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2013年17心と宗教19: 三位一体について論じるスレ (137)
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三位一体について論じるスレ
- 1 :2012/12/28 〜 最終レス :2013/09/24
- 要望によりスレ立て
- 2 :
- >>1
スレ立て乙。
- 3 :
- ここは、聖書を信じる人が論じるスレッドです。
無神論、聖書否定の人はご遠慮ください。
- 4 :
- ユニティな立場、求道中の人でイマイチよく分からない人などと一般のキリスト教会に通う人々との対話のために使うと良いでしょう。
- 5 :
- ちなみに、キリスト教文学とエホバの証人のスレッドでエホバの証人の悪引用について指摘しているのは自分です。
- 6 :
- 私は霊能者となった。イエスは神の右と呼ばれる場所で人格神として存在している。
―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろ
う―(マルコ)―神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる―(マルコ)
―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)
(父)―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである―(ローマ)
―あなたがたのいのちは〜しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
- 7 :
- ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
(子)人間の姿の生存状態=肉でもあり霊でもある状態 誰ひとり父に信仰ありとされない、人間という存在は誰も信仰できないのだ。
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント人)
―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)
神は霊で、自分の命を憎んでまで神への信仰深さを人々に示す人はいないが、地上のものに一切心を引かれない国を厭い、生まれたいと願ったから人間となって生まれた
=天での出来事
それぞれ自分の命を愛し生まれてきたのだから、あやまちをゆるし尊重し合うのは当然だと=地での出来事 神の右の人格は言われる。
- 8 :
- (聖霊) ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは―
―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一)神は肉の欲、目の欲、持ち物を一切捨てようとせず、霧に過ぎない人間となった。
聖霊に満ち荒野の者のように、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを一切捨て、世の中と自己との思い煩いを捨てようとしないと誰も信仰できないと言われ、
(命の木からも取って食べ)・・その時だけ神を知れる人間の存在を造られた。
- 9 :
- イエスは世界を創造された、愛で幸せに・・・神は言われた、聖霊に満ち荒野の者、決して死を味わわない者、この世の者でなく、「私はいる」と。
―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一)
―上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである―(コロサイ) その言葉を何度も言い聞かされ、神はそういったもののない国で
喜びに満ちていらっしゃるということ、人の世にある全ては神が造られたものではないということ、男・女は不浄な所の違いのみで、性差(体)の違いはないということ、
悪い者に対する敵意・憎しみも、「あなたのためにならず」として一瞬でも思えば、ゆるさず叱る神であるということ。
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―【命の木】世と自己との思い煩いを捨て去る、無意識に行う他者への配慮しか神への信仰はない
ということ。
- 10 :
- 神は三位一体である。
- 11 :
- ―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろ
う―(マルコ) 神の右の国を嫌がり、神にとって全て苦しみを喜ぶような地で、生まれたい一心で『霧にすぎない人間』となるということ。
神ひとり地上のものに心を引かれずおられるのでなく、天使のような人々(霊)と共に、安らかな世界を喜んでいるということ。
それぞれの人々が自分を愛し生まれたということ。「地の者は愛・良識」で、神は愛情深く甘えられる存在ではないが(イエスが耐え忍んだこと)、生まれた時の世
に汚されない頃の者のように、互いに愛し合い・尊重しあえば何でもできる霊力(全能)と共に在るということ。
―すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです〜イエスは、彼が適切な答えをしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くはない」―(マルコ)
―先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はいない』〜ほんとうのことです。
- 12 :
- 祝 スレ立て^^
- 13 :
- ―多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである〜万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―
実際多くの神が存在します。邪まな利益を得ようとする人々を『宗教行為釣りR=束縛する』悪い人を『獲る』だけで、人間界に生まれた人々に丁寧な扱いはしませ
ん。
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない―(創世記)
