは、あの辺(黒川鶏冠山とか)に多いらしくて
お目当てのがネットでの検索には引っ掛かりません。
引っ掛かるかもしれませんが、相当苦労して探さないと難しいかもしれません。
「そんなこと言って本当はガセネタなんじゃない?」って思わないでくださいね。
しかし、八重野さんでも知らなかったのかな? 調べればわかると思うんですが・・・。
やっぱりテレビ番組の演出ですかね?
八重野さんより先に見つけちゃうぞw

314 :
さて、季節も迫ってきました。1年間修二郎に突っ込んでしまいました。ここで、まとめて整理し、1年を締めくくりたいと思います。
高橋修二郎が発見した埋蔵金(畠山氏の日本の埋蔵金から)
明治40年ごろ、現在の山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋付近にある柳澤川と龍喰川の合流する花魁淵の近所で、
東京都中央区日本橋小伝馬町でアサバ写真館を営む『高橋修二郎」の滑落死体を二ノ瀬に住む『宇沢某』がある秋の朝発見した。
発見時の状況は、Rの連中以外にはめったに足を踏み入れない場所に雨除けマントの帽子の部分だけが引きちぎられて、
立木の下枝にひっかかっているのを発見し不審に思った。
その場所から小半町(約50m)ほど離れた場所に焚き木をした跡と、鍋や缶詰を発見した。
さらに4〜5間(約9m)のところに小さな天幕(テント)を発見し見てみると、雨の降ったおとといのに置かれていると思われた。
4〜5間(約9m)もどり、鍋のふたを取って中を見ると雨水がたまっていたので、おとといから放置されていると確信した。
そこで宇沢某は「ひょっとしたら谷川へ水でもくみに行って、淵に転落したのではないかと考え、谷川のおり口まで行ってみると、
宇沢某の想像どおり最初にみかけた帽子のマントの部分と思える黒い布が崖の途中の木の根にひっかかっていた。
宇沢某が谷川へ降りてみると、転落する時に頭をぶつけたものとみえて、中年男(高橋修二郎)の見るも無残な屍体が横たわっていた。
宇沢は身元を探すため屍体(高橋修二郎)のふところをあらめてみたが、これといって手がかりがなかったので、天幕(テント)まで引き返してみた。
テントの中に革製の大きなカバンがひとつ置いてあるのを発見し中を見たところ、長さ7〜8寸(21cm〜24cm)の金塊を10本見つけた。

315 :
何者かが埋めるか、隠して置いた埋蔵金でも発見したかと思い、一緒にあった帳面にヒントが隠されているのではないかと思った。
帳面を調べたところ、ひどく雨にたたかれたせいか、文字が部分部分消えている謎文をみつけた。
高橋○○○○○○○○○○に
腕の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川につ
いて下って三つ目の○の
ほらあなから入る
と書かれていた。

316 :
<現時点でわかっていること>
@明治40年代の青梅街道は現在の国道411号ではなく、柳沢川を挟んで南側にあった。
A現在の花魁淵で合流する川は、柳沢川と龍喰川ではなく、柳沢川と一之瀬川である。
B現在の花魁淵の以外に、藤尾橋近辺が真の花魁淵ではないかと言われている。
C明治44年測量、昭和5年修正のこの辺の地図には、一之瀬川沿いに林道が記載されていない。
D昭和32年に作られた小河内ダムのおかげで奥多摩湖が出現、柳沢川・一之瀬川等の水位の上昇も考えられる。
E一之瀬集落の人々は、元黒川鶏冠山金山で働く金山衆(鉱山夫)であり、黒川鶏冠山の金鉱が衰退するともに現在の場所に移り住んだといわれている。
<青梅街道>
明治11年 柳沢越えの青梅街道開通 落合集落出現
昭和27年 甲府・青梅線(「青梅街道」現国道411号)改修工事 柳沢〜落合間部分開通
昭和33年 主要地方道 甲府青梅線全線開通
昭和57年 国道411号線に編入

317 :
<高橋修二郎>
@東京都中央区日本橋小伝馬町でアサバ写真館を営んでいた。
A滑落死する年の9月に2度山に入った。
B滑落死にあう入山の前に四谷に住む実弟の憲三郎に
「今度はいよよ俺も幸運に恵まれているぞ。十中八九、いや九分九厘まで間違えなしというところを、おれはこの前行った時、探し当てているのだから、一緒に行かないか」と誘っている。
C憲三郎が行くのを断ると「目が覚めるようなお土産をもって帰るよ」と言い残している。

<宇沢某>
@二ノ瀬Rに住む住人。年齢不詳
A東京市(現東京都)が水源確保のため市有林で盗伐して炭焼きをして生計を立てていた。

318 :
165考査(埋蔵金発見まで)
@高橋修二郎、宇沢某は、畠山氏が著書をしたためるにあたり、迷惑がかからないよう偽名を使っているのではないか。
A高橋修二郎の滑落した場所が大きなポイントであり、そこがある程度特定できれば行動範囲がわかり、発見につながる。
B謎文が解明できれば、滑落場所を特定しなくても埋蔵場所にたどり着くころができる。
C高橋修二郎は9月に2度入山し、秋に発見していることから、なんらかのヒントを持っていたと思われる。
D埋蔵金伝説だけを聞き自力で探したならば、9月〜秋までの2〜3か月という短期間で自分用のヒントを帳面に書く必要はないと思うので、謎文自体がヒントであった可能性が高い。
E謎文を他から入手したヒントだとすると、埋蔵時期はかなり昔(武田時代約450年前 明治から約350年前)になる可能性が高く、木は不動のものではないので目印は不動のものしてあると思われる。
まぁ簡単に書くとこんな感じですかね?
どこを掘ったらいいかわからない徳川埋蔵金より地域が限定されており、しっかりとした資料も数多く残されており非常に楽ですw
発見が明治ということなので、約130年ほど掘っても出てこない徳川埋蔵金より、約100年に発見されたということで現実があります。
しっかりとした資料が数多くあるっていうのは、こんなに楽で楽しいのかと感じた修二郎の埋蔵金でした。
はっきり言いますが、滑落場所、埋蔵場所の特定はできていません。
まさに机上の空論では見つけられないので、現地調査が一番だと思います。
現地調査をしてみて絞り込んでいくという作業の繰り返しになると思いますが、徳川埋蔵金に戻らなくてはいけないとも思っています。
とにかく、持論を現地調査で確認したいので、10月の連休がラストチャンスとなるでしょうから、連休に向けて作戦会議および現地調査を実施していきたいと思います。

319 :
しっかりとした資料とはどんなものですか? 
当地出身の古い方たちもこの事件に心当たりがないようですが。
畠山さんの情報以外にも記録が有るんでしょうかね。

320 :
しっかりとした資料とは、埋蔵金関連にかかわらず
古地図、郷土史、歴史書、埋蔵金探索以外で現地を訪れた方書いた本やサイト、小判の重さや発行枚数の資料などです。
もちろん自分の足で見に行くというのは、最大の資料となります。
これらの資料で歴史的背景、交通、地形などで、そこに埋蔵することは可能だったのか?ヒントはあるのか?
など地道に調査し、埋蔵金があるなら「ある」を証明し、ないなら「ない」を証明しなければ、いつまでたっても想像で終わりです。
埋蔵金に興味があるけど現地まで遠いとか、何をどうやって調べればいいのかわからない方。
練習として、まず、自分が住んでいる場所が、昔はなんだったのか?を調べてみてはいかがですか?
これは意外と楽しいのと、家やマンションを買う時に必ず気を付けなければいけません。
よく建売住宅で田んぼの上ならまだしも、昔の川の上や沼の上なんてのはザラで、市街化でわからないだけで元は谷底だったりするのを多く見ます。
地震の際に内陸部なのに液状化した土地なんて買う前に調べればすぐわかるのに、あとで文句を言っています。
近所の学校が墓場や湿地帯の上にあるなんてのも多いですね。
もちろん市役所等にいけば、何十年も先の都市計画図もありますから、家を買ったがいいが数年後に片側2車線の道路が家の横にできた!なんてことも防げます。
これは、失敗を防止するのと、今のうち安くて良いところを買っておくなんてのにも利用できますね。
都市伝説じゃありませんが、不思議な古い言い伝えやお宝の話があるかもしれませんよ。

321 :
>>318
165さん
作戦会議および現地調査、参加希望です、お手数ですが、宜しくお願いします。
10月の連休は、7(土)・8(日)ですので、会議の日程は、9月29日(土)・30(日)あたりになりますか?
作戦会議の場所は、都内(山手線〜多摩地区)・埼玉(武蔵野線・東上線)あたりなら助かりますが、都合の付く限りどこへでも行きます。

322 :
オフ参加したいなぁ。。。
もしよろしければ、十月六日から山梨県立博物館の企画展で
「黄金の国々―甲斐の金山と越後・佐渡の金銀山」ってのやってるから、
オプションで現地オフの前か後に見に行くプランも検討してくらさい。
・・・ひとりでも見に行くけど。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_tenjiannai_12tokubetsu002.html

323 :
>>320
事件のことは畠山さんの本が唯一みたいですね。
近場に住んでいるので度々行くのですが、別の場所のことを
書いたのではと思います。 もっとも、土石流などで地形が
変ったのかも知れません。

324 :
作戦会議の機が熟してきたようですね。私も参加希望です。
できるだけ多くの方が集まれるといいですね。

325 :
おお? 参加希望者多いなw
322さん はじめまして
企画展で、窪八幡神社別当上之坊普賢寺住持の王代記の現物を展示するのか!! すごい! 
オプションか。。ふむ それもいいね
319さんはじめまして
はい。そのとおりです。
畠山さんの本にしか修二郎の話が書いてありません。
というか、どの埋蔵金関連の本もそうですが、畠山さんの本が基本となっています。
異説が出てきていないのが実態です。
また、地域の資料にも出てきていませんね。明治40年の大水害によるものかどうかも不明です。
ですが、畠山氏は現地を訪れたみたいですよ。

326 :
会議にあたっての問題点があります。
輝け第1回修二郎の埋蔵金探索作戦会議は、東京駅の近所の某居酒屋で行われましたが
2時間制限等で飲み放題もろくすっぽ飲まず時間切れとなり、顔見世程度で終わっています。
2次会としてカラオケ屋で歌も歌わず怪しまれながら2時間ほどいましたが、キツかったです。
で、貸会議室との話が出ていますが、東京駅の近所の貸会議室は、1時間6000円強となっています。
6人集まったとして、1時間おひとり1000円の負担です。
で、前回の教訓として、とても2〜3時間では終わらないと思います。
そう考えると、貸会議室代だけでもおひとり4〜5千円のご負担になります。
そのほか、交通費、飲み物代等を各自でご負担していただくと、7〜8千円となるでしょう。
埋蔵金を見つけた時の出世払いは固くお断りしますので、みなさんサイフの中身と相談してくださいw
で、現地調査なんですが、問題点はまず足です。
JR中央線にのれば塩山駅までこれますが、塩山駅から一之瀬までの足ですね。
165はバイクしかないのと二人乗りに不慣れなのでお迎えには行けません。
それと、例えば一之瀬に朝9時集合としても、電車の始発に乗っても来られない方がいます。
となると、1泊2日となります。宿泊は、一之瀬の「民宿しゃくなげ」と心に決めています。
10月なら6日もしくは7日に民宿しゃくなげに集合し宿泊。翌朝から探索開始で日暮れで終了です。
また、多少の山歩き程度なら問題はないと思いますが、山登り、沢登りは難しいと思います。
探索ポイントは作戦会議で絞り込みたいと思います。

327 :
それと、探索方法ですね。どこまで本格的にやるかです。
金属探知機は、千葉の海岸でサーファーの冷たい目線に耐えながら金属を探している方に持ってきていただきたいと熱望しますw
例えば、崖の中腹にいいポイントがあったとして、そこをどう探索するかも問題です。
見て歩く程度であれば問題はなさそうです。
みなさまからのご意見をお願いします。
そうそう
オプションであれば、現地入りする日は寝るだけですから、山梨県立博物館の企画展を見るのもいいですね。
一之瀬には日暮れまでに到着したいです。

328 :
ここ30日はいっぱいですが、29日は空きあるみたいですよ。
http://chuo7kuminkan.com/about/kyobashi-p.html

329 :
10月5日の夜間から6日中でしたら車出せますよ。
車が小さいので4人が限度ですが。 
八王子で良いですか。 JRか京王が使えますね。
165さんへ連絡しましょうか?

330 :
ひつじさん 初めましてかな?
公共施設を借りることも検討していますが、どこも駅から遠いのです。
中央区のの図書館等も検討していますが、ここも遠い。まぁタクシーならワンメーターかな。
貸会議室等については、高くてもいい、遠くてもいいなど幅広い意見がほしいです。
329さん初めまして?
八王子ってことは、第1回参加者の109さんかな?
お車の手配の志願ありがとうございます。
いまんところの参加希望者は、
ほっしーさん、983さん、日向さん、風の子さんかな? 329さんが109さんなら109さんも

331 :
>>330
初めまして。 
埋蔵金の方は参加できないのですが足だけは提供できますよ。
八王子からでなくて青梅とかでも大丈夫です。
捨てメルアドでもお知らせ下さい。

332 :
埋蔵金>>327
165さん

> 金属探知機は、千葉の海岸でサーファーの冷たい目線に耐えながら金属を探している方に持ってきていただきたいと熱望しますw
大古品ですが、私のも持って行くつもりです。
その他折りたたみスコップ・バールも持って行くつもりです。
必要そうでしたら、金テコ・大ハンマー等もありますが、とても重いので必要な場合のみ持って行きます。
> 例えば、崖の中腹にいいポイントがあったとして、そこをどう探索するかも問題です。
危険管理の問題は、リーダーの決断に従います。
私に判断をゆだねて頂ければ、私が試しにアタックしてみます(無理そうなら止めます)。
※専門分野のみ、誰かに判断を任せるのも、立派なリーダーの決断です。
> みなさまからのご意見をお願いします。
ワンメーター位なら歩きますし、帰りは方向が合えば、相乗りも出来ますので安上がりの方が助かります。

333 :
ご参考まで。
東京地下鉄(株) 有楽町線新富町駅
東京都中央区築地1丁目1?1 南東 へ 340 m 歩4分
03-3545-9513 () ? · tokyometro.jp
.
都営浅草線 宝町駅
日本 北 へ 259 m 歩3分
03-3535-7606 () ?
カテゴリ: 地下鉄
.
東京地下鉄(株) 有楽町線銀座一丁目駅
東京都中央区銀座1丁目7? 北西 へ 366 m 歩4分
03-3567-6846 () ? · tokyometro.jp

334 :
八丁堀区民館の9月30日(日)なら9時〜17時まで空いてる。
一応参加者は未定だが、おさえておくかね?
983さんが現地&会議に来れないとメールが来た。
そうすると、165、ホッシーさん、風の子さん、日向さん
ひつじさんと319さんは?329さんは?どうするのかな?
他の人は?
あまり集まらないようなら、時期を1か月ずらすことも検討します。
ご回答はお早めに

335 :
>>334
もし、総勢四名でしたら、『現地下見ツアー』に変更しませんか?
9月30日(日)なら、四人乗れる車借りれそうです。
集合場所は、東京都府中市役所前(南武線・武蔵野線の府中本町又は京王線の府中駅)
集合時間は、いちばん遠い方に合わせます。
食事は、民宿しゃくなげで、ざる蕎麦+てんぷら+小鉢 1,000円
装備は、テーブル+椅子4脚+クーラーボックス(お茶)
後席は、居眠り可、ただし全席禁煙
乗車中は、当方の指示に従って頂ける方
会費は、2000円でいかがでしょうか?
費用は、昼食代1000+2000=3000円+府中までの交通費で、悪くはないと思いますよ。
また、どなたか同じようなプランで、企画していただけるのでしたら、喜んで参加したいと思います。

336 :
>>334
> あまり集まらないようなら、時期を1か月ずらすことも検討します。
ずらすと、紅葉の時期にかぶってしまいます。
『丹波山渓谷の続く国道411は紅葉期間中の土日祝日、大変混雑することが多い。』ようです。
http://www.tachikawaonline.jp/local/koyo/31-tabayama.htm
探索には、移動したり、途中で車を置いたり、は付き物で、その時期には・・・。

337 :
>>335
あと、ゆで卵×4とカセットコンロも持って行きます。
個人的に行く時は、昼食は『サッポロ一番+おにぎり』が多いですね・・・安上がり(笑)。
汗をかいた時は、ゆで卵に少し多めに塩をかけて食べるとうまいですし、ラーメンの具にしたり出来ます。
>>335は、一例として、投稿しましたが、165さんはリーダーとして、この程度の概略を、ポンと決めて頂いて良いと思うのですが・・・。
>>335は、一例として、投稿しましたが、勿論実行可能です。

338 :
一ノ瀬高原と「民宿しゃくなげ」「しゃくなげキャンプ場」を個人的に応援するサイトです。
http://potapotakan.com/ichinose/01lodge/syakunage.htm

339 :
埋蔵金>>335
この企画、165さん、風の子さんと三名なら、ぶっつけ本番でも不安は少ないのですが、全くやり取りの無い方とは、前もって顔合わせ等しないと不安です。
(165さん・風の子さんとは、掲示板上ではありますがお付き合いが有り、大丈夫と思ったからです)
このままでは、延期・延期で実行できなくなってしまうかと思い、出しゃばり過ぎたかも知れません。
いずれにせよ、ここでは新参者ですので、決定は165さんにお任せします。

340 :
>>339
この企画とは、>>335に書いた私の企画で、165さん(【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】
)の企画に、一個人として参加させて頂く事には、特に不安はありません。

現地(一之瀬)へは、自力で直行可能ですが、もし余裕が有れば、割り勘+αをお支払いし乗せてもらうえれば、とも思っています。

341 :
現地調査にはいろいろ検討しなくてはならない事柄がおおいので、9月30日は作戦会議にします。
@探索ポイント(ルート)の検証 A現地入りの問題 B雨天の時にどうするか  などなど
作戦会議の要望として、探索ポイントや埋蔵金の有無に関して持論や資料がある方の発表をお願いします。
だらだらとお話しで終わるのもアレなんで、次第を作りましたのでそれに沿って行うのと、1時間ごとに休憩をはさみます。
話だけ聞きたい方大歓迎 年齢・性別問いません。
どなたでも参加できますが、会場の都合もあるので一定数集まりましたら締め切らせていただきます。
開催場所は東京都中央区です。送迎はしませんので自力で来てください。
詳しいご案内はメールをいただければ返信します。
会議開始は午前10時〜を予定しています。
すでに第1回作戦会議のほか個別会議も2回行っている経験から、とても2時間じゃ終わりませんので昼食をはさむ予定です。
会場は17時まで抑えてありますが、意見集約後、適当な時間で切り上げたいと思っています。
<メールを送るときの注意点>
@2chでの名前(誰が誰だかわからない)
A本名(苗字だけで結構です)
B携帯電話番号(待ち合わせ等に使用)
tokugawa165@hotmail.co.jp
↑のメアドですが、過去に私がココに書いたメアドと同じですのでご確認ください。
また、メールを送信しましたら、2chに書き込んでいただけると確認しやすいです。

342 :
165さん
メール送信しました。作戦会議参加希望です。

343 :
165さん。
第2回作戦会議参加いたします。
よろしくです。

344 :
ホッシーさん書き込めるようになったんですかw
昨日渡したのがすべてですが、改めてメールで送ります。
メールに案内状をPDFで送ります。
風の子さん 持論の発表を期待しています。

345 :
165さん
メール送信しました。作戦会議参加希望です。

346 :
日向さん 明日メール返信します。
まだまだ募集中です おきがるに

347 :
ご無沙汰してます 109です。
前回はありがとうございました。
ちょいお仕事忙しくて遠ざかっていました。
9/30、参加させていただけたらと思います。
165さん、後ほどメール送りますね。


348 :
165さん
メール送信しました。

349 :
109さん お久しぶりです。
第1回作戦会議以降、姿を見せないので滑落したのかと思ってましたよw

ひつじさん 返信しておきました。ご確認ください。

まだまだ 参加枠がありますので、みなさんお気軽にお申し込みください。

350 :
今のところの参加者は
165、風の子さん、ホッシーさん、日向さん、109さん、ひつじさん
あともう1名来るかもなので、合計7名です。

351 :
もう、参加者は頭打ちかな?
もともと少ないから、これぐらいかな
109さんが遅れてくるとのことです。

352 :
東京在住者がいたら高橋写真館を探す専従者を決めたらいいのでは?

353 :
>>352さん
まぁ明治の話だから、関東大震災、東京大空襲がありましたから。。。
また、アサバ・高橋は書物の中に登場する名前ですので、住所等を含め調査するのは大変です。
ちなみに明治35年の小伝馬町の商工会の記録だけですが、写真館はありません。
例えば、352さん自身の両親の明治のご先祖様がどこに住んでいたか、何を生業にしていたかを調べてみてください。
自分のご先祖様でも調べるとなると結構むずかしいですよ。
おじーちゃんぐらいまでは簡単ですが、ひいおじーちゃん、ひいひいおじーちゃんとなるとww
ぜひ、アサバ写真館の調査をしていただき、情報をください。

354 :

明治時代だけど、写真屋だったら写真類が残ってる可能性もあるよ、創作話でないなら資料を探しまくるのがいいだろうね。
埋蔵金現地調査よりよっぽど結果で易いと思う。
>明治35年の小伝馬町の商工会の記録だけですが、写真館はありません。
非常に気になるね、商売始める前って解釈も成り立つけど。
現地調査の方々は怪我しないように!現地調査報告待ってるよ。


355 :
>>353
> ちなみに明治35年の小伝馬町の商工会の記録だけですが、写真館はありません。
さすが165さん良く調べていらっしゃいますね。
その件は、私が核心に迫れるかも知れません。
あくまでも『かも知れません』ですが、当たっていれば・・・。
現在私は、牛金淵と埼玉側の同じような伝説(埼玉側は雄雌二頭)を調べたりもしています。
その過程で、黒川金山は、思いのほか早くから衰退していた事が分かりました。
しかし、埼玉側では、盛況時は『武田の千かまど』『千軒屋敷』などと言われる金山が開発されていたようです。
金の牛は、埼玉側の方が二頭で勝ちですが、金山は黒川千軒とどちらが規模が大きかったのでしょうか(笑)??
いずれにせよ、埼玉側で産出した金を、本拠地へ向かう途中の良く地理が分かっていて、その時は衰退してしまっている土地に、金をプールしておく事は合理的だと思いました。

356 :
黒川金山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B7%9D%E9%87%91%E5%B1%B1
上記より『甲州金を流通させた武田氏の経営した金山と考えられてきたが、近年は直接経営は行われていなかったと推測されている。』
とすると、黒川金山衆が出向いて行った先で産出した金を、本拠地近くに隠したとも思われ、これも話の筋が通ります。
上記より『1571年(元亀2年)の武田家朱印状によれば、黒川金山衆は武田氏による北条綱成の守る駿河国深沢城攻めに動員されており、この時の功績により人足普請や棟別役の免除など諸役免除の特権を得ている。』
すでにこのころには、黒川金山の最盛期を過ぎてしまっており、そのような事情からも、(専門外の)戦に行かなくてはいけなかったのでは、と推測しています。

357 :
>>354
この人の本は固有名詞が変えられていることが多いのですよ。
だから、書いてあるままでないからと言ってウソと断定できないところが
つらいんです。

358 :
>>354
明治35年の小伝馬町の商工会録ですが、国会図書館のホームページでも閲覧できます。
わたしもホッシーさんに教えてもらったんだけどね。
仮説として
@明治35年には開業していなかった。
A明治35年の記録には時期的に(36年開業とか)載っていないだけ。
B写真館がないので、ほかの仕事だった(写真館は創作)かもしれない。(高橋姓の金物屋等3件あり)
C高橋姓、写真館は創作で、全く違うかもしれない。
まぁようは調べようがないのです。
>明治時代だけど、写真屋だったら写真類が残ってる可能性もあるよ
と、言われるだろうと思って、中央区の記録写真(風景写真等)を片っ端から調べても
「アサバ写真館、高橋写真館」の撮った写真はありませんでした。
すでに調査済みなのですよ。 ふふふ。
かといって、全くのウソだったとも言えず、高橋姓・写真館は創作(今でいう個人情報保護のため偽名等を使った)だった可能性もあるので
立ち往生しております。

359 :
ちなみに 修二郎が発見した埋蔵金は、平八郎長者の埋蔵金だといわれていますので、
そこに登場する青梅の河西家を青梅市の「宗門人別帳」で調べました。
宗門人別帳とは、なんぞや?という方もいらっしゃるかと思うのでwikiからの転写で。
宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)は、江戸時代の日本で宗門改(宗門人別改)によって作成された民衆調査のための台帳。
本来の目的は、信仰宗教を調べることであったが、現在で言う戸籍原簿や租税台帳の側面も持つ。宗旨人別改帳や宗門改帳とも呼ばれる。
そう、現在のように戸籍が整っていなかった時代の戸籍と同じなのです。
当時は、これに載っていないと犯罪者扱い(捕まった時にかなりひどい目にあう)されていましたので、居住者はウソ偽りなく載っています。
キリシタンを信仰していた人まで載っているのでガチな資料です。
なので、毎年作成してあります。
文化三年(1806年)〜明治四年(1871年)の全戸を調べましたさ あー調べたねw 65年分ねww
結果はありませんでした。ただし、当時は青梅も広大なので、現在の他の市町村ではそれらしい人を見つけました。
結果は予測していました。
苗字を武家以外でつかえるようになったのは、明治からですもん。
でも、百姓(現在では差別用語ですが歴史を伝えるためそのままw)にも苗字がある人がいましたね。その村の名主かなにかでしょうか?
百姓代(百姓の代表)、組頭(町会長)、年寄(同相談役)も苗字はありません。
そんな世の中だったんですね。

360 :
資料を見てると面白かったですよ。
その家の家主、家族の名前と年齢、その家でとれるお米の量、奉公人の名前と年齢が載っています。
毎年作成しているので、毎年年齢が1歳づつあがります。途中おばーちゃんが死んだりしています。
お手伝いさんが交代したりもしてます。
貧富の差もありました。
生産能力 2石1斗1舛2合の義八郎さん(37)のお宅
1石は約150kgですから、300kgちょいあります。米俵で約5俵ですね。
一方で、生産能力 3斗6舛の安右衛門さん(43)のお宅もあります。
1斗は約15kgですから、約50kgぐらいしかお米がとれませんでした。
これは、作付面積の違いからきているものです。なぜなら毎年この数字は変わらないからです。
この制度に問題あることがよくわかります。
持高(もちだか)として記載されていますから、これに応じた年貢がかけられているわけです。
豊作もあるでしょうが、不作の時は容赦ないってことですね。
それと、40過ぎても嫁ももらわずに実家にいる息子や30過ぎても実家にいる娘もいます。
昔は、幼くして嫁に行くもんだと思っていましたが、今と変わりませんね。
10代で嫁に行くのは武家だけだったみたいですね。

361 :
ここで、資料を探せばいいと気軽におっしゃってくれる方がいますが
たとえば、「皇国地誌」聞いたこともないでしょう?
明治新政府は国土把握には史誌地誌編纂が必要と考え、奈良時代の風土記に倣った官撰地誌編纂を計画し太政官正院地誌課を新設した。
さらに各府県へ所属郡内すべての村について、詳細な調査報告書の提出を命じた。編纂には内務省地理寮(国土地理院の前身)があてられた。
国家のための貴重な国家の記録です。1872年 明治5年9月から編纂が開始されます。
1872年 明治5年9月 編纂が開始
1873年 明治6年5月 宮城火災により史料多数を焼失 翌年wwww
1875年 明治8年7月 内務省火災により史料多数を焼失 わずか2年後ww
1923年 大正12年 関東大震災で東京帝国大学附属図書館とともに約6400冊の残稿の大半が焼失
まぁこんな感じですww
資料を掘れといいますが、掘れない資料も数多いわけですw  

362 :
まぁ私は、そのへんにいるサラリーマンです。 学校の歴史の時間もうたた寝してました。
でも、小判は幼少の頃から好きでしたね。
駄菓子屋に小判チョコレートってのが1個10円でありまして、金色にメッキしたアルミかなにかの金属の小さな小判がチョコの上にのっていました。
集めましたね。かなり集めました。数百枚を箱に入れてましたね。
それを何を思ったか、滑り台の上からネズミ小僧のようにバラまいて消失してしまいました。 小学校3〜4年生ぐらいだったですかね。 バカなことをしました。
時代劇は好きですね。
「時代劇のウソ?ホント? 藤原 京 著 リイド社」とか読むと面白いですよ。
ほか、いろいろな時代を面白く紹介している本は数多くありますので読むと面白いですよ。
そうそう、宗門人別帳を紹介しましたが、これは農村部です。 では、都市部はどうしたかというと、長屋の大家
大家は今でいう大家=所有者ではなく、不動産屋の役割をしていました。
今でもアパートとか借りるとき、不動産屋に契約書や住民票とか提出してますよね?
また、近隣との騒音とかの苦情は、アパートの所有者ではなく、不動産屋に相談しませんか?
その役割が大家でした。
その大家が、長屋に住む住民の身元を把握して、住民がどっかで捕まれば身元を引き受けや証明(うちの住民です)と行ったりしたわけです。
それと髪結い。現在の床屋ですね。
今と違って髪型は決められていました。武士髷、町人髷 まぁちょんまげの形ですね。
もちろん町人が武士のちょんまげの形をすると、即逮捕&処罰です。
また、手入れができていないと、住所不定ということで即逮捕&処罰です。
ということで、髪結い(床屋)には必ず行く必要があり、その床屋はどこのどいつだということを把握していました。
なので、時代劇で野武士みたいに、ちょんまげのハゲの部分がバサバサだと、住所不定とすぐバレちゃうわけです。で、逮捕&尋問&処罰
こうやって、都市部の人間を把握していました。
ちなみに、今と違って旅行するときには関所があるわけですよ。
その関所を通過するには手形が必要なわけです。この手形は、町人なら長屋の大家が発行するわけですね。
どこぞこ町の○○は、うちの長屋に住んでいます。身元はしっかりしていますよ。って

363 :
>>362
> 時代劇は好きですね。
私もすきですね・・・
金さんなら、中村梅之助。
水戸黄門なら、東野英治郎・西村晃まで。
暴れん坊将軍の爺、初代(有島 一郎)・二代目(船越英二)とも良い味を出していましたね。
江戸を斬るの西郷輝彦・松坂慶子、お似合いでした。
鬼平犯科帳の多岐川裕美とかも良いですね。
大岡越前の第一部第一話。いやー時代劇って本当にすばらしいものですね。
http://www.youtube.com/watch?v=GvIZEObCfzM&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=fY0BNZpEEV4&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=XamRNDXMxok&feature=relmfu

364 :
脱線してしまいましたね、今の時代劇の批判にならないうちに軌道修正をして・・・。
私は、修二郎が発見した埋蔵金は、今のところ金山衆の隠し資産かとも思っています。
武田家の物では、梅雪が掘り出した(埋め変えた)可能性が有るし。
平八郎長者の埋蔵金では、話の中に小判が出てきて、小判が存在した時代には、金はあらかた掘り尽くされていて、それ程存在したと思えませんので、平八郎長者自体、存在の信ぴょう性に問題が有ると思います。
ただ、平八郎長者の伝説の小判の話が、後で付け加えられた尾ひれだとすれば、金山衆の初期の一人だったとも考えられ、平八郎長者の物であった可能性もありますが、それは金山衆の埋宝とも言えるでしょう。

365 :
>高橋姓の金物屋等3件あり
この子孫だったら見つかるかもね、親戚とかかもしれないね。

366 :
tes

367 :
>>365
352 354と同一人でしょ。
いろいろ書いてるけど、貴方自身で調べりゃいいじゃん。
自分の書き込みに良いヒントを書いてるんだからさ。
あーこーウルサイんだよ。自分は動きもしないで。
今度書くときは自分が調べた成果を書けよ。

368 :
そうですね  367さんの言うとおりですね。
持論があれば、人を頼らず まず自分で調べましょう^^
それが、探索への第一歩となります^^
今日は第2回作戦会議です。
この1年間の調査資料等を参加者にお配りして、修二郎をやめて赤城に戻ります。

369 :
今日は皆さん おつかれさまでした。
サプライズゲストにびっくりしました。
ご参加感謝いたします。
さて、いよいよ現地入りになりますので、詳細はおってメールいたします。

370 :
みんな頑張ってね!怪我しないように!

371 :
今日の会議の内容等を公開します。
第1回参加者の983さんも来れなかったし、書いておきたいと思います。
会場は、都内某所で、10時〜17時で行いました。途中昼食と、休憩にならない休憩をしましたw
参加者は、165、ひつじさん、風の子さん、ホッシーさん、、日向さん、109さんの6名でした。
内容としては、まず探索ポイントの絞り込みです。
・165とホッシーさんが調査した資料に基づき、高橋修二郎の歩いた道の限定。
・その歩いた道より導き出した滑落ポイントおよび埋蔵ポイントの推測。
・ひつじさん、風の子さんが現地を訪れたことがあるとのことで、そのルートの詳細な説明。
・日程等の確認でした。
途中、ひつじさんより他の埋蔵金についての話があり、大変興味をそそられました。
風の子さんより他の埋蔵金の貴重な資料とともに、その埋蔵金の説明がありました。
おふたりは、埋蔵金探索のベテランで、他の埋蔵金についても大変お詳しく、聞いててワクワクしました。
修二郎の埋蔵金については、ひつじさんが持論があるそうでしたが、極秘ということで聞けずに残念です。
「9割がたある!」と、どっかで聞いたセリフをおっしゃっていたので、滑落しないよう調査と調査報告をお願いします。
ひつじさんより先に見つけてやる!と心に誓い、会議を終了しました。
本日ご参加いただいた方に感謝したします。

372 :
探索場所きまりましたか。これ書くとむしかえしになるかな?
ごめん ということで書きますが、
二の瀬の宇沢さんが、「地元の人もあまり行かない」
二の瀬 なら青梅街道、高橋川、一之瀬川ではなく、二の瀬の奥
だと思う。二の瀬の奥はどこかは意見別れると思うけど、
登山道が二の瀬からでてるとこが、二の瀬の奥では?
ご参考まで。

373 :
>>165
台風の接近でどうなることか、と危惧しました。
無事に会議も終わりお疲れ様でした。
実り収穫の多い内容だったようで、参加できなかったのが残念です。
欠席していながら虫のいい話で恐縮ですが「現地入りの詳細」を是非、
メールで頂きたいので宜しくお願い致します。
修二郎から赤城に戻られるのですか?なんとなく寂しいです。

374 :
あと今会議欠席でしたが「現地入りのお仲間入り」は可能でしょうか?
勤務その他の都合が付けば是非、参加希望です。

375 :
皆さん、作戦会議お疲れさまでした。新しい方も加わりいい会議でしたね。
165さん、時間も午前午後と十分とれていい会議でした。ご苦労さまでした。


376 :
作戦会議よかったですね。場所もビジネス街なので日曜はひっそり。
近くにコンビニもあるし。日比谷線の駅から歩2分でしたよ。

377 :
>>371
165さん
会場の手配・連絡等お疲れさまでした、適切な会場で時間も十分とってあり、大満足でした。
また貴重な資料もありがとうございます。
>>372
ひつじさん
貴重な情報ありがとうございましす、経験値の違いを思い知りました。
アドバイスのおかげか、R川沿いの探索となりました。
>>374
983さん
私は新参者ですので、何も言える立場にはありませんが、個人的には現地でお会いできればと思います。
>>375
風の子さん
実践に即したアドバイスや、梅雪のヒントありがとうございます。
今回の会議の主題の意見におきましても、私とは違う着目点でしたが、充分同意できるものでした。
範囲が私の考えよりも絞り込まれていますので、個人的に行く時や、聞き込みの時の参考とさせていただきたく思います。

378 :
各埋蔵金杯は一体どうなるか? ・・・独り言です(笑)
修二郎杯は、仲良く全員横一列かと思いきや、強力なライバル出現で大荒れ模様。
(165さん等とは、アプローチの方法が違いますが、目指しているゴールは同じだと思います、出来れば皆ででゴールしたいですね)
徳川杯は、165さん・赤城本命さん・ひつじさんの三つ巴の争い!ですかね(他に居たらごめんなさい)。
(私の手には余りますので、とても出走は出来ませんし、予想も出来ません)
梅雪杯は、現在風の子さんが、トップを疾走中。出走は二頭のみか?
(私は、一時期出走を諦めていましたが、新たな着目点からスタートする事になり、大幅に出遅れました)

各埋蔵金杯の意義(独り言と思いお聞き流しください)
この世界は、やっているだけでは、ただの変人ですが、出せば第一人者。(私はただの変人です)
そこで目標→いつかは埋蔵金杯で優勝をして、埋蔵金の研究やトレジャーハンティングが恥ずかしい事だと云った認識をぬぐい去り、誰に聞かれても自信を持って、私は埋蔵金を研究しています(私はトレジャーハンターです)!と言えるようにしたい。

379 :
109さん
会議では、あまりお話出来ませんでしたが、宜しくお願いします。

380 :
梅雪に関して新事実を知ったのでショックを受けている。根本的に方針を
変え仕切り直しとなるんだろうか?う〜ん困った。先の見通しが立たない!

