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2012年2月日本近代史30: 【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8) (247)
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【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)
- 1 :11/12/12 〜 最終レス :12/02/05
- 前スレ
【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1301829575/
・「三十一谷人」とは、福澤諭吉の雅号です。
肖像メダル「福澤諭吉」の販売:独立行政法人造幣局
ttp://www.mint.go.jp/coin/coin_topics/20101022.html
- 2 :
- 過去スレ
【偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284343842/
【偉人】福沢諭吉について(その5)【悪人】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1272338953/
【偉人】福沢諭吉について(その4)【悪人】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1253956268/
【偉人】福沢諭吉について(その3)【悪人】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1243898641/
【偉人】福沢諭吉について(その2)【悪人】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1226896359/
【偉人】福沢諭吉について語るスレ【悪人】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1147733623/
- 3 :
- 7 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/04/04(月) 21:02:29.11 ID:Oy8odJ5Q0
>>1
> ・「三十一谷人」とは、福澤諭吉の雅号です。
三十一谷人の由来は以下の通りです。
----
余が印章に三十一谷人の五字を刻(こく)したるものあり。
是(こ)れは谷(たに)にも山(やま)にも地名などに縁あるに非(あら)ず、三十一を一字にすれば
世の字にして、谷人(こくじん)の人を扁にして左右に並ぶれば俗の字と為(な)るが故
に、即(すなわ)ち世俗の意を寓したるものにして、前年、竜洲(りようしゆう)先生の文談を聞きし
後に特に彫刻せしめたる戯作(ぎさく)思付(おもいつ)きの印(いん)なり。
----
福澤全集緒言 - 20 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=114&PAGE=20
- 4 :
- >>1-3
以上前スレからのテンプレ
- 5 :
- 毎回、鯛移転の時に落ちるな。
- 6 :
- どのみちあと20レスくらいだったろ。最後のほうの話題で、
話を続けるべき内容のものはあるの?
- 7 :
- 「では、なぜこういった説が一般的にならないのか」という所まで話が及
んだところで、驚くべきことを教授は口にしたんですね。
「それは、我々の先輩の研究者たちに対する、遠慮があるからだ」
(中略)
新しい資料が発見されればすぐに「史実」として上書きされるような単純
なものではないのだと。研究にもまた歴史があり、それは簡単に覆せる
ようなものではないのだと。新説の定着には長い時間と努力が必要な
のだと。
http://aoimon.blog7.fc2.com/blog-entry-2168.html
- 8 :
- 福沢が関係したのだとしたら、いくらなんでも不自然だ、という社説を
あくまで福沢だ、といい続けているのがいるからな。
- 9 :
- 安川とか竹田とかね
- 10 :
- 真実の福沢を明らかにするより、岩波の面子を優先させるなんて
- 11 :
- もうすぐ死ぬのだからべつに気にしなくてもいいんじゃないか?
- 12 :
- もう岩波なんて相手にされていないのにな。
- 13 :
- 世界って廃刊になったんだっけ?
- 14 :
- とっくの昔だよ
- 15 :
- そんな中、TBSの"親SMAP派"が背水の陣で望んだ『南極大陸』
の演出を手がけるのは、TBSの福澤克雄というプロデューサー。
なんでも福澤諭吉の末裔に当たるという。彼は中居主演の
『砂の器』でも演出を務め、TBSが制作した中居主演の映画
『私は貝になりたい』の監督でもある。その頃から、制作ス
タッフからは「上層部は、福澤だけを優遇する」という声が
上がっていた。その不満が『南極大陸』の視聴率低下で一気
に爆発しそうな気配濃厚だ。親しいTBSの社員は筆者に「ジャ
ニーズと心中したくない」と言ったが、当然だ。TBSは飯島
女史との癒着を解消すべき時期に来ている。
(文=本多圭)
- 16 :
- 福澤は子沢山だったから、子孫の数も厖大だろ。ほかに有名人は?
- 17 :
- ま血統は能力じゃないわな
- 18 :
- 韓国毎日新聞がまた福沢批判をしているみたい。
いい加減脱亜論ネタは飽きたな。誰か向こうにつたえたれ。
- 19 :
- 慰安婦問題を李大統領が持ち出すとは。
もっとまともな人間かと思っていた。
- 20 :
- ブタが死んだぞ
- 21 :
- それはめでたい
- 22 :
- >>18
そもそも「入欧」なんて、誰が始めに言い始めたのか。
- 23 :
- >>22
脱亜論が有名になったのが1960年代半ばだとしたら、その頃では?
福澤自身の言葉としては、「脱亜入欧」の4文字熟語はないよう。
誰かが福澤の思想の説明文中で使ったのかも。
左翼っぽいな。福澤を悪く言うため、アジア軽視(蔑視)が強調されている表現だ。
鹿野政直あたりか。遠山ではないような。
- 24 :
- 福沢諭吉記念祭全国高校弁論大会:中津北高1年・増田さんら表彰 /大分
http://mainichi.jp/area/oita/news/20111220ddlk44040703000c.html
第50回福沢諭吉記念祭全国高校弁論大会(中津市、慶応義塾主催)が中津文化会館であり、
県内外27人の最優秀賞に福岡県立伝習館高2年、江口磨美さんが輝いた。優秀賞は中津北高1年、増田悠菜さんら11人(50回記念特別賞含む)。
江口さんは「仏さんのご飯」の題で認知症の祖父を取り上げた。
「大変だけど、介護で頑張っている家族のことを多くの人に伝えたかった」といい、「些細(ささい)な決まりさえ忘れている祖父が、仏様にご飯を供える行為は忘れていない。
真剣に(先祖を)お参りしている祖父を見て、家族は未来につながっている」と訴えた。
- 25 :
- 中津から毎年慶応には何人入る?
- 26 :
- 早稲田における佐賀出身者の優遇みたいのは、慶應と大分(または中津)にもあるの?
