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2012年6月哲学158: 共産主義社会の分析 (415)
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共産主義社会の分析
- 1 :11/04/14 〜 最終レス :12/06/02
- カールマルクスの資本主義社会批判を経てソ連や中国に代表される社会主義国家が
建設されたが、所謂共産主義思想に基づく国家の科学的分析と言うのは余り行われていないように思う。
その多くがイデオロギー的な批判であり、「だから資本主義は素晴らしい」と言う結論や、その暗黒面(スターリンや毛沢東による虐殺)を強調する研究が
多かったように思う。
しかしながら、ソ連は曲がりなりにも60年近く先進諸国家の一つとして成立していたし
中国は現在でも驀進中である。
資本s義とは別の原理で動く社会がいかにして運営されていたか、冷静に分析していくことは、現在を生きる我々にとって貴重な価値を持つ仕事であろうと思われる。
反復するが、このスレはイデオロギー的な批判は抜きに、共産国では純粋にどのように国家運営がなされていたかを分析することが目的である。
姉妹スレ
現代資本主義社会の分析
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1289622500/l50
- 2 :
- 資本主義が素晴らしいなんてのとは関係なく、共産主義はクソ。
幸福感は人それぞれだし、働く目的も人それぞれなのに
働くことに義務と幸福を感じなければ成立しないように作られていたから。
終了。
- 3 :
- >2
そういう価値判断はさておき、実際の共産主義社会がどういうものであったかの
データが欲しい訳です。
例えば「貨幣」と言うのはどのように機能していたのだろうか。
国家が給料を払い、得たお金で自由に物が買えたのだろうか。
それとも食料や嗜好品などは全て配給だったのだろうか。
- 4 :
- 資本s義が気になって真面目に議論する気が起きない
- 5 :
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1239029302
- 6 :
- まあ哲学的には共産主義なんかカスだわな
みんなで協力しよう!!
そんだけだもんね、学校の先生レベル
- 7 :
- >>3
結局は二元性でね
来るべき共産制社会(国家ではない)実現まで
プロレタリアートの代弁者である党官僚が国家という遺制を管理する
そこで党官僚(エリート)と大衆という二つのシステムができる
貨幣はあるがマーケットへの商品供給量が少ないので一般商店では列をなす
ただし、党関係者はフリーで輸入品を好きなだけ買えるし
そして横流しもあるので地下経済(も)が栄える
今のロシアで肩で風をきって歩いているのは
こういった元党官僚やマフィアどもです
- 8 :
- >>7
共産主義者は商品の生産や分配についてはどのように考えていたのだろうか。
究極的に国家を無くすのであれば、スターリンがやった五カ年計画のような計画経済をやる主体も無いということになってしまう。
「原始共産制」の社会だって「国」はあったと思う。
長老が大統領であり、村が国家であろう。
人が三人集まれば国家が出来るとも言える。
国家を無くすと言うのが具体的にどういうことなのか明確に説明して欲しい。
- 9 :
- >>8
レーニンを読んでないね
だったらこんなスレを立てる前に
基本的な事を勉強しないと駄目だよ
- 10 :
- 哲学板でありながらソ連共産党のスレにレスがつかない
という今の哲板の現状がわかるでしょう
- 11 :
- 人間 個人の欲がある限り 真の共産国家なんて 無理 ありえない
- 12 :
- 何で共産主義なんて
宗教に興味持ったの?
- 13 :
- 資本s義
- 14 :
- 単に労組のバックボーン理論なだけ
- 15 :
- 共産主義って失敗ばかりでも無いんだよね。
国民はそれなりに高い生活水準を維持していたようだし、スポーツや芸術の分野で超一流の業績を残している人の
中には共産主義の恩恵を被っている人も多かったと思われる。
格闘技などでも、ロシア出身の選手がやたら強かったりするのだが、国家が生活の面倒を見て柔道選手なら柔道だけを一生懸命やっていれば良かったから
と言う面もあったようだ。かつて「最強」と言われたヒョードル選手を発掘した前田明の話では、ロシアにはヒョードルを子ども扱いする格闘家がゴロゴロいるんだという。
それはなぜかというと、国家が彼らの生活の面倒を全面的に見てくれたかららしい。
一方で、戦前最強と言われた日本の柔道家、木村政彦などは生活の為に八百長プロレスをやらなくてはならず、柔道が出来ないので腐ってしまい、力道山にボコボコにされている。
当時の格闘家は格闘技で飯を食うためには、プロレスと言うショービジネスに身を窶さねばならなかった訳だ。
猪木なども資質はあったろうが、格闘家として「強さ」を追求していくというよりも、取りあえず会社を倒産させないように「金儲け」をせざるを得なかったわけだ。
一見、公務員で競争が無いと弱体化していくと思われがちだが、公務員の社会主義国の選手の方がバレエやスポーツでは一流の選手が多かった。
資本主義社会に置ける企業などでも、本当に人々の為になる商品を純粋に作っているかと言うとそうともいえず、金儲けや視聴率を得ると言う二次的な目標の為に企業努力をしている場合が多い。
役者や歌手でも、実力よりも人気がある人がテレビや舞台で活躍している場合が多いだろう。
共産国ではそういうことはしなくてもいいというメリットはあると思う。
- 16 :
- プロレスの話になって申し訳ないが、親日の若手ががUインターと言う本格格闘技団体を作ろうとしたことがあったが
常に経営で行き詰まってしまい解散や分裂を繰り返してしまうと言う事があった。
主力選手も練習をするよりもいつの間にか会社の経営の方をせねばならなくなり、デスクワークでブヨブヨ太って、とても格闘家に見えないとか訳のわからない状態に
なっていたりした。前田が猪木を「金儲けマシーン」と批判していたが、資本主義社会ではそうならざるを得ない面もあり
猪木は実は「社会体制」に翻弄されていた面もあったのではないかと思われる。
柔道王木村も、奥さんの病気を治すために、八百長プロレスで生活をしなくてはならないと言う泣かせる話もあり、とてもじゃないが柔道一筋に打ち込める状態ではなかったようだ。
こんな中で社会主義国では国が生活の面倒を見るから君たちは24時間柔道をやっていなさいと言う幸運な状況があり、猪木などが金策に走り回っている間に、背負い投げの練習などを地道にやっているわけだからそりゃ金メダルも取り捲るだろう。
- 17 :
- ソヴィエトが滅んだのは
軍拡競争による多大な財政圧迫と
周辺衛星国家に対する膨大な援助金が
80年代の原油価格下落で追いつかなくなったから
つまり共産制という内部経済を支える
外部(輸出)の停滞によって崩壊した
そういう意味では資本制社会を超えるものではなく
その従属物であり、ロシアと言う後進的産業社会による
近代資本に対する防御策、つまり鎖国制度だったとも言えるのである
プロレスの話はどうでもいいから
歴史の勉強をしなさい
- 18 :
- 貧富の差が大きいとされる中国で、
低賃金労働者の怒りが富裕層に向いて、
プロレタリア革命が起きる可能性ってないですか?
