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2013年17戦国時代19: 【疑問】スレ立てるまでもない質問12【戦国時代】 (276) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【疑問】スレ立てるまでもない質問12【戦国時代】


1 :2013/08/15 〜 最終レス :2013/09/15
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11 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1362228842/

2 :
池上裕子氏の本はダメと書いてる人がいましたが、どんな点がダメですか?

3 :
>>2
「俺が気に入らないからダメ。」
書いてあることはまっとうだぞアレ。信長信者は気に入らんのだろうが

4 :
私も個人的にはちゃんと一次史料引用がされてて良書だと思うのですが
アンチさんの意見も聞いてみたいので。
池上氏のアンチさんは池上氏の本はどのような点がダメだと思いますか?

5 :
一次史料をきちんと引用しているのはいい
ただその解釈がちょっと我田引水というか結論ありきになってないか?とは思う
でも読んでおく価値のある本は多いと思うよ

6 :
ムリムリに信長をスーパーマンにしようとする連中よりはるかにマシなんだよなあ…

7 :
>>5
具体的にどのような点がでしょうか?
佐久間譴責状から、織田の動員体制を逆算してる点でしょうか?

8 :
1554年の朝倉家の総鉄砲数ってどの位だったんでしょうか?

9 :
前スレの続きだが、歴史研究に携わるなら
「結論ありき」の政治や思想をもつべきはないだろう。
ゆうこりんは、「アベは信長に似てる」という文脈の
インタビューで受け答えしてるわけで
そこで「権力者は嫌い」もあったものではない。
つまり、一次史料の引用、というのを
「結論ありき」でしているわけだ。
では具体的にどこがおかしいですか、と言われると
まずそういった「特定の政治、思想の下に
導き出されたものである」というのをどう思うか
というところからはじめないといけないのではないか。
「好き嫌い」から始まっても、研究、解釈的に
矛盾がなければ学術的に意義がある、という答え方が
よくされるわけだが、好き嫌い&人民史観の解釈自体に
「矛盾がない」といわれても、もはや「歴史解釈」以前の問題である
と、そういったレベルの問題ではないか、ということね。
例えば「アベが嫌いだからアベノミクスは反対」とか
「消費税は嫌いだからなんとか」とか実際に言う政治家はいるし
理屈では「矛盾のない主張」ぐらいはなんとでもなる。
それ自体がどうかとは思うが、学問の世界でその手法では
「推して知るべし」と思うわけでね。
少しウザくて悪いが、そのインタビュー自体が
非常に気になったもので、せっかくだからということで。

10 :
>>9
そういうお前の好き嫌いからの中傷的なことではなく
書籍の文章から具体例を挙げてかけよ。

11 :
ID:lBc0JS+X=アスペルガーだが
嘘吐き荒らしなのでかまっちゃダメよ
ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130816/bEJjMEpTK1g.html

12 :
>>9
>ゆうこりんは、「アベは信長に似てる」という文脈の インタビューで受け答えしてるわけで
>そこで「権力者は嫌い」もあったものではない。

前後の文が繋がっていないようにみえますが、いいたい事がよくわからないのですが。
そのインタビューを受けた事と権力者が嫌いと、書籍の内容の論述記述とどのような関連性や間違いに繋がっているのですか?
>つまり、一次史料の引用、というのを 「結論ありき」でしているわけだ。
すみません。権力者が嫌いな事と、「結論ありき」で一次資料の引用を行う事は特段論理的に繋がらないと思うのですが?
>「特定の政治、思想の下に導き出されたものである」というのをどう思うか
具体的にどのような点が「特定の政治・思想の元に導き出されたものである」とあなたは考えますか?
>「好き嫌い」から始まっても、研究、解釈的に矛盾がなければ学術的に意義がある、という答え方が よくされる
好き嫌いは誰でもあると思うし、またそれが史料解釈に繋がったら問題だと思うが池上氏の場合どのような点がそれに繋がってるとあなたは考えますか?
また、他の学者の意見と比べて、特にその好悪の表れが著しいと考える点はどういったところでしょうか?
>好き嫌い&人民史観の解釈自体に「矛盾がない」といわれても、もはや「歴史解釈」以前の問題である
池上氏の主張のどのあたりが、好き嫌い・人民史観だと思いますか?
また、他の歴史家や学者と比較した場合、それが著しいと思う点はどのような点でしょうか?
>理屈では「矛盾のない主張」ぐらいはなんとでもなる。それ自体がどうかとは思うが、学問の世界でその手法では「推して知るべし」と思うわけでね。
歴史家や学者も人間なわけで、どうしても多少なりとも史料解釈に好悪は入ってしまうのではと思いますが、池上氏の場合どのような点にそれが現れていると考えますか?
>少しウザくて悪いが、そのインタビュー自体が 非常に気になったもので、
どのような点が気になりましたか?

