今川氏真 (゚∀゚ (770) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
運の良かった武将。悪かった武将 (202)
幕府を開こうと思うんだけど (165)
徳川御三家の印象度 (222)
運の良かった武将。悪かった武将 (202)
戦国時代なんて世界の歴史に比べたら・・ (126)
Gacktが謙信を演じれるのか? (902)

今川氏真 (゚∀゚


1 :2006/06/18 〜 最終レス :2013/02/26
(O´∀`)嗚呼・・・日本のサムライは何という体たらく・・・
(O´∀`)今川の氏真公が世界蹴球杯の日の本代表にあらせられれば
(O´∀`)必ずやお味方に勝利をもたらしてくれましたでしょうに・・
(O´∀`)ああ氏真公・・・・
(O´∀`)平成の世に生を受けておられれば満天下に日本の武威を存分に示されたことでしょう

2 :
>>1
氏真的蹴鞠魂を色濃く受継いでいる我がFW達なればこそ敵本陣前で年末助け合い週間を敢行するのであります。

3 :
父の敵討ちもせずに安穏と和歌や連歌に興じ主家を滅亡させ、
京ではその敵の前で蹴鞠まで披露したという恥をも知らぬ振る舞い
暗君で著名なウジザネですが、一応、内政面での氏真の業績を再評価してみようという試みでつ
楽市楽座、塩止めなどなど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E6%B0%8F%E7%9C%9F

4 :
信長より前に楽市してたんだよな

5 :
氏真は桶狭間の後、北条に援軍送ってるだよね。
とてもそんな余裕は無いはずなのに。
それだけ三国同盟を重視してたんだろう。
三国同盟を重視して戦略を組み立ててたのに、信玄が裏切ったんでそれが全て崩れてしまった。

6 :
国人に裏切られすぎ

7 :
桶狭間で将来を期待される重臣クラスが討ち取られ、
各家で跡継ぎ争いが始まった事ですね。その為、弔い合戦ができる状況ではなかった。

8 :
静岡がサッカー盛んなのは氏真公のおかげです

9 :
この人は無能のイメージで突き進んでほしい

10 :

 ふぁんたじすた
は拾番?!

11 :
俺が義元の子なら、氏真みたいにオロオロすると思う

12 :
>>8
真実だよ、それ w

13 :
武田信玄
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (   駿河へ出撃!
  /o O / l´/      ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、  ●    ●ハ  ∧      `⌒/7へ‐´
 / ,イ   レ_         ミl~T--‐彡    /./
/ ̄ ̄l.  彡、  (__人_)  ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、
彡:::::::::::l  ト、___   /|  l::::::::::::ミ  {,
今川氏真
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚) …駿河侵攻?!

氏真はこんな感じだったのか。

14 :
でもさあ氏真はしかたないよな
公家のような生活を送ってたんだから。。
本人より周りの環境の方が悪い

15 :
氏真はある意味、大名でなくなってホッとしたかもね。
これで気兼ねなく蹴鞠をやれるってな感じで。

16 :
蹴鞠のテクはかなりのものだった。晩年その技術を見込まれ秀吉に
留まるよう言われ、断ったという話がある。
大名に生まれたのが氏真の不運。

17 :
今川JAPAN

18 :
俺は蹴鞠という旅から(ry

19 :
         |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
           |;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;_:;:l:;_;:_:;:_:;:_:;:_;:_;|
        |______|_____|
        )))))))|  ⌒   ⌒  |)))))))))
      .. ((((((((| (●)  (●) |(((((((((
      .. ))))))))|ヽ   ・・  ノ|)))))))))))
       (((((((((|  ../ニ\.  |((((((((((
      ..  ))))))| /|_|_|_|_|\. |))))))))
      ...  (((((.ヽ\ __/ /((((((    
          )))))|ヽ___,/|))))) _,ン'゙\
         ,ィ|、  \     /_,、-'" _,.-''´ `丶、__
      _, イ  | ヽ_ 二=''" _,. -''´  """""´´  ``ー

20 :
>>19
イケメンかよwww

21 :
剣術を習ってたみたいだけれど、その腕前はどれほどだったんだろうな。
塚原卜伝に習ったんだっけ?

22 :
父の戦死後家督を継ぎ、楽市、徳政、役の免除など徹底的な領国整備を行い、裏切った武田家に対して塩留を行うなど政治手腕を発揮、斜陽の今川家を支え続けた今川氏真
他にも塚原卜伝に剣術の指南を受け、和歌や蹴鞠などの公家文化にも通じるなど文武両道ぶりを発揮した今川氏真

23 :
このスレの人ら的には氏真の塩留政策ってどう評価してるのさ?

24 :
>>23
んなもん知らん

25 :
祖父は偉大なのになw

26 :
>>23
それが武田の駿河侵攻の大義名分となってしまった。

27 :
1.桶狭間で将来を期待される重臣クラスが討ち取られ、
各家で跡継ぎ争いが始まった事ですね。その為、弔い合戦ができる状況ではなかった。
2.三国同盟の瓦解。氏真は桶狭間の後に北条の依頼で関東に援軍を送っています。
状況から考えて、人の世話をするほど余裕がなかったのに、援軍を送ったのは
三国同盟を氏真が重視していたと言う事。しかし、武田が破棄してきたことで
その戦略構想が敗れてしまった。
3.氏親や義元が一門との戦の末に家督を取ったのもあり、当主以外の
一門にはあまり強い権限を与えなかった。
その為、氏真にとって義元の雪斎のような頼れる一門がいなかった。
義元や雪斎は家康を将来の氏真の片腕に…と考えていた節も見られるが、
それも裏切られる結果となった。
4.兵農分離もできていないし、今川家は連合政権的な性格をもっていたので大名家
の力の強弱だけで左右される脆弱な基盤でした。
また、足利の名門という矜持もあり伝統を重んじる家風から、家臣の能力主義などの
大きな改革や幕府権威の否定、などができなかったと思います。
ゆえに将来的には生き残るのが厳しい家だったのではないでしょうか?

28 :
義元頓死の次には瀬名氏が潰れたのが大きかったのではないかと。

29 :
                       _____
                      /::::::::::::::::::::::::::::\
                        |::::        :::::|  
( \               _  |   ⌒    ⌒  |  _                / )
 \ \  _ _ _   /  ) .|  (●)   (<) | (   \   _ _ _   / /
  \ \(  | | |)/  / (6|     (・・)      |6) \  \( |  |.  |  )/ /
    ) |_|_|_||  /   |     _ii_     |    |   | |_ |_ | _|  (
    | \__\___\__)  )    ||  ,/|_|_|_|_|\,  .|    (  (__/___/__/   |
    |       /   |     |ヽ \___/  /|    |   \        |
    |     /    /     |  ヽ,_,,,,,,,,,,,_,/ |     |     \      /
     \    (    /         ”””””””        \     )    /

30 :
                やってくれましたね、みなさん…
       /;;;;;;;;;;;;;\    よく今川家の上洛への夢を見事に打ち砕いてくれました…
      /\;;::::::::::::::::::ヘ    元康くんが戻ってきませんね…信長くん達が裏切らせたんですか?
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__   それにしても、あと一息のところで今川軍本隊が奇襲を受けてしまうとは…
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l    父上には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   はじめてですよ…
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕   このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
    /j/               ヾ、  まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
     l::||::::    \     /  |l   ゆ…
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||   ゆるさん…
    |::||:::::::::::::   \___/     ||  ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  じわじわと蹴鞠技を披露してくれる!!!!!
    /\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ  一瞬たりとも見逃せないぞ覚悟しろ!!!

31 :
キングザネは神だと思っている。
7年ほど前の正月休みに両親と駿河のもんじゃ焼き屋に行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングザネが
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わない高貴ないでたちで。
ザネが「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた武士集団が「ザネさん!」「ザネさんかっけー!」などと
騒ぎ出し、ザネが戻ってきてくれて即席花押会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
花押をしてくれた。
武士達がザネの母校飛鳥井流だとわかったザネは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そしてザネは「またな〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親はザネの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(カズ妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。

32 :
キングザネ=キングカズってオチですか?

33 :
[氏真] 攻撃:73 素早さ:60 防御:63 命中:53 運:68 HP:105
[信長] 攻撃:30 素早さ:60 防御:47 命中:25 運:95 HP:267
氏真 vs 信長 戦闘開始!!
[信長]の攻撃 MISS [氏真]は攻撃を回避した。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は100のダメージを受けた。
[信長]の攻撃 HIT [氏真]は1のダメージを受けた。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は76のダメージを受けた。
[信長]の攻撃 MISS [氏真]は攻撃を回避した。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は75のダメージを受けた。
[信長]の攻撃 HIT [氏真]は57のダメージを受けた。
[氏真]の攻撃 HIT [信長]は55のダメージを受けた。
[氏真]が[信長]を倒しました(ラウンド数:4)。
魔法のMD5 - MD5バトル http://www.newspace21.com/mix/btl.php

34 :
氏輝は義元に暗殺されたのだろうか
年からいって、そうとは考えにくいか
太原雪斎が松永久秀のようなキャラであったと仮定して
今川家の乗っ取りを企んでいたとは考えられぬか
まずはお家騒動を起こさせ、義元を傀儡化して、
しかし寿命が先に来た

35 :
>>31
>店員さん(カズ妹)が

36 :
氏真DNAを持つ人物をあわせれば…
江戸時代の高家で今川家が1000石、吉良家(初代義弥は氏真の孫にあたる)が4200石、
品川家(初代高久は氏真の次男)が1500石
おお、6700石もあるw

37 :
今より、駿州への進撃を開始する!
義信は切腹させたし、兵力は万全。
わが武田赤備の面目躍如といこうか。
ふはは、UJIZANEよ駿府館でがたがた震えているがよいぞ・・・。

38 :
氏真ちゃんごめんね、上杉や佐竹や里見が何しでかすか分からないから、
援兵は送れそうに無いよ・・・。せめてかくまう事は出来るから、頑張ってね。

39 :
蹴鞠を?

40 :
早川殿萌え。

41 :
>>36
吉良義弥に今川氏真の血が入っているということは、吉良義央にもその血は流れている。
そして、義央の一子は上杉綱憲・・・・。現在の上杉家には氏真の血も引いているのか!

42 :
朝比奈さんはもっと評価されていいと思う。

43 :
age

44 :
山岡壮八の「徳川家康」を読み直し始めてるのだが、
武田勝頼はけっして凡庸な武将ではない、という視点で
描かれてるのに氏真さんはそうではないのが悲しい。
何か、氏真が凡庸ではないという視点の小説はないかな。

45 :
>>44
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103819014/ref=sr_11_1/250-8160406-2965810?ie=UTF8
このくらいかなあ?まあ、持ち上げすぎとしか言いようのない本だがw

46 :
>>45
うーん、「戦国武将として」持ち上げてはいないけどなw
没落して京都に移って信長に会うところからの小説だし。
ただ「とてもいいひと」には描かれているのは間違いない。早川殿萌え。
家康・信玄まわりの有名エピソードを見るうえでホントいいポジションに立っているわ、氏真公。
この小説は大好きなんだが、
本能寺の変(朝廷勢力主犯説)の陰謀を公家ラインで仕入れるだけならともかく、
わりと重要なエピソードで行動に移させるのはさすがにやりすぎw
ともかく、
氏真公の剣戟シーンが見られるのは「天下を汝に」だけ!

47 :
「天下を汝に」を原作に、
主演渡辺謙で大河ドラマ化したら、
世間の氏真評価は一変するだろう。

48 :
ウィキペディアで氏真の評価がメタクソなものに書き換えられてる。
よくもまあ、偉そうにあんなデタラメ書けるもんだと感心するわ。

49 :
ホントだ。「評価」を全面否定の方向に書き換えてやんの。
今日の執筆者の感覚で「〜べき」って言われてもな('A`)。
自分の考えにウィキペディアの記述を従わせることのに興味があるのであって、
今川氏真という人物自体は別にどうでもいいんだろうな、きっと。
「人物像」のところにちょっとだけ触れてあるが、
「和歌や蹴鞠で国を滅ぼした」イメージが語られるのは江戸時代中期になってからだという。
たしかに、松平定信は足利義政の茶・大内義隆の学問と並べて氏真の和歌を斬り捨てた。
それ以前の本では、氏真のことを剛勇の大将(だったからダメ)とか書いてるのがあるというような
ことを聞きかじったことがある。『甲陽軍鑑』だったかな、それ自体も怪しさの漂う本だけど。
同時代から現代に至るまでの「評価」の変遷がわかると面白いと思う。
その時代ごとの求められるもの/否定すべきものが氏真評価には反映されていると思うんだが、
根拠にし得る史料をあまりしらない。詳しい方、ご教示願いしたい。
一般的なイメージとしては、山岡荘八と新田次郎の小説が大きいんだろうな。俺もだったけどw
山岡以前に誰か小説で言及してたりするんだろうか。

50 :
ウィキペディアってあてにならないんだね、マジで。
投稿した奴は相当に卑屈な人種だよ。行間読むと分かる。

51 :
氏真は偉大な人間なんだぜ

52 :
実は徳川氏庇護下時代に牧野城城主になってる。

53 :
色んな作品で義元がおじゃる丸にされてるのが悪い

54 :
氏真・・・とっても、いい人
早川殿・・・とっても、健気で、いい人
朝比奈泰朝・・・とっても、真面目で、いい人

55 :
いい人なんぞ薬にもならないのが戦国時代。

56 :
>>45
その商品説明を見てみたら、凄く読みたくなってきた。
どこぞの電子書店でダウンロードできると一番手っ取り
早いんだが、なさそうだな…。

57 :
天汝厨うぜー

と言われるくらいに、まず「天下を汝に」を広めたい氏真スキー。
「新潮書き下ろし時代小説」というシリーズの一冊として1991年に出版。
でも、いまだに文庫化すらもしていない「天下を汝に」。
同じシリーズの古川薫「覇道の鷲 毛利元就」とか、
南原幹夫「抜け荷百万石」が新潮文庫に入ってるのに。
いろいろとオトナの事情ってやつがあるのかいな。
それとも、単に売れなかっただけなのか?('A`)

58 :
>>57
その二人とは歴史小説作家としての格がまず…w
まあ、氏真に興味のある人間も少ないだろうしなあ。

59 :
テレビ東京の新春ワイド時代劇で、「天下を汝に」
を原作にした番組をやってくれれば、まず間違いなく
再び出版されるのでは…テレ東でも難しいかな?
「家康を天下人にした男」みたいなキャッチをつければ
案外人目を引くんじゃまいか。

60 :
本能寺氏真陰謀説

61 :
別に信長には恨みはないと思うが
それにしても氏真公は卓越した人生だな
素晴らしい

62 :
しかしまあ、早川殿も良く氏真に最後まで付いてきたよな。
やっぱり氏真には「護ってあげたい」オーラみたいなのがあったんだろうか。
それとも早川殿が「この人には私が居ないとダメだ」っていう気丈なお人だったのか。
その点で言えば、氏真は恵まれてるなw

63 :
影武者今川氏真

64 :
今川氏真がこんなに人気があるのって2ちゃんくらいだよなw

65 :
氏真と早川殿が結婚して、15年間もの間、氏真は早川殿に
見向きもせず、他の女性や小姓を愛し続けていました。
ところが、駿河を信玄に奪われ、掛川城に篭城しなければなら
なくなった逆境の時になって、初めて早川殿の愛情を理解し、
翌年、範以誕生。その後、二人は寄り添って、戦国の世を
生きて行ったのでした。

66 :
ええ話や

67 :
氏真はよく殺されなかったな。
家康との仲は良好だったのかな、徳川家はずっと面倒みてる。
徳川家滅亡の時は今川家が助命嘆願書だしてる。なんかいいな

68 :
>>67
それだけ家康に、今川家への悪感情が無かったって事でしょうな。三河の家臣団はともかく。

69 :
氏真には朝比奈泰朝ら家臣数十人が最後まで従ったとあるし
そんなに悪い殿様では無かったのかもしれないな
時代が悪かったのかも知れないが・・・

70 :
>>68
大河で「葵 徳川三代」をやっていたときに、静岡県のページで
徳川と静岡に関する話題を連載してたけど、竹千代の師に
太原雪斎をあてた事や、隠居の地に駿府を選んだ事などをあげて、
家康にとって駿府は若い日を過ごした懐かしい地だったのではないかと
推測してたっけ(立場が立場だけに辛いこともあったんだろうけど)。
家康と氏真の間というのは67の言うように良好だった可能性も
あったのかもしれない。
そういえば、天目山で最後を遂げた武田勝頼の正室も
北条氏康の娘さんだったっけ…。

71 :
氏綱の時に、今川と何か会ったの。
福島の遺児を養子にしたり。不思議。

72 :
>>71
よう判らんけど、甲斐(武田信虎)攻めの総大将で武田滅ぼす迄
あと一歩ってとこで失敗して、相模に逃げたんじゃなかったかな。

73 :
>>71
「花倉の乱」で調べてみ。

74 :
家康は氏真が大好き
とっても気の合うお友達なのです

75 :
>>74
そのわりに息子を殺されかけたり領土を奪ったりの結構血みどろな関係だけどなw
まあ、家康は今川家当主ととして、徳川に圧迫を与えたり争ったりする公人としての氏真と、
私人としての氏真は別だと言う考え方をしていたんだろうけど。そう言う思考方法をする人だね、
家康は。

76 :
京都で放浪生活しているのを、家康公がみかけて、1万石を与えたらしいが、明智家同様、家は現在まで、存続しているのかなあ?

77 :
>>76
今川家は後に幕臣となり、品川と姓を改めました。全国の品川さんの祖であります。

78 :
>>76
別に放浪していたわけじゃないぞ。公家さんたちと交際してる。
1万石ではなく、近江野洲郡のうちに500石、らしい。
>>77
孫の直房は今川のまま高家を務めてる。ただし、明治のはじめに高家・今川家の直系は絶えた。
品川を名乗ったのは次男の高久。こちらは直系の子孫が健在らしい。

79 :
最近必死に氏真を貶めようとする書き込み多いんだよな。
ゲームや小説鵜呑みにしやがって…
ここはいつきても和むよ。

80 :
あげちゃった
スマソ

81 :
井伊直親粛清なんかは、必要あったのかね?

82 :
研究テーマに今川氏真挙げたら教授から「マニアックだな。プギャー」
と言われた。
氏真の本格的な研究が進んだのは最近である。
静岡県史の編纂によって大きく発展した。

83 :
今川と織田に挟まれた地域に勢力基盤がある家康にとっては、
この宿敵同士のどちらかに付かなければ生き残れなかったのか。
氏真と信長を見比べて、信長を選んだのかもしれん。

84 :
>>83
桶狭間後今川の代官追い出して独立したんだから氏真につけるわけがない。

85 :
>>82
おお、がんがってくれ!
氏真ヲタを名乗りたいならこれは読んどけ!っていう最近の論文ある?

86 :
今まで知られなかった資料によって、新たな氏真像が
浮かんできてるのかな?それは楽しみだ。氏真だけでなく、
新たな義元像も出てくるかな。

87 :
>>84
その行動(独立)に至るまでの話だろ。
桶狭間の戦いから家康が実際に独立するまで数ヶ月の開きがある。
その間、氏真の人となりにソリが合わないことを感じ取り、
信長と密約を交わした上で、独立したのかもしれん。

88 :
>>87
氏真と家康は、個人的には非常に親しかったと思われる。今川から独立したのは
ソリが合う合わないよりも、単純に信長の実力を見込んでのことでしょ。
戦国武将は冷徹ですよ。

89 :
家康は最晩年、駿府城に帰ってきて余生を過ごしているので、
駿府城跡に行くといろいろ資料があるんだが。
なんとも言えない家康の故郷への哀愁のようなものを感じる。
戦国の世だからこそ強い者につき、身を立てて遂には天下を取ったけど、
家康にとって駿府は故郷であって、義元も氏真も優しい家族同然だったのかもしれない。
本当の地元のはずの岡崎ではなく、あえて駿府城で余生を過ごしている辺りに、
家康の本心があると思えてならない。

90 :
一宮随波斎は、氏真の軍師としてはどんな評価だ?
経歴もよくわからんし、氏真との交流も謎が多すぎるが。

91 :
遠州を掌握しておけなかった氏真。
「遠州錯乱」を、その地の有力者ごとに、動向を見てみると、
・氏真によって潰され、力を失ったもの
・氏真によって家人が粛清され、反感が増して決定的に背くことになったもの
・氏真が手を出すより先に、自発的に背いたもの
・武田か徳川の侵攻を受け、本格的に交戦する前に降伏したもの
・氏真に最後まで従ったもの
こんな感じに分けられるか。

92 :
堀越氏
見付を拠点とする、今川家の分家。
先代に起きた花倉の乱では義元に敵対して敗れたため、家勢を削がれていた。
当主・氏延の叛意を察知(?)した氏真の電撃の用兵の前に敗北、流亡した。
井伊氏
井伊ノ谷を拠点とする、伝統ある豪族。
昔から三河松平氏と交流がある一方、今川家に対して反抗的な傾向があり、義元も警戒していた。
先代当主・直盛は桶狭間合戦で戦死。
新当主・直親の叛意を察知(?)した氏真に釈明に向かう途上、謀殺される。実行者は朝比奈泰朝。
直親の妹(姉?)・直虎が一族を率い、家康が遠江へ侵攻して来ると、家康側へ奔った。
松井氏
二俣を拠点とする豪族。義元に重く用いられていた。
先代当主・宗信は桶狭間合戦で戦死。
宗信の甥・宗親が当主に就任するが、叛意を察知(?)した氏真により、駿府で謀殺された。
その後を従弟・宗恒(宗信の男子)が継いだが、今川家・武田家・徳川家のどこに付くかで家中は分裂した。
宗恒本人は、最終的に徳川家に付いた。
飯尾氏
曳馬を拠点とする豪族。
当主・連竜は今川離反運動を自発的に実行した人物であり、遠州錯乱の中心と言える。
数度に渡って曳馬城を氏真の軍勢によって攻められるが、その度に撃退した。
手を焼いた氏真に和睦を申し込まれ、駿府に呼ばれて謀殺された。
新野氏
新野を拠点とする豪族。
当主・親矩は井伊直親が粛清されると、直親に嫁いでいた妹の子(後の直政)を引き取って養育した。
親矩は、離反した飯尾連竜を攻める戦いで戦死した。

93 :
浜名氏
佐久を拠点とする豪族。
朝比奈氏とも飯尾氏とも結びつきが強く、難しい立場にあった。
当主・頼広は家康の誘いを断り、徳川勢に攻められて武田家に逃亡した。
天野氏
犬居を拠点とする豪族。遠江では井伊氏と並んで大きな勢力を持っていたと思われる。
当主・景貫は義元の下で多くの合戦に活躍した。
徳川家の遠江侵攻を受けて降伏するが、その後は武田家に付いて合戦に活躍した。
武田家滅亡後は北条家に奔り、そこでも合戦に活躍した。
奥山氏
北遠に勢力を持つ豪族。拠点は久頭郷か?
井伊氏を祖とする一族で、奥山が発祥地。
当主・貞益は信濃の遠山氏に攻められて戦死。一族は分裂・抗争するようになった。
武田軍が遠江へ侵攻すると、隣の天野氏が武田側に付いたことに反応し、
同じく武田家に付くことで纏まり、一族内の抗争は終息した。
孕石氏
孕石を拠点とする豪族。
当主・元泰は武田軍の侵攻を受けて降伏。
後、高天神城が武田の手に落ちると、岡部元綱らと共に高天神城守備に配された。
徳川軍の高天神城攻めに抵抗するが、ついに落城、自刃した。
駿府屋敷が少年時の家康の屋敷の隣地だったことが不運だったのかもしれない。
久野氏
久野を拠点とする豪族。
先代当主・元宗は桶狭間合戦で戦死し、弟・宗能が継いだ。
宗能は、家康の遠江侵攻時に徳川家臣・高力清長の誘いを受け、徳川家に付いた。
その後一族は今川家へ帰参しようとする派閥とに分裂・抗争するが、宗能は徳川側に残った。
匂坂氏
匂坂を拠点とする豪族。
氏真に応じて堀越氏を襲撃していることから、当初から反今川ではなかったと思われる。
当時の当主は誰であったのか不詳。
後の姉川合戦に徳川武将として名を連ねていることから、結局は徳川家に付いたようだ。

