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92>91>89>90 藤田巨人


1 :2010/02/22 〜 最終レス :2013/06/25
30歳前後の藤田巨人ファンが好きなジャイアンツはスレタイの順である

2 :
理由は幾つもあるけど概ね次の通りである
前提 この間のジャイアンツは年齢も若くどちらかというと余話弱々しい若者の集まりであった
92年 最初の成功から一転、真の姿である弱さを見せた前年を引きずり
弱さを再度見せたが、若者が団結し、内に秘める強さも見せ、最大限努力し大活躍。しかし土壇場での断念。
91年 今までがマグレと言わんばかり、真の姿を露呈し本来の弱さを見せた
89年 若者達が一致団結し奇跡の連続の様な勝ちを連続し見事に勝ち抜いた
90年 大勝利でファン的には楽しめたが大勝利以外の面では特別な見せ場もなくそれなりのシーズン

総合的にこの間は大変感動深いものであった。
四連覇していたらこれほど感動はしなかっただろう。
四年連続V逸でもこれほど感動はしなかっただろう。
強さ弱さを併せ持つ若者の両方の面を見れたから素晴らしかったのだと言える。
強くもあり弱くもあった。それが藤田ジャイアンツの魅力だ。

3 :
なお日本一→優勝→四位→大混戦二位
という順番も最高だと思っている。
これが四位→大混戦二位→優勝→日本一
のような徐々に上がっていく展開だと、どこにでもある普通のパターンで何も感動しない。
弱い若者だが本当はすごい力を秘めた集団でもあるチームが感動的奇跡的に日本一を取り
翌年もその続きでリーグを制するが、真の強者にシリーズでボコボコにされ、
翌年再度日本一を目指すも、野球は甘くは無いんだよという事を教えられ、
Aクラス入りすらならず、翌年も更にそれは続くかに見えたが、そうはいかず一気に首位の座へ。
しかし土壇場で弱気が顔を出し大善戦の挙句、終戦。
この流れが大変素晴らしい。
当時は勝てずに頭に来ていただけであったが、今にして思えばこれ以上ない最高の筋書きである。

4 :
ライバル西武に4連敗したことで巨人最悪の監督
第一期は良かったんだけどね

5 :
でもその4連敗した年のレギュラーシーズンこそ最強の巨人だった。
俺は巨人ファンじゃなかったから、あの年は地獄だった。
先発斉藤なんかの時は、もう結果が分かってるから
パの試合をラジオで聴いたりしてたもんだ。

6 :
92>91>89>90 藤田巨人(1001) 作成日:02月22日 19時19分 | PROXY
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ここだけ30年前のスレ2(1) 作成日:11月24日 23時43分 | PROXY

7 :
この時代の良さは27〜32歳位の人にしかあまり知られていない。
33歳以上の人は時代以前に、この期間の存在だけはまるで記憶に無いようなのである。
丁度33歳の人は89年に中学校に入学した。
中学生と言えば丁度ナイター中継の時間自宅を開けている事が多くそういった事も関係しているのだろう。

8 :
89年なんてかなり完封負けしたと思うけど、
あの年、たまたま瞬間的に投手達が覚醒(というより今にして思えば他チームが情けなすぎたが)しなければ
完全に優勝は無かった。恐らく完封負けの数はリーグ最多だろう。

9 :
違ったね
平成1年完封負け数
阪神14
読売13
広島12
中日12
横浜9
東京7

10 :
89年5〜6月の広島戦なんて9試合戦って17点しか取れなかった。
9月も6試合戦って9点しか取れなかった。
なお9月には全チームと19試合行い53点しか取ってない(二桁得点の試合あり)
当時を知る者からすれば、89年は弱すぎた。

11 :
>>1
これを立てた人?
1989〜1992年の読売で好きな年はいつ?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1255177151/
1 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2009/10/10(土) 21:19:11 ID:eXMrBclJ
私は
1、1991年
2、1989年、1992年
3、1990年
の順

12 :
そもそも89年に近鉄が優勝したことが奇跡なんだよな
実力から言えば西武の方が全然、上だったのに
89年も西武が出ていれば巨人は惨敗していた

13 :
その通りだ

14 :
制したのと同じく近鉄が読売に三連勝したのもまた、たまたま。
読売が四連敗したのや翌年優勝を逃したのは必然。
92年の最終成績が本当の実力だろう。そういう意味では藤田さんの最終年は偶然でも何でもなく、初めて「本当の数字」で一年を終えた。

15 :
近鉄もまた、完封負けが多いはなんだで弱いチームだった。
あの年に限定すればライオンズに並んでブレーブスも強いチームではあった。

16 :
第一次のときも
82に真の姿?を見せてしまってるしな。
まあ藤田政権、地味な印象になりがちなのは
長嶋、王の谷間にあって、更にチームが若返ったため、野球人気を強固に支えている団塊世代から
あまり支持されていないんだな。その代わりに団塊ジュニア前後の世代には神憑り的に支持されている。

17 :
藤田がいなければ斎藤はエースになれなかったことだけは確か
それだけでも大きな仕事をした 桑田槙原だけだったら94年 96年の優勝もなかったと思う

18 :
>>17斎藤はもちろん、二線級のピッチャーも藤田がいなければ、あんなに活躍できなかっただろうな。
第一次藤田のとき、長嶋の遺産で勝てたというような事をよく言われていたが
逆に第二次長嶋の前半は、藤田時代の遺産が非常に大きかったように思う。

19 :
読売とか言うやつはキチガイが多い。
巨人とかジャイアンツと言うならわかるけど。
てか俺3年ぶりに殿堂板覗いたんだけど、>>1ってその時からスレ立てまくっては
1人で自演してたよな。
進歩しろよ、キチガイ。

20 :
そういえばこのチームだけ、巨人という他チームには無い名前がついているので
読売ジャイアンツという名にし巨人という名は無くしてほしかったな。
あの時は貯金40もしたんだから試合毎にもう少し圧倒感も欲しかったもんだが、
終わるまでどちらが勝つか分からないという試合が殆どで貯金40もの強さを全く感じさせなかったな。
89年と92年の違いは混戦の最中一本打たれたか打たれなかったかの違いだけなので、
緊張感は全く同じだった。
現在と比較し中盤で今日は勝ち決定だろうという様な試合は、ほぼ無かった。

よく斎藤の日は2点取られたら負けると思ったと言っている、非読売ファンがいるけど、
読売に勝ってほしい側からしたら、今まで勝っているからその日も勝つなんていう確証は全く無く、
今日は打たれるかもしれないという不安は常にあったし、勝てば勝つほどそのように感じたもんである。
斎藤コーチの連続完投中なぞ、日に日に今日は負けるだろうという予感が強くなったもんだ。
投高打低チームのファンはしんどい。

21 :
>>19
長女とかいうコテの奴か?
670 名前:長女[] 投稿日:2008/03/31(月) 01:52:36 ID:uMJUljOt
当時読売ファンの私が、最も好きなシーズンは89〜92
全てが好き。信じられない奇跡が続いた89年。
完全に他を圧した90年。
前二年が信じられない様な、本来?の姿を曝け出した91年(お盆の横浜3連敗の
苦悩しきってる選手の表情は最高)
92年の前年同様苦悩しきった選手達が最下位に沈み続け、
連勝が始まり首位に躍り出る最中、子供の様にはしゃぐ選手達。
しかし土壇場で、またシーズン前半の弱さが顔を出し、優勝出来なかった選手達。
それをよそに、監督勇退。
私は当時の読売も好きだ。
特に後二年。
強い者より弱い者を好む。
救いは前二年も、強い者が磐石な勝利をしたのではなく、
ひたむきさが重なって勝利したみたいな点だ。
その点西武は勝って当たり前みたいなムードが出ててあまり好きではなかったのですが、
95年も終盤に入ると何か複雑な気分になり、96年なんて完全に西武に優勝してもらいたかった。
そう思えば一番うれしかったのは97年の西武の優勝かもしれない。
しかし、02年に西武に4連勝した時は、嬉しかったのである。

22 :
>>21
こいつはしらない。これよりさらに2年位前俺がここによくきてたのが06年07とか
だから、その辺にいた。でも特徴は同じだから多分同一人物。
殿堂板なのに、「東京巨人軍」すら知らずに、「読売」と連呼してて、
指摘したらすっごい切れてたww
てか、今でも会社名は「株式会社読売巨人軍」なのも知らないんじゃない?

23 :
この時期は、よく打線が貧弱だったといわれるけど
相対的には中日の次に点をとってるんだよな。
88〜92の平均得点
中日 4.22
巨人 4.19
ヤクルト 4.17
広島 4.14
大洋 4.00
阪神 3.79

24 :
あの時代は落合 池山 広沢ぐらいしか大砲がいなかった気がする

25 :
92年は打線も本塁打20本台後半級が3人いて
このまま93年も藤田が率いてたら...と思う。
先発完投志向だけどリリーフに
劇場型フインキ出しながらも
防御率1.30くらい、80イニング120奪三振の石毛起用とか。

26 :
まあ藤田が監督続けてたら、確かに石毛はまた違う人生になったかもしれんな。

27 :
谷口とか育っていたかもな   

28 :
斉藤を2年連続20勝させた時点で神監督

29 :
>>26
でも、藤田が監督続けてたら「巨人・松井秀喜」は無い

30 :
ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10july/KFullNormal20100701178.html

31 :
>>29
どうして?

32 :
92年はデーブ大久保がトレードでこなかったら最下位もありえた

33 :
伊藤智を指名する予定だったが茂雄が松井にひっくり返した

34 :
>>28
藤田>>王>>>>>>>>長嶋失せろ
な俺だが鹿取を出した事だけは許せなかった・・・その後
抑えに苦労した巨人、磐石になった西武を見ると余計にね

35 :
>>33
伊藤回避した事も松井を引き当てた事も、長嶋の数少ない功績、ちゃんと育てたのは特筆に値する。
願わくば、松井にとって永年居心地の良いチーム作りをして欲しかった。
でも基本的には>>34に激しく同意。先発重視抑え軽視の悪しき感覚は、
長年に渡ってチームの重要未解決問題になってしまったもんなぁ。
ただ、鹿取曰く、「西武のバック(守備)があったから、安心して投げられた」という事らしい。

36 :
「暫定守護神」
藤田野球の長所が先発完投重視であるのは数字にもハッキリ出ていて完投数、そしてチーム成績にも表れている。
それに対し負の遺産をを挙げるなら救援投手陣が手薄になったことではないか。
王政権の87年28S、88年は23Sだったが、藤田監督就任後89年16S、90年20S、91年9Sと減っていった。
藤田就任前の大半のセーブを稼いでいたのは鹿取義隆。先発にも救援にも藤田は若手を求めていた時期だった。
平成に入り投手起用の分業化がかなり進んでいた頃だ。それとは逆に先発の強化を図る藤田。鹿取はその割りを食った形になった。
斎藤雅樹、桑田真澄を中心とした投手がよく投げ89年の完投数は前年の36から69に増えた。開幕は抑え構想に入っていたが前半戦の
失敗が響き信頼感を失っていった。鹿取は著書で、この89年は中でも5月18日の失敗が大きかったと振り返りさらに
「監督にとって重要な意味を持つゲームと位置付けていたようだった。試合後名指しで叱責された」と言った。
この試合は調べるとチーム30試合目の対中日戦で先発・木田優夫から救援した鹿取が抑えられなかったものの継いだ広田浩章が
抑え1点差で逃げ切り勝ち。20勝一番乗りを果たし貯金を11としている。“重要な意味”とは期待株の木田が先発として連勝がかかっていて
一本立ちを願っていたからか。その後鹿取は広田や水野雄仁に取って代わられる。
勤続疲労による故障も追い討ちをかけこの年は結局3セーブしかできなかった。そしてシリーズ前、鹿取を「出してもいい」と言った藤田に
西武監督・森祇晶が目をつけ西岡良洋とのトレードを成立させた。(シリーズには一度登板)
しかし西武移籍後の鹿取と巨人は言わずもがな。巨人は広田、水野が今一つで長く続かず92年藤田が発掘した石毛博史はいたが
90年代はマリオ・ブリトー、槙原寛己らが務めるも2年と持たない“暫定守護神”ばかり。90年代の日本一は一度だけに終わった。
一方西武は黄金期以降も強さをキープし、「森監督が気を使ってくれた」「巨人とは比べ物にならない常識覆した守備力」と言った鹿取も
救援陣の一角を担い、40歳で引退する97年までの8年間で73セーブ、117セーブポイントを挙げた。

37 :
槇原は、相手ピッチャーも3番手4番手が投げているのに12勝くらいしかできんのかね。
もっと勝ててもいいはず。

38 :
年々弱くなっていったような気がする

39 :
あの当時、うる覚えだけど、どうして、先発槇原に抑え兼任させたのか?の問いに、
先発して翌日は全く投げず上がりなんだが、結局登板する前日か前々日にはブルペンに入り何球か投げ込むんですよ。
ただ、その何球かブルペンで投げるのを試合終盤に投げるだけ。
みたいないかにも投手コーチ出身的な理論で、当時納得したけどやはり無理があったよね。

40 :
>>37
プロから見たら癖の分かりやすく、矯正できない投手だったのでは?
西武やヤクなどのID野球が浸透しつつある時だったし。
それでも12勝はしちゃう所はすごい。今でいう対米国や韓国などの
海外試合や五輪があったら神ピッチしそうだ。

41 :
藤田監督のクローザー起用時ってあまり入る打順を気にしていなかったようだね。
一応は万一を考えてその時点でのいちばん遠い打順に入れるもんだが(つまりもう1人交代する)。
よっぽど自信あったみたいだ。
一度なんぞ8回に角を入れてそのまま前の投手の打順に入れたもんで9回の先頭打者が
角になったことまである。

42 :
藤田監督って、先発完投にこだわりすぎだと思わない?
野村克也監督みたいにあまり小刻み継投をされても、
試合時間がやたら長くなって困るけど

43 :
監督として成功しないと言われる投手出身の藤田が成功したのは牧野の存在が大きい。星野における島野みたいなもの。
牧野がいなくなった第2期は西武に4連敗するなど采配が雑になった。

44 :
あの頃の西武は強すぎたから仕方ないわ

45 :
牧野なきあと小牧野はいたな。
別名壊れた信号機。

46 :
>>43
もともと藤田は短期決戦にあまり強くない。
長いプランでの運営は得意だがここ一番の試合とかは負けるイメージがあった。

47 :
一見スマートな紳士だけど藤田って実は星野によく似てるんだよね。

藤田と星野の共通点
投手出身
川上哲治の門下生
投手を中心とした守りの野球
短気な激情家
自分に楯ついた選手をすぐトレードに出す
人脈・政治力がある
優秀な参謀がついている
短期決戦に弱い

48 :
投手を酷使する傾向がある

49 :
手堅そうに見えて、キャッチング、リードに問題のある大久保を正捕手に起用するなど
意外と攻撃型の監督だった。

50 :
藤田はかなり攻撃型だったよ。
監督辞めてからも、横浜のローズがフリーな時、取った方がいいと進言して、
ポジションが空いてなくとも、取ってから考えればいいと、結構アバウトな事言ってた

51 :
89〜90年は先発投手陣に完投させすぎたな。いくらなんでも全試合の半分を完投とかありえん。

52 :
>>51
そのしわ寄せが91年にきた、ということか?

