1read 100read
2013年19哲学49: ニーチェ30 (302) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
共生という考え方 (201)
読書ノートのつくりかた (222)
日本人が哲学がなくても立派にやれる理由 4 (326)
現代英米教科書哲学 (176)
みんな大好き格差社会 (152)
テロリズムは善なのか? (395)

ニーチェ30


1 :2013/09/02 〜 最終レス :2013/10/03
我々はまばたきする。
ニーチェ30
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1349871954/l50

2 :
書き変える途中で書き込んでしもた・・・。
実際は32ですわ。
ニーチェ31
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1363309400/

3 :
つるじょあさんには、色々と楽しませて貰ってますww
これからも、つるじょあさんが解釈したニーチェの話が聞きたいです。

4 :
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|  <  ぼるじょあ〜♪
 ..iiiiiiiiiiiii》|             :::      |iiiii|    \_________
 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii,         ( ● ● )      .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《    《《 \ ̄ ̄/ 》》   |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》   ̄ ̄  《《 》》》》》iiiii|
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii

5 :
つるじょあ、元オウムの残党
アレフや光の輪をうろついた後、世間体を気にして総帥を裏切るがポアされる

6 :
当然ニーチェは楽しいだろ
無論ニーチェは面白いだろ
一応ニーチェは嬉しいだろ
多分ニーチェは喜ぶだろ
確かにニーチェは魅力的だろ
もっと更にニーチェは最高潮だろ

7 :
オウムにはまる者がニーチェにも、はまるものなのか?

8 :
オウムは馬鹿っぽいけど、意外と麻原はチベット仏教の専門用語を駆使した衒学趣味で
弁論で人をまるめこむのが上手かった。ニーチェと仏教の距離が近い以上、なんら不思議ではない
例えば幸○の科学なんかもそうだけど、最近の信仰宗教はキリスト教や仏教だけでなく
マルクスとかニーチェを良く研究してそれを意図的に悪用している

9 :
>>8
7だけど、解説ありがとう
最近の信仰宗教 → 最近の新興宗教
だよね
しかしよりにもよってマルクスもかよ

10 :
目的合理(意味)を経由することで神を担保することは理論上不可能や。
前近代では意味を経由することなく担保できた神も、社会の発展によって
意味の無限指定から逃れられんようになって、こうして神は殺されたんやで。
そこで無(意味)の跋扈する社会で神を担保することが叫ばれるんや。
意味を経由することで神を確保しようとするモデルをドストエフスキーは
小説白痴のキリーロフで表現するのやけど(人神思想)、あれは理論上不可能
であるがゆえに不可避的に頓挫することを示してるのやで。
前近代の確保された神を翻ってみれば、それは時間性・一般性・受動性の
特徴を持ってて、そして現代におけるその特徴を持つものは、超人と断定
することが出来るんや。ニーチェやドストエフスキーは論理的に要請される
ところの超人を示すわけやけど、そういう意味で例えば奥崎謙三はその
要件を充たしてるのやで。
奥崎謙三は晩年に酒鬼薔薇を評して「人類が進化したんですよ」て答えた
けども、これこそ真実なのとちゃうかな。勿論ニーチェを聖像化してる人
たちからすると感情的になるやろうけど、おっちゃんはこの意味でニーチェ
を理解してると自負してるんや。

11 :
すまんすまん、HN間違えたわ。

12 :
↑『白痴』にキリーロフはでてこないし、
嘘デタラメの知ったかぶりもいいところだな
変態テロリストを聖像化してシンパシーを感ずる
無教養な教祖さんは断定調の一方的な説法を議論と称し、
服従を求めているようだが、今時そんなやり方は通用しない

13 :
いわゆるエヴァンゲリオン世代ってやつだな

14 :
あかんなあ、悪霊でしたわ。せやけど単純ミスを指摘して鬼の首を取ったか
のようにすることこそ猟奇趣味なのとちゃうかな(笑点)。
>変態テロリストを聖像化してシンパシーを感ずる
共同主観性に刻み込まれた前提を相対化することなく、社会性を聖像化して
シンパシーを感じてるのはどこのどいつやねん。しかも己の信仰心に則って
ニーチェの真の意義を骨抜きにして、端的な教養の俗物にしてるのはどこの
フランス、いやドイツやねん。
社会に生きる人間として反社会的人間を客観的に考察することは、人は感情を
もってる存在やから抵抗があるのは分かるしおっちゃんもその通りですわ。
せやけど感情を抑えて物事を客観視しそこから学ぼうとする真摯な姿勢こそ、
正しくニーチェのやった高潔さやないか。小さい頃から親しんできたキリスト
教を否定し、隣人愛を否定し、イエスを否定したニーチェは、少なくとも
社会に隷属する人間よりある種の誠実さを持ってたのとちゃうか?もしあんた
がおっちゃんの主張を否定するなら、感情を爆発させるのや無しに、堂々と
論理的に行って貰いたいものやで。レッテル貼りに終始するのはそれこそ
不誠実極まりない価値観の押し付けでしかないよ。

15 :
俺は論理的に論破してるけど?
事実、君は俺に論破された結果、麻原総帥を捨ててしまったじゃないかw
犯罪者を擁護し、神格化する社会学者とか、一時期流行ったけどさ、
そういう連中の土俵には上がらないよ。ちぐはぐのスコラ学を並べ立てて、
こちらが正解のないパズルを解こうして疲れたところに、そっと宗教を忍ばせるのだろう
カルトの典型的な手法じゃないか

16 :
ニーチェを熱心に読んでいた、誰かさんのバイオモドキ神に創造性があるかと言えば、厳しいだろうw

17 :
>>15
>俺は論理的に論破してるけど?
あんたが真面目に議論できるゆうのやったら逃げんとしっかり返事書いてくれ。
>事実、君は俺に論破された結果、麻原総帥を捨ててしまったじゃないかw
おっちゃんが麻原を支持したことは一度としてないよ。あんたが奥崎や
酒鬼薔薇を持ち上げるおっちゃんの主張に浅薄な解釈を与えて、オウムを
短絡的に結び付けただけや。どこに論破の事実があるんや。誤解か情報操作
かしらんけど、もしおっちゃんが麻原評価してるいうのやったらその部分を
抜き出してくれ。そもそも麻原に神の確保の3条件を充たす要素がないやないか。
>犯罪者を擁護し、神格化する社会学者とか、一時期流行った
おっちゃんは犯罪者を擁護したことは一度としてないやろ。おっちゃんが
注目したのは神の確保をした超人であって、それが結果として犯罪者でも
あっただけの話や。誰が犯罪者なんか擁護するかいな。大体ニーチェが
時には危険思想視されるのはな、善悪に拘泥せんと真理に忠実やからや。
それやのにあんたが善悪に絡めとられてどないすんねん。
>そういう連中の土俵には上がらないよ。
つまりレッテル貼ってお終いということやな?よかったなあ、これであんたは
理論上論破されんと傷つかんですむやん。こちらとしては麻原を擁護する
レスを抜き出してくれとしかいいようがないよ。

18 :
>>15
>ちぐはぐのスコラ学を並べ立てて
貼りなさい、レッテルを。
>そっと宗教を忍ばせるのだろう
どんどん貼りなさい。
>カルトの典型的な手法じゃないか
次々に貼りなさい。スコラ並べる、宗教しのばせる、カルトの手法だ、
議論は回避し貼るしかあんたは脆弱な実存を守ることはでけへんのやな。
でもたまにはレッテルやなしにサロンパスも貼ってくれ(笑点)。
この人は議論は回避するそうやから、もしおっちゃんの主張に質問や
反論その他あったらなんぼでも受け付けるで。

19 :
反論したら、やっぱりポアされちゃうんですか?