イエスの神は、聖霊に満ち荒野でこの世の者ではなく、決して死を味わうことのない者となり、何でもできる神と一つになったこと。そのことを信仰の義・神の義と受け
入れ、
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら〜彼らは律法の要求が心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心とともにあかしを
して―(ローマ) 心の中であなたの知っていることを行えば何でもできる霊力(神)と共にありますよと人類に教えてくれる慈悲深い神の人格。
神の右の国を嫌がり、苦しみを喜ぶような地では、神にとっても人々は自立し、「ただ中にあるもの」を大切にしたり、教えて救われよと=薫陶と訓戒
- 14 :
- >>13
また、唯一の主イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
第一コリント8:6
- 15 :
- 神との媒介にキリストがいるかふようかが宗派対立につながってるからかなり重要です。封印された伝説のアークならぬナグハマディ写本群をさがすべくナチスドイツ軍が捜索隊をアルクサンドリア派遣したのも媒介にキリストが必要と限らない福音書探して公表するのが目的
- 16 :
- >>15
そういう福音書が仮に出ても聖典とはみなされないでしょう。
- 17 :
- 戦争中のナチスならイタリアを仲間にしてる限りは可能であったしナチスはその手の神秘主義者の巣窟だから主要目的でもあったのだ。カルト国粋主義者からするとキリストを介在せずにゲルマン人の魂がヴァルハラに旅立てることはかなり重要です。
- 18 :
- 聖書は教会が書いて聖典を定めた。
教会以外の解釈は許されない。
それを皆分かっていない。
- 19 :
- ゆえに封印されたり燃やされて内容の失われた元公認福音書さがしにほんそうしたわけよ。
とうぜん自分たちに都合の良いの限定で
- 20 :
- 父、子、聖霊の名。
- 21 :
- ―イエスは大声で叫んで〜「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」―(マタイ)
―わたしの願いと言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい―(ピリピ)
―そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない―(コロサイ)
人格神の解釈である。地上のものに心を引かれず存在していらっしゃる。そこで地上の苦悩なく喜びに満ちていらっしゃる。
神は神の義のことを語られる存在。
- 22 :
- ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)
―主にあっていつも喜びなさい〜あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない〜あなたがたの求めるところを神に申し上げ
るがよい〜人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを―(ピリピ)
―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
―すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており〜信仰ゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、そ
れによって律法を確立するのである―(ローマ)
信仰・宗教全ては、ただ地上のものに心を引かれず、何でもできる霊力と共に在った方しか存在せず、何事も思い煩ってはいけないことを第一とすること。
イエスは地上のものに心を引かれず、何でもできる霊力とともに在り、神の義を示されたということ。
- 23 :
- ―「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜『神様、罪人のわたしをおゆるしください』〜おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高く
されるであろう―(ルカ)
神に義なる者はひとりもいない。なのに自分を偉い者とか正しい者とか、善い行いをしてもそれほど報いはないとか・・神の義は地上のものに心を引かれず、完全な
者だけであると言われた。
―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた―(テサロニケ)
―貧しい人々に分けるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない―(エペソ)
上の者とならないと神に義とされない。愚かさを認めて、霊に従えばこの世でも何でもできる唯一の神と共にある・・人類の救い主。教え主。
- 24 :
- 太陽、光、熱
十字架=春夏秋冬
一年は12ヶ月→弟子の12使途
30歳で大工からの転職→赤道から角度30度
聖書の意味と真実
貴方は知る事になる。
- 25 :
- 私は人格神の言葉を直接聞いた
【天の父】=【地上で罪をゆるす権威】
―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわい
である―(ルカ)
人格神は言われた
私が「地上で苦しんでいる人々もいる どうして?」―わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは〜わたしにしたのである―(マタイ)
「富んで豊かになった、なんの不自由もない人々の暮らしこそ、神への思いから全く遠く離れている、その者どもは神の左の者だ!」そのように厳しい言葉を聞いた。
神の右の国では、慈悲に満ち、あわれみに満ち、思い煩わないことに満ち、喜びに満ちている。金や物、地のことに熱心に生きるだけの人々は、神の左の獣のよう
な者であると。
- 26 :
- 【子】=【罪人を招く】人格神は言われた、「世は創から罪である。全てが天のもののようになることはない。」
―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)
―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
『主よ、主よ、神よ、神よと心に抱いている人々がいるが、今は無いと思いなさい』神を苦しめてはいけない。
