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全知全能の神


1 :2013/04/13 〜 最終レス :2013/09/23
―イエスは聖霊に満ち〜荒野〜何も食べず―(ルカ)―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)
 ―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
―この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
 
 地上のものに心を引かれなかったら、あなたがたは何でもできる霊力と共に在った。それ以外に神を信じることをゆるさない存在。
     ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
     ―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)
 心でしか神を受け入れることができない人間となり、神の影響を受けた地上で益があることを知り、神の義を受け入れること。

2 :
―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネ
の第一の手紙)
   ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野〜何も食べず―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―
(ローマ)
 神は肉の欲、目の欲、持ち物の誇りある世を「私への信仰でない」と憎んでいらっしゃる。神が創造されたのは「大自然」であると。
 聖霊に満ちた心が、神の義の国に通じるものであると。神が創造された大自然で、世と自己との思い煩いを捨て去ろうとする者は、この世で
 健康的な者の信仰とし、人々に教えるため。

3 :
私が漠然と『天には慈悲深い神が存在する』と思っていた時、宗教の教えは『愛』とか『慈悲』ぐらいに思っていた時、
 「人間の状態であるあなたがたは、何かしたいこともある愚かな者として生まれた、しかし、私への信仰は、地上のものに心を一切引かれず、何
 も地のことに思い煩わない国で、あなたがたが何でもできる状態の時である。」
      ―聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするのである―(ヨハネ)
―使徒たちは〜「わたしたちの信仰を増してください」〜「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』
と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
 「信仰を増してください」など一切ない。神への信仰は「地上のものに心を一切引かれない国で、私と共にいることのみである」と。

4 :
                    ―神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)
神は人間のように愛情深いとか、地上の人間に天罰を与えるとか、良い行いをして神によい者と思われるとか、地上のものに心を引かれないよう日
々気をつけて暮らし、世の中と自己との思い煩いを捨て去ろうと努めないのに、神を信じられる存在であるとか、ただ神を信じられる存在だと思い
込むとか、そういったことが一切できない方である。
―神と富とに兼ね仕えることはできない〜あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタ
イ) 
 かえって「人々の富への貪欲、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りへの貪欲のためにあくせくして仕えているお前は、地の奴隷、神の左、滅びる者だ!」
 とゆるされず、神を信じようとするどころか、地の奴隷、悪魔に仕えている者としてゆるされなかった。
             完全を思われている神に、「私は神を信じられる存在」と自任できる者はひとりもいない。

5 :
量子力学的不確定性は神にはどう見えるの?

6 :
―あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
―ついに土に帰る―(創世記)
 人間の知恵で得られる物質的な解明は、神に全くよしとされない。
たとえば、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りなど人の欲求から来る喜びは、『何でもできる神の霊力から全く遠い、悪魔に従っている』神
病人がそれらを貪ることをよしとせず、安静に病気の治療に役立とうとするように、医者が身体の思い煩いを取り除けば立派な医者と尊敬される
ように、健康を維持するために人の活動から得られる貪りから離れ、ウオーキングなど欲得を満みたさない行動が健康維持につながるとわかって
きたように、(快楽や物質的な喜びから離れて)

7 :
物質的な喜びである『おいしいものを食べて自分は偉い』としないように、(物質的には金だけを得て、またはあり、誠実に働く人々を奴隷のように思わ
ないように)物質的なものへの希求は、「何かしたいこともある愚かな人間」の状態である。
科学的には、地上のものに心を一切引かれず、全てのものが悩み苦しみ思い煩いなきことを喜び、何でもできる霊力と共に在ることを証明するべきであろ
う。
―兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか―(マタイ)
―イエスは聖霊に満ち〜荒野〜何も食べず―(ルカ)―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)
 神の義を善いと信じる者に挨拶をしたからとて、地上の者としてすぐれた事をしているのではない。
 持ち物の誇りなどを捨て、聖霊に満ちた心をよしとして、『よい天気ですね。』何事も思い煩うことなく、足りて満足し喜んで挨拶をする人々のほう
 が健康的(神の意向)

8 :
もう、心でしか義とされない神が求めることで、世と自己とに思い煩うことなく、神が創造された大自然で満足し喜ぶような心で、「よい天気ですね」と
近所の人に挨拶をする。健康的な人だと思わねばならないし、信仰深いと勝手に自任して、世と自己とに思い煩い、自分は他の人たちより信仰深く偉いと
する人々を、神にも人にも「不健康だ」ということをなぜなのか科学的にも証明しなければいけない。
身体の苦しみ病気は、神の何でもできる霊力に頼ろうとして、肉の欲、目の欲、持ち物の貪りから離れ、なるだけ安静に、世と自己との思い煩いを捨て
去ろうとして病気の治療に役立とうとしている。無意識に行っていることを解明するのが知者であり、物質的なものをいくら解明しようとしても、『おいし
い物を食べて自分は偉い』というような人間にそう遠くはない。
「目には目を、歯には歯を」と言われずとも、それに近い法律は肉の者として世に既にある。物質的なものをいくら解明しようとも、肉の欲得には役立つ
かもしれないが、神の義でなくただの肉の行いなのである。

9 :
リアルではどんな基地外さんですか?