東大についても、特別に山口高等中学を設置して、長州出身者に有利にしていた。
- 27 :
- ●福沢諭吉の『金玉均謀に「日本人は釈然とせず」〔明治27年4月13日 時事〕
金玉均暗に付き清韓政府の処置 電報の報ずる所、また世間に伝うる所によれば、く支那政府は特に軍艦を派して、
かの上海にて金玉均を暗したる兇湊洪鍾宇と共に、金氏の死体を朝鮮に送り届けたるよし。
上海は支那の領地にして、洪はその地に於いて明らかに謀の罪を犯したるものなれば、世界一般の慣例に従えば、その犯人は支那の法律を以って罰すべきものにして、
またそのされたる当人の死体のごとき、すでに検証を終わりたる上は、朋友故旧の請求にまかせて付与すること相応の手続きなるに、しかるにかの政府、
においては、謀の犯人を罰せざるのみか、その死体と共に朝鮮に送りたるを見れば、洪の処為を無罪と認めたものか、または朝鮮の交際上よりその歓心を買の意にでたるこ
とならん。
或いは支那と朝鮮との条約には、この種の犯罪人、すなわち朝鮮人同士の間に起りたる犯罪事件は、すべてその本国に引き渡す定めなりとの説もあれども、
特に軍艦を以って護送の労を取るのみならず、金氏のごとき今日の身分は、決して朝鮮人として取扱うべきものにあらざるにも関せず、また現に引き取りの請求人ありしにも拘わらず、
殊更にこれを朝鮮に送りたるは、ただその歓心を買うの手段に出でたるものと認むるの外なかるべし。(中略)
今回の事件に就き、金氏を上海に誘出し、一刺客をしてさしわたるは、全く朝鮮人の毒計にもて、支那人のごときはごう髪も関係なしと云えり。
我輩のごときも事実の上に於いて、その無関係を疑わざるものなれども、さてその全体の成り行きに就き、日本人一般の感情をいかんと云うに、支那人に対して自ら釈然たらざるものなきを得ず。
聞く所によれば、金氏の上海行に就いては、支那政府の筋、すなわち支那公使館の辺にては熱心に周旋して、金氏に対するの情誼は同国の親友もただならず、
最も好意を極めたるよしにて、同氏の旅行はもっぱらその好意を当てにして思い立ちたるもののよしなりしに、
ひとたび日本の土地を離れて上海に上陸するや否や、支那人の挙動は全く一変して、害当時の始末と云い、死後の処分と云い、ごうも親切の意味なきのみか冷淡水のごとき、
その反対に謀の下手人なる洪鐘宇に対しては、その取扱いはなはだ寛にして、現に金氏の死体検証の際などは、縛りもせずしてその場に列せしめたるごとき、
犯罪人を取扱うの法として見るべからず、またその罪人を罰せずして本国に引渡したるは、両国間の条約に拠りたるものとは云え、特に軍艦を以ってこれを護送するに至りては、
鄭重至極の待遇にして、その意のある所を解するを得ず。
かれこれ思い合わしてそ一の挙動を考うるときは日本人の感情は到底釈然たるを得ざるべし。今回の報道ははなはだ簡単にして委細を悉さざれども、次第にその事情を詳かにするに随い、
我が国人の感情はますます鋭敏を加えて、ますます疑団を大にすることはなきやと、我輩の今より想像する所なり。
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/1043
- 28 :
- 日本上陸150年で大きく変わった手帳事情、国家から賜る物から自分で作るモノへ (1/3)
手帳が日本に上陸したのは幕末のころ。以来、国家や会社からもらうものであった手帳が近年は大きく様変わりした。
自分で購入するようになっただけでなく、カスタマイズが普通になっているのだ。
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1112/07/news013.html
福沢3 件諭吉が日本に手帳をもたらしたのは1862年(文久2年)。
明治維新から平成に至るこの150年間に手帳はどう変わったのであろうか。
明治期の手帳は“国家から賜るもの”
1862年、欧州使節団の一行に加わった福沢3 件がパリで購入したものが日本に手帳がもたらされたルーツだと言われている。
ここから起算すると2012年は、日本に手帳が登場してから150年目の節目にあたる。この150年間に、手帳はどのように変わったのだろう。
おおざっぱに言えば、日本においては手帳は国家から賜る物から、自分で作るモノになったのではないか。
明治維新後の日本の手帳は、現在に連なる手帳の歴史の端緒だと言える。
その1つは、大蔵省(現財務省の前身)によって作られた「懐中日記」である。そしてもう1つは、軍隊手牒だ。
どちらも国家が国の特定の機関に従事する人間に対して貸与したものだった。手帳と名がついてはいても、文具店で買うわけではなかったのだ。
- 29 :
- http://tatsumi-ryu.com/ 【立身流の歴史 - 立身流総本部】
加藤 紘
(立身流第二十二代宗家,千葉県指定無形文化財保持者,弁護士)
福澤先生が立身新流の居合を嗜んでおられ、「ずいぶん好きであった」(『福翁自伝』)ことは有名である。明治二十六〜八年の間に三回程いわゆる千本抜をされた居合数抜記録が残っている。
「数抜」とは立身流居合修行の独特の方法であり立身流独自の用語である。
立身流では「向」「圓」という二つの太刀筋から稽古が始まりかつこれが極意とされる。居合、剣術、鎗の基本の形の名でもある。
?、長刀、棒、半棒、四寸鉄刀などの総合武術である立身流の動きの根本をなし、この二つが源となって千変万化する。心法、思想、宇宙観まで、この二元をもって理解、鍛錬の拠り所とする。
向は「後の先」の技である。敵の我が面への斬撃に対し、我が刀を抜き放ち立身流独特の技法で鎬ぎ、逆に敵の面を斬る。
圓は「先」又は「先々の先」の技である。柄にかけた敵の手を抜打に我が両手で斬り、さらに面を斬る。
向と圓にはそれぞれ序(基本)、破(実戦)、急(応用)の形があり、更にそれぞれに、歩きながら、あるいは走りながら抜く「立合」と、坐して抜く「居組」とがある。
数抜きはこの向、圓の立合の破を二人相対して「ヤー、エーイ」と発声しつつ抜き続けるのだが、先生の記録は一人抜きのようである。
先生が「四尺ばかりもある重い刀を取って庭に降りて、かねて少し覚えおる居合の技で二、三本抜いてみせ」た(『福翁自伝』)のも、立合の向、圓であろう。
数抜きは現在も行われ、一日三千本、三日で一万本を通す。基本の技、動きを身にしみこませ同時に体力をつけるのが目的であるが、個癖が矯正不能ともなるので、
基本を習得した者のみに許される稽古方法である。見分役は形が崩れたとみると直ちに中止させる。
また、『福翁自伝』に「しじゅう居合刀を所持して、大阪の藩の蔵屋敷にいるとき、また緒方の塾でも、おりふしはドタバタやっていました。」とある。このドタバタにも意味がある。
居組の序の向の形は、正座から、右膝を床に突き腰を立てながら左足を前に強く蹈み出し(その音をドタとする)同時に刀を抜いて敵の面撃を鎬ぎ、
直ちに左右の足を蹈み違え(その音をバタとする)ながら敵の正面を斬る。
圓は、正座から、左膝を床に突き腰を立てながら右足を蹈出し(ドタ)同時に柄にかけた敵の手を抜き打ちに斬り、足はそのまま二之太刀で面を斬る。
立身流の居合は八本が一組だから、向(ドタバタ)、圓(ドタ)、後向(ドタバタ)、後圓(ドタ)、前後(ドタ、バタ)、左(ドタバタ)、右(ドタ)、四方(ドタ、バタ、バタ、バタ)の八本を通じて一区切りとなる。
先生の稽古風景が目に浮かぶようである。
立身流は約五百年前の永正年間に、妻山大明神に参籠して開眼した伊予国の人立身三京を流祖とする。三京は稲葉一鐵の別名だとの説もあるが定かではない。
立身三代をかけて完成したとされ、第六代桑島太左衛門(将監)の弟子 木村権右衛門が一五九〇年代に分流して立身新流を名乗り 奥平家に仕えた。後に桑島も仕えている。
伝書や文献には、「立身新流抜合」ともある。中津藩で新流といえば、立身新流抜合のことである。
先生愛用の居合刀として、刃渡り二尺四寸五分(約74.3p)、重量三一〇匁(約1162g)の一振が残されている。
先生の師については『福翁自伝』に「中村庄兵衛という居合の先生について少しけいこした」とある。
中津藩の中村姓は十一家だが、この名は「奥平藩臣略譜集録」や、「幕末中津藩士人名録」等の諸文献に見当たらない。
庄兵衛は生田保の弟子との説もあるが(立身流之形第一巻等)、私は「中津藩史」に「中村庄米」と記されている生田保の師がその人であると今は考えている。
とすれば先生は流祖を初代として十二代目になる。
なお、塾長等を歴任した小幡篤次郎の父 小幡篤蔵(録高二百石)は、その師 衣川惣助より立身新流の免之巻(免許)を許されている。これも流祖を初代として十二代目となる。
立身本流は下総佐倉藩に伝わり、現在、千葉県無形文化財に指定されている。
- 30 :
- ■初期の慶應義塾で取り入れられていた「関口流抜刀術」
http://www.sekiguchi-shinshinryu.org/about_sekiguchi-shinshinryu_hist.html
十代‐関口柔心氏胤
居合術 関口流抜刀術
