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懐かしの海水浴列車とスクール水着 (128)
寝台特急★富士★はやぶさ★なは★あかつき★132レ (326)
こんな行き先の列車がありました2 (714)
昔の八高線 (288)

鉄道郵便を語るスレ


1 :2008/09/04 〜 最終レス :2013/09/14
郵便物の輸送を鉄道が担っていた時代もありました。
郵政省所属車(クモユ141、キユ25ほか)や鉄道郵便局などなど
鉄道郵便全般の思い出を語るスレです。
 郵便車 - Wikipedia
  ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E8%BB%8A
 移動する郵便局、「鉄道郵便」の時代 | エキサイトニュース
  ttp://excite.co.jp/News/bit/00091160222221.html

2 :
2。

3 :
種村の取り巻き、鉄郵を思い出す

4 :
古くは、車体側面に〒投函口を持つ車両があったと聞くが、
流石に実際にみたことはない。

5 :
燃費が高騰してるからまた復活させてもいいと思うんだけどね...
あんなに専用車両を作る必要性があるのかどうかは疑問だが...
(昔は宅急便とかなかったから仕方ないのか)

フランスのTGV郵便車両は有名だけど、
海外でもあんなに専用車両や専用列車が走っているのかね
日銀輸送みたくお金も運んでいたんだっけ?

6 :
外国でも、西欧では減りつつあるらしい。
郵便そのものの取扱量も減っているのだろうか。
S55ごろ、新幹線に郵便物を積載との案が出たが却下。

7 :
ヨーロッパだと、路面電車に郵便差出用のポストがついてるのを見かけるよね。合理的だと思うけど。
それはそうと、国立の郵政研修所に郵便車が保存されてて、希望すれば、中の見学もできますよ(少なくとも数年前まではできました)。有名なことなのかな?

8 :
>>7
wikipediaによると、あと、
のと鉄道・能登中島駅のオユ10、
青森港・八甲田丸のスユニ50、
小樽市総合博物館のキハユニ25が保存されてるそうな。

9 :
東海道、山陽本線を走っていた東門便、なつかしい。

10 :
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄

11 :
郵便車に限らない(または必ず連結されているとは限らない)けど
なぜ、昔の大型時刻表とかには、一部主要幹線の
荷物列車の時刻が載っていたのだろう?

12 :
チッキとか関係あるんじゃね?

13 :
>>12 そっかぁ!
手荷物を送るときは早めに送っておいて、駅留めにしたのかな?
郵便と関係なくてすんません

14 :
>>12
荷物列車は一応、旅客列車のカテゴリーに入っていたからね。
荷物列車が国鉄の貨物局の担当になるのは末期になってから。

15 :
昭和61年に全廃されたと記憶しているが、当時郵便局でバイトしてて、
元鉄郵の職員が数名転勤していたのを覚えている。
郵袋に付ける札に「○○鉄道郵便局」というのが残っていて、
もう使わないからと数枚頂いて帰ったこともあった。

16 :
明治の鉄道郵便の授受はタブレットみたいにホームある装置にひっかけた
たまに乗務員が郵便袋ごとホームにおちたりしたそうな
逓信博物館にその装置があるそうだが倉庫の中にあるそうだ

17 :
関係ないけど、日本郵便(馴染めね〜)とマル通の統合で
ペリカン便のコンテナはどうなる? 懐かし板行き?

18 :
鉄道電話のスレもあっていいのでは?
全国どこでも駅間ならタダでした。

19 :
夜行客車列車やら、長距離客レが各地にあったのも、
特に廃止直前の末期は郵便荷物(ユニ)があったせいだとか?
客はほとんどいなくても、各駅で積み下ろしはそれなりとか

20 :
>>18
国鉄と契約している旅館とかにも鉄電設置しているところもあったな
遠距離だと音が小さいとか難点もあったけど
スレ違いスマソ

21 :
クモユ141
大垣夜行347Mの先頭を飾っていたな

22 :
>>18
知人の父君が、国鉄の保線の下請けの責任者してたころは
非常呼び出し用なのか、自宅に鉄電がひかれていたそうだ。

23 :
30年前の東海道でEF58が牽引する青い列車や
クモユニ74をよく見たなぁ

24 :
その昔、鉄道郵便局でバイトしてました。

25 :
>>20
昔国鉄に勤めてた死んだ爺さんが言ってたが、
電話局の電話より国鉄の電話の方が長距離でも良く聞こえてたと言ってた。
その爺さんは戦前秋葉原で荷物の発送作業に従事してて、
入社当時似た様な駅名で乗せる列車間違えたりして良く怒られたとか言ってたw
スレチゴメン。


26 :
国鉄の鉄道電話は通信自由化の前に存在した
日本最大の専用回線網かもね。


27 :
警電は?