自分は池上氏の本をいいものか悪いものか判別はつかないのですが、個人的には割りと気に入ってるのですが、ダメだという意見もチラホラ聞くので、
具体的にどのような点がダメか、アンチの人に教えていただきたいです。

13 :


14 :
>>8
そんな限定的な期間での鉄砲保持数なんて朝倉家のどこの資料にも探してもないと思うよ
朝倉家と鉄砲の関連した記述だと
・明智光秀が鉄砲の腕前を当主の前で披露したことがある
・羽後・羽前の下国氏に当時高価だった鉄砲を一丁送り、その返礼に名馬を贈られた
・薩摩島津氏に琉球貿易の仲介と鉄砲の安価な入手方法を相談したことがある
ぐらいしか記憶にない
朝倉家で鉄砲が戦場で使用したという記述は思い出せん。相手に使われて撃退されたみたいな記述ならあるが

15 :
>>12
マジレスもなんだけど
色眼鏡をかけてたら全部「色」がつくよね。
だから、色眼鏡はずしてほしいのだけどわかります?
個別の文脈で「つながらない」というのは
ここ数十年の研究史をまとめてるからで、
申し訳ないけどわかる人にはわかると思う。
だから、具体的に答える前にそっちゃがゆうこりんから
ハッシからダイモンさんの新刊とか読んでたら答えるけど
それを勉強してないなら>10みたいなのには
答えようがないんだ。
ちとマジでいうと、若い人は学校の試験みたいな
レスを期待してるんだろうけど、歴史解釈と言うのは
そういうものじゃない。
人文学は理系とは違って「証拠」を提出するものではない。
このあたりから始めないといけないから
あなたのすべてのレスは「気に入ってるならオッケ」という
範疇で、答えようがない、ということなんですよね。
繰り返すが「イタリアが一番」という人に、イタメシもセリエAも
「ちと古いんじゃね?」といっても、こっちが「その証拠を提示しろ」と
言われたら困ってしまう。
それだけのことなんだ。
ゆうこりんも桐野も藤本も、かなり弱点承知で強弁しはじめてる。
金子なんかは、ぐらいついてる、というから正直でいいし
本郷は逆に開き直ってて好感がもてる。
こういう、すべての研究者が相反する解釈してるのを
俯瞰してると、とっても楽しい。
で、好き嫌いは誰にでもあったら困るよね。
ましてや史料解釈で・・
ま、しつこかったら申し訳ないけどね。

16 :
これはちょっと・・・

17 :
すみません、終戦記念日でたまたま太平洋戦争で旧日本軍の無謀な作戦(例:アウトレンジ戦法やインパール作戦)
の数々を知ったのですが、世界的に見て旧日本軍の戦争レベルは低いのでは?と思ってます。
戦国時代(100年間)の戦争レベルって当時の諸外国からすればどんなレベルだったのでしょうか?
やはり島国で井の中の蛙レベルだったのでしょうか?

18 :
>>17
アメリカの戦後の研究では、太平洋戦争は戦術戦略関係なく、ごく単純に戦力差通りの期間と規模で日本は降伏したとしている。
戦術戦略レベルが云々というのは、「そこが良ければ勝てた!」と思い込みたい日本人のRーに過ぎん。
馬鹿の妄想

19 :
>>17
戦略と政治は特に語らない
戦術はWW1を本格参戦してないので本格的な近代戦を戦ってないので
欧米に比べると遅れてるという話は確かにあるね
ただ本当に遅れてるならイギリスやオランダを南方からたたき出したことの説明は出来ないよね
あとペリリュー島、硫黄島と沖縄戦あたりは
限られた条件の中で最大限ねちっこく戦ってて戦術的にはもの凄いぞ

20 :
池上裕子の日本の歴史15織豊政権と江戸幕府で
信長の貨幣政策について書かれていて絶句する部分っていうと
確か1565年からの畿内近江での米価上昇、貨幣の混乱は
上洛後の信長の貨幣政策・撰銭令が悪かったから
信長の貨幣政策経済市場政策は間違っていた信長は日本を混乱させただけ
みたいなこと書かれている部分かな

