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ツイてるねノッてるねさとりのベルが鳴ること


1 :2009/03/01 〜 最終レス :2013/10/21
さとりの知見をお借りしたい。
識者ではなく来たれ本物の、
覚者。

2 :
ラッキーガール!

3 :
3取り―!!!

4 :
カビール、、
は聖者。
さて覚者の方にテスト込みで質問です。
人間以外にさとってる存在を挙げて下さい。
近所の犬という答えでも結構です。
それもチェック出来ます。

5 :
>>4
「まな板の鯉」と言われているぐらいだから、魚の仲間にも「さとってる」のがいるのかも知れないね。

6 :
さとりというか観念してるイメージですね。
それとまぐろはもっと近い、?、
魚というのは面白い視点だと思いました。
鯉には個体レベルでさとってるのがいるようです。
さとりの最小単位、
単位ざとりは存在するのでしょうか、
るとしたらどんなものでしょうか。
これも考えていきたい。

7 :
・・・石・・・・・

8 :
石ころは外圧を受け易い存在だから、
さとってはいないでしょう。
物理的な単位で単位ざとりを考証するなら、
電子まで落としたほうがさとりに類似しています。
物理的に大きくすると月球もですね。

9 :
さとりはいつから存在するのでしょうか。
生命が誕生したから、
人間が誕生したから苦しみが生まれ、
さとりが開かれたのでしょうか。

10 :
本当のさとりびとにあるべきとして期待したいのは、
対機説法の出来る状態です。
人々に対して知識や定型文、
洗脳された言葉をもって応じるのではなく、
まさに自らの言葉をもって、
自らをもって応じる状態を期待したい。

11 :
諸外国の実験データを研究すると、
さとり(メディテーション
の脳化学的性質をトレースするのみでは、
さとりの心的状態を再現することは出来ない、
ということがわかって来ました。
ただし、
被験者間の脳化学的性質に共通性が認められたことから、
脳の状態がさとりと全く独立に存在するのではなく、
確かにさとりの一部を示すこともわかって来たところです。
よって、
やはり原始仏典のような原始的方法がいかに意味を持つか、
それと同時に本当のさとりびとなら実験に対して開かれており、
よりデータの精度を上げることで人類の福音たるべきか、
2つを痛感した次第です。
2つのミックスにより、
現代〜未来の人々にコンスタントなさとりの生じる、
フォーマットが築きうるかも知れないのですから。

12 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

13 :
社会性はあってもいいものだと思います。
直観的に社会とは、
羽根(自由への飛翔、さとり
に対する空気のような存在である気が致します。

14 :
ブッダのお誕生日ですね。
ブッダは、
穏やかで朴訥な人だったような気がしませんか。
気がするというより、
本当に大事なものを本当に伝えたければ、
そうならざるを得ないのが、
あまねくことにおける経験的真実です。、
それが後世の仏格化?か、
はたまたキリスト教の影響か、
強き超越者、絶対者のフィルターがいつしかかけられ、
そのフィルターをなぞる人たちによって、
同じさとりの因子こそ持ちながらもどこかずれた、
個々の状態が流布している。
伝えたいものを、
真摯に真摯に伝えてくれる人がほしいところです。

15 :
高度な治療士なんかにありがちですが、
世の中には人の時々刻々の状態が自分の中に反映されてしまう、
そんな(損な?
体質の人がおりまして、
それは感情をも反映します。
反映される激しい喜怒哀楽の感情は、
それは異物でありやはり不快なものですが、
辛うじて持ち堪えられるのはそれが自分の感情じゃない、
と解かっているから。
けども思うに自分由来の感情も本来はそのようなものであり、
それゆえにそのように客観的に扱えば自分がのまれず、
本当に快適に生きていることが出来るのじゃないでしょうか。
人に共感することの多い人間も、
自分の感情に関しても共感の逆算で、
そう客観的に扱ってしまう。
これは1つの道かもしれません。
さとった人、
どうですか。

16 :


17 :
   

18 :


19 :


20 :
 

21 :


22 :


23 :
あげ

24 :
陰陽の化合に準え、
なんとなく改名してみました。
太極を追った孔子も、
やはり専門の弓の経験から、
ほどよく張った弦、
中道というさとりを得ていた感じがします。そんな感覚的な理由からのネーミングです。
さてほどよく張った弓ですが、
そんな肉体レベルのセンスをさとりの道に擬してみたい。
梅雨ですね。
梅雨は体の変り目であり、
いろいろな事象に体が敏感に反応する季節です。
体といえば個人的には、
傘をさしながらまるくなって自転車をよくこぐとき、
1風変って?肘が伸びてることに気がつきました。
街ゆく傘さし自転車を観察すると、
まるくなっているだけに当然というべきか、
のきなみ肘は曲っています。
肘を、
上下にかがむクッションに使ってる。
転じてこちらは、
肩甲骨が上下のクッションに使われている模様です。さてさとりとは何でしょうか。

25 :


26 :


27 :
坐禅の禅とは、
心の起こらないさまをいうそうですね。
空欄の多いのは、
禅を模した流れなのかもしれません。
さて自転車の肩甲骨ですけども、
1般にものごとは肩に力を入れないべきといわれます。
心の起こらないべきという禅と、
どこか似ていると思われませんか。
起こらない、力を入れないというのは、
闇雲にそのかたちをとった硬直的なものでは決してなく、
自転車の肩甲骨に同じく、
まづははっきりと使えたうえでほかのいろいろな機会にあたり、
今度は落ち着いて使わないという性質のものじゃないかと解釈してます。
かたちをとってしまうと、
どこかやっぱり反動がたまり、
不自然なものとなってしまうのじゃないでしょうか。
さとりびとの自覚はどうだろう。

28 :


29 :


30 :


31 :


32 :


33 :
他の人を捌け口にせず、
みずからが本当に1手に引き受ける人のみが、
生きることは苦しいと口に出来ると思います。

34 :


35 :


36 :


37 :
さとりを最も端的に表した熟語を挙げるとすれば、
無事即名馬
だと思います。
本質同じ内容を表した熟語に、
吾唯知足
という、
中心の口の字を共有して右周り(回転方向にも、筋肉の自然な動きという意味あり
の円状に書け、
これをもって神足通とされるものがありますが、
こちらはどこか仄かに強要めいた意識が感じられ、
安心立命ではありません。
無事も名馬も、
誰にとってもいいものです。
このようなシンプルな熟語が知識として浸透し、
人が人へと語って聞かせる機会が増えれば、
そこから誰かしらさとりを得る存在が生まれるかもしれません。
機会が多い、
伝わりやすい、
というのは、
熟語である、
シンプルであることの強みです。
みなさんどんどんさとりの熟語を持ち寄ってみませんか。

38 :
  五
矢口イ圭
  ト
  ヘ
こうでしたね。

39 :
またこのことから、
仏を更に最も端的な1語で言い表せると思います。
それは、
無事
です。

40 :
無事は無難のことではありません。
無難がことにのぞまず迂回するニュアンスを含むのに較べて、
無事はことにのぞんで確かにクリアしていく姿だからです。
またここで無難に吾唯知足のラベルを貼っても装飾に過ぎません。
無難は無難、
迂回です。
吾唯知足のラベルもやはりまた迂回に過ぎません。
もっとも若松酒造の吾唯知足はさとっているかもしれませんね。
それだけ味がまろやかです。

41 :


42 :


43 :


44 :


45 :


46 :


47 :


48 :


49 :


50 :


51 :
来ましたけど何か?

52 :


53 :


54 :
>>51わたしはさとるとは、
置かれた状況に生き、
そして無事であること
そうさとったのですが
これはいかがでしょう。

55 :
悟りなんてあってないようなもの。捨てておしまい。

56 :


57 :
中山美穂かよw

58 :
ツイてるねノッてるねさとりのベルが鳴ること
あぶないトコはいつもいつも財務ぅ〜♪

59 :


60 :


61 :


62 :


63 :


64 :
 

65 :
解除きた?

66 :
てsts

67 :
ぽんぽこ

68 :
おk把握

69 :
テスト

70 :
ぽむぽむ

71 :
モンハン買ってからが問題だよね

72 :
大変そうだ…

73 :
などと供述しており

74 :
せつこ
さげなくてええのんか

75 :
12月1日にモンハン買って、12月2日に北海道行くwww
自分で自分の首しめた……!!

76 :
元気かよう
大丈夫かよう

77 :
メール届かず……

78 :
モバゲーも退会済み…
サンダー……
大丈夫なのか…

79 :
ありがとうございます!
とても感謝しております!

80 :
朝吹真理子にエッセイを書かせたら
食い物のことしか 書かない*
品性下劣だ。
頭の中は 食い物とSEXのことしか無いのだ☆
文学界には かつて 次のような現象が ありました*
エリート=岡松和夫 ☆
雑草=村上春樹 *
岡松和夫はエリートだった☆
しかし 文壇では 同人誌で実績を上げ
芥川賞を受賞したはずの岡松和夫が
冷や飯を食わされて
賞とは縁が無く 本来 雑草であるはずの 村上春樹が 売れまくった☆
村上春樹は 売れまくって 良い境遇にいたのです*
そこで 岡松和夫は 村上春樹に 噛み付いて こう言いました…
「オレは お前の噛ませ犬ではない!」と… ☆
そして そこから「文壇 名勝負数え歌」は始まったのです*
*今回の場合は
エリート=朝吹真理子 ☆
* 朝吹真理子=フランス文学者の家系に生まれる。
雑草= 西村賢太 *
* 西村賢太=運送業者の家庭に生まれる。
1978年秋、実父が強盗強姦事件を起こして逮捕され、
刑務所に収監される。
このため両親が離婚し、
3歳上の姉と共に母子家庭で育つ*

81 :
test

82 :


83 :


84 :
『感謝の力は偉大なるかな』
父母に対して感謝する心になると、
病気がすばらしくよく治ります。
何故(なぜ)かというと、自分を生んでくれ、
育ててくれた人への感謝は、
「生きていてありがたい、生んでくれて有難い」
という気持でありますから、
その生み育てられた生命力がよみがえってきて、
活発に働きはじめるのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます

85 :
『「できたら、しよう」そんな根性では何もできない、断じて行え』
これこれができたら、あれをしようという人がありますが、
そんな根性では何事もできるものではないのであります。
「できたら、しよう」というのではなく、
意を決してすればできるのであります。
「余裕があったら、しよう」というのではなく、
断じて行えば、必ず余裕ができてくるのであります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
ー生長の花ー

86 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

87 :
ここのひとにも
まどかまぎかみてもらいたいな
なにかしらかんじることはあるとおもうから

88 :
ふぁい

89 :
『「道」は近きにあり』
今日の仕事をなし、今日の誘惑を退(しりぞ)けよ。
人生価値は大きな事業や業績の中にあるのではない。
そのうちにも含まれてはいるけれども、
日常生活中の瑣細(ささい)な行為の中に、
小さないたわりや、思いやりのある微笑や、
深切(しんせつ)なそこはかとなき行為の中にある。
瑣細なことの中にその人の真の愛があらわれる。
世界人類が平和でありますように

90 :

?

