2013年17戦国時代171: 【海賊】 水軍スレ 【安宅船】 (505) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【海賊】 水軍スレ 【安宅船】


1 :2006/09/17 〜 最終レス :2013/09/13
信長の鉄甲船があったとかなかったとか
そんなことについて語ろうぜ

2 :
多門院日記には鉄張りだと

3 :
一切を黒く塗られるのがよろしいかと

4 :
・鉄甲船はヨーロッパのガレオン船より強かったよ派
・鉄甲船はあったよ派
・巨大な船はあったけど鉄貼りではなかったよ派
・鉄貼りではなかったけど大砲は積んでたよ派
・鉄貼りでもなかったし大砲も積んでなかったよ派
・第二次木津川口海戦そのものがなかったよ派
さて君はどーれだ?

5 :
>多門院日記には鉄張りだと
「鉄の船」とあるだけで、鉄張と書かれているわけではない。
「鉄製船」「鉄砲搭載船」と、どうにでも解釈できる。

6 :
>>5
>「鉄製船」「鉄砲搭載船」と、どうにでも解釈できる。
鉄砲搭載ならばちゃんとそう書き記されるんじゃないのか?
素直に鉄板がコーティングされてる箇所がある大船と
解釈したほうが納得するけど。

7 :
海戦の参加者の記録か、さもなければテレビ映像を見て書いたのであれば
正確に書けたかもしれませんね。
しかし、奈良の多聞院日記の人が実物を見ていないのなら、
伝言ゲームの末に「鉄の船」と伝わってきたのを書いたのでしょうから
それがどこまで正確なのか書いた人にもわからないでしょう。
下手をすれば記録した当人は海を見たこともなかったかもしれません。

8 :
僕は塩飽水軍の末裔

9 :
梶原水軍とか革島水軍とか

10 :
第二次木津川口海戦の五年前に、琵琶湖でプロトタイプが一隻作られていたりする。

11 :
あ、それ知ってる〜ノアの方舟計画だろ

12 :
鉄甲船がなかったとすれば、どうやって村上水軍を撃破したのか謎になるから
あったことはあったんじゃないかなぁ

13 :
>>8
同郷の予感

14 :
海戦つっても兵糧の運搬だけじゃねーの
石山本願寺が頑張っただけ

15 :
信長の鉄甲船は、ほとんど動かない洋上要塞だと認識していたけど、違うの?
石山への港が特定されている訳だし、そこまで移動出来れば、後は火力で制圧、という事で。

16 :
>>12
大口径鉄砲による攻撃力

17 :
ガレアスみたいのものだったのかね
これも移動なんて考えてない海上要塞だったし

18 :
自分、熊野水軍か紀伊水軍の大将の末裔らしいです。

19 :
海戦といえば普通は機動戦だけど、この海戦だけは野戦築城に近いんじゃないかな?
信長の戦い方には、割と付け城による包囲戦が多いけど(野戦は決戦となる戦くらい)、その延長で海の付け城、と考えれば鉄甲船が理解しやすいかも。
信長は、自分の得意な戦に持ち込むのが得意だけど、これも海戦に勝つのではなく、自分の得意な状況に持ち込んだのかもしれない。
どういう構造だったのか判らないところが多いけど、当時の船(和船・西洋船・中東・ジャンク)で、薄鉄板を張って、機動戦が行えたはずが無いから。

20 :
>>16
それだけじゃ船をデカくした意味が無い。小型〜中型の船にも大口径鉄砲は積める。
大きいだけの船は、当時の海戦では動きが鈍いわ的にはなるわ、輸送目的以外ではいいところがないので
生粋の海賊らは、機動性のある小型〜中型の小早船や関船を好んで使っていた。

21 :
>>20
大型にすればそれだけ火砲の搭載量も増える。
実際、やや時代が下った欧州の軍船は大量の火砲を船体側面に積めるよう大型化している。
また、船縁が高くなれば斬り込みも困難になる。
火矢の的になるのは機動力があっても大して変わらん。
火矢を避けられるスピードで航行できるはずもないのだからな。

22 :
大安宅がまともに使えたのは狭い河で戦われた木津川口の合戦くらいで、
実用性は殆どなかったのではないか。
朝鮮でも安宅は殆ど兵力にならなかった。
海での戦いはわずかな速度差でも結局は機動力の勝負になるよ。

23 :
>>21
大船に多数の火器を搭載するのも、小船多数に一艘当たり少量の火器を搭載するのも火力の総和は同じ。
大船と小船の装甲が同程度だとすると作戦展開の面で後者の方が有利となる。
西洋帆船が火力を増強する方向に進化するようになったのは風だけで十分な推進力を得られる純帆船として完成されてからのことであり
手漕ぎのガレー船に相当する和船と同列に論ずる事はできない。
欧州においてガレー船を巨大化させて大火力を搭載しようとした「ガレアス」は、試みとしては明白に失敗作であった。

24 :
ガレアスはガレーと帆船を合体させた上で大火力を目指していたからねぇ
失敗作なのもむべなるかな
木津川口のような非常に限定的な使い方ならある程度役にはたつだろうけど

25 :
安宅船は指揮艦でしょう。
九鬼も、九鬼丸は安宅船だけど、主力は関船ですしね。
ガレアスは強火力・遅速力・弱装甲で、ガレオンは中火力・速速力・弱装甲だから、撃たれたらやられるのは同じ。
だから、ガレアスは駄目だったけど、鉄甲船は、機動力不要・大火力・強装甲という必要充分な性能を持っていたから、戦えたんでしょうか。
となると、鉄甲船は、対石山専用船?

26 :
鉄甲船のかわりに、金角湾みたいに河口を鎖で封鎖してても良かったんじゃないかw

27 :
長篠の合戦の馬防柵のような、足止め・待ち受け戦術用の船だったと思う>鉄甲船
陸戦の発想を力技(財力)で海戦に持ち込んだものだったのでは

28 :
鉄甲船は、火攻め対策を施した新・連環の計だったんだよ!!

29 :
な、なんだt(以下略

30 :
>>23
>大船と小船の装甲が同程度だとすると作戦展開の面で後者の方が有利となる。
小船による機動戦術が絶対的に有利なら、何故火力に重点を置いた大船に取って代わられたんでしょうかねぇ・・・
>手漕ぎのガレー船に相当する和船と同列に論ずる事はできない。
日本の大安宅船は漕帆両用で、船体構造から言ってもガレーよりガレアスに近いのだが。
ついでにガレーにも帆がついてるものが多い。しかも今の論点は火砲の有用性なんだが。
>欧州においてガレー船を巨大化させて大火力を搭載しようとした「ガレアス」
自分でも気付いてるみたいだけど・・・
>西洋帆船が火力を増強する方向に進化するようになったのは風だけで十分な推進力を得られる純帆船として完成されてからのことであり
完成に至る経緯なんて関係ない。結果として火力に特化して大型になっていったことは歴史的な事実。
仮に火力よりも機動力が絶対的に有利であるのなら小型帆船による集団戦闘が海戦の主流にならなければおかしいが史実にない。
日本の場合は江戸期に入り船体の進化か止まったので欧州の例を参考にした。

31 :
ガレアスもコンスタンティノープル攻め落としてるから拠点攻略には強いんだろうな。

32 :
>>31
ガレー最後の晴れ舞台となったレパントでも連合軍の6隻のガレアスは敵のガレーと互角異常に渡り合ってるからね。
しかも味方ガレーの援護があったにせよ1隻も沈んでない。全く使い物にならない代物ということはないな。
失敗作なイメージは漕帆両用火力重視の良いとこ取りで特長がぼやけたことと、その後のガレオンに取って代わられたからだろう。

33 :
>30
江戸時代の和船は、最も低コストで建造出来、少人数で運用出来、それでいて最も多くの荷物を積載出来る、という形で改良されたからね。
これはこれで、適正進化だとは思うけど。

34 :
話は変わるが、瀬戸内海の水軍だが、波がキツくて小型艦しか運用出来なかった可能性もあるね。

35 :
>>30
植民地支配で大西洋、太平洋を行き来する欧州海軍同士の戦術と
浅瀬のおおい瀬戸内海の海賊の戦術を一緒くたにして「経緯なんて関係ない」ってずいぶん乱暴だなw
そんなことより来島通総・得居通年兄弟について語ろうぜ
海の上で死んだ大名って唐入り以外でもこいつだけじゃね?
島で切腹したのは九鬼とか陶とかいるけど

36 :
>>34
逆に浅瀬・難所が多くて大型船の航行が難しかったのかも
欧州みたいに植民地支配で大西洋や太平洋を行き来する航続距離も必要もないから
大型船の需要がなかったのかと

37 :
>>30
>小船による機動戦術が絶対的に有利なら、何故火力に重点を置いた大船に取って代わられたんでしょうかねぇ・・・
本筋に戻りましょう。
だから、「鉄甲船はあった」んです。要するにこれを言いたかった。
「装甲が強化されない限り」小型船の群れのほうが有利。
だから日本では重装甲・重火力の大船の方が、小型船より有利になった。
まあ平和な江戸期になって「安宅丸」を最後に大安宅自体が造られなくなったから、
「取って代わった」って表現が本当に正しいかどうかわかりませんがね。

38 :
>>37
そんなことよりおまえのIDちょとカコイイ
第四次世界大戦か

39 :
>装甲が強化されない限り、小型船が有利
まだまだ内洋船に近いからなぁ。
外洋に出る事を基本的に考えていないしな。
以前、秀吉が鉄甲船を建造し直し、朝鮮まで持っていき、亀甲船と戦わせる、というトな架空戦記を読んだが、鉄甲船って外洋出たら、どうなるんだろ?

40 :
鉄腕DASHで村上水軍博物館の小早漕いでたぞ

41 :
やっとこせー、よおいやなー↓

42 :
えいやーえい、えんやさのさい

43 :
>>39
固定のくせに朝鮮役で鉄甲船が使われたことも知らんのか
宣教師 ロドリゲスでググれ

44 :
私が書いたのは、復元性の悪そうな鉄甲船で渡海した場合、外洋ではどうなるか、という疑問だ。
特に、秋から冬にかけての日本海の荒れ模様を知らない訳じゃないからな。
詳細が全く判らない船で復元性の話をしても仕方ないとは思うけど、どの程度だったか興味ないか?
平底の和船で、しかも、鉄張りだよ!
ちょっとした風でも、転覆しそうなんだが。

45 :
ちょっとでもシケったらあっという間に地獄行きだろなあ。通常型の安宅船でさえバランス悪いんだから。
まして外洋では潮の流れに櫓を取られてろくに進めまい。

46 :
なぜ和船では竜骨が発明されなかったんだろうか

47 :
>>46
家光がサクッと禁止したからじゃない?
発明ってのなら何でだろうね。中国のジャンクも竜骨じゃないし。
でも、箱状に区切られて事実上の竜骨構造みたいだけど。
丸木舟からの継承で人が乗るところに邪魔なモン作るなや!ってことかも。

48 :
鎖国直前のころが和船が独自に外洋向けに発展する最後の機会だったね。

49 :
朱印船最高ですよ

50 :
>>44
半島への航海程度で船体が裂けたと書かれてんのに外洋なんかどう考えても無理だろ

51 :
>>35
小船対大船の戦術の話なんだが?
地域による船体構造、造船技術、材質強度の違いはあっても小船と大船は存在するだろ。
あくまで火砲量が増加したという歴史的事実を述べているのであって、帆船が発達したからという経緯はこの場合関係ない。
純帆船ではないガレアスが火砲の搭載を意図して大型化したことは>>23も認めているところ。
ついでに、ガレアスもガレーも外洋を行き来するような遠洋航海向けじゃないんだけどな。
>>37
>「装甲が強化されない限り」小型船の群れのほうが有利。
何を根拠に断言してるのでしょうか? 個人的なイメージ以外で何かあるのでしょうか・・・
鉄張りではない鈍足のガレアスも機動力のある小型ガレー相手に軍船としての用を立派に成してますが・・・
必ずしも鈍足な大船は小船の群れのカモになるとは限らない。更に火砲の発達でそれまでの戦闘が変化したということもある。
つまり、「鉄甲船が木津川で使われたかどうかは微妙」なんです。要するにこれを言いたかった。
大鉄砲で装甲の薄い関船小早の船体を破砕することは物理的に可能。それに比べ村上水軍は旧態依然とした
接舷斬り込みや火矢焙烙玉、油の入った桶壷を投げ込むなどの即効性のない延焼攻撃しか持ち合わせていなかった。
織田方が有効射程ギリギリまで敵船を引き付けて上手くあしらい、大鉄砲の火力で小船群を圧倒したとしてもなんら不思議はない。
この場合村上方の火矢攻撃を受けることは充分考えられるが、それにも況して大鉄砲による攻撃量と即効性が勝った結果
だろうと考える。なにしろ船体を破砕されるような攻撃を大規模に受けたのはこれが初めてだっただろうからな。
ついでに、この戦いで村上水軍は大損害を被ったというより早々に引き上げているという点にも注目したい。