21 :
何も間違ってないんだけど。
結局信長は一再有効な手を打てなかった

22 :
>>20
んなこと書いてあるか?どこのページよ

23 :
小規模の興福寺(永禄8年・永禄10年)や浅井氏(永禄9年)の撰銭令の猿真似をした
織田政権は上洛した翌年に撰銭令(永禄12年)を広範囲に出して
多くの悪銭を畿内で流通させインフレ経済崩壊を招いた愚か者。
悪貨が良貨を駆逐するの例えどおりに重度に悪銭が畿内に集中し、
他地域では良銭が流通したため畿内→外地域での決済において拒否が続出。
そのため元亀2年辺りに至ると物々交換と言う古代時代に戻ってしまったw
元亀2年から天正8年の時期は信長の命令は無視され決済拒否される悪銭は使用さなくなり
そして天正8年に至ると石見銀の流通が活発化した。
一方の信長は永禄11年12月の誠仁親王の元服という晴れの舞台において
無礼にも流通拒否され有り余る腐れ悪銭ばかりを献上して朝廷の公家達を激怒させている。
このように信玄の上洛とは畿内経済の破綻による生活苦による大規模一揆の隆盛。
東国経済の飛躍的向上に裏付けられた時代の流れなのである。
東国では悪銭でない永楽銭が信長の失政で信用低下著しい京銭4文との交換比率になっていた。
これが信玄の6万の上洛軍の背景であり、この時、貧困織田軍は1万しか兵力が集められず
京で略奪恐喝殺戮をやって資金調達するゴロツキチンピラに成り果てていた。
この信用不安を解消する手を打ったのは秀吉。
豊臣政権は撰銭令を撤廃し米主体の石高制を採用し河川流通を整備するや
景気低迷を脱して桃山文化の香る時代が招来している。
とくに天正大判を発行するなど信玄の政策を継承した金融政策である
秀吉の金本位体制は西欧重商主義と金融資本の概念を先取りしていて驚愕的である。

24 :
ゆうこりんは、あの15巻以来メジャー論文は
出してないのだけど、あれを元に今頃語ってるのは
夏休みの中高生ってことか?
こないだ久々に一般書出したけど
それは誰も相手にしてない。
せいぜい黒田とか東の研究者間で
人民史観解釈してるぐらいなんだけど
それすら読んでないのが2ちゃんってことかな。
あの時代を貨幣うんたらだけで解釈するほうが
頭どうかしてるんだが、マジで信長、秀吉を
「経済感覚」で論じようとするのなら
相当にヤバいと思うぞ。
清盛の時すらそういうのが多くて
どこまでマジかレスしようがなかったもんだが。
「信長は経済的に無能だった」なんてのもすごいが
そっから「信長アホ論」にまで結び付けてるのは
さすがに2人ぐらいしかいない。
というわけで、なんでゆうこりんがこんなに
今頃話題になるんだ?

25 :
結局、信長公記の内容をそのまま肯定し、
信長マンセーし崇拝する内容の本しかアホ織田原人ども読みたくないってことだろ。
需要と供給を考慮せず、
中立性の視点で書いた池上は購入層の嗜好を汲んで書けと織田原人は主張してるわけだ。
似たり寄ったりの本しか読まない自慰猿織田原人。
武田の論文は組織論や内政体制論などいろいろあるが、
織田なんて内政も組織化も軍事改革も書けるほどの内容は皆無だから、
研究する価値すらないから原人はマンセーだけしてればいいと思うよ。
だって織田は足利幕府に寄生して武辺道を奨励していただけだもの。

26 :
>>24
人民史観って何?
あと、経済感覚がおかしいとかどんな点が?

27 :
得意技レッテルを貼りだろ。
都合が悪く、自分の意に沿わぬ言説は何でも噛み付きレッテル貼れば論破できたことになるのが織田原人脳。

28 :
あのレベルごときで人民史観とか決め付けちゃうあたり
時代錯誤の左翼脳在日織田厨そのものの思考w
なるほど確かにいまだ信長論は東西冷戦時代から
大して変化がないな。
織田好き読者層が愚鈍で変化を怖がる無知なのを傍証しているな。

29 :
池上氏の論文は村井良介氏の戦国大名権力構造の研究とか、大名の権力構造論では
必ず引用されるほどメジャーなものだからな。
ただ、池上氏の意見で貨幣経済とか経済感覚?がおかしいとか、
どのあたりの意見の事をいってるのか、具体的に指摘していただきたい。

30 :
池上の論文って、歴史家とか学者の中では割りと主流とかいうか、多数派なんじゃないの?

31 :
ちゃんと原文読まずに他の感想から孫引き非孫引きした被害妄想なんだから、
具体的に指摘できるわけ無いじゃんw

32 :
書いてもないことで絶句してるしな。何考えてるんだか

33 :
また読まずに非難する糞織田在日…
とことん徹底的にクズ

34 :
相変わらずの安定糞人格クオリティのエタ信長厨による、
各スレでの荒らしコピペ行為で池上氏叩き工作ワロタw
あちこちに池上氏非難工作コピペして回ったところで全く無駄ですたw
なんせ非難工作してるエタ信長厨 本人がネットから断片譲歩を見ただけで全く読んでないからw