381 :
んー ひつじさんのおっしゃる通りだな。
確かに会議での探索ポイントはありきたりで、過去、何人もの探索者が調査したでしょうね。
そこを調査しても見つかるとは思えない。
それと、基本である「川沿いには埋めない」を破ってるしな・・・。
畠山さんの著書と「川について下って」って文にこだわりすぎているかも。
村の者もめったにいかない場所という原点に返るべきなんだろうか。
ただのハイキングで終わるのも。。。時間もないが悩んでます。
十分な資料もみなさんにお渡ししていますので、みなさんで行かれて165不参加も視野に入れています。

風の子さん
梅雪には絶対手を出しませんが、非常に気になりますねww

382 :
165さん
会議の時も梅雪には絶対に手を出さないと言っておられましたが、会議で取り上げないことに
異存はありませんが、「梅雪には絶対に手を出さない」理由が何なのか知りたいですね。
例えば、「畠山さんの作り話だと思っているから絶対に無いと思う。」・・とかの理由ですね。

383 :
いやいやw 私的な理由ですよ。
範囲が広すぎるだけです。
甲府一帯および富士一帯になりそうな気がしてw
梅雪はよくわかりませんが、
もともと梅雪の埋蔵金ではなく武田信玄の埋蔵金ですので、
梅雪が移し替える前に金に、困っている勝頼が掘り出してるのではないかと思うのもあります。
また、大久保長安にもつながってしまいそうで、、集中できませんねw

384 :
>>377 日向 徹さん
お初です。
埋蔵金は全くの初心者、未知者です。
今後機会がありましたら、是非よろしくお願いします。

385 :

悩んでます。 日にちがありませんが、悩んでます。
せっかく行くのなら、少しでも確率が高いところにするべきだと思います。
私の予測で、時間も費用もかけていただくのはどうかと・・・。
地形的な面だけで、予測しているだけですからね・・・。
今回は行きたい人は独自で行っていただくほうがいいかもしれません。
もう一度再考したいですね。

386 :
>>385
>>381
>そこを調査しても見つかるとは思えない。
>みなさんで行かれて165不参加も視野に入れています
・・・の時は、会議の時は誰が音頭をとって決めたのだ!とカチンときましたが、そのようにお思いでしたら仕方有りませんね。
私が元々狙っているポイントも違いましたが、団体行動と思い納得していました、また私は土曜は出勤でなので、夜出て日の出の合流とかなり無理が有るスケジュールでしたので、独自で行く事に抵抗はありません。
ただ、リーダーとしては、ブレずにやっていただきたかったですが、それもやむなく御引き受けになったようですので、仕方ないところでしょうか。

387 :
>>384
983さん
こちらこそ宜しくお願いします。
私は資料(会議)・現地調査どちらにも興味があります。
またターゲットは、梅雪・信玄・その他山梨県の埋宝です。

388 :
自分は第二回目の作戦会議を欠席したので、詳細は一切知りません。
時系列や今後の方針、また展開予定(予想)などなどです。
この場でお伺いしますのでお答えいただける方が居れば、ご返答を頂ければ幸甚です。
各方々による研究・調査結果などが発表されたのですね?文面から。
「修二郎の件」に付いての現地探索計画および、具体的な話し合いは無かったのでしょうか?
少なくても現地探索に移行するための、会議であったのではないのですか?
それは昼間の時間がどんどん短くなるので、近日中に行動を起こすのでは?と思っておりました。
373・374で自分の思うところは書きました。
まぁ元々門外漢の自分がうんちく垂れるなら自分で動くべきですね。
会議に不参加の自分が書くのも間違いでしょうけど、386の日向さんの文面を見ると何だかなぁ…と思います。
皆さん方の今後のご健闘を祈念してロムる方に回ります。
短期間でしたが、本当にありがとうございました。

389 :
>>383 165さん
了解です。梅雪をやろうかと思っている私は、何か「出ない」根拠(情報)を
持っておられるのかどうかを知りたかっただけです。
 私が赤城(徳川)をやらないのと同じですね。住まいから遠すぎるという単純な
理由です。
修二郎は本当に中止ですか?あそこまで会議したのですからやればいいと思うのですが・・
私自身は6日から3泊4日のバスツアーが入っていて妻も一緒なのでキャンセルしてまでは
という事情があります。行かない人間がでしゃばるのは良くないのでこれ以上は言いませんが。

390 :
ちょっと、探索ポイントを絞りなおして、来年の初夏にでも再開したいと思っております。
1年足らずで探索ポイントを絞り込もうというのは、浅はかでした。
ひつじさんの影響ではないのでご心配なく。
また、宿泊先も確保できないでいました。
ご参加者の皆様には、期待をさせてしまって申し訳ございませんでした。
修二郎は、上記のとおりですが、他の埋蔵金(特に徳川)に関しては、引き続き継続していきたいと思っております。
983さんには、改めてメールを送ってありますので、ご覧ください。

391 :
>>390 165さん
安心しました!やはりこのサイトは165さんの人柄でもっているのですから色々な面で
165さん中心で引き続き継続をお願いいたします!!
徳川は何年も調査研究されて来たと思います。そろそろ来年はその成果を出して下さい。
堀子の人手が足りないときは、シャベルと鶴嘴を持って応援に行きます^^

392 :
>>391
その通りですね。
以下、今週末に行かれる方の為の情報です。
私は、土曜の夜出発の予定でしたので、日曜日は無理して帰ると居眠り運転になりかねないので、民宿しゃくなげさんに予約を入れようと電話した時は、まだ土日とも充分空きが有るとの事でした。
本日再確認しましたところ、まだ大丈夫との事でした。

393 :
>>165さん
メール、了解しました。
ホッシーさんも元気そうで何よりです。
“急な仕事の依頼人”が来てホトホト困りました。
「想定外の場合は」本当に困りますね。
こんな場合は、周りの協力で乗り切りますよね。
風の子さん、奥様とバスツアーですか?目的地は?
行き先で「最良のお宝」を見つけて下さい。



394 :
>>393 983さん
先日の会議でお会い出来なくて残念でした。
バスツアーは長野県の志賀高原、木戸池温泉です。埋蔵金は無いみたいです^^
ロムるってどういう意味か分からなくて悩んでいます^^

395 :
>>394 風の子さん
木戸池温泉ですか!? 温泉、良いじゃないですか。
自分も温泉が大好きなんですよね。
個人的に山中などの一軒宿の鉱泉宿なんかが♪
美味しい料理に温泉入って綺麗な風景見て、奥様と楽しい時間を!
羨ましいなぁ〜
ロムる専門で行こうと思いましたが、やっぱり無理ですねぇ。
ちょこちょこ書き込ませて下さいませませ。

396 :
>>392
日向さんは6日〜7日に、現地に行かれるのですか?
台風の通過後で水流も多いんじゃないでしょうか?
京急の崖崩れじゃないですけど、地盤が緩んでる可能性がありますね。

397 :
「急な仕事」も職場仲間の協力で、なんとか処理出来ました。
一時はどうなるかと心配しましたが、気分が楽になりました。
週末は一日だけどうにか休みが取れそうなんで、図書館にでも行ってみようと思います。
ネットで多種多様の情報を得られる今ですが、図書館行くと「オッ!?」って資料が。
地方都市だから蔵書も高が知れてますが…。

398 :
埋蔵金>>396
> 日向さんは6日〜7日に、現地に行かれるのですか?
6日は出勤ですので、行きたいのですが・・・。
7日は、天気と相談しながら日帰りで決行予定です。
気合いが入ったら、道の駅たばやまで車中泊も?・・・まあ、帰ってくるでしょうが(笑)。
> 台風の通過後で水流も多いんじゃないでしょうか?
ご心配ありがとうございます。
基本的に川底からは、(今のところ)狙っていませんので、特に問題にならないと思います
> 京急の崖崩れじゃないですけど、地盤が緩んでる可能性がありますね。
・・・そうなんですよね。
崩れた崖からキラリと光る物が!なんて可能性も有るのですが、二度とその目が、光をとらえる事が無くなる可能性も有りますね。
ただ、ここの皆さんは、資料や山中を探る事重視ですが、私は話を聞く事も重視しています。
実は、一度現地近くまで足を伸ばしており、現地でお住まいの方に話を聞いたり、研究家・観光課・教育委員会・多摩川源流研究所・水道局・多摩川源流を描かれていらっしゃった作家?画家?のアトリエ等、思いつく片っ端から電話や訪問をしています。
水道局の方には、並々ならぬ努力をしていただき、とても感謝しています。また作家?画家?の方には、二度の突然の訪問(二度目は、やや失礼な質問)にもかかわらず、親切に対応していただき、感謝と恐縮の気持ちでいっぱいです。
したがって、たとえ山中に入れなくとも、何らかの成果はあげてくる事が出来そうですので、大丈夫かと思います。
観光して、多少なりともお金をおとせば、地元の方や観光課の方には、多少なりとも恩返しにもなりますし。
以前書いたと思いますが、私はある経験から基本的に単独での山中の探索(含む山林作業・松茸狩り)は行いません。ただ一人での山歩きは、好みますが。
またそれらの事から、長らく離れており、以前の経験が、過剰な自信につながりかねない為、自重しないといけない状況も有ります。
命あっての・・・です。
もう書き込みは、ほどほどにしておこうと思いながらも、余計な事まで書いてしまいました。

399 :
>>397
お疲れさまでした、私も図書館に通う事はとても良い事だと思います。
私も必要を感じていますが、つい後回しになってしまい・・・。
何か、情報が有ればお願いします。

400 :
>>日向さん
書き込みが被ってしまったようでした。
そうですか、7日はなんとか雨は降られないような天候ですね。
何れにしても単独行ですから、充分お気をつけ下さい。


401 :
>>400
983さん
・・・なんせ入力が遅いもので。
お気づかい、ありがとうございます。

402 :
>>394
風の子さん
> ロムるってどういう意味か分からなくて悩んでいます^^
読むことしても書き込むことはしない、と云った意味合いです。
メールをしようしようと思いつつ・・・梅雪の事は、どこまで書いたものやら、うまくまとまらず悩んでいます。
また少し修二郎に手を染めてみては、いかがですか?

403 :
>>402 日向徹さん
有難うございます。Read Only Memory の略のようでね。もう年寄りはついて行けませんよ。
愛を告白するのをコクるですって・・^^
いずれにしても梅雪をどうするか、新しい方針が決まるまでは修二郎もその他も手を出す気に
なれません。若くないので基本一本に絞ってそこに集中したいと思っています。
梅雪の事はあまり気にせず今までの研究を継続して下さい。私は独自のルートにチャレンジして
みます。これが失敗すれば、梅雪から撤退ということになると考えています。

404 :
>>403
風の子さん
まだまだこれからですよ。
梅雪も他の埋蔵金も似たようなものかとも思っています。
武田として、一連の埋蔵金を関連付けて調べ、確信が持てる所へアタックするのも手かと思います。

405 :
無かった、、、、、もう、今年は無理かな?
15時くらいで暗くなります。15時には車のとこへ
戻るのがいいみたいです。あと、栗がたくさんおちてますが、
休むのは栗のないとこで。

406 :
ネットを巡回していたら偶然このスレを見つけて、昔聴いた話を思い出したので、少しお話させていただきます。
高橋修二郎さんが発見した埋蔵金(秀金)のことでしょうか、でしたら私もいくつか知っていますよ。
あの竜喰川で発見された埋蔵金ですが、地元の一部の人の間で秀金と呼ばれていたようです。
秀金の名は地元の人に聞いても判らないと思います、なぜならば、ほとんどの人は知らないからです。
また、知っている人がいても絶対によそ者には教えてくれません。
なぜ私が知っているかと言うと、私の祖父があの地域の出身だからです。
その後、塩山市(現・甲州市)と言うところに移り住み、もう20年以上前に亡くなりました。
私の祖父は一度だけ、法事の後の食事会で酒をたくさん飲んで酔いつぶれた時があるのですが、
その時に埋蔵金の話をしていました、他の親類はあまり真剣には聞いていませんでしたが、
当時、子供であった私は、胸をときめかせながら話を聞いていたのを覚えています。
子供のころに祖父から聞いた話なので、断片的にしか覚えていないのですが、
秀金というのは「秀吉の金」ということらしいです、ただし、秀吉は関係ありません、
関係してるのは名前だけで、秀吉が昔名乗っていた苗字の「木下」が関係しているようです。
結論から申し上げますと、木の下の洞穴に埋蔵金を隠したから「秀金」とのことです。
隠した当時、有名であった戦国武将の秀吉から名前を拝借したのだろうと、祖父は言っていました。
実は、金山が稼動していた戦国時代、当時の噂を書き留めた文章が、最近までお寺だか神社にで残っていたようですが、
明治の頃に盗まれたようです。盗んだのは村の人間で、詳しく覚えていないのですが「山崎」だか、
そのような名前の人の息子だそうです。しかし、この文献の存在を知っているのは、
ごくわずかの人間だけだそうで、文献が紛失しても、当時は特に問題にはならなかったようです。

407 :
その盗まれた文献の内容ですが、当時の噂では、埋蔵金を隠した場所は、目じるしの木に「州」という字が彫られており、
そして、白い布を巻きつけた釘が刺され、10箇所に分散して隠されているようです。(木下藤吉郎だけに10箇所か?)
これを辿ればすぐに見つかりそうなのですが、
もう何百年も前の話であり、祖父は当時の木はあまり残っていないと言っていました。
どうやら定期的に木は伐採されているようで、さらに付近の場所は急な勾配のため、木の重みで倒木したり、
がけ崩れを起こしてしまうため、当時の木はまず見つからないと言っていました。
ではどうすればいいのか?、実は昔に大木が生えていたであろう場所は、地形を見ると分かるらしいです。
結局、祖父は埋蔵金は見つからなかったと言っていましたが、私は埋蔵金の一部を見つけたのではないかと考えています。
祖父は事業で成功して、比較的に裕福な人物でした。詳しいお話はできませんが、祖父は会社を起こすときに、
結構な額の初期投資をしているのです。しかもかなり若いときに会社を起業しています。
山奥から出てきて、すぐに会社を起こせるものでしょうか、私は疑問です。
ちなみに埋蔵金の話は、その法事の時に一度きりで、その後埋蔵金の話を聞いてみても「知らん」としか言いません。
他に興味深い話もしていました、昔、祖父の父親の友人が、野宿をしていた不振な男を追いかけいていたら、突然消えて、
翌日男が崖から落ちて死んでた、みたいな話をしてました。ひょっとしてこれは高橋修二郎さんのことかな?とも思っています。
男の荷物を血眼になって探していたようですが、見つからなかったそうです。
なんで探していたのかは知りません。断片的過ぎて何の話か分からないと思いますが、私も記憶があいまいなため、
このような話があったということしか、申し上げられません。
私からの話は以上です、参考になりましたでしょうか。

408 :
>>406さん
余りにも具体的な話に驚いています。
祖父の起業に埋蔵金?ですか。
文章を読むとあながち外してはいないような気がします。
曽祖父の友人が修二郎発見?ってことは、その人が「二之瀬高橋の宇沢某」ですか。
修二郎の金発見後に祖父が「その金を見つけた?」ってことですね。
だとすればもう、残りの金は無いのかも知れませんね。
修二郎のことですが、畠山氏が若干手を加えている可能性は大でしょうか。
アサバ写真家=アキバ写真館、高橋修二郎の高橋=二之瀬高橋の高橋。
小伝馬町は秋葉原の隣接、高橋は地名の高橋に引っ掛けてたりして???
全く根拠のない推測です。           

409 :
アサバ写真家=?
アサバ写真館=◯
間違えました。

410 :
>>983さん
すいません、少し補足させてください。
>昔、祖父の父親の友人が、野宿をしていた不振な男を追いかけいていたら、突然消えて
>翌日男が崖から落ちて死んでた、
これは正確に言うと、翌日ではなく、後日です。間違えて書いています、すいません。
ですので、翌日かもしれませんが1週間後かもしれない、後日談です。
さらに、私の書き方が少し雑だったようで、分かりづらかったかもしれません、
曽祖父の友人がその男の発見者かどうかは分かりません。とにかく転落死?していたようです。
「曽祖父の友人が追いかけた不振な男が、後日転落死していた」という事実があったという後日談で、
曽祖父と友人が、その件に関して、どう関わってたかまでは全くわかりません。
ただ、その時に何かを探していたのは間違いありません、記憶が断片的で覚えていないのですが、
必死で何かを探していたような事を言っていました。
また、二之瀬と言うのは、一之瀬、二之瀬の地名でよろしいのでしょうか?
先ほど気になって地図で確認したのですが、念のため申し上げておきますと、
祖父の住んでいた場所は、その住所から少し離れています。
国道沿いとまでは言いませんが、もっと近い場所にあります。
ただし、友人の住まいが何処かは分かりません。
また、紛失した文献によると、埋蔵者はかなり慎重な人たちだったようで、
埋蔵金は10箇所に分散して隠されているようです。
ですので個人的にはまだ埋蔵金はあると思います。
ただし、何箇所かは確実に発見され取られていると思いますが・・・。

411 :
詳細、ありがとうございました。
率直にお伺いしますが、お分かりになる範囲でお答え頂けますか?
「この埋蔵金(と思われる)」の埋蔵者は一体誰なんでしょうか?
畠山氏の本には、ある人名と経緯が書かれてます。

412 :
>>983さん
あの近辺に埋蔵金を隠したのは、アヤベ(漢字は分かりません)とかいう金山衆だと聞いてます。
昔の地元の人は埋蔵金のことを「アヤベ衆の秀金」と呼んでいたようですし。
人名までは聞いてませんが、金山衆の元締めは武田家縁の人物だと思います。
勝頼が死んだので、急きょ金山を閉山したようです。
当時、あの近辺で活動していたのは、アヤベ衆とクボサカ衆(クボタカ?そのような名前)の
二つの金山衆がいて、地元の人たちにはそう呼ばれていたようです。
もっとも、地元の人たちは、当時、彼らが金山衆であることを知らなかったようですが。
(実は知ってる人もいたようです)
祖父はおいらん淵の話もしてくれました。遊女が55人殺された伝説がありますが、
実際は24人か25人くらいだそうです、これは当時、下流の村で記録されたもので、
実際に死体が上がった数がそれくらいだそうです。
全員、喉を切られていたようです。R時に悲鳴を上げないようにそのような方法をとったのかもしれません。
祖父いわく、金山衆は忍者のような事もしていたようです。
さらに金山衆(下っ端)も相当数殺されたみたいですよ。大量の死体を洞穴に隠しているみたいです。
大量の死体が見つかれば、その近くから埋蔵金も出てくるかもしれませんね。
ここでひとつ疑問が出てくると思います、それはなぜ遊女の死体も洞穴に隠さなかったのか?
その答えですが、どうやら遊女は寺にいて、尼さんに偽装していたようです。
当時は隠し金山ですので、これくらいの偽装は当然と言えば当然ですが。
恐らく時間が無かったので、喉をかき切った後、川に投げ込んだものと思います。
とにかく急いでいたようです、その証拠に事件後、金山衆は一夜にして里諸共消えたようです。

413 :
>>412さんへ
大変あつかましいとは承知していますが、このスレを見ている人は412さんに興味津々だと思います。
そのみなさんを代表して、あなたの知っているこの話を知っている限り、無理のない範囲、わかる範囲で
このスレに書いてもらえないでしょうか?
特に、@貴方の祖父が住んでおられた地域(そのものずばりでなくても結構です)
   A過去のあなたの聞いた話と、このスレの話を検証してのあなたの地域の推理場所は?
あくまでも貴方の私感で結構です。無理を承知のお願いです。何卒ご了承ください。

414 :
詳細かつ丁寧な解説(御返答)に感謝します。
>アヤベ衆とクボサカ衆
>遊女が55人殺された伝説がありますが、実際は24人か25人くらいだそうです、
これは当時、下流の村で記録されたもので、実際に死体が上がった数がそれくらいだそうです。
全員、喉を切られていたようです。R時に悲鳴を上げないようにそのような方法をとったのかもしれません。
祖父いわく、金山衆は忍者のような事もしていたようです。
さらに金山衆(下っ端)も相当数殺されたみたいですよ。大量の死体を洞穴に隠しているみたいです。
アヤベ・クボサカ衆、殺された遊女が24〜25人。
勉強不足の私には初耳な言葉でした。
金山衆はともかく遊女の55人を、宴台ごと落下死させたのは疑ってます。
藤蔓の宴台ごと下の激流に転落死させるならば一層、斬り捨てた方が効率も良いのでは。
「喉を切ってから…」尚更斬り捨ての方が筋が通る気がします。
「洞穴」は金山などの坑道も含まれるのでしょうね。廃鉱にするのですから。
しかし、それにしても驚きの内容です。
世間で言われる「(修二郎の)埋蔵金」に関して、過去にこれほど具体的な話があったとは!
413さんと同感です、可能な限りの書き込みを頂けますか?
切にお願い致します。


415 :
>>406の文中の三行目で「あの竜喰川で発見された埋蔵金ですが」と書かれていますが、
畠山さんの本中にも竜喰川とは書いて無く、あくまでみなさんの想像なのですが竜喰川と
書かれたのは、祖父から竜喰川近辺と聞いておられるのですか?

416 :
>ごんべぇさん
祖父の住んでいた場所は「丹波山村方面」としか申し上げられません・・。
また、私が「あの竜喰川で発見された埋蔵金〜」と書いた件ですが、
私が祖父から聞いたのは竜喰川、ひょっとしたら竜喰谷かもしれませんが、
「竜喰」は確定事項で間違いありません。
「祖父の父親の友人が、野宿をしていた不振な男を追いかけいていたら〜」と以前に書きましたが、
その場所が竜喰です。私はその死んだ人こそ高橋修二郎さんだと思っています。
ですので「竜喰川で発見された埋蔵金」と私は書いたわけですが、
この方が高橋修二郎さんではない可能性もあります、
現在のように道も整備されておらず、昔からあの近辺は、定期的に死亡者が出ているみたいですので。
そもそも、「野宿をしていた男の持ち物から埋蔵金が出てきた」とは、祖父は言っていなかった様な気がします。
しかし、よそ者の持ち物から埋蔵金が出てきた話はしていたような気がします。
前にも書いたと思いますが、祖父が野宿男の話をしているとき、私は他の人とも話をしていたためか、
記憶が断片的になっており、少し記憶があいまいかもしれません。
また、このようなことを言うと話がこんがらがりそうであれですが、
祖父は死体が発見された場所の事は何も言っていませんでした。
つまり、竜喰で見つかったかもしれませんし、一ノ瀬川、或いは丹波川まで流されたかもしれない。
とにかくこの件に関しては、死体が発見された場所は特定できないのです。
>983さん
私も坑道に死体を隠したと思います、というか坑道で殺したのではないかと考えてます。

さて、皆様が求めるなら、私の知りうる限りの情報を書かせて頂きたいと考えていますが、
実際書こうと思うと、何から書いていいのかわからない状態にあります(笑)。
ですので何か質問してくださると、答えやすいです。
最後に、私は埋蔵金は竜喰谷と大常木谷にあると考えています。

417 :
>>406さん
お初にお目にかかります。実は土曜日から書き込みを拝見していました。
貴重なお話ありがとうございます。
木の下ですか、それだともうありませんね。
まぁ現在明治で大木だった木は存在しないでしょうから。
明治から100年ほど前の明和からあの地帯では、無断伐採・焼畑を繰り返していて
明治22年では無断伐採・焼畑の最盛期だってみたいです。
明治40年あの地帯を襲った集中豪雨で、無断伐採・焼畑のおかげで土石流がひどく、さらにハゲ山になっています。
明治の写真を見ると、切り出す本数が半端じゃないですね。
伐採した木を川に流すのかと思ったら、川の上にに滑り台を作ってボンボン落としていたんですね。
下流の村々は、井戸を掘るのを禁止されていて(たぶん有毒な鉱泉だったのかも?)川の水を飲んでいましたが
川が焼畑のせいで真っ黒になったと記録されています。
そこで山梨県から移管された東京市はあわてて一之瀬高橋一帯の買収にのりだしました。
そんな経過があるので、木の下じゃもうないですね><

418 :
アヤベ・クボサカ衆っていうのも興味深いですね。
金山集は三枝、清原、安田、風間、永田+田辺?だと思っていましたが、山崎・綾部・クボサカという姓もいたのですね。
それか、明治5年には戸数が38戸数、人口218人でしたから、木材の伐採で人が流入してきたのでしょうね。
おいらん淵は、私も同じように考えています。
明治時代にすら道がなく山に囲まれたいわば行き止まりの地である現在のおいらん淵に演武台を作って落とすなんていうのは、
合理的ではありません。刀で皆殺しが手っ取り早いですね。
ですが、1600年代の中ごろまで黒川の採掘が終わり、1700年中頃まで一部の金山衆が留まっていたことは調査で分かっていますので。
1600年代といえば、徳川も3代(家光)〜4代目(家綱)の時代ですから、おいらんを川に落としてRというのは無理がありますね。
確かに穴に埋めちゃえばわからないかもしれませんw
>>416にも書いておられますが、
まぁ現在のおいらん淵付近では、「おいらん渕付近で変死者が多く、不可解な事故が続発して人々は大変に困惑した。」
と、鶏冠観世音菩薩縁起にも書いたある通りですね。
昭和53年です。鶏冠観世音菩薩とあの塔婆が立ったのは。立○佼○会ではないみたいですね。
もしかしたら、修二郎もその変死者のひとりだったのかな?と考えてしまします。
ただ、残念ですね。
曽祖父さんの記憶違いでしょうかね。イメージでは一之瀬川なんですけど。
いくら文献を掘り起こしても一之瀬川沿いには道はなかったのです。
これは、私の調査だと決定しています。こないだの会議でも発表しました。

419 :
○正○成○はなんであんなとこに碑を建てたんだ

420 :
最初に戻りますが、10本の木の話を見て、ご神木があるとどっかの書物で読んだ記憶があり、探しましたが見つかりませんでした。
一之瀬高橋に限らず、あの辺一帯の昔に大木が生えていたであろう場所は今ではわかりませんね。
一之瀬川沿いに道は無いと書きましたが、
ある資料に「残念なことは。戦後にお金になる銘木が伐採されたことだ。都の財政難や日本の復興を名目に、数百年を経た巨木達が無残にも切り倒され、
そのための林道が整備された」とあります。
現在あるのは、たぶんこの時の林道だと思います。
ひつじさんの書き込みをずーーーと待っているんですが、書いてくれませんなww
ある理由で「竜喰谷と大常木谷」ではなくなりました。
龍喰川に精錬所の滝があるので、金鉱でもと以前は思っていたんですが、試掘跡だけですね。
なので、死体や埋蔵金を隠せるような深さの穴ではないようです。
もちろんこの辺を試掘するということは、黒川金山が枯れたあとですから時代が合いません。
まぁこのへんもハゲやまですね。
そうなると、候補地は2か所となり、ひつじさんも薄々気が付いているのではないかと推察します。
この昔話を聞かせていただいて、ピンときているので書き込んでないんじゃないですかね?ww
ってな感じです。
昨日今日で、あいにくの雨でしたね。現地調査の予定でしたが中止にしてよかったかもしれません。
季節はもう秋半ばです。もし調査をするなら、年内は@1回程度でしょうか。

421 :
>>419さん
穴埋めご苦労様です。
塔婆に「交通安全」とは書いてあったものの、立○佼○会とは書いて無かったと思いますが
「南無法蓮華経」と書いてあるせいですかね?日蓮宗からきているのでしょうか?
○価○会なのかも?

422 :
明治34年(1901年)東京府は、水源地の荒廃を憂いて管理を始め、その数年後、尾崎行雄東京市長は、
農商務省山林局に対して水源地の現状調査及び森林に関する調査を委嘱した。
明治41年に提出されたその報告書の中に「萩原山御料林は、柳沢峠から将監峠に連なる分水嶺から北都留郡界に
達する約5,700町歩の地域で、荒廃の状況は水源地中最も甚だしく過半部は原野状をなしている」と報告され、
これに危機感を抱いた東京市自ら調査を行うようになり、様々な現地調査を重ね策定した「水道水源森林経営(案)は、
その後の水源森林経営において大きな推進力となった。
(東京都水道局水源管理事務所発行 水道水源森林百年史)
※約5,700町歩=約57km四方 これはひどいw
東京電力の森の鼓動のバックナンバー4に丹波山周辺の状況の画像が出ている。
上で、滑り台(修羅)と書いたがそれも載ってる。
http://www.tepco.co.jp/eco/support_plan/membership/back_number/
よくもまぁ調べるでしょ? なにせ埋蔵金がかかってますからなー
自称埋蔵金ハンターですけど、タイトル通り趣味の範囲ですw

423 :
さて、土曜日からずっと見ていたので、連投になってすいません。
>>406さんの書いていただいた話は、修二郎を追う私にとってもかなりの刺激になりました。
木の下というのは上で書いた通り期待薄ではありますが、もしかしたら木や穴が残っていたり、別の穴の可能性も出てきました。
このスレを続けてきたかいがあります。感謝します。
言いづらい点等もあるでしょうが、貴重なお話なのでできる限り書き込みをしていただくと、
私を含め埋蔵金の探索をしている者にとって希望となるでしょう。
ヒントから埋蔵金の場所を特定し、今まで出ることのない埋蔵金の存在を世に知れ渡すことにより地方の活性化にもつながるかもしれませんね。
ね・・・・ただね。
泉雅彦の「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」って本に
筆者は、塩山市小田原における「たたら遺跡」を地元の郷土研究グループの井戸沢三郎さんと調べなおした。
その結果だと、小田原の上条R上にある黄金山(40年前に8つ穴があり、現在はその跡のみ)から採掘した、黄金を吹き溶かしたことを
証明する黄金の塊を掘り出した田辺友規さんはじめ、甲金蔵があったという付近から文字通り大判小判をザクザク掘り出した田辺国治さんと、
このたたら遺跡のまわりは埋蔵金の宝庫とみえる。
って、書いてある。
実際に掘り出したのか調べてみてはいないが、埋蔵金を掘り出した実例といえるかも。
探せばあるんです!? ないなら研究して無いを証明しなければ納得いきません。
みなさん がんばりましょう。

424 :
405に書いたよ。
詳しくは後日。

425 :
ひつじさん
405じゃないですよ!修二郎お話の感想ですよw
今日は天気もいいので、これから徳川埋蔵金を調べに行ってきます。

426 :
>>416さん、丁重な返信ありがとうございます。
さて、一つ質問いたします。
貴方はこの埋蔵金を現在探されていますか?、または、今後探そうと思っていますか?
このスレのみんなが貴方を求めています。
但し、埋蔵金と言う性質上、無理のない範囲の書き込みを切にお願いいたします。

427 :
>416
に龍喰か、大常木とあるのに、何故、
>420
で龍喰、大常木でないのか
わからないです。
私の探索は、梅図からです。この絵図から龍喰と特定し、沢も特定した。
そして現地へ行ったら、丸い印。偶然ではないと思う。梅図の花は
10個もないし????10箇所に埋めたのも????
林道が新しくても別にかまわないと思う。梅図は川がかかれてる。
不変なものを基準にすると思うから、道が、何時のものでもいいと
思うけど。
木下とか、州とかかれてるのも、武将の埋蔵金では考えられない。
丸い印は岩に削ってつくられてる。木ではない。
武田以外の埋蔵金のような気がする。起業してるから見つけたと考えて
いいとは思うけど。よく考えてみます。
大常木から大木をイメージしやすいですが。今日、大常木の沢登りの
図コピーしました。あとでどこかへupします。
今回動画とったので、編集おわったらユーチューブにupします。
でも、今回はつまらないかも、わくわくする絵がとれなかった。
ボツにするかな。
ここで新情報はいったので、しばらくかんがえてみます

428 :
修二郎の話が盛り上がっているので、修二郎の埋蔵金を調べたかったんですが手詰まり感があります。
>>406さんに打開策を求めていますので、よろしくお願いいたします。
それまで、徳川埋蔵金でも書きましょうかね。
さて、今日は年内に1回ぐらい徳川をやらないとと思いまして、
双永寺から出たと伝わっている銅板3枚のうちの絵地図の場所を見てきました。
遅く出発したこともあり、8か所のポイントの調査だけで終わってしまいました。
絵地図の銅板に書かれている「中」は、古墳でした。ただの塚かと思ったけど間違いなく円墳ですね。
8ヶ所を書くと
a地点:「中」円墳
b地点:巨木はあるがほかになし
c地点:巨木はあるがほかになし
d地点:塚あり
e地点前方後円墳
f地点:塚っぽいものがあったが、たぶん違う。
g地点:なにもなし
h地点:井戸あり
h地点を探索中に地元のおっさん達が近づいてきたので、話をしてみたところ
h地点の塚らしきものは以前竹藪だったとのことで、落胆しました。
近所に地図にはない「i地点」がないかと聞いてみたところ、「ない」とのことでしたが
h地点の近所に「穴」があるそうなので探してみましたが見つかりませんでした。
f地点とg地点は、もともとパターンに合わない場所だったので、再検討してみます。
絵地図に書かれている▲の7か所のうち、2か所に古墳もしくは塚が見られましたので、
私の推理もまんざらではないかと思いました。

429 :
>165さん
いろいろと補足しなければならないことがあるようでお話させていただきます。
まず、埋蔵金は「木の下」ではなく、「木の下の洞穴」なります。
洞穴とは岩盤に開いた穴のことですので、禿山とかあまり関係ないので大丈夫です。
木はあくまで目印で、禿山になって多少の土砂が流出し、埋もれることはあっても、
埋蔵金がそこから動くことはありません。その証拠に高橋さんは見事に埋蔵金の一部を見つけていますね。
ただ、大規模な岩盤の崩落があった場合は動き出す可能性はあります。
>下流の村々は、井戸を掘るのを禁止されていて〜
これはたぶん鉱山ではなく、焼畑によってできた畑に使用した肥料のリン酸と窒素が地中に埋まって、
井戸水がやられたのだと思います。鉱毒水を出すような大規模な鉱山は付近には見当たりませんので。
アマルガム法による金の精錬も考えましたが、これも違うと思います。
また、金山集のことをいろいろと詳しいようですが、私の言っているアヤベ衆とクボサカ衆は、
1580年代の人たちで、「山崎?の息子」は明治時代の人です。
さらに「山崎?の息子」は一ノ瀬・二ノ瀬Rの人間ではありません。
また、一ノ瀬川には道が無かったようですが、獣道のようなものも無かったのでしょうか、
生活道は沢を利用していたのでしょうかね、アップダウンの激しい沢ですので、
高橋さんは沢で足を滑らせて死んだのかもしれませんね。
>ある理由で「竜喰谷と大常木谷」ではなくなりました。
私はまったく逆で、竜喰谷と大常木谷、この二つの場所以外は考えられないと思っています。
理由はあります、少しですが以下にヒントを書いておこうと思います。
さて、ここから本題に入りたいと思いますが、
165さんがご指摘のとおり、黒川金山には17世紀の中ごろまで金山衆が近辺で生活していました、
「黒川千軒」の繁栄が有名ですね。金山衆はその後は土木等で生計を立ていたようです。
また165さんは「おいらん伝説」にも懐疑的なようですが、
この「おいらん伝説」こそ、黒川金山の分岐点なんです。
1582年に勝頼が死亡しましたが、その時に黒川金山は一度完全に閉鎖されているのです。

430 :
「おいらん伝説」の前と後では、金山としての様相は大きく異なります。
勝頼が死ぬ10年位前からでしょうか、黒川金山から金があまり取れなくなりました。
そこで目をつけたのが龍喰や午王院なのですが、そのころから少しづつですが徐々に開拓をしていったようです。
しかし、勝頼が死んでしまいます。さて「金」をどうする?というのが埋蔵金伝説の中核になる訳ですが、
話はもう少し続きます。
1582年に勝頼が死亡しました、その時に黒川金山は一度完全に閉鎖されますが、
しばらくして、金山衆の元締めみたいな人が、徳川方に寝返えります。
それから徳川家の庇護の下、金山衆がまた黒川に集まり、「黒川千軒」が復活する事になる訳です。
がしかし、元々黒川で働いていた金山衆が全員、黒川に戻ってきた訳ではありません。
それはなぜか?答えは単純です、黒川からもうあまり金が出ないことを知っていたからです。
元いた金山衆は、他の金山へ流れたり、新しく佐渡のような新天地を開拓に回ったようです。
戻ってきた人も、途中から金山を離れる人もたくさんいたようです。
それでも黒川に残り、黒川で生涯を終える人もいました。
そして次々に黒川の地で古参の金山衆が朽ち果ていく事になる訳ですが、
いよいよ最後の一人、最古参の金山衆が死ぬ間際に事件が起こります、そこで初めて埋蔵金の話をしたのです。
誰にしたのかは分かりませんが、その内容は明治あたりまで寺か神社に残っていたのですが、
山崎?の息子に盗まれて、紛失してしまいます。
駆け足でしたが、以上で私の聞いた話をお話させていただきました。
この他にも、おいらん事件前後の黒川千軒の勃興の話が個人的には面白かったので、
お話したいのですが、長くなるので次の機会に書かせて頂きたいと思います。
また、予断ですが、私は修二郎さんと「山崎?の息子」は何処かで顔を合わせていたのではないかと考えています。
>ごんべぇさん
私は埋蔵金の事は考えるのは好きですが、本気で探そうと考えたことはありません。
しかし、このスレを見ていたら、童心に返って埋蔵金を探すのも楽しそうに思えてきました。
もしも埋蔵金発掘に出かけるようなことがあれば、ホームページでも作って、
皆様に報告させていただこうかと考えております。

431 :
さて、ここで疑問です。
3枚の銅板が「正しい」とします。
本日の調査の中に▲は4つありまして、その中の2つで古墳や塚が見られました。
残りの▲の調査は後日として、現在より高い建物がなかった時代は、実に目立ったことでしょう。
絵地図の▲は7個です。
銅板のもう一枚の謎文の銅板の右下に「一将を見トムルトキハ七臣に達シテ」
謎文の左には「コノ証を存スルトキハ七臣に達スルコト目前ナリ」「七臣ニ達スレバ分証揃テ茲ニ一将顯ワル」
一将を見つけると7臣が見つかり、銅板を持っていれば7臣が見つかりやすい。7臣が見つかれば一将にたどり着く。
一将を「中」に見立てるなら、なるほど今日の探索ポイントを見つけるのは簡単だ。
銅板の写しを持ってるから見つけやすかった。(写しは巷で出回っているものですw)
7臣を見つければ「中」を見つけられる・・・?
▲は7臣なのでしょうか? 絵地図の○は8個あります。
今日の調査で▲7個のうち2個に古墳または塚が見られました。あと5個の▲に古墳か塚があれば完璧ですね。
そうすれば、私の考えている「中」が間違いないということでしょうか?
んー○は8個ありますので、埋蔵場所じゃないということでいいのでしょうか?
絵地図の場所を特定させるためのヒントだったということになってしまいます。
ということは、▲に埋まっているとしたら古墳か塚を掘り返さなければならないということになってしまいます。
まぁ打ち捨てられているような古墳と塚だったので、話をつければ掘り返せそうでしたけどね。
f地点とg地点を洗いなおすのと、あとの3つは後日調査してきます。

432 :
おお 私が徳川のことを書いている間に書き込んでくれてありがとうございます。
よく調べているじゃないですか。すばらしい。
ちょっと「竜喰谷と大常木谷」の解説をしたくてウズウズしているのですが、やめておきます。
一之瀬川沿いの道(生活道路)は、川に近い場所ではなく、藤尾山の中腹を通っていましたので川との距離いして約800m、
一之瀬川に滑落することはまずありえませんでした。
また、その生活道は藤尾山の中腹から藤尾橋の近に出ていましたので、現在の花魁淵の場所ではなく藤尾橋付近でほぼ間違いありません。
では、当時、現在の花魁淵へにいくには、藤尾山の崖にとっついていかなければなりません。右手には柳沢川
また、一之瀬川を渡ると岩岳のせり出した部分を登る必要もあり、いわば「どんつき」だったわけです。
もちろん明治時代は、藤尾橋を渡り柳沢川の南側の明治の青梅街道を利用していますので、
わざわざ藤尾山〜一之瀬川の渡河〜岩岳と進む必要はなかったわけです。
さらに昔でも、丹波山方面にはこの道筋を利用していたと思えます。
おいらん伝説には懐疑的ではないですよ。55人でも25人でも問題ありません。
おいらん「淵」には疑問が残ります。
以前も書きましたが、藤尾端付近でも現おいらん淵でもいいのですが、目立つところでやりすぎていないか?なのです。
黒川での遊女であれば、鶏冠山山中でもいいし、切り捨てたとしても川に落とすのもどうかとw
どんな手段を使ってRのはいいのですが、そのロケーションには疑ってしまいますね。
あとの話については、大変参考になります。