- 19 :
- 文化大革命時に毛沢東派の農本主義的共産主義の立場から
走資派としてパージされたケ小平が説いたのは二段革命理論で
まず、産業社会を興して富を増やす、
当然、そこで格差が生じるので共産党が是正に動く、今はこの段階
ただ、毛沢東が危惧した旧来の中国社会が抱えた病理(同族主義、地域主義、民族主義、官僚主義)
が共産党内部に巣くっている(この刷新が文革の狙いでもある)ので上手くいかないだろう
そうなると、清王朝や中華民国が陥ったように国家分裂に向かう
で、それはマズイので情報統制と格差是正、そして儒教や毛沢東の再評価で
必死に体制立て直しを図っている、昨今の日本たたきだってその一環(不満をそらすため)だ
で、プロレタリア革命なんて存在しない
ロシア革命にせよ中共の革命にせよ近代資本に対する国防的なものに過ぎないわけだから
これはレーニンの革命理論が証明するようにエリート層による大衆の組織化によって初めて可能になる
で、そいつらが腐敗したり、統御不可能何なったらガバナビリティが低下するだけだ
- 20 :
- マルクス主義の弱点は、上部構造である精神は下部構造である経済に規定されると言うドグマで
実際は精神が経済に影響を及ぼしているし、経済環境も精神生活に影響すると言う相互依存関係である点を考慮していなかった所にあると思う。
むしろ下部構造が精神であり、その結果が経済構造となる面も大きい。(マックスウェーバーなどの分析)
>>19氏が上記に書いている中国社会の「病理」が現在の中国経済をいい面でも悪い面でも支えている訳である。
そして「共産主義」も「病理」の一つだと考えるならば
社会・経済とは「病理」の総合現象なのだ。
- 21 :
- 広義のイデオロギー的批判になるかもしれないけど、マルクスやレーニンはもちろん、
もしかするとスターリンにおいてすら、ソ連が社会主義国とか共産主義国だったとは
認めていないでしょうって批判はあるね。
ソ連が社会主義や共産主義以前の段階にある国だということをスターリンですら
認めていた可能性がある。トロツキーの著作などを読むとそう思う。
レーニンはほぼ明らかにソ連を社会主義とも共産主義ともみなさなかった。
そこまではほぼ明らか。問題になっているのはプロレタリアート独裁の概念。
プロレタリアート独裁の定義をめぐってマルキストの間でも論争が絶えなかった。
- 22 :
- >>20
>マルクス主義の弱点は、上部構造である精神は下部構造である経済に規定されると言うドグマで
>実際は精神が経済に影響を及ぼしているし、経済環境も精神生活に影響すると言う
>相互依存関係である点を考慮していなかった所にあると思う。
グラムシ、アルバックス、アルチュセールがいますが?
それに経済政策政策的にはレギュラシオン学派もいましたけどね
何れにせよロシアマルクス主義、中国共産党どちらにとっても
経済決定論はあまり関係ない
あと、ウェーバーのエートス理論はトーニーに批判されていますから
- 23 :
- まあ中国はあらためて革命を起こす必要があるんだろうかね。
矛盾もいいとこだが。
- 24 :
- 中国は乱開発による砂漠化で食糧自給が事実上不可能になって
これに資源問題と少子化が加わる
もともと、為替操作と国内労働資本の叩き売りによる工場誘致だけで伸びて来た国だから
基本的な国土開発能力はないんだよ
ただ、それは公には出来ないので軍事的プレゼンスで近隣諸国を恫喝し、
それによって国内にも睨みと安心感を与える、といった姑息な手段を続けるだけだね
例えば今度のアフリカ政変で資源の権益を失ったでしょう?
多分、これに中央アジアで画策した食糧の権益が加わるだろうから
そうすると体制内矛盾が次々に出てくる筈だ
基本的にあそこは口先だけで問題解決能力はないから
賄賂とハッタリと投機だけで世界を制することは出来ない
欧米人や近代資本の恐ろしさが分かっていない
- 25 :
- 君たちよく資本s義を気にせずに平然としていられますね。
資本s義は軽く事件だと思うのだが。
- 26 :
- >>23
> まあ中国はあらためて革命を起こす必要があるんだろうかね。
> 矛盾もいいとこだが。
矛盾ではないよ。マルクス主義的にはぜんぜん矛盾ではない。
メンシェヴィキはロシア革命をブルジョア革命にすべきだと考えていて、
共産党(本来は社民党の名)は産業革命を達成するまでのしばらくの間、
野党に徹すべきだとされていた。
矛盾があったとすれば、ブルジョア革命を社会主義政党が担ったこと。
- 27 :
- 二段階革命理論と一段階革命理論との論争は昔からあるので…
ただ、ロシアの一段階革命理論は現実的に破綻し、
ケ小平によって修正が加えられた二段階革命理論による
政治(共産主義)と経済(資本制)の跛行的展開は
やはり矛盾とは言えるでしょうね
- 28 :
- ヘーゲル哲学で考えると、資本主義と共産主義という矛盾する要素の対立によって
現代という新しい時代が生まれた訳で、矛盾を抱え込んだケ小平路線は弁証法的な完成とも言える。
- 29 :
- 共産主義、つまりマルクス、レーニン主義は俺に言わせれば
根本的には思想として間違いではないと思う、平等な社会で
誰にでもチャンスが与えられて何一つ間違えではないが、しかし
どうも胡散臭い。というのも、人間の性というのは傲慢で、卑劣、矛盾
邪悪、な生き物であり、完璧ではない。
つまり共産主義自体が負けたのではなく、それを扱う人間の敗北なのだ
と、ビートたけしが言っていました。
- 30 :
- 共産主義社会は敗北したといっても、あくまで軍事拡張競争で負けただけなのであって、
そのことで資本主義の方が全面的に良い体制だなどという事にはならない。
むしろ「だから資本主義は駄目なのだ」(軍拡・植民地主義と結びつきやすい)という論理にだってなるだろう。
- 31 :
- 狂散してなお狂散主義か?