94 :
小笠原氏
小笠に勢力を持った豪族。馬伏塚が拠点か?
今川氏親の代に派遣されてきた、遠江においては新興の勢力。先祖は深志小笠原氏。
堅城で名高い高天神城は、小笠氏の管轄であった。
家康の遠江侵攻を受けて徳川家に降った。当時の当主は長忠か?
長忠は、武田信玄の遠江侵攻に際しては高天神城攻めを諦めさせたが、
後の武田勝頼の攻撃には屈し、降伏した。
天方氏
天方を拠点とする豪族。
当主・通興は遠州錯乱に対して傍観を決め込んでいた様子。
家康の遠江侵攻時、徳川家の誘いに応じずに黙殺。結果、徳川勢に城を包囲されて降伏。
武田軍が遠江に侵攻すると消極的に武田家へ寝返り、徳川方を救援しなかった。
武田勢が遠江から駆逐されると、再び徳川勢に城を包囲されて降伏した。
以後は家康に従ったが、重く用いられることはなかったようである。
朝比奈氏
掛川を拠点とする豪族。駿河朝比奈氏とは同族で、今川家に重く用いられた。
当主・泰朝は、武田軍の侵攻を受けて駿府から落ち延びた氏真や、
氏真に従った駿河衆の庵原忠緑や由比正純らを迎え入れ、
掛川城を包囲した徳川勢に対して徹底抗戦した。
五ヶ月余りの篭城戦の末に講和が成立し、小田原へ退去する代わりに城を開け渡した。
それにより、主君・氏真や同僚・忠緑らと共に小田原へ去った。(正純はこの戦いで戦死)

95 :
>>91-94
乙!
遠州の諸豪族も大変だな。
したたかでないと生き残れない時代だろうけど。
氏真は「政治を顧みず蹴鞠ばっかりやってる」イメージがあるけど、
やることはやってるんだな。
部分だけ切り出せば、「謀叛の機先を制した名将の決断!」とか
言われていてもよさそうだが、結果が出なかったのがすべてか……

96 :
蹴鞠上手いからってサッカーも上手いとは限らないじゃん
サッカーとかバスケとか敵味方の陣地が無くてごちゃごちゃになって競う
ゴール系の球技は「戦」の雰囲気とよく似てるし

97 :
>>85
僕がモロに影響を受けたのは
酒入陽子「掛川城開城後の今川氏真について」(『戦国史研究』39号、2000年)
他にも小和田哲男氏の論文はためになるなぁ。
僕が主にやってるのは氏真と貴族文化について。公家との交流とかね。
言継卿記なんかをよく読んでる。

98 :
氏真は太陽王子

99 :
遠州の豪族達の離反を事前に察知・鎮圧したのだから、桶狭間後も今川には未だ優秀な諜報組織や家臣がいたわけだ。
武田の侵攻の際も、朝比奈信置の離反を事前に報せる者もいたが、大量離反でもはやどうにもならなかったということか。
末期の朝倉軍みたいに離反で自壊したのだから、やはり武田の調略工作恐るべしだな。
ただ、今川や上野国人衆を崩壊させ上杉を混乱させた程の武田の調略工作が、北条にはほとんど効果がなかったのは不思議だな。

100 :
情報を掴んだので補足
遠江の小笠原氏だが、家康に服従したのは1568年で、
そのときの当主は小笠原氏清だった。
氏清は翌1569年に死去、その後を継いだのが長忠。

101 :
堀越氏や飯尾氏を無力化することはできたようだが、
地力がある井伊氏は滅亡するどころか、今川に対する恨みを深めただけのような

102 :
和睦するよ〜と誘っておいて謀殺ばかりなのがガンかなw

103 :
これだけ謀殺しているともっとダーティーなイメージがついても良さそうなものなのに不思議だ

104 :
ゲーム的設定でいうと、知謀B・性格不義理てとこかな

105 :
なかなかに世をも人をも恨むまじ 
時にあはぬを身の科にして
悔しともうら山し共思はねど 
我世にかはる世の姿かな
↑氏真辞世の句

106 :
小説「天下を汝に」では、寿桂尼おばあちゃんが政治を取り仕切っていて、
さしもの寿桂尼少々ボケも入ってきて粛清発動、氏真は止められなかった……
という描写(ってか、回想)をしてた。
で、無力感に苛まれてやったのが風流踊りだっけ、という苦い回顧。
氏真を現代的な「無力だけどいいひと」と思おうとするとネックになるのかもね。
あの小説は小説で好きだが、無理に「いいひと」にしなくても、
血腥いことも含めて、いろいろやろうとしたけど失敗して
ああいう後半生を生き抜いた氏真ってのも、魅力的だとは思うんだ。

107 :
>>105
その2首は、氏真の生き方を一番象徴しているようだし、好きだ。
でも、辞世ではない(詠んだらしいが、伝わっていない)はず。
「なかなかに〜」は小田原退去時に詠んだ歌、とする伝えもあるそうだ。
おいらは『今川氏と観泉寺』(1974)しか見ていないから、
その後の研究の進展があったら許してくれ。
 誰が住みて幾度うつりかはる世にわが故郷と何したふらん

108 :
>>106
壮絶な空回りの後で、105のような心境になった
あたりを描くのも面白そうな試みだと思う。
誰か歴史小説の題材に取り上げてくれる作家は
いないだろうか。
しかし、そこまでやっちゃったのも、義元からの
権力移譲がまだ途中だったためかね。

109 :
彼は現代に生まれたかったろうに
2chネラーだったな

110 :
某スレに影響されてマジで本能寺氏真黒幕説で一本レジメ作りたくなった。
年末のゼミの飲み会で発表してみようかな。

111 :
氏真が信長に会いに行って、父・義元の敵を討つと宣言!
勿論、自分が最も得意とするアレで。
んで、信長に相手にされず、公家と戦わさせられ、
それを見ていた信長に「なんであの技術を戦に応用できないの?」
と、言われたそうな・・・
って話は本当なの?

112 :
>>111
同時代の史料にはないだろうけど
江戸時代に書かれた文献ではあるかもね。
いろいろ逸話が残ってる。

113 :
氏真って意外と逸話が多いんだね。
早雲と絡む氏親ですら彼の持つ逸話の数には遠く及ばないよね。

114 :
今度テレビでやる太閤記、義元パパは毎度おなじみの
白塗りみたいでつね…。

115 :
>>114
白塗りのイメージは、早くも江戸時代に歌舞伎の中で作られたらしいね。そうすると
2,300年の伝統があるわけだ。ある意味日本人のDNAに刷り込まれているなw>白塗り義元

116 :
よくAAで見る
ビックリ顔してるアレか

117 :
太閤記のホームページ見てきたけど、相変わらずの義元像なんだな。
白塗りは仕方ないとしても無能として描かれるのは納得いかん。
名将のパパがこれじゃ氏真たんはいつまでたっても
暗愚のレッテル剥がれないわな。

118 :
氏真の考察サイトってないのかぁ〜
最近、尾張今川氏を滅ぼしちゃった今川氏豊にも興味を持ち始めてる。

119 :
>>118
サイトはわからないが、静岡県の編纂している「静岡県史」が、今川氏関係でもかなり充実している
と聞いているよ。一度読んで見るといい。

120 :
最強伝説 氏真

121 :
>>119
それは結構読んでますよ。愛知県史にも一時期は登場しまくります。
分厚いから必要なとこコピーして冊子にして持ってる。

122 :
氏真の生涯には興味はあって、つくりたいと思ったことはあるが、
全然ヒマがない('A`)
学生氏にはがんばってほしいなあ、なんて思ってみたりして。
氏真について知りたいのは
・史料で確認できる氏真の事績(出典つき)
・江戸中期から現代まで、氏真評価(イメージ)の変遷
「京都で乞食をした」伝説がどのあたりから出てきたのかとか、
「塚原卜伝の弟子」って情報はどこから来てるんだろうとか知りたいところ。

123 :
つくりたいって、小説?

124 :
>>122
乞食の件は・・・・・
氏真の研究は最近になってやっと進んできたくらいなので
江戸時代には氏真は京都でどう暮らしてたのか不明で
今川家を滅ぼしたというイメージが先行して
いろいろ逸話が誕生していったのでしょうね。
実際は京都では公家の庇護下に入って、
最後の方は和歌の講師みたいなことして生活していたみたいですが。

125 :
そういや豊臣秀頼に弓教えたって話も聞いたことがあるけどこれホントかな?

126 :
さあ? 初耳。
同じように滅亡した大名家の御曹子が秀頼の弓の師匠になったという話なら、
六角家の若殿だった人物がそうらしいけど。
六角家は親父さんも弓に熱心で、なんとかという弓術流派の伝承者だったとか。

127 :
>>125
六角義治の事では
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%A7%92%E7%BE%A9%E6%B2%BB

128 :
なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして
いい歌だなぁ。

129 :
慶長年間、今川氏真は号の「宗ァ」として子の左馬助(範以)とともに公家・
山科言経の日記(「言経卿記」)に度々、出てきますね。
特に公家の冷泉家とは親交が篤かった様で、冷泉家主催の歌会に頻繁に参加
しています。

130 :
守れ猶君にひかれてすみよしの まつのちとせもよろづ代の春
て歌がのが集外三十六歌仙にあります
後水尾院もしくは後西院の撰だとか

131 :
>>129
冷泉家の月次会にはほぼ皆勤だったようですね。
今川氏全盛時代に冷泉為和が駿河に滞在するなど、
冷泉家との繋がりは深かったようです。

132 :
コテかわりすぎw
『今川氏と観泉寺』に、「氏真全歌集」が載ってるのは、氏真マニアには周知だろうか?
大学の図書館で借りてコピーして持っている。
編纂に当たった中世和歌研究者の井上宗雄氏が言うには、
基本的に当時の和歌の「伝統」に沿ったスタンダードな歌風(意訳)らしい。
「その作品はすべてが勝れたものではなく、全体的に、当時の水準を抜くものではなかったにしろ、
時には水準に迫り、また少数ながら新しみのある歌、個性的な歌が存することは注目される。
なお、多くの平凡な歌が全く無駄なものであったとは思われない。
常に歌に精神の中心をおいていればこそ、緊張感のみなぎったときには、
調べの張った、個性的な歌を生んだのである。
そしてこういう熱心な、数奇者の一人一人が積み重なって、
近世文化が生まれる事などの点において、
氏真の和歌を考察することの意味は決して小さくはない」
 よしあしも いはじ 思はじ おしこむる おきてにそむく我がなみだかな

133 :
今日からスタートした「太閤記」見たけど
今川の扱い酷いなぁ。家康も義元死んだと聞いたその場で
離反決めちゃってるし。来週氏真は登場するのか?

134 :
尾張遠征が成功してれば・・・・・
織田氏滅亡

さぁ上洛

足利将軍衰退してるので足利一族である今川氏が取って代わる

室町幕府十五代将軍、今川義元

十六代将軍、今川氏真

やっぱり氏真の代で滅亡

三河戸田氏が天下統一

135 :
今川はこのままフェードアウトの予感

136 :
予定が狂い、「太閤記」を見られなかったけど、
義元パパは白塗り公家かぶれで、思わぬ油断で討ち取られた、
という感じだったのかね。だとしたら萎えるな。

137 :
敵を立派に見せたほうが
手柄がより引き立つと思うんだが
なかなかそうしてるドラマないよね。
ああこんなしょぼい奴倒せてもどうってことねえな、
みたいな義元のほうが圧倒的に多い。

138 :
桶狭間のマグレ勝ちを、いかに作戦勝ちであったかのように虚構を創り上げるか、
それが信長や秀吉側を主役にする場合の、筆力の見せ所というやつだ。

139 :
作戦勝ちどころか、義元があまりにアホ過ぎたために
こちらがアホでない限り当然のものとして転がり込んで来た
ような本書いてるアホ脚本家が多いからな

140 :
いくらなんでも大河ドラマの義元はまともなんでは?

141 :
義元がそんなアホなわけないってのは
少し考えればわかるだろうになぁ

142 :
何というかこの太閤記ってかなりコメディーくさい感じがする。
真面目に見たら粗だらけだもん…水戸黄門や暴れん坊将軍を見る感覚で見るのが良さそうだ。
氏真が出てきても信長の前でしぶしぶ蹴鞠やるとかそのぐらいだろうな…

143 :
鞠は友達でおじゃる

144 :
雪斎和尚以外義元を叱る者は居ず
また雪斎和尚が亡くなった反動で傍若無人になってしまったのが桶狭間での敗因か

145 :
>>144
そうかなあ…
義元は禅僧時代の修行で自己鍛錬できてそうだけど
氏真の御真筆って静岡の臨済寺にあるんだっけ?
秋の一般公開に行ってみたいんだけど情報無いな…
今年はやらんのかな?

146 :
氏真は、永禄4年、北条方に援軍送り、自らも出陣しようとしている。
(これが無ければ、西三河で家康の独立するタイミングが変わっていた)
永禄7年、氏康の要請を受け、氏真自ら小田原に出陣している。
(これが無ければ、家康の東三河侵略が変わっていた)
弔い合戦もせず・三河の問題を解決もできないのに援軍する余裕など
無いだろうに。

147 :
>>146
自国の方針をどうするべきか、混乱しまくっていたのが感じられる動きだな。

148 :
遠州崩れがかなり力を弱体化させたんだろ?
で武田と徳川の挟撃で

149 :
武田信虎とは仲が良くなかったみたいだが、どういう問題があったんだろうな。
まあ、信虎みたいな気性が激しそうな人物とは性格が合わないかもしれないが。
しかし軍事の経験と知識に関しては一級だっただけに惜しい。
軍師に迎えることができていればな。
その後、氏真の軍師になったとされる一宮随波斎は、
軍事よりも医事の方で有名で、どちらかというと温和な、仁の人っぽいんだよなあ。
危難の大名家を立て直すような実務には向いていなかったようだ。

150 :
親子で殺し合いはよくあったけど、祖父と孫で、追い落とし
や追放なんてあったかな。
氏真も塩止めするより、信虎を甲斐に帰した方が、信玄は困ったん
じゃないかな。
それにしても、義元は、信虎の牙をよく抜いていられたこと。

151 :
氏真は信虎の孫なんだよな。イメージ合わないけど。

152 :

      /;;;;;;;;;;;;;;;;;\
     /\;;::::::::::::::::::::::ヘ
     /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
     L::;;,__ ヽ、::;;..ノ;.  ..:::ゝ__
    //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄  ̄ ̄..::::;;;|l
    |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...    ...:::::::;;;;;;|l
   〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
   /j/     ≡      ≡  |l
    l::||::::               |l     
    |::||:::::::..  (●)    (●)  ||     息子がこちらでお世話になっていると聞き
   |::||::::::::::::   \___/    ||     飛んで参りますた
    ヽ:||:::::::::::::::.   \/     ||,
     \             ノ
       `-ー―-\__ノ---一~ 


153 :
治世の名君 乱世の凡君

154 :
あの時代、領地を全喪失した大名や滅亡した大名がどんだけあったと思ってるんだよ

155 :
>>154
信長の入洛以前で、しかも一国単位の大名で考えると、今川、美濃斉藤、大内、尼子、
富山の富樫氏…。こんなかんじかな?

156 :
>>152のAA懐かしいなあ
苦難スレ、すごくはやってたのに(´・ω・`)
玄広恵探のイミナの義真だか良真の「真」と氏真の「真」って
もしかしてなんか関係ある?

157 :
>>156
懐かしいですね。たしか苦難スレはpart8まで続いた
人気スレだったと思います。僕もあのスレで興味持ちましたから。

158 :
>>152
義元公…ご自分のスレが荒れていらっしゃるからこちらに疎開なさったんですね…
>>157
(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ
part9の途中で落ちちゃったんだよな…
学生の頃は氏真なんて眼中になかったけど、社会人になってから氏真の生き方が
いかに難しいかってのが良くわかったよ。
いざというときに捨てられないプライドなんか持ってたって仕方がないんだよ。
俺には氏真ってすごくかっこいいと思えるぜ。

159 :
苦難スレの旧住民が多いようですね。
なんか同窓会みたいだ。
そんな私は、天汝厨キタ━(゚∀゚)━!と一度でいいから叫ばれたい
「天下を汝に」愛読者です。早川殿萌え。

160 :
>>159
氏真オタのバイブル「天下を汝に」再版して欲しいなあ。
やっと手に入れた古本一冊持ってるけど永久保存版・友人貸し出し版と複数冊ホスイ(`・ω・´)
俺は最後の一文
「いいではないか。田舎くさい土地でも二人一緒なら…」
で不覚にも目から汗が出てしまった。氏真夫妻萌え。

161 :
十年くらい前、小説新潮の新人賞に、氏真の生涯を描いた
「百万石」って長編が最終候補作として残ってたな。
最後の3作まで残りながら、最終選考であえなく落選w
だから本にはなってませんw

162 :
>>161
ざんねん!それが本になっているのだ!自費出版ですな。
 万座八宝斎『今川百万石』(文藝書房)
 ttp://www.bungeishobo.co.jp/books/ISBN4-89477-078-4.htm
氏真が主役級の小説は
 赤木駿介「大御所様お困り」 『南蛮馬春砂』(徳間文庫)収録……『天下を汝に』の原型
 山田風太郎「姦臣今川状」 『剣鬼と遊女―山田風太郎傑作大全〈9〉』(廣済堂出版)収録
 戸部新十郎「睡猫」 『秘剣 龍牙』(徳間文庫)収録
寿桂尼や義元を扱った小説では、
 永井路子『姫の戦国(上・下)』(文春文庫)
 皆川博子『戦国幻野/新・今川記』(講談社文庫)
あたりが、有名なんだろうか。
そのほか、氏真の子だという人物(ご落胤?)を取り上げたので
 加藤三男『南向今川氏清の生涯』(静岡新聞社)
という小説があるんだが、誰か内容を知らないか?

163 :
>>161-162
おおお! さすがにこの板はコア度が違うわ
再来年の大河は今川で決まりだなw
空前絶後の義元・氏真ブームが!
てわけでage

164 :
しかし
「ダメな奴ほど面白い」
って・・・orz

165 :
>>162
「南蛮馬春砂」はダウンロード販売してたような覚えが。
しかし、万座八宝斎…凄いペンネームだ。
>>163
義元と氏真の二代記は面白そうなんだが、やってくれないかな。
特に、戦国大名の座を失ってから次の生き方を見出すまでの
氏真を描くあたりはいいものになりそうだと思うが…あまり一般ウケ
しないかな?

166 :
大河ドラマ『赤鳥 今川三代』を妄想するスレはこちらですか?
早雲の出世譚とか、三国同盟とか、桶狭間とか、
戦国の重要なポイントに居合わせているのに陰の薄い今川家に光を!
「姫の戦国」原作の寿桂尼一代記なら筋があるんじゃないか、と妄想してる。

167 :
私は逆に大河はやってほしくないなあ…
今の犬HKが今川オタと一般層両方満足させられるクオリティの大河を
作れるとは思えないんだよね、残念だけど。
私も姫の戦国は好きだけど、あれを原作とすると今年のでしゃばり千代みたいに
必要以上に女性を持ち上げるものになりそうだし…
だから来年の谷原章介の義元さんには今までのイメージを一新してくれる事を超期待。

168 :
氏親はドラマのネタになりそうだと思うのだが
織田&徳川偏重のドラマ制作は、時代が偏ってるよなあ

169 :
各局が氏真主人公(原作「天下を汝に」)で時代劇シリーズをつくるなら。
テレビ朝日系列の場合
 天下御免のヒーロー氏真公(松平健)は、親友徳川家康の密命を受け、
 お忍びで全国を旅しながら、得意の鞠で悪人を退治する。
 史実ナニソレ原作ドコイッタ的な痛快娯楽路線。
NHK(木曜時代劇)の場合
 氏真(村上弘明)夫妻の京都の日常を中心に淡々と描く地味な作品。
 織田・北条・徳川との因縁もきちんと描き、脚本はしっかりしているが、
 町がいかにもセット然としている。
フジ系列の場合
 権力の裏も表も知り尽くした落魄の太守・氏真(古谷一行)が、
 京の闇を駆け剣を奮う。文化解説増量。やたらに渋い。
 エンディングテーマはジプシーキングスとか憂歌団とかで。

170 :
>>162
「今川百万石」はアマゾンで買えるね。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894770784

171 :
>>169
TV東京の場合プリーズ

172 :
父方の祖母は寿桂尼
母方の祖父は武田信虎
それら両血統が交わるとき・・・・・

173 :
       /;;;;;;;;;;;;;\
      /\;;::::::::::::::::::ヘ         うん、戦国のサラブレッドとはボクのことだね!
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ      
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__    寿桂尼おばあちゃんの内政手腕はすごいんだ!
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l   いくさばっかりやって内政を疎かにしちゃダメだよね!
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   ボクは経済政策を積極的に推進するよ!
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
    /j/               ヾ、 信虎おじいちゃんは誤解をされやすい人だけど、
     l::||::::              |l  庶流・国人衆を抑えて武田総領家の中央集権化を推し進め、
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||  優秀な人材を登用した、えらい人だと思うな。
    |::||:::::::::::::   \___/     ||   おじいちゃんの悪いところはまねしないようにしながら
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ   いいところは取り入れたいね!
  __/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ__ 
 「   \\ ヽ    ハ // /    | だから言うことを聞かない井伊君と飯尾君にはおしおき!

174 :

                やってくれましたね、みなさん…
       /;;;;;;;;;;;;;\    よく今川家の上洛への夢を見事に打ち砕いてくれました…
      /\;;::::::::::::::::::ヘ    元康くんが戻ってきませんね…信長くん達が裏切らせたんですか?
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__   それにしても、あと一息のところで本隊が奇襲を受けてしまうとは…
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l    父上には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   はじめてですよ…
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕   このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
    /j/               ヾ、  まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
     l::||::::    \     /  |l   ゆ…
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||   ゆるさん…
    |::||:::::::::::::   \___/     ||  ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  じわじわと蹴鞠技を披露してくれる!!!!!
    /\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ  一瞬たりとも見逃せないぞ覚悟しろ!!!


175 :
>>173
井伊家の離反はクロなの?
灰色に見えるけど。
それに、義元からの信任が厚く、井伊家への牽制も担っていた
松井家の跡取りも粛清されてるんですけど?