20 :
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s

みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html

生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm

21 :
議論しようとか言われて革マル・中核とかオウムのアジトに
ホイホイ連れ込まれるような馬鹿は流石になかなか見つからないだろう
サカキバラと彼が創造したバイオモドキ神が大昔の神々に代わりうることはないし、
サイコパスの一言で一蹴され、忘却の彼方へと追いやられるだろうが、
一方で皇帝ノートンは子供さえいれば、人々を征服し、彼とその熱心な臣民の共同体を建設し、
ひとつ文化と民族を創りえた影響力があるな。……まあ文献の過大評価もあるようだが

22 :
そもそもサカキバラのあの事件は変なところが多すぎて少年Aは冤罪の可能性があるんだがな

23 :
総帥もサリンなんて撒いていない

24 :
当然カルト的だろ
無論カルト風だろ
一応カルト感覚だろ
多分カルト気分だろ
確かにカルトチックだろ
もっと更にカルトタッチだろ

25 :
なごやん=つるじょあ

26 :
死に直面しなければ生を実感できないとはくだらんな

27 :
ルソーは社会工学的な制度の革命を目指し、一方でニーチェは文化の革命を目指した
ニーチェにとってあるべき世界――従って彼の理想は進歩主義者の理想とは方向性が異なる
対極という意味より、そもそも話が噛み合わない別次元の話なのである

28 :
>>14さん
ニーチェの社会や人間に対する態度としては>>14中の言葉で合ってると思うけれど、
感情云々客観視云々は違う気がします。むしろニーチェは形骸化された道徳や教義により
麻痺させられた人間の感情を批判し、より力強い感情をより高度な形を以って
外界へ放出することを人間に求めたでしょう。そして客観的という言葉にも
ひっかかります。

29 :
ニーチェの哲学では人間論においても認識論においても客観性というのが
完全否定されています。前人間的に存在する力への意志という他を解釈することで
他を変えようとする能動的な何か、力動素子的なもの?の個々の間の、解釈関係の中で
世界が構成されているとニーチェは認識論的には見ていて、人間論的には「個人の各々の」
「自分のやり方で」世界を能動的に解釈し働きかけることを推奨しています。
そしてその働きには当然、個人的感情的なものが含まれるのであり、その力強い働きを
抑制してしまうのが形骸化され力を失った社会的通念である、そこがニーチェの批判点だと。

30 :
実際、ニーチェの文章を吟味すると、あるときに思い切り感情的になって批評した事柄、
批判した社会通念を、あとで知性により吟味しそこから導かれる言論を組み立てていき、
また文章化するときに激しいパトスに憑かれた状態で勢いよく筆が動き言葉が並び、
つぎに彫琢するときに知性や美意識で整えられている、という激しい感情と知性の相互作用の感をうけます。
一般的な概念や常識的な価値観を打ち破るには、
知性を伴った強い感情、流通する概念に抑制・麻痺されていない生の力が必要だということでしょう。

31 :
>>14
>せやけど感情を抑えて物事を客観視しそこから学ぼうとする真摯な姿勢こそ、
>正しくニーチェのやった高潔さやないか。
ニーチェの高潔についてですが、物事を冷静に客観視して考えたところにではなく、
あらゆる物事を自分の生の力のみによる方法で助けなく欺瞞なく解釈し評価し批評し、
誰の理解を得られなくとも、その批評を揺ぎ無い信念で一貫して徹底的に貫いたところに
ニーチェの高潔さはあるのではと思います。一般性に妥協しない独力の力強い考察。

32 :
なんかしらんけど1年ぶりにニーチェが心肺あたりに突如おとずれて
ハイパーグラフィアきたよ。だからここにおとずれてみました。
でもコテハン二人いるとぐちゃぐちゃなるから消えたほうがよいね。
この前は荒らして本当にすいません。今は躁病じゃないから
荒らしません。NiさんやNaさんは健在かな?
バイオモドキ神は紀元前につくられてたら精神医学用語などに蹴られず
人の心にインパクトのこしつつ口頭の噂話づたいに話が拡散し
神格化の度合いが増して伝承され、神話の一柱になってたかもしれないですね。合掌。

33 :
なんかしらんけど1年ぶりにニーチェが心肺あたりに突如おとずれて
ハイパーグラフィアきたよ。だからここにおとずれてみました。
でもコテハン二人いるとぐちゃぐちゃなるから消えたほうがよいね。
この前は荒らして本当にすいません。今は躁病じゃないから
荒らしません。NiさんやNaさんは健在かな?
バイオモドキ神は紀元前につくられてたら精神医学用語などに蹴られず
人の心にインパクトのこしつつ口頭の噂話づたいに話が拡散し
神格化の度合いが増して伝承され、神話の一柱になってたかもしれないですね。合掌。

34 :
サカキバラってどこのバイオモドキ?

35 :
33ミス
>>27
戦前まではそういう文化的革命はおこらず産業商業軍事ばかりが発展しましたが、
ロックによる文化や精神の革命がおこり、今ではアイドルやお笑いなどで、ある意味では、
革命的社会現象らしきものが起こってますね。
しかしロックが多くの若者を天然香辛料的に力強く鼓舞したのに対して、
テレビネット文化はむしろ不要な価値の低い人工甘味料敵刺激で人の生の力が鈍磨させている。
ワーグナーが求めた神々しい音が戦後から90年代あたりの音楽にはないとしても
人類の全体性の生の力を底上げする力を持ったという意味においては、
ロックには、ニーチェが目指した生の鼓舞に通じるものがあると思います。

36 :
>>14
>社会に生きる人間として反社会的人間を客観的に考察することは、人は感情を
>もってる存在やから抵抗があるのは分かるしおっちゃんもその通りですわ。
考察対象の人間の反社会性が強くなればなるほど客観的考察は難しくなると思います。
おそらくそれは哲学者の思索の領域を超えて、思索というより格闘という言葉が
相応になるほどの恐ろしく心理的負荷のかかることであり、それはなぜなら、
本当に人間を考察するということは洞察というかさらには相手の心情を体験するという
ことを経なければならない、そしてニーチェがそれを「蒼白の犯罪者」でやってみせた
ときには、かなりの個人的感情が介在していたでしょう。