- 32 :
- 支配被支配の問題。資本主義は言論の自由があるが、共産主義にはそれがない。
だから共産主義は支配被支配が固定されひどい弾圧が起こる。
- 33 :
- 民主主義=働かないで、生活保護で生活できる世の中
共産主義=「働かざる者食うべからず」の世の中
ナマケモノには民主主義が良い。
私は民主派!ぬるま湯が好き!
- 34 :
- 資本s義問題に関して
shihonsnyuugiと打つと「資本sにゅうぎ」
と変換された
試しにnyuuと打つと「丹生」
どう考えても日ごろから常にを検索
していない限り、こういった誤変換は起こらない。
業関係者ならいいのですが、
ただの好きの人間なら共産主義はあきらめた方がいい
巨(貧)崇拝なんて資本主義の堕落だからな
- 35 :
- >>33
消えろカス
- 36 :
- >>27
> ただ、ロシアの一段階革命理論は現実的に破綻し、
トロツキーの著作を読むと、例えばスターリンは二段階革命論者なんじゃ?
トロツキーは一段階革命論者っぽいけどね。
- 37 :
- 理論はともかく破綻した共産主義国の実際のオペレーションを振り返るとサプライサイド経済学の変種を実践した社会いう見方もできるかも
- 38 :
- >>36
>トロツキーは一段階革命論者っぽいけどね。
レーニン・トロッキーはそうだね
スターリンは産業基盤の未成熟という現状が分かっていたし
実際、戦時下にソ連は破綻しかかったからね
これをヤルタ体制と衛星国家からの資源収奪
そしてラーゲリ労働で乗り切ろうとした
その論理的支柱がレーニンの説いた一段階革命理論なんじゃないの?
だから、佐藤優あたりの著作に出てくるソヴィエト高官が言うように
実はダブルスタンダードの体制なんだ、と
で、建前の共産制が衛星国家の分離で
経済的には石油価格の下落による国際収支の悪化で滅びたと思うけどね
- 39 :
- ただその、トロツキーによれば、レーニン自身も、
ロシア革命が共産革命でもプロレタリア革命でもないことを
認めていた証拠が遺されているようだし、
ソ連における社会主義体制の実現もその先の共産体制の実現も
何世代も後(我々の孫の世代?)のことだと展望していたようで、
そこまで行くのは非常に困難な道のりがあると言っていたようですね。
- 40 :
- 32、33
だったら言論の自由がある共産主義
働かなくてもいい共産主義を作れば良い。
- 41 :
- >>39
>ただその、トロツキーによれば、レーニン自身も、
>ロシア革命が共産革命でもプロレタリア革命でもないことを
>認めていた証拠が遺されているようだし
それは見落としていたな
ただ、レーニン自身は共産革命を説いたのではなく
少数の統治エリートが多数者たる労働者をプロレタリアートとして
組織化する事によって暴力装置である国家権力を奪取し、
来るべき共産制社会の到来によってその廃絶ができる、としたわけ
だから、党への権力集中はそれまでの暫定的なものであり、
トロッキーはそれを理論的に完成させた
これがロシアマルクス主義による一段階革命理論だよ
- 42 :
- 資本主義はより自然に近い。弱者は強者の糧になる。
- 43 :
- >>42
うわ〜、バカにありがちな恥ずかしい勘違い…
システム自体が暴走するんで個体としての弱者強者は関係ないんですよ。
- 44 :
- まあ、マーケットエコノミーの論理的帰結として
優勝劣敗の社会を招来する、と捉えたらいいのでは?
で、重要なのはマルクス自身は社会主義による規制を非難し
自然主義(社会進化論)的見地から資本制社会の
自己発展と崩壊、そして共産制社会の到来まで言及した
ところが共産制社会についての具体的構想は殆どないのにもかかわらず
20世紀に自称共産制国家が後進国を中心に乱立した
これを検討してみようじゃないか?
というのが本スレの意図することなんであって
- 45 :
- 北欧のほうがよっぽどマルクスらの当初の理念を実現させてるよな
資本主義のよいところ+社会民主主義
中国・ソ連のような後進国は前段階の資本主義すら発達してなかったし
共産制社会についての具体的構想もなかった
- 46 :
- >北欧のほうがよっぽどマルクスらの当初の理念を実現させてるよな
>資本主義のよいところ+社会民主主義
それは全然違うから
マルクスの敵はプルードンのような社会主義者であって
彼の経済決定論は人民銀行設立や公共投資政策、労働時間短縮といった
社会民主主義政策批判が根本にある
マルクス=社会主義は大間違い
来るべき共産制社会到来のための自由主義者・社会主義者批判と
資本制社会分析がその批評活動なのであって
- 47 :
- 共産社会ってのは生産手段の共有ってことで、剰余価値というカタチでの搾取・所得移転をなくすってことなんだろ?
でも「経済的な絶対的平等」って意味ではないんだよな?
働いて生産したら生産した分を各人がきっちりもらさず受け取るてことでいいのか?(ただし税金はのぞく)
能力も才能も知性も肉体もルックスの美醜も人格の質も努力もちがうんだから、やっぱり差は出るよな。
しかるべき差が出なきゃそれこそ社会は衰退するよな。それぞれに優れたものたちの足を劣ったものたちがひっぱるような状態。
投資はすべて公共投資か?それは効率悪すぎるな。
ていうかイデオロギーどうこうということではなく、実現されてる社会の実態からいって、
中国やロシア・ソ連と北欧をみれば、マルクスも自説を考え直していただろうよ。
はっきりいってイデオロギーは生活を改善するため・政敵と戦うためのたんなる手段、道具にすぎん。生活実態のほうが本質。
- 48 :
- >共産社会ってのは生産手段の共有ってことで、
>剰余価値というカタチでの搾取・所得移転をなくすってことなんだろ?