176 :
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
そこが氏真公の氏真公たるゆえんですよ。

177 :
【名門】戦国今川氏を語る【花倉の乱】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164398020/

178 :
>>162
「大御所様お困り」は、お互いふくむところもありながらも、
仲の良い二人が面白かった。
「竹千代殿とな」
「五郎殿とな」

179 :
今川百万石読んだけど、あまりいい小説じゃなかった…。
氏真は「まろは〜でおじゃる」口調で終始バカ。
剣術はサボり、正室には小田原で見捨てられ…とひどい有様で
途中で読むのが苦痛になった。

180 :
そうなのか…… 乙でした。

181 :
睡猫の氏真は物凄く格好イイ。
香取神道流の奥義をさりげなくマスターしている。
しかし塚原卜伝の弟子だって事が書いてないんだよね…。
書いてない方が「なんでアイツが使えるのよ!?」って
インパクトが増えるからなのかもしれないけど。

182 :
125 名前: 祇園の氏真様 投稿日: 03/03/08 03:07
ネタ元 / 歌舞伎町の女王 / 椎名林檎  訳改訂 / ぼく
蝉の声を聞く度に 目に浮かぶは桶狭間
朝比奈康朝の手を離れ 独りで訪れた歓楽街
麻呂はここの上得意 活き仏の様な舞妓
誰しもが手を伸べて 貴族(←ウソ)ながらに魅せられた歓楽街
二十三に成った麻呂を 置いて父上は消えた
毎日金子を持って来ては 女と暮らすでおじゃる
「一度栄えし者でも 必ずや衰えゆく」
その意味を知る時を 迎え実に嬉しかった本能寺
消えて行った仇を 憎めど麻呂は今
文化人の肩書きを 誇らしげに掲げる
浪人に成ったこの麻呂が 売るのは教養だけで
同情を失した時に 全てを失うだろう
気の合う近習たちと イカした籠で出たら
其処は麻呂のお庭 大遊戯場京祇園
今夜麻呂は花街で 得意な蹴鞠を 披露
※吉原にしたかったんですけど、吉原は氏真が死んで3年後にようやく
 開かれたそうなので、京都在住時代にしますた。

183 :
おかしいやら切ないやらでつい投下してしまった
反省はしていない

184 :
戦国歌謡ショーか。懐かしい。

185 :
遠江諸氏の動向について、追加
原川氏
原川を拠点とする小豪族。当主・讃岐入道は、氏真が掛川に入城すると掛川へ駆け付けた。
掛川城守備戦での奮闘により氏真から感状と領地を賜るが、結局
今川家が領地を全て失ったため、領地を得ることはなかった。
講和により掛川城を退去後、帰農した。
武藤氏
真田を拠点とした小豪族。当主・氏定は徳川勢の勧告を拒み、
小国神社に立て篭って抵抗したが、結局は講和した。
その後、高天神城が武田軍によって陥落すると武田へ奔り、高天神の守将の一人となる。
徳川軍による高天神城奪還の際に氏定は戦死。
残された一族は帰農した。
大沢氏
堀江を拠点とする豪族。当主・基胤は氏真の来訪を迎えたりもしたが、
直後に家康の調略を受けると、あっさり降っている。
今川の配下になる前から同じ地を領しており、それが堀江藩として江戸幕末まで存続し、
転封も受けなかった稀有な一族である。
余談だが、子孫は大政奉還に際し、万石事件という過大申告不祥事を起こしている。
湖西朝比奈氏(仮称)
掛川朝比奈氏の分流で、浜名湖西岸、宇津山城を巡って紛争した一族。
1562年、当主・泰長の死去により孫太郎が後を継ぐが、
翌年、家康に通じた弟・孫六郎(真次)に討たれる。
これにより宇津山城は一旦は徳川傘下に入るが、
さらに翌年、氏真の命を受けた大原次良に討たれた。

186 :
>>185の最後の行、
大原次良に討たれたのは朝比奈真次。
わかりにくくてゴメン。

187 :
次は駿河衆だ。
蒲原氏
蒲原を拠点とした豪族。先代当主・氏徳は桶狭間の戦いで戦死。
後を継いだ徳兼は同年、謀叛を起こした高林源兵衛を討伐し、氏真から感状を得ている。
武田軍の駿河侵攻に際しては氏真の召集に応じて自ら出兵した。
本拠の留守には援軍の北条勢が就いたが、武田軍の攻撃の前に失陥。
徳兼は、氏真とは別ルートで遠江にある領地の飛び地へ落ち延びる。
やがて氏真が掛川へ入城したと聞くと、掛川城へ駆け付けた。
もはや率いるような手勢は無かったはずだが、氏真のために尽くしたかったのだろうか。
掛川城防衛戦では朝比奈泰朝らとともに奮戦したが、講和により掛川城開城が決まると
氏真と決別、帰農した。
庵原氏
庵原を拠点とした豪族。先代当主・元政は桶狭間の戦いで戦死。
家督を継いだ忠緑(将監)は武田軍の駿河侵攻に対し、薩た山の戦いで奮戦した。
瀬名氏俊の離脱から始まった今川軍崩壊後も氏真に従い、掛川へ入城。
掛川城防衛戦でも奮闘する。
講和により掛川城開城が決まると、氏真に従って小田原へ退去した。
由比氏
由比を拠点とした豪族。先代当主・正信は桶狭間の戦いで戦死。
家督は正純が継ぎ、田中城守備の任は長谷川正長に引き継がれた。
正純は氏真に従って掛川へ入城。掛川城防衛戦で徳川軍と交戦中に戦死した。
安藤氏
今川家臣。家定は武田軍の駿河侵攻に抵抗して戦死。
家督を継いだ定正は、氏真に従い続けて掛川へ入城。
掛川開城後は供に小田原へ向かい、小田原退去後は徳川傘下の諏訪原城へ入った。
氏真が諏訪原城主を辞去して浪人したため、ついに氏真と別れることになった。
残された定正は、徳川旗下の鳥居元忠の郎党として組み込まれる。
後、秀吉が号した小田原の役において岩槻城を攻略中に戦死した。

188 :
荻氏
北松野を拠点とした豪族。甲斐との国境付近を領するため、
武田軍の駿河侵攻に対して、真っ先に矢面に立たされることになる。
当主・清誉は武田軍を迎撃に出陣したが、山県昌景の部隊と交戦して戦死した。
興津氏
興津を拠点とした豪族。入江氏発祥。
水軍を統括した一族でもある。
武田勢の脅威が現実味を帯びてくると、当主・清房は、
より戦闘性を備えた横山城を改修し、拠点を横山城へ移した。
横山城に拠って武田軍の駿河侵攻に抵抗するものの、落城した。
一宮氏
用宗に基盤があった豪族だろうか。用宗に関連して、頻繁にこの氏姓が登場する。
一宮宗是という人物は、同盟相手であった武田晴信の信濃攻略に協力するため、
今川勢からの援軍の将として派遣されている。この宗是は、桶狭間の戦いで戦死した。
後、一宮随波斎なる経歴不詳の人物が氏真に近侍し、関口氏広死後の用宗城主に任じられる。
断絶した用宗一宮氏の名跡を継ぐために、随波斎が一宮を名乗ったのかもしれないが、あくまで推測。
随波斎は武田家の一門と噂される弓術家で、兵の訓練法などを研究していた軍事家でもあった。
また医術・薬学にも通じ、その医術の知識を見込まれて足利義輝に召し抱えられたとも言われる。
氏真の話し相手として近侍していた随波斎だが、武田軍の駿河侵攻を受け、迎撃に出て戦死した。
長谷川氏
小川を拠点とする豪族だが、桶狭間の戦いで由比正信が戦死したため、
当主・正長は田中城守備を任じられる。
武田軍の駿河侵攻によって田中城が落ち、遠江へ落ち延びた。
その後は家康に仕え、三方原の戦いで戦死した。

189 :
富士氏
富士浅間神社の大宮司を務める一族。
武田軍の駿河侵攻に対し、当主・信忠は息子・信通と共に、北条の援助を受けつつ激しく抵抗。
穴山信君の部隊を退けたりもした。
しかし篭城戦の最中、氏真の命令により降伏。
武田配下として、宮司の職務に戻った。
葛山氏
葛山を拠点とした駿東の大領主。今川、北条、武田のような強大な大名家に囲まれ、
三勢力の間を巧みに渡り歩いて独自の地位を築いてきた一族である。
相対的に今川に属していたが、武田軍の駿河侵攻によって今川領と分断され、
当主・氏元は武田家の支配を受け入れることになる。
後、信玄の六男・信貞を養子に迎えて家督を譲り、消息を絶つ。
武田家による乗っ取りが完了し、用済みになったとして始末された疑いがある。
瀬名氏
今川家の分家で、遠江の堀越氏と同時期に成立した一族。瀬名郷を領す。
当主・氏俊は関口氏広の兄に当たる。
桶狭間の戦いの時にも出陣していたが、義元が討たれたため撤収した。
後、武田軍の駿河侵攻に際して氏真の召集に応じ、出兵するものの、戦わずに戦線離脱。
これをきっかけに、決戦に向けて集結していた今川軍は崩壊した。
氏俊は武田の調略を受けて内部崩壊を招いたとも言われるが、
何故か領地を喪失した上に遠江へ流れ、後に家康に仕えることになる。
関口氏
今川家の分家。当主・氏緑は桶狭間の戦いで戦死。
瀬名家からの養嗣子・氏広が家督を継ぐ。
氏広は義元の妹を正室に迎え、用宗城主に任じられている。
娘は松平元康(徳川家康)の正室(築山殿)。
義兄にして主君である義元の戦死後、切腹して果てる。
娘婿・家康の離反により、氏真に去就を疑われての切腹とも言われる。

190 :
朝比奈氏
駿東の益頭を発祥地とする豪族。今川家の重鎮として、今川勢力圏内にいくつかの分流を輩出している。
当主・元長は義元の娘婿にあたるが、1566年に死去。信置が家督を継いだ。
信置は、武田軍の駿河侵攻を受けて今川軍が崩壊すると離脱し、武田に降伏。
山県昌景旗下に組み込まれたようだ。長篠の戦いにも従軍したが、生還。
後、武田家滅亡時には庵原山城の守備に就いており、徳川軍の攻撃により陥落、自刃したとされる。
岡部氏
朝比奈氏から派生した豪族。
武田軍の駿河侵攻に抵抗するものの、今川軍が崩壊したため離脱し、武田に降伏。
・正綱は信玄に気に入られ、三方原の戦いや、勝頼による高天神城攻略に従軍した。
 武田家が滅亡すると一時浪人したが、後に家康に仕え、武田遺臣を徳川勢に推薦する橋渡しをした。
・元綱(正綱の族弟)は若いながらも義元に高く評価されていたらしく、
 今川方に投降した尾張の鳴海城の守将を任じられるほどだった。
 桶狭間の戦いに勝利して勢いに乗る織田軍の攻撃を退け、主君・義元の首級の返還を条件に、鳴海城を空け渡した。
 武田勢に属してからも、武田の手に落ちた高天神城の守将を任じられるなど、やはり高く評価されていた。
 武田家滅亡の少し前、徳川軍による高天神城奪還の戦いにおいて落城、戦死した。
・貞綱は元綱の叔父にあたる人物と見られ、信玄に重用され、伊丹康直らと共に水軍を編成した。
 武田家重臣・土屋氏の土屋昌恒を気に入り、婿に迎えて土屋姓を名乗った。
 長篠の戦いに従軍して戦死した。
伊丹康直
摂津の伊丹出身。幼少時に一族の城が落ち、駿河へ流れてきた。
義元の代に同朋衆に加えられる。
氏真の代には海賊奉行を任じられ、水軍を統括。
武田軍の駿河侵攻により、武田勢に組み込まれると、岡部貞綱と共に水軍編成にあたった。
武田家滅亡後は徳川に属す。

191 :
安部氏
安倍を拠点とする豪族。
当主・元真は、武田軍の駿河侵攻時、岡部正綱らとともに駿府館の守備にあたったが、武田軍の攻撃の前に撤退。
後、武田に仕えることなく、流浪の末に家康に仕えることに。
経緯は長谷川正長と似ている。

192 :
蒲原徳兼や原川讃岐の動向には涙が出てくる。
優勢な方に降伏すれば地位を安堵されただろうに、
あえて敗亡の側に投じ、講和が成ると武士としての地位を放棄とは。
恩賞や出世が目当てじゃなくて、氏真個人のために命を賭けたかったのかねえ。

193 :
>>185-191
     ,,..、 -‐、─、--、、.,_
     /      _∧_ i
     /      > 朝 < │
    /⌒\__,.----、_/⌒\
    ⌒\ノ/━━━ ━━ヽ/⌒
     l ┌i, │《《●》  《●》
     l \i│  =  │=│  
     l /l┘      │   /   
     l /::|     ∴:┘: │   乙にござりまする
    ノノ:::::| ト   《∋  /   
   く \;;;|  ! \∵∵∵j:〉  
     ̄ ̄ |     ̄ ̄ ̄|   

194 :
劉焉と劉璋父子とどこかダブるな。
んで駿河・遠州を乗っ取った家康は、蜀を奪った劉備のような・・・
まあ、氏真と劉璋はラヴリーな存在ってことで・・・

195 :
>蒲原徳兼や原川讃岐の動向には涙が出てくる。
最後まで節義を貫いた張任・冷苞のような存在かと・・・

196 :
>>79
超絶亀レスだが、近江野洲郡には去年高校サッカーで優勝してる
野洲高校があったね。さすが氏真ゆかりの地だ。

197 :
その地域には野洲高校、守山北高校、草津東高校と強豪がひしめき合っています。
今はそうでもないですが、井原の守山高校もすぐ近くです。

198 :
そういえば、
三方ヶ原合戦や高天神城攻防戦のような
遠州の主要な戦いって、
今川の旧臣同士が敵味方に別れて
殺し合いの最前線に立ってるんだな。
当然と言えば当然なんだが。
かつての同僚と戦わざるを得ない心境とは
どんなものだったんだろう。

199 :
旧蜀臣

200 :
最後に三河衆だ
吉良氏
足利氏の分流という名門で、吉良荘から発展していった。
しかし内紛が続いて衰退し、今川の圧迫を受けることになる。
強大な外敵の出現により内紛は終息し、一族は収束に向かう。が、今川勢には抗しえず、
当主・義安は捕えられ、駿府において今川の監視下で暮らすことになる。
義安が虜囚となったため、事実上の当主として弟・義昭が後を継ぐ。
名実ともに今川に従属することになった吉良氏だが、桶狭間合戦後の松平家の離反・勢力拡大とは対立。
三河の一向信徒勢力を支援し、松平勢を妨害する。
しかし一向一揆は鎮圧され、吉良軍自体も松平軍に敗れ、降伏。
一族の中枢に近い人物が松平家と姻戚関係にあったためか、松平氏に従属して存続していくことになった。
なお、子孫が『忠臣蔵』では一方的な悪役に描かれており、汚名を被せられて気の毒と言える。
鵜殿氏
神ノ郷(上郷)を拠点とした豪族。
当主・長持は今川家と姻戚関係にあった。
また、この頃の長持は嫡男・長照とほとんど一緒に行動している。
桶狭間の戦いに至る軍事行動では大高城を陥落させ、そのまま大高城守備に就いた。
大高城を奪還せんとする織田軍の攻撃をよく防いでいたが、
今川義元の思いがけない戦死により大高城を放棄、三河に撤収している。
松平氏の離反を受けて、一族の諸家が家康に同調、または傍観に徹する中、
長持は今川方に残ることを表明した。
これにより家康の標的となり、本拠・神ノ郷城を攻められた。
当初はよく持ちこたえていたが、手を焼いた家康が甲賀忍者を雇ったため、
甲賀者に城内を撹乱されて落城、長持と長照は戦死した。
長照の二人の息子は捕虜になり、駿府に残されていた家康の妻子との人質交換に利用された。
一方、早くから家康に味方した分家の鵜殿長忠の家系は、徳川家臣として順調に発展している。
大原資良
小原鎮実と記述される人物と同一とみられる。
家系の前後が不詳であり、代々の豪族ではなく、今川家の直属家臣から抜擢された人物かもしれない。
1546年に吉田城主に任じられ、三河全体を統括する代官的重職を与えられる。
遠江の総代が松井宗信なら、三河の総代はこの大原資良と言える。
松平氏と松平氏に同調した三河諸氏の離反を受け、預かっていた人質十三名を処刑し、葬っている。
離反した野田城を攻め落としたが、間もなく奪還された。
また西遠江で離反した朝比奈真次を討伐し、宇津山城を今川方に取り戻している。
成長した松平軍に敗れて吉田城を失うと、宇津山城に撤退して抵抗した。
さらに宇津山城が攻め落とされると駿河の花沢城に入った。
花沢城は駿河へ侵攻してきた武田軍の標的にされ、陥落。高天神城へ落ち延びた。
しかし高天神城を支配する小笠原氏は、間もなく家康の調略に降ることになる。
資良の消息はここで途絶えており、小笠原氏に謀殺された疑いがある(降伏の手土産として?)。

201 :
松平氏
かつては松平郷を拠点とした豪族。
桶狭間の戦いの当時の当主は元康。後の徳川家康である。
元康の祖父・清康は武略に秀でた傑物で、15歳〜24歳頃にかけての十年ほどの間に
松平氏を三河の最大勢力に伸張、拠点を岡崎に移し、隣国尾張を圧迫するまでに至った。
しかし織田氏が守る守山城を攻略中に暗殺され、松平氏は一挙に没落した。
次代当主・広忠は、一旦は岡崎を追われるが、今川の支援を受けて岡崎を取り戻している。
今川への忠誠の証として幼い元康(幼名は竹千代)を今川への人質として送るが、
織田への売恩を狙う親族の裏切りによって竹千代は織田勢に横取りされ、松平氏は今川の不信を買う。
結局は今川家の知恵袋・太原雪斎の策により、竹千代は今川の庇護下に入ることになる。
広忠が暗殺されると竹千代は家督を継いで元信を名乗るが、駿府に留め置かれ、事実上は不在領主だった。
今川義元の養女と婚姻し、元康に改名、今川一門に迎えられた。
桶狭間の戦いでも一軍を率いて戦功を挙げるが、義元が戦死したため撤退。
ただし帰還先は駿府ではなく、一族の本拠・岡崎だった。
岡崎の支配を固めつつ、氏真に仇討ちの出兵を焚きつけるが、氏真は軍事行動を起こせなかった。
やがて仇敵だった織田氏と修好して氏真と断交、松平氏と親しい諸豪族を抱き込んで今川から離反した。
当初は一向信徒の叛乱に苦しめられたが、これを鎮圧すると今川の支配域に牙を剥き、
調略と武略を駆使して勢力を拡大、戦国大名家へと成長する。
武田の軍勢と並び、今川家衰亡の主要因となった。
菅沼氏
田峯を拠点とした豪族。山家三方衆の一角を成した。
松平家の離反に同調し、家康の傘下に収まる。
遠江の井伊氏に仕える同族を松平家になびかせる調略に励んだ。
これによって井伊氏までもが氏真に疑われ、遠州錯乱に巻き込まれたとも言える。
後、武田信玄とその重臣・秋山信友の調略により、菅沼宗家は武田に降る。
野田を拠点とした定盈の分家は武田の誘いを拒み、徳川側に残った。
菅沼宗家は武田家の没落と共に衰えるが、定盈の野田菅沼氏は逆に発展することになる。
その前、定盈は、大原次良の攻撃により野田城を一時失陥するが、後に夜襲で奪還している。
また武田信玄の最後の戦も、この野田城が対象だったが、
病を得た信玄に粘り強く抵抗した末に落城、捕えられた。
後に捕虜交換で徳川方に還る。
長篠の戦いや小田原の役にも従軍。
奥平氏
作手を拠点とした豪族。山家三方衆の一角を成した。
松平家の離反に同調し、家康の傘下に収まる。
奥平氏は、家康の祖父・松平清康の勢力が拡大したときにも友好的従属していたので、
松平家とはそこそこ古い付き合いがあったとも言える。
当主・貞能は姉川の戦いにも徳川勢として従軍している。
後、武田信玄とその重臣・秋山信友の調略に屈するが、
信玄の死後は武田勝頼を見限って徳川に帰参。
勝頼は激怒し、貞能からの人質を処刑したという。
長篠城を預かって勝頼の長篠城攻めによく耐え、長篠の戦いの勝利に貢献。
同年、嫡子・信昌に家督を譲るが、実権は握り続けていた。
後の小牧・長久手の戦いでも戦功を挙げ、小田原の役にも従軍。

202 :
山田氏
川手を拠点とした豪族。山家三方衆の一角を成した。
松平家の離反に同調し、家康の傘下に収まる。
当主・景隆のときに武田軍の攻撃で城を失い、後に井伊直政に仕えたという。
酒井氏
三河に古くからある豪族。
14世紀には松平氏に従属しており、以来、松平家中に大きな力を持ち続けていた。
三河を間接支配する今川家重臣は、松平広忠の代における松平家のあまりの凋落振りに失望し、
松平家に代わって酒井家に三河諸氏を糾合させるため、主従を逆転させようと提案したとも言われる。
しかし義元は竹千代の資質に期待し、松平家の地位を存続させた。
また酒井家当主・忠次が野心に乏しかったためか、松平家の上に立ちたがる態度をとることもなかった。
松平元康が今川から離反した後の軍事・内政にめざましい功績を挙げたが、その微妙な力関係のためか、
丁重な冷遇とでも言うべき処置をされた。松平家直属の郎党だった本多氏や新参の井伊氏の栄達に較べ、
酒井氏の加増は、功績の割にはささやかな量にとどまった。
それでも地位の高さは存続し、徳川幕制において大老を出すことが許された数少ない家系として残った。
戸田氏
田原を拠点とした豪族。家康より一世代前に、松平家と姻戚関係を結ぶ。
本来の宗家の当主・康光は、駿府へ向かう竹千代を奪い、尾張の織田家へ売り飛ばした。
この事件で今川義元の怒りを買い、今川軍に攻められて滅亡した。
傍流の忠次は岡崎に脱出し、戸田家再興に努めた。
松平家が今川から離反した後、忠次は一向勢に加わるが、
松平氏の親族だったために一向門徒から疑われ、一向勢から松平家へ寝返る。
以来、松平・徳川氏に従い続け、多くの戦功を挙げて出世を果たした。
牧野氏
牛久保(牛窪)を拠点とした豪族。戸田氏とはライバル関係にあり、しばしば争っていたようだ。
当主・貞成の代に今川勢の圧迫を受け、吉良氏を担いで対抗を図る。
しかし吉良氏が敗れたため、今川に降伏。後継者選びには貞成の意向は認められず、
義元に指名された親今川派の養子・成定が家督を継ぐことになる。
成定は、離反した松平家の侵攻に激しく抵抗。一族郎党に多くの戦死者が出ている。
この危難に、松平領内で一向一揆が勃発したために松平軍は引き上げ、小康状態になる。
しかし同時に遠江でも飯尾連竜らが離反したため、共に戦った氏真も兵を引き、反攻に転じる余力は無かった。
やがて一向一揆を鎮圧した松平勢は吉田城を陥落させ、牛久保は今川勢力圏から孤立。
疲弊した成定は、松平勢に降伏した。その後まもなく病死している。

203 :
大原資良って、高天神城で謀殺された可能性濃厚なのかΣ(`・ω・)
落ち延びる先が高天神城じゃなくて掛川城だったら、
また別の人生を歩んだことだろうに・・・
高天神城と掛川城は地理的には近いけど、
このちょっとした違いが運命の分かれ道だったな、多分。

204 :
氏真は信長の野望だと顔がオリジナルだったり
わりとカッコよかったり意外に優遇されてるよね。
政治や教養は悪くない数値だし。

205 :
桶狭間で相当討ち死にしてるんだね
しかも有力豪族の当主クラスが

206 :
最近コテの人来ないけど、論文で忙しいのかな。
頑張っていいもん書いてほしい、うじまのためにも。

207 :
氏真の戦い:三河錯乱鎮圧戦
西三河で松平家が離反・独立した上、東三河に向けて侵攻した。
今川家に忠誠を誓う牛久保城(現・愛知県豊川市)の牧野定成らは窮地に陥る。
これに対し氏真は駿河衆を率いて牛久保城を救援、松平一統の軍と攻防をい繰り広げる。
松平一統の本拠付近で大規模な一向一揆が起きて、松平軍は撤収する。
一方、今川勢力圏内でも飯尾連竜らが離反の動きを見せ、氏真も兵を遠州に向けざるを得なくなる。
この軍事行動のとき、武田信虎が氏真の傍にあって作戦立案にあたったという説もある。
また逆に信虎は駿府に居り、氏真の留守を狙って謀叛を起こそうとして察知され、
この件によって氏真は兵を引くことになったという説もある。
いずれにせよ信虎の謀叛未遂は風聞だが、連竜の離反については事実。
結論
牛久保城救援は(一時的に)成ったものの、
松平一統に蚕食された領地の回復も成していない。
よって、引き分け。