28 :
郵便車が連結されてたかは覚えていないが、東海道線の荷物列車を
ごく短期間、EF62が担当してた時期があったね。
SG搭載してたための起用だったとか。

29 :
>>28
EF62が搭載していたのはSGではなくEG。あの頃には旧世代のマニ車・オユ車は
殆ど淘汰され、東海道〜山陽・九州方面も2000番台車で運用されていた。
EF58老朽化に伴う後任には色々検討されたとかでEF65にEG積むとか、EF70を
直流化改造するとか案もあったが結局59−2で信越本線(特に碓氷峠)の貨物列車が
なくなり余剰の出たEF62が起用されたもの。
(横川〜軽井沢間以外であればEF62以外の電機でも客レ、カモレに起用できる)
もっとも、山岳線区用のEF62は高速域の出力がEF58にも劣り、ニモレのスジは多
少寝かされた由。
結局分割民営化も元号の変更も待たないうちに郵便・荷物輸送から撤退する事になって
EF62も悉くあぼーんしてしまったけど…勿体無いなぁ〜と当時思ったものだった。

30 :
>>28
鉄道への興味が失せた頃に見たなぁ。
「あー、EF62がこんな所を‥‥EF58はいよいよか。。。」
と思ったよ。

31 :
>>19
高崎線に1982年まで1往復だけ客車普通列車が残っていたのは鉄道郵便輸送のため。
列車番号が変わっても車両自体は上野〜高崎〜長野〜長岡〜新潟へ行くのは有名な話。
1982年以降はクモユ143の増備でオユ10、11を追い出し、クモユ141とともに運用に就くが、
1984年で車中区分廃止、トラック輸送切替の暫定措置で残っていた護送便も1986年で廃止。

32 :
>>18
日本交通公社(JTB)の時刻表編集部にも鉄道電話があった。

33 :
鉄電なら…
国鉄〜JRの取引業者なら大抵はあったよ。
電通にもあった。
国鉄時代からキャンペーンを請け負っているためか。

34 :
今の様に速達を航空機で運んでいないで、
新幹線もなかった頃は、
各方面への一番早い接続列車(特急又は急行)の
郵便車側面の差出口に速達分の切手を貼って出すのが最速だった。
大きな会社の庶務課とか文書課では、
急いで届ける書類が出ると、
年配の主みたいな物知りが、時計をチラッとにらんで、
小使いさん(使いっ走りボーイさん)に、 例えば
「東京駅21時30分急行筑紫××番線、九州行き速達5通」
なんて怒鳴っていたそうだ。
それにも使える『定期入場券』をいつも持っていて。

35 :
>>34
確かにこれは早いよな。
丸の内勤務で夕方に東京中央局に走らされた事務担当者は多いはず。

36 :
クモユ143…はかない命。

37 :
大阪駅で見た、郵袋を満載した台車を何台も連結してホームの上をノロノロ走っていた光景が懐かしい。
大阪駅も改装が進んで当時の大規模駅の雑然とした雰囲気は消えつつある。

38 :
糸崎往復のアルバイトだな

39 :
>>34
郵便車側面の差出口
これって研究している人いないのかな。形式図をみて気になっていたけど
まとまった発表て無いよね

40 :
東京、名古屋、静岡、大阪、博多、鹿児島 
といった大都市の本局が駅のそばにあったのも
鉄道郵便の絡みだったのか?