91年は巨人投手陣がボコボコ打たれた印象があるなあ

53 :
>>51
>いくらなんでも全試合の半分を完投とかありえん。
時代に逆行するにもほどがある
だけど面白かった

54 :
90年の日本シリーズで西武に惨敗したのは、「前年3位のチームなので対策、マークが甘かった」のもあるよね?
2年連続20勝と安定感抜群で、崩れる兆候が万に一つもなかった斎藤は何故フルボッコされたんだろ?

55 :
>>54
上で書いてる通り、斉藤は完投させ過ぎでシーズン終盤はバテバテだったんではないの?

56 :
>>54
90年の巨人は9月上旬に早々と優勝を決めた。
シーズン終盤は、日本シリーズに向けて投手や野手を
少し休ませておけばよかったようなものを、斎藤の
「2年連続20勝」を達成させるべく、藤田が斎藤をシーズン最後の最後
まで使いまくった記憶がある。

斎藤は日本シリーズをやる頃にはグロッキー
だったのだろう

57 :
早く優勝すれば試合勘がにぶる、最後までもたつくとバテるのは定番

58 :
2年連続20勝取るか、日本シリーズに向けて休ませるかどっちかだよね。
決して藤田監督の選択は間違ってないと思うよ

59 :
>>51
その傾向は優勝できなかった82年にもあった。
開幕直後は先発陣が調子よすぎて角はほとんど出番なし。
おかげで調子が狂ったという。

60 :
斎藤雅は19勝目まではすべて完投勝利で、20勝目だけは
最終登板で消化試合だったのでリリーフに助けてもらったって
聞いたことあるけど、マジなの?

61 :
それで、90年の日本シリーズ第2戦での斎藤フルボッコって兆候はあったの?

62 :
>>54
当時の西武の成績をよく調べよう。

63 :
西武が強すぎた

64 :
格下の日ハムや近鉄には勝てたが、西武には結局勝てなかったので手腕には疑問があるな。

65 :
90年の日本シリーズについては、西武を「前年3位だから」となめていたのか
「前年3位でもパリーグ最強豪なのは間違いない」と思っていたのかどっちだろ

66 :


67 :
藤田

68 :
>>65
意味不明。
いつの時代に優勝したチームを前年3位だからって、
なめることって今まであったか?
東スポネタクラスでも聞いた事ない。

69 :
もう一度トレーディングブギ

70 :
嫁姑戦争

71 :
藤田

72 :
藤田

73 :
>>47-48
星野に似ている藤田をなぜ桑田が尊敬しているのか謎。野球観は全然違うよね。
桑田は事あるごとに選手の酷使を批判してるけど、藤田は勝つために投手を酷使するタイプの監督だったし。

74 :
>>73
人柄・人格が何万光年も違う。

75 :
初めて触れた人情…泣きながら食べたステーキが忘れられない
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110818/bbl1108180938000-n1.htm

76 :
>>73
まあスキャンダルで桑田が壊されそうになったとき
救ったのが藤田なわけで。
桑田の野球観のよき理解者だったんだろう<藤田
しかし藤田と星野は似てる点もあるけど
熱烈監督をイメージ付けるために、審判へ猛抗議したり
ベンチ総出の喧嘩を嗾けたりとかは藤田はしなかったわけで
その点からして随分と異なるようには思う。

77 :
>>40
野村ヤクルトには、完全に癖を見抜かれてたからね。
目が悪いゆえのサイン交換の困難さも手伝って。
>>41
手首かどこかを負傷して守備は可能だがバッティングがまだ無理という選手を
試合後半に守備固めとして出場させたが、その選手も遠い打順に入れず
次の攻撃で、その選手に打順が巡って来たという事もあった(結果は
バットを全く振れずに見逃し三振)。
まあまだ時代的に、そういうケースでの1アウトは仕方ない(ガツガツしない)
という感じだったのかもしれんが。

78 :
だから西本さんと中尾のトレードが出来たんだな
巨人は、山倉と村田の間で、山倉がどうしてもナマクラと言われる位練習嫌いだった為の刺激策として
で西本さんは、やはりチームワークから外れてると言う評価から、優勝の翌年で投手補強をしたかった星野監督と合った
で西本さんは、巨人になかった中日の感覚に合い20勝した

79 :
――中畑監督の場合、藤田元司監督がいたからという部分があった。
 中畑 俺、どっちかっていうと、引退後は歌手になりたかったんだよ。
十分その才能はあるわけだから(笑い)。でも、藤田さんに“うわあ、監督
業って素晴らしい仕事なんだな”って思わせてもらった。采配はもちろん、
選手への声の掛け方、裏方さんへの気遣いも行き届いていた。物凄く気配り、
目配り、思いやりがある人なんだよね。そういう時、物凄く格好良く感じるのよ。
わあ、この人すげえ幅のある人だなって。実は、藤田さんが最初に監督をした時は
長嶋さんが解任された後だったから、みんなあまり良く思ってなかったんだけど、
すぐに藤田さんの人となりにほれちまったね。そして俺が現役を辞める時、藤田
さんからも“清、いつか巨人の監督として戻ってこい”と言われてね。その夢が
膨らんでいったっていうかさ、“ああ、こういう監督になりたいなあ”っていう
のが目標になっていった。藤田さんの存在はでかかったね、俺にとって。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/01/kiji/K20120101002345770.html

80 :
>>40
しかも槙原は集中力持続しないせいか日本シリーズの方が強いし、ボールも
手が大きくて国際球合うらしい・・それが日米野球の好投
>>65
清原を恐れすぎてデストラーデ勝負が失敗。 4連勝しか勝つ道がないと
思ったそうです、後半調子良かった槙原を特攻して負けて敗戦
94年勝ったのは桑田・槙原の順番が良かった

81 :
>>61
あったどころの騒ぎじゃない。
あの年の齋藤は最後の2,3試合はボロボロだったよ。
たまたまって、感じじゃなく、明らかにシーズンの疲れだった。
防御率もどんどん大きくなっていった。

82 :
槇原って投球だけは一流だけど
フィールディング、バッティング、バント、すべて三流だったからな。
せめて送りバントくらいしっかりやってれば味方も点を取ってくれたかも

83 :
>>81
まあ2年連続20勝という
当時ですら中々達成できなかった記録が掛かってたからなぁ。
一時期は打者転向まで言われていたのに。
まあ総じてシリーズでは成績よくないな。シリーズではやっぱり、度胸一発のような投手の方が
強いんだろうかね。自信をつけてノミの心臓を克服してエースに君臨したけど、
元々の性格なんて変わる訳じゃないから、シリーズのような舞台、ここぞという時に
やっぱり弱かったような

84 :
>>83
斎藤は開幕にあわせて調整するためシーズン後半は悪いという
言われ方もしてる

85 :
藤田と星野の共通点は人心掌握に長けてること。ただし、短期決戦の采配には
疑問符が付く。

86 :
>>85
短期は原が上手いかな?? 長期はあまり上手いとは思わないけど

87 :
>>86
02年日本シリーズ4勝0敗○
07年クライマックス0勝3敗●
08年日本シリーズ3勝4敗●
09年日本シリーズ4勝2敗○
強いのかねぇ・・・WBC優勝は大きいか。
長嶋よりは強くて、藤田と同じくらいかなという印象。


88 :
落合がシリーズで思うように勝てて無いから
原が短期決戦に強く見える。

89 :
>>87
07年のCSは巨人に取り久しぶりの大舞台で特に初戦の内海・木佐貫が
びびってたし実力で負けてた。 中日は今より強かった
本当に負けたのは08年のシリーズかな。 10年CSはよく甲子園で連勝した
長嶋も76年・77年は力は阪急の方が上だしな・・・

90 :
落合は日本シリーズのホームラン0本 

91 :
他のスレだったけど、「じゃぁ、どのレベルだったら、
短期決戦に強いって言えるのさ?」みたいな流れで、
川上、森、広岡、野村くらいだった気がする。
そうなると、殆どの短期決戦経験監督は
勝負弱いって結論になっちゃうけどなw

92 :
短期決戦普通枠と、短期決戦経験少なすぎて分からない枠を作れば解決。

93 :
鹿取が著書の中で、藤田の先発完投主義のせいで職場を奪われたと恨み言を言ってるらしいな。

94 :
>>91
明らかに戦前不利で負けた監督は短期に弱いとは言わない気がする。
意外と巨人系は王以外は短期向きだと思う、選手起用我慢できない
から。 長嶋のアテネ予選の采配は好きだし中畑のアテネ本戦は普通
逆に王・星野のWBC・五輪ははっきりいってド下手。

95 :
藤田は、83年
問題の第6戦、終盤の西本で行くか江川で行くかのとき
迷ってる最中、王の「西本でいきましょう」の声で決断してしまった(結果は失敗)。
これ、やっぱり王の江川に対する様々な心情というのが全く入っていないとは言えないわけで
このときは助監督とはいえ、ある心情を起用に持ち込んでしまう(その後の監督時代も同じ)と
失敗してしまう例ではないかな、と。まあ83年シリーズに関しては、王の言葉で
決断してしまう藤田も藤田なんだが…

96 :
>>95
スレチだけど韓国に負け越してるのはオールプロになってから
王と星野の時だけ

97 :
藤田の後年の話では、あのとき江川の持つ、得体の知れぬカリスマ性に掛けていれば…とも。
王は監督就任後、そのカリスマ性を逆に警戒した。まあ江川に対する王の心情も分からなくはないんだが
この辺の差が、藤田と王の監督評価の差にそのまま表れてるような気はする。

98 :
第二次政権のとき、桑田問題の処罰に対する藤田の対応をみてても、江川に対しても
ドラフト時のいざこざ、それはそれという割切りを藤田は持てる人だったんじゃないかな?
そもそも江川の問題は藤田に何ら関係ない長嶋時代のときの話なわけで。
桑田は王政権時に採った選手だが、王の監督時代に桑田のああいった問題が勃発したとき
果たして王は、どこまで桑田を庇うことが出来ただろうか?藤田のように体を張れただろうか?
やっぱり球団の言うなりだっただろうか?

99 :
>>97
83年は衰えていた・調子悪いとはいえ西本より江川の方が三振取れる。
9回に点を取られていけない場面では打たせて取る西本より江川の
方がと思う。  

100 :
この人は川上、広岡、森ほど非情になれないんだよね。情に弱い。だから
先の三人に比べて短期決戦に弱かった。

101 :
>>97>>99
あのとき、選手もなんとなく江川だろうと思っているところに「ピッチャー西本」と。
…え!?というような空気はあったみたいだな。
温情采配の最たる人は、この手の話で絶対に名前のあがる阪急・近鉄の西本か。
実際に思い出出場てなシーンもあったそうだし。

102 :
でもあのシリーズでは、西本に対して西武打線は手も足も出ないという
感じだった。
あのタイミングでは西本が当然だと思う。
負けたのはあくまでも結果。

103 :
>>93
藤田は中継ぎ抑えからは評判悪いな。

104 :
>>103
原と藤田の投手継投を足して2で割る采配できる監督が1番良い
原は藤田を尊敬してる割に中継ぎに頼りすぎ

105 :
>>104
まあ時代背景も違うし…
とはいえ、セの場合は投手に打順が回ったタイミングでの交代がどうしても多くなる。
戦術上そうなってしまうのは仕方ない面もあるが、もう少し「我慢」しないと
投手が育たんぞ、という気はするな。

106 :
藤田さんが、94年位まで続投していればどうなったかなあ?
原の現役生活は延び、元木、石毛はどうなっていただろう。

107 :
91〜93辺りは、元木てキャッチャーの吉原と良く遊んでるの見たわ。
今も吉原と付き合いあるのかな?

108 :
>>106
藤田続投なら92年のドラフト1位は松井じゃなくて伊藤智仁だったらしい。
完投重視の藤田の下でもやはり伊藤智は故障で駄目になったのだろうか?

109 :
>>108
3本柱がいたしタイムリーに石毛がいたし意外と酷使してない気がする


110 :
第二次政権の時は投手陣はうまく新旧交代したが野手は依然、クロマテイ、原、吉村のクリーンアップでロートル化していた。
よって投手力偏重のチームになった。

111 :
吉村は怪我したし、松井入団はまさに絶妙のタイミングだったな

112 :
>>110
原も吉村も年齢的にはそこそこだけど衰えが激しかった。 
92年にサード大森を試す案がキャンプ時にあったけどこれ当時、面白い
と思ったけどな。 大森が右打者なら重宝されたと思う
>>>111
吉村は92年オフトレード話が日刊の1面に出てた。 長嶋案にしては
なるほどというトレードだった

113 :
吉村はパでDHやった方が成績残せただろうな。

114 :
緒方の故障・井上の故障・呂の飼い殺し・吉村の故障痛かった
この4人が順調なら
捕手???
1塁駒田
2塁緒方
3塁原
遊撃川相
レフト吉村
ライト呂
センター井上 という攻撃オーダー組んでみた
92年の吉原の故障も痛かった。 打撃が課題と言われたが92年の
開幕直後はそこそこ打っていた

115 :
藤田続投と仮定して、原の後継者をどう考えていたか興味がある。
松井獲らなかったら、大森&元木を根気よく育てたんだろうか。

116 :
>>115
長嶋に代わったから原は引退に追い込まれたが
藤田第二次が続いたなら、当面は原で行く感じになったんじゃないのかな。


117 :
まず落合が来なかっただろうし松井も取らなかったろう>藤田政権が続いたら。
あの他球団の四番打者FAで取りまくりがなかったからうまく三本柱の後継者を育てもっと投手王国が続いたかも?