〔主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい〕―自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜父と母とを敬え・・・金ではなく誠実に働く、人々の金への貪り、気まま
な肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく働いても地の奴隷で、― 一日の苦労は、その日一日だけ―(マタイ)を戒めとして適度に働き、誠実に働いても神のために
しましたと言える人はいないこと、人間界の益のためで当たり前とすること。「衣食住のない人々に衣食住を」と心にあることも、獣以外の人間なら当たり前のこと。
金・肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせくすることは、悪しき霊力の滅び、愛、あわれみ、慈悲、他者への配慮ある行為、謙遜、寛容は、何でもできる霊力ととも
に在ると。
- 27 :
- 【聖霊】=【命の木】
―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)
―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一)
―あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容〜愛―(コロサイ)
行いにより神にしましたと言える人は誰もいないが、「悪しき思い、心」から離れ、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れ、何事も思い煩うことなく、この世の者で
なく、イエスのように「山を移すほどの者」とならないと、誰も神を信仰できましたという人はいない(神にとって=神の律法)しかし、「いつかは来る」と。
―永久に生きるかもしれない―(創世記)は―あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう〜主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい
人類には悪しき心・思いと行為から救う、教えだけが残る。
- 28 :
- キリストは神。
- 29 :
- 思慮は三位一体否定かい?
- 30 :
- 神は三位一体。
- 31 :
- 全ての人々が知っている神であり、―しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)人間でも、
―神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ) 知性の無い人々が信仰できる存在ではないということ。
【天の父】=【地上で罪をゆるす権威】
―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわい
である―(ルカ)―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)
でしか存在しないということ。
地上のものに心を引かれず存在する人格(神々)は存在し、信じても物質界の人間は救われない=人格を信じても誰も救われないということ。
- 32 :
- 【子】=【罪人を招く】人格神は地上のものに心を引かれた人間を愚かな存在として存在する。
―神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜神様、罪人のわたしをおゆるしください〜自分を低くする者は高くされるであろう―
―キリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ―(ルカ)
神にとって、苦しみを喜ぶような地上で、「何かしたいこともある」愚かな生存状態を願って生まれてきた。善人・正しい者・偉い者などと自任せず、あやまちをゆる
してあげなさい。人間を直接救う存在ではない。男女は、賢くなり恥ずかしいから隠しているだけで、「情欲を抱くような男女の別はない」。
―貧しい人々に分け与えるようになるためにも、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない―(エペソ)
富ではなく人々に負担をかけまいとして働くこと、人間の富への貪欲、肉の欲・・貪欲にあくせく働く過労を地の奴隷で悪魔の子、貧しい人々への配慮ある心・・
獣のような人間でないなら、心の中で知っているはずのことだと。「愛と良識」「地の者は愛」で、人格神の善意を地上の人間が期待してはいけない。
- 33 :
- 【聖霊】=【命の木】いつか全世界に突然「来る」
―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)
―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわい
である―(ルカ)
人格神は、地上のものに心を引かれない人格で、消え行く霧にすぎない人間を一切助けようとされない。
―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ずなると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう―
生まれたいから生まれる続ける人間が、霊力に背く獣どもの患難の後滅ぼされる時、聖霊により目覚め、悪しき者に打ち勝つことをよしとし、天の父をよしと受け入れ
ていないと、「朽ちる状態で、決して永遠の者にはなれない」と。 そうなって初めて神に「信仰できた者」とされる。今は、獣人間か人間で朽ちない状態になり信仰あ
りとされるか、わからない状態。神と言っても霊に従う者とならないと、神にとって偽善者で誰も永遠を与えようとされない。
- 34 :
- 論じるまでもなく三位一体は正しい。
- 35 :
- 神と人間の間の媒体がキリストかどうかとはべつに三位一体そのものを否定してるのはものみの塔くらいだ
- 36 :
- ものみ (笑)
- 37 :
- 論じる (笑)
- 38 :
- 三位一体は明らかな詭弁。
唯一神が人妻Rして産まれたのが唯一神と同じならそれらは唯一では無い。
(^。^)オヤジとガキは別人です。まだ分かりませんかね。(笑)
- 39 :
- >>38
位格の区別はあるんじゃね?
