【ブルー】淡谷のり子★VOL.3【のりきゃん】 (327)
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【ブルー】淡谷のり子★VOL.3【のりきゃん】
- 1 :2007/04/30 〜 最終レス :2013/10/20
- 魅力を語る人は語る。
語りたくない人は語らない。
- 2 :
- σテンプレ
淡谷のり子
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1010464655/
淡谷のり子2
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1145375376/l50
- 3 :
- 楽屋でディックミネに乳をむさぼらせていた淡谷先生が、後年清水アキラを「下品」な罵倒していた。
要は清水アキラが嫌いだったのか。
- 4 :
- 清水アキラのふざけた感じが生理的に受けつけなかったのかも
- 5 :
- 魅力を語る人は、ここでは語らない。
語りたくない人も語らない。
のりきゃん等という題目が気に入らない。
- 6 :
- □□□□□▼□□□□□□□□□□□□□□□□□▼▼▼□□□□□□□□□
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- 7 :
- 妹さんは元気なの?
- 8 :
- 妹は多分まだかろうじて生きてるかな!
- 9 :
- 清水アキラって性格が最悪らしい
そういう所も見透かしてたんじゃない?
- 10 :
- やっぱり最悪なんだ、あの人
- 11 :
- 淡谷先生がテレビに出てた頃が懐かしい。
初期の《ポエマ》という歌は、いいですよ。
- 12 :
- 《ポエマ》さっそく探したいと思うけど、「ポエム」という意味?
- 13 :
- ポエマ・タンゴはコンチネンタル・タンゴの名曲で、
戦前の日本では、淡谷のり子によって紹介されました。
セリフ入りのこの曲は、淡谷のり子もお気に入りで、
晩年のコンサートでも毎回歌っていました。
- 14 :
- セリフ入りなんて、先生らしくとってもお洒落
- 15 :
- >>12
モノラルバージョンとステレオバージョンがあるけど、断然、モノラルがオススメです。
十年に一人のソプラノと言われた歌声が堪能出来ます。
- 16 :
- 淡谷のり子のコンチネンタル・タンゴでは、
やはり「ポエマ」と「夜のタンゴ」が双璧でしょう。
どちらも、晩年まで歌い続けました。
また淡谷のり子の和製タンゴでは、「夜のプラットホーム」が
最高でしょう。
この歌は、淡谷のり子が戦前に吹き込み、時節に相応しくないと
発売禁止になってしまい、そのままお蔵入りになった楽曲なのですが、
戦後に歌おうと思ったところ、コロムビアからテイチクに移籍した為に
歌えなくなってしまった曰く付きの楽曲なのです。
勿論「夜のプラットホーム」も、自身のステージでは、自分のオリジナル曲
として、晩年まで歌い続けました。
- 17 :
- 「ポエマ」はやたらとイントロの長い曲ですね、ぶっちゃけびっくりした
「夜のタンゴ」も然り
「虹のビギン」が個人的には一番。
- 18 :
- 「虹のビギン」という曲は知りません。
淡谷のり子の歌ですか?
- 19 :
- おしゃれ娘の疾走感
ステキだなぁ。とても戦前の和製作品とは思えない
- 20 :
- アップテンポの曲なんてあるんですか。
- 21 :
- >>20
「ルンバ・タンバ」は戦前と戦後と、コロムビアで録音されている。
戦前は「ルムバ・タムバ」と表記された。
- 22 :
- 淡谷のり子の戦前のタンゴの中で、「ヴェノスアイレスの歌」も素晴らしい名唱です。
- 23 :
- 淡谷のり子が1937年に吹き込んだシャンソン「アマポーラ」も良いですね。
時々、テレビのCMやBGMでこのメロディーを耳にすると、日本での
創唱者・淡谷のり子の「アマポーラ」を思い出すのです。
- 24 :
- アルゼンチン・タンゴにゆかりがあるんですね。
- 25 :
- でもその割にヒット曲は極めて少ない。
大衆ヒットは「別れのブルース」「雨のブルース」「君忘れじのブルース」の3曲のみ。渡辺はま子や二葉あき子よりはるかに少ない。
- 26 :
- >>25
それらの曲目は、戦後の放送局のリクエストで仕方なく歌っていた。
淡谷のり子の若き頃のヒット曲には、戦前のよき時代のジャズやシャンソン
タンゴが少なからずあり、当時のモダンな学生達に好んで歌われたそうだ。
それに、淡谷のり子は、自分のオリジナルヒット曲の「別れのブルース」等も
好きではなく、晩年のコンサートでもほとんど歌うことはなかった。
強いて言えば、「雨のブルース」はオープニングで歌い、その他のオリジナル
曲は滅多に歌わず、シャンソンやタンゴでライブ・コンサートは構成されていた。
淡谷のり自身、自分は流行歌手ではなく、ポピュラー歌手と自負していた。
戦前の日本で、ヨーロッパやアメリカの名曲を日本に紹介した功績は偉大であり、
シャンソンに至っては、日本での第一号のシャンソン歌手でもある。
- 27 :
- 確かに流行歌手になったのは、彼女の不本意なことだったと思う。ただ、生活やリクエストのために仕方なく「別れのブルース」などを歌っていた。
ただ、その流行歌で彼女の社会的地位は向上しコンサートも開けるようになったことも忘れてはなるまい。
- 28 :
- >>26
そうですね。
ヒット曲のない歌手は、ありとあらゆる自分のオリジナル曲でコンサートを
構成するようですが、淡谷のり子に至っては、数多いオリジナルの
「別れのブルース」「雨のブルース」「東京ブルース」「思い出のブルース」
「落ち葉のブルース」「鈴蘭物語」「白樺の小径」「すずかけの道」
「君忘れじのブルース」「日暮れの窓で」「満州ブルース」等は、コンサートでは
あまり聴いたことがなかったですね。
ほとんど、戦前に歌ったシャンソンやタンゴで通すということは、よほどの信条が
あった表れだと思います。
また、レコード会社から要求のあった軍歌や愛国歌謡の吹き込みを一切拒否し、
軍隊慰問も当局から一切出演料をもらわず、自費で国内や満州の各地を巡演した
淡谷のり子の一貫した姿勢は、尊敬に値すると思います。
でも、軍隊慰問で披露した歌も、外国曲が主だったようです。
- 29 :
- その外国曲のレパートリーの中には
もしかして「リリー・マルレーン」も含まれているんでしょうか。
あのいわく付きの
- 30 :
- >>29
「リリー・マルレーン」は1939年発売の曲ですが、淡谷のり子の戦前の
レパートリーには入ってなかったようです。
戦前のコンサートの曲目を見たことがありますが、「ヴェニ・ヴェン」や
「ドンニャ・マリキータ」が入っていました。
- 31 :
- でも、慰問先での兵士たちのリクエストで圧倒的に多かったのは「別れのブルース」だったと淡谷は語っている。彼女はそれに辟易したであろう。
- 32 :
- 今年は淡谷のり子生誕100周年です。
青森市に遺品のほとんどが寄贈され、記念イベントが期待されているのですが、
財政難もあるのでしょうか?記念館を建てるどごろか、イベントの企画も
特に計画されてないような感じです。
もっと積極的に企画し、遺族の期待に沿うようにしていただけたらと思います。
- 33 :
- 淡谷さんは、藤山一郎の逝去がこたえたでしょうね。
服部良一の音楽葬までは元気でしたから。
- 34 :
- 一緒に戦った盟友みたいな存在だったんでしょう。
- 35 :
- >>33
淡谷のり子さんは、藤山一郎さんとは、それ程の心を許すような間では
なかったようですよ。
淡谷さんと言えば、仲良しはディック・ミネさんでした。
ミネさんも、淡谷さんを常に「お姉さん」と呼び、同じステージの時は
必ず先に楽屋入りし、淡谷さんをお迎えしていました。
常に、芸能界入りの口をきいてくれた恩人として、歌手の先輩として、
尊敬の念を持っていたようです。
それに、ミネさんと藤山さんとは、仲はよろしくなかったようですので、
自ずと淡谷さんと藤山さんのお付き合いの度合いも慮れます。
ミネさんお芸能界入りは、淡谷さんが骨を折りましたが、淡谷さんは
終戦の少し前、コロムビアから一方的に解雇された後、終戦後は
コロムビアからの再契約の誘いも断り、ミネさんのテイチクに移りました。
そしてミネさんの晩年は、淡谷のり子音楽事務所が(ミネさんの)プロモートを
したのです。
本当に、淡谷さんとディック・ミネさんとは、先輩後輩の関係を超越した
「盟友」だったのです。
- 36 :
- たとえば「ベッサメ・ムーチョ」は
ジョージ・ハリスンにも影響を与えたと思うんですよ。
- 37 :
- >35
ナツメロ番組の楽屋で、淡谷のり子はディックミネに乳首をなめさせていた。それをたまたま目撃した灰田勝彦はひどくうらやましがっていたと言う
- 38 :
- >>37
ネタでしょ。どう考えてもw
たしかにミネさまの素晴らしいディックと、のりPのデカパイ
が揃えば、敵はいないでしょうが・・・
- 39 :
- のり子さんって胸大きいんですか?