>でも「経済的な絶対的平等」って意味ではないんだよな?
違います。
搾取と所得移転(再設備投資など)のはてに
貧乏な労働者大衆とごく一握りの資本家に階級分化が進む。
で、そこでは機械化と合理化で生産力が極大まで上昇しているので
労働者大衆の個人的能力差はさして問題にはならない(だろう)。
そこで「能力に応じて働き、必要に応じて取得する」
共産制社会が出現する(だろう)という事なんですね。
ただ、ドルガバでもユニクロでもその材質と使用価値(服飾としての)は
大差ないが、どちらが異性に受けが良いかと言えば明らかで
こういった性的価値が見落とされているんですね。
例えば中国の文革ではこういった部分がブルジョア的だとか
走資派だといって糾弾されたわけです。
まあ、仮にこういった傾向が克服されても
容貌の美醜とそれに対する選別は難しい(特に女の場合は)。
だから、豊かな先進国で美容整形番組なんかが流行ってるんですよ。
- 49 :
- マルクスの構想では、
共産主義における規制=本人の労働の成果以外の所得や生産手段の私的所有を
禁ずるってことでいいの?
あとは基本的に自由?
おしえてくれ。
自由にさせてもらったところで労働意欲・生産意欲はわかんよな。
実現につながる文化活動以外は、
きついだけ嫌なだけ時間を浪費してるだけでつまんねえ。
しょせん稼ぎたい、他を排して所有したい、優位に立ちたい、が強力なガソリン。より自然にかなっている。
社会貢献第一の滅私ってやつはいるだろうが、まったくないやつも多く、ガソリンとしては弱すぎる。
それと決定論ってのがわかんねえ、たしかに自然界(力学をはじめ精密な実験・観察をえた自然科学)は決定論的性格を持っているが、
なんでそういう決定論を社会や歴史の幅広い領域にまで勝手にもちこんでいるんだ?あらっぽくないか?
(部分的には妥当する部分もあるだろうがね。自然・生物としての人間と自然環境・物質生活などの相互作用なんかはね。だが人間・社会のごく一部の側面だ)
それまでのドイツ思想があまりに観念論的だったことにたいする反発にすぎんのでは。弁証法論理と世界を混同してるとこもヘーゲルともどもおかしい。思想としては良いが
社会実践の原理・科学とはならん。
- 50 :
- おかしいのは第二次産業の工場生産ばっかりのはなしになってるとこだよな。時代だな。
でも三次産業でいう「生産性」の意味はちがうからなあ。
服飾の例も出てたが。
「機械化と合理化で生産力が極大まで上昇している」が、
三次産業に従事する大多数の先進国労働者大衆の個人的能力差、さらに企業の商業的能力差、はおおいにあるよな。
それと、生産力が極大まで上昇+労働運動である程度中流庶民の生活水準もよくなった先進国では、
格差なんてあんまり気にならないんじゃないか?
(むしろおれは給料へってもいいから労働量を自分で調整したいだなんて思ってるへたれだが。
日本の正社員の場合、自分の労働量と自由時間の振り分けがまったく自由でないのも問題か。
また、妙な横並び平等主義ってのもあるよな日本には。よくこれで経済発展してきたものだ。)
むしろいまは労資対立でなく労労対立のほうが実は切実な気がする。
- 51 :
- つまりごく普通の、物質的必要はまあまあ満たせている中流労働者にとっては
資本家との格差はもはやどうでもいい。
そういう中間層が急激に増えたってことは資本主義の成果だな。
だが、中流層からもれちまった(もれることを余儀なくされた)不安定な労働者・失業者が
バブル崩壊以降増えてきたってほうが今は問題だ。
かれらにとっては中間層との格差のほうが切実ではないだろうか。
中流の崩壊?
- 52 :
- 金持ちが民衆を支配して更に利益を得るのが資本主義以前の経済
そこに政府が介入するのが日本の資本主義
さらに政府が介入したのが社会主義
- 53 :
- マルクス主義者は知的な謙虚さが足りない
史的唯物論で全て解明した気になってる傲慢な連中
- 54 :
- 「科学的」の意味がわからん。
科学的=唯物論的、決定論的 だなどと勘違いしてないか?
自然の特質であるところと、方法としての「科学」を混同してるのか?
科学哲学の問題ではあるが。
>>52
そのとおりだが、民衆も資本主義の恩恵はうけてきたんだぜ?
官僚も成長期は先頭に立ってその資本主義をバックアップしてきた。
たとえ搾取や談合、のような裏があってもね。
- 55 :
- >>49
>あとは基本的に自由? おしえてくれ。
「自由・平等・ベンタム!」と皮肉を込めて言った位だから
いわゆる自由主義的発想での「自由」はないだろう
来るべき共産制社会では「欲求の体系」としての市民社会自体が克服されるので
考えそのものが変わる、何せ物は無限にあるわけだから(実際はあり得ない)
それに「家族の私有」も否定されていたわけだから
中共言う「洗脳」にはこの事も含まれていたことは容易に推察出来る
>それと決定論ってのがわかんねえ
経済決定論というのは法社会に対する経済社会の優位性であり、
分かりやすく言うとブルジョア階級の虚業に対して
労働者階級の具体的労働(=実践)が社会進化を促すという事
>>54
>「科学的」の意味がわからん。
経済決定論とダブるけど
スペンサーやコントのような社会進化論(自然主義)の様なもので
まあ、功利主義もこの一派である
この流れをくむ古典派経済学の楽観的進化論に対して
ダーウィニズム的階級闘争史観を導入したのがマルクス主義であり
この傲慢な考えがルイセンコ論争以降に顕在化し、
科哲陣営(特にポパー)から猛攻が加えられた
結局、「科学」と言っても単なる「科学信仰」に過ぎなかったのではないか?と
まあ、その通りなんですけどね
- 56 :
- >>50
>でも三次産業でいう「生産性」の意味はちがうからなあ。
そこら辺が19世紀的発想のであり
マルクス主義における窮乏化理論の限界なわけ
日本でも高度経済成長の後半では全就労人口における現業労働者の占める割合は
30%で頭打ちになってサービス業の占める割合が多くなった
また、労働者階級の中でも産業の高度化で多能工と単能工
といった具合に階層分離がすすんだ
で、服飾でも触れたように最終財における価値の意味合いが
「使用価値」から「性的価値」(ファッション性と言っても良い)へと移行し、
余暇を前提とした高度消費社会が主に先進国で出現した
マルクスの革命理論とは真逆の事が起こったというわけ
- 57 :
- 先進国では工場や農場での労働需要が減っても
営業やサービス業や企画、デザイン、研究開発(知的財産)その他の
三次産業の労働需要に置き換わっただけだからな・・・
今では平均的労働者っていうと背広着た営業マンを一番に思い浮かべてしまうよ。
マルクスのシナリオとはまったくちがったわけだ。とはいえこれから先はどうなっていくのかわからんが。
>>「性的価値」か。
服飾以外の商品一般でいえばなんだろうな。まあ「効用」ってのは単純に使用価値だけでは測れないよな。
最低限の物質的必要が満たされれば次はさらにちょっとひとひねりくわえた「効用」が勝負になるわけか?