91 :
お ここは いいぞ。誰もいない。
こういうところこそ 私にふさわしい。
ここはいーな。自由に書けて。
心機一転だ。 生き直そう。
悟り かあ。 う〜ん。・・・

92 :
私が そんなことわかるわけないから
まずは 本当の師を みつけなくちゃ。
この一歩が狂ったら、全部一生、ぱーだな。
うん ここが一番大事だ。

93 :
私に、本当の師なんて、みわけつくわけない・・・
この人が本当だろう、なんて
自分のカンをたよりになんて できない。
そんなのはうぬぼれだし・・

自分の好みで選ぶんなら、そりゃ 師じゃなくて
自分を選んでるようなもんだ。
それで、マスターは私だ。そんな人ばっか。
全部 詐欺師の餌食。
運の問題かなあ。 どうしようもないな。
絶対的な最初のつまずき。

94 :
それにしてもすらすら書けるなあ。
規制なんか全くないみたいだ。

95 :
とりあえず 目安 つくってみるか。
う〜ん。自分が悟りを開いたとして浮かぶことは
本当の人なら、きっと、幼児にでもわかるほどに
ていねいに、理的に、解明してくれるだろう。
だって 理しか、共通言語がないもの。
こっちは知らないんだし。
しかも、きっと美しい日本の標準語で話してくれるだろう。全く自信があるから。
ききとれない言葉やわけのわかんないような
表現はする必要がない。
 〜じゃ。なんて作る人もだめだな。みせかけをつくろうとしている。
作為は必要ない。内容がない人がこういうことに、きをまわす。
本当の人なら、世界的にも通用するだろうから、もちろん
英語にも簡単に直せる言い方をするだろうし、従って、さらに
それを日本語に翻訳したって そうだったのか!
というような ものだろう。

96 :
これは どこまで書けるんだ?
例えば大阪弁で語るような師は 捨てよう。
東北弁だって同じことだ。九州弁だって。
例え どんなに真実らしさを感じたって
どんなに、この人こそ本当だって感じたって 
そんな師は、捨てねばならぬ。
根本的に相手を馬鹿にしていなければ、見下していなければ
そんな接し方はできないからだ。
本当の人は差別なんかしない。
悟りを得ていようがいまいが、それで見下したりなんかするわけない。
人や他の生物にさえ尊さをみるだろう。
たとえ それで誤っても 後悔しない。 これは最低限 だ。

97 :
1 幼児にでもわかるように、理的に 話してくれる人。
2 美しい日本標準語で話す人。イメージ操作のような語を
  使わない人。
3 そのキャラクターが 愛すべきイメージをかもしだしている人は
  避ける。これは危険だ。催眠にかかってしまい、なんでも
  その人が、よい方向にみえるようになってしまうから。
んー。 いまんところ こんなところかな。


98 :
このスレも仏教は生まれ変わりを説くって事になってんの?

99 :
わー  なんだこれは!  いきなり16位になってた、朝みたら。
たった7つ位書いただけなのに。書く前は、300位、以下くらいだった。
知らなかった・・
調べた。
「2ちゃんねるは、最新の書き込み順にスレッドが整列するシステムになっています。
 ただし、メール欄に「sage」をいれると、順番が変わらず(上がらないし下がらない)に書き込むことができます。 
 一見してなくなったように見えるスレッドも、スレッド一覧の中に埋もれているかもしれません。
 書き込みをしてトップまで持ってくるのも一興。下がったまま内緒話をするのもまた一興。。。
 ★はキャップ機能といって、本物にしかつかない証拠です。
 運営関係やボランティアさんなど、本物の証明が必要な人だけに発行してますです。
 ただ固定ハンドルを名乗っているだけではだめですよん。。。
 ◆はトリップ(一人でキャップ)で、名前欄に「#好きな文字列」をいれるだけです。
 簡単に本人の証明ができるので、騙りがいる人などは使ってみてくださいです。   」

100 :
メール欄に「sage」 か。びっくりした。
 ・・1ヶ月に1回しか書き込みないところだったのに問いかけまできてる。
>>98 わかりません。特に別に生まれ変わりは問題にはならないと思われます。
「私は聖徳太子の生まれ変わりだ」と言って本を書いたり人を集めたりする人がいる。
 「そういう人」を信じる人がいる。・・・どうしてでしょう?
 あんまりでは ないか?
 私は、信じないほう、なので知人に聞いた。 
 ハンドル握ってドライブ中。
 「そういう人、信じれる人って本当なのか?」
 知人:「・・・そんな馬鹿いないよ。ははは。それはね・・
     一緒にお祭りさわぎがしたいだけなんだよ。馬鹿だってね、そんなことわかるんだよ。」
 ええっ? 


101 :
>100
じゃあ、カルト信者達が犯罪犯したり集団自殺したのも騒ぎたかっただけなんですかね?
(^。^)それは新しい説だ。

102 :
やや またきた。話してくれてありがとう。
>>101 
つまりカルト信者というのがそういう考えを持っているというわけだ。
騒ぎたかった「だけ」というのでは あたらないけど、究極的本質的には
そんなことが、あると思える。他の要素も言えば長くなってしまう。
大体、私は宗教というのは本質的に徹底的に個人的なものだと思っている。
集団的に何か行動を起こすというのは、むしろ政治の部類に入る、つまり
宗教だとは思えないって感じかなあ、私は。
うん、つまり、わかってきた。私にとってそういうのは、
宗教だと思っていなかったんだ。
これで、だんだん順位が落ちてゆくはず。
だんだん書き方もわかってきた。
101さん、ちょっとの間、返事できなくなるけどごめんね?
休暇があるんだ。 ありがとう。

103 :
>102
なるほどね。
つまり、宗教団体に属する事は政治活動だと考える訳ですね?
しかしながら、政治活動だけしてる人も宗教だけしてる人も現実には居なくて、
人は組織に所属して政治的言動もしなくちゃならないし、個人的な思考もしなくちゃならないと思いますがね。
もちろん、還元主義的思考は有用ですが、視点と構造とを常に俯瞰する事も同時に行うべきではありませんかね。


104 :
休暇 終わりました。

105 :
うひゃあ 何も書いてないのにボタン押してしまった。
>>103
還元主義的思考・・ ずいぶん難しい言葉を知ってますね。
  >>人は組織に所属して政治的言動もしなくちゃならないし、
     個人的な思考もしなくちゃならないと
そうでしょうね。ただこの板のタイトルで求められている「悟り」とは
つねに歴史上、個人一身の上に起こってきたことであり、
組織が「悟り」を 組織的研究で発見したことはなく、また、今後もできない
だろうと、私は思います。また何らかの組織機関で個人に「悟り」を起こさせる
能力もないだろう、と私は思っています。
言い換えれば、いかなる宗派、いかなる宗教組織も、それは生み出すことは
できないのであり、誰かが言ったようにむしろ、それら(組織)は腐敗するのみ・・
いやあ、とんでもないこと言っちまった。103さんにつられて。
平たく言うと、私の求める人は、組織など、はなから全く興味のない人であり、
逆の人は、その逆であるということかな?
その意味では、私の求める人は、全く無責任と糾弾されてもしかたないかも。
私はしませんが。

106 :
ところで 無責任と言えば突然、次のような人が思い浮かんでしまったのだが
 このような人はどうなんだろうか。
1 副司令官(クシャトリア階級)にして敵前逃亡脱走犯
2 実の妻子に対して妻子遺棄により精神的虐待を与えた罪を犯した人
3 子の養育費未払い逃亡犯 (後に妻に要求され、托鉢椀など出して更にキレられた)
4 何とか成功したら、「どうせ馬鹿だから、話したりやるだけ無駄」と言って
  忘我状態を決め込み帝釈天に「・・それはないんじゃ・・ないですか・・」
  と言われた人
勝てば官軍であろうか?

107 :
      ∧彡ヘ
      ミ|  ・  \
      ミ|  ,,‘_)
      ミ|( ・ω・) 時間もてあましてるサトラーさん集合
     |(ノ  |) http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1314187648/
     |    |
     人._,,,ノ
      U"U

108 :
だんだん気がラクになってきた。
そのうち、「真実だがとんでもないこと」を書かなきゃと思っているので
恥ずかしいから、もっと順位が下がる必要がある。
なに、対象は1000万に1つの背中であってね。
ただ、問題は見る人が、3人くらいしかいない環境で
そのなかにそれが現れ得るか?ということなんだが、
運がわるきゃ、なんだって、ダメなんじゃないか?

109 :
あれ? おかしい。私はsageて書いてるし昨日250順位くらいだったのに
 今みたら150? なんだこりゃ? てっきり今日は300には、いったとおもったのに。
 
しかし、この板のタイトル書いた人、ある意味すごい。
2chのスレッド一覧から、この板、捜して、入ろうとすると、この文字列は、
毎日、書いてる私自身が、捜せない! それほどに、あまりに、目立たない!
私自身が、毎日、ものすごく苦労する!!
というわけで、今後は、お気に入りに入れて、一発で出すことにせざるをえん。
(お気に入りは、アダルトサイトしかいれないのが、いいにきまってるが。)

110 :
さて 97の条件、
 97 :神も仏も名無しさ1:2011/08/24(水) 00:15:48.22 ID:FUjoa56x
   1 幼児にでもわかるように、理的に 話してくれる人。
   2 美しい日本標準語で話す人。イメージ操作のような語を
      使わない人。
   3 そのキャラクターが 愛すべきイメージをかもしだしている人は
      避ける。これは危険だ。催眠にかかってしまい、なんでも
      その人が、よい方向にみえるようになってしまうから。
みまわしてみると たったこれだけの条件ですら、2chには
一人もいない。 外国だと クリシュナムルテイという人が
近い感じだけど もう死んでしまった人だし、こんな世界的な人には
師になってもらえるはずもないし。
うーん。惜しい。この人、組織は解散宣言してしまうわ、

111 :
私は知っているぞ、確か、10代の青春時代は、この人、パリで、バイクでばっかり
遊んでた。むろん、費用などは組織が面倒みてた。
しかも、19歳のころ、すでに、解散の意志があった。
(幼少の頃から、朝4時5時に、毎日、水ごりー頭から水かぶるあれーなどやらされて
 頭にきていた、のかもしれん。)幼少時代からずいぶん世話したみたいなんだが、組織は。
29歳で・・まあいい。とにかく無責任さ、でも人後に落ちないかもしれん所もよかった。

112 :
いや、2ch には いなくとも、世界は広いから、日本でさえ
きっと いるだろう。ただ 縁の問題だろう。
まあ 気長にまとう、ほととぎす。 
そのあいだは 見聞をひろめたり、研究したり、していよう。 
作文なんかも いい。
面壁九年。
滅自我座自我,
自我在心中泣。
本是同根生,
相滅何太急?
自我経之,化剛。
字あまり、ぱくりだけど。まあ天才と言われながら育ったんだけどね。

113 :
これは 皮肉なことかもしれんな。
でも、智慧がないと、こういったところで遭難してしまうことだって
あるだろう。

114 :
研究
言うまでもなく 経典などは 人間が書いたものだ。
ここは正確におさえておきたい。
しかも、何百年も後から書かれたものだとか
ようするに 全部、偽経だ。すると宗教関係者って
嘘をつくのが平気らしい。 その態度、・・やだなあ。
なかには仏陀が空を飛ぶとか・・
だめだ、これは。 こんなの全部、本気にすべきじゃない。
ただ空海の著作のように本人自ら書いたものは
調べる価値があるだろう。 すくないけど。