433 :
さて、お酒もすすんでいるので、つらつら書いてしまいます。
「中」が一将なのか?「中」=埋蔵場所なのか?
ちなみに「中」は、許可が下りても掘れない場所にありました。TVの力を借りるしかない場所でしたw
それか、中の横にあった円墳だったのか?円墳は整備されていたので、考古学的な調査も行われただろうから埋蔵場所ではないと思う。
ここで疑問が、残りの2つの銅板はどうすればいいのでしょうか?
やはりここはスタンダードに「中」は残りの銅板の方位図の中心と考えるのがいいかもしれません。
上記にも書きましたが、h地点の近所には「穴」があるそうです。
話をしたおっちゃん達は、「すぐそこの○○さんとこに穴があるよ」と、話の途中で突然言ってきました。
おっちゃん達はなまっていたので「花ですか?」と聞き直したところ「穴」と答えていたので、銅板を基に掘った人でもいたんでしょうか?
そうそう。私を見る目が「こいつも埋蔵金か」という目をしていたので、教えてくれたのかもしれません。
誰かが掘った穴とすると「中」を起点に探索して掘ったということになるかもしれません。

434 :
>>429 >>430にての詳細解説、ありがとうございます。
430によると、「埋蔵金の事は考えるのは好きですが」と書かれていますが、かなり詳細な開示、
ありがとうございます。
私は以前、このお宝を探しに大常木谷に山道を頼りに入ったことが有りますが、山の奥が深い事に参りました。
多分、貴方は貴方独自の謎解きをされ、見当も付けていると私はみていますが、可能性として竜喰谷・大常木谷の両方にお宝が
隠されている可能性も有るのではないでしょうか? ※見つかる、見つからないは別として、と、言うのは
今は修二郎さんの事を言っていますが、当時、世間に知られていない州が幾つかあったようなので、他にも有る
可能性が有るかも、と、思っています。よろしくお願いします。

435 :
>>427さんへ、私の探索は梅図からです。この絵図から龍喰と特定し・・・
梅図って、何ですかぁ

436 :
>>435
梅雪が書いた、埋蔵金の絵図です。梅の木のようなものが
かかれてるだけですが。

437 :
日向 徹さん
先週の探索は如何されましたか?
あれ以来、音沙汰なく心配してます。
できましたら結果を教えて下さい。

438 :
>>437
983さんへ
行ってきました。
結果は・・・修二郎の宝は、○□でした。
すなわち埋蔵金は水源林の○□を世に知らせるためのものだったのです。
すでに宝は見つかっているのです。
尚、この宝の”○□”は以前から持ち帰り自由の「水源林の○□」です。
・・・アレどこかのキャンプ場のサイトで見たような(笑)。
また脱線してしまいましたね。
連休は、竜喰谷の下見(散策)をしてきました。
一通り自分の目で、見ないといけないと思っていますので、これからも下見(散策)は続きます。
竜喰谷の源流域ですが、自然が素晴らしい!範囲は狭いですが、まるでもののけ姫(シシ神)の森のようでした。
苔むしており、一見の価値はありますよ。
道は、それほど険しくなく、出来ればトレッキングシューズが欲しいところですが、通常の運動靴でもそれ程不安は無いと感じました。
しかし、山道です。油断してはいけません。ある程度のリスクはあるものとしてください。
※登山口近くのの楠さんちのお婆ちゃんの話では、最近も帰ってきていない方がいらっしゃるようです。
 山梨・埼玉県警で捜索を行ったそうですが、手掛かりは無かったそうです。
 熊が木に、八つ当たりをしたような跡もありました、熊も要注意です。
金場沢の方は、トレッキングシューズ等の山道に適した靴でないと、無理があります。
道も、完全に崩れ去っている部分が有り、それなりのリスクが伴います。
山の経験者ならまだしも、ほとんど経験の無い方は、まず源流域をおすすめします。
竜喰谷にて、とんでもない大木(比較的新しい倒木)を見ていますが、最近の書き込みを見ていなかったので、素通りでした。

439 :
>>437
983さんへ(その2)
聞き込みの結果
埋蔵金が過去に出たと云った話は、複数聞きました(話の筋はほとんど同じ)。
今回行けませんでしたが、聞き込みの結果○○○の○○さんが、昔の話に詳しいそうなので、次回以降の宿題となりました。
黒川金山に、妖しげなテーブル状の石あり(詳しくは、しゃくなげさんで聞かれた方が良いかと)。
以前は、探索に熱心に通っていた方がいたそうですが、最近は全くいないそうです。
砂金には、興味が少なかったのですが、相手方の方から話が有ったりして・・・
砂金は、以前は凄い穴場が有り、最高二人で一日にコップ一杯採取した、と云った自慢話を聞きました。
※穴場は、教えてもらいましたが、今行ってもそれ程は期待できないと思います。
砂金は、毎年採りに来ている人達がいて、それなりに採集出来ているようです(複数)。
水源林の○□は、画像送ります(私のアドレスは165さんが知っています)。
水源林の○□のポイントは、一切お答え出来ません(すみませんが山の不文律です)。
大木と源流域は、セットで案内できます(日帰り可)。
砂金は、あまり興味が有りませんので、もし本当に行かれるのでしたら、情報だけ教えます。
今回、土日とも道の駅で車中泊で、カセットコンロや食料を持ちこみましたので、普段の生活より高くついたのは、しゃくなげさんの昼食(千円)と温泉(600円)とガソリン代、のみでした。
道の駅は、少々離れていますが、初日は途中で眠る形で、日曜は入浴したくて、また安全上の理由で、場所を決めました。
静かで、水・トイレ等の設備はきれいで、快適に過ごせました。
キャンピングカーや車中泊のお仲間が複数居て、その中ではどう見ても一番貧乏そうな車なので(笑)強盗等の心配も無く安心して眠れました。
たとえ埋蔵金が無くても、水源林の○□のおかげも有りとても気に入り、今週末も行く予定です。
※密かに今週末は、水源林の◎□を狙っています←無理だって(笑)。

440 :
>>416
名無しの愉しみさんへ
>祖父の住んでいた場所は「丹波山村方面」としか申し上げられません・・。
との事ですが、私がそのあたりで聞き込んだところ、複数の方から、(話の筋は違いますが)過去に出ていると云った事を聞きました。
そのあたりにルーツや土地勘がお有りでしたら、全くのよそ者が聞き込むより、はるかに良い情報が得られると思います。
また、そのあたりに知人等いらっしゃれば、お聞きになるのも手かも知れません。
そのあたりは、良くも悪くも村社会でしょう。その家の経済状態はもとより、極端な話その日の献立まで筒抜けです。
村社会では、そのような事はどんなに隠しても、なかなか隠しきれる事ではありません。
隠しきっていたとしても、その時他の方が聞いていたのならば、今まで不思議に思っていたけど、そうだったのかと感づかれたと思います。
村社会では、不倫をしている二人は、誰にも気づかれていないと思っていても、その二人と二人の家族以外は、全員知っている。なんて事もあります。
名無しの愉しみさんの書き込みが無ければ、過去の話として、うっかりその方の職業までさらしてしまうところでした(恥)。
出来ましたら、私の聞いた話とすり合わせをしたいのです。
その方の名字のイニシャルだけをお聞きしてもよろしいでしょうか?
その件につきましては、今後私の方からは、情報はこれ以上一切出さない事をここにお約束します(どのような場であれ、全ての方に)。
この場では、問題が有るようでしたら、165さんに聞いて頂ければ、私のメールアドレスを知っています。
勿論「イニシャルを聞いてはいけない」といったお返事も、誠意あるお返事だと思います。
お手数ですが、宜しくお願いいたします。

441 :
>>432
165さん
> ちょっと「竜喰谷と大常木谷」の解説をしたくてウズウズしているのですが、やめておきます。
我慢は体に毒ですよ(笑)。
それに他ならぬ、165さんの解説です。
他の皆さんも心待ちにしている事に違い有りません。
ここはひとつ、皆の期待に応えて頂ければと思います。

442 :
>>440
あ!聞いちゃいけなかったですかね。

443 :
>>日向 徹さん
週末の探索、ご無事で何よりでしたね。
日曜から書き込みもなくて、どうしたんだろう?と思いました。
具体的な場所に行かれたのですね。
「もののけ姫の森」は本家屋久島の「白谷雲水峡」ですが、
小規模ながら匹敵する美しさだったのですか。
因みに本家には行きましたよ。
車中泊も面白そうですね。こっちにも興味が湧きました。

444 :
>>443
983さん
携帯から書き込み出来ず・・・心配をおかけしました。
日曜の朝は、雨に降られましたが、山道には何の問題も無く、歩きやすかったです。
ただ木の橋は、滑りやすく気をつかいました。
気になるポイントは、二か所有り、うちの一ヶ所は単独で結論を出す事が出来そうなのですが、もう一ヶ所は、単独で結論を出す事は、難しいところです(掘ってみないと・・・)。
私から提案しても難しそうなので、どなたか、大木と源流域に興味が有る方を案内しながら、その場所を見て頂こうかと思いました。
その場所は、井戸のように周りを石積みしてあるのですが、井戸にしては大きすぎました。
牛王院平のように縦穴の坑道跡かも知れませんが、それ以外の構造物かも知れません。
また竜喰谷にも千年クラスの大木が有る事も、現物を見て頂きたく思っています。
白谷雲水峡には、行った事がありませんが、こちらは苔の上を歩くのもためらわれる程の美しさでした(あくまでも局地的にですが)。
雨上がりだったおかげか、その部分だけ異次元で、本当に美しいと感じました。
水も豊かで、すぐにこれは「もののけ姫の森」だとイメージ出来ました。
車中泊は、これから何回も行く事になりますので、まず予算節約の為です。
山から道の駅へ、すぐに入浴→食事→睡眠(20時過ぎ)。
目の前にライトアップされたお城(もどき)を見ながら、カセットコンロでうどん(採ってきたキノコ入り)を作りながら、缶詰で一杯。それだけでもけっこうイケますよ。
掛け・敷き(半分に折って事実上二枚敷き)毛布各一枚+枕+トレーナーで寒くはありませんでした。
下手に宿で気を使ったり、遅くまで飲んで疲れが取れなかったりするより快適だとおもいますよ。

445 :
同一人物かな?同じIPから…
複数のHNを使用し他人を装って書き込みをする行為は、混乱を招くばか
りでなく、情報を意図的に操作することにつながります。

446 :
>>445
> 同一人物かな?同じIPから…
そういった事にうとくて・・・。
どうやってIPを見分けるのでしょうか?
出来ましたら、教えて頂けませんか。

447 :
>>445は間違いじゃないですか? 
E-mail欄に何か書いておけば???と表示されます。
名前欄にfusianasanとは書かないように!

448 :
あーあ 日向さん運営から怒られちゃった。

449 :
>>447
> >>445は間違いじゃないですか? 
ありがとうございます。

> 名前欄にfusianasanとは書かないように!
書いた覚えが無いのですが??
>>448
165さん
ええと・・・よくわからないのですが??

450 :
>>430 名無しの愉しみさん
素人の私でも夢中になるような内容、更に興味をそそられてます。
月曜以来お出でになってませんが、ここを御覧になってますか?
それを前提にお聞きしますのでお答え頂けますか?
・曽祖父のことは祖父からお聞きしたとありますが、それ以外のことは一体どこでどうして知ったのですか?
具体的に金山衆の一部の姓や勝頼死後の金のことなど。
ご尊父にお聞きされたとか、具体的に教えて下さいますか。
それとも実際に現地に出向き(身内が過去に居た場所でしょうから行き易いでしょう)、地元民からの情報とか。
「知ってても余所者には教えない」とありました。
当然、私などが出向いても何ら得るものは皆無に等しいでしょうが、貴方なら元住民の身内。
旧知の知り合いとして耳にする事もお有りなのかと思いました。
確かに地元民じゃなければ知らないような内容もありますね。
ここまでの情報源を是非、教えて下さい。お願いします。
知られてマズイことは結構です、知るに至った経緯などを後学のためにお願いします。

451 :
>>430 名無しの愉しみさんへ
以前の書き込みの通り、竜喰谷にて該当するような巨木を見つけています。
勿論、巨木までは、確実に案内できます。
以前にも書き込んでいますが、私は単独での山歩きは好みますが、トレジャーハンティング等、他に気をとられる山歩きは、必ず複数でと決めています。
先週は、現地を知る為に、竜喰谷へ出掛けましたが、今週はどうしようかと・・・。
秀金を探索するとなると、誰かと行く事になります。その場合、山で「も鹿」が出た場合は折半になると思います。
それでしたら、情報源の方と行き、折半するのが筋かと思ったりもしています。
この掲示板の方たちは、すぐ行こう!と云ったリアクションは有りませんが、他の誰かが見ていて先回りされる可能性もあります。
まあ出る確率は、低いかも知れませんが、お話が事実であるなら、ゼロでは無いと考えられます。
とりあえず、巨木の件は、封印しておくつもりです。
何か思う事がございましたら、書き込み願います。

452 :
関西の某氏にお聞きしたら、下部されてるとか。
風の子さんは、ごいっしょですか?
梅雪はやはり埋め替えたの?
生きてたって話もありましたね。
以前ここに書き込みありましたが、今みたら削除されてた。

453 :
>>452
ひつじさん
全くそういうことはありません。
梅雪は基本戦略練り直しの段階で、これが定まらないと現地へは行けませんです。
根拠はありませんが、梅雪が最後は勝頼を見限っていることから、埋め替え説は
十分あり得ることと考えております。

454 :
そもそも誰が隠したかわからないよね?
埋蔵金を高橋修二郎って人が見つけたののはわかるけど本の中でで川の名前が違うって自分たちで指摘してるのになんで有名な金山があるほうと逆のところを探してるの?
二ノ瀬の人もいなかったかもしれないって自分たちで書いてるのにおかしくない?
金山なら昔からあっただろうし地形とかもよくわかっててその山に隠すなら後で掘り出すこともできるのにわざわざ遠くにうめなきゃならないの?
山なんて広いんだからちょっと隠せば見つからないのに遠くへ持っていくのはおかしいよね?
その二ノ瀬だかなんかは貧乏じゃない?昔は金持ちだったの?埋蔵金が10か所にあるってわかってれば村総出で探して金持ちになってるはずじゃないの?
っていうか、なんでわざわざ人が住んでいる近所に隠すのさ。見つけられちゃう可能性が大きくなるよね。
で、木を伐採しすぎて山に木がなくなるほど人が入ってるならもう見つけてるはずじゃない?
探しに行った人もいるみたいだけど自分たちで書いていることと逆のことしてるとおもけどね

455 :
>>454
?9個もつけてるけど
そんなに気になることが多いなら
自分の問いにひとつひとつ答えを出してから相手に問うことを勧めますよ。
批判や評論は簡単だし、そんな意見は虚しいよね。
あなたもこのスレが好きなんだし。

456 :
>>454さんのおっしゃる通り、本には柳沢川と龍喰川との合流地点のおいらん淵と書いてあります。
二ノ瀬や龍喰川だと、おいらん淵からどんどん離れて行ってしまいますね。
祖父が埋蔵金の話をしてたという>>406さんの話だと、
>>410で「その住所(二ノ瀬)から少し離れています。 国道沿いとまでは言いませんが、もっと近い場所にあります。」また、丹波山とも書いています。
んーなんで龍喰川近辺なんだろう?ということで、私も現地調査を中止した経緯があります。
山登りの人のブログなどを読んでいると、鶏冠山(黒川金山)でツルハシを持った人を良く見かけたと書いてあったりし、
「何をしてるの?」と話しかけても話をごまかされた。などと書いてあります。もちろん無数の穴もあります。
確かに鶏冠山をノーマークにしていますね。
修二郎が見つけたのは棒金だといわれています。小判や甲州金ではありません。
廃れたといえども少量の金を産出しており、黒川千軒で甲州金などに精錬途中だったインゴットを
政変などのなんらかの理由で一時的に隠したモノかもしれません。
潰れた工場等でも製品になる前の仕掛品が置いてあったりしますしね。
龍喰川周辺は大規模な伐採が行われており、すでに見つかっている可能性があります。
実は、鶏冠山の木々は手つかずのままで、なんで同じ青梅街道沿いなのにこうも違うのか?と疑問を持っています。
金山衆の子孫として木を伐採したらマズイことでもあったのでしょうか。疑問です。

457 :
>>455さん
まぁまぁ そう排他的ならずに。。ここは2chですから、何を書こうと自由なのです。
評論、疑問や質問、思ったことを自由に書いてもらいたいと思います。
そうすれば、気が付かないことなどを気づかせてもらえるかもしれません。
また、そういったところから興味をもってくれればいいかと思います。
ただし、私も含めて埋蔵金に万能ではありません。関西地方や瀬戸内海周辺の話などまったくわかりません。
もちろん質問に対する答えの義務も負ってませんので、気が向けばお返事を書いているだけです。
以前、1ヶ月間で私だけしか書いてない頃が懐かしいぐらい活気が出てきていますよww
どんどん書いていただきたいですね^^

458 :
430の名無しさん、追い込んじゃったのかな。
書き込みできない事情でも?すっかり飛んじゃいましたねw
あれだけ書いてくれたんだから続きも頼みますよ。
やっぱり書けないかな?


459 :
名無しの「ごんべぇ」さん
大常木谷に入渓されたことがお有りだそうですが、龍喰谷を含めて周辺は入られたのですか?
ごんべえさんは「この埋蔵金」を永く探索されてるのですか?
日向さんも大常木谷のことをお書きになってます。大常木か龍喰なのかなぁ。。。

460 :
当時(10年ほど前の秋頃だと思う)、大常木谷の林道から、このお宝を探しに将監小屋を目標に目指し
入ったのですが、なかなか目標に着けず、結局片道4時間かけても将監小屋には着けず、引き返した
経験があります。この間、沢にも入りましたが、幾つかの滝は見ました。
熊や日没の事もあり、引き返した次第ですが、結局、帰路にも3時間かかり往復7時間でした。
しかも、ほとんど調査らしい調査も出来ずでしたので、このお宝を探すには山中で一泊か2泊をする覚悟
で挑まないとと思った次第です。すべて徒歩でした。
今では、竜喰谷方面には車が通れる林道が有るみたいですが・・・
>>451の内容が気になるなぁ

461 :
やっぱりなぁ〜w
そういう事だったか
ごん◯ぇさん=◯◯さんかぁ

462 :
>>459
> 名無しの「ごんべぇ」さん
> 日向さんも大常木谷のことをお書きになってます。大常木か龍喰なのかなぁ。。。
ええと、大常木谷は、補欠です。
土曜に山中で登山靴のソールがはがれてしまう→尾根筋へ出てレスキュー隊を呼ぶべきか?→なんとか自力下山→日曜は・・・。
疲れた!でも結構楽しめました(笑)。
・・・また書きます。

463 :
芝居は止せよ
もう、バレてるよ

464 :
>>460
>>462は、983さんへです。(疲れていてボケていました)
名無しの「ごんべぇ」さん
> >>451の内容が気になるなぁ
ハイ、登山靴のソールはがれの為、急遽日曜日に運動靴でも行ける竜喰谷へいってきました。
巨木は、まだ他にありましたよ!
土曜日からの疲れを引きずって、ヘロヘロなので、また書きます。
ヘリコプター乗りたかったけど(笑)細引きで無事帰還しました。
http://www.sangakujro.com/boots/
いろいろあっても、山は楽しかったですよ。・・・いろいろあったから、なおさら楽しかったかも(笑)。

465 :
>>460
名無しの「ごんべぇ」さん
> >>451の内容が気になるなぁ
疲れていたので、何も考えないで書きましたが、どう云った意味合いでしょうか?

466 :
>>464
>
> ハイ、登山靴のソールはがれの為、急遽日曜日に運動靴でも行ける竜喰谷へいってきました。
正確には、「竜喰谷」→「竜喰谷の源流」です。

467 :
細引きって靴のをとってするの?それとも予備にもっていったもの?
やはり、予備買うかな。
靴5年で寿命って知らなかった。

468 :
つーか、山中泊の場合はどんな装備で行ってるんですか?
固形燃料とか、ペットボトル水とか食料とかはインスタント食品とかレトルト?

469 :
>>462
>登山靴のソールはがれ
最近の山靴はウレタンなどの素材使用が多いですが、加水分解されてボロボロに壊れます。
山スキー兼用靴を買い約5年目にそんな末期状態を迎えました。
まぁそれを回避するなら「皮革製(軽)登山靴」を薦めます。
靴底はビブラムソールで踵部分にウレタンクッションを挟んでない物です。
>>467
>靴5年で寿命って知らなかった。
けっして山靴だけじゃないんですよ!身近では「紳士靴のヒール部分」も同じです。
出掛けは異常なくてしばらく履いてて、ヒール部分がボロボロ崩れて崩壊。
※ ですから4年を超えた物は山などに履いて行かない方が賢明です。




470 :
「皮革製(軽)登山靴」ならば、手入れが完全に行われてると10年使っても大丈夫です。
使用回数・条件によっても変わりますけど、「きちんとしたメーカー物」を選べば。
書き忘れました。

471 :
連投御免
4年と書きましたが、購入してからの目安です。
「店番の長かった品物」は製造から時間が経ってますから、製造から購入までの期間(時間)を考えて4年と。
LOWAでは「5年が目安」と言ってましたので、4年経過なら目安にして間違い無いと思います。
現地探索も良いのですが装備の欠落で、時として命に関わることもあります。
岩登りをしてましたから通常の登山よりも装備には神経質になってます(笑)
現地へ行かれる際は、これらの点検や買い替えも視野に入れて下さい。

472 :
>>471
5年なんですか!?
ぼく、10年以上はいてます(/ _ ; )
最近、ソールが剥がれている方が増えてますが、長い間使わずにいると剥がれやすくなるって、誰か言ってました。
そろそろ買い替えなのかなぁ‥まだまだはけるのに(>_<)

473 :
日頃から使用してれば剥がれないだろう、季節外れでどこかにしまいこむから剥がれる菌類が活動しだす。
そんなかっじだろうね、それより固形燃料とか持ち込んで鍋とかコーヒーやったりすんの?
秘密のベース基地を構築して前進基地にすべきだろう、大量の備蓄があれば捜索範囲は広がるし。

474 :
473
あんたが補給隊長やれば?
前進基地作ってよ
そんときは喜んで使わせてもらうよw
言うだけなら誰でもできる、ってな

475 :
俺ならテレビ番組に捜索させるけどな、本気なら。
何なら手配してもいいよ、ネタに困ってるテレビ製作者は多いからなぁ。

476 :
>>472
10年以上ですか?それって、ウレタンなんですか?
ソール剥がれが主な状態みたいですね。
でも、本当に山など行くなら止めた方がいいですよ。
いきなり来ますからねぇ、困ったもんです。

477 :
>>475さん
悪いけど、みんな何の根拠もないんですよ。
巨木とか言っているけど、埋蔵したのが武田信玄なら樹齢400年以上はなきゃいけない。
埋蔵時に記念樹として植えたなら400年だろうけど、当時でもそれなりに目立つ木なら最低でも400年以上になるね。
400年といえば、竜喰谷あたりに多いミズナラなら胸高で直径2.5mですよ。
そんな木は、どう調べたってありゃしない。
将監峠あたりには数本数百年たったのがあるけど、現在コースになっているのでそんな木の下に埋蔵金は100%ないよ。
一抱えのできる巨木なら樹齢100年ぐらいです。樹齢百年でも大正元年ですからね。
ただ、畠山氏の著書に出てくる龍喰谷をあてもなくさまよっているだけで、TVで紹介できるほどではないです。
しかも、二ノ瀬という地名は、二ノ瀬の山の反対側の三峯の近所にもある地名(今は秩父湖の水の底)で、
畠山氏の著書をどこまで信頼したらいいのかすらわからない状態です。

478 :
ようやく山梨県立博物館の企画展に行ってこれた。
かなり気合いの入った展示資料群と、丁寧に質問に答えてくださる学芸員?の方も居て、大満足でした。
あれだけの収蔵先の資料が一堂に会する機会はなかなか無いんのでは。
金山史はよく知らないので、新発見の連続でした。
以下、どうでもよい所感
・露金、蛭藻金、ブドウ畑から出た埋蔵金…現代の延べ棒と比べるとピカピカしてなく地味。そこらに転がってても見逃しそうw
・「萩原10カ村と丹波山村山境得論裁許絵」 以前どなたかレスしてましたが、江戸時代の黒川金山周辺の地図はこれでばっちり。
・出土した生活用品を見ると、昔の人は小さかった?
・昔から字の下手な奴はいた(親近感w)。絵図の巧い人は字もキレイ。
・黒川金山には田辺さんとか名字が書状にあるが、再掘願いには名字が無いのはなんで?
・大久保長安は死ぬまであちこち行き過ぎ。あきらかに過労死だろw

479 :
>>467
ひつじさん
> 細引きって靴のをとってするの?それとも予備にもっていったもの?
予感が有ったし、普段から紐は持っていっていました。
警視庁で、逮捕術の訓練に使う、麻製の捕り紐が好みです。
ほぼ伸びが無く、洗濯物を吊るしてもダラリとしにくく、荷物が増えたりした時にはくくりつけたりするのに使え、長さは5m位あり靴に巻けば、麻製なので緊急時の凍結路面や沢登りのまね事の滑り止めとして使え、万能です。
> やはり、予備買うかな。
この次にお会いする機会が有りましたら、たくさん有るので、予備の靴ひもを差し上げます。
靴が壊れたからと云って、即命にかかわるようなシリアスな場所なんて行かないでしょう(応急処置に必要な物は持って行くとして)。
私は基本的に、森林作業やキノコ採り系なので、履物は実用品。最後まで使って当たり前です。
山中での移動区間は、サラリーマンでの通勤ラッシュと同じです(大変だけど、まず死ぬような事はありません)。
森林作業では、ボンドで修理したりして、ごまかしながら、使えなくなるまで使っています。
チェーンソーや刈払機での死亡事故は聞いた事が有りますが・・・。
周りのプロの方たちも、穴があいたりして、どうにもならなくなるまで使うのが普通です。
ただしポリウレタン製のソールなら、買い換え等検討されたほうが良いかも知れません。
一般論では、間違いなく983さんの考えが正しいです。

480 :
その2
ポリウレタン製のソールなら、諦めた方が良いかも知れませんが、それ以外でしたら、毎回点検しながら使い続けるのもアリだと思います。
滑りやすくなっていたり等リスクはありますが、それを前提に安全マージンを多めに取った行動をすれば良いと思います。
応急処置に必要な物は、必ず持っていくようですが、実際そんなに壊れるとも思いにくいです。
ただし、予算に余裕が有る方には、無条件に買い換えをおすすめします。
私の靴は、軽く20年以上物で、接着剤の劣化とはき終わった後、バンバン叩きつけて、ソールの泥を落とすクセが原因だと思われます。
レスキュー隊を呼ぼうかは、ジョークでヘリコプターに乗りたかっただけです(頭の中での遊び)。
ソールがはがれた時もトラブルを楽しむ余裕はありました。
ただし、細引き等必要な物が無ければ相当苦戦していたかも知れません。
疲れた原因は、翌日に酷いガレ場を運動靴で歩き、その後運動靴で竜喰谷の源流部まで登ってしまい、足首やかかとに過負荷をかけてしまったからです(恥)。
ホントは、運動靴ではなく革の短靴だったりして・・・983さん見なかった事にしてね(笑)。
とりあえず靴が無いと困るので、FIVETENのイグザムガイドを買いに行ったらどこにも在庫が有りませんでした。
他に履いてみたい靴が無く、諦めて皆と同じ、林業の標準装備のアレにしようかどうしようかと迷っている今日この頃です。

481 :
>>477
>400年といえば、竜喰谷あたりに多いミズナラなら胸高で直径2.5mですよ。
直径2.5mって、スゴイじゃないですか!こんな巨木なら遠くからでも目立つし、知られてますよ。
屋久島杉並みの太さですね。
ウル覚えだけど「全国の巨木」とか?って本があって、それこそ全国の巨木の所在地や諸々の情報が載ってました。
本当にそんな巨木があればとっくに記載対象になってますよ。
巨木はともかく、修二郎の情報(小伝馬町、写真館主)、宇沢某(二之瀬高橋)などの信憑性には疑問です。
本当に「修二郎の件」はあったのでしょうか?前にも出てたけど、その後の記録なども無いようだし。
判読不明の書き置き同様に事実を変えてるんじゃないでしょうか。

482 :
>>481
983さん
畠山先生の本は、埋蔵金と云うものを世間に知らしめた功績は有れど、その後なかなか発見できないのも、先生の責任が有ると思っています。
本の修二郎の情報は、きっかけに過ぎません。
ただ、以前書いた通り、地元の複数の方から出た事は聞いていますので、その他の可能性を探る為にも現地入りを重視しています。
本やインターネットからの情報からでは、限界が見えているのではと思っています、またその情報だけから出せるのであれば、とっくに出ていると思いませんか?
倒れていた巨木の根本の枝は、切られていて、年輪を数える事が出来そうなので、今度数えてみます。
ただ本やインターネットからの情報の収集も、その能力に個人差はありますので、リーダーの165さんには期待しています。新たな情報や新たな解釈等ありましたら、是非発表をお願いします。

483 :
>>482
>ただ、以前書いた通り、地元の複数の方から出た事は聞いていますので、
あれ?日向さん、どこに書き込みました?レス番を教えて下さい。
埋蔵金に関して「誰それが埋めた云々」は耳にしますが、
発見者?が第三者に見つかりまた、現物までも確認?された事案は他にありますか?
畠山氏の著書にあるものは実際に取材に基づくものでしょうけど、修二郎と言い宇沢某、
また修二郎発見時(金)のことなど他に証明する史実でもあれば。
今月もしくは来月初めにでも、現地を見て来ようと思います。
皆さん方のように山中深く入れませんから、道沿いに流してみようかと。

484 :
>>430 名無しの愉しみさん
・曽祖父のことは祖父からお聞きしたとありますが、それ以外のことは一体どこでどうして知ったのですか?
具体的に金山衆の一部の姓や勝頼死後の金のことなど。
ご尊父にお聞きされたとか、具体的に教えて下さいますか。
それとも実際に現地に出向き(身内が過去に居た場所でしょうから行き易いでしょう)、地元民からの情報とか。
「知ってても余所者には教えない」とありました。
当然、私などが出向いても何ら得るものは皆無に等しいでしょうが、貴方なら元住民の身内。
旧知の知り合いとして耳にする事もお有りなのかと思いました。
確かに地元民じゃなければ知らないような内容もありますね。
ここまでの情報源を是非、教えて下さい。お願いします。
知られてマズイことは結構です、知るに至った経緯などを後学のためにお願いします。

485 :
海賊キッドの財宝は24時間テレビなどで有名だが、あれすでに西表島の月が浜の左端の砂岩で発見されている

486 :
>>485
まじっすかぁ。。島入りすっかと思ってたのにぃ。
どんな状況だったんすかね?

487 :
米軍ヘリで来て、宝の調査に来たと言ったので炭鉱の事かと聞いたところ、海賊の宝だと言い、見守っていたら本当に砂岩の頂上から掘りだされ宝石や金銀とともに鉄砲サーベルが出てきたそうです。

488 :
>>485
まけいぬ・ふーてんさん
はじめまして、確かあそこは、二つ島(岩?)が有ると思いましたが、どちらの島(岩?)から発見されたのでしょうか?

489 :
>>483
983さん
> あれ?日向さん、どこに書き込みました?レス番を教えて下さい。
確か会議でも発言しましたが、皆さんスルーされていました。
書き込みは、後で見直してみます。

> 皆さん方のように山中深く入れませんから、道沿いに流してみようかと。
沢登り経験者の983さんなら、道沿いとは、登山道や管理用の道ですよね(笑)。
冗談はさておき、藤尾山は道を失うとちょっと危険な薫りがしますが、竜喰谷はまあ何とかなりそうなところです(経験値がある程度有れば)。
せっかくですので、竜喰谷を散策されてはいかがでしょうか。
それといままで竜喰谷の源流部と思っていた場所は、支流の源流部でした、すぐ先が尾根で、勘違いしていました(恥)。
普通の靴で登って、登りで約1.5時間でした(登山靴でも変わらないと思いますが、登山靴の時はルートを外れての歩行時間が長く、実際の所要時間が不明でした)。
私は、埋蔵金を出したくて、ガツガツしていますが、さりとて埋蔵金が全てではありません、山も楽しんでいます。
日程が合えば、お昼だけでも現地でご一緒するのも良いかも知れませんね。

490 :
>>483
983さん
> あれ?日向さん、どこに書き込みました?レス番を教えて下さい。
>>440に書きました。(秀金とは話の筋は違います)
>私がそのあたりで聞き込んだところ、複数の方から、(話の筋は違いますが)過去に出ていると云った事を聞きました。
聞き込みに関しましては、皆さんの関心が低く、また個人情報の問題にも気づきましたので・・・。
秀金のお話ですが、大木と洞穴がセットになった場所を、十か所も見つける事は、到底できないかと思います。なぜならば、天然の洞穴は、簡単に見つけられる物ではありません(歩いた経験上からも)し、大木の根本となると、かなりの難しさかと。
ただそれだけで、全てを否定する気はありません、その話の中の事実の部分を推定していく方向が有ります。そう云った話に、尾ひれはつきものですから。
そう云った話は、「全てが事実」なんて事はまずあり得ません、「全てが創作」かも知れません、どこまでが事実か?はたまた全てが創作か?そのあたりを推し量っていくのが醍醐味ではないでしょうか。
・・・983さんは、そのあたりを、よく理解されていらっしゃると思うのですが。

491 :
やっぱ、ある程度の物資を持って一週間程度は継続捜索しないと駄目だなこりゃ。
水とか必要最低限な燃料食料とか、キャンプに詳しい人に相談して装備を決めたほうがいいよ。
レトルトやフリーズドライ系の携帯用食料もあるだろうし。

492 :
埋蔵金>>490
ええと、訂正します。
×→> 聞き込みに関しましては、皆さんの関心が低く、また個人情報の問題にも気づきましたので・・・。
○→私が聞き込んだ事に関しましては、皆さんの関心が低く、また個人情報の問題にも気づきましたので・・・。
×→> ・・・983さんは、そのあたりを、よく理解されていらっしゃると思うのですが。
○→・・・983さんは、そのあたりを、よく理解されていらっしゃると思うのです。
机の上で考えたり、現地の舗装された道路を走行する事も勿論大切な事ですが、各登山道や管理用道路を歩いてみたり、山中でいろいろ考える事も、必要と思うのですが。

493 :
考える程に、人の欲深さに気付かされます。
齢重ねて尚、盛んなところがね。
石拾いや金拾いに夢中な気もわかります。
山師気質かな

494 :
高橋さんの話が本当かどうかも実際怪しい。

495 :
全ての名無しの愉しみさんへ
ええと、鈍いもので、どなたがどなたかよく分かりません。
「名無しの愉しみ」と云う名前にこだわりがお有りでしたら、本家〜・元祖〜・〜一号・〜二号・帰ってきた〜等、名乗って頂ければ、対応しやすいと思います。

以前にも書きましたが、畠山先生の本は、埋蔵金と云うものを世間に知らしめた功績は有れど、その後なかなか発見できないのも、先生にも原因が有ると思っています。
ただし、本を読みこめば、その原因を充分推定できる部分もあります、・・・今となっては理解不能の、はちゃめちゃな部分も有りますが(笑)。
先生は、聞いたり調べた事をそのまま書いたとしても、結果として、司馬遼太郎の歴史小説と同じになってしまいがちです。
以下>>480より→そう云った話は、「全てが事実」なんて事はまずあり得ません、「全てが創作」かも知れません、どこまでが事実か?はたまた全てが創作か?そのあたりを推し量っていくのが醍醐味ではないでしょうか。

496 :
司馬遼太郎の歴史小説を読んで、全て実際に有った事と、勘違いしている方もたくさんいます。
以下Wikiより→歴史小説(れきししょうせつ)は、主として歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリー、又はその時代を設定して、その中での空想上の物語が書かれたものが展開される小説
手引書や技術書でも、つきつめていくと、あやしい事がままあります。
ましてや、実録・ノンフィクションとは、書いてないように思える本の内容は鵜呑みには出来ません。
実録・ノンフィクションと書いて有っても鵜呑みにはしませんが(笑)。
先生の本を読みこめば、先生の人柄は、信頼するに値するように感じられます。
事実だけを、書いたのでは、つまらなくなるので、小説風に書いて有るとも明記されています。
小説風に書くには、脚色は不可欠です。
先生は、埋宝が全く無い(信ぴょう性が低い)と判断されたなら、その場所については、一切書かないでしょう。
そこから先、その場所から、いかにして掘り出すか、本当のストーリーはどうだったか?・埋宝は元々無かった?・誰かが持ち去った?等の事実をつかむ、と云った事は、私の領分(責任)である事と認識しています。
本当に分かっていらっしゃれば、とっくに自分で掘り出していますって(笑)。
ガツガツしながらも(笑)、今は下見を充分に楽しんでいます。

497 :
大常木谷が補欠と書いたのは、足を濡らさず行けると云った基準でやっているからです。
単純に真冬に足を濡らさなければ取りに行きにくい場所には、隠したくはない(取りに行きたくはない)と云った発想からです。
(回りこんだり、石を飛んだりすれば、ぬらさずに行ける事くらいは、承知です)
雨で、増水でもすれば、渡るのも危険でしょうし。
しかし、大常木谷の可能性を全て否定するものではありません。
黒川金山は、意外と植生が若いですよ(すべての部分を見たわけではありませんが)。
埋宝を出せる可能性が低いのなら、行っても無駄。と云った考えも有るでしょうが、歩いてみて、初めて分かる事もあるのではないでしょうか?
勿論、資料やインターネット検索等も、とても重要です、やみくもに探しても見つかる可能性なんてほとんどありませんから。
そのあたりは、ウズウズされている165さんの発表を期待しています。
まあ、そんなにすぐには見つかりっこありませんし、勿論探索となると、私は以前書いた通り、私は毎回どなたかとご一緒するのが基本です。
皆さん、修二郎の埋蔵金は、研究と足(聞き込み・実地調査・探索)の両輪でないと、出せないように思えませんか。

498 :
高橋さんのお話は何月の頃の話だったのですか?
まぁ、ザクット100年ぐらい前の話で地形も変わってるだろうしなぁ。
実際捜索するならまとまって連続してやらないとな、一ヶ月間とかだったら結果出るかもね。

499 :
>>490 日向 徹さん
仕事が忙しく返事が遅れました。すみません。
440を見ました、確かに…日向さんの行動力には脱帽致しました。
本当に奥深く探索(現地も文献等も)されてるのですね。
そこで再度、お伺いさせて下さい。
1,日向さんが聞いた村の古老とは誰なのでしょうか?
特定の固有名詞はお書きにならないで結構ですが、集落名くらいはお願いします。
2,秀金の話は具体的には「どの辺(集落)」の話なんでしょうか?
先日も書きましたが、日向さんたちと違って現地入りしてない自分には、
初歩的な疑問や質問が後から浮かんでます。
「歩いて得た情報」でしょうから公開するのも如何かと思いますが、
素人の自分にご教示をお願い致します。


500 :
>>499
983さん
> 1,日向さんが聞いた村の古老とは誰なのでしょうか?
> 特定の固有名詞はお書きにならないで結構ですが、集落名くらいはお願いします。
> 2,秀金の話は具体的には「どの辺(集落)」の話なんでしょうか?
>>440で『その件につきましては、今後私の方からは、情報はこれ以上一切出さない事をここにお約束します(どのような場であれ、全ての方に)。』と書いてしまっています。その後何の返事も頂いていませんが、プライバシーの問題等も考えますと、お返事できません。
しかし、「秀金」の事を書かれた方の内容を、引用・検証する形でお返事します(ある程度期待に沿ったお返事が可能だと思います)。
必ずお返事します、読み返す時間が有る時まで、お待ち願いますか(忘れていそうでしたら催促ください)。
※便宜上「秀金」と云った表現を使いましたが、私が聞き込んだ話の中にはそのような呼び名は、出てきませんでした。

501 :
とりあえず現地調査の報告です。

>>444
>その場所は、井戸のように周りを石積みしてあるのですが、井戸にしては大きすぎました。
>牛王院平のように縦穴の坑道跡かも知れませんが、それ以外の構造物かも知れません。
山中で聞き込んだところ、炭焼き設備の遺構でした(恥)。
あんな山奥で焼いていたかと思うと、山の荒廃具合も実感できました。
黒川金山あたりは、今も頻繁に探索に来られていらっしゃる方がいます。
まだ直接お会いした事はありませんが、かなり通っていらっしゃられるようです。
私の話も、その方に伝わっているかも知れませんね。
○黒川金山のトレジャーハンターさんへ、私は白いタオル地のバンダナのような物を頭に巻いて、グレーと青系の色のザックを背負っています。もしどこかでお会いしましたら宜しくお願いします。
車中泊の防寒対策すすみました。
敷き毛布×2(ウールの上に化繊、両方縦に二つ折りで、実質4枚)&掛け毛布×2
特に寒くはありませんでした。
今回は前日泊のみで入浴後に夜出発しましたし、食料も買っていきましたので、通常の生活費よりも余分にかかったのは、携帯用非常食(カロリーメイト・チョコレート・スポーツドリンク等)とガソリン代のみでした。
今回も藤尾山に行き損ねました・・・ホントは藤尾山に埋宝が有って、何かの呪いで拒否されているのでしょうか(笑)。

502 :
983さん
ここで、秀金についての現地調査を踏まえた検証結果をお伝えしたいと思います。
>>416
>祖父の住んでいた場所は「丹波山村方面」としか申し上げられません・・。
この部分の信ぴょう性は、非常に高いと推測しました。

503 :
>>日向 徹さん
ありがとうございました。
私としては「430の名無し」さんからの回答も重要なんですよね。
「秀金の話」から始まった一連に、質問あればどうぞとありましたが。。。
結局、二度に渡る質問に答えを頂けないまま、現在は梨の礫。
内容的には斬新なだけに残念でした。
「秀金」に関して、どの辺りの話か?だけでも聞きたかっただけに残念です。

504 :
ここを見るのが楽しみだったんですが最近つまらなくなりましたね。
日向徹さんここはあんたのブログじゃないんですよ。あなたの話は支離滅裂で何の参考にもならないよ。
前はここを見て本を読みなおすことが多かったけど今はないね。
車中泊の話とか自分でブログでもつくってやったら?