118 :
94年あたりから大暗黒でも来ていたんじゃないか?
もしそうなったら。
ロートルばかりで若手は微妙ときたら。
2回ぐらい最下位あったかも。

119 :
>>118
その頃は、まだ三本柱がしっかりしてたから、何とかなっただろう。
非常に楽観視ではあるが、藤田が監督してればメンタルの弱い石毛とか
以降のリリーフ陣も何とか育ててたかもしれないし。
三本柱に衰えが見え始めた90年代末期がヤバかったかもな。
上原は獲りに行っただろうか?
流石にその頃はもう、藤田は監督してないか…

120 :
木田だってもう少し化けたかもしれない。

121 :
>>117
長嶋が来なければFA自体ができてたかどうか怪しい。 あれは長嶋を
勝たせる制度だし。
藤田続投が続いたら長嶋は他球団の監督してたかもしれない
>>118
ファースト大森 サード吉岡くらいしてたかもしれない。 


122 :
>>107
吉原は監督交代で割食った選手。
というか、長嶋が呼んだ山倉コーチに徹底的に嫌われて干されて放出された。

123 :
山倉は大久保とも合わなかったしな。
つか藤田続投なら駒田が出て行くこともなかっただろうから、
おそらく原の状態次第で4番打つことが増えてただろう。
あと打者で当時期待出来た若手は四条か。
まあ健康問題があったから、仮に92年に優勝してても高田に禅譲して
藤田辞任は既定路線だったそうだから、この辺の妄想も難しいところだけど。

124 :
>>123
うわ、高田禅譲路線だったんだ。知らなかった。
じゃあ、藤田→高田→堀内→原なんて流れを見たかったなあ。
FA乱獲もせずに、引き締まった巨人軍になって欲しかった。

125 :
>>124
その路線で、堀内が担ぎだされたかというと疑問でもあるんだよな…
藤田続投という面というか
務台氏がもっと長らく健在だったら、とかいう政治的な話になるのかな。
92年とか他に禅譲する人物が居ないから藤田続投とか考えると
91年務台氏死去、ナベツネ台頭。そんな中92年も続投藤田さんは「このままでは巨人はいつかダメになる」
ちょうど今へも影響を及ぼしている
近年一番の岐路だったんだろうね。

126 :
土井が阪急・檻で成功していたり、柴田に賭博がなかったりならどうなんだったんだろ。
解説で落ち着いていた黒江や、王とかも。

127 :
藤田は二度目の監督就任の経緯から王に禅譲しようと考えていたらしい。
川上は広岡を推したようだな。三宅久之が「ナベツネから聞いた話」としてテレビでばらしてた。

128 :
第一次藤田政権の話しでスレチだが森さんにバッテリーコーチをお願いしたそう
です。 拒否されて翌年に広岡西武に行った
このとき、森が来ていたらどうなっていたか。 巨人が優勝回数を
増やしたかはわからんが西武があれほど勝たなかったと思う

129 :
藤田の著書『我慢の管理学』によると、森には作戦を見てもらおうと思っていたが、
断られたらしい。それで体調の芳しくなかった牧野に無理にお願いしてヘッドに就任してもらったそうだ。
ちなみに藤田は森が断ったのは広岡への義理ではないかと推測している。

130 :
>>124
そんなんだったら俺まだ巨人ファンだったかもな・・・長嶋が
嫌いでファン辞めたから、無能長嶋は何もかもマンセーして
藤田さんや王さん(王さんも有能とは言えないが好きだった)
は采配ミスやらかしたら叩くマスゴミ

131 :
徳光は誰が監督でも平等に持ち上げていたよな

132 :
>>123
山倉は大久保と村田の目の前で「吉原は俺に反抗的な態度をとった。だから
絶対にあいつはもう使わない。」と宣言したので、大久保は表面上山倉に
は絶対に歯向かわなかった。と本人談

133 :
>>130
そんな程度でファン辞めるお前は所詮ニワカ

134 :
西武ヲタだがこの時代の巨人はいいよな。
泥臭くて。

135 :
>>133
長嶋マンセーでファンやってる奴とか
それこそ、ニワカだろ

136 :
>>127
藤田さんらしいですね>王さんに禅譲
ヤクルトとの天王山前に、「今日は自分の為でなく、恋人・家族の為に戦ってくれ」(デーブ談)
というエピソードも好きだ。

137 :
>>135
俺の親父はアンチ巨人だから長嶋就任喜んだが・・80年の長嶋解任を
悲しんだなぜか巨人が勝つから

138 :
ONよりOFだよなあ。たまに牧野。

139 :
原は結局長嶋野球やりたいんだよな。
あんなに強奪して。

140 :
>>137
長嶋辞めた翌年2度とも日本一だもんなw81年はまだ野球
観てなかったが02年はアンチとしては参ったわ・・・「あーあ、
原の野郎清水スタメン固定しやがった・・・」アンチだが清水
だけは好きで怖かった、長嶋時代ピンチで清水出てきたら
左出すと長嶋すぐ右打に代えてチャンス潰すから助かってた
んだよなw

141 :
>>140
俺の親父は野球に対して見る目がありFA乱獲とか関係なく長嶋が監督すれば
10年後は滅茶苦茶なチームになると断言していたら03年から4年くらいひどかった
逆に王監督には王さんは不器用なトコがあるからダイエーが5年は我慢すれば
すばらしいチームを作ると断言していた
95年のオリ1位・ロッテAクラスを開幕前に予想、98年の中日Aクラスを
断言したつわもの

142 :
02年の原巨人日本一について、凄く喜んでいたよね。
WBC連覇や三連覇を成し遂げた愛弟子へのコメントを聞きたかった。

143 :
02年は前年から目立った補強をせずに、
投手を立て直して独走4連勝日本一だったから評価が高かったんだろうね。
いかにも藤田さんが喜びそうな展開だ。
まぁ結果的にはマグレだったのか、投手力は翌年には元に戻っちゃったけどな(´・ω・`)
藤田さんが長嶋野球を良く評価している印象ってあまり無いな。

144 :
王、原がWBC制覇したということはスタイルが似てくる藤田でも制覇できたかもしれない。
>>143
原はそうした野球が一番いい。
今期の強奪祭のが不安。

145 :
中村稔投手コーチは優秀だったのかな?その割にはロッテ以外からはお呼びが
かからないけど。

146 :
>>145
ロッテの時も近藤昭仁監督の誘いだったからなぁ・・・

147 :
>>145,146
藤田さんは凄く評価していたと思います。ウロ覚えですが、最初の勇退のとき
王監督に、中村さんを投手コーチに推薦したけど断られたって話があったらしい。
「ワンちゃん、中村がいると(投手陣が)全然違うよ」と推薦したけどスルー。。

148 :
宮田征典は名コーチと言われているけど、中村稔はあまりそう言われないね。
クロマティの本でも「血液型とかくだらない迷信に拘る」と批判されている。

149 :
クロマティは王の時が一番輝いていたのか知らないが、藤田関係に批判的なイメージ持ってないか?

150 :
>>149
本によると。
良い意味で何考えてるかわからないくらい落ち着いてるから井上や緒方など
同じチームなのに名前くらいしか知らんやつが出てきたと、王さんは
そわそわしすぎてチームが動揺するだとよ

151 :
水野の著書によれば投手陣にとっては凄く怖い人だったそうだ。>藤田監督
反面、野手には甘かった面があるとか。
しかし90年に投手陣の力で独走優勝したが球団の査定があまりに投手に対し不利で不満が挙がった時
「これお前らで分けろ」と監督の特別賞与をドンと気前良く差し出したとか。

152 :
クロマティは当時の巨人の問題点で務台氏の名前を挙げてたようだけど、
一外国人選手がそこまで言及するほどの現場介入があったのかね。

153 :
原は88年終盤で手首骨折して
バットマンとしての原は終わったと本人は言ってたな。
同じように手首骨折した掛布は原を遥かに上回る悲惨な状況になったから、
やっぱ野手にとって手首骨折は相当ヤバイのかな

154 :
>>151
そういや今じゃ考えられんほどケチだったね。
90年当時の巨人は日本人一億選手っていなかったもんなぁ。
他球団でも落合とか、西武の数人だったかも知れんけど。
>>153
原の骨折は86年だよね。個人的には
翌年の87年がベストシーズンである気がするんだけどな。

155 :
>>154
原の骨折は86年の9月24日9回裏だったと思う。 8月くらいに手首を捻挫して
休んでるこれが原因であのとき一挙に悪化したのだろうか??
86年がその時点で36本・・怪我無かったら40本??
90年だと門田が1億円超えてたと思う
>>153
むしろアキレス腱の故障の方がいたかったと思う

156 :
今日発売のアサヒ芸能で、堀内政権の頃、長年巨人の大阪遠征の宿舎に利用していたホテルを変えることに反対して、
読売新聞の社長室を蹴りあげ、ナベツネのところに怒鳴りこんで、変えないことを約束させたエピソードが紹介されている。

157 :
>>156
竹園旅館??

158 :
>>156
誰が?

159 :
あぁ、もしかして藤田さんがってことかな?

160 :
ナベツネに怒鳴りこんだのは藤田です。

161 :
>>156
アサ芸読みました。情報ありがとう!やっぱ藤田さんは素敵だわ。

162 :
>>143
第二次長嶋就任時に
「このチームは、このままでは絶対に駄目になる」と断言してたね。藤田さん。
長嶋に対してというより、務台氏の死去にともない台頭したナベツネ辺りに向けて言葉でもあったんだけど
結果的には、その予言が当たってしまったね。本当に無茶苦茶になってしまった。

163 :
原監督が藤田元監督の七回忌にV奪回誓う 
 2006年に死去した元巨人監督の藤田元司氏の七回忌法要が29日、都内で営まれ、
原辰徳監督、OBの桑田真澄氏らが参列した。
 原監督は「私の中での恩師。大事な人。優しさと包容力の中に厳しさがあった。
緊張感があります。不思議ですね」と話した。春季キャンプは目前で「けじめの時期。
今年も始まります」。今年のV奪回を誓い、決意も新たにしていた。

http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/01/29/0004776914.shtml

164 :
>>162
先見の明があったんだなぁ藤田さん

165 :
あの時代の兆候だと、少なからず巨人の凋落が来ることは
一部の脳天気な連中を除き、勘づいていたようにも思う。
ただ殆どの人はそれを言い出せず球団にしがみついてる中、
堂々と表だって公言した藤田さんはやっぱり立派だと思う。

166 :
それの路線にまた戻す巨人って…
藤田が監督なら杉内や村田、小笠原、ラミレス、クルーンなんか取らなかっただろうな。

167 :
80年代はむしろ生え抜きにこだわり過ぎた感はある。
それでも一度もBクラス無しは凄いが。

168 :
大洋とヤクルトが犬だったから優勝していたんだろこの時代は。
巨人には負けるくせに中日広島には勝つ。

169 :
七回忌法要に三本柱が揃って参列したようだ。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120130-896634.html

170 :
>>168
大洋は、遠藤や平松などエース級を巨人戦にぶつけてくるから
案外くせ者だった。巨人戦でエースが投げてるから、巨人の次に
対戦する相手が有利だったり。
このスレタイの年代でなく第一次の頃だが
82年なんかは、結構それで割を食っている。

171 :
藤田時代にもFA制度があっても、余程の必要性がなければ動かなかった気がする。
第二次原政権でのFA補強は、松井残留ならば少しは事情が変わっていたとは思う。

172 :
82年は最終戦で大洋の八百長疑惑まで出たしな。
長崎の首位打者と引き換えに中日にわざと負けて優勝させるなんて言う。

173 :
>>171
藤田さんの言う「滅茶苦茶になる(>>162)」にはFAも含まれるだろうし
制度そのものに反対した可能性も高いな。
原に関しては、長嶋の遺産であるFAに翻弄されてしまっているきらいはあるな。
まあ原が果たして名将かどうかは賛否両論、色々あるだろうけれども
少なくともFA制度がなければ当然ながら違うチーム体制になってただろうし
もう少し足腰の強いチーム作りは行えてたんじゃないかな?とは思える。

174 :
>>172
テレビの中継が始まった時点で5−0
そのまま試合は推移だし、長崎の件も含めて妙な印象は拭えないわなぁ。

175 :
>>168
当時のヤクルトとか強きを助け弱きをくじいてたから88年は逆に苦労しとるわ

176 :
豊田泰光と親しく、豊田が唯一叩かなかった巨人OBらしい。亡くなった時も
俺が許さんでかなりリスペクトしてたな。

177 :
藤田さんは巨人の球団首脳が考える
主流を汲んだ人ではなかったかも知れんが、
(言ってみれば川上ONや原ではなく、堀内の様なつなぎ監督前提みたいな)
近年ではまともな視点で古巣を見られて、
我々ファンが望むようなチーム経営を目指していた人だと思う。

178 :
先週、墓参する原監督達のニュースがやってたけど、ジンと来た。

179 :
師事してるらしいからねぇ。
こんな話しも不謹慎だとは思うが、
長嶋が逝ってしまったら、どういう態度になるのだろう。

180 :
マスゴミが必死に騒ぎ立てるから無理にでも取り繕うでしょう

181 :
92年の10連勝ってあったよね。どん底状態から原の復活から始まったやつ。
確か11連勝目を狙った試合で、元木がチャンスに凡退したんだよね。
あのとき元木が打っていたら、その年の優勝の行方も元木の成長も違っていた、、
なんて時々妄想してるw

182 :
10連勝●4連勝●7連勝で、一気に首位まで上り詰めたよね。
あの頃は見ていて興奮したもんだ。
優勝はできなかったが、悔いのないシーズンだった。

183 :
篠塚のヒットって、どんな打球が多かったの?
鈴木尚典とか福浦みたいな、「流し打った痛烈なライナーが三遊間を真っ二つ」とか?