- 40 :
- >38
ところがネタじゃないんです。ディックミネも晩年に語ってました。
>39
巨乳だったみたいです。それが証拠に、高齢になってからのナツメロ番組では、牛並みに垂れた乳が衣装越しに見えます
- 41 :
- >>40
じゃ、」お前の母親はどうなんだよ?牛並みに垂れた乳かよ?
表現に気をつけろ!!
- 42 :
- そうです。
死人に鞭打つ行為は、結局、自分に返って来るものです。
ああいう言動は慎みましょう。
淡谷のり子さんは、今年は生誕100周年、あまりにもこき下ろすような
言動、行動はやめましょう!
- 43 :
- 淡谷先生のおっぱいはでかくて、歳をとったら垂れてきただけのこと。小さかったら、牛並みには垂れるまい。「別れのブルース」を歌う時は、胸をユサユサ揺らして歌ってたね。あれでディックミネは悩殺されてしまう。
- 44 :
- ディック・ミネ = 巨乳好き(爆乳好き)
こういう解釈でよろしいんでしょうか。
- 45 :
-
いいぇ 淡谷のり子=巨根好き
だったってことじゃぁないの・・・・・
- 46 :
- 巨乳と巨根が触れ合えば、巨乳からも巨根からも白い液体が溢れ出る…
- 47 :
- 二葉のあきちゃんには長生きしてほしいです
- 48 :
- のりちゃんが巨乳だったのは確かだよ。
歌うときになぜ手を前で組むのかと聞かれて
「昔(戦前)歌っている最中、胸ポロしちゃったから」と
明確に答えているからね。
のりちゃんこそ元祖ロケットオッパイアイドル。
禿同 >>47
- 49 :
- 齋藤裕さんの応援がある限り
のりちゃんとあきちゃんは
日本歌謡界に燦然と輝く
スターです。
- 50 :
- 同じ女王級歌手・美空ひばりとの関係は微妙でしたね。表面的には「ひばりちゃん、ひばりちゃん」なんて言ってたみたいだけど…。
- 51 :
- >>50
「ひばりちゃん」などとは言っていませんでした。
「“ひばりちゃん”だと。あんな可愛い小鳥の名前なんて・・・・。
“ひばり”でいいのよ!」とまで言っていた位です。
あれ(ひばり)と一緒に出るのが嫌だと、NHKの夏の紅白の歌番組の出演の時には、
美空ひばりが司会を担当したので、淡谷さんは、オープニングとフィナーレとには
出ない位、ひばりは嫌いでした。
はっきり言って、美空費ひばりは大大嫌いでした。
聞くところによると、美空ひばりが、淡谷さんは偉大な歌手だと言っているそうだが、
あれが何と言おうと、私はあれには絶対靡かない(なびかない)とも言っていました。
- 52 :
- はっきり言って、美空ひばりは大嫌いでした。
「聞くところによると、あれが、私を偉大な歌手だと言っているそうだが、
あれが何と言おうと、私はあれには絶対靡かない(なびかない)」とも
言っていたのを覚えています。
- 53 :
- 戦後のある日、淡谷のり子のもとに毛皮屋が一枚の毛皮を持って来ました。
見たところ、みすぼらしい猫の毛皮のような安っぽいものだったそうです。
そこで毛皮屋に、誰が紹介したのだと問い質したところ、ひばりの母親の
加藤喜美枝が、この毛皮は淡谷のり子じゃなきゃ買えないと紹介してくれた
とのことだったそうです。
淡谷のり子は、安っぽい毛皮はもとより、ひばりの母親の無礼さに腹立ち、
「こんなもの、持って帰れ!」と毛皮屋を追い返したそうです。
そのように、ひばりはもとより、母親も失礼なことをするので、淡谷のり子は
一貫して美空ひばりが嫌いでした。
- 54 :
- 「私達から見ると、ひばりは決して歌はうまくないのだから」
「みんながおだて上げるから、いい気になっているのよ」
「“ひばりちゃん”だと、何も可愛い小鳥の名前を付けることないのに。
“ひばり”でいいのよ!」
淡谷のり子は、徹底的に美空ひばりが嫌いでした。
- 55 :
- どうも淡谷のり子と美空ひばりは同じ歌手なのに別世界な感じがする。
まして2人の共演なんて想像もできない。年代的には充分可能だったろうに(年下のひばりの方が亡くなったのははるかに早かった)
- 56 :
- >>55
片やクラッシックを勉強した歌手で、豪商のお嬢様。
片や譜面も読めない歌手で、貧しい魚屋の娘。
そして、分野はポピュラーと演歌。
合わなかったことと推察されます。
- 57 :
- 紅白を私物化して、引退ドタバタ劇を演じた「はるみ」や「昌子」
そして今や紅白のお荷物化してる「小和田アキ子」
などは「ひばり」の比にならないくらい大嫌いでしょう
淡谷先生は
- 58 :
- 才能もあり音楽をキチンと基礎から学んだ淡谷と、ずば抜けた音感の持ち主で楽譜も読めないのにスラスラ歌いこなしていたひばり。
対極にいる2人なんだね。どちらも嫌いじゃない。淡谷で好きな曲は「君忘れじのブルース」、ひばりでは「長崎の蝶々さん」
- 59 :
- ひばりのことが嫌いだったのか・・・
淡谷さん
- 60 :
- >>57
都はるみの「北の宿から」は、着てはもらえぬセーターを、寒さこらえて
編んでますとあるのを、着てはもらえぬってわかっているのなら、編むこと
ないよ。今は、スーパーで安く売っているのだから、寒さこらえて編むこと
ないよ。寒さこらえて編んでいたら、風邪を引くよと言っていました。
また、都はるみが引退の後復帰する時、一度辞めたら、のこのこ出て来るな!
私など、一度も引退などと言ったことがないと言っていました。
そして、森昌子のことは、森昌子が森進一と結婚する時、淡谷さんは
森進一から、「もう美人はあきました」と直接言われたそうです。
ところが、淡谷さん曰く、前は“みったくなかったが(綺麗じゃなかったが)”
結婚式の模様をテレビで見たら、綺麗になったと誉めていました。
またその時、美空ひばりが、森昌子を「昌子」と呼び捨てにしていた偉そうな
態度を、呆れ返っていました。
また、和田アキに至っては、仲が良かったので、悪口を言っているのは
聞いたことがありませんでした。
- 61 :
- >>60
和田アキ子のことは、アッコチャン、アッコチャンと呼んでいましたね。
- 62 :
- ひばりを毛嫌いして、アッコをかわいがる
わけわかめ
ああいうのがタイプなの?女好きのりちゃん
- 63 :
- >62
女好きのりちゃんという根拠は何かな?
- 64 :
- >>63
根拠はないが、巨根好き
- 65 :
- >>64
お前は低脳だな。
- 66 :
- >>64
本当にこのような馬鹿が出て来て困ります。
もうお前は出て来るな!
- 67 :
- 夕べNHKビッグショウ{服部良一ショウA」で淡谷さんが
出てたけど前回とは違う曲歌うのか期待してましたが
相変わらず(雨のブルース)(別れのブルース)で残念だったな〜
曲目に 夢去りぬ があったしひそかに期待してた
- 68 :
- 淡谷のり子の十八番は、やはり、シャンソンとタンゴだ。
本人も、「別れのブルース」は放送局から指定され、厭々ながら歌っていた。
あんな田舎臭い歌は厭だとまで断言していた。
それ故に、本人のライブ・コンサートでは、シャンソンとタンゴが中心だった。
- 69 :
- NHKアーカイブスで、「思い出のメロディ」の映像見ると
淡谷先生が登場して歌う途端に、はりつめた緊張感が漂ってきていいね
やっぱ心で歌ってるんだなと実感する
- 70 :
- 淡谷さんもそうなんだけれど。
戦前の流行歌手はクラシック系が主流だったようですがどうして居なくなちゃったんでしょうか。
同じ歌うたっても、クラシック系の歌手が歌うときれいな感じになるんです。発音が明瞭、
声量が豊かなどが理由なんだと思います。「荒野の夜風」でミスコロンビアと二葉あき子が
斉唱している部分。
旅の夜風の西東
出会う術なき、ちぎれ雲
浅い縁に思い出を
愛染かつら揺れて泣け
ここなんか両者の声が共鳴しあってジーンときちゃいました。
- 71 :
- 二葉のあきちゃんには長生きしてほしいです
- 72 :
- >>71
齋藤裕さんがいる限り、二葉のあきちゃんは不滅です。
- 73 :
- ケーブルで1949年の映画「果てしない欲望」とかいうのを見ました。
淡谷さんがクラブ歌手として雨のブルースを歌っていました。
いやもう、本当に美しかった。失礼だけど意外でした。
オープニングテーマも雨のブルースでした。
山口淑子さんや笠置シズコさんも出てましたが、若い淡谷さんの
動画は貴重です。
- 74 :
- >>67
木の実ナナとダウン・タウン・ブギウギ・バンドのシーンは観ました。
あれは昭和何年頃の放送でしょうか。
- 75 :
- スレ違いですみません。
渡辺はま子さんは長寿で亡くなられましたが、歌手として活動していたのは
いつ頃まででしょうか?