- 40 :
- 人格神は実在し、知っていてほしいということだから告げねばならない。
―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわい
である―(ルカ)
―上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである―(コロサイ)
神の右の世界は在る。地上のものに心を引かれない国。そこでは、全ての者が地上の悩み苦しみなきことを喜んで存在している。
―人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない―(マタイ)
地上のものに心を一切引かれず実在し、完全を信仰ありとされる存在であるから、誰も従える人はいない(だろう) しかし、人々の悩み苦しみを取り除くことは悪い
と言う人は、永遠にゆるさない存在である。
- 41 :
- ―神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう―(ルカ)神にとって地上のものに心を
引かれた愚か者の人間の存在。信仰深いと自任しようとするなら、聖霊に満ちて荒野の者のように、世の中と自己との思い煩いを一切捨て去らねばならない。世と交渉せずに
暮らさねばならない。
そこで神の意向
―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
神には信仰のない者と思いなさい、信仰できる者は地上のものに心を一切引かれない者だけとされた。
―神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)―愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制―(ガラテヤ)
人は、心の中にあるものだけで救われ、良識的な行為で人の世は救われるということ。地の者は愛で、愛情深い神は存在しないが、互いに愛し合ったりすることで救われ
るということ。
- 42 :
- ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力し働き続けた―(テサロニケ)
―貧しい人々に分け与えるようになるためにも、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない―(エペソ)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―
― 一日の苦労は、その日一日だけ―(マタイ)
そういったことは当たり前の良識で、富ではなく誠実に働くから益があり、衣食住のない人々に衣食住をという心と行為は神の良識、人々の富への貪欲、自由気ままな肉の
欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく仕えても、地の奴隷、悪魔の子になるだけだと。
―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)霊の体を得て、初めて神に
信仰ありとされると。今は全ての者が罪を犯したため、地の苦しみに耐えねばならないのであると。
- 43 :
- 人格神は、天にないもの《肉の欲、目の欲、持ち物の誇り》を神の敵の者どもと明確にされた。
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ〜「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは―(マタイ)
自然災害などで貧しくなり苦しんでいる人々・・・(ああいった状態になりたくない)否、『豊かな暮らしをし、何も問題ないというお前たちのほうが私の敵だ!貧しく、
人の幸せが手に入らない人々こそ、私に近い』『その豊かな暮らしを捨て、聖霊に満ち荒野の者のように、衣食があれば足りる暮らしをせよ』
―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ)
そういったようなことを言われたのである。物質豊かな私たちの暮らしは、神からとても遠く、神を信じても「はいそうです」と言えなかった。
- 44 :
- 【悪魔だけの者から良識的な人になっただけ】
―貧しい人々に分け与えるようになるためにも、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない―(エペソ)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―
― 一日の苦労は、その日一日だけ―(マタイ)
肉体を宿している間は、「神様、私はあなたに信仰あります」と言えない存在なのです。被災者に義捐金をしても、他人のことをも思える人間になっても、人々の富への
貪欲、肉の欲、目の欲、持ち物の貪りにあくせく仕えず、過労を避けても、『心ある良識的な人間になった』だけだと。
何も信じなくとも、心ある良識的な人間はいる。
- 45 :
- 【悪魔は滅び】