http://www.youtube.com/watch?v=-iVKJmEIAFc
- 31 :
- ないだろ
- 32 :
- 【慰安婦問題】 脱亜と興亜〜福沢諭吉の残した「脱亜入欧」の亡霊がまだ日本を覆っている[12/15]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1324043933/
- 33 :
- >>30と比べて、立身流はどうやら実戦向きでは無いようだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3721691
youtubeから持ってきました。千葉県指定無形文化財、立身流の演武です。
立身流は福澤諭吉が晩年まで修行していたことで有名です。余談ですが、wikiによると福澤諭吉を幕末最強と見る動きもあったそうで、
黒田鉄山も写真を見て「とても近寄れない」と評していたりする辺り、福澤諭吉は相当の達人だったようです。
- 34 :
- 安川の本の影響力が韓国にもあるなら、だれかが言い立てそうなもんだが、
だれも触れないな。つまり安川本は韓国でも知られていない。
- 35 :
- 福澤諭吉心訓七則
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-42bc.html
福澤諭吉(1835-1901)の「心訓七則」という7ヵ条の教えが、世の中によく知られているが、実は偽作とされている。
最後にある「世の中で一番悲しい事はうそをつく事です」というのはジョークであろうか。
「徳川家康公遺訓」(人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず)なども偽作と見るのが通説である。
「少年老い易く学成り難し」で知られる「偶成詩」も朱熹(1342-1406)ではなく、五山の僧侶、観中中諦(1342-1406)の作であるらしい。
100年以上も日本人は朱熹の漢詩と信じて暗誦してきたのである。
- 36 :
- 「福沢暦」を作製
[2011年12月21日 10:15]
中津市沖代町の福田一直さん(86)=福沢諭吉協会員=が、中津ゆかりの福沢諭吉の業績を月日で振り返る「福沢暦」(A4判、7ページ)を作った。
19日、同市の福沢記念館を訪れ、上永裕正福沢旧邸保存会事務局長に500部を寄贈した。
国のため、人のために働いた諭吉の生涯を「早分かりできるようなものができないか」と今秋から作業。
福沢諭吉全集(諭吉年譜)などから、月日ごとの出来事を拾い上げ、2カ月間かけて1年間を生涯に見立てた暦に仕上げた。
完成した暦は、「遣欧使節に加わり長崎出航」(1月1日)、「独立自尊迎新世紀を大書」(12月31日)など、うるう日を含めた366日を「その日、諭吉は」という形でまとめている。
「諭吉年譜にない月日もあり、苦労もしたが、福沢辞典なども調べ、何とかまとめることができた」と福田さん。
「諭吉の生涯は精力的で、活力に満ちている。そんなエネルギッシュな生き方には、物の見方、迷った際などのヒントも含まれている。ぜひ見てほしい」と話していた。
福沢暦は同記念館で配布している。
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_132443015124.html
- 37 :
- >>36
これは面白い。入手したいが、行かずに購入する方法は?
- 38 :
- 非売品やろ。どう考えても
- 39 :
- 朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す
- 40 :
- 福沢の思想には儒教的な所がかなりある
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/12/25/6260507
今日の結論部分、まったく私の手に余るもので、一応は書いてみるが、一応 書いたという域を出るものではないことをお断りしておく。
そのように儒学(朱子学)の教義をまとめて説明した後、渡辺浩教授は福沢の 儒教批判を四点述べた。
(1)「古を慕ふの病」…古を慕って、少しも自己の工夫を交えず、いわゆる精 神の奴隷(メンタルスレーヴ)となって、今の世にいて、古人の支配を受けるの は、儒学の罪。
この『文明論之概略』第九章の指摘を、渡辺浩教授は正鵠を 得ているとした。
(2)陰陽五行…福沢はニュートン以降の科学によって、妄説と斥けた。 ただ し『論語』には「陰陽五行」は出てこない。
(3)儒教主義教育…政府の儒教理解に対する批判。 「儒教主義の実際を見れ ば、決して純粋の道徳学には非ずして、大半政治学を混同す。
……左れば彼の 儒書の中より其徳教の部分のみを引分けて之を利用せんなどの考は、唯是れ不 学者流の頭脳に往来する妄想にして、取るに足らざるものなり。」(「儒教主義」 1883 )
(4)男尊女卑批判…正当。 ただし政治は男性の担当として、男女の役割分担 を福沢は批判していない。
そこで結論、渡辺浩教授は、福沢の思想には儒教的なところがかなりあると して、慶應は朱子学の根幹を引き継いでいる、
東アジアの正当な継承者だと言 い、「独立自尊」と「議論の本位」の二つを挙げた。
(1) 独立自尊…渡辺浩教授は、小室正紀さんの「朱子学と福澤先生の考え方 の間には、ある種の共通性があると言っていいと思います。
それは強い主体性 を備えた個人が出発点であるという考え方です。」(「江戸の思想と福澤諭吉」、 『福澤諭吉年鑑』32号、2005年、138頁)という見解に賛成だという。
(2) 「議論の本位」…「脩身学とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天 然の道理を述べたるものなり。」(『学問のすゝめ』初編)
福沢は、天然の道 徳、自然法を尊重した。 『文明論之概略』第一章「議論の本位を定る事」と いうのは、ある主張の本当の値打、真価を定めるにはどうすればよいかの章で ある。
福沢が読んだジョン・スチュワート・ミルにも、ギゾーにも、客観的 真実、真価についての言及がある。 それらは東洋の思想、儒教と響き合うと ころがあった。
「苟も一国文明の進歩を謀るものは欧羅巴の文明を目的として議論の本位を 定め、この本位に據て事物の利害得失を談ぜざる可らず。」(第二章)
「文明の物たるや至大至重、人間万事この文明を目的とせざるものなし。」(第 三章)
- 41 :
- 渡辺浩教授のまとめた儒学(朱子学)の教義
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/12/24/6258761
そこで渡辺浩教授自身の儒学理解である。 最も代表的な儒学である朱子学 の教義の説明があった。
南宋の朱熹(1130-1200)による体系。 これが私には、 よく理解できなかった。 下手下手書いてみる。
(1)天・地・人…天は地も含む。 すなわち大自然 nature、大宇宙のことで、 季節や天候も含む。 天災、天然記念物の天。 天国や地獄はない。
人も、 動植物を使いながら、生かされている天の営みの一部。 全ては天にあり、も の言わず自己展開している。 天意は、畏敬すべきもの。
(2)禮と道…道は人らしさの基本原則。 神でなく、大自然に依拠。 人は万 物の霊長。 人の行動の型は、人らしさ。
現世にとどまり、当り前の人間関 係にとどまる。 「我が道を行くgoing my way」や「世界に一つだけの花」(個 性)は、悪。
(3)五倫…人として守るべき五つの道。 君臣の義、父子の親、夫婦の別、長 幼の序、朋友の信。
(4)君・臣・民…君は、天命、天の意志の代理人。 誰かが保証人になる必要 (統治)があって、最も「らしい人」、慕われる、支持される人がなる。
臣は、アシスタント、人として優れた人、君と臣で政府をつくる。 忠は、 まごころを尽すこと。 民は、相対的に愚か、統治は教育でもある。
(5)修己治人…自己修養を遂げた人物が為政者となることで、天下泰平が実現 する。 修身・修養・功夫・学問(『孟子』) 「誠意・正心・修身・斉家・治 国・平天下」(『大学』)
郷挙里選・科挙、個人(男性)を家柄や身分に関係な く選抜。 この考え方は、世襲身分制度には危険思想で、明治維新に力があっ た。
(6)三代と革命…夏王朝(堯→舜→禹と禅譲、禹以後世襲となり、桀が殷の湯 王に滅ぼされる)・殷王朝(紂王に至って周の武王に滅ぼされる)・周王朝(文王・ 武王・周公)の三王朝。
禅譲(帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ること)。 放伐(中国人の革命観で、徳を失った君主を討伐して放逐すること)。
「漢 儒者と和学者との間に争論ありて千緒万端なりと雖ども、結局分かるゝ所の大 趣意は、漢儒者は湯武の放伐を是とし、和学者は一系万代を主張するに在り。
漢儒者の困却するは唯この一事のみ。」(『文明論之概略』)
- 42 :
- >>40>>41
おお、ありがd!
