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2012年6月三国志・戦国250:   赤壁の戦いって実はショボかった説について  2戦目 (288) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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  赤壁の戦いって実はショボかった説について  2戦目


1 :09/05/16 〜 最終レス :12/05/30
信憑性はどうよ?
〈前スレ〉http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1239708691/l50

2 :


3 :
>>1
おつ!

4 :
まだやるの?

5 :
もう「やっぱ通説どおりでした」でいいだろ

6 :
荊州兵を中心に疫病で大きく失ったのかというのも、考えてみれば問題じゃない?
荊州の兵は呉と何度も戦ってると言われてるし、疫病にかかったのは風土に慣れない北方兵じゃないのかな?
あと、兵に関する大きな損害の話だけど、いくら南下に大群を集めたからといっても
西涼・漢中や北方民族からの侵入を防ぐための兵が残されてただろうし、その広い距離を守る配置された兵の数だけでも充分大軍の兵が赤壁に行かずに残されてたと思う。
赤壁で疫病による兵の数の大損害を出してもまだまだ兵力があったと見て間違いないんじゃないかね?
調練した水軍の力を失ったのは事実だと思うけど、陸上戦はまだまだ力が残ってたと思う。

7 :
「〜じゃない」
「〜と思う」
ばっかで何で結論が
「〜で間違いない」になるんだ?

8 :
>>6はケモノ以下の糞餓鬼

9 :
>>6
筋が通っている。
>>7
全部「〜のではないか」に変換できる。
批判はズレている。

10 :
>>9
ズレてる?どこが?
>>6
後年の戦いでは疫病で魏呉ともに中止を余儀なくされている。
北方兵だけがかかったと断定出来る根拠にはならない。
大軍を残しているはず、というのも史料だけでは分からない。
曹操はヘイ州の太守を半分以上廃止して半ば放棄してる。
揚州、荊州の太守は新設しまくりなのにだ。
北方に十分な戦力を残すだけの余力があったのか疑問。

11 :
辺境に関しては劉フク、梁習、張既などの個人技頼みだろうな
青州、徐州にしてもゾウ覇に委任してる感じだし
冀州だけで30万とは言うが

12 :
曹操なんかたいしたことないよ

13 :
>>10
>考えてみれば問題“じゃない?”
>北方兵“じゃないのかな?”
>残されてた“と思う”。
>間違いない“んじゃないかね?”
→ 何で結論が「〜で間違いない」になるんだ?
【結び】
× 〜で間違いない
○ “んじゃないかね?”

14 :
あるサイトから転載。
東征に反対する司馬懿の言葉
「ここは、じっくり構えるべきで御座います。我が軍の得意とする処は陸上決戦であり、
水上戦は呉軍の得意とする処です。ましてや今すぐ攻め込むとなれば、我が軍は、
忠誠心も士気も低い荊州水軍に全面的に頼らざるを得ず、決して万全な姿とは申せませぬ。
少なくとも1年を掛けて、合肥方面の陸上兵力を数十万に強化する迄は、動くべきではありませぬ。
陸上の歩騎主力兵団を以って、直接に呉の地を窺いつつ、荊州から水軍を繰り出して長江を下り、
水陸2方面から同時に大兵力で呉に攻め入る姿こそが、万全のものだと考えまする。
それだけの国力も軍事力も、この荊州の豊饒が保証して呉れまする。出来れば3年を掛けて
荊州を万全に仕上げた上で、急ぐにしても1年を掛けての準備期間を置いた上で、
呉の平定戦に臨まれるのが、曹孟徳の戦さ振りだと愚行致しまする。」
これの出典なに?

15 :
>>13
荊州兵を中心に疫病で大きく失ったのかというのも、考えてみれば問題である。
荊州の兵は呉と何度も戦ってると言われてるし、
疫病にかかったのは風土に慣れない北方兵ではないだろう。
あと、兵に関する大きな損害の話だけど、
いくら南下に大群を集めたからといっても
西涼・漢中や北方民族からの侵入を防ぐための兵が残されてたはずである。
その広い距離を守る配置された兵の数だけでも
充分大軍の兵が赤壁に行かずに残されてたはずである。
赤壁で疫病による兵の数の大損害を出しても
まだまだ兵力があったと見て間違いない。
調練した水軍の力を失ったのは事実だと思うけど、
陸上戦はまだまだ力が残ってた。

16 :
>>13
意味わからん。
>考えてみれば問題“じゃない?”
>北方兵“じゃないのかな?”
>残されてた“と思う”。
【結び】
דんじゃないかね?”
○”間違いないんじゃないかね?”
だろ。
憶測を根拠に推理を展開して結論を断定しつつ
同意を求めてるだけ。
俺がズレてるとしても>>6はトンでる