37 :
つづきー 連投いつもごめんなさいー
そこまでいくともう、客観的とはいえない。自分も精神病院などで
何度か触れたことあるのですが殺人者というのは、精神や考え方が一般性からの
逸脱が甚だしい。それを客観的に見ることなど、殺人者でありながら社会人でありながら
学者である人でないと不可能でしょう。つまり逸脱した人間を考察するときに、
「客観的」だとかいう指標を持ち出すのは、結局のところその対象が属していない領域の
用語、たとえば精神医学や心理学や哲学や社会用語などで、レッテルを貼ったにすぎない。
反社会的人間をガチで考察するにあたる適切な態度は、客観的より、体験的、だと思われます。
強烈な反社会的人間を考察するということは、本当にやるなら強烈に感情的になってこそ
本当だと、今までの経験からして自分は思っています。ジャンキーやばいよまじで。
やばい人らはやばいで片付けるのが無難。学問用語や社会用語で説明するのは欺瞞というか非本質的。
得体のしれない人物はリアルで接すると冗談ぬきで得たいしれない。
その得体のしれなさが本質。普通人があれこれ言える世界じゃない。

38 :
>>28
おっちゃんです。レスおおきに。ただおっちゃんの主張を分かってへん
ようやから、きっちり説明さしてもらいますわ。
>感情云々客観視云々は違う気がします。
ここでの感情云々とは、社会的であることに誇りを持つような奴隷根性
の持ち主への批判を意味してるんですわ。それはまさに形骸化した
社会通念にぶらさがることやろ。その誇りに基づいて同じ土俵に立つ事を
回避し、既存の価値観に絡め取られてるわけやんか。また客観視云々は
客観性それ自体の存在の有無の問題や無しに、そういった既存の枠組み
で防衛して脆弱な実存を温存することなく、自らを別の視点で捉える
ことで冷静に自身を知る事を意味するのであって、これはおっちゃんの日常
会話の言葉使いや。ニーチェの主張を敢えてニーチェ思想とするなら、
けしてニーチェ思想と対立するものではないのやで。
>一般性に妥協しない独力の力強い考察。
あんたはんは分かってるのやろうか。独力の考察が超人を産出するわけと
ちゃうし、ニーチェが生み出した独力の考察に基づいた思想は思想として
矛盾してるわけやんか。ここで議論する分には高潔でも、もしそれを神棚に
あげてるとしたら独力の考察に基づく超人の算出が理論上不可能であると
いうことも相まって、あんたこそある種のオウムになってしまうで。

39 :
>>32-37はなんや、28とは別人かいな。
別人28号と呼ばしてもらうわ(笑点)。

40 :
>>38どうも つるじょあさん
コテハン復活させようか迷ってるけど
きっとみんなやがるから今のとこ番号な人です自分
28以降の28は全部自分です8禁のがれるためのiPhone
>客観視云々〜これはおっちゃんの日常会話の言葉使いや。
たしかに自分は妙に厳密にニーチェの哲学とつるじょあさんの言葉を変に
絡ませることで話をややこしくしてましたね。ごもっともです。
>あんたこそある種のオウムに
自分が10代でここ書き込んでたときはある種のオウムになってました。
独力の思想というのは、結局のところ、矛盾があって当然なのだと思います。
この世界が論理的に説明しつすくとが永久に不可能であることはもう
心理学だけでなく物理学の分野でも達しようとしている結論だと思われます。
つまり論理的であるということは、社会体系であれ科学体系や哲学体系であれ 、
つづく

41 :
つまり論理的であるということは、社会体系であれ科学体系や哲学体系であれ
それぞれの分野の過去の人々や偉大な先人のつくった仮の理論
(心理や物理を理論では究極的に説明できないのだから)を無意識に借用あるいは応用
しているということになり、実際の世界の本像は矛盾に満ちたカオスであるのだから、
独力で理論や概念の借用なしに考えれば考えるほど、理論は破綻し支離滅裂に近くなるのだと。
そして超人が理論上不可能であるのは完全独自の世界体験が「論理的には」不可能な
ことに起因する、つまり「論理的でなければ」超人が生まれうるのだと思います。
しかしそれはまあ、あらゆる矛盾を自己に内包して恐ろしい葛藤などに耐えるしかないので、
結局のところ破綻し、ニーチェの最期のようなことになってしまうでしょう。
超人は理論上不可能、事実上はあり得てもかなり恐ろしい状態ということでしょう。

42 :
>>28
口調が変わったから別人かと思いましたわ。おんなじ人やったんやねえ。
>「論理的には」不可能
おっちゃんはこれを何度も何度もいうてきたんや。おっちゃんから言わして
もらうと「神の確保は意識的には不可能」といえるのとちゃうかな。せやけど
神を確保した人が存在してるとしたらどうやろうか?

43 :
>>42
>神を確保した人が存在しているとしたらどうやろうか?
このスレより前の数スレッド読んでなくてさっききたところなので、
ここでの「神の確保」の文脈がよくわからないのですが、自分の考えでは、
神を確保するということは、外在化された偶像としての神を虚像と見破り
内なる神性に目を向け、そこに認識をとどかせ、そこから叡智?みたいなものを
体現することだと思います。ややスピリチュアル系の説明になってしまって
申し訳ありませんが、とにかく自己自身の根源に本物の神が宿っている、そして
そこに到達するには外在化された偶像や神についての教義や、それだけでなく一般的な道徳観
あるいは学説などに依らずに、自身の存在の強い自覚と自身の経験から導かれた思考や認識など
強度のある内的体験があってはじめて、内なる神を認識しそれを意識的領域とつなげることは可能だと思います。
それを実行することができた人は、おそらく本当の意味でのカリスマを持つことになると。
これを神とよべるかは人の言語観や価値観、あるいは文脈などによりますが。

44 :
そろそろPCもスマホも8禁処分だし用事あるので今日はこれにて!
>つるじょあさん その他
私の書き込みのなかでニーチェ絡みのことで
疑問点や批判点などあれば気が向いたらずばすば批判しといてくださいな
2〜3日後○○(私のコテ)消えろー長文うぜえとかなかったら
また書き込みにくるかもです。
ドン・キホーテ面白いね短パンさんやあ。
(^^)

45 :
っていうかさ。やっぱ?これはみんなも納得したんだけど…、
宇多田が過去に浮気して流産して離婚したのも、わりと自然な流れなんじゃないのと。
あれだけ魅力あれば、男の誘いが半端なくて、いくら歌に没頭してもネットに逃げても、逃げ切れない。
宇多田ほどじゃないけど私も、まあわりとそんな状態なので、同情せずとも理解はするわ。
好きな男と一緒に住んでも、やっぱね、ほかの男としちゃうよね。私は避妊は怠らないけどね。
あちこちとしちゃう、ってとこまではわりと平凡な話で、ヤリマンかよ、で終るんだけど、
妊娠、流産、離婚、となるとヘビーだわな。でもまあ、わりと自然な流れなんじゃないのと。
彼女は、あの母親を見て育って来たんだから、そしてヤクザが取り仕切る芸能界にドップリなんだから、
当然じゃないの。わからなくはないよ。芸能人の結婚離婚なんて、所詮話題づくりだしね。
過激であればある程いいんだよ。それだけの事。