208 :
氏真の戦い:遠州錯乱鎮圧戦
遠州で離反した見付(現・静岡県磐田市)の堀越氏延を、氏真は一戦のもとに破って滅ぼす。
離反して宇津山(現・静岡県湖西市)を奪った朝比奈真次も忠臣・大原資良によって鎮圧される。
また、離反の動きが見られた松井宗親、井伊直親を粛清し、蜂起を未然に防ぐ。
だが主犯・飯尾連竜が拠る曳馬城(現・静岡県浜松市元目町)は容易に落ちなかった。
しかし連竜があてにしていた松平勢は一向一揆鎮圧におわれて援軍を出せず、
曳馬周辺の同調者も見事に根絶やしにされたために連竜は孤立し、氏真と講和する。
後、連竜が駿府館にある飯尾屋敷に赴いたところを、完全武装の侍百人余りをもって襲撃、
連竜の妻や護衛の侍ともども斬る。このとき、氏真自ら白刃を振るっている。
さすが、剣術に自信があっただけのことはある。
なお、連竜夫人は薙刀を振るって抵抗し、氏真配下の侍数名を斬り伏せた。
あっぱれな武家の妻として、浜松よりも静岡で高く評価されているとか。
かくして遠州錯乱は、氏真の武断によって鎮圧された。
武田信虎を彷彿させる強硬さとも言えそうである。
結論
遠州錯乱を叩き潰した。
よって、氏真の勝ち。

209 :
今日は氏真の子孫、吉良義央が殺された日なんだよね…。
そう考えると忠臣蔵も何か違って見えるよ。

210 :
氏真って現代のヲタの先駆けだよなw

211 :
ごめんなさい(;´Д`)
これまで氏真のことただの暗愚な恥知らずと思ってました!!
このスレ読んで、それなりの戦国武将的立ち回りと、プライドを捨て悟りの境地に至ったのを知り、とても興味を持ちました。
しかも、荒らしがおらず、懇切丁寧なカキコがされており、戦国板一の良スレと言っても過言ではありません。
とりあえず、“天汝”探して読んでみます。

212 :
>>211
つ、釣りじゃないのか?
荒れたスレから来たから神経過敏になってるんでつい疑ってしまう
気分を害したらすまん
でもそういってもらえると氏真オタの一人として本当に嬉しいよ
ここの人たちの高潔な人柄の、そして氏真公の人徳の賜物ですな
>とりあえず、“天汝”探して読んでみます。
いつぞやの天汝厨の人、我々の同志が増えそうですなw

213 :
確か甲陽軍鑑に、氏真公は剛勇だが奸臣の三浦義鎮に惑わされ云々て記述があったと思うんだが。
甲陽軍鑑が100%正しいわけじゃないが、少なくとも成立期からすると当時の人のイメージと大体合ってたわけでしょ?
いつから文弱のエセ公家みたいなイメージが定着したんだろうな…

214 :
甲陽軍鑑にしろ三河物語にしろ、今川領を侵略した側の言い分を中心に据えた小説じゃんか。

215 :
>>213
多分武田も徳川も今川を裏切った負い目があったもんだから
「氏真が愚か者だったから裏切らざるを得なかったんだよ!」
ということで、最初に氏真=愚者として、後から理由をつけたんだと思う。
信玄からすれば、信虎の孫である氏真は野蛮な男でなければならないし
家康からすれば氏真は父の敵討ちもしようとしない、ひ弱な男でなければならない。

ところで今川家臣で本川根に城を持ってた小長谷氏について
詳しく知っている人いませんか?
一説によると氏真が武田に攻められたとき、一時的に身を寄せたらしいんですが。

216 :
信長の野望の氏真公の能力についてなにかひとこと。

217 :
>>216
ゲームだし、あれはあれでいいと思う。
でも公式のPKのアピールで「戦国一の愚将今川氏真もPKでこんな能力に!」
みたいな書き方するのはやめてほしい。
どうしたって信じちまう人たちが出てくるだろ?
こういっては何だが、ゲーム真に受けるような人間に氏真公を貶めてほしくないんだ。
すまん、ひとことじゃないなw

218 :
同じゲームでも天下統一では、氏真は政治に長けた良将と評価されてるね。

219 :
そこらへん、個人の能力値だけで表現するんでなく、
時代の趨勢を表すパラメータを導入してもらって、
そのパラメータで能力値を増減するようにすれば
「ああ、めぐり合わせが悪かったんだな」などという
風に納得してもらえるかもしれない。
ゲームになるかどうか、よく分からないが。

220 :
氏真の戦い:第一次駿河防衛戦
1568年1月頃から、甲斐武田氏が不穏な動きを見せる。
信玄は、氏真の妹婿にあたる親今川派の義信を幽閉し、同盟を一方的に破棄。
氏真は周辺諸侯に呼びかけ、武田領の経済封鎖を図った。
その威令は北条氏をも動かしたが、経済音痴である上杉謙信からほつれてしまった。
1568年12月、信玄は富士川沿いに侵攻。国境付近の今川方領主である荻清誉を討ち取り、さらに蒲原城などを奪取。
対し、氏真は薩た山の陣に軍を集結させ、狭隘な薩た峠を封鎖して抗戦の構えをとる。
一進一退の局地戦を展開し(薩た山の戦い/興津川の戦い)、特に庵原将監忠緑の奮戦は信玄をも感嘆させたとされる。
ところが有力一門衆である瀬名氏俊が戦線離脱。
自領が武田軍によって分断された駿東にある諸氏にも恐慌が伝染したのか、
葛山氏元、朝比奈信置らも離脱し、この時点で今川軍は崩壊したと言える。
かような状勢に至っても従弟である武田勝頼がこの立場ならばなお決戦を挑んだかもしれないが、それは愚将のすることである。
駿府に撤収した氏真は、非戦闘員を含めた民へすみやかに脱出命令を下し、掛川へ向かう。
このとき氏真に従っていたことが明らかな人物としては、豪族の庵原忠緑、由比正純、家臣の安藤定正がいる。
残された駿府館の守備には岡部正綱や安部元真があたって抗戦するが、殺到する武田軍からは守りきれず撤退。
駿府は武田軍によって放火・劫掠を受ける。
ほとんどもぬけの殻となっていた丸子城、用宗城(持船城)も武田軍に降伏し、
”静岡平野”のほぼ全域が武田軍に制圧されたことになる。
1569年1月、北条氏は北条氏政を総大将とする救援軍を派遣。蒲原城などを奪回する。
武田軍は薩た峠の守備を固めて抗戦(薩た峠の戦い)。
なお、この局地戦も「薩た山の戦い」と呼ばれることがあるが、先ほどの今川軍対武田軍の戦いとは別物である。
薩た山の戦い/興津川の戦い・・・西・今川軍 vs 東・武田軍(1568年12月)
薩た峠の戦い/薩た山の戦い・・・西・武田軍 vs 東・北条軍(1569年1〜4月)
北条軍の兵は多かったが、狭隘な峠道で身動きがとれず、大兵力を活かせないでいた。
結局決着はつかず、両軍は兵を引く。
武田勢は久能山城などに少数の守備兵を残し、本隊は甲斐へ撤収した。
結論
葛山氏、駿河朝比奈氏らの有力豪族が武田に降り、氏真は勢力圏を多く失った。
これは、負け。

221 :
氏真の戦い:掛川城防衛戦
掛川城へ入城した氏真一行であったが、このときは既にすぐそばまで松平軍が勢力を伸張していた。
それでほぼ五ヶ月に渡って松平勢と攻防を繰り広げることになる。
当然ながら、いつも掛川城の城壁を挟んで戦っていたわけではない。久野城を奪取すべく、出陣もしている。
久野宗能が城ごと松平氏に降った経緯はあまり真っ当とは言えない事情があったらしく、宗能の叔父が氏真に出兵を要請した。
叔父の意を受けた内応者が城内から撹乱する手筈であったが、宗能によって看破されており、内応者は処刑されていた。
よって久野城攻めは狙い通りには進まずに膠着。やがて松平軍が久野城救援に来たため撤収、城奪取は失敗に終わった。
宗能が久野家当主として松平氏傘下に加わった経緯は、表向きは>>93の通りになっている。徳川側の公式発表として。
しかし裏の話としては、桶狭間の戦いの後、一族皆が納得できるような当主は不在のままお家騒動が続いていたとも伝わる。
そこで松平元康は、自分の息がかかった宗能を強引に当主の座に据えることによって、久野氏の勢力を取り込もうと図ったと。
強引な手段とは、宗能と元康が共謀して、久野一族内の政敵になり得る有力者を暗殺したという件を含んでのことである。
だからこそ主君筋の今川家まで巻き込んだ内部抗争まで勃発したということで、なにやらきな臭い話である。
さて、掛川朝比奈氏に隣接する小笠原氏をも従わせた松平元康は、掛川城を着実に包囲する体制を構築し、付城を建設した。
しかしそれでも、落とせないでいた。
掛川城にも霧吹きの井戸伝説があり、本丸脇の井戸から霧が湧き出して松平軍を退けたという話が伝わる。
実際には井戸とは無関係に、霧が発生し易い地域だったわけだが。
一方駿河では、武田軍本隊が引き上げたことで駿府の守備が手薄になっており、氏真の指揮系統から外れた岡部正綱らが
手勢を率いて交戦、武田勢から駿府を奪回していた。
一応帰る場所ができた氏真は、松平元康が持ちかけた講和を受け入れ、掛川城を開け渡す。
拠点を失った朝比奈泰朝を加え、氏真らは駿府へ帰還する。
結論
遠江最後の拠点・掛川を譲るということは、遠州の領土権全権を放棄したに等しい。
これは戦略的には負けのようだ。

222 :
氏真の戦い:第二次駿河防衛戦
1569年6月から7月にかけて、武田軍は再び駿河へ侵攻。
今度は駿東から伊豆方面へ展開するつもりだったようだ。
しかし富士川の増水で足止めをくらい、そこへ蒲原城などに駐留していた北条軍に夜襲されて敗走、甲斐へ撤収する。
冬の農閑期に較べて短い、夏の農閑期の軍事行動である。元から長期的な活動をするつもりは無かったのだろう。
この頃の氏真に兵力はほとんど無く、領国再建で手一杯だったことだろう。
結論
氏真の戦いと言ってもいいのか、
この件には氏真はほとんど噛んでおらず、評価不能。

223 :
氏真の戦い:第三次駿河防衛戦
1569年10月、武田信玄は関東に出兵して小田原城を包囲、北条氏を挑発して引き上げる。
追撃した北条軍は三増峠付近で武田軍と交戦、大規模な合戦となる(三増峠の戦い)。
この大規模な軍事行動につられて、駿河に駐留する北条軍の守備隊も移動。
12月、手薄になった駿河を信玄は一気に侵攻し、蒲原城などを再奪取する。
薩た山陣屋に駐留する北条軍を牽制しつつ駿府を占拠。
氏真には抵抗する力は無く、小田原へ落ち延びた。
薩た山の北条兵も陣屋を開け渡し、帰国した。
ここまで果敢に粘っていた岡部正綱らも、ついに武田に降伏することになる。
氏真の領国再建の夢は、半年ほどで潰えた。
結論
・・・戦いになっていないかも・・・

224 :
これほど実像と虚像のギャップが著しい歴史上の人物も珍しい。
いや、珍しくはないか。
実像より美化される例なら珍しくないが、
ここまで無茶苦茶に貶められた虚像を創り上げられた例は珍しい。

225 :
そのギャップが魅力的で、資料必死で読みあさって
実像知ろうとしてしまうのかもな
これぞ氏真クオリティ

226 :
>>3の前半の文とかね
和歌や蹴鞠に没頭する暮らしは、浪人になった後のことだろ!と
時期と状況をわきまえずに、その人物の複数の面を混ぜ合わせると、
織田信長は不良少年風の奇抜な格好をしながら堺の経済を掌握したとか、
そういったデタラメな人物像になる

227 :
風流踊りにははまってたけどね。

228 :
それは耳にしたことはあるけど文献で確認したことないな。
ソース教えてくれ、読んでみたい。

229 :
氏真の大名時代って、
戦争を避けてたどころか
戦争ばっかやってたんだな
防戦一方だけど

230 :
防戦一方になってしまったのも仕方ないかと…相手が悪すぎる。
むしろ状況が悪化していく中でも自棄自暴にならなかったことを評価すべきでしょうな

231 :
ゴルァアメ公!氏真夫妻の肖像返せや!!
おめえらにワビサビに生きた氏真の良さがわかるのか!!!!111!!

232 :
>>231
アメ公「お前らがやっていない座禅や茶の湯を嗜んでいるわけだが」

233 :
>>228
『今川氏と観泉寺』より孫引き。出典は『校訂 松平記』とある。
永禄十(1567)年七月から九月末まで、駿河で風流踊りが流行ったという。
「駿河の国に風流の跳(をどり)はやり、諸人悉踊をことゝす、八幡村よりをどり初め、
 所々村々へおどりをかけ、是をおどりて返す間、殊々外踊あまたに成、八月の末、
 九月までおどりける間、町より御城へかけなど致す間、今年は中/\はや寒く成時分、
 踊の時には無之間、来秋返すべしとて九月の末より踊はやむる、
 時の出頭人三浦右衛門佐、殊の外是を好むの間、氏真へもすゝめ申、か様におどりをはやらすといへり、
 誠に国の滅すべき瑞相とは後に思合候也」
ちなみにこの年の八月、武田義信が殺害されて氏真妹が離別され、武田・今川間の関係は断絶、
今川家は北条氏とともに塩止めを実施している。
永禄十一(1568)年三月、寿桂尼没。六月に入ると約束どおり?また風流踊りが流行する。
「六月より踊又おこり、七月中半には一円万事をやめて踊の用意也、法大寺と申寺へ三浦殿より
 踊かゝり候へば、氏真ほうかぶり被成、太鼓を打給ふ、誠に此家の滅亡のしるし也」
この年十二月、武田信玄駿河に侵攻。

234 :
この駿河の風流踊りについては網野善彦氏の本(「無縁・苦界・楽」だったかな)にも
書いてあったように思うが、手許にない。
『松平記』(慶長年間に成立か)は徳川サイドの書物。
「氏真を裏切り信玄についた者たちの末路は悲惨」とか
「信玄が氏真をおそれて暗殺しようとした」とか、わりと今川に好意的な記述もあるようだ。
(もっとも、信玄をこき下ろして家康を称揚する意図もあるんだろう)
家康の創業時代の記述の種本になっているが、
「軍記物語」であって史料的価値は微妙という評価もあるらしい。
「義元上洛説」の震源のようで、また「謙信女性説」の出典の一つになっているようだ。
(ちゃんと調べたわけでなく、googleで検索しただけなので申し訳ない)

史料の成立過程とか評価とか、この記述の解釈とか教えて詳しい人。

235 :
231はネタじゃないか?232はそんな目くじら立ててマジレスしなくてもいいじゃん。
226もさ、スレ主の蹴鞠殿は世間一般的に言われてることを書いただけだろ?
俺は史実とネタが共存してた昔の苦難スレが好きだったよ。
史実に詳しくない人のために知識を披露してくれる人もいれば
ネタを出してスレを盛り上げてくれる人もいる。
そういう初心者にも書き込みやすい雰囲気があったからこそ
苦難スレもロングセラーになったし、氏真フリークも増えたんだと思う。
ここはまったりしてて俺もずっとROMってたけど、最近なんとなく排他的なスレになったと思う。
皆が皆文献を読んで研究しているわけじゃないんだ。
史実に詳しい人も詳しくない人も氏真公のことで盛り上がれる、そういうスレでもいいじゃん。
>>233
228じゃないけどサンクス。国会図書館で読んでみるよ。

236 :
>>232はネタにネタで返しただけだろ?
それをわざわざマジレスだなんて曲解しなくてもいいじゃん。
>>226もさ、世間一般で言われているとされる氏真像は、
意図的に捻じ曲げられて創り上げられたフィクションだという事実を述べただけだろ?
ここが「史実に詳しい人も詳しくない人も氏真公のことで盛り上がれる」スレじゃないとしたら、
一体なんなんだ?

237 :
>>236
自分の書いたことを否定されたからって切れるなよ
226=232=236だろ、ここ2、3人でまわしてるみたいだし
しかも235の文を引用して大人気ない
第三者から見ると235に肩入れしたくなるよ、お前の文見てると

238 :
>>237
第三者を装ってトンチンカンな寝言を書き込むなよ。
お前の決め付け・・・もとい、同一人物推定は間違ってるぜ。
論拠が成り立たなくて残念だったな。

239 :
どっちでもいいよ。ネタをネタで返しただけにしか俺にも見えないけど。

240 :
       /;;;;;;;;;;;;;\
      /\;;::::::::::::::::::ヘ   
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__ 
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l  
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕 
    /j/               ヾ、
     l::||::::              |l    人生、カッカしててもつまらないぞ!
     |::||:::::::..  (●)     (●)  || 
    |::||:::::::::::::   \___/     ||    そんなことより、楽しく蹴鞠しようよ!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  
  __/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ__ 
 「   \\ ヽ    ハ // /    | 

241 :
氏ちゃん、早川殿はどうしたの?

242 :
             _____
           /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ 
          /;;;;;;;;;::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;'i,   
          /;;;;;;;::::::::::/:::/:::/:::/ ̄^ミ'i,;;;;'i,
         |;;;;;/::::::://:::/:::/:::/   ミi::::|;| 
   / ̄\ |;;;;|::::::/ノ::ノ::ノ::ノ     |::::|;| 
  ,┤    ト|;;;;|:::::::| (●)   (●) /:::/;;|
 |  \_/ ヽ;|:::::::| *\___/*ノ:ノ;;;;;|  呼びました?
 |   __( ̄ |:::::::| __ \/ _ ノ;;;;;;;;;;;|
 ヽ___) ノ;;;'i,::::::'i,;;;;;;;;;;; ̄  ̄ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|

243 :
岡部正綱って、よく頑張ったと言える?
今川、武田、徳川と仕え、主君が変わってもベストを尽くし、
それぞれから重用されてる名将に見えるんだが。

244 :
太閤立志伝5乱麻の章の氏真で天下統一した。
翌年死ぬはずの雪斎和尚が10年以上生き延びて、
一緒に征夷大将軍就任を祝ってくれたよ…。

245 :
>>244
それ頑張った氏真だろ
頑張らない氏真で天下取ってみろよ

246 :
>>245
最終パラメータは剣聖などの称号による上昇を入れて
統率34 武力73 政務77 智謀35 魅力67です。
頑張らない氏真ってどんな感じなのでしょう?

247 :
>>245
技能とかパラメータを極力上げてない準初期能力でクリアしろってんじゃない?
称号は極力とらないように、家宝・修行によるアップはしない、みたいな。
ふと思ったんだが、氏真公が(主にネットで)酷い扱いなのはゲーム上の能力より
烈風伝のチュートリアル漫才のせいだと思うんだ。
アレ見て今川家プレイしたくなったのは私だけではあるまい。

248 :
自らを晒して今川家に興味を惹かせる――
まさに氏真公の深慮遠謀だな。

249 :
PS版のだっけ>チュートリアル
あれはあれで面白かった

250 :
そう、PS版の。
褒美の与え方でシロ(義元の狩猟用タカ)を勝手に家臣に与えて、
そこから繋がった桶狭間直前のやりとり
氏真「父上!朝比奈殿にシロを返してもらいました!」
義元「この焼き鳥うまいのぉ・・・して、シロはどこじゃ?」
氏真「父上の目の前にあるではありませんか!」
はかなり笑った。
チュートリアル専用顔グラも面白かったし。
もう一回見たいなあ。

251 :
もうすぐゼミ発表だけど今川氏家臣朝比奈氏について発表しようと調べてる。
過去の論文を見ても他の三浦氏や福島氏、岡部氏の研究はよく目にするけど
朝比奈氏を専門にした研究は自分の知る限り無いと思う。
これは狙い目だと思った。
ちなみに氏真が没落して家臣が暇乞いして出て行く中、
文献に見る限りでは一番最後まで氏真に仕えていたのは
かの朝比奈泰朝の弟(泰能の三男)、朝比奈泰勝・・・

252 :
その泰勝はその後家康の配下に入り活躍した。
この人物だけでも一本論文が書けるかも。
ところでウィキペディアを見ると朝比奈泰朝が1538年生まれで
氏真と同い年と書いてあるけど、どこから引用したんだろう・・・・
手元の戦国人名辞典東国編(2006年版)を見ても生年不詳になってる。
江戸時代の逸話集からなのだろうか?

253 :
北条氏政(笑)
武田勝頼(笑)
今川氏真(笑)
織田信長(爆笑)

254 :
下がりすぎ。あげ

255 :
>>251-252
正月に掛川行ったんで、掛川城で朝比奈のことを聞いてみたんだけど
「他の家臣が裏切る中、最後まで氏真に従った朝比奈泰朝は忠臣として立派な人物だし
初代城主の一族だからもっとプッシュしたいところだけど、資料がないからできない」状態みたい。
朝比奈泰朝のその後も、wikiだと酒井忠次の配下、
詳しい人に聞いたら紀州徳川の家臣になったらしいと言ってたし…
本当のところはどうなんだろ?
天下を汝にだと、負傷して帰農したって泰勝が言ってたけど…
掛川城の入場券に朝比奈の家紋はなかったけど
パンフレットで見たら掛川城の瓦の家紋は、朝比奈の三つ巴だった。
わかる人だけわかればいい、って考えなのかな?

256 :
泰朝の子孫と思われる人物が酒井の家臣に加わったから、
泰朝本人が忠次に仕えたかもしれない、という憶測に留まってる。
忠次は大物だから、現役当時の幕僚目録を徹底的に洗うことで
泰朝の名前が出てきてもよさそうなものなのに。
そうはなっていないからには、やはり全くの消息不明としか言いようが無い。

257 :
「どこかで見た記憶」ですまないが、
泰朝はその後北条に仕えたという説を読んだことがある。
古い本だと、氏真が頼った当主を「泰能」としているのもあるし。
朝比奈の史料はそんなに残っていないんだろうか。

258 :
「その後北条に仕えた」というのは、
氏真に付き従って小田原へ亡命した家臣団全員を指して言ってる様子だわな。
北条家に引き抜かれたという話があるとしたら、初耳だ。
可能性は無くは無いが。
小田原滞在集中にひっそりと没した可能性も無いことも無いし、
その期間に脱落して帰農した可能性もあるかも。

259 :
掛川系の子孫と称する朝比奈家で、代表的なのは庄内酒井、水戸徳川、和歌
山徳川家。
庄内は酒井忠次に仕えた泰基の子孫で父は常陸介泰朝(忠次預かり)、祖父は
備中守泰就とあり名前が混同してる感がある。
水戸は泰朝の従兄弟の子・泰雄の子孫。泰雄は一時、北条氏規に仕えたらし
く文書も確認できる。
和歌山は弥太郎泰勝(後の惣左衛門泰倫)の子孫。泰勝は泰雄の弟とも、泰朝
の弟(養弟)ともあって混乱甚だしい。
泰勝は長篠の戦いで内藤修理を討った人物として高名。

260 :
        , - 、,,__
    , -'":::::::::::ヽ:::` 、
   r' 、;;;::::::::::::::::::::\:::::ヽ
   |::::::::::'' ー- 、_;;;;;;;;ヽ;;;;-ヽ
  /ヽ、,i'i:::::::::::::::::::::::::::|::::::::|
  /ミミヾ|lミミテ'ー-----、レ-‐''i
  ドミミミ||ミミ        ::::l
  |ミ、ミミ||ミ -=エエ'=、  ,ィ=''}
  l'⌒ヽ||   ,ィ'ェァi`  (ィェァ'{
  l ! r{{:||     ̄ .:: ゙: ̄:::}
  ヽ" :||  ::::..  ,ィ::  ヽ:..::i   大儀である!
    `i-||      _,,,,,'~ ー'.:::/
   y' ll   ,〃ィ===ァ゙V
  /{ { ヾ、,,      ̄,"::/
_,,ィ' ヽヽ  i!i!ii;;,,,,,,,;;i!i!;;;!
  l   ヽヽ  !i!i゙ヾヾ!i!リハ、
  l   \\  `゙`ゾ ヽ` ー-、_

261 :
なんで今川氏真は天下を取れたのか
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169568056/

262 :
age

263 :
何か温厚な人間と言うよりは細川忠興と似たようなのイメージがある。
手打ち大好きキレると何するかわからね〜ぞみたいな。

264 :
>>263
そういう人間だったら、
信長か家康に言いがかりつけられて速攻で殺されていると思う。

265 :
和歌によって評価が落ちる氏真だが。
和歌の良い面の、周りを瞬時に理解ずる洞察力。
どんな場面に遭遇しても詠む平常心と決断力。
自分の感情を伝える表現力が磨かれているのではないか。

266 :
心の底から野心皆無だったのは確かだな
恵まれ過ぎてるほどの温室育ちで血みどろの家督争いをした訳でもなく
突発的に親父が死んだらからしょうがなく家督を継いだ
義元は優しい親父だったんだろう
甘やかされまくったに違いない
戦国大名なら道三の嫡男みたいに親父をぶっRほど過激に育つべきだった

267 :
風林火山に出そうだね
義元の描き方からして期待していいかも

268 :
風林火山って川中島で終わるんだろ?
氏真いくつだ?