52 :
九鬼水軍って鉄船だけじゃなく、潜水艦作ろうと頑張ってたみたいだよ

53 :
ちょっとガレーについて一筆
ヨーロッパの船の火砲量が増加したのは、
オールが廃止されて、それまで漕ぎ手がいた舷側のスペースが開いたからだよ。
ガレー、ガレアスはその構造上、船首部にしか大砲を積めなかったから。
あとガレーは大型化も頭打ちだった。
ガレーは大型化すると、当然ながらその分、漕ぎ手が大勢必要になる。
となると食料ほかの物資を多量に積む事になって航続距離が落ち、経済性も良くない。
一方、帆船は船が大型化しても船員はさほど増えないので、
大型化すればするほど積める物資が増え、航続距離が増す。
ガレアスは唯一の長所である戦闘力でも帆船に負け、航続距離でも負けてしまったわけだ。
言ってみればガレアスは、地中海という環境に過適応して生まれた、
滅び行く運命の恐竜みたいなものだな。

54 :
>>53
経緯なんか関係ない!とにかく火砲が増えたんだ!って言ってるやつには理解できんとおもw

55 :
>>51
織田は第一次の海戦で火矢や焙烙攻撃で惨敗しているわけだから、
リターンマッチにあたって何の対策も施していなかったとは考えにくいと思。
別スレで見たんだが、当時の大筒の命中率はそうとう低い。
(実験では50mでも的にかするのがやっとだとか)
その実験はアルマダの戦いの再現だったそうだが、砲術の本場のヨーロッパでさえそうだったなら
日本ではどうだっただろうか。まして実戦の場では。
ほとんど至近距離でないと当たらなかったのではないか。
村上水軍の弓矢・焙烙のアウトレンジから攻撃をかけたわけでは、たぶんないと思う。

56 :
ガレーといってもよほどのことがない限り漕がないけどな

57 :
>>54
相変らずお前はそんなのばっかりだな。
悪意を持って揚げ足を取ったつもりが言い返されて最後は議論ではなく人格攻撃か・・・
軍用帆船が完成した経緯と、論点である火砲の有効性の証明の違いが解かってないのは寧ろお前だろw
ま、曲解して返すことしか出来ないアレに何言っても無駄か・・・
>>53>>55
>リターンマッチにあたって何の対策も施していなかったとは考えにくいと思。
それが大鉄砲の増量であったと考えます。
>ガレー、ガレアスはその構造上、船首部にしか大砲を積めなかったから。
>当時の大筒の命中率はそうとう低い。
確かに仰るとおりですが、大安宅の船首に搭載された三門の一貫目大筒よりも、側舷の大鉄砲によるが集中射撃が
効果的であったものと考えます。信長公記にも「大鉄砲を一度に撃ち、敵船を打ち崩した」とある。
鉄砲の集中運用は75年の長篠で、大鉄砲の破壊力は76年の長島願証寺で既に実証済みですから織田水軍がそれを
78年の木津川で応用したとしても何の不思議はありません。
また、関船や小早はその特性を活かすために船板を薄くして軽量化を図っているわけで、大鉄砲程度の威力でも充分
船体の一部を破砕できたと考えます。
>ほとんど至近距離でないと当たらなかったのではないか。
大鉄砲の有効射程距離がどの程度であったのかちょっと解からないが、手投げの焙烙玉や油入りの桶壷が届く距離
よりはあったものと考えます。仮に届いたとしても船体が高いため船上や船中に入れることは難しかったのではないか。
それと、味方の小船群も大鉄砲の有利な距離に敵船を寄せ付け、あしらう様にもてなすのに一躍かっていた可能性がある。

58 :
鉄甲船ねえ・・・
あった事もなかった事も証明ができない、
UFOやネッシーと同じようなもんだな

59 :
実際に作って実証してみるしかないな
いくらかかるか想像もできんけど…サンタマリア復元ですら法外な額がかかったから

60 :
まぁ、なかったことは証明出来んよな

61 :
朝鮮では亀甲船が復元されたが
歴史家の主張どおりの総鉄板張りにしたら、
進水直後、マスコミの目の前で転覆したらしい

62 :
さすがあの国wwww

63 :
さすが予想の斜め上w

64 :
菅達長は働き者

65 :
>>30
>仮に火力よりも機動力が絶対的に有利であるのなら小型帆船による集団戦闘が海戦の主流にならなければおかしいが史実にない。
つバッカニアのスループ船

66 :
>>65
それは快速艇が有効に活用された好例ってだけでは。
集団海戦の主流とは言わないな。

67 :
主流ではないが、その戦法が一時代を築いた以上
大艦巨砲が必ずしも有利なわけではないという証明にはなるだろう

68 :
>>67
それは一時代を築いたというより海賊の襲撃戦法に有効活用されていたことの証明では。
必ずしも有利な戦法であるのなら、それに倣う方向に流れるはずだが実際の主流は大艦巨砲に移行したという事実。
用途に応じて小型フリゲート艦なども活用してはいるが、戦術的に海上戦闘の主流として期待されていたとは考えられない。
>大艦巨砲が必ずしも有利なわけではないという証明にはなるだろう
そりゃ何にしても絶対ということはない。時と場合状況による例外は必ず存在する。
鈍足のガレアスが快速のガレオンを負かした事例もあるぐらいだから処々の条件にも因るだろう。

69 :
九鬼って大名になって海のない地に転封されちゃったけど
水軍の将たちはリストラされたのかな?

70 :
>>69
そもそも水軍稼業だけで食ってた「水軍」なんて芸予海峡の村上三島水軍くらい。
だからそいつらの場合は「本業に戻った」だけ。

71 :
以前にNHKでやってた鉄甲船特集では、
鉄甲船が巨大だったのは戦闘力を高めるためではなく
鉄板を貼っても沈まないだけの浮力を得るためと説明されてた

72 :
浮力を得られるか科学的に検証してたね。
ま、それだけ。

73 :
その時の復元考証をした藤井尚夫氏のHPだけど
http://www.sengokushi.com/column/i00800.html
http://www.sengokushi.com/info/info_20050910.html
なんか、思ったよりかなり小ぶりだね。シルエットは普通の安宅船と変わらんような。
信長が初めて作った時点では天下一だったんだろうけど。

74 :
>>70
”水軍稼業”ってどんなことをするの?

75 :
>>74
海路の通せんぼをして通行料を取る。
海関を守ってるから「関」船

76 :
来島なんかもっと山奥に飛ばされちまってるぜ

77 :
>>74
75に補足だが、
無視して逃げると、それこそどこまでも追いかけてくる。
件の村上水軍を無視して堺に向かった船を、村上水軍は堺まで追いかけて金を徴収している。

78 :
8さん、13さん、俺もだぞ!

79 :
閑山島大捷はどれぐらい大勝利か? 【世界四大海戦?】
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1799748
ここを見たんですが、当時の日本にはどれぐらいの安宅船や関船があったのでしょうか?
木津川河口海戦の第一次と第二次でも軍船のは数は少なかったではないでしょうか?

80 :
信長の鉄甲船について、ひとつふたつ疑問点があります。
その@、装甲になるほどの大面積の鉄板を作ることが出来たのでしょうか?
当時は水車動力のハンマーも無く鉄を延ばすには手打ちしかなかっと思うのですが。
(秀吉の時代には鉄張りの大盾があったらしいけど)伸びの良い銅版のほうが現実的とおもう。
そのA当時の船を平底と信じている方が多いけれど、家光が竜骨を禁止したのなら
それ以前には竜骨を持った船が沢山あったと言うことになり、最先端技術をそなえる軍船に
竜骨が取り入れられていなかったというのは、なんだかおかしいような気がする。
皆さんはいかがお考えですか?

81 :
>>80
@についてはしらん。
Aについては、信長の時代から家光の時代まで軽く半世紀は離れているのだが。

82 :
>>79
総数なんてわかるはずもないが、朝鮮出兵の前年に出された造船命令だと
「東常陸より西四国九州に至り、北秋田より中国に至る沿岸諸国は
各禄10万石ごとに大船2隻を製すべし。その工費は先の半額を与え、竣工後に完納すべし」
とあるな。目安として五万石あたり安宅船一隻?
この令の後、一年間で700隻の船が新造された。

83 :
>>80
1:銅板はふつうは装飾用に使う高価なものだし、
戦時下で使い捨ての軍船に貼り付けるほど信長もゴージャスじゃなかったんじゃないかなあ?
もし実在したとするなら、広い面積の鉄板を貼り付けたのではなく、
鎧兜に使う程度の小さい面積の鉄板を小刻みにたくさん貼り付けたものだったと思う。
2:平底の船は竜骨つきの船に一方的に劣るわけではなく、
浅い海でも座礁しにくいというメリットがある。
軍船のように日本近海でのみ使うのなら平底のほうが実用的。
今でもヤマハ発動機とかで平底の和船を売ってるよ。

84 :
>>82
それ輸送船であって戦闘艦じゃないし。

85 :
>>84
輸送船は民間からチャーターされた船がほとんどだったと聞くが?
新造の大船を輸送には使わんでしょ。旗艦の日本丸も新造艦だし。
まあ、安宅船の割合は少ないよね。100隻中、1隻くらいか。
朝鮮出兵で使われた船
馬船 主に軍馬輸送用
戦船 1500石内外のクスノキ造りの装甲船
内櫂船 200石以上の快速船
早船 斥候用の小型船 いわゆる小早船
囲盾船 2000石積前後、二層以上の天守台を持つ、いわゆる大安宅船
井楼船 300石以上、400石以内 前面・両舷を装甲し、高い井楼から火砲で攻撃するための砲艦 
幕盾船 80丁立て以下の関船。天守台は持たない。全部を装甲していない場合は幕をもって盾の代用としたので幕盾船と呼ばれた

86 :
>83さん
装甲板については、なるほどと思いました。
おそらくそのとおりだろうと納得いたしました。
竜骨につきましては日明間の私貿易船と見られる沈没船が
引き上げられ、その船が竜骨を備えた
ジャンクタイプの船だったという記事を読んだ覚えがあります。
結構以前から日本人は竜骨と言うものを知っており
内航船は別に考えるとして、外航船には採用していたのではないかと
感じています。とはいえ、このあたりは証明の難しい問題ですね。
ところで朝鮮出兵の話題ですが、当時ものすごい金額の金が動いたんでしょうね。
大体1000石の船といえばどのくらいの価値があったんでしょう?
とにかくすごい値段の船が何十隻何百隻と建造されたんですねー!
中には粗製濫造の船を作って大金をせしめるといった、
悪徳業者もあったかも知れませんね。

87 :
>>86
ウン、ジャンクタイプの船は確かにけっこう前から知られていたし、
日本国内でも小数ながら作られてもいた。朱印船がそうだね。
でも、そうした竜骨を持つような本格的な帆船は、戦国時代には戦力にはならないと考えられていたんだな。
慶長14年、西国大名が持つ500石以上の船がすべて没収された際も、
外航用の船はその対象から外されている。
なぜか?
日本には大砲がほとんど無かったから。
大砲が無ければ喫水の深い帆船はただの小回りのきかない船でしかない。座礁の危険もあるし。
大筒はあるが、火縄銃に毛が生えたような小口径のものばかりで、とても船を沈めてしまうほどの威力は期待できない。
当時の船戦といえば接舷切込みが大半で、火力のみで決するような戦いはまだまだ珍しかった。
技術が進歩して、ヨーロッパなみの大砲が国内でもどんどん作られるようになったら、
そのうち帆装軍艦が安宅船に取って代わるような事も起こったのかもしれないが、
その前に徳川体制のもと平和になってしまったので、帆船の時代はとうとう訪れなかった・・・というわけ。

88 :
>87さん
軽快な運動性を必要とした軍船には
喫水の浅い船のほうが適しているとのこと。
なるほどと納得いたしました。
昔漕いだことのある伝馬船の軽快さを
思い出しました。ありがとうございます。

89 :
琵琶湖は軍船はなかったの?