遊びの部分もあるだろうな。美人もブスも若者も年よりも人民服着てりゃそれでいいってことにはならんわけだ。
>>経済決定論というのは法社会に対する経済社会の優位性であり
こりゃむしろアメリカ社会じゃないか?まさに企業国家だもんな。
- 58 :
- ブルジョワ貴族と労働者の対立の克服過程を
マルクスの弁証法とヘーゲル弁証法とで比較をしてみるのもいいかもしれない。
マルクスの弁証法だと全員が労働者になってしまうのだがヘーゲルの弁証法だと徐々に貴族と労働者が融合していくわけだ。
どちらかと言うとヘーゲルの弁証法の方向に社会は進化している面はある。
我々も、労働者でありながら、休日はレジャーを楽しんだり、株に投資したり、ファッションを楽しんだりと、労働者でありながら半分ブルジョアでもある。
ヘーゲル歴史哲学の有名なテーゼ「古代では皇帝だけが自由であった」
古代王朝が否定され封建社会が生まれ、さらに否定されブルジョア社会が生まれ、さらに否定され、万民が皇帝の如く自由を謳歌する
「自由の王国」が建設されることになる。
全員が労働者になってしまったら、国民全てが奴隷になってしまうので、全員が皇帝が理想である。
もちろん、一気にそういう社会を作るのは難しかろうが、大体2世紀くらいかけて、そういう社会が出現するのではなかろうか。
あらゆる人間の本質的欲求に「自由」と言うものがあるのであれば、最終的に万民が自由になるところに落ち着くはずである。
- 59 :
- 東大農学部チェ・ゲバラ科です
- 60 :
- 例えば俺が経済について考えてみたとして
畑を耕せば作物が取れる、ということくらいしか分からない
結局経済ってのはその時々の人の気分や天気の気分で変わってんだろうね
野球に例えてピッチャーが次どんな攻めで来るのかは分からないと似てるのかもしれん
でもマルクスは次に来る球は確実に分かる、とか言う風に考えちゃったんだろうね
ただし研究することはまったく良い事だと思うけど
- 61 :
- >>57
>>経済決定論というのは法社会に対する経済社会の優位性であり
>こりゃむしろアメリカ社会じゃないか?まさに企業国家だもんな。
いや、マルクスの定義であり、
フランス社会主義者との論争過程で提示されたものですが?
で、経済社会とはブルジョワ的価値(法治主義人権思想)を前提とした
企業社会でもあるのだが、使用者(有産階級)と被用者(無産階級たる労働者)との間で
深刻な分裂が生じ、最終的には多数者を占める後者が勝利をおさめる、と
アメリカではそうなりませんけどね
- 62 :
- >>58
>マルクスの弁証法だと全員が労働者になってしまうのだがヘーゲルの弁証法だと徐々に貴族と労働者が融合していくわけだ。
>どちらかと言うとヘーゲルの弁証法の方向に社会は進化している面はある。
>我々も、労働者でありながら、休日はレジャーを楽しんだり、株に投資したり、ファッションを楽しんだりと、
>労働者でありながら半分ブルジョアでもある。
ブルジョアと貴族は違うので…
封建制(身分制)に基づいた地主階級たる貴族が
ブルジョアイデオロギーたる法治主義や民主制、
そしてその派生物である産業資本主義によって
駆逐されるというのがマルクス主義の考え方であり
実際、没落しているわけです
しかしながら少数とはいえ生きながらえ、
階級的融合は果たされていますただし、ブルジョアジーとですが
イギリスなんかがその好例と言えるでしょう
- 63 :
- >>61
>>いや、マルクスの定義であり、
フランス社会主義者との論争過程で提示されたものですが?
なんかかみあわねえな。
経済決定論というアイデア自体の話をしてるんだぜ?
マルクス特有の階級闘争の話なんかしてねえ。
アメリカでは資本家の経済力や大衆のおおせいな消費志向が中核をしめて、それらを中心に社会の多くの領域がまわってるんじゃねえか?
国民性もだが。
そしてそれはある意味マルクスの読みとは全く別な意味でたしかに経済決定論的社会じゃねえか?てこと。まあそんなのどうということでもないが。
>>ブルジョアと貴族は違うので…
おれは>>58とは別人だが、お前のものの言い方もう少し考えた方がいいぜ。
みんなマルクス特有の見解についての話してるんでもないし、マルクス自体にたいして興味があるわけでもない。
マルクス板じゃないしな。
たしかに封建社会的貴族と新興の資本家は全く別物で混同してはいかんが、
(先のフランス革命はこの両者の対立だった、
そして次は資本家と労働者の対立と革命だ、というのがマルクスか?)
そいつがいいたいところはそこじゃないと思うぜ。
みんなが「能力に応じて働き、必要に応じて取得する」ということが実現できればいいのであり(民衆の解放)、
資本主義制度であれ社会民主主義であれなんであれそれに向かっての努力をすればいいのであって、
現実のおかしな共産主義社会(とくに文化大革命のときのような言説?)の全員労働者になれブルジョアはいかん貴族的なのもいかん、
ってのは本質からはずれてねえか?(たんなるルサンチマンならそれは何も生まない)ってことじゃね?
