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2012年09月心と宗教53: 仏教議論スレッド48 (633) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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宗教ジョークを作ろう (486)

仏教議論スレッド48


1 :2012/10/20 〜 最終レス :2012/11/02
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
ここに誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
前スレ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/

ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
ttp://ci.nii.ac.jp/
ttp://www.jstage.jst.go.jp/AF13S010Init/-char/ja/
ttp://www.inbuds.net/jpn/index.html
パーリ三蔵
ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
ttp://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php

2 :
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/927

>そう勝手にいってるのは
そう勝手に言ってるのは、 >後代の仏教者  よりも遥かに後代の神智学の人達ですよね?w
>涅槃における自己
だからw そこに「自己」なんかがあったら涅槃にならないでしょwww
それこそ、ウダーナに反するでしょ?w
自己だろうが猫だろうが、そこに何か残ってたら涅槃にならないの。


3 :
>「無」 無、だよ無。 あるなしの無じゃないとか、わからんし、なんじゃ、こりゃ だよ。。

無と言えば、有無。
山川草木国土悉有仏性
そうなの?だったらさぁ〜 門前のやせ狗にも仏性が有るってことになっちゃうよねー、そうだよね、おしょうさま〜
(。_゜)〃ドテッ! 無。
おしょうさまー、うそ言ってるよねー、悉有仏性って言う定理に反してるし。仏性って、有るよ、なんで無とか言うの?
そうだね、1日に2回、この部屋にやってきて必ず答えを言い続けなさいな。
>┼○  ドテッ 
もういやだ、ちっとも教えてくんないじゃん
狗に聞いてみてもいいよ、だけど きっと ワン!とも言わないと思うよ。障子 |_・) チラリ!
(≧ω≦ )プププ

4 :
>>2
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1240593431/57
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1240593431/58
★【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】10
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1248609075/415
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1248609075/416
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1248609075/417

5 :
アイオーン。それは命の塊。アイオーン。それは宇宙の摂理。
アイオーン。おぉ、アイオーン。それは宇宙に鳴り響く声。
前スレの>>908
オンの字とは聖音オームの事でしたか。俺にとっちゃ畑違いの空海さんの話で
謎掛け形式でオンの字とか聞かれたから分からなかった。と言うことは空海も聖音オームを聞いたってこと?
こいつは面白い。別に、滅尽定に至る無想サマーディを得る為には必ずしも聖音オームを詠唱しなくても
いいようだが、ゴータマの時代の瞑想の師に教わったなら、ゴータマも確実に聖音オームを詠唱してたはずななのに
初期の仏典には一言もでてこないのは奇妙に思える。

6 :
前スレ>>924
創造のサイクルの話をしているのに十住心論解脱の段階の話をされても困るわけだが。
創世記どころか旧約のモーセ五書(トーラ)自体、他の神話の寄せ集めでね。
主に突如現れたらとする人類最古(最古の割に非常に高度だったらしい)の文明シュメール文明の遺跡に
旧約聖書の原型となる神話の文章がいくつも見付かってるそうだ。俺はそんなことは百も承知で
書いている。問題は聖書の成立過程より、書いてる内容の意味。わかる?ところで君のところの宗教じゃ
真我の上にさらに大我というのを設定して他の宗教より優位性を保っているようだが、しゃあ僕の
宗教じゃ特大大我を設定しよう。そうすりゃ君のところの宗教より僕の宗教のほうが優れている。なんてな。
こういうのを新興宗教と言うんだよ。ちなみにヨーガじゃ真我のことを大我とも呼ぶ。その
根源となるのが自性と呼ばれているものだ。この自性と呼ばれているものを君の宗教では大我だと
呼んでいるなら話はわかるが、さらに上のものを設定してそう呼んでいるなら、僕が君らの宗教の大我の上に
特大大我を設定して君らの宗教より僕の宗教のほうが上だと言ってるのと同じレベルで、
君の所の宗教は、ただの新興宗教だと言ってあげよう。ちなみにルシファーとは
至高の存在と肩を並べる存在。だか彼はサタンとも称される。この違いを君んとこの宗教で説明できるかい?
君んとこでも明けの明星を扱ってるんだろ?だったら説明できるよね?

7 :
もちろん俺はルシファーは神に逆らったから地に落とされたからサタンとなった
とかいう神話の話をしてるんじゃない。キリスト教の神話はほとんどが真理をお伽噺にした例えだ。
俺はその例えの真意を尋ねている。黙示録ではイエスとおぼしき人物?が
明けの明星を名乗り登場している。もちろん彼はサタンとしてではなく、至高の存在として登場している。

8 :

ところで、「果分可説」ってもちろん空海の妄想←形而上学的論議ですよね。
  ヤージュニャヴァルキアの亡霊が彷徨っているわけだw
  まさに、過ぎたるは及ばざるが如し、どころか
  親の心 子知らず、そのものですなあw
  一種の馬鹿ですねえ。

9 :
>>8
全く違うよ〜
密教はウパニシャッドとかヴェーダンーンタとかと全く違う
まあ、言っても分からないだろうし、ここで言うべきことじゃない
分からないことは、分からないと認識しましょう

10 :
>>9
>分からないことは、分からないと認識しましょう
「分からない」と「言っている」ことが痛い。
 やっぱり、親の心 子知らず、そのものですなあw

11 :
>>10
「分からない」というのはアナタがという意味ですよ
どう見てもネラっぽいから、もう止めますけど〜

12 :
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1349669547/927
>ウパニシャッドのアートマンが涅槃における自己としても何ら矛盾がない。
>涅槃の意味と比較してもまったく問題なし。
六十二見とかぶります。梵網経には「いつの」という時代を限定する句もなし、
ヴェーダの聖者を涅槃に達してると釈迦が認定したこともなし。
過去七仏(釈迦除く)はオリキャラ。
>単に、説くのを辞めただけのこと。
>判る者にだけは判るということかな?
万教帰一かぶれな現代人の期待を古代人に投影、
さらに裏事情を設定して思考停止。
なんで自分がお話を作ることにはそこまで寛容なんですか?

13 :
>>6>7
あー、世界の創造について語るのならそもそもそんなものは仏教の範疇ではないし、そもそも現在伝わっている宗教でその事を本当の意味で捉えているものはないよ。
(あくまでも世界ができた後のことです。
グノーシスなんかは面白いところいっているけどあれもちゃんとは捉えていない。)
それからそういって記されたものは、新たに記し直された時点でその記し直した者がどれほどその事を捉えていたかに拠って、本当の意味で伝わるということはかわるのだよ。
だから単に寄せ集めただけでは意味が無い。
だからパクリ(ちゃんと捉え切らずに単純に伝承をそのまま持ってきた)と言っている。
それから別に大我は優位性のために持ってきたわけではないよw。
普通に仏教の言葉だから。
それから単純に言葉遊びをしているわけではなくきちんと意味付けがある。
又私が特定の宗教団体や教派に属しているということは無いし、もしも世界の創造(というか如何に成り立ってくるのか)というレベルにまで関わるのなら、宗教なんて無意味だよ。
直に神以上のものを相手にしなくてはならないから(宗教は人間相手でしょう)。
きちんと神以上のものを捉え切るにはそのようなアプローチでは無理。
一緒に仕事をしていくということがわからないと。
まあここは仏教スレでそんなことを語る所ではないので。
カラスの唄さんは私の見解では、その仏教の範疇である無上正等正覚もまだ少なくとも自らのものとして己において成すということを捉えていないと思う。
それなしで、そういう所に入るのは危険だと思います。
(ついでにスレ違い承知で言うと。
イエスの仕事は全てを成し切ることではなく、その端緒を付けることですので別に明けの明星を名乗っても構いません。
これは日本の宗教者王仁三郎の見解ですが、イエスとヨハネ(聖書中には複数いますが)はセットですから。
仏教の浄土で言えば勢至と観世音みたいなもの。
私の見解では神道で言えばスクナビコナがイエスです。
議論になりようがないことを書いてすみません。
電波扱いで良いです、このレスについては。)