41 :
>>40
昭和30年代くらいまでは一桁酷道でも未舗装があった時代だからね
遠距離に発送する手段としてトラックはまず考えられない時代
市内で集めてきた郵便物を本局に集めて大まかな方面で仕分けて列車に乗せるのが一番効率がよい
必然的に都市の代表駅そばに本局置くのは必然じゃない?
列車に乗っけておけば未仕分けの物も車内で仕分けできたわけだし

42 :
>>40
そのとおり。鉄道郵便車から移送しやすい駅前に建てられていることが多い。
よく集配普通局のことを「本局」というけど、郵政の現場では言わない。
「○○中央局」はその地域の基幹となる局で、中央局をハブにして周辺各局へ輸送された。
地域間輸送の中核を担っていた。
ただ、中央を名乗っていても、地域間輸送の中継局にならない場合もある。
群馬県では前橋中央よりも高崎が中継基地となる。これは交通の便を考えれば理解できるはず。
こうした地域間中継局を「地域区分局」と呼ぶようになったのは、鉄道郵便廃止以後の話。
トラック輸送にシフトされた現在では、渋滞が激しい都市中心部よりも郊外に中継基地を置くようになっている。
東京だと新東京、名古屋だと名古屋集中(現神宮支店)、埼玉だと新越谷、宮城だと新仙台といった具合。
特に新越谷は越谷貨物ターミナルのすぐそばにあって、主にゆうパック(小包)の区分、輸送を行っている。

43 :
東京駅と東京中央郵便局の間は地下のトンネルでつながってて、ベルトコンベアーで郵袋を流してたそうな

44 :
東京中央郵便局ってのも今は無いんだね。

45 :
>>44
今もありますよ。局舎建て替えに伴い八重洲側のビルを借りて一時移転してますが。

46 :
東京中央郵便局の地下窓口とか、昭和初期の風情があって良かったのになあ…。

47 :
私は「マユ13」才

48 :
>>40
東海道だと、搬入搬出の便を考えて局は神戸方に建てられていた、というのを聞いたことがある。

49 :
東海道では郵便専用の地下通路とかがあった駅もあるね

50 :
>>48
確かに東京、横浜、名古屋、京都、大阪・・・みんな神戸方にあるな

51 :
>>8
保存車は結構ありまして、スユニ50だと小樽、三笠鉄道村、佐呂間駅跡などにも。
小樽はスユニ、キハユニのいずれも車内に郵便物持ったままじっと直立している
マネキンがいてちょっと同情したくなる。

52 :
まだ旅客車が全車冷房でなかった時代、郵便車に冷房がついている車両を見て、
いいなあと思ったり。

53 :
自然通風(後に通風モーター強制換気)では辛いと思った。
窓は少ないし、大事な郵便1通でも風で飛ばしたら厳罰もの。
信書の大切さは第一番の厳守事項だったとか。
車両が鋼鉄製になると、熱の篭り方は物凄い状態に。
旅客車両は夏は窓全開で扇風機も廻る。
それにしても、蒸気機関車の運転室は開けっ放しの通風だけ。
夏でもストーブの前での勤務、凄すぎる・・・。
水泳の鈴木大地君の金メダルを聞いた時、
お父上が昔SLの機関士で元々身体のつくりが違うと、妙に納得した。

54 :
>>52
車両は郵政省の予算だったから
国鉄と違い贅沢できたわな

55 :
あと郵政の組合も強かったしな
一般の庁舎並みに冷房するためならAU13積ませるなんて大したことでない、と言う意識か

56 :
1M車であるクモユ141のクーラーを自車電源で動かすなんて
今考えても大変な技術だったかも。

57 :
素朴な疑問なんだけど
スユニとかキハユニみたいな合造車の場合は
国鉄の車両に間借りして郵便業務をおこなっていたのか?

58 :
>>47
いよぅ、同業者w

59 :
スユ44は、郵便車であるものの、パレット方式で、ほとんどワキみたいだった。
やはり客車タイプなのが味がありますね。

60 :
>>57
合造車の車籍は鉄道会社だからね

61 :
>>57 >>60
これは国鉄所有車の場合だと、使用料金みたいなものが決められていて、1両
あたり1キロの運行についていくらという具合でした。廃止晩年はそれまでの
度重なる国鉄値上げで次第に高くなっており、俗に「1車1キロ600円」とか。
スユニだとその半額、キハユニだと3分の1という計算。ちなみに、国鉄所有車
は制作費、検査、清掃、給水費用など当然国鉄持ち。反面、間合い運用で郵便室に
小荷物を積もうが国鉄の自由。一方、オユ10など郵政省所有車は制作費、検査等
委託費は郵政省負担となり、いわゆる私有貨車と似たようなものでした。この場合
国鉄には「牽引料」名目で支払われるということ。人件費ともども郵便車運行費は
高くなっていき、廃止の一因になったとも言われています。

62 :
実質荷物車なのにワキ8000はどうして貨車形式になったのですか?