35 :
まー、織田厨が珍しく一次史料を出すときですら、
武田厨が過去にレスした書状の転載を悪用しての曲解解釈だけだからね。
ほんと気持ち悪い。

36 :
だがさんハッスル

37 :
気に入らない意見にはことごとく見境無く
相手にレッテル貼れば論破したことになる頭がヌル弱い信長厨〜笑

38 :
信長厨=「だが」
なるほど。

39 :
織田チョンは池上氏の著者に対する具体的列挙による問題点の説明が出来ないことが露呈w
相変わらずの幼稚園児っぷりを晒す…

40 :
恥知らず織田鮮人には何を言っても無駄。
あいつらの「1000年経っても日本は敵」と大腸領が発言するのも
気持ち悪い負け犬「恨」思考に基づくもので、
負ければ負けるほど快感となって喜悦するM属国根性だから。

41 :
信長の撰銭令が正しいか間違っているかは置いておくとして。
簡単に書くと
1560年からの米の価格推移の表を見ると、1566年から畿内近江で米の価格が上がっているのがわかる、
で氏は1569年の信長の撰銭令と翌年の米の通貨としての使用禁止、
こういったことが米の価格高騰貨幣経済の崩壊を招いたとし、
そこから信長の経済政策市場介入政策について論じている。
例えばたまにあるような年数を書き間違えたとかなら、
その部分の年数を自分で修正すればちゃんと意味が通る文章になるんだけど、
この場合はどこを脳内補完すればって感じになる。
だからチェック漏れとか錯誤とかじゃなく、もうその話の部分すべて信用できないって感じになる。

42 :
信長が米価の高値是正する目的でやった政策のせいでかえって悪化し、
飢餓と一揆を誘発し貨幣経済が崩壊したってことだろ。
信長政権政策による貨幣価値の信用保証に全く裏付けが無いことにみんな気づいていたってことだろ。
結局、信長政権の民衆による否定が一揆頻発という結果になり、
大坂経済圏にある石山本願寺の政策の支持という点において畿内の民意により共同戦線が樹立されたということだろ。

43 :
みんなだがさんをスルーするのにも慣れてきたな。いいこっちゃ

44 :
村井って・・池上とかあっちゃがお仲間なのも
知らずにこの時代の本読んでるのか・・
アジア人民史観の闘士の書いた本に
どこがおかしいか言ってください、というのも
お花畑すぎて笑えるな。
疑問持たないとしたらすでに洗脳されてるぞ。
なんか、だが、のほうがまともに見えてきた・・

45 :
>>44
だから池上とか村井の「アジア人民史観」とは何なのか。
具体的にどこがおかしいのかを聞いてるんだが。

46 :
>>43
いやむしろ論破されると途端に相手を無差別に「だが」だと連呼するお前を黙殺スルーしているだけにみえるけどなw

47 :
戦国時代人にRPG-7と4斤半砲を教える場合
どちらが効率よく覚えやすいでしょうか?
・弾数等はふんだんにあるので試射ヤリ捲りオッケー
・各火器にベテランの人(達)(指導する人)あり
と言う前提でお願いします

48 :
使い慣れない言語とはいえRPG-7の方が画数が少ないから覚えやすいんじゃないかな

49 :
RPGの方が簡単じゃないかなーと
基本は弾薬をセットして撃つだけ、火縄銃の延長とも言える
榴弾、焼夷弾、照明弾、サーモバリック弾なんかがあれば戦果も期待できるし
大砲を効果的に運用しようとなると数学能力が必須になるから、人員育成が面倒かもしれん

50 :
戦国時代にRPGなんて使い道ないけどな

51 :
>>50
だから成形炸薬弾を使うなんて一言も言ってないだろ

52 :
それ以外の弾頭あるのか?
ランチャー系ならともかく

53 :
調べたらあるらしいな。まぁ素直に迫撃砲のが有用だろう

54 :
そういや弾頭に関して何も言ってませんでしたね(汗
取りあえず榴弾と延焼弾です
・・・やはり4斤半砲は弾道学等を教え込ませないと不味いですか?(汗
取りあえず
目測の中近距離「野戦で敵陣(敵集団?)に向けて発射」な直射でも
やはりRPG-7がカンタン?

55 :
秀次事件後、豊臣秀次の所領は、誰に与えられたんですか?

56 :
子飼いの福島正則や石田三成ら

57 :
鳥取城の飢え殺しの、吉川経家について質問です。
彼が生前にでた戦場は、鳥取城攻城戦を除けば、永禄4年の福光城の戦いのみなのでしょうか?
また、亀寿丸に渡してくれるように経言に頼んだとされる「長光刀」は、刀工長光の作である刀(それも太刀?)と解釈してよいのでしょうか?
勉強不足で申し訳ありません。

58 :
ttp://www.lam-c.com/item/tate.html
この透明盾ですが
刀槍・矢筒(特に火縄銃)を防げれるものでしょうか?