17 :
>>16
>>6の上の2行も
「考えてみれば問題。そうだよね?」
「北方兵じゃないのかな。そうだよね?」
と変換できる。
「見て間違いないんじゃないかね?」
だけ見てそう言うのはおかしい。(>>7
言葉の結びを統一させないで読んだ君のミス。
だからその批判はズレていると言った。
>>6は謙虚なんじゃないかな。以下の文章でも良かったと思う。意味は同じ。
荊州兵を中心に疫病で大きく失ったのかというのも、考えてみれば問題【だ】。
荊州の兵は呉と何度も戦ってると言われてるし、疫病にかかったのは風土に慣れない北方兵【だろう】。
あと、兵に関する大きな損害の話だけど、いくら南下に大軍を集めたからといっても
西涼・漢中や北方民族からの侵入を防ぐための兵が残されてただろうし、
その広い距離を守る配置された兵の数だけでも充分大軍の兵が赤壁に行かずに残されていた【はずだ】
赤壁で疫病による兵の数の大損害を出してもまだまだ兵力があったと見て【間違いない】。
調練した水軍の力を失ったのは事実だと思うけど、陸上戦はまだまだ力が残ってたと思う。

18 :
>>17
その修正でも
風土に慣れない北方兵【だろう】。
侵入を防ぐための兵が残されてただろうし、
大軍の兵が赤壁に行かずに残されていた【はずだ】
で何で結論が
「まだまだ兵力があったと見て【間違いない】」になるのか?
>>7と変わらないな。
私は謙虚な人間は具体的な資料も出さずに断定するようなことはしないと思うが
ミスだのズレてるだのはあまりにも的外れな批判だ。訂正を求める。

19 :
>>18
>>6は言葉にゆるいんじゃないかな。その部分は俺も気にはなった。
間違いないは言い過ぎだな。
しかし>>7はおかしい。
「〜じゃない?」
「〜じゃないかな?」
「〜じゃないかね?」
これが同じグループ。
「〜じゃない?」
「〜じゃないかな?」
「間違いない」
を同じグループにするのはおかしい。>>7
「北方兵じゃないのかな?」で段落が変わり
「あと、」と 別件に移っている。
第一段落と第三段落は無関係。
おそらく>>6のレスは2部構成で、第1段落と、第2&3段落は別物。
整理すると俺も流されて解説レスでミスってた事がわかった。
>>6を分かり易くすると
荊州兵を中心に疫病で大きく失ったのかというのも、考えてみれば問題じゃない?
荊州の兵は呉と何度も戦ってると言われてるし、疫病にかかったのは風土に慣れない北方兵じゃないのかな?
あと、
兵に関する大きな損害の話だけど、いくら南下に大群を集めたからといっても
西涼・漢中や北方民族からの侵入を防ぐための兵が残されてただろうし、その広い距離を守る配置された兵の数だけでも充分大軍の兵が赤壁に行かずに残されてたと思う。
赤壁で疫病による兵の数の大損害を出してもまだまだ兵力があったと見て間違いないんじゃないかね?
調練した水軍の力を失ったのは事実だと思うけど、陸上戦はまだまだ力が残ってたと思う。
こうじゃないかな。

20 :
いや、
強すぎる「間違いない」を「んじゃないか」で弱めたと見るべきかも。

21 :
>>7の考えの奴、赤壁に対する自分の考えをレスしてみろよ。
どうせ内容の薄い空論しか出来ないんだろw

22 :
新スレ立ってるw
つか誰か前スレのまとめやってくれよ。
話に全然付いていけんかった(;´Д`)

23 :
大丈夫だ。当事者もついていけてなかった
てかもう疲れた

24 :
>>22
「曹操は船まんまと劉備に取られて江陵への兵站も怪しいのに焦って江夏取りに行ったけど最初ッから食糧不足で飢えと病気に悩まされて撤退し、兵站が切れっぱなしだったのでそのまま逃げ出した」って主張する子がいて、他の住人はそいつの根拠のあやふやさを総攻撃
兵站の子は半泣き激切れ
って感じ

25 :
意地になってた感がひどかったな兵站の子は

26 :
結局ああいう史料的根拠無しのオンパレードになるという時点で、兵站の子の仮説は妥当じゃないということなんだろう

27 :
即効落ちるなこれw

28 :
俺は頭悪そうな非難厨はカスにしか見えんがなw
ここで論じてる人達は本当に詳しい人しか出来ないし、注目してるがね。

29 :
21 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/17(日) 20:09:30
>>7の考えの奴、赤壁に対する自分の考えをレスしてみろよ。
どうせ内容の薄い空論しか出来ないんだろw
28 :無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 00:33:08
俺は頭悪そうな非難厨はカスにしか見えんがなw
ここで論じてる人達は本当に詳しい人しか出来ないし、注目してるがね。
おまえが一番頭スカスカなやつに見える。このスレでは