63 :
東武のクハユって、ちゃんと機能していたのか?
「準急小川町行」で3000併結していたが…

64 :
>>4 >>34 >>39
側面のポスト、昔はスユ42など郵政省所有全室郵便車の主要型式に設置されて
いたようです。戦後に駐留軍の郵便行政官が「作業環境改善」を数多く提案
した中で、冷暖房、照明などと共に列挙したのが始まりとか。曰わく「停車場
で旅客の便宜のためポストを設置すべし」
どこに環境改善と関係あるのか疑問ですが、ベテランの乗務員に聞くと「あれの
ために難儀した」と。つまりは、ここで書かれているように列車めざして行先に
適合する郵便物を入れてくれればいいとして、行先と反対方向のブツを投函され
逆送手続きさせられたり、動き始めた列車を追いかけて投函しようとする人が
いて危険だったりで乗務員にも業務に支障があり概して不評でして、後年は廃止
されました。
のちのち鉄郵印で消印された郵便物は駅構内ポストに投函したものが大半ですが
廃止が近づくにつれ鉄郵印を収集しようとする人はストレートな手段を考える
ものでして郵便車のドアをノックしてこれを送って下さいと頼まれたりしました。
この時代に郵便車にポストがあったとするとぞっとします。郵趣業者がハガキ
100枚をゴムバンドで束ねて投函なんて…Orz

65 :
今はコンテナ貨物輸送?
〒の私有コンテナあったっけ?

66 :
>>61
>>64
素晴らしいレスですね。
素朴な疑問ですみませんが、「郵便車」と「荷物車」の違いは何でしょうか?
手紙・葉書を運ぶのが「郵便車」で、小包を運ぶのが「荷物車」でいいので
しょうか?また、荷物車に郵袋を乗せても問題ないのでしょうか。

67 :
そもそも荷物車で運ぶのは、国鉄が受け付けて送る荷物ではないかな。
郵政省は鉄道小荷物にはタッチしない。国鉄と日通が運ぶはず。

68 :
>>66
★「荷物車」「郵便車」の違いについて。
これは旧国鉄というか鉄道院、鉄道省のころから車両区分として「旅客車」
の小区分として明文化されていたと思われますが、百科事典でも客車の分類
として存在します。くだいて言えば「郵便車」は「もっぱら郵政省職員が
乗務して郵便物を輸送するために必要な設備を有する車両」というところ
でしょうか。荷物車は、国鉄が引き受けた小荷物、手荷物を輸送するための
もので、車体側面に「荷物」の標記がありました。
★小荷物と郵便小包
小包とは、ここでは郵便小包を指し、これは郵便局に差し出されたもので、
郵便物のひとつですから郵便車で運ばれました。たしか当時は6Kgまでしか
差し出せず、それより重い荷物は宅配便が普及するまでは国鉄小荷物による
ところが多かったようです。
★用途の原則と例外
前項で郵便車に小荷物を載せて云々と言いましたが、誤解のないよう説明
しますと、荷物車は手荷物、小荷物、郵便車は郵便物、旅客は客車が原則
なのは当然です。しかし、イレギュラーなケースも出てきます。
・郵便車に小荷物
これは郵政省所有車の全室郵便車ではあり得なかったと思いますが、スユニ
など半室郵便車では行われていました。先に国鉄所有車は何しても勝手と
いうような表現をしましたが、小荷物車が全般検査で入場した場合など、
郵便運用の間合いで待機している半室郵便車を使用して郵便室にも小荷物
を積載していたのを見ました。また、郵便車を運行していない支線にキハユニ
を運用して小荷物輸送する場合も郵便室を遊ばせておくことはなく、荷物室
ともども使用したわけです。これは国鉄所有車である限りいちいち郵便局に
ことわる必要はないでしょう。ただし、区分棚など不要な設備があり使い
勝手はよくなかったでしょう。
・荷物車に郵便物
これも専門的ながらいくつかのケースがあります。まず郵袋を小荷物として
国鉄に託送するケースがまれにあって、その場合は荷物車に小荷物といっしょ
に積まれ国鉄が扱います。次に、本来は半分の車室で郵便車を運行している
ところ、年末などの郵便物増加で、国鉄に「拡張契約」して荷物室も使用
させてもらうケース、あるいは、郵便車が検査で入場した代車として荷物車
があてがわれ、荷物室にも郵袋を積むことを余儀なくされるケース。荷物車
のほか普通座席車の代用もよくありました。これの使い勝手たるや、経験した
者でないとわからない苦労の連続でしたが、長くなるので割愛します。
こういったケースでの代用は興味を持って見ていたので、飯田線などで荷物
扉からも郵袋が出てきて喜んだものでした。今でもそのシーンを見れるDVD
があります。