10 :
実際に居たらこうなる。
神「全知全能だあ」
人「・・・?」
人2「キチガイ乙ww」
人3「きもすぎわろたwwwww」
神「www」

1年位後。
神「全知全能だー」
村の人「前の村の流行ですかね?」
村の人2「わからん。」
村の人3「笑えばいいのか?ははは。」
神「wwwww」

11 :
思慮の浅慮

12 :
神は実在する
      ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野〜何も食べず―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
 私たちはこの神でしか信じることは一切ゆるさない方。
被造物である人間は
 ベータ波
   脳波がもっとも早い状態
 アルファ波
   リラックスした状態
 シータ波
   深い瞑想状態。記憶と学習に適している脳波
 デルタ波
   脳波が最も遅い状態。脳波が0Hzで脳死状態 

13 :
―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない―(ヨハネ)で、この世の者ではなかったら、神に完全に信仰ありとされる。人間の知恵
では、神を認めることはできない。
―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成る
であろう―(マルコ)
 地上のものに一切心を引かれない国を厭い、人間になりたいとして生まれた。神と共に喜んでいれば、
   ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)
 完全でないと神は信仰の『シ』でもあればゆるさない方。中途半端な信仰は一切嫌いな方。イエスのように地上のものに心を一切引かれない者が、信仰深
いのだと。そして、神が創造されたのは世と世にあるものでなく、大自然であると。

14 :
私から一時的に去って、それぞれの人間が『人間になりたいと生まれた。人間の命の大切さを第一に考えるのは当然だ。何かしたいこともある人間の状態に
なったのだ。しかし、私の国に反し、人々の富への貪欲、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく仕えて当然だと思う人間は、人間の姿をしたただの獣だ』
そのように言われる神。
人々の私利私欲、足ることを知らない貪りにあくせく働く過労を一切ゆるさない方である。
神の義の国に反し、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを貪ることを良いことのように思えば地球環境破壊。罪を犯した人間でもエコなら人類に役立つと思った。
自制の行いは天にあるもの地にあるもの一つとする行為なのである。
東日本大震災の時も、肉の欲・・・の情報は自制され、人々が衣食住のない人々に衣食住をといって義捐金などで施したり、それらがあるよう働いて問題な
いようにした。金や物だけ重要視して、他者への配慮もある人間でなかったら、世の中は悪い状態になっていただろう。

15 :
イエスアスミス

16 :
神の叱りに比べれば、君たちの悪口は私にとって無に等しい。
―「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれないー(創世記)
□しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない ―正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)
 この世のものと、消え行く霧にすぎない人間に、神を信じることはできない律法と、この世で生きる人間に神はいないようにされた。
  神自身が、あなたがたは何の信仰もできないし、そのまま人間には神はいないとされた。それは、本当に正しい者たちが、無意識のまま善い行いを
  するためである。
 こうして、全てのものの上にあるようにされた。

17 :
―神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので〜「神の国は、見られるかたちで来るのではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などと
も言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)
 この世に神はいない。消え行く霧にすぎない人間に神を信じることすらできないようにされた全知全能の神。
何かを信じて御利益がなかったではないか、その信仰対象物を拝んでも御利益がなかったではないか・・・・・という宗教的行為や行事などに関係なく、
 本当に正しい者たちによって被災者は救われたのである。神の加護をといって信仰しても、神にとってそんなものはないと。
 アダムのように、決して死を味わうことのない者が神の義だと。聖霊に満ちた心で、何事も思い煩わないようにすることしか、人間にはできない。
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い〜正しい者たちは答えて
言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは〜

18 :
全てのものの上にある存在は、ただ私には信仰あると自任する者たちが障害で、意識もある身体世界にはいないとされた。
本当に正しい者たちは、金や物など私利私欲のみだけに生きることなく、心の中で他者への配慮もあることは善いことだと感じて、自然に行うようにされた
のである。

19 :
                         □ 全てのものの上にある全知全能 □
                  ―正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)
多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう(ルカ)
無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも〜有益なことばを一つ聞く(感興のことば)
献供をささげる〜梵天の召し上がる食物ではないのです―(悪魔との対話)―偶像は何かほんとうにあるものなのか〜人々の供える物は、悪霊ども、すなわち、神なら
ぬ者に供えるのである(コリント)
すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興)
             葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい(マタイ)
 全知全能の神は信じることを一切拒否される存在で、呪文のように意味不明な語句をくどくど唱える者どもは、内心は汚物に汚れ、死んだ者は意識もなくなり、
 人間の手の届かぬものとなるので、供養などは無意味な行いである。その人として二度と逢えない別れを惜しむために葬儀はあるが、供養は全く無知な行いで
 ある。

20 :
□信じることは全くできないと認めること 救い主
 ―死ぬ時の到来を願っている人―(仏)―自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネによる福音)
 ―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものでなく、世から出たものである―(ヨハネの第一)
 ―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと〜わたしはこれではない〜そこで悪しき者は―(仏 悪魔との対話)
 ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)

21 :
―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた〜ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ)
―足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり―
 ―あなたは悪魔の征服者です〜みずから彼岸に渡りおわり〜あなたは善悪の両者に汚されません―(ブッダのことば)

 ―この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話) 
 ―いっさい誓ってはならない―(マタイ)― 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て(ブッダのことば)

22 :
人の手で作られたものを拝んだり、供え物をしたり、誓ったり、宗教的行為を行って信仰深いと思ってしまったり、全知全能の神に反し汚れ多き宗教をよいもの
 と思っている時代に、真実の信仰を現した。
  しかも、正直に全く信仰のない者と認めることで、全てのものの上にある全知全能の神に従うことになる。
   『いつ、わたしたちは』本当に正しい者たちは、何も信じないでも「いつ、そうしたかわからない」ほどに行い、益をもたらしているのである。