昭和50年代くらいまでは記憶があります。お歳を召されてもとっても
雰囲気がおありの方でしたが、全力勝負の歌唱は晩年はつらそうでしたね
のり子、はま子、あき子・・・偉大なお三方の歌声はもう過去のものになりました・・・
- 76 :
- 詩子(うたこ)もいたね。
- 77 :
- 元祖、「おはまさん」
渡辺はま子(わたなべはまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)。
神奈川県横浜市出身。本名加藤濱子。生涯横浜で過ごした。
昭和27年(1952年)、NHKラジオ番組「陽気な喫茶店」を司会していた松井翠声の元に送られてきた
フィリピンの日本人戦犯が作詞作曲した曲「ああモンテンルパの夜は更けて」を渡辺が改めてレコード化。
日本政府の復員局と渡辺の奔走でモンテンルパの収容所へ慰問コンサートが実現。
フィリピン政府当局に減刑、釈放を嘆願し、当時のフィリピンの首長であったキリノ大統領に日本人戦犯の
釈放を決断させ全員の日本への帰国が実現したことは、渡辺はま子の歌手人生におけるハイライトといえる。
昭和56年、勲四等宝冠章を受賞。テレビやラジオになお活躍を続けたが、夫が亡くなった昭和60年以降は認知症が進行し、
昭和63年テレビ東京の番組「年忘れにっぽんの歌」で生放送中に歌詞を忘れてしまったアクシデントをきっかけとし平成元年に引退…
と言われることが多いが、それはテレビ/ラジオに限った話であったらしく、舞台等ではその後も歌い続けてた。
平成2年6月19日には水戸市の県民文化センターでの、地元銀行主催年金受給者の集い≠ノ特別出演し、往年のヒット曲を数曲歌った。
やがて認知症の悪化と体調を崩した事もあり、自然引退という形になった。よって正しい引退年度の特定は困難となっている。
永らく自宅療養を続けていたが、最晩年は寝たきりの生活であった。亡くなる5日前の平成11年のクリスマスの日、
長女は渡辺にモンテンルパ慰問の際に録音したテープを聞かせると、普段は病気のため表情を変えることのなかった
渡辺が長女の言葉に何度も頷き、一筋の涙を流したという。遺言に従い親族だけで密葬を済ませ、平成12年1月、
松が明けた頃、昭和を駆け抜けた社会派の歌手・渡辺はま子の訃報がひっそりと知らされた。
- 78 :
- 昭和63年「年忘れにっぽんの歌」の渡辺はま子のシーン見ました。曲は「桑港のチャイナ街」。2コーラスの出だしが1小節早く出てしまい、指揮者に指摘されてました。おまけにその2コーラスを1コーラスの歌詞で歌っていました。
今でもあのシーンは鮮明に覚えています(当時中3)
- 79 :
- >>78
私は、そのVTRを持っております。
先日、テープからDVDに移したところでした。
渡辺はま子さんは、間違いに気付き、おろおろしていましたが、
最後は、立派に歌い遂げました。
でも、エンディングには、面目ないという表情でしたので、
相当懲りて、これを最後にTV出演はしなかったのだと思います。
何故、撮り直しをしなかったのかなと思いましたら、
この番組は生放送だったのです。
- 80 :
- >79
そのVTRあるのですかぁ〜19年ぶりに見てみたいものです(笑)
確かにあれ以来、彼女は歌番組は出ませんでしたが「徹子の部屋」には出演しました。私はそれもリアルタイムに見ました。モンテンルパについての話をしていましたが、話が噛み合わない印象を受けました。
- 81 :
- 渡辺はま子さんが晩年、認知症を発症されてたとは
知りませんでした。
年忘れにっぽんの歌、といえば
二葉あき子さんも音程が不安定な歌唱を晒してしまって、引退に
追い込まれましたよね
松島詩子さんは晩年、声がほんと出てませんでした。淡谷先生と共演される
と歴然と差があって辛かったです。
池真理子さんや並木路子さんのように長く活動していてもポックリ逝かれる
方もいますし、歌い手という仕事は過酷ですね
- 82 :
- 並木路子さんは、亡くなる少し前、お話させていただきました。
淡谷のり子さんを、コロムビアの先輩として尊敬しているらしく、
「私、淡谷先生が大好きなの。だから、先生の写真を、いつも定期券入れに
入れているのよ」とニコニコしながらおっしゃっていました。
あの時は、大津美子さんとご一緒にタクシーでご帰宅になりましたが、
それから数週間後に亡くなるとは、夢にも思いませんでした。
- 83 :
- 「年忘れにっぽんの歌」→「物忘れぽっくりの歌」
- 84 :
- >>70です
鮫島有美子さんの歌聞きましたが実力って感じました。もう55歳なんですね。鍛錬しておられるんでしょうね
プロの歌手ならこれくらいの実力もたなくっちゃ。クラシック系の流行歌手出て欲しいですがね。
- 85 :
- ttp://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070609/bnk070609000.htm
【きょうの言葉】自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかる 淡谷のり子
日本のシャンソンの先駆者の言葉。青森の豪商の娘に生まれたが実家が没落。
流行歌手になり、「別れのブルース」などが大ヒット。92歳で亡くなるまで独自の生き方を貫いた。
ttp://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070609/bnk070609000-1.jpg
「自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかる」 渋谷のり子 書・婁正綱
きょうの言葉を、婁正綱さんが新たに色紙に書いて抽選で1人にさしあげます。
はがきに掲載日、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記して、
〒100−8693 東京中央郵便局私書箱1046号 産経新聞東京本社編集局「きょうの言葉」係へ。
締め切りは掲載日の1週間後必着。
(2007/06/09 08:20)
- 86 :
- >>85
「自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかる」
淡谷のり子さんのこんな言葉、初めて聞きました。
- 87 :
- >>86
淡谷のり子さんの色紙には、そのような言葉は見たことがありません。
どこで発言した言葉なのでしょうか?
- 88 :
- 意外と知られてませんが、東京オリンピック後に行われた
「東京パラリンピック」時の記事より
「パラリンピックに出場中の日本選手に声援と激励を送りましょう」と日本歌手協会の女性
歌手渡辺はま子、菊地章子、宝とも子、藤原亮子、藤崎世津子、多摩幸子らが10日午後
代々木の選手村を訪れた。
手押し車に乗ったバスケット選手たちは同日午前に米国チームと試合を終えてきたばかり、
「あちらはプロ級、かないませんよ」といいながらもベテランぞろいの歌手を前にして元気い
っぱいの表情、歌手たちがくだものやクッキーを選手のひとりひとりにくばると、「一度ぜひ
ナマの歌を聞かせて下さい」というリクエストの声が選手たちから出て「支那の夜」(渡辺)
「岸壁の母」(菊地)「ベサメ・ムーチョ」(宝)などひとりずつ得意の歌を伴奏なしで歌った。
選手たちはきょうはほんとうに楽しかった。これを機会に僕たちのような身体の不自由な者
がたくさんいることを歌手協会の人全員に大いに、PRして下さい」と語り、「関東労災病院
バスケット・チーム」と書いた約1メートル四方のボールドのうちにサインと寄せ書きをしても
らって「これからの試合にもがんばります」と目を輝かせていた。
- 89 :
- >>88
めちゃめちゃ素晴らしいエピソードですね。
感動で心が洗われるようだ・・・
- 90 :
- >>89
めちゃめちゃ素晴らしいエピソードにも思えないし、
感動で心が洗われるまでは感じられない。
- 91 :
- 東京パラリンピック初めて聞いた。こんなのやってたんだね
- 92 :
- まったく興味ない。
- 93 :
- 淡谷のり子のシャンソン「人の気も知らないで」は最高!
戦前に日本で創唱し、最後の最後までコンサートで歌っていた。
- 94 :
- 西田佐知子とは同名異曲なんでしょうね>人の気も
- 95 :
- >>94
西田佐知子の「人の気も知らないで」て、どんな歌ですか?