59 :
投石や鉄パイプでの攻撃に対応した暴徒鎮圧用なので
刀矢には効果があるでしょうが火縄銃は防げません

60 :
今の透明盾は一応の防弾能力があるって話
まあ大口径の弾丸は貫通するみたいだけど
結局試してみないとなんとも言えないし、条件次第(距離や使用する火縄銃など)でどうとでもなりそうだけど、
殺傷距離圏内だと完全に防ぐのは難しそう

61 :
透明盾は2〜3枚重ねなら安全かな?
所で、昔の漫画版戦国自衛隊(ちょっと前の映画版)で
「ローマ歩兵みたいな装備 大盾+グラディウスっぽい刺し剣」みたいな戦術してたけど
実際効果あるのかな?(上記の戦術対従来の戦国装備の戦術)

62 :
昔の浅間山荘の時はジェラルミン盾を重ねて使っても小口径猟銃が貫通したそうだ。

63 :
下段は類似の戦法を取ってた明軍が日本軍に通用せず大苦戦してる。
有効では無いだろう。

64 :
戦国時代のいつ頃、どの地域か、双方の状況などがわからないとなあ
戦国時代は広義で150年以上、狭義でも80年近くあるんだから

65 :
>>62
ジェラルミンの盾よりも今の透明盾の方が強度あるよ

66 :
>>63
それ朝鮮出兵の事?
興味あるのでどうか詳しく

67 :
日明貿易で日本からの輸出で硫黄と銅がバカ売れだったと聞きましたが
実際どの位の儲けになったのでしょうか?

68 :
戦国期(1550年代の
鉄、銅、硫黄の市場価格、輸出価格を知りたいです。

69 :
200石の知行持ちになって
軍役騎兵2名、歩兵3名の責任が出た…という状況設定なのですが
騎馬は絶対に買わないといけない…のでしょうか?

70 :
レンタルは無いから買う以外にどうやって調達するの?

71 :
銅は輸出すると原価の4倍になったらしいが
日明貿易の総合的な利益は輸出額がわからないから不明
鉄は室町戦国期の価格がわかる資料が全くないので不明。
鎌倉と江戸時代から推測するしかない
知行を返上すれば軍役は果たさなくていい

72 :
織田厨の編集した糞サイト
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

73 :
はしがき
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。

信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、
私は強く惹かれた。
少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。
(以下引用)
……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……
たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、
「信長許すまじ」
と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。
北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。
瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、
ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。
(引用おわり)
私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者=権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、
平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。
そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。
五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。
命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。
それなくして、どうして四00年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。
私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。
そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、
民衆のために平和=統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、
また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。

[編集] 評論
五木寛之は「蓮如物語」「親鸞」という小説を書いている。一向宗(=浄土真宗)側に偏った視点になっているのではないか。
北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長(と家康)の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。
「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか? 朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。
もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。
抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。
「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。
「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。
要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。
[編集] 第一章 尾張・美濃平定
[編集] 一、大うつけ信長 〜 四、稲葉山城攻略
初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。(初陣のこと)
[編集] 五、信長の人柄
このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、
そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。
信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。
本音であろう。
逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、
狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。
まことに多くの人を殺したのであった。

74 :
なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう?
信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。
ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは武田信虎、斎藤道三。
信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。
敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰???わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。
この項はたった3ページ未満しかない。人物叢書・・・?
上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。
第二章 幕府の再興と天下
[編集] 一、義昭を奉じて上洛
だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。
将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。
まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。
だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか?この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。
自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。
自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。
[編集] 二、幕府再興
ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。
信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。
信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。
恒例の信長sage。
「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。
なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛(左兵衛督)に任じるとした文書写も載っているが、
信長はこれを辞退したようである。

任じられているではないか。任じられたのに(著者の解釈によれば)信長が断ったのである。
「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。
幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。
信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう

75 :
三、公家・寺社領安堵政策
なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる気もなかった。
将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。
天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、
全国を平定しようと考えていたのである。
もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。
[編集] 四、天下と分国
神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。
それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」
あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。
(中略)
一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、
すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも
「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。
都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。
以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。
もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。
ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。
しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、
「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。
(中略)
三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。
それから京都にもどって義昭が将軍になった。
これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。
逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。
(かなり中略)
そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、
天下は全国を意味する語へと飛躍していった。
天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した(補208、これについては後述)。


天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。
つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。
実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。
つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。
こう考えれば矛盾がない。
それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。
回帰していった、なら分かるが。
どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。
[編集] 第3章 反信長同盟の結成と戦い
[編集] 一、浅井・朝倉・本願寺の同盟
比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。
信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。
もちろん、そこには計算があった。
天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。
わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。
要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか?