23 :
キリスト教徒の語ることは新約聖書には書いてない。
キリスト教徒の語ることはコーランに書いてある。
コーランには、
神は寛大で慈悲深い方であるとか、神は全知全能であるとか、
神は天地の所有者であるとか、神は万物の主であるとか、
がくり返し語られるよ。
読みやすいし、流麗な文章で書いてあるから、読んでみなよ。

24 :
キリスト教徒の言う神、イエスは創造主であるとか、イエスが唯一の神であるとか信じてしまったら、神がおいでになった。
キリスト教徒は間違ったことを教えられていると思う。しかし、新約聖書は私が知った神そのものに近い。キリスト教徒はキリスト教徒なりに真実を伝えてほしいと思う。
□私たちの存在は土に帰る
 ―ついに土に帰る〜ちりだから、ちりに帰る―(創世記)―あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
 ―この世の有様は過ぎ去るからである〜思い煩わないようにしていてほしい〜偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、
 知っている―(コリント)
 ―世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜身体は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ―(感興のことば)

25 :
―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣は這うものの像に似せたのである―(ローマ)
 イエスという人間的な神ではない。消え行く霧にすぎない人間が、どんな思いも抱けない存在である。
この世の者ではない、決して死を味わうことのない彼岸に至れば知れる存在である。地上のものを一切思うことなく、悩み苦しみ思い煩いも全てなくなり、神通力に領域
=山を移すほどの力に達し、一切の悪を厭い離れ、無量の慈しみ=測り知れないほどの慈悲に達する。
しかし、地上のものに心を一切引かれない世界に安住できず、―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、
心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう―(マルコ)
 生まれたいという強い思いがあり生まれた。

26 :
―自分を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)― どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。その
ように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである―(感興のことば)
 ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦して働き続けた―(テサロニケ)―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)
 得た自己のため、人々を悩み苦しみ思い煩わせないように、労苦して誠実に働こう。そういった心となって働き、地上に益がもたらされる。
しかし、それが神の命令なり信仰か?そうではない。聖霊に満ちた心・清浄な心、大自然を喜ぶような心で世と自己とに思い煩うことなく、天に在るもののようにするこ
と。全知全能、いつ行ったか意識もしないで行っている人々に益がもたらされているのである。それを認め行うのは当然である。しかし、神を思う時、他の人々に寛容で
なければその心をゆるさない方。

27 :
―多くの神、多くの主があるようであるが〜万物はこの神から出て、わたしたちもこの神にに帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである―(コリント)
 
イエスを唯一の神様で、イエスへ信仰深いと自任させればよいとか、イエスは人の罪をゆるす存在であるとか、人の罪のために死なれたとか、聖霊様とか・・・
 ―あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者でない―(ヨハネ)
  地上のものに心を一切引かれず、この世の者でなくならない限り、神への信仰は無いと、神により解かれたのである。
―神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある〜神は愛である。愛のうちにいる者は、
神におり、神も彼にいます―(ヨハネの第一の手紙)

28 :
つまり、人格神(多くの神々)への信仰は全くできないということ。―あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)から人格神への
信仰は全くできず、
―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安―(ピリピ)―父には、変化とか回転の影とかいうものはない―(ヤコブ)
―この平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切
の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし―(ブッダのことば)
 この世のものでなかったら唯一の測り知ることのできない神の慈悲とともに在った。被造物=人間になっても、
―父母に仕えること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと―(ブッダのことば)
―キリストが教会になさったように〜自分の妻を自分自身のように愛しなさい〜「あなたの父と母とを敬え」〜肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけ
の勤めをするのではなく―(エペソ)

29 :
金や物やその他人間の諸々の幸福だと思うことより、人間の命の大切さ尊さ、衣食住のない人々に衣食住を、互いを尊重し合うことは、天にあるもの地にあるものを一つと
して当然だと言われるのである。そういったことがわからない肉だけの獣のような人々を放置させないように、彼らを誇らせないようにして、信仰対象となられた。
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じることを行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである〜彼らの良心も共にあか
しをして―(ローマ)
 何も信じなくとも、内に天にあるものを宿し、自然に肉体を制御して生きるであろうとした構造。それぞれの人が人間でありたいと生まれたので、その人々を尊重する
 のは当然であると、しかし肉だけの獣のような者となって、神に逆らうこともあるから宗教というものがあると。

30 :
神とはライフメーカーの事。
ライフメーカー以外は神では無い。
命令や処罰をする者は神ではない。
生涯生命を造らなかったイエスキリストは神では無い。
イエスキリストは生涯御託を並べていただけである。
命を造らずして神とはいえない。
だからイエスキリストはGodなのである。

31 :
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい―(コリント)この世の者でない、彼岸に至り神通力を得た釈尊
 イエス・釈迦も、この技により人を信仰させた。地上のものに心を引かれず、死を味わうこともなく、全てのものが悩み苦しみ思い煩いの無いことを喜び、何でもでき
 る力と共に在ったこと。
それを捨て生まれたいと思った瞬間、苦しみもある地に生まれるようになった。
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみ
を起こすべし―(ブッダのことば)―人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない―(ヨハネ)
 死を味わうこともなく、何でもできるような神通力と共に在った時は、無量の慈しみであったから、互いに愛し合うことを信仰の命令とするのは当然である。

32 :
母が一番の隣人である子を愛し、子は自分の命を憎むことなく生まれ、世の中と自己とに思い煩うことなく、快楽・享楽を思うことなく、外で元気に遊んだり、汚れのない
子供は何も信仰深いと自任することはなかった。
親は子を愛するがために、―だれにも負担をかけまいと〜働き続けた―(テサロニケ)―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのでない―(神々との対話)
―誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ〜在家の生活を営む人に〜誠実、自制、施与、耐え忍び―(ブッダのことば)
―肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく―(エペソ)
 将来人々の役立つ者となれるために、教育したりしている。

