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2013年17野球殿堂237: 広島エース列伝 (641)
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広島エース列伝
- 1 :2012/08/31 〜 最終レス :2013/09/06
- 長谷川、備前、外木場、阿仁屋、北別府、大野、紀藤、川口、佐々岡、黒田、ルイス、前田、野村・・・
- 2 :
- チェコ
- 3 :
- 4年連続の4人の20勝投手たち
- 4 :
- >>1
"幻の300勝投手"大石清だけは忘れちゃいかんよ。
- 5 :
- >>4
大石清は20勝も記録してる大物なんだけど
実績の割には語られることが少ないんだよなぁ・・・
- 6 :
- 池谷と山根がないな
- 7 :
- >>1
×阿仁屋
○安仁屋
- 8 :
- >>5
あとは大石姓同士のトレード位だな
- 9 :
- >>6
エースとしての寿命は短かったけどね
- 10 :
- 山内や澤崎は新人王級の活躍で
そのままエースとして君臨かと思ったらルーキー年だけだった。
黒田も含めて基本的に防御率は思ってたほどよくない。
高橋健・大竹・ミンチーは
1、2年良かったり長い間ナンバー2みたいな位置づけだったり
エースというには微妙かな。
- 11 :
- 黒田が去った後のエースは大竹か長谷川だと言われた事もありました…
実際は新戦力のルイスが大当たりでエースの地位を確立した
- 12 :
- 大石清はその最たるものだが、やはり故障が原因で選手寿命を縮めた選手が余りに多いな。
個人的に一番残念だったのは、佐伯和司と金城基泰の同期コンビ。
各々年間19勝、20勝を挙げた途端に故障…。特に、金城は交通事故だけに悔やんでも悔やみ切れなかったな。
まぁ、この2人が無事だったら、広島の黄金時代は更にとてつもなく強固なものになったのは疑いようもない。
- 13 :
- 佐伯と金城は、投げ方は上と下で真逆だが、2人とも故障前の球威はハンパなかった。
佐伯は広陵時代からメジャーも注目のPだったが、無名の此花商・金城を獲得した広島のスカウティングは見事だったな。
- 14 :
- 金城は、入団当時は純粋なアンダースローだったが、サイド気味に変えた途端、一気に覚醒した。
確か、ウエスタンリーグで投げた最後の試合が、ノーノーだった記憶があるな。
- 15 :
- 大石も佐伯も金城もエースになるだけの実力も運もなかった
- 16 :
- ド素人乙w
- 17 :
- 知恵遅れの殿堂w
- 18 :
- >>15
大石清の成績をちゃんと調べてから
書き込みんさいや!
- 19 :
- まったくだなw
大石清は完全にエースだった。
まぁ、いちいち知恵遅れにかまってても仕方ないわなww
- 20 :
- 佐伯と金城がエースという立場になったのは
1シーズンだけだったけどね
- 21 :
- ともに、そのシーズン後に悪夢が…
- 22 :
- 佐伯・・・1973年に19勝 → 肩を痛めて1974年は2勝 → 1975年は15勝(ただし地位は先発3番手)
金城・・・1974年に20勝 → 交通事故で1975年は1勝
- 23 :
- 初優勝の75年は佐伯は先発ローテを守り、ポイントとなる試合をことごとくモノにしたし、金城はストッパーとして大活躍で、ファンを喜ばせたな。
ただ、故障前とは別人のように球威が落ちていただけに、見ていて痛々しかったのも事実…
- 24 :
- 二連覇当時のエース・福士を忘れてるぞ
- 25 :
- >>24
日本一に貢献はしてくれたけど
絶対的なエースとまでは呼ばれなかったような記憶が
- 26 :
- 山根の力投で3度日本一になった。
- 27 :
- 「カープ50年」(中国新聞社)、「広島東洋カープ60年史」(ベースボール・マガジン社)、「Forever広島市民球場」(同)……何れも歴代の中心選手を個々に取り上げて記事にしているが、福士に関してはなんと皆無。
確かに地味な選手ではあったが、実績的に考えても、ここまで軽く扱われるとはって感じだな。
同じ外様の金田留や渡辺秀あたりでさえ記事になってるのに…。
- 28 :
- >>25
だったら、備前も紀藤もエースじゃない w
- 29 :
- エースとは、その時点時点でチームにひとりだけと考えるか否かだよな。
備前も福士も紀藤も、ある時期における「エース級」であったことは間違いない。
- 30 :
- そんな事いったら池谷も入るな
- 31 :
- それこそ黒田がヤンキースに行ってace-likeとか言われてるのを
どう評価するかみたいなお話だな
- 32 :
- みんなエースでいいだろ!