269 :
20歳位。
信玄の姉が出れば、姉に抱かれた氏真を義元・信虎・寿桂尼・雪斎が幸せそ
うに見る場面があったりして。

270 :
氏真は信虎に似たのかも

271 :
信虎の人心掌握術と寿桂尼の軍事戦術センスを受け継いだら、
すごいことになるかも

272 :
>189にある富士信通は、氏真が掛川に逃げた後、大宮城で2度の武田軍を撃退
し、3度目は信玄自ら大軍を率いて、20日間にわたって昼夜攻め続けられ、
北条・氏真より何度も開城を進められた為開城した人物。
氏真家臣の中で、評価されていい人物だと思う。

273 :
それは親父の方じゃね?

274 :
富士氏はこの時代、親子でほとんど一緒に行動してたからね。
>>272が挙げている事跡の軍事面に関しては、富士親子の事跡と言ってもいい。
まあ「大殿から契約解除の通達が来たから、これ以上今川家に義理立てする根拠はない。
武田に降伏しよう」という最終決断は親父が下したのだろうけど。
それとも、評価されていいというのは、武功のことだろうか。
この今川勢が圧迫されている時期に、天晴れな抵抗戦を展開したのは富士親子と岡部正綱くらいだから。

275 :
どっかのスレに、信忠と武田攻め後の信長がむちゃくちゃ意気投合したってあったよ。
本能寺が無かったら、富士氏は信長に重用されたかもな。
その後は世俗を捨てて神官としての仕事に専念するようになったみたいだけど。

276 :
>>273
父親をわすれていた。
>>274
評価とは、武功含めた部将としての評価。
奥平信昌とまではいかないけど。
>>275
その話は興味あるね。

277 :
おい、氏真が信長を倒す架空戦記ものがでたらしいぞ

278 :
歴史群像新書
坂上天陽
「異説戦国志 桶狭間に死す」

279 :
故新田次郎氏の「武田信玄」での氏真評が面白かったな。
だいぶ前に読んだから細かいところは忘れたが大体こんな感じ。
蹴鞠をする氏真の様子を見た氏康が「剣を教えれば一流の剣士に、学問を教えれば一流の学者になれた資質を持っている。
武将としてちゃんと教育すれば父の今川義元以上の武将になれただろう。
それを愚かな主のほうが都合がいい家臣たちが寄ってたかって暗愚な男にしてしまった。
しかしこの乱世においてはあのような人物こそ最後まで生き延びるのかもしれない。」

280 :
なんか、親が先祖が今川とか言ってた。
でも、俺サッカーうまくないんだが。

281 :
氏真のスレがあるなんて嬉しい^^
中学からのファンですが氏真様の情報が少なかったので。

282 :
どういう径路で氏真公ファンになったのか知りたい

283 :
勝者の歴史が好きじゃなかったので。かな。

284 :
おおー。
氏真の末裔か、それ以前に枝分かれた一門なのか、
調べてみたら面白いんじゃないかと思う。
俺も、ゲームでも小説でもドラマでも、あんまり低評価だから却って気になったんだなあ。
最初はものめずらしさだったけど、「天下を汝に」で決定的に魅力に取り付かれてしまったよ。
駿府が陥落したときに早川殿が裸足で逃げたというエピソードは知ってたけど、
その後晩年まで連れ添ってたなんて知らなかったし。
光の当たる場所だけに人がいるわけじゃないんだよな。
地味に生き延びた人物、地味に生き延びられなかった人物の生涯が愛しい。

285 :
         ,、          _
      / l          ヽヽ
      ,′|          ヘ ヽ
      l  l           l ヘ
      |  l           l. l
      | ヘ              l  |
      ヘ  ヽ         /  j
      ヽ  \ , -┬┬、/.  /
       \   7   ヽ ヽ_∨ 
         ヽ  l   .  二 --`ゝ    井伊家にとっては
          /ゝ' _.. '-'´ ・   ・ ヽヽ   氏真公はひどいお人だにゃん
         j−'´ |  =   _人  ~ l 〉
        / ̄ ̄l         ノ´
         / ̄ ̄~|      _.. ィ‐┐  
        ゝ──'>ー<二○'´i ̄       

286 :
↑擬態的に言って下さい。

287 :
なんか、飯尾連竜の狙いが見エネ。
連竜夫人(田鶴の方?)が井伊家の重鎮(昔、井伊家当主を務めたこともある長老格らしい)を
毒殺したけど、この事件では連竜の意向があったと言うし。
被害者側である井伊家は、氏真にも現役当主を処刑されたようなもので(しかも冤罪だった)、
まさに踏んだり蹴ったりだな。
連竜が引き起こしたこれら騒動の方向性の不透明さが「遠州錯乱」と呼ばれる由縁か。

288 :
飯尾連竜は独立心旺盛だったと思う。
井伊直平、井伊家の男(子・孫)がことごとく死んでいくのを見て、ご隠居の
身から、戦陣に出なくてはならなくなった。
そこで毒殺とは不幸な85歳の生涯でした。

289 :
ところで氏真の肖像ってないの?全然イメーシ湧かないんだが。

290 :
>>289
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3e/6c/me468646/folder/1188778/img_1188778_22922429_0?2006-06-04
このくらいかな?

291 :
この御方がアニメーションして蹴鞠なさるのかぁ

292 :
これは秀逸w
http://www.cocktail.st/sengoku-k/hissatsu/hissatsu70A.shtml

293 :
>>284
お二人は、駿府を追われ、早川殿が慶長18年・氏真が慶長19年に亡くなる
まで、45年間連れ添って生きていたんだよな。

294 :
>>290
これ多分江戸時代だね。後世のイメージから描かれたやつかと
ところで品川庄司の品川は氏真の末裔だと誰かから聞いたけど
どうなんだろ?

295 :
>>294
母親の実家の姓が品川らしいから、そっちから出た話かも知れない。
末裔かどうかの真偽は分からないけど。

296 :
宗ァは近江八洲郡において五百石の知行を得、没まで十余年は品川の屋敷に住んでた

297 :
>>289
妙心寺107世雲屋祖泰による著讃の氏真の肖像画が在る。
これによると、角ばった顔・大きな鼻・ずんぐりした巨体となっている。

298 :
蹴鞠には定評がある氏真

299 :
大河やるなら少なくともリフティングが上手い人か・・・
スマン、俺には矢部(ナイナイ)しか思い浮かばなかった・・・顔もアホそうだし。

300 :
>>299
岡村が氏ザねやったら似合う

301 :
バロンドール氏真

302 :
>>299
押尾学はサッカーでドイツに留学してたやうな。

303 :
>>302
俺の脳内では氏真は
「能力的には良くも悪くも普通だが、結局大名としては不適格でした。
ただ、嫁とも仲良くて子にも恵まれ文化人な心持で最終的には高家として残った『戦国レースを完走しきった男』」
と認識してるが・・・それでもお塩はないだろ。

304 :
http://n.pic.to/eyzkq

305 :
あんまり武士っぽくないよな。
でも、武田は恨んでたんだろな。
似合わないのに、長篠合戦で織田方に付いて戦ってたらしいよ。
父の仇は許せても、自分を裏切った武田は許せなかったのかな?

306 :
>>305
徳川慶喜が明治になって「最初から敵として向かってきた長州に恨みはない。憎いのは変節した薩摩である」
って事を言っていたな。乱世にもスポーツマンシップは存在するって事なのだろう。

307 :
>>305
徳川旗下だよ。長篠合戦での立場は。
家康の作戦に従うことはあっても、
その同盟相手である信長に命令される筋合いは無い。

308 :
活性化祈願age
懸川城合戦では徳川と武田の対立のお陰で
有利な条件で講和できた氏真マンセー

309 :
最後にあれだけ粘れるなら薩田峠で粘れといいたくなる。
そうすれば今川2万と北条3万で挟み撃ちにできたのにな。

310 :
薩垂峠?

311 :
さったやまの戦いでは氏真自ら出陣するも
重臣が悉く裏切りまくって駿府まで撤退・・・・
武田は用意周到だなぁ。
北条も12月12日に小田原を発って駿河救出に行ってるけど
12日の夕方には決着ついてたり・・・・

312 :
氏真は馬鹿が付くほどのお人よし。(典型的な静岡人)
永禄6年、遠江で飯尾・堀越等の反乱を、有る程度抑えただけなのに
三河に本格的に手をつけず、12月には、堀越を唆した信玄への援軍、多分
大軍を甲府に送っている。

313 :
>>303
俺の脳内では
「駿河の名門今川家の嫡男として産まれ、文化、政治、謀略にも優けたが、
戦国の時代に合わず、周囲の野心家の餌食となり地位を追われ、
しかし元来は素養十分であるからむざむざと殺されるようなことなく後世に血を伝えた。」
って感じだから、
自信家な押尾が周囲の圧力に悩み葛藤しながら堕ちて行く様を演じたらピッタリだなと思う。
武田と徳川はキムタクやISSAがいいな。
ところでこのスレは静岡県民が多いのかな?
俺は江尻だから興津駅まで度々散歩するんだが、さった周辺には記念碑か何かある?

314 :
このスレ読んで、氏真=ジャック・スパロウってイメージが湧いた

315 :
ウィルやエリザベスは誰になるかなぁ?

316 :
武田義信とその奥さん。

317 :
氏真さんはテクニックはあるが当たりに弱い選手になっていそうだなぁ

318 :
Q 急に
T 武田が
K 来たので

319 :
しかしまあ、よく生き残れたよな
案外あんな状況だと奇跡的かもしれない

320 :
それだけなめられてたってことなんだろうな。
普通は危険視されて、殺されるもんだが・・・・

321 :
駿府から掛川への逃避行も
北条から徳川への大脱出も凄いといえば凄い。
先祖の寿命や運を全て頂戴したような男だなあ。
まあ大名としての価値は北条氏直を養子にされたことで
終わったようなものなんだがそれでも危険分子には違いない。
自分を決して殺さないような大名の懐に逃げ込む嗅覚があったんだろうか。

322 :
結局このスレでの氏真の能力の評価って光栄信長的に言うとどんくらいなん?

323 :
文化人としての評価なら
氏真>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>信長

324 :
政80武70知80くらい?

325 :
いくらなんでも武力と知力たけーよw
逆に政治は90くらいいってもいいけど。

326 :
>>325
いや、むしろ
政60武50知90
こんなだろ。

327 :
親父の義元は短足で有名だろ?
もし氏真もそれだったら、いくらリフティングの名人でもサッカー選手としては致命的

328 :
もし氏真が短足でも蹴鞠なら問題ないんじゃね?
リフティングとは違うんだし。

329 :
蹴鞠は膝を曲げたりはあまりしないんだっけ?

330 :
形式美だからな

331 :
NHK「風林火山」に登場する若き日の今川氏真も、
どうもアホっぽい設定らしい。
リフティングのシーンはあるのだろうか,,,,,

332 :
外見アホ中身優秀

外見アホ中身普通

外見良い中身アホ

外見普通中身アホ

外見も中身もアホ
かでずいぶん違う。
氏真役って誰?

333 :
>>331
俊輔がやりゃあいいんじゃね?ポワーンっとしてるからさ
もうガクトがありなんだったら何でもありでw

334 :
ワッキーが適役

335 :
>>1
リフティングの巧さとサッカーの巧さは全く別物だボケ

336 :
谷原が親父役だから20代前半の若手俳優でも無理があるな

337 :
>>335
そういう線もあるかもね
矢部とか

338 :
リフティングだけをやるプロダンサーなんてのもいる訳で。
日韓W杯の時、彼らが試合の合間にダンス披露して好評だったけど、あんなリフティングできる日本代表はいまい。
サッカーとリフティングのうまさは別物って事だ
それが分からない>>1とそんなつまらんネタに乗っかる馬鹿どもが多くて困る

339 :
でもさ、今川氏真様はサッカーをプレイしたことが無いんだぜw
ひょっとするかもしれないが、残念ながら漏れには確認する方法が無い。
つまり漏れはこの話題には秋田

340 :
1年前のネタにマジレスするのが最近の流行なのか?

341 :
だいたい蹴鞠は足の先しか使っちゃいけないんじゃなかったっけ?

342 :
氏真は44話位にでてくるな
ネタばれすれっどに出てた

343 :
44話?

344 :
大河の44話くらい。

345 :
おまいらにちょっと質問。
桶狭間の戦いで義元が討ち死にしたあと
どういう行動をとれば
氏真は領土を保全し得たと思う?


346 :
>>345
とにかくすぐに兵を糾合して信長への復讐戦を主導することだろうね。モタモタしていたから参加の武士団の離反が
起きた訳で。そうすれば求心力の低下は最小限に抑えられただろ。

347 :
氏真が桶狭間の事後処理に難航していて引きこもってた結果、
気付いたら「殆どの諸将に見限られてました」だからな。
重臣に「後任せたとりあえず可及的速やかに三河行って途中で兵集めて信長ぬっ殺してくる」とでも言えば、
とりあえず氏真の株は上がってたことは確かだ・・・と思う。

348 :
それなんて実権喪失フラグ?

349 :
でも公家育ちだったんでしょ
いきなり棟梁になれっていわれてもどうすればいいか分からんよな

350 :
義元が死んだところで引き上げないで、そのまま弔い合戦に突入していればよかった。

351 :
ゲームなら再び兵を集めるのも再侵攻も簡単だろうけどなwww.

352 :
重臣がことごとく討ち死にしてるし

353 :
理由はどうあれ、名将と謳われた父が大軍引き連れて討ち死にしてるのに
公家育ちの氏真がろくな家臣もいないのに兵を引き連れて戦いにいけるわけがない。
織田にびびって気持ちが挫けるよ。本人に士気が無い。

354 :
親父が死んだのもそうだが、重臣クラスも死んでるのが痛い

355 :
ちとぐぐってみたら、討ち死にした直後に三河に砦を築いたりとかは
してるみたい。
あと、詳しい奴に聞きたいんだが1562年に御油で今川と徳川で戦闘があったっぽいが
いくつかのサイトにちょっと書いてあるだけで詳細がわからんかったんだが
どの程度の規模の戦いだったん?

356 :
元康が織田と同盟結んだことに氏真が激怒して兵を出したが蹴散らされたんだったかな。
それで松平の人質を殆ど殺した。

357 :
>>356
トンクス
自分の氏真のイメージはまったく戦いが嫌いで
三河を家康に侵食されるに任せて結果離反が相次いだ。
くらいの認識だったので
意外とやれることは氏真もやっちゃいたんだな・・・
相手が悪すぎたのと家督を継ぐタイミングも悪すぎたようだね・・・
このスレ見なかったらぐぐりもしなかったろうから、ちと勉強になった、有難う

358 :
 俺も義元の子供だったらおろおろしまくりだろうなぁ
 優秀な父ちゃん死んで周りの頼れそうなブレーンが殆ど死んだら
 オマエもいきなりネ申のように行動は出来んだろ?

359 :
できないな。

360 :
文弱な公家大名と言うのは間違った氏真公観でし。
教養豊かなのは確かですが、剛勇の将ってのが本来の評価だす。
剣は免許皆伝、蹴鞠の腕は天下一。
運動神経抜群であったのは疑いの余地が有りませぬ。
プチ足利義輝公って感じ。

361 :
大名で免許皆伝って何かメリットある?

362 :
学習塾が開けます

363 :
>>360
足利義輝に謝れ!

364 :
>>361
謀反を起こした家臣を呼び寄せて、手打ちにする事が出来るですじゃ。

365 :
小説の中で、穴山梅雪を暗Rるという見せ場がまわってきます。

366 :
もし俺が氏真だったとして
さあ、今から今川家の棟梁です
西は織田、徳川 北は武田 西は北条がいるけど
がんばって倒してね!
とか言われた日には・・・


内心どころか表情まで('A`) になってそうだ・・・


367 :
しかも負け戦直後からの突発スタート。

368 :
>>363
義輝様、上洛を果たす事が出来ず申し訳有りませんでした。

369 :
今川を攻める好機だなどと武田信玄をそそのかしたのが発覚したにせよ、
隠居の信虎を野に放ってしまったのは失策ではないか。
めちゃめちゃ扱いにくいだろうが、信虎を手元に押さえておけば、
信玄も容易には駿河に侵攻できなかったはず。

370 :
長生きすぎだよなw信虎

371 :
北条氏直は今川氏真の養子

372 :
おじいさんに似たお陰で氏真さんも長生き出来ました。

373 :
>>311
> さったやまの戦いでは氏真自ら出陣するも
> 重臣が悉く裏切りまくって駿府まで撤退・・・・
> 武田は用意周到だなぁ。
> 北条も12月12日に小田原を発って駿河救出に行ってるけど
> 12日の夕方には決着ついてたり・・・・

374 :
下がりすぎage
卒論がなかなか進まないなorz

375 :
桶狭間の敗戦処理という難題からスタートし、
続発する謀叛を潰して回る、正にモグラ叩き状態。
そこへもって武田の裏切り。
家門存続を投げ出したくもなるわな。
どの時点でプッツンしちゃったんだろう?
長篠合戦後、諏訪原城城主を辞した時点かなと思うのだが。
たしかこの時点で、小田原亡命期も供した郎党とも別れ、”今川家”が解散してるよな。
この後は軍事とは関わらない生き方に投じたようで。

376 :
>>375
義元死後の混乱を収められなかった事で、自分は大名の器ではないと、見切っちゃった部分は有っただろうね。
長篠の後に今川家を解散させたってのは、同盟を裏切った武田への恨みが、それでも今川家祖存続させるほど強かった、って
事なのでしょうな。それが甲斐に追い返されて、積年の恨みも晴らした。じゃあここまでか、って事かと。

377 :
氏真が懸川が開城し北条氏の庇護下に入った後も
今川氏の家臣は駿河にまだポツポツ残っていて
氏真は小田原から彼らに命令を出して武田と戦っていた。
しかし実質的に駿河の駿東郡ぐらいしか影響力がなかった。

378 :
家臣団についても語ろう

379 :
三浦氏の諸家とか?
曳馬の飯尾氏って、どういう位置づけなんだろうな?
土着の豪族ではなく、都から今川と一緒に派遣されてきた今川譜代の家臣だったのが、
遠江に派遣されて地方領主化したものらしいが。
上に立つ領主が入れ替わろうとも、自分とこの領地が保障されればそれでよさそうな土着豪族の方が頑張ったのに(岡部氏・庵原氏など)、
今川の禄を食んだ譜代が裏切るわ、一門衆がサボタージュするわの構図が痛々しい。

380 :
wikipedia氏真が今川流開祖って書いてあるけど、
どんな剣術なんでしょう?
一流の創始者ならかなり腕は良かったんだろうな。
信長の野望も内政だけでなく武勇を積み増して欲しい。

381 :
>>379
引間城は松平の進行を防ぐ重要な拠点でもあり、頼みにはされてただろうから
飯尾連龍の離反は痛かっただろう。
国内は荒れるしおまけに三浦正俊まで討たれた。

382 :
ちょっとズレるけど三浦正俊って悪人じゃないよな

383 :
未確認情報で申し訳ない。
先代、義元パパが今川家当主に就任するに至る内紛”花蔵の乱”にて、
飯尾氏は敵対側に付いたような記述を見かけた。見付の堀越氏と同様にね。
結果、義元側が勝利して、堀越氏は力を削がれてる。
堀越氏の場合、その不満が鬱積していて、桶狭間合戦後に噴出して離反したかもしれない。
まあ堀越氏の離反は、速攻で氏真に潰されてるが。
飯尾氏も堀越氏同様に、花蔵の乱で顰蹙を買って力を削がれたとしたら、
先代の責任とはいえ、お家の地位転落に不満があったのでは?
義元は二俣の松井宗信を重用。松井氏が遠州経営の中心に据えられたことで、
飯尾氏は遠州ナンバー1重臣では有り得なくなった。
花蔵の乱後の処置が離反の原因だとすると、氏真に責任はないわな。

384 :
そうは言っても、敵に回ったやつを重用するわけにはいかんでしょう
柴田勝家みたいな例もあるけど

385 :
家臣といえば、
1番に岡部元信。
「三河物語」に、武辺といい、侍の義理といい、譜代の主への奉公といい、日本には有難し。
尾張より東において、岡部の名を知らぬものは無い。と名声を得ている。
2番に朝比奈泰朝。
3番に小笠原長忠。
「甲陽軍艦」に、小笠原は若いといえども、家康におとらぬ。
小笠原の弓箭のふりを、当家の先衆・2の手衆に習わせたい。と信玄に言わしめた。

386 :
この人が現代に生まれていれば、ワールドカップで賞賛の嵐を受けていただろうに。

387 :
>>386
テクニックは一流なれどシュートの決定率が悪くやっぱりファンから怒号を。

388 :
岡部元信
生年不明。1581年没。
岡部正綱(1542年生)の弟にしては、軍歴が早すぎる。
第二次小豆坂合戦(1548)では6歳そこそこで一軍を率いて活躍したことになる。
おそらく正綱の叔父に相当する年代の人物だったのに、正綱の弟と記録が混同されたものと思われる。
第二次小豆坂合戦は松平家を救援する戦いであり、その勝利の立役者となった。
また、鳴海城が今川方に投降してからは鳴海城の守備に就き、織田勢の三河侵攻を牽制し続けていた。
三河衆にとっては感謝しきれないほどの武将であったことだろう。
桶狭間合戦の大勝で勢いづいた織田軍は追撃部隊を増援し、鳴海城にも襲い掛かった。
前線の他の城にあった今川方の守将が次々と逃亡する中、元信は鳴海城に踏みとどまり、織田軍を食い止めた。
鳴海城に粘られたことで織田軍の追撃は挫け、今川軍の要人にそれ以上の犠牲が出ることは防がれた。
しかる後に主君・義元の首級と鳴海城を交換するという政治的センスをも披露する。
今川氏真が駿河を放棄するに至り、元信はとうとう武田の軍門に降る。
調略に乗って早々と武田に寝返ったのではなく、可能な限りの抵抗戦を戦い抜いての投降だった。
武田信玄は、そんな元信を重用した。
武田家の凋落が決定的となっていた頃、徳川軍の投降勧告を拒んで討ち死にした。
三河衆にとってかつては頼もしい味方だった武将が、最期はあっぱれな敵将として散っていった。
「三河物語」で高く評価されるだけのことはある人物である。

389 :
>>386
のちの中村であった

390 :
>>387
QKK(急に家督が来たので)

391 :
「急に家督が来たので、内部をまとめる方に力を注いでしまった。外敵と戦えばよかった」

392 :
外敵と戦おうにも、軍制が機能不全つーか、麻痺してるぞ。
今川軍の主力を担うべき庵原部隊、松井部隊、井伊部隊、蒲原部隊なんか
指揮すべき人物が死んじゃってて、再編しなきゃならん。
まともに動員できるのは岡部部隊、朝比奈部隊、鵜殿部隊くらいか?
ある意味、戦力半減だわな。

393 :
>>392
たとえ半減でも、桶狭間で言われてる眉唾の兵力差が本当なら、余裕で戦えるけどなw
三国同盟は続いていて、敵は一方向なわけだし。

394 :
ネタレスにまじれすしてるおじちゃんがいるよー

395 :
後からネタで逃げる厨房キタコレ

396 :
>>390-391のどこがマジレスなんだ?