69 :
年賀のときは増結とかあったのでしょうか?

70 :
>>68
おお!!早速の極めて詳しいレス、ありがとうございます。よく分かりました。
感謝です。
「元二乗」さんは、荷物列車の乗務員さんだったのでしょうか。
国鉄OBの車掌さんに聞いた話では、荷物列車は夜間走るものは手当てが付き、
喜んで乗務を志望したとか。また、乗務は2人だったけど、業務は実質一人でこ
なし、もう一人は冬場はSGで温まる暖房器で焼酎を温めて飲むのが楽しかった・・・・・・とも。
いかがでしょうか。

71 :
>>69
年賀はがきは年末の物増時期に出回りますが、小包などの増加が激しくて増車
措置が取られている中、大した容積増加ではありませんでした。言い換えれば
郵便物全体が増えているため、臨時便、臨時増結、拡張契約、貨車コンテナ
増便、自動車臨時補完とあらゆる手段で対応していました。
>>70
私は郵便車乗りでした。小荷物乗務がお話のとおりならいいですね。手当は
よかったですが、仕事は厳しかったですよ。

72 :
>>71
ありがとうございます。
実は私は集配勤務なのですが、こうして大先輩のお話を聞けるのは本当に貴重です。
鉄郵といえば、鬼の便長という話をよく聞きますが、便長は局の役職でいうとどの位置にあるのでしょうか。


73 :
>>71
郵便車に乗務されていましたか。
ところで、郵便車内部は、郵袋開封時にホコリが立つため、排塵器と掃除機が
備え付けられていたそうですが、実際に郵袋はそんなにホコリが立つものなの
でしょうか?
また、郵便車でも冷房付きは、作業環境は格段に改善されていましたか。

74 :
>>72
集配をされていますか。
私も郵便局で集配をしたくてアルバイトの門をたたいたんです
けど高校生だとどうとか言われ区分差立てから鉄郵の道へ。
便長さんは威厳があってあこがれましたね。長くいなかったので
わかりませんけど、人に聞けば課長代理相当と言われましたが
その貫禄はもっと上だと感じましたけどね。事務室の食堂で、
「便長にお茶やご飯を出すときは音を立てないように丁寧に」
とか教えられてそうしていました。
>>73
現代と違って当時は郵袋が輸送の第一線で多用されていました。
駅ホームでも地面に置かれたり、雨の日の泥、砂ほこりなどが
容赦なく付着するわけですから、車内だとわかりにくいけど
そうとうなホコリが出たはずです。それを窓のない風通しが
悪い環境で否応なしに吸うのですから、病気にもなりやすいと
言えます。排塵器があるのはオユ10など全室の扱便専用車だけ。
護送車あるいは半室、3分の1室ではそのようなものはなく
ホコリは吸うがままです。風邪をひいてなくてもマスクをしたい
ところ、誰もそうしないので吸っていました。
また、掃除機は古くは駐留軍の提案で使用したが弊害が多く
取りやめたとされています。私ら最若手は掃除担当で、ショルダー
バッグに柄を短く切った箒とチリトリを入れて携行し、作業終了時
にみんなの足元を「失礼します、失礼します」とぺこぺこ頭を下げ
ながら掃いて回ります。そして最後に大声で「ありがとうござい
ました〜〜!」と…。ゴミはわんさと出ました。それをバッグに
詰めて事務室か鉄郵のゴミ箱に捨てますが「○×乗務員」とか
「○○鉄郵差立」という標札、は束紙など全部ゴミで捨てていて
今から考えるともったいないです。
次に冷房について。確たる統計は知りませんが、晩年、郵政省
所有全室車は一部を除いてほとんど冷房がありましたが、護送車
、半室車に設備がないので、全国で3分の2は非冷房だったよう
です。作業環境は格段に違いました。エコとか弱冷という概念が
ない時代の国鉄クーラーは寒いくらいガンガン効いていましたから
冷え性の人はジャンパーを持ち込むほどで。しかし、非冷房だと
悲劇でして、窓がほとんどない、あるいは開放できないことが災い
しまして、車内は40度〜50度手前は当たり前。扇風機も温風をかき
回すのでドライヤーみたいに感じ、みんなの意見で消したことも。
まあ、これが仕事と腹をくくって乗ってました。受渡しのとき
ドアを開けるとホームの風が心地良かったですね。
あと、スユニ61など半鋼製の車よりも後に製造されたスユニ50
など全金属の車の方がもっと暑かったみたいです。