90 :
>>89
信長が渡江移動に使ってるじゃん。ぐぐれよ

91 :
>>89
100挺櫓、で調べてみるといいことがあるかも

92 :
湖賊だってちゃんと居たしな。

93 :
( ´゚ω゚` )

94 :
樫田水軍

95 :
安宅船と亀甲船ってどっちが性能的に優れていたんだろうね。

96 :
「性能が優れる」の定義を述べやがれこのゲーム脳小僧が

97 :
図面通りに再現して転覆しない方が性能いいんじゃないかなw

98 :
この間、佐賀の名護屋城で朝鮮出兵の屏風絵を見たけど
朝鮮の船が全部亀甲船ってわけじゃないんだね。
日本の大安宅船と同じで、ごく少数しかない。他のは日本の船と似たり寄ったり。
仮に性能が良かったとしても、戦の趨勢にはそうたいした影響はなかったんじゃないかな?

99 :
政治的に立場が弱かった一指揮官イスンシン考案の船が多数を占めることはないよな
ジャンクや安宅などの和船とをあわせたような船が限界なのかもね
当時の朝鮮に西洋船の技術を入れる余裕なんてないだろうし
ましてやガレオンを購入できるようにも思えない

100 :
あげる

101 :
>87
「戦列艦」の頃でさえ滅多に砲撃で沈没は無いお(アブキールの炉利アンくらいじゃね?)。

102 :
霞ヶ浦辺りは一面湿地帯で賊が跋扈していた

103 :
村上水軍と九鬼水軍どっちが強かったの?

104 :
>>103
ホームで戦った方じゃないの

105 :
信長と石山本願寺の海戦の大安宅船が、確かに鉄甲船だったかはわからない。
多聞院日記で、鉄船だという噂を聞いた、というのが根拠だからな・・・
が、秀吉の時代には書状・宣教師による船への鉄板による装甲の記述が残っており、可能性はあると思う。
後装カートリッジ式の仏郎機砲3門と、銃身長が2m近い大鉄砲を多数装備していた。
朝鮮の役では、日本側の大鉄砲が朝鮮軍の船体を貫通して、中の人員を殺傷し悩ませている。
朝鮮の役のときは鉄板を全国から徴収しているが、筑紫の大船を装甲するためだ、とある。
江戸初期には、イギリス人が鉄板を張り巡らした幕府の軍船を見たという記録もある。

106 :
ttp://www.rekishi.info/forum/forum100/20050911173204.html
というか、鉄甲船関連はここに詳しいです。「筑紫の大船」でページ内検索してみてください。

107 :
>>105
>>43でガイシュツ

108 :
2007/04/18(水) 22:00
NHK その時歴史が動いた
海の関ケ原▽村上水軍信長家康と戦う▽CG戦国大海戦
関ケ原合戦に伴う三津浜の戦いで西軍に属した村上水軍が東軍に敗れた1600年9月16日に焦点を当てる。
天下分け目の戦いとなった関ケ原合戦は陸上だけで勝敗が決したわけではなく、東海沖や瀬戸内海などの海上戦闘もあった。
戦国時代の海戦は船団を組んで戦う水軍が主役。中でも、村上武吉率いる水軍は戦国最強と呼ばれ、瀬戸内海で勢力を誇っていた。
海上で略奪行為をする海賊から脱皮することで一族の結束を図った武吉は、厳しい規律を課して一族を統率。
交易船から護衛や水先案内の対価として通行料を取ることで収入を安定させ、かつての海賊を水軍へと変容させた。
戦国の世を、海を舞台に戦い続けた村上武吉の誇りと夢を探る。

109 :
今日のその時は村上水軍の話ですね
第285回
海の関ヶ原
〜村上武吉・水軍に賭けた夢〜
平成19年4月18日 (水) 22:00〜22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/main.html

110 :
あちゃー、そんなんやってたのか。見逃した・・・

111 :
「その時歴史が動いた」って微妙な番組だよな。
番宣観ると観たくなるが、観たら観たで文句言いたくなるしw

112 :
主人公に選んだ人物を無理矢理理想主義者・平和主義者に改変するからチャンネル変えるよ

113 :
見たけど、「その時」の関ヶ原は完全におまけ、あってもなくても変わりない
メインは木津川口の戦い

114 :
「秀吉と武吉」読んだ。なかなか面白かった。
どこまでホントかわからんが、三島村上水軍って木津川口から関ヶ原までの間は
来島以外まったく活動できなかったんだな。
てっきり小田原や朝鮮も武吉の子の元吉らが毛利水軍をまとめたんだとばかり。
ゲームのやりすぎみたいだ。頭冷やしてくる。

115 :
>>114
それはほぼ正しい記述だと思います
来島村上通総は1582年織田家に誼を通じ、結果来島を攻められ秀吉の元に逃れ、そこで秀吉の側近となった経緯があります
で本能寺の変に伴う秀吉・毛利の和睦によって来島に復帰した後も秀吉から重用され、
四国平定後は伊予に1万石を超える所領を得ています(関ヶ原で西軍につき所領を失うも後に豊後で大名となる)
一方来島の重用とは対照的に因島・能島は非常に冷遇され、
最終的には海賊禁止令によって既得権益を奪われたことで水軍衆としての勢力基盤を失っています
その後、因島は毛利(小早川隆景)の家臣団に組み込まれることで所領は維持しますが、
能島村上武吉親子に至っては瀬戸内海から追い出されていますから、
独立した水軍衆としての行動力は完全になくなったとみてよいでしょう(最終的にはどちらも子孫は毛利氏に仕える)
これが天正末期のころのことですから、小田原・朝鮮攻めの時に能島村上氏の名前が出てこないのも当然といえます
結局のところ、秀吉にかわいがられたかどうかで豊臣政権時の命運が別れたとも言えます

116 :
村上元吉は加藤嘉明の領地に攻め込んで戦死しちゃうしな
毛利の支援も受けてたし東軍につく選択肢はなかったんだろな

117 :
>>114
もともと毛利水軍と三島村上家は別ものだぞ。
能島家は大友と手を組んで毛利と戦ったりした事もあるぐらいだから。
織豊の中央政権の勢力に圧迫されて来島は豊臣に付き、
能島・因島は毛利配下の一武将としてしか
生き延びられなかったというだけ。

118 :
戦国時代海戦ってどれくらいあったの?
木津川しか知らないが、北条vs里見とかでもやっていそう。
誰か詳しい人教えてくれ

119 :
武田vs北条の海戦もあったな、そう言えば
北条vs里見の江戸湾での戦いは半世紀に及ぶからなあ・・・
最終的に江戸湾でのアドバンテージを喪失した里見は陸海から追い詰められて北条に屈服せざるを得なくなった

120 :
>>119
それだけ聞くと、
里見は小競り合いを続けて尻貧になり海戦らしい海戦をせずアボーン
って印象を受けるが、実際海戦はあったの?

121 :
とりあえず上げ

122 :
>>120
よくは知らないけれど、
山本水軍(北条の水軍衆)が上方の技術を導入して造った船を導入して、
それまで優勢だった里見の水軍を圧倒したらしい。
これが大体里見との講和直前の話。

123 :
第二次木津川河口海戦って詳細は分かってないんでしょ?
もしかして小規模海戦なのかな?誰か死んだの?

124 :
当時の鉄船の鉄板はどの程度腐食に耐えられるのであろうか?

125 :
別に腐食してもいいんじゃね?
張り替えればいいだけだし。

126 :
第一次木津川河口海戦と露梁海戦とトラファルガー海戦と日本海海戦の比較
第二次木津川河口海戦で戦死者っていたっけ?
●露梁海戦とTrafalgar海戦と幹部損失と結果
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=83282

127 :
知らないな

128 :
九鬼と村上の直接対決はなかったの?

129 :
>>124
少し後の時代の徳川の阿宅丸が銅板装甲なのは、鉄板装甲の腐食が問題化したから
ではないかと思うんだけど。

130 :
×徳川の阿宅丸
○徳川の安宅丸

131 :
>>129
安宅丸の銅板って水上?水中?
信長の鉄甲船の鉄板は水上構造部の炎上防止
西洋帆船の銅板は水中木材の虫除け
どっちを真似したの?

132 :
何の為の鉄板装甲?
投資に見合う必要性なんかあるのか?

133 :
焙烙や火矢で舟を焼かれないための対策
基本的に、本願寺への水路を封鎖するための船だから航海能力とかは度外視したんじゃ?

134 :
村上水軍は火矢や焙烙玉での戦闘を得意としており、
木造船では炎上してしまうので、防火の為に鉄板を付けた。

135 :
速度が10q前後でしょ?海上封鎖には不向きなような希ガス

136 :
時速ね

137 :
>>135
鉄甲船は川口を封鎖する為のものだから、
極論すると動けなくてもいいんだよ。

138 :
モニター艦かよ

139 :
実際それに近いんじゃない?
大鉄砲三門も積んだのは自身が動きにくいからだったのかも知れんし

140 :
大名としての戦力は低いんだ?

141 :
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/

142 :
>>140
なんでそうなる。リア厨か?
たかが一局地戦の為に他に使い道の無い鉄甲船3隻も造るくらい国力を持っているって事だぞ

143 :
鉄張軍船は伊勢で建造されて堺へ回航中に雑賀水軍に迎撃されて、それを打ち破った
という戦果はあるはずだが。

144 :
>>143
それはボーナス的についてきた戦果。
信長の考え方はアレクサンダー大王と同じく
“陸地を全て取ってしまえば海軍なんていらね”
だから鉄甲船は本願寺兵糧攻めだけの為のもの。
事実、木津川以降鉄甲船が使われた記録は無い。
無い?
無いでいいんだよね?

145 :
>>144
信長のなにをもって「陸地を全て取ってしまえば海軍なんていらね」という
発想の持ち主だったと考えているのかが知りたい。
例えば長島を攻撃するときには水軍を念入りに準備したり(大湊に動員を
かけたりもしている。上手くいかなかったようだけど)。
越前を攻撃するときは若狭の水軍衆を動員して海陸から攻撃している。
近江を押えるために堅田の水軍衆を調略で味方につけて優遇したり。
対本願寺だって、包囲のために水軍を動員して大阪湾を封鎖した。現状の織田
水軍よりも強力な毛利水軍が敵として参戦してきたので、対抗するためにさらに
自軍を強化した(その一例が鉄張軍船)。
鉄甲船がその後使われたことがないから、イコール信長は水軍を軽視(ないしは
無視)していたとご主張で?

146 :
>>145
たぶん、君があげてる例はすべて>>144の論拠を強化する例にしかなってないと思う。
>>144は水軍を軽視していたとは一言も言ってないし。 水軍保有の目的が陸上拠点の制圧にとどまっているという主張だもの、彼の主張。
まぁ、その域を脱した戦国大名って居らんのやけど。
制海権そのものからメシを食ってた村上氏くらいだ、例外は。

147 :
朝鮮で使ってますが何か?

148 :
陸地を全て取ってしまえば海軍なんていらね
は軽視ととるのが普通のことだと思うが
というかこの時点での信長にとって水軍はまだそこまで必要じゃないだろ

149 :
この時代の水軍自体が稀な状況でしか使えない代物だからそんなに入れ込む必要はないんだな。
陸と比べたら大身の水軍大名などいないじゃん。

150 :
>>149
それは全てあなたの思い込み。
この時代の海賊衆って村上を除けば水陸両用だから分かりにくいだけ。
この大名の何割が海賊衆っていう統計も無いしな。

151 :
沿岸地域を制圧するのに水軍がないと制圧しにくいってのもあるんだな。
その典型例が石山本願寺
逆の立場から見ると水軍で制海権を取ってれば沿岸地域を維持しやすい。

152 :
まあ徳川幕府は日本を統一したら水軍も交易も捨ててしまったが

153 :
>>152
水軍は捨ててないのだが・・・
まあ、元々あってないような物かも知れないが>向井水軍

154 :
>“天地丸”は寛永7年(1630)、3代将軍家光の時代に建造され、廃船に至る幕末までの実に230年以上の間、将軍の御座船の地位にありました。
ttp://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00200/contents/065.htm
230年以上ってスゲー
これだけ長寿船って世界的にも珍しいんじゃね?
上部構造物がフレーム状になってるけど、戦時にはここに任意の盾板を装着すると思う。

155 :
いわゆるひとつのエアフォースワンか。

156 :
>>154
>寿命230年
ヒント 「御船蔵」
それだけ長寿命の帆船は珍しいが
木造建造物と考えればまあ十分あり得るかなと

157 :
屋内収納されてたちゅーことか

158 :
水軍大名は最大でも5万石程度でしょ?