76 :
二、武田信玄動く
正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。
この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、
一味内通をしない旨の起請文を提出させた。
(中略)
もし敵方になれば手ごわい人々である。
どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。
[編集] 三、反信長連合を解体
(末尾)
相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。
この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。
文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。
「高転び」というのが本能寺の変の事を言っているのなら、年数がハズレている。(3年5年ではなく9年)
揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。 さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った???
秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。 恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」=秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。
恵瓊が「周公旦・太公望などのごとく」と絶賛した朝山日乗は、数年後に失脚した。のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。
この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。
つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。
そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。
それもこれだけ人物眼のない人間が。
[編集] 第4章 一揆を殲滅し、右大将に
[編集] 四、安土城を築く
信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。
どうでもいいが私はこの意見には反対である。 どうでもいいが。
[編集] 第6章 絶頂期へ高揚
[編集] 四、本能寺の変
これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。
(少略) 統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。
(中略)また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。
第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。
[編集] 第8章 家臣団と知行制
[編集] 三、譜代重用と新参国人の没落
また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。
この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。

77 :
ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの? ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。
2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。
『この両国出身者を仮に譜代家臣と呼んで、その他と比較してみよう。』
この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。   著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。
一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて〜
なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。
さて、いよいよ問題の表である。
近江 佐久間信盛(尾)・丹羽長秀(尾)・羽柴秀吉(尾)・明智光秀越前 柴田勝家(尾)・前田利家(尾)・佐々成政(尾)・不破光敗(濃)・金森長近(濃)・原長頼(濃)
若狭 丹羽長秀(尾)加賀 簗田広正(尾)能登 前田利家(尾)越中 佐々成政(尾)丹波 明智光秀
丹後 細川藤孝 京都 村井貞勝(尾)・明智光秀 山城 細川藤孝・塙直政(尾) 大和 松永久秀(山城)・塙直政(尾)・筒井順慶(大和)
摂津 荒木村重(摂津) 播磨 羽柴秀吉(尾) 甲斐 川尻秀隆(尾)・穴山梅雪(甲斐)
信濃 森長可(尾)・毛利長秀(尾)・滝河一益(近江)・木曽義昌(信濃)上野 滝川一益(近江)
太字が外様(譜代でない家臣)。 しかしこの表には間違いがいくつもある。
村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない(谷口克広「信長の天下所司代」)。唯一の史料は「太閤記」の近江説。

   よって村井は外様として扱う。
近江に柴田勝家(尾)・中川重政(尾)・磯野員昌(近江)が抜けている。
越前に前波吉継(越前)が抜けている。
山城に明智光秀が抜けている。
加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。
摂津がその後、池田恒興(尾)に与えられた事が抜けている。
国ごと存在しない国がある。 和泉は蜂屋頼隆(尾)。
河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介(すべて河内)、南半分が三好康長(不明)である。
備前は宇喜多直家。 美作も宇喜多直家。
但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤(近江)に与えられている。
いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。
著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578(天正6)年である。
この時点では「能登 前田利家」や「越中 佐々成政」はまだ存在しない。
村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしい。
もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である徳川家康(三河)・北条氏政(相模)も含めて良いはずである。 さらに言うと、本能寺の変後には周防・長門を大友義鎮(豊後)など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。
どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。
これらを踏まえた正しい表は以下である。
伊勢 滝川一益(近江)・織田信雄(尾)ほか親族衆
近江 佐久間信盛(尾)・丹羽長秀(尾)・羽柴秀吉(尾)・明智光秀・柴田勝家(尾)・中川重政(尾)・磯野員昌(近江)
越前 前波吉継(越前)ほか朝倉旧臣・柴田勝家(尾)・前田利家(尾)・佐々成政(尾)・不破光治(濃)・金森長近(濃)・原長頼(濃)
若狭 丹羽長秀(尾)加賀 簗田広正(尾)、柴田勝家(尾)能登 前田利家(尾)越中 佐々成政(尾)
丹波 明智光秀丹後 細川藤孝
山城 村井貞勝(近江?)・明智光秀・細川藤孝・塙直政(尾)大和 松永久秀(山城?)・塙直政(尾)・筒井順慶(大和)
摂津 荒木村重(摂津)、池田恒興(尾)播磨 羽柴秀吉(尾)和泉 蜂屋頼隆(尾)
河内 野間長前(河内)・池田教正(河内)・多羅尾常陸介(河内)・三好康長(不明)
備前 宇喜多直家(備前)美作 宇喜多直家(備前)但馬 宮部継潤(近江)甲斐 川尻秀隆(尾)・穴山梅雪(甲斐)
信濃 森長可(尾)・毛利長秀(尾)・滝河一益(近江)・木曽義昌(信濃)
上野 滝川一益(近江)三河 徳川家康(三河)遠江 徳川家康(三河)駿河 徳川家康(三河)相模 北条氏政(相模)伊豆 北条氏政(相模)武蔵 北条氏政(相模)
※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。