397 :
義元が死んだ直後の動員できる兵力はどのくらいなんだ?
いいとこ7,8000人ぐらいじゃないんだろうか

398 :
まー氏真は戦の指揮もあんまり上手くはないが、なんと言っても「調略」がまるでアカンやろ。
攻めて来るのが武田信玄&徳川家康という時代を代表する調略の使い手だとしても、
あまりにも一方的にやられっぱなしで、領国の屋台骨がガタガタやな。

399 :
>>385
小笠原長忠は、今川傘下としては活躍してないんじゃ?
活躍は徳川傘下時代に偏向してるような・・
・姉川の合戦では、一軍を率いて勝利に貢献する。
・信玄による高天神城攻めでは巧妙に防衛し、信玄に攻略をあきらめさせる。
・勝頼による高天神城攻めでは粘り強く防衛し、援軍がなくて結局降伏するが、
 対等に近い条件で勝頼から講和を持ちかけられるほど激しい抵抗戦だった。
武田に下ってからは、ぱっとしない

400 :
hosyu

401 :
世に出たとたん目も当てられないほどの大敗北をしたけれど、人生をトータルで見ると
勝ち組になっていた、って言う珍しい戦国武将だな。

402 :
NHKの大河ドラマはもう少しで三国同盟の話しになる。
嫁取りの話で、氏真もそろそろ登場する頃だ。
ドラマでは、ビッグな引き出物のお話は出るかな?

403 :
>>401
勝ち組になったのも、
氏真自身が剣術・礼法にとどまらず和歌・蹴鞠に至るまで傑出した、
時代を代表する教養人だったおかげでして。

404 :
剣術かで蹴鞠の名手、古典教養に優れ、絶望的な状況でも切れない胆力と粘り、
父の仇にも警戒されない巧みな処世術。
これだけ見ると、一流の武将なんだがなあ。

405 :
甲陽軍鑑は氏真は三浦右衛門という者を重用したのが失政だったが、性格は
剛胆だったと書かれているね。
品第十一では
「子息氏真公代になり、猶以作法あしくして、家に伝る家老朝比奈兵衛ノ大夫其外
よき者四五人ありといへども、氏真公其四五人の者を崇敬ましまさず、三浦右衛門と
いふ愚者の申まゝに成給ひ、三浦右衛門が身よりの者、或は三浦右衛門が気に
あふたる者斗仕合よく、左道なる仕置故、三河国大方敵となる。然ば永禄六年
癸亥に氏真公馬を出し三河の吉田に陣取給ふ時、遠州にをひて井伊野心替りにて、
しらすかのあたりを焼ければ、さすがに氏真公心は剛にてまします故、少もさはぎ
給はず、壱万四千許の人数、九千あまり右申作法悪(あしき)者共なれば、周章噪
(あはてさはぐ)事大形ならず。井伊野も又根のなき俄の逆心によつて、軈而(やがて)
降参仕る。氏真公分別しあて給ふとても、未練にてはならず。氏真公心の剛に
まします故に如此なり」
あと珍しい話としては将軍義輝の馬が病気で困っていると、乞食坊主のような者が
来て薬を与えたら治った。この薬方を書き留めた一宮随巴という武士が義輝の
死後に駿河に下り、薬好きの氏真に教えたので「氏真公のあか薬」と呼ばれて
有名になったとか。(品第四十下)
家康も薬好きで有名だから何か影響関係あったのかも。

406 :
>>404
> 剣術かで蹴鞠の名手、古典教養に優れ、絶望的な状況でも切れない胆力と粘り、
> 父の仇にも警戒されない巧みな処世術。
まるで家康だ。

407 :
>>402
氏真の登場シーン昭和のコントみたいだったね

408 :
                 ━┓
           ___  ┏┛
         / ―  \ ・
        /  (●)  \ヽ
       /   (⌒  (●) /
       /      ̄ヽ__) / 
.    /´     ___/
    |        \
    |        |       ←氏真

409 :

      ∩雪斎_∩
      | ノ  _,  ,_ ヽ
     /  ●   ● |     今回北条が動いたのはきっと謀略クマー
     | U  ( _●_)  ミ     しかしここは「したたか」になるクマー
    彡、   |∪|  ノ       幸い氏真さまはまだ独身クマ
     /     ヽノ  ヽ /⌒つ  北条から姫君をもらうことで同盟を結んで
     /  /         ヽ /    いっそのこと後顧の憂いをなくすことにするクマよ
    (  丶     |、_ノ


       ∩義元_∩
       | ノ ,,.ノ ヽ、ヽ
      / u ―   ― |     甲斐の山猿や、相模の亀にコケにされてるみたいで気に食わんが
      |    ( _●_) .|     尾張攻めもあることだし、ここは仕方ないクマかー・・・
     彡、    ヽノ  ミ
    /     ∩ノ ⊃  ヽ
    (  \ / _ノ |  |




  ∩___∩ ∩___∩
 ノ      ヽノ      ヽ
 | ●  ● 三 ●   ●|
彡  ( _●_) 三三 ( _●_)  ミ    ・・・で、今の話のどこいら辺にそれがしが関わるクマ?
 (   |∪|  三   |∪|   )    
  ヽ ヽノ      ヽノ //    
    ヽ   氏真    /
     ヽ        /
      ヽ  /  /
       / /ヽ
      (´_ /ヾ_)


;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;_人人人人人人人人人人人人人人人_ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;>   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   < ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;∩義元_∩;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;∩雪斎__∩ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;| ノ u   uヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/  u   └|;;;;;∩寿桂尼_∩;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;/ |||| _   _ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ○   ○   ヽ/      └|;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;| u   ( _●_)  ミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彡  (_●_ )   | ○   ○ ヽ;;;;;;;;;;   /
;;彡、    |∪|  、`\;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/     |∪|  u 彡  (_●_)    |;;;;;;;;;: < ・・・・・・・・・・阿呆ぅ
/ __  ヽノ /´>  );;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;(  く   ヽ ノ   /    |∪|    ミ;;;;;;;;;;  \
(___)   / (_/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\_ )      (  く   ヽ ノ     ヽ;;;;;;

410 :
わずか2,3分ほどの出番で氏真と言う人間を見事に表してしまった。

411 :
天下を汝に―戦国外交の雄・今川氏真(赤木駿介、新潮社)

412 :
組曲『今川氏真』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1211849

413 :
>>411
今川氏真を好意的に描いた稀有な小説なんだが・・・、
大名の座を失った後の話なので、盛り上がりに欠ける。
父の死(桶狭間)、若き日の家康や瀬名との交流、武田氏に敗れ身一つで逃亡したことなど、
主要エピソードは折々の回想で描かれる。
上手い描き方かもしれんが、突然家督を継ぐ羽目になり、強豪に挟まれて苦労する切実さ、生々しい苦悩が描けていないのが、
残念。

414 :
現在、風林火山にでてる人物で、江戸時代まで生き延びたのは元信と氏真だけ。
他は戦国乱世に巻き込まれ消えていっとる。

415 :
>>414
つ菊姫(信玄の娘)
つ仙桃院(謙信の姉)

416 :
姫様はどうでもええ

417 :
>>414
1550年代が舞台になっているのだからしょうがないんじゃない?

418 :
多分平蔵が江戸期まで生き残るよ。

419 :
平蔵は後の南光坊天海

420 :
>>419
相木や真田に「あんなの」よばわりされてたのが、
えらい成長っぷりだなw

421 :
>>417
それは確かにそうだが、病気とか寿命とかではなく戦いや戦国乱世にもまれて死んじゃってる人ばかりだからね
戦死や自害せず病死したのは高坂くらいでは。

422 :
信玄も病死

423 :
>>421
信虎、信玄、氏康、幸隆、業正・・・・病死なんて数え切れないほどいるだろ。

424 :
うるせー俺が悪かったよ

425 :
上杉家も謙信をはじめとして、病死ばっかりだな。
船遊び中にって人もいるけどw

426 :
よほど若くしてじゃ無い限り、この時代の病死は自然死に近いだろ。

427 :
でも、武田24将の戦死、自害、処刑率はかなり高いぜ

428 :
そりゃ、戦国時代が終わる前に滅亡した大名の主要人物が多数だからなぁ。
武田信玄、高坂昌信、小幡虎盛、小幡昌盛、真田幸隆、多田満頼、原虎胤、(曽根昌世、真田昌幸、小幡信貞)
↑が病死(自然死)だから、滅亡したわりには、随分いるんじゃね。
そもそも24将は、文官ではなく武官ばかりだから、普通に戦死率も高い。

429 :
氏真十八人衆とかいうのがいるって本当かね?

430 :
>>429
今川家崩壊の後に武田と戦ってたレジスタンス軍の事か?

431 :
「氏真衆」のことか?
家康の下で牧野城主をやっていたころまで、氏真の下についていた家臣たち。
たしか、牧野城主をやめたかやめさせられたかの時に解散。
これで大名としての「今川家」再興の芽はなくなっちゃった。
スレの前のほうにも出ていた朝比奈泰勝とか。
長篠の合戦のとき、陣中見舞いの使者として家康のもとに赴いて、
そのまま合戦に参加、内藤昌豊を討ち取っている。
家康が氏真に頼んで旗本にもらいうけたという話。

432 :
氏真、いよいよ勝ち組なのか負け組みなのか・・・。
氏真衆って具体的にどんなだったんだろうか。

433 :
不況で減った客を取り戻すべく、いろいろ工夫はしてみたんだけれど、
結局老舗旅館「海道一亭」を潰しちまったダメ旦那。
由緒ある建物や庭園は新興のリゾート企業とかに買収されちゃってるの。
従業員のほとんどは「徳川リゾート狸亭」に名前を変えた宿で働いていたり、
さっさと見切りをつけてよそに移ったりなんかしてるけど、
もう一度「海道一亭」の暖簾を上げたいと思っている番頭や仲居がいるわけだ。
でも、温泉町の片隅で旦那とおかみさんがはじめたパン屋がそこそこ繁盛。
旦那には旅館を再建する気はあんまり無くて、小さな幸せが大事と思ってる。
老舗旅館のあるじだったときは、忙しくて家族で過ごすこともほとんどなかった。
番頭たちにもつぶれた旅館にいつまでも未練を残すより、
自分の幸せを探したほうがいいと旦那は考えていたりすると。
そんな感じのお昼の温泉ドラマ。
雑誌で言えば、
「プレジデント」的には負け組。「暮しの手帖」的には勝ち組。

434 :
何と言うわかりやすいたとえw
このスレ見て氏真好きになったww

435 :
風流踊りを亡国と結び付けるなんて、言いがかりもいいとこだな。
氏政の汁かけと同じで。

436 :
町から風流踊りが起こって城内にも波及、誰も彼もが踊りだして、
氏真自身も御自ら太鼓を叩いて楽しんだという話。
奸臣三浦っちに勧められた、とかなんとか。
氏真末年、城中の風紀が弛緩してたとは言えるかもね。
信長がやってたら「親しみやすい豪快なエピソード」の一つに収まりそうだけど。

437 :
風流踊りに参加しなかったらしなかったで、
「庶民と交わらず、お高くとまって国を滅ぼした、名門意識を鼻にかけただけの国主」
などと難癖つけられる様子が目に浮かぶ。

438 :
「戦国武将に学ぶなんちゃら」なんて感じのビジネス書は、
ライターの意見の箔付けに戦国武将を引っ張り出してるだけだからな。
「ビジネスマンがやっちゃいけないこと」を仮託されるのが
「今川氏真」という記号なわけだ。

439 :
清水エスパルス
西部 洋平 21 GK
市川 大祐 25 DF
青山 直晃 26 DF
高木 和道 4 DF
児玉  新 2 DF
藤本 淳吾 10 MF
伊東 輝悦 7 MF
兵働 昭弘 13 MF
フェルナンジーニョ 17 MF
今川 氏真 9 FW
チョ ジェジン 18 FW
山本 海人 29 GK
長谷川健太 監督

440 :
>>429
義元が、若くて優秀な家臣の中から次代の氏真政権を支えるべく任命した者達の事。
徳川方の史料には、18人衆や、老臣達という優れた家臣がいたにもかかわらず
三浦右衛門のような…というのも有る。

441 :
三浦右衛門義鎮は、大原資良(小原鎮実)の息子だっけ?

442 :
へタレが組曲『今川氏真』に再挑戦してみた。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1467637

443 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%B1%B1%E5%8D%81%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80

444 :
この、後の名用水奉行も氏真の家臣だった。
氏真、いい人材逃しまくり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E5%A4%AB

445 :
友人が信長の野望で氏真を光秀に教育させて、
スーパー氏真にしていたよ。軍師としてモノを言う
氏真・・

446 :
氏真みたいに表舞台から去った後の後半生が長い人を調べるのも
面白いね。意外な人間が江戸まで生き残っていたりする。

447 :
日根野弘就も今川家に仕えてたなー

448 :
>>446
うむ。宇喜多秀家とかも。

449 :
レス番間違った。>>446
>>447
高吉のお父さんだね。息子より2年長生きしてる。

450 :
家康は天下取るまで、今川、武田、北条の三国同盟の領土と家臣を吸収して大きくなって言っているな。

451 :
>>449
間違ってなくね?www

452 :
>>451
そうですねorz
ところで、井伊直親や飯尾連竜を生かしておいたら戦国大名として
残れたのかなぁ。

453 :
このスレ読んだら、氏真かなり好きになったんで、蒼天録の桶狭間シナリオやったんだが、かなり簡単に松平と織田潰せてびっくりした。

454 :
>>446 三好政康なんかも

455 :
あけましておめでとうございます。氏真様

456 :
氏真様はやっぱり結構凄い人なのか・・・

457 :
蹴鞠age

458 :
氏真はWikipediaで今川流剣術の開祖[要出典]となってる。
ぐぐってみても出典らしき物が見つからないんだけど、
本当に一流の開祖だったの? それともどこからか沸いた都市伝説?

459 :
どこかのスレで信長・家康に今川家再興を打診されたけど
その器にあらずと言って拒否したという話があったけど本当かな?

460 :
今川氏真で天下獲れるのかな?信長の野望。
シリーズによるけど、織田・徳川・武田・北条とまわりが強豪ぞろい
なんですけど・・・。

461 :
今川氏真、サッカーなら日本代表入れそう。

462 :
>>460
詳しくは無いが内政値は高いと聞いたので
武勇に優れた武将をどっかから調達できれば
なんとかなるんじゃないだろうか。
ところで氏ちゃん苦難スレってもうないの?

463 :
>>460
俺も今川で信長の野望やってるけど、武田が強敵かな。
北条は小田原城が厄介だから後回しにしてる。そうしたら本願寺が勢力つけてきたから大変だ……

464 :
自分なんてデモプレイで今川家が成長するシナリオを作成した。
高確率でゲーム後半は今川VS大内VS自勢力になる仕様。
信長の野望・革新だけど

465 :
義元が討たれた段階で打つ手はあったよね。
座して死を待ってた感じがする。

466 :
氏真かわいいよ氏真

467 :
早川殿かわいいよ早川殿

468 :
泰朝かわいいよ泰朝

469 :
>>460
俺も今、蒼天録を今川家でやってる。
桶狭間シナリオだと開始早々義元パパアボンだけど
武田・北条とは同盟状態だから、松平・織田攻略だけに集中できるよ。
難易度初級なら一日で氏真公で天下統一でけますたw

470 :

       /;;;;;;;;;;;;;\
      /\;;::::::::::::::::::ヘ   
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__ 
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l  
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕 
    /j/               ヾ、
     l::||::::              |l    義政かわいいよ義政
     |::||:::::::..  (●)     (●)  || 
    |::||:::::::::::::   \___/     ||
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  
  __/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ__ 
 「   \\ ヽ    ハ // /    | 

471 :
>>465
武田も北条も信用おけない相手だから難しいな。

472 :
敗れる可能性は高いが尾張に攻め込むとか

473 :
蹴鞠って面白いね(;^ω^)
http://jp.youtube.com/watch?v=ywC-PqtqRpg
http://jp.youtube.com/watch?v=PMb0S8EQxTE
http://jp.youtube.com/watch?v=uC7D15uYXOI
http://jp.youtube.com/watch?v=x0Q7tHxrxxk
http://jp.youtube.com/watch?v=8pWkXAQBBf8
http://jp.youtube.com/watch?v=tpY4zDhryd8
http://jp.youtube.com/watch?v=X9kR3N1NUfk
http://jp.youtube.com/watch?v=eBV1pqzAEuI
http://jp.youtube.com/watch?v=OY8AIhbqPHo
http://jp.youtube.com/watch?v=_MSm4yeDN_w
http://jp.youtube.com/watch?v=8gKa8AEluGM
http://jp.youtube.com/watch?v=oSpjKQyT3Ic
http://jp.youtube.com/watch?v=6QkqeTPLfD8
http://jp.youtube.com/watch?v=DtbwAADLnx8
http://jp.youtube.com/watch?v=Lh_NT9O9kd4

474 :
ニコにこんなのあったw
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3081207

475 :
>>471
どちらかと言えば信用できるのは北条か。

476 :
>>475
北条は今川から独立した裏切り者、なんだな。

477 :
>>476
伊勢盛時というひとをどう位置づけるかにもよる。
細川政元の命を受けて下向したって説もあるらしいから、
もともと今川の臣ではなく、裏切り者呼ばわりされる筋合いもない、
と見ることもできる。

478 :
>>477
つーか、幕府の命を受けて今川家の家督争いの紛争に介入したのは確実みたいだけどね。>伊勢盛時
ただ、興国寺城を与えられた時点で今川の封建家臣となった、と言う解釈は成り立つ。

479 :
俺が氏真なら、巧く生き長らえるのも無理かもしれない。だから氏真を結果だけを見て馬鹿にはできない。

480 :
>>479
           , -...、
              r- 、..--/::::::::::丶,.__
           _,.イ:::::::::::::V :::::::::::::::::::::::` 、
          r:::::::::::::::::::: ,.ヘ::/ヽ.:::::::::::::::::::::::ヽ.
          ノ::::|:::::::::| ::::::l::ヾ/:::丶:::::::: |::::ヽ:::::ヽ
           ,イ:::::::|:::::::::| :::::::トr'` "´|:::::::::ハ:::!|:::::l:::l
.         l::|:::::::|:::::::::ゝ::::::|    |:l::::::l| |::!|:::::|:::l
           | ! :::::|:|:::|::::ハ:::::|    |ィ!ニリ=j、レィ:r┘
          l !::l::::N:::ハ:::ィ!ニjlゞ     , ,.==..、 l:: |:: |
          ヽ::|:::::ゝ:〆           ヒf::j ' l::::l::: |
         |ゞ`--ハ    ___      ー'   l::::|::: |  うん、それ無理☆
         |:::|:::::::::ハ '" ̄     、     リ::ハ::: |
         l::::|:::::::::ハ      -  '    イ:::::::|ハ::|
         l:::ハ::::::::::l:::lヘ.          .イ:::|:::::::!:::|::',
         |:::::∧::::::|:::|:::::ヘ   .. __ /l::l::::!::::ノ::: |:::ヘ
         ' :::::|::::ゝ:::|::ハ|::| / |      Ll ::レイ :::::|::::::::ヽ
        /:_:rイ::/::::`:::::: //__      / l:::::/:::::::::|ヽ__ _::\
        /:/│|/::::::::::::: ,'/_,. --- 、-‐/ /:::/ ::::::::: |/ / /´ヽ
        /: ' l .' :::::::::::: l l === ==/ /:::/ ::::::::: |./ /    ',
.       /::::|. │| ::::: :::::::::|      / /:::::::::::::::::::::,'  /  __|__
      /::::: |. |│::: l ::::::::|  rt 、 / /::::::::::::::::::::ノ  / r' ´ 三三 j

481 :
信長の前での蹴鞠の辺りからの氏真は荘子が説くところの無用の用(無害で無用だから害されない)を
意識して行動してるように思える
同世代の”有能”と見られた大名は碌な最後迎えてないし
立ち騒ぐ 人の流れを他所に見て
     一人静かに  花を見るかな
って歌にもそれが現れてるような

482 :
同い年で将器に優る義信や氏政と比べて最終的には幸せな人生だよな。
二人と違って自分の血筋で家系を残してるし人生最後までわからんね。

483 :
義信が将器で勝っているようには…

484 :
氏真よりは上だな

485 :
根拠は?

486 :
人間関係・つながりを大事にするという点では、まあ義信は将器の器ではある。
仁愛にも優れていたんじゃないのかな。政治面戦闘采配面はよくわからん。
まあ全体的な評価では、古風過ぎなきらいもあるが。
先が読めない武将としていい評価されないかもしれないな。
ただ人柄はよさそうだ。

487 :
海道一の弓取
徳川家康のことである。小牧・長久手の合戦で、豊臣秀吉率いる大軍に勝利したことから、
東海道で最強の武勇の者という家康を讃える称号である。
いずれも、幕府関係者の史料に頻出の呼称である。明治時代の徳川家康の本
には、織田信長の感状から、元亀元年6月28日から、家康の称号であると
伝えている。元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。
是より、家康の武名いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。
姉川合戦での大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、御母にて
ましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、と記載されている。
小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍が
家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、軍略妙謀まろの
及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

488 :
義信は戦闘能力には優れていたが、政治的立ち回りはさっぱりやね。
氏真と比較の対象にするのもおかしいぐらい。

489 :
今の時代で言う松岡修造さんみたいな存在ではないでしょうか。
社会的に名門でもって生まれた才能は一流、
スポーツについてはストイックで第一人者。
(裸一貫で海外に飛び出したキングカズが尊敬されるなら、
サッカー以上に個人勝負のテニスで飛び出した豪胆は同等に尊敬されるべき)
実は多数CM出演・レポーターも務まり(和歌)処世術は超一流。
ただ世間一般には「修造しい」(凡愚)と思われている。
すごく生き方・本質がかぶるのですが…トータルで見ると傑物ではないかと。
正直生まれた時代が悪いのと、元康が結果的に優秀すぎただけで
おちょくられるような人物ではないと思います。
個人としては傑物、主君としては標準以上一流ではないという感じです。
まあ傑物評価になると「元康はその名(義元公)の恩を忘れ
主君筋を立てぬ下克上の極悪人」になるから凡愚扱いされたのが真相かと。
晩年に元康と親密にできることが真価でしょう。

490 :
まあ晩年の家康の「友人」は、この人くらいだっただろうな。

491 :
なんか凄く良い人に思えてきた

492 :
>>490
お互い「よくここまで生き長らえたなぁ」と思ってそうだねw

493 :
>>488
家を滅ぼしながら自分一人が生きながらえるのを
政治的立ち回りと称していいのか?