30 :
批判を非難と受け取る時点で進化前の人間
あきれた

31 :
話題提供出来る人間が居ないなら、存続させる価値無し。

32 :
誰が立てたんだよこのクソスレ

33 :
誰かを槍玉にあげて狩るようなことしたらあかんぜよ

34 :
>>33
三戦板自体終わってる。
他のスレもひどい有様だよ。
偶に真面目に書き込みする奴がいると、待ってましたとばかりの総攻撃。
話を展開させようとする奴なんて皆無に等しい。
そりゃ誰も書き込まなくなるわw
もう板そのものを閉鎖したほうがいいと思う。

35 :
前スレは結論を急ぎ過ぎて根拠に欠ける論が多いように感じた。
土台を作る必要がある。
一から順を追って考えていこう。
■赤壁開戦前の荊州曹操軍の兵力
「江表伝」劉j軍7、8万 + 曹操軍15、6万
「劉表伝」劉表軍 10数万 
「周瑜本伝」併呑後曹操軍水歩合わせて 数十万 
劉表伝 + 江表伝曹操軍 = 25〜30数万 ≒ 周瑜伝(数十万) 
一致するので 荊州曹操軍の兵力を 25〜30数万 と措定する。

36 :
■兵站
曹操が拠点とした江陵は本国から非常に遠いため大軍維持にこれを考慮しなければならない。
また、曹・孫にとっての夏口の意味、攻略目的の考察などに関わるため兵站についても考える。
曹操本土から江陵までの輸送
@ http://www.ne.jp/asahi/tenten/history/sangokushi/sangokud.html
目にする地図の多くがこのような簡単な物になっているから
三国志で川と言えばこれらの大河のみが頭に浮かび、
それが全てだとどこかで思いこんでしまっている。
ところが
A http://www.arachina.com/attrations/sanguo/images/dt/1.gif
輸送船が通れるような大きな川はまだまだある。
陸路を牛車で輸送するのと、水路を船で輸送するのとでは日数も必要人員の数も全然違う。
勿論、水路(河川)を利用する"水運"のほうが圧倒的に効率に優れる。
曹操の主な策源地(兵站元)が宛・許昌だとすると、
@の地図的考えでは樊まで陸を進んで、漢水を渡り襄陽からまた陸を進んで江陵まで
兵糧などの軍需物資を輸送するという考えになるのではないかと思う。
しかしAの地図が頭に入ると策源地である宛からすぐ漢水まで船で運べるという考えに変わる。
そのまま漢水を下らせることで日数も人的負担も大幅に減少する。
そうすると問題になるのが敵の手にある夏口。
漢水を下り長江を遡って江陵へ物資を運び込むのなら、
当然、敵地夏口が障害になり運送不可能ということになる。
そこで鍵となるのが、漢水と長江を結びショートカットする川の存在。
残念ながらネットの現代地図では確認することは出来なかったが
史書にその名が記されている。陽水と夏水という川が存在したらしい。
また、江陵から漢水沿岸までの距離はおよそ50q。
漢水と江陵の間に、長湖という大きな湖があり、長さは27qもある。
西南岸は江陵に接し北東に広がる。
その湖の北東岸から漢水まで僅か22qしかない。
つまり漢水から江陵まで陸運は22qで済む。
さらにその「長湖−漢水」間の陸地の地名に「〜湾」「〜湖」が点在する。
昔、その陸地さえ湖だった可能性も考えられる。
確認用地図 B http://www.travelplatz.com/china/ 
(三国時代の江陵は現・荊州市荊州区。 × 現・江陵区 )

37 :
また荊州の兵糧も運用されたものと考える。
結論
夏口が敵の手にあったとは言え、曹操軍が兵站に問題を抱えていたとは考えにくい。

38 :
曹操が30万以上の兵力を動員していたと仮定してしまうと荊州中部なんて一瞬で干乾びるよ
三国時代中、魏晋が20万以上の大軍を動員したことは確か史上三回しかない。
蜀と呉の最後の討伐時と、諸葛誕の叛乱時。
その50年以上前に、遠征で30万なんて維持能力を、連年征伐を繰り返す曹操が持つはずがない。
安定時の荊州の戸数(晋代に入っても全域で30万。劉表の支配域はせいぜいその2/3)を考えても、
「劉表軍十数万」は戸籍上の数字であって実働可能数ではない。
「江表伝」の劉j軍7、8万 + 曹操軍15、6万 という数字を、これでもかなり多いが、
最初の前提にすべきだろう。