115 :
それではみもふたもない。
別の考え方をしてみよう。
偽経とはなにか?
善い方向に考えてみよう。
その時代、その時代に、すぐれた人は、やはり、いただろう。
そういった人達が、彼等自身の発見を書き残すために
仏陀の名を使って、経典を制作した。
仏陀がこういった、とか、ああいったとか文言を散りばめて。
(しかし、かりにも、その時代、時代の天才がそんな姑息なことを
 やるだろうか? しかし、まわりの人間が、「そういう人の言ったことを
 利用して」、宗派同士の争いの為に、経典を制作した、というなら
 考えられる。・・・・でも、それでも値打ちはない、な。)

116 :
研究
しかし 日本に生まれてよかった 。
これがキリスト教国家やイスラム圏国家 などに生まれていたら とんでもなかった。
106 のようなことを言ったら、即、死刑、だとか。
アメリカだって、田舎のほうに住んでて、地域の人達に教会にいきましょう、なんて誘われたりして、
ちょっと断ったり、教会寄付しなかったら、住民に襲われたり、悪魔の追跡みたいなこと、されたりして。
イスラム圏だったら、もっとメチャクチャだったりして。
そんな印象が、ある。
幼児からの洗脳教育は恐ろしい。
日本はいいかげんなところが救いでもある。

117 :
大体、神という概念を持つことは、そもそも、狂人を生み出すことなのではないか? 
旧約の ジェリコだかの虐殺、あれが人間のすること?
人間は みな平等だ、という考えがあったら、とてもあんなことができるとは思えない。
あれは、神がそれを許した、とか 神が命じた、とかを 理由にしているからできるのであろう?
人間より正しく優秀な「上の存在である、神」という概念ー想像、架空を持って来たから、
人間が他の「下(?)の生物」を虐Rるように、人間を虐殺して平気な考えになるわけであろう?
スライドさせて。
つまり、神の概念の創造とは、完全に、人種差別、それどころか、ある人種、別の地域の人種は、人間以下の生物だ、
という考えを、含み、生み出す。
(というよりも、そのスリカエ概念、とさえ言える。) 
あんなことは、「私達は、同じ人間です。」という考えがあったら、とてもできるものではない。
あなたたちは、同じ人間に、何をしたのか、何をしているのか、ということになる。
いつの日か人類は、
神などという概念は、狂人を生み出すとんでもない、考えであり、
犯罪を生み出す概念であり、退けなければならぬ考えである、という医学的常識学説ができるであろうか?
それとも、狂ったサルの滅亡となるのだろうか?
期待は 薄い。が、全然、ないわけでもない。
なぜなら、こういった民族、たとえばキリスト教国家圏などは、
徹底的な過ちをものすごい大規模で犯してしまって、あまりに社会が苦しみ、
そうしてのち、反動で、文明でも、文化でも科学でも進展してきた、というパターンだ。
魔女狩り、だとか、免罪符、だとか、王権神受説だとか
こんな馬鹿なこと、やった、〜教国家地方は、近世では、ない。
そして、この進展のしかたはおそらく、正しい。
人間はあまりに馬鹿なので、これほど、徹底的な過ち、を犯さなければ、
つまり、反面教師しか、役に立たない。
こういうなかから、ルネサンスとか、フランス革命とか、誕生したのだから。
しかし、狂ったまま、とまるということだって、ありうる。

118 :
人間は、時として、弱いものだから、
神と言う概念に頼る人々は、これからも、たえることがない、だろう。
ただ、そういった概念を持つ人々は、その概念にいたる根本的しくみ上、
 ひどく劣等感にむしばまれた人々であったり、するので、
 復讐のために、残虐な問題をひきおこすであろうし、
 そういう人達は、神の声が聞こえた、ということであれば、
 同じ人類にたいしても、人間性を失い、どんな残虐なことでもする用意があるということは
 憶えていてよい、であろう。
人間に起こるすばらしいことは、人類の歴史上の世界中の宗教が同じであり、
 ただ1つ、同じこと、光明がおこることであり、別に、精霊だとか、神のの概念など
 持ち出す必要はなく、もともと、人間も、そういう存在であったというだけのことである。


119 :
神という概念にたいする私の結論は、これまで生きてきたなかでは、こうです。
神は全てです、ということは私もあなたも全て神なのです。
つまり自分を深く掘り下げるということは、神を知ることになります。
その結果いだいなる先輩(ブッダ、イエス)は悟ったのではないでしょうか。

120 :
>> 119(778)
あらあら、みているかた、もいるのですね。話してくださり、ありがとう。
「私もあなたも全て神」、ということですね?
それはすばらしい、ことです。
私も、例えば、イエスは、はじめ、そういった意味で神という言葉を
使っていたのかもしれない、と考えていました。
で、イエスはよいとして、キリスト教では、イエスは、神の「ひとり子」
という教え、ですよね? すると他の人間は、違う、ということですね?
あなたの考えはすばらしい、と思います、が
そういうことを言ったら、あなたは、昔でしたら、火あぶり、にされたことでしょう。
キリスト教でしたら、現在でも、人間は、「ちりから、生まされたゴミ」であり、
だからこそ、簡単に、人間を抹殺、虐殺、できる、ということです。
あなたが神である、などと、キリスト教徒のかたにとっては、とんでもない考えだ、ということ
になります。
これはイスラム教でも同じです。
むかし、マンスールという、人がいました。
この人もみつけたのですが、とてもひどい虐殺のされかたでした。

121 :
盲目的な信仰は恐ろしいものですね。
冷静に考えれば、神とそれ以外にわけると、神が複数存在する可能性が劇的に増加するはず。
唯一神を信じるならば全てが神としたほうが、理にかなってるでしょうに。

122 :
>>121
 外国のかたは、特に、一神教のかたは、幼いころから
 それで、まあ、洗脳されて?しまうと、もう、ほとんど
 聞く耳持たなくなってしまう、みたいですね。

123 :
どうなんでしょう、神の「ひとり子」(キリスト教)と、言ってみたり、
 「最後の預言者・(マホメット)」(イスラム教)と、言ってみたり、
 まるで、(神の)三人目の子が現れたら、大変だ、どーする、
 次の新たな預言者が現れたら、俺達はどーなるんだ、みたいな、
 神?の思惑がどーあれ、真実だろうとなんだろうと、
 俺達以後はすべて、抹Rるぞ、みたいな。
 まるで、既得権益にしがみつくような、教えにみえるんだけど、
 まるで、宗教が商売の世界であるかのような、不自然さが。

124 :
本当は、彼等(一神教の)でも、そのあたり、特に知性的な人は、
 わかっている、疑っている、あきれている、(一神教が中世や近世に、
 やってきたこと、を歴史的に知っているし、教会でさえ、地動説は間違いだった、
 とか、認めて発表してるし、そうせざるをえない科学の知性の進歩の時代に
 なってしまっているし。それなら他にも、間違い、嘘がいっぱいあるんじゃないか、
  ということになるし。) のが、実際のところでしょうか。
 

125 :

誤解の無いよう、またバランスのためにも、もう1つ、言っておかなくては。
別に、人類より、ある種、ある能力で、すぐれた力を持つ存在などいない、
と言っているわけではない。生物だって、そのような生物はいくらでもいる。
この世もあの世も何でもありだから、私などカッパもいるだろう、と思っているくらいだ。
そんなことは、私達人類が、存在すると同様に、宇宙人もいるだろうと、言うのと同様だ。
(私達自身、他からみれば宇宙人なわけだが。)
最も驚異であるのは、いま、私達が、存在する、ということであり、
道を歩けば、花がある、花の存在をみることであり、
そして、ふれあえる、ということだろう。

126 :
研究 インドという国について。
あの国は、ある意味、とても変態的で、本当は、宗教の光明発現ばかり、
何千年にも渡って、探求してきた。 少なくみつもっても、エジプト文明以前からだ。
まるで、それ以外は、意味がない、というような変態的?な文明だった。(それと数学が異常。)
その文明にも、驚異的天才がたくさんあらわれ、それを完成していたが、風化し埋もれていた。
仏陀は再発見したが、土壌が「このうえなく」恵まれていた、といえる。
彼は、唯我独尊とか、無師独悟とか、いろいろ勝手なことを言った、ということだが、
(真実はわからない。そんなに浅い人には思えないが。
  後の世の人は我々より恵まれていると、たしなめ予言しているくらいだから。)

127 :

これらの背景、ヨーガの土壌、瞑想の土壌、なくして、彼の成功は、ありえない。
なにからなにまで、先人達のとんでもない恩恵、を受けている。
これは、他の地球的地域、に生まれた人をみれば、わかる。
(伝説を検証すれば、彼はたった一度で、秘密を解いたということだが、
 普通、天才でも他の文明世界では、ありえない。 何度も試行錯誤するものだし、
 凡人ならば、そこまで到達していても、わからなくなってしまう、だろう。)
2千500年も前の人だから、ほとんど何もわからないけれど、基礎の素晴らしい人、という
印象をうける。


128 :
研究 恐怖について

馬鹿に恐怖は、わからない。

いや、冗談を言っているのではなく、これは、相当の本質ではないか?
というわけで、私達にあまり(恐怖は)縁がない、かもしれないが
そう言ってしまっては、みもふたもない。

129 :

恐怖は思考によって起こるらしい。
思考そのものが恐怖とも言える。
死を考えてみる。「死、私がいない、このように、考えるということさえ、ありえない、」
「それが、どんな状態なのか?」
まさに、「 思考の死 」だ。
子供のころは、こんなこと、考えただけで、胸の上に大きな石をのせられたようになり、
呼吸が、苦しくなった。
だけど、大人になったら、感覚が鈍磨してしまって、「 何も、・・別に。」

130 :

現実と思考感覚が遊離してしまっているのだ。
こういう人間は、現実に死をマジカにしたらパニックになるのかも。
まあ、人生や年齢を積み重ねるということは、
「 しかたないじゃないか 」という思いを深めることでもある。
それなら、まだ、いいんだが。
何事でも、綱渡りの当事者はそれほど、恐怖でもなくて、逃げようとすると、
恐怖となるようだ。

131 :

思考は、何か逃走の種類に関係でも?
無意識の恐怖というのもある。
 昼間の明るい陽射しのなかで、幽霊をみたら、
 (いや、仮にみたら、。そんなところに出てこないだろうけど)
 ピエロ、みたいなものか?。
 誰だって想像もつかないだろう。
 だが、暗闇を背景にしたら、無意識が、でてくる。
 ほとんどの人は、真っ暗闇の山の中なんて、一人で歩けないかもしれない。
 「ええ? これが 私なの?」 というほど、変わるだろう。
つまり、無意識には、たえず思考が流れている、と言えるかもしれない。
もちろん、無意識だから、本人には、ふだん、まったく気づかない。

132 :

誰でも、自分が狂人になりうる、などと、思わないだろうが、
 (真っ暗闇の山の中なら誰でも・・つまり誰でも狂人にいたる可能性はある。
             決して、馬鹿にしてはいけない。)
こういった無意識が思考に強くあらわれてきてしまったら
とりかえしがつかなくなる、かもしれない。
いまのところ、そうでない私達は、ただ何かに感謝ができる
 だけである。
そして、思考にあまり重きを置かないほうがいいだろう。
 この反対になって、思考に閉じこもってしまい、誰の言うことも
  聞けなくなって・・などと冗談半分でもやったら、大変なことになるだろう。
しかたがない・・すべてこんなもの
悟りだって、そんなに重きを置く必要なんて全くない、だろう。

133 :
今日は時間がないので、時間のある時に。

134 :

宗教において ある程度でも成功する人と
そうでない人がいる のは なぜだろうか?