159 :
〉〉158
江戸時代の来島家しか念頭にないのか?
戦国時代は、ほぼ全てが海賊衆の三島村上、松浦以外に、
かなりの率が海賊衆と思われる宗氏、里見氏、安東氏、毛利家、三好氏や、
どれだけが海賊衆かサッパリ見当がつかない島津家等がいるのだがな。

160 :
多分、陸兵が都合によって水軍に転じるような大雑把な体制だったんだろうな
舟があればとりあえず海で戦えます、みたいな
実際、朝鮮半島からの撤退戦の時に李舜臣らの明・朝鮮水軍をボコボコにしたのは島津やら立花やらの、どちらかといえば陸戦で名を売ってた西国大名連中

161 :
そもそもこの時代の日本に海戦しかしない武士なんていないんだが
いたのは陸戦しかしない武士と海戦も出来る武士

162 :
>>160
ぎゃくに名の売れた来島水軍はぼこぼこにやられて頭首があぼーんしてるしな
まあ九州の猛者の島津と所詮海賊の差かな

163 :
違う。命令系統に馬鹿正直に従ったかどうかの差。
朝鮮出兵時の水軍の指揮権は陸戦経験しかない脇坂等の秀吉子飼いの大名が持っていた。
九鬼は命令を聞いていたら負けちまうと命令不服従で本国召還、
馬鹿正直に命令に従った来島は当主討ち死に。
島津等が戦ったのは撤退戦で指揮系統がボロボロになった後。
逆にDQNな縛りが無くなって李舜臣を討ち取る戦果を挙げている。

164 :
普通に数の差だろう
朝鮮側戦史では戦果が相当水増しされているが
来島水軍は船数でかなり劣っていた
逆に日本水軍本隊が北上すると、朝鮮水軍は一戦も交えず逃走して水軍本拠地を捨てている
水上戦でも数の理屈は健在

165 :
>>163-164の間をとって
来島通之は数で劣るが脇坂が退却を容認しなかったため死ぬハメになったということにするか

166 :
来島通之が死んだのは1592年じゃなくて1597年だろ?

167 :
白村江ではむしろ唐水軍より日本水軍のほうが多かったらしいが。

168 :
>>167
当時の場合、船の建造技術がとんでもなく開いていたからな
唐側は外洋航行すらできる大型船
日本・百済連合軍側は小船程度

169 :
>>167
白村江の時の両者の兵力ってどれくらい?
隻数だけ書いて日本水軍は唐より数が多かったのに負けたって記述は
見たことがあるが、兵力で比較しないと意味が無いと思うのだが。

170 :
千野原靖方『房総里見水軍の研究』(崙書房, 昭和56年)

171 :
>>168
外洋航行が出来ないなら、どうやって日本から朝鮮に行ったの?

172 :
そりゃおめー、気合と根性だろ。

173 :
>>168
外洋航行が出来るったって、せいぜい渤海を渡る程度だろ。櫂船なんだし
中国の船が外洋船として完成するのは宋代くらいのことで、
それ以前は中国船=河船。

174 :
>>171
琵琶湖で(たまに御前崎や北海道、九州)で
ヨット、ウインドサーフィンを何年かやってた経験から
日本近海で吹く風は冬は北西、夏は南東の風が吹く日が多いから
夏の風が良い日に行ったのでは?

175 :
>>171
壱岐、対馬、を中継地にすると、外洋航行が出来なくても朝鮮まで渡れる。

176 :
>>174
琵琶湖陸風で風振れすぎ。全然読めない。地元の人間に有利すぎ。
あんなところでインカレするなゴラ!!!
スレ違いスマソ

177 :
>>175
雨水しかないけど竹島も休憩には使えそう

178 :
竹島に風待ちに使える湾なんてあるのか?

179 :
>>178
わからん

180 :
じゃ使えネ

181 :
一年近く前に、瀬戸内海の小豆島へフェリーで渡ったが、本当に小島が多いんだね。
たまたま同船した人に十川という人がいて、「出身は四国ですか、似た名前の武将がいますよね」食いついてきたので、
その人も戦国に興味が合ったのだと思う。
その人と、あの陰に水軍の一団が潜んで……とか想像して会話していたら、かなり萌えた。

182 :
地味だが、大友水軍の将若林鎮興。

183 :
大友水軍って名前は聞くけれど、何か実績有る?

184 :
>>183
永禄12年(1569)の毛利氏との戦い、
元亀3年(1572)の伊予西園寺氏攻め(土佐一条氏救援)、
天正7年(1579)の島津水軍との日振島沖合戦、
文禄元年(1592)の朝鮮出兵、
その他かなり、いまいち評価が低いのは何故だろうか。

185 :
大友だから…

186 :
>>184
門司合戦の記録等みると、関門海峡渡海・後方遮断等
毛利水軍が好き勝手にやっていて大友水軍の痕跡が出てこない気がするんだが、
大友水軍何をやっていたんだ?

187 :
村上水軍一艘を破壊して感情を賜る
尼子が背後を付いたのを見て、大内輝弘と共に追撃
詳しくは「若林鎮興」で検索してみてください。
あと大友水軍なら安東氏についてのホームページもあったはず。

188 :
>>186
門司合戦で毛利水軍にいい様にやられたから、水軍の強化を図ったと思ってた。
それ以前にも、海賊襲来時の感状で分かる様に活動はあったようだが…
そこら辺は余り詳しくないんで…詳しい人いたらお願いします。

189 :
安宅船が初めて作られたのは何時ごろですか?

190 :
6時ごろ

191 :
>>156
遅レスですが、史料で確認できる天地丸の修理は
正徳元年(1711) 宝暦九年(1759) 
寛政九年(1797) 弘化四年(1847)
の4回です。
正徳(81年)以外は平均して44年ごとに修理が行われて
いますので、正徳以前にも1回の大修理が行われた可能性は
高いそうです。幕末期の天地丸は痛みの少ない屋形関係を除
くと、新造時の部分は残っていなかった可能性があります。
ちなみに大名の御召関船(御座船)は21年ごとに作り換える
ことになっていましたが、江戸中期以降は50年ごとになった
そうです。


192 :
>>171
持衰を同行させれば無病息災で渡れます。

193 :
安宅船て淡路の安宅水軍からきてるのか?

194 :
暴れまわるという意味の「あたける」から来ているらしい。
当初は、仮名書きか、阿武と書き、朝鮮征伐の頃から安宅と
なった。
ちなみに安宅水軍の安宅は「あたぎ」と読む。


195 :
>>184朝鮮出兵で大友水軍の誰がどんな活躍をしたの?大友は内陸で戦っていたんでしょ?

196 :
過去スレ貼っとこう
実は当時最強? 幕府海軍
http://yasai.2ch.net/army/kako/997/997411907.html
〜陸の事は俺には解らぬ〜戦国水軍スレッド
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1015/10159/1015937953.html

197 :
>>195
村上、九鬼、他に四国の水軍とかも戦ってる

198 :
>>197
検索しても朝鮮で若林が活躍したって具体的な情報がヒットしないんだが?

199 :
村上水軍の家紋って有名な丸に上の字だけど、海賊(水軍)は字紋を使うことが多かったの?
ちょっと気になった。なかなか字紋って見かけないから。

200 :
>>199
あの家紋はただ単に信濃村上氏だから

201 :
>>200
そうなんだ。
どっかで読んだ資料には
名前から取ったという説と、
字紋で(上)という字が縁起がいいから使ったという2つの説があるって読んだから気になった。
後者なら字紋って海賊が使ってたのかなと思ってたッス
よくわかんねけど

202 :
誰か小田原征伐時の徳川水軍の武将の詳細な参加リストみたいなのわかる方いませんか?
おそらく本多重次を頂点に何人も武将がいたと思うんですが。

203 :
>202
その頃の徳川水軍には向井正綱、小浜景隆、間宮信高、千賀重親、伊丹康直がいるね。
みんな元武田とか今川の水軍。

204 :
>>203
おお、ありがとうございます。
参考になりました。
向井氏はすごく有名ですよね。
水軍スレは貴重なのに最近は廃れててさびしい限りです。

205 :
【コラム】 世界各地に出没するイマドキの海賊を調べてみた!
http://news.ameba.jp/r25/2007/12/9146.html

206 :
スレがのびないのであえて鉄甲船論争を蒸し返す
>51
装甲なし、火力だけ突出した大型船というのは
AFVに例えれば多砲塔戦車みたいなもんだろう。
ただ火力だけ高くても何にもできんよ。

207 :
>>206
まだ成仏してなかったか。
「九鬼右馬允七隻の大船に小船を相添へ、山のごとく飾り立て、敵舟を間近く寄せつけ、あいしらふ様にもてなし、
大鉄砲一度に放ちかけ、敵舟あまた打崩。」
敵船団をあしらいながら有効射程圏内に誘い込み一斉射撃で打ち崩してます。
小船を従え僅かな機動力と大鉄砲の火力で勝ってます。

208 :
そもそも現代のArmored Fighting Vehicleと当時の軍船を同列で語るのは妥当とは思えん。
装甲をぶち破り人員や内部を破壊する攻撃と、焙烙や火矢による延焼攻撃とでは違いがありすぎる。
現代の火炎瓶による戦闘車両への延焼攻撃をイメージするのであれば歩兵部隊(小船群)を帯同することで
一定の防御効果を得られていたとは考えられないだろうか。

209 :
また、九鬼の黒船に較べて外観が白かった滝川家の大安宅船は白船と呼ばれていたそうだが
これは間違いなく装甲板を貼っていない(間に合わなかった?)船だったであろう。
この白船も木津川の戦闘に参加して無事に帰還していることが全てを物語っている。

210 :
塗ってただけかもしれんし

211 :
うむ。
九鬼の黒船は岡山城天守に見られる当時の防水防腐効果を狙った黒漆塗りであったと類推する。

212 :
仮に白塗りにしていたとして、一体何を意図していたものなのだろう。
漆喰塗りにすることで延焼を防ごうとしていたとか?

213 :
何にしても78年当時は大安宅船に鉄板を貼るという概念が一般的となる朝鮮役までの間の過渡期と考えるべきだろう。
で、朝鮮役での不備を考慮して江戸幕府の安宅丸には鉄貼りが施されなかったと。

214 :
>>212
秀吉の日本丸も白漆喰塗りだったようだから、多分そうだろう

215 :
しかし鉄甲船論争って普通は
「信長が九鬼に命じて作らせた「燃えない船」の正体は何か」
「鉄板装甲だ」
「いや防火用の漆塗りだ」
って喧々囂々なるもんだが、
大砲だけで勝てる、装甲いらんって説が出るのは珍しいわw

216 :
>>215
鉄甲船は漆塗りだったって議論が有るんですか?
家に有る漆塗りのお椀は水を漬けっぱなしにしておくとすぐぼろぼろになるのに、
戦国時代の漆塗りの技術って凄かったんですね。

217 :
>>216
鉄板装甲説への反論の定番ですな。
世界史板あたりで鉄甲船の話になると、たいがいただの漆塗りだろうって言う奴が出てくる。
漆塗りの船は戦国時代にはあんまり聞かないが、江戸時代にはごろごろあったので、この辺参照してね。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00200/contents/065.htm
もちろんほっとくと劣化するから、その時は塗り直す。水軍が維持費がかかるのは知ってるよな。
鉄甲船の場合は戦時下の消耗品だから、一回塗りっぱなしの使い捨てだったかもしれんがね。

218 :
個人的には漆塗り説もかなり説得力があると思っている。
防火・防水効果の高い黒漆塗りは、安土城や大坂城など古い城の下見板張りによく使用されたが、
安宅船の建造は船体部分を船大工、櫓部分を屋大工が分業していたことを考えると
同時期の城郭によく使用されていた黒漆塗りの技術を軍船に応用したという事も、十分ありうるのではなかろうか。
鉄甲?船のプロトタイプなのであろう佐和山の大船を建造したのが、
安土城と同じ宮大工・岡部又右衛門なので、よけいにそう思う。

219 :
>>213
朝鮮の役で日本の水軍が大損害をこうむったってのは
完全な都市伝説だろ
歴史学者と称する連中の言う通り亀甲縛りを鉄張にして作ったら
見事に沈んだらしいなwww

220 :
>>219
それ亀甲船w

221 :
この辺での議論もなかなか濃いようです。
ttp://www.rekishi.info/forum/forum100/20050911173204.html

222 :
>>207
味方の小船に当たる

223 :
>>222
見たのかw

224 :
見なくても分かる。
>>222はアホ

225 :
なんかネタ出してよ

226 :
第一次木津川口の戦いでは織田方は大鉄砲装備してなかったの?