505 :
>>504
> ここを見るのが楽しみだったんですが最近つまらなくなりましたね。
見るも、見ないも個人の自由です。つまらなく感じるのでしたら、名無しの愉しみさんの方で、楽しくなるような投稿をされてはいかがですか?
> 日向徹さんここはあんたのブログじゃないんですよ。あなたの話は支離滅裂で何の参考にもならないよ。
では、名無しの愉しみさんに、参考になる書き込みをお願いします。
> 前はここを見て本を読みなおすことが多かったけど今はないね。
もう本が全てで、やっているわけでは、ありません。
日本の埋蔵金(上)は、昭和48年2月(1973年)に発行されています。
来年で、発行後40年を迎えるわけです、しかも今現在も、鶏冠山周辺で探し続けていらっしゃる方もいます。
この状態を考えれば、日本の埋蔵金(上)に頼り切っていても、出せないと判断するのが妥当ではありませんか?
> 車中泊の話とか自分でブログでもつくってやったら?
そうですね、どうにか現地の山中を、みなさんに見ていただきたくて、お金を掛けずに行ける事を、理解していただこうと、また埋蔵金が出なくても、楽しめる事を伝えようと思い書きましたが、ここでは本来の内容ではありませんでした。
今後そのような内容の書き込みは、控えます。
・・・どうせ匿名ですから、不快ならばすぐに言えば良かったのに(笑)。
※今後は、埋蔵金探索に焦点を絞った書き込みにします。
※次の書き込みから、支離滅裂とお思いになられましたら、その時点で、具体的にどの部分がそうなのか、引用しながら、遠慮なく書き込んでください。
 そうして、その議論の中から、正解を見つけて埋宝に迫れれば、それで良いと考えています。

506 :
165さんや、ホッシーさんらは、良く研究されていると思いますので、新たに現在つかめている情報が有れば発表を期待しています。
>>1
これからも、165さんがおっしゃってたような、『自由闊達で、活発そして想像力豊かな書き込み』の精神は、失うつもりはありません。
名無しの愉しみさんも、きっとご自分の考えなり意見がお有りだと思います。どんどん発表されれば、いかがでしょうか?
勿論名無しの愉しみさんの、『自由闊達で、活発そして想像力豊か』な書き込みも期待しています。
そして、良い意味で、議論し、埋宝の真の姿を追求しようではありませんか?

507 :
埋蔵金て普通自分の家の下に埋めると思うだけど・・・
なんでわざわざ山やヘンな何もないところに埋める必要があるのか

508 :
>>507
現代の日本のように、侵略される不安が少なければ、自分の家の下で問題ありませんが、戦国時代で有れば、いつ侵略されてもおかしくありません、またそう云った時の為に埋蔵しているとも言えます。
敵の領地になってしまっては、街中では掘り出しに行く事は、ほぼ無理でしょう。
「山やヘンな何もないところ」でしたら、侵略されてしまった領地でも誰にも見つからずに、こっそりと掘り出してくる事が出来るからです。
また、戦略的に考えて、進軍する途中に隠した物も有ったようです(棒道の埋蔵金)。

509 :
>>504
貴方の言い分は一理あり
その証拠に「他のコテハン」の書き込みがなくなった
どうしてかは何とも言えないが、何となくわかるでしょ?

510 :
>>503
983さん
> 結局、二度に渡る質問に答えを頂けないまま、現在は梨の礫。
その方は、現在藪の中かも?
実は、大木が有ると書き込んだ、次の週末に行ってみたところ、明らかに入り込んだ形跡がありました。
(藪こぎしないと行けないので、ハッキリとした形跡でした)
別の岩の下を掘った形跡も・・・。
書き込まれた方か、全くの別人かは、分かりませんが、誰かが秀金を探索に来ている事は確かです。
荒らされているのを発見してからは、山へ行く事に関しての具体的な情報の書き込みを控えるようになりました。
↓書かずにおこうと思っていましたが、この事が書きたくて書いてしまいました↓
※岩の下を掘った人へ→→→掘りっぱなしはいけません(怒)。

> 「秀金」に関して、どの辺りの話か?だけでも聞きたかっただけに残念です。
それ以上書くと、かなりピンポイントに近く迫れそうだもの・・・その方もそう思って、その回答だったと思います。
十か所もの大木と洞穴のセットで、大木に印付き???
あの範囲で、一か所でも坑道や鍾R洞以外の洞穴を見つけるのがどれだけ困難な事か。
人口物や鍾R洞以外の洞穴って、生まれてから今まで、山で現物をいくつ見た事がありますか?
海なら波の浸食とか、火山なら風穴とかありますけど、あのあたりの山では・・・。
ただし秀金の話の全てを否定しているわけではありません。
総合的に判断して、あの地域は、とても妖しいのです・・・ですから通っています。

511 :
>>509
> >>504
> 貴方の言い分は一理あり
その通りですね、すでに書きましたが・・・。
>>505
> ※今後は、埋蔵金探索に焦点を絞った書き込みにします。
> ※次の書き込みから、支離滅裂とお思いになられましたら、その時点で、具体的にどの部分がそうなのか、引用しながら、遠慮なく書き込んでください。
それと>>1の『埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に』を、危うく忘れそうになりました、以後気をつけます。
その件につきましては、以上とさせてください。
ただ、ここのところ、修二郎の埋蔵金の話で盛り上がっていましたが、私の知る範囲では資料は、以下の物しかありません。
日本の埋蔵金(上)204〜207ページ、平八郎の伝説の部分を入れても204〜209ページ。
わずか、4〜6ページ分だけです、それ以外の本は、日本の埋蔵金(上)からの引用に過ぎません。
ネタは、(机の上だけでは)限られているのではないでしょうか。
修二郎の埋蔵金の現地調査の為の会議の一回目の頃は、まだ書き込んでもおらず、二回目の会議の少し前より(会議も)参加させてもらっています。
おそらく皆さんで現地調査をしようと盛り上がっている中に、最後に入ったのは私ではないでしょうか。
ホッシーさんや983さん・109さんは、メールアドレスすら知りませんし、165さんは、会議に出席する為にメールのやり取りをした事はありますが、それ以降一切メールはしていませんし、来てもいません。
ここに書いてある事が全てで、裏で何かあったわけではありません。

512 :
高橋修二郎が実在だったか調べたほうがはやいと思うよ、ビールの暗号ってのがあるじゃん。

513 :
自分で調べたほうがはやいと思うよ。

514 :
高橋修二郎さんが発見した埋蔵金の映像・資料をまとめてみました。
新知識階級クマグス 武田信玄50億の財宝大発掘プロジェクトSP
http://v.youku.com/v_show/id_XMzc0ODI3ODg4.html
>>277(165さんの解説)
八重野充弘説(番組より)
※改行は、日本の埋蔵金(上)に会わせました。
高橋川の出会から上がった処に
椀の形をした大木が○本ある
大本のうち右三本○○○○○○○○
山石が○○○あり穴は大きな岩の
左からみて正面に三つある
木で○○のべ棒○本
棒は大小○本のべ板十枚
のべ板はあとの二つの穴
にもまだたくさんある
右の穴の入口は川につ
いて下って三つ目の○
のほらあなから入る
165さんが書かれた資料
>>314 >>315 >>316 >>317
@日本の埋蔵金(上)畠山清行著 番町書房
(絶版、ヤフオク・アマゾン等で入手可能です)
A日本の埋蔵金2 『武田の宝』上 畠山清行著
定価840円(本体800円+税5%)ISBN 978-4-903288-03-1
http://www.sauchi.jp/kikan.htm
(日本の埋蔵金(上)と書いてある内容は同じとのことでした)

515 :
>>509
名無しの愉しみさんたちからの質問等の対応に関しましては、すぐに回答するような事は控え、皆さんの書き込みをお邪魔しないようにしたい思います。
ただ、山中や聞き取り調査に関する事は、差し支えがなさそうな範囲で、お答えしたいと思います。
>>1
>514 高橋修二郎さんが発見した埋蔵金の映像・資料等も参考にしていただき、是非皆さんが「自由闊達で、活発そして想像力豊かな書き込み」をされる事を希望します。

516 :
なんで武田に集中したのかな?修二郎のメモがあるのですぐ出ると
考えたのかな?
確かに皆さんの知恵を集中させれば出るかもね。

517 :
なんでって奥多摩だから単純に東京から近いからでしょ。言わせんなw

518 :
徳川とくらべりゃ楽で楽しいとおもたからでしょ。

519 :
「竜喰谷と大常木谷」の解説をしたくてウズウズしている人が書き込んであげれば。

520 :
徳川よりLv低いとおもたからに一票。

521 :
>>420
これを活気の元にできるでしょ。

522 :
>>512
その件につきましては、165さんやホッシーさんが、明治時代の商工会の資料まで揃えられたりして、あの手・この手で調査されている模様です。進展があれば、発表されると思います。
私は、付近の老舗個人営業店の聞き取りと、単純に明治時代の写真家と云う事で、『明治時代の写真家』をキーワードに検索をかけ、いろいろ調べてみましたが、何も得る物はありませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%B9%95%E6%9C%AB%E3%83%BB%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%AE%B6
インターネットを利用しての探索や暗号は、私の不得意な分野でして、私の調査では、ここまで、でした。
この件は、どなたか、こう云った事に、長けていらっしゃる方の書き込みをお待ちしています。

523 :
>>514
> 高橋修二郎さんが発見した埋蔵金の映像・資料をまとめてみました。
動画を、一つ忘れていました(恥)。
武田の埋蔵金
http://www.youtube.com/watch?v=tzK-XpefTDw

524 :
おひさしぶりです。
書かなくなった理由は置いておいて
まずどれだけ同じ土俵に立てるかですね。
私やホッシーさんが、資料などを調べるのにどれだけ時間を費やしているか
過去、当たり障りない範囲でココに書いたりしていましたが、
抜け駆けが出るようなら情報を遮断するしかないですね。
私が調べられる範囲なら、誰でもやろうとすれば調べられる範囲です。
昔、この掲示板を維持していた時に
ここでの発表が他人のヒントなってしまい、それで出し抜かれるといったことにもなるので、
誰も書き込まないことがよくわかると書いたことがありました。
まさに現状はそんな状況です。
なので、修二郎については、これ以上書きません。
ご自身で掘るつもりなら、ご自身でお調べになられたらいい。 それだけです。

525 :
「黄金の国々―甲斐の金山と越後・佐渡の金銀山―」展示図録 A4版、239頁、平成24年10月、1500円
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_shisetsu_09museshop_books/5th_sisetsu_09museshop_book056.html
めっちゃおすすめです。山梨の埋蔵金を追うなら書棚にこれは必須です。Amazonでは買えませんwwww
別に宣伝では無くて、これを読んで前提知識の共有でハードルが下がることを望んでの紹介っす。

526 :
>>524
お前性格悪いね、友達とかいないだろ。

527 :
正直に書く人の根は曲がってないと思う。
性格悪い人はフェイクを混ぜるか不要と確認した情報だけを流すでしょ。
他人が努力した成果を口をあけて待ってピーチクパーチク言うのは雛鳥のやる事。

528 :
最初からだったらね、キレただけだろ。

529 :
みなさん知ってました???
なんと、徳川埋蔵金発掘が特許申請って…
探す人いそげー
狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法
ttp://www.ekouhou.net/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E5%9F%8B%E8%94%B5%E9%87%91%E3%81%AE%E5%9F%8B%E8%94%B5%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%82%92%E8%A7%A3%E8%AA%AD%E3%81%97%E7%99%BA%E6%8E%98%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95/disp-A,2001-42765.html

530 :
>>432
> ちょっと「竜喰谷と大常木谷」の解説をしたくてウズウズしているのですが、やめておきます。
>>524 やめておく理由がコレなら、思わせぶりな事は書いちゃだめだよ。

531 :
すまんっ!
久々に書いたらあげちまったorz

532 :
>>529
どこ掘ったらいいのwwww

533 :
>>529
えー特許?
そんなのがあるとは知らなかった。まあ、申請はできるけど、許可に
なるかは、わからないのでは?
でも、いそいだほうがいいか。私は、今、寒いので春から行動の予定
でしたが、、、

534 :
>>524
> 過去、当たり障りない範囲でココに書いたりしていましたが、
>>527
> 性格悪い人はフェイクを混ぜるか不要と確認した情報だけを流すでしょ。
当たり障りない範囲≒不要と確認した情報

535 :
んじゃ 当たり障りある話を書こうか?

536 :
狩野埋蔵金か、いつの話をしているんだ?
もう特許庁のホームページで見れなくなっていたと思うが。

537 :
まぁ書くか書かないかは、ここは2ちゃんねるですから、まったくどーでもいい話ですね。
お金をもらっているわけではありませんから、答える義務すら発生しません。
「竜喰谷と大常木谷」の解説にこだわっている方がいらっしゃるみたいですが、残念!書く必要は100%ないですね^^
修二郎を終了して、また赤城の話でもポッツリポッツリ書きますよ。

538 :
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ

539 :
赤城の話!ピーチクパーチクwwww

540 :
本物の165さんか判らんが少し落ち着こうよ

541 :
>>536
当たり障りない情報だろ。

542 :
>>516
私が参加する前から修二郎に集中していました。
もしかしたら、複数のさまざまな考えの中から、正解が出るかと思い参加しました。
残念ながら?皆さんまともで、異端な考えの方は、いらっしゃいませんでした。
>>517
正解だと思います、沖縄や北海道では、こうは盛り上がらなかったでしょう。
>>518
私は、元々武田でした。
>>519
私の場合、ウズウズとは、書きたくなるより、見たくなる事です(笑)。
>>520
では、東京から近かったからに一票。
>>521
>調査をするなら、年内は@1回程度でしょうか。
私の場合、この事しかありません(笑)。
165さん
お久しぶりです、お元気でしたか?>>540??よく分かりませんので、とりあえずご挨拶だけにしておきます。

543 :
>>525
>これを読んで前提知識の共有でハードルが下がることを望んでの紹介っす。
有用な情報と心遣い、ありがとうございます。
今後も、このような発展的な投稿を、個人的にお待ちしています。
ここのところ、いろいろと忙しくも有り、当面静かにしていようかと思っています。
ただ、このような意義が有る投稿には、対応したいと思いますが。

544 :
>>537
165さんここはあんたのママゴトの場所じゃないんですよ。あなたの話はわがまますぎますね。
赤城の話とか自分でブログでもつくってやったら?

545 :
有用な情報が、大きければ大きいほど、2chに書くのはやめたほうがいいと
思う。2chの読者はいろいろな方がおられる。ここに書かない=165さんに
に教えないではないと思う。offとかでは教えられることもある。まあ、他の
人が匿名さんだとそこでも言えないかもしれないけど。
先日も行ったら1wほど前に掘ったとみられる穴を見つけた。どこかで
情報がザザモレしてるのは確か。
みなさんが武田に集まった理由が色々かいてありますが、大きな理由は
まだ書かれてない。最大に理由は、どこでも探せるし、許可とればほれる。
私も社会的立場があるので違法行為はすすめられない。
徳川など、ここにあるとわかったとしても、タダ、ここだというだけで
終わってしまう。証拠いくらあげて説明しても証明はできない。
このくやしさは、武田ではない。修二郎のメモがただしいなら穴の
中にむきだしであると、掘らなくてもいいのかも。だとしたらみつければ
自分のものになるということ。
h19年かな、法律改正になり、拾得物は3か月後に自分のものに
なる。ただ、埋まっていると6か月後ですが。期間なら我慢できるが、
うまってると、土地所有者と半分づつ。
まあ、落ち着いて考えることです。
時間かけたものをとられたとかのご立腹はわかるけど、情報はみな
同じようなものですよ。武田でも、私は10年以上かけてる。
使ったお金もかなりになる。
私は霞食べていきてるのではない。会社の商品配るわけにはいかないし。
会場で売ればしらけるだろうし。むずかしいとこ。

546 :
だったらなおさら思わせぶりな事は書いちゃだめだよ>>432。結局キレるんだし>>537

547 :
>>420
> ある理由で「竜喰谷と大常木谷」ではなくなりました。
今言ってんのはこの事??そんなに重要なんだ?そんな事だけで見つかるとでも。
修二郎もなめられたもんだな。

548 :
徳川で言うだけ番長やってれば、165さん。

549 :
なにをもめてるのかと読みなおせば165が抜け駆けしたと言っているのは日向のことじゃないか読み直せばすぐわかるだろ(笑)
会議のあとに単独で行っているのは日向しかいないしコテハンたちもそのあとから書き込まなくなってる
笑ったのが竜喰谷と大常木谷の話を何度も繰り返しあおるやつがいる(笑)165が書き込まなくなって困るのは日向だけだろアホス
日向は名無しをいいことに165を悪者にしたらだめだよ。そんなんだからみんな書かなくなったんだろ165を擁護するわけじゃないけど昔とかわってしまったね

550 :
抜け駆けしてたのか・・・。

551 :
test

552 :
>>545さん
2ちゃんの書き込みが危険なのは当たり前ですね。
私もホームページである程度、公開してますが、あくまでも部分公開です。
ただ、虚偽の内容だけは書かないようにしています。
皆さんも感情的にならずに、じっくりやればいいんじゃないですか。

553 :
>>552
赤城本命さん
はじめまして。
私は、小中学校ほとんど行ってない。卒業書証はあるけど。
文書がですます体とかまぜたり、主語抜いたりでよく誤解されます。
本意がつたわないこともしばしば。
得にこういう文書だけの世界では炎上しがち。
この世界の人は一攫千金と思って1回で見つけようとするのでしょうね。
まあ、それがいいのはいいのですが、実際は????

554 :
現地で水って手に入るの?天然水とか。

555 :
川に水はありますが、天然水っていうほどでもないですね。
三ノ瀬からの登山道脇に水場あります。湧き水だと思う。
ここらへんは、多摩川の水源地。ある意味持ち帰りにいいかも。
先日、『埋蔵金物語』秋鹿英、『日本の埋蔵金』上下 番町書房の
電子書籍化しました。便利です。みなさんもどうぞしましょう。
自炊は始めてでしたが、うまくいきました。

556 :
水源地でなく、多摩川の源流。

557 :
>>554
> 現地で水って手に入るの?天然水とか。
希望と若干違うかも知れませんが、小菅の湯の物産館で購入できます(通販も可能です)。
げんりゅう水
http://genryu.kosugenoyu.jp/public/about
ふるさと市場こすげ
http://ichiba.kosugenoyu.jp/products/list.php?category_id=13
ご自分で汲みに行かれるのでしたら、以下のサイトを参考にされると良いと思います。
http://ginzastc.aikotoba.jp/page029.html

558 :
557の続きです。
お車で汲みに行かれるのでしたら・・・。
青梅街道(411号)に車を置く時は、カーブの中やカーブのすぐ先は避けて、直線部分や路肩が広くなっている安全そうな場所に置きましょう。
相当飛ばしてくるオートバイがいます。相手が悪いとかは関係なく、せっかくの休日を事故でつぶしてしまっては台無しです。
また相当飛ばしてくるオートバイに後ろに付かれた時は、すぐに道を譲るようにしています。その方がお互いに気持ち良く走れると思いますので。

559 :
>558日向さん 
549に書かれてる「抜け駆け=単独現地行き」って、ホントにしたの?
だとしたらマズイよな。コテハン連中はもう、あんたを信用してないってこった。
話の焦点を逸らしてないで、答えりゃいいじゃん。
前のアンタなら即答してただろ。図星で書けないかw

560 :
このスレは水採取が趣味の人に変わりました。

561 :
今回は、ある意味気を使って、あえて書きませんでしたが、そのように書かれると書かざるを得ません。
ただ以下の二点は、ご了承ください。
@この件について、好んで書いているわけではありません。
Aここのところ、忙しいもので、反論は分割して書きます、また、すでにこの掲示板に頼らずに探索していた事の証明は、差し支えが有りすぐに出来ません
。時間を頂いて全て説明します。
抜け駆け=単独現地行きではありません。
※行くと明言して行ったのは抜け駆けではないでしょう。
以下のような経緯で行きました。
>>381
> ただのハイキングで終わるのも。。。時間もないが悩んでます。
> 十分な資料もみなさんにお渡ししていますので、みなさんで行かれて165不参加も視野に入れています。
>>385
> 今回は行きたい人は独自で行っていただくほうがいいかもしれません。
>>386
> 私が元々狙っているポイントも違いましたが、団体行動と思い納得していました、また私は土曜は出勤でなので、夜出て日の出の合流とかなり無理が有るスケジュールでしたので、独自で行く事に抵抗はありません。
>>390
> また、宿泊先も確保できないでいました。
>>392(>>326)

562 :
行くと言明して行っています。
>>396
> 日向さんは6日〜7日に、現地に行かれるのですか?
>>398
> 7日は、天気と相談しながら日帰りで決行予定です。
>>400
> 何れにしても単独行ですから、充分お気をつけ下さい。

563 :
残りの皆さんを、明確に誘わなかった理由は、以下の通りです。
>>390 (>>326)
> また、宿泊先も確保できないでいました。
↑上記の内容に、配慮して・・・
>>392
> >>391
> その通りですね。
> 以下、今週末に行かれる方の為の情報です。
> 私は、土曜の夜出発の予定でしたので、日曜日は無理して帰ると居眠り運転になりかねないので、民宿しゃくなげさんに予約を入れようと電話した時は、まだ土日とも充分空きが有るとの事でした。
> 本日再確認しましたところ、まだ大丈夫との事でした。
・・・とぼやかした表現としました。

564 :
165さんやホッシーさんに、質問を振った件について。
>>441
>>506
>>522
・・・まだあるかも知れません。
その点につきましては、会議の序盤に、リーダーさんが、以下のような内容でお話しされました。
「徳川と違って、修二郎の埋蔵金は何でもオープンに出来るよね。」
※言葉は正確ではありませんが、意味は合っていると思います。
そしてホッシーさんが、同意されていらっしゃいました。そして会議は、進行しました。
私は、それを真に受けてしまったのです(恥)。
>>371(多少は会議の雰囲気が分かると思います)
> 内容としては、まず探索ポイントの絞り込みです。
> ・165とホッシーさんが調査した資料に基づき、高橋修二郎の歩いた道の限定。
> ・その歩いた道より導き出した滑落ポイントおよび埋蔵ポイントの推測。
その点につきましては、私が、その言葉を、真に受けてしまった結果、不快な思いをさせてしまいました事実を認めます。
しかし、この会議のリーダーの方は、
「そこを調査しても見つかるとは思えない。」
「十分な資料もみなさんにお渡ししていますので、みなさんで行かれてリーダー不参加も視野に入れています。」
「今回は行きたい人は独自で行っていただくほうがいいかもしれません。」
のような書き込みをされていますので、そこではない事のある一定の説明責任が有るように感じられます。
※そこに有ると云ったような事の説明責任は一切ありません。

565 :
あまり埋蔵金と違う話ばかりでもしようがないので・・・。
私が言っているのは>>451ですよ。
秀金の話をした人を案内していくんですよね?出たら折半って1/2ですよね? 会議参加者はどうしますか?
「情報源の方と行き、折半するのが筋かと思ったりもしています。」   ???
ほかのコテハンの方々はこんなこと書いていませんよ? これでは乗り換えるということですよね?
それでしたら、秀金の話をした人と二人でお探しになればいいと思ったまでです。
「単独」と「出し抜く」を混同なさっていらっしゃる。
単独で行かれて現地の情報を得て、会議参加者と情報を共有して次につなげようとするのと、
有力な情報を持っていると思われる人と二人で折半しとうとするのは違います。
しゃくなげのおばちゃんなんて言っていました?「このあたりじゃ埋蔵金の話は聞いたことない。黒川金山になら金がある」って言っていませんでしたか?
「埋蔵金探索者の話は聞いたことがない。黒川金山の学術調査の先生なら来たことある」って聞きませんでしたか?
どっかに書いてありますか?
どうも話が一方通行になってしまっているんです。
有力な情報を持っている方と折半するつもりであるならば、私は会議に参加された方と探します。
お二人のヒントになり、もし、発見された時は、会議参加者にも申し訳ないのでもう書かないということなのです。
ご理解していただけたでしょうか?
以上で、出し抜く 出し抜かないの話はやめましょう。

566 :
私も赤城本命さんと同じで、虚偽の内容だけは書かないようにしています。
また、できる限りの話を書いています。
なぜ、このようにしているかといえば、この前のスレが1000に達するまで5年かかっています。 5年www ねー赤城本命さんww
私が「埋蔵金発掘が趣味の人」に登場したのが、2006年11月7日で昨日で丸6年ですw はやいねーw
TVでやった徳川埋蔵金以来、埋蔵金に興味がない人が増えてスレが進みませんでした。
誰もが簡単に見れる2ちゃんねるの特性を生かして、埋蔵金に興味を持っていただけたらと思い書いています。
また、念願であった会議も6年目で開催することができ、同じ志の方々とも巡り合えましたことに感謝します。
これからもこのスレが長く続くよう尽力いたします。
みなさん お騒がせして申し訳ございませんでした。

567 :
>558日向さん
単独だろうがなんだろうが、行ったのは事実なんだし。
言い訳がましいことは書かない方がいいんじゃね。
って言っても、165も書いてるとおり誰も同調はしてないよな。
「不快な思いをさせてしまいました事実を認めます。」って、書かれてから釈明すんな。

568 :
まあ日向の文章は小学生の遠足の感想文みたいなものばっかだからな。
基本誰かの発表待ちをあてにして、いいとこあれば乗り換える。
大人になって出直してきな。

569 :
165さんうまく戻ってきたね。

570 :
165さんが長年やってきたところだし、別にお騒がせしてるとは思わないけどね
ただ、自分の掲示板があるのに2人ほど来てから空気がおかしくなったのは事実
>>221以前の書き込みの流れ(特に赤城の須田某)に戻ってほしいけどね

571 :
165さん
ただいま、アク禁中ですので、ネカフェで書いてます。
このスレ、もともとは私が立てた埋蔵金大研究?とかなんとかのスレだったんです。
ところが大荒れに荒れて、見かねた人が考古から趣味に行けと、スレ立てて
くれたんです。それを165さんがずっと世話してくれたんですよね。
私は非常に感謝してます。
つい最近までこのスレは「誰もいない」という165さんの独り言に埋め尽くされて
いました。やっと最近、驚くほど書き込みが増え、私も喜んでいました。
ですから、今回の騒動は残念です。
165さんへ
メール送りましたが、見ていただけましたか?新しいアドレスです。
165さんへもう一言
知ってること全部バラシたらいいじゃん。ケチwwwwwww

572 :
570さん
私のホームページです。
http://tomari-hirosi.com/
よかったら、見てください。

573 :
あれ? 赤城本命さん 先日返信していますよ?
迷惑メールに入っているのかな?確認してみてください。

574 :
赤城に集中しましょ

575 :
んじゃ赤城の話を
修二郎と違い、赤城の難しいところは資料の大半が故水野氏からという点です。
大老井伊直弼や小栗上野介忠順、林梁など有名どころが画策したといわれますが実際はわかりません。
ですが、小栗上野介忠順、林梁は慶応4年に群馬県内にいた記録はあります。
幕末の幕府には金がなかったというのは、すでに古い説で今では400万両とは言いませんがそれなりにありました。
よく「かごめかごめ」の童謡がヒントと都市伝説で言われますが、童謡の時代が違うのと「かごめかごめ」には何通りも歌があることから埋蔵金と無関係となっています。
埋蔵金のスタートが中島蔵人(覚太郎とも)の「井戸を掘れ」という話からです。
そこで初代水野智義は「源次郎の井戸」を掘りますが、黄金の家康像は「井戸に近い場所」から出たということで、井戸からではありません。
故水野智之氏が死去に当たり「作り話でした」などと言っていないことから、水野一族は埋蔵金を信じていたと思われます。
水野家代々にわたり、片っ端から掘って出ないので、スタート場所が違うのではないかと思っています。
現在では埋蔵されたという場所が複数ありますが、いずれも憶測の範囲で根拠はありません。
冒頭でも書きましたが、難しい点はヒントが水野氏からということで資料がないこと。
資料がないので、今までの畠山氏や八重野氏、川口氏などの著書等からヒントを探し、それを組み立てるという作業になるわけです。

576 :
同じ徳川埋蔵金を追っている、赤城本命さんと私との違いは、
双永寺からでたという3枚の銅板の違いです。
1枚には漢数字が書かれ、1枚には方位図と思われるものが書かれ、1枚には絵地図が書かれています。
水野さんや三枝さん(実際に掘った人)は、源次郎の井戸から漢数字と方位図が書かれている銅板をを頼りに探しました。
実は埋蔵金の物証と世の中で言われているけど、ほぼ無視されてきたものがあります。
上のURLの赤城本命さんのホームページで解説されている「徳川家康像と一緒に出てきた燈明皿」と「絵地図の銅板」です。
※赤城埋蔵金さんのホームページに銅板の画像があります。
燈明皿に関しては、赤城本命さんが解読しており、私も「あたり」だと思っています。
どっちも著名な人の本にも出てきますが記述だけです。
とある本に絵地図の銅板の解説で「樹木や山の形が掘ってある。あまり重要ではない」と書いてある始末ですw
なにを根拠に重要ではないと言っているのか全く分かりません。少なくとも3枚の銅板のひとつなのですw
では、3枚の銅板をどう使うかを考えたところ、絵地図と方位図には「中」という文字があります。
方位図に至っては図の中心に「中」とかかれているので、「中」は「中心」を意味するものだと思います。
絵地図で「中」の地域を特定し、その場所から方位図を使用し方角を確定し、漢数字の銅板で「埋蔵場所」まで至るのではと考えています。
水野一族は黄金の家康像が出たところを「中」と考え、そこから漢数字の「距離」で探索しました。が、「出ません」
ということは「中」ではなかったとしか言いようがありません。
となれば、「中」を探すしかないのです。これが、私のやっている徳川埋蔵金探索方法です。
候補地はあります。
今年「も」修二郎の合間をぬって探索しに行きました。
絵地図に書かれている「▲」本では樹木って書かれていますが「古墳もしくは塚(円墳?)」でしたよ。
おっと、話はここまででw

577 :
>>565
> しゃくなげのおばちゃんなんて言っていました?「このあたりじゃ埋蔵金の話は聞いたことない。黒川金山になら金がある」って言っていませんでしたか?
> 「埋蔵金探索者の話は聞いたことがない。黒川金山の学術調査の先生なら来たことある」って聞きませんでしたか?
> どっかに書いてありますか?
> どうも話が一方通行になってしまっているんです。
>>527
> 他人が努力した成果を口をあけて待ってピーチクパーチク言うのは雛鳥のやる事。
日向さん、恥を知りなさい。

578 :
酷い話だねぇ、しかし
人としてどうなんだか
人の道を外してるよ
日向さん、あんた

579 :
秀金は砂金で修二郎は棒や板だよ別の埋蔵金じゃね。

580 :
>>565
ホントにそうなら、黙って掘り出すと思うけどね。

581 :
165さん
秀金と修二郎が別の埋蔵金ならある意味しかたないのでは?
>>429
ポイントもちがようですし。
他人が努力した成果を待っているだけで、しゃくなげで聞いた事も発表しないって本当?
本当なら、お怒りもしかたないかもね。

582 :
まぁふれたくはないですが、ふれないと終わりそうにもありませんね。
整理しましょう。
私が言っているのは>>451の発言についてです。
>>579さんが何をもって秀金は砂金で修二郎は棒や板と言っているのか解りませんが。
少なくとも秀金の話をして人は、砂金とは言っていません。
>>406で、「木の下の洞穴に埋蔵金を隠したから「秀金」とのことです。」川にある砂金のホットスポットの話ではないですよね。
>>407で、「祖父の父親の友人が、野宿をしていた不振な男を追いかけいていたら」と、修二郎の話と類似することも書き込んでいます。
なので、砂金採りの話ではないと結論付けられます。
まぁ確かに>>580さんがおっしゃる通りで、むしろ黙って掘ってくれればいいのです。
ただそれが、自分の調査結果などであれば問題ありません。
ただ、埋蔵金を一緒に探そう!ということでやってきたわけですから、話が一方通行というのはいかがなものでしょうか。
また、秀金の話をした人に「折半」する話や、なぜ「巨木の話を封印」するのでしょうか?
私は会議に際し、明治40年ごろの一之瀬付近の地図をお渡ししたり、あのあたりの獣道も含めた山の地図などをお渡ししました。
また、広大なあの地域を絞り込みするための発表とかもしたんですけど。
残念ながら「巨木の話」などは、2ちゃんねるにも書かれていませんし、メールでもいただいておりません。←ここ重要w
誰のための「巨木の話の封印」かは、お分かりになれると思います。
民宿しゃくなげ(個人が特定されるので、コレがいわば差しさわりのある話の部類になります)
他のメンバーの方に165さんは全部言っていないねw って言われましたが、そこは大人の対応でw
もう、>>577の話で、私がしゃくなげに本当に行ったかどうかは、ご本人にはわかったと思いますので、話を割愛させていただきます。
「村に埋蔵金なんかあったら、こんな暮らしをしていないよ」とおっしゃっていましたね。他のメンバーと苦笑してしまいました。
ポイントが違う?いやいや会議でのメンバーの共通のポイントは、今でも「竜喰谷と大常木谷」です。
ここでまたさりげなく「竜喰谷と大常木谷」の話ですかw 誘導尋問っすなーw ダメですw

583 :
徳川関係:30年ほど前kな?水野さん宅裏にあった看板。
http://ux.getuploader.com/maizoukin/download/2/img010t.jpg

584 :
埋蔵金と言えば各都道府県の大きな土建屋が一番怪しい
いろいろな場所をショベルカーで掘り起こし数々の埋蔵金を掘り当てている
公共事業で道を作り、トンネルを作りそのたびに数々の埋蔵金を掘り当てているかもしれない
知らず知らずの内に大きくなっている土建屋は非常に怪しい

585 :
まぁ 別に排除するつもりはなく、排他的な性格でもありません。
ですが、上で書いた理由により、書くのがバカらしくなったので、修二郎の話は書かないという結論に達したわけです。
まぁこの話も決着をつけないといけないので
今後一緒に探すことはありませんが、2ちゃんねるは誰でも書ける掲示板なので、書き込む分には全く問題ありません。
もし、書き込むのなら、私や他のメンバーのことを書かないでください。
また、会議の内容は大した話じゃなかったけど、関連する話は書かないでいただきたいです。私はリーダーでもなんでもないですよ。
あと、165のメアドに連絡してほしいとか、訳のわからない話は迷惑ですからやめてください。
誰かと連絡が取りたかったら、ご自分のメアドを晒すなり努力をしてくださいね^^
まぁ簡単に言うと「埋蔵金研究会」を除名処分ですね。そんな感じです。