聴いたことないです。
- 96 :
- >>78
懐かしいですね、私もあの時の「年忘れ」は、鮮明に覚えています。
「何で恥をかかせるのかな」って、思ってました。私は、女性歌手の中では、渡辺はま子さんが一番好きなので、
気になって、歌手協会に手紙を書いて、渡辺さんの住所を教えてもらい、手紙を書いたほどです。
もちろん、返事は来ませんでしたけど。当時、まだ20才でしたが、今では考えられない事をしました。
あの頃までは、まだまだ多くの歌手が健在でしたから、「年忘れにっぽんの歌」・「思い出のメロディー」・
「夏祭りにっぽんの歌」などが、楽しみでした。
淡谷のり子さんは、唯一直にお会いして、話した事のある歌手で、元気な頃は年に一回ですが毎年お会い出来る機会に恵まれました。
坂本スミ子さんとご一緒に来られてました。
今では良い思い出です。
- 97 :
- >>96
本当にそうですね。
あの頃の「年忘れにっぽんの歌」「思い出のメロディー」
「夏祭りにっぽんの歌」等の出演者は豪華版でした。
ディック・ミネ、藤山一郎をはじめ、女性陣では
淡谷のり子、渡辺はま子、二葉あき子等の面々。
今のナツメロ番組は、カリスマ性のある歌手が見られなく
なってしまいました。
- 98 :
- http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/images/img_key.jpg
6月30日(土)午後7時30分〜40分、NHK教育テレビで淡谷さん放送されます。
- 99 :
- 張りなおします。
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg.cgi?setup=/archives/anohito/anohito
6月30日(土)午後7時30分〜40分、NHK教育テレビで淡谷さん放送されます。
- 100 :
- 出掛ける予定なので予約します。
- 101 :
- >>99
以前放送したものの再放送でしょう。
私は前に録画してありますので観ません。
- 102 :
- 10分番組ですか。
- 103 :
- 淡谷のり子の魅力は、10分では語れない。
- 104 :
- せめて13分ほしい。
- 105 :
- 今回は再々放送だそうです。
前、観たけど、構成が良くなかったです。
まあ、保存してありますけど、良い出来栄えではなかったです。
- 106 :
- >>104
せめて30分くらいにして欲しかった。
- 107 :
- そうですよね。
- 108 :
- NHKもテレビ東京の「昭和歌謡大全集」みたいに、昭和の歌謡史を扱う番組を作ってもらいたい。
民放じゃなくNHKだからこそ、そういう番組は作れると思うんですけどね。日本の昭和の文化の1っですから、
教育テレビでも良い、NTV特集とかで。1時間とかでなく、2〜3時間、もしくは1週間連続、毎週とか。
当時の事を知っている方々が、存命のうちに何とか。
出来れば、1人の歌手で1回が良いですが、それは贅沢なので、諦めますけど。
- 109 :
- 映像ソースも豊富ですし
- 110 :
- >>105
アドバイスありがとうございます。
場合によってはスルーするかも
- 111 :
- やはり、以前と同じ映像で、内容・構成共に良くなかったです。
一応、DVDに録画してありましたが、すぐ消しました。
- 112 :
- 私は録画しませんでしたよ。
評判悪かったのでね
- 113 :
- 第一、あのような短い時間では、思うように表現できないと思いますよ。
せめて30分は欲しかったです。
- 114 :
- おざなりで作るくらいだったら最初から作らなければいいんですよ。
NHKは松平アナを筆頭に、もっとしっかりしてほしい。
暴行事件やようつべ動画を搾取するだけが脳じゃないでしょう
- 115 :
- 淡谷のり子さんの展覧会、今年も青森の浅虫温泉で開催されます。
7月25日から11月まで開催されるそうです。
以上、妹の淡谷とし子さんからの情報でした。
- 116 :
- 淡谷のり子は、口が達者で、他の有名人からもかなり避けられてたみたいだね。
淡谷のり子は生意気な性格のせいで、かなり損していると思う。
- 117 :
- ちょっと小生意気な性格
- 118 :
- そもそもは歌がうまいだけの津軽の田舎娘。雪国の女の気性は半端なく荒くきつい。性悪ではなかったんだろうけど。だとしたら、確かに損してますね。
- 119 :
- >>116
口が達者と言うより、ズバズバとものを言ったから、淡谷に指摘された人は
不快の念を持ち、淡谷のり子を悪く喧伝したようだ。
淡谷のり子は一貫して自分の信念を曲げず、好いものは好い、悪いものは悪いと、
勧善懲悪の姿勢で人生を全うした。
生意気な性格とは、淡谷から指摘されたりした者が、腹いせに喧伝した、
淡谷のり子に対する攻めてもの抵抗なのである。
- 120 :
- 攻めてもの→せめてもの
がよろしいようですね。
- 121 :
- 淡谷のり子は性格は悪くない。ただ礼儀知らずな人や、うぬぼれてる人が大嫌いな性格なだけ。
だからそういう人には、実際には思っていないことも、悪い言葉を使いけなす。
- 122 :
- >>121
淡谷のり子は、実際思ったことを言ったのだよ。
思ってないことなど言いやしない。
悪い言葉とは具体的にどんな言葉?
- 123 :
- 淡谷のり子さんの曲だと思うのですが、
よく、ピンクなシーンで流れる歌で、
「チャラッチャ チャラララッチャチャ アンッ アンッ」
という曲のタイトルはなんでしょうか。教えてください
- 124 :
- >123
馬鹿言ってんじゃないよ!
- 125 :
- 淡谷のり子の曲じゃないと思うけど
- 126 :
- http://www.youtube.com/watch?v=mkflP_LtP8E
昭和50年12月31日 年忘れ大行進
「別れのブルース」
- 127 :
- 貴重ですよねー。
とし子さーん、見てますかー??
- 128 :
- http://www.youtube.com/watch?v=jDFjghfs6uU
「雨のブルース」
ご自分の「ブルース」が嫌いだった淡谷さんが、唯一好きだった「ブルース」です。
いつも、コンサートのオープニングで歌っていました。
- 129 :
- ちょうど今日はカミナリが轟き雨が降りましたもんね。
梅雨明けは来週あたりでしょうか。
- 130 :
- http://www.youtube.com/watch?v=L8272kBlZHU
「愛の讃歌」
淡谷のり子が、いつもコンサートのフィナーレに歌った歌です。
戦後すぐ、エディット・ピアフの歌を聴いて、歌いたくて歌いたくて
狙っていた歌だったそうで、日本では、淡谷のり子がこの歌を創唱しました。
越路吹雪の歌う「愛の讃歌」とは、歌詞がだいぶ違います。
淡谷版「愛の讃歌」は、エディット・ピアフの歌った歌詞に忠実に訳され、
歌われています。
※この歌は、恋人の急死を嘆き悲しんで歌われた歌であり、
結婚式に歌うには相応しくない歌なのです。
- 131 :
- http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/cafe50/1185944253/1-100
やっぱ淡谷のり子の歌は迫力あるね
- 132 :
- こんなスレが立ったんですか
- 133 :
- >>130
個人的には、淡谷先生バージョンの歌詞が好きです。
- 134 :
- http://www.youtube.com/watch?v=0tmDZeBHsUg
「君忘れじのブルース」
淡谷のり子さんは、自身のコンサートでは、「別れのブルース」同様、
この歌も、ほとんど歌いませんでした。
コンサートでは、オリジナル・ヒット曲があるのに、シャンソンや
コンチネンタル・タンゴ、アルゼンチン・タンゴ等で通しました。
自分のジャンルは歌謡曲でなくて、シャンソン等、ポピュラーであるという
自負があったことと思います。
何しろ、日本で第一号のシャンソン歌手ですから・・・・・・・。
- 135 :
- 君忘れじのブルースは、好きだなあ。
テレビで菊池章子とデュエットしたバージョンも良かった。
- 136 :
- ベージュ色のステージ(米寿を祝う会)で
歌ってましたね、菊池章子さん「君忘れじのブルース」
96年頃だったでしょうか?すでに認知症?ぽかったですが
あれほど素直な淡谷さん見たことありませんでした。
- 137 :
- >>136
認知症でなくて、病気の後遺症でしたよ。
菊池章子は意地の悪い女性でした。
- 138 :
- 意地の悪いって、どう意地が悪かったんですか?