39 :
■曹操の水軍
周瑜伝によると劉表の蒙衝・闘艦は千隻以上あった。
関羽が数百の船で漢水を下っている。
これが軍船か民船かで曹操の軍船の数に違いが出る。
しかし軍船ではないと考えられる。
資料に関羽の連れた船が軍船だとは記されていない。
そもそも周瑜伝のその一節は曹操が劉表の軍船を悉く手に入れたかのような表現で記されている。
でもまぁこの件も含め曹操の水軍を考察する。
208年 正月、曹操は玄武池を造り水軍を調練した。
同年 七月、曹操は南征を開始。この時まだ劉表は生きていた。
従って荊州の降伏は意図できるものではなかったと考える。
必然的に漢水を挟んでの攻防となる。
では曹操はどうやって漢水を渡り襄陽を攻略する気だったのか。
劉表には水軍がある。水軍も持たず無理をすれば一敗地に塗れる可能性が高い。
曹操は漢水水軍をどうやって攻略する?
そこから導き出される答えは「曹操もある程度水軍を持っていた。」になる。
劉表が死に、劉jが跡を継いだ。そして降伏した。
劉備の逃避行の際、関羽が別働隊として数百隻の船で漢水を下った。
しかしこれはおそらく民船。
劉備は荊州人に慕われていたので水軍を奪えたのではないかとの疑いもある。
文聘伝の記述を基に考える。
文聘は劉表下で北方の防備を担当した。
劉jが降ったあと、行動を共にしようと曹操から呼び寄せられている。
が文聘は応じず、曹操が漢水を渡ってから出向いた。
そこで何故来るのが遅かったのか詰問される。そして答えた。
その言葉の中にこうある。
「常願據守漢川 保全土境」(長いので前後省略)
(“常に漢水をしっかり守ることを望み”、国境を保全し、)
曹操に召される位だからこの時も結構な地位にいたのだろう。武帝紀では劉表の大将となっている。
防備の“責任者”だった可能性が非常に高い。
襄陽の水軍は文聘の監督下にあったと考えて良いのではないだろうか。
もし関羽に水軍を奪われたのならば、その状況は文聘の返答内容(全文)に合わない。
文聘の言葉のみなら軍船を奪われての泣き言にも聞こえなくなくはないが
曹操が「卿は真の忠臣なり。」と褒めるわけがないので、普通に読むべきだろう。
つまり、水軍は奪われてないと考えられる。

40 :
漢水に水軍があったのなら赤壁時何をしていたのか
その準備時、長江に集結していたことが周瑜伝に明記されている。
「劉表治水軍 蒙衝闘艦 乃以千數 操悉浮以沿江」
(軍船を悉く長江に並べたのは曹操。この一文からも漢水と長江が夏口を経らずとも
繋がっていた事が窺い知れる。)

41 :
>>38
ちょっと待ってて。あとでレスする。

42 :
■赤壁前の荊州の情勢
兵站の安定や東征の出兵能力に関わるので情勢について考える。
結論から言えば、比較的安定していたと思われる。
最たる根拠は史書に「平」「定」の文字で記されているからだ。
劉jは降伏した。曹操は江陵に入った後、荊州の官吏民衆に布令を下し、改革を呼びかけた。
荊州帰服を論功し十五人を侯に封じた。
文聘を江夏太守に任命※し、本国の兵を与え国境地帯を委託した。
曹操は荊州の統治に本格的に乗り出している。
徐晃伝に見える中廬・臨沮・宜城の抵抗は、趨勢の定まらない時期、
劉備を当陽で駆逐する以前に起きたものであったと考える。
赤壁直前、曹操は荊州を一応安定させてはいたが、荊州人は曹操を信頼するまでには至らなかった
というところではないだろうか。(周瑜伝注江表伝「狐疑」)
※文聘が江夏太守に就任したのは赤壁前。
「江夏與呉接 民心不安」
これは敵対がはっきりした赤壁後の事ではなく、
赤壁前の孫権の大規模な戦の準備が曹操領江夏の住民を不安にさせたのではないだろうか。
周瑜伝注江表伝「已選三萬人 船糧戦具倶■ 卿與子敬 程公便在前發」
孫権は同年春の江夏太守黄祖征伐で数万人を連れ去っている。
江向こうの江東が兵を動員して戦の準備をしていると聞けば、
再び攻め込んでくるんじゃないかと民が不安に駆られるのも道理。
また、武帝紀に文聘太守任命のすぐ後に韓嵩登用の記述がある。
後漢書では十五人を侯に封じた時、韓嵩も登用した事になっている。
(曹操は韓嵩に荊州人の人物評価をさせ、それを参考に抜擢任用した。)
以上のことから、文聘の太守就任は赤壁前の事だと考える。