46 :
俺が感情的に批判しているだと?
なにを的外れなたわごとをいってる
実に論理的かつ明快に撃沈させただけなのだが?
つるじょあ君は大切な麻原総帥やサカキバラを一蹴されて
感情的になって冷静さを失っているようだが、自己を内省できない
単なる白痴・鬱病・薬中が神を確保したなどとホラ吹くのもたいがいにしとけ
その言い分だとメアリーベルや精神病院に隔離されていた早くんも神を確保したんだろ?
キチガイ様は他人の価値観に左右されず、無から創造したとかいいだすわけだ
でもそれは路上で小便垂れて、これは私の実存にとってはアートであるとドヤ顔で
相対的価値観を主張している変態といっしょなのさ
超人は貧しさから生じるもの(逆向きの不具者なる天才)に在らず、
溢れんばかりの豊かさから生じるものだ
麻原やサカキバラから才知や美の豊かさを感じるだろうか?
――母親から虐待を受けて育った発育不全の奇形に過ぎない(一掃されよ)

47 :
>>43
>内なる神を認識しそれを意識的領域とつなげることは可能だと思います。
おっちゃんと会話も出来てるし期待したんやけど、結局そこかいな。
前スレで神へのアプローチの1つの類型としてキルケゴール型を挙げてた
人がいてたけど、あんたも結局はキリスト教か仏教の亜種やろ。
>>46
またあんたかいな。まずおっちゃんの主張と反社会的なものをセットにするの
やめてくれ(笑点)。永井均も社会的なものと反社会的なものの二元論に終始
してたけども、脱社会的な文脈があってな、そういう意味で聖なる儀式は
インコグニートでもありえるんや。今こうしてるうちにも知らんところで超人
は活動してるといえるやろうな。それやのにあんたはいつまでたっても頑迷に
社会的な価値にしがみついて、反社会的・奇形とレッテル貼りして排斥しよう
とすんねん。昭和か(笑点)。

48 :
>>46
またあんたかいな。まずおっちゃんの主張と反社会的なものをセットにするの
やめてくれ(イクゥ!)。長いキンタマも社会的なものと反社会的なものの二元論に終始
してたけども、脱社会的な文脈があってな、そういう意味で聖なる儀式は
チンコ・グレートでもありえるんや。今こうしてるうちにも知らんところで超人
は活動してるといえるやろうな。それやのにあんたはいつまでたっても頑迷に
社会的な価値にしがみついて、反社会的・奇形とレッテル貼りして排斥しよう
とすんねん。ポモか(イクゥ!)。

49 :
お、おう(困惑)

50 :
>>28>>35
アメリカのヒッピーやロックは脱社会的な文化のニーチェ的革命だった
しかしドラッグや性的退廃、暴動やテロなどに溺れ、脱社会から反社会へ変貌したことで衰退した
そう、脱社会的な超人の多くは社会と共存することができるはずで、むやみに反社会的性格や行動に
固執するのは社会を脱したはずの者である超人(ロック)ではない
従ってステージの上で何か壊したり小便放出して注目を得ようとするだけの糞バンドと
本物のロックの差を見極めて、しっかり線引きすることは重要なのだよ

51 :
>>46
いやあ自分はあんまり神の確保やら超人やらには興味ないですね。ただ社会に隷属もせず
反社会的にもならず、ある程度の社会的責務を果たしながら趣味だけに生きていたいみたいな。
神の確保?っていうのはなんのことかまだスレ上の文脈的にわかってないけど、
少なくとも超人化するというのは、溢れんばかりの才能や環境の豊かさが土壌にはなる
と思います。必須条件でなくとも。
超人云々は正直よくわかりませんが、完成された自己というのは、才能が土壌に
あったとしても、超社会的存在になる過程で、かなりの孤独が要求され、
自分独自の見地による人間世界の俯瞰、それぞれの人や事柄に対する洞察、
などを経て人間世界のあらゆる矛盾などを自己に内包し、その葛藤を解決する
強靭な知性が要求されるものだと思います。色々な二律背反する価値観や感情の
対立を自己自身のうちで知性により解決できなければ、結局のところその人は魂に
あらゆる事柄を包括することはできず、半分捨てることになるのだから、やはり
葛藤の解決という過程は、どんな才人であれ必要な過程にあると思われます。
それでこそ世の中の多くの美点を自分の中に吸収することができるのではないでしょうか。

52 :
つるじょあさんの主張はまだ前のスレとか知らないのでどうかわかりませんが、
麻原やら殺人鬼やらは、神の確保? とか超人とか自己完成とかそういうのとは無縁で
ただ歪んだ精神が盲目的に行ってはならない方向に行ってしまった単なるえげつい病人ですね。
あんまり普通人が触れるものでもないし、もちろん憧れるものでも習うものでもない。いけない。
ていうか実際にイカれた殺人鬼とか半径5m以内にいるだけで吐き気する雰囲気を放散してる。
まあ、麻原であれ殺人鬼であれ、その人そのものに深い洞察をいれようとするのは不可能で、
できたとしても社会学的あるいは心理学的な価値はあれども人間的に得るものはなにもないかと思われさ

53 :
>>47
>あんたも結局はキリスト教か仏教の亜種やろ。
そんな感じですね。宗教観は自分はニーチェと大きく異なっています。
キリスト教徒でもないし仏教を学んでいるわけでもありませんが、
グノーシス主義やその他ヘルメス学から影響をうけ、のちにユングやエックハルトですね。
スピリチュアル系はかなりファッション化された神秘主義、テレビの占い程度のものとしか
思ってませんが、グノーシス主義の古典やユングの解釈などは深読みしてみると面白いものです。
ちょっとグノーシス主義、内向的すぎるし世界を恨んでいる宗教である点では嫌いなのですが。
>>50
クラシックが銅から黄金だとしたらロックは糞から黄金までありますね。
くそなロックバンドに傾倒したら自分もくそになるから要注意ですね。でもいい意味でくそなパンクはアツい。
ロック界には60~80年代には文学史や哲学史の偉人に匹敵する魂をもった人がいる。
ワーグナーのような策士じみた洗脳的扇動化とは方向性はだいぶ異なり、音楽的野人が
ナチュラルに若者の精神を扇情しているという意味では、かなり優れた音楽革命だったのではないでしょうか。
もちろんワーグナーのほうが音そのものの完成度や表現の多様性、精神の尋常じゃない巨大さ、なとで圧倒的に上位ですが。

54 :
>>51
"いいね!"ボタンが付いてたら押しても良いレスだ!
うん、矛盾や対立を内包し、葛藤を消化する胃袋がなくてはな

55 :
つるじょあの過ち――いや、彼の欺瞞は、高潔や脱社会性にたいして、
反社会性をものさしに用いていることだ
より悪いことを平然と行い、背徳的快楽を得た人が脱社会的な力ある人間だって?
それは違う。それは逆向きの社会主義者ではないか!