人々の富への貪欲にあくせく仕え、肉の欲、目の欲、持ち物の貪りにあくせく仕え、霊の者より人間であることを喜ぼうとして生まれたはずなのに、「敵意や憎しみ、怒り
を抱いて、ゆるせない」心のある者、そういったことに思い煩い、人々の貪りのために苦労して悩んでいる人々は、「地の奴隷、悪魔の子、滅びの者」として、人としても
認められないと言われる方。
「足れ!何事も思い煩わないよう心掛けて喜べ」で神は人として認める。(しかし、人は地のこともあるから神に信仰ありとはされない)
いつか悪魔の者どもは地を滅ぼす時が来る。―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)を善いと受け入れ、一切の者が悩み苦しみ、思い煩うこ
となく喜ぶ天の父をよしとし心から受け入れ、自制をよしとし、世の思い煩いを捨て去ることをよしとする者が、霊の体を得ることができる。
ただ信じればというものは何もなく、悪しき者にうち勝って、何事も思い煩わないよう心掛けていないと、神に信仰ありとされる霊体になれない。
- 46 :
- 神は存在するかもしれない。もし存在していたら、イエスのような慈悲深い存在だろう。事実は否。
―それは神の義を示すためであった〜今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みず
から義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである〜信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか、断じてそうではない。かえって、それによっ
て律法を確立するのである―(ローマ)
□神の義
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしたちは無に等しい―(コリント)―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない―
(ヨハネ) 罪を犯さず「この世の者でなかったら神の義」この世の者でなく、山を移すほどの者となれば、神の栄光とともに在る。
―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
- 47 :
- ―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ)
神にとっても皆知っているはずのことだと。
―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう―
人間になりたいとして生まれたこと。聖霊に満ち荒野の者のように、世の中や自己に思い煩っているより、人の手で造られていない大自然を喜び、思い煩っていない人は健
康的であるということ。―自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ―という戒めのように、暴力や争い、悪い言葉を言うために生まれたのでなく、互いに人としての喜び
を得ようとして生まれたということ。隣人の愛として瀕死の状態の人を救うこと、衣食住のない人々に衣食住をといって考えてあげること、人々の富・肉の欲、目の欲、持
ち物の誇りへの貪りのために過労したり思い煩うために生まれたのではないということ。―公平とあわれみと忠実―(マタイ)誠実に働こうとしているのに、貧しい人々も
いることへの配慮ある心・・・心ある人間なら皆知っている。
- 48 :
- ―偉くなりたいと思う者は、仕える人となり―(マルコ)生まれながらに偉いとできる者は誰もおらず、天の父を通じて偉いとされること。肉体の病気を治す医者が、誠実
に病人を治療し偉いとされること、病人は肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れて安静にして―山を移すほどの霊力―に頼ろうとしていること。
神にとっても人間にとっても人間の行為や金や物欲や肉の欲、目の欲などに悩み苦しみ思い煩おうとして生まれたのではない。悪い者がいるのにどうして神は何もされない
のか?―キリストが神の右に座しておられるのである〜地上のものに心を引かれてはならない―(コロサイ人)地上のものに心を引かれ地に生まれたお前たちが悪いという
人格神は存在する。神に喜ばれるように、聖霊に満ち荒野の者のように、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りから離れ世の中と自己とに思い煩わないよう努め、そうでないなら
何かしたいこともあり生まれてきた愚かな人間であることを認め、人々のあやまちをゆるしてあげないと、あなたのあやまち『何かしたいこともあり生まれた人間』をゆる
さない人格神。神の右の者のように常にしていないと、『何かしたいこと』さえゆるして下さらない方である。その人がまずまともにならないといけないのである。
- 49 :
- 思慮も世素レベル。
- 50 :
- エホバ信者がキリスト教文学のスレで調子に乗っています。
- 51 :
- 禁欲バカと禁欲宗教とエロ文学が三位一体
- 52 :
- 思慮さんは教会には通ってる?