184 :
>>183
広角打法。左中間への流し打ちが特徴的だった。

185 :
>>181
6月第1週目の広島戦の初戦桑田で取り2戦目に原が大野から逆転3ランを
バックスクリーンに叩き込んだときからですね。 その前に岡崎のレフト
線の打球を河田だったか守備固めのやつがミスしてヒットにする
6月20日だったか土曜日の試合の甲子園の2戦目で桑田と湯舟の先発
先制点は巨人で桑田が平田だったかあまり普段打たないやつに逆転打
打たれた
元木が三振したのは田村が相手

186 :
>>181
正確にいうと原の復活ホームランは10連勝のうちの3連勝目に
あたります。
7月のオールスター直後の東京ドームのヤクルト3連戦で3タテ食らった
それを1勝でもしてれば変わったと思う

187 :
この年28本塁打か
原の最後の輝きだったな

188 :
>>186
その3連戦のどれかは忘れたが飯田に2点差か3点差にされる
ホームランが痛かった・・・「なんで飯田にホームラン打たれるんだよ!」
とテレビに切れた記憶ある、そして追いつかない程度の反撃で負けた

189 :
>>188
3戦目かな。 広沢の先制2ランでやられて、2−1から飯田のホームラン

190 :
あの年の原は、バット投げ弾含めて劇的本塁打が多かった。
終盤9月にもう少し勝てていれば。大逆転V更に西武にリベンジとなれば
伝説のシーズンとなってた。

191 :
92年は優勝出来なかったが面白かったね。
モスビー、大久保を軸に打線が活発だった。
やっぱり中西さんの指導が良かったのかな。

192 :
後半戦広島戦の勝率が良くなかった記憶
3連戦での勝ち越しの記憶がない

193 :
原は92年で燃え尽きたが、その後すぐ松井が入ったのは本当に幸運だったな。
まさに絶妙のタイミング。

194 :
その原が入団した前年に王が引退したからね。
巨人の4番はいい感じにリレーされた。

195 :
>>194
松井が出ていったときは・・・

196 :
>>183
1,2塁間をゴロで抜くようなヒットが多かったな

197 :
>>183
こんなのがあった。ホームランはほぼ狙い打ち。
http://www.youtube.com/watch?v=3Akv-fmlQzA

198 :
篠塚ってたしか落合はボロカスに言ってたんだよな。意外だが

199 :
>>198
俺は落合が中日に移籍してきたとき巨人で怖いのは篠塚だと聞いた
松井には中畑コーチでなく篠塚のいうこと聞けとアドバイス

200 :
>>192
調子の良くなかった佐々岡相手にカモにされ
槇原が炎上するわ、斎藤が登板回避するわ
散々だったよね。

201 :
92年といえばケアリー
中継ぎになってからよくなった

202 :
>>201
ケアリーが先発に転向して中日戦で勝利してから10連勝開始


203 :
>>202
しかしそのケアリーが延長戦の中日戦
満塁の場面で痛恨のワイルドピッチ
これにより中日戦の連勝がストップ、翌日も敗戦

204 :
来日直後のモスビーのワクワク感はハンパ無かった。勝負強かったし。

205 :
9月中旬にヤクルト戦で逆転サヨナラ勝ちした時に
モスビーがヒーローインタビューで「今年優勝するのはジャイアンツだ!」
と英語で言ってたよね。その後の2試合で連敗し負け越してしまったけど

206 :
ゴンザレスもこ92年だっけ?

207 :
入団は91年だけどモスビー入団のため切られたか2軍のまま
オフに切られたか・・・そして週刊誌でブチ切れたという記事を
電車の釣り広告で見た記憶ある、モスビーの外野での落ち着き
の無い動き面白かったなw

208 :
藤田さんは唯一、他球団でのコーチ経験があったのちに巨人監督になった人。
巨人を放逐された後、大洋の監督になった秋山登氏に請われて投手コーチに
なった。
そこで親切にされたのが松原誠、近藤昭仁。

209 :
藤田は大洋時代について、「思い出したくもない」と漏らしている。

210 :
たら、ればを言ってもしょうがないが、92年斉藤が怪我かなんかで一時離脱した記憶がある。
それがなければ多分優勝したかもしれない・・・
でも92年は優勝できなかったけど良いシーズンだったよ。神宮での現監督のバット投げは今でも鳥肌もんだ。

211 :
モスビーすごかったな。シーズン途中入団であの成績を残すなんてね。

212 :
そんなに長い期間じゃなかったけど、そういや離脱があったかも。
それでも17勝してんだよね。桑田が例年通りに活躍すれば
間違いなく優勝だったろうなぁ。

213 :
92年は阪神ヤクルトに埋もれたが実は成績悪くないんだよな。
Bクラス紙一重(94年、04年、去年みたいな)3位じゃないし。

214 :
92年に優勝してたら、歴史はどうなっていたか。
・藤田続投若しくは川上・藤田系監督への禅譲(高田?)
・原の後継者育成は急務だった為、元木積極起用&駒田4番

215 :
>>210 >>212
斎藤雅は確か原のバット投げた試合は日曜日のヤクルト戦。 確か
その数日前のウイークデー阪神2連戦の初戦で5回降板した試合で故障発覚
その試合は大差で勝利
戻ってきたのはオールスター明けの甲子園初戦7回途中3失点で降板
石毛が後を抑えて4対3で勝利。 オールスター後3連敗を止める
9月くらいの週刊ベースボールで高橋直樹との対談であの1か月が
良い休みだったと語ってる
斎藤雅よりむしろ7月の頭に小島を無理使いしたことが後に響いた、
木田が90年とはいわないまでも93年や95年くらい勝てば

216 :
>>212
後半戦だけなら槙原は2勝9敗。 その2勝も最下位の中日戦
桑田は後半6勝だったと思う
オールスターまでは槙原は10勝してた

217 :
後半は広島戦の勝率が悪い・・記憶の限りだが2勝10敗
7月末の広島2連戦     連敗
8月中旬のドーム3連戦   モスビーサヨナラの1勝 1勝2敗
8月下旬の広島3連戦    1勝2敗
9月中旬のドーム広島2連戦 前田の涙のホームラン 連敗
10月上旬の広島2連戦   連敗


218 :
>>213
結果的に2位だしね。
阪神が直接対決かなんかで負けてファンがぶち切れてグラウンド内に大量のメガホンを投げ入れてたな。

219 :
阪神と言えば終盤ドームの試合で湯船対斉藤で1対0で勝った試合、
終盤阪神チャンス作ったんだが新庄に代打立花で失敗し、湯船が
92年で2度目のノーノーやり掛けたんだよな、そしてラジカセ投げ
込む阪神ファンw亀山がレフトスタンド睨んでたの覚えてる

220 :
終盤上位4チームどこももたついてたから、
>>217の一つ二つでも勝ってりゃねえ、って感じだよな。
あの時期今中擁する中日、盛田→佐々木リレー完成の大洋と
下位2チームがやたら強かった。

221 :
あのラジカセ投げは最低だよな。うちの親父は阪神ファンだったからあの行為は本当に怒ってた。
92年はいろんなことがあったね。巨人には関係なかったけど日本シリーズは西武が簡単に勝つ
と思ったが、ヤクルトが思いのほか頑張って第7戦までもつれた。
あの日本シリーズは83年に匹敵する名勝負だった。巨人が出ていれば最高だったけど。

222 :
巨人が西武と戦ってたら、90年ほどではないにしろ、
やっぱり完敗だったんじゃないかなぁ・・・
あの頃は西武コンプレックスが強かった。
惜しくも出場ならなかったが、最終的に混戦を勝ち抜いた燕が
西武と屈指の好勝負を演じたって事で、俺の中では丸く収めてるw
藤田監督続投だったら、松井ではなく伊藤の指名だったのかな。>>214
松井を育てたのは長嶋の数少ない(とはいえ大きな)功績だな。

223 :
阪神ファンてラジカセ投げ込みに賛同する人が多いんじゃないの?

224 :
>>214
優勝しても藤田続投はなかった。体調が限界だったし、ナベツネの下ではやりたくない
という気持ちが強かった。優勝していれば王または高田に禅譲だろう。

225 :
巨人での王はダメ監督の部類とされてるようだけど何でよ?
5年間で全てAクラスだし、特に文句をつけるべきところはない。

226 :
毎年優勝できそうな戦力ありながらできたの1回だけだったからな・・・
特に86年は75勝でも優勝できなかったのが一番でかいね、、88年は
仕方ないでしょ、クロ、吉村のケガ、呂は一時の輝き、鹿取は前年程で無い、
江川が抜けた、桑田は実質2年目のジンクスになったと同情の余地は十分
にあった、まあ采配ミスも色々あったと記憶してるけどね、はた山(現やく)
いしい、河合ら漫画家が采配ミスをネタにしてたもんだw

227 :
86年は08年の阪神みたいなもんなんじゃ…

228 :
>>225
巨人においては5年でリーグ優勝僅かに1度。
更に西武に完敗じゃ、ダメ監督と言われても仕方ない。
それより後だと、価値観も幾分か変わってくるとは思うが。

229 :
つーか80年代の巨人は一度もBクラスになって無い訳で、
当時全盛期だったあの広島も一度だけBクラスになってる。
中日は優勝もしてたが強さが安定してなくてBクラス落ちも結構あった。
阪神は85年にまぐれ優勝してからは暗黒まっしぐらだし。

230 :
80年代のセ・リーグは、終盤に阪神が暗黒時代に突入した以外は完全に6球団の力が拮抗してた記憶。

231 :
掛布、原、落合、池山、小早川…

232 :
80年代のセリーグはクロマティとかバースとか異次元レベルの外人が多くいたおかげで
日本人打者はなかなかタイトル獲れなかった。

233 :
>>214
高田就任、んで恐らく監督手腕的に暗黒へ向かっていた気もせんではない。
ナベツネ天下となって川上派監督では、読売グループあげて巨人応援という体制では無くなったろうし。
藤田後期もテレビの視聴率問題とかあったけど、酷いことになってた可能性もあるな。
では、今に至る崩落の要因となった長嶋就任が良かったのか?というと全く肯定できるものではないが。

234 :
高田は関根ノム犬同様他球団監督で巨人に負けることで巨人を優勝させる力を発揮

235 :
>>225
少なくとも当時、選手を上手く統率できてなかったから
いくら世界の王とはいえ、当時の選手が不満たらたらでは監督としての評価は高くならないかと思われる。
色々と不器用なんだろうけど
ダイエーの監督就任当初も巨人時代同様、チーム統率は上手くいってなかったしな。

236 :
91年といえばブラットリー
現役メジャーでクロマティの後釜に期待されてたんだけど

成績はまずまずだったんだけど
とにかく暗いというかマジメすぎてチームに溶け込めずこの年限りで退団

まぁ
前任者がすごすぎたからねww
性格も「バンザーイ、バンザーイ。ハイどうも」が有名な明るい人だったし

237 :
92年オフにブーマーかシーツを獲っていれば、翌年の貧打は免れたと思うんだが。

238 :
モスビーが前年に好成績残して、大物外人のバーフィールドも来たから、
外人に関しては仕方ない。問題は駒田と原が大不振になった事。
松井は高卒1年目にしては頑張ったけど。

239 :
バーフィールド?
結局はトマソン級の大型扇風機だったやつだろ?
結局は一年でクビだったし

240 :
この時期は打力の低下が目立ったな
主力打者の引退、故障、衰え
ドラフト下位の高卒野手(打者)とトレード加入選出でしのいでたな
中尾蓑田西岡熊野白幡大久保
藤田や大野雄もこの時期だったかな?
あのころは日替わりオーダーだったな
それも楽しみであった

241 :
>>240
井上があのデッドボール食らってなけりゃ、そこそこいい打者になってたろになあ…

242 :
クロマティーは井上の成長を凄く気にしてたらしい。次代の主力打者として。
90年頃にそんな記事を読んだ記憶がある。
吉村と井上が大成していたら凄い事になっていたのに。

243 :
>>242
捕手 ?
1塁 駒田
2塁 緒方
3塁 原
ショート 川相
レフト 吉村
センター 井上
ライト 外人
井上と呂・吉村が大成してそのあとに松井は別格として吉岡と大森が
大成してたら落合はとったかもしれないが清原までは取らなかったかも

244 :
ブラッドリーのあの成績とか、その後の外人助っ人考えれば大当たりの部類だよなw
サヨナラホームラン打ってナインに迎えられても、ニコリともせず一人黙々とベンチ裏へ向かうとか
浮いた存在だった。

245 :
あー札幌でやる大野から打った試合か、確か打順下げられた試合
だったから大リーガーのプライドが許さなくてインタビュー拒否した
とかって聞いたな

246 :
91年は4位か。思えば開幕戦槇原が逆転され負け、斉藤の不調。前年の日本シリーズ4連敗を引きずったシーズンだった。
桑田はこの年は良かったが翌年不調。
3本柱がそろって活躍したのは長嶋時代の94年だけかな。89年は槇原は途中で離脱し90年も本調子じゃなかったしね。

247 :
>>246
槙原というより広田が川又に同点ホームランされて木田が9回にやられたと
記憶
何気にブラッドリーは開幕ホームランだっけ???

248 :
>>247
広田だったか。記憶があいまいなので、いずれにしても逆転負けで始まり最終的には4位か。
この年だったか忘れたが、チャンスに元木が代走で出て牽制されてアウトになったシーンを思い出す。
あの時のがっかり感は半端じゃなかった。

249 :
開幕初打席でライトスタンドに持ってったよな、ブラッドリー
91年4位だったけど一応貯金は2あったのね。

250 :
91年は前半戦最後の中日戦で3タテし損ねたのが効いたな・・・
中村に同点満塁弾、サヨナラ弾と2発喰らった試合、先発は確か
槙原だったと思うが満塁は木田でサヨナラは水野だったかな?

251 :
8点差ひっくり返された試合か・・・

252 :
>>239
あいつは守備は12球団の歴代外人最強クラスだから、トマソンと一緒にするのは失礼。
守備力重視のノムが獲得を本気で考えてたくらいだ。

253 :
>>250,251
あの試合はトラウマや〜
91年はイマイチ盛り上がり感が無く負けた感じ。去年みたいな感じかなあ。
前年日シリ悪夢を払拭して欲しかったのだけど。

254 :
バーフィールド、守備はうまかったが、単純な捕球ミスがすごく多かった気がする。
エラー数は結構あったはず。

255 :
>>246
94年
斎藤はそんなに印象ないなぁ
槙原は完全試合
桑田はそれこそ鬼神のごとき大活躍だったのは覚えてるけど
特に桑田は大一番の試合(リーグ最終戦のあの中日戦や西武との日シリ)には抑えもしたしな

256 :
ブラッドリーと藤田時代ではないがシェーン・マックはフェンス際の守備がメチャクチャ上手かった。
ただ二人共、肩のほうが終わってた。

257 :
>>250 >>251
中村は足が悪くて代打で出てきて満塁打たれた。 槙原が7回に3点取られて
降板して木田が出てきて押し出し満塁打たれた
>>252
ヤクルト打線は強力で7番におけるからというのと2年目で慣れるから
という理由。 
>>255
前半戦の斎藤雅は9勝2敗か10勝2敗。 

258 :
モスビーにはクロマティのように長く定着すると期待したんだけどなあ・・
その後、長く長く頼れる助っ人打者はいなかった感じ

259 :
93年にケガ長期離脱で成績不振→クビだったね。
そう長くプレーできる年齢でもなかった気もするけど、
92年の活躍を見れば数年は使っても良かった気はするよね。
長嶋的にはバフィが元同僚外野コンビだったので、セットで大活躍を狙っていたらしいが。
翌年のコトー・グラッデンも後の暗黒外人史から見れば、悪くはない活躍だったのだが。
ブラッドリー以降は長続きしないね。まぁ、これ以上はスレチか。

260 :
大森には大成して欲しかった。初年度は結構勝負強かったと思う。
もっとチャンスを与えてやって欲しかった。

261 :
素質として悪くはなかったと思うが、
守るところが無かった・・・という程でもないのか・・・?
クロウもケガ後の吉村も思いきって冷遇すれば、
充分に外野の一角は務まった気もするがね。
その辺は藤田さんの甘さかなぁ。
もっともファーストが一番上手かった様な気がするし、
駒田のファーストは安泰だったけども。
柔らかそうなリストはオーバーに言えば、掛布の様なイメージを受けたもんだが。