- 139 :
- 実際、私が体験しましたが、敢えて公表はしません。
でも、はっきり言えることは、性格はかなり横柄な人でした。
- 140 :
- この歌手(菊池章子)は、淡谷のり子さんにまとわり付いていたようです。
晩年は、淡谷のり子さんからドレスをもらい、歌っていたようです。
ラメの入った黒いドレスなんかそうですよ。
- 141 :
- >>130
この「愛の讃歌」でピアノを演奏している人は、結城久さんという名ピアニストです。
以前、美輪明宏さんのピアニストも担当したこともありまして、今は、もしかしたら
ピーターのピアニストを担当しているかも知れません。
実は淡谷のり子さんは、ある日、結城久さんを外し、最後は松波常雄さんという
ピアニストが付いていました。
淡谷のり子さんは、何故か結城さんを嫌うようになり、結城さんと一緒なら
もう歌わないからとマネージャーに言う程でした。
ここにも、淡谷さんの好き嫌いがはっきりしている一端が見られるようでした。
- 142 :
- 淡谷のり子さんのデザイナーだった女性ですが、今ここでは言えないのですが、
いずれ詳細が暴かれる時が来るかと思います。
- 143 :
- http://www.youtube.com/watch?v=cUd03-fAjnQ
バラ色の人生
- 144 :
- これはGJですね。
- 145 :
- >>144
GJとは、Good Jobの略でしょうか?
しばらく何だか考えてしまいました。
- 146 :
- >>140
まとわりついていた訳ではなく、戦前のコロムビア時代から、
淡谷先生が菊池さんを可愛がっていたらしいよ。
歌謡祭の追悼コーナーでは、淡谷先生から譲り受けたドレスで
君忘れじのブルースを歌いましたね。
淡谷先生とは違った味がありました。
- 147 :
- 淡谷先生ってレズっけある?
- 148 :
- うーん、どうなんでしょうね
- 149 :
- そんな事より、明日はのりちゃんの生誕100周年の記念の日だよ。
あんた達、忘れてない?(笑)
- 150 :
- 明日8月12日は淡谷のり子さんの生誕100周年記念日です。
青森の浅虫で、今月の25日から11月11日まで、
淡谷のり子生誕100周年記念展覧会が開かれます。
25日の開幕に合わせ、妹の淡谷とし子さんも会場に出席され、ご挨拶される
予定です。
その会場には、各界からのお祝いのメッセージも展示されるそうで、
美川憲一さんからの映像メッセージをはじめ、石井好子さん、美輪明宏さん、
ペギー葉山さん、黒柳徹子さん等のお祝いの言葉も飾られる予定だそうです。
P.S. 115で、7月25日からと書きましたが、聞き間違いで、8月25日からが
正しかったようです。お詫びして訂正致します。
- 151 :
- 淡谷先生、後輩に慕われてるな
- 152 :
- のりちゃん、100歳のお誕生日おめでとうございます☆
100年前の今日、母・みねさんは、のりちゃんを産み落としたんですね♪
- 153 :
- 今日が生誕100周年のメモリアル・デーなんですか。
それはめでたいですね。
8月12日といえば日航ジャンボ機墜落日でもありますよね
- 154 :
- >152
たった100年前のことか
- 155 :
- 淡谷のり子さんは、1999年9月22日に亡くなりましたので、
今年が没後8周年になります。
淡谷のり子さんの優しかったお人柄を偲び、本日の生誕100周年を
お慶び申し上げます。
- 156 :
- 淡谷のり子先生はファルセットのビブラートがすごいんですね。
すんごい・・・
祝!生誕100周年記念
- 157 :
- 98歳の淡谷とし子さんはお元気で、先程、電話でお姉さんの生誕100周年のお祝いの言葉を
申し上げましたら、このように、沢山の人が姉のことを覚えていて下さっていて、天上の姉も
喜んでいることでしょうとのお言葉がありました。
- 158 :
- おまいらの好きな歌はなんですか?
自分は
1.マリア・ラ・オ
2.アディウ
3.雨のプラットホーム
- 159 :
- 一 愛の讃歌
二 ドンニャ・マリキータ
三 アマ・ポーラ
四 伊太利の庭
五 聞かせてよ愛の言葉を
六 ポエマ
挙げたらキリがないので、ここで止めます。
- 160 :
- 伊太利の庭、CD化されてますか?
- 161 :
- >>160
コンチネンタル・タンゴの名曲の「伊太利の庭」CDに入っていますよ。
この曲は、淡谷さんのお母さんのみねさんが、亡くなる前に聴きたいと
言っていた歌だそうです。願いは叶わないで亡くなったようです。
- 162 :
- 「マリア・ラ・オ」 もいい曲ですね。
淡谷のり子は、この曲を戦前と戦後に録音しており、
紅白歌合戦でもこの曲を熱唱しています。
それに「ルムバ・タムバ」「ヴェノスアイレスの歌」
「ラ・クムパルシータ」「マイ・ショール」などなど
いい曲が沢山ありますね。
- 163 :
- 恐らく淡谷ファンには人気ないと思うが
「白樺の小径」が好き
洋モノなら「あこがれのカロライナ」
- 164 :
- 東芝で録音した「ゴンドリエ」と「ある恋の物語」が一番好きだな。
1960年くらいだと思うがまさに絶頂期。
松井の書いた「雨の夜のブルース」もすばらしい。
淡谷自身はタンゴが大好きだったが 藤沢嵐子の登場後あまり歌わなくなった(アルゼンチンもの)
再び歌いだしたのは ロスアミーゴスの松波がピアノをつとめるようになってから。
たしか読売ホールで1981年だったと思う。
味わいのある歌だった。本場のものと比べるのは意味がない。
シャンソンもタンゴも淡谷ワールドのオリジナルなのだから。
- 165 :
- >>161
ありがとう。伊太利の庭というCDがあるんですね。
探してみます。
- 166 :
- 淡谷のり子さんが床に伏せた後、ある日、ご自宅にお電話をしましたら、
妹のとし子さんが電話の子機をお姉さんに取り継いで下さり、コロムビアから
淡谷さんが戦前にコロムビアでレコーディングされた楽曲がCD化されて
発売されていることをお知らせしましたら、全くご存知なかったようです。
そこで、コロムビアが後から(そのCD)を送ってくださるでしょうと
申し上げましたら、「いや、どうだかわかりませんよ」とおっしゃいましたのが
印象に残っております。
コロムビアは、コロムビアなりの言い分はあるのでしょうが、その後、コロムビアに
電話をしましたら、出た女性スタッフの態度の大きかったこと、何様だと思うくらい
でした。
その点、その後暫くしてビクターから淡谷さんが戦後、ビクターで録音しました楽曲の
CDが出た時は、淡谷さん側にも事前にご挨拶があったらしく、ビクターの担当者から、
淡谷とし子さんから依頼があったと、その2枚組のCDの試供盤が私宛、宅急便にて
送られて来ました。
「伊太利の庭」は、戦前にコロムビアから発売されていますので、コロムビアから
発売されている3枚組のCDに入っております。
コロムビアは、戦争中、淡谷のり子さんが軍歌や愛国歌曲を吹き込みを拒否したとして
一方的に、それも、淡谷のり子さんが不在の時に、母親のみねさんの前に
手切れ金を積み、契約解除をした前科がありましたので、淡谷さんにしても
コロムビアに対しては、少なからず思うことがあったことと思います。
- 167 :
- とし子さん情報、ありがとうございます。
そうですよね。
あの頃は子機。
まだ携帯やポケベルが普及するずっと前の時代ですもん。
- 168 :
- とし子さんは明日から青森。
98歳のご高齢ですから、足元に気を付けて行ってらっしゃい!
- 169 :
- すごい元気なんですね〜!
私たちも見習わないとだめですね。
- 170 :
- 淡谷のり子生誕100年/8月25日から記念展
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20070725104245.asp?rss=20070725
- 171 :
- 淡谷のり子生誕100年記念展開幕
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20070825181749.asp
- 172 :
- お
- 173 :
- 100年記念で全曲集とかでないのかね
ところで、どなたか過去ログ持ってる人いませんか?
どこかにupしてください
- 174 :
- >>173
過去ログって何の過去ログのことですか?
- 175 :
- 前スレです、1と2を
- 176 :
- >>175
前スレですと、淡谷のり子研究家の齋藤裕さんの話題で活況でした。
今は、齋藤裕さん自身のスレが立っています。
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1159460466/l50
- 177 :
- 全然関係ないスレを貼られても困ります
淡谷のり子に関する情報はネット上では少ないですね
探し方が悪いのかな?
- 178 :
- Noriko Awaya Exhibition 2004
http://www.city.aomori.aomori.jp/dekigoto/2004/0922_1.html
これは3年前のポスターですが、淡谷のり子さんのモダンな姿、いいですね。
- 179 :
- 淡谷のり子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%82%8A%E5%AD%90
- 180 :
- 自己解決
ttp://www.geocities.jp/mirrorhenkan/
で調べたらキャッシュが在りました
荒らされてて読む価値は低いですけどね orz
- 181 :
- 「昨夜(ゆうべ)の男」が好きです。
数年前TVKテレビで放送された横浜のメリーさんのことを扱った特別番組で
知りました。作詞なかにし礼。
- 182 :
- >>181
「昨夜(ゆうべ)の男」は、齋藤裕さんの十八番(おはこ)でしたね。
齋藤裕さん、いつカムバックするのですか?