586 :
>>584さん おっしゃる通りです。
土建屋はともかく、公共事業が一番怪しいです。
え?なぜここを?というような有力候補地に山や田畑を削って道や鉄道を敷いています。
例えば、結城の埋蔵金の候補地である中久喜城!切通ししてまで電車を通す必要があったのか?
昔から中久喜城の城郭があったのは知ってるだろ! つくばエキスプレスだってな!なんであそこを!!キーー!
と、いうようにかなり怪しいです。
ちなみに埋蔵金に限らず、遺跡が出れば工事は数か月ストップですから、言わないっすよねw

587 :
ひつじさん 画像見ました。
こんなのがあったんですね。流石看板屋の水野さん
ひつじさんのURLは、会議にも参加していただいたのと、独特の言い回しでご本人とわかるので
安心してクリックできるようになしましたw
TVで騒がれた「なりすまし」による脅迫メールの一件でご理解いただけたでしょうが、
おいそれとクリックできないのがネットの怖さですが、ひつじさんに関しては安心しています。
先日は貴重な資料をメールで送っていただいてありがとうございました。
この調子でホームページをご紹介してみてはいかがですか?
本も売れるかもしれませんよ?一部のはアマゾンでプレミアついてますね。送料無料でどうですか?w

588 :
日向さんへ
585に書かれちゃったな、ズバリ
他人の褌で相撲を取っちゃいけねーよ
除名処分を喰らったら、もう書けないよな
まぁ、自業自得ってこった
他人と交わるのができないから、こうなるんだよ

589 :
個人でやりたい人、特定の個人とだけ組んでやりたい人は、作戦会議に出ないこと。

590 :
>588さん いったい誰なんだよwwwww
アゲて尚且つ煽るのはもうやめようよwwwwwwww せめてサゲてくださいなw
あなたが煽るから、私が書き込まなきゃいけない状況になってるっすよww
一応の結論は書いておきましたので、もう煽らないでやってくださいw
修二郎のことを聞きたがってた人なのかなー 残念でしたね><

591 :
じゃ >>583さんと、梅雪が好きな風の子さんが登場したので、修二郎ではないけど武田の埋蔵金の話をしましょうか。
風林火山でおなじみの武田信玄が強かった理由に上げられるのが情報ネットワークです。
当時ですからインターネット クラウドなどといったものはありません。
忍者もいましたが、諜報機関であってネットワークではありません。
当時のネットワークは「狼煙(のろし)」です。
オオカミの糞を焼いたから狼煙だそうです。モンゴル帝国では羊の糞だそうですよ。ほんとうかな?
狼煙代は四方の山々に配備され、諸国からの侵入を監視したり、国内の様子を見張る役割もしていました。
狼煙台ネットワークは信濃、秩父、駿河、武蔵方面にくまなく張り巡らされていて、途中で通信が途絶えないように
複数のルートが設けられているところもありました。
川中島の合戦の様子を知らせるために信玄は、川中島から甲府へ至る峰づたいに狼煙台を設けています。
わずか2時間ほどで戦況を知らせたといいます。距離142km 歩くと29時間
さて、この狼煙台ですが、武田信玄の埋蔵金でおなじみの笹子峠にもありますし、大菩薩峠、小仏峠などにもあります。
武田信玄の埋蔵金は、途中途中で使うための軍費を隠匿したものと言われています。
よく、棒道に隠したとか言われていますが、道は長いので棒道のどこで?という疑問と、どこが棒道だったの?という疑問がわいてきます。
この狼煙台がヒントになっているのではないでしょうか?
よく考えると、軍費を訳のわからないところに埋めたりしたら、それこそコッソリ掘られてしまうのではないでしょうか?
狼煙台周辺であれば兵隊もいますし、軍費を監視することもできるわけです。
畠山氏の著書に出てくる武田信玄の埋蔵金に関しては、まずは狼煙台の捜索から始めると意外と近いかもしれません。

592 :
あーそうか。コテハンって誰でも使えるのね。リンクは便利だけど、
悪用もできるか。。。。3つほどボツにして、
武田さがしてる人へ、待ち受け画像に、
http://ux.getuploader.com/maizoukin/download/6/%E5%BE%85%E3%81%A1%E5%8F%97%E3%81%91.jpg

593 :
テスト

594 :
トリップか つけてみるかな

595 :
ひつじさん
583の写真、ありがとうございました。はじめて見ました。
また、お願いします。

596 :
165も支離滅裂だね。

597 :
>>596
日向かw

598 :
ヤフーで2chに写真upって検索したらココでてた。なんかダウンロード
ってするのは確かに怖いですね。まあ、2回目以後はアドレスが連続してる
ので幾分いいけど。で、ボツのupします。
畑の中。近くに家康黄金像出土もあったけど、写真がない、
http://ux.getuploader.com/maizoukin/download/3/img011t.jpg
村人が炊き出しで武士にわたしたところで横みたら馬頭観音があった
http://ux.getuploader.com/maizoukin/download/4/img012t.jpg
馬頭観音
http://ux.getuploader.com/maizoukin/download/5/img013t.jpg

599 :
5年ほど前の書き込みを読んでいました。私も進歩していないなーって思いましたねw
それと、5年ほど前から話がループしていました。
過疎化がすすんでるーーー!って悲痛な書き込みを懐かしく思いました。
水野家の詐欺たっだのか否かが、焦点だったんですね。
今読み直してみると、この焦点ですが、水野さん以外にも盛られている気がしました。
例えば、埋蔵を画策したといわれる柴田監物(幕府甲府城代)これは間違いです。
柴田監物は甲府勤番組頭であって城代じゃありません。当時の城代は大河内右京亮輝照 上州高崎城主8万2千石です。
地位は、城代>甲府勤番支配>甲府勤番組頭>勤番士 まぁ今でいう支店課長クラスですね。
板垣退助日誌では、代官となっています。慶応3年の代官は中山誠一郎ですね。
八門遁甲を仕掛けたといわれる 林鶴梁(幕府代官・学者)
遠州中泉の代官でしたが、ペリー来航の1849年(嘉永2年)に強弁に鎖港論を唱え、後日クビになってます。
井伊直弼は開国論でしたから、真逆の事を言ってたんですね。わざとかしら?
1858年(安政5年)6月に日米修好通商条約を集結しています。
定説では「金の国外流失を心配した井伊直弼は」となっていますが、1860年(安政7年)12月桜田門外の変で露と消えました。
このわずか2年半で悔い改めたのでしょうか?

600 :
赤城に埋蔵金が埋められたとしているのは、多くの書物で1868年(慶応4年)1月〜4月になっています。
まぁ埋蔵を画策したのが井伊直助で、林鶴梁、小栗上野介らであり、柴田監物らは実行部隊みたいなもんですかね?
そのほかの参加者として
林 国太郎(林鶴梁の長男)、羽倉鋼三郎(林鶴梁の次男)、雲井龍雄(元米沢藩士)、屋代昇平(元前橋藩士)
大忍坊温海(だいしんぼううんかい、僧侶)、桜正坊(おうしんぼう、僧侶)  ・・・ふむふむ
1868年(慶応4年)8月 埋蔵金のもう一つの候補地で有名な片品村で
屋代由平、羽倉鋼三郎、桜正坊隆邦が新政府軍と戦って戦死しています。南無〜 お墓もありますよ〜
おや?桜正坊隆邦?
桜正坊って坊主が埋蔵金に加担していますよね?もしかして、戦死した桜正坊隆邦=桜正坊?
もしかして「坊」って付くから坊主かと思ったのかよおいwww 坊主じゃなくて武士じゃないか!もうちょっと調べてから本を書けやwww
まてまて、僧兵かも知れんな。。あせるな
この時の戦いのときに雲井龍雄もいました。幸いにも難を逃れて後に集議院(衆議院とは違うよ)となっています。
その雲井龍雄も政府転覆の疑いをかけられ、1871年(明治4年)小伝馬町で斬首されました。
そのとき一緒に斬首されたメンバーが、原一鉄、三木勝、大忍坊、梁瀬勝吉、浄月坊です。
おや?大忍坊? 大忍坊温海のことかな?
あれれ?
大忍坊温海、桜正坊って、埋蔵金を埋めた時に呪術で埋蔵金を守るってことで、生きながら埋められたのでは?話が違うじゃないか
川口素生さんの著書「徳川埋蔵金検証辞典」には、
「大忍坊温海、桜正坊らが呪術で御用金を津久田原に封じつつ息絶えた、などの話もフィクションである可能性が高い。」と、書いてある。
んー川口素生さんももう少し調べてくれればよかったのに・・・一緒に埋まってないじゃん。

601 :
さて、一人だけ行方不明がいます。林 国太郎(林鶴梁の長男)です。
弟の羽倉鋼三郎は、1840年(天保11年)〜1868年(慶応4年)8月18日没です。
1859年(安政5年)3月、兄、国太郎と共に林大学頭の塾に入門する。とありました。鋼三郎19歳の時ですね。
兄というのだから、私の兄弟も5歳の年の差があるので、強引に5歳差としましょう。1835年(天保6年)生まれになります。
1882年(明治16年)に水野家初代 水野智義が発掘に着手します。
それから何年後かわかりませんが、謎の武士、児玉拡平(惣兵衛)と出会っています。
1851年(嘉永4年)〜1926年(大正15年)に初代 水野智義が死去しています。
そうすると、林 国太郎を1835年(天保6年)生まれで、智義が1851年(嘉永4年)なので、年の差14歳。
智義31歳の時に赤城に入りっているときには、林国太郎は45歳。
智義は75歳で死んでいるので、44年掘ってたわけ?
発掘30年目で出会ったとして、智義61歳、林国太郎75歳 謎の老人と呼んでもいいのかな?
林国太郎も剣豪と言われていますが、以前にもご紹介した、赤城深山にいた剣豪 須田平八らとバッティングしてしまうため、
道教は考えられず、これまた空想の世界でしょうか。

602 :
子供の面倒を見ながら合間合間で書いているので、書き込み遅くなってます。
埋蔵金に関係したといわれている人たちは、井伊直助・柴田監物を除き当時全員群馬県にいたことになります。
偶然の一致なのでしょうか?
それとも、このことを知っていた人が、事実とは違うが埋蔵金の関係者として名前を出したのでしょうか?
それとも本当に関係していたのでしょうか?
埋蔵金と坊主が一緒に埋まっているということはなくなりましたが、すべてウソのお話だったとは言い切れません。
新政府軍に追いやられた幕府軍は、新選組も含めて会津に向かいました。
柴田監物は甲府城を新政府軍に開け渡していますが、徹底抗戦派でした。(後に捕縛 処刑)
※柴田監物は甲府勤番組頭なので、城代とは違い城を開け渡す権限がありません。
甲府城を板垣退助に包囲されたとき、籠城していた徹底抗戦派だった柴田監物ですら降参したということです。←テストに出しますよ。
徹底抗戦だった柴田監物が、甲府が落ちた後の次の戦線である沼田(交通の要所と同時に会津に行く道)周辺に軍費を隠匿した可能性。
会津からの援軍のための軍費を隠匿した可能性はあります。
みなさんゲームのやりすぎで、攻められたら籠城すると思っているでしょ? 現代では間違いですよ。
籠城を選択するときは、援軍が来る可能性があるときだけです。
城の外から来る援軍に合わせて城から撃って出て、相手を挟み撃ちにできるときにしか籠城しません。
援軍が望めないときは、すぐに降伏するか、殿様が腹を切って家臣を助けるかだったのです。むしろ戦国時代のルールでした。
織田信長が諸侯に恐れられたのは、このルールを無視して皆殺しをしたためですね。 いまや定説です。

603 :
籠城なんかして無駄な兵力を失うよりは、やばくなったらとっとと城や砦を引き払って、次の城の兵力を増強する方がいいのです。
柴田監物が籠城したということは、籠城時には援軍を望めたということです。
もしくは、籠城をやめて「逃げる先(会津)」があれば、中継地点に軍費を置いておいたかもしれません。
新政府軍の宇都宮侵攻が早く会津もやばくなり、会津から援軍が望めなくなった、撤退戦ができなくなったなどの理由により無血開城に応じたのではないでしょうか?
と、考えると、徳川埋蔵金とは、400万両ではなく、柴田監物が関与していたといわれる甲府からの24万両なのではないでしょうか?
戊辰戦争での鳥羽伏見の戦いが1868年(慶応4年)1月3日ですから、開戦と同時に上に書いた理由から後方へ軍費を移送した可能性は高いです。
ほらほら、徳川埋蔵金が存在するっぽく思えるでしょ?
そうそうルールを無視した戦をした人がもう一人います。牛若丸と飛ばれた源義経です。
源義経といえば、百戦百勝のイメージがありますよね。
そりゃそうですよ。ルールを無視してるんですから勝てますよ。
平安時代の戦いは、「やぁやぁ我こそわ!」で、ほぼ一騎打ちがルールで、負けた方はやれやれ・・・と引き上げていったそうです。
その一騎打ちをしなくて、ルールを無視して大勢で攻めちゃったのが牛若丸こと源義経。
おまけに当時は無かった夜間攻撃をしたのも源義経。
平家は高貴なのでルール道りです。
おいおいルールと違うじゃん。 うちらそんなやり方しらないよ!となり、総崩れで壇ノ浦で終わりました。
そりゃーいくら勝っても、ルールを無視した戦い方をした弟をそのままにしておけば、汚い手を使って勝った源氏ってなります。
おにーちゃんの源頼朝が政権を握るには邪魔になりますね。なので、対立するようになり、難癖つけて義経を討伐します。享年31歳
源平合戦が始まったときは25歳ごろ そりゃーやんちゃ坊主ですわww
勝てばいいんだろ?とばかりにルールを無視したのもうなづけますね。

604 :
まぁなんだかんだで徳川埋蔵金の話ですが、いかがだったでしょうか?
まさに事実は小説より奇なりですね。
どこに埋められてるの?もうわかってるんでしょ?と言われそうですが、、本当にまったくわかりません。

言えるのは「あるかもしれない」

さて、おやすみ

605 :
日向さ〜ん
出てきておくれよ〜w

606 :
なんだ、TV番組と随分違う内容ですねぇ。
当時はVHSに毎週撮ってた自分には衝撃です。

607 :
赤城に関しても、八重野氏を初めとする著名な人の本も畠山氏の後追いになっています。
当時、今のように情報が発達していない時代でしたので、調べきれなかったかもしれません。
あえて書かなかった可能性もあるのと、水野氏、畠山氏の否定から入っているので、詳細よりも否定だけで終わらせています。
TV番組(ユーチューブ)を見た方でもわかる通り「土木番組」でしたので、埋蔵金の有無よりは「穴を掘って探す過程」だけでよかったかもしれません。
また、お茶の間の素人を引き付けるには、簡単な説明の方が受け入れられやすかったものと思います。

608 :
じゃどこにある!?
全くわからないが、「甲府からの分」のルートとして
甲府〜佐久〜軽井沢〜長野原〜中之条〜渋川〜沼田を通らず片品〜日光だな。
当時はこれしかないと思う。
よく徳川埋蔵金で出てくる、山梨県南巨摩郡富士川町舂米(舂米)、群馬県太田市世良田町(世良田東照宮)は、甲府とは別物だと思う。
別物というのは新政府軍の進行が速く、それ以上進めなかったので隠したなどの者だと思う。だからと言って有るとは限らない。
じゃ、埋蔵金に関連した人物である屋代由平、羽倉鋼三郎、桜正坊隆邦が新政府軍と戦って戦死している片品村かといえばわからない。
たぶん水野氏は、この甲府からの分を追っていたと思う。
もちろん、中島蔵人が「甲府からの分」と言っているので、間違いではないだろう。

609 :
>>587
会社の方の商品は送料無料は、もちろんokですよ。
カキコしてない人とか名無しさんとかどうするかな?
会社で発行した本はすべて電子書籍化してます。
内容ならあわてて高い本買わないでも。手元に置きたい人は
少し待ってもらえば刷りますよ。時期未定ですが。
さて、徳川の埋蔵金難しいですね。
世良田の○石の下にはないそうです。
掘った人の話では。

610 :
掘った人の話ではってwwwwwwwww まぁあえて突っ込みはこのぐらいでww
幕末当時のあのあたりの話もちょっとしましょう。
沼田藩は早くから新政府側でした。譜代なのにひどいよね。
前橋藩は親藩なので佐幕でしたが、新政府側に付きました。
高崎藩は慶応4年3月に新政府側についています。ここも譜代。
甲州からの分があったとすれば、高崎・前橋の間をどうにか通れ高と思います。
ちなみに伊勢崎藩は新政府側だったので、通り抜けは難しかったと思います。
江戸からの軍用金を日光か会津に運ぶと仮定します。
宇都宮藩・館林藩は譜代ですが新政府側なんで、通り抜けできません。
通り抜けできるのは、江戸〜岩槻藩(川越藩もOK)〜忍藩(熊谷)〜高崎藩〜前橋藩
川越街道か中山道を利用すれば、赤城の麓まで行けます。
しかし、中山道の場合は、伊勢崎藩が新政府側なので伊勢崎の手前でストップすることになります。そこには世良田があります。
またしかし、高崎藩の左には、吉井藩・小幡藩・安中藩があり、新政府側なので藩内を避けるとそこには倉賀野があります。
倉賀野から伊勢崎藩を避け、赤城に行くことになります。

611 :
伊勢崎でストップした中山道は、高崎藩内に入ってきます。
高崎から中山道を利用したとしても、沼田藩内を通るわけにもいきません。
沼田藩内を避けるためには、赤城山に深く分け入り行くことになります。
沼田街道は難しいでしょうから、かなり山の上ですね。七曲り七坂あたりを上がっていったのかもしれません。
で、どこでどうかはわかりませんが、沼田藩内を通れないなら水野氏家のあたりでストップか
現ロマンチック街道をいけるのなら、そこには片品村があります。
上で紹介した雲井龍雄らが、片品村まで行けたということは通れたかと思います。
大忍坊温海や桜正坊隆邦は日光の僧侶なので、道に精通していたのかもしれません。
よく埋蔵金で登場する世良田や倉賀野は、当てずっぽうではない気がします。
では、甲府からの分について
高崎藩の左にあった、吉井藩・小幡藩・安中藩は新政府側と書きました。
甲府から〜佐久、安中藩内を避け北上し、長野原〜沼田藩内を避け、榛名山の北面を通り渋川まで
よく猿ヶ京とか言いますが、沼田藩内なのでまずありえないと思います。
また、小栗上野介の権田村へは大戸の関所もあるし、これもあり得ないとおもいます。
ここでよく、榛名神社の説もありますが、榛名山の南面なのでこれもあり得ないかと思います。(八重野氏の話だと、聞いたこともないと書かれている)
まぁいずれにせよ。水野さんの家あたりを「通らないと」日光〜会津には行けなかったものと思えます。
かといって、あのあたりにあるとは限りません。

612 :
日光から宇都宮藩内を避け、喜連川藩は慶応4年5月に新政府側についていますので、一発勝負で会津まで行けたかもしれませんね。
まぁどこまで行けたのか、どこであきらめたのかは謎です。
埋蔵金が運ばれたかもしれないといわれている土地も玉石混合ですが、まんざらでもありません。
ちなみに高崎藩は新政府軍に1万両献金していますからね。さすが8万2千石
誰ですか?幕末の諸藩は貧乏だって言ったのは?
甲府は15万石なんで、単純に倍の2万両は払えたのかな?
そもそも直轄地なのと、武田信玄よりの蓄えや江戸の要(かなめ)の意味合いからも結構もっていたのかもね。
ほらほらー 埋蔵金があるんじゃないかと思えてきたでしょ?
どこを掘るかはあなた次第ですが、世良田の○石の下を掘った人が無いって言っていたのを思い出しましたので、そこには無いと思いますよw

613 :
寒くなりましたね。
資料を掘る季節です。図書館に行くもよし、博物館にいくもよし
来年に向けてがんばりましょう。

614 :
徳川幕府はフランスに膨大な埋蔵金を置いた
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/47/307.html
スエズ運河の通行料金は、全て日本に流れ込んできた。

615 :
笹子トンネルが崩落してしまった。山梨に調査に行くときにいつも通っていた。
中央道をひた走り、笹子トンネルで「あと もう少しだ!」と思って走り抜けたトンネル。
まさか天井が落ちるとはね。。
バイク乗りにはわかると思うんですが、五感をむき出しで走っている分、こういう事故の後を走るのを躊躇していまう。
オバケとか見たことないですから、まったく信じていなくて、世の中、人間より怖いものはないと思っておりますが、、
走るたんびに「・・・あぁ このへんか」と思うことでしょうね。
お亡くなりになられた方のご冥福を祈るととともに、日本の大動脈である中央道の復旧をお願いします。

616 :
さて、久しぶりに書きましょう。
畠山氏、水野氏の著書等に登場する人物はいったいなんなのか?
雲井龍雄らが、片品村にいたことは、すでに書きました。
また、桜正坊隆邦、大忍坊温海が、埋蔵金と一緒に埋まっていないこともわかりました。
これはずべて林鶴梁からの派生の「尾ひれ」の部分だと思われます。
畠山氏が「八門遁甲」という「持論」を出したおかげで、
甲州の柴田監物と合わさって甲州軍学を生み出し、林鶴梁を引きずりだしたとしか思えません。
そもそも「八門遁甲」自体、江戸時代には衰退した軍学で、学ぶことはご法度でした。
銅板の歩尺図等の解読ができないのと、水野氏が掘りあぐねていることから「八門遁甲」という結論で解釈したと思われます。
このあたりの話は「妖怪」の話と同じで
電灯がない時代、真っ暗な中で「川から変な音が聞こえる=あずき洗いに違いない」とか、
「なんかおかしな行動をとるようになった=キツネが憑いたに違いない」と同じノリですね。
なんだかよくわからない十二支が書かれている銅板3枚、ヒントがあるのに掘りあぐねている水野氏=八門遁甲に違いない」ですね。

617 :
では、最初に立ち戻ると
水野氏の初代である水野智義氏は、中島蔵人から臨終の際に「甲府からの分」を聞かされます。
さらに「江戸からの分」は知らないと書いています。
その話に登場する柴田監物(城代)の経歴は、まったくのでたらめです。
中島蔵人が勘定吟味役だったという以前に、「蔵人」は名前ではなく官位なのでこれも変ですね。
こういった辻褄が合わない状況の中に「徳川埋蔵金」があるわけです。
ただ、この辺が「尾ひれ」だとしても「甲府から」「江戸から」を否定することはできません。
では、どこまでを信じたらいいのか?
たぶん、話の初めである甲府からの分まででしょうね。

618 :
真剣なスレだね

619 :
テレビと週刊誌だけの知識の人がほとんどだと思いますが、
徳川埋蔵金=360万両=赤城山=水野さん・・ということで、
水野智之さんが発掘しようとしていたのは360万両=江戸城から密かに
運び出した大埋蔵金・・と何となく考えている人が多いのではないでしょうか。
実際水野さんは「赤城山埋蔵金四百万両の謎」という本を書いているようです。
水野家は代々「甲府からの分」しか赤城には無いのを承知で掘っていたのでしょうか?

620 :
少しずつ読み進めて、やっとここまで読み終えました
読んでいるだけでワクワクしますね
更新を楽しみにしています
頑張ってください

621 :
おお 620さん ありがとうございます。
わたしのホームページもぜひご覧ください。http://tokugawa165.web.fc2.com/index.html
確信に迫る部分は書いておりませんが、書く埋蔵金の基礎はわかるかと思います。
水野家は、中島蔵人からの甲府からの分を掘っていたと思われます。
江戸の話は、畠山氏などの複合的な「尾ひれ」でしょう。
甲府は幕府の直轄地であることから、十分考えられますね。
たとえば、新選組も3千両をもって甲府に向かいました(途中で宴会に次ぐ宴会で間に合わなかった)。
甲府からの分を柴田監物が陣頭指揮をとって運搬した点に関しては疑念が残ります。
陣頭指揮というよりは、抗戦派であった柴田監物が、撤退戦を考え軍費を後方に移送した可能性は十分あります。
ただし、多くの著書に書かれている榛名山南面の通行は歴史的にも難しく、北面を通過したことでしょう。
よく世良田東照宮の名前が出ますが、これはルート的にも甲府からの分ではないでしょう。
近隣の川越藩、忍藩が目をつぶって通した江戸からの分の可能性が大いにあります。
ちなみに松平忍藩は、私のご先祖様が使えていた藩でございます。w
戦災で焼ける前までは登城用の裃(かみしも)および刀剣がありました。
当家には、男用の家紋と女用の家紋があり、清和源氏の武家でございます。

622 :
http://dokuritsutou.heteml.jp/

623 :
TVでの糸井重里の徳川埋蔵金を整理してみることにします。
番組内で糸井重里が、番組独自で水野智義の日記を手にいれたということで、再現として紹介していました。
それによると
明治8年に水野智義、川上安之、藤田勝義、村田八三郎と埋蔵金について話し合われた。
初代水野智義は、仲間と赤城山ではなく、榛名山の中腹の伊香保を中心に聞き込みし、10年余り掘ったとしています。
そして下室田村で宮林雲行とR、雲行が双永寺で住職をしていたころ、林国太郎(林鶴梁の長男)に頼まれ角田源次郎を見張るように言われた。
明治19年天川大島村(現大島町)で、児玉惣兵衛と会っている。
水野智義の上申書には、児玉惣兵衛により赤城8ヶ所に埋蔵金があることを確信したと書かれている。
このことから、津久田村に移り住み埋蔵金の探索をしたとされています。
そして、角田源次郎の遺族から土地を買い取り、掘り始めました。
発掘資金の調達のため、土地を担保に青木伊勢五郎から借金をするが、それも間もなくつきてしまい返済を迫られる。
発掘資金の調達のため、東京を歩き回ってる最中に青木伊勢五郎らが家康の銅像を発見する。
兄から大金を提供してもらい、青木伊勢五郎へ借金を返済し、土地と家康像を手に入れた。

624 :
宮林運行だったな。訂正します。
水野智之氏の本と結構違いますね。
また、銅板の出所も
宮林運行(双永寺住職?)から埋蔵金に関する図面や書物が有ると聞かされる。
小池伊太郎から双永寺で竹筒に入った銅板3枚が発見されたということを「聞く」
※手に入れられなかった。
浅草成願寺の星野秀盛から、銅板の写しが送られてきた。ただし、その銅板の写しは、宮林運行が言っていたものと相違があった。
津久田村狩野忠次郎も銅板の写しを手に入れたことを知る。ただし、その銅板の写しは、智義の持っているもの(浅草のもの)と相違があった。
このあたりが、銅板のダミー説の由縁だそうです。

625 :
そーいえば、先日中野駅で荒俣先生を見ました。大柄の方でしたね。
まず、赤城ではなく榛名山を掘っていたこと。
宮林運行に赤城だといわれたこと。
児玉惣兵衛と劇的に出会ったわけではないこと。
徳川家康像は、金貸しの青木伊勢五郎が見つけたこと。
銅板の本物を手に入れていないこと。
宮林運行から銅板の内容を聞かされていて、もらった写しと違うこと。
狩野忠次郎の持っているものと、もらったものが違うこと。

626 :
畠山氏の著書の他に、何か裏付ける資料があるのでしょうか
言い換えれば、確たる証拠然としたものが。

627 :
オッ! 久々の降臨
“宮崎県”

628 :
ワカッチャウンダヨ〜w

629 :
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_136.html

630 :
17日あいてます!
ヨロシクお願いしますっ

631 :
平成24年ももう終わりですね。
今年一年ありがとうございました。
来年は、本来の赤城もやっていこうと思っています。

632 :
来年も、新情報期待!
そして来年こそ、ビッグニュース期待!

633 :
すっかり御無沙汰してました。
今年も残り僅か…
来年もヨロシクお願いします。

634 :
633は自分でした。

635 :
おかしいなぁ???
数字が入らない!

636 :
去年の漢字「金」

637 :
新年あけましておめでとうございます。
今年は、去年より一歩踏み込めるよう努力します。
イメージトレーニングで、埋蔵金ではありませんが黄金遺物をご紹介です。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52113069.html
日本近海にも水没したお船が結構ありますね。

638 :
さて、新年も落ち着きました。
昨年に書いたことをおさらいしてみましょう。
糸井重里のTV番組で言っていたことをもう一度書きます。
赤城ではなく榛名山を掘っていたこと。 宮林運行に赤城だといわれたこと。
児玉惣兵衛と劇的に出会ったわけではないこと。
徳川家康像は、金貸しの青木伊勢五郎が見つけたこと。
銅板の本物を手に入れていないこと。
宮林運行から銅板の内容を聞かされていて、もらった写しと違うこと。
狩野忠次郎の持っているものと、もらったものが違うこと。
水野氏の著書の内容とずいぶん異なっていることがわかります。
どこまでがTVの創作で、どこまでが事実かがわかりません。
榛名山を掘っていて、双永寺にいた宮林運行に出会ったまでは良しとします。
児玉惣兵衛と劇的に合わずに、児玉惣兵衛宅を訪ねて行ったというのも、話の流れ的には問題はないと思います。
徳川家康像は、金貸しの青木伊勢五郎が見つけたこと。は、重要ですがひとまず置いておきます。
銅板の本物を手に入れていないこと。
宮林運行から銅板の内容を聞かされていて、もらった写しと違うこと。
狩野忠次郎の持っているものと、もらったものが違うこと。
ここも重要です。
双永寺から発見されたといわれる3枚の銅板は、銅板を一目見て宮林運行が言っていたのとは違うとしています。
ということは、現在世の中にでている3枚の銅板と様式が異なるということではないでしょうか?
しかし、水野智義ら(三枝氏を含む)は銅板の漢数字を手掛かりに掘ってしまいます。
TVにでていた水野智義と一緒に掘っていた人は、総掘り(露天掘り)だったと証言しています。
宮林運行が言っていた銅板と異なる様式なのに、なぜ掘ってしまったんでしょうか?
また、宮林運行が言っていたモノは、どこにあるのでしょうか?

639 :
徳川埋蔵金はテレビで見た知識しかありませんが、徳川家康像には少々引っ掛かる感じを持っています。
幕末とは言え徳川時代に「神君家康」像をかってに作り、しかもその像を土中に直埋めしたのでしょうか。
「神君家康像」を埋めた人は、「この財宝は徳川家のものである。」と考えていたのか、それとも
「この財宝は徳川幕府のものである。」と考えていたのか、埋蔵した人の気持ちになって考えることも
無駄ではないと思います。「銅版」その他の物証も誰が何の目的で作成し誰に伝えたかったのかを改めて
考えるのも無駄ではないと思います。

640 :
途中で話が切れてすいませんでした。 銅板の続きです。
双永寺から発見されたといわれる3枚の銅板は、銅板を一目見て宮林運行が言っていたのとは違うとしています。
とある本に
銅板は、厚さ2寸(約6cm)一尺四方(約33cm)だったといわれています。
かなり大きなものだったのですね。私に送られてきた資料も大きかったのはこのためですね。
甲乙丙丁の四文字が深く刻まれ  あれ?今でも見られる銅板は、甲乙丙丁戊己庚と七文字ですね。
その文字の下におのおの四桁の数字が書かれている。  あれ?今でも見られる銅板は最高で三桁ですね。
裏を返すと「一、慶長大判二十五万枚」とあり、それに続く十六文字は不明となっています。
この話は、意外と出ていないですね。
大判は、小判にすると10両相当だったそうなので、250万両相当になりますね。
大判を実物を見たことがありますが、びっくりするほど大きいわけではなく、手のひらよりやや大きいぐらいでした。
褒美として与えられていたようで、一般的に流通はしていなかったようです。
まぁ昔に国が発行した10万円金貨(天皇陛下御在位六十年記念硬貨)と同じ感じですね。
10万円金貨は純金20gでできており、今日の相場で1g4910円ですから98200円 まぁ10万円分もないのに10万円となっているわけです。
また、銅板には「一将を得れば七臣に達す。・・・・」と、今でも見られる銅板にはありますが、銅板とは別にあると書かれています。
もう、ますますわからなくなってまいりましたw
ただ、水野智義が一目見て違うとわかったのは、
※浅草成願寺の星野秀盛から、銅板の写しが送られてきた。ただし、その銅板の写しは、宮林運行が言っていたものと相違があった。
甲乙丙丁の四文字のはずが、甲乙丙丁戊己庚と七文字だった。 四桁のはずが三桁だった。
「赤城原野・・・」「一将を得れば七臣に達す。・・・・」など、余計なものが書かれていた。
※津久田村狩野忠次郎も銅板の写しを手に入れたことを知る。
浅草成願寺の星野秀盛のものと同じようなものだったが、さらに、数字が違っていた。

641 :
ここで疑問が生じます。
>>683で途切れてしまった話の続きです。ずいぶん引っ張ってしまいましたねw
水野智義は何を根拠に掘っていったのでしょうか?
人から送られてきたものや人が持っていたものを違うとわかってて、それを根拠に掘ったのでしょうか?
どっかの本に書いてあったけど忘れたな・・・。
久田村狩野忠次郎の銅板の写しを見せてもらった時の描写が書かれていた記憶があります。
似たようなものだったが、少し違っていた。自分の持っているものと違うので安堵した。ようなことが書かれていたな。
誰の本だったかわかる方は書き込んでくださいねww
藁をもつかみたいのはわかりますが、他人のしかも写しを基に掘るというのはいかがでしょうか?
一説によれば、双永寺から出たといわれる銅板を苦労して手に入れたとあります。
待ってください!
TVで紹介された水野智義の日記には、
小池伊太郎から双永寺で竹筒に入った銅板3枚が発見されたということを「聞く」。※手に入れられなかった。と解説しています。
ん?竹筒?? 上で書いた銅板の寸法は厚さ2寸(約6cm)。曲がらないw 曲がらないw
手に入れられなかったのではなくて、やはり違うものとわかったのではないでしょうか?
ですが、双永寺からということで、参考として手に入れたかったのではないでしょうか?
そう考えると、双永寺、浅草成願寺の星野秀盛、津久田村狩野忠次郎の銅板は全部違うことを知っていた。
ただ、自分が持っている厚さ2寸(約6cm)一尺四方(約33cm)の銅板との違いを確かめたい。
自分が持っている銅板が、宮林運行の言っていた銅板であるかどうか懐疑的であった。
のではないでしょうか?

642 :
そして、自分が持っている銅板を根拠に掘り進んだのではないでしょうか?
そう考えるのが自然だと思います。
赤城埋蔵金を追ったもう一人の三枝茂三郎さんもやはり銅板から入っています。
水野氏との共同作業ではないため、銅板の情報はどこからか仕入れたんでしょう。
水野氏にとってはライバルであり、自分が持っている銅板の中身を易々と教えるとも思えません。
水野氏にいくらか払った可能性もありますが、三枝氏と水野氏との接触(交流・交渉)を書いてある著書をいまだ見たことはありません。
津久田村狩野忠次郎からの情報かもしれません。
水野智義が違うと思った銅板を根拠に掘っていますから、やはり掘り出すことはできませんでした。
ですが、物証はいくつも掘り出しているとのことですから、どっかから仕入れた銅板の情報は、適当に作ったわけでもなさそうです。
そこで、水野氏にまたもどりますが、水野氏は銅板3種類(歩尺図、方位図、絵地図)のうち、歩尺図しか眼中にありません。
他の2枚を根拠に掘ったということもないようです。私に送られてきた銅板の写しも歩尺図だけでした。
また、三枝氏も歩尺図だけで掘っていたと思われます。
他の2枚の解読ができなかったとしても、「中」を「源次郎の井戸」とすれば探索は可能なはずです。ですが、記述がありません。
ということは、本当は銅板は1枚しかなかったのではないでしょうか?
双永寺からの竹筒、草成願寺の星野秀盛、津久田村狩野忠次郎の持っているものこそが、まさに八門遁甲の術であり、惑わせるための銅板ではないのでしょうか?
その八門遁甲の術がかけられた銅板を参考にした三枝氏は、物証は出るが埋蔵金には行き当たらなかった。

643 :
もしかして、新説だったかな?
まぁ今となっては、この説を事実を確かめることもできませんね。
では、2枚(方位図、絵地図)の銅板はいったいなんなのか?
「方位図」については、まったくわけがわかりません。
というのも、「中」がどこなのかがわからないのです。
「絵地図」については、現在調査中である程度絞れてきています。
絵地図の場所を特定し、絵地図にもある「中」の場所を「方位図」に照らし合わせて
「方位図」を検証する作業にはいるところです。
ですが、銅板は1枚だったと書いておきながら、残りの2枚を重視しているのは「ないこと」の証明のためです。
また、4種類(水野氏が持っているもの、双永寺から出たもの、浅草成願寺の星野秀盛、津久田村狩野忠次郎)あるにも関わらず赤城から出ていないのは、
場所が違うからだという自説があるためです。
まずは、だまされたとしても、今でも見れる銅板を根拠に探してみて、無ければ次の取り組みをするためです。

さて、新年会の予定もたてないとね。
今日は、これまで またね

644 :
あ そうそう
この銅板の話も、埋蔵金関係の著書を読みながら思いついたものであって、自分で調べたわけじゃありません。
その本に書かれていることすら事実かどうかもわかりません。
適当に推理しただけです。
もしかして、複数の銅板(写しを含む)を合体させると場所が浮かび上がったりするかもしれませんね。

645 :
書き込めるかな?規制されてたみたいで。
165さん PDFをmailしてます。内容よめるとおもいますが。ご参考まで。

646 :
え?きてませんよ?

647 :
1月2日にmizuno tomoyuki名で送ってるのですが。
控えあるので明日に再送いたします。

648 :
http://maruyoshi.info/html/tokugawa.html
これってどうなの?ピーチクパーチクwwww

649 :
あ〜 舂米ですね。
まったく根拠がない話です。赤城よりなんも出ていないです。
論外ですね。

650 :
根拠のない話としては、葛飾区に埋蔵金伝説が2カ所あります。
里見氏の埋蔵金の中でも、かなりマイナーな部類で、知っている人は少ないかと思います。
東京23区内ですので、お近くの人はどうぞ。
資料は葛飾区図書館にあります。

651 :
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ
赤城はどうなの?ピーチクパーチクwwww

652 :
赤城はグレーだね。
前に書いたけど、当時、沼田経由で会津に転戦はほぼ間違いない(いろんな書物より)から、幕府側の人間が軍用金を隠した可能性は十分ある。
沼田城で一戦って思ったんだろうけど、沼田藩はクソで官軍に早々に帰順している。
沼田藩に軍用金を渡す前に沼田藩が官軍に帰順してしまい、やむなく沼田の手前で埋めた可能性がある。
なぜ埋めるというと、沼田から会津への道のりはきついので、持っていくには官軍の支配が速すぎて危険だったといえよう。
外国への流出を避けるためと大概の本には書かれているが、外国への流出ならば江戸城内でもいいわけだし
もし、外国が侵略のため東京湾から上陸したとしても、江戸城を拠点に戦うだろうから江戸近辺に1両も置いておかないというのは無理がある。
当時の状況からみて、対官軍用の備えとして分散した可能性の方が強い。
その分散した一部が赤城山なのではないだろうか?