まぁ、金田留とか白武あたりはあり得んけどねw
- 33 :
- >1
大石清は?
- 34 :
- 全盛期の北別府はコーナーぎりぎりボール1/3個の出し入れで勝負していた
おそらく技巧派投手としては歴代ベスト5に入る投手
- 35 :
- 1年間だけ大エースだった71年の藤本和宏
ノーヒットノーランに最優秀防御率
- 36 :
- ガスタンク藤本ね。
あの年はホント、神だったな。
- 37 :
- 高橋里志もよろしく
- 38 :
- 77年だけは間違いなくエース。
野村とソリが合わないことで南海をクビになったが、それが幸いするとはなw
- 39 :
- 大石清と竜憲一に隠れがちだが
池田英俊も数年はエース級の働き。
- 40 :
- 池田は一時期、間違いなくエースだったな。
小柄で球威もないのに63年には21勝し、そのうち9試合が完封勝ち。
しかし、練習中のアクシデントで選手生命を縮めたのは不運としか言いようがないな。
- 41 :
- >>38
高橋に対しては
相当激高したのか殴った上更に倒れたところに蹴りを入れたらしい。
ヤクルト時代に荒井幸雄へのポカリの後誤ったりしているのは
野村はこの事がその後トラウマになっていたのかな?
- 42 :
- 野村には信念があり、高橋里は超一本気な性格の持ち主…。
うまくかみ合えば最高な関係にもなり得るんだろうが、残念ながら最悪な方向に振り切れちゃったわけだな。
- 43 :
- 野村と高橋はそんな関係だったのですか
高橋と江夏が仲が悪いのはその影響?
- 44 :
- そりゃ、試合途中なのにふてくされて荷物まとめて帰ろうとしてたら
野村じゃなくたって怒るだろ
- 45 :
- >>43
それは関係ないと思う。
チーム内で特別扱いされて我がもの顔だった江夏に
対して、日頃からムカついてたんだろう。
たしか福士も、江夏には同様の悪感情を持っていた。
- 46 :
- 大沢は険悪なのを承知で江夏と里志を同時に獲得したんだな。
- 47 :
- ちなみに高橋は
広島に行っても、途中降板を命じられた後に
大暴れして、古葉監督を激高させている
そのオフにトレード
どう考えても、高橋の方に問題がありそうだ
- 48 :
- >>45
交代を命じられると
「あいつの世話にはなりたくない!」
- 49 :
- ノムシン必死でワロタ
江夏ばりの火消しだなw
- 50 :
- >>45
江夏は今の分業制のつもりで終盤までくつろぐ、
他の選手は「全員ベンチで応援しなければいけない」
という考えがあったのでは
- 51 :
- 「下手投げエース」弘瀬昌彦
「左腕エース」白石静生、大羽進
- 52 :
- >>45
>チーム内で特別扱いされて我がもの顔だった江夏に・・・
移籍した日ハムでもチーム内で同様の不満の声があがっていたらしい
でも我がもの顔でくつろぎながら出番に備える姿は江夏の魅力でもある
同じリリーフ・エースでも大野や津田だったら全く絵にならんがw
- 53 :
- ブルペンでタバコ (ショートホープ) をふかしながら
戦況を見つめ、待機する江夏の姿はカッコよかった
- 54 :
- まぁ、仕方ないことだが、リリーフ・エースに対する認識(敬意)が不十分だったよな、当時は。
- 55 :
- リリーフで大成功し、その地位を高めた江夏だが、最後まで先発を貫いたライバルの堀内や平松を羨ましがってたな。
やはり江夏の美学は先発完投にあった。
- 56 :
- 江夏以前のリリーフ専門投手はまだ地位が低く、活躍しても
あまり年俸は上げてもらえなかったらしいね
- 57 :
- 最近はランナー無しの場面や1回限定の当番が多くなり年俸が高くなった
- 58 :
- >>50
スレチだが南海時代
試合開始からベンチに座っていると腰が痛いので
5回裏までロッカーで7回以降に備える、という調整方法だった。
試合序盤は寝てるんだから南海ナインにもかなり嫌われたみたい。
- 59 :
- ベイの佐々木あたりに比べたらカープのクローザー江夏は