胡麗華でも、ジュディ・フーでも桐島亮でも何でもいいですから、
早くファンの元に戻って来てください。
- 183 :
- 80年代に淡谷のり子がやってたタレント養成所に
子供の頃、通ってた。
って、誰もそんな所があった事、知らないよね〜。
あの頃の人たち、みんなどうしてるのかな。
子供から大人まで色々な人がいたけど。
淡谷のり子さんは、見た目、ド派手メイクで怖そうな感じだったけど
実物は優しいお婆ちゃんって印象だった。
いい匂いもしたなー。
- 184 :
- >>183
淡谷のり子がやっていたのでなく、講師だったのですよ。
- 185 :
- >>184
ん?どこの事を言ってます?
- 186 :
- http://jp.youtube.com/watch?v=reUGet-0Z-k
淡谷のり子の晩年の会話動画
- 187 :
- 貫禄ありますよね。
- 188 :
- >>187
そうですね。
- 189 :
- とし子さん情報、いつでもお待ちしています…
- 190 :
- 淡谷先生は自分でもポチャポチャした肌が自慢だったみたいですね。
- 191 :
- 今日CSで10時から11時まで淡谷さんの番組があります。
レコードの音源を放送するようです。
- 192 :
- それでどうだった?
- 193 :
- >>192
人に尋ねる時の言葉を考えなさい!
- 194 :
- 先生語録
「美しく老いるためには心を動かし、体を動かす」
- 195 :
- 巴里の屋根の下がいい。
田谷力三さんバージョンとは全く違った趣だけど、いいな。
- 196 :
- 別れのブルース
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=663757
- 197 :
- シャネルの香水
- 198 :
- とし子さん、あけましておめでとうございます
今年もどうぞ元気でいてくださいね
- 199 :
- コンチネンタル・タンゴを踊ってほしかった
- 200 :
- 昭和56年のブルガリアコンサートはレコード化している?
- 201 :
- http://www.nhk.or.jp/archives/bigshow/schedule/index.html
淡谷のり子、20年前の映像と歌声が堪能できます。
- 202 :
- ↑
蔵出しエンターテイメント/ビッグショー
3月3日(月)午後7:45〜8:32 淡谷 のり子 歌に生きて
(初回放送:1978年3月26日)
1978年放送ですから、30年前ですね。
- 203 :
- 明日ですか。
ちょうどひな祭り
- 204 :
- 時期的にはキャンディーズ解散前夜の頃
- 205 :
- 先程、BS2で淡谷さんと黒柳徹子さんの映像をみました。
黒柳徹子さんのお母さんの朝さんと、淡谷さんはお知り合いなんですね。
同じ東洋音楽学校出身ということで親交があったんですね。黒柳徹子さんの子供時代に、淡谷さんが黒柳家に遊びに行った話しなど、大変興味深かったです。
- 206 :
- 淡谷さんと黒柳朝さんがお友達ということであれば、
黒柳朝さんが主人公のドラマ「チョッちゃん(NHK朝ドラマ、主演古村ひろ)」には、淡谷のり子さんが登場するエピソードがあるのでしょうか?
- 207 :
- 今まで、ドラマで淡谷さんの役をやった方といえば。
太地喜和子、ちあきなおみ、秋吉久美子、高橋ひとみ等。
他にいますか?
- 208 :
- >>207
秋吉久美子はめちゃくちゃ違和感があった・・・
やっぱり太地喜和子は最高
- 209 :
- ディック・ミネのドラマの時は小川真由美が淡谷のり子さん役をやりましたね。
- 210 :
- >>205
淡谷のり子さんは、黒柳朝さんに対しては、複雑な思いがあったことでしょう。
淡谷のり子さんも、”恩讐の彼方に”なのか、笑顔で接していましたが・・・・・・・・
- 211 :
- 淡谷さんと黒柳朝さんとの恩讐関係とは、具体的にどんなことですか?
黒柳朝さんが淡谷さんを裏切るような場面があったのですか?
それとも、単に音楽上のライバルだったのですか?
- 212 :
- >>211
淡谷のり子さんは、歯に衣を着せずに物事をおっしゃる方でしたが、
人に対する優しさもあったのです。
昨夜のNHKのビッグショーを観ていて、娘の黒柳徹子さんとニコニコ談笑
されているお姿を拝見し、改めて淡谷のり子さんの偉大さがわかりました。
淡谷さんも、昨夜は天国で番組をご覧になっていたことと想像しています。
天女のような穏やかな心で・・・・・・・
- 213 :
- 清水アキラの事が嫌いだったのは、下品だったからだけでなく
人間性も見ていたのだと思う
評判良くないしね、あの人
- 214 :
- >>212
晩年は入れ歯だったので、さずかに入れ歯に衣は着せられまい
- 215 :
- >>214
あんたも馬鹿だねえ。恥ずかしいよ。
- 216 :
- 自著でギャラをもらわないで皇軍慰問を行ったって書いてましたが
本当ですか?
楽団にも食わせなきゃいけないのにそんなこと可能だったんでしょうか。
- 217 :
- 昭和歌謡大全集はいつかな?
淡谷さん出るといいなぁ〜
- 218 :
- >>216
淡谷クラスの歌手だと実演ショーなどで相当稼ぐから、戦地慰問はノーギャラでも充分。
- 219 :
- なるほどねえ
- 220 :
- やっぱりスターは違う
- 221 :
- 昭和歌謡大全集はいつなんだぁぁぁぁぁぁぁっ!?・・・「昭和の日」とか?
- 222 :
- 若いころはボインだったね。
年取ってからは垂れちゃって、エドはるみバリに「おっぱい飲〜みたいっ?」ってやられたら、遠慮しますよ
- 223 :
- 日本のアーティストの99%以上は、淡谷先生のお言葉を借りれば、「歌手ではなく歌屋」。
- 224 :
- >>223
その発言、当時は物議を醸したね。その後橋幸夫が淡谷に抗議したとか。
- 225 :
- 淡谷のり子さんの妹のとし子さんの娘さんの奈々子さん苗字は何ていうの
- 226 :
- 奈々子さん、いくつ?
- 227 :
- タモリ鉄道博物館
・名古屋市営地下鉄の車内搭載発車促進メロディーはフジテレビ系「なるほど・ザ・ワールド」の時間切れ前警報音を参考にして考案されたものです。
・ドレミファモーター(京浜急行)は芸能界の鉄道ファンタモリさんがテレビ朝日系「タモリ倶楽部」の中でで考案しました。
・名鉄パノラマカー7000系の発車音・走行音・減速音・停止音は日本テレビ系「欽ちゃんの仮装大賞」の不合格の時の効果音に似ている。
・西鉄のnimocaは歌手でタレントで倖田來未の実妹であるmisonoさんが考案したのもです。
タモリ空耳アワー
・高校三年生: あ、あー、あ、あ、あー 合ーコン三年生ーーーーーーーーーー
タモリさん名古屋大好き
・タモリさんはエビフリャーの名付け親です。
・タモリさんは日本の中で名古屋が一番好きであり、且つ地元の人以上に名古屋の文化や風習に詳しい人です。
・タモリさんは自分の第2のふるさとは名古屋であると言っており、将来名古屋市役所から名古屋親善大使として任命されると思います。
- 228 :
- youtubeで雨のブルース聴いて感動しました。
- 229 :
- だ〜いて〜 だいてよ〜♪
- 230 :
- 淡谷のり子さんがまた見られます。
「歌 心のままに〜昭和の歌を支えて〜」
7月16日(水)17:46〜20:28 NHK BS2
http://www.nhk.or.jp/archives/kuradashi/wed/index.html
街に「歌謡曲」と呼ばれる歌が流れるようになったのは昭和のはじめ。
歌はまたたく間に人々の心をとらえ広がっていった。
その礎を築いた作曲家の古賀政男さんと歌手の藤山一郎さん、
そして淡谷のり子さんが残したメッセージ。
戦前、戦中、戦後と様々な苦労を重ねながらも自分の信じるままに
歌の道を歩み続けた3人の生き様を見つめる。
- 231 :
- 淡谷さんが晩年に出たいつくかのテレビ番組の録画を今も
消さずに持っているが、なかでも屋外で歌った童謡「七つの子」は
感動的だ。この優しい歌に淡谷さんの豊かな人生が詰まっていると
思った。
- 232 :
- 往年の淡谷のり子ファンに質問です。
淡谷のり子さんの晩年は別れのブルースが大嫌いで公演では絶対に歌わなかったと言われています。
でも戦時中は別れのブルースを慰問で、始末書を書かされながらも
意地でも歌ってたわけですよね。
淡谷のり子さんがこの歌を歌わなくなった、嫌いになった時期っていつくらいなんでしょうか。
- 233 :
- とし子さん、応援しています。
- 234 :
- とし子さんの誕生日はいつでしょう。