653 :
その分散した御用金が、各地に埋蔵金伝説を作っているのではないだろうか?
例えば、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊は、慶応4年に幕府より5000両(3000両とも)預かっている。
甲陽鎮撫隊の埋蔵金というのは聞いたことがないが、各地にはこのような勢力はあったと思われる。
甲陽鎮撫隊より格上の彰義隊の埋蔵金の話はある。結構な軍用金をもっていたせいじゃないかな?
持っていた理由は、新政府軍が彰義隊と戦う際に50万両の戦費を集めたからじゃないかな?
対する彰義隊だってそれ以上のものがあったと思われてもしかたがない。
彰義隊残党の一部は、北陸や常磐、会津方面へと逃れて新政府軍に抗戦したとあるので、
彰義隊の軍用金の一部を持って行ったと思われる。
では、赤城はどうかというと、同じような話だと思う。
ただ、当時の状況からして、埋蔵金の本に書かれているような大規模な土木工事ではなく、すぐにでも使用できる状態。
もしくは、沼田藩に渡せないとしても、破棄するような形での埋蔵だったのではないかと思う。
ただし、幕府再興を願っていただろうから、後日掘り出せるような形にしていたのではないだろうか。

654 :
雛鳥さんが紹介してくれた舂米(つきよね)の埋蔵金みたいに70mも下に埋めることなんざ無理。
先日、徳川埋蔵金を発掘する宗教団体グループが、日光の男体山を勝手に掘って捕まった事件がある。
建機を使ったと思われるその穴の深さは11.3m
http://mainichi.jp/select/news/20121222mog00m040029000c.html ソース
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/12/21/kiji/K20121221004823380.html ソース2
このグループも赤城山はおとりだとしている「が」、観音様のお告げで掘ったそうな・・・

655 :
水野氏の初代の日記が読みたいな。

656 :
んじゃちょっくら、徳川埋蔵金を考査
@わらべうた「かごめ」は流布した時代が違うため、埋蔵金を指示した歌ではない。
地方により歌詞の内容が複数存在し、よく言われている解釈ができないため、現在では無関係とされている。
この歌を松尾芭蕉が流布した。松尾芭蕉=服部半蔵などと取り扱うところがあるが、歴史の勉強していただきたい。
A江戸城無血開城に伴い、御金蔵が空っぽだったのは幕府に金がなかったと扱うところが多いがこれも間違い。
フランスに借金していたぐらいと扱うところがあるが、これは間違いである。
フランスにある当時の書物によると、ローンで支払っていたという記録がしっかり残っている。
ローン=金がないというなら、車や家を全額即金で買えということ。
車や家のローンを支払っていても生活はできていることになぜ気が付かないのかも不思議。
また、金がなかったから幕府が負けたと取り扱うところもあるが、これは装備の違いである。
銃が単発か連射できるかを考えれば負けた理由もわかるかと、当時の銃の違いを扱っているサイトもあるので、見れば一目瞭然。
B赤城はおとり
まったくもって根拠がわからない。おとりならおとりの根拠を示してもらいたい。
いまだに掘り出せない=おとり だと簡単に導き出しているとしか思えない。
C水野氏は詐欺だった。
これも根拠がない。
確かにパトロンを捕まえるたびに暮らしが向上していたみたいだが、その子孫が何十年と真似をするかは疑問である。
水野氏が死去した際に「詐欺でした」との話も伝わってこないことや、奥さんに「あそこを掘ってみたい」と言っていたとの話から
重要→本人達は有ると信じていたと思われる。
こんなとこ?

657 :
『見捨てられた財宝百兆円』って本アマゾンで見ると9000円くらい
しますね。新風舎だから自費出版だとおもいます。書いた人は、京都
生まれらしい。本人とコンタクトとれれば安く手にはいりそうですが。
私は1冊持ってますが、電子本にするかな?2月の下旬ごろ予定あいてる
のでつくるかな?

658 :
165さん
メール送信しました。作戦会議参加希望です。

659 :
おろ?誰だろ?
メールが来てないよ?

660 :
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ(遅れてスマン)
赤城は分散した一部しか可能性がないって事?
本命は聞いちゃだめなのかな?
ところで誰か古文書読める?

661 :
本命は書かないってw
本に書いて有る事だってそこには無いと分かったり探しても出せないから書いたんだよ。
それはここでも同じ。

662 :
実はその通り
埋蔵金という特質から、誰かのヒントになったり、誰かに先を越されるということにもなる。
本命を微妙にはずしてある。それは誰しも同じこと。
だけど、作戦会議に参加した人達は、身元もわかっていることと、実力(行動等)もわかったので
本命の件について会議で解説をしてある。
そこは、2chと違うところというわけだ。

663 :
その証拠に会議参加者は、解説したその内容を2chで本命の場所を誰一人として書かない。
結束、仲間意識、志が同じものということかもしれない。

664 :
ホントなら凄い事だね。
財宝を出して証明してみてよ。

665 :
本命が赤城じゃないとか赤城だとか猿が京だとか永井とか位の事も書けないのかい?
求められているのはその程度の回答じゃないかい。
そこまで秘密主義でやっているのかな?

666 :
それは違うんじゃないかなw
このグループは赤城に有るとか無いとかが分かれば他の奴の先を越せる程の実力が有るんだよきっとw

667 :
赤城本命さんは、その名前の通り赤城本命って言ってるよ?
言ってないのは、私だけ 新説だからね。
赤城だとか猿が京だとか永井はもう結果が出ているよね。黄金沢や舂米とかも。
今まで名前が出ていない場所ならば、ふつー言わないでしょw
過去、誰かがすでに掘ったとか、掘ってみてダメだったら言うよ。
畠山氏や八重野氏、その他の埋蔵金関係の本を書いている人は、
出てないから(出なかった場所)だから本にしたんじゃないかな?
出てれば、本なんか書かないし言わないよ。法律があるからねw

668 :
あ!そうそう。赤城本命さんは、その名の通り赤城本命ですよ?私は、赤城以外説ですね。
秘密主義じゃないですよ。
でも、2chは誰が見ているかわからないので、場所をいう人はいないでしょう。
>>654でお伝えしているように、掘っている人もいるわけですから、本当に有ったらバカみたいなわけです。
例えば、埼玉県川口市と書けば、今まで世に出ている資料等を川口市で考え直すわけです。
川口市で考え直せば私と同じ答えが導き出せるわけなので、さすがに場所は言えませんね。
意地悪しているわけじゃないです。
赤城本命さんに言われたけど、「世に出回っている資料が基になっているので、誰でもわかるはず」ということです。
宝のありかにとらわれず、ぜひ趣味にしてみてください。

669 :
そこまで自信が有るなら、今のグループで掘ればいいんじゃない?
ま、他も相当自信が有りそうだからそこで証明してみてよ。じゃなきゃ言うだけ番長だよ。

670 :
そこまで自信が有るなら、今のグループで掘ればいいんじゃない?
ま、他も相当自信が有りそうだからそこで証明してみてよ。じゃなきゃ言うだけ番長だよ。

671 :
>>668
> 宝のありかにとらわれず、ぜひ趣味にしてみてください。
だれがいちばん宝のありかにとらわれているんだかw

672 :
仲間がいるし自信が有るんだから2chなんかに書いてないで仲間だけでやったらいいじゃん。

673 :
初心者なら、どこに有るの?はごく普通の質問。
意地悪しているわけじゃないです、なんて言い訳するのは意地悪してる証拠。

674 :
>>673さん
どこにあるかはわかっていませんよ。
ただ人それぞれ、自分の推理にしたがって、場所を想像しているだけです。
私は赤城西麓と考えています。これは前スレでもはっきり言っています。
徳川埋蔵金の比定地は60箇所位あって、あそこだここだと言ってる訳ですが、
今のところ、それがあるかも、どこにあるかもわかっていません。
わたしも赤城西麓といっていますが、詳しい場所は誰にも言ってません。
興味があれば、私のホームページでも覗いてみてください。
「黄金円陣」でググればすぐ、出てきますから。

675 :
まぁ赤城本命さんが、赤城西麓って教えてくれたんだから、そっからは自分で研究するといいです。
そもそもこの板は、埋蔵金発掘が趣味の人ですから
同じ趣味の人を増やしたいということで、6年前からやっているわけです。
なので、赤城本命さんも私も、できる限りのヒントを出しているのです。
そのヒントに基づき、ご自身で研究=趣味にしていただき、
同じ土俵に上がっていただければ、この板も盛り上がるんじゃないかという趣旨でやっています。
>>660の雛鳥さんみたいに質問があれば、できる限りお答えしています。
ただどこにあるか教えろ、証拠を見せろでは、誰も答えてくれませんよ。

676 :
じゃ、私も未調査ですが、興味のある地点を1つだけ教えましょう。昔書いたことがあるけどねw
もちろんこれは、私の本命とは違いますが、興味がある地点ですので調査する価値はあるでしょう。
場所は、千葉県流山市
流山市には赤城神社があります。
みなさんご存知かと思いますが、新選組局長の近藤勇は、流山で新政府軍に出頭しています。
流山には、慶応4年(1868年)4月1日夜から総勢200余名で4月3日まで駐屯しています。
4月3日情報を得た西軍の先鋒隊に包囲されてしまうわけです。
さらに近藤勇は、戦わずして新政府軍に出頭するわけです。
そんな中、土方歳三は、4月6日に流山から会津へ移動を始めます。
おかしくないですか?包囲されて観念して4月3日に近藤勇が新政府軍に出頭しているんですよ?
土方が、あわてて移動するならわかりますが、さらに3日も流山に滞在しています。
4月1日〜4月6日までなにをしていたんでしょう?
近藤勇は、何かのための時間稼ぎのため、あえて出頭して時間を稼いだのかもしれません。
新選組(甲陽鎮撫隊)は、慶応4年3月6日に甲州勝沼で板垣退助の率いる官軍に敗れています。
江戸を出発するときには、勝海舟から5千両(3千両とも)を軍資金として受け取っています。
全部使ったのでしょうか?もしかしたら、残りのお金を隠したのかもしれません。
逆に、幕府がもしもの時のための軍資金を隠してあり、それを会津や函館まで持っていくために
探索・掘り出しをしている時間を稼ぐために、近藤勇はJR埼京線板橋駅の横で、刀の露と消えたのでしょうか?
近藤勇は、局長です。局長がオトリになるぐらいの何かがあったかもしれません。
はい。この程度の話は、ググれば裏付けをとれます。
そこから推理したり、現地へ見に行ってみるというのが趣味の範囲です。
がんばってくださいね^^

677 :
まぁ場所についてのお話はこれぐらいです。
埋蔵金関係の本に載っていないお話しを教えてあげたのだから、感謝してもらいたいですね。
くれくれ君じゃダメですよ。誰も教えません。
上で書いた話なんか、ググったりwikiを見たりすれば、誰でもわかる話です。
平安時代の話じゃないので、資料もいっぱい残っています。
聞けば早いとか思うのは良くないですよ。若い人なのかな?
まずは、自分なりに努力してくださいね。話はそこからです。

678 :
このスレも足かけ8年ですかぁ ずいぶん長くやっていますねw 私が登場してから6年目です。
2chのほかのスレと違って不特定多数ではなく、165が約6年間常駐しているのが特徴です。
敷居は高いと思います。
まず、埋蔵金系の話を知っていないと質問しづらいというのが特徴です。
また、165が関東住みなんで、徳川、武田、結城など場所が合わないと話についていけないかもしれません。
何年かに1度、関西・九州方面の話をする人が現れますが、165に知識がないためお役にたてないでいます。
このスレをやめるときは、死んだか掘り出せたかのどちらかかもしれませんw
まぁ実際掘っている人もいるので、まだまだ続けたいと思っています。
某氏から実際に掘った時の話を聞いたときは、かなり興奮しましたね。
「え?あそこを掘ったの!? マジすげー!」みたいなw
私が思うに、埋蔵金は世に出ていませんが、畠山氏の著書にもあるように、こっそり掘り当てた人もいると思います。
法律の関係上、みんな言わないだけですね。
まだまだいろんな人が、それぞれチャレンジしていますので、お若い方もぜひチャレンジしてみてください。
いい暇つぶしになること間違いありませんw

679 :
そこまで書くなら赤城西麓とまで言わなくても赤城さん程度の範囲で答えてあげてもいいんじゃない。
なんか対応に意地の悪さが出ているんだよ。

680 :
>>676
本当に興味のある地点なら、今のグループで調査すれば。
それにしても上から目線だね。

681 :
埋蔵金系の話を知っていないと質問しづらいのではなく意地の悪い対応をする人がいるから質問しづらいんだよ。

682 :
雛鳥さんは、本命は聞いちゃだめなのかな?と聞いているだけで、どこにあるか教えろなんて聞いていないぜ。

683 :
アスペがわいてるなwwwwwwwwwwwwwwwww
>>662で2chでは教えないって165が書いてるじゃないかww 日本語が不自由な子が煽ってるのか?

684 :
せっかく流山の件を教えてあげてもこの状態かw
単に人の研究内容を得たいがためにあおっているだけですね。
流山の事を調べた? せめてグーグルマップぐらいでいいから見てみるといいですよ^^
2chの鉄則の荒らしや煽りはシカト進行でいかせていただきます^^
流山のいい質問をお待ちしています^^

685 :
>>683
だったら思わせぶりな事を書かないで最初から断ればいいって事。

686 :
>>682
> 雛鳥さんは、本命は聞いちゃだめなのかな?と聞いているだけで、どこにあるか教えろなんて聞いていないぜ。
以前も相手の言動を悪意にしか解釈しなかったり、相手の不利な事を捏造して攻撃しているよ。
これは事実。
ばれたら知らなかった事にするのかな?165さん

687 :
思わせぶりとか恐れ入りましたw 
あのね。。ここは2ちゃんねるです。へんな予告以外、何を書こうがチラシの裏なんですよ。わかっていますか?
2ちゃんねるで思わせぶりな話を「タダ」でするなというなら、本まで売って金を稼いでいる八重野氏や畠山氏は、とんでもない悪党ですねw
さらにTVまで使った水野氏は、極悪非道ですねw どうです?
なにか実害がありましたか?是非お答え願いたいですね。
あなたに実害がないのに先日からからんできたのは、あなたの私念だけじゃないですか?
ねつ造?ねつ造ってどうしてわかるんですか?ばれるってなんですか?
ねつ造とは、真実との違いが判るってことですよね?
事実ならこれも是非お答えしていただきたいですね。
せっかく教えた流山のことはお調べになりましたか?何かわかりましたか?
調べていないなら、なぜ調べなかったかもお答え願いたいです。
最後に一言^^
ネタも投下しない人が、人の書き込みにいちいち文句言うなら、自分で埋蔵金のネタを書いてくださいよ。
コテハンは686さんでいいですよ。
ぜひ、ワクワクするような面白い埋蔵金の話をお待ちしております。
思わせぶりはダメですよw はっきりどこに何があるかを書いてくださいね^^
週末ですし楽しみにしています。

688 :
流山の質問が来ると思っていたのにほんと残念だな。
千葉県だし、つくばエキスプレスですぐで面白いのにな。
こうやって横槍を入れられると、流山の話も終わっちゃうのに・・・。
いやいや いろんな人がいるもんですね。
競馬や株価の予想をしてハズレたらそりゃ謝りますけど、話は埋蔵金でしょ?
株価の予想を書いてハズレて謝らない人なんかいくらでもいますよ。市況板でも見てくればいい。
ほんとうにまいっちゃうなw
逆を言えば、それだけ私の話を真剣に読んでいてくれたんですかね。
ここまで食らいついてくるなんて、よっぽど恨みでもあるのかな? ひょっとしてあの人?

689 :
このへんも無いと分かっているから公表したのかな?
http://www.youtube.com/watch?v=pNba1gFlzEY
http://www.youtube.com/watch?v=tzK-XpefTDw

690 :
荒らしや煽りはシカト進行でって書いたんじゃなかったかい、どうしてシカトしないのかな?
どうして、結束、仲間意識、志が同じコテハンから流山の質問がこないのかな?

691 :
>>687
> 思わせぶりはダメですよw はっきりどこに何があるかを書いてくださいね^^
だれもこんな質問をされて答えるわけがありませんよ、その理由をさんざん書いた165さんが書く内容かな?
>>686の書き込みだけはどうして無視できないのかな?
事実が含まれているからかな?

692 :
結束、仲間意識、志が同じコテハンさんの流山の件の書き込み期待しています。
LV高そうな165さんのグループの実力を見せつけて流れを変えてください。

693 :
おいおいww その動画おれのじゃないぞww え?って思ってみたらその動画かよw
あえて名前は出さないが、この板に来ている先生の動画ですww
その動画をアップした人を尊敬していますよ。作戦会議にもサプライズで出席していただいたし。
君は知らないようだから教えてあげるけど、間違いなくこの板で一番現地調査している人
実際掘ったり、メディアに出たことがある人の動画です。
お腹痛いwwww 今までの時間をかえせwwwwwwwwww

694 :
流れをお笑いに変えやがったw 笑いが止まらないw
よりによってその動画かよw

695 :
久々に笑わせてくれたんで、ひとつ教えてあげよう。
そのユーチューブのページをよく見ろ
この板に来ているコテハンの誰かのヒントが書いてある。
おまけになその人のホームページのURLが書いてあるからな。
いいか?埋蔵金を探すより簡単だからな。すべての答えは、そのユーチューブのページにある。
ヒントを発見したら、このスレを1から見直せ、そこに答えがある

696 :
結城の方にはホームページへのURLがないや 武田のページの方をよく見ろなw
よく頑張ったからその動画についてちょっと解説してあげよう。
武田の方から解説してやる。
冒頭に出てくる山への登り口みたいなところには、実際見に行ったことがある。そこから山へは登ったことがない。
その動画のアップ主の先生は、梅図という印(しるし)がある武田の古文書?を基に探索していらっしゃる。
会議にもご出席していただいたが、おれはその梅図を見たことがない。
先生は、その隠し場所には印があると研究しておられる。動画の中の石にある○ぽっちみたいなやつね。
研究方法は人それぞれだから、先生の研究であって、君みたいにアレコレいうつもりはない。○ぽっちも参考として記憶してある。
次、結城のほうな
結城の埋蔵金の候補地で1番目は結城城跡だ。
時代劇でも有名な大岡越前が、幕府に命じられて掘ったという記録がある。
その後、結城城城主の子孫である水野子爵が、大々的に掘った。
この2つの大規模な探索でも、結城城からは何も出なかった。数両の小判が出たんだっけかな?いずれにせよ埋蔵金ではない。
2番目の結城の埋蔵金の候補地になっているのが、その動画でも紹介されている中久喜城跡だ。
結城城主であった結城なんとかが、長く隠居していた城だ。
聞くところによると、あの八重野氏も探索をしたということだから、まんざらでもない場所。
私は、結城城へは行ったことがあるが、中久喜城へは行ったことがない。
どちらの動画もまんざらでもない場所であることは確かだよ。
ですよね?先生w

697 :
誰かが電波系とか言ってた人の事でしょ
質問の真意は別にあると思うよ。
それよりその後の質問に答えてあげれば。

698 :
いやー君の実力ともどもよくわかったよ。
その動画に基づいて中久喜城跡でも探索して地主にでも怒られたのかい?八つ当たりはしないでくれな 関係ないんだから。
動画のおかげで、私、赤城本命さん、動画の主の3人の熱心な探索者のそれぞれが、肝心なところは言わないってわかったかい?
これは、みんな同じことなんだよ。3人以外に新説を唱える人がココにきても、みんな本命はいわないのさ。
それとね。グループ グループっていうけど、仲間に入りたいのか? ウチは20歳未満お断りなんだ^^
グループの活動内容・連絡や雑談だって、ここに書く必要はないんだよ。それぐらいわかるだろ?
じゃなんで私が書き込んでいるかというとな。スレ主だからなんだよ。
立てっぱなしじゃみんなに悪いと思うし、このスレをずーーーっと継続している理由が、
今じゃ少なくなった同じ埋蔵金発掘という趣味を持っている人たちを探すためなんだよ。だから継続して書いているの。
もちろん同じ埋蔵金を狙っている人はいるよ。赤城本命さんと私みたいにね。徳川埋蔵金ね。
研究の仕方は、赤城本命さんと私とじゃ手法が違うけど、君みたいに人を馬鹿にするようなことはないよ?
赤城本命さんは、私にすら「本命」の場所はお願いしても教えてくれてないよ。
君みたいにクレクレ君じゃないから、食い下がらないさ。それはそれでいいんだよ。当然のことだからね。
赤城本命さんには「本命さんのところがダメだったら、私のところをやりましょう」って言って有る。
赤城本命さんも「165さんを必ず論破する」って言ってますよw 趣味が同じだから、そんな関係なのです。
そもそも2ちゃん自体がどういうところかわかってないようだけど、君のやっていることは、スレ違いなのですよ。
おとなしくROMってるか、流山を研究してくれ。結城でもいいぞ。
いろんな方面の研究をすると時間がないから流山・結城はやっていないだけ。
流山は有望だよ。八重野氏すら調査していない場所だしね。
徳川埋蔵金赤城本命説、赤城以外説につぐ流山説を提唱してくれ。
俺って優しいなw

699 :
お だれかいる  あとの質問て?
っていうかw だれだw にゃろーw

700 :
>どうして、結束、仲間意識、志が同じコテハンから流山の質問がこないのかな?
このことかな?
上でも書いたけど、もうココに書く必要はないんだよ。私がスレ主だから書いているだけ。
仲間割れとかくだらないことは言わないでなw
書く必要がない理由を想像するのは簡単だろ?
これでいいかな?

701 :
あれ?165が抜けちゃったな。
連投したからか

702 :
あれ?165が抜けちゃったな。連投のせいか
上の書き込みは、165だからね。
ID丸出しだけど、住所は埼玉県川口市って言ってるし、自作自演もしていないから問題ないw

703 :
>動画のおかげで、私、赤城本命さん、動画の主の3人の熱心な探索者のそれぞれが、肝心なところは言わないってわかったかい?
そうなら動画を信じて本を買っている人がかわいそうだねw
何か書かなくては行けないのなら書こうか
中久喜城跡の動画の場所には無いよ、武田も無いよ。
>みんな本命はいわないのさ。
165さんに先に書かれてしまったけどね。
ところで165さんに埋蔵金がどこに有るか聞いた事があるかい?
いったいどこがバカにしているのかい?

704 :
え?あの本は私も買いましたよ?ブックレットでしょ?
かわいそう?なんで?今でも使ってますよ?中身を知らないのか?
中久喜城跡の動画の場所には無いよ、武田も無いよ。
なら、無い理由が知りたい。無いというだけではダメですよ。それこそいい加減な話だよ?
この板に何度も書いてるけど、「無いなら無い証明をしなくてはならない」
他人が調査した結果で無いと言っているなら、とんだお人よしだ。
バカにしてるというのはね。
武田・結城の埋蔵金の動画をあげておいて、さらに「動画を信じて本を買っている人がかわいそうだねw」って、言っていう神経さ
本は買った?買ってないなら、なんでかわいそうなんて言えるのかな? 買ったなら、なんで後悔しているの?
人違いをしておいてそれかいww それこそ人をバカにしているんじゃないか?w

705 :
>>700
> &gt;どうして、結束、仲間意識、志が同じコテハンから流山の質問がこないのかな?
>
> このことかな?
> 上でも書いたけど、もうココに書く必要はないんだよ。私がスレ主だから書いているだけ。
> 仲間割れとかくだらないことは言わないでなw
> 書く必要がない理由を想像するのは簡単だろ?
> これでいいかな?
仲間割れだなんて思っていないよ(ウソじゃないよ)、結束、仲間意識、志が同じなんでしょ。
ただネタが古いと突っ込みたかったんだよw

706 :
ネタが古い?そうじゃないだろ、悪人扱いしていただろ?
ネタが古いなら、ネタについて書けばよかったじゃんじゃないのか?
ここにきて論点をすりかえるとはな・・・書き込みを読み直しておいで

707 :
>>704
> バカにしてるというのはね。
> 武田・結城の埋蔵金の動画をあげておいて、さらに「動画を信じて本を買っている人がかわいそうだねw」って、言っていう神経さ
> 本は買った?買ってないなら、なんでかわいそうなんて言えるのかな? 買ったなら、なんで後悔しているの?
> 人違いをしておいてそれかいww それこそ人をバカにしているんじゃないか?w
あのねー。
>>703で聞いているんだよ。
だからそれ以前の事で答えてくれなくちゃだよ。
>>698
> 研究の仕方は、赤城本命さんと私とじゃ手法が違うけど、君みたいに人を馬鹿にするようなことはないよ?
この事をいっているんだよ。
君みたいに人を馬鹿にするようなことはないよ?なんて言われれば誰だっていい気はしないよ。

708 :
まずさ。705でいいからコテハンにしてくれないか?
いい気はしないって言うけど、人違いをしておいてあーでもないこーでもないって言い始めたのは誰?
どっちが先にいい気がしなかった?
1.まず、ごまかさないで人違いを認めること。
2.こっちは質問に答えているのに、多くの質問をしているんだけど一切答えてないのをどうにかしてくれ。
話はそっからですよ?
それとね。先生のブックレットは、役に立つよ。持ち運びが楽な点だけねw
今、値段を見たら800円だった。アマゾンで買うと倍ぐらいする。
ネタが古いのなら、新ネタを頼むよ。私一人かネタを書いていないんじゃどうしようもないだろ?
無い理由にも興味があるね。ちょっとでいいからその根拠を教えてくれないか?スレ的にも面白いだろ?
ちなみに書き込みが連投しすぎて1号機がアク禁になったw いま2号機で書き込んでいますw
あまり書くと2号機までアク禁になるかもなんで、レスつかなかったらアク禁だと思ってねw

709 :
>>706
> ネタが古い?そうじゃないだろ、悪人扱いしていただろ?
> ネタが古いなら、ネタについて書けばよかったじゃんじゃないのか?
> ここにきて論点をすりかえるとはな・・・書き込みを読み直しておいで
悪人扱いなんてしていませんよ。
論点をすりかえなんて、質問しただけでまだ議論していないんだよ。
それなのにどこに論点が有ると言うのかな?
ただネタが古いので、食いつきが悪いのかなと思っただけだよ。
何でもかんでも悪意と思うのはどうかな。

710 :
失礼、気が付かずに書き込んでしまったよ。これからは705で。
まずもう一回>>706をよんでよ。
そして人違いの件はあり得ないよ、kさんからも話きいているし。
分からなければ、kさんて発音して、ひ○じさんに聞いてごらん。
ちなみにこっちはアク禁になってないよ。
書き込みが混ざってるので誤解も有るのかもね。
求められている事が分かったので、今後差し支えの無い範囲で公開しますよ。

711 :
いっぱい書き込みをすると「書き込みしすぎ」でアク禁になるよ。
動画の主を知っているのか?動画をアップした人とは別人なわけ?
じゃ165と動画のアップ主が違うってことはわかってるはずだよね?話が混ざってるのか?
動画をアップして笑わせたやつは誰だw みんなコテハンにしろよww

712 :
705さんというコテハンになったんで話が早くなった。
話が混ざってしまって勘違いさせたことはお詫びします。
一応整理したいので、705さんが言っていることを簡単にまとめてくれると勘違いしないので助かります。
アップ主に聞いてごらんってことは、アップ主に近い人なのか?誰だろ?いままできた?

713 :
アク禁テスト

714 :
705さんが来ないんで、それまで
「埋蔵金はここにある!」と言った場合の被害を考えてみよう。
もちろん。自分より先を越されるのは嫌だ。
以前、赤城の双永寺に行ったときのこと、双永寺のおばーさんが「寺の裏の墓を掘らせてくれ」という人が現れて
「埋め戻すなら」という条件で掘らせたが、埋め戻さないで逃げていった。という話を聞いた。
うそでも「埋蔵金はここにある!」なんていうと、その話を真に受ける人が必ずいる。
>>654で紹介したように、神のお告げを信じて男体山を掘った人もいるぐらいだしね。
なので、うそでも場所を言わないという理由もあるのです。その土地土地の人に迷惑がかかる。
また、発掘費用をかけてしまった人がいれば、人生が狂ってしまうかもしれない。
自分で調べた結果、掘って捕まった・怒られたなら、それは自己責任なのです。
責任回避といわれれば、まったくそのとおり。
埋蔵金関係の本は、全部場所の特定を避けている。私も同じ。
赤城の話であっても水野氏の行いだけを書いてあって、その本の著者が「埋蔵金はここだ!」なんて書いていない。全部話をぼやかしている。
書いたのは、畠山氏ぐらいかな?「眠ったままの埋蔵金」で書いてあったが、実際の橋の名前と違っているのは、わざとはずしたのかもしれない。
そんな理由もあるのさ。以前にも書いたが、前のスレだったかな?

715 :
アップ主に近い人なのか?→YES
いままできた?→NO
知らなかったならそっとしておいてもらえないかな。
根も葉も無い事ならここに違うと書き込みが有るでしょ。

716 :
無難な流山説から
これってある意味赤城説なんだよね。
流山の地名の伝説から・・・
http://www.minami-nagareyama.org/museum/geographical-name.htm
>むかし大洪水で上州赤城山の崩れた土塊が流れ付き、小山(現在の赤城神社の位置する場所)となったことからという説と、赤城山のお札が流れ着いたからという説がある。
赤城神社 (流山市)
>市内を流れる江戸川の左岸(東岸)、平坦な土地に盛り上がった海抜約15m、周囲350m余りの小山の上に鎮座する。
>この小山はかつての洪水の際、群馬県の赤城山の山体の一部が流れてきてここに流れ着いたものという伝承がある。
社紋は徳川家と同じ三葉葵だよ。
これ以上説明の必要が無くなってしまったようだね。
近藤勇は埋めていたのか?掘っていたのか?どっちかな?

717 :
近藤勇は埋めていたと仮定すると。
土方(ヒジカタ)が土方(ドカタ)して、持っていっちゃたってのが自説だよ。
以下理由
新政府軍に包囲された時に土方が近藤の切腹を止めて投降を勧めたと言われており、実際に切腹を止めたかは別にして、その時一緒にいた事は確か。
その後土方は江戸へ向かい、最終的には函館五稜郭へ。
軍資金は必要だし、幕府はすぐに無くなるし(江戸開城)。
近藤が投降したのは4月3日、土方が仙台折浜から出港したのは10月12日。
軍資金を埋めたなら命がけでも掘り出して、蝦夷地へ向かったでしょう。

718 :
近藤勇は埋めていたのか?掘っていたのか?
これで仮説は二つ、皆さんどちらか選んで書き込み待ってるよ。
土方が土方して、持っていっちゃたってのは、近藤勇は埋めていたと仮定した場合の本命だよ。
近藤勇は掘っていたに希望をつなぎたいね。
近藤勇は掘っていたは、近藤勇は何も知らなかったも含むよ。

719 :
ご飯食べてきた。書き込みありがとうです。
流山にあるか無いかは未調査なんで別として。
その赤城神社がある小山は、赤城山という名称です。
その小高い赤城山の真下にあるのが、新選組が宿泊した流山寺と光明院です。
恩田家の日記に新選組が流山にいた時の話が書かれています。
大坂屋の前より三手に分かれた新政府軍に攻撃された新選組は敗走し、
軍用金、大砲等を取り上げられたが、大将二人はとどまっていると書いてあります。
近藤勇は、流山を戦火に巻き込みたくないと理由から投降したとの記述を多く見ますが、戦火の規模は不明ですが、一戦を交えたことになります。
なぜ一緒に敗走しなかったのか?に疑問が残ります。
近藤勇が江戸城の無血開城により抵抗をあきらめたのでしょうか?
土方歳三だけが徹底抗戦論で、話し合っている最中で、あきらめた近藤勇だけが降伏したのでしょうか?
降伏したなら、大久保大和と名乗り出頭する必要があったのでしょうか?疑問です。
土方歳三以下を逃すため時間稼ぎのため出頭したのでしょうか?
これらの疑問もあることから、なんらかの理由あったのかもしれません。
また、軍用金を新政府軍に接収されていることからも、手ぶらで流山に来たわけではないし、個人のお金ということでもなさそうです。
この軍用金が、持ってきたものか、掘り出したものかは不明です。また、全部なのか一部なのかも不明です。
群馬の赤城山の埋蔵金説をたどると、もし流山の赤城山も該当するなら、事前に埋められていたものであり、近藤勇が埋めたとは思えません。
では、掘り出しに成功したのか?
これは未調査で、実際埋蔵したと思われる地点を割出し、掘るなりして「無いこと」を確認しないと何とも言えません。
東京からも近いこともあり、おすすめのスポットであるわけです。

720 :
つい書いてしまいましたね。
705さん みなさんと呼びかけても、ここにどれだけの人がいるかは・・・。
>新政府軍に包囲された時に土方が近藤の切腹を止めて投降を勧めたと言われており
というのは、以前までの話で、恩田家の日記では攻撃されています。
また、切腹を決めた近藤勇が、大久保大和と投降の際に名乗る必要もないので、
敗走の時間稼ぎか、果たして・・・なのです。
軍用金は新政府軍に接収されましたので、土方歳三が手ぶらで転戦したのか、軍用金の一部を持って行ったかも不明です。
よくよく調べてみると、意外と面白いと思います。
ただ、705さんにとって流山ネタが古いのかもしれませんが・・・。
赤城山(群馬)以外説の私にとって、千葉の赤城山は興味がわるわけです。
ただ、このことを書いて教えるより、自分で一つ一つ調べて発見した時の驚きのほうが大事だと思うわけです。

721 :
>近藤勇の移送された板橋は、官軍東山道軍の総督府のあるところであった。
>ここで近藤勇は、あくまでも自身は大久保大和であると言い張ったが、新撰組当時の近藤勇を知る者の面通しにより、その正体はばれてしまった。
その時は、改名して大久保大和の名前で活動していたんだよ。
大久保剛→大久保大和
だから、大久保大和と言い張れば大丈夫(命までは取られない)と思ったんじゃないかな。
でもバレてしまい御愁傷様。なんか男らしくないよね。

722 :
>なんか男らしくないよね。
訂正しときますw
改名して大久保大和になっていたんだから、本人にとっては大久保大和であったはずで、あくまでもそれを通したのかもね。

723 :
恩田家の日記には、本陣には大将二人と書いてあるので、近藤と土方かどうかは別として大将がいるのがわかっている。
切腹を決めたり、投降を決めたりする人が、大久保大和と名乗る必要はないんじゃないかということです。
いずれにしろ投降したなら、それなりの処罰を覚悟するもので、土壇場になって通名を使う、かの新選組局長なのかということです。
切腹の話はや戦火に巻き込みたくなかったというのは、後世の作り話で敗者の美談で生まれたのではないでしょうか?←疑問ね。
意外と面白いでしょ?
調べに行ってもいいですが、マナーは守ってね。

724 :
気を使って、>>722に書いたんですけど・・・
第一に勇は通称ですよ。
大久保剛及び大久保大和は改名なので正式な名前になると思うよ。
またその時は大久保大和の名で活動していたはずですよ。
だから出頭する時になって急遽通名を使ったと思うのは違いますよ。
戦略的に改名したとは思っているけどね。

725 :
ほとんど後世の作り話だと疑ってかかった方がいいとおもうよ、実際そうだし。
以前ある物証を調べていた時なんか、教育委員会からレポートを出して欲しいとまで言われたよ。
それ位熱心にやっていたよ。

726 :
>>719
> また、軍用金を新政府軍に接収されていることからも、手ぶらで流山に来たわけではないし、個人のお金ということでもなさそうです。
> この軍用金が、持ってきたものか、掘り出したものかは不明です。また、全部なのか一部なのかも不明です。
近藤勇の持ってきた軍資金の事かな?
それなら、いったん敗走してきてから幕府にもらったんだよ。
体の良い厄介払いじゃないかな。

727 :
>>723
> 調べに行ってもいいですが、マナーは守ってね。
誰に対して書いているのかなw

728 :
705さんは、流山の件を知っていたんですか?

729 :
705を見てよw
ネタが古いって書いたでしょw
ウソ書かないよ。
ってかネタが古いってのの言いだしっぺだよw
少なくとも十年以上前のネタ(世間に知れたのが)だよ。

730 :
結構前ですね。自然発生ですかね?なんか根拠とかあったんですかね?
埋蔵金関係の本には一切でてこないですよね?
どっからわいた話なんでしょうかね?
ちなみに
近藤勇 右者元來浮浪の者にて、初在京新撰組の頭を勤め、後に江戸に住居致し大久保大和と變名し、
甲州並下總流山におゐて官軍へ手向ひ致或は徳川の内命を受候抔と僞り唱、不容易企及候 以下、省略
に出てくる「變名」は偽名という意味です。
当時、世の中では、大久保大和は偽名として通っていました。
まぁ本人は、本名のつもりだったかもしれませんが、名が通ってる近藤勇を頑なに言わないのにはしこりが残りますね。

731 :
偽名じゃ語弊がるな。 變名=偽名 別名 仮名
日本の埋蔵金研究所さんにも流山の件はでていないですね。確認してきました。
日本の埋蔵金研究所さんは、本やネットをほぼコンプリートしているんで、誰も本にしていないのか。
江戸にもどって、またお金をもらったことは知りませんでした。
甲陽鎮撫隊のときは幕府からお金をもらっている記録はあるけど、甲州で負けた後にももらった記録があるのでしょうか?