135 :

誰でも できます などと口あたりのよいことを
信じるのではなく これは第一番に、考えたほうがよい。
その違いは 何か? と。

136 :

つまり、たとえば
瞑想修行者ならば、 瞑想する前に、勝負は、終わっている ということだ。

137 :

結跏趺坐して、「 さあ これから瞑想して・・ 」 ということではなく。
それが真の力であり、秘密が隠れている、ところだ。

138 :

たとえば、禅の修行者ならば
座る以前に、勝負は、決まってしまっている。

139 :

結跏趺坐して、「 さあ これから座禅して・・ 」 ということではなく。
そういったことは、「全部 あなたが 企画者 に すぎない。」
 

140 :

そして、その番組が、またもや、流されるだけ。

この一連の現象を、理解できぬ者など、いるだろうか?

141 :

それだから
「さあ、これから、経典を読むぞ」とか、
「さあ、これから座って、また座禅の修行するぞ」というような
ことは、本当は、全然、修行などでは、ない。

142 :

どんな教えも、どんな組織も、
どんな言葉の羅列も
人に、アフラマツダ、光明を、起こすことは できないだろう。
それが、可能ならば、大量生産できていたろう。

143 :

人に、自我に、できることは、「 終える 」 ことだけだ。
 ( この道に おいては。)

144 :

それだから、いかなる修行も、本質的には 終えてみることだ。
その、はざまに、スパークが起こる。
(自殺ということでは、全くない。)

145 :

「 終える、」ことが、本当の修行の本質だ。
その直後のことは、神、宇宙、真理、すべて、自然、
森羅万象、なんと呼んでもいいが、
それが、ひきうけることになるのではないか?
ものの道理として。

146 :

大丈夫だろう。あなたは ある だろう。
あなたと一緒に、また 日の出は、起こるだろう。

147 :

それだから、昔から、資質に恵まれた人は、
夕日を、本能的に、愛してきたということが
あるかもしれない。
理由は知らない、かもしれないが。

148 :

西の空の、日没の、雄大な、荘厳な、美しさ、
それは、終わり、を象徴しているだろう。

149 :

「終わり」であることは、なんであれ、
本当の修行となる。

150 :

苦行の終わり、であれ、修行の終わりであれ、
(なんという皮肉なことであろう。
 修行の終わり、こそが、本当の修行である、とは。)
仏陀は、最後の時になって、本当の修行の一端に触れたのだ。

151 :

そして、ことは起こった。
それ以前のことは、全然、修行なんかじゃない。
だからこそ、完璧な絶望に至るほど、何も起こらなかった。
道理を考えれば、そういうことになる。


152 :

では、終えよう とすることが
本当の修行だと、言うのだろうか?
同じように
「 さあ、これから、終えるという、修行を
 するぞ 」
といったことが、修行に なりえるだろうか?
( 微 微笑 )

153 :

真面目な我々ほど、よく考えるべきだ。
でないと真面目ゆえに、
長い年月を、棒にふってしまう。
こここそは、キーポイントであって、
自分の力で、考えて、みるべきだろう。
自力だとか、他力だとか、言葉などに、
惑わされ、ふりまわされるのは、馬鹿げている。
こういったことは、一歩間違えると
同じことのくりかえし、古さの再現、意外のなにものでもない。

154 :

この流れ を よく みてみよう。
適用すれば、
「 終える 」 といった流れ自体を 終えよう
ということになってしまう?
これは、現実的に、おてあげの状態になってしまう?

155 :

いや、これは 誤っていない。
誤っていないからこそ、こんなことになる。
だからこそ、昔から・・。
これは、つまり、自我の平面的延長上にある のではない
ことを、意味している。

156 :

努力し身につけ、磨き、修養し、高め、
 それらと共に、一歩一歩、踏みしめ、進み、
 ついに、たどりつく、という次元では、ないことを
 意味しているのでは ないか?
 (むろん、それらだって、非常に大切なことでは
   あるに違いない。)

157 :

これは、次のような結果を、示しているだろうということを
 確かに、おさえておきたい。
1 (直接的な)修行法というものは、(この件に関しては)
  存在しえない。
  (我々が)何をしようとも、はじめから、ついに、
  違ったことになる、あるいは堂々めぐりに
  おちいる。

158 :

いいかえれば、間接的なら、ありうる わけだ。
 これを知ることは、大変な福音 だ。
 とんでもない無駄を避けえることになる。
 人生は短い。
 これを知らなければ。
 こういった基礎がしっかりしていなければ。

159 :

157 を 正確に認識したら 絶望に陥るかも
 しれない。これはつまり、あらゆる人、あらゆる法が
 ・・・・ ということを示す。
 だからこそ、この世の、現状なのであろう。

160 :

しかし、ある意味、人類の歴史を超え、あらゆる人類の
古代からの悲願がみえてしまい、
地球上のどんな地域に生じた宗教の経典も
一目で理解できてしまうようなことがその人におこるとしたら、
これは、当然だったかもしれない。

161 :

というわけだろうけど、
そんなに、深刻に、なる必要もないだろう。
彼も人なら我も人なり。
実は157のような本質は、それを1000倍に薄めたような現象なら
実は、誰でもが、すでに毎日、達成している、行われている
と、思われるのだ。

162 :

それは、何か?
それを知る前に、こんなことも知っておこう。
Let it be ・・・・  ビートルズという歌手集団(ははは。なんという
             訳だ。)が歌って世界的にヒットした曲の
             題名。彼等のインドの師の言葉?から承った
             言葉?
直訳すれば
それが、そうであるように、そのままに。
普遍的に訳すれば
あるがままに。

163 :

意訳では
「 放っておきなさい、」
「 手放し、 」 とかもアリかな?
偏意訳なら
「 俺に関係ねえ・・・そんなの俺に関係ねえ! 」

164 :

偏意訳のしゃれた言い回しなら、
「・・あっしには、係わり合いのないこって、ござんす。」
「 とかくこの世は無責任 」

というわけで、狂気じみたこの世をすごすには、
真面目すぎては、いけません。どこか、このように
 達観 した、いいかげん、なところが少しでもないと。
やってられません。生きることさえ、できません。

165 :

さて、それでは、
1000倍に薄めたような現象なら
実は、誰でもが、すでに毎日、達成している、行われている
と、思われるのだ。
とは、どんなことか?

166 :

誰でも、毎日、眠る。 1日8時間も。
ホンの少しでも、「 (意識の)手放し 」 が 行われなければ
人は、決して、眠りに入る ことは できない。
捨てるこころ が なければ 眠ることはできないのだ。
本当に、死ぬことが、心配だったら、眠ることはできない。

167 :

だが、通常、人は、眠らなければ、死んでしまう。
免疫能力も何もかも落ちて、傷ついた細胞などの修復もできず、
死んでしまう。
眠らなければ、意識も肉体も細胞も、疲労、劣化は、あっというまに、
いちじるしい。

168 :

このように、命が 関わることでは
生命が強制的に、「 手放し 」を 起こさせる。
自発的でも、意思的でもないかもしれないが、
人は 鉄棒にぶらさがった手の筋力に
たえられなくなったごとく、毎日、「手放し」が
起こり、意識を失い、眠りにつく。
そして、朝には、新鮮に蘇る。

169 :

1日でもいい。眠らず、試してみるといい。
眠らなかった場合の意識や肉体の劣化がどれ程のものか。
眠ることが、いかに重大かわかる。それが2,3日でも続いたらどうなるか?
人は眠ることによって、細胞も肉体も修復され、
次の朝、意識も、肉体も、新鮮になって、目覚める。
命が現実にかかることでは、誰でも、それも毎日、
小さな 「 手放し 」 が 行われている。

170 :

むろん、完全とはほど遠い「手放し、let it be 」だから
悪夢をみたり、願望の夢をみたりしての、眠りでは
あるだろう。 それでも朝には、さわやかに、なっている、
修復されている。神に逢ったごとく。

171 :

むろん、完全とはほど遠い「手放し、let it be 」だから
悪夢をみたり、願望の夢をみたりしての、眠りでは
あるだろう。 それでも朝には、さわやかに、なっている、
修復されている。神に逢ったごとく。
これを、2〜3日眠らなかった場合の疲労と劣化の状態と
比較してみれば、いい。
ここに一切のヒントが隠れていると、思わないだろうか?

172 :
これが 1000倍 だったら どういうことになるだろうか?

そういうわけ だから 人には 本来
信用する、ゆだねる、神のようなものを信じる、
という心が、どんな悪人にも、どんな無神論者にも、
ある、といえるかもしれない。
本人が、そういったことを、どんなに、
表面的な意識では、否定しようとも。
眠るときには 誰でも、毎日、
このことがおこなわれているからだ。


173 :
ちょっと旅行に行ってくるつもり。
そのあと、覚者と言われる存在について、考えてみようかね。
まあ、ろくなもんじゃない、と思うが。(笑)

174 :

旅行から帰ってきたが、疲れている。(ははは。本末転倒。)
さて、「覚者について」だった。
まず、はじめに、覚者も俗人もない、というような
見解は、話す以上、とらない。
話す以上、なんでもあり、という立場から。
1 カクシャとは、どんな状態にある人か?
2 カクシャの弱点とは、なにか?
とりあえず、いいかな?

175 :

では 1 から。
カクシャ自身がよく言う言葉に
「 人間は、眠っている。 」というのがある。
「 私は、目覚めた。私は目覚めた者である。目醒めよ。」
 とか。

では、眠っている精神、こころ、意識状態 とは なにか?
これは簡単に気づくと思う。

176 :

眠っている精神、こころ、意識状態 とは 
これは例えであって、例えではない。
実際、人間が眠っている時を考えてみれば
夢などをみていて、外界で、今、何が起きているのか
わからない状態がそうである。
これが、人間が眠っている時に
起こっている意識状態。
すると、これと似ている状態ということになる。

177 :

思考(夢)の中にいると、”他 ”がわからなくなる。
当たり前の話だが。
心配事があり、考え事などしながら
車の運転などしていると、
いつか、信号の見落とし、とか、するかもしれない。
眠って、運転しているようなものだ。
危険きわまりない。
(しかし、こんなことは、誰しものことで、・・)
すると、この世での人間関係というものは、
多く、衝突事故 のようなものかもしれん、
いろんな意味で。

178 :

また、目覚めているときは、
夢に入っていない、眠りにいない、という 人 は
意識が何かに所属していない、ということであるから
その人、目覚めた者、が、キリスト教、とか、仏教、
とか、イスラム教、とか、に所属しているということは、
ありえない、ということになるかもしれない。
残念ながら。
これは、直感的にうなずける。
すると、そういったところに所属している人は
すべて・・・・ という信じがたい結論 になる。
また、皆が、真剣に議論している会議に出席して
いる時も、(無責任にも)実は、その会議に
意識上は、所属していない、
ということ、になるかもしれない。
この世で止まっているものなどありえず
無常とは、言い換えれば、つねに新しい展開が
起きているのであり、これこそが
”他 ”である。