- 53 :
- 三位一体は事実だからな。
- 54 :
- もともと純粋な体験の事柄なんですよね。
それなのに教理の問題にすりかわっちゃってて
一生懸命頭で理解しようとしてしまっている。
- 55 :
- >>54
そうそう、一世紀のクリスチャン達は体験的にイエスも聖霊も父と同様に神だと知っていて信仰告白してきたわけです。
異端というのは時折現れて否定しますが正しい伝承ではないですね。
- 56 :
- なんで、神学を不要とする牧師がいるのかが理解できません。
つまずかないためには、必要ですよね。
- 57 :
- >>56
どこの牧師?
- 58 :
- >>57
どうしてですか?
- 59 :
- >>58
神学がないというか、単なる学問的な取り組み方が嫌いな人でしょ。
- 60 :
- >>59
神学で理解が助けられる場合は結構あるのに、もどかしい。
- 61 :
- >>60
それなら、三位一体についての神学書を買えばいい。
- 62 :
- キリストは神です。
- 63 :
- >>61
もうとっくの昔にあるけど、それは必要ないという牧師がいるから疑問を呈しているわけだが・・・。
- 64 :
- >>63
それは少数派だと思うよ。
- 65 :
- >>64
だから、疑問を呈しているのだが・・・。
少数派なのは、わかるよ。
- 66 :
- 疑問を呈してもそれがその人のスタイル。
学問的な説教が得意な人や賛美や感謝などに重点を置く人もいる。
しかし、神学が全くない訳ではなかろう。
- 67 :
- 誠意は伝わらないのだろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
- 68 :
- そうだな。それでいいや。
- 69 :
- 神様の全てを理解する事は不可能だが、三位一体を理解できない者は異常。
これだけ明解で体系付けられた理論なのに。
- 70 :
- 私は神の語りを聞いた霊能者だ。神は勝手な信仰により怒りを抱いていらっしゃる。
―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいであ
る―(ルカ)神は地上を喜ばれる方ではない!―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)
私たちは地上のものに心を一切引かれず、「あなたがたは何でもできる、山を移すほどの者、霊」とならなければ、神に信仰ありと認められることは一切無い。
―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう―(マルコ)
神に罪を犯し、人間になりたいと生まれた地。
―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)
- 71 :
- □この世で神に喜ばれる行為(信仰深いと自任できる者)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは神の敵で、衣食があれば足りるような暮らしを心がけ、世の中と
自己とに一切思い煩わないよう努めること。楽しみとしてゆるされたのは、神が創造された大自然のみ。人殺しや悪を憎むことすら一切ゆるさない方。
人間を造った方は、大自然で何事も思い煩わない者を健康的と造られた。信じた者は悪を憎んだ(私のことを知っておられた)また、世界にも起きた。
罪を犯し、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りもある地に生まれた。地上で「私が喜ぶのはこういった者だけだ」と。
―「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者〜おおよそ、自分を高くする者は、低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」―(ルカ)
「愚か者め!」愚か者どもが勝手に宗教的思いを抱いてはならないと。
- 72 :
- □地の者は愛 いつ行ったか
皆、人間でありたいとして生まれた。そのことを尊重されておられる方。負担をかけまいと労苦して働くこと、貧しい人々への配慮ある心があったり、衣食住のない人々に
衣食住をという生存状態の思い煩いと取り除いてあげようとする心、少々自分の気に入らない者に寛容であったり、一日の苦労はその日一日で、人々の富への貪欲、肉の欲
目の欲、持ち物の誇りにあくせく悩み苦しみ思い煩わないことであったり、「心ある人間なら当たり前の良識」であると。
―善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである―(コリント)天国でのことである。