262 :
OF時代は珍しくダメ外人を掴んでないんだよな。 
トマソンぐらいか?明らかな失敗は。
長嶋から先はずっとこのとおりだが。

263 :
大森は松原に無理矢理フォーム変えさせられてダメになったんじゃない?
呂もこいつに潰されたと思う。

264 :
>>262
OFというのは王さんと藤田さんの時代ということ??
パセラ・カムストック・デラクルーズ・ゴンザレス・ペレス・ケアリー
こういうのもいる
この時代はメジャーのスト前で球団数も26球団で日本経済はバブルで
メジャーとの格差が1番少なかったから良いのがとれたかも

265 :
>>262
レジースミスは
成功と言えるかなぁ.........
日シリ広岡西武に穴をつかまれて肝心なとこで打てなかったし

>>264
ケアリー、ゴンザレスは
後半頑張ったほうだと思うけど

266 :
スミスは帰国時に阪神ファンと乱闘してたな。
まあ阪神ファンがスミスの息子に暴行加えようとしたのが悪いけど

267 :
カムストックは及第点だよな。
サンチェが来て外人枠の問題もあって二年目はアレだったが。

268 :
大森は元から無理だろ
長身の大型打者で振り回して成功した奴はいない
駒田みたいなタイプに変身するしかない

269 :
>>265
レジーはクロマティの先生的な存在だったな。
大洋のボイヤーとシピンの関係みたいなもの。

270 :
水野を当初から打者転向してほしかった

271 :
当時の監督は王だったが
江川を隅に追いやるエースが欲しかったんだよな。桑田でそれが敵ったけど。
打者転向するなら、水野を敢えてとらずとも…という部分もあるし
まあ水野はフォームを大幅に改造する等せねばエース級でやっていくのは困難と当初から言われていて
それでも投手で行こうとなったのは、やっぱり若手投手の育成が急務と当時は考えられてたんだろうね。

272 :
水野の打者転向がうまくいってれば、打撃力の衰退が目に見えて明らかだった
第二次藤田政権で貴重な右の大砲になったという空想は確かに持つね。
でも、王政権時は、逆に打撃力が最高潮で、江川西本加藤定岡あたりがもう
衰退期に入ってたから、やはり転向は難しかったんだろうなあ。

273 :
>>272
なるほど。噛み合わせ巡り合わせが不運だったんだなあ。
もう少し投打のバランスが取れていたら、両政権時代の優勝回数は1回2回は
増えていたかもしれませんな。

274 :
>>272
王政権時は投手悪くないと思うよ。 84年と85年は抑え不在だっただけ
サンチェ獲得して江川と加藤が生き返ったし。
むしろ野手=俊足の外野手。 松本の後ができるような外野手が1人いれ
ば変わったと思う。 86年あたりの松本は衰えが顕著だったし

275 :
原って藤田の再来とか藤田の継承者とか言われてるが全然藤田カラーがないんだけど。
むしろ王に近い感じがする。

276 :
外国人打者のことですが個人的な印象では右打者より左打者のほうが
成功率高い気がする・・
巨人だけかもしれんが、右なら好打者系のほうが良いかも

277 :
そりゃ外人がやられるのは外スラだからな

278 :
>>276
日本でも強打者は左のイメージが強いからどうしても右の強打者を外人に求めちゃうんだよね

279 :
>>278
ヤクルトは広沢・池山・古田が右でいたせいかハウエル・オマリーを
獲得して成功
右ではラミレス・リグス以外は成功したの聞かない。 ヒルトンはアベレージ
巨人は右の長野・坂本・村田がいてあとは大田があばよくばということで
左の外人が必要になった。 統一球のこともあり日本人右の強打者は
エースクラス並みに必要

280 :
今年来たボウカーはモスビー以来の左打者らしいね。

281 :
>>280
よそからだとハウエルとかペタジーニがいます
左打者でトマソンははずれだという人多いけど青田氏はトマソンは
81年の優勝はトマソンが良いとこでホームラン打ったからだと言ってた
チームでは2位のホームラン数

282 :
81年はルーキーの原がチームで一番本塁打打ってたしな。
あの年は江川と西本と篠塚の活躍が大きかった。

283 :
第1次藤田政権といえば 
巨人対太洋 17回戦 後楽園球場
実況 日本テレビ 吉田 ?一郎  解説 金田 正一
こんなテレビ中継を思いだすね。野球中継の延長がなく8時54分には終わってしまい、その後はラジオを聞いてた。
それが今は地上波の中継は無くなったが、スカパーやネット、携帯でどこでも途中経過が分かる。
便利にはなったが、あの頃がなつかしい。

284 :
>>283
訂正  実況 吉田 填一郎

285 :
あのクソ煩いアナウンサーか。

286 :
第二次藤田政権では三本柱以外では
宮本や木田が覚醒したな
特に宮本は
ある年の中日戦で当時脂が乗りきっていた大豊を
投球のテンポやタイミングを微妙に変えて一本足打法を狂わせて仕留めたのは見事だった

287 :
>>265
2年目ともかく1年目は打席数を考えれば4番原に劣っていないぞ
OPSも1.036なのに活躍していないとかないわ
スミス 102試合323打席263打席 打率.285、本塁打28、打点72 出塁率.409、長打率.627、OPS1.036
原 130試合571打席500打数 打率.303、本塁打32、打点103 出塁率.375、長打率.574、OPS.949

288 :
89年の今頃、オープン戦観に行ったなあ。
井上がホームランを打ちブレイクの兆し。確か雨天コールドになった。

289 :
>>275
むしろ中畑の方が藤田イズムを継承してる感じがする。原はマスコミの前で選手批判しすぎ。

290 :
中畑は意外と良い監督の素質があるのか?
このスレの頃の須藤さんみたいに前半だけでも旋風起こして、
CS争いとかしたら評価は高まるだろうなぁ。
02年の原は俺の中ではとても評価が高い。
それ以降は大補強をしているので、勝って当り前、
負けたら大批判という感じ。

291 :
>>289

292 :
>>289
ごめん!間違えて書き込みボタン押してしまいました。
で、、俺もそう思うんだよねえ>原監督の批判手法。
藤田さんは(イメージかもしれんけど)マスコミ経由での選手批判は無かったと思う。
ノムさんや広岡さん的監督を目指してるんだろうか?>原

293 :
>>292
藤田さんも批判はしてた
第1次は中畑・江川 第2次は原と桑田と必ずチームの中心をしてた
彼らを批判することでチームを引き締めた

294 :
藤田監督は中心選手を厳しく非難することで叱咤激励したんだろうね。
原は単純にガッカリした後の文句にしか聞こえんw

295 :
>>290
中畑が一波乱起こしたら面白いね。藤田の再来って言われたりしてw

296 :
藤田監督は、桑田に対する出場停止の期間を短くするよう
球団に掛け合ったりもしてるわけで、その桑田がいい加減なプレーをした場合
当然ながら監督から、批判の的となる。
藤田監督は批判とフォローのバランスのとり方が上手かったわけで
やや批判の仕方が異なるものの、この辺は今の原も追随している。
でないと選手が腐って行くというのは師匠の藤田監督から仕込まれているから。
中畑はコーチ時代はその辺は上手くなかった。
それから年月が過ぎ、どう変わっているか。
監督とコーチとではまた選手への接し方も違うかもしれんけど。

297 :
フジシンはなんで原を名将扱いしたがるのかわからん。
3連覇は強奪と高田のおかげで、高田がやめたらヤクルトに勝てず星が勘定できなくなってるのに。

298 :
その前が、堀内とか長嶋とか
そんなんだからな…

299 :
>>297
選手の掌握術とか
ある部分で長けてるから、原も極端な批判もされないんだろ。
在任中は一応Aクラスをずっと確保した王と
Bクラス経験あり、西武に4タテ食らった藤田とを比べたとき、手腕として高く評価されてるのが
藤田である理由は、結局そういう選手のコントロールが上手だったからで。
原の場合、長嶋政権時にヘッドやってたのを含めると、相当長いこと指導者やってるわけで
それには色々な事由もあるけれども、やはり評判が悪ければ長期やるのは難しいわな。

300 :
流石に王と藤田じゃ掌握術云々を引き合いに出さなくても、
大半の人が藤田の方が名将って言うでしょw
巨人時代の王の平均順位2.2というと聞こえは良いかも知れんけど、
5シーズンで優勝1度(優勝勝率2割、シリーズ敗退)と、
7シーズンで優勝4度(優勝勝率5割7分強、シリーズ2/4制覇)じゃ比較以前だよ。
藤田の平均順位は1.7強だけど、90年シーズン終了までだと、
12111の推移はよく考えると凄いね。

もっともダイエーを強豪に仕立てたのは王だろうから、
今は名将と言えるだろうね。
原と共に世界一監督の称号まであるんだしw

301 :
藤田さんが存命ならば、三連覇やWBC制覇をとても喜んでくれただろう。

302 :
藤田ファミリーのコーチ陣というと
近藤昭仁、松原誠、中村稔、滝安治というあたりか。
滝さんは、藤田さん主催のガン撲滅チャリティーゴルフの幹事を
務めてたくらい信頼があった。

303 :
当時、滝コーチ就任
となったとき、ちと「誰?」というような反応にはなってたな。
結局は、第二次政権の1年目だけで辞める結果になってしまったけど…

304 :
滝はV9時の長嶋の控えだったんだっけ?
昔、地元の野球教室で山内さんと来た思い出がある。

305 :
>>302
コーチがすごく良かった。
今のコーチは…ってみんな藤田門下かよ〜

306 :
滝は当時マスコミの仕事をしていた。それで若い選手からは「えー、滝さんて記者さんじゃなかったの?」
と驚かれた。
近藤、松原は大洋のコーチ時代に培った関係。中村、滝は川上閥だな。

307 :
>>306
滝安治氏は「Number」のライターだったからね、辛口で。
引退直後の谷沢健一に「心境は中日ガンバレ、星野クタバレですか?」って
すげえインタビューしてたっけ。

308 :
板東英二は
川上閥に対しては否定的だったな。

309 :
>>297
藤田も原も、関根武上高田や松園オーナーの意向でヤクルトはそんなに牙を向けてこない、だからカモにして稼ごうというポイントを見つけたんだろうな。
そういえば、尾花は藤田時代に原にカモにされ、原時代にはいいように負けていたりとFH巨人には良いことなしだな。

310 :
藤田ファミリーのコーチに江藤省三も追加ね。

311 :
原は相変わらず継投が下手糞。すぐ代えたがるし、とても藤田の弟子とは思えん。

312 :
斉藤雅樹、村田、勝呂、岡崎も酷いな

313 :
藤田さんが存命なら原監督に「喝」を入れてほしいな。「まだ始まったばかりだ。焦る必用はない」ってね。

314 :
藤田GM原監督体制が見たかったな。
原頑張れ!

315 :
>>311
なまじ「分業制」が確立してしまってるからなぁ。
1人の投手を引っ張るという事が出来づらくなってしまっている。
藤田監督の完投主義は、やっぱり投手を育てるのには最適な方法だったんだろう。
但しそのやり方だと、どうしても投手を酷使する傾向が強くなってしまう。
今の時代は選手寿命も考慮して、まず酷使を避けるという風になってしまってるから
藤田の弟子ゆえ、原はその食い違いで失敗しているような、

316 :
監督就任以来、チーム浮上に不可欠と言い続けてきた“一体感”。
その信念の根底には、恩師から贈られた言葉がある。巨人での現役
最後の年となった89年。ベンチを温める日々が続いた。「自分の年齢
(35歳)もあるし、若い選手のこともある。だから、自分は応援団長
になると決めたんだよ」。試合に出たいという気持ちを必死で抑え、
ベンチで声を張り上げ続けた。今でも語り継がれる近鉄との日本シリーズ
第7戦。代打で起用されると、8年ぶりの日本一につなげる本塁打を放った。
「試合後、藤田さん(故藤田元司監督)は『チームに一番貢献してくれたのは中畑清』
って言ってくれたんだよ。俺もこういう監督になりたいって思ったよ」としんみり振り返った。
58歳で監督に就任し、改めて思い出した言葉だった。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120402-927231.html

317 :
生前、「江川が監督になったらチームがめちゃくちゃになってしまう」と言ってたらしいね。
どういう意味なんだろう?選手としての力量は買ってたけど、野球に取り組む姿勢に
問題があったということなのかな?

318 :
でもポスト原は江川くらいしかいないのも事実
落合は生え抜きじゃないし、吉村はスキャンダルを抱えてるし、斎藤雅はダメコーチの烙印を押されてるし

319 :
江川も、ギャラが高騰し過ぎてて
の仕事が減ってるからなぁ…

320 :
次は岡崎監督か?

321 :
篠塚監督かな

322 :
ウルフ高橋の選手兼監督のほうがマシだろう

323 :
桑田は?