- 64 :
- そして労働をゼロにはできんが、
軽減して、生産性もあげて、
みんなが余暇や消費をたのしめるようになれば
(みんながブルジョアや貴族の享受していたような生活のいくらかを享受できるように
なれば)それでいいじゃねえか、ってこと。
もはや大量消費社会であり、先進資本主義国ではまあまあ実現できてるけどな。
アメリカさんが欧州や日本にもたらしてくれた大衆消費文化も悪くねえし、
学問その他の旧来型のブルジョアや貴族の文化だって欲すればある程度なら得られるしな。
ブルジョアや貴族はもはや「ブランド」で差別化するしかねえわけだ。
問題は消費面ではなく、職場の労働実態、人間関係、雇用関係だな。とくに日本の場合。
- 65 :
- >>63
>なんかかみあわねえな。
>経済決定論というアイデア自体の話をしてるんだぜ?
>マルクス特有の階級闘争の話なんかしてねえ。
言葉の定義とその歴史的文脈を指摘したまでですが?
それを無視したらなんとでも言えますよ
だいたい、経済決定論はマルクスのアイディアなので
これを離れた議論は無意味でしょう?
>みんなマルクス特有の見解についての話してるんでもないし、マルクス自体にたいして興味があるわけでもない。
>マルクス板じゃないしな。
ただ、共産主義はマルクスの提示した概念であり
>>58はそれも踏まえた上でヘーゲル主義に軍配を上げているので
マルクスの指摘した歴史認識(ブルジョワ革命説)を踏まえた上で
ヘーゲル主義(労働者と貴族の融合)が妥当性を検証するのは必要だと思いますけど?
で、現実的には貴族とブルジョワの融合が図られ、
そのおすそわけとして消費社会における差別化と階級分化(すみわけ)が固定化したので
もし、「労働からの解放」を論じるのならここは押さえておかなければ駄目ですよ
つまり、ヘーゲルやマルクスにおけるその予言としての解放は現実的にはなされなかった、と
- 66 :
- >>64
>問題は消費面ではなく、職場の労働実態、人間関係、雇用関係だな。とくに日本の場合。
それは戦後期に封建的村組織を会社組織に導入した日本社会が悪いだけ
ただ、労働慣習としての終身雇用や年功序列(村組織)を廃止したら
雇用流動化が図られていない日本社会では大量失業と所得低下
そして深刻な内需不足によるデフレで社会不安が増大する
ただ、こういったヌエ的(近代契約社会と封建的思考)労働慣習を
アメリカが許さないのでその意を受けたリベラリストが“自由化”を推進している
まあ、農村部の役付を会社組織の運営に適用出来るわけがない(人口ピラミッドの都合上)
だから結果として若年労働者や非正規労働者が買い叩かれているわけで
人事やサービス残業、そして所得の分配もこの件に集約される
ただ、これは共産主義の可能性とは全然違う
日本的後進性(特殊性)の問題ですね
- 67 :
- 第二次大戦後、世界中から植民地が無くなり独立国が大量に生まれたことからして
ヘーゲルの予言は基本的に正しかったんじゃないかなと思います。
また、「労働者」と言うのは生活の為にやりたくも無いことを奴隷のようにやっている人たちのことで
そもそも「自由」ではない人たちを示します。
つまり、我々は、「労働者」と言う観念から自由でなくてはならない。
我々が目指すべきは、「労働者」などではなく、むしろ、神、超人、仏、絶対精神のような存在ではないのかと思います。
- 68 :
- >>問題は消費面ではなく、職場の労働実態、人間関係、雇用関係だな。とくに日本の場合
現代日本での実践上の問題を念頭に置くならば、共産主義社会の可能性の考察より、
根強い日本的後進性(特殊性)の問題のほうが切実なのかもしれぬ。
- 69 :
- >>67
いや、労働者が労働を通じて自己陶冶と更なる精神的高みに上れるとしたんじゃないの?
で、近代市民社会のように大規模で高度化された社会の場合、
個別的な構成員の人為的な努力によってではなく
社会的な運動の結果、つまり絶対精神の登場によって
その達成が確認されるがそれは事後的なものである、としたんでしょう?
これは一種の予定調和説と結果論なんだけど
例えば>>64氏のようにここで
疎外論的な見地からサラリーマンの雇用環境を問題視している人から見れば
そんなに満足の行く解答は出していないね、ヘーゲルは
もっとも、コジェーブやジジェクの様な解釈もあるから
ヘーゲル哲学の解釈と可能性は否定しないけどさ
- 70 :
- >>67>>我々が目指すべきは、「労働者」などではなく、むしろ、神、超人、仏、絶対精神のような存在ではないのかと思います。
まあヘーゲルはマルクスとちがって労働をもっと肯定的にとらえてたみたいだけど。
あなたなりのそのとらえかたのほうが、こっちもしっくりくる。
労働は本来必要悪とみなすべきもので、明治以降から今日までの日本の、労働を極度に神聖化する
見方には問題があると思う。
労働、仕事は本来「自由」に近づく手段。
- 71 :
- >>69
同意だな。
>>70
労働は必要悪にすぎんはいいすぎか。
たしかに仕事は良い意味で「人」を育てる面もある。
仕事の種類・内容・成果によっては自己実現もありうる。
だが現実の日本の会社や役所のサラリーマンの雇用環境、大学の研究室、
の実態からすればそれはちょっと理想論的すぎる、疎外が大きすぎる、ということだ。
それは資本主義に内在してる問題だけではなく、組織というものや、
日本の封建的後進性(特殊性)、の問題もあるんでマルクス主義的な文脈ばっかの社共や組合はどうにもあかん
っちゅうことやな。
おやすみ。
- 72 :
- >>70
>労働、仕事は本来「自由」に近づく手段。
絶対精神には積極的自由も含まれる
しかし労働行為そのものに即して考えるのなら
「欲求の体系」である市民社会において
神聖な(とされる)労働行為もその体系の中で相対化される
そしてその最終解は未だ現れていない
つまり、いつか上手く行くさと言っているだけですねヘーゲルの場合は
さもなくばマルクスやサルトルの様な過激な実践論に傾斜する
そういう鬼子を生みだす所があるんですよ、ヘーゲル流の自由論は
- 73 :
- >>72
>>絶対精神には積極的自由も含まれる
>>(英米的な自由主義=消極的自由のための?)必要悪というだけではなく、たしかに仕事は良い意味で「人」を育てる面もある。
仕事の種類・内容・成果によっては自己実現もありうる。
と補足しておいたが、哲学的にいえば労働自体の中に積極的自由を見出すということか
労働もまた本来絶対精神の働きのなかにあるのでここに達しうるのは必然ということか?