14 :
だが、空海にしてもツォンカパにしても書物だけではなく、生身の人間からだけではなく直に学んでいたりするするから。
というか、本当の意味で道を歩んでいくには、そういったものの導きがないと道を歩みきる事は難しいと思うんだよなあ。
(まあ禅では生身のある師匠につくけど。
それとて自らに於いてのことだから。)
まあそう言ってしまうと議論にならないのでこれぐらいにしておきます。

15 :
>>899
>六十二見は禅定主義・主定主義に他ならない。水野先生もそう解釈されてるよ。

水野先生は62見すべてを禅定と思っておらず
最後の四つの禅定の4見を禅定されているので、キミの誤りは誰の目にも明らか。
梵網経の中の初禅から四禅それ自体は抽象的議論だよ。
たって、「オレは神秘体験をし今涅槃した」という世界観の『根拠』が、
初禅から四禅のそれぞれだからだ。
キミは単語に足を救われて、文脈が何を問題にしているかを読み取れてない。

16 :
仏教質問箱31 >>773 F0fVday5
>如来が説きたもう所の三千大千世界と 凡夫の人が貪著している、この世界は異なる と言う意味で良いんですか?
相(仮設:仮観)が違う、ということです。それが(仮設)非です。
ここでは十分には言及できませんが、先ず、西田幾多郎と鈴木大拙の「思想」を特徴付ける短文を提示します。
<西田>・「実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。インド宗教の根本義であるようにアートマンとブラフマンとは同一である。」(『善の研究』p121)
    ・我々の自己(個)は、どこまでも自己の底に自己を超えたもの(超個)において自己をもつ。自己否定において自己自身を肯定するのである。
     かかる矛盾的自己同一(即非)の根底に徹することを見性という。禅宗にて公案というものは、これを会得せしめる手段にほかならぬ。(西田幾多郎『場所的論理と宗教的世界観』)
<鈴木>・「仏教徒の考える絶対者は、その中に一切を保持し、かつそれをとうして、一切が顕現するという如き、個者ではなくして、
      かくかく個々の事物がそのままで絶対者の中に存し、又、それとはなれて絶対者があるわけではない。
      ・・・・一切がそれ自体の姿で、即ち、それぞれの個者として、またひとつの全に属するものとして、存するような時でも、彼らは絶対者それ自体なのである。(『続禅と日本文化』p274〜275)
これら、鈴木や西田の根底にある思想は明確な不二一元論であり、その「一」に唯一の実体=絶対者である一=神(ブラフマン)を想定する超越的神秘主義(スピリチュアリズム)に他なりません。
これが戦前において天皇を中心とする全体主義・軍国主義を支える論理となり、また、アタマの悪い禅僧を迷妄の淵に追い込む害悪思想として機能しました。
臨済の思想にも、「赤肉団上、有一無位真人」などと、容易にアートマン=ブラフマン=絶対者説と解釈できる如来蔵思想があります。
しかし、これでは明確に<無我・縁起・空>撥無の反仏法であるとの非難を免れません。


17 :
金剛般若経の「A即非A、是“名”A」の根本的意義は、
<A(分別相:仮観)はAではない(無分別相:空観)。ゆえにAと名づける(無分別の分別:中観)>と、
存在は二相(最終的には相そのものも空)で掴み得ることを明確にし、
無分別の分別相がわざわざ「言語ゲーム」であることを確認することにあります。
まさに二相の相即的実践です。*上記の仮観と空観の位置を入れ替えてもOK。
*ちなみにオウム真理教の根本的誤謬は誤った空観→存在の虚妄観(幻そのもの)+カルマ(業報)輪廻転生論で
カルマ落とし→殺人を肯定するところにあります。
ところが、西田や鈴木は彼らのPな不二一元論を基にして、語彙の持つ限界を捻じ曲げ、曲解してまで
【“AがAである”のは“A”が即“非A”であるからである】
すなわち、「A」と「非A」と「肯定」(即)と「否定」(非)とがそのまま自己同一であるという「即非的自己同一」なる独自の同一律を創提し、
これが西田哲学のいわゆる「絶対矛盾的自己同一」宗教論的基盤となりました。
彼らの思想はまさしく、金剛般若経自身が批判する<全一体という執着 piNDa-grAha>という
愚かな人々が、実体と見誤って執着するモノに他なりません。
<一合相者即是不可説    一合相は、すなわち、これ、説くべからず。
但凡夫之人貪著其事     ただし、凡夫の人は、その事に貪著するなり。>(金剛般若波羅蜜経一合理相分第三十)
鈴木や西田の思想は、もはや博物館行きを免れない誤謬化石思想です。





18 :
>>11
>「分からない」というのはアナタがという意味ですよ
無分別相は、六十二見者はもちろん、如来さんでも、ブッダでも、
      ましてやアタシでも、分かる=分別できまへんw
     まあ、空海さんやオイラ氏は、「果分可説」ってもちろん空海さんの妄想←形而上学的論議で、
        分可なんでしょうねえw
      まさに親の心 子知らず(無視)ですねえw


19 :
鈴木や西田は、詳しく著作を検討したことがないんでよくわからんが、
「即非の論理」ってのは、(彼らの言うところでは)
・・・・「Aというのは、非Aによって成り立ち、また、非AもAの存在によって
成立する。すなわち、Aと非Aは、二元ではなくその本質において一元である。」
このような、 『相依性』による、同一性の主張なわけなんだろ?
A=非A  という論理矛盾の中に、自己同一性をみる・・・みたいな
対して、鈴木の元々の題材は、
金剛般若経の「仏説般若波羅蜜多、即非般若波羅蜜多、是名般若波羅蜜多」 
なわけだ。  
これを、最後の帰結文を≪ゆえに、よって≫ を付加して読み込むから
おかしなことになるのでは?
「Aは、すなわち非Aである。 ≪ゆえに≫ Aと名づく」・・・この≪ゆえに≫
がいらんと思うのだが?   これをとっぱらえば、
仏は、般若波羅蜜多を説く・・・・しかし、これは言語に依らねば世俗に対して
説きようがないので、やむを得ず、言語を用いて説明する。
だが、このように言語に於いて表現されたものは、もうその時点で、
般若波羅蜜多  ではない。
この言語化不能なる法、直覚においてのみ了解可能なる法、・・・・これを
(便宜上やむを得ず名称付加して) 般若波羅蜜多  という名称で呼ぶのである。
つまり、これは単純に、「仏は般若波羅蜜多を説くが、それはあくまで便宜上であって
本来、言葉によって説明できるようなものではありませんよ。」・・・・
こういうことなんじゃねえ??www