324 :
>>322
高橋はヤクルト行ったほうが長持ちしたよな…
巨人にきたのは失敗だったとしか。

325 :
>>324
でも、慶應閥の巨人だからこそ
可愛がられたとも思えるし…

326 :
強かったけど優勝本命にされたことはないよな。
中日、広島がいつも本命。

327 :
>>170>>175
藤田時代ではないが、王時代の85年大洋と88年ヤクルト
ともに巨人戦に主戦級をぶつけて互角に戦いながら
阪神と中日に大きく負け越し
>>181>>261
あのとき元木が打っていたら
前年90年開幕で元木ではなくて1位指名の大森が痛打も
栗山(ヤクルト、現日ハム監督)の好守に阻まれる
安打になってれば大森の成長も違ってたかもね
FA乱獲のあおりを食ったともいえるが

328 :
藤田元司
「すべて監督がヘボだから負けました」
「監督の判断ひとつで状況は変わる。選手がミスしたら使ったオレが悪い。選手が活躍したら選手が称賛されるべきなんだ」
原辰徳
「采配ミスはひとつもない」

329 :
今の巨人は92年と似てる、ま、原じゃ巻き返せそうにないがな

330 :
あれだけ政治的な所を
あからさまに見せてしまうと中々な…
まあ、そういう点も92年当時と似てるけど
あの時も、藤田采配云々よりカンフル剤が効いたような感じだったから。
今年もそういうのが、暫くシーズン経過すると必要となって来るんだろうな。

331 :
92年は5月上旬頃のスタメンなんて、ほとんどイースタンかよっていう有様だったな。
ルーキーの伊藤博康いきなりスタメンとか。

332 :
>>156
週刊実話 '06年3月2号 -あのナベカツ会長を一喝した名将・藤田元司の侠気(おとこぎ)
-省略-  -足で開けた読売社長室のドア-
 故人には「紳士」とは正反対の渾名もあった。
瞬間湯湯沸器ー。だが、それは暴力的な意味ではなく、義理堅く、
人の道を外した相手を許せないとする"侠客家"としての一面だった。
 5年ほど前のことだ。故人は当時巨人オーナーだったナベツネこと渡辺恒雄氏を一喝していたのだ。
「おい、社長はいるか!?」藤田氏は読売新聞本社に凄い剣幕で乗り込んできた。
巨人が大阪遠征の定宿を変更するつもりでいたからだ。それを聞きつけるなり、頭に血が上ったのだ。
「読売の社長室を足で開けたのは、後にも先にも藤田さんだけですよ」(関係者)
当然、アポイントなんか、取っていない。故人はナベツネ氏と目が合うなり、こうまくし立てた。
「(大阪遠征の定宿だった)T旅館は巨人創設期からお世話になっているんだ。
戦後の食べ物がない時代に家財道具や肉を農家に持って行き、それと交換した米で巨人選手を食わせてくれたんだ。
しかも、「米を家族に」と持たせてくれて・・・・・。それなのに、アンタは!」
ナベツネ氏はグウの音も出ず、凍りついていたという。
旅館変更の話はナベツネ氏の独断ではないことを知り、矛を納めたが、藤田氏は「絶対に変えてはいけない」と念押ししてから社長室を後にした。
-省略-
チームのための自己犠牲、義理を重んじる侠気。
原監督が言う巨人愛とは、故人に学んだものに違いない。合掌。

333 :
>>330
オフのごたごた考慮すると、よく普通に野球やってるな、とw
巨人でやっていくのは色々と大変なんだね。やっぱり。

334 :
92年当時、ニッポン放送の深沢アナが打撃不振だった原を
田園調布の長嶋邸まで連れていって、ミスターの指導を仰ぎ復調して
6月以降の快進撃につながったとか。
もちろん悪い話じゃないんだけど、取り巻く状況考えると
色々と勘ぐってしまいたくもなるなと。

335 :
原が変な呼吸法で、フーフーやりながら打席立った時期だな

336 :
原は第二期の最初の岡田のjfkがうらやましかった
なんでうちらには出来ないんだと
でクルーンやら豊田等をかっさらい、山口や久保を抑えに回した
しかし基本的に巨人は、抑え至上主義ではない
中日や阪神みたいに昔から分業化なら良かったが
だけにフロントも、先発重視の補強をしてしまう
ましてやナベツネは、名前一点張りの豪華主義だし

337 :
当方阪神ファン。
今暇なんでG+の91,92年の映像見てたが
90年代の藤田政権の時って安定した強さやったのに
プロ野球ゲームの選手個人の強さってそんなに凄くなかった気がするw
この頃ファミスタやパワプロやってた巨人ファンはどう思ってた?
今の方が巨人の選手の個人能力は高いのだろうが、
あの頃の安定感はなくなったなw

338 :
>>337
当時のファミスタだとメジャーリーガーズは論外として、
巨人も強い方だったけど西武が強かったね。
ファミスタは個人能力で左右される印象があるけど、
当時の巨人は確かに投手力は優秀だが、
(と言っても先発だけで抑えはいない)
打撃はそれほどでもなくスタメンはそれ程、迫力がなかったかも。
ナムコスターズが意外と強かったので、
メジャー>西武>ナムコ>巨人くらいな印象w

339 :
>>311
藤田時代は継投なんぞ考えなくても、先発が完投してくれてたからな。
原が藤田から全く受け継げなかった部分<継投
もとより野手出身の原と、投手出身の藤田では継投の問題はどうしても溝が出来てしまう部分でもあるしな。
師匠の藤田時代は完投が当たり前
あと原が見ている監督では、王は「ピッチャーカトリ」だし、長嶋時代は巨人のリリーフといえば大劇場。
選手の掌握術はともかく、継投に関しては全く身に付けていないも同然なんじゃないかな?
今の野球だと、継投はかなり鍵なのではあるけれども。

340 :
藤田も第一次政権の時は角とかを割と使って気もするが

341 :
今の分業継投と違い
基本は完投、先発ピッチャーがどうにもならん場合にリリーフ登場みたいな感じだったな。
7回1死や2死で先発から交代、そのまま最後までとか。今では考えられないな。

342 :
斎藤とか宮本って、本当に怪我をあまりしなかったからな
体の強い先発陣が揃ってたことも確か

343 :
きょうのGT戦
7回に満塁で澤村に回って来て代打
割とこういう場合、好投してても代打が普通みたいになってるけど
完投主体の藤田時代、こういうケースではどうしてたんだろうか?
投手にそのまま打たせてた??その位しないと完投数は稼げない気がするんだが…

344 :
大野や川口との投手戦では送ってなかったのかもね。
一つにはここまで貧打線でもなかったってのもあるが、
桑田斎藤辺りなら、今の打線より打ちそうだよな(´・ω・`)

345 :
>>343
きょうのケースだと澤村に回ったのは2死からだったかな?
だとすると斎藤や桑田(勿論好投してるという前提で)ならそのまま打席
宮本や香田クラスなら代打もあり、てな感じだったかと。でも今のように自動的に代打という感じでもなく
迷った末、というイメージはあったかなと。藤田さん、あまり一気に畳み掛けるという采配は
あまり無かったんだよな。好投してる投手なら、チャンスで回って来てもそのまま打席に立たせてた感じ。
よく短期決戦は弱かったと言われるけど、その辺の采配法がシリーズなんかでは仇になったのでは
と思わんでもない。

346 :
原はもう藤田野球やりたくないんだろうな。
てか、やりたい人は広島の監督やればいいと思う。

347 :
藤田時代は
たとえば1ー2の8回裏で負けてて打者桑田斎藤
これで代打出さずに負けたの何度かあったはず
いくら打撃のいい投手でも終盤真剣に投げる投手から打つのは
難しい

348 :
0−0だから代打は出すだろうが
原は、これにって言う監督はいないと思う
豪華主義は原もだけどナベツネ主体だし
中継ぎ主体は岡田スタイルだし
むしろ中畑の方が藤田っぽい

349 :
>>348
中畑は良き参謀という点で難があるような。
その辺は今の巨人も似たり寄ったりかもしれんが
まあ、巨人の場合はオフのゴタゴタとか見てても分かるように
参謀の選出も、監督と掛け離れた部分でのややこしい事態があるので
差し引く部分はあるかもしれない。
藤田ですら第二次の末期、イヤになった位だから。

王時代がそうだけど、参謀に恵まれないと
大抵の場合は選手の掌握術が下手になるな。今の原もそれに近い感じ。
中畑は今は頑張ってるけど、さてどうなるか


350 :
巨人は藤田政権下の90年に日本シリーズで西武相手にストレートの4連敗を喫した。
91年は選手の自主性を尊重する野球をしたら、見事に裏目に出てBクラス転落。翌92年の巨人は迷走状態のイメージがあった
(一時期は最下位に低迷していた)。
長嶋を監督に復帰させてからは、長嶋に優勝させるためにFAや逆指名制度をフルに活用して4番をかき集める補強を始めたのはご存知の通り。
たまに優勝はするが、どことなくバランスの悪いチームになってしまった。
生え抜きの選手も出てこなくなり、その結果ファンも離れていった。

長期的に見て、巨人は90年の日本シリーズの惨敗から歯車が狂った感じだ

351 :
斎藤や桑田は下手な打者より打撃上手かったしな。
槙原は酷かったけど

352 :
完投主義を支えた別の側面として、斎藤や桑田の打撃センスの高さというのもあったな。
バントという場面では着実に決めるし。
澤村がなかなか勝てないとかあるけど、やはり9番目の打者としての役割が、なかなか
果たせてない部分があって、好投してても終盤に打順が巡ってきたときに代えられてしまう。
んで交代して次回以降に点が入っても澤村には勝ちがつかないとか。


353 :
ただ90年も、西武が余りに強すぎたためとも言えるが
要は藤田特有の仲良し主義が、相手球団に読まれたのと、要は先発を崩せば行けるってのがわかったから
ノムサンIDに熱血星野
アグレッシブ須藤にミスター赤ヘル山本浩二
無意識のうちの打倒巨人が故に、つぶされたのが91年

354 :
昔の巨人のピッチャーは、本当に打撃がスペシャリストだった
金田 堀内 江川 西本
斎藤 桑田
上原浩治も高橋尚成も、そんなに打撃は悪くはなかった

355 :
確かに今年は92年を思い出させる。あの悲壮な感じ。

356 :
エドガーがモスビーになれるかだなw

357 :
>>353
肩書きの羅列でミスター赤ヘルだけ、
打倒巨人と結びつかない気がするのだがw
>>354
水野も良かったね。
87年に限っては加藤や鹿取も良かった。
87年は桑田4勝利打点、加藤2勝利打点、鹿取1勝利打点だった。
あと桑田西本は2HR、江川水野も1HR。(当時の優勝記念号より)
藤田時代だと91年オルスタで水野が代打犠牲フライ(サヨナラだったかな)で
優秀選手賞獲得ってのがあったな。
巨人ファン的につまらなかった年の、数少ない良い記憶の一つw

358 :
>>357
あったあった!水野のサヨナラ犠飛懐かしい。水野は89日シリでの抑え役も凄かった。
>>350 >>長期的に見て、巨人は90年の日本シリーズの惨敗から歯車が狂った感じだ
なるほどな。悔しいけどそうかもしれんね。個人的には第一次原政権の四連勝リベンジ日本一で
歯車は持ち直しつつあったけど、松井FAで再度狂い現在に至るって感じ。

359 :
藤田元司と高木守道は何か似てるな。
スター監督のリリーフ役
地味
瞬間湯沸かし器
OB会のまとめ役で人望が厚い

360 :
>>359
でも藤田さんは昨日の中日みたいにサインの通達ミスをベンチの中で真っ赤にして怒ったりはしないだろ。
高木爺があんなに気が短い人とは思わんかったよ

361 :
>>357
結果的に津田の最終出場となった4月の巨人戦が
大きなモチベーションとなったんじゃ?

362 :
>>361
91年あたりからナベツネが介入してきておかしくなった
クロマティーの穴は大きい

363 :
クロマティも藤田になったあたりから精彩欠いていたよな。
あとは原か。こいつも90年代は…
東京ドームに適応できなかったのかな。

364 :
原は王に代わってから、おかしくなったな
84年とか大スランプに陥ったし。
クロマティも、ドームになって本塁打がそれほど狙えなくなるということで
長距離を狙わなくなった。なので90年は一時期打率4割とかいったんだけど
やっぱり大きいの狙わなくなったのが、持ち味を削いでしまい、精彩なくなった面はあったかも

365 :
原は
藤田時代の3年目(83年)までは順当

芽が出てきたことで、他球団が84年以降徹底マーク
(徹底した内角攻め、時にはぶつけても)

津田による手首粉砕

アキレス腱ほか故障の頻発
後楽園からドームに

手首粉砕でバッティング変えざるを得なかった所に、ドームと。
んで何も掴めないまま、監督が長嶋に、という感じかな。
まあでも、王時代の初期とか
平気で当てるような投球されてたもんな。あれではなかなか厳しいだろうと思う。まあその頃はまだ、原も若かったし風格もなかったんだろうけど。
あとは初球は絶対球でも間違いなく見送るというのも。
87年シリーズではトンビには完全に舐められてたな。

366 :
>>365
報復しない巨人も悪い

367 :
>>366
その点、原には巨人も冷たかったな。

368 :
89年の開幕時は、大分良くなったと、解説の長嶋は言ってた
原を
実際開幕2ホームラン打ったが
怪我したからな
この年も
3年目までは、さした怪我はなかった

369 :
 古巣と最下位争いを展開中のDeNA・中畑清監督(58)だが、巨人OBの間で意外?な高評価を得ている。
チーム成績は五十歩百歩ながら、選手を責めない点で原監督より上≠セというのだ。現役時代に中畑監督とともに
プレーしたあるOBは、神妙な面持ちでこう話す。
「中畑さんは絶対に選手のせいにしなかった藤田(元司=故人)さんを理想の監督像と言っている。我々にとって
指導者の姿といえば、やっぱり藤田さんだから」
 確かに中畑監督が選手を責めることはない。10日の神宮で6連敗を喫した際には「手を尽くしたんだけど…。
全部、私の責任。ファンに申し訳ない」と全責任は自分にあると明言。まだ本塁打がないラミレスについても
「今やれることを精一杯やってくれている。攻撃中はベンチの最前列で立って声を出してくれる。すごく助かる」
と持ち上げている。これこそが、選手を褒めてやる気にさせる巧みな人心掌握術で就任1年目の1981年に
チームを8年ぶりの日本一に導いた藤田流だという。
「原監督も藤田さんを恩師と慕っているけど、15日のDeNA戦でエラーした坂本に『フォローのしようがない』
と話したり、去年も不振だった小笠原を名指しで批判したりと監督像としては全く違う。チームにとっては中畑監督
のやり方の方がいい」(前出OB)
 藤田イズムの真の継承者は果たしてどちらか…。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/7400/

370 :
中畑は長嶋政権下の
コーチ時代が…だったな。

371 :
藤田は、繋ぎ監督という部分があって
ちょっと後がツラい部分もあるんだよな。第一次はそれがはっきりと。
原は藤田とよく比較されるが、長期になると、その場で選手をどう掌握するのかという部分とは別に
先を考えて、成育というのも同時に行わなければならない。藤田はベテランも含め今いる選手を
とにかくどう掌握するかに苦心したけど、原はその功罪も分かってるので若手名指してな事もやるんだろう。
今ある戦力を最大限に使うという点では、藤田や中畑のやり方も1つではあるが、脆い方向へも行く。
王と違い、原は名指ししながらも適当にフォローもしてるんじゃないか?でないと
嫌気を持たれてズタズタになる。こういうのは後年にならないと出てこない部分でもあるし。
中畑がどの位の期間、監督するのかは分からないが、横浜のあの戦力で藤田と同じことしても…とも思う。

372 :
王はフォロー下手なのに選手を名指し批判して反感持たれてたもんな。
あの頃の指揮命令系統、ズタズタだったわけで

373 :
マジで巨人時代の王監督って、ダメ監督呼ばわりされてたの?
日本一になってないだけで、特にアラがあるわけではないと思うが。

374 :
原のフォローは天下一品。だから皆々ついていくんだよ。まさに藤田直伝也。

375 :
>>183
>>184 >>196
何言ってんだよ!
亀レスすまんが、
篠塚と言えば、
チョコンとバットを出して、レフト前にポトリと落とす、
芸術的な流し打ちが一番印象的でしょうが。
当時これができたのは、
篠塚と、加藤秀司くらいだった。

376 :
>>373
中畑、山倉、篠塚、原、吉村、駒田、槙原などこれだけの戦力が揃っていて、5年間で
わずかリーグ優勝1回じゃ物足りないと言われても仕方がない。はっきりいって堀内と大差なし。

377 :
86年と88年は酌量の余地ある。

378 :
>>377
両方とも酌量の余地はないだろ

379 :
86年は無いが88年はあると思う俺、だって87年のクリーンナップ
2人が欠けたんだぜ、呂じゃ埋まりきらなかったじゃん、鹿取も前年
程じゃなく桑田は実質2年目のジンクス、江川の抜けた穴と余地ある
でしょ

380 :
>>359
藤田「監督がへぼだから負けた」
高木「選手のせいで負けた」
この点がかなり違う

381 :
>>379
最初に断っておくがあくまでもオレ個人の主観だし「たられば」の話だけど
クロマティ、吉村の故障離脱は同情できるが穴を埋めるべく選手がいなかった
鹿取の不調も前年の酷使が原因の一つといわれている。
桑田の実質2年目のジンクスも予想すべき事
江川の抜けた穴→ガリクソン獲得している。それでも足りないというのであれば
ドラフトでは橋本などの高卒選手でなく即戦力投手を獲得すべきだったのでは?