227 :
>>224
www

228 :
自演乙

229 :
age

230 :
wikiの鉄甲船の項目、このスレのやつがいじってるだろう

231 :
>wikiの鉄甲船
装甲が対焙烙火矢用ってなってるけど
多門院日記には対鉄砲用ってかいてある

232 :
「テツハウトヲラヌ用意事々敷也」だっけ。軍事に疎いであろう坊さんが伝聞で書いたもんだし、
あまりあてにならないんじゃないの。

233 :
坊主が軍事に疎い時代では無かったと思うが、どうだろう?

234 :
「テツハウ」は火薬兵器全般を指す言葉では?
元寇で使われた炸裂弾も「てつはう」だろう。

235 :
>>232
>「テツハウトヲラヌ用意事々敷也」だっけ。
『多聞院日記』では「トヲラヌ用意」なんだから、
火縄銃の銃弾も貫通を防ぐための用意っぽい。
焙烙の延焼防止対策だったら違う表現を用いただろう。
>軍事に疎いであろう坊さんが伝聞で書いたもんだし、あまりあてにならないんじゃないの。
僧侶は軍事を含めた当時最高の知識人といえる。
武将の幼少期の教育係が僧侶の場合は多い。
今川義元の軍師になった大原雪斎は有名だし
戦国武将の中に幼少期から青年期に寺院で学んだ人物も多い。(石田三成とか)
僧侶にして大名になった安国寺恵瓊もいる。
本願寺の僧侶たちは強大な信長を苦しめてた。

236 :
>>235
そんなもん百も承知だが、又聞きは又聞き。
多門院日記には
「人数5千人ばかり乗る。横へ7間、縦へ12,3間もこれあり」なんて記されているが
これは人数といい船の形状といい100%ありえない数字だし、
色々差し引いて考えるべき文献なのは確かであるよ。
そもそも鉄砲の弾だけを防御するんだったら、木製の盾板を分厚くするだけでいい。
重い上に不安定になる鉄板なんか貼る必要はない。

237 :
>>236
同じ防御力を達成のためなら
木製の分厚い盾板より
鉄板を貼ったほうが軽い。

238 :
鉄板を貼った場合と同じ重量の木製盾板ならどうかね

239 :
  同じ重量の防御力
鉄板盾板>>>>木板のみの盾板
鉄板+木板盾板>>>>木板のみの盾板
甲冑の主流が木製でなく鉄製なのは、鉄板の防御力が木板を上回るから。
近代の軍艦や戦車の装甲が木製でなく鉄製なのは、鉄板の防御力が木板を上回るから。

240 :
>>239
言っておくが、普通の木製の安宅船でも、並程度の鉄砲玉なら十分防御できるの。
でなけりゃ盾板の意味なんか無いだろう。
安宅船は鉄砲の普及後に登場した強化型の軍船で、あらかじめそういう風に作ってある。
それでも第一次木津川海戦で織田軍が負けて鉄板の装甲を追加せねばならなかったってことは、
毛利が焙烙火矢を使ってきたって事さ。

241 :
>>234
『多聞院日記』の書かれた時代には
「テツハウ」は火薬兵器全般を指す言葉ではなくなっている。
この時代に「テツハウ(鉄砲)」と言った場合は火縄銃のことで
炸裂弾は「焙烙」と呼ばれるようになって
もはや「てつはう」とは呼ばれなくなくなっている。
また>>235に書いてあるように「トヲラヌ用意」という表現も併せてみると
『多聞院日記』の「鉄の船也、テツハウトヲラヌ用意事々敷也」は
火縄銃の銃弾貫通防止を目的とした「鉄の船」といえる。

242 :
>>240
中世以来使われている対弓矢用の一般的な木盾の厚さでは火縄銃の玉を防げない。
火縄銃の玉を防ぐには板の厚みを相当厚くしなければならず、その場合重量が重くなり
船の復原性や機動力が低下する。
対して重量あたりの防御力に優れた鉄を用いることで軽量化を実現する事ができる。
陸上の攻城戦でも対火縄銃防御に鉄を貼った盾が用いられており、
同じ発想は海上の戦いに適用されていただろうから
船も銃弾を防ぐために鉄で防御されていたと考えるのは、むしろ自然なことだろう。

243 :
>>242
待て待て待て・・・
>中世以来使われている対弓矢用の一般的な木盾の厚さでは
それ、厚さ3センチくらいの奴だろう。
何で野戦用の個人装備、しかも弓矢の時代のものを引き合いに出す?
安宅船の盾板は厚さ6〜10センチくらいあるぞ。
一般の安宅船でも、鉄砲弾を無力化させるくらいの防御力は十分あるって言ってるだろう。
矢弾を防御しつつ接舷して切り込むのが当時の海戦のスタイルなんだから。
盾板には竹の束を使われる事もよくあって、これも銃弾に対しての防御効果は十分だった。長持ちはしなかっただろうが・・・
>火縄銃の玉を防ぐには板の厚みを相当厚くしなければならず、その場合重量が重くなり
>船の復原性や機動力が低下する。
だから、それを実際やったのが安宅船なんだってば。
確かに君の言うように旧来あった関船より機動性は落ちたのだが、
それが実戦において有用であり、日本のどこでも広く使われてたんだから否定しようがない。
毛利が大口径の大鉄砲やら大筒でも大量に持ってたってのなら話は別だが、そんな話は聞かない。
それをやったのは織田の方。
>>241
ループだが、多門院日記のソースは伝聞にすぎない。
鉄甲船を実際に見た人が
「火縄銃対策のための鉄板」とそれを判断したら、間違った認識もそのままに書かれるだろう。
まあ、普通の人は延焼対策なんて思いもよらないだろうから、
対鉄砲用だと誤解されても無理はない話だが。
ていうか君は、何でそこまで鉄板を対火縄銃用の装甲という事にしたいのかね。焙烙対策では、何か不都合でも?
鋼鉄の軍艦が、いかなる銃弾をもはじき返すようなイメージにあこがれてるのかね?

244 :
だから鉄だともっと軽くなるといってるのに

245 :
>>236
>>243
そろそろ「多門院日記」って書かずに『多聞院日記』って書いてくれ。
なかなか自分で気づかない人だな・・・
ところで、「多門院日記のソースは伝聞にすぎない。」ってソースは?

246 :
>>244
つまり、信長が
「鉄は木材より重量あたりの防御効果が高いのじゃ」
と主張して、対毛利の鉄砲用軍船を特別に作らせたと。
わかった、もう君はその説を信じててくれ。

247 :
客観的事実
対鉄砲用の鉄船とする史料は存在する。
(『多聞院日記』「鉄の船也、テツハウトヲラヌ用意事々敷也」)
対焙烙用の鉄船とする史料は全く存在しない。

248 :
一つだけ質問いい?
どんな戦法を使って毛利は第一次木津川海戦で織田方に大勝したの?

249 :
つうか「どっちも」でしょ?
鉄砲にも火矢にも強いからってだけじゃん

250 :
信長鉄船について(『多聞院日記』「鉄の船也、テツハウトヲラヌ用意事々敷也」)
他に
徳川家御座船安宅丸は、厚さ一尺の盾板表面を厚さ3ミリの銅板を貼り装甲している。
この安宅丸について水戸光圀は「鉄砲いかほどあたりても船やぶる事なき也」『西山遺聞』
と評している。
当時の人達の関心が鉄砲に対する防御に向いていたことがわかるだろう。
一方、焙烙に対する防御について書かれた史料は見た事がない。

251 :
俺は対鉄砲用なんて主張してる人、あんた以外見た事ないがな

252 :
対焙烙用と書いた史料を提示してくれ

253 :
第一次の木津川口の戦で焙烙に惨敗したという史料ならあるが。
信長公記な

254 :
多聞院日記の「テツハウ」は銃のことでいいの?
「トヲラヌ」は貫通、通用しない、どっちの意味で使われてるの?

255 :
>>254
それに関してはまあ「鉄砲」「通らない(貫通しない)」でいいんじゃないかな。
投げ焙烙なんてマイナーな武器を、水軍に関わりもない坊様が知ってるとも思えないし。

256 :
>>253
焙烙対策を講じたという史料はないな。
鉄砲対策を講じたという史料ならあるわけだが。
因みに、第一次木津川口戦について、毛利側の史料には
焙烙攻撃によって織田水軍を破ったとする記述はないようだ。
>>254
ループだな

257 :
焙烙対策で何らかの船を作ったということか。

258 :
>>256
世界史板の銃・火砲スレで山野氏がそんな事言ってたね。
焼き討ちは村上水軍にとっては常套戦術だから、いちいち何を使ったかなんて記録もせんだろう。
「弓や槍を使って勝利した」なんて書かんよ。

259 :
安宅船って宗一さんがもしや

260 :
盲船が最強でござるよ 
石山攻めで盲船は海の底を這いながら城壁へ接近した資料がある
まさに元祖潜水艦

261 :
>>260
放送禁止用語なので大河に出られないでござる
あと珍兵器で行くと村上水軍が設計していたスクリュー船とか

262 :
視覚障害船と言い換えればOK

263 :
眼の不自由な船の奇襲にござる!

264 :
「スクリュー船」詳しく求む

265 :
つttp://www.tanken.com/wako.html
アイデアだけで実際には作られなかったのかもしれないが、
村上家の水軍書には書いてあるらしい

266 :
>>265
やはり日本水軍は世界に比べオリジナルを進んでるね
盲船の絵もあるw
船逆さま重石付けてジャックスパロウの海底散歩見たいな感じかな

267 :
【志摩】九鬼氏一族を語る【水軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1207897989/

268 :
里見水軍

269 :
大坂の陣で九鬼守隆が鉄甲船6隻と三国丸という大安宅船を使っていたようなのだが
どなたか詳細求む

270 :
安宅氏

271 :
河野水軍

272 :
↑子孫の河野兄弟が徳島ヴォルティス・FC岐阜で活躍している

273 :
>>61
笑った(*´屮屮`*)

274 :
四国にナスカの絵みたいのがあって息吹島に村上水軍の財宝があるらしい。たたりもあるらしい

275 :
あの番組はトンデモ論多いから気をつけろ
まぁ村上水軍の財宝ってのは元から諸説あるけど

276 :
村上ショージは村上水軍の末裔

277 :
>>274
ナスカの絵ってあの巨大な寛永通宝か
あれ見ても銭形平次のOPしか思い出さんぞw

278 :
保守

279 :
亀甲縛り

280 :
白石一郎の、ウィリアム・アダムスが主人公の小説に缶詰なんちゅう代物が出てきた
ねーよ…(´・ω・`)

281 :
オーパーツが登場する小説なんて腐る程ある

282 :
フィクションと考証ミスは違うぜ

283 :
ノンフィクション歴史小説なんか古今東西存在においてしない

284 :
>>283
だからフィクションは良いんだって…

285 :
大河を見てると考証ミス耐性が身に付くよ

286 :
保守

287 :
納涼保守

288 :
海部刀カッコヨスなあ
http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/image/0507F.JPG
http://www.auntei.biz/wakizasi_020.htm
特徴
脇差サイズが多い
棟がノコギリになっているものも(嵐のときに帆柱を切り倒す)
銘を刀身に入れる(中子だとすぐ錆びで埋もれるから)
海の男の装備だね

289 :
和船も帆柱を切り倒すことなんてあったのか。
マストが何本もある西洋の船だけかと思ってた

290 :
>>288
ズバッ
「ギャーーー!!!」
「安心せい峰打ち・・・スマン持ってくる刀間違えたwww」

291 :
西洋船の場合、切り倒してもいいように木材を積んでいた。
一方何も積んでいない和船は・・・

292 :
まあ、その場で沈むよりはましだわな

293 :
帆柱を切り倒さないと、
最善の努力をしなかった
とみなされ、海難証明書
をだしてもらえない。

294 :
村上水軍本拠地 瀬戸内しまなみ海道潮流体験
http://jp.youtube.com/watch?v=YHQRIZfkc_A
http://jp.youtube.com/watch?v=JwH72TfoAkE

295 :
偶々「その時歴史が動いた」の村上武吉の回のビデオがあったから観た
関ヶ原の時伊勢湾で暴れ回っていたとは知らなかった
熊野灘は何事もなく通過出来たのかな?
あと阿波を占領したってのも初耳だ

296 :
広島・因島も水軍ですよね?
因島はかなり歴史古いんでしょうか?

297 :
SS蒼穹とか一番デキが良い移植じゃないか。下さい。

298 :
>>295
阿波や毛利吉成領は毛利氏の占領下に入っているし、
四国では村上元吉らが死んだ後も、関ヶ原の敗報が届くまで
村上水軍・河野衆による加藤嘉明領への侵攻が続いてた模様。

299 :
村上水軍カッコヨス!