20 :
あ〜〜〜、19は多分に想像が混入しているww
間違っていたら訂正よろwww
(但し、真面目な仏教徒にお願いねw  キチガイは勘弁よwwww)

21 :
>>15 
暇人さんの話がだんだん見えてきた。
私に言わせれば、62見など雑念ぐらいなものですよ。一代さんは微妙に
自分の主張を修正しているかも。あと、かれは口が悪いね〜

22 :
>>13
消滅するものから生じている限り、それらのものはことごとく消滅するだろう。それらは
消滅するものから生じているからである。〜ナグハマディ文書 イエスの知恵。
君がどこまでグノーシスを知ってグノーシスは不十分だと言ってるのか知らんけど、別に縁起、無常の思想は
仏教の専売特許じゃないわけよ。
永遠まで続くものは生成のないものである。なんであれ生成のあるものは滅びるからである。その方は
はじめがなく、生まれざるものである。というのは、何であれ、はじめのあるものは、
終わりがあるのだから。その方を支配するものは何もなく、その方に名もないのである。というのは
名のあるものは何か他のものの創造物だからである〜ナグハマディ文書 イエスの知恵

おや、ゴータマは無常無我を説いたが、大我なんて一言も言ってないと思うが。空海がなにをもって大我と
言ったか知らないが、真我とて我々の自我同様縁起なしては成らない無自性な空だが、その上で
認識(認識できる存在ではないが)された自性と呼ばれるものを大我と呼ぶならわかるが、
自性と呼ばれているものは、その性質上それ以上のものはないのでその上のものを設定して大我だと抜かしているなら、
言ったもん勝ちの幼稚な新興宗教に過ぎない、相手にする価値もない宗教だと言わざるを得ない。何度も言っているが、ややこしいのは
自性と呼ばれるものの本質は言葉で表現するなら無であること。ブラフマン(真我)も縁起して成る無自性な空だった。ゴータマは
自性と呼ばれているものに達した。でもそこにはなにも無かった。結局アートマンはどこにも無かった。始めなく
終わりもなく、相もなく単独で成立していりものとはそういうものだ。ゴータマはその立場で説法をした。
だが全ての根源であるそれは、見方によれば自性そのものの性質なので
他の聖者はその立場で説法をした。ただそれだけのこと。

23 :
>>13
あと、旧約聖書のモーセ五書は、多くはシュメールからの神話のパクリだが、
別に内容自体は大きく改変されてるわけではないのであしからず。

24 :
暇人さんに軍配が上がると思うが、
お二人の議論はタヌキとキツネの化かし合いのようです。
 
お蔭様で、梵網経を読む気がなくなった♪

25 :
>>19
>Aと非Aは、二元ではなくその本質において一元である
>(便宜上やむを得ず名称付加して) 般若波羅蜜多  という名称で呼ぶのである。
そうです。実質的に、アタシの説明と同じですよ。
Namamatra(名称)→vyavahara(言説)の無実体の言語ゲームです。(瓜生津 龍樹p228参照)
ところが、彼らは言語ゲームであること(“是名”)を無視して、
超越的神秘主義(スピリチュアリズム)不二一元論によって、A=非Aだと金剛経を曲解するわけです。
それはまさしく金剛経が批判する<(実体的)一合執(玄奘 訳)>そのものです。
一元論は多元論との二項相対で成立する間接現実(世俗)内の論でしかなく、
直接現実(勝義)にはとどかない戯論でしかありません。
こんな陥穽に陥る根本原因は、中国的華厳思想にイカレテしまっているからです。
縁起の直接現実は不一不異(不一不二)の空(元論)←縁起の現観が中観・中道です。




26 :
よければ、西田の楽しいレトリックの世界をドゾー
『現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。
現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、
物というものがなくなって行くことでなければならない。
物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、
逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、
物が空間的ということでなければならない。
その極、物理的空間という如きものを考えれば、
物力は空間的なるものの変化とも考えられる。
しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、
働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、
現実というものがなくなることである。
現実の世界は何処までも多の一でなければならない、
個物と個物との相互限定の世界でなければならない。 
故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html
一切行無常の縁起を俗物不二一元論で強姦すると、
こういうグロテスクなレトリックになるという見本です。
これ以下にも続きますので、楽しんでください。

27 :
仏教については軽々に語ることは戒められており2chでは滅多に書き
込まないのだがこのスレを見ているとどうも誤解があるように思えて
ならないので必要最小限のことを今風の言い方で平易簡潔に示そう思う.

28 :
よく「真我・アートマン」と云う言い方が出て来るが誤解があるようだ.
仏教では御仏そのものなのである.つまり自分自身(自我)【ではない】別在.
御仏こそが真実な命そのものであり全てであり時を越える不思議なのである.
次に「無我」についてであるが、単純に自我の消滅と考えたのでは誤解する.
御仏への帰一により一体合一とななればこそ自我は無我なのです.

29 :
究極至高の存在者とは「有・無」と云うよりも「超越」と言うべき.
超越者への帰一合一とは無常変転無我であって死滅ではなく真実の命への
成仏に他ならない.梵我一如を仏教で否定するのはそう云う意味です.
涅槃と無我の意味するところを整理できないと混乱があるだけです.
また「空」についても誤解があるものと思う.空とは本質認識なのです.

30 :
正しい認識があるからこそ悟り得て成仏へと至るのであって認識それ自体に
救いのようなものが内包されている道理はない.また苦滅と云う言い方も
されているようだが、その実は苦を正しく認識し苦を苦とすることで乗り
越える自我変容があるから苦滅と言ったりするのであって、たとえば歯痛に
よる苦がなくなるとでも考えるだろうか.そんな道理はない.

31 :
Newキャラクター登場?w

32 :
大滝秀治さんの話は難しいけど勉強になった。
前々から、犬と猫がどうしてイコールになるのかと疑問だったが、
直接現実と間接現実を「相の違い」とすれば理解できる。
西田や鈴木と、不二一元論との関係も興味深かった。

33 :
釈尊は真理への導きの種子を弟子達の心に植えたのである.種子は芽吹き
それは弟子から弟子へと受け継がれつつ巨木へと成長した.誤解の有る者は
釈尊本人へ回帰し近付かねば真理は見えないと考えているようだが誤りです.
仏教カルトが好んでそうするのは釈尊の権威を利用して巨木を否定して自ら
に都合よい偽物の木を示す為にそうするのです.