ちょくちょくサヨナラ打も打たれてたな
- 60 :
- >>54
実際問題江夏じゃ無いと出来ない調整法だったろうし、江夏が実践しリリーバーとして
長期間君臨したという実績が無ければ、未だにクローザーは短期間で使い捨てつう感じ
の使われ方のままだったかもな。
抑え投手という概念を日本に持ち込んだ一人である近藤貞雄氏はコーチ・監督時代を通して
一人の投手にリリーバーを務めさせるのは最大3年までという方針だったそうだね。
- 61 :
- 高校時代に北別府は津田より球が速かった
広島が密かに狙って一本釣り
- 62 :
- 徳山の親戚の家へ遊びに行ったとき、高校時代の津田を
テレビ(夏の県予選)で見たっけなあ
- 63 :
- >>61
北別府と津田って、高校時代のイメージとプロ入り後のイメージがお互いに入れ替わった感じだな。
高校時代は荒々しい剛球投手だった北別府と、まとまりがあり完成度が高かった津田。
- 64 :
- 速球王ツネゴンと言われる津田が「池谷と比べると軽石」と
新聞に書かれていて不思議だった。
血行障害から復帰した時は凄い伸びと威力だった。
- 65 :
- 南陽工時代は気弱でお人好しの少年だった津田が、「炎のストッパー」を演じ続けたのは、精神的にも肉体的にも想像を絶する負荷だったろう。
病魔に苛まれたのも、それが原因だったのではと考えてしまう…。
- 66 :
- 絶頂期だけ比べるなら外木場が最強と思う
- 67 :
- 津田は速かったが球質は軽かった印象、ただ、一般に思われているよりはるかにコントロールはよかったな
- 68 :
- 津田は86年限定では本当に凄かった
むしろ、コントロールなんか気にせず
ど真ん中に投げても打たれる感じがしなかった
江川の全盛期以来の衝撃だった
あの巧打者の篠塚が手も足も出ず三球三振に倒れたり
でも、その年以外は、サヨナラの津田と言われてたとおり
それほど凄いという感じはしなかったな
というか、スレ違いなんでこのへんにしておくが
- 69 :
- 天王山や巨人戦を避けてヤクルト、大洋戦中心に勝ち星を重ねる北別府。
天王山や巨人戦中心に投げアンラッキーが多かった山根、大野、川口。
逆なら勝ち数や年俸はどう変わったのだろう?
- 70 :
- >>66
絶頂期の比較なら文句なく、大石清が最強のエースだろ。
かつての球団関係者の間でも定説だったからな。
- 71 :
- 200勝投手は北別府だけか
古いが長谷川は惜しかったな
- 72 :
- そして、長谷川以上に惜しかったのが大石清
- 73 :
- 200勝投手の北別府は、あの最強打線をバックに弱小チームから勝利を重ねただけの印象。
その点、アマチュアレベルの最弱野手陣をバックに、3年連続20勝の大石清は大絶賛に値する。
しかし、毎年300イニング以上投げた代償は大き過ぎた…。
- 74 :
- 4/17
同点の7回一死から登板するも、9回に打ち込まれて負け投手に
4/22
1点差を守り切れず、引き分けに
4/23
打者一人打ち取り完了(引き分け)
4/27
2点差の9回に2ランを浴びて、またも引き分けに
5/5
3点差の9回を零封する(セーブつかず)
5/8
2点差で登板した7回から9回を零封して、初セーブ
5/10
負け試合で登板して、2イニング・自責点1
5/11
逆転され登板したら、さらに打ち込まれる
5/14
5点リードで登板した最終回を3人で封じる(セーブつかず)
5/17
2イニング零封で、2セーブ目
5/18
6回から登板のロングリリーフで勝ち投手に
5/19
2点差を逆転され負け投手
・
・
・
- 75 :
- 横山竜士
ストレート、カーブ、マウンド度胸(清原の件は置いといてw)と全てにおいて一級品だった
間違いなくカープのエースだった男です
また“エース横山竜士”を見られる日を待ちわびている。
- 76 :
- 横山より一塁牽制の巧い右投手は見たことないな。
- 77 :
- デーモン小暮がまだ普通の人間だった小学生時代