渡辺先生の講演をこんなにも手軽に知ることができるなんて、
なんて買い得なスレ
- 43 :
- んだんだ
- 44 :
- 山田博雄もアホだな。小川原正道も都倉武之も平山洋の意見を支持しているのに、ピントはずれな
コメントを付けている。福沢諭吉年鑑38の研究動向のはなし。
- 45 :
- 山田センセの授業評価は↓ 中大政治
いくつかに履修内容が別れるが、私は福沢諭吉の『文明論之概論』の授業でした。
ゼミとは言っても発表することはなく、毎回教科書を読み進めるだけ。非常に楽。
先生は少しクセのある感じに思われるかもしれませんが、話を聞いてると時折
シュールなジョークを言っている。それがなかなかおもしろいが、聞いている人は
少ない(笑)
授業の終わりに、出席確認を兼ねた感想を提出します。
評価は出席とレポートのみです。
レポートはテキストに関するもの、配布プリントに関するもの、授業内自己評価に
ついて、それぞれ短くまとめる(400字程度に)。レポートではオリジナリティが求め
られるそうです。
他のゼミ形式の授業が嫌な方、教職を履修している方にはぜひオススメです。
『文明論之概略』自体も読みやすくて、面白いと思いますよ。
- 46 :
- 年鑑というのは?
- 47 :
- 最近出た西澤さんの『福沢諭吉と女性』読んだ人いる?
- 48 :
- もうでているのか
- 49 :
- >>46
福澤諭吉協会の機関誌。うちの大学にはある。一般には入手できない。
- 50 :
- 書籍之海より↓
石河幹明 『福澤諭吉傳』 全4巻
2011年03月30日 | 伝記
石河という人は、あまり頭が鋭くなかったひとのようだ。
福澤自身の著書・書簡あるいは関連する諸文献を引き写しただけの部分が多い。
それにテキスト・クリティークというものをまったくしない。徳富蘇峰も生の史料を
長々と引用するので閉口することが多いが(『近世日本国民史』)、蘇峰の場合、
複数の史料を付き合わせて内容を吟味する。決してそのまま鵜呑みにすることは
ない。
これならこれら原典を集めて読んで、自分の頭で考えればそれで済むことである。
だが致命的なのは、文中引用したものをのぞき、それ以外の――つまり著者の文
章による福澤の一生についての叙述部分――について、その際に依拠した史料が
一覧として付けられていないことだ。これでは書かれている内容を検証する術がない。
さらにいえば、福澤自身の文章の読み方についても、解釈に疑義がある。
(岩波書店 1932年7月)
『福澤諭吉伝』の岩波書店の公式見解↓
20余年にわたって福沢に親炙した著者が,慶応義塾の委嘱のもとに7年余を費して
編纂・執筆し,昭和7年に刊行.豊富な原史料により,福沢の経歴・言行が客観的に
叙述され,諭吉研究の最も信頼すべき資料として高い評価を受けている.
岩波書店の権威主義がよくあらわれているな w
- 51 :
- 専任にもなれないのに研究動向を任せるからだよ
- 52 :
- 福沢諭吉の榎本武揚助命
http://zodiark.jp/bakumatsu/file/enomoto/help.html
箱館戦争が終結した後、榎本武揚達は明治新政府によって捕らわれた。
この時、彼等は皆、死刑を覚悟していた。
しかし、蓋を開けてみると彼等は(約一名を除いて)放免、しかも明治新政府への出仕が求められた。
彼等の助命に関しては周知の通り、箱館戦争では新政府軍の参謀であった黒田清隆の働きが大きい。
榎本が愛読していた国際法の著書『万国海律全書』を黒田自身が受け取ったが、
自分の事よりも国家の事を思う榎本に対して感銘を受け、何とか榎本を救いたい思いがあった。
そこで黒田は西郷隆盛と福沢諭吉の力を借り、彼等の助命を求めた。
黒田自身は頭を剃り、しかも半ば脅して助命運動を行っていたそうだ。
さて、福沢諭吉が榎本助命の貢献を行っいたのは、実に色々な意味で面白い。
福沢が榎本を助命する経緯について触れてみよう。
先ずは、榎本と福沢を繋ぐ人物、古川節蔵について紹介をする。
古川は、福沢と同じ緒方洪庵の適塾で学び、福沢とは同期だった。この当時は「岡本周吉」と云う名である。
その福沢が自身の故郷である中津藩の命によって江戸に行く事になったので
古川は福沢の従者として同行した。
古川はその後、旗本の養子となり古川姓を名乗る。
そして、幕府の軍艦に乗船した事が縁となり、福沢の制止を振り切って榎本軍に加わる事となった。
古川は二番回天の艦長となり、榎本の箱館行きにも同行したが、
ストーンウォール号(甲鉄)奪還作戦の時に失敗をおかし、明治新政府によって捕らえられた。
福沢は古川が入れられている牢屋に頻繁に出入りをし、彼に食べ物等の差し入れを行っていたそうだ。
だから福沢は、牢屋の中が如何なる状態であったかよく、知っている。
- 53 :
- 古川が入牢されて暫く経過した明くる日、今度は榎本が入牢して来た。
この頃、福沢と榎本の関係は「会った事があるが、挨拶をする程度の仲」だったらしい。
福沢も当初、榎本に対して気にはしていなかったが、
榎本の母親と福沢の妻である、お錦が遠い親戚である事
その関係でお錦は幼少の頃、榎本の家を訪問した事があった
間接的とは言え、少なからず福沢と榎本が関係があるのがお分かり頂けたと思う。
さて、戊辰戦争終結時、静岡には榎本の母親と姉のらく、そして妻の多津が居て、榎本の身を案じていた。
静岡に居る榎本の家族達は、榎本が東京に居る事は知っているが、東京に居る親戚が懐疑を恐れているので、詳細が分からない。
榎本は如何しているか?