またサルトルの実存主義もまた積極的自由への道か?
>>いつか上手く行くさは弁証法的思考の性質だよな。思弁的には止揚しうると。
しかし・・もはや現代においては労働にも市民社会にも国家にも人生にも余計な意味付与やイデオロギーはもはや不要だと思う。
マルクスについては剰余価値説と資本の運動の面と唯物論的な歴史の視点は今でも重要だけど、
それは現代の社会学や経済学の小さな一節としておさえといて、英米的な自由主義のいきすぎを補正するくらいでいいと思う。
イデオロギーはいらない。消極的自由の確保をめざし、あとは各人が法の範疇で好きに人生を楽しめばいいんだよ。そのなかで積極的自由をめざすのもめざさないのも
- 74 :
- まあヘーゲルの理想の境地を
文学的にすれば、
ゲーテのファウストのようなもんか?
恋愛・失恋にはじまり、さまざまな人生遍歴を重ね惑いながら
最後は多大な社会貢献をなす仕事のなかで自己実現を果たすよな
社会や国家のレベルではなくあくまで個人のレベルかもしれんが
- 75 :
- 積極的にせよ消極的にせよ「自由」はもはや政府との対比で考えるべきではない
- 76 :
- 現実では共産主義ってのは
人間性に目をつぶることで世界の問題を解決した気になってる
いわば絵に描いた餅だろうね
脳内のシミュレーションではあっても現実の方法としては
ちょっとありえない感じだろうね
で労働の生産性のみに着目したシミュレーションを駄目だとすると
シミュレーションそのものが建てづらい
現実は難しいのだろうね
- 77 :
- >>73
>哲学的にいえば労働自体の中に積極的自由を見出すということか
>労働もまた本来絶対精神の働きのなかにあるのでここに達しうるのは必然ということか?
労働は目的獲得(物質的・精神的)の手段であり、
ヘーゲル的には絶対精神へ至る手段と位置づけられる
そしてこの絶対精神には積極的自由(〜への自由)が含まれる
「欲求の体系」である市民社会においては成員が互いを「手段」と見なし、
その平準化によって社会が駆動されるが
これは精神の疎外状況であり、弁証法的には最終解としての
絶対精神の到来によって全ての問題が解決される。
もしこういった最終解の到来が約束されないのなら
当然、各成員は個別的な限定された消極的自由(〜の自由)へと退行する
しかしながら、それはヘーゲル哲学によっては否定されている(精神の退廃であるから)
ゆえにヘーゲル哲学やそのフォロワーの提唱する自由主義は
積極的自由主義であり、自由のボルシェリズムを招くものとして批判されている
>またサルトルの実存主義もまた積極的自由への道か?
例えば、バーリンはそう捉えて猛攻撃を加えています
それとサルトルの実存主義はヘーゲルやマルクスに負う所が多いんですね
>消極的自由の確保をめざし、あとは各人が法の範疇で好きに人生を楽しめばいいんだよ。
そう
その為にはマルクス・ヘーゲル主義は
有効な手立てとはならない
- 78 :
- 結局英米式におちつくってことか
問題点やカバーできない領域も残るとはいえ 基本的にはね
政治思想も経済も現代哲学も
- 79 :
- そもそも精神の自己展開こそが現実の姿、という
誇大妄想など信用できないな。
最終解なんてないんだから、せめてめざしうるのは消極的自由の確保
あとは各人の価値観にそって楽しく充実した生を送ればいい
- 80 :
- >>78
結局のところ学問は個別的な事例を
その背景も含めて丁寧に検証して行くしかないんですよ
その上で各人がその立場に応じて出来得る事をすればいいのであって
安易な一般化とその押し付けは学問公害以外の何物でもない
こういった認識こそが20世紀に行われた
誇大妄想的な社会実験によって生じた
多数の犠牲者に対しての手向けになるであろうし
現在さまざまな困難を抱えて生きる人々への
ささやかな励ましになると思いますけどね
- 81 :
- >>80
押し付けにならないためには学問の自由や思想の自由を含めた
消極的自由が必要だといいたかっただけだよ。つまらないがとりあえずはこれが現状ベストではってだけ。
(ここで西側諸国でも研究上の金銭面の問題もでてくるかもしれんがそれは置く)
消極的自由以外のなにかの英米特定思想のごときものを押し付け・一般化してるわけでもないさ。
マルキシズムも功利主義も自然科学も自由にやってよい社会構造だろ?
そういう自由以外の公的なイデオロギーや社会構造はいまのとこ考えにくいっていってるだけさ。
修正主義でいくしかないと思ってる。
>>結局のところ学問は個別的な事例を その背景も含めて丁寧に検証して行くしかないんですよ
そこは完全に同意だな。
とくに社会科学や人文科学の場合は。自然や自然科学と混同したりほんの部分からフライングして一般原理として押し付けたりはあかんちゅうことだとだと思う。
部分的にはマルクスも妥当だろうし。ただし部分だが。マルクスにかぎらずどれもそうだろうけどね。
現実には憲法の一般的な自由規定(消極的自由権と補足としての社会権(積極的自由)の枠組みの中で、個別の事例に配慮しながら、労働法を整備するしかないと思う。
ごく普通の保守的な考えにすぎないんですよ、私は。
ところでフランシス・フクヤマってどう思います?
- 82 :
- いや中道左派かな。まあなんだっていいです。
もうひとつ、
資本主義はどのように擁護されうるのか?ってところ。やっぱり資源配分の効率?
唯物論的弁証法っていうヘーゲルから借りて書き換えた妄想は置いて、
剰余価値説に関してはおかしいとは思わないし、資本主義っておかしいんじゃねえか?と素直に思ってしまう。
総合的な生産性を損なわずに、働きに応じた妥当な配分ってのはできないのかね?
- 83 :
- >>81
>ところでフランシス・フクヤマってどう思います?
あれはコジェーブ派でしょう?
