従軍慰安婦」問題の真実 尾形 美明 抜粋 米軍記録に見る「慰安婦」の生活 1944年の米軍情報部の公的資料に、北ビルマのミートキーナー慰安所に収容されていた20人の朝鮮人「慰安婦」に対する尋問記録がある。 それによれば、これらの「慰安婦」達は、経済的理由から彼女達自身の親によって娼婦としてブローカーに売られたものであり、 その対価は一人当たり3百円から千円であったという(当時、下士官の月給が約30円程度)。 報告書によれば、売上に対する彼女達の取り分は5割から6割で、月収は兵士の何十倍にもなったという。 二階建て個室付きの大規模家屋に宿泊して彼女たちは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。 彼女達は客を拒否する権利を与えられており、兵士がひどく酒に酔っていた時など、頻繁に行使された。 この取調べでは彼女らの健康状態も良い事を示している。 負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された 空いた時間には兵士とスポーツやピクニックを楽しむこともあり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。 文玉珠さんの手記での生活ぶり 『支那マーケットにいって買物した。 ワ二皮のハンドバッグと靴を買い母のためにもなにか買った。 将校さんに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った 』 出典:UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Attached to U.S. Army Forces India-Burma Theater APO 689 上記報告書では、「慰安婦」をはっきりと「R婦」と言い切っている。 また、慰安婦の募集にあたり一部のブローカーが違法行為を行う場合があった事を報告しているが、 日本の官憲ないし軍隊による「強制連行」や「奴隷狩り」が行われたという指摘は全くない。