43 :

以上、
東征に大軍を動かせない根拠は特にないものと思われる。
土台はこんなところ。補完・異論・反論歓迎。
なければ、土台を踏まえつつ、次の段階「夏口進軍の意図」を皆で考えよう。

44 :
ここまで。
>>38は「土台」の反論(>>43)ということにさせて。

45 :
>>38
「■赤壁開戦前の荊州曹操軍の兵力 」は遠征(赤壁)人数ではなく荊州の保有兵力。劉表伝を重視した。
個々の遠征の兵力はあまり参考にならないと思う。
遠征に率いて行く兵力は、要は敵を倒せるだけあればいいわけで
過剰な動員は無駄な負担にしかならない。
「無駄な動員をしていない」と考えるべきじゃないかな。
個々の遠征の兵力は、自国の能力ではなく相手の能力に拠っている数字だと思う。
豊臣秀吉の北条征伐のように政治的な目的でも含まれれば必要以上の大軍を動かすこともあるだろうけど。
周瑜伝注江表伝 黄蓋の手紙文中に「以當中國百萬之衆」とあるように(多分お世辞)
曹操は「高い値の数十万」の最大動員能力を持っていたと思う。
>晋代に入っても全域で30万
後漢末、中原の戦乱を逃れて多くの人間が荊州に移り住んだ。
晋になるまでに長いこと荊州は国境になっていた。また余所へ移ったとも考えられる。

46 :
兵站面の不備が、曹軍の撤退にある程度大きなウェイトを占めていたことは事実じゃないかね。
呉主伝に「人士飢疫」と明記されてるわけで。
この部分はむしろ呉側としては書かずにただ直接大いに破ったとした方が、
自軍の偉大さを誇張できて都合が良いのだから、概ね信頼できるとみていい。
勝った相手が実は元から弱ってたなんて書くメリットはどこにもない。

47 :
>>46
呉主伝の時系列が間違っているのでなければ、「飢疫」は赤壁で曹操が敗れ、残る船を焼いて撤退を始めて以降と読むのが普通だろう
少なくとも呉主伝は「元から弱ってた」と言っているつもりは無いと思う

48 :
兵站の子は呉書の記述が何もかも誇大宣伝してるという固定観念をどーにかしろよ

49 :
>>47
撤退をはじめて以降急に飢えるということはないんじゃないだろうか。
撤退後飢えた、という趣旨なら、撤退時の兵糧が何故存在しないのかという問題も出てくる。
撤退ではなく、もし散々に打ち破られ、散り散りになって逃げたため整然と撤退できなかったというのならまだ分かる。
それならば、兵站に問題はないが、撤退にあたって兵糧を確保できなかった十分な理由になる。
だけど、多分「公燒其餘船引退,士卒飢疫,死者大半」は飢えや疫病による死者が大半を占めた、
ととるべきだと思うので、多分それ以前から兵站に問題をきたしていたととるのが自然じゃないかな。
それと、他の大いに破られて居るケースにおいてもちりぢりになると当然飢餓に陥る人間は大勢いると考えるべきだろうが、
他の場合、こういった飢えや疫病は特筆されていない。
ある程度の期間兵站に問題をきたしていたと考えるのが自然だと思う。

50 :
参加してないってw
foundationがどういう方向に持って行きたいのか良く判らんからロムってるだけ。
そもそも土台と言ってる部分に大いに異論ありだが、それやると話の流れぶち壊しだからな。
赤壁の戦いがどういう思惑の元で行われたのか。
面白い話を期待してるよ。

51 :
>>49
>散り散りになって逃げたため整然と撤退できなかった
散り散りまでいかないかもしれんが、武帝紀注山陽公載記の内容はそれに近いよね
そもそも予定外の撤退、そして船を失った予定外の徒歩
飢えるには十分な条件じゃないかなあ

52 :
>>51
だとすると、計画外のことに対応できないレベルでしか兵站を作り上げられなかった、
ということになってしまう。
ちょっとその状況で東征するのはあまりにも無謀な賭けに過ぎないか?
それともだからこそ賈クは東征についてもう少し待てと言ったのだろうか。
確かにそうだとすると辻褄は合うが。

53 :
>>49
遇於赤壁,大破曹公軍
これで多くの兵糧を失ったとは考えられない?

54 :
もうその