78 :
右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。
信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。
逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。
別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。
彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。
斉藤利三は美濃出身である。また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。
天正三年(一五七五)九月信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。
(中略)ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。
(中略)このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。
村重の離反はこの翌年のことである。
荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。
その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。
これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか?さすがに同意できない。
領域支配者=大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。(中略)
容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。
戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。
荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。
かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。
すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。
一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている体制が、
家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。
どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。
反乱というのものは不安感などというあいまいな動機からは生まれない。
  それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。
  もし独裁者を恐れているならば、よりその意に従おうとするのが人間の自然な感情なのである。
  著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。

79 :
信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。
郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。
信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。
それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。
信長には農政・民政がないのである。
戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。
信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。
道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。
それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。
百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。
『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。
兼見は渋りながらも結局それに応じる。
信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。
彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。

織田厨【「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。 ちなみに著者は普段、後北条氏の研究をしている。この点には留意しなければならない。

     後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。
     村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。
     ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。
     細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。
     後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。
関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか? 上京焼き討ちの後の地下銭免除は? 「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は?

  妄想で話を組み立てないでほしい。
なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう? そういう史料でもあるのだろうか?

  ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。
兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。

  『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。
   この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』
   (『信長の天下所司代』谷口克広)
  こういった印象操作は卑怯だと思うのだが。
  もっとも、タネが分かってしまえば「な〜んだ」である。
津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。
だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか?
常識で考えてみてほしい。 】

80 :
くだらねぇw無駄に読みにくい癖に冗長駄文で読む気が起きねー。

81 :
2行目まで我慢して読んだけど、何が言いたいのか解らんな

82 :
この読みにくさと、
執拗さが反映した駄長文で
読み手の士気を萎えさせる腐れ文は、
武田厨のフリをして工作したが、
見事バレたアンチ秀吉の基地外コピペ爆撃織田厨だわ。
間違いないわ。

83 :
結局>>73-79で批判されてるように池上本ってダメなのか?

84 :
ダメじゃないけどバイアス付きの所は注意して読めと言う感じ
そのへんは他の学者も同様だけどね

85 :
信長信者しかそのバイアスを感じないという得意なものだけどなw

86 :
即レスとかだがさん張り付きすぎ。

87 :
だがの池上マンセー史観がもろに打ち砕かれるw
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

88 :
結局、徳川家康って信長の事どう思っていたの? 好きなの嫌いなの?
息子の切腹を命じられる
信長が死んだら旧織田領の甲斐信州に攻め込む
結局信長の息子達、織田家を排して自分の天下を作る。
でも
信長との同盟が信長が死ぬまで20年続く、裏切り当然の戦国時代では異例の同盟
多くの人間が信長を裏切っているから、信長の戦力が凄いから逆らえなかったとは
思えない
本能寺の変では光秀に味方するどころか、信長の仇討の為に本能寺に行こうとしたり
信長の後を追って切腹しようとして部下に止められて伊賀越えをする
間に合わなかっただけで光秀を討つ気だった
人質時代信長に遊んでもらって尾張の兄、三河の弟と呼び合う仲だったとか
結局家康が信長の事どう思っているのか分からない

89 :
好きとか嫌いとかで同盟相手を見極めるような甘い政治家じゃないだろ、家康も信長も

90 :
同盟関係というのは基本的に信用が大事
あっさり同盟破棄したりしても特になることは何もない。
松平は小国だからどの道どこかの大名と同盟結ばなきゃいけないんだし
織田と同盟破棄したら政略的に孤立する危険性すらある

91 :
>>88
家康の行動原理が徹底的に守備・防御思考だったって事を考えれば、好き嫌いに関係なく
時流に従って行動してたって事がわかるぞ。
手紙とか文章として信長個人を好きだったか嫌いだったかは残ってないから、実際はどうだか
わからん。
ただ、信長のことを好きだったとしても嫌いだったとしても、同じ行動をおこしたと思う。
徹底したリアリストとして状況を判断して、もっとも危険が少なく、その中でもっとも利益が高い
行動を行っていただぇよ。
言い換えればそれらの行動から好きか嫌いかを判断することはできないし、好悪どちらの感情を
抱いていてもそれらの行動に矛盾はない。
坂口安吾が家康の評論をしていて、もちろん坂口安吾は歴史学者でもない一介の文学者だけど、
逆に文学者だからこその洞察力で評価しているその内容が、歴史学者の論文よりも家康の人物像を
よく描き出していると思う。
あまり長くないから、↓を読んでみて。いろいろ参考になると思う。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42911_25520.html