56 :
全ては地球にいる塵に過ぎない――

57 :
>>56
真理への意志はニヒリズムへ到達した
真理に身をゆだねるまま宇宙のゴミとなるか、荒野で生を闘争するか、好きにしろ

58 :
文脈も糞もニーチェに則れば神とはディオニュソス神に決まってる
やないか。そしてそれは人類全体の神やったのやけど、それが
死んだ状態になってるのが何百万年も継続してきた人類史に
おいて初めて問題になったのや無いか。ニーチェの「最初の完全な
ニヒリスト」とは、その自覚から来てるのやで。
キルケゴールは論理的立場から超人を取り逃がして、死後永遠の
福祉を実現するという彼岸のアクロバットを採用することで、思想を
完結させたんや。せやけどキリスト教の神の有無は別にして、少なく
ともこれは現実の世界で超人は不可能であることを表明してるんや。
そこでニーチェが示したのが論理的に要請されるところの超人理念
や。超人とは現実に神と共にあるということであって、これは何百万年
も継続してきた人類史に則るものや。

59 :
28 = 51-53 = 早
>>58
なるほど、ディオニュソス神の確保ですか。
ニーチェはディオニュソス神を、創造的な神と見なしていますが、
実際のところ、神話などにのっとれば、ディオニュソスはもはや悪神に
近いような像で描かれています。創造と激情の神というよりは狂気と狂酔の神です。
ニーチェはそれをわかりながら、むしろ狂気に近い創造を欲したのかもしれない。
ニーチェはもちろんディオニュソス的創造性としての神像が当時の社会にないことを
嘆いていたと同時に、キリスト教の神が人類にとって無価値なあるいは生の価値を貶める
空虚な神、弱者がしがみついて罪を欺瞞で赦してもらってる神、に成り下がっているとも
嘆いていましたね。本当のキリスト教の神が実質的に価値を喪失して空虚な、それも
人の生の力を落としてしうまような抜け殻の神になってしまったことも「神は死んだ」
で代表される虚無で、ニーチェのニヒリズムの言論に含まれるかと思います。
自分はそこで必要とされることになった神のモデルがディオニュソスなのではと考えます。
ニーチェは聖書の神であれディオニュソスの神であれ、神が実在するか否かという
宇宙論的な見地から神をみていたのではなく、どちらかというと人間にとって価値のある
神像を追求していったタイプの哲学者といえると思います。

60 :
議論?するならわかりやすいようコテつけとくね
>>58
>超人が不可能であることを表明してるんや
詩人のアルチュール・ランボーはまさに超人が存在しうることを体現して立証した詩人だと思います。
西洋の文化を呪い完全独自の言語で西洋文化を言語から創りなおそうと試み、もちろんそこまで規模の
大きいことは20で詩を捨てるまでには達成できませんでしたが、新しい価値やその起爆剤を残し
後の詩やシュールレアリズムなどに多大な影響を与え、言葉や発想が重要をしめる分野の芸術を塗り替える
起点になった詩人です。そして筆を捨てたあとは、西洋を呪って脱獄し西アジア・アフリカに旅立ち武器商などを。
粗暴であったものの聖者的カリスマを若くしてもっていた人物で、これは超人の一例なのではと考えます。
芸術化や詩人はぴんきりだし、だいたいの芸術家というものは酒と麻薬に溺れてますが、
たまには特殊例として超人的人物が現れ得るものだと考えています。ロック界もしかり。
>人類全体の神やったのやけど、それが
>死んだ状態になってるのが何百万年も継続してきた人類史
何百万年はちょっと言いすぎな気がします。何百万年前はホモサピエンスは存在せず、
〜原人などがいた時代で、おそらく神話や神もともとなかったと思われます。
神が死亡状態にあるのはおそらく18世紀後半からであろうかと思います。
ニーチェが評価している旧約の神は数千年前にイスラエルの民を強く正しく導いてきたし
ルネッサンスの頃はギリシャ神話の神々が芸術家をはじめとする人々を大きく
インスパイアーしてきたものだし、それ以前はキリスト教の神が、ローマ帝国
による教義に脚色されていたとはいえ、人々の心に大きく意義をもった作用を成していたと
自分は思っているのですが、どうでしょうか。あまり世界史などには詳しくないのですが。

61 :
>>58
>>59において、>>58の文章を助詞など読み違えていたので
ちぐはぐな返答になってしまいました。申し訳ありません。
「最初の完全なニヒリスト」には同意です。
>>55
つるじょあさんへの批判になりますが、>>55の内容には同感です
反社会的というのは、反がついている時点で社会のしがらみに悪いやり方で
とらわれてしまってるゆえに、ねじれていて、むしろ社会的人間よりも
社会からの心理的束縛が多大にかかっている人なのではと思われます。

62 :
またみすた>>61
>>59において→>>60において
>超人とは現実に神とともにあるということであって
これはまさに仏陀やイエスのことではないでしょうか。
仏陀イエスであれランボーであれ、完全に俗世からつきぬけた境地にありながら、
確固たる自信というか自己の存在の意義の確信を持っていた人です。
おそらくあらゆる尋常ではない内的体験を経て到達した内なる神性からくる前社会的前学問的な
叡智が彼らに多大なしかし正しい確信を抱かせていたのでしょう。それは言い換えれば神とともにある
ということにはないでしょうか。新約でとくに神とともにあるイエスが強調されていますね。

63 :
おお、何?早が帰って来たんだ?なつかしいなあ。
なんか随分文章も上達したし、緻密な思考力もついたし、ずっと勉強していたんだね。
あとでじっくり読んでおくよ。

64 :
>>8
私は一度、新興宗教の体験にいったことがあってその聖言?的なもの所持してるのですが
新興宗教などにおいては、過去の偉大な宗教などから様々なものを都合よく借用し
自分こそがイエスに次ぐ大教祖だと自負し誇大妄想の言説は聖書以上と自負する
教祖さんがいて、だいたいそういう人はメンタルに関する支配欲が大きく、
さらには金銭欲も大きく、信者と言う社会的に弱者的立場にある人を、
自分の欲求の満足のためにも、金銭面においても、利用している感じを受けますね。
しかし勘違いしてるとはいえ良心的な新興宗教であれば、意外と信者はそこに救いを
受けてるものです。もちろんこんなことニーチェにずたずたに批判されるような事態ですが。
>>63
どうもです一年ほど前は荒らして申し訳ありませんでした。
躁鬱が奇跡的に治ろうとしてる、少なくとも軽くなりました。
最近忙しいのですが、空いてる時間や深夜にたまにくるかも、ブーイングなければ。

65 :
人類史を紐解くと、人々は何百万年に渡って感受性を更新して生きてきた
んや。ハレとケを繰り返すそんな中で円環的な世界観を持ってたわけやな。
そんなヘラクレイトス的な世界観が、近代社会に入ると人類史上初めて無に
よって打ち破られることになったんやで。これが神の死やな。
ニーチェはギリシャ悲劇に真理を読み取って、アポロン的な文化の根底に
あるディオニュソスこそ、言語を滅殺して自己を人類を支えるものである
としたんや。ディオニュソス神を讃える祭儀は日常の合理性を否定して、
自我を滅Rるような陶酔的な振る舞いを通じ、根源的なものと再び合一
することや。生存の悲劇を、アポロンの背後にあるものを、ニーチェは
見抜いてたんやで。こうして人類は円環的時間観の中で何百万年も
存続してきたわけやけど、近代社会に入ってあの神は殺されて、人々
はそのことに気付かんと偽神をあがめる中で、最初にそのことに確信
的に気付いたのがニーチェなんや。

66 :
>>62
>到達した内なる神性
到達するような神は理論上不可能か無にきまってるやんか。超人は理念では
理論上ありえず、そうであるが故に到来するものであり(受動性)、それは
彼岸などではなしに現実に出現するのであり(時間性)、また無意識下の
境地に開かれるものであり(一般性)、こうして意味の無限指定の只中で、
意味の体裁をとりながらも意味を経由せず、歴史を持たず、永遠の福祉が
開かれてるのやで。これが超人なんや。あの前近代の神がそっくりそのまま
現代に担保されるんや。これ以外の神は近代以降の人工的な偽神であって、
その正体は無なんや。
人が無の深淵を超えた超人に至り、視空間に広がる日常それ自体が輝きを
放って、生存実感を演出するんや。そこには人工的なもの(ニヒル)は一切
存在する余地はなく、無垢な生存が永遠にあるだけや。

67 :
ではつるじょあは超人になれたのか??
 