その内容の手紙を榎本の妹の夫であり、福沢とは旧知の仲であった江連加賀守が静岡から福沢によこした。
この手紙を見た福沢は江戸に居る榎本の親戚に憤慨し乍らも、榎本を助命する為に自分が人肌を脱ごうと考え
糺問所に赴いては榎本に差し入れをし、その様子を江連や榎本の家族に伝えた。
そんな手紙のやりとりをしていると、榎本のお母さんとお姉さんが自分達が上京しても良いか、と福沢を頼った。
福沢はこれを快諾し、間もなくして二名は福沢の元を訪問したのだが、母がどうしても榎本に会いたいと。
そこで福沢は榎本面会の嘆願書を榎本のお母さんが持って糺問所に行けば、何とかなるかも知れぬと考え
自分が書いた嘆願書を榎本のお姉さんに清書させ、お母さんは嘆願書を持させて糺問所に向かった。
幸いにも応対した監守がこの嘆願書に感動し、遂にお母さんと榎本は対面出来たとの事だ。
しかしお母さんは、息子の脱獄を見る事なく、病死する。
福沢の元に誰かが知らないが、『万国海律全書』を翻訳出来ないかと依頼した。
オランダ語は福沢にとって得意中の語学だったので、翻訳するのは容易だったが、福沢は敢えて全部を翻訳しなかった。
一部分を翻訳しただけで、あとは
「私は航海や国際法の専門家では無いから翻訳する事が出来ない。全てを翻訳するには矢張り、この専門の人でないと駄目だろう」
とわざと榎本を助命する様に伏線を張って、本を返却した。
- 54 :
- 福沢は黒田自身にも会った事があり、福沢は黒田に一枚の写真を渡した。
福沢がアメリカに洋行した時に貰った写真で、戦火の中を女性が婦人服の姿で逃げまどう内容だった。
何でもその女性は軍人が女装した姿と云う事である。この写真を黒田に見せた福沢は、
「何としてでも助かりたいと思うのであれば、逃げる時の服装など気にはしてられない。
命はとても大切なもので、一度それを奪うと付き様がない後悔をするかもしれません。
こうして考えますと、榎本は騒ぎを起こしましたが、命だけは取らない方が良いと思います。
この写真は貴方(黒田)に渡しますから」と。
その後、福沢は腸チフスにかかり、榎本助命に関与する事はなくなったが
福沢の助命活動が功を奏したのか、明治五年に榎本は放免されたのであった。
糺問所内の榎本は福沢の差し入れに対して、不快感を覚えていた。
あまりにも初歩的な内容の書物だったので呆れていたが、福沢は榎本達は有能な技術者である事を知らなかっただけである。
福沢は獄中の榎本達が何時か優れた高官に成るだろう、と予測していたそうだ。
結果としてそれは的中したが何も『痩せ我慢の説』で榎本を批判しなくても良いのに、と思いましたよ。
- 55 :
- >榎本の母親と福沢の妻である、お錦が遠い親戚である事
ってどんな?
- 56 :
- >55
土岐家のことだ。
夫人の実弟、土岐謙之助は幕末史で名のある人物だ。
- 57 :
- どんな
- 58 :
- 東大教授・山内昌之って限りなく胡散臭いな。
産経新聞で【幕末から学ぶ現在】という連載を持っているが、毎回偏向した人選と文章にイラつかされる。
友誼と律義の政治家 勝海舟・番外編 【東大教授・山内昌之】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111229/art11122909590004-n1.htm
2011.12.29 09:59 (1/3ページ)
福沢諭吉に「痩我慢(やせがまん)の説」で散々にやられた勝海舟であったが、江戸っ子らしい気風の良さや徳川の忠臣だった点では人後に落ちない。
また、政治家に必要な義理堅さも相当なものだ。松浦玲氏の最新著『勝海舟と西郷隆盛』(岩波新書)を読むと、
この2人の友誼(ゆうぎ)と信頼感の厚さが改めてしのばれる。
- 59 :
- 聞いたことないな
- 60 :
- >>58
この人の専門は日本史ではなく中東史だろ
- 61 :
- 考証福澤諭吉: 第 1 巻、第 1 巻
http://books.google.co.jp/books?id=3BMqAQAAIAAJ&q=%E8%AB%AD%E5%90%89%E3%80%80%E6%97%97%E6%9C%AC&dq=%E8%AB%AD%E5%90%89%E3%80%80%E6%97%97%E6%9C%AC&hl=ja&sa=X&ei=ir79TpjJEsf6mAWcuNScAg&ved=0CFUQ6AEwBg
> 藤沢志摩守というのは桂川甫周の実弟主税で、その前年閏八月に旗本の名家藤沢家に養子となり名を長太郎次謙と改め、
> 十二月一日に講武所頭取に任官し備前守に叙せられ、二十八日に歩兵頭に転じ、間もなく肥後守。
この福沢の友人の「藤沢志摩守」というのは誰だろうか?