92 :
じゃあ本能寺の変知った時にそのまま本能寺に行って光秀を討とうとしたり
信長の後を追って切腹しようとしたら部下に止められて伊賀越えしたってのは?
リアリストなら、これ幸いとばかりに光秀に協力にして一緒に織田家攻めるか
速効帰って戦の準備して光秀討って名声高めようとするんじゃない?
なのに感情に任せて信長の後を追おうとするわ、帰ったら帰ったで山崎の戦い
に間に合わなかったわ、ってなんだか不自然

93 :
>>92
必ずしも正解と言うつもりはないけどこんな心境もあったのかも程度で読んでくれ
当時の武家は首を討たれることを最大の恥辱と考えていた
これを避けるために自害を図ることもあった
家康の場合は僅かな供しか連れていなかったので発見されたら終わりだから
自害を考えても不思議なことではなくむしろよくある話
現代の私たちの感覚では理解し難いことなのでなかなかこの境地には至らんけどね
リアリストならという話
織田家を攻めるという軽挙な選択肢は無かったのだろう
徳川家が明智家と密約が無い状況なら生捕られ首を刎ねられて終わりだからね
即行帰国の選択肢は家康が実際に実行しているからこれが現実的なんだろう
なので必ずしも感情的な発想ではないと思うよ
現代の常識と戦国の常識の相違がそう見せているだけかもしれない

94 :
大名家がどの勢力と同盟や恭順で結びつくかは、パワーバランスや損得勘定以外にも
歴代の家臣とかこれまでの同盟関係敵対関係や、個人的好悪や、距離的地理的地勢的問題など
様々な複合的な問題がからむから、そんな物では何を基準・理由にその勢力と同盟結んだとかは推測はできない。
関が原合戦で西軍と東軍に諸大名が割れたり、あるいは信長に次々反旗を翻したりする者が絶たなかった事からみてもそれは明らか。

95 :
>>92
>じゃあ本能寺の変知った時にそのまま本能寺に行って光秀を討とうとしたり
そんな行動しようとしたか?兵もいなかったのに?

>信長の後を追って切腹しようとしたら部下に止められて伊賀越えしたってのは?
信長の後を追うと言うより「反乱軍に囲まれて逃げ切れないからもうダメぽ」と諦めたから
腹を切ろうとしたんじゃない?
実際、困難な伊賀越えをしなければ逃げられない情勢だったわけだし。
大坂夏の陣で、徳川方がかなり不利な状況になったときに切腹も考えた、ってのと同じかと。

>リアリストなら、これ幸いとばかりに光秀に協力にして一緒に織田家攻めるか
光秀に協力して織田家攻めるってのがリアリストの選択とは思えないけどね。
本能寺の変直後には、光秀が家康をどう処遇するのかわからなかったわけだし。

>速効帰って戦の準備して光秀討って名声高めようとするんじゃない?
実際、最短と思われる時間とルートで帰国して、すぐに光秀討伐の軍をおこしてるけどね。
秀吉の行動が早すぎて間に合わなかっただけで。

なんか、いろいろ思い込みが激しすぎるような気がする。

96 :
ようするに家康や情や絆で信長と結ばれていたんじゃなくて
●信長との同盟が信長が死ぬまで20年続く、裏切り当然の戦国時代では異例の同盟
裏切っても得が無いと判断しただけ、松永とか裏切った奴はいるけど、そいつらとは見解の相違なだけ
●本能寺の変で信長の後を追って切腹しようとして部下に止められて伊賀越えをする
自分も殺されると思ってその前に自殺しようとしただけ
●間に合わなかっただけで光秀を討つ気だった
光秀につくのが得策じゃなかっただけ、実際柴田とか丹羽とか織田家には有力大名
いっぱいいるし
信長がどっかに負けたら裏切ったかもしれんし、囲まれてなきゃとっとと三河に逃げたし
柴田とか丹羽とか他の連中が光秀に流れていれば家康も光秀についた可能性は十分あるってことか、なんか納得

97 :
戦国大名ならだれだってそうだわ

98 :
好きか嫌いかで言えば好意的史料はいっぱいあるけど嫌いというのは
信頼できる史料にはまず無いから、まあ好きだったでいいけど
それが行動に結びついた重要な事例はないってところ
戦国大名は専制君主じゃないから個人的好悪で行動はしないし出来ない訳やね
例えば北条大嫌いと公言しまくりの謙信も利があれば北条と同盟組んだり

99 :
損得だけ中心で動くなら援軍派遣もろくにせず役に立たない信長なんか即効で裏切って
武田についとるわw
同盟破りは普通の戦国大名は不義とされる事だから行わないし
信用問題にかかわるから、その後の外交にも影響するし
単に地理的距離的問題と、初期の同盟関係が、共通の敵の存在から長く続いたってだけだろ。
損得で動くなら信長騎下の大名があんなに反乱ばかり起こすわけねぇしなw
裏切っても即効大軍が終結して滅ぼされるだけで得なんてねぇんだから。

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