33 :
―学び修めた賢明な人〜食乞う人々に食物を与えて〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々に施しとして与えよ―(神々との対話)―空腹のときに食べさせ〜旅人であっ
たときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気であったときに見舞い―(マタイ)
 社会は衣食住のない人々に衣食住をといって働いたり、施したりしている。しかし、人格神は― 一日の苦労は、その日一日だけで十分―(マタイ)
 ―未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話) 人々の肉の欲、目の欲、持ち物の誇り、富への貪りのためにあくせく働く過労まで否定される。
そういったことが神への信仰ですか?と問うと、―聖霊に満ち〜荒野〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)そうして決して死を味わうことのない者となることであると。
 誰一人信仰できましたと言える人はいない。肉体を得た以上、自立して『真理・在る神』に従って人々は益をもたらさねばならない。
  ―実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)外的なものへの信仰深さを装っても、何も信仰はなく、ただ中にあるものに従って益をもたらしているのである。

34 :
神はごみ以下
死んでくれ。

35 :
キリスト教も神を思わせ、仏教も誤解され伝わってきた
       ―人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない―(マタイ)
―多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント)
―われらは一物をも所有していない〜光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
     ―あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
          ―この身は泡沫のようなものであると知り、陽炎のようなはかない本性のものであると―(感興のことば)
         ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)

36 :
―すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野〜そのあいだ何も食べず〜山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―
―日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち―(マルコ)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
―水も無く、地も無く〜そこでは月も照らさず、太陽も輝かない―(感興のことば)
            ―「神の国は、見られるかたちで来るものではない〜神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ―(ルカ)

37 :
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一の手紙)
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)―どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった―(感
興のことば)神を信じればこの世の者でなく―この世で自分の命を憎む者―(ヨハネ)―死ぬ時の到来を願っている人―(ブッダのことば)
―この平安の境地に達して〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし―
 それぞれの人が自分の命を憎むことなく、人間になりたいと生まれ、一番の隣人である母親に育てられ、汚れの無い子供は、世と自己とに悩み思い煩うことなく、外で
 元気に遊んだりして、何ひとつ信じることなく生まれて育った。
 神が創造された大自然を喜び、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを自制して、世と自己とに思い煩うことのない心が、永遠の世界につながっている。肉が意識的に信仰して
 も、それは消え去る者のすること。

38 :
全痴全膿

39 :
―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(イエス)―聖霊に満ちて〜荒野― ―森に住み、心静まり― (イエス・仏)
―たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ―(マタイ)―そこでは月も照らさず、太陽も輝かない―(感興のことば)
 その日まで、ただ自分は信仰深い者であると自任できる者はいない。

40 :
>>39
長いし読もうと思わん。

41 :
信じる者は、宗教対立、争いを起こす場合があるが、
   ―あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
          ―この身は泡沫のようなものであると知り、陽炎のようなはかない本性のものであると―(感興のことば)
―過ぎ去るものは虚妄なるものであるから―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)
   ―この世の有様は過ぎ去るからである〜思い煩わないようにしていてほしい―(コリント)
        世の中と自己との思い煩いを捨て去ろうと努める人は、争うことがない。

42 :
きもすぎ・・・・。

43 :
全知全能の神は、被造物である人間全てに影響があるとするために、
 大自然を創造され、何ひとつ信仰のない者でも、世と自己との思い煩いを捨て、自然を喜び楽しいと感じる心ある者を、信仰深いと自任したい者どもより、むしろ信
 仰ありとされた。

44 :
全知全能は超越論的であり、実在は不可能なので、宇宙にも人間にかかわることは無い。

45 :
病院にいけ。

46 :
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
―あなたは悪魔の征服者です〜みずから彼岸に渡りおわり〜善悪の両者に汚されません―(ブッダのことば)
―へびは女に言った〜神のように善悪を知る者となることを―(創世記)
 地上のものに心を一切引かれない者たちに、山を移すほどの力・神通力の領域を得させ、

47 :
―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働きつづけた―(テサロニケ)
―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)
―ついに土に帰る〜ちりだから、ちりに帰る―(創世記)―あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
 ―この世の有様は過ぎ去るからである〜思い煩わないようにしていてほしい〜偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、
 知っている―(コリント)
 ―世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ〜身体は泡沫のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ―(感興のことば)
  地上の者たちに対しては、消え行く霧にすぎない人間が、勝手に信仰支配させないように造られた。

48 :
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を待たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ
―神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである―(テモテ)
―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである―(ヨハネ)
               既に行っている人々もいる。それほど全てのものの上に在る存在なのである。

49 :
神といっても、山を移すほどの者・神通力の領域に達しないと、全く信仰ができない。
しかし、私たち人間は、大自然の安らぎを感じて、パワースポットと感じたり、日々の生活から離れて、大自然に接し楽しんだりすることもある。トレッキングなども
したり、ウォーキングが健康によいと考えられたりする。
 世の中や自己への執着より、それらから離れたほうが身体にも益があるとわかろうとしているのである。
世の中では、自己のため他人を悩ましたり苦しめたり思い煩わせることをよしとせず、仕事をすることにより、益がもたらされる。

50 :
        ハ,_,ハ
      ,:' ・ω・';,r'ヽ∧
     ,μ;ソ ''゛゛      ""'' ソ;μ, 
    ミ_              彡    ここが新しい汚染区域ね。
   <    ´・ω・` ´・ω・`    ミ  
     `ッ、:;;, ;, , ,, ソ,, , ,; ,;;:、ヾ