つるじょあ「わいは超人にはなれなかったんや・・・」 
 
つるじょあンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

68 :
やっぱりな
そうそう書ける洞察じゃないんだよ
誰であるかは思い当たってた

69 :
ふと思ったんだけど、やっぱニーチェって天才じゃね?
あらゆる哲学者の中でも一線を画するよ。

70 :
つるじょあ
>超人とは現実に神と共にあるということであって

>おそらくあらゆる尋常ではない内的体験を経て到達した内なる神性からくる・・・
>それは言い換えれば神とともにある ということにはないでしょうか。
二人の書き込みを見てると、「そんなことをニーチェがどこで書いてるんだ?w」と言いたくなる。
特につるじょあのは、ひどいな・・・
あなたは、ニーチェの文章から引用してみろと言われても、引用できないでしょう。きっと。

71 :
ニーチェは「超人」がどういう存在者であるのか、はっきりしたことは書いていないから、
人は自分に都合のいい超人像を勝手にイメージしてしまいがちなんだが、
「超人」を考えるための手がかりは、いくつかある。
例えばニーチェは「超人」の対極にある者として、「末人(おしまいの人間)」を描いている。
ニーチェは「末人」を、「自己保身」する者として描いているから、
そこから、超人の属性として、「自己超克」ということが浮かび上がってくる。

72 :
もう一つ、ツァラトゥストラは、弱者には耐え難い思想である「永劫回帰」を説く前に超人を説いている。
だから超人は、永劫回帰を欲することのできる者、として考えられているはず。
では、「永劫回帰を欲する」というのは、どういうことなのか。
もちろんそれは、ある種の強さであり、その強さを体現する者が「超人」なのだが、
その「強さ」とは、いかなる種類の「強さ」であるのか?
そしてそれは、ニーチェのどの文章から読み取れるのか?

73 :
二人とも、ある程度はニーチェに即して書かないと、
荒唐無稽な作文になってしまうよ。

74 :
ディオニュソス神を讃える祭りとは、正に言語を滅Rる機会なんや。陶酔的な
振る舞いを通じ日常の合理性は否定され、普段ありえない振る舞いを通じて、
根源的なものとの合一が図られたのやで。ニーチェはそこに生成の無垢を看破
したわけや。
人は意味があるからよく生きられるのとちゃうんや、よく生きられんから
ルサンチマンに陥って意味を語りだすんや。意味や権威は脆弱な実存を抱える
弱者の権力への意志なのやで。
人類史を省みても、未開の部族の生活を見ても、祭りは定期的に行われるもの
や。そしてそれは主体的に選択するのやなしにセットアップされるものなんや。
またそれは村落全体で行われたんや。
この様に時間性/受動性/一般性であるからこそ神は担保されうるのやで。
キルケゴールは主体的なあれかこれかの選択を迫った時点で、無神論の立ち
位置を与えてもうたんや。無の深淵の前に立たされた人々に理論上待ってる
のは、確実な死に至る病すなわち絶望やろ。

75 :
「汝為すべしより高いのは我欲す、我欲すより高いのは我在り」
これは運命愛にかかわることやけど、世界それ自体を肯定することが
我在りの境地や。前近代では意味を経由することなくそうあった
わけやけど、近代以降ニヒリズムが侵入して、いかにしてそうあるか
が現代の課題や。つまりそれは意味それ自体が、すなわち仮象それ
自体が肯定されることやとおっちゃんは思うんや。
意味(目的合理)の体裁はとるのやけど、成功は勿論のこと失敗
にも意味があるのであって、それは本質的に無意味なんや。前近代
との違いは意味の体裁をとるかどうかであって、あの現実に全体に
来訪するという神は温存されてるのやで。

76 :
「私がこれまで徹底的にニヒリストであったということ、私はやっと近頃
このことを自認した。私をニヒリストとして前進せしめたエネルギーや
ラディカリズムが、この根本事実に関して私を欺いたのである。一つの
目標に向かって歩を進めている時には、無目的自体が私達の信仰の原則で
あるということは、不可能のことと思われる。」
超人を目指すということ自体が、あれかこれかの選択肢を与えること
自体が、無神論の場を与えて神をRということなんや。到達した内なる
神性なんかは偽神信仰であって、神の取り違え以外の何ものでもないよ。
理念的に示唆するところの超人概念はありえるけども、それで現実に超人
を確保できると思ったら大間違いなんや。

77 :
>よく生きられんからルサンチマンに陥って意味を語りだすんや。
このへんは、つるじょあにしては、ややまともw
しかし弱者は、「ルサンチマンに陥って意味を語りだす」のではない。
弱者は「意味を語りだす」ことはできない。
「無意味さ」に耐えることができない弱者は、《既存の》「意味」を求める。
そして捏造された既存の「意味」を支えとして自己を保身するのが弱者。
今まで、そのような「意味」の典型的なものが、キリスト教の「彼岸」だった。

78 :
そのようなキリスト教的「彼岸」は、有限一直線で、終わりのある時間。
終わりがあるから、そこに「意味」が生じる。
ニーチェがそのような終末論に対置したのが「永劫回帰」であって、
ニーチェは「永劫回帰」について、「無意味なものが永遠に! これがニヒリズムの最も極端な形態である」と書いている。
『君たちは、彼岸的な意味を求める者なのか? それとも、この「無意味さ」に耐えられるのか?』というわけだ。

79 :
つるじょあはオウムの残党で、搾取する信者を集めに来た新興宗教の教祖だよ
彼の思想を受動性・時間性・一般性に即してまとめると以下のようになる
(私のような)選ばれし者にのみ、神は到来する(受動性)、
(お前たちは)激しい高揚感に浸り、思考停止せよ(時間性)、
(私の説教は)全ての人に無条件に受け入れられるべき、唯一絶対の真理である(一般性)

80 :
「生の回帰という究極的で永遠的な確証と確認以外には何も要らない
と思うためには、お前は自分自身とその生をどれほどいとおしまねば
ならぬことか」
キルケゴールは永劫回帰の現世での受容を拒絶して、死後での受容を
図るのやけど、これは神との合一が現実では頓挫する事に鼻が利いた
からや。せやけどニーチェは論理構成上要請されるところの超人概念の
理念を掲げたのやで。
あれかこれかの空間性は、意味を経由する能動性は、光を鈍らせる個別性
は、ニヒリズムの一形態であり、無への信仰であり、神をRことや。
そこで現実に神と合一する為に必要なのが世界観の更新なんやで。