732 :
実はそこが724に書いた、戦略的に改名したとは思っているけどね。の根拠だよ。
捕まった時に、斬首や切腹とかの死罪をまぬがれようと近藤勇とは分からない名前で活動したんじゃないかな。
しかも自ら出頭しておきながら白を切るとはほんと○らしくないと思うよ(コレ本心)。
722の訂正しときますw のwの意味を読んでほしかったかな。
尋問された時にまず大久保大和だと言うのは良しだ、しかしその後ホントは近藤勇だろうって追求された時にあくまでも違うと言っていたようでそのあたりがね・・・。

733 :
まぁ新選組の話ばかりじゃしょうがないんで
その10年前に世に知れ渡ったときの状況やその内容をできれば教えていただきたいですね。参考にしたいです。
どっからどう流山に行きついたんですかね?
赤城神社なんて、関東以北にいっぱいあるのにね。
群馬ならいざ知らず、千葉に目を付けた人はすごいですね。千葉には4か所もあるのに
赤城山なんていうのも山岳信仰からなんで、富士山と同じで小高い山で富士山や赤城山と見立てた場所はおおいですよね。
どうやって絞り込んだんだろう?
世に知れわったたっていうことは、研究した人が多かったのだろうか?
実に気になりますね。

734 :
流山の件は知る範囲では本には書いて無かったよ。
ネットではどうだったのかは、現役の奴に聞いておくよ。
実は持っていた資料は最近まとめて譲ってしまったんだよねw
この件も現役の奴に聞いておくよ。
おやすみzzz

735 :
流山の件は知る人はぞ知るレベルだったのかもね。
こんど聞いてみるのでちょっとまっててね。
おやすみzzz

736 :
流山は面白いですね。ここなら冬でも行けますね。
昨日、読んでたのですが、いつのまにか、寝てた。

737 :
お ひつじさんだ。
流山を面白いというなら、ひつじさんも知らなかったのね。
ひつじさんを話の引き合いにだしちゃって、申し訳ありませんでした。

738 :
徳川幕府の裏金は大奥で処理された
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/45/299_1.html
日本政府の「埋蔵金」の基礎を築いたのはある女性だった。

739 :
>>716〜718
対してストレートに答えない。
さりげなく教えて君になっている。
文章が読めず誤解が多い。
今までと同じく書き込まなくなるんじゃね。

740 :
まあ、早い話が、
近藤勇さんが幕府の軍用金の管理をしてたってことは、
無理がある。タダのサギ話。
こうゆうのを埋蔵金屋さんっていうのです。
書き込まなくなるとまずいのやんわりとカキコしたけど、
まあ2chだから何を書いてもいいのでしょうけど、
営業妨害はまずいよな。

741 :
さすが、やっぱりひつじさんだ。かなわないなw
流山の話は、過去にも書いたけど、流山在住の主婦のブログが基で、ほんのちょっと着色しました。
10年ほど前に世に出回ったとか言われて、びっくりしましたよ。
まぁ実際どうだかはわからないが、主婦のブログを基に研究する人もいないだろうw
まさか、資料まで持ってたとか言われた日には・・・

資料を持っていたなら、その資料の一部だけでも書くのかな?と、思ったけど、
>>716の赤城神社の話とか「これ以上説明の必要が無くなってしまったようだね。 」と言われるとは思いもよりませんでしたw
主婦のブログの話は、全部私が書いちゃったので、どう出るか楽しみだったんですけどねw
初めからクレクレ君だったので、からかっちゃったよ ごめんねw
>>723  > 調べに行ってもいいですが、マナーは守ってね。は、705さんに対して書いたんですよ。
話を合わせたつもりでしょうが、お見通しです。最後は、うやむやでいなくなってしましましたがw
その主婦のブログも載せておきますねw まぁそのブログの日付が2003年なんで、丁度10年前ではありますけどw
http://www.d1.dion.ne.jp/~mzn/contents/monologue/2003-10-9.html
2003年当時にこのブログを知っていたんだったら、もうちょっと私とやりあえたのに残念でした。
今後もご自分でお調べになってから挑戦してきてくださいね。
ひつじさんのおっしゃる通り、書き込みは自由ですが、妨害はしないでくださいね^^

742 :
ひつじさん E-mail欄にsageっていれてくださいw
スレが上がると、通りがかりのいろんな人が来てしまいますので、よろしくお願いいたします^^
あと>>717
近藤が投降したのは4月3日、土方が仙台折浜から出港したのは10月12日。
軍資金を埋めたなら命がけでも掘り出して、蝦夷地へ向かったでしょう。
と、書かれていますが、
土方歳三は、流山→江戸→宇都宮→会津→函館と転戦していますので、掘り出して函館持って行く暇がないですよね。
大将である土方歳三が、江戸に近藤の助命嘆願に行っている間に部下に掘らせる(管理させる)とか無謀ですよね。
クレクレ君がいたんで釣ってみましたが、ひつじさんまで釣られたかと思ってドキドキしていましたよw
流石だなぁ〜

743 :
でもね。適当なことは書いていませんよ?
恩田屋の日記だって実在するし、>>730に書いた「近藤勇 右者元來浮浪の者にて・・・」も
近藤が捕えられて打ち首になったときの瓦版からの引用です。
ブログの主婦の旦那の持論だそうなんで、よーく調べればかなり現実味を帯びてくるんじゃないかな? ひょっとして・・・もあるかも。
甲陽鎮撫隊のときは幕府からお金をもらっている記録はあるけど、甲州で負けた後にももらった記録は今のところありません。
まぁ腹が立つでしょうけど、埋蔵金の話は人に頼らず、自分自身で研究していかなければ騙されるといういい経験になったのではないでしょうか^^
ぜひ、今後、ご自身で研究して、赤城本命さんや私の度肝をぬいてください。期待しています^^

744 :
ネタが古くてごめんなさいね^^
その話は知っていたよ。
とか、後だしジャンケンはやめてくださいね^^知っていたなら、もっと早く話に出てくるはずですから^^
ひつじさんに見破られてしまったな・・・。私もまだまだ甘いな。
それではおやすみなさい。

745 :
705に知らなくて、いきなりネタが古いと書けますか?
718に近藤勇は何も知らなかったも含むよ。と書いたよ。
2008年にはネットで拾えたネタだよ。
ひつじさん
どこに近藤勇さんが幕府の軍用金の管理したと書きましたか?
※717は、近藤勇は埋めていたと仮定した話だし、その仮定の結果はそこには無いので詐欺の使用が有りませんよ。
どこに近藤勇さんが幕府の軍用金の管理したと書きましたか?必ず答えてくださいね。

746 :
×詐欺の使用が有りませんよ。
○詐欺のしようがありませんよ。

747 :
はいはい。もうわかったよ。

748 :
705はとんだ粘着君だな。

749 :
sage
すっかり忘れてた。昔は、こうゆうミスなかった。
やはり、年だな。
ところで、ここのリンクこれ使うとsage忘れる。
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1338086412/
私の知ってることは全部公開して跡継ぎ育てないと。
先週、tvの企画持ちかけられたけど、今日、断りのmailが。
これで連続4企画没。ちなみに先日の毛○氏は私のとこへ最初に
きたのですよ。
やはり、東大元助手は、お笑い番組系にだせないらしい。
今回のは、T○S系で金曜24:20?ごろからの有○ジャポン???
26日収録らしい。放送わからないけど。また八○野さんかな?

750 :
やはり人間性に問題があるな。

751 :
>>748
> 705はとんだ粘着君だな。
165だな。

752 :
このところの165さんサイドの登場人物は、165さん・赤城本命さん・ひつじさん。
赤城本命さんは、匿名でそのような事は書かないだろうし、ひつじさんもそうだと思う。
165さんに一票。

753 :
この本、これでも1000円安くなってる。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/428900492X/ref=dp_olp_used?ie=UTF8&condition=used
1500円まで下がるかな。

754 :
ひつじさん ありがとうございます。
楽しく読ませていただきました。ちょっとタンパクな本ですね。
そんなに古い本ではないのに、そのお値段・・・。
目についていたら買ってたはずですが、発行部数が少なかったのですかね。。
と、思いきやブックオフで600円で売られていたみたいです(過去形)w

755 :
>>698
>動画のおかげで、私、赤城本命さん、動画の主の3人の熱心な探索者のそれぞれが、肝心なところは言わないってわかったかい?
>これは、みんな同じことなんだよ。3人以外に新説を唱える人がココにきても、みんな本命はいわないのさ。
みんな本命はいわないのさ。って事は動画の場所は本命の場所では無いって事ですよね。
そう見てみると動画の場所では無いと言いだしたのは165さんですよね。
705さんはそれに釣られて書いた一面も有るように思う。
ひつじさんはまじめに動画を撮っているように思う。
165さんや赤城本命さんの話は別として・・・
肝心なところは言わないってわかったかい?・みんな本命はいわないのさ。って書いた根拠は何処に有るのでしょうか?

756 :
なんだって、いいじゃんよ!
本気で探してる人間がさ「はい、ここに在ると思います!ありますよ!」なんて書く訳ねーだろ
自分で探索しもしないで、他人の褌借りて相撲取るんじゃないよ
挙句に165さんに言いがかり付けてよ
自分で動け!自分で
「教えてクン」は退場してね、ハイ論破

757 :
埋蔵金>>730
> 結構前ですね。自然発生ですかね?なんか根拠とかあったんですかね?
> 埋蔵金関係の本には一切でてこないですよね?
なんだって、いいじゃんよ!
本気で探してる人間がさ「はい、ここに在ると思います!ありますよ!」なんて書く訳ねーだろ
自分で探索しもしないで、他人の褌借りて相撲取るんじゃないよ
自分で動け!自分で
「教えてクン」は退場してね、ハイ論破

758 :
>>756
165だな。

759 :
>>757
>>758
日向か?往生せいや!

760 :
おっと、八○野か…の残党だなw

761 :
>>760
書き込み読んだが、違うぞ。705に違いない。

762 :
165さんが書かなくなっちゃった見るの楽しみにしてたのにファンのためにも戻ってきてくださいね
705は二度と来るなよ荒らしやがって迷惑なんだよシッタカ野郎が

763 :
龍喰川の丸い印行きたい人に場所教えますよ。
ただ、違法に掘ったりするとまずいので、誰にも
というわけにはいかない。
特に、ヤ○ザさんとかに教えるとまずいと思ってる。
今は雪なので行けない。
春すぎごろには、公表方法考えておきます。
山道1時間程あるきます。

764 :
>>762
> 165さんが書かなくなっちゃった見るの楽しみにしてたのにファンのためにも戻ってきてくださいね
> 705は二度と来るなよ荒らしやがって迷惑なんだよシッタカ野郎が
705さんのどこが荒らしなの?

765 :
今読み終わった。面白いね。
まぁ他人が言ってもどうしようも無いことだと思うけど、
165さんは最初から日向さんと983さんを煙たがってた
印象。勿論地図を渡したりと、色々としてる人だし。
日向さんは2回目のオフ会に不満を持ってるのは表明
してるね。だけど、特定の誰かをパートナーに持ってるわけじゃ
なさそう。 何回も、山歩きだったら単独でするけど、
埋蔵金堀等はは絶対に一人でしない!って宣言してて、
一緒に掘る人を募集してる!って印象だった。一緒に掘る人と
山分けね!ってことだったんだろうけど。危険な目にあった事
があるんだろうね。
165さんも何回も言ってるけど、本命の場所は誰もいわない!
それはなんで?
たぶん、本命は一人もしくは極少数で掘りたい
(山分け、秘密維持とか考えたら当たり前)

766 :
165さんも、他の人も多分同じ目的なんじゃないかな?
本命以外のところは皆で掘ってもかまわない!
万が一出たら、山分け仕方ないけれども、本命以外の
候補地っていっても可能性が0じゃないから手を抜くわけには
いかない!だけど、一人でするにはとてもじゃないけど、無理!
だから、本命以外を皆で当たって、その可能性を潰しておきたい!!
って所。
日向さんは案外、得られるお金にはそんなに執着してなさそう。
トレジャーハンターとしてまず実績を作りたい!って感じに見えた。
(その後はテレビ出演、執筆活動なり)お金に換える方法まで考えてる
かどうかはわからないけど。
165さんは所々テレビに出てる人のことを否定したり肯定したりして、
同じ立場になりたがってる節も文脈に見受けられる。仕事の都合か、
体力的か、技術的などれが問題だったか分からないけど、日向さんに
危機感は持ってたのは凄く思った。 983さんにもあんまり絡んでなかったよね。
なんでだろう?実際にオフ会にいった人はその人の実際の話し方、印象、眼つき等で
判断してるんだろうけどね。 
まぁ自分が読んでた印象では、日向さんの予測地点が165さんの本命の
可能性大有りと感じました!

767 :
埋蔵金の話に興味があってネットで探してたら、2ちゃんにもあったんだな。
過去ログは読めんかったもんでさ、自分も最初から楽しく読んでみたから感想を
まずはスゴク詳しく研究や探求してることに驚いたんだよ!こりぁスゲーよ!
目当ては大雑把に赤城と武田と結城の3箇所なような
スレ主の「165さん」は赤城本命で武田は二番目で、「赤城本命さん」っちゅう人は「赤城一筋」
コテハンが他に「109・983・ホッシー・風の子さん」の人たちかな?「日向・705さん」も居たなぁ
推理小説じゃないんだが『765と766』はさぁ、なんや随分「165さん」に絡むと言うか
何を知りたいんじゃ?165さんに面識が少なからずあるのかな?
「日向さん」はこき下ろされてから行方不明みたいだが、案外「705・765・766が日向さん」に思える
765・766が書いた本当の目的は何なんだい?単刀直入に書きゃいいんじゃねーの?

768 :
IPアド抜きました!
誰が誰だか分かっちゃいましたよ〜w
自演するなよな

769 :
このスレの住人って本当に埋蔵金さがしてんの?

770 :
コテハンの人達はどこ行ったんだろ?
109・983・ホッシー・日向・705・165・赤城本命
すっかり書き込みなくなっちまった

771 :
過疎

772 :
静かになったので、久しぶりに書いてみますかね。
いろいろ詮索している方々がいるので、疑問の解消などをしてみたいですね。
<なぜ本命の場所を言わないか?>
何度も答えを書いているんですが、理解されていない方も多くいますね。
探索している人はそれなりに資料を集めたり、独自の研究をなさっています。
その資料や研究を2ちゃんという誰でも見れる場所に書くと、それが誰かのヒントになったり、行動力・資金力がある人に先を越されるから言わないのです。
また、その資料・研究をうのみにしてしまい、資金を突っ込んだり地元の方々に迷惑をかけたりという結果にもなりかねないので言わないわけです。
簡単に言うと、先日、競馬のデータソフトかなんかで何億も稼いで脱税で捕まった人いますよね?
その人が2ちゃん(ネット)なんかでデータ・ソフトを公開しないですよ。当たり前ですね。
そんな神様みたいな人はいませんし、ソフトの改造方法を公開したら、みんながマネして稼ぎ出してオッズは狂うし、JRAに対策とられちゃいますもん。
だけど、世の中にはパチンコ攻略法商法や競馬予想商法を信じて金を突っ込む可愛そうな人もいるのです。そして借金をして・・・首を・・・。
こうゆうのは避けたいですね。本命の場所っていっても単なる予測ですしw

773 :
<このスレの趣旨>
みなさんもご存じでしょうが、埋蔵金発掘がブームになった時代がありました。
それ以降、どんどん下火になってしまい、たまーーにTVでやるけど、今となっては埋蔵金の話=???という状態です。
ぜひ、みなさんに埋蔵金探しに興味を持ってもらいたいので続けています。
本命以外の場所を潰しておきたいとか、そんなくだらないことは思っていませんよw
日本全国に埋蔵金伝説があり、みなさんのお近くにも埋蔵金伝説があったりすると思うんです。
そのお近くの埋蔵金伝説に興味を持ち、ご自身で研究し発掘を夢見ていただきたいと思っています。
私としては、場所はどこでも良いんですよw 埼玉県人なので赤城や結城、流山なだけです。関西だったら多田銀山でしたねw
埋蔵金の話を知りたければ、八重野氏のホームページをはじめ、日本の埋蔵金研究所さん、書籍を買えばいいのです。
そこからどう自分自身で調べていくかをみなさんに期待しているわけです。
それがタイトルにあるように「趣味」になっていくわけです。最初から犯人がわかる推理小説じゃ面白くないでしょ?

774 :
<最後に>
また変なのがわいたら、本当に気が向くまでココにはきません。このスレを捨ててもいいと思っています。
すでにココに来る必要がないけど、スレ主だから来ているだけです。
クレクレ君は大嫌いです。あと、後だしジャンケンする人ね。
こういう人が人の成果を自分のヒントにしようとしているようで、本当に大嫌いです。
ですが、自分で調べた結果での質問をしてくる人は大好きです。いい質問を期待しています。
あとね。983さんは元気ですよ?
そうそう流山の話だけどね。上でも紹介したように主婦のブログなんですよ。実際ずーっと何年も確認しているけど、この主婦のブログ以外は見たことがありません。
でも、この主婦の旦那さんいいところに目を付けたと今でも思っていますよ。
ちなみに「足立区史」には、新選組が流山に入る前のことが「伝説」として書かれていて、「慶応四年はひどく雨が多かった。」から始まる文章の中に、
武蔵国足立郡五兵衛の名主金子左内方に、新選組百五十人余りが押しかけてきたのは・・・中略・・・「奥の間に軍用金の千両箱が積み重ねられ」と書いてある。
そっか伝説かと思ったら、この伝説を裏付ける「金子家史料」という古文書があったわけです。
ほらほら、まんざらでしょないでしょ? まぁひつじさんにも注意されたんで、流山の話はこれまでにします。
上から目線?上等w ぜひ、埋蔵金ネタを書いてくれる人をお待ちしています^^ それまでは、上から目線ですw

775 :
読み直したら間違いがあった。
武蔵国足立郡五兵衛 ×  武蔵国足立郡五兵衛新田 ○
今の足立区綾瀬6丁目・7丁目付近だね。
訂正と、お詫びを申し上げます。

776 :
いまざっと見てきたところ「金子家史料」に関しては、ネットで極小だが見受けられるが
ネットに伝説の中身を書いたのは、私が初めてかな?
伝説の続きを知りたい人は、ぜひ「足立区史」を読みましょう。

777 :
年度末は何かと忙しいのと、パソコン初号機の具合が悪いため、なかなかかけません。
さてさて 暖かくなってまいりました。活動再開ですかね。

778 :
165さんは、165さんの掲示板でも作ってそこでやればいいじゃないかな。

779 :
>ネットに伝説の中身を書いたのは、私が初めてかな?
一番である事にこだわりがあるんじゃないかな?

780 :
>>778
そうは言うが、165さんがいなけりゃ完全な過疎スレだぞ!

781 :
165だ!

782 :
いやクレクレ君だ!

783 :
しかしスゲーな
じっと書き込み待ってたのかよ!
粘着野郎、乙
しばらく過疎にした方がいいな

784 :
そうだね165さん。

785 :
しかし、すごい粘着だなw
趣味板で粘着するとか何がしたいんだ?ウソやシッタカぶりをばらされて頭にきてるのか?
埋蔵金ネタすら書けないのに何がしたいんだ?仮説でもいいから自分で書けばいいのにw
まぁ暖かくなったから、ここに書く回数も減るからがんばってみてよ。

786 :
ちなみに「金子家史料」の中身については、
シッタカ君が前から知ってた!とか古い話だとか、ネットにもあったなんて笑わされたくないからねw
ほんとあんときは大笑いしちゃったからなwバカも休み休み言えな。

787 :
お前ホントにゴミだな。

788 :
>このスレを捨ててもいいと思っています。
捨てれば。

789 :
165さんは挑発するのが好きなんだな。

790 :
人の話ばっかりで、このスレの趣旨とはずれてるね。
埋蔵金の話がしたくて来てるんだけどなあ。

791 :
埋蔵金の話をしましょうね。
武田関係です。
天正9年12月、武田家は北条、織田との和睦金として、[小判1万枚、甲州金2万枚他]、
[小判1万枚、甲州金1万5千枚他]の2口を準備したが話合いがつかなかったので、ひと口は
天目山山麓に天正10年1月2日に埋隠、もうひと口は秋山郷に同10日に埋隠したという。
この話の真偽と、本当の場合、既に発掘済みなのかどうか、知っている方は書き込みお願いします。

792 :
挑発されたらこうなっちゃうよ。

793 :
埋蔵金の話をしている人がいても、いきなりその人を攻撃して、あげくその説を自説として書くような人がいるから書けないよ。

794 :
>また変なのがわいたら、本当に気が向くまでココにはきません。このスレを捨ててもいいと思っています。
その後165さんが挑発してるし、そうなる事が目的かな?
どっちが粘着しているのか分からないよ。
ここに粘着せずブログでやるとか掲示板作るとかすれば、きっとそのほうがいいよ。

795 :
>また変なのがわいたら、本当に気が向くまでココにはきません。このスレを捨ててもいいと思っています。
その後165さんが挑発してるし、そうなる事が目的かな?
どっちが粘着しているのか分からないよ。
ここに粘着せずブログでやるとか掲示板作るとかすれば、きっとそのほうがいいよ。

796 :
埋葬金の話もしないで165さんに付きまとっている人はいったいなんなんだ?コテハンにしてみたら?

797 :
↑コテハンじゃない人がそんな事書いても説得力無しだよ。

798 :
↑コテハンじゃない人がそんな事書いても説得力無しだよ。

799 :
しっかり過疎ってるね

800 :
コテハンの人たち、どこ行っちゃったんだろ?

801 :
165さんがいないと完全に過疎だな。165さんをあおっておいて自分で埋蔵金の話しひとつ書かないとかひどいね

802 :
日向のことかw

803 :
金属探知機は高価なモノが売られていますが、効果はどの程度のモノなのでしょうか?
ここのプロさん方は使われていますか?

804 :
日向キターw

805 :
おっつ

806 :
金探ニコダワッテルノハ日向クライシカ居ナイ
早速、馬脚表シタナw

807 :
有名どころよりも、旧家の土地に埋蔵されてる可能性のほうが高いよな。
実際に狙って掘り当てた人の話が聞きたいわ。
埋蔵金のホームページ作ってる人って、実績はどうなんだろうね。

808 :
また来たよ、コイツ
日向だろ、わかるんだよ!

809 :
IPでわかるんだよw

810 :
165から除名処分を喰らっても、何だかんだって居座ってる
165らの動きや情報が欲しくて欲しくて我慢できないんだろうな

811 :
1年近く前に解読の最終段階!!とか息巻きながら何の結果も得られてないとか悲しくなるなw
自販機の釣り銭口に指を突っ込んでる方が有意義だろうな

812 :
他人の褌で相撲をとるなw

813 :
徳川幕府の巨額埋蔵金とは…
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/42/284.html
それは、日本の鎖国政策にあった。

814 :
誰も埋蔵金の話を書かないじゃないかどーすんだよこの状態

815 :
海賊キッドの財宝は24時間テレビなどで有名だが、あれすでに西表島の月が浜の左端の砂岩で発見されている
米軍ヘリで来て、宝の調査に来たと言ったので炭鉱の事かと聞いたところ、海賊の宝だと言い、見守っていたら本当に砂岩の頂上から掘りだされ宝石や金銀とともに鉄砲サーベルが出てきたそうです。
 
ガセか?ニュースソースがねーぞ

816 :
165さんのホームページの掲示板を作ってそこでやりませんか。

817 :
>>815
他人が努力した成果を口をあけて待ってピーチクパーチク言うのは雛鳥のやる事。

818 :
クレクレ君は大嫌いです。

819 :
>>814
君が埋蔵金の話を書けば。
それとも君はクレクレ君か?

820 :
>>801>>810
お得意の新入り潰しだな。
それとも自作自演か?

821 :
なんだか進展がないなぁ

822 :
ユーチューブに徳川の埋蔵金の動画upしました。

823 :
>>815
話しからして、それを見ていた地元住民から聞いただけって事だろ?
本当だとしても当時の米軍統治下ならニュースにはならないだろうし住民の噂ぐらいの
レベルにしかならないんじゃないの?
「西表島の月が浜の左端の砂岩」って河口にある小さな島みたいなやつの事かな?
掘り返した後でも見つかれば信憑性も出てくるとは思うけど、
掘り返した跡をみつけてもそこにお宝はない訳で

824 :
ガセに決まってるでしょう
何を発掘したか視認できるレベルで近づけるわけありませんから

825 :
>>822
画質&#10005;です
>>823
2つある内の「小さい方」らしいな

826 :
文字化けしたな
>>822
「画質不鮮明」です

827 :
天は東照宮としても、人は意味不明。
どーしてそうなるの?????

828 :
米軍がどうして西表島にあるってわかった?八重野サイトは奄美大島の宝島にそっくりだぞ
見守っていたら?岩から浜まで100mはあるぞ100%ガセだな
ガセはガセでいいが165みたいに解説や根拠や資料をだしてもらいたいな165の復活を望む

829 :
他人が努力した成果を口をあけて待ってピーチクパーチク言うのは雛鳥のやる事。

830 :
ユーチューブの武田の埋蔵金の動画だが、動画の終わりの参考文献の二冊の内容は動画の場所を探す参考になんかならない。
これじゃ詐欺と書かれても仕方ないよ。
違うと言いたいのならどの部分が参考になるか教えてくれ。

831 :
誰かが電波系と評価してた人の動画でしょ。
電波系なんだからさー、まともに相手しちゃダメだよwww

832 :
>>827
これは日向さんですね。なかなか、するどいですね。

833 :
金属探知機で探し当てたって話は
日本ではまったく聞かないな

834 :
どうやって探し当てたって話なら日本で聞いた事があるんだい?

835 :
灯明皿で解読したって書いてあったよ。

836 :
昨年秋に大常木谷を探したが見つからなかった。
その前には龍喰谷、高橋川、黒川千軒も入った。
もう一度、おさらいし直すか。

837 :
時間の無駄じゃね

838 :
山の中なんて一生かかっても無理じゃね

839 :
そんなレベルの探し方じゃいくら探しても無駄。
大常木谷だけでも、最低10年はかけなくちゃ、しっかり探したとは言えないよ。
それじゃ歩いただけでしょ。

840 :
>>839
おもしろいな、そこまで書くなら貴殿は何か発見したのか?
参考までに書き込んでくれないか?
他人をこき下ろすだけなら誰でもできるけどな。

841 :
>>840
165さん的な書き込みですね。

842 :
>>840は一見正論に見えるけど実はこじつけで攻撃しているだけ。
例えば何年間か秋に大常木谷を探しただけで、大常木谷に無いと言い切れるのか?
水野家をはじめ赤城山の歴史を見れば分かるはず。

843 :
確かに165的だ

844 :
ジャップは土着で漂流するような生活はしてなかったし金を埋めるなんてしないよ
代々守っていけばいいわけで
歴史のある庄屋だか金貸しの家から小判が発見された事はあっても、埋蔵金は一度も発見されないのがその証拠
更に言えば誰か全く無関係、それどころか敵側に解読される危険のある暗号なんて残すわけもない
代々血脈として受け継いでいく、そういうものだから
この辺の精神性を理解出来ない穢多非人や朝鮮、支那の人間が馬鹿面こいて必死に穴掘ってるだけなんだよね

845 :
>>844
表現に問題あり
ただし以下の内容は同意出来る
>誰か全く無関係、それどころか敵側に解読される危険のある暗号なんて残すわけもない
>代々血脈として受け継いでいく、そういうものだから

846 :
1年近く前に解読の最終段階!!とか息巻いていたやつらはどうしたw

847 :
>>840
そうだね、これからは上から目線の書き込みは発見物を書き込んでからにしようよ。
例外は無しね。

848 :
>>847
それ以前に誰も書き込まないんだからこのスレ終わりじゃねww

849 :
>>848
貴殿が埋蔵金の話を書けば良いのです。
それとも貴殿はクレクレ君ですか?

850 :
みなさんお久しぶり。たまに2chは見ていましたが、アク禁に巻き込まれてほぼ今日まで書けませんでした。
見るたびに、せっかくの交流が台無しになってるのが残念だと思っていました。
しかし、約3か月間で書かれているのはキッドの宝ぐらいかw ひどいもんだなw
キッドは八重野氏がTVでやって空振りなのと、遠いから全く興味がない。
ですが、ここに書いてあるのはなかなかじゃないかな。具体的に掘り出したものが書かれている。
残念なことに情報元が書かれていないな。本にはとか古文書には・・・とか。残念。
修二郎を追っている人もいますね。あの辺を一回りしたのか・・・すごい行動力だな。
個人的には大常木谷は期待薄ですね。あっても置き忘れた砂金採りの壺ぐらいだと思っています。
興味がおありなら、私のHPにメアドがありますので気合い入れてメールしてきてください。フリーメールで結構です。
他の人と混同しないよう、現地の詳しい話などを書いてくれると、本物だとわかります。ありきたりな話じゃ真贋がわからないので無視するかもです。
それと誰かも勘違いしていたけど、武田や徳川の動画をUPしている人と私は別人ですから、くれぐれも間違えないようにお願いします。
キッドの宝と修二郎の探索をしている話人以外は、ろくすっぽ何も書いていないので今後も上から目線でいきますね^^
>>847さんも、まずは自分で埋蔵金の話を書いてからルールを決めたほうがいいと思いますよ。まずは話を書き込んでからじゃないとね。例外無しで^^
さてさて、久しぶりの書き込みなので何か埋蔵金のネタでもひとつ書きたいと思います。上から目線のためにw
今まで出ていないネタで、ネットでもなかなか見つからないようなネタをw
群馬県立文書館に「願書并御答書写・加入仕法覚 天保5年6月26日 願人治左衛門・五人組吉右衛門他」という古文書が残されています。
簡単に中身を言うと「結城晴朝の埋蔵金掘立ての話」です。
文書館に行けば閲覧可能だと思います。上記タイトルで検索すれば群馬県立図書館の蔵書に引っ掛かりますので、あとは問い合わせてみてください。
おどろどろろしい話ではありませんから安心してください。 

851 :
大常木谷に跡は無かったから確かに無いのかも。
高橋川も同様。
龍喰金山は右岸の水源巡回路沿いに見られる。
黒川は既に本格調査されてるし崩落坑道しか残っていない。
修二郎の埋蔵金、書き置きの辻褄が合わない。

852 :
>>851さん もう、ご理解いただけると思いますが、他人の成果を努力もなく得ようとする人がいるため、
ココ2chでは詳しく書けないことをまずご了承ください。
簡単ではありますが、私の推察等を書かせていただきます。
あの辺の金山は、龍喰金山、牛王院金山、黒川金山、黄金沢金山と丹波山金山です。
まず、黒川ですが本格的に調査が行われた為、発見は難しいと思います。
発見済みの穴なら確実に無いでしょうし、未発見なら期待が持てますが、未発見を発見するのが難しい。
上の>>850でも書きましたが、大常木谷に金山はありませんから、穴らしい穴は見つからないと思います。
ただ、龍喰川より大常木のほうが砂金採りが盛んでした。一つまみの砂金を毎回持って帰るより、どっかに貯めて置いた場所はあるでしょう。
ですが、修二郎の見つけたものと砂金は違いますね。
高橋川は、まだ考察していませんが、石保戸山にはワンチャンスあると思っています。過去に大木があったのも確認できています。
龍喰川「右岸」と書いてあることからもベテランなのが推察できます。
川は上流から見て右側が右岸なのです。意外と知らない人も多く、自分の進行方向に対して左岸右岸だと思いがちです。
こっから先の話は2chでは書きずらいですなw でも、できる限りヒントとして。
まずは、修二郎が滑落したと思われる地点を探す必要があります。
いろいろとだいぶ歩いているみたいなんで、修二郎が滑落した場所っぽいところは、すでに歩いていると思いますよ。
書置きと辻褄が合わない?いやいや合うんです。

853 :
>もう、ご理解いただけると思いますが、他人の成果を努力もなく得ようとする人がいるため
ズバリ書けば良いのに、日向だって。

854 :
まぁまぁそう言うなw
復活したんで、もう一個ネタを
>>850に書いた群馬県立文書館にある結城の埋蔵金に関することを書いた
「願書并御答書写・加入仕法覚 天保5年6月26日 願人治左衛門・五人組吉右衛門他」という古文書
これの中身が気になるところですが、ネットにはありません。
群馬県立文書館に行かれても、古文書を読める力がないとなんだかさっぱりわかりません。
気になる方に別の古文書になりますが、
「野州河内郡本吉田村 百姓・孫右衛門の屋敷内、結城晴朝埋蔵金の一件」というのがあります。
これは、さるお方から古文書の写しをいただきました。現物の所蔵場所は不明です。
これも天保5年に書かれていて、崩し字で書かれていて難解です。
この手の古文書は、埋蔵金関連サイトでもほとんど紹介されていません。
この古文書の現代語訳を探しましたところ。
藤岡屋由蔵の日記に紹介されており、藤岡屋由蔵のファンサイトにありました。
「野州河内郡本吉田村」で検索すると、「大江戸おどろおどろ話」というサイトがありますので、そこに現代語訳が載っています。
>>850の文末に「おどろどろろしい話ではありませんから安心してください。」と、タイプミスしているのは、この伏線です。
この「野州河内郡本吉田村」は古文書の表紙にタイトルとしてしっかり書かれていますので、「願書并御答書写・加入仕法覚」とは別物だと思います。
ただし、「願書并御答書写・加入仕法覚」と書かれていますので、中身は似たようなものかもしれません。
え?タイトルの意味が解らない?学校で古文をならわなかった?学校の勉強なんて役に立たない!と思ってたのを後悔する時が来たのですw
「願書并御答書写」は、なんとなくわかるよね?
「願書」はいまでも入学試験のときとかに使いますね。
「并」井戸の井じゃないですよ「と」です。
「御答」は「お答え」ですが、御が付いているので目上からの答えで、この場合、願書に対するお役所からの答えです。
「加入仕法覚」は自分で調べてみましょう。調べることから一歩が始まります。
それではまた^^

855 :
自作自演だな
そんなに嫌なら書くな

856 :
165さん、つまらない個人攻撃なんてしてないで、パスワード制のブログとかでやろうよ

857 :
賛成

858 :
誰か一人の為に情報が出せないのなら、パスワード制のブログにするべき。

859 :
パスワード制に意味がないです。だって、誰が誰だかわからないでしょ?
そんな中でパスワード乱発してもココと変わらないですw
>>855みたいな人って面白いと思う。
>>850の人の修二郎の埋蔵金については、詳しくはここでは書けないが、探索ポイントを見直す必要があると書いた。
アク禁復活後に、ネットでもなかなか見つからない埋蔵金に関するネタを2つも書いている。
よく考えてみてください。
書かないのは修二郎の埋蔵金の話と、自分で調べた水野氏関係の徳川埋蔵金の部分だけですよ?
この部分にこだわることないでしょ?
豊臣、結城、徳川だって舂米等含めて色々ある。そのほかまだまだ埋蔵金の話はいっぱいありますよ?
なので、修二郎の埋蔵金の話と、自分で調べた水野氏関係の徳川埋蔵金は詳しく書けないっていうだけです。
埋蔵金!舂米やりますか!舂米!