34 :
結局中道ってのはさ、本質は無である自性と呼ばれているものの性質なんだよね。
そこは善悪の根源であり、その善悪を内包しているが、自性と呼ばれているものそのものは、
どちらでもない真ん中の性質のものだ。善悪どちらの出目でもあるからね。
なんで空理空論中論教妄想患者の皆さんは、わからないかな〜(絵文字略)
この二元世界の束縛で生きる我々がいくら生死などない。中道なのだ!と妄想しても実際我々は死んでしまうし、
いくら傷みも快楽もない。中道なのだ!と妄想しても、実際に大怪我すると激痛にのたうち回る。
空理空論中論教の妄想患者さんは、こんな子供でもわかる事がわからないのかな〜(絵文字略)
相互依存相対関係の縁起の法を説くなら、この世界は縁起により成り立っ無自性な空であるなら、相対関係の自性を設定しないと
論理的に破綻する。一方自性は相対関係の無自性を設定しないでも成り立つ。
自性は識別しえないもので単独で成立するものだから。ましてや識別し得ない自性と呼ばれているものを、
識別する自性という名称で扱い、無自性という相があらわれるので自性はないとやる中論は、はなからまちがってると、
なんで空理空論中論教妄想患者さんはわからないのかな〜(絵文字略)
この二元世界の束縛中でいくら中道を当て嵌めても、無意味な言葉遊びにしかならないって、どうして
空理空論中論教妄想患者さんはわからないのかな〜(絵文字略)
もう一つ中道をいくものがある。それは不二一元の真我だ。
彼は多と相対関係にあり、自性と呼ばれているものに縁して生起した単独では成立し得ない
無自性な空であるが、二元世界の束縛にはない。一は全てであり、全ては一である。
彼も善悪を越えた、中道をいくものだ。

35 :
>>31
ここまでで終わり.教えについてはこれ一度だけ.
もうこうゆう書き込みはしないよ.

36 :
>>25
だから君の話は無意味なただの言葉遊びだってなんでわからないのかな〜(絵文字略)
戯論、言語界が全て滅んだなんてのは、自性と呼ばれているものの領域しかないんだよ。なにせ彼は無だからね。
二元世界の束縛にある領域しか認めないで、そこに無理矢理中道を当て嵌めても無意味な言葉遊びにしかならないんだよ。
文字通りの戯論だな。日頃得意気に戯論の滅をうたいながら、君らが一番、無意味な
戯論に夢中になってることに早く気付けよ。

37 :
>>35
そのほうがいいかもね。ここには正真正のパーピマンがいるからね(苦笑)。豚に真珠を投げても仕方ない。
ところであなたの宗派はどこなんですか?

38 :
>>34
だからw
この世のどこに、(少なくともこのスレに)、
 >いくら傷みも快楽もない。中道なのだ!と  
のたまってる人がいるんでしょうか?
貴方はいつもいつもそうw
居もしない人物像を勝手に作り上げ、それに対してレスを入れ揶揄し、
或いは、話題に上ってもいない話を持ち出して、その件に対する居もしない対論者へ意見を述べて、
御満悦で去っていく・・。

傍から見ると、滑稽な一人芝居でしかないんですけどねぇ・・w ┐(´ー`)┌

39 :
伝統を大切にするのは大切だろう。しかしそこに誤りがあったら、
その誤りに気づかなければならない。伝統だからと盲信したら、せっかくの
一生を棒に振る。伝統だからと強弁していたらダメだ。むしろ逆に、
いつも伝統を疑い、それを批判する話に耳を傾ける謙虚さが欠かせない。
真理を伝えないような伝統には価値がない。

40 :
>>38
ハイハイ、俺達はそんなことは言っていない。君らお得意の詭弁は聞きあきた。せいぜい君らの商売道具の詭弁を極限にまで研ぎ澄ましてください。
君らがいくら四の五の言おうと、空理空論中論教の人達の能書きは
ただの言葉遊びなんだよ。俺はそれを指摘してあげてるだけ。
なんでわからないのかな〜(絵文字略)

41 :
テキストに基づけば、議論の客観性が確保されるわけでもない。
テキストも最初は、作者の主観で書かれている。それ自体が主観の産物だ。
そのうえ、どのテキストを選ぶかによって、論者の主観を巧みに隠ぺいする
こともできる。さらに、テキスト主義は議論を瑣末にし、議論のテーマを
著しく狭くする。仏教は戒定慧・経律論とあるのに。

42 :
オウムなどの新興宗教が盛んなのは、伝統仏教が真理から遠ざかり、
人々から見捨てられたからだろう。そういうことに耳をふさいで目をつぶり、
伝統仏教を擁護しても、問題は解決しないし、ますます興ざめするばかり。
いくら学んでも、いくら修行しても、なんで悟れないわけ?
仏教には何か根本的な欠陥がある。〜 状況は伝統的なキ教も同じ。

43 :
個人的に、涅槃=ブラフマンと考えてます。

44 :
>>42
寧ろ、現代日本仏教がテキスト無視して(現代人の要求に合わせてきた)弊害なんじゃねーの?w

45 :
>>44
テキスト(開祖・教祖)盲信が原因。


46 :
一代氏や釈迦仏教が、オウムの原型。

47 :
ほんとに釈迦仏教盲信だったらオウムはせいぜいスマナサーラさん程度の攻撃性しか持ってなかったろうなあ。
ちゃんと師について、密教に進むなら顕教をしっかりやって、
って感じじゃないとチベット仏教を盲信したとは言えない。
オウムに対してはあR位ならアンチョコ元を正式な形で盲信してればマシだったのに、
と言えよう。

48 :
>>47
師を無批判に「信じすぎた」のがオウム。

49 :
人が無と成りて仏と書く。正確に言うと自性と呼ばれているものと真我は違う。
真我(ブラフマン)とて全ての根源たる自性と呼ばれているものが生み出したもの。全ての根源たる自性と呼ばれているものは、
その性質上それ以上のものはない至高の存在(本質は無だけどな)なにせ全ての根源であるから。
ゴータマは自らを仏と称してその至高の存在として振る舞った。原始仏典などでときおり真我たるブラフマンを見下し、ゴータマを
上に見立てた記述があるのはそういうこと。でもブラフマン(真我)は自性と呼ばれているものの
境地である安息日の主(あるじ)なんだよね。なぜなら真我(ブラフマン)がなければ本当になにも無くなっちゃうからさ。

50 :

>>49が言葉遊びでなかったら、一体何を言葉遊びと称せばいいのやら・・w (´ー`)y━~~

51 :
結論的に、開祖・教祖・教典盲信が、宗教の最大の病理。批判が心理的に
不可能になる。

52 :
>>2
>『しかし、比丘たちよ、
>生まれもしないもの、生成もしないもの、作られもしないもの、形成されもしないものがあるから、
>生まれるもの、生成するもの、作られるもの、形成されるものの出離が知られる(paJJAyati)。』
セブン抽出の訳文“出離が知られる”
『出離が、覚知されるのである』(テーラワーダ初期仏教研究)
http://www.j-theravada.net/sakhi/udana.html
の双方を見ても同様、
“知る”ことと、そして“覚知される”ためにはその主体が必要です。
涅槃を何(誰)が知るのか?何(誰)に覚知されるのか?ということ。
ご隠居の特異なフレーズは使いたくないけれど、
己れの我を以って無我を語り、己れの我を以って涅槃を覚知することになる。
子供じゃないんだから、いつもまでの屁理屈ばかりで駄々捏ねてはいけませんよ。
誰が涅槃入りを知るの?いい加減に大人の返答で答えてけれ〜〜!!