神様人々のために悪い者を「神のカでも思えば聖霊に満ちた者」不義な地上の手助けをして下さらない。
神への知識が全ての人々に知れるように、神に従う者は何事も思い煩うことなく悪を憎むことからも離れ、信仰深いと偽りを自任した者は悪を憎んだり、対立したり、人々
に神に信仰深い様子を見せて、健康な心を受け入れさせることなく、無駄口を言い、神に敵意、怒り、憎しみを抱かれる者となった。
- 73 :
- ―自分は富んでいる、豊かになった、なんら不自由もない―(ヨハネの黙示録)
なまぬるいので口から吐き出そう。
震災前、人格神は私に言われたとおり、神が人為的に地の者に天罰も御利益も与えない。自分の考え、肉の欲、目の欲、持ち物の誇り、目・耳・鼻・口・触れられるもの、思考
(自分の心の内で思うことも含む) それらが獣666であると。
―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。世と世にあるものを、愛してはいけない〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものであ
る―(ヨハネの第一の手紙) 神に敵意、怒りを抱かれる者は誰かを言いに来られた。
- 74 :
- ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜何も食べず―(ルカ)―何事も思い煩ってはならない―(ピリピ) 全てを失っても耐えている人々。
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)
義捐金や衣食住のない人々に衣食住をといって思う人々の心。
肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一の手紙)
貪りは良いという情報に仕えた国。しかし、多くの人々がそれらよりも、生まれたいとして得た人の命の尊さ、安心安全な安らかな社会、衣食住のない人々に衣食住をという
思いに満ちた。
- 75 :
- 金正日と金正恩とその取り巻き連中が同じに見えたら、
もうマトモな判断力を失った可哀想な人だと思いますよ。
- 76 :
- ―盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいであ
る―(ルカ) 全ての者たちが何事も思い煩わないことを喜び受け入れる唯一の神の国。あなたがたは何でもできる、できない事は何もない。
人格神に信仰深いと自任できる者は完全な者しかいないが、ただ中にある神の国の働きにより、地上も益がもたらされたり、悩み苦しみがもたらされる唯一の神。
信仰深いと自任したい人々が、自然に持ち物の誇りを満たされないまま耐え、何事も思い煩わないよう努めて立派とされたように、神が創造された大自然を喜び何事も思い煩わ
ない人が健康的だと思われるように、全知全能の神の働きは、知らぬ間の地にも在る。自分の口や心の中に思ったことや、神をして人間の考えを押し付けてはならないと。
- 77 :
- 唯一神が全知全能なら、この今の状況も唯一神の仕業であり、
自由意志を持たせた人々がどの様な選択をするかも予知出来なければならない。
従って、唯一神とは作りっ放しの超無責任か、根性のねじ曲がったド変態だと言える。
(^。^)くっだらねー妄想だよ、キリスト教なんざ。(笑)
- 78 :
- 三段に見える金メッキの巻き糞を、
三位一体だの価値あるものだのと幾ら騒いだ所で、
ウンコはウンコでしかない。
(^。^)いいか?ウンコはウンコでしかないんだぞ?
- 79 :
- 父、子、聖霊は一体。
当たり前な事。
- 80 :
- 当たり前田のクラッカー!
- 81 :
- キリスト教が変態性欲者を量産し、組織ぐるみで隠匿する邪教である事は、既に明らかだ。
従って、この邪教の戯言を吹聴する痴れ者もまた、変態性欲者であると見て良いだろう。
- 82 :
- キリスト教は最高の宗教。
人類のかけがえのない遺産である。
- 83 :
- ワトソン:承狂、自演ご苦労さん。釣れるかい?
287 :小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2013/02/15(金) 16:06:32.49 ID:pTz8nOnX
ワトソン:「サロメという人は頭がおかしいんですか? 」スレにポスターを
貼っておいたらこんなご返事をいただいたよ、ホームズ。
266 :承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/13(水) 23:01:32.78 ID:76eWZmGC
>264
良いことを教えてやろう。
宗教板なんぞに書き込みやってんのは、お前と俺の二人だけだぜ。(笑)
ホームズ:はは。
- 84 :
- 神は三位
- 85 :
- さんみ!