860 :
上の850は>>851だったおw ごめんw

861 :
舂米の全てをお願いします。

862 :
↑新しいカモが来たwww

863 :
進展だぁ、向こうの板を貼っとく!
即、削除されるから残しとく
日向は本当にクズ野郎だな

108. 丹波山 13/06/18(火) 19:01 x
首都圏在住の埋蔵金探索者
修二郎ほか、周辺にまつわる埋蔵金を探索中
管理人さん、これで充分でしょうか?
Nさん、否“日向”さんだね
拙の質問に沈黙とは如何に?核心を突かれたからか?
自分に不都合なことは無視?
私が最後に書いた質問に答えられないか
あなたの書いた指摘に対する答えを書いた、逆質問でもあるから答えられないのは矛盾だろう
少なくとも最後の質問は見てるはず、無回答は自己不都合を認知した訳だな
※管理人さん
削除するのは構わないが片手落ちではないか?
N=日向氏の返答が無いままリセットするのは如何なものか!?
管理人さんも情報公開してると言うが
ならば【梅図なる解釈】をここに記して頂きたい
書いてる割には一向に開示してないではないか?
さて、日向=Nはどんな答えをするのか?w
ダンマリ決め込むしかないかw
まともな神経してないから無視して書き込むだろう
しかし管理人も同じクズ

864 :
>>863 まだまだ甘いぜ!
向こうでもこれじゃ165が書かないのも納得できるな
 
5. 丹波山 13/06/16(日) 14:00 x
>>4
あなたが何を言いたいのか理解不能
最初にあなたから「探索方法」を訊かれ答えた
次に「あなたが気になる地点」についての質問に答えた筈だが?
私はあなたに対して質問したが全くの返答なし
少なくともあなたは私からの回答を得たのは事実
2ちゃんも最初から見たが『情報を得る姿勢ばかりで、公開する姿勢』ではない
埋蔵金検索でここを見つけ書き込んだが“向こうでは破門”だったな
よく考えるのは、あなたの方ではないか
前スレが削除されて私の質問を見てなかったと言う言い分なら、管理人に頼んでみればわかるだろう
質問書き込みからスレ削除までに「あなたはここを見てない」と言われるのか?
相手にするのも馬鹿らしい、もうここには来ない

865 :
ありゃ?なんだこれはwww
2ちゃんで凸るとはww あそこは生暖かく見守っていればいいものをw
しかし、みんないろんなところをよく見てますねw
丹波山さん=>>851の人ですね。
丹波山さんも相当頭にきていますね。お気持ち察します。
丹波山といえば、金穴いきましたか?
金穴は20か所ぐらい残っていると、まちミュー友の会発行の北都留郡丹波山村編というガイドブックに載っています。
私も実際に川原沿いのを見てきて、中に入ってみました。
人が書かんで入れるぐらいの大きさで、左右1mもないぐらいでしょうか?奥行きは6〜7mぐらいだったかな?狭くて暗かったことを思い出します。
堆積岩の地質の金鉱跡ですね。もちろん中身は空っぽでしたし、金脈すらわかりませんでしたw
それと面白い話がありまして
山村民族の会 昭和45年8月発行の「あしなか」という非売品の冊子に
丹波山村鴨沢から上がり尾根の東側に七ツ神社がりまして、この境内近くで丹波山村出身の木下喜作という男が賭場を開いていました。
この神社周辺には5〜6箇所賭場があったそうです。
また、見つからないよう「穴」を利用した賭場もあったようです。丹波山金山の廃坑を利用したのでしょうか。
昭和10年ぐらいまであったそうですよ。
参考にならない話ですいませんw
そーいえば、メールが来ていませんね・・・。

866 :
っていうか、みんなコテハンにしてくれよw どんだけ人がいるのかすらわからんw
それと追いつめるなよw
みんな俺が個人攻撃しているとかいうけどw どうなんコレww 俺じゃないからなw
俺は、今まで当たり障りがないように、やんわりと書いていたんだからなw
しかし笑ったよ。グッドジョブですw

867 :
ブログだけは一人前で実績は皆無
金属探知機売るだけの煽りかね?
自分が埋蔵金埋めて後世に歴史でも残したらどうだ、無能埋蔵金ウェブ豚ども

868 :
しかしまぁ、日向
本当にコイツは人間じゃねーな
他人に質問しまくる割に自分に来た質問はシカトかよ
あっちの管理人も能書きだけは一人前(以下)
元々、日向と二人きりだったから問題ないか
確か作戦会議に日向は参加したけど、その後非常識な書き込みで村八だったよな
最後は864にある通り「破門」された訳で
探してみたら日向は、アチコチのサイトやブログに質問しまくりだな
コイツ本当に自分で探してるんだか分からないな
地図見て行った気になってるだけじゃね
管理人のジジイも同類
『棺桶に片足突っ込んでる』んだから静かにしてろや
顔も逝ってるけど頭も逝ってるな

869 :
日向みてるか〜w
今更出てこれね〜だろ
しっかり見てるぞ、日向は

870 :
落ち着いたかな?w
そうそう 舂米(つきよね)の話だったねw
「舂米埋蔵金発掘実行委員会」という委員会があって、現在はもうやってないんじゃないかな?聞かないね。2000年頃のお話し。
徳川埋蔵金の小栗埋蔵金伝説で、小栗上野介の妾が住んでおり、庶子忠広(庶子=正式な婚姻関係にない両親から生まれた子供のうち、父親に認知された者)が居たらしい。
忠広の子供の秀守が26歳になったとき、小栗上野介家臣多田徳次郎から埋蔵金の秘密を明かされた。
多田徳次郎は秀守を埋蔵現場に連れて行き、どの様に埋められたかを説明した。
埋蔵金は上州(群馬県あたり)のほかに富士川をさかのぼり、釜無川と笛吹川が合流する鰍沢あたりで陸揚げされて、舂米に埋蔵されたというお話。
埋蔵物は、小判や金塊2万本!
地下70mで小判1枚と、古代中国で通貨として使われていた刀剣1本を掘り出しました。(掘り出したとされているw)
昭和10年には犠牲者の遺骨が多数発掘されたことなども!
また!平成21年4月!数箇所のボーリングで法馬金の所在を突き止める所まで来ています。ということらしい。
スポンサー募集していますよw ttp://maruyoshi.info/html/tokugawa.html

871 :
これは、小栗上野介の埋蔵金ではなく、徳川幕府の埋蔵金の話です。
幕府の御用金を小栗上野介が埋めたというパターンのやつです。
幕府は財政がひっ迫していたから、金なんかない!という子が出てくるでしょうから、釘を刺さざるを得ません。
三井財閥の基礎を築いた三野村利左衛門さんの苦労話に幕府から御用金50万両を供出しろと言われ、
三野村利左衛門(紀ノ国屋利八)が小栗上野介に頼み込み、50万両のうち18万両を分納、残額を免除してもらうことに成功した。
さすが徳川幕府ですw 泣く子と地頭にはかないませんね。
小栗上野介=埋蔵金という形が出来上がっているのは、悲運の勘定奉行というのと、こうした逸話があるからでしょうね。
この舂米の話は、畠山氏の著書にも書いてある。 そーとー昔から着手しているみたいですね。
当時、水野氏の赤城山の埋蔵金の話も取り出さされている中でしたので、徳川にしちゃったんじゃないかな?
また、武田とか穴山梅雪の埋蔵金ってことにすれば、地理や金山も武田なんでもうちょっとうまくいったんじゃないかな・・・。

872 :
御用金について少し調べた。
1864年(元治元年9月)、120万両(2万6095貫目)大坂町人104人、長州征伐軍資
1866年(慶応2年4月)、700万両(17万8784貫目)大坂兵庫西宮町人1108人、幕府財政融通及防長征伐軍資
このほか、幕府直轄地の社寺、町人(商人)などからも御用金を供出させたみたい。赤城の埋蔵金で出てくる甲府からの分の17万両かもね。
また、各藩も御用金を収めた。紀州藩が1万両だっけかな?
まぁ幕府の財政は厳しかったが、こういった御用金を集めることができたんだね。
御用金は、幕府に対しての「貸付(利息年2%)」であって、上納金(看板料)とは違う趣旨のものだった。
町人(商人)でも3000両を上納すると、永代にわたり苗字が使えるという命名権みたいな特典付きだったw
幕府はひどいことするなぁ・・・。と思ったあなたは、洗脳されています。
幕府が倒れた直後に、明治政府にもこの御用金をやっていました。300万両w 豪商はどんだけ持ってんだw
で、小判に代わる太政官札(信用紙幣)を4,800万両分発行して押し付けたりw
政権が変わっただけで、やっていることは同じです。
慶応2年に大阪だけで700万両・・・・。え・・江戸は?

873 :
お殿様「これ越前屋 御用金として10万両出してくれぬか?」
越前屋「ご・・御用金ですか?10万両?w」
お殿様「これこれ。返さないとは言ってなかろうが。年2%の利息を付けるぞ」
越前屋「・・・2%(安す!)ですか。」
お殿様「商いの調子はどうじゃ?ニヤニヤ(誰のおかげで商売ができていると思ってるん?)」
越前屋「ぐぬぬ。」
越前屋「あ!お殿様。。以前に御用金でお貸しした返済が滞っていまして、@2万両ほど残額が・・・返済期限も過ぎて」
お殿様「ゴホゴホ!あ・・まぁ・・うん。そうだったねw(やべー)」
越前屋「じゃぁ こうしましょう! その2万両の利息も含めてチャラでいいですから、今回は5万両の御用金ってことでは?」
お殿様「越前屋 お主もなかなか悪よのぉ(ラッキー★ 2万両払わなくてOK−★ テヘペロ★)」
越前屋「いえいえお殿様ほどでもw(あぶねー!10万貸してもどうせ返ってこねーし!5万で済んだわ!)」
と、いう具合でしょうかね?

874 :
さて、元治元年〜慶応2年までの間に、大阪だけで820万両
上でも書きましたが、大阪は幕府の直轄地でした。他の各藩にある町人から御用金を供出することはできませんでした。
さて、単純計算ではありますが、幕府の直轄地だけで御用金をいくら集められるかを単純に計算してみたいと思います。
皆さんご存知の通り、大阪は徳川幕府の直轄地です。なので、820万両集めることができたわけですね。
大阪は、五畿内および近江・丹波・播磨の8か国。これを畿内と言います。畿内は、約83,300石です。面倒なので83,00石にします。
で、勝海舟編『吹塵禄』所収「天保十三年全国石高内訳」によると、天保13年(1843年)の天領は420万石となっていますので、
畿内の83,000石を引いた4,117,000石を単純畿内の数字で割ると、畿内以外の天領は、畿内の約50倍です。
畿内だけで820万両ですから、残りの天領だけでも820万両×50倍=4億1千万両の御用金を集める事ができます。
石高とは、農民取り分も含めたものですから、年貢として幕府に入るのは「四公六民」が基本です。1石の40%ですね。
この4億1千万両の40%=1億6千4百万両をかき集める実力はあったのではないかと思います。
もちろん年貢のほかに運上金という農民意外に課す税金もありました。また各藩から出された御用金もここでは無視します。

875 :
額面だけで1億6千4百万両・・・。
もう一度確認のために書きますが、町人からの御用金の話です。年貢等から得られる税金、過去にやった一般市民からの分、佐渡等から産出される金銀、各藩からの御用金には、手を付けていないということです。
まぁ蝦夷や東北は貧乏だった・・・中国地方、西国地方(九州)からはもらえなかったなどを考え、半分にしても1億6千4百万両÷2=8千2百万両 もう話半分でも4千百万両www
4,100万両+畿内の820万両=4,920万両です。
江戸が出した御用金のデータがないんで何とも言えませんが、江戸を少なく見積もったのを加えて合計5,000万両を集めることが可能だったかもしれません。
長州征伐でさらに半分使ったとしましょう。残り2,500万両
さて、徳川埋蔵金でよく出てくる360万両 この14.4%しかありません。
どっかのブログに「常備兵を養うための360万両を埋蔵してしまうと、どうやって常備兵を養うのでしょうか?」
「360万両あったとしても、この状態の中、みるみる減ってしまうと考えるのが順当でしょう。」と、ありました。
幕府の金蔵の話しか見えていない人の書き込みだと思われ、江戸城vs薩長土肥と歴史的勘違いをしています。
常時兵を雇うということもよく調べていらっしゃらない。
鳥羽・伏見の戦いの両軍の兵力は、新政府軍が約5,000人、旧幕府軍が約15,000人と言われている。
いったいいつの時代の常備兵の数を分母にしているのかわからない。
10両盗んだら首が飛ぶとの話を引用して、死ぬかもしれないというなら一人1ヶ月10両あげようじゃないか。15万両だよww
戊辰戦争は慶応四年〜明治元年の1年間 180万両じゃないか・・・長州征伐のあとでも2,500万両あるんだぜ

876 :
彰義隊が戦った上野戦争 倒幕派10,000人 幕府側4,000人
鉄砲や大砲使ったから金はかかっているだろうけど50万両?そりゃ言い過ぎだってw
4,000の兵に月10両あげても4万両。鉄砲大砲はすでに持っている。現地で買うわけじゃないんですよw
100両あげたって40万両。話が大きくなっていると思いますね。
というわけで、赤城に埋められているかもしれないという御用金は、
幕府撤退戦のために前もって埋めていてもおかしくない金額だということでした。
まぁ正直いうと360万両は話が大きすぎる。これもまた話が大きくなっているだけだね。
そうそう。日銀の博物館にある紀州徳川家ヵら買い取った法馬金だけでも36万両分だったけ?
過去にこの法馬金について書いてあるから確認してね。

877 :
そうそう
どうして金がある幕府が負けたかって?
薩長は、密貿易を含む公益で金は持っていたんですよ。
金が互角とは言わないが、錦の御旗に今後のために金を出す人も多かった。
基本的には、装備の違いと、負けっぱなしで、各藩を含む兵の士気の低下
北上するごとに倒幕派に付く諸大名は多かったし、戦力の逆転だね。
鳥羽伏見で5,000の兵が、上野じゃ倍の1万。
最新式の後込め式銃と、前込め・・・鉄砲は足軽が持つものという意地
そりゃ勝てませんわw

878 :
ココを古くから見られている方から、メールをいただきました^^
ありがとうございます。励みになります^^
そーいえば、丹波山さんからもメールをお待ちしているんですがきませんね?
丹波山さんが掲示板に書き込んだサイトじゃないですよ?
埋蔵金発掘が趣味の人 165 で検索してみてください。

879 :
通りすがりの結城市民です
是非埋蔵金見つけて下さいね

880 :
結城の埋蔵金ですか・・結城城は難しいですね。
あるとしたら、結城晴朝の会之田城でしょうな。
なぜかって?>>854で紹介した「野州河内郡本吉田村 埋蔵金の一件」の野州河内郡本吉田村に会之田城があったといわれているからさ。
この古文書の中身は怪しいが、当時から何かあったんだとおもう。
結城城は大岡越前をはじめ水野子爵が掘っているが、会之田城はどうなんだろう?
まぁ今のなっていは、その場所すらわからない状態なので、いまだに眠っているかもしれませんね。

881 :
だいぶ過疎化が進んでまいりましたw
良いのか悪いのか微妙ですが、不毛な争いは避けたいものです。

882 :
>良いのか悪いのか微妙ですが、不毛な争いは避けたいものです
何言ってんだ?原因はお前だろうが

883 :
ほう?争ったことはありませんよ?
埋蔵金に関しての話だって私しか書きませんし、某掲示板の内容をココに貼ったりもしていませんよ?
某掲示板で日向さんに激怒していたのは、私じゃありませんよ?
過去に日向さんを外したことは認めますよ?日向さんを外したことが原因っていうことなんですかね?

884 :
私的には、元のように戻ったということで満足ですね^^
別にいいのですよ。元から私しか書き込みしていなかったんですから。

885 :
882
過疎で発言したら即反応。
そこに粘着しないで埋蔵金話を書けば?
原因? 日向でしょ?
あんたが日向か!

886 :
885
例え日向でも、『ハイ、自分は日向デス!』なんて書く訳ないだろ
もう少し頭使えよ

887 :
【元から私しか書き込みしていなかったんですから。】
ここはブログだったの?

888 :
165しか書かないのは事実なんだし165以外に誰も書かないんじゃブログでもいいんじゃね?
日向は橘高の掲示板を潰してここも潰したいのか?

889 :
【日向は橘高の掲示板を潰してここも潰したいのか?】
その後は深海深く潜行中だが、近々浮上して来るだろうな。
まともな神経してないよ、“アレ”は。

890 :
お盆明け
過疎のまま

891 :
お久しぶりです。都合によりずっと書き込みができなかったのですが、
ご質問してくださっている方がいらっしゃるようですので、
恐縮ですが遅ればせながら、お返事を書かせて頂きたいと思います。

>>432
そうでしたか、道が川沿いにあった訳ではないのですね。
現代のような車が通る訳ではないので、中腹を取るのは利に適っているかもしれませんね。
また、おいらん淵には私も謎があると考えています。
ただ、おいらん淵に関してまだ話していない事がたくさんあり、
長くなりますので、いずれまとめて書かせて頂きたいと考えています。

>>434
>可能性として竜喰谷・大常木谷の両方にお宝が隠されている可能性も有るのではないでしょうか?
結論から言うと、埋蔵金が出る可能性という点で言うならば両方あります。
理由は埋蔵金伝承が複数あるためです。

>>440
ご指摘の通り、狭い村社会です。
申し訳ございませんが、個人情報が特定されるような事は一切書く事ができません。
ですので、「イニシャルを聞いてはいけない」ということでお願いします(笑)。
また、上に書きましたが埋蔵金伝承は複数あり、私の知る限り、あの地域には6つ埋蔵金伝承があります。
これは過去に、実際に埋蔵されたであろうと思われる伝承のことです。
過去に埋蔵金が出たウンヌンの話は、窪みにあったツボとか、あの墓か何かから出てきた奴のことでしょうかね。
いずれにしろ、たいした物は出ていないと思います。

892 :
>>450
>具体的に金山衆の一部の姓や勝頼死後の金のことなど
基本的には文献に書いてあったものを、祖父が自分なりにまとめ、それを私に話してくれたものです。
今現在、あの地域に住んでいる人は、埋蔵金伝承についてはあまり知らないと思います。
もし知っているのならば、自分たちで探そうと考えるはずです。私の祖父のように。
知っていても、他人に話す内容はどうでもいい事で、確信的なことは絶対に話さないと思います。
ただ、実はこの件で、一人だけ気になる人がいるのです。
それは埋蔵金研究家の畠山さんです。例えば平八郎長者の話を書かれていますが、
結論を申し上げますと、この話は畠山さんの作り話で、創作話と思われるのですが、
この話に近い伝承を私は知っているのです。
問題は畠山さんが、その伝承を知っていたのかどうかなのです。
もしも知っていたならば、情報が外部に漏れていたという事になりますよね。
つまり、よそ者に教えていたと。

>>451
どう考えても、当時の巨木はもうないと思われます。

>>481
>修二郎の情報(小伝馬町、写真館主)、宇沢某(二之瀬高橋)などの信憑性には疑問です。
正解です。皆様の夢を壊すので、これを言う気はなかったのですが、
平八郎の話と同様に、修二郎の話も完全に創作です。
理由は公的な記録が一切無いのと、何よりも当時、地元の人が修二郎の話を誰も知らないからです。
普通に考えるとあれだけの金塊が出てくれば、当時の新聞や何かしらの物に記録が残っているはずですが、
一切の記録がありません。何故か? 創作話だからです。
しかし・・・です、実はこの話にも元になった話があるのです。
この話はできればしたくないのですが、ここまで言ったからには話そうと思います。

893 :
実は竜喰から出ているんです、埋蔵金が。
もっとも量で言えば少しなのですが、見つかっているのです。
詳しい事は申し上げられないのですが、発見者は県外から訪れていた人で、
祖父には親しい友人がいて、発見者はその友人の知人であったのです。
その方が竜喰近辺を訪れ、帰り際、祖父の友人に「竜喰で○○を見つけたぞ」と報告して帰ったそうです。
「○○」が何なのかは申し上げられませんが、埋蔵金とはあまり関係の無い以外な物です。
その話を聞いて、後日、友人は祖父を誘って竜喰へ行き、その「○○」を見つけ、取り出す事に成功したわけです。
「○○」を調べてみると、中から・・・・・・。伝説が真実へと変わった瞬間です。
まだ話は続くのですが、今日はこの辺で止めておきます。
実はこのスレを見つけたとき、懐かしさのあまり、私は竜喰の事を書いてしまっているんですよね・・・。
このスレには鋭い方が多いようで、後になってあわてて修正していますが(笑)。
ちなみに祖父は、この他にも埋蔵金を発見していると私は考えています。
さて、話を修二郎に戻しますが、畠山さんはあの近辺の沢で、死人が出ている事をヒントに、
修二郎の話を創作したものだと考えられますが、問題は竜喰から埋蔵金が出ていた事を知っていたかどうかなんですよね。
さらに言うと、私が知らないだけで、他にも竜喰から埋蔵金が出ているかもしれない。
畠山さんは竜喰で出たなどとは書いていませんが、匂わせています。
畠山さんは当たらずとも遠からずの話ばかりを書かれていますので、何とも言えないのが正直なところです。
ただし、修二郎の話が創作というのだけは確実です。

894 :
まだまだ書きたい事はたくさんあるのですが、だいぶ長くなりましたので、
最後に一つだけ、平八郎長者の話を触れておこうと思います。
畠山さんが書かれている「平八郎長者の話」を要約するとこうなると思います。
大菩薩峠付近に平八郎という男がいた。その男は猟師で、縁あって青梅の商人の娘を嫁にもらったと。
ある時、平八郎は銭が無いので食べ物が買えないと言うと、
嫁が小判を持ち出し、平八郎に手渡した。
これは小判と言って、金でできていてものすごく価値があるのだと。
この時に初めて平八郎は小判を目にする訳ですが、しかし、平八郎はこれは金ではないと言い放った。
理由は、こんな物はそこいら中にたくさんあるので価値がある訳がないと。
平八郎は、嫁をある場所に連れて行った。
そこで嫁が見たものは、一面が黄金に輝く金鉱の露頭であった。
嫁がこれは全て金ですよ、というような事を言うと、
平八郎は「金とはつまらないものだ」と言ったそうです。
こうして二人はお金持ちになり、その資産の一部を子孫のために何処かへ隠した・・・。
うろ覚えですので、正確ではないかもしれませんが、大筋でこのような感じであったと思います。
青梅というのは、その名が付く青梅街道という街道沿いにある町で、
昔から宿場町として栄えた町です。この話は、華やかな町から、山奥の村に嫁いできて、
内助の功で旦那を助け、裕福になるというよくある典型的な成功物語だと言えます。
したがってこの話が実在した可能性は皆無に等しいです。
まず、平八郎は嫁から小判を見せられるまで、金を見た事がないそうですが、
ありえない話です。江戸時代の金貨と言うと大判・小判を連想する方も多いかと思いますが、
実際は一分金等の金貨も大量に出回っていました。これすらも見た事がないというのは、
現代で言うと、「結婚する年齢まで一万円札を見た事がない」と言っているのと近いかもしれません。
さらに言うと、そんな貧しい家に都市部に住んでいる商家の家が娘を嫁がせるでしょうか。
そして、平八郎は嫁からもらった小判を、鳥に投げつけて猟をしたような事も書かれていたと思います(笑)。
しかし、完全に創作話ですので突っ込むのはヤボな事なのかもしれません。

895 :
これらの話は、はっきり言ってどうでもいいことなのですが、一点だけ面白い事に気づいたのです。
平八郎の話は、恐らく修二郎の話と同時期に創作されたと考えられます。
修二郎と平八郎の話を結びつけて考えている方も多いので、容易に想像できるかと思います。
修二郎の事件というのは明治の終わり、明治40年の9月に事が起こっているのですが、
実はこの時代に、平八郎と同じ名前で実在した有名人がいたのです。誰かわかりますか?
答えは簡単ですね、東郷平八郎です。東郷平八郎は日露戦争の英雄です、この時代を代表する著名人です。
ちなみに日露戦争が終結したのは明治38年の9月です。だからなんだ?そう思われるかもしれませんが、
ご存知の方は多いと思いますが、畠山さんは軍事関連に造詣が深く、
秘録・陸軍中野学校シリーズを筆頭に多数の軍関連の本を出版されてるのです。
「戦争というのは済んでしまえばつまらないものだ。」
これは日露戦争時の第一軍司令官、黒木為禎が言った有名な言葉です。
平八郎長者の話で、最後に平八郎は「金とはつまらないものだ」という言葉を言います。
これは偶然でしょうか。
さて、平八郎長者の話の元となる伝承についても書こうと思っていたのですが、
長くなりすぎたので、次回に書かせて頂きたいと思います。
話も中途半端で理解しづらいところがたくさんあると思いますが、続きは必ず書かせて頂きたいと思います。
急いで書いたので誤字脱字があるかもしれませんがお許しください。

896 :
406さんへ
しばらくぶりに、詳細な解説をありがとうございます。
今後も、許せる範囲での書き込みをよろしくお願いします。

897 :
406さん有難うございますした。大変興味深く読ませて頂きました。過疎でも何でも
2日に1回はここを覗いていましたがその甲斐がありました。
また書き込みよろしくお願い致します。

898 :
434なんて書かないで【日向】って書けよ!
正体バレバレなんだからよ
相変わらず『教えてクン』やってんなぁ
他人の褌ばかり担いでんじゃねーぞ
奇知多可の板はトンズラしたまんまでどうすんだ?
オマエの居場所はねーんだよ

899 :
ハハハ…
どうも以前から、「898さん」は、私のことを「日向さん」と言う方と勘違いされているようなので、一度だけ貴方の勘違いを正しておきます。
私は今のところ、この板では他の方に申し訳ありませんが、「406さん」以外に興味はありません。但し、今のところですが…
こういう板だからこそ、他人を裏切らず、批判せず、わからなければ「教えてクン」でも有り、と思っています。
さて、私が「日向さん」ではない証拠を書き込みます。※「風の子さん」には、その証拠が下記の書き込みを見ればわかると思います。
私は関西に住む、当初からこの板を時々見ている「風の子さん」と苗字の頭文字が同じ人間です。
「898さん」勝手に人のことを勘違いして、批判するのはいかがなものか…

900 :
>>899:434さん
ということは、貴方は「風」さんですか!?だとすると久し振りの登場ですね。
大常木谷を(一人で?)歩くなど相変わらずのトレハン魂ですね。今回898さんが
勘違いされたとすれば、この大常木谷探索のことが原因だと思います。「日向さん」も以前
この踏み跡しかないような荒れた山道を歩いたと言っていたので同一人物と勘違いされた
のだと思います。私も1,2年以内に一度チャレンジしたいと思っていますが。(^ー^)

901 :
>こういう板だからこそ、他人を裏切らず、批判せず、わからなければ「教えてクン」でも有り、と思っています。
ここだけじゃなくて普段からの思考だろ、都合がいいことかいてんじゃん

902 :
私は今のところ、この板では他の方に申し訳ありませんが、「406さん」以外に興味はありません。但し、今のところですが…
って、美味しいどこ取りってこと?使い捨て、って言ってるわけ?同じ意味だよな。
自分の肥やしになりそうならどんどん吸い取り、出涸らしになったらポイ!w
そりゃぁ〜あなた、虫が良すぎるよ虫がさ。

903 :
www

904 :
>>901.>>902 の方へ
あなた方に対して、論破する気は更々有りませんが、あるお宝に対して、以前にこの板で私なりの誰も気づいていない情報を何回となく書き込んでいます。
但し、その内容を信じるかどうかは、見た人の解釈次第ですが…
要するに、質問に対して答えるかどうかは質問された方が考える事であって、決定権は質問者ではないということです。
虫が良すぎると思うなら、質問された方が判断し、嫌なら答えなければ済むことです。

905 :
で、
「898さん」の人を間違っておきながら「けなした」ような内容の事には、誰も触れないのかなぁ?
あえて言うなら、私が質問した事により、なかり考え方が進展した方もいるとは思いますが…

906 :
>>900「風の子」さん、
陰ながら応援します。これからも頑張ってください!

907 :
>>434さん
以前の書き込みのコテハンはなんですか?
コテハンで書いてもらえると分かりやすいんですよ。
いろいろ多くの書き込みがあって誰が誰だか分からない状態。
よろしくお願いします。

908 :
(独り言です! ⇒ ※師匠、この板を見ていたら「ごめんなさい」一度だけ、師匠の許可もなしに支障の無い範囲で書き込みます。)
まず始めに、この板を継続していただいた「165さん」に感謝!
では、>>907さんの質問に対し、大雑把にお答えします。
(※但し、何度も言うようですが、下記の内容を信じるか信じないかは、見た人の解釈次第です。)
誤字、脱字はお許しください。
赤城に対して色々な方が色々な推理を今もこの板に書き込まれていますが…
この板は、3箱目だと記憶していますが、確か2箱目に書き込んだと思いますが、私の私感は、ほとんどの人が俗に言う「八門遁甲」にはまってしまっているのではないか…
ということを書き込んだと思っています。赤城の場合は、1を探し、解析したら2にたどり着き、2を解析したら3にたどり着きます。
それを「確証」する全ての「物証」が全てではありませんが、多くはあの地方に今も残っています。
当然、これはあくまで私の解釈であって、「お宝」を発見していませんので、この書き込みの解釈は、各人の勝手です。
あえて言わせてもらえれば、「赤城本命さん」「165さん」等々の解釈自体、遁甲にはまっていると私個人は勝手に解釈させてもらっています。
次に、これは初めて書き込むと思いますが、千葉の「成島家のお宝」は、誰も取り出していなければ、今も「千葉」のある所に「存在」すると思っています。
但し、成島家ではなく、別の場所です。これも畠山さんの著書等に書かれている「秘文」等を解析すれば、おのずと場所は「判明」すると確信をもっています。
では、私が「秘文」を解析できたかどうかは聞かないでください。ご想像にお任せします!
「風の子さん」の関心がある武田の「梅雪」については、最低でも「6m」の深さに隠されていると思っています。
風の子さん、貴方なら人が入ってくる山の中で、機械も無にどうやって短期間で「お宝」を人知れず出しますか…(当然、内緒にですが…)
以上、大雑把に書き込みました。ここまで書き込んだのだから、質問等は無しでお願いします。

909 :
追伸!
これで、>>901.>>902 の方々に対し、少しは「けなし」の部分を払しょくできたかな…

910 :
>>896 >>897
お返事ありがとうございます。
来週辺りから忙しくなりそうなので、またしばらく書き込みができなくなるかもしれません。
とりあえず、平八郎長者と、黒川秀金とおいらん淵の話だけは書いておこう思っています。
さて、今回は平八郎長者の元になったと思われる伝承の話です、
話の内容自体は、そんなに似ている訳ではありません。
ただ、夫婦で金を取っていたり、嫁が遠くから嫁いで来ているなど、随所に類似点が見られるのです。
また急いで書いたので誤字脱字がありましたらお許しください。

911 :
伝承の内容は、以下のようなものになります。
時は江戸時代、丹波山村近辺のとある集落に、講の集団が立ち寄った。
講というのは、お蔭参り(おかげまいり)のことで、有名なものにお伊勢参りがあるが、
この他にも富士山に参拝する富士講や、琴平山の金毘羅講など、
江戸時代にはたくさんの講が存在していたようです。
どの講かは定かではないが、旅の途中にケガ人が出たため、近くの集落に立ち寄ったようだ。
怪我をしていたのは男で、その上、熱まであったという。
その集落には助六という男がおり、この集落では珍しく、一人で家に住んでいた。
助六はその昔、嫁を貰ったようだが、すぐに病で先立たれてしまい、それ以来、家には一人きりだ。
一人住まいで部屋に空きがあったため、怪我をした男を助六の家であずかり、看病する事となった。
幸い怪我は大したことなかったのだが、旅の疲れが重なったのか、酷い高熱でうなされていた。
病気で先立たれた妻を思い出していたのか、助六はその男を熱心に看病した。
助六の献身的な看病の甲斐あってか、男は数日間生死をさ迷った後、見事に回復したいう。
元気な姿に戻った男は、助六に感謝の意を伝え、お礼をしたいので「何か欲しい物はあるか」と尋ねた。
「病人とはいえ、家の中に何日も人が居たのは嫁に先立たれて以来、久しぶりの事だ。
一人でさびしかった家の中が、少しだがにぎやかになり、嫁がいた頃を思い出して良い気分になれた」
助六は男を気遣ってか、笑顔でそう答えた。
すると男は「わかった、私には5人の娘がいる、娘をやろう」と言った。
しかし、もう嫁を失う苦しみを味わいたくなかったからか、その話を助六は断ったという。
男はまた「わかった」と言い、助六に深々と頭を下げて、その集落を去った。

912 :
それから三ヶ月ほど時が経った頃だろうか、助六の家の戸を叩く音がしたので、
助六が出てみると、その男が立っていた。
男は助六を見るなりこう言った「娘を連れてきた」と。
突然の事で動揺した助六は、驚きながら「それは困る」と答えた。
男は助六の言葉を無視するかのように、娘の名を呼んだ。
「ハナ、来なさい」
すると隠れていたのか、助六の眼前に娘が現れた。
名はハナと言い、その名のように、花の如く美しい娘だった。
助六はハナを見るなり、一目で気に入り、嫁に貰うことにした。
ハナはとても美しく、年も離れていたせいか、助六はハナをたいそう大事にしたという。
ハナを嫁に貰って、しばらくしたある日、助六が家の土間で作業をしていると、
「見せたいものがある」と、ハナは笑みを浮かべながら、助六の腕をつかみ外へ連れ出した。
連れ出した先は、ある沢のほとりであった。
ハナは嬉しそうな顔をして地面を指差した。よく見てみると、あたり一面にキラキラと輝く砂が見えた。
しかし、これを見るなり、助六は笑いながら「これは金じゃないぞっ」そう答えた。
雲母である。どうやらハナは雲母を金と間違えたようだ。
その事を聞くと、ハナの顔から見る見る笑顔が消えていき、ハナは酷く落胆した。
ハナの落胆した様子を見て可哀相に思ったのか、助六は慰めるようにこうささやいた。
「近くに金山がある、探せば砂金がたくさん出るぞ」、と。
その言葉を聞いてハナの顔には笑顔が戻り、こうして二人の砂金集めが始まった。

913 :
それからというもの、暇を見つけては、川へ行き、二人は砂金堀りに精を出すようになった。
昔は大粒の砂金が沢山採れたようで、二人は何年もの間、砂金を採り続けたという。
そしてある年の夏、それは起こった。
ある暑い夏の日の昼過ぎ、いつもより早く仕事を終えた二人は、
天気も良いので川へ砂金を採りに行くことにした。
二人は川に着くなり、すぐに砂金を掘り始めた。
ハナは川辺を移動しながら、砂金が出そうな場所を見つけては掘っていた。
しばらくして助六は疲れたのか、岩に腰掛け、ぼんやりと川を眺めていると、川の水が濁り始めた事に気が付いた。
先ほどまで、川底の石をはっきりと見る事ができる位に透き通っていた水が、少しだが白く濁り始めたのだ。
川の上流で雨が降ると、このように水が濁り、降った雨の量が多いと、すぐに水位が上がる。
川の異変に気づいた助六が辺りを見渡すと、ハナは少し離れた川の対岸でまだ砂金を採っていた。
「おい、ハナっ!」大きな声で助六が叫ぶと、すぐさま「わかってる」と助六の方を見向きもせず、
目の前にある砂利を見つめながら返事をした。
雨が降って水が濁ることはよくあることだ。ハナは適当なところで作業を止め、慣れた手つきで素早く道具をまとめた。
しかし、ハナが道具をまとめて助六いる対岸へ戻ろうとした頃には、水かさが増え流れも強くなってた。
ハナは対岸へ戻る事を諦め、仕方なしに近くにある高台に逃れることにした。
緩やかな崖を登ろうとしたその時、ハナは足を滑らせその場で尻餅をついてしまった。
その弾みで道具を手放してしまい、道具は川に投げ出され、そのまま流されていった。
ハナは助六の方をふりむき、気まずそうな顔をしながらニヤリと微笑んだ。
すでに高台に登っていた助六はそれを見るなり、少し呆れ顔で笑った。
その時である、上流から何かが迫ってくる音が聞こえてきた・・・。
鉄砲水だ。大きな音を立て、砂や泥を巻き上げながら濁った水が津波のように押し寄せてくる。
ハナはまだ気づいていない、助六が大声でハナの名を呼んだ瞬間、
鉄砲水はハナを軽々と飲み込み、さらっていった。
ただちに助六は追いかけるが、ハナの姿はすぐに視界から消えた。
それでも助六は川沿いを必死になって追いかけた。

914 :
しばらくすると川の水が目に見えて減っていった。上流では水が増えるのも速いが、減るのも速いのだ。
助六は川岸に下りて、ハナの名を大声で呼びながら探し、川を下った。
それから助六は必死に探し続けた、どれだけ川を下ったであろうか、気づけば時は夕暮れ、
日も沈みかけたその時、一人の女が大きな岩の上に仰向けに横たわっているのが見えた。
ハナである。助六は急いで駆け寄り話しかけるが、返事はない。ハナはもう息をしていなかった。
助六は目に涙を浮かべながら、小声でハナの名を呼び、優しく抱き上げた。
この時ハナの体はほのかに暖かかった。それがハナの最後の温もりである。
それからというもの、途方にくれた助六は、食うものも食わなくなり、体は痩せ細り、
真面目だが気さくであった助六の姿は見る影もなく変わり果て、ほどなくして風邪をこじらせ亡くなったという。

●集めた砂金の行方
助六には隣の集落に住む弟が住んでおり、ある日、一晩泊まる事になった。
弟と顔をあわせるのは正月以来のことで、酒を飲みながら談笑した。
すっかり気を良くした助六は、「おもしろい物がある」と言い、家の奥から壷を取り出してきた。
弟が壷の中を覗き込むと、ほぼ満杯に砂金がどっしりと入っており、
たまげながら弟は、この砂金はどうしたのかと助六に問いただすと、
ハナと二人で川から採ってきたのだと答えた。もっとも、ほとんどはハナが採っていたようだが。
ハナは砂金堀の名人であったようで、他にもまだ砂金が満杯に入った壷が3つあるそうだ。
助六が亡くなった後に、家の中を何処を探しても砂金の入った壷は見つからなかったという。
弟曰く、砂金は助六が何処かに隠したとも、川にばら撒いたとも、言われている。
今も丹波山の何処かに、助六とハナの二人が集めた砂金が眠っているかもしれない。

915 :
406さん、書き込みありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

916 :
test

917 :
testしたら、あげちゃいました。
>>434さん
私のホームページ見ていただけましたか?
「黄金円陣」でググればすぐ出てきます。
感想をお願いします。八門遁甲について書いてます。
やっと、書き込めるようになりました。
一体何の規制に巻き込まれたやら。

918 :
赤城本命さん、たくさん書き込んで投稿したのですが、書き込み量が多くて書きこめません。
となりました。私以上に多く書き込んでいる人はいるのになぁ?
また書き込みます。
但し、私の本心は申し訳ありませんが、>>908の最後の一行です。

919 :
さて、赤城本命さんの問いかけに答えるとしますか!?
私なりに数十年「お宝」探しをやっていますので、お宝全般の情報には興味津々で、可能な限り各情報には喰い付いています。
よって、当然のごとく「黄金円陣」は既に何回となく、拝読しています。しかしながら、以前に述べた私の「私感・思考」は、
数々の「物証(※銅版や絵図等)」により、八門遁甲と考えた時点で、もうすでに八門遁甲の罠にはまっていると感じている次第です。
但し、赤城本命さんにせよ、165さんにせよ、貴方方の知識の豊富さ、洞察力等には感服しています。(※すごいの一言です!)
貴方方なら、ピンポイントに的中されるのでは、と期待しております。
ただ一つ、赤城本命さんにつて気になることは、無理な事は承知していますが、貴方の八門遁甲による解析結果と私の解析結果を突き合わせたら
一緒だという「答え」がでたら、非常におもしろいなぁと思っています。
何回も言うようですが、いまだ誰も赤城について「成功」していないので、誰の推察についても確実な事は何とも言えないというのが、今現在の
答えではないでしょうか…(※続く…)

920 :
(※続き)また、書き込みが多くて書き込めませんので、分割的に書き込みます。
私自身も、1が解れば2へ、2が解れば3へ、進んていること自体、私も八門遁甲の「罠」に既にはまっているのかもわかりませんが…
みなさんに、ここで一つ、赤城のお宝について面白い「質問」をします。
どこかに「掘れもれ残れ名は宝に…」と言う文章が有ったと思いますが、この文中の「…」の部分には「宝に」の後に、まだ文章があるという
表現のために「…」を付けて公表したと推察しています。どなたか、この「…」の部分の文章をご存知でしたらお教えください。
私自身の「確信」に自信を付けるために必要なもので…みなさんよろしくお願いします。
赤城本命さん、こんな所にも意味が有ることをご存知でしたか…(※あくまで私の思考ですが…)
(※続く…)

921 :
(※続き)赤城については、これ以上書き込むつもりはありませんので、ご了承ください。
もう一つ、面白い話を書き込みます。(※信じる信じないは、読まれた方の自由です。)
結城のお宝について、金光寺の山門に今も残っている三種の和歌的な秘文を解析したら場所が
わかると伝承されていますが、確か、どこの文章にも「山門の和歌的な物を解析せよ」と書かれたものは
ないと記憶しています。いつのころからの伝承になっていると思っていますが、少なくとも三種のうち、
一つの文章は、その当時の「城主」の心情が詠まれていると解釈しています。
では、何故そのような事をしたか?
私感で言うと、声に出して言えない「心情」であったため、ああいう形にしたのだと思います。
当然、その心情の意味を私考ではありますが、わかっています。
但し、残りの二種の和歌には「お宝」の隠し場所を示しているかどうかはわかりません。
これだけ書き込めば、「くれくれ君」の汚名を返上できたかな…
406さん、これからも期待していますので、書き込みよろしくお願いします。

922 :
赤城本命さん、「オマケ」で、私の答えを書き込みます。
該当の場所は、おいそれと挑戦できるような場所ではありません!!!
(※但し、日光東照宮ではありませんょ (T_T))

923 :
追伸!
みなさんには申し訳ありませんが、これからは「くれくれ君」に徹します! (^_^)

924 :
>>434さん
ありがとうございました。
最近、研究がかなり進み、「黄金円陣」も書き換えようと思っています。
あれは後半部分がホントにウザいですからwwww

925 :
406さん
話がなんだか物語風になってない?
以前の書き込みと変わったよね?
書き込みするのに資料があるのかな?

926 :


927 :
キター

928 :
ほんじゅ

929 :


930 :
 

931 :
 

932 :
かーし

933 :
あむ

934 :
むるる

935 :
きたー

936 :
 

937 :2013/09/10
ワッショイ
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