まずは、スレ建てサンクスm(__)m

53 :
>そこに何か残ってたら涅槃にならないの。
追記:
消え去るものとは、
涅槃以前までの煩悩に塗れた自己であり、
煩悩と穢れがすべて取り去れる。
そこに残るものとは、本来の清浄そのものであるところの自己です。
 『この心は清浄である。しかし、これは本来的なものではない煩悩によって汚染されている。
…教えを聞かない凡夫たちは如実にこれを知らない。それゆえ、凡夫は心を実修していないと私は説く。
…教えを聞いた尊い弟子はこれを如実に知っている。それゆえ、教えを聞いた尊い弟子は心を実修した
と私は説く。』(SN.I/増一阿含経)
「教えを聞かない凡夫は如実にこれを知らない」
=アートマン否定の伝統仏教者たちすべてのこと

54 :
車内放送ー48件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=2GMoF9o9keo&feature=bf_next&list=PL743C4906D48F3E20

55 :
>>前スレ915
>オイオイ、そりゃ逆だぜ。
>部派が君の立場に接近して涅槃を無為にして実体化したと水野先生は言ってるんだが。
 『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現
象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは違った
性格のものとなった。(p143)』(水野著『要語』)
つまり、阿毘達磨の解釈論として「有為」「無為」の二つが建てられたのであって、
“生滅変化しない常住不変の無為法”という理解そのものについては別に何も間違いじゃない。
これは、『ウダーナ』8:3にも明らかなこと。
「ただ無為は涅槃のことであって、存在としては説かれない」
というのが仏教の立場だというのを押さえておければ問題なし。
それと、この無為は一切法ではないし、空とは現象界の性質に限定される法です。

56 :
>>前スレ915
>それと一切法は仮設だから、それって縁起・空ってことなんで --中略--
>少なくとも涅槃は不生とされる。それは空と同じ意味だから。
 『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)』(水野著『要語』)
現象界に限られる法が一切法。別名「有為(法)」です。
「空」もこれに限定されるのであって、そこに「無為」は入らないから。
そして同じく、「不生」と「空」が同義というのは認められませんね。
>それと一切法は仮設だから、それって縁起・空ってことなんで --中略--
>少なくとも涅槃は不生とされる。それは空と同じ意味だから。
 『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)』(水野著『要語』)
現象界に限られる法が一切法。別名「有為(法)」です。
「空」もこれに限定されるのであって、そこに「無為」は入らないから。
そして同じく、「不生」と「空」が同義というのは認められませんね。

57 :
>>前スレ919
>そこを区別しなければ、永遠に平行線のまま。
その同一用語で同じものを指して論じているのかどうか?
については、もう彼らとの論戦とううのは永いものなので解消済みと思っています。
>これは論理でも体験でもなく。「無我」を掲げ「無我」によって歴史を重ねて来たので信念に近い。--中略--
>彼らのアイデンティティを傷つける事は、すべきではない。
>仏教とは、内向きな宗教。他って置いて欲しいのだ。
この私は誤解と迷信として見なしていますが、
しかし、彼らにとってはここが仏教の仏教たる核の部分であり、
誇りにしている部分でしょうから、もちろん断固としてそれを認めませんね。
では以降は、
彼らに接する歳には(彼らを尊重して)、“異説あり”という姿勢に変更することにます。
あっ、インドでは1,000数百年もの間、誰も仏教徒(無我思想)のことを相手してませんから・・・
その点はご心配には及ばすかも。

58 :
「自己」が通力とか超認識とか小ざっぱりとした人格を得て、
輪廻もしなくていいようにパワーアップするのが涅槃かあ。

59 :
>>51
純粋な信仰集団でも、どこかで利益集団に変質してしまう。
教祖に反対する者は、脱落したり、追放されたり、殺されたりする。
教祖が神格化され、集団は上下関係の組織になる。
集団が信仰を貫くのは難しいのだろう。集団自殺もあるね。

60 :
>>59
開祖の「教え」が、初めから誤っていたことを証明している。悪いのは、
「信者」ではなく「開祖」。

61 :
>>60
オウムの場合は、雑誌や宗教学者などが持ち上げたから図に乗った。
開祖・麻原に問題があったのはまちがいない。
しかし初期の仏教やキリスト教は、ストイックな集団であり、
オウムなどと同列に論じるわけにはいかない。

62 :
奈良の騒音おばさん 創価学会の嫌がらせ被害に・・・ 2:54
http://www.youtube.com/watch?v=wsFABWIjkXM&feature=related
騒音おばさんの真実  7:19
http://www.youtube.com/watch?v=wkEq48G7qsg&feature=related
騒音おばさん 10:21
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=zAk6T3zAJgc&feature=endscreen
騒音おばさん 2011年9月13日、ニコニコ動画から 10:22
http://www.youtube.com/watch?v=aKKHTkkfaR4&feature=related
逮捕前の騒音おばさん 6:23
http://www.youtube.com/watch?v=mYWmFhAajGw&feature=related
騒音おばさんー4本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=AWfu9J5H1Oo&feature=rellist&playnext=1&list=PL54D1E7C0CE01F13B

63 :
涅槃の境地というものは永遠の昔から、また永遠の未来まである。
作られたものではない(釈迦のアイデアではない)だから過去にも仏が現れたし、
未来にもまた仏は現れるだろう。
生物が子孫残したり、地形が時代によって変動したり、という現象と違い、
涅槃というものはそうした六道の中で起こるような連続性や生滅ではない。
そのようなものを滅した先、有為法的なるもの全てを脱却した先にあるのが涅槃。
という感想を>>52を見てもった。
設定上はアートマンと共通部分がある。輪廻を脱しただの、地上のあれこれと違うだの、不滅の境地だの、
しかし釈迦がこれを涅槃と結びつけたことはない。
外野から見ればそんなに代わり映えはしないが、当の本人にとっては
ユダヤ人にとってのヤハウェとマルドゥク、クリスチャンにとっての
イエスとホルスくらいの違いがあるのかもしれない。
釈迦があんまり異論にバトルをしかける性格でなかっただけで。
釈迦の言う所の仏陀や阿羅漢になった人物は、いろいろと
煩悩がとれて清らかにはなっていると思われる。少なくともそういうことになっている。
生きているうちはそうだろうが、もう転生することの無い最後の肉体を失った後はどうなるのか?
如来の死後については語らなかったらしいが、
たとえば消滅ならアートマン教義とは明確に異なることになる。

64 :
食べなければならないから、信仰と世俗を両立させるのは難しい。
ここら辺に、宗教集団が堕落する原因があるのではないか。
インドのように、出家や托鉢が許され、在家信者から多額の布施があれば、
純粋な信仰が維持されるかもしれない。〜 オウムがこれをマネたけど、
オウムの場合は開祖・麻原に問題があったから破綻してしまった。