81 :
「この門は二つの顔を持っている。どちらの道もまだ誰一人果てまで
いったものはいない。後ろへの道も前への道も永劫に続いている。両者は
相容れないがこの門で両者は行き会っている。この門の名前は瞬間である」
目標を掲げてその目標との関わりにおいてその生存を評価する物差しとする
のでは、現実の生成される瞬間を永遠化し、また光を齎すことは出来ひんよ。
円環的時間観の確保は、過去の必然性を可能化し、未来の可能性を必然化
することでなされるんや。繋がって初めて円環なんやで。
3条件を満たすがゆえの神は確保され、こうして世界観は人類史の
伝統性に立ち返って更新されるに至るんや。かつてあった円環的
時間観に復帰し、生成される瞬間においてそれは光り輝いて、
こうして永遠の福祉を現世で獲得することが出来るんやで。
世界観の更新で齎されるのは2つあって、一方が世界はそうでしか
ありえないというもので、他方がそれ以外何もいらないというものや。
一方だけでは悪魔と呪って重しとなるやろうし、この二つが満たされる
ことによって「こんな神々しいことは一度も聞いたことがない!」に
繋がるのやで。

82 :
長々と退屈な空語は例のブログでやれよ
どうせ誰も見てくれないから寂しくなってここに来たんだろ?w

83 :
>>73
>>70
なんというかニーチェ自体が、精神的な一貫性あれども学問体系としての一貫性が
完全に欠落しているから、結局のところニーチェの妥当な読み方というのは、
インスパイアーされること、あるいはニーチェという人間を見ること、そのことに尽きる
のではないのでしょうか。小林秀雄は、ニーチェの哲学のことを、思想ではなく思想の発火点や源流
と呼んでいました。
それと、内なる神性うんぬんはニーチェが言っていたのではなく、ニーチェ自身が
そういう体験をしていたのではないかと読者側である自分が洞察したというのもあるね。
読書には、書かれてることに則って考えること、書かれてることを洞察すること、
書かれてることから筆者の精神を洞察すること、書かれてることからインスパイアーされ
独自の価値体系の中で連想して思考すること、いろいろあるけど、ニーチェの場合は、
書かれてることに則って考えるなんてことすると、著作によって考えが翻ったり比喩が多用されたり
なので余計に支離滅裂で文献によって矛盾した風になってしまうのではないでしょうか。
きっとあれですね、完全にニーチェに即して引用してそれらを比較したりそこから学問的に考察するか、
または中途半端にニーチェの術語や引用をつかったりはせずニーチェの言葉から得られた思考や感動を
ニーチェ体系外の言葉、普遍的な言葉で表現するか、どちらかが良いと思われます。それでもある程度は
ニーチェに即すこと必要ですね。

84 :
>>82 
空語かあ。まあいいや。
特に寂しくはないです。最近やたらと外で遊んでるけど、哲学好きな人が周囲にいなくて
なんでもいいから観念的な言葉を交わしたいという欲求がここへつれてきたてのは確かかもです。
>>82さんみたいに私の書き込みがわずらわしがる人が多いのでしたらFacebookのPhilosophyグループにでも
引っ越すとおもいますが。まあ反応みてここから引くか居るかなんとなく判断しときます。
他の人にとっても長文うざいだろうけどなんか、つるじょあさんがいっぱい語りたそうで自分邪魔っぽいな

85 :
>>76
>超人を目指すということ自体が、あれかこれかの選択肢を与えること
>自体が、無神論の場を与えて神をRということなんや。到達した内なる
>神性なんかは偽神信仰であって、神の取り違え以外の何ものでもないよ。
たしかにニーチェの哲学には内なる神性というのは出てこないというか、
ニーチェはそういういかがわしいものを批判しているものではありますが、
中世以前の神秘主義、エックハルト、プロティノス、ハルトマン、ユング、など色々な思想家が
何度も語っているので、偽神信仰と簡単に蹴ってしまうのは、単にニーチェがそう
言っていたからという論拠以外では説得力を欠くと思われます。
個人的にはニーチェは絶対ではないと思うし、むしろニーチェは絶対性を批判しているから
ニーチェを読んでいるとニーチェの考えにはそぐわない思考のほうがよく浮かんできます。
神の取り違え、のことですが、むしろ私は、キリスト教において神の取り違えが
発生していると思います。そしてニーチェの殺したかった神とは取り違えられた空虚な
キリスト教の神なのでないかと。で、自分の言う神は外在する偶像としての神ではなく、
汎神論的な意味でいう生命すべてに内在する神性のことです。

86 :
>>74
>ディオニュソス神を讃える祭りとは、正に言語を滅Rる機会なんや。陶酔的な
>振る舞いを通じ日常の合理性は否定され、普段ありえない振る舞いを通じて、
>根源的なものとの合一が図られたのやで。ニーチェはそこに生成の無垢を看破
>したわけや。
>人は意味があるからよく生きられるのとちゃうんや、よく生きられんから
>ルサンチマンに陥って意味を語りだすんや。
この当たりのくだりは大阪弁と相俟って好きやなあ。
12月x日に関西のどこかでライヴするよー!^^ ライヴでは意味や言葉なんてない。音だけがある。
個と個の意思疎通もない。個が全体に溶け出すことでつながっている感じ。
ガチで音に入り込んでるミュージシャンは意味など追求していない。ただ音が体を巡ればそれだけで生。

87 :
>>84
いやいや、俺が攻撃しているのは君じゃなくてつるじょあだから、勘違いすんな
他人とコミュニケーションがとれている人を追い出すつもりはないからね
ちなみに俺がつるじょあという人を執拗に攻撃しているわけは、
一方的に自分の考えを押し付けようとする危険人物だからだよ
たぶん彼は常に一人で勝手に何でも決め付けて、完全に凝り固まっているから
他人の意見を消化して変化(成長)することができない死臭を漂わせて迷惑なのさ

88 :
なるほど。勘違いしてすいません。
つるじょあさんは、自分が居ない間に色々と説き続けておられたのですね。
2ちゃんブラウザないので過去スレ見れませんが、気が向いたら、追々つるじょあさんの
言葉に何らかの一貫した問題点など見出したときなどには、冷静に批判してみましょうか。
まあコテ同士が喧嘩状態になるとスレ崩壊しそうなのでやめとくと思いますが。
それに自分だってボルトぶっ飛ぶと危険迷惑きわまりないし。当分は静かにしときます。

89 :
>>早
黙って議論してたらエエのに何をごちゃごちゃいうとんねん。書き込むか
書き込まんかの理由をここでなんで書き込むんや?静かにするんやったら
黙って静かにせえや。

90 :
瞬間の門から生成される物語は、例えるなら原子のアトムであって、
永遠にそれだけが存在するものや。ただそれだけやと重荷になって
押しつぶされてしまうから、そこでその一個の永遠に如何なる刷り
込みを持つのかということが問題になるんや。
存在との距離が近づけば近づくほど、人は嘔吐するものや。そこで
存在との距離を永遠に開かせるように神との距離を一切無くすような
刷り込みが求められるのやで。この様な仮称の、相対的な解釈可能性
が絶対的になったとき、仮称は仮称であることをやめて、すなわち前提
である解釈の立ち位置が仮称それ自体になることで仮称性は消失して、
原子のアトムになって、現世に現実に永遠の福祉が実現されるんや。