179 :

いわゆる" 目醒めている人 " というのは
つねにこの新しい展開、「 他 」 に、意識が
触れている人、ということになる。
はてさて、そんなことは、当たり前のことだが
それがどうした、というのだろうか?
夢に入って、外界がわからなくなって、無我夢中になり、
皆で会議に入って、口角泡をとばし、議論に熱中して、
時間のたつのも、外で、何が起きているのかも知らず、
生きる、それが大半の人の生であり、喜びであり、
・・・喜びだけであるなら、全く、問題なく、
意識しているなら、更によいではないか?
そう、そういった考えかたもあるね。
ここは、エクスタシーの 秘密、本質、というのが
抜けており、実はそういった人の、
いや、それは、あとだね。

180 :

ところで、今、書いてて気づいたんだけど、
目醒める、の 醒める、という漢字、酉へんに、星 と書く、
で、星という字が これまた、日 が 生まれる、
古代人は、かなり、なにか、知りやすかった、という印象をうける。
バーストラウマの少なさか、自然がまるで全然、壮大で、豊かすぎて、
美しく、人々の精神にかなり大きく影響を与えていたか・・
科学が発達し、機械が発達して、自然の造形を変えることができるよう
になり、化学が発達して、すぐれた農薬、化学肥料がつくれ、
野菜作物(WHOの調査では栄養は10分の1)は不自由なくなったが、
川の生物は農薬の流れ込みで死滅し、海の生物は巨大船で根こそぎ
(稚魚まで)という状況、おまけに子供は幼い頃からTVゲームで育って
精神がおかしく、・・いやし系とかの言葉がやけに氾濫する世相で、
いやはや、・・人間は壮大な自然に触れないと、ダメになってしまう
のでは?
近世の江戸時代の文献でさえ、調べて読んでみると、神田川でも
小魚の群れで、川の面が盛り上がるほどとあるし、とんぼなども、
ものすごい大群で飛来してたようだし、蛙なども、いたるところ、
一般住宅の庭などにも普通にいた、と、ある。排気ガスや工場煙と違い、
空のもようも、壮大な雲や夕日の成り立ちもまったく違っていたろう。


181 :

さて、なんだっけね。
カクシャがどんな状態の人で、目覚めよの反対の人、の話だった。
だが、まあ、(精神が)眠りっぱなしの人、というのも何だけど、
目覚めている、だけの人が、そんなに大層なことだろうか?
だいたい、カクシャなどという人達が、(精神意外で)人類に
この文明社会に、どんな、貢献が、あったというのか?
私は疑うのだが、カクシャは、なにもしない、
カクシャにまかせていたら、いまだに原始社会のままじゃ、あるまいか?
まあ、地球は汚れない、かもしれんが。
しかし、過酷な自然に対処できず、いまだに悲惨さはこのうえもなく、
これを、かなり救ったのは、科学であり科学者だ。
また、科学の限りない進歩のない人類の文明など考えることもできない。

182 :

これは、ー盲目の精神ーの状態は、科学文明の進歩と一緒で半永久に
人類の文明に続くことになることを意味するが、仕方のないことだろう。
科学の発見は、眠っている精神の人間によって発見される。
科学の発見の多くが、
科学者が本当は眠って夢をみているなかで、
夢のなかで、発見される。 その例は、きわめて多い。

183 :

それほど、夢中にならなければ、科学の発見などできないからだ。

184 :

ちょっと目が覚めてしまった。
アインシュタインだったか、科学のない宗教は盲目であり・・といったのは
これは、逆であるとも、言えることになる。
宗教のない科学は、盲目であり、科学のない宗教は、フグである、と。
それだから、科学によって、なにかをつくりあげたあと、
とんでもない事態に衝突する、ということになる。
これは、眠っている事態の特徴。


185 :

科学のない宗教は、自然の過酷さにたちうちできない、
されるがまま、あまりに、悲惨なことも起こってしまうだろう。
まるで、なんの行動も取れない生物になってしまうだろう。
気まぐれな天候による飢饉、地震、etc
これは無能の特徴。
let it be ( あるがままに。) などと言っている場合では、ない。

186 :

コンピュータ故障中。

187 :

分解して、直してみようとは、してみたんだが、あれだね、
これじゃあ、こわれて当たり前という構造してる。
基盤にusbのジャックをジカずけ、している。
これじゃあ、usbを接続するたびに少しずつ壊れてゆく。
おまけに、この基盤、なにかのコーテングがしてあるのか、
はんだ、が、つかない。

188 :

これじゃあ このパソコンは、処置なしだね。
いいかげんなつくり、だねえ。
やすものなんだけどね。

189 :

もう年末。 はやいものだ。
宗教板をながめてみたら、
神通、超能力について、理解しようとしている人達の思いが
目にとまった。 言えることは言ってみよう。

190 :

あるかないかといえば、あるだろう。
そもそも、生物の進化能力自体が、
時間的スパンは長いが、それに関与しているだろう。
生命体の進化能力は
決してでたらめな配列からでは数学的にもありえない。



191 :
来予知などもある種の人たちには、比較的簡単にできる。
それも、きわめて鮮明、正確に。
ある種の秘密を知っていれば。磨くこともできる。
ブラジルあたりだったか、そういった能力を発表している人がいたけれど
彼らはまだ、幼稚で、本物は決して、おもてにはでてこない。

192 :
>>191 文字間違い。 来予知なども=未来予知なども
そのうえ、そういう人はやがて、その力を封印してしまう。
なぜか?
意外であろうが、つまらないからだ。それが本当は一番の原因だ。
もともと、この世の成り立ちかたをある程度、知っている彼らは
そうでなくとも、怠慢になりやすい。


193 :

人生は短い。
超能力とか神通力とかは、確かにあるが、追うべきではない。
普通、世間に生きるには、そんな必要性は全くない。
もし、自分の身のまわりや、さきざきの展開を知るべきなら
最悪の事態の展開を予測してみればいい。
そんなものだから。あまい、うまいことなど、ない。
そんなふうに、みえるのは、最初だけで、必ず、元をとられる。

194 :

では、なぜ 最初だけ、そんなふうにみえるのがあるか、
といえば、これは、つり、fishing,の原理と思えばいい。
これは、案外、軽視できるものではなくて、
驚くことに、およそ、この世のたいがいのことに
およんでいる。 人々の営業の世界ばかりでなく、
不可思議の世界にさえ。

195 :
ずっと昔、思春期であったころ、
年老いた、不可思議の世界の超実力者を知っていたが、
その人が、正直に話してくれた言葉。
「自分は若い時からこの力があった。原因も理由も知るはずもない。
 この力を少しでも拡大するべく、人生すべての努力をしてきた。
 しかし、全く変わらなかった。 
 今、老いてふりかえって、この私ですら、こうです。」

196 :

大体、それを専門に追うと、そういうことに、なりがちだ。
だから、死に物狂いで、超能力、とか霊能力とか、を追う人生は、
やめたほうがいい。
とは、言っても、一の矢までは、受けてあげるぐらいに満ちた人でも
不可思議の力は、必要な時がくるものだ。 本当は秘めている。
だが、そういう人は

197 :

だが、そういう人は、たとえ、それらに対する重大なキーを
みいだしていた、としても、それを求めて、あげくのはてに得たのではない。
求めていたら、得られなかったろう。
しかも、自分の為に使う必要性など、人生に全くありえなかった、はずだ。

198 :

「自分の為に使う必要性など、人生に・・」とは何を意味しているかと
言うと
そういった性質を生まれつき共通してもっているということと、
必要がないほどに
それほどに準備されている人、準備して出現してきている人であり
そうでないと、むずかしいということを意味している。

199 :

当然ながら、そういった人は、自らの思考さえ、
自分、や、自分の物だとは、思えない、
非常になにか「遠い」「離れた」性質を持っているものだ。
だが、そういった人であれ、そういった人でなくとも、
案外、この世は平等なところもあり、
一失一得というものだ。
これは狂人になりにくい性質でもある。

200 :
[丶`∀´ ][200]

201 :

一失一得といえば、
その人が本当の人かどうか、知りたいのなら
その人が得ているものではなく、
その人が何を失っているか、に注意するといい。
もし、その人が巨大な、絶対的に大切なものを失っているとしたら
得ているものは本当だ。 これは間違いのない、みるひとつの基準だ。
この世では、どういうわけか、

202 :

また ある人の能力ではなく
ある人が どんな人か 知りたいのなら
その人が なにができるか ではなく
その人が なにができないか に注意を払って
みることがひけつだ。
そこに その人の絶対的本質があらわれる。
人と接することにおいて、これは、きわめて大事なことである。
人生がを大切なら、幸福でありたいなら、
別な意味での優れた人との出会いは 
絶対的決定的に、とても大事なことである。

203 :
この世はまあ、とんでもないところではあるからね。
できるかぎり愛ある人と接していないと
意識が変な方向にゆがんでしまう可能性大だ。
職場でだって、こいつだけは許せんなどという人間にであうことになって
殺してもあきたらん、などという人間が(自分にとって)いくらでも
できてしまうだろう。(笑)

204 :
そもそもみどころのある人は もともと
正義感が異常なほど強かったりするので
なによりこういった注意が大事だ。
それにそういった人でないと、
めざすところは無理ではないかね。
すべての世界が自分の意識の写しえ 
という別角度が一致してくるようになると。

205 :
大体、とても皮肉なことなんだが
真理に近ずける人というのは
この世ーというか人間一般社会の通念の織り成すこの世ーとは
相性がよくない。
善も悪もない、なんて考え方は、聞いたところで、受け入れるはずもない。
そんな心根の者が真理に近ずけるなどありえない。

206 :
また、皮肉なことに、それを決して自ら許さないような人でなければ
真理に到達することなど、ありえない。
従って、こういった人ほど、もし守られていなければ、
この世では間違いを起こしてしまう可能性が高い。
到達するほどであるならば信じがたいほどの
激しさも、生来持っているであろうから。
つまり、皮肉なことに、両刃のつるぎだ。


207 :

たとえば、イエス。
相当、気性が激しい。
「生ぬるい」とか「この世が燃えていたら」とか、
あげくは、「 剣を投げ込むためにきた 」とか。
神殿では暴れるし。(笑)
映画「ベン・ハー」では「 安らぎにみちたお顔 」などと
表現しているが、小説家など何を言っているやら、適当なことを。

208 :
大体、悟りをえるような人でさえ、本質的には
似たようなものだ。
彼等の以後の演技にだまされてはいかん。(笑)
「俺の目をみろ、何にも言うな」という演歌の歌があったが
描かれた達磨の目とかラジニーシの目とかみれば
一目瞭然というものだ。
こういった人達は生来、振動する火のような気性、を持っているのが多い。
決して自分にも、不正義を許すことのできるような人間ではない。

209 :

そういった、その人の生来持っている気性というのは
ふだんは、まったくわからないかもしれない。
その人が大怪我などした瞬間、それらが別人のごとく
立ち上がる、ということがある。