世界―歴史という普遍化の原理それ自体が再検証の余地があるし、
フクヤマの後に風靡した文明の衝突理論もトインビー的相対主義ではあるものの
やはり、普遍性の原理を引き摺っている
現実的には大風呂敷を広げるのではなく個別的、具体的な利害調整を永久に続けて行くしかないので
その場合、重要なのは理念ではなく具体的な自立や安全、そして富の再分配ですよ
政治とは元々そういうものですから
これは無文字社会の狩猟民でも見られることなので
別に文明一般といった形で大見栄を切る必要はない
しょせん単なる生活技術なわけですから
- 84 :
- >>83
完全に同意ですな。
>>現実的には大風呂敷を広げるのではなく個別的、具体的な利害調整を永久に続けて行くしかないので
その場合、重要なのは理念ではなく具体的な自立や安全、そして富の再分配ですよ
しょせん単なる生活技術なわけですから
のくだり。まっとうで健全な感覚だと思いますね。
- 85 :
- 資本家の特権をなくす社会を目指したが
結局は特権階級が一部官僚に取って代わっただけになってしまった
- 86 :
- 共産貴族ってやつだな
結局人間なんて平等なわけないんだよ
リーダーシップとるやつは出てくる 必要でもあるし
そしてそれが貴族化して劣化していく
- 87 :
- ていうかマルクスの「資本家」って「資本の代弁者」=すなわち「金の物神崇拝」という
人間の誤謬のあくまで「機能」としての代弁者にしか過ぎないと言ってるのに
そこら辺このスレで見落とされてるよな.現実マルクスは労働貴族も批判してる.
ヘーゲルの究極はマルクスの転倒の究極と同じ世界に辿りつくよ.
でも「皆が皇帝になる」ような世界は存在し得ない.ここら辺皆理解していない.
結局オレは資本主義は好むと好まざるとに係わらず永遠と続くので有り,その
発展段階が進めば進む程諸混乱がより大きくなる.今の通貨の乱高下や株の
乱高下なんてその代表みたいなもんだろ.益々カオスが浸透していく結果,
「秩序」なるものが生まれうるかもしれない,が,来ないと俺は思う.
- 88 :
- 資本主義、資本家、特権階級の問題というよりも、根本は食糧と資源の問題なんだけど。
俺なんか食い物とエネルギーさえあれば、階級とか金とかどうでもいいもんね。
- 89 :
- >>「皆が皇帝になる」ような世界は存在し得ない.ここら辺皆理解していない
んなもんヘーゲルやマルクスに依拠するまでもなく
皮膚感覚で賢い奴もアホな奴もわかってることだろ。
組織や共同体の運営という点からもそうだ。
- 90 :
- それは>>1に言ってくれ.オレは『限りなく近づく事は有りうるが』,その
時は最早何も新しいものも殆ど限りなく生まれない非常につまらない世界か,
あるいは究極の混乱状態のいづれかであろうと言いたかっただけ.微分の近似値
みたいなもん.だからマルクスも『資本の運動』を分析しただけで共産主義社会の
具体像は一切示していない.(示せ得ない)
- 91 :
- ヘーゲルの言う承認をめぐるたたかいのほうが腑に落ちるな
結局共産主義社会においても承認をめぐるたたかいのほうが永遠に繰り返される
ってことか?
まあ、せめて有能で人望もある人物がしかるべき地位に就けるしくみであってほしいが、
共通解や一般意思ってのも理念上だけかな つまりだれにとっても有能で人望もあるという
ものはないのであろう
- 92 :
- 政治や組織や共同体が腐っていようがどうでもいいよ。
根本的に、食い物とエネルギーさえあればよい。
マルクスはその本質が分かっていたが、
後に続く者が組織論や政治論などどうでもいい理論を堆積させて
本質を見失ってしまった。
- 93 :
- >>食い物とエネルギーさえあればよい
君が今どういう状況にいるかわからないから、発言に困るな。
- 94 :
- .
- 95 :
- 封建主義→資本主義→社会主義→共産主義
- 96 :
- 都合良い分野に幾らでも資金援助できる
- 97 :
- 2ちゃんねるも資本主義原理に侵食されてしまい、どうやら無料ではスレが立てられなくなったようだ。
よってこのスレで資本主義社会の考察と哲学一般について語りたいと思う。
もしスレが立てられるものが居たらよろしく頼む。
- 98 :
- まず、言語について考察したいのだが
例えば、目の前の物体を「棚」と表現するか「タンス」と表現するか「カウンター」と表現するか「テーブル」と表現するかで意味が変わってくる。
(これは、非常に重要な話しなのだが)
棚とカウンターとタンスとテーブルでは若干、意味が違うし機能も違う。
もし、誰かが物体Aを「カウンター」と呼んだとしよう。
するとそのものの性質はカウンターとしてのものと認識され「タンス」としての機能は意識されないかもしくは「タンス型カウンター」として意識される。
同じく、「エタヒニン」と言うレッテルが張られた人間は人間として認識されず、ヒニンとして認識される。
旧日本軍は捕虜の中国人を「マルタ」と呼び人体実験を行ったと言われるが、マルタという非人間的名詞が相手から人間性を剥奪した訳である
これは驚くべき事だが我々の世界は「呼び名」によって常に作り変え、組み替えられている訳である。
- 99 :
- 言語空間に一定の秩序を与えているものは何かというと権力である。
権力が貴方が「田中太郎」さんであると認めるが故に貴方は田中太郎さんなのであり、別の名前を名乗ったら「偽称罪」にすら問われたりする訳であり
ゆえに貴方は田中太郎としてある訳である。
例えば君が明日からミハエル・ビノスコビッチと名乗るのは自由だが正当な手続きを踏まなければそれは正式名称とは認められない。
君が田中太郎くんであるのは君の意志とは無関係にそうなのだ。
言語は秩序を生む道具でもあり、言語の使い方に関しては権力によって独占されている
君たちは学校で概念を教えられる
そしてアイデンティティーを形成させられる
「これは私の歴史ではない」とそれを拒否することは出来ない。
これは私の名前ではないと拒否することは出来ない。
君たちは言語によって支配を受けている。
君が田中義男であり、都営住宅に住み、特定の両親の下で暮らす哲学的な必然性は別に無く
それは法律上の理由である。
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