300 :
毛利水軍と三好水軍の合戦とかはあったのだろうか[

301 :
村上水軍は最強

302 :
安宅水軍は、蜂須賀家にすべて吸収されてしまったのかな?
安宅町なんて地名にも残っているようだが、

303 :
 
海上保安庁ファンクラブ「海守(うみもり)」会員募集中(入会無料)
http://www.umimori.jp/pc/index.html
http://www.marine-m.com/kaizyouhoantyou/00.htm
今、一番必要としてるのは日本国民の熱い応援の声です。
 

304 :
毛利水軍を叩き潰し、石山本願寺への支援ルートを断った九鬼水軍が戦国最強だな
実際、九鬼嘉隆は関ヶ原の戦いで東軍側については戦功をあげたが、江戸幕府が始まった後に、九鬼水軍の力を恐れた徳川家康によって、海に面していない地に移封されるなど晩年は不遇だった。
それでも九鬼氏は水軍としての誇りを忘れないために、小さな湖で訓練をし続けた。

305 :
嘉隆は西軍で切腹
守隆は東軍

306 :
こんなサイトがあった
http://japan.yi-sunsin.com/03ship/02_01.jsp
亀船ってこんな重そうなのに櫓が18丁しかないのな。
動くのか?

307 :
復元模型だと16丁しかないぞ
動いたとしても相当な鈍足だろうな

308 :
九州征伐で秀吉が水軍(小西・九鬼・脇坂・加藤嘉)を動員したが
こいつらは何をしたんだ?
小西が肥後半国25万石を拝領してるし(佐々改易の後だが)

309 :
>>308
海軍みたいな水軍があると思っていること自体が間違い。

310 :
1588年に海賊禁止令が出されたのもお忘れなく。

311 :
だから亀船と呼ぶんだな

312 :
横浜市歴史博物館で、2009年5月10日まで、
「海賊-室町・戦国時代の東京湾と横浜-」

http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/

313 :
>>312
それに今日行ってきたよ。案外人が来てて驚いたw
展示物はそんなに多くは無いが、北条、里見、正木、さらに秀吉などの書状は良かった。
虎朱印は実際見るとぐっと来るものがあるなw
あと、個人的に何よりよかったのは、売店に水軍関係の書籍が実に充実していた事w
近くの人はあのためだけでも行って見るのもいいんじゃないかな?

314 :
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425522024
小浜景隆の子、小浜光隆の生没年についてわかれば教えて下さい。
(少なくとも1633年頃に生存している事はわかったのですが・・・)


315 :
大学時代にたまたま知己を得た先生から直接聞いた話です。
この先生は家系をたどれば河野水軍に行き着き、
祖父の代には子爵だったという家柄のお方でした。
調べればすぐわかるんですが、一応ここではI先生とします。
私がお会いしたときはすでに引退しておられましたが、
現役の時にはベストセラーになったものも含め
何冊も本を出された経済学の大家でいらっしゃいました。
そのI先生がイギリスで講演をなさった時のお話です。
イギリスの空港について入国審査の列に並んでいると、
スーツ姿の男がスッと横に来て、「ロード・I、どうぞこちらへ」と言うんだそうです。
「いや、入国審査をしないと」と答えると
「ええ、しかし貴族の方には専用のゲートがあります」
と言いだすので先生は面食らってしまいました。
「何かの間違いでしょう。私はただの一般市民です」
「いいえ、あなたは子爵です。たとえ日本で貴族制度がなくなったとしても、
 ここイギリスでは子爵の家の方は子爵なのです」だそうで。
これ河野なんて人の話?

316 :
河野太郎

317 :
因島村上氏の6代当主・村上吉充の生没年について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128300816
来島通則について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1428299884
村上吉清について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128295736
博識な方がおられましたら、回答お願いします。

318 :
>>317
ここでもいい?
村上吉充は関ヶ原後に毛利家を離れて加藤嘉明領の伊予国野間郡佐方村に移って帰農(廻船業?)しています。
この村に子孫が残っていて近くに菩提寺が残っていて位牌とか系図があるんじゃないかと思います。
来島通則については詳しい資料をみたことがありません。
「玖珠郡史談」に掲載されていた系図についての記事では天正8年生まれ、慶長5年京都で死亡と
手元のメモにあります。
そもそも大名の実子が福島正則に仕えている位なので庶子の可能性が高いのではないでしょうか。

319 :
>>317
続き
村上彦右衛門吉清は通総の弟とされています。
来島氏の菩提寺、大通寺に残る系図では通康の成人した男子は
通幸(通之、得居氏、半右衛門)、通総(通昌)、吉清(彦右衛門)、通久(又右衛門)
の4人がいます。
寛永諸家系図伝によると吉清は寛永15年76才で没ということなので永禄5年の生まれでしょうか。
通総と1年違いなので実際には吉清が早く生まれていても庶子で弟とされたのかもしれません。
ちなみにちゃんとした系図や史料には通年の名前は出てこないと思います。

320 :
来島氏や村上水軍については不明な点も多いですが、「愛媛県史」の史料や
河野氏、瀬戸内海を扱った研究書を読むと断片的ですがいろいろわかります。
あくまで地方史の世界なので「伊予史談」「玖珠郡史談」あたりを丹念に読むのも手です。

321 :
>>318-320
大変詳しくありがとうございました。参考にして自分でも調べてみたいと思います!

322 :
堀内氏善率いる熊野水軍に属した人物で
堀内氏善の親兄弟以外で諱のわかる人物っていますか?

323 :
信長の鉄甲船と朝鮮の亀甲船が対峙して戦闘すれば歴史に名を残した亀甲船の勝利なの?

324 :
鉄甲船は朝鮮にたどり着けず亀甲船の不戦勝

325 :
そりゃぁ鉄甲船じゃ渡海ムリだワナ。あんなの河口に置くだけの船だから。
でも信長なら他の方法取ってるだろ
例えば陸路で港を全部抑えてしまうとかさ。そうすりゃ亀甲船もへったくれもない。

326 :
つーか信長の鉄甲船なんて存在自体怪しい。
ぶちゃけ存在しなかったと考えたほうがいい。

327 :
ではどうやって毛利水軍駆逐した?

328 :
話がループしてるのはご新規さんが増えたからからなのか

329 :
>>327
上のほうでも話されてるが、結局は数。単純に毛利の水軍より多くの船団を織田が用意出来ただけの話。

330 :
しかも、織田(九鬼)水軍が劇的な勝利を収めて
以後、毛利水軍が近づけなかったみたいな印象あるけど
局地的勝利に過ぎず、その後も本願寺には水路で兵糧は何度か運び込まれてる。
最後の方で補給が行えなくなったのは、水上を封鎖されていたとか
織田水軍が強かったとかいうわけではなく
陸路の方で秀吉勢が優勢になってきて本願寺の支援どころじゃなくなってきたから

331 :
信長が巨船を作ったのは確かなようだが、宣伝に使われただけで実戦には投入されなかったと
考えられる。何故なら九鬼家に、その巨船を運用した記録も戦術も、一切残っていないからだ。
たとえ限定された戦況でのみの物でも、実用に足るものであれば、何らかの形で伝承されるのが
当然なのに、それが無いと言うことは、実戦にはまったく役に立たなかったと言う証拠だと言っていい。

332 :
宣伝ってどこの誰にだよw

333 :
畿内の世論に対してだろ

334 :
宣伝=プロパガンダって事だろ。
夏休みの宿題は終わったのか?

335 :
はーそりゃ豪気で結構

336 :
>>335
あからさまな夏厨過ぎだろwww

337 :
・鉄甲船はヨーロッパのガレオン船より強かったよ派
・鉄甲船はあったよ派
・巨大な船はあったけど鉄貼りではなかったよ派
・鉄貼りではなかったけど大砲は積んでたよ派
・鉄貼りでもなかったし大砲も積んでなかったよ派
・第二次木津川口海戦そのものがなかったよ派
・鉄甲船はあったがただの飾りだったよ派←new!

338 :
ちょっとでも戦果があれば、鬼のように宣伝しまくる織田家において、殆ど黙殺されているって事は、
まあ、存在自体がなかったかまったく役に立たなかったかのどちらかだわな。

339 :
要は日本の水軍では世界史に名を残す勇ましい朝鮮の亀甲船にはまったく歯が立たないってことだね
実際ボロ負けだったし。

340 :
>>339
早く病室に戻らないと先生にしかられるぞ?

341 :
ハハハこやつめ

342 :
>>339
当時の朝鮮や中国の史料では亀甲船の活躍の描写なんて極小なんだが?
世界史どころか自国史でも微妙な扱いをしてたのに、
第二次大戦後になって突然降って湧いたよう大々的な扱い。
さすがアジアを始めとして北米南米欧州アフリカ豪州の各地で
「ウソツキ」と呼ばれ忌み嫌われる人種の言葉ですな。
嫌われすぎにもほどがあんだろw
せっせと国技の「捏造」に精を出しておけよw

343 :
亀甲船はともかく、日本水軍がボロ負けだったのは事実だけどな
それよりも特筆すべきは、朝鮮に渡った武将の致死率。
戦死はもちろん、向こうの食いもんがマズかったのか病気で死んだ奴が多過ぎw
有能な後取りや家中を支える武将がバカスカ死んでるからな・・・

344 :
>>343
この当時の外征は基本的に戦死より病死のほうが多い。
ナポレオンのロシア遠征とか調べてみな。

345 :
>>343
日本水軍がぼろ負けって、朝鮮役の事しらなすぎ。
なんかドラマとかのイメージだけで語ってるでしょ。

346 :
>>339
朝鮮水軍は閑山島海戦において
推定兵力1500人前後の脇坂安治の水軍相手に
8980人もの損害を強いるという大活躍をしたしな
ボロ負けと言われても仕方がないよな

347 :
>>345
「不滅の李舜臣」のことか
あれはネタ的には見ておく価値はあるかも知れない
ttp://www.youtube.com/watch?v=ReN8bAbJNzQ&feature=related
ttp://www.youtube.com/watch?v=wruucp8HkGc&feature=related

348 :
なら、何故日本軍の兵站が確保できなかったのか?餓死・凍死者が続出したのか?教えて下さい。
十分な兵力と武器を有し、指揮官も優秀で、兵站も確保されていたなら
撤退する理由がないと思うんですが。

349 :
気候(日本で言うと北海道レベルの寒さ)
輸送路(荷駄輸送に適していない道だらけ)
水(風土病)
ここらへんじゃない?
兵站については朝鮮半島南岸には届いていたでしょ
ただ、そこから先の陸路輸送が滞っていた
もし制海権を日本が失っていたとすれば撤兵時に大混乱と大損害を受ける
はずなんだけど、それに関しては滞りなく撤兵している

350 :
・気候
そんなもん戦前から情報はあったはずなんだから(宗やら波多やら現地へ前から行き来してる連中はいるわけで)
準備はできたはず、なのにそれが防げなかったという事は物資が滞った証拠じゃないの?
じゃなきゃ、華々しい活躍をしたはずの日本指揮官が無能って事になる。
・水(風土病)
これも十分な物資があればある程度は防げるよね。食料事情が芳しくなく
寒さも防げず、体力が落ちたところにもってきての病気の蔓延でしょ?
大将とか御家の後取りクラスもバタバタ病気で死んでるし。
・輸送路
それも考慮して戦略練って兵站考えるのが将の務めでは?日本国内だって山道ばっかりのとこは腐る程あるわけで。
それを考えずにどんどん侵攻して兵站を絶たれたりしてるし。
別に制海権を完全に取られたとは思っていないが、(実際主力武将は行き来してるわけだし)
主に非戦力の輸送船団はバカスカ沈められてるし(つまり護衛するだけの余力水軍の能力・戦力がない)
撤兵時にも大損害とは言わないまでも島津とか苦戦を強いられてるよ。
楽々撤退できたわけじゃない。
また、撤退時は主力をほぼ全部載せてるわけだから、戦力も整ってるけど
戦中の輸送船は主力武将は戦地(陸)で戦ってるわけだから、そんなに戦慣れしてない連中が任に当たってた事が多い
だから輸送が滞ったんでしょ。陸地では連戦連勝だから、朝鮮・明など弱い弱いと兵站担当の官僚が舐めてかかった結果。

351 :
朝鮮の役については専門スレがあるからそっちで頼むわー

352 :
朝鮮の役の水軍衆の活動についての話ならスレ違いではない

353 :
江戸時代じゃなくて戦国時代の軍船の史料ってあるの?