51 :
―聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである―(ヨハネ)
―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や這うものの像に似せたのである―(ローマ)
―万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント)
―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを―(ピリピ)―そして「やすかれ」と言われた―(ルカ)
―この平安の境地に達して―安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る―(ブッダのことば)
 全知全能は意識も思考も及ばず、無にならないと信仰もない。無の状態では、人知で知ることのできない力がある。平安に満ち、悩み苦しみ思い煩いが一切ない
 安らぎに満ちた世界である。

52 :
■苦しんで信仰をしようとする者
―今からは妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者
は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい―
 (コリント)
―過ぎ去るものは虚妄なるものであるから―(ブッダのことば)
 正直に欲求を自制し、思い煩わないようにしないと、その苦しみを取り除くことはない。人間の宗教的行為や信仰深かったらなんとかなるだろうというものは
 一切無い。人々は無知無明の信仰から離れなければならず、有になった状態でも、あなたの知っているとおり、世の中のことを自制して、自らのことも思い煩
 わないようにするしかない。

53 :
■悪魔教は世の汚れ
多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう(ルカ)
無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも〜有益なことばを一つ聞く(感興のことば)
献供をささげる〜梵天の召し上がる食物ではないのです―(悪魔との対話)―偶像は何かほんとうにあるものなのか〜人々の供える物は、悪霊ども、すなわち、神なら
ぬ者に供えるのである(コリント)
いっさい誓ってはならない―(マタイ)― 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て(ブッダのことば) 
かれらは希望し、称讃し〜献供する〜供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない(ブッダのことば)
この世またはかの世におけるいかなるかたちでも〜これらはすべて悪魔ナムチの褒め称えるところである(神々との対話)
いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ。偽り(詐偽)をもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしいことを告げた(ブッダのことば) 
すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興)

54 :
        ハ,_,ハ
      ,:' ・ω・';,r'ヽ∧
     ,μ;ソ ''゛゛      ""'' ソ;μ, 
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55 :
        ハ,_,ハ
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56 :
     ハ,_,ハ
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57 :
    ハ,_,ハ
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58 :
    ハ,_,ハ
      ,:' ・ω・';,r'ヽ∧
     ,μ;ソ ''゛゛      ""'' ソ;μ, 
    ミ_              彡    ここが新しい汚染区域ね。
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59 :
ベータ波
  脳波がもっとも早い状態
アルファ波
  リラックスした状態
シータ波
  深い瞑想状態。記憶と学習に適している脳波
デルタ波
  脳波が最も遅い状態。脳波が0Hzで脳死状態 
  無になれば、山を移すほどの力・神通力と共に在る。

60 :
宇宙がはじまる以前は、人間の思考を超越したパワーが働いていた。
 ―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や這うものの像に似せたのである―(ローマ)
 ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
   神を信じるイスラエルに、信仰があるなら山を移すほどの力があなたがたにあるだろう。しかし、物質世界の者だから、そのような信仰は微塵もないはずだ、と
   教えようとする。
―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい〜愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない、愛は高ぶらない、誇らな
い、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない、不義を喜ばないで真理を喜ぶ―(コリント) 

61 :
―平安の境地に達して〜足ることを知り、わずかの食物で暮らし〜生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり〜高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない〜
いかなる生物生類であっても〜長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも〜遠くに住むものでも、近くに住むものでも〜一切の生きとし生けるものは、幸福で
あれ、安穏であれ、安楽であれ。何ぴとをも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他
人に苦痛を与えることを望んではならない〜母が己が独り子を命を賭けても護るように〜一切の生きとし生けるものどもに対して無量の慈しみの意を起こすべし〜上に、
下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを起こすべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダのことば)
 信仰対象は宇宙がはじまる以前の人知を超越した無の巨大な力であり、有である人間は、五感や第六の思考・意向からくる思い煩いを取り除いた状態を信仰ありと
 教え、敵意・怨み・憎しみ・怒り・嫉妬などの心に従わず、幸福を望んで生まれてきた生命を尊重することを教えるのが宗教。
 呪文など多くの意味不明なことばを唱えること、形あるものを拝ませたり、献金や供え物、宗教的行事などは、悪魔ナムチの軍隊として、世を暗黒に導くものと教
 えた。

62 :
全知全能なら悪魔はいないよ。神がこの世を作ったんなら邪魔する奴を作る理由なんてない。
全知全能って有名な証明あるよなそれ知らないとは言わないよねこんなタイトルでスレたてたんだから。

63 :
◎識者
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜識者―(ブッダのことば)
―心からあふれ出ることを、口が語るものである。わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか―(ルカ)
■悪魔は無い
―いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな〜罪に
定めるな〜ゆるしてやれ―(ルカ)
―世の中のどこにも、わたしは害いを見ない〜一切の生きとし生けるものどもを憐れみながら、われは眠る―(悪魔との対話)

64 :
■悪魔・悪しき者
―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと〜悪魔・悪しき者は―(悪魔との対話)
―あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである〜肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一)
 五感と第六の思考・意向(6つ)=ビックバン以前の無に反する身体。
■無に反し金銭に執着し使わない
―自分を楽しませ、喜ばせ〜父母・妻子・友人〜愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。健康な人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら
用い〜人から非難されることなく、天の場所におもむく―(神々との対話)