- 235 :
- >>232に追加して僕も聞きたいのですがなぜ晩年は別れのブルースを歌わなかったのか教えてください
- 236 :
- >>235
「別れのブルース」は黒人霊歌の“ブルース”ではなく、
単なる和製“歌謡曲”だったから、歌うのを嫌ったのです。
淡谷のり子さんは、食べ物以外、洋物がお好きで、和製は嫌いでした。
- 237 :
- >>236
そうなんですか。
淡谷先生は洋楽を歌う歌手ということは知ってましたがそこまで洋物が好きということは知りませんでした。
勉強になりました。ありがとうございます
- 238 :
- でも「雨のブルース」は好きで、コンサートの最初に歌う曲は、決まって
この曲でした。
この曲は、ブルガリアで「ナミコ」という曲名でタンゴとしてヒットしたのが
淡谷さんにとっては嬉しかったのだと思います。
そしてコンサートのフィナーレは、決まって「愛の讃歌」で、アンコールは
「聞かせてよ愛の言葉を」でした。
- 239 :
- コンサートに行ってみたかったですね
- 240 :
- >>239
コンサートは、一部と二部に分かれていまして、一部は「雨のブルース」で始まり
主に和製の曲を歌いました。たとえば、「夜が好きなの」「灰色のリズム&ブルース」
「夜のプラットホーム」「巴里の夜」等でした。
そして二部では、お得意のシャンソンとタンゴを披露しました。
「パリの屋根の下」「枯葉」「浮気女の嘆き」「夜のタンゴ」「ポエマ」「人の気も知らないで」
「雨の夜は」「ラ・クンパルシータ」「巴里祭」「アデュー」「待ちましょう」「カミニート」
「哀訴」等等。
時々「リリー・マルレーン」も歌いました。
そして最後に「愛の讃歌」を歌い、カーテンコールで「恋人よ」、「聞かせてよ愛の言葉を」を
歌い、拍手喝采の中、ステージから去って行くのがお馴染みのパターンでした。
- 241 :
- >>240
セプテンバーはあまり歌われなかったのですね。
個人的に1番好きなのですが
- 242 :
- 今の季節にピッタリじゃないですか。
- 243 :
- >>241
「セプテンバー」は一回も歌いませんでした。
240に書くのを忘れたのですが、コンチネンタル・タンゴの「恋心」は
よく歌いました。
また一部では、「しばらくあなた」というオリジナル曲もよく歌いました。
「夜のプラットホーム」は自身の曲だというこだわりがあったと思います。
この曲も「巴里の夜」も二葉あき子がレコーディングしてますが、「巴里の夜」も
淡谷のり子が創唱者だったようです。
惜しむらくは、「別れのブルース」「君忘れじのブルース」「東京ブルース」は
殆ど歌いませんでしたが、服部良一氏が亡くなった後、「別れのブルース」は
時々披露していました。
- 244 :
- 夜の東京の歌詞がわかる方教えてください
- 245 :
- 淡谷のり子さんのコンプリートコレクション
- 246 :
- とし子さん、マジでいつまでも元気でね
- 247 :
- コロムビア、廃盤などを受注生産する「オンデマンドCD」
ttp://www.ondemandcd.jp/
コロムビアからアルバム出てた?
- 248 :
- youtubeで昔のアイドル歌手の曲(松田聖子、柏原芳恵、八神純子、岩崎宏美)を
聞くと、「こいつら、今のアイドルと比べ物にならんぐらい、歌うめぇじゃん!!!!」とか
思うのだが、淡谷先生は、
「あれは、歌手じゃなくてカス」
と言ってたそうですね。ご存命なら、今のアイドルを、どう表現するんでしょうか・・・・・・。
- 249 :
- 松田聖子 デヴュー当時は確かに下手だ、徐々に聞ける程度にはなった
柏原芳恵 歌を思い出せない
八神純子 アイドル?
岩崎宏美 この人は当時から歌うまいと言われてた、淡谷も評価してたらしい
アイドルの中にも上手い人は居る、今も当時も変わらないと思う
ただ今は歌の価値が下がってると感じる
- 250 :
- 歌手よりも、作詞家、作曲家の落ちぶれが激しすぎる。
結局、そこそこに歌える歌手は70年代〜80年代のカヴァーばかり。
小柳ゆきなんて、80年代に出てたらヒット曲連発だったろう。
ま、岩崎宏美や五輪真弓、高橋真理子クラスは、芸能史に残る大シンガーだから別問題。
- 251 :
- 今は歌がうまい歌手もいてんねんけどそれ以上に下手な歌手が多くなってまんねん。
- 252 :
- SMAPは特にヘタクソ
- 253 :
- 当たり前
- 254 :
- >>249
柏原芳恵
春なのにはオリジナルかな
ハロー・グッバイ、あの場所からは共にカバーだけどそこそこヒット
- 255 :
- http://www.nhk.or.jp/archives/kuradashi/mon/index.html
2月23日(月)BS2で33年前の淡谷のり子さんの映像が見られます。
- 256 :
- 今日86歳の俺のばあちゃんが来た。今さっき帰ったばかりだ。
とりあえず懐メロ系でわかったのは
・暁テル子の子は神田正樹
・暁テル子は偉ぶる
・村田英雄は障害者にはにこりともしない人だった
・笠置シヅ子や二葉あき子は庶民的で人気が高かった。
・舞台で大きく踊るのは笠置シヅ子ぐらいのもんだった。
・淡谷のり子はやっぱり化け物だった
このくらいかな。
- 257 :
- あっ三つ追加で。
・宮城まり子は戦災による浮浪児を思っていた。
・日劇はそんなに大きくはなかったが国際劇場はとにかく大きかった。
・空襲警報が鳴ると人々は影に隠れたりしたが、解除された途端順番を無視して並ぶ客がいたため整理券を配った。
- 258 :
- 淡谷のり子が鼠先輩を見たらなんと言うかしら???
- 259 :
- >>256
「神田正樹」は神田正輝の間違い。
それに神田正輝の母は、旭輝子です。
暁テル子ではありません。
まあ、86歳のおばあさんの話は話半分どころか、
それ以下で聞いたほうがよろしいかも。
- 260 :
- >>257
>宮城まり子は戦災による浮浪児を思っていた
これだけ意味がわからない
- 261 :
- >>260
そのままですよ。浮浪児のことを思ってたんですよ。
孤児院を建てたりしてたみたいです。
方言みたいなものなのかな?
- 262 :
- >>259
無視してすんません。
正しい回答ありがとうございます。
ひょっとしてばあちゃんは「あかつき」と「あさひ」を間違えたのかな?
- 263 :
- いまBSでやってるけど
船村徹相手にメチャクチャ演歌批判してる
かっこええわ
- 264 :
- あっちくしょぉ。見損ねた。だれかようつべにうpしてくれぇ。
- 265 :
- 梓みちよも歌謡コンサートに出た時に
演歌批判してたっけ、、、
- 266 :
- 元祖 未婚の母、淡谷のり子、ヌードモデルをしてる時に ムラムラと 犯される。できちゃった。娘は いずこ?
- 267 :
- マジっすか!?
- 268 :
- >>266-267
ただし その時の子供か どうかは 分からないよ。ヌードモデルの時 犯された話は 淡谷先生本人が 番組で話した実話だし 未婚で赤ちゃんを産んだのも 昔の人は 知ってると思うよ。あと子供が お父さん欲しいと言って 本人が困った話もしてました。
- 269 :
- 豊満美人。
- 270 :
- >>268
淡谷のり子さんは、子供を産んだことはありませんよ。
- 271 :
- ↑↑君は ただ知らないだけじゃない?本人は昔 話しているし 有名な話だよ。芸能人では元祖 未婚の母ですよ。
- 272 :
- 淡谷のり子さんは 同居の妹 とし子さんと 一人娘 菜々子さん夫妻に見守られ 東京都内の自宅で眠るように 息を引き取りました。もう10年位経ちますか?赤ちゃんを産んだ事が ないと 何の根拠で 書いているのか?不思議????
妹 とし子さん 現在98歳、元気ですね。
- 273 :
- >>271
>>272
娘がいるのと産んだことがないとは、意味合いが違いますよ。
自伝などで書かれていることと実際は一致するとは限りません。
淡谷のり子さんは、自宅で療養中、妹のとし子さんに介護を受けていましたが、
同じ敷地内の別棟に住んでいる奈々子さんは、一度も来たことはなかったそうです。
ある夜、ベッドから落ちたお姉さんを、誰の助けも得ず、やっとのことで
一人で持ち上げたというとし子さんの話からも、実情が想像できることと思います。
現在100歳のとし子さんも、「姪」である奈々子さんのヘルプは受けていないのです。
- 274 :
- なんか 自分の間違いを認めずに 見苦しい言い訳を してる人が いますよ。
じゃあ マスコミ報道と本人の話が嘘と いう事に なりますね。のりちゃんの40年前の告白は なんだったんでしょう?