354 :
そりゃ村上水軍を中心にいろいろあるべな

355 :
>>353
信松院の安宅船や関船の模型とか

356 :
九鬼家だって大名として残ってるしな。

357 :
>>355
江戸時代の作でしょ?

358 :
>>357
だから?

359 :
絵として戦国時代の船は伝わってないだけ
文章で表現した史料なら色々とある

360 :
>>359
だから例えば?

361 :
>>357
朝鮮の役に参加した人が、実際に使われた船の模型を献上したんじゃなかった?

362 :
>>360
お前は戦国や安土桃山期と江戸期が、断絶した歴史だとでも思ってるのか?

363 :
>>362
これまでの流れを読むと
>「戦国時代の軍船」の史料
ではなく
>戦国時代の「軍船の史料」
が知りたいんじゃないか?
それなら戦国時代にこだわる理由がわからんでもない。

364 :
そうだなメジャーな物だとフロイスの日本史にもあるぞ

365 :
マイナー物だと「志州鳥羽船寸法」

366 :
朝鮮出兵の時の軍船の絵なら「肥前名護屋城図屏風」
精密な絵とはいい難いが一応リアルタイムで描かれたもの

367 :
船腹なんて三国共に似たような物でしょ?

368 :
>>360
散々ソース聞いておいて感想はどうした

369 :
戦国時代の伊達や南部は水軍持っていたの?


370 :
まったく素人のたわごとだけど、
今のフザン辺りまでは日本側の制海権あっただろうが、
西側は、島が多いし、海流等の地理的知悉は朝鮮水軍に圧倒的な利が
あり有利だった、と思うが。
朝鮮も、小早川秀秋の大輸送部隊狙った時は、東に流されすぎて全滅したよね。
日本、西側の制海権では苦しかったのでは。
だからソウル辺りまでの海上輸送のあてが外れてしまった。
で、兵站が尽きた、と思っていたが。

371 :
日本軍の兵站は最初っから貧弱だった。
朝鮮水軍の活動でさらに苦しくなったのは確かだが、どのみち
朝鮮からの徴収、もしくは略奪なしでは、食っていけない状況だった。
これは外征だからと言う理由だけでなく、豊臣軍の兵站は日本国内の戦争でも
言われているように強力なものではなく、小牧長久手でも九州でも小田原でも、
兵糧不足に陥っている、ギリギリのものだった。
日本国内で軍の兵站をフォローしたのは商人による商業流通だったのだが、朝鮮国内では
それが通用せず、日本軍は初期に持ち込んだ食料を食い尽くすと、たちまち飢えに苦しむ事になった。

372 :
>>369
津軽から安東氏を追い出した時に水軍吸収したが逃げられましたw>南部氏

373 :
伊達は水軍持っていたの?
佐竹は河と湖の警備部隊みたいな小規模な水軍は持っていたらしいが。

374 :
>>371
そう言われてみれば、20万人での渡海しての遠征長期戦というのは、
当時の世界的規模からいっても無理っぽいですなあ。
今の将軍様みたいに、イエスマンしか秀吉の周囲に居なかったからかな。
水軍、どうのこうの以前の問題なんですね。

375 :
保守

376 :
保守

377 :
安宅丸って実際戦ったらものの役に立ったかね

378 :
>>373
戦国時代の伊達領には海も大河もないから水軍なんてあるわけないお( ^ω^)
江戸時代に入って仙台城下や塩釜・石巻が整備されてからは水運が活発になったけど

379 :
>>378
> 戦国時代の伊達領には海も大河もないから水軍なんてあるわけないお( ^ω^)

それでも河はあるからパトロール部隊程度はなかったのかな?

380 :
よく「徳川幕府がマストの数を制限〜」なんていうけど、制限されるまでも無く安宅船って
1本マストだよな。名護屋陣屏風なんて見ると櫓が2つ3つ乗っているような超大型安宅船でも
1本マスト。
つーことは、朝鮮にも1本マストの船で渡ったってことか?

381 :
帆の長さなどについては色々書かれているけど本数については一本しか見た事ないお( ^ω^)
江戸時代の規制も基本的に軍船の話しで商船については余り規制はなかったお
和船は中央に一本帆柱を立てるのが普通で、あとは弥帆のような補助的なものが付く程度だお( ^ω^)
>>379
渡し舟ぐらいはあったから舟が軍用に全く運用されていなかったとは言い切れないけど
少なくとも水軍と呼べるようなものはなかったはずだお( ^ω^)

382 :
大陸の大河じゃないから河をパトロールしてもしょうがないよな
敵は普通に浅瀬を渡ってくるだけだろうし
猪苗代湖に湖賊とかいたのかな?

383 :
伝令用の早船はなかったのかな?

384 :
>>382
> 猪苗代湖に湖賊とかいたのかな?

琵琶湖と霞ヶ浦にはたくさんいたのではなかったか?
猪苗代湖にも多少はいたのでは?

385 :
俺も琵琶湖と霞ヶ浦は聞いた事あるけど
猪苗代とかは聞いた事ないな
場所的に琵琶湖とか霞ヶ浦は
いろんな諸勢力が戦う戦場としての渡河拠点として必然性があったのかもしれないが
猪苗代辺りは蘆名がどっかといたから、需要もなかったんじゃなかろうか

386 :
地味だけど川賊ってのもいるよね
木曽川の川並衆とか

387 :
川並衆はべつに賊なんて連中じゃないぞ。

388 :
今の水軍情報募集。
サーファーやってるん?

389 :
琵琶湖と霞ヶ浦以外で湖賊がいたところある?

390 :
浜名湖や宍道湖、中海には居たような気がしないでもない。

391 :
川賊はどこにいたの?


392 :
大きな川の上流。今は、ダムで埋没?

393 :
上杉謙信は、強力な軍艦で、南蛮船を追い払ったらしい。

394 :
聞いた事ないなあ

395 :
>>391
蜂須賀とか前野がそんなんじゃなかったっけ?

396 :
流通のあるところには大抵居たでしょ

397 :
保守

398 :
津軽為信ってココでもドコかずれてるんだけどさヘンな武将が多いのよ
水軍じゃなくて、海賊大将ってのがいたんだよ
海賊だよ?海賊・・・水軍って呼ばれてる時代に海賊
略奪とかしてたかどうかは知らないけど、ガンガラ穴の小野茶右衛門とかね
でも、子分が久六島を見つけて日本海海域を広げることに貢献したからただの海賊よりマシなのかも

399 :
水軍て呼ばれたのは江戸時代からで
あの時代は村上も九鬼も皆海賊、頭は海賊大将て呼ばれてたよ
ヘンどころか至って普通

400 :
>>398
> 津軽為信ってココでもドコかずれてるんだけどさヘンな武将が多いのよ

他の大名家をなんらかの理由で退散した人や、主家が倒産した人を
けっこう雇っているな。
ただ、江戸時代の津軽藩は幕府に遠慮したのか水軍は持っていない。

401 :
つーか水軍って言うのは基本海域の通行料を取って活動資金を得るわけで、
それが得られない場合、大名家に取って負担ばかりが過大になるんだよね。
陸上と同じく海も基本的に自由通行の認められた豊臣、徳川期では、水軍が
リストラされるのは当然。

402 :
>>400
>他の大名家をなんらかの理由で退散した人や、主家が倒産した人をけっこう雇っているな。
服部とか北畠とか石田とかね。
早くから中央との関係を重視してて、上洛する事も多かったみたいよ

通行料だけじゃなく、貿易でも儲けてたけどね。
まあ、それも江戸幕府じゃ幕府が独占する事になったんで水軍の需要は激減したわけだが

403 :
幕府が諸藩の水軍を警戒したってのもあるだろ。

404 :
・やたら金がかかる
・貿易は幕府の統制下
この状況で大規模な水軍を維持するなんて、幕府への謀反を考えている以外
理由はないからな。

405 :
外様藩の中で水軍が充実していたのはどこだろ?

406 :
大安宅丸 30丁艪 砲3門
伝法丸   37丁艪 砲1門
福島丸   60丁艪 砲3門

407 :
【速報】原因不明の爆発で韓国海軍哨戒艦が沈没 104人乗り 砲撃音の情報も
http://yomi.bbspink.com/test/read.cgi/801/1268058997/

408 :
>>405
前田100万石の水軍はどうだったの?

409 :
うちの先祖も勘合貿易やってたのかな?

410 :
前田って関ヶ原の時大谷吉継が水軍で前田領を襲うって噂が流れただけで、大慌てしていたような。

411 :
大谷吉継の水軍といっても前田領をかく乱できる程度でしょ。

412 :
>>411
だから>>410はその撹乱に対応できるかどうかくらいの水軍しか
前田家にはなかったと推し量れるって言ってるんだと思うけど。

413 :
hosyu

414 :
ニュース速報で、安宅船が
【文化】 宮崎駿監督 「電車の中でゲーム機のようなもの、iナントカ(iPad)を自慰行為のようにさする人間…嫌悪すら感じる」★4
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1279079096/
 宮崎さんはiPadで得られない大切な情報として、「安宅(あたけ)型軍船」を挙げた。欲しい情報は
 この軍船の漕座の雰囲気や、漕手の生活や心理状態。こうしたことはiPadを使っても探し出すのは
 不可能。「安宅型軍船」の情報は、様々な記録から自分で推測するしかないし、大切な情報は
 自分でその場に出かけていって想像力を注ぎ込んで初めて得られるものだという。

415 :
水軍ものやるつもりなんかね

416 :
>>414
なんの関心が?

417 :
保守

418 :
>>350
>そんなもん戦前から情報はあったはずなんだから(宗やら波多やら現地へ前から行き来してる連中はいるわけで)
>準備はできたはず
>じゃなきゃ、華々しい活躍をしたはずの日本指揮官が無能って事になる。
当時は温度計なんてありませんよ?
言葉で「冬はとても寒い」と伝えるしかないので、権力がある人に「気合いでなんとかなる!」と反論されたらどうしようもない。
華々しい活躍=直接戦うのが得意≠気候やら何やらの準備をする
兵站に関して無能ということはそういった事も舐めている可能性が高いということだよ。
その証拠に、寒さに強いはずの上杉軍や伊達軍を戦わせないまま戦争が終わってしまったし。
>・水(風土病)
>これも十分な物資があればある程度は防げるよね。食料事情が芳しくなく
>寒さも防げず、体力が落ちたところにもってきての病気の蔓延でしょ?
風土病というのは日本に無い病気のこと。
つまり体の中に免疫が無いから感染する病気。
体力は関係ない。

419 :
>>418
> その証拠に、寒さに強いはずの上杉軍や伊達軍を戦わせないまま戦争が終わってしまったし。

寒さに強いはずの南部や津軽や松前も使いこなさないままで終戦だっけ?

420 :
伊達は風土病で多数の死傷者を出しているだろ

421 :
つーか、この出兵でもっとも痛かったのは
有能な武将や、その子息・跡取りが風土病でパタパタ死んじゃったのが
もっともでかかったと思う。
下手すりゃ有名どこは戦死より病死(帰国後まもなくとかも含む)が大多数じゃなかろうか。

422 :
そういやどうして日清戦争でこの教訓を活かせなかったのか
戦没者の8割が病死だからね

423 :
日本人は歴史から学ばないからね。

424 :
>>422
1次対戦も戦没者のほとんど病死だぞ。
つーかごく最近になるまで戦争はそんなもんだ。
おまえみたいなのや>>423みたいな当時の実情を知らずに分かったようなことをいうバカには
ほとほと呆れ果てる。

425 :
日露戦争じゃ病死者の割合はがくっと減ってるよ
そりゃ日清戦争であれだけ病死者が出れば考えるだろう
唐入りの時を考えれば日清戦争の病死者はもっと少なかったかもしれないって話

426 :
そんな関係ない話はお前の好きなようにしとけ。

427 :
>>425
10年しか離れておらず経験者がほぼ重なっている日清日露と、
300年以上離れている唐入りと日清戦争が同列に語れると思う
お前の頭の内部構造を除いてみたい。

428 :
でも、1570年台に日本が散々やってきた河川や大気の汚染問題を
中国が繰り返すと現代日本と同列にして語るのは何故なんだい?