父親の仕事の関係で広島市に住んでたらしいけど
当時のエースは誰だったんだろう
- 78 :
- >>77
外木場義郎
- 79 :
- 1960年頃の生まれか? 小暮
だったら、初V前の弱い時代だな
- 80 :
- デーモンが小学生の頃の広島は、セ・リーグ屈指の投手王国だったな。
20勝投手の外木場、安仁屋に、安定して二桁勝つ大石弥、白石の4本柱は盤石。
そこに巨人キラーの大羽や、完全男の藤本ら個性派が絡んで、見応え十分だった。
ただ、野手陣がまだ若く、発展途上だったのが残念だったな。
- 81 :
- 初優勝、中三だな
金城が柴田を左飛に打ち取った
- 82 :
- >>80
4本柱が揃って活躍することはなかった…。
- 83 :
- >>82
揃って好調なのは流石に稀だろうねぇ。
巨人の三本柱や、ダイエーソフバンの四本柱だって、
全員が絶好調なんて年は、せいぜいあっても1年だったし。
- 84 :
- いま出てる 『月刊ベースボール・マガジン』 の11月号は
「ノーヒットノーラン投手の特集」]
外木場がライアン、金田、江夏と共に表紙になってる!
もちろん中の記事もバッチリ!
- 85 :
- 個人的TOP3
1 大石清(天才投手)
2 外木場(ノーノー男)
3 長谷川(大功労者)
(次点)北別府(200勝超え)
- 86 :
- 藤本和宏って引退後の動静がわからないね
- 87 :
- 移籍2年目の1971年だけ大化けした藤本
最優秀防御率にノーヒットノーランも達成したが、勝ち星はあの年以外では挙げていない不思議な選手
- 88 :
- 藤本は、外木場ら先発投手陣の不調もあって台頭。
確かヤクルト戦だったか、もう1試合、ノーノーに近い試合があったな。
太目の体だったけど、球のキレは半端なかった。
- 89 :
- >>85
2ちゃん内の平均世代を考えると北別府がナンバーワンなんだろうけどね
自分は外木場&安仁屋世代だから、彼には「貫禄やたくましさ」という点で
いまひとつイメージ的に物足りなさを感じていたが
- 90 :
- >>87
球史における屈指の一発屋だろうな。
野手なら吉岡悟レベル。
- 91 :
- そういえば藤本は福岡ライオンズの落ちこぼれだったな
- 92 :
- >>88
71年8月29日のヤクルト戦、初回先頭打者のシングルヒット1本のみ(四球:1)に抑え完封勝利。
あわや1ヶ月に2度のノーノーという快挙を達成するところだった。
- 93 :
- 藤本は、何だかいつも大汗をかいてたイメージw
ピッチングフォームも体型も、江夏に似てたな。
- 94 :
- ルーツ監督とトラブって放出された投手としては安仁屋が有名だが、左腕エース・白石もそうだったな。
左肩痛の白石は、肩に金バリを埋め込んでいたが、東洋医学を信じないルーツはハリをやめるよう指示。
それに反発し、従わなかった白石は阪急に放出された。
- 95 :
- >>92
スレ違いだが、中日の近藤真一もデビュー3試合目が1安打完封。
例のデビュー戦と併せあわや1ヶ月で2度だった。
- 96 :
- 白石静生は、メガネのイメージから物静かな紳士なのかと思ったら全然違って、反骨心旺盛で頑固なタイプだったんだな。
広岡達朗がコーチで来て、禁酒の方針を打ち出した時も、ひとり猛反対したんだとかw
- 97 :
- 移籍後の阪急でもそこそこに活躍してたよね。
ヤクルトとの日シリで元気な姿を見られた。
- 98 :
- 白石は、入団直前に故郷でランニング中、右アキレス腱を痛め、それを庇ってるうちに左足まで痛めたという。
先発ローテで、連続二桁勝利を挙げた時期も、毎試合痛み止の薬の世話になってたというから相当辛かったはず。
その上、73年には左肩痛発症だからまさに満身創痍で、阪急での活躍は奇跡的とも言えるな。
- 99 :
- 安仁屋って結局優勝経験なしのまま?
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