65 :
■無の力に反し不況で苦しむ行い
―貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。悪い言葉をいっさい〜口から出してはいけない―(エペソ)
―ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事をなさないで、もし飲食豊かな富んだ家に住んでいるなら まことあり、柔和で、よく分かち与え、温かい心―
(神々との対話)
 悪魔という人格はなく、震災など被災者が絶望や暴動、盗みなどをせず、耐え立派だと人々に思われたり、財産に執着し使いたいと思う人々に分け与えず、金を使
 わないため不景気、悪魔=五欲の対象を喜ぶことが世の害いで悪いということではない。
 ビックバン以前の無に近いことに耐え立派、楽しいことをして自分は立派という者はいてはならず、愚かであるが、財産に執着するあまりに自分を楽しませず、
 他人にも与えない愚劣な人々のために、世の人々にまで苦しみをもたらす。

66 :
「神すら持てない岩作ってその石を持つことできんの?」
もてる→持てねえんじゃねえのかR。
もてない→持てねえのかR。
つまりこれを論破しない限り全知全能はありえないんだよ。

67 :
◎宗教は有識者となること 
 ビッグパン以前の無の人間の思考を超越した力。
ベータ波
  脳波がもっとも早い状態
アルファ波
  リラックスした状態
シータ波
  深い瞑想状態。記憶と学習に適している脳波
デルタ波
  脳波が最も遅い状態。脳波が0Hzで脳死状態 

68 :
―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣は這うものの像に似せたのである―(ローマ)
―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
  有である人間は、神を信仰できますと言えない存在。主よ主よと言うこともできないし、信仰が少しでもあれば山を移すほどの力がある=誰も神を信仰できま
  したという人はいない。
□神頼み
 ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
  思い煩い悩み事などで神頼み(宗教を頼り)とする者がいるが、人間が知っているとおり、無に近いようなことを行う。
 くどくどと祈ったり、呪文のように意味不明なことばをやたらにつぶやくこと、形ある人間の作ったものを拝んでも、無知無明の者どもが行うこと、悪魔ナムチの
 すること。

69 :
□功徳
 ―悪魔は「聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる」〜「いまから七日後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ」偽りをもうけたそのバラモンは、
 呪詛の作法をして〜ブッダは答えた「世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない」―(ブッダのことば)
 ―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
 ―もしもこの世に誠実、自制、貧窮なる人々への施し(施与)、耐え忍びよるもさらに勝れたものがあるなら―(ブッダのことば)
 ―肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく〜あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行なえば―(エペソ)
 そのままのことを素直に行えば益が得られる=全知全能(知って行い益が得られる能力がある)、■無知無明の人間が勝手につくった宗教的行為は、悪魔ナムチのこ
 とで世の汚れ。

70 :
思慮さんは66についてどう思うんです?

71 :
昔の人は神を信仰したい、人間が作った宗教を良いものと思っていた。
すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです(マルコ)功徳を得ようとして神をまつり犠牲をささげ〜慈しみの心の功徳の十六分の一にも及ばない(感興)
  解脱=決して死を味わうことのない・・・宗教は否定的となる。
―われらは一物も所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
―多くの神〜があるようではあるが、わたしたちは、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント)
  何かしたいこともある人間の存在で、人間は信仰から自立しなければいけないから、宗教は否定的となる。

72 :
悪を抑えるためには全知でなければいけない。―あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、
天に宝を持つようになろう〜富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい〜それでは、だれが救われることができるのだろう〜
人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである―(マルコ)
 何かしたいこともある人間の状態で、既に叶えられている。人間は皆、自分を愛し生まれたいといって生まれたのである。
           ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ) 
 他者にはからし種一粒ほどの信仰のない人間として自立しなければならない者と知られている。生まれたいといって生まれた時点で既に叶えられている。
   何も信仰のない者として知られ、生まれたいといって生まれた能力・・・全知全能のたとえ。

73 :
・・・

74 :
66・・・・・・・・・

75 :
◎全知
  人類は神を信じることができない存在として、自分の口で論じ合うことのできない存在。
◎全能
 ―神を信じなさい〜だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成る
 であろう―(マルコ) 生まれたいと心にあり生まれた人類。
■信じたい者への救い
 ―世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人とな
 ろう〜この世をもかの世をも望まない―(神々との対話)
     ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)

76 :
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
そのようなことでしか神には逢えませんというたとえ話。
ビックバン以前の無の状態で思考を超越した力があるように、
 自然災害で全てを失った人も、耐えて立派だと思われるように、病気で苦しむ人が五欲の対象や世のことに思い煩いを捨て、安静にして病気の治療に役立とうとする
 ように、―心軽やかに〜長寿―(ブッダ最後の旅)というようにストレスは身体に悪い・・食べすぎ、太りすぎは身体に悪いとか、現実現象となって在るものに従う
 ことしか、人間に救いはない。

77 :
66見ろよ

78 :
人類は神への信仰が全くできない。神と言って自分の心に思ったことなどで論じ合うことは一切無い。神が持つとか持たないとかそんなことは一切無い。
   ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
 
 山でも岩でもほんのわずかでも神への信仰があれば、あなたがたはできるであろう。無から宇宙ができたその無の力を誰ひとり信仰できましたと自
 任することはできない。無から有になった、生まれたことで既に叶えられたとして、くどくどと祈ってはならない、呪文のように意味不明な言葉を
 やたらにつぶやいてはいけない、人間が作った形あるものを拝んで信仰深いと自任してはいけない。
  