429 :
色んな意味で恥ずかしいやつだな>>428

430 :
>>429
どこがどう恥ずかしいのか「いろんな」ってくらいだから
列挙できるんでしょ?具体的に言ってみ?できるんなら

431 :
>>422
>>425
>>428
具体的に列挙してみた

432 :
>>431
全員、書き手が違うし
そのレスが各々、どうおかしいのかも「具体的」に指摘してない。

433 :
賀正あげ

434 :
安宅船が出てきそうなゲームが全然ない
つかここに出てくるキャノン船って実際にあったのだろうか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13946367

435 :
>>434
それは大阪冬の陣で九鬼義隆が造った盲船が元ネタ
中西立太の復元図そのままだし

436 :
テス

437 :
一般には あたけ船と 読まれてるが あたぎ船のような気がす・・・

438 :
信長にその実力を見出だされた九鬼水軍一党も、徳川幕府により内陸の摂津三田に転封され、ここに九鬼軍艦は、三田城堀割に浮かべられ、九鬼水軍の象徴としての意義を有するに留まった

439 :
そもそも九鬼水軍はあんまり強くない。小牧長久手でも武田水軍を引き継いだ徳川水軍に
散々にやられているし。

440 :
3月の教育テレビの「歴史は眠らない」でも村上水軍やってたよ〜

441 :
あげついでにわりとどうでもいい話
少女漫画家の一条ゆかりの母(故人)は村上家の直系子孫だそうな

442 :
水軍は
村上が最強だろう
河野は海上がそこそこ強いが陸がからっきしダメ
長曽我部は海上も陸上も強かった
何が言いたいかと言うと四国のスレだねここ

443 :
竹島沖海戦
安宅船艦隊が大活躍!
http://www.youtube.com/watch?v=_5Mjo_gJkjU&feature=related

444 :
三回忌

445 :
鯖が飛んだので保守

446 :
仲良い大名の手伝いしたら水域もらえたりしたの?ちゃんと領地もらえるの?

447 :
税取立ての許可とか

448 :
>>434
亀だが、ほい
ttp://www.4gamer.net/games/013/G001372/20100930046/SS/044.jpg

449 :
これ何のゲーム?

450 :
大航海時代オンラインです。
448の画像は大安宅船。造船する時に材質を選べるので
私は銅張りにして、「御船 安宅丸」と名付けて楽しんでる。

451 :
大航海時代ってあれだな、東海の

452 :
『朝鮮海』じゃなかったか

453 :
質問なのですが、室町〜戦国時代の水軍で弓は使われてたんでしょうか?

454 :
>>453
火矢は古代から使われていたと思うが。

455 :
>>454
ありがとうございます
水軍といったら投焙烙だとか石火矢とか、そういうイメージしかなかったんですが
言われてみると火矢もそういう類でした

456 :
倭寇
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1316317307/l50

457 :
>>453
当然、水戦では投射兵器は重要だよね。
義経が勝ちたいがために、当時の道徳では非戦闘員とされていた水主を弓で重点的攻撃目標にしたのは有名。
将を射るならばまずは馬を射よってのはそう言うことだとおもう。

458 :
>>442
長曽我部の水軍て兵站輸送が主でしょ?

459 :
>>458
たしかそうだが、それでも大型船だったはず。

460 :
>>459
土佐水軍は池氏だよね?
隣の阿波の土佐泊の水軍や河野水軍・来島水軍・能島水軍の方がインパクトが強くて

461 :
>>460
長宗我部水軍は結果的に戦闘よりも兵站とか伝令で活躍したからね。

462 :
小田原の役の際、秀吉に鯨を献上したとかって話は長宗我部水軍だっけ

463 :
だと思った

464 :
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 4
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/780-830
第二次木津川口の戦いについて

465 :
保守

466 :
塩飽水軍は

467 :
多門院日記

468 :
毛利 大友の戦争の門司城の戦いに付随して起こった
豊前[ 蓑島 OR 簔島 OR 簑島 ]での海戦
http://iyo-sengokushi.blog.so-net.ne.jp/shodaibu-hosoku
http://kelog2009.seesaa.net/article/113764158.html
この海戦について調べてるんですけど
他に詳しいサイトありませんか?

469 :
>>468
この海戦は初めて知った

470 :
航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50

471 :
豊前今井・元長船合戦図 ぶぜんいまいもとながかっせんず
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=75752
永禄4年(1561)の大友氏と毛利氏の豊前門司城の争奪戦に関連し、同年11月に豊前今井・元長(福岡県行橋市)沖で起きた大友水軍と毛利水軍との船合戦を描いたもの。
湾内に待機する大友方の奈多・鶴崎・竹原の兵船を、毛利方の村上掃部頭武吉・来嶋河内守吉次・因嶋村上新蔵人吉充らの兵船・丸木船が取り囲む様子が描かれている。
付書によると、大友の兵船は300余艘、毛利軍は兵船800艘・丸木船400艘・軍士3700余騎とある。

472 :
>>468
>>471
http://www.kuroyaryusaku.com/history-table/2011/10/1561_1.html
9/8:児玉就方率いる毛利水軍が豊前蓑島で大友方と交戦し、警固船八艘と十三人を生け捕りにする。
10/12:毛利方村上水軍が豊前沼江にて大友方と交戦する。
11/2:毛利水軍が豊前今井、元長を攻め、大友方の軍船数十艘を奪う。

11月2日の海戦を 「蓑島合戦」と呼ぶのか、それとも
「蓑島合戦」は9月8日の海戦のことで、11月2日の海戦は「今井・元長合戦」なのか
よく判らん

473 :
>>471
> 付書によると、大友の兵船は300余艘、毛利軍は兵船800艘・丸木船400艘・軍士3700余騎とある。

当時の水軍力は毛利かなり優勢ということかな?

474 :
そりゃそうだ。毛利直属水軍に村上水軍も加わってるんだから最強
大友水軍が太刀打ちできないのは当然。

475 :
丸木舟って単材刳船か
まだ古代みたいなもの使ってたんだなぁ

476 :
まだ日本には巨木が多かったんだな

477 :
【家船】水上生活民【モーケン族】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1327100191/l50

478 :
間違って下げてしまった。

479 :
保守

480 :
税の取立てが収入です

481 :
そう言うと陸の大名と変わらんね

482 :
そりゃそうだ。

483 :
韓国ソウル
世宗文化会館
大砲ゲーム
http://www.livexseoul.com/util/imgView.htm?type=o&img=http://www.livexseoul.com/editorimg/article/201008/100805_sejong/sejong89_t.jpg
夏休みを利用されて観覧に来ている家族連れのかたが多く、こちらの体験コーナーは子どもたちに1番人気の高い場所でした^^* みなさんもぜひぜひ体験してみてくださいね♪♪

484 :
保守

485 :
4

486 :
【マレー】オーストロネシア語族【ポリネシア】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1331906002/l50

487 :
夏なので保守

488 :
潮風

489 :
>>468-472
大日本海志編纂資料|第五部門 史書雑纂|一 軍記
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/category/cate_5_1.html
今井元長浦船軍紀
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/pages/5-1-08.html
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/pages/5-1-09.html

490 :
5-1-08
今井元長浦船軍紀  (5/11〜5/12)
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/pages/5-1-08.html
十一月朔日の夜半計に赤間関を押出し・・・
(略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大舩三艘に萱を
高く積上け下に炮禄を数多ハサミ今井の湊に推入
敵舩の間に繋かせ鬨の声と相圖の旗上は其時
舩に火を掛よと教えける角て十一月二日の暁
海面も未晴峯の横雲も未曳に一千余艘の兵船
家々の幕をはしらかし一手々々の舩印を推立
・・・・・・・・・・・
(略)

491 :
大日本海志編纂資料|第七部門 絵画・図巻|三 絵図
7-3-13
三嶋流今井津浦船戦図
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/kaishi/category/cate_7_3.html
この絵図には
入江の相対する位置に今井集落と元長集落があり
簔嶋は沖合に浮かぶ島

492 :
刈屋畑の戦いは関が原時の地方戦の中でも知名度低いよね
もっと有名になってもいいと思うけど

493 :
水軍技術上げて、水軍適性武将引き抜いて、強力な水軍編成、全国一周荒らしまくりたい。

494 :
大航海時代の西洋帆船や同時代の軍船である戦国時代の安宅船、関船、
織田信長の鉄甲船などが激突する戦術シミュレーションゲームです。
Androidアプリ
Sengoku Navy 戦国水軍Lite

495 :
【NMB48】「村上水軍」の末裔 元つぼみ 村上文香(19) 総選挙で下克上へ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1364903410/

496 :
てす

497 :
安宅船、関船・小早・鉄甲船などの
和軍船、の三面図とかあるHPってありませんか?
それとガレオンとかの三面図とか

498 :
江戸時代に書かれた武田の安宅船の三面図が合ったような

499 :
三面図かどうか忘れたけど学研のムックに図があったような

500 :
「安倍の祖父の岸信介は、戦前は原爆開発、戦後も原子力政策に関与してした。
親父の安倍晋太郎は、ロシア日本カレッジという研究機関の設立に出資し、
この機関はオウム真理教によって運営されていた。安倍晋三は神戸製鋼に勤めた時期があるが、
この時の同僚の一人が村井秀夫(後のオウム真理教幹部にして、暗殺された男)である。」 
オウム真理教の「宗教法人申請」を東京都は拒否し続けていました。
それに圧力を掛けて強引に認可させたのが、時の運輸大臣だった「石原慎太郎」です。
地下鉄サリン事件が起こると、自分への繋がりがバレる前に石原慎太郎は突如国会議員を辞めます。
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=46952#more-46952
安倍の実兄は三菱商事、本体の三菱重工は、日本を代表する軍需産業である。
日本が戦争をしなくても、暴利をむさぼっている軍需財閥で知られる。
三菱は安倍の祖父・岸信介の力を利用して、戦前はいうまでもなく、
戦後も米戦闘機や戦車のライセンス生産をして、戦前を上回る武器生産メーカーに成長した。
防衛予算のほとんどを懐に入れている、と見られている。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52032515.html
三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった。
日本で製造→アメリカに提供→イラク攻撃 の流れで使用されているのではないか?
http://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-7f2c.html
なぜ石油があったか考えてみたことありますか、これはですね戦争のときに、
アメリカは日本には石油を売らないと、ところがパナマ国籍の船ならば、
石油を積んでいって日本に売っても、自分達は攻撃できないというような理屈で、
日本に石油を間接的に売るわけです、本当の話です、でこれに三菱が作った昭和通商という会社が、
それを引き受けるわけです、で昭和通商と三菱は同じですけど、そこでまずいので、
日本水産という会社が代行するわけです、魚を運ぶということではなくて、
魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって、持って帰るので戦争は長引くわけです。
太平洋でいっぱい戦争しました、あれはアメリカの石油をもらって、
アメリカの石油を使った軍隊と戦争ゴッコをやったっちゅーことですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes

501 :
K国人の妄想
http://www.baedalnet.com/data/file/bestboard/1147495724_jiKbhEFa_71480_1.jpg
 ↓
http://www.baedalnet.com/data/file/bestboard/1147495724_4mMudt36_71480_2.jpg

502 :
>>500
おいおい、URL先すべてが、
安重根マンセー、ナンキンガー、イアンフガー、ニホンノコリツガー
ケムトレイルガー、ゼンリョウデカワイソウナチョウセンノカタガタガーじゃないか。
■統一教会と関係があるというデマと大量の壷コピペ


(安倍は統一教会を警戒、しかし関係団体「天宙平和連合」からの祝電依頼を事務所が受けて、
統一の関係団体と知らずに返信してしまう
しめたとばかりに、反日工作員は「安倍=カルト」と事実無根の中傷)

503 :
保守

504 :
鉄甲船の模型なんて売ってないでしょうか。
20〜30cm程度の長さが理想です。

505 :2013/09/13
>>371
実は日、明、朝鮮の各種記録には、李舜臣・朝鮮水軍のせいで
補給が苦しんだという記録は一切ないのが事実。
李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(文禄の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_10.html
李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(慶長の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_9643.html

ちなみに文禄初期に補給不全が起きた要因は、
人手不足と険阻な道、冬季到来による部隊の移動制限、
これも冬季到来による日本、対馬、釜山間の海峡の荒波による
渡航制限、輸送隊の往復の糧食の消費等々。
1594年、春が到来して海峡が穏やかになると、
一挙に補給が再開されて、釜山には物が溢れていて
一年半以上も持ちこたえられると記されている。
で文禄の経験を活かした秀吉と日本軍は、
慶長の役では綿密に準備と作戦を練っていたので、
補給不全もおきてないし、戦略・戦術も計画通りに進んだ。
「補給で苦しんだ」といえる時期は、
1592年7月-1594年の春の期間で、
とくに北にいた小西隊や加藤隊が中心。
南方の毛利軍は物資に溢れていて野菜の種までもっていたと記されている。
>>504
残念ながら聞かないな。
博物館とかで展示されているのを見るしかないな。
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