494 :
家は滅びていないぞ
定義にも夜が

495 :
貴族は生きながらえる事も政治
義信は麻原レベルの謀叛ごっこ

496 :
>>493
氏真の元に旧家臣たちが集まって今川軍というべきものを作って、武田と戦っていたのを知らないのか?
信長や家康から今川家の復興も打診されたけど、自分は大名の器ではないと、付いてきた家臣の身の上を
信長や家康に頼んで自分は京都に引っ込んだ。
家臣のことをすごくきちんと考えていた人だよ。

497 :
武田軍相手に悲壮な抵抗を続けていた富士父子に、
「もういいんだ、もう今川家への義理は果たした。
 武田家へ降伏してもいいよ。優遇してもらえるように取払っておくから」
と伝えるあたり、”自分一人が生きながらえる”とは言わないだろうな。
俺様が生き残るためにお前らはR、と言うならともかく。

498 :
>>497 やはり人としては優秀だったのでしょう。
戦国大名には合ってなかったのが問題で
奥さんにも恵まれてますし。
先天的な才能がありながら社会的な執着心があまりなく
世間には「無念の人」と思われながらサバイバル力があり
平穏に人生を終えたという意味で
前田利益や立花宗茂的な魅力があります。
氏真の場合辞世句等、表向きには無念を意識していたふしはありますが。

499 :
>>498
> 氏真の場合辞世句等
時世の句って、例の「なかなかに世をも人をも恨むまじ〜」のやつ?
あれは確か北条家追い出されたときの歌だったはず。

500 :
氏真はただの戦嫌いの凡人

501 :
あの状況であれに勝る人生を他に遅れるなんて
ありえないと思うが
英雄とされる人でも無理でしょう

502 :
戦嫌いであれだけ戦わないだろ
向き不向きがあるのはしょうがないこと

503 :
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0
海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三


504 :
海道一の弓取と呼ばれていた時期が違う

505 :
>>504
キチガイにかまうな

506 :
第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント二次予選
<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html
詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/

507 :
歴史上の人物に、安易に「暗愚」という言葉を使いすぎてると思う。
世の中には氏真の立場になって、巧くやりくりできるやつがどれだけいるんだろうか

508 :
ていうか、その氏真の立場を踏まえている人がどれだけいるものやら。
桶狭間合戦で親父が死んだものの、他の重臣は誰も失っておらず、
戦国時代屈指の軍閥を丸ごと相続しておきながら、
本人は遊び呆け続け、領国を衰退させた。

こういう大ボケに基づいているのだから、
まともな人物認識ができるわけがない。
ちなみに上のは、2chではない、別の掲示板における
「今川氏真は愚将と聞いたのですが、どうなのですか?」
という質問に対する、ある回答者の書き込みを要約したものだ。

509 :
遊びほうけてとかは、もう知ってる知らない以前にネタだろうって感じだが・・・
松平の離反を許したのをはじめ、結局、一代にして広大な所領の一切を失ったのも、また事実ではある

510 :
氏真政権で寿桂尼はどの程度の役割があったんだろう?
文書のたぐいは氏真名義だから最終的な決裁は氏真だけど。
楽市令とか人質殺害とか、氏真の功罪とされているものは
実はおばあちゃんの功罪なんじゃないかと時々思うことがある。

511 :


512 :
蹴鞠うまいんだよなこの人
蹴鞠ってどんな競技なんだろ

513 :
>>512
蹴鞠は戦闘訓練の一種として生み出されたスポーツであり、実はサッカーよりも体力的にきつい。

514 :
戦国時代を舞台にした歴史小説 第弐話
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1206079540/133
133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/06/14(土) 14:37:53 ID:cCjChmNY
「本能寺の変は朝廷が黒幕。
 穴山梅雪は家康の駿河支配の邪魔になるから殺された。
 実行犯は、公家・連歌師方面から情報を知る立場にあった今川氏真。」

515 :
今川流剣術の創始者らしいし
蹴鞠も上手いしで実はかなり体力などがあり
意外と強かったも知れない人なんだな

516 :
まさに文武両道だよな。個人としては。

517 :
個人としては、学問も、武術も、血統もみな優れている。
ただ戦国大名としての才能だけは無かった。

518 :
>>510
武田信虎が晴信に駿河攻めをそそのかした書状では氏真の暗愚を殊更強調してるから、
実権はやっぱりおばあちゃんに握られてたんじゃないかなあ。
まあ氏真の評価はどうしても遠州錯乱の時の失策の数々に帰結する罠。

519 :
尼子晴久ですら最近は評価されているのにうじまときたら

520 :
なんか素敵 >今川ウジマ

521 :
仇っ子

522 :
家康との合戦の経歴を見直してみた。
結論
氏真の軍事指揮能力は、家康よりも劣る

大発見?

523 :
後の家康じゃ無く当時で比べるなら
信玄>氏真=家康だよ。

524 :
今なら、蹴鞠スキルを生かしてサッカー選手として日本代表に
なってたかも・・・。
歌の才能もあるし、現代に産まれていたらモテモテだろうな。


525 :
Q 急に
S 信玄が
K きたもんで

526 :
すぐ近くに武田信玄、北条氏康、織田信長、徳川家康がいたわけでしょ?それで領地を失って暗愚扱いはねぇ。毛利や島津、伊達あたりでもここにいたら普通に滅ぼされていてもおかしくないかも。

527 :
西に織田信長と徳川家康
北に武田信玄
東に北条氏康
罰ゲームにも程があるwww

528 :
毛利元就、島津4兄弟、伊達政宗なら生き残れるんじゃね。
徳川なんてそもそも元部下だし、北条はとりあえず最期まで
同盟国だったし。脅威は実質上武田のみだろ。

529 :
>>528
武田が脅威になる以上、徳川も間違いなく脅威になるわけですが。

530 :
北条も腹黒いからなあ、自分から攻めてはこなかったが
氏直を氏真の養子にするとか氏康が死んだら甲相同盟のために討とうとするとか。

531 :
今川救援を謳いながら出動して、
そのまんま駿東を占拠してましたよ>北条軍

532 :
>>523
いやあ、三河・遠江の騒乱の中での両者の戦いにしたって、
家康と互角とは言えんだろ。
2勝12敗6分

533 :
家康は2人もいるんだぞwwww

534 :
質問なんだけど、氏真の三男の「西尾安信」って何者?
範以や品川高久に関する情報は割りと見かけるが、このひとだけは情報を
みかけない。

535 :
徳川家康の双子の弟も見ないよね

536 :
生まれる時代が悪かった。
現代なら大学教授とかになってそう。
確か学問好きだったよね?

537 :
成績優秀でスポーツ万能なんだぜ

538 :
最近ニコ動の氏真関連動画が増えてきたな。
組曲の影響か?
野望・立志伝系の氏真メインの動画だけで、3タイトル位あるぞ(笑)

539 :
和歌や蹴鞠は得意でしょうがね

540 :
>>538
PS烈風伝以降の諸王の戦いとチュートリアルの間抜け氏真の影響だろ

541 :
まあ戦国エロゲの主人公としては
これ以上の人物はいない。
超名門・免許皆伝・文芸達者・おそらくセンスやルックスもいい
(漫画の世界では女たらし・性豪扱い)
早川殿他女運にも恵まれているようですし。
何より史実自由人で世渡りが上手い。
やりたい放題しても文句いわれなさそう。
間違っているのは俺じゃない。世間のほうだ!
名門大好きお嬢様・インテリ少女・体育会系お姉さん
ぜんぶいけそうな気がしますね。

542 :
文武百般な記述はないのか?

543 :
ないじゃろな。

544 :
そういやアメリカで氏真公と早川殿の肖像画が発見されたという記事を
ネットで見た記憶があるのだが、どっかで公開されてる?

545 :
>>544
早川殿の肖像は時々歴史系の本に掲載されているが、
氏真は見たことが無い。氏真を描いた画像というと、酒井抱一が江戸中期に描いたものくらいしか思いつかん。
どういう経緯でアメリカへ流れたんだろうな

546 :
ハァハァサッカー王国の初代クラッキ
W杯とったら追贈正一位

547 :
(´・ω・`)ゞサッカー王国静岡の大先輩氏真公。
剣の腕前も達人。

548 :
今の時代に生まれなくて良かったなww
川原者以外に想像つかないしww
氏より姓と言うけどホントにその通りww
真実が伝えられてる点だけは歴史上第一位だがwww
最終的には家も断絶してミジメだのうwww
高家の中ですら出世出来なかったから当然かwww

549 :
でも大阪じゃあ今でも河内の人間て普通に使う。

550 :
でたよ、小説でたくさんかかれてるから真実だと思ってるバカ。

551 :
氏真は蹴鞠云々より歴史的には、家康の前で学問の、家学制と師弟伝承制の有効性を滔々と語って、
家康からそれを全否定されると言う、「秘伝」から「公開」の、近世的学問への転換の決定的瞬間に
出てきちゃってるのがかっこ悪い。

552 :
>>550
ヒント:たて

553 :
>>552
ごめんなさい
こんな基礎的な縦読みに引っ掛かるなんて・・一生の不覚

554 :
>>553
いえいえ、こんな過疎スレなのに反応があって嬉しいです

555 :
和みワロスwww

556 :
これも氏真公の仁徳によるものでしょう。

557 :
蹴鞠上手いからってサッカーも上手いとは限らないじゃん
サッカーとかバスケとか敵味方の陣地が無くてごちゃごちゃになって競う
ゴール系の球技は「戦」の雰囲気とよく似てる

558 :
蹴鞠の成り立ちは軍事教練用のスポーツで、正式のものはサッカーより体力使うらしいよ?

559 :
つまりブルペンでは最強クラスの武辺者だったと。

560 :
伊河麻神社にでも行ってくるか

561 :
氏真でノブヤボと太閤プレイしたくなってきた。

562 :
さっき北条で統一直前に氏眞様へ家督を渡したら他の一門が揃って謀反しました。

563 :
太閤立志伝で氏真公が京に上洛されましたが元康殿を引き抜くと独りぼっちになられました

564 :
WE LOVE UJIZANE

565 :
氏真って武家から公家まで交友の幅が広いね
これも人徳のなせるわざ
没落しても北条からの嫁を一生大切にしたそうだから
男の鑑だね

566 :
ハァハァ氏真公のボールタッチ
浮き玉のトラップ(´ω`)

567 :
業界トップをを競うと評判の今川グループでした。
業界をリードできたのは、首脳陣が上手に機能し、結束も中々に強かったおかげかもしれません。
しかしある日突然、その自慢の首脳陣の6割が死んでしまいました。
さらには社長まで死んでしまいました。
新社長の氏真くんは、部門長がいなくなって動けなくなった箇所を一生懸命補修して、組織を立て直そうとしていました。
ここでまた厄介事が。
珍しく損害がなかったエース部門・西三河組がライバルグループと提携して、今川グループと争う立場に転向したのです。
続けて、今川グループと提携してきた大手の一方である武田グループが裏切り、乗っ取り工作をし始めました。

568 :
>>567
本人は面白いと思って書いてるんだろうけどさ、株はどうなるのさ?
経済オンチ以外は白けるからやめれ。

569 :
いろいろ語られる人気者の氏真。

570 :
浮上は不可能だったんだろうね。

571 :
家臣もあるだろうね。

572 :
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。


573 :
朝比奈泰朝ってどうしたんだろ?行方わかってないらしいよね

574 :
小田原で病気にでもなって死んだんじゃね

575 :
氏真でなくても、あの状況で今川立て直せるとは到底思えない。
劉禅と一緒で詰んでる状況で当主交代とか可哀相すぐる

576 :
>>575
>詰んでる状況で当主交代
誰かと勘違いしてる?

577 :
>詰んでる状況で当主交代
勝頼のことかー!

578 :
勝頼は詰んでるってほど酷い状況じゃなかっただろ
阿蘇惟光なんかが詰んでるって言える状況かも

579 :
氏真も勝頼も、状況としては全然詰んでいないな。
後を継いだとき詰んでいたといえば、ちょっと変則的だが景勝だろう。

580 :
芦名・龍造寺クラスじゃないと詰んでいるとは言わない。

581 :
>>577
織田が詰まれてるわけですね わかります

582 :
詰んだ状態でデレっと伸びれてしまわれた氏真公。

583 :
漫画ゴラクの『忍歌』って漫画に氏真登場。
登場シーンはともかく、後半はなかなか格好よかった。
あと、ヤングアニマルの『信長の忍び』に出ていた氏真が
ステレオタイプな蹴鞠馬鹿で女好きだったので腹が立った。
誰か読んだ人います?

584 :
自分の先祖今川裏切って武田に寝返ったっぽいんだが…
ごめんね氏真公(´・ω・`)
家紋二つ引両、天正三年に武士三人が新城市で帰農しとる
現静岡在住今川派なだけに辛いわ〜

585 :
そんなの関係ないだろ。
主家で本家の足利将軍家直轄家臣たる室町奉公衆を滅ぼしちゃうような悪党一族なんだぜ。
そんなのどこでもやってることだし裏切りくらいどうってことない。
それに庵原、朝比奈、岡部からしたらむしろ今川が侵略者。
それなのに侵略者のイメージがあまりない今川は素晴らしいね。

586 :
>>583
読んだけど、俺はそれほど腹は立たなかったな。
後年、生き延びたっていう只者じゃない的なフォローが一応入ってたし。
殿といっしょの氏真も女好きな蹴鞠馬鹿で登場してるけど、不快な感じはない。
最近読んだ横山光輝版家康の氏真があまりにも酷すぎたからかも知れないが。

587 :
静岡県特に静岡市
今川時代の公家文化を謳うのに何故家康ばかりマンセするんだ
西部に至っては全く今川の名残りは残ってないよ

588 :
敗者より勝者の方に目が向いたんだろうよ

589 :
今の静岡が整備されたのは家康の時代だし。

590 :
今川の名残ねぇ…

591 :
今川氏が駿河を支配したのは、1336年に今川範国が守護に任じられてから1568年までだから、
なんのかんので200年以上統治しているんだな。

592 :
結構長いし 在国も長くしてるんだよね。

593 :
最近氏真に興味をもった者です
個人的に氏真が義真かなと思っていたんですが
wikiに今川流の創始者義真を駿河今川氏の庶流とするとありました
(笹間良彦『図説日本武道辞典』(根拠は『撃剣叢談』より)
撃剣叢談は天保年間に成立したもののようですが
庶流も今川って名乗れたんでしょうか?今川の姓は宗家のみのはずなので
庶流が今川を名乗るのはおかしいんじゃ?と思ったんですが…
それとも流派の名前のみ宗家の名を使うとかした(できた)んでしょうか?
氏真について色々調べたいとは思うもののすぐに手に入るものは義元ばっかりで
少し寂しいですが、義元も本を読むと全然イメージが変わりますね

594 :
義真って誰です?

595 :
sage

596 :
>>591 意外と短いのは足利の分家だからか。

597 :
三河失陥の経緯
永禄4年
4月
 松平元康、西尾城と牛久保城を攻略。
●西尾城守将・牧野新次郎は牛久保へ撤退。
○牛久保城の主力は策謀により城外へ誘い出されていたが、持ちこたえる。
5月
 今川方の東三河衆、富永口へ反攻。
●松平方と交戦の結果、退却。
7月
 今川方、野田城を攻略。主将は小原鎮実。
○守将・菅沼定盈は城を放棄して撤退。
8月
 野田城攻略部隊は引き続き田峯の菅沼氏を攻略。
●これに失敗し、今川方は退却。
永禄5年
2月
 今川氏真、東三河へ出陣(兵力約1万)。別動隊将に三浦義鎮。
○三浦義鎮、富永攻略に成功。
●一宮砦の本多信俊(兵約600)を包囲するが、松平元康の部隊に救出されてしまう。
●本野原の合戦。今川軍は松平軍に蹴散らされる。
5月
 松平元康、富永奪回のため出陣。
○守将・牧野成定は持ちこたえる。
6月
●菅沼定盈、野田城を奪還。守将・稲垣半六郎討死。
9月
●御油台の合戦。先鋒・酒井忠次を破るが、松平元康本隊に敗れる。
●八幡・佐脇の合戦。今川軍完敗。主将・板倉弾正討死。
永禄6年
3月
△牛久保城の戦い。牧野保成討死。
後半
 西三河で一揆勃発。松平軍の行動に余裕が無くなる。
 遠江で謀反勃発。今川軍も行動に余裕が無くなる。
永禄7年
 戦線膠着
永禄8年
3月
●吉田城失陥。守将・小原鎮実は宇津山城へ撤退。
永禄9年
5月
●牛久保城開城。守将・牧野成定は松平元康に降伏。
▲半独立勢力・奥平氏は今川から離反、松平に服属することを表明。

598 :
五年も掛かってるんだ。

599 :
ほう

600 :
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

601 :
>>587
元・徳川藩の県だからじゃないの。
旗本御家人の子孫の県民は少なからず居ても、今川家臣だったと伝わる家はそうない。

602 :
明治になって又徳川さん来たしね。

603 :
家達ね。

604 :
忠長断絶後の駿府の様子はどうだったんだろ。

605 :
>>604
> 第6回短期歴史講座「戦国大名今川氏の興亡」
> http://www.at-s.com/bin/even/EVEN0030.asp?event_no_i=K524873301
ここに行って聞いてみてはどうか?

606 :
静岡か。なかなか行けぬね。

607 :
静岡は数回しか行ったことないが、良いところ

608 :
今川氏真VS織田信雄

609 :
信雄なんかと比較すんな!
厚かましさは政宗を超え、武将としての器も一流の類い。
正直純粋、剣術体術は類い希なる才能を持つ。
時代に殺されたかなしき武将よ

610 :
いや、信雄も充分凄いんだがw
ただし改易後だが

611 :
2011年大河は「江〜姫たちの戦国〜」に決定!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245293983/l50
NHKの馬鹿野郎!!いつになったら氏真タソ主役の大河放送開始するんだよ?

612 :
日ノ本一の串刺し男。卑しい奴じゃ

613 :
尾張に住んでいる漏れは信雄たんを応援したくなってしまうでないかw

614 :
そんなもんか?

615 :
まず歴史番組で暗君じゃなく 名君だったと取上げることから始めねば。

616 :
家康は苦労して天下獲った苦労人って喧伝をするために
「今川時代はつらかった」ってイメージを流布した感じがするけど
実際、家康個人にとっての今川時代は悪いものではなかったのかもしれない。
当代随一とも言える最高の師(雪斎)による英才教育、主君の姪との婚姻、
後年の今川家(氏真)への扱いなんかを考えて。
三河の家臣連中の手前大っぴらには言えなかっただろうけど

617 :
雪斎たんがいなければ家康は天下を取れなかっただろうね。

618 :
家康が雪斎の教育を受けたなんて、講談の中だけの話だろ。

619 :
雪斎の弟子などが教えていて、時々雪斎から教えを受けることもあったという程度
じゃないかと、個人的には思うけどね。
少なくとも、小和田先生の言ってるような師弟関係ではないんじゃないかな?
>>616
私も家康個人は今川家に恨みはないと思うな。
ただ、後年に神君家康が主家裏切りをしたことに対しての言い訳として、
必要以上に今川家が辱められることになったんだと思う。
家康個人は後年、義元の親類に義元の菩薩寺を作らせたり、晩年は駿河で過ごしたり、
氏真とその家族への処遇も、次男や孫をを秀忠の家来にしたりなど決して悪いものではないし。
氏真とは結構仲が良いみたいだね。

620 :
家康を徳川に売った戸田家から大名が何件か出ていたよね。
安く売られたのにw

621 :
たしかに駿府がマジで苦渋の思い出しかないような場所なら
わざわざ人生の晩年を迎える隠居場所とはしないわな。
むしろ懐かしく思い出せる好印象の場ではなかったかと

622 :
>>620
俺もそれが疑問だ。自分を虐げた孕石主水は誅殺したのに
自分を織田家に売り飛ばした戸田康光の曾孫を何で大名にしたんだか。

623 :
その曾孫、一門が弱い家康にとっちゃ義理の甥だったから特に問題なかろ。

624 :
家康は別に一門は弱く無いだろ。

625 :
副将になり得る弟(家康を長子と考えて)、相談役になり得る男系の伯叔父がいない。
母系のおじは頼れない。せいぜい義理の叔父が酒井忠次。
親等数で考えると家康ほど孤独な大名は結構少ない。

626 :
それは一門とは違う話のような…。
だいたい家康は相談役にも副将格にも不自由して無いし。

627 :
何かおかしなことを言ったかな?

628 :
家康って怪しげな?資料だと兄弟が5人も6人も出てくるよなw
本当は何人兄弟だよw

629 :
松平忠政だの松平家元だのは存在自体疑わしいな。

630 :
忠政は居なかったかも 家元はまず居なかっただろ で実在の度合が違いそう。 

631 :
居ようが居まいが存在価値の希薄さは否定しようもない。
久松兄弟に対する正統性の輔弼としての逸話なんじゃないのか。

632 :
>>619
天下人になった後、家康にとって茶飲み友達って氏真ぐらいだったんだろうか?
他の連中はみんな自分より下の立場で遠慮してくるし、信長・秀吉はこの世にいない。
滅んでしまった元主家の跡取りと、
いろいろあって主家を追い越し天下人になった元囲われ人質ぐらいが
やっとバランス的に気兼ねなく話せる相手だったのかなと。
(実質はもちろん家康の方が上の立場なんだが、精神的というか気負いの面で)

633 :
「茶のみ友達」というほど、晩年の家康と氏真に、接点そんなにないんじゃないか?
1612年4月に駿府で会っているのは確からしいし、
この時どんな話をしたかは興味があるけれど。
氏真は家康の関東移封あたりから1612年まではずっと京都住まい、
その後は江戸住まいなわけで。

634 :
京都時代には接点なさそうだよね。
完全に途切れてたわけではないんだろうと思うけど。
この二人、茶飲み友達というほど頻繁に会ってないし
接点もないが、晩年の家康にとってはある意味親しみの
ある人だったんではないかな。
>>633
校訂松平記だったかで歌についての解釈を議論したと記してるみたい。
氏真が形式を重んじるのが良いと言い、
家康が心のまま歌えば良いと言ったというような感じ。
何かこの二人で同じような話あるよね。
個人的には氏真がなんで沢庵和尚と知り合いなのか気になる。
どこで接点があったんだろう…

635 :
ネットの年表で見たんだけど、
http://www.geocities.jp/senakamikutu/eg.htm
今川の流れの末も絶果てて地元の桜散りすぎにけり 信長
これの出典は何?

636 :
地元が千本だね。

637 :
千本の桜ってことか。

638 :
出典分からない?

639 :
>>638
『観泉寺と今川氏』は確認して
『戦国史研究』の論文コピーはざっとたけど見当たらない。
見落としがあるかもしれないけどさ。
そっちで調べてわかったことは?

640 :
俗謡なのかな。

641 :
スゲ・・2006年からまだ続いてる・・・

642 :
お家が滅んでから45年生きたお方のスレですから。

643 :
まだあと42年あるからな

644 :
でもこのスレはもう6割以上

645 :
「信長の野望 天道」買ってきた。
相変わらずKOEIの逆チートが酷いが
俺が氏真公を天下へ導いてみせるぜ(`・ω・´)シャキーン

646 :
親父のほうは能力はともかく顔グラが
残念になってたけど氏真は大丈夫だったのだろうか…

647 :
>>646
革新のままだったよ>氏真顔グラ

648 :
そうなんだ、天下創世の顔グラじゃなくてちょっと安心した。
そういえば今川スレの方で伊達家と文書を交わした
今川周防という人がいたと書かれてたけど、一体誰なんだろう?
どうやら義元・氏真時代の人みたいだが…。
仙台藩に今川流の剣術流派が伝わってたり
今川と伊達って繋がりあるんだね。
氏真詠草も伊達家が保管してた気がするんだが違ったかな?

649 :
>>644 結構語ってきたね。

650 :
なんだかんだと言っても人気者なのよ。

651 :
このスレ立ったの、一条兼定スレと同時期なのか。
今では1:3ほどのレス数の差がある。
一条さんも伸びて欲しいけど。
氏真には、「ネタ」的な人気もあるけれど、
史料も(比較的)残ってるからガチ語りもできるのがいいところ。


652 :
板の創設期からあるスレが多い。

653 :
おまいら、俺達の氏真公が美少女戦国シミュゲーのヒロイン?に
なったみたいですよ↓
www.ss-alpha.co.jp/products/sengokuhime/
元ゲーはPCの18禁ゲーで一昨日PS2とPSPへの移植版が出たらしい。
シミュレーション部分のCG見るとモロ「天下統一」だが
同じメーカーなんかな?