   信仰が無いを教え諭すための山や岩である。そして科学も認める識者となるためである。

79 :
□無に近いことが心にあり行為をする
 聖霊に満ち荒野、森に住み心静まり清浄な行者・・・大自然を喜んだり楽しんだり、生活のためあくせくする営みから離れ、旅をして山や森を楽しんだり、そうい
                         った思い煩いなく喜ぶ心と行為が無に通じる心で、健康的だと認めねばならない。
 くどくど呪文のように意味不明な言葉を唱えるよりも、いざ自然災害では全てを失っても耐え立派だと思われたり、願い事をくどくど祈るより、病気の人が世と自己との
 思い煩いを捨て、安静にして治療に役立つように、ストレスのない人のほうが身体に良い影響があるように・・・金や世の欲得にあくせくして思い煩っている人々より、
 無に近い心と行為は人々に良い影響を与えている。

80 :
■無からビッグバンで宇宙、しかし、山すら移すことができない
―神よ、わたしたちはほかの人たちのような貪欲な者〜「神様、罪人のわたしをおゆるしください」〜おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高
くされるであろう―(ルカ)
―「わたしには子がある〜財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない〜もし愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者であ
る―(真理のことば)
 自然災害に遭い耐えても、病気で世の中の楽しいことから離れ安静にしても、人々の悩み苦しみを取り除いてあげようと義捐金や衣食住のない人々に衣食住をとい
 って働いても、自己のため人々に負担をかけまいとして働いても・・・神にしましたと言える人は誰もいない。何も誇れない人間として当たり前のことである。
  宇宙のごく一部に過ぎない山すら移すことができない。信仰深くしましたと言える人は誰もおらず、人間として当たり前のことだと思わねばならない。

81 :
障害者?

82 :
障害者だろ
客あまりいないのにここまで一人で書き込めるんだから

83 :
    ―この平安の境地に達して―安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る―(ブッダのことば)である。
確かに「誰も神に信仰はない、山を移す力が無いからだ」という教えだが、「神がいるとかいないとか、神が何かを持つとか持たないとか」言っている愚鈍なお客しか
来ていない。
 ―そこでは月も照らさず、太陽も輝かない―(感興のことば)
 ―その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう―(マルコ)
   
  そういった状態になるまで、神は全くいない―――これは真実である。地上のものに心を引かれた全ての者にはいない。「いるとかいないとか言って争う、愚鈍
  で知性のない獣のような者どもを相手にしてはいけない」 いないと決めた方からのメッセージである。

84 :
「愚鈍な者どもを相手にしてはいけない」しかし、神を真剣に信仰しようとする人々、仏を信じようとする人々に対するメッセージ=いないと決めた方から
 ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
 ―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
  肉の欲、目の欲、持ち物の誇りに満ちた世の中、五欲の対象、金や世の欲得なことに対する思考=六つ は決して神を信じられる国に入ることはできない、彼ら
  は獣のように滅びに至る。
  清浄な心、聖霊に満ちた心を大切にしているかどうかにかかっている。滅びか永遠かどちらを大切にするかわからないので、全ての人類に神はいないと自ら決め
  られた。いくら仏を信じようと、清浄な行事を心からよしと受け入れて日々を過ごさないと、畜生と同様の運命となる。

85 :
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
―もしもこの世に誠実、自制、貧窮なる人々への施し(施与)、耐え忍びよるもさらに勝れたものがあるなら―(ブッダのことば)
―肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく〜あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行なえば―
―学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(仏)
―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い―(イエス)
 そういった言葉は善悪を知る人間として当然のことで、まだ神への信仰ではない。月も照らさず、太陽も輝かない世界に至ることができたら、信仰ありとされる。
 今は全人類にいない存在と決められた方であり、無に近いことの益が科学でもわかるように、明らかな知恵のあるものはわかり、獣のような人間には受け入れるこ
 とさえできないようにされた方である。

86 :
70くらい答えてやれよ
正直このスレの伸びない理由はおまえが自己中だからだよ。
あとsageしとけ
迷惑

87 :
>>86
忌み嫌われている者が他のことを勝手に言うことはゆるさない方。人間でも留守に泥棒に入った者が、家の者と会いもせず「ああいう者だ、これができる、できない
」と論じ、それを知れば怒る。
全知・・・地上の者全ては、何も信仰の無い者として神に知られている。神はそういう方である。全ての者たちは信仰の無い者として知られている。全て信仰のない
     者として知られているのだ。
全能・・・地上のものに心を一切引かれない、被造物(アートマン)でない者として生まれられるようになるなら、イエスのような神のわざ、釈尊のような神通力あ
     る者となる。
 神の義は神のわざができたイエスで、彼岸に達し神通力を得た釈尊。死んで終わりの者どもで、忌み嫌われている者どもが、神のことを勝手に言うことはできない。

88 :
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダ―(神々との対話)
―盲人は見え〜死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである―(マタイ)
 神の義の国では、一切のものが悩み苦しみ思い煩いないことを何よりも喜んでいる。その世界があると信じても、何も信じなくても心が通じ、交通事故で重症の
 人がよくなり喜んでも、被災者に義捐金をしても、衣食住のない人々に衣食住をといった思いで働いても、心ある人間になった程度で、まだ神に信仰ありと自任で
 きる者ではない。 
  しかし、ブッダのように修行完成者にならなくとも、神のわざであわれみを行ったイエスを善いと受け入れることができるなら、永遠の者となれる可能性があ
  ると。