65 :
大智度論では、阿羅漢は方便力が無いので涅槃に入れば輪廻しませんが、菩薩は方便力があるので輪廻できるそうです。
如来は無量寿ですが、輪廻できるようですね、法華経では。
これまで菩薩の前世は阿羅漢だと思っておりましたが、論理的には阿羅漢を飛ばさないと菩薩にはなれないかと思料します。
議論板の各位はどう思われますか? 釣りではなく、素朴な疑問です。

66 :
>>前スレ919
>神智学は神智学で問題あるねw
完全無欠の100%というものは存在しません。
よく読めば、神智学といってもただの学徒による研究著の類の場合などは、
過剰神格化の部分等は見抜けますね。
まず崇拝と丸呑み信奉はいけない(これが神智学精神道)。

〜はい、あなたからのご忠告は
すべてその通りだと思います。

67 :
>>前スレ923
神智学文献。
けれどもこの程度のことならば、
他の西洋オカルティズム全般や、もしくは比較宗教の学問分野で明らかでしょう。
>>前スレ925
言わないでしょう!
私の知る範囲では知らない・・・。
他の諸宗教にも一致した真理が見られるといった、
他宗教に対する同調性や万教帰一的な柔軟姿勢のことでしょう。
殊、このアプローチ(姿勢)の取り組みについてはこの近代以降〜強力に進められてきました。
私は、ヒンドゥーの意識レベルの高さの顕れであるとしてこれを高く評価します。

68 :
>>前スレ653
>>死という生命の根元的な苦への根本的な滅への道を
>それが、 【単純に】『死なない』ということであるなら、
>(少なくとも、宝珠や在家や貴方の主張はそれでしかありませんが・・w)、
>あまりにも愚劣だと言わざるを得ません。
逆に聞きますが、
では、苦の滅に成功すれば生死を繰り返していいと?
或いは、苦の滅と生死は無関係であると?
私は両者は切り離せない不二の関係であると見ています。
尤も、不死とはいっても肉体生命に対して固執する肉体維持という意味ではありません。
意識の不死に対する永劫的な連続性のことです。

69 :
>>56 宝珠氏
>現象界に限られる法が一切法。別名「有為(法)」です。
そうですね、「一切皆苦」の一切には仏は含まず、「諸行無常」の諸行には涅槃は含まれずでしょうか
仏も涅槃も「無為法」。有為法と無為法とをあわせると真の一切でしょうね。
キリスト教、イスラム教、神道等は「常住」に拘り、仏教徒は「無常」と思い込んでいるかと。
法華経の如来無量寿品の一つの訳で「仏の眼で見れば、仏も世界も常住で美しい」とありましたが、うまく言い当てているかと存じます

70 :
>もしくは比較宗教の学問分野で明らかでしょう。
それはない。イシャーナ天とイザナギ、大黒天と大国主を
結びつける程度の意味しかない。単なる、音からの連想ゲーム。

71 :
>>前スレ613
>なぜなら、アートマン、実在、実体、本質というような
>何らかの第一原因を想定する見解を持っていては縁起にならないからです。
では問う!
その縁起(第一原因)の作用そのものは何故、生じますか?
それは、いつどこから、そして何によって。
その作用する力は何処からくる?
それが説明できないのであれば、
神(創造主神)とアートマンを否定する資格(理)などなし。
と、思うよ!

72 :
>>前スレ567
>まだ腰を据えて読んでいない。齧っただけ。
>もうひとつの身心と、1日にあと10時間欲しい。
>時間ができたら、シャンカラ、クリシュナなどと共に読む予定。
大王も私同様に多忙のようですね・・(笑)
私は、『ギーター』については『世界の名著1 バラモン経典/原始仏典』中央公論社刊)
のが気に入っていますが、他、クリシュナ意識国際協会刊などもあります。
以下、
名称が似てるので読者の便宜のために一応・・・。
聖者/聖典など
---------------------
ラーマ王子/叙事詩『ラーマヤーナ』
クリシュナ/叙事詩『マハーバーラタ』内の『バガヴァッド・ギーター』
ラーマクリシュナ/近代の聖人-ラーマクリシュナ・ミッションの大聖
クリシュナムルティ/近代の聖人-神智学協会がインドから見出した霊的教師

73 :
>>71
>それが説明できないのであれば、
>神(創造主神)とアートマンを否定する資格(理)などなし。
理を放り投げない宗教は無い。
どっかで説明を放り投げる。例外は無い。

74 :
>>前スレ627
>どうしても仏教だけは他の宗教とは違う特別なものにしたいおまえは認めたくないかも知らんが、
>ゴータマが悟りを開いた瞑想は、あくまでヨーガな。君ら仏教徒は一番肝心なものが抜け落ちているから、
>いくら座っても悟れないよ。残念だったね。せいぜい中論などに被れて無意味な言葉遊びで迷ってればいいよ。
同意。
仏教者たちにいいますが・・・
仏典のDhp.282,372でも、「心が統一され」(Yoga)と述べられているように、
仏教の瞑想は古代ヨーガに起源があると見るべきです。
『ヨーガ・スートラ』の成立には仏教徒が関わっていた可能性もあると見なされるほどで、
初期仏教(原始仏教)の影響から瑜伽行唯識派の発展のキッカケすらもヨーガ・スートラには見る
ことができるともいわれていますから・・・。
投稿を見てると随分と瞑想の分類と区分けに忙しい様子ですね。
まず数息観で意識を鎮めてからでないと話にならないと想う。
呼吸の出入をありのままに観察する随息観に応用することも可。
とにかくまずは、
サビカルパ・サーマディ(自律神経系統を制御して、殆ど完全な無呼吸状態に肉体を持っていく)
に達するレベルまでいかないことにはお話にならないものと思う。
この技法の修得によって初めて、100%意識の完全集中が達成できる。
ヒンドゥーで時折り、土中サーマディの儀式が執り行われるのは、
行者がサビカルパ・サーマディに達せさせれているかどうかの客観的な確認の為のもの。
未達失敗であればそのまま死が待っているから、行者自身に確信があって初めて実施される。

75 :
>>前スレ513
>梵網経の62見には時代を現在(当時)に限定する文句はありませんが、
>あくまで当時限定とするなら、釈迦が、過去七仏等仏法の聖者や
>その弟子以外から、解脱者が出た、と認めた例はあるのでしょうか?
逆に問いたいところですよ。
彼ら過去仏は、仏教以前のどんな教えに添って解脱したのでしょう?
つまり、仏教以前の仏教と同等の教えによってですか?
それが、真実の正しいヴェーダの解釈及び実践とはどう違うというの?