- 62 :
- test
- 63 :
- >>61
この人だね
http://park22.wakwak.com/~hotaru4/fujisawasimanokami.html
- 64 :
- 先日、岩波書店の内情をよく知る人物と話した。それがすごく面白かったん
で、その話を。
岩波書店はみんな知ってるはず。一時は「日本の知性」といった印象すらあっ
た出版社。映画の配給や上映なんかもしてたね。
もちろん書籍と雑誌を出しているんだけど、ここの雑誌が、とても浮世離れし
ているという。
全部ではないけれど、一部の雑誌では、著者原稿の半分以上がまだ原稿用紙で
来るんだそうだ。凄いなあ(笑)。そのレベルでは、著者とのやり取りもメール
じゃなくて電話電報ってのが多そう。
当然、そうした雑誌ではDTPなんか取り入れておらず、昔ながらの写植製版だ
ろう。
- 65 :
- だいたい、雑誌の名前が凄いよね。
6誌あるんだけど、「図書」「世界」「科学」「思想」「文学」「環境と公
害」だぜ。これ誌名じゃなくて、辞典の項目名だろ(笑)。編集者が考えたタ
イトルとはとても思えないじゃん。創刊企画は楽だろうなあ。
岩波がDTPできない理由を、もうひとつ聞いた。それは、日本語についての
「岩波ルール」が厳格であり、かつ大量にあること。
もちろんどこでも出版社の用語遣いは、社内で統一されるのが一般的。その
際は、たとえば各新聞社が出版してる「用字用語集」に準拠する、などと決め
るのが普通。楽だから(実はWeb時代になってこれが崩れてきてて、そこんと
この考察も面白いんだが、本筋でなく例によって長くなるんで、いずれまた)。
話を戻す。岩波の場合、ルビひとつとっても、もの凄く厳密らしい。たとえ
ば「漢字3文字の用語に対しルビ4文字を振る場合は、こうこうの位置に割り
振る」って、個別に全部決めてあるという。ルビひとつでこれじゃ、たしかに
DTPは永遠に無理だ。
- 66 :
- で、編集者は分厚い「岩波ルール」を片手に編集する。
ルール命なんで、編集者より校閲とか編成のほうが権力を持ってて社内でえ
ばってるんだと。フツーの出版社の感覚では、信じられない状況だ。中世中国
の役人組織みたい(笑)。
ファンに年寄りの多い浮世離れした出版社だしこの不況だしで、もちろん書
籍も雑誌も売り上げはガンガン減ってるらしい。
ではなんで潰れないかというと、「広辞苑」という化け物看板があるから。
熱心なファンは多く、改訂されれば必ず買う人が多い。並装と革装の両方持っ
てる人もザラだ。加えて電子辞書には必ず入っているし、ファンはもちろんそ
れも押さえている(ちなみに電子辞書コンテンツはものすごく買い叩かれる)。
まあ、いろいろ聞いたけど、ある意味うらやましい出版社だ。ちなみに社員の
給料は高い。編集者は東大出身が多い。「岩波なら書く」という知識人(特に
大学のセンセイ)がいるので、著者にも事欠かない。
もっと書けば、現状、書籍を買い切り(売れ残りは書店が損を被る)で出荷
している出版社は、岩波くらいだ。ほとんどの出版社は委託(返本あり)の契
約。こんだけ出版社が多くても私の知る限り、あと買い切りで書籍を出してい
る(た)のは、一時のアスキーと静山社くらい。つまり岩波は特別ってこと。
普通は取次に受け付けてもらえない。
- 67 :
- 業界人以外の方に一応書いておけば、静山社ってのは要はハリーポッターよ。
静山社が買い切りにこだわったのは、ベストセラーの怖さを知るから。ってわ
かんないよね。これまた脱線して長くなるんで、明日書きます。
またしても力技で岩波に話を戻す。今回なんか疲れるな。
ここまで読むと揶揄してるように思うかもしれないが、私は本心から岩波を
尊敬している。というのも、岩波文庫でしか読めない世界の古典的名著が鬼の
ようにあるからだ。売れっこないローマの将軍の従軍記なんて読めるのここだ
けだぜ。
普通で考えたら、そんなん全部切って儲かる辞書中心に運営したほうが、絶
対楽だし儲かる。
世間には、こうした浮世離れした出版社がひとつくらいあっていい。文化のた
めにその位置でぜひ踏ん張っていてほしい。マジで。
- 68 :
- >>63
おお、ありがとう。
なるほど中々高位の人物だね。
- 69 :
- 岩波書店って、広辞苑の売り上げだけで全社員の給料を支払っているの
- 70 :
- らしいね
- 71 :
- ↓のレポート、すごく面白いよ!
最後に、慶應義塾のOBが福澤論説の真贋をどのように見ているか、一例を紹介。
元・岩波書店編集部長で、福澤諭吉協会編集委員の竹田行之氏(理事も経験)は、
平成17 年1 月28 日に交詢社で行われた、交詢社創立125 周年記念講演会で、「ジャー
ナリスト福澤諭吉」を語り、無署名論説の取り扱いについては、石河幹明と富田正文の
功績を絶賛し、平山氏の「全集」改訂(くさいもの)には蓋をして、一笑に付した。
「福澤諭吉の真実」は、義塾の外部では好評であるが、義塾の内部では不評のようだ。
http://hsaeki13.sakura.ne.jp/ookubo20110833.pdf
- 72 :
- >>71
フクザワ・コンフィデンシャル、だね
- 73 :
- だれかこれを訳してくれ
http://www.hnxndq.com/view-241-1.html
- 74 :
- >>71
こういう姿勢は福沢の教えに反してると思うんだけどな。菊池寛が
『時事新報』廃刊をうけて書いた論説でも言ってたように。
- 75 :
- 時事新報社と岩波書店には
ともによく似た性格の権威主義があるんじゃないか?
- 76 :
- そういや菊池寛は文藝春秋社の社長だね!
岩波対文春
「恩讐の彼方に」とはなかなかかないようで ww
- 77 :
- >>75
正解! 竹田行之は現代の石河幹明デアル!
- 78 :
- 無意味に長生きなところも似ている
- 79 :
- オイオイ
- 80 :
- 隠然たる勢力ってやつだね
- 81 :
- >>71
けっこうインサイダーな情報が含まれているな。作者は慶応の卒業生だろう。
- 82 :
- 福沢の中上川宛書簡の発見が戦後で良かった。石河が『福沢諭吉伝』執筆の
過程で見つけてたら、福沢の自分への低評価にショックを受けて破棄してたかもしれないし。
- 83 :
- それはいえてる
- 84 :
- 石河は福澤書簡に改ざんを加えているから、草稿が残っていないほかの著作も怪しいよ。
- 85 :
- >>82
ぎゃくにいうと石河に都合の悪い手紙は密かに廃棄されたのかもな
- 86 :
- >>74
菊池寛の論説とは、これのことですね。さすがは菊池寛。
↓
----
○時事新報が解散した事は、新聞雑誌界に於ける一つの悲劇だ。殊に、僕などは、大正五年か
ら足掛四年ばかり、同社の粟(ぞく)を食んでゐた丈に、更に感慨が深い。僕の在社当時は、同紙は一
流中の一流として、信用品格とも他紙を圧するの概があつた。が、その後、大正の末期から昭
和の初にかけて、経営に人材を得なかつた為に、今日の悲運を招いたのであらう。同紙が有力
なる財閥を背景としながら、財政的破綻に苦しんだなど、結局新聞雑誌の経営は、金よりも人
の問題であることを感ぜしめる。さるにても、自分の在社当時から、引きつゞいて奮闘してゐ
た老主筆石河幹明氏などの胸中は、察するに余がある。
○たゞ、自分は同社に居た時から、慊(あき)たらぬ事が一つあつた。それは、福沢翁の精神の一つは、
旧形式の破壊であつた。実利本位に、古い形式を破壊することであつた。所が、福沢翁を尊敬
するあまり、福沢翁のやり方が、同社に於ては、忽ち一つの形式になつてゐた。そして、その
形式を厳として尊重するのであつた。福沢翁の本当の精神は、古い形式の破壊であつたから、
たとひ福沢翁のやり方でも、時勢に連れて、どん/\破壊して行くことこそ、福沢翁の本当の
精神ではないかと自分は思つてゐた。福沢翁の本当の精神を掴むことが出来なかつた事なども、
同社の衰運を招いた原因の一つではなかつたかと思ふ(「話の屑籠」『文藝春秋』一九三七年二月
号九六頁)。
----
平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、190〜191頁より。
- 87 :
- >>86
うわ、時事新報を福沢諭吉協会や福沢研究センターに読み替えても意味が通じる
北朝鮮の現状と「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」がぴったり重なるように
- 88 :
- 歴史は繰り返す