89 :
この世の物が一切無く、生活活動も無く、神の義と一つとなるが、生活活動もある全ての者が永遠の命の者となれるよう、『聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり清浄な行
者』への信仰を与えた。ひとりでも多くの人々が、永遠の命の者となれるよう望んでおられる方。その知識を望んでおられる方のため、ageないといけない。
神はビックバン以前の無の状態で、その存在(思考を超越した何でもできるような力)を示し、無のもののように、敵意・憎しみを抱いて争わなかったら平和、金が欲し
い、物が欲しいという心に従わず、人々の意向や幸福だと思うことに誠実に仕えてあげようとすることで、幸福だと思うことが叶えられ、貪ることが正しいと思わせない
で、無が善いと受け入れられるように、地球環境破壊もあるようにされた。
 死んで無くなる者ですら、なんとなく無に従うことで益があるように思わせ、神の義の永遠の命の国に生まれようと望む者に『聖霊・清浄』への熱心な信仰を与えた。
 生活のこころづかいは不浄で、聖霊に満ちた心、森に住み心静まり清浄な行者をよしとし心を清めないと、永遠の者とはなれないと。

90 :
お前の文読みにくいんじゃないの?
40みてみ?
で結局70は論破しないの?
後もうひとつお前の日本語少しおかしくないか?

91 :
もうひとつ言うとすべての人に見せるためにageます?
新しいスレが見にくくなるから迷惑だろうが。
だから障害者ととか言われるんだよ

92 :
66は無知、獣と同じ死んだら終わりの者ども
神は、イエスのように神のわざができる者、釈尊のように神通力ある者しか、反逆者(罪人)としてゆるさない存在。
はっきり言ってお前たちは神の「カ」とか信仰の「シ」とか言ってないで、何も信じないで暮らし、死んで終わりになれば、まだまともな人生となる。しかし、賢くも
ないからそれができない。66は愚鈍そのもの。
         ―神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである―(テモテ)
 
  全ての者は、神に対して罪を犯したため、神を利用して勝手なことを言ってはいけない決まりになっている。そのことを獣どもは知らない。

93 :
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
 勝手に神を信じたイスラエルに、この世の者でなく神のわざで神の義を示し(神はそのような方)
        ―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって〜あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
 あなたがたはまだ神を信仰することさえできない者であると教え、
     ―真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかになるためである―(ヨハネ)
 この世で、人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除こうとして行動することは、神にあってなされたことで、あなたがたのただ中にあるものを大切にしなさいと教えた。
  神はそのことを「人間として良識ある行動」であると私に教えた。

94 :
神は地上のものに心を一切引かれない国が、神に信仰ありとされる国で、その国は在る。
 ひとりでも多くの者がその国に入ることができ、永遠の者となれるよう望んでおられる。
  獣のように死んで終わりの者に従うより、比較にならないほど良い世界が在る。イエスのように神のわざ、釈尊のように神通力ある者となれる国が在る。
神は無から罪人のために宇宙をつくり、肉に従わないで無(霊)に従い益を得させ、聖霊に満ち荒野の者のように、清浄な行者のように、人の手で作られた一切の物を
信仰対象とせず、大自然を楽しんでいる人々のように、世の中と自己との思い煩いを捨て、永遠の命の者のように清い心を望んでおられる方。
 神に対して罪人である人間は、神をして勝手なことを言ってはいけない。獣のように死んで終わりの者は、死んで終わりの者と自任して、世を楽しんで生きれば
 よい。愚鈍で明らかに知恵の無い者だから、それができない。

95 :
「神すら持てない岩作ってその石を持つことできんの?」 ・・・神は地上のものに心を引かれた罪人のために、物質界もありと全宇宙を造られた。
 神が持つとか持たないとか一切無い。無知、愚鈍、明らかに知恵がない。
         
もてる→持てねえんじゃねえのかR。   人間が何かを作り、その一部分を持っても持たなくても、それが何か関係があるのか?
もてない→持てねえのかR。
つまりこれを論破しない限り全知全能はありえないんだよ。
 何の論破? 神は人間が何をしようがしまいが地上のものに心を引かれない世界を義として存在する。

96 :
神は地上のものに心を引かれた人間どもを、全て何も信仰のない者と知っておられる。全て信仰のない者と知っておられる神に、全知全能はある。
 地上のものに心を引かれた全ての人間を、私の愛の内に無いとして、死んだら終わりの者と定められた。それが、神と世の中の欲得に生きる人間の関係である。
  ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダ―(神々との対話)
  ―盲人は見え〜死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである―(マタイ)
 その者を愛し、罪人の地上で人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除いてあげることを善いと受け入れられるか、聖霊に満ち荒野の者のように、世と自己との思い煩い
 を取り除くことを善いと受け入れるか・・・何でもできる霊力があっても、愛する者、愛さない者がある。

97 :
皆、神と言えば『ぼくと神様』の関係があると思っているが、大間違い。愛する、好む―――忌み嫌う、憎む・・・両極端の思いがある方である。
 富や肉の欲、目の欲、持ち物の誇り、五欲や自分の意向・思考のみに生きる者どもは、忌み嫌われ死んだら終わりの運命と決められた方。
  全能でも、そのように気に入らない者を肉体の消滅の後、消滅させる。
 地上は神にとって下界。罪人とは監獄の囚人のことである。
その中で悔い改め、天にあるものを受け入れ、人々の悩み苦しみ思い煩いを取り除いてあげようとする心を善い、地上のものに心を引かれず、天にあるもののように、
世の中と自己との思い煩いを取り除くことは善いと受け入れる者を気に入り、永遠の命を与えようとされる方である。

98 :
>>95
日本語で書かんとわからんぞ
お前友達いないだろ。
お前本当に存在することがキモイなRば?

99 :
>>98
お前は死んだら終わり。完全に消滅する。

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