76 :
>>前スレ512
>>>前スレ474
>書題、聖典名としてのヴェーダとすることには無理があります。--中略--
>三ヴェーダを学び、信じ、また実践する、です。
>バラモン階級からの改宗者もおり、それを行として組み込み、
>やらせることは可能であったにも関わらず、です。
暇人さんも気付かれてますけれど、
>スッタニパータを読んでいますと
>「書題、聖典名としてのヴェーダ」の場合もあり、>>535
 『三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者に
とっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。』(Sn.656)
 “再び生を受けない人”ということは完全な解脱を意味しています。尚、“梵天や帝釈”というのは、
中村氏の解説によれば当時、最も崇敬されていた神であるということで、誰もが認める最も崇高な
存在という意味として讃える言葉です。つまり、輪廻を免れない諸天という意味などではありません。

77 :
8:1 (因縁略)。
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。
そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、
空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、
無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、
この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。
比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、
没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』

78 :
8:4 (因縁略)。
『依存する者(nissita)には、動揺(calita)があり(atthi)、依存しない者(anissita)には、動揺がない(natthi)。
動揺がなければ、軽快(passaddhi)があり、軽快があれば、屈従(nati)は起こらない(na hoti)。
屈従がなければ、来と去(Agati-gati)は起こらない。
来と去がなければ、没と再生(cuti-upapAta(cutu-upapAta))は起こらない。
没と再生がなければ、この世に(idha)だけでなく、あの世にも(huraM)、両者の間にも(ubhayamantarena)ない。
これがすなわち、苦の終わりである。』

79 :
◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集
〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23
〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642
〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602
〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643

80 :
>>75
釈迦と同じく、他宗教で学んだりするけど結局は退けて
自力で悟ったという設定だろうなあ。
釈迦のアイデアが、彼の創作じゃなくて実際にある法(ダルマ)だとするなら、
別に釈迦に学ばなくても、仏教が仮に滅びても、誰かが気付いたり見出す可能性はある。
自然法則みたいに。また
リシたちが感得する前にはヴェーダに書いてあるような法は無かったのか?
たぶんヒンドゥー教徒もそうは考えない。
>>76
それが書題としての三ヴェーダで、それが要件ならば学ばせてるだろう。

81 :
資源を使わない理由が本当にわからない。

82 :
〔主体なき輪廻URL集〕
卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/219
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/220
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/16
卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難所】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/240
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1270611666/243
◆◆◆◆◆
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/489
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/530
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/639★★
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/532
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/533
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/534
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/553
【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/412
 (http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/417-418
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/836-841

83 :
 ────────
(639★★と絡んだ「時制の区分・分別、拾い上げ」について)
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/665
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/668
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/669
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/670
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/675
 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(上記時制の区分と相似した、「主体の区分・分別、拾い上げ」について)
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/83
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/84
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/107★(前段:>認識の前後関係の入れ替え)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/146
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/198
 ━━━━━━━━

84 :
ヨーガは使うがヴェーダ聖典は使わず、
アートマンに言及せず、わかる人にはわかればいいという立場。
コラージュみたいな人物像だなあ……
難陀に対してけっこう手段選ばなかったけど、
ヴェーダ聖典を学ばせる程度の方便を差し控える。

85 :
>>前スレ477
>>>前スレ475
>>そして、ゴータマが称賛するバラモンとはヴェーダの究極の目的に達した人を意味し、
>>それは“仏教の説く涅槃”と同義で語られていることは>>前スレ390で示した通りです。
>>当時のバラモンたちに完成者がいなかったので、それを達成してみせたのがゴータマでした。
>
>確かに一理ある思います。ただ仏教では、絶対認めないでしょう。
>(なぜ、認めないのか私にはわかりませんが)--中略--
ゴータマがバラモン教の一派に過ぎない的な言い方はちょっと語弊が生じますけれど、
しかし、ゴータマ当人の意識の中では、“これこそが本物のバラモン・ヴェーダの真理だ”
といった熱き想いであったろうことに私は強く確信します。
そして、このゴータマの説かれたものが、単に仏教と呼ばれて区別されていったのだ、と。
このことは、パリサイ派やサドカイ派といった古典的伝統ユダヤ教徒たちと議論を戦わせていた
当時のイエスが、我こそが真実のユダヤの真理を確信する(彼等の理解は間違っている)
として教えを説かれていたのに酷似するものです。
これが後にキリスト教と呼ばれて、結果的にユダヤ教とは分離区別されるに至ったのです。

86 :
>>前スレ477
>しかし釈尊は、アートマンと取れる事は言っていても
>ブラフマンについては、全くと言っていい程言及していません。
>むしろ、宇宙的なブラフマンは否定されているとも云えます。
>釈尊をバラモン教の一派とした場合、この矛盾はどう説明するのでしょうか?
本来は、
原始仏教の世界では寧ろ逆であって、
ブラフマンこそが仏教としてのアプローチであったということを、
つい最近にもご紹介したばかりなのでした。
仏教者は拠るに足らないものと決め付けて、これらをスルー放置する傾向が強いと思われます。
ゴータマの“真のバラモン”を称賛する姿には平均的な仏教徒は興味がないと見え、
ネット閲覧していても取り上げ方は少ない印象を受けますね。
ここは、とても重要な部分ですから、
まだの方には是非とも、ご一読を強くお奨めします。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1346067224/901-902
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1335715003/640-641

87 :
>>5
はい、ですねぇ!
この空海著作、『吽字義』についての解説部分からみて、まず間違いないでしょう。
私は、密教(後期大乗)はバラモン・ヴェーダの古代叡智を導入し、
現代にまでこれを伝えているので価値が高いと思っています(貴重だ!!)。
聖音OMは、世界中の正しい宗教には必ず言及されているか、
本物の聖者によって伝えられ使用されているものと思います。
チベット仏教では「フーム」(フーン)、イスラム教徒は「アミーン」・・・などとして。
たぶん、空海も修行中にこの聖音を聞いたのでしょう。
前スレで私は、「修行の熟達した者には」といいましたが、クリヤヨーガのマスターにいわせれば、
「初心者によってもしばらくの実践によって誰にでも聞くことができる」と明言されています。
私などはクリヤヨーガの方はサボってしまっていて、まだ聞いたことがありませんが・・・。ハハハッ
私が実践している神智学系の瞑想は、敢えて意図的に深く意識を沈めないタイプのものなので、
これでは聞けないのです。
(瞑想中という意味ではなくて、喉のビシュダー・チャクラの活動する音は何度も聞きましたけど)。
仏教圏で“聖音が聞こえる”という伝承なり、その指導がないのは、
聞こえるレベルの意識の深い瞑想に入らないからではないでしょうか?
ヨーガの究極では、心拍呼吸をほぼ停止するレベルまで肉体機能を止めるほどに深く入りますけれど・・・。

88 :
だから.仏教では「梵(ブラフマン)我(アートマン)一如」とは.決して.考えません.
其処でいう【我(アートマン)】とは「自我を自我たらしめる本質」という意味です.
仏教としては「そんなものは.【ない】.」です.
もし無理に同じ形式で言うなら「如来如来一如」で.如来は如来に決まっている.
そんな当たり前な事が何故分らぬか.分りたくない理由があるのだろう (カルトか?)