- 89 :
- 司法当局によると、李さんは駐韓米軍の化学兵器や劣化ウラン弾の
配備状況など、米軍兵器と軍事基地情報を報道し、反国家団体であ
る朝鮮総連などに流出させたとして国家保安法第5条(自発的反国
家団体支援など)と軍事機密保護法違反の疑いで拘束された。
http://janjan.voicejapan.org/media/0712/0712046667/1.php
韓国では朝鮮総連は国家保安法での反国家団体のよう。
安川が総連とじっこんなのは誰でも知っていること。
安川本が韓国で無視されるのは当然のことだね。
- 90 :
- >>86
石河と富田の考証を絶対視して、平山さんのものをはじめ、近年の福沢研究の
成果を踏まえた福沢全集の改訂に否定的な竹田(福沢協会)と岩波は、菊池が言う
「実利本位に、古い形式を破壊」という福沢の本当の精神に背いてることになる。
特に前者の背信はどうかと思う。
- 91 :
- >>89
なるほど。
それで平山さんも年賀状で「何の反響もないようです」とコメントしたわけだ。
「2012年1月1日付 安川寿之輔氏宛年賀状」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/greeting_2012/#text_info
- 92 :
-
へえ
- 93 :
- 週刊金曜日「論争欄」から
http://kgcoms.cocolog-nifty.com/jp/kinyoubi1.html
虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ
韓国「強制併合」から100年
安川寿之輔・名古屋大学名誉教授に聞く
歴史を歪めた丸山眞男と司馬遼太郎の「罪」
戦後のアカデミズムに君臨した丸山眞男と「国民作家」の司馬遼太郎。この二人による歴史偽造が厳しく問われなければならない。
−−今年八月で、韓国強制併合一〇〇年を迎えます。しかし、いまだ朝鮮半島植民地化・アジア侵略の歴史についてこの国では、
どこまで正しく認識されているのか疑問です。たとえば、侵 ・植民地化を先導・扇動した福沢諭吉が東大教授の丸山眞男によって人間平等を主張した
「典型的な市民的自由主義」者と美化され、その虚構がまだ生きている。次に、朝鮮半島を奪うための日清・日露戦争を露骨に正当化した
司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、よりにもよって昨年からNHKで放映されました。−−
この二人の「罪」は、重いでしょうね。共通しているのは、近代日本の「二項対立史観」とでも呼べる発想です。丸山は福沢が「明治前期の”健全なナショナリズム″」
を代表しているとみなし、「昭和前期の”超国家主義”」と対比しました。司馬は、「明るい明治」と「暗い昭和」です。
両者とも、各「二項」が互いにどうつながっているのかについて説明がありません。丸山は福沢がすでに「暗い昭和」の時代を先取りしており、
司馬は日清一日露戦争が本質的に一五年戦争と同じであったという、歴史的事実を無視しています。
−−特に丸山の誤った福沢論については、先生が三冊の著書で完璧に論破しておられます。その影響もあってか、
本誌で連載された『マンガ日本人と天皇』の原作者である雁屋哲氏も徹底的に福沢研究をやり、来春には「福沢諭吉こそが日本を一九四五年の破綻に追い込んだ元凶であり、
……日本とアジア各国の関係を悪くしている張本人]であると断じた著書を刊行するそうです。−−
雁屋氏の認識は、基本的に十分正しいと思います。福沢がやったことは、朝鮮と中国に対する丸ごとの蔑視・偏見の垂れ流しであり、おっしゃったように侵略の扇動でした。
明治国家が朝鮮への介入を強化していく一八八〇年代前半には、「朝鮮人は未開の民……極めて頑愚……凶暴」「支那人民の怯儒卑屈は実に法外無類」
「チャイニーズ……恰も乞食穢多」「朝鮮国……人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」などと発言している。福沢の侵略思想を表明しているのは、
『脱亜論」が有名ですが一八八二年の「東洋の政略果たして如何せん」など沢山あります。そこでは「印度支那の土人等を御すること英人に倣ふのみならず、
其英人をも窘(くるし)めて東洋の権柄を我一手に握らん」「日章の国旗以て東洋の全面を掩ふて、其旗風は遠く西洋諸国にまでも」などと、大英帝国に比肩する植民地獲得を主張しています。
- 94 :
- 差別・侵略主義者の福沢
−−いったい、どこが”健全なナショナリズム”なのか。
一八七五年に朝鮮は「小野蛮国」で、「仮に我属国と為るも之を悦ぶに足らず」とし、
『時事小言』の翌年の「朝鮮の交際を論ず」で、「朝鮮国・・・未開ならば之を誘うて之を導く可し、彼の人民果して頑陋ならば・・・武力を用ひても其進歩を助けん」と述べています。
つまり、「文明」に誘導という名目で、武力による侵略か合理化されている。
−−極めて危険な思想ですね。−−
同時に福沢は、戦前の「滅私奉公」や「一億玉砕」論の先駆者でもある。日清戦争か始まると、「日本臣民の覚悟」なる論説で、「我国・・・四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽くし、
・・・事切迫に至れば財産を挙げて之を擲(なげう)つは勿論、老少の別なく切死して人の種の尽きるまで戦ふの覚悟」を呼びかける。まさに、「暗い昭和]期の天皇制ナショナリズムの先取りそのものですよ。
−−こうなるともう「思想家」というよりはアジテーターですが、特に感じるのは福沢の表現の汚さ、下劣さです。案外それは、逆に大衆受けしたように思うのですが。−−
おっしゃる通りです日清戦争や義和団戦争で日本軍が中国に出兵した際には、「チャンチャン……皆しにするは造作もなきこと」「支那兵の如き・・・豚狩の積り」などと罵る。
挙げ句には「北京中の金銀財宝を掻き浚(さら)へて、・・・チャンチャンの着替までも引っ剥で持帰ることこそ願はしけれ。」と、略奪まで煽っています。
「時事新報」は漫画や「漫言」にも力を入れていましたから、大衆にはアピールしたと思います。
−−司馬の一番のひどさは、ぬけぬけと[坂の上の雲』について「事実に拘束されることが一〇〇パーセントにちかい」などと自分で公言している点でしょうね。−−
あれは、逆に「始めがウソなら終わりもウソ」と言える小説ですよ。NHKか昨年一一月にスタートさせたドラマにもありましたが、
福沢について「あしがこの世で一番偉いと思う人」などと主人公に言わせている。しかし、福沢は自由民権派から「法螺を福沢、嘘を諭吉」と侮られ、
元外務省勤務の吉岡弘毅から彼のアジア侵略路線は「我日本帝国ヲシテ強盗国二変ゼシメント謀ル」道のりであり、「不可救ノ災禍ヲ将来二遺サン事必セリ」ときびしく的確に批判されていました。
−−その点では福沢を美化・擁護した丸山など戦後の「進歩派」も同罪ですが、司馬によれば、日清・日露戦争は「祖国防衛戦争」なのだそうです。−−
司馬は日清戦争について「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」とし、あるいは「ロシアが・・・極東での侵略道楽をはじめたがために日露戦争がおこった」などと書く。
これでは、どうして韓国強制併合にまで行き着いたのかという歴史経過が説明つきません。この小説には、「日本はこの(日露)戦争を通じ、
前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始」しただの、「日本政府の要人のほとんどか戦争回避論者であった」だのと、いくつも大ウソが出てきますね。
- 95 :
- 歴史の無反省が虚構を生む
『坂の上の雲』の致命的な欠陥は、日清・日露戦争を舞台としながらも、@江華島事件、日朝修好条規、壬午軍乱、甲申政変などの
朝鮮開国から日清戦争に至るまでの諸事件A日清戦争のきっかけとなった朝鮮王宮占領や戦争中の旅順住民大虐、戦争後の
朝鮮王后・閔妃害、雲林虐事件B三次にわたる日韓協約の武力を背景にした押し付けといった、「明るい明治」のイメージとは逆の数々の歴史上の犯罪的行為を、
すべて意図的に隠している点です。それによって、朝鮮侵略と植民地化への道のりが日清・日露戦争であったという本質を見えなくしている。
−−改めて丸山の福沢諭、司馬の日清・日露戦争論という壮大な虚構が、韓国強制併合に至る歴史を正しく理解する上で極めて大きな障害になっているという感を強くします。−−