- 86 :
- ≫3
>ここは、聖書を信じる人が論じるスレッドです。
聖書には何処にも三位一体の神なんて出てこない。
つまり、聖書を神の言葉と信じるクリスチャンならば
当然に三位一体の神なんて信じてはならないという事だよ。
アーメン
- 87 :
- 三位一体信者がよく根拠に引用するバプテスマに関連した聖句は、「聖霊の名において」と並列表記したからって三位一体にはならない
似たような言い回しがあることを知っているよね
「法の名において」とか「愛の名のもとに」とか
バプテスマの縦の経路と天からの神の権威を地に向けて示した表現だと考えるね
- 88 :
- 三一否定論者は虚しい空想の神を拝んでいるのである。
まさに、聖書否定の極致。
- 89 :
- 三位一体信者はヨハネによる福音書をちゃんと読んだことがあるか疑問
父と子のニ者間係を無視し一人の自演、茶番劇みたいなバカげたものにしたいらしい
難解で秘密めいた三位一体を掲げたところで、ものごころついた子供でも理解できなきゃイエスが子供の特質を褒めた価値半減いや無くなるかもな
バプテスマ(洗礼)だって、ものごころついて理解力が養われないうち(幼児洗礼)は無意味
その個人の信仰に基づかないわけだから
- 90 :
- 三位一体が難解だと思う奴はよほど理解力のない人間
- 91 :
- 父なる神、子なる神、聖霊なる神
これでは難解南海キャンディーズのしずちゃんだ。
父がいるなら、母がいる、だから
父なる神、母なる神、子なる神、これが正解ではないでしょうか?
母なる神、は聖なる風の神、でもあります。
マリアさまに似てね?か?
貴婦人のような、貴いレディー
我らに似せて人間を創造したんだっとそうなるんじゃない。
- 92 :
- それなら、父がいるなら祖父がいる。祖母もひい祖父さんも孫もいると、ややこしくなるだろ。
父、子、聖霊なる神しかおられない。
- 93 :
- >>89
>父と子のニ者間係を無視し一人の自演、茶番劇みたいなバカげたものにしたいらしい
それは様態論です。三位一体論ではありません。
- 94 :
- 様態論と区別もつかない人間が語る資格なしだね。
- 95 :
- 確かに
- 96 :
- 秘儀です
- 97 :
- >>90
難解か容易かよりも、
真実か間違いかの方が重要だろ。
いくら解釈が容易でも、教会の作り話じゃ意味がない。
- 98 :
- >>97
ほう、教会の作り話だという根拠を教えてくれ。
- 99 :
- 黙示録のやり取りをみても、
御座におります方、
御座の前に現れた小羊、
この二者は立場も地位も役目も姿も全く別物として描写される。
巻物の封印を解くのは神ではなくあくまで小羊。
彼はもともとは巻物の封印を解く立場になかったが、
下界の活動で勝利し、はじめてその資格を得た。
すなわちそれが救世主「キリスト」のポスト就任である。
勝利とは、下界で預言を成就し磔刑にかかり、課題をクリアする事。
つまり神秘的儀式的なミッションをこなしたから勝利なのだ。
そこで初めて正真正銘のキリストに認定され、
巻物の封印を解く権威と資格を得たのが小羊イエス。
神とキリストが仮に同一だという立場をとれば、
新約の話は極めて分裂病的な神の一人遊び、
単なる自作自演の話で終わってしまう。
ところが実際は、
巻物の封印を解くのは神ではなく、
ミッションをクリアして正真正銘のキリストと認められた、
小羊イエスなのである。
だからこそ「あなたこそ巻物の封印を解くにふさわしい」
のである。
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