91 :
アブラハムが神の命令に従って子供を生贄にささげようとしたのを、
キルケゴールは神の前における道徳的なものの目的論的停止と
名づけてこの生き方を宗教者の理想と掲げたけども、アブラハムが
誰にも告げずに社会的には悪の極致を行おうとしたのはな、彼が
独自の世界観を持ちそして刷り込まれてるからこそ、当然のことで
あるがゆえに語ることが無理やったんや。
奥崎謙三にとってすべては神の命令なんや。彼はそれに従って
神の国実現を目指すのやけど、彼自身がそうあるのは共同主観性
それ自体が独自なのであって、彼にとっては神が素晴らしいから
神なのやなしに、それは当然のことなんや。

92 :
>>90
>この様な仮称の、相対的な解釈可能性
>が絶対的になったとき、仮称は仮称であることをやめて、すなわち前提
>である解釈の立ち位置が仮称それ自体になることで仮称性は消失して、
>原子のアトムになって、現世に現実に永遠の福祉が実現されるんや。
ニーチェに則るとしたら、仮象(仮称?なのか仮象の変換ミス?)が仮象でなくなる
ということはあり得ないと思われます。たとえで持ち出された原子だって、
ニーチェだけでなくマッハにとっては仮象にすぎず、科学界においても原子はさらに
素粒子まで遡りその正体は未だ究極には解明されず、単位的な粒子というより波であるという
解釈をする物理学者もたまにいます。物理現象でさえ最小単位となる微粒子が確固としてないのだから、
なおさら心理学や哲学が扱うところの精神においては、精神レベルでの原子を想定するのは
もはや無理があるような気がします。ニーチェの想定した「力への意志」という解釈機能をもった
力動素子みたいなものも、個が無数にあるというより無限に絶えず生まれ消えている明滅する力動素子
のようなもので、少なくともニーチェに則るとすれば、仮象性を失った動かない絶対的単位など存在しえないと私は考えます。
距離が永遠になるということは、数学的に言い換えれば無限であり、無限というのは0で固定するというのと同じように、
動いている点ではありません。ほぼ無限距離なら光速で移動しようがほぼ無限距離のままですが
無限距離となると無限という存在しえないどこかの一点にとどまることになります。
つまり距離を永遠にするということは、現世で内どこかで停止している状態であるということ。

93 :
(上 現世で内 ミス 現世でない)
そして >現世に永遠の福祉が実現される
というのは前の数文を踏まえるとすれば、FFか何かのゲームのように世界がクリスタルとなって永遠に動かない状態
になってしまうのではないでしょうか。世界がとまりクリスタルとなる、これぞ完璧な世界、みたいな。
ちょっと飛躍しましたが、自分の考えとしては、永遠の福祉というのは、ニーチェにのっとるなら
動かないものなどないし何もかもが生成流転している仮象であり絶対はないのだから、そして心理においても
物理においても確固たる最小単位としての原子というものは現世の時空では存在しえないのだから、
(永遠の福祉というのがあるとすれば)流転を防ぐため仮象を絶対像にするために時間を止めること
または、プラトンのイデア論のように現世とは別次元に前時空間的なイデア界を発見することくらいでしょう。
こう考えると、上記の永遠の福祉論は、かなりニーチェと逸れた言論になると思われます。

94 :
なんかめんどくさくなっって長文よむ辛さがわかりましたごめんなさい。
自分もうるさすぎてすいませんもう迷惑かけたくないや。
ニーチェの箴言のような、血と寸鉄の書き込みのがずっといいね!

95 :
>>88
ここで過去ログ見られるよ
http://www.logsoku.com/

96 :
>>94
もっとゆっくりしていきなされ。

97 :
衒学趣味の長文は結局のところ、紙とペンにおいてのみ生きている空想的なものだ
実践的な言葉で語られえない哲学的演繹は、内容がないことを隠蔽する新興宗教のペテンに過ぎない

98 :
>>早
あのなあ、お前なあ、ほんまエエ加減にせえよ。ちょっと言わしてもらうわ。
まずどうでもええ己の近況や思いを垂れ流しにしてやで、それで静かにする
といいながらその舌の根も乾かん内に即長文レスつけてやで、それ書き
終わったら今度はごめんなさいてどういうことやねん。あっちゃこっちゃ向いて
やりきれんわ。長文書き込んで申し訳なかったら黙って書き込み遠慮したら
ええやろ。静かにするのやったら静かにするて一々書き込まんと黙って
静かにしたらええやろ。はっきりゆうたらあんたが誰やとか何思ってるやとか
どうでもええねん。誰かに慰めて欲しいとかこっちからしたら邪魔臭いんや。
次も自己顕示するのやったらあんたの書き込みは無視さしてもらいまっさ。

99 :
>>早
>ニーチェに則るとしたら、仮象(仮称?なのか仮象の変換ミス?)が
>仮象でなくなるということはあり得ないと思われます。
ニーチェは正午において「我々の世界とともに仮象の世界も追放した
ことになる」てゆうてるやん。仮象が唯一の世界になるんや。あと
仮称については間違うてましたわ。
>たとえで持ち出された原子だって
分割不可個体が素粒子やとかクオーツやとかいうてるのとちゃうねん。
変化しないものの例えばアトムやのに、なんで科学の話せなあかんのや?

100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
知恵を持つ賢さとIQの高さの違いとは (788)
 ─スラヴォイ・ジジェク─ (177)
知恵を持つ賢さとIQの高さの違いとは (788)
お笑いのシュールの定義ってなんなのさ (105)
哲学を学んだら死ぬのが恐くなくなるって本当なの? (147)
バカみたいに高く生きるには? (428)
--log9.info------------------
現在の日本の政権と鎌倉時代の元寇時代とを比較する (193)
世紀のヘタレ政党 民主党 (931)
【民主党】民主党=赤字国債バラマキ選挙党 (702)
民主党は最低! (773)
【速報】民主じゃやっぱり無理だった (554)
民主党のネット工作について報告するスレ (266)
朝敵 民主党を討伐せよ。 (874)
民主党が嘘を付いたらageるスレ (248)
【政治】日本未来の党ga大改革☆1【選挙】 (118)
なぜ自称左翼は生活保護費を騙し取るのか? (113)
民主党政権の功績をなんとか探すスレ (125)
憲政史上最悪のミンス政権崩壊まで上げ続けるスレ (421)
嘘吐きで増税と言えば?  ヒント民主党 (280)
○◎△党首辞任ダービー 第1議案 (146)
●●大阪維新の会●● (195)
松山市長・【のし克仁】 (434)
--log55.com------------------
関西・近畿気象情報 Part477
関東気象情報 Part775【2018/8/24〜】
関東気象情報 Part776【2018/8/26〜】
宇宙は膨張し続けていると言いますが、宇宙の外側には何があると思いますか?
地球空洞説を真剣に語るスレ 3
宇宙の質問が書き込まれたら誰かが即答するスレ54
福岡の北九州地域の精神科病院はどうよ
【ビデオ講座】Q-Assistを語るスレ【幻の第四勢力】