654 :
本人は比較的楽しい晩年送ったんでしょ。

655 :
氏真は新統流を嗜んでるのに何であんな武力低いんだよ
蹴鞠の脚力で相手の脛蹴った後に一の太刀かませば柳生にだって勝てるはず

656 :
氏やんには武勇伝が伝わってないんだよな。残念ながら。
足利義輝とか北畠具教みたいな「剣豪伝説」がないからこそ
幸せなのかもしれんのだが。

657 :
金許しっぽいイメージがある

658 :
>>653
義元かっけえwww
ゲーム紹介面白そうだが、歴史齧ってると馴染めん…

659 :
氏真って一見脳天気なイメージだけど、ちょっと調べると井伊とか飯尾とか関口とか粛清しまくってるから
実はかなり黒かったんじゃないかって気がする

660 :
でも「恨んでもしゃーない」って内容の歌詠んでなかった?
マジで腹黒なら家康や信長に対する復讐のためにいろいろと画策してそうなんだけど、
それどころか家康と和歌について談じるほど仲良しだし。

661 :
信玄の謀略
今川義元の跡を継いだ今川氏真は、愚将では無かったが、
国主としては今ひとつ精彩を欠いていた。家臣の中には氏真に不満を持つ者もいた。
そこで武田信玄は不満を持つ家臣達に目星を着け、彼らに密書を送った。
「もし今川を攻めた際、武田側に寝返れば
 恩賞は望むままに与える。」
すると家臣達は我先にと武田側に寝返りを約束し、
信玄も「誰々に何千貫、誰々に何万貫を与える。」と気前良く応じた。
ほどなくして信玄は今川領駿河へ進軍。
武田の猛攻と次々に寝返る家臣団に成すすべなく、氏真は駿河から放逐された。
寝返った今川家臣達はさっそく、信玄の元に集まった。約束の領地を貰うためである。
だが待っていたのは、信玄の怒号であった。
「主であった氏真を簡単に見限り、期に乗じて
 敵に内通する者を我が家臣に出来るものか!
 貴様達に領地を与えるくらいなら、我が甥氏真に与えた方がましだ。
 不忠者の最期がいかなるものか、後世の者の戒めにしてくれる!」
そう宣言した信玄は寝返った者たちを一人残らず処刑した。

利で寝返るものは、また必ず利で自分の敵と成る。
信玄の厳しく、容赦の無い戦国哲学であった。

662 :
>>661
氏真「おまえが言うな」

663 :
蹴鞠age

664 :
Wiki見たが、本日は氏真公のご命日みたい。

665 :
グレゴリオ暦に換算するとそうか。

666 :
>>545-545
氏真・早川殿夫婦の肖像画らしい。
アメリカに行った経緯は戦後の略奪だろうな
この前も何とかの絵巻がアメリカで「発見」されたなんて報道を見たが
実際はアメリカ兵が博物館とかから持って帰ったに決まってるんだ。
実際に国宝の槍とか持って帰って現地で槍投げして遊んで壊しちゃったんで
後で返還要求したけど無理だった、とかいう話もあるしね。

667 :
そういうことにしたい願望があるのか知らないが、
妄想でデタラメを書いてはいけない。
氏真夫妻像は少なくとも1972年までは日本にあった。流出は戦後。
以下、小林明「紙本著色今川氏真・同夫人像について」『静岡県史研究』9(1993年3月)より。
この小林氏が「氏真夫妻肖像画」を「再発見」した人物。
紹介論文論文執筆当時、小林氏は久能山東照宮博物館学芸主任。
蔵春院殿像については次のように書かれている。
-- 引用ここから
本像〔早川殿の像:引用者註〕は
『大和文華』第五十六号女性肖像画特輯(昭和四十七年、大和文華館編集発行)に
図版掲載されたことがある。但し、その解説には、
 蔵春院殿像 京都市 森暢氏像
  紙本著色 竪八二・三糎 横ニ四・三糎
 元和四年(一六一八)の年記をもつが、像主の蔵春院殿については俗名がわからず、
 伝記についても不明である。松厳院殿という夫の像と対幅で画面上部には
 妙心寺の僧とみられる著賛がある。
とあるのみで、今川氏真室との見解は示されていない。
また、松厳院殿は仙厳院殿の誤読か誤植である。
なお、当時は森暢氏の所蔵であったが、森氏が故人となられた現在、
氏の入手経緯は不明である。
-- 引用ここまで(pp.164-165)
つまり、1972年の時点で「女性を描いた古い絵」として存在は知られていたが、
「今川氏真夫人」とは認識されていなかったわけだ。

668 :
「再発見」の経緯については次の通り。
-- 引用ここから
(付記)
今川氏真像の存在を知ることになったのは同夫人の法名が蔵春院であることに
気づいたことに始まる。その後の所在確認には多くの方々のご協力を得たが、
殊に稲田和彦氏、柳孝氏には格別なる御高配をいただいた。
しかし、時既に遅く、氏真像は夫人像とともに日本を離れ、米国にあった。
-- 引用ここまで(p.171)
『大和文華』に紹介された絵が早川殿の絵とわかったため、
今どこにあるかを調べたらアメリカに渡っていたことがわかったということ。
ググってみたが、稲田氏、柳氏は高名な骨董商らしく、著書が何冊かある。
おそらく旧蔵者の死去にともなって手放され、美術品として骨董業界で流通していたようだ。
現在の持ち主について、この論文でもどういう人か紹介されていないので
どういう属性の人かは不明(おそらくは日本の美術品のコレクターだろうけれど)。
完全に消息不明になったり、
夫婦バラバラにされたりしなかったことをありがたいと思う。

669 :
日本の文化財が海外で見つかる経緯としては略奪なんかより
明治維新期の旧物否定、廃仏毀釈の風潮で流出したような日本国内の事情とか
経済的に苦しくなって手放したり相続者が価値を分からずに海外へ売り払ったみたいな
個人の事情によるところがずっと大きいだろう

670 :
俺は秋田→東京→静岡→栃木→東京と渡り歩いたが、
地元のヒーローといえば、氏真公だな。
遠州繚乱はドラマチックだし、永遠の「次の大河の主役」だな。

671 :
ああ、氏真公を演じられる俳優さえいれば!

672 :
調べてみると、氏真公って虚弱な遊び人ではなく、けっこうイカつい感じの人だったんだな。
運動神経抜群の肉体派で、サッカーの天才。おまけに風流人。放浪生活も経験してる。

>>671
・・・おい、ぴったりの人材がいるぜ。

673 :
>>672
まあ、どこの大名もそれなりの格式のある家の人は
一通り文芸も武術も嗜んでるんだよ
朝倉義景や六角義賢もいろいろ免許皆伝してる

674 :
島津家でも蹴鞠がさかん。
武家は和歌も武芸も
恥をかかぬようひととおりたしなんどけって、
たしか長宗我部元親が言ってた。

675 :
室町や大阪や江戸で大名付き合いするにはそのあたりの教養は必要だったんだよね
だた、彼や朝倉義景や六角義賢が現役だった時にそれが必要だったか?というと・・

676 :
>>675
近畿の大名はどうしたって公家や幕府との付き合いがあるから
そういう類の教養は必須だけども。
逆に言えば、そういう教養に長けてたって事は、それだけ公家達との密接な関係があった=彼らに援助する程度の経済力があった
って事でもある。

677 :
なんかこう敵をバッサバサと切り倒して生き延びた的なエピソードでもあればなぁ。
父の敵の前で蹴鞠を披露して生き延びたイメージは酷すぎる。

678 :
氏真の辞世の句はいい意味であきらめてて、好感がもてる。

679 :
まさか4年後のW杯までこのスレが落ちずに残ってるとは思わなんだ

680 :
【愛知】桶狭間合戦450年 新PRキャラ「おけわんこ」、着ぐるみが完成
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1272786854/

681 :
今川氏と遠江・駿河の中世
岩田選書◎地域の中世D
大塚 勲 著
2008年11月刊
A5判・208頁・並製本・カバー装
ISBN978-4-87294-535-5 C3321
2800円 (税別)第1部 今川氏研究
 第1章 今川氏歴代の生没年・名称等覚書
 第2章 駿河守護今川氏の初期守護所
 第3章 室町期の今川氏一族
 第4章 今川義忠の討死と竜王丸の自立
 第5章 今川氏親の遠江・三河進出
 第6章 見付城主今川六郎氏延
 第7章 今川義元発給の天野文書
 第8章 今川義元の三河西条城接収
第2部 遠江・駿河の中世
 第1章 遠江の井伊介と駿河の狩野介
 第2章 駿河益頭庄地頭摂津氏
 第3章 南禅寺領遠江初倉庄の耕地面積
 第4章 遠江原氏覚書
 第5章 今川領国の名田と名職
 第6章 駿河国篠間郷の岡埜谷文書
 第7章 臨済寺と妙心寺派の僧たち

682 :
■戦国期静岡の研究
静岡県地域史研究会編
第一編 今川氏の盛衰
「国人領主」井伊氏の再検討 大石泰史/北遠天野氏の系譜と今川氏 海野一徳/今川氏親と文亀・永正の争乱 森田香司/今川氏と後北条氏 久保田昌希/今川領国における在地構造の一側面 大塚勲/今川家旧臣の再仕官 前田利久
第二編 武田氏と徳川氏
今川氏と松平氏 平野明夫/武田信玄の駿河侵攻と今川氏真 小和田哲男/武田氏の駿遠支配と国衆統制 小川隆司/静岡県における武田氏の城郭形態と運用 水野茂/初期徳川氏の奉行人 本多隆成
ISBN4-7924-0510-6 (2001.9) A5 判 上製本 374頁 本体9000円


683 :
氏真って関ヶ原の戦いのときは何してたんの?

684 :
蹴鞠だろ

685 :
関ヶ原は知らないけど、長篠の戦いは徳川の陣にいたよ。

686 :
スレ立てから4年
氏真公やりましたぞ

687 :
氏真は都ではうまくやってたみたいだし、
義元は京都制圧後のことを考えて公家風に育てたんだろうな。

688 :
朝比奈泰朝の忠心は泣ける。
流転の主君を守り通し、徳川という安寧の地を見つけ
もはや危険はなしと判断すれば身をひく潔さ。
氏真と一緒にもっと評価されて良い英傑。

689 :
>>687
公家風?剣術習ったりもしてたけどな。

690 :
>>683
隠居してた

691 :
朝比奈の一族は、今川家の没落後は北条に仕えて
小田原の陣で北条が改易された後も北条に尽くしてるし
忠義の血筋なんだろうね

692 :
>>687
確かに氏真と徳川秀忠を入れ替えたら秀忠はやっぱり滅ぼされそうだし、氏真はまっとうな人生送れそうだな

693 :
朝比奈泰朝って結局どうなったんだ

694 :
氏真が北条を辞したときは一緒に居なかったので
帰農したとか北条や酒井忠次に仕えた説もあるけど
色んな朝比奈さんがいるのでごっちゃになっていて
確実にはわかってないみたい。
この人が氏真から他の人の所に行くのはなんとなく悲しいので
個人的には帰農説を推したい。

695 :
朝比奈さんの一族は北条氏規にそのまま仕えて譜代になった人も多いね

696 :
氏真主役で大河ドラマとかあったら・・
第40話「蹴鞠大会」とか
運命に翻弄されるナイーブな青年・氏真。
配役はミッチーで

697 :
>>696黄川田将也か玉木宏でもいけるんじゃない

698 :
激動の時代に翻弄され、最後は京都で趣味に没頭し静かな余生を送る
違った氏真像を描いて欲しいね。イメージ的にラストエンペラーの溥儀みたいな
感じで。

699 :
まあある日突然強大な父親が重臣共皆連れて15000(諸説は適当)もの大軍
で父親+重臣のほぼ全員死んだらオマエラならどうするよ?
今の北朝鮮で言えば突然金正日が死んで最も優遇されてる軍の高級幹部が
全員死ぬみたいなもんだぜ?
8年もよく頑張ったサッカー王子と言いたい所だが。


700 :
ラストエンペラーの溥儀

良い例えかも
映画のラストシーンの溥儀の飄々としたイメージは氏真に重なる

701 :
↑同意

702 :
どうでもいいけど清が滅亡した後に袁世凱が一ヶ月くらい帝位に着いてるから正しくはラストエンペラーではないんだよね
スレチ失礼

703 :
溥儀は晩年日本のチキンラーメンが大好物になったそうな
スレチ失礼

704 :
>>694
泰朝本人は隠居しているとしても子孫がいるなら
そいつらにはそれなりのところで士官していてほしいと思う。

705 :
氏真主役の大河は面白そう。
もしくは足利義昭とか

706 :
保守age。
今のサッカー日本代表の躍進を見ておられますか氏真公。
氏真夫妻には中島みゆきの曲がよく似合う。
氏真には「ファイト!」
早川殿には「糸」
夫婦には「時代」

707 :
ageてなかった…orz

708 :
そろそろ氏真を主人公にしたドラマやアニメが作成されてもよいはず。

709 :
となれば氏真モデルの抱き枕や張型が作成されてもよいはず。

710 :
ttp://livedoor.2.blogimg.jp/spring_wheat/imgs/0/4/04276439.jpg
こんなの抱き枕にしてほしい?

711 :
謎なのが桶狭間に氏真がいなかったこと。
小和田は、氏真と家康が比較されることを義元が怖れたのではないかと言ってる。

712 :
当主と時期当主が同時に討たれる事を警戒した

713 :
712の言うように万一のこともあるし、桶狭間の2年前くらいから
氏真が駿河、義元が三河統治・対尾張の体制だったぽいので
氏真を連れていかなかったのはそんなにおかしいことでもないと思うな。
義元が家康と氏真を比較して氏真を頼りないと思うことはあったかもしれないが
それが氏真を連れていかなかった原因になるとは思えないなー。
小和田先生って氏真のこと良く無能扱いしてるけど嫌いなのかな。

714 :
磔鋸引き
にすべし

715 :
宇宙犯罪組織マドーも魔王サイコとサイコラーが同時にやられて滅亡したしな。

716 :
岡部正綱の子孫がラジオで喋ってた。

717 :
なんで磔獄門にされないの

718 :
もう桶狭間で壊滅寸前の今川家がすぐには潰れなかったのは、義元以前の基盤があったからだろうが、氏真の最後のあがきが本当はあったのかもしれない

719 :
大名家に生まれるのがあと50年遅かったら数奇大名として名が轟いてそうだよね。
しかし人間単体で見たらかなり高レベルなんだよね、このお方。

720 :
この時代はまだ高レベルでないとやっていけないし、
高レベルやさらに高レベルが凌ぎを削るのがこの時代。

721 :
悪あがき?
遠州錯乱という絶望的状況にも対応して、最終的には謀叛を叩き潰している
やる気がなかったら、とうに逃げ出していただろう

722 :
最後に三男の所に身をよせたんだよねぇ
氏真の子・孫のことはあまりよく知らないんだけど

723 :
不思議時空のヘルラー指揮官よりも神官ポーが長生きしたことからも、力攻めではダメなことがわかりますよね

724 :
家康に「駿河は氏真殿に与えてはどうか?」と話を持ちかけられて
信長に「氏真に必要なのは国ではなくて切腹だ」と評された氏真かわいそう

725 :
日本サッカー協会は、なぜサッカーと無関係な鈴木孫一の紋なんか使うのだろうか?
日本サッカーの源流は氏真だろうに

726 :
ネタじゃなくてマジで蹴球と蹴鞠混同してる奴いるの

727 :
727

728 :
氏真がただちに織田へのリベンジに動いていれば諸将も再びなびいて、
武田も「氏真侮り難し」と感じて同盟維持して駿河侵攻もなかっただろう。

729 :
あのタイミングで動いても戦力的に勝てなかったと思うが
有力な武将の多くが討ち死に、不満を持つ国人も言うことを聞くかわからない

730 :
高家として生き残れたんだから十分上出来

731 :
>>729
織田だって万全じゃねえよ。相対的にはまだ今川のほうが余力がある

732 :
ただ家臣も普段から人物を見ていたはずで
突然氏真が立ち上がっても信頼できたかどうか
後々氏真が今川を継ぐのは決まってたけど
それはまだしばらく義元が生きてて色々と教えて後の話だし
桶狭間はまさに急死、氏真も当主としての準備もろくに出来てないし
家臣から見ても当主として仰ぐ気持ちの準備もできてなかったんでは
織田は逆にあの義元に勝っちゃったよという特典が
それから先にかなり効いたんじゃないかね

733 :
1時間単発でいいから氏真の番組を見てみたい

734 :
側室腹でもないちゃんとした嫡男なのに、当主として仰ぐ気持ちの準備がされてなかったとかあるの?
桶狭間の時は名目上だとしても代替わりしてたのに

735 :
駿河が氏真、三河が義元と分割統治してたって話もなかった?
そこまで準備がなかったとは思えないけどな
でも氏真がすぐに行動起こさなかったのは仕方ないとこもあると思うよ
本人は出陣したかったきもちもあっただろうけど、重臣の半数以上が
戦死してるし、松平もすぐに不穏な動きを見せてるし
重臣が軒並み死んでなければ出陣できたと思うけどね

736 :
>>734
あまりにも大きい存在の義元のありえない急死
家臣が不安になるのも無理はない

737 :
>>736
でも俺んとこの先祖は、氏真になって天野氏が裏切った時
天野氏の一派と一緒に討伐してるぜ。
まー、桶狭間で旗本衆として長男が討ち死にしてるけど。


738 :
尾上さん

739 :
>>738
そーです。

740 :
今川氏真さんの感状を見たけど、すげーかっこいい字かく。
義元公の字は、汚かったわ

741 :
追記だけど、うちの宗家(曽祖父家)は義元時代から変わらぬ所領に住んでるよ。
かつて屋敷があったとこには、ビニールハウス御殿が建ってるけどなw

742 :
八巻正治。氏の学歴は以下の通りです。
【学習歴の記録】
 美幌幼稚園 卒園  美幌小学校 卒業  美幌中学校 卒業   美幌高校 卒業  ※高校は途中転入で、しかも不登校でした!
 順天堂大学  体育学部  健康教育学専攻   卒 業 ※ガンガン勉強しました!
 青山学院大学  第U文学部  教育学科  卒 業 ※幼稚園での教育実習も行いました!
 東洋大学  第U文学部  教育学科  卒 業 ※養護学校の教員免許を取得しました!
 立教大学・大学院  文学研究科:博士課程(前期)   教育学専攻  修 了 ※良き学師たちに巡り合えました!
 カリフォルニア神学大学院日本校    博士課程  キリスト教神学  修 了 ※神様の深き愛の素晴らしさを学びました!
 米ニューポート大学大学院  博士課程  教育学専攻  修 了 ※論文執筆に燃えました!--------------------------------------------------------------------------------

743 :
>>724
ものすごく好意的に解釈して、氏真に国を与えるのは
虎を野に放つようなものだから、それだったら後顧の憂いを絶つ為に
切腹させとけ、って意味かもしれんよw

744 :
>>743
7億%無い(´・ω・`)

745 :
>>724
ワロタw 信長は大嫌いだけどまともなことたまにいうよな
むしろそんなことを言う家康が気持ち悪いしとてつもない偽善臭を感じる

746 :
age

747 :
>>745
俺が家康なら、信長に同意すっけどな。

748 :
過疎りすぎにつきage。

大河じゃなくても2時間スペシャルでいいからやってくんないかなあ。
途中で家康に主人公が取って代わられてもいいからさ。
今の時代だからこそ、華やかで劇的な武将よりも、こういう人の人生の方が
絶対共感を呼ぶはずだ。

749 :
氏真さんの字は、芸術作品

750 :
>>745
それはそこだけ抜き出してるからそう見える。
もともと信長はするが一国への復帰を条件に氏真に対武田で協力させていた。
しかし氏真の今川旧臣への調略は上手く行かず、結局家康が対駿河の武田戦略を全面的に
任されることになる。
しかし当時信長が氏真に約束したするが一国のあてがいはまだ生きており、家康としては
信長がその方針を自分から撤回していない以上そう言わざるをえない。
バックグラウンド有りの話だということを理解しないと。

751 :
東・北条氏康(相模の獅子)
北・武田信玄(甲斐の虎)
西・徳川家康(三英傑)

氏真「詰んだンゴwwwwwww」

752 :
北条氏康とはずっと同盟関係だったじゃん

753 :
>>752
北条氏康「河東は返してもらおうか」

754 :
どうでもいいけど
>>297
>角ばった顔・大きな鼻・ずんぐりした巨体
ここから想像した俺の氏真公のモデルはルーニー

755 :
氏真って結構血みどろの戦いをしてきたんだな
そこら辺は信虎譲りか
講釈たれさせれば家康を辟易とさせるし
頭に血が上りやすくオタク気質
人望は無いわな
しかし義元死んだあとは頑張ったんじゃないだろうか
ただ何もせずに遊びほうけてるうちに滅亡したようなイメージだけど

756 :
粛清しまくったのはボケちゃった寿桂尼おばあちゃんがやったのもあると思うけどね。
信玄と家康が束になって攻めて来て8年持ちこたえたんだから頑張ったと思うよ。氏康義父さんは敵対はしなかったけど助けてもくれなかったし。

757 :
「海道一の鞠蹴り」とまでいわれていたのになぜに家康と差がついてしまったのか。。。

758 :
言われてたのは親父じゃないのか

759 :
というか弓取りw
氏真さんはクラスにいたら超御曹司で全国書道コンクールや短歌コンクールとかの
入賞の常連で剣道部とサッカー部のエースで気立ての良い彼女とはラブラブという
どこの少女漫画のヒーローだよっていうスペックなのに、何故舞台が戦国になった
だけで戦国大戦のようなネタキャラにされてしまうのだろうか…

760 :
頑張ったのは支えてた家臣じゃない?

761 :
先日負け組み武将の子孫についての本を立ち読みしてたら
氏真の血は普通に残ってるじゃん
それも上杉鷹山もその一人だったとは・・・

762 :
氏真は血みどろの戦いをしてきたのでは無く
彼は父親の弔い合戦をやらずに離反者の妻子
の血みどろの処刑ばかりやっていた。
世間の人達は皆血眼氏真と呼んでいた。

763 :
いやそんなことは言われてない

764 :
信長から駿河一国約束されて、駿河への調略に励んだのになあ

765 :
もうすぐ荻窪方面に行く用事があるので観泉寺まで足を伸ばして
氏真さんの墓参りでもしてこようかな。
流れ流れて江戸府外にて永遠の眠りに。。。

766 :


767 :


768 :


769 :


770 :2013/02/26

TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
濃姫(帰蝶)総合スレ その9 (197)
竹中半兵衛 (397)
千葉氏の系図が理解できない (215)
信長の領土拡張は実力なのか?棚ボタなのか? (162)
戦国時代 心優しく、善人だった大名、武将は誰? (350)
4つのヒントから戦国時代の人物を当てるスレ 3 (548)
--log9.info------------------
【漏れは】猫でもわかる質問スレ【猫以下です】 (496)
JAVAってこんなことも出来ないの? (695)
Visual Studio 2005 Part 27 (142)
【関数】Erlang Part 2【エリクソン】 (209)
データ構造,アルゴリズム,デザインパターン総合スレ 2 (109)
【超高速】C/C++に代わる低級言語を開発したい 8 (117)
【COBOLから】バッチ処理【Javaまで】 (153)
Java Web Application Framework総合 ver2 (101)
プログラミングを勉強したいのだが (141)
■暗号技術【ROUNDsurea】■ (574)
【Lisp】プログラミング言語 Clojure #3【JVM】 (100)
MVVMについて語ろう (678)
【C++】マイナーGUIツールキット (686)
【上流社会】MSDNサブスクリプション総合【最先端】 (652)
【C++】高速化手法【SSE】 (884)
1333159918
--log55.com------------------
【コテ会館】ユロ円避難所跡地82【平成最後のレンジ】
【性病エイズ】ピンサロ嬢ロコ【前科持ち犯罪者】
ワタナベクエスト
涼宮ハルヒのFX Part100
[名人?]太いモグラを監視するスレ
■人権侵害■※ロコに対す真実事実に反する書き込み
ロコは大嘘つきの性病ピンサロ嬢です
とっとこピカ太郎ただいま参上なのだぁ 45回転目♪