75 :
郵便線路って 上6補
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nenga/1212875122/
ここの過去ログに鉄郵の話がよく出てくる。
青函の乗務員は船内でそのまま区分していたから、
電源の関係上郵便車の位置は決まっていたのでは?

76 :
>>21
クモユ141にはあこがれました。いちど乗りたかったけど
東門線では東阪上下便、東名上下便に使用していてうちの
局は担当外だったので。ガキヤ347Mで旅行中、停車駅ごとに
寝ないで先頭付近の郵袋積卸しを見学してましたっけ。
ちなみに大垣〜大阪は単独で「荷×××M」という列車番号。
運転手と車掌の2人だけ国鉄、あとのお客は全員鉄郵という
ユニークな列車でした。

77 :
>>74
これはまた貴重な経験談、ありがとうございます。
郵袋もかなりホコリがたつようですね。また、非冷房の車両は夏場はそんなに
暑くなるのですか・・・・・・信書が飛ばないように「網戸」みたいなものは
取り付けられなかったのでしょうか。冷房車はありがたいですが、逆に効き過ぎ
ですか。
掃除機は、以前、丸の内の郵便局で販売されていた「郵便輸送変遷史」に、進
駐軍の提案で試験的に電気式真空掃除機を配備したとの記述がありましたが、
やはり試験的なものに終わったのですね。

78 :
年末年始に郵便会社のアルバイトをしてみ。
部屋中ホコリだらけで顔を拭けば真っ黒になる。

79 :
 かつては長距離の荷物と鈍行とが一部区間でも併結されているのが珍しくなかった。
とりわけ東北本線でのED75牽引時。

80 :
>>77
網戸ですか。人情としてはつけてほしかった気もします。
ただ、旅客車両全般に採用されていなかったのは、耐久性に
劣ることではないですか。劣化したり列車の振動などにより
穴があき、素材がくたばって破れるという悪循環で経費も
かかり建造物とは違って使われてこなかったのでしょう。
郵便車だと、車内でも郵袋の積卸しのため、郵袋やら鉄製
の標札差しが車内の壁や天井に激しくあたりますから、
網戸だとひとたまりもなく破れたでしょう、荷物車同様に
鉄格子が設置されていたのもガラスを保護するためでした。

81 :
非冷房郵便室は素人目にも窓がないので暑いだろうとは想像に難くないね

82 :
今でも伝送、特殊室の作業は鉄郵の名残がある。
読み上げも「100番銀座」「番無し銀座」と読むし、
○代、赤バッテンも現役。

83 :
特殊室の空間っていい意味でも悪い意味でも昔の名残があるよね。

84 :
>>16
大昔に郵袋の通過授受をやっていた話。落っこちた人がいたんですか。
欧米に習って、急行が通過する駅で沿線の局と受渡ししたそうですが
おっしゃるとおり、大変危険な作業で落ちた以外に地上員も死亡した
り重軽傷を伴う事故がしばしば発生して取りやめたようです。
海外の郵便車では保存されているもので網や投下アングルを装備した
ままの車両もあり、グッズの絵はがきには授受シーンを描いたものも。
しかし衝撃的だったのは、先日、日本鉄道保存協会総会で、来賓の
イギリス保存鉄道協会会長の講演の中で、現在も動態保存の郵便車で
通過授受の実演をしており、パワーポイントの画像に感激。懇親会で
通訳を入れて会長に尋ねると2両の郵便車が車内も美しく維持されて
走っているとのことで、牽引はおそらく蒸機でしょう。
ドイツでもそうですから。今すぐイギリスに渡りたいですね。
しかし、カネと時間が(泣)