382 :
87→88は、チーム防御率は3.06→3.09だが
チーム打率は.281→.268、本塁打は159→134だな
まあ後楽園からドームに代わったのも考えないと。

383 :
95年位まで藤田監督で、→堀内→原ってなれば良かったのに。

384 :
>>383
なんか史実よりBクラスが増えそうなのはなぜだ?
落合が来ないからか?堀内監督だからか?

385 :
>>383
多分奥さんが許さないよ。本当は92年も監督やる予定じゃなかったけど、1年契約で引き受けたぐらいだし。個人的には92年
が1番好きだったな。前半は最下位、モスビー、大久保効果などで7月には首位。後半息切れして結局2位に終わったけどね。
93年NHK評論家になって宮崎の取材に行った時、なんかホッとした表情をした藤田さんが印象的だった。

386 :
92年はドラマチックだったね。
最下位から一気に首位奪取は燃えたぜ。

387 :
原はAクラス争いで「あわやBクラス」が多すぎて心臓に悪い。
藤田や王はおろか、無能と言われた長嶋第2期ですら97年を除いてなかったし。
堀内は絶望だから心臓に悪いのはなかったはず。
こんなヒヤヒヤな監督今までいたか?

388 :
>>386
確かに92年は燃えた。神宮での原のバット投げ弾、テレビの前で吠えたw
※岡崎はあのときの気持ちを思い出して頑張ってくれw※

389 :
>>387
92、93年も心臓に悪いようなAクラスだった気がする。
91年はあれだし、94は優勝に挟まれ、92は曲がりなりにも2位だから気にならないが巨人史上もっともBクラスに近い2位だった。
93は04や昨年ばりの薄氷。

390 :
>>376
王・藤田は1990年以外は最下位だけが突出して弱かったが、結構な団子じゃなかったか?
首位〜5位までは少ない差になりながらきていたから銀行試合が最下位だけで、横浜広島が確実に星をくれる今以上に戦いにくそうだった。
混セ熱パの時代とか言われていたのもそれ。

391 :
Aクラスになるのが大変、勝つことの有り難みを忘れすぎなんだよな、この時期の虚カスは。
優勝して当たり前みたいな驕り高ぶりが出て、球団にまて波及させて虚塵は本当に困る。

392 :
1982年 大塚商会CM(藤田元司)
http://www.youtube.com/watch?v=AY5SvYYlc_I

393 :
大塚商会 → 大沢商会

394 :
横浜(大洋)は、まだ当時は須藤を監督にしたり、スーパーカーや知将古葉など
巨人とは闘った
広島は、北別府 大野 川口など

395 :
93年以降は、広岡監督の方が適任じゃなかった?
広岡なら大型補強に頼らずとも優勝できた。

396 :
広岡だったら
元木をいたぶりながら育てたり
斎藤隆之あたりを抜擢してそうだな

397 :
>>395
広岡ならあんな守備位置が被りまくる補強はしないだろうな。
しかし当時のフロントは西武と違って糞のようなフロントだから、広岡の意見が
通らず、堀内時代のような悲惨な事にならないとも限らない

398 :
思いどおりに動いてくれないフロントに苛立つ広岡
思いどおりに動かそうとする広岡をウザがるフロント
早々に双方の折り合いで揉めて、
広岡は優勝しようがしまいが一年で辞めただろうね

399 :
広岡が
あの当時の原を一体どう扱っただろうか??という点に対しても興味深い。
少なくとも落合招聘はなかっただろうし

400 :
>>399
広岡だったら西武時代の田淵みたいに扱ったんじゃないかな?

401 :
ソフトバンクは王遺産が機能したとか言われはじめてきたな。
藤田、長嶋がこんな叩かれ方したことがなかったよな。王遺産なんて。

402 :
>>398
その可能性もあるね。なんせトップの正力が慶應だしww
慶應というだけで使い物にもならないアホをドラ1で指名させるくらいだから。
大森は大学でも結果残してたからまだマシだけど。

403 :
広岡だと、元木は冷徹に
取らなかっただろうか??
藤田さんはドラフト前のインタビューで
「こんな事態だから(元木を)指名しないわけにはいかんだろう」と半ば諦めていたようだったけど…

404 :
藤田さんは、ドラフトにもそれほど口を挟まなかったのかな?
少なくとも第二次に関してはそんな印象。
もし広岡だったら、元木をとる、とらないで結局>>398のようになってたような。
そもそも元木をとる事になったのは、当時の巨人フロント主導だったのか?
>>403の感じだと少なくとも監督側で意思を持ってとったわけでは無さそうだし。

405 :
慶応閥で藤田監督の意向もあったような言われ方するけど、
大森も本当に獲りたかったのかなあ。
入団後の起用法見ても小正力側のゴリ押しって感が強い気がするんだが。

406 :
投手力は絶好調だったが、
打線に関しては原にも衰えが見え始めた時期だったし、
即戦力(にはならなかったが)の打者が欲しかったのは事実じゃないかな。
結果的には投手はいくらいても足りないということはない
事に気付くのに遅れてしまった感じもあるが。

407 :
>>405
もっとごりおししてもらいたかった・・大森。 92年大森をサード
にしようとした岡崎では長打不足だし大森を1年起用しても変わらなかった
むしろ長打ある分大森のほうが良かった気もする

408 :
まあ強いて岡崎起用の利点を挙げるとすれば
右に流せる点ぐらいか。

409 :
右に左に流せるからな。

410 :
大森には主軸として大成して欲しかった。
一年目は代打なんかで結構勝負強かった記憶があって、結構期待していた。

411 :
大森って一軍で.150だぜ。チャンスがないとかそういう問題じゃないだろ

412 :
>>408
岡崎って左打ちだから「右に流す」とは言わないのではないか

413 :
>>408は岡崎の応援歌の皮肉だろうw

414 :
藤田さん、原監督にご加護をお願いします><

415 :
ご加護どころか清武砲食らってるぞ

416 :
92年のペナントレースは、ヤクルトが先行し、巨人と阪神が追い上げるという展開でした。
シーズン終盤、ヤクルトとの最後の天王山。試合前のミーティングは忘れません。
 「きょうだけは自分のためでなく、人のために働いてくれ。彼女でも、奥さんでも、子供のためでもいい。
  自分が打ちたい、抑えたいじゃない。みんなが、人のためにプレーしてくれれば、オレは何の悔いもない」
 私欲を捨てて懸命にぷれーしてくれ-。藤田監督の決意の言葉に、選手は全員泣きました。隣にいた原さんの目もまっ赤です。
 ボクもジーン・・・。試合は負けて、V逸。それでもスッキリ終われたシーズンでした。
 すでに覚悟を決めていたのか、その年限りで、藤田監督は巨人のユニフォームを脱ぎ、
 長嶋茂雄監督にバトンを渡しました。
  2006年2月9日、藤田さんが心不全のため74歳で他界。世田谷の自宅に駆けつけたボクは、
 恩人の亡骸を前に泣きに泣きました。これでもう、ボクには「オヤジ」と呼べる人はいなくなった・・・。
 そう実感したのです。

417 :
あっそ

418 :
原が藤田野球やれたのは清武のおかげで、いいタッグかと思ったがあんなに対立するとは。
そのせいか原は野球まで長嶋化してるな。

419 :
>>417
なんかの本から抜粋したんだろ。
妄想ならキチガイだけど

420 :
デーブ大久保だろ

421 :
清武がナベツネ憎しなのは、まあ分かるとしても
原まで陥れる必要があるのか…??

422 :
こういう事態になったとき藤田は川上に守られ、桑田は藤田に守ってもらった。
原を今守ってくれる人は誰だ。

423 :
原は謹慎処分すら受けてないんだから、藤田、桑田に比べて全然球団に守られているじゃん。

424 :
水野の打者転向試してほしかった。

425 :
>>421
ニュースソースが、893側と考えた方が自然。
原が逆ギレして、清武名指ししたのは
おそらくあとで後悔するだろう。

426 :
この時代の巨人の選手は他を見下したような感じがありあり。
・クロマティの「頭大丈夫か?」 
・駒田の「バ〜カ!」
とか、原あたりのどや顔とか見てるとむかついてむかついてしょうがなかった。
「大正義巨人軍様に逆らうなよ!」みたいで。
あんなパフォーマンスやリアクション、巨人以外なら批判されてただろ。
バット投げも他の選手なら「危険だ」とか言われたりして。

427 :
>>426
クロマティはともかく、駒田の件は、加藤が挑発したからだろ笑
ロッテより弱いは言ってないにしても、他でいろいろ言ってるし。
原のバット投げがあかんなら、田淵なんていの一番に批判されるわ。
アンチ巨人てなんでこんな無理なこじつけするんだろうか?

428 :
OF時代は「こんな戦力で余裕で優勝できないのはおかしい!」みたいな批判ばっかだよな。
無理言いすぎじゃないかと。

429 :
>>428
てか、余裕ぶっこいて優勝なんて1990年以外ないし。しかもシリーズは悲惨www
広島が互角に君臨し、ヤクルト→阪神の最下位が突出して弱かった以外は楽に勝たせてくれるチームなんか、なかったよ。
「この戦力で〜」なやつは90年みたいなつまらない独走が好きなのか?

430 :
>>428
長嶋の時は勝てないのがおかいいくらい戦力あってもヘボ采配で
何度も優勝逃しても何もいわないマスゴミだもんな・・・

431 :
混セ熱パ
巨人があれだけの戦力なのに勝てないのがそうさせた。

432 :
>>429
王、藤田時代はまず大野や津田を打てなかったしな

433 :
清鼻という人もいた。

434 :
野村に嫌味、褒め殺し発言され続けた91〜92年は
明らかにヤクルトが壁として立ちはだかってたね。
チーム力に加え人気面でも完全に後塵を拝していた。

435 :
>>434
今まで行き場のなかった、関東のアンチ巨人が
ヤクルトが強くなって、一度に終結した感じだったもんな。
ヤクルト自体の人気と、それに加えてアンチ巨人の要素が物凄かったように思う。
この辺は、やはり野村の為せる業か。

436 :
>>427
あれは「巨人はロッテより弱い」と言う意味合いの発言をした。だからな
実際加藤哲発言を観たけど、アンチ巨人の俺でさえドン引きした。
あんな言われ方して怒らない球団何か居ねぇよ。

437 :
この人が監督時代にネットがあったら、投手を酷使する監督と叩かれてた
だろうね。酷かったもん。完投に拘って200球投げさせるし、先発と
抑えの両刀使いをするし。

438 :
少なくとも当時は、今のような分業という概念は薄かったので、完投数の多さからむしろ評されていた。
先発は完投がありき、途中でヤバくなったら交代して次のピッチャーへという感じ。
中継ぎ+リリーフという存在は既にあったけど、あくまで先発が打たれたときに出てくる人たちという感じ。
2ちゃんねるがあっても酷使監督のような書かれ方はしなかったんじゃないかな?酷使は今から見た印象で。
雨雨権藤雨権藤ほどでなくても、後年からみれば大昔の投手の使われ方なんて、とんでもないけど
やっぱりその頃は当然だったわけで。その頃の価値観の人を後年に連れていけば中4日でも「ラクしやがって」位にしか思わないかもしれない。

439 :
槙原や木田の先発・抑え両刀使いは当時でも酷使と批判されていた。

440 :
当時は藤田より星野と負広のが批判ひどかったような

441 :
>>438
既に分業化されていた。
ただまだ先発完投が理想だったから、
勝ち試合の先発→セットアッパー→ストッパーという継投は一般的ではなかった。
これは横浜の権藤あたりからかな?
いや、先に西武が鹿取、杉山、潮崎の抑え三枚でやっていたか?
今のMLBもだが、中継ぎ抑えは先発から落ちたベテランや二線級みたいな側面もあった。
先発がペナント終盤や日本シリーズで一時的に抑えを兼任はあったが、
槙原の先発抑え兼任は当時もアナクロと批判され、
案の定、槙原はバンクした。

442 :
ただ槙原はあの酷使のお陰(という言い方もどうかとは思うけど)、
一段レベルアップした様な気がしないでもない。
前の年も初めてと言って良い、年間ローテを守りながら2点台を
記録したのに結局は10勝13敗。88年が特別に貧打だった訳でもないだけに、
勝つのが下手な投手なんだなって印象だった。
仮に藤田監督が抑え兼任をやらせていなかったら、
20勝とまでは行かずとも15勝2点台くらいは達成できてたんだろうかね。
斎藤20勝桑田17勝槙原15勝とかだったら胸熱な投手陣だな。
でも結局はパンクしちゃうから12勝止まりな訳だが(´・ω・`)

443 :
89>90>92>91じゃないか?はっきり言って90年以降はつまらなかった。 

444 :
何か星野仙一とかぶるんだよね。水原、川上、務台、小正力と目上の老人に信頼されていた所とか、
理論自体は大したことはないが、人心掌握と政治力には長けていた所とか。
そこは理論は一流でも人望と政治力のない広岡とは対照的だな。

445 :
>>444
NHK解説時代の親友だったはず

446 :
サード三宅

447 :
槙原は結局自分がバントできないし打てないし、フィールディングも悪い。自分で首を絞めてたな

448 :
大柄で投手としての資質には恵まれていたが、
大柄であるがゆえに野球選手としての全体的な器用さには欠けていたかもね。

449 :
まあ、あとの桑田、斎藤の二人が器用過ぎて、余計に槙原の不器用さが目立ってしまった面もあるかも。
でも、斎藤・桑田と槙原の成績を比すると、やはりフィールディングとか打撃の際にも器用さがあると
自らを助けるというのは間違いない感じはある。
江川とかもああ見えて器用だったし、西本も。
当時はまだエース級は余程追い込まれない限り完投が当たり前だったけど
今だったら終盤に打席が回ってきたとき、斎藤や桑田なら打者の一員として扱えるから継続
槙原だと送りバントも脆いから交代、てな図式になってそうではある。

450 :
>>443
Bクラス脱落した91年頃、視聴率第一主義に走って、フジに追い付け追い越せになった日テレが
藤田巨人軽視の姿勢がモロにみえて、野球そのものの楽しみに関係なく興醒めした部分が強いかな。
91年に善戦してれば、また印象も違ったんだろうけど、王時代の負け癖イメージが蘇ってきて…
92年も今思えば面白いシーズンだったのかもしれないけど、藤田さんも、無理からもう1年続行みたいな感じだったし
なんか痛々しいシーズンの印象が残っている。

451 :
藤田監督で巨人終わった。 

452 :
日テレを視聴率第一主義に走らせた氏家はバリバリの長嶋派だしな。務台に嫌われて、
読売から追放された氏家を盟友のナベツネが呼び戻した時から、長嶋復帰は既に決まってたんだよ。
ポスト藤田で広岡、王、高田あたりの名前が挙がっていたのは恐らくダミー。

453 :
原が戦犯だの勝負弱いだの言われてたけど、3、5番がもう少し安定してたらまた違う結果もあったと思うんだ

454 :
89年で巨人は終わってた。それ以降は面白くない、いま現在まで。

455 :
岡崎って、何であの程度の成績でレギュラー張ってたの?
あれなら大森を辛抱して使ったほうが良くなかったか?