210 :
この世は、石が流れて木の葉が沈むということも起こる世界だから
できるかぎり、あたまにきたり、悩んだり、人間の嫌な部分に接したり
が起こる世俗には、開く以前には、触れ合わないほうがいい。
で、そのように(準備されて)生まれてきている人は、いいのだが、
そうでない人は、特別な知恵が必要だ。影響を受けないために。
この面では決して軽視してはいけない。でないと、人生というのは
思うより短いものだから、馬鹿なことに、怒ったり、関わっているうちに
何もできぬまま、終わってしまう。
従って、そういった知恵が、第一に重要だ。
ある意味、悟りや真理などより重要である。


211 :

ところで、神とか真理とか、人間が偶然、触れて、驚嘆の思いでそのように
しか表現できず、再び、その栄光の谷への道をみいだそうとするとき、
神とか真理とか、表現される現象と あいいれぬ、あるいは
正反対の事象、現象とは何だろうか?
それは、皮肉なことに、 知識  だ。

212 :

たまに、あげとく。たまに雨がふるのも自然だ。

213 :

なぜ 皮肉かといえば、
人間が求めるとき、知識 の道を とおらざるえない、からだ。
ところがこれこそが、西に行こうとして
東に行ってしまう、ようなこと、なのだ。

214 :
>>84-85
偽善宗教ありがとう教R。生長だけは絶対に許さない。絶対にだ。

215 :
2月は本当に忙しい。
思いついたんだが、
一度プロポーズを断られても、何度もプロポーズする異性って
(まあ、こんなのは男性しかいるまいが)
女性からすれば、「そこまで本気に」と思って悪い気がしないかもしれんが

216 :
しかし・・そういう人間は 「要注意」 かもしれん。
権力の世界でなら、本当に興味がなく、辞退しても
「一度辞退してみせたにすぎぬ。本当は狙っているに違いない」などと
考える人間でありうる。 すると注意しないと無実の罪を着せられかねない。


217 :
書けるときに書いておこう。思うままに。
「悟り」というものは「存在しない」という人もいる。
あると伝える伝統もある。 混乱するかもしれない。
これは簡単だ。自我からみれば、決してみえず、ない。
目が自分の目を見ようとするようなものだ。
TVカメラがぐるっと回って自分自身のTVカメラを映そうとするようなものだ。

218 :

TVカメラがぐるっと回ってTVカメラ自身を・・と言ったって
やろうったって、現実にそんな馬鹿なことはできない。
状況がわかる、ね?
ところが、人間は、同じことをやろうとするのだ。みいだそうとして。
修行とか座禅とか神への探求とか。

219 :

というより、知らないのだからそうならざるえない。
だから、これは、TVカメラがぐるっと、と同じく、
ぐるぐる、まわるだけになる。
本質的には
TVカメラがぐるっと回ってTVカメラ自身を・・と同じこと。

220 :

自我をとうして、世界中をさがしても
決して、みつけだせない。だから、ない、と彼等は結論する。
だが、。人間には、なにかのはずみで、偶然で、ときおり
自我がたちそびれて起動してしまう、ということが起こりうる。
そうなると、古代から「 ギルガメシュ王 」のように、
驚愕し、神と真理の旅へ、ということになる。

221 :
これは実に多くの人類に起こってきた。
だから、宗教は決して無くならなかったし、今後もそうだろう。
ところで、自我をウインドウズソフトに例えるとしたら
ウインドウズソフト(自我)が立ちそびれても
起動してしまうことが、起こる、という事実が
何を意味しているか?

222 :

ここに、「 真我 」という考えが誕生する余地がある。
一般的に仏教や禅の人達にとっては、
真我ということはかかわらないことだろうけれど。

223 :

そもそも、「 生命 」というものは、生殖(sex)行為に
関連づけて、つまり、生命を繁殖させるために
エクスタシーを与えておいたり、という事実をみても
生命の設計は、極めて、「 意図的 」、である。

224 :

しかも、「 生命 」は 「 エクスタシー 」の
 「 秘密 」を、完璧に知っている。
忘我の極大値にも簡単に、できる。
それだから生殖(sex)行為に関連づけて、
「 設計 」が、できるわけであるから。
これはすばらしいことだ。
「 生命 」とは何者なのか?

225 :

生命 は
この宇宙のなかで、ほとんどのことを知っているのだ。
もちろん、ビックバン、や、インフレーションまでも。
宇宙創世時のそれらも完璧に知っている。
「 生命 」は、それらの記憶も完璧に持っていて
生命、自らの設計、に組み込んでいる。
これは、いったい、何者なのか?

226 :

ヨガを知る者は
(エネルギーの通る線をつうじて)
人間の体の内部には植物と同じ「 基礎構造原型 」がみられるのに
驚くだろう。

227 :

つまり、明らかに人間も植物も同一のものから
派生している。驚くことに、人間(動物)と植物さえ、
「 本当に 」同じ生き物であることを実感するとき、
驚嘆せざるをえない。
これを知れば、その人の世界観、生命感、慈悲感、一体感、
など、真に、考えが変わってしまうだろう。

228 :

私達は、100年もしないうちに、誰でも、死ぬ。
そして、言う。「 神はいない、。 」
だが、生命は、何億年も、姿を変え、形を変え、能力を変え、
この地球に、存続しつづけてきた。

229 :
長い規制だね。
書けるかな?

230 :
おお 書けた。これは貴重。珍しい。最近では。
どうなってしまったのかね。2chは。


231 :
3月4月は本当に忙しい。
要するに、生命が神だ、と
いうことかな?
毛虫が蝶になって、空に舞い上がる、
これを、人類がやったら、まさに本物の魔法だ、と。

それを生命体は、本当に現実化していると。
人間に魔法という、あるいは超能力、神通という考えが生じるのは
無意識にも、それを知っているからだと。

232 :
1  宗教には どんなものがあるか?
 
  1 神とか真理とかを 探究することを目的とすること。
    それのみ。

233 :
2 神仏とかの概念を信じて人々が集まりを
    持つこと。形を変えた政党、国家、のようなもの
    かな? 「 お互い、これで無事をはかろうぜ 」
    というようなものかな?

234 :
現代の巨大宗教は、すべて、この範疇にはいる。
    キリスト教、イスラム教、・・
    こういうことに魅かれる人、必要とする人も
    確かにいる、のだ。確かに、これも宗教であろう。


235 :
3 現世利益をかなえる、ことができる宗教。
    奇跡を起こしうる、宗教。
    新興宗教に多いかな? また、どんな宗教も
    始めは新興宗教であろうから、この範疇にはいる。

236 :
    いわば、ひとつの、宗教の原点
    キリスト教も、真言密教も、出発点は、ここであったろう。
    これも、切実に必要とする人々が、いる。

237 :
4 伝統を守って、いるだけの宗教。また、その末端。
    もう何百年も前に、真の活動は終わってしまった
    という宗教伝統組織。比叡山、などをあてはめたら
    違うかな? 
    逆に、とても存在価値があります。

238 :
    過去のすぐれた、人的歴史、その人たちの発見、無名に去った
    才ある人達の個性的他角度からの発見手法や断片のはしばし、
    残り香、真?の経典の保存があることなど。

239 :
    比類なき存在価値ともいえる。世界中の音楽が、ただ一人の超天才によって、
    つくられ続けていたら、やはり豊かとはいえません。文化の保存組織としても、
    ありがたいことである。これは、新しい、見抜く力を持った人を
    待っている為だけにあるとしても、とても重要とおもわれる。

240 :

だいたい、今、現代、地球上で、宗教、あるいは宗教組織、という名で
  よばれているものは 上の4つに分類される、と言えるでしょう。

241 :

今日、実に、不思議な植物をみた。
一つ、一つの葉っぱに毛虫がいる。
だから、毛虫のかずは、とても多い。
さくらんぼのような実もつけている。

242 :

オヤ? 近づいてよくみると、
毛虫とみえたものは、葉の一部が変形したものであり、
つくりかけの毛虫? を葉の裏側からみると
立体的に、裏側からは、毛虫の型、のようにへこんでいる。
(完成した葉ー毛虫?付きーは裏側も葉の一部で閉じてしまう。)

243 :

しかも、である。
葉の端にできた、この毛虫?の部分だけ、葉の色(緑色)と違うように
薄い赤色で完成されている!。 どの葉っぱも。(笑ってしまう。)
なんという驚異!!。明らかに、これはこの植物が、意図して
つくりだしている、のだ。

244 :

この植物は、動物のような「 目 」を持っていないのに、
どうして、毛虫の姿、形、色、が、わかったのか?
生命体には、目 以外にも、そういったものを認識する別の器官、
能力があるのか?ということになる。

245 :
まったく、生物というのは、ほんとに、まだまだ、
えたいのしれん所があるね。
ところで、全く、話は違うが、もし、自分が西洋に生まれていたら、
キリスト教とか、信じていたろうか?
こんな、想像をホントにしてみることも、楽しいね。
いやいや、やっぱり、なあ・・あんまりだから、ね
あれを信じられる人というのは、横着なのか?

246 :
? 変だね。これは、書けているのかね?

247 :
2chは、おもしろい。いろんな考えがみれるから。
人間は、実に奇妙だ。
この人は天才の一種ではないか?と思えるような人でも、
知らずに、思考で、結論を出す、その人の断定、結論づけ、をみると、
あまりの、愚、あまりの、間違い、あまりの無知、に
笑い、をとうりこして、悲しみ、れんびん、不条理?・・
たった一つ、の事実を知らないだけで、
これほどの、ことになる。 思考で追うのはやめたがよい。

248 :
思考は、実に、奇妙だ。論理は、こっけいなほど、おかしな結論にも
なる。
2chの宗教板は、そういった事実をたくさん、みれる。
急ぐのが、いけない、のもあろう。
一般の、普通の、あるいは天才?、の人達にとって、
思考や論理が、あらゆる探索や模索の、道具や武器にならない以上、
運のよさ、こそが、決定的に大事なもの、となるだろう。
こころがけ、かな?

249 :
運のよさ、かな なんて言われたってどうしようも
ない。
すでに決まってしまっている、といってもねえ。
しかし、やむにやまれず
そこに割り込もう、というなら、たとえ方策があっても、
反動はきつい、ものと思わねばならない。

250 :

ちょっと とおります。

251 :

ちょっと とうります。

252 :

うん? この板壊れてるね。順位があがらない。

253 :

あれ? なおったのかな?

254 :
神はいるか?とかの疑問は人類のいつものことだ。
「神は いる」と思われても、「神は存在しない」と思われても
神の負け、というのがこの世界のルール。
神は負けるわけがないので、
人類は決して、知ることはない。

255 :

イエス様 だって確知していたか?
土壇場の事象になって ? と思いやしなかったか?
いっしゅんでも?
まして、人類は、ね。

256 :

神は愛なり・・・正しい、だろうね。間違っていない。
        イエスかあ。 キリスト教だね。
仏陀は、「愛」を重要視していないようだ。
 というより、むしろ苦しみにつながるものと、みている?
このへんのところ、真剣に考える人は、通らざるえない。
私見では、仏陀のほうが、大人のように思えるが。
別に正誤の結論を言ってるわけでは ない。

257 :

もっとも、仏陀は、神を、あてにしてはいない、ようだが。
  ( うん、この言い方が、ぴったりかも。)
だから、イエスがこう言うとき、仏陀が生きていてそれを聞いたら、
うすく、ほほえましく、笑ったかもと思わせるかのようだ。

258 :
イエスも正しく、仏陀も正しい、ならば
256と257 からは 次の結論になる。
愛の道は神を味わいうる高速道路のようにもなりうるが
苦しみ にも なる。
現実、神を信仰している国家、というのは、戦争だとか、
テロ、だとか、そんなこと ばっかり、だ。 偶然では、ない。
これは、個人にも、起こる。

259 :
  
神を信仰して、さあ 戦争だ! 
神を信仰すれば、どうしたって、裁き、が起こる。
神という、虎の威、
神という、正しさ、美しさ、
どんなに寛容を装っても、”裁き” の意識は、つき従う。
しかり、その人は、裁く。(イエスは違うよ。)

260 :
愛・・神・・裁き・・戦争
これらは、どこかで、つながっている。必然的に、戦争に、ゆきつく。
戦争にゆきつかない ためには、777回許さなければならない。
人々に、家を土地を、だましとられても、許し、あげなくては、ならない。
子息、愛する人を殺され略奪されても、許し、和解しなければならない。

261 :

可能だろうか?     そんなことは、起こらない、と思うだろうか?
必ず、起こる、と、断言してくれる人が どこかにいるだろうか?