85 :
>>84
以前蒸気機関車スレで紹介された英国蒸機のyoutube動画にありますた。 >郵袋の通過授受
スユ30やマユ31等戦前製郵便車の荷物扉は通過授受用に下半分だけを開くことができる構造ですね。

86 :
>>85
そういや、古い郵便車で側扉が不自然な形のやつがありますね。

87 :
>>80
なるほど、網戸では耐久性に難がありますね。納得しました。
そういえば、郵便車も荷物車も、窓の保護棒だけでなく、天井の照明にも
保護枠が取り付けられていましたね。

88 :
家に、1980.10改正の幹線鉄道郵便線路時刻表が転がってる………

89 :
>>88
うpきぼん

90 :
>>87
郵袋室にはたしか天井の蛍光灯にも保護枠がありました。私が勤務
していたころはまだまだ輸送量が多くて車内は飽和状態でした。
本線では大半の便は小包など容積の多い郵袋をどんどん積んで
くるので天井に届くまで積み上げ、さらには天井の空間にまで押し
込んでいましたので、蛍光灯も内圧で割れないように保護していま
した。本線の護送で郵袋の山に登って、下から飛んでくる郵袋を押
し込む作業中には不覚にも保護枠や網掛けフックに後頭部をぶつけ
たことがあり、とても痛い思い出です。

91 :
南海にも郵便車があったね。
古い電車を改造したのが。

92 :
>>89
同意。ただ本当に見てみたいのは75年あたりのやつだな。53.10で合理化が行われ、
57.2で分室廃止、59.2で取扱便廃止だからね・・。

93 :
>>37
郵袋の台車、私も押していましたよ。なつかしいシーンを再現
したくて台車を手に入れて郵便車に郵袋積込みしています。
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~YAMACAT/FRPS/hokuriku/080920/080920.htm
の4枚目の画像です。

94 :
並白赤錠

95 :
>>89
のんびり待っててくれw

96 :
>>85
動画、探しました。
http://www.youtube.com/watch?v=LDy8BcEkEug
http://jp.youtube.com/watch?v=DGwn0VfHszk
http://jp.youtube.com/watch?v=ymnh04By7CI&feature=related
どうも私の聞き違いでイギリスの郵便車は2両ではなく2鉄道の
ようで、ごろごろいますね。牽引もきかんしゃトーマスあり、SL、DL
何でもありのようで。同じ線路を前進後退と結構派手にやってます。

97 :
それにしても能登線の甲駅に放置されていたオユ10はどういう経緯であそこへ行ったんだろう‥
北陸筋で運用を終了したなら、わざわざ能登線の奥の方まで疎開留置することも無かったろうに。
それが幸いして、結果として保存されるようになったんだろうけど。

98 :
>>97
これは、鉄道郵便が廃止された年の61年12月、能登線廃止後に転換
する第三セクターのと鉄道が保存活用するため引取る話が持ち上が
ったため、長駆青森から能登線甲駅に回送されて留置されたと判断
されます。後の状況からするとそうとしか判断できず、でなければ
どこかで解体されてしかるべき車両がわざわざ奥能登に置き場所を
求めなくてよいわけです。しかも運用されていたのは、東京北海道間
ですからなおさらそう感じます。
生き残った要因のひとつは、のと鉄道が保管し続け、しかも線路保守
機械等の留置線として使用していた甲駅側線の先端で、置いていても
支障がなかったことから13年間の長きにわたり存置されていました。
その後「ふるさと鉄道保存協会」が譲渡を受け保存活動を開始して
現在に至るものです。

99 :
>>98
元二乗様レスサンクスです。
保存の計画があったのでしょうか。それにしても天竜浜名湖鉄道の様な20系寝台車とかでもなく郵便車、というのは
なかなか「渋い」選定ですね。

職場で、「同業者」の上司とその話になったことがあります。
郵政局か本省の担当者が「とりあえずあの当たり(甲駅)にでも留置しとけや」と手配だけしておいて、担当者の人事異動のドサクサで
いつの間にか忘れられたのでは‥?という推測を立てた事があったのですが‥
恐らく今となっては真相は「藪の中」と言うことですね。
一度見に行ってみたいものです。

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