456 :
岡崎はチャンスに強かったから

457 :
>>455
岡崎は勝負強かったよ。
打率以上に、相手チームは嫌がってた。
星野が嫌なバッターだって誉めてた。

458 :
右に流せる
貴重な左打者だったからだろう。

459 :
つか、>>455は大森にサード守らせるつもりか?

460 :
>>450
堀内の藤田と選手叩きが特にひどかったな。
王の時からあれだったが藤田になると顕著。
さんざんデカいこと言っておきながらいざ監督になったら…w

461 :
長嶋になった途端
叩きが緩くなったな。

462 :
>>461
そして同じ選手でも180度なんだよなwww
落合あたりは今のオチシン以上に。

463 :
堀内・池谷の時の藤田・王叩きときたら。
後年この2人が巨人を破壊したのを見てこの2人頭にきたんじゃないか?

464 :
王時代に「私には理解出来ませんねえ」みたいなこと言って
思いっきり上から目線で采配批判してた堀内も、
監督時代には解説席の原に鼻で笑われてるんだから何とも・・・

465 :
岡目八目

466 :
堀内は第一次藤田の最終年(83年)に引退
その次に発足した王政権の時、さっそくコーチになってたよな。
でも王が監督の時代に解説してたような記憶もあるから
わりとすぐにコーチ解任されて解説へ回ったんだな。

467 :
>>466
86年日本シリーズは堀内・池谷の解説だった

468 :
 始まりは「仏の許し」だった。宮崎キャンプ入り直前の1月29日、恩師の藤田元司・元巨人監督の七回忌が都内で営まれた。
藤田元監督の義理の息子で、原監督の東海大時代の先輩でもある国際武道大監督・岩井美樹氏から、参列者の人選を委ねられた。
原監督は「桑田も連れて行っていいですか」と、岩井氏に電話した。
 06年、桑田真澄氏は球団の了承を得ないまま、インターネットで退団を公表。退団時の言動が「藤田監督が存命なら決して
許さない」と、遺族の怒りに触れた。桑田氏にとっても藤田元監督は大恩人だが、以来、桑田氏は藤田家と疎遠となっていた。
当時の監督だった原監督が仲介となり、桑田氏は晴れて和解。岩井氏は「泥を塗られた辰徳が、間に入ってくれたんだ」と話す。
 墓前での記念撮影。原監督は、首脳陣を後ろにし、笑顔の桑田氏を中心に座らせた。和解を、巨人の仲間と祝福した格好だ。
法要の会食では「みんな、今年はやるよ!」と、恩師の前で宣言。岩井氏は「あれは決起集会だった。みなが結束して勝つという
覚悟があった」と振り返る。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120922-1021004.html

469 :
>>467
87年第5戦(後楽園ラストゲーム)の解説も堀内&池谷。
9回裏、東尾の失投を原が見事に見逃したw

470 :
今思えば王末期〜藤田初期の原の打撃不振は一億円のことが気がかりだったんじゃないのか?
やきもきしてるうちに、と。
解決した時には東京ドームと衰えであとは下降線。

471 :
藤田さんも喜んでおられる筈!日本一おめでとう!

472 :
>>428
王時代は藤田や長嶋の信者ばっかりな選手のせいで舐めた態度取るやつや怠業紛いなやつが多すぎたんだよ。
中畑や江川は公然と批判するし、原とか斎藤とか山倉あたりも藤田には王に対する態度が悪かったらしい。
言った通りに働かないんじゃどんな才能あろうと勝てんわい。

473 :
あんなに舐められるもんなのかね。
いくら長嶋・藤田のシンパが多いとはいえ

474 :
王の時代に、藤田さんが原に対して
流石に態度が目に余ると注意したことはあったようだね。

475 :
星野や野村みたいに言うこときかないやつは放出すれば良かったんだが王自体も藤田の「手前」あってそこまで非情になれなかったんだろうな。

476 :
>>474
初めて聞いた。事実だとしたらショック。

477 :
>>470
原は手首とアキレス腱痛めてから劣化したよ
強靭な下半身とリストの強さが持ち味だっただけに

478 :
手首を骨折してからのバッティングは、はっきり言って誤魔化しだった。
ファンの方には申し訳ないが

479 :
手首骨折した翌年は序盤スタメン外れが多かったから、
比較的打数が少なかったけど、それでも34本打ってるからな。
バースなんかに比べりゃ見劣りはするが、
避難ごうごうされるほど悪い選手ではない。
86年も8月下旬で34本くらい打ってたんだよな。
それから1か月で2本くらいしか打てなかった所で、
骨折してあぼん。

480 :
詳しくは忘れたが、既に兆候があったところに
津田の内角攻めでトドメ玉砕という事だったかと。
誤魔化しでもあそこまで出来れば凄いと思うけど、さすがに4番を外して欲しいと訴えかけたら
トレード散らつかされたとかで、まあ大変な境遇に置かれてたんだねぇ

481 :
89年のパは西武が惜しくも優勝を逃したのは周知のとおりだけど、
もしも、この年の西武が優勝して巨人と戦ってたら、巨人は勝てたのかな?
結果的に近鉄より弱かったのだから、当然勝てていた・・・
・・・なんて事はなくて翌年みたいに4連敗とまでは行かなくても、
87年の様な展開で2勝4敗くらいで敗れていたんじゃないかという気がするが、どうかな?

482 :
日本シリーズの戦い方は心得てるから近鉄よりきつかったかもなあ 工藤が不調だった分チャンスはあったかもだが 渡辺久 郭 渡辺智って打てたかな 
森が監督だし 加藤哲郎のような失言するやついないだろうしw

483 :
>>472
本当に氷が溶けたのは87年あたりだったな
優勝会見で「人は自力でないと言うが、1年間自分たちの力でやってきたのだから立派な自力だ」という言葉にみんな涙したらしい
原は王のことが指導者になりはじめてわかったみたいだ

484 :
最近の週ベで駒田が89年のシリーズについて
語っていたが、もし4連敗で終わっていたら
藤田監督が辞表を出すということが噂になり
それでチームが結束できたんじゃないかと
いうことを言っていた。

485 :
もし辞表出してたら後任がおもいつかんな
広岡は王が解任のとき最初に声がかかったけど断ってるし 長嶋田とまだタイミングが早い気がするし

486 :
でも翌年の4連敗では辞表出さなかったな。
リーグ優勝して辞任なんて変な話だと俺は思うけど。
第1期の時は優勝して辞めてるのか。

487 :
西武に3連敗したとき試合前の藤田がベンチで踊ってたの見たな。また4連勝できるわけないのにw

488 :
http://www.youtube.com/watch?v=jAX3WRwL6j8&feature=related
メジャーに復帰したカムストックは、サンフランシスコ・ジャイアンツへ
このユニフォームのデザイン、21世紀に入ってからの巨人がマネしたタイプだね

489 :
カムストックといえばスクリューボール

490 :
4連敗したら辞表で結束したチームが、翌年本当に4連敗して辞表出さなかったことで
本性が見えたのかも
だから91年は、何かギクシャクしてたんだろう

491 :
>>443
92は、やっぱり大久保とモスビーで、結構面白かった
一番つまらなかったのは91

492 :
テレンコ、テレンコやってんじゃねぇ

493 :
>>491
92年はペナント自体も面白かったね

494 :
桑田の不調がすべてだったな 92年は

495 :
92年は選手も首脳もファンもあれで戦ったと思ったのか?
あと1歩間違えば広島に抜かれて2年連続Bクラスになるヤバい年だったとしか見えないだろうに
翌年もそんな年で、下手すりゃ3年連続Bクラスも…

496 :
巨人ファンだけど、この年は惜しくも優勝逃したイメージだよ。
最下位から一気に首位に上り詰めて、
結果的にツバメにさらわれたけどおおむね満足のシーズン。
そのツバメが王者西武相手に好ゲームを演じたのも
付加価値で良い印象。もしかしたら巨人も善戦できたかも?
なんて淡い夢を抱けたし。(たぶん惨敗だったろうがw)
91年93年はストレスたまりまくった。

497 :
戦い方は不安定だったね
デーブ大久保とモスビーの一時的な投薬で持ち直した感じ
原もすでに衰え始めてたしなあ  阪神が翌年から暗黒になったほうがびっくりだけど

498 :
この年は、なんか藤田さんが疲れてたイメージ。

499 :
92年は原のバット投げに尽きる。優勝して欲しかった。

500 :
>>499
あれはいやだったな

501 :
あの年は最下位になるかもと期待したけどな。でも長嶋復帰が早いうち決まってたんじゃないかな?優勝争いしてるのに読売新聞はネガティブな見出しばかりだったよ。

502 :
結局日本シリーズ4連敗で、藤田が辞表出したら、次もあったと思う
何だ。藤田さんも自分が可愛いんだって不信感が出たのが翌年以降
だからこそ、誰かがなるべきだったのだろうが
なり手がいなかった

503 :
そこは長嶋で良かったの…かもしれない
>>501
日替わり順位的なつまり方で実質3位と悪く見られたのかな
何か知らんがこんな戦いは読売から評価が悪いんだよね、80年長嶋や03年原もそこで悪くみられた
初年度ならBクラスでも甘く見られたりするんだが

504 :
4連敗したけどリーグ連覇したしそんな評価悪くなかったような…。

505 :
結局西武に勝てないのかという西武コンプレックスを払拭できなかったのが全て
野村ヤクルトに先を越されたのも痛い

506 :
実際リアルタイムでみたけど、本当にコテンパンだったからな
4連敗は
紙一重でも何でもなかった
競り合いもなかったし
本当に、あの日本シリーズが、ある意味巨人コンプレックスだった他球団が、来年は行けると自信を持たせたのも確か
ましてや、ヤクルトは野村イズム
で広島や中日は巨人包囲網
勝てないのが見えてた
本当に、長嶋でも良かったとは思う

507 :
そして小早川のホームラン・・・でいいんだっけ?

508 :
>>507
小早川の開幕戦3連弾は5年後の97年。
あれが全てで大型補強も結局は4位。
話は92年に戻るが日テレも長嶋待望の空気での中継が露骨だった。
堀内と当時はまだ月2の本数契約だった江川が担当日になると
やたらと藤田采配を批判しまくり「変革を求めたほうがいい」などと
翌年の長嶋復帰を匂わせるようなコメントを連発していた。

509 :
>>508
典型的長嶋派だしな

510 :
91年も、何かギクシャクしてたのが見え見えだったからな
ろくに補強もしなかった上に、若手育成もなかった
本当につまらないシーズンだった

511 :
駒田だけ元気だった

512 :
桑田も16勝したが防御率は3.16と悪化。
前年ぐらいから打ち込まれると投球が短調になって一気に
大量失点するというケースが目立つようになった。

513 :
後ろに苦労したからな・・・まあ俺が唯一藤田さんの嫌いな所は
鹿取を出した事だから自業自得だと思った

514 :
桑田はエアサロンパスのCMでレスラーのような体を披露して、
筋肉のつけ過ぎで調子が悪いんだろうと言われていたな。

515 :
実際 上半身の肉が邪魔して腕の振りが鈍くなったと本人はいうてたな 復活するまで2,3年かかった けどそのご大きな故障してしまった

516 :
桑田は結局87年から90年くらいが、一番バネのある体で、
しなやかで伸びのある球を投げていた気がするな。
140後半くらいのストレート、カーブ、90年くらいからスライダー
という組み立てが好きだった。

517 :
87年の前半は最高だったね
1番体が動いてたんじゃないかな

518 :
最近の巨人はこの時代と似てきているな
というか投高打低でプロ野球自体がこの頃のような雰囲気
広島が弱いこと、ホークスが強いこと以外は

519 :
そういう野球では駄目だと経営陣が考えてるのは
落合中日ドラゴンズで証明されてしまったからねぇ

520 :
当時の広島が今の中日
ただ藤田さんは、鹿取は出したが石毛を育てた
で長嶋が橋本を使い勝利の方程式ができた

521 :
中学時代の野球部監督がクロマティのセンターだけはないと怒っていた(クロウはレフトで使ってセンターは打てなくても守れる新人いれろと主張していた。※日本シリーズの緩慢プレーより前)。

522 :
てすと

523 :
そういやそうだよな、何でセンターにこだわったんだろ。
駒田吉村をそれぞれレフトライトに使うと、
消去法でセンターしか無かったってことなんだろうか。

524 :
他にセンター任せられる選手がいなかっただけだろ
機動力ないし基本鈍足弱肩メンバーしかいないから
俊足で守備堅い控えの面子は内野が殆どだし

525 :
このころは外野守備うまい選手いなかったな
西武がうらやましかった

526 :
そういう全体のバランスは考慮されてなかった時代だったんだろな。藤田さんは巨人独特の風土の中で
自ら選手の調達を行う人でなく、現にいる人間を如何に使うかの人だったから
さっさと退陣して長嶋に譲ったのは良かったのかもしれんな。
結局まともに外野の守備要員がいないあたり

527 :
ある種のマジックだったから藤田野球は
本来強いチームは、オーダー固定でローテーションも固定
しかし藤田は、オーダーは猫の目だった
しかしチャンスが平等になる分、モチベーションは高かった
何となく勝てる雰囲気を作る雰囲気作りのうまさ
これが藤田野球だった
だけに4タテ食われた翌年
マジックが禿げてしまった

528 :
89年は1、2番コロコロ代えてたもんな

529 :2013/06/25
井上と緒方の熊工コンビが思いのほか伸び悩んだ
川相は覚醒した
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