262 :
イエスなら そうなっても
裁かないし、戦争にも、至らない でしょう。
777回、以上許すということだし、
 ・・実際、はりつけになって、死んでしまった!

263 :
自分をはりつけにした人々を許したうえ、
神に
「 父よ、彼らを許したまえ、知らないのですから」
と最後の祈りをあげさえした。
こういうひとばっかりなら、裁判所も警察も
弁護士も民法も憲法も、人間社会に、いらないが。
現実の人間社会にこれを適応は、ね。無理です。

264 :
イエスは生まれるのが早かったんだね。
現在からあと500年くらい人類が続いたら
どうだろ、人類の人間性や社会が変わっているかねえ。
いやあ、何百年も変わらなかったことをみると・・

265 :
仏陀は、愛とか神、とかの概念が
どこかで、争いや戦争につながっているということに
気づいてたんじゃないかね。
たとえ、国家愛という愛でさえね。まわりの狂信者を
みているはず。
王子の生まれだったからね。

266 :

人びとは考えてみたこともないかもしれないが
仏陀がBUDDAなどという名称を使ったのは
それゆえに
単に、神という概念を避けさせるためだったのでは
ないか?

267 :

これは、人類史上、非常に大きなことで、
「革命的」なこと、だったのでは
あるまいか?
それまでは、真理の爆発、解放、神の味、光明、稲妻、
の秘密を解いた者は、神という概念を
安直にも、持ち出し使用した。

268 :

おそらく、仏陀が初めてでは、ないだろうか?
神という概念を避けて、道を示したのは。

269 :
創価R 
創価R
創価R
創価R
創価R 
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R
創価R 
創価R
創価R
創価R 
創価R
創価R

270 :
てす

271 :
仏陀がブッタなどという名称を用いだしたのは
過去の遺物、そして当時の社会を毒している
神という概念、その組織(カースト)の社会腐敗構造、
そして神という概念がもたらすゆくすえの危険性、
それらを避けるため、そういうことだったとも思われる。
これは、これらを、みいだした者達としては
めずらしい行為だったと思われる。

272 :
真理、真実 を 見抜き得た人は
それを 人々に 話すことはない。
逆に言えば、話す人は全くのところ・・
それは まったく確実なことだ。
なぜなら 誤解されることがわかりきっているからだ。
誤解されることが 完全にわかっているとき
「話すこと」は 「話すことにならない。」
だから できるかぎり自分でみいださなくては
ならない。こんなことは基本姿勢だろうと思う。

273 :
心構えとしては
たとえ「方法論は全く、役にはたたない、」
という真実を教えられても
あるいは自ら知っても、
それで何もしない のではどうにもならない。
やってみること、やってみつづけること、
そうでなければ、ついにイソップの酸っぱいぶどう人間になるだけのこと。
そんな人達ばかりになる。
「やくにたたない」ことなどありえない。

274 :
とは言っても、
自分には向いてないと思ったり
何かおかしい と思ったら
やめたほうがいい。
人生を楽しくすごしていくほうが大事だからね。

275 :
向いていない人がひそかにまねをして
本当に、おかしくなってしまう例も
ある。座禅などでも向いてない人にとっては
本当に精神に危険なことにもなりうる。
知らない人が思う以上に。

276 :
そういったことに向いてない人は
それなら なにか人に知られない世界でやりかたで、
誰かを喜ばすようなことを やっていったらよい結果がでるだろう。
人生の、ことあるごとに。できれば誰にも知られずに。
そういった人は、その人の過去に欠けていたのは、それだから。

277 :
真言密教で言うところの大日如来の前身は
「他人の喜びを(吸い取って?)
 自分の喜びとすることができる魔王?」だったとか言う。
誰が言い出したんだかは知らないが
これはおもしろい言い方だ。

278 :
なぜなら
「本当は」、誰でも、どんな平凡な人でも
このとうりだから。吸い取る?必要すら ない。
魔王の特殊能力などでは、ない。
自分が他者を喜ばしたとき、人は真に、喜びを得る。
深い、精妙な意識の領域では、世界は あなた とも表現できる。

279 :
もう きづいたかも しれぬが
仏法とは
(別に仏法だけに限らないけれども)
忘れる技術だ とも いいうる。
この表現はひどいかもしれない。
徹底的に、。

280 :
「忘れる」という意味の
別の意味の次元で言えば
まあ たしかに 忘れてしまえば
不幸も、悲しみも、糞もないわな、という
実もふたもない側面もあるが、

281 :
,
しかし、それらの次元とは
全く別に、
「忘れなければ」、
「現象を 知識化 せず、」に、いなければ、
決して越えられない壁、
という世界があり、それは

282 :
,
人生において、修行において、
たった一度 しか 起こりえないという壁
というたちふさがるものとなる。
しかも なんと そこが 中心、問題の核心。

283 :
.
(うん? 何のことを言っているのか、わからぬ人も
 いるね? 気づかずに言ってしまった。)
知ってしまったこと、を どうして
忘れ「得」ようか?
(この精妙な表現、いいね? )
.

284 :
.
「 無関心 」 でも いいが
 「知識化したもの」の、解放は、そう容易くは ない。
 後で詳しく述べたいが、知識化 は
 エネルギーの物質化 に 似て
 莫大なエネルギー を 内臓している。
.

285 :
.
それだから
生 と 死 の 流転 などが 意味を持ってくる。
一般には 生と死 の断絶 でしか
この ほとんど完全な記憶の忘却、知識の喪失は
起こりえない からだ。
                              .

286 :
.
(この部分は
 仏陀の金星とか、空海の愚問時とか、知ってる人のほうが理解しやすい。)
「 不識、知らない人であれ 」とは、このこと。
                            .

287 :
.
現実には、人間は
この人生で
知識、記憶、の機能が、災いとなって
(あの野郎、絶対許せん、とかで)
狂人になったり しているように、みうけられる。

288 :
.
(関係ないように思えようが、)
知識、記憶、の根本的性質の振る舞いが 精神、心、の災い
の悪化の道具、言い訳、引き金とも、なる。
.

289 :
みなさんに診断してもらいしょう。

290 :
p
そして 知識化の断片の数々が、ブラックホールのように
寄り集まり、集積して、(そう、知識、記憶、は物質のようである。)
意識のブラックホールのように、成長し、(その場合の重力に相当するものは?)
心は、そこから「 脱出 」できなくなる。(= 狂人 )
とらわれてしまう。
狂った猿、の1つの悲劇。

291 :
p
(すべて知識化して生きてあらざるえない人類、は
 それゆえ、いつなんどきでも、すべて狂人でも、ありうる。)
(狂人を研究することは、人間を知るうえで非常に参考になるだろう。)
ブラックホールからは 光さえ、脱出できない。
同様に、病理上の本当の狂人が、狂気の世界から脱出することは
 (ブラックホールから 光が脱出すると同程度に)
 ほとんど不可能であり、簡単なことではない。

292 :
p
人は 知識の持つ重力(=欲望)に、「 抗しがたく 」、引っ張られる。
(意識の成り立ちと宇宙の成り立ちはとても似ている。)
この世の人間の集まりでは、
それはもう実際、
ひどいことが 起こるものではある。

293 :
p
だから、それ(人間の狂人化)は無理ないこと、なんだが、
それとは別に、知識、記憶、の作用が 災いしている
ことも事実。
いってみれば、知識化は、人を、エクスタシーから
反転、遠去けている。そうでなければ 存在は
エクスタシーの海の 断崖 に立ってるようなもの。

294 :
p
確かに、これは ーこの点に関してだけはー
神の創った世界とも、言える思えるだろう。
「 あなたは、この点に関してだけは、本当は、
 そう、感じ思いませんか? 」と たずねたなら、

295 :
p
表向きは」神を話題にしない仏陀でさえ、
密かに同意するほどのものだ。ラーママーガリンであれ、
くりしゅな爺であれ、らじひがーしであれ、
それは 同じだ。それは、それほどであり、
それ以外にはありえない、無条件な善意を感じる。

296 :
p
つまり 「 私 」 が 落ちれば エクスタシー の 海 が
あるばかり だ。

297 :
p
とはいえ
釈迦仏陀は あまりに 厭世感が強いという
伝説になっているのではないか?
(彼の対機説法ぶりをみると
 そんな感じではないが。)

298 :
p
釈迦仏陀 は 解脱 を 目的としたということに
なっている。
ということは、この生、この世、この世界を
厭った、嫌った、ということ か?

299 :
p
それならば、この世界から 離れることはできなくなる。
なぜなら、嫌う ということは 関係性が切れず
「 続く 」ことに なるからだ。
愛 すれば 「 断 」が おこる。

300 :
p
意外に思うかもしれないが
憎しみ、とか 嫌悪 とか を持つと
いつまでも 「続く」という現象に 引き継がれる。
愛 が起こると お終いだ。「 断 」が おこる。

301 :
p
愛 が起こると 業(カルマ)の停止、「関係性の断」が
起こる。しかし, 永遠性を帯びる。
逆に言えば、 断 を 決心せざるを 得ないとき・・もまた
人は 真の愛 が 起こる、目覚める現象、が 起こる。

302 :
q
「神は 愛なり」と言ったというイエスは
この法則の現実に 即している。 若くて、性急で、かざりもない、・・
ただ 「愛」は 断 を 起こす力があるが 注意しないと
とんでもないひどい事態にもなる。
それが多くの人に起こっていることだ。

303 :
q
なんでもかんでも、愛があれば大丈夫と思い込むのは
人間の一種の潜在意識的迷信や錯覚であり、
むしろ、そうはならない。
愛 を恐喝に使うような人間とて、実際にいる。
(というより、ほとんどの人間が そういうカルマになりがち。)

304 :
r
空海は、すばらしい天才であることは異論がないと思う。
しかし、そんな 空海でさえ 若いときゆきづまり
「この身が法(仏法)に値しないならくだけよ!」と
崖から 飛んだと 伝わっている。
神仏からすれば これは 脅迫である。(笑)    

305 :
r
空海のような天才でさえ神仏からみれば 若いとき、神仏に対し愛を試し
脅迫的行為をなしたといえる。(笑)
そういうものなのだから ほとんどの人間が 誰でもが
(その人が弱れば) そうなりうると思ったほうが いい。
このことは 決して 軽視しないほうがいい。