- 275 :
- >>274
273の話は合っていますよ。見苦しい言い訳ではありません。
- 276 :
- 273の後半の話は本当かもしれないが、全然根拠になってないし
自伝に書かれてる方を信じるのは当然かと
- 277 :
- 奈々子さんが淡谷のり子さんの実子でないということは、
身内のみならず、淡谷家の内情を知っている人は誰でも知っていますよ。
- 278 :
- 271、272、274は、句読点を打つ代わりに空白を設ける特異な書き方から、
同一人物だと思います。
「君は ただ知らないだけじゃない?」とか「なんか 自分の間違いを認めずに
見苦しい言い訳を してる人が いますよ」等とのたまっていますが、“菜々子さん”
と書いたり、“妹 とし子さん 現在98歳”と書いたり、間違った情報を書き連ねて
おいでです。
もう少し、淡谷家に近い人の情報を信じた方がよろしいようで・・・・・・・。
少なくても、あなたよりは正しい情報を持っているのですから。
- 279 :
- 数の力だけで
事実が歪曲されてますね。
- 280 :
- 私も、淡谷のり子さんは知り合いの子供を引き取り、娘として育てたということは
知っていました。自伝やテレビで、愛する男性と出征前に結ばれて生まれた子と
公言していたのは、その子供に対する思いやりからだったことと思います。
でも、その子は、実際の母親でないことは、やがて他人から聞いて知ることになり
少なからずのわだかまりがあったようです。
- 281 :
- 淡谷とし子さんはもう100歳になるのですか!驚きですね。そういえば吉行あぐりさんも今年101歳ですね。
- 282 :
- >>281
淡谷とし子さんは、昨年満100歳を迎えられました。
とし子さんのお話によりますと、美川憲一さんとコロッケさんが、東京タワーの
見えるレストランでお祝いの席を設けてくださったそうです。
淡谷のり子さんは、晩年、コロッケさんに真似をされるのを非常に嫌っていましたが、
その罪滅ぼしもあったのでしょうか。
- 283 :
- 昨年12月23日にオンエアーのNHK BSの渋谷ライブステージ・美川憲一
のステージで、美川憲一さんが淡谷のり子さんの思い出を披露した後で
淡谷さんが日本で最初に歌った「愛の讃歌」を熱唱した後
「昨年、淡谷先生が生誕100周年だったんです。青森で。
わたくし、仕事で行かれなかったもので、ビデオレターを出さしていただいて。
妹のとし子さん、100歳でお元気で・・・・。
ついこの間、100歳のお誕生日を迎えられました」と
淡谷とし子さんのことにも言及されました。
今でも、仕事帰りに淡谷さんの家に寄り、お線香を上げたり、とし子さんの
誕生祝いの席を設けてあげたりする美川さんは、立派だと思います。
淡谷のり子さんも、天上で喜んでおいでだと思います。
- 284 :
- 美川、立派だよね。
淡谷さんのオジの淡谷悠蔵さんも一時期テレビに出てました。
- 285 :
- 悠蔵氏、今もお元気だろうか。
- 286 :
- アゲ
- 287 :
- 77年の徹子の部屋が放送してたんで、見ましたよ。
- 288 :
- 悠蔵氏、とし子さん、長生きしてほしい
- 289 :
- とし子さん、祝ってくれてさぞ幸せでしょうね。
- 290 :
- 昨年亡くなった自然農法の大家・福岡正信さんは、学生時代に横浜かどこかで淡谷のり子を見かけたという話をしていたな。
- 291 :
- 妹のとし子さんは今年101歳ですか!
ということは、1910年生まれの故・黒澤明監督よりも年上なんですね。
すごい
- 292 :
- 淡谷先生の唄われた曲で一番難しい曲はなんでしょうか。
ほとんど難しいと思いますが。
- 293 :
- キーの調整が難しい
- 294 :
- オリジナル盤復刻してほしいですね
- 295 :
- 深夜のラジオで流れる淡谷さんの歌声って、時代を超えて生き続けてることを強く意識させてくれます。
- 296 :
- 巴里の屋根の下のステレオ盤はいつ収録されたのでしょうか
とても素晴らしい演奏です
- 297 :
- 私もあれは大好きです♪
- 298 :
- のりちゃんの豊満な胸は魅力的でしたね。
- 299 :
- とし子さん、いつまでも元気でね
- 300 :
- "ふんぞりかえってる奴、大嫌い" 誰のことだか。
- 301 :
- 何故あれほど誰に対しても情け容赦ない激辛批評で有名だったのに
沢田研二に対してだけは大甘の萌え萌えだったのか。
- 302 :
- Youtubeで、デビュー間もない森昌子と共演したテレビ番組を発見。
森昌子を大絶賛し、今のまま芸能界で小さくまとまるより、
音楽学校に入ることをさかんに勧めていました。
- 303 :
- とし子さん
あけましておめでとうございます
今年もお元気でお過ごしくださいね
- 304 :
- コロッケさんも昨年デビュー30周年を迎えて先日特番を放送していましたね。
ものまね100連発していて当時を懐かしく思い出しました。
とし子さんも同じ番組をご覧になっていたのでしょうか。
- 305 :
- 「別れのブルース」の2番の歌詞ってすごいね
- 306 :
- 先週放送した懐かしのメロディーで映像出てたのかな
- 307 :
- ジュリーはやっぱりカッコいいからじゃないでしょうか。
- 308 :
- とし子さんて洗足かな
- 309 :
- のり子さんも界隈を散策とかしてたんでしょうか
- 310 :
- 雨のブルース、 別れのブルース を子供の頃、淡谷さん歌ってるの聴いても
感動しなかったけど、年取って、改めて聴いてみると
すごい名曲だなって思った。不意に涙が込み上げた。
- 311 :
- そうですよね、子供の頃は「ずいぶん古い歌だな。」ぐらいの認識しか
- 312 :
- 淡谷先生の「この一曲」を上げるとしたら、何?
- 313 :
- >>312
一般的には『聞かせてよ愛の言葉を』や『私此頃憂鬱よ』になるんだろうけど…
個人的にはこの曲かな
ttp://www.youtube.com/watch?v=QSXwuuFo9Dc&feature=fvst
いま聴いても新鮮。
- 314 :
- ☆ht☆tp://www.you☆tube.com/watch?v=yOZ7zHDy__0☆
- 315 :
- ☆ht☆tp://www.you☆tube.com/watch?v=yOZ7zHDy__0☆
- 316 :
- みかげさん、渋いセレクトですな。
淡谷さんが歌う外国曲がまたいいんですよね。
- 317 :
- >>312
白樺の小径
- 318 :
- 白樺の小径って、ブルース調の歌だっけ?
- 319 :
- >>318
スローなブルース歌謡って感じ。
事実、作曲した佐々木俊一は「良ちゃん(服部良一)に負けないようなブルースを書くんだ」と意気込んでこの曲を作ったという。
- 320 :
- 佐々木俊一さんは、もっと評価されて良い作曲家だと思う。
- 321 :
- 淡谷の佐々木俊一作品では「雨の東京」が一番いいと思う(灰田勝彦「新橋駅でさようなら」のB面だが)
佐々木は、せめて昭和40年代まで生きていれば評価は少し違っていたかも。戦後の歌謡曲が華やかになりつつあった昭和32年の逝去は返す返すも惜しまれる。
- 322 :
- 今月は東芝とコロンビアからシャンソンアルバムが発売!
ttp://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E6%AD%8C-EMI%E7%AF%87-%E6%B7%A1%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%82%8A%E5%AD%90/dp/tracks/B007TB46E4/ref=dp_tracks_all_1#disc_1
ttp://www.amazon.co.jp/CHANSONN-DE-JAPON%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E6%B7%A1%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%82%8A%E5%AD%90/dp/tracks/B007TMNHDE/ref=dp_tracks_all_1#disc_1
- 323 :
- いつも気にしているのですが、淡谷とし子さんは今でもご健在で大田区ののり子さんのお宅にお住まいなのでしょうか?のり子さんより2歳年下のはずですからお元気であれば103歳を迎えていると思うのですが。
また、のり子さんの娘さん夫婦も同じ敷地の別棟にお住まいで、今はご主人を亡くされお子さんもいらっしゃらないとの事ですからおひとりで生活なさっているのですよね?
- 324 :
- 晩年の淡谷のり子がへヴィ・メタのBGMにあわせて凄く、激しい踊りをしている動画をください
- 325 :
- とし子さん、ご健在であれば103歳ですか
すごいですね!長生きしてください
洗足界隈ですよね?
- 326 :
- ご自宅はね
- 327 :2013/10/20
- あのね
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