89 :
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/639
「(過去)(私が為した)業があり、その果が(今)(私に)結ばれている」
「(今)(私が為した)業があり、その果が(未来に)(私に)結ばれる」
「(過去)(私が為した)業があり、その果が(未来に)(私に)結ばれる」
「(前世に)(私が為した)業があり、その果が(今生に)(私に)結ばれている」
「(今生に)(私が為した)業があり、その果が(来世に)(私に)結ばれる」
「(前世に)(私が為した)業があり、その果が(来世に)(私に)結ばれる」
上記から、(>> 390が言うように)「時系列」を(→恣意的・世俗的区分を)抜きます。
 「(私が為した)業があり、その果が(私に)結ばれる」
更に、仮設されている「我、自己」を(→所縁によりその時のみに認められる主体を)抜きます。
 「業があり、その果が結ばれる」。  これが勝義(に於ける業報)です。
順序はこちらの方がよいかもしれません。
上記から、仮設されている「我、自己」を(→所縁によりその時のみに認められる主体を)抜きます。
 「(前世に)業があり、その果が(今生に)結ばれている」(他略)
更に、(>> 390が言うように)「時系列」を(→恣意的・世俗的区分を)抜きます。
 「業があり、その果が結ばれる」  これが勝義(に於ける業報)です。
そこには、「時制(或いは三世)」もありません。「行為者」も「果報を受ける者」もいません。
諸法が縁起しているだけです。 だから、「無常」であり「無我」である、と。
時制がないから、始めもなく終わりもありません。
ですから、如来には(解脱者には)世俗的(自己・自我の)生も死ないので「不生」であり、「不死」です。
「時制に区切られた死」はなく、五蘊の滅に際し「般涅槃」と言われます。
上の形式で言えば、「縁により五蘊の仮和合があり、縁により五蘊の滅という果があるのみ」となります。
それが如来の般涅槃です。ですから後有がありません。
凡夫は、上で抜いて来たような「各( )」(特に「私」)があるために、輪廻し、後有を受け続けるのです。


90 :
すぐ下で簡潔に返答がなされているのもいつも通りか。

91 :
389 神も仏も名無しさん 2009/08/29(土) 17:08:47 ID:z/ZHfGLg
>> 388
輪廻において「生まれ変わりの同一性を担保する基体」が無ければならない、
という発想は、「生まれ変わり」つまり無常をバラバラであることだと誤解してる、ということです。
バラバラだと誤解していないなら、何故、統一者が必要だ、となるでしょうか。
しかし、バラバラなら、無関係なものから無関係なものが結果し得るから、
そもそも、無常になる必然性はありません。
ですから、統一者は?という質問そのものが崩壊します。
390 神も仏も名無しさん 2009/08/29(土) 17:10:06 ID:z/ZHfGLg
>> 389補足。
ちなみに、一期の生存を超えた輪廻転生問題でなくとも、
この一期の生存における、過去・現在・未来の経験の統一性の問題でも
問題の本質は何ら変わりません。
665 神も仏も名無しさん 2009/08/31(月) 22:44:05 ID:tp2CbPG2
>> 390の趣旨は、一期の生存を超えた、輪廻転生における統一問題であろうが、
一期の生存内の過去・現在・未来の経験の統一問題であろうが、
統一問題が起っていることに違いは無いという意味。
したがって、輪廻転生と一期の生存は無区別といったことは意図してません。
667 神も仏も名無しさん New! 2009/08/31(月) 22:49:11 ID:tp2CbPG2
>> 665補足
私の意図とは異なるとはいえ、>>639はそれとして考え、否定するものではありません。

92 :
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/412
412 神も仏も名無しさん sage 2009/11/06(金) 00:54:55 ID:3ZmYfBTK
>> 410
そうではない。
【《「連続性」はある》が《「同一性は」ない》】というのが、縁起に則った「(三世に跨った)輪廻」だから。
「次の生を受け、生きている存在」は、「過去の存在と同じではない」。
(PTS辞書が“new birth”と釈しているのもまんざらではない。)
過去、「肉親であったという関係性」は、死(≒五蘊の滅)と再生(≒五蘊の生起)との間で消失する。
再生した存在は、別人(別存在)。
(ここに於いて意味のある連続性は、(当人としての)業果が連続しているということだけ。
 他者との関係性は問われない。外から見て・第三者から見て・客観的に同一であるかどうかは問わない。)
仮に、食されるサンマが前世でAさんの爺さんであったとしても、
今まさに食されるその瞬間、サンマがAさんの肉親であるわけではなかろう?
あくまでも、サンマの時はサンマでしかない。
(過去)所縁によってAさんの爺さんという存在であっただけであり、
(現在(今))所縁によりサンマであるだけだ。
言語習慣上、世俗上、仮設される同一性を見てしまいがちだが、そのようなものはない。
「爺さん(という関係性)」も「(食される)サンマ(という関係性)」も、
それぞれ、その時その時の縁により生じ、構築される関係性に他ならない。
だから、単語上の「非我」が「無我」へと昇華される。
案ずる必要はない。

93 :
>>92
同一性がなければ、「輪廻転生」や「解脱」と言う言葉は全く無意味。
「案ずる必要はない」w。

94 :
>>5
>初期の仏典には一言もでてこないのは奇妙に思える。
はい。
「真のバラモン」「ヴェーダ」「ブラフマン」を称賛する言葉は多様されてますが、
あまりにも実際的なヨーガとその神秘についての言及が見当たらない・・・。
もしや、バラモン教嫌いのアレルギー仏教徒らによって削除された?
仏教者のバラモン・アレルギー(偏見)はホント酷いから・・・。

95 :
>>22
これは驚きました。凄いですねぇ!
縁起的というか、まさにウダーナ8:3的な印象がありますね。
万教帰一の一端を見た思いです。
--感謝!!!
>>24
私も暇人さんに一票かな!

96 :
>>94
そうじゃないw
「あいつはお茶出しのプロだからな」という台詞が、「プロ」という語が、
真にプロフェッショナル、或いは職業としてのお茶出し人を意味するものでない如く、だ。
何度言われたら判るんだ?w

97 :
暇人に軍配とかw
自歓喜経の読みは、在家・暇人共に完全に誤読だ。

劣化したな・・・  >>宝珠 w

98 :
あ、勘違いしたw >>97は脳内あぼん宜しく。

99 :
>>50
お前は言葉遊びの定義も知らないんだな。俺の話を受け入れるなら生死を超えた人の根源的な苦の滅の
具体的な道が開ける。不二一元の真我。善悪全ての根源たる自性と呼ばれるものこそ中道を具現化したもの。
あとは直観知で得られるまでは信仰の問題だ。
ところが君ら唯物末法仏教は二元世界の束縛にある我々と我々の認識世界の中でやれ中道だのと説いても
それは実のともわないただの言語上のものでしかない。
こういうのをただの言葉遊びだと言うんだよ。こんな簡単なことがなんでわからないかな〜(絵文字略)。
自性と呼ばれているものの性質は一方の見方によれば無であるけど、一方の見方によれば自性そのものの話は
自性と呼ばれているものの本質を語っているもので、決して無意味な言葉遊びを語っているわけではない。
たとえば太陽の光の当たる月の面をみる者は月は光輝いていると説明する。
一方太陽の光の全く当たらない裏側をみる者は月は真っ暗闇だと説明する。どちらも正反対のことを言っているが、
どちらも同じ月である。こういう話をしている。決して君らの中道論のようなあくまで言語上だけの本質的には無意味な言葉遊びの
空理空論を話しているわけではない。なんでこんな簡単なことがわけではないのかな〜(絵文字略)

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