やはり根底には、戦後において戦争責任と植民地支配責任の問題かしっかり論議されなかったという点があるのでしょう。ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ世界の「三大巨悪」
と呼ばれた昭和天皇の戦争責任も裁かれなかった。侵略した側は、侵略された側に立って考えるのは難しいのでしょうか。だからこそアジア蔑視・侵略扇動の福沢を丸山のように
「民主主義の先駆者」として都合よく美化してみたり、司馬のように堂々と「日本は維新によって自律の道を選んでしまった以上・・・他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をもたねばならなかった」
などと方言する人物が、「国民作家」と呼ばれているのでしょう。
−−韓国や北朝鮮の国民が、司馬のこんな記述を読んだら「まだ日本人はこんなことを言っているのか」と怒るでしょうね。しかも戦後の日本政府は、
韓国強制併合の責任者である伊藤博文を紙幣に印刷して隣国の憤りを買いましたが、それにかわって、今もまだ福沢が最高額面紙幣に印刷されている。−−
日本軍による性奴隷(「従軍慰安婦」)問題に取り組んできた尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんか、「日本の一万円札に福沢か印刷されているかぎり、日本人は信じられない」とつねづね語っていますか、
当然でしょう。こうした発言は彼女だけではありませんが、問題は福沢がアジアの近隣諸国からそろってこのように批難・批判・憎悪されているのに、
日本人かなぜそれを知らないかにあります、韓国強制併合一〇〇年を迎えた今、アジアと日本の歴史認識の深い溝と亀裂を埋める努力の必要性を改めて痛 感せざるをえません。
八月五日、長野県南牧村の山荘にて。聞き手・まとめ/編集部・成澤宗男
やすかわじゅのすけ 不戦兵士・市民の会副代表理事。本誌2000年9月8日号で「福沢諭吉を透かしてみれば」を執筆。著書に「福沢のアジア認識』「福沢と丸山眞男」など。(撮影/編集部)週刊金曜日 2010.8.27(812号)より転載
- 96 :
- 上記の安川論文対し佐高信氏は週刊金曜日814号(2010.9.10)の「風速計」で次のように批判した。
敵から見たら(佐高 信)
八月二七日号の安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)の「福沢諭吉、丸山眞男」批判は「敵から見たらどうなのか」という視点が決定的に欠けている。
「独立自尊」ならぬ「孤立自尊」で生きていける学者だからだろうか。
そこで安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判しているのだが、たとえば三島由紀夫は安岡正篤への手紙の中で、丸山に「左翼学者」のレッテルを貼り、
「大衆作家の司馬遼太郎」を「まじめな研究態度が見え」て心強いと讃えている。つまり、丸山を敵視する一方で、司馬をわが友とし、区別しているのである。
安川はきわめて単純に、福沢を「民主主義の先駆者」として美化したと丸山を断罪しているが、三島から「左翼学者」と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。
大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。三島が安川を問題にすることはない。
私が言いたいのは、標的にされる者に対して、敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのかということである。
福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は“鬼畜米英” の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。
また、悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。
当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。
どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。また、実社会にもまれないので自分だけが正しいと独断的な主張を声高に繰り返すようになる。
私は安川に “天上天下唯我独尊居士” というニックネームを進呈したいくらいだが、それではやはり、反ファッショの幅広い統一戦線は組めない。
全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、マスターベーション的頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。
──────────────────────────────────────
- 97 :
- この佐高信氏の批判に対し反論が掲載された。
論争 議論は理性的に 雁屋 哲
(かりやてつ・68歳、まんが原作者、エッセイスト)
本誌八月二七日号に、成澤宗男氏による安川寿之輔・名古屋大学名誉教授に対するインタビュー記事「虚構の福沢諭告』論と明るい明治』論を撃つ」が掲載された。
それについての文章を、本誌九月一〇日号に本誌の発行人である佐高信氏が、「風速計」に書かれた。
八月二七日号のインタビュー記事の中で私の名前が上げられていたので、一言口を差し挟ませていただく。
佐高信氏の書かれた文章は近来稀に見る文章である。氏が書かれた五〇行の文章のうち、一六行が、安川氏に対する根拠と論拠のない誹謗に使われている。
一つの文章の三分の一近くを、そのような文章で占める例は他の雑誌・新聞では有り得るが『週刊金曜日』で目にするのは、創刊以来の定期購読者の私として初めてのことである。
佐高氏は、安川氏が述べた「福沢諭吉の論は『文明』誘導という名目で武力による侵略が合理化されている」
「アジア蔑視・侵略扇動の福沢を丸山のように『民主主義の先駆者』として都合よく美化したり……」 などの点に反論するべきであった。
しかし、佐高氏は、三島由紀夫を持ちだして論点をずらしている。安川氏の議論の主要点を攻めないのでは議論にならない。
さらに佐高氏の文章の中には、見逃せない過ちが有る。
@安川氏は丸山眞男の福沢諭吉に関する評価を批判しているが、「敵以上の激しい侮蔑の言葉を投げつけて」はいない。学問上の批判と侮蔑は別物である。
丸山眞男も安川氏の批判を侮蔑と取るほど幼稚ではなかっただろう。
A福沢諭吉と金玉均の関係について佐高氏には事実関係の誤認が有る。 金玉均は宮廷内での権力を争う「開化派のリーダー」であり、朝鮮独立運動とは関係がない。
金玉均と朴泳孝は、自分たちが権力を握るために起こしたクーデター、甲申の変に失敗して日本に逃げた。
この件に関しては福沢諭吉の弟子、井上角五郎が、次のように言っている。「金・朴の一挙については先生はただに、その筋書きの作者に止まらず、自ら進んで役者を選び役者を教え又道具立てその他万端を指図された事実が有る」
福沢諭吉は、金玉均に軍資金を与え、武器をそろえ、壮士という暴力団を助っ人として用意し、金玉均のクーデターを指図したのである。
福沢諭吉が『脱亜論』を書いたのは、金玉均のクーデターが失敗した後である。『脱亜論』には自分が手助けをしたクーデターの失敗が色濃く影響している。
佐高氏には、金玉均という人間と、『脱亜論』が書かれた時期と事情に対して誤認が有る。
『週刊金曜日』では、他人を非難する際には、確実な事実を基に、誠実に論を組立てて行ってほしい。
インターネットで根拠のない誹謗が飛び交っている現在、『週刊金曜日』は言論の鑑なるべきだ。
週刊金曜日 2010.10.1(817号)より転載 ──────────────────────────────────────
- 98 :
-
金曜日はどれくらい本気で安川の主張を推しているんだろうか
社説の偽作問題にはふれていないようだけど
- 99 :
- >>97
ブログで「腐れ自民党ども」とか書いてた御仁が、「他人を非難する際には、確実な事実を基に、
誠実に論を組立てて行ってほしい」「インターネットで根拠のない誹謗が飛び交っている」とか
言っても、何の説得力も感じない。
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