306 :
r
思ってもみないことだろうが
あなたが愛に生きれば あなたの愛する人は あなたに脅迫行為をはたらくようになる。
けっして軽視できない恐ろしい現実(笑えるか?)である。
自然は過酷厳格で 
このまえNHKでぺんぎんの生態をみたのだが

307 :
r
ある時期までは ぺんぎんの親は
子供にえさを運んだりたいへんだ。
人間の行動でいえば愛情といえるのだろうか。
人間はそこに愛という観念をみる。
(ペンギンは 本能というプログラムでやっているだけのことかもしれぬ。
  だがまあ、子持ちの熊など怒らせたら、大変なことになるだろうから
  それだけともいえないだろう。)

308 :
r
ところが ペンギンの親は きっかり、ある時期がすぎると
突然、えさを運ぶのをやめ 離れる、故意に 距離をとって
見守り、自立させようと 距離を取り続ける。
つまり、動物は こういうことだ、こうしなければ
だめになってしまうということであろう?
動物は、自然に成長して自立するなどということは
ない、ということだ。

309 :
r
それまでよかった行動(せっせとひなにえさをはこぶ)
は、ある時期、条件をすぎると
害になる ということであり
むろん、そのあと、距離を取り続けるというのもまた
自然の中の真の愛的な行動であるということも 言えるのでは
あるが、人間が愛という観念で行動を考えてしまうと
ぺんぎんの親のような行動はとれず、
(ーなぜならそれは、残酷でもあり、ちょっとの外的要因の
  事故でも相手を死なせてしまう可能性とてあるー)
脅迫の結果を招く ことになる。

310 :
r
思うに 例えば 一般人でも、スターの人などは
愛する人に 脅迫されている現象というのは
現実には (表面にでないだけで)
とても多いのではあるまいか?
それが、親子関係であれ、恋人関係であれ、。
「来てくれなければ 死にます、
 とか
 いうことを聞いてくれなければ 
 結果的に 死にいたる行動を
 取り続けます。とかで 」

311 :
r
キリスト教の人でも、次のようには みえないだろうか?
イエスの弟子だったユダ は
イエスが 神は愛なり というので
脅迫に使って イエスを 試し続けたのだ とは?
「 これほどのことをしても、(イエスは)愛を
持ち続けえるか? 」 と。
たぶん ユダは現実的すぎる男で
神は愛などというイエスを
(普通の人とは全くちがうその力は十分認めてはいたからこそ)
本当に信じることは できなかったのだ。

312 :
r
だからこそ、ユダは 自殺した。
イエスは ただ事態を受け入れるだけで
なにもしなかった、ユダに対しても変わらず、
ただ、受け容れてしまい、まさかとおもう
(ユダにとって)とんでもないことに
なってしまったということか。
加えて、イエスに対して、殺人を賭けた実験?
イエスが奇跡の力でなんとかするのを
みたいという?
(これは古代からこういう人には、よく起こってきた。)

313 :
r
(インド古代神話のクリシュナ神?しかり。)
これは あなたが到達なき到達を伝説をじかに
かなえてしまっても、たとえあなたが
なにも宣言しなくとも、今までとは違うとんでもない
おおごとの困難が、肉親や兄弟、身近な人、知人、によって
もたらされることが予測される。それも 止むことなく。
まるで提婆達多があらわれたかのように。
(それも 止むことなく、)といったところが恐ろしい(笑)ところだ。
本当の世界がふれると、
人間のなかに、すさまじい嫉妬が巻き起こされる。

314 :
r
(ふだんは、人々に、人間世界にそんなことがあるなんて
  全く みえないんだけどね。つまりは
 人間は全く、嘘の関係の中に生きている ということか?)
鼻毛を切らず、長く伸ばして、笑っていても、
とんでもないことを、機会あるごとに、設定、構築、されるだろう。
あなたは 何も言わずいても、大勢の人の前で、辱しめを
受けるように、”設定 ”されるだろう。
自然に、より静かな感覚にならざるえないだろうね。

315 :
r
また、例えば 達磨が 人を相手にせず
座っていたとき
自分の腕を切って 達磨にさしだし
達磨にふりむかせ
達磨の弟子にしてもらった男がいる
ということだが、(達磨の跡継ぎ?)
これだって 「 手段は脅迫(笑)」
であろう?
「してくれなければ 手首切ります、」
という女の子と一緒じゃないか!(笑)

316 :
よくわかりません。

317 :
r
このように
愛というものは 人間にあっては
逆手に使われる結果をも、もたらす。

これはほぼ必然的に起こることであり、
愛する相手が
恋人、師弟、であろうと
兄弟姉妹、肉親、親子、であろうと 
必然的に、起こる。

318 :
r
だから 神の愛だろうが、人間愛だろうが 性愛だろうが
親子愛だろうが、友愛だろうが
そこは言わず、愛を苦の一つとした釈迦仏陀も 別な意味で
全く正しい と言えるだろう。
(私には仏陀のほうが大人で・・のように
 思える。イエスより。)
神は愛である、それは正しく、
また、そのようにしか、生き得ないのなら
人は、せめて 決して 愛していることを 
表面にだしてはいけない、さとられては
いけない。

319 :
r
ー決して、神が表面にはあらわれず、
 その存在を、さとられることはないかのように。ー
秘められた愛は、真実であり、美しい。
愛は 人間にとって
もっとも大きな問題であるから
(ー核分裂や核融合の知識を十分に知るかのように、それほど慎重にー)
(−愛は実際、意識の世界で、そのような作用のものなのだからー)
愛について、十全に知っておかなくてはならない。
人間は 苦しみの大部分は この問題に からんで苦しむ。

320 :
r
釈迦仏陀は 最晩年 最後の 旅で
「 命は甘美だ この世は うつくしい 」
と言った という。
これは、(愛する人の言葉)だ。
これは 釈迦仏陀の それまでの人生の言葉とは
全く 違う言動であり 仏教者や研究家を
悩ませるだろう。
だが これでこそ 断 が起こるのであり、
こちらのほうが 法則的には 真実である。

321 :
r
ヘルマンヘッセの疑問のように, 釈迦仏陀の一生の言動や行動は
多くの人にわからない謎の部分もあるだろう。

釈迦仏陀は、その宗教的基盤の豊かさや,(つまり「古代から狂気じみて
数学と宗教ばかりに 特化探究した文明流域世界」に生まれ)
生物としての物質的生活の環境にも恵まれて成長し、
人間としての意識的にも成熟しており、それゆえ
(必ずしも、子供に対して大人が 精神的に裸ではないように)
彼の対機説法などをみても そもそも対機説法といった考え自体、
オープンハンドではない。
それゆえ 多くの人にわからない謎の部分も, あるのだろう。

322 :
かけるかな?
規制がすごい。
月に2日くらいしか?

323 :
何か、役に立つこと、書くべきだろうね。
例えば、さとりとか真理、解放、という奥義に関しては
方法論が 全く、全滅的に通用しないというのが結果的には正しいけれど、
しかし、実は、抜け道があり、一度だけ開くなら、いろんな方法がある。
本当の人は、いかなる経典も信じず、ましていかなる2chのような言も人も
信じず、ただただ方法を求め、さまざまな過程で、自ら発見する。
そして、なぜ、各方法が一度なのかの秘密を解いて、真に発見する。

324 :
だから 師で「方法がない」ということばかり
言っている人は さけたほうがいい。
そういった人は、伝説の人の言葉をきいただけの人、で
くりかえしているだけです。
インドの人でラジニーシという人がいて、
世界的に精神世界に影響を与えた人だが、
(犯罪者というレッテルも貼られたほど手段を選ばぬ人で、
日本では道元などをコケにしたので、曹洞宗の人は敵にします。
クリシュナムルティはライバルなのか、彼を犯罪者よばわり、
敵の多い人でした。味方も多いでしょう。)
彼の示す"ダイナミック瞑想法" というものもこういった「 方法 」
の一つ。彼だと他に10法位は開発しているでしょう。
クリ主より親切だと思わないだろうか?(微笑)

325 :
人によって肉体的にも精神的にも個性がすでにあり
世界には、肉体的特質として、オリンピック金の人もいれば
精神的特質として、精神の病に侵されている人もいて
人は誰でも、同じことをすれば、同じにゆきつけるということ
ではない、それは 理解されることだと思えるが。
それゆえ、すぐれた本当の人、師だと
自分の通って来た道でもあり、必ず、そういった「 法 」
を、本来、もっているし、人の障害となっている個性にあわせて
開発もできる。(自分のためだけなら必要無いし、忘れて
しまっているでしょうけれど。)

326 :
昔から、インドでも、只管打坐、とか 放っておけ(あるがまま=let it be)
とか 手をつけず、とか(全部、同じ意味です。)の教えは
ありますが、あとあとまでみれば、あまり役には たたないでしょう。
停滞が、洗脳のように なるだけに、思えます。 
ただ 問題は、それ以上の教えを伝えることのできる、いわば
実際に火を移すことのできる人に対しては
よほど運の恵まれた(徳)人しか
出会えないでしょうから、これまた皮肉なことに・・なる。

327 :
だから、自分だけを、
なんとか、たよりとするほか、ありません。
これは だれでも 同じです。
たとえ天才的な知性を持っていても、運が悪くては
どうにもなりません。人に優しく、助けることを
こころがけること。
自分なりに、できる限りのことをして
なおかつ、あきらめたとき あるいは のぞみすらないほど
美しく満ちて、全くおもいもしないとき
訪れが むこうから 全体的に、やってくるでしょう。
あなたのほうから、つかみにゆくことは 
できませんが、(訪れられる為に、)
あなたに、できることは、あります。

328 :
こういった「 法 」の 共通点の一つは
自我(とくに無意識に潜む「私」)が
疲れてしまう方法である、ということがポイントです。
まるで 精神界のランナーズ・ハイのようですね。
この自我は意外なことに、大騒ぎするわりには、
疲労すると、簡単に休んでしまう。(笑)

329 :
自我は「私が、私が、」と言いますが
意外にも、「 無責任 」(微笑)です。
そのうえ、たまに自我に休んでもらったほうが
全世界がフレッシュ化するんです。
(もはや、「どうでもいいや」と述べる
  その存在こそが 根こそぎに、です。(笑))
これは、一般現象でもそうでしょう?
活動して、
眠ってこそ、目覚め、リフレッシュ化 するでしょう。

330 :2013/10/21
【署名のお願い】
カリフォルニアで韓国人が慰安婦を教科書に載せようと運動をして­­おり、疑問に思った現地の方々が署名運動をして下さっています­。­皆さまもご協力をお願いします。
慰安婦の多くは個人的な契約でした。頻繁に変わる女性の証言はフ­­゚ロパガンダの為に作られたものです。文書から国や軍が­強­制したと示すものはなく、米軍のレポートからも
判る通り性­奴隷­は事実無根です。米国の歴史教科書に嘘の情報を載せるべき­ではあ­りません。
【氏名・メアドを記入、国名を選択して"Sign the petition!"をクリックすれば完了】
//petitions.moveon.org/sign/co­­mfort-women-fabrication.fb28?­s­ource=s.icn.fb&r_by=8546588
(↑リンク先が切れている場合は"MoveOn Petitions - Comfort Women Fabrication"でググって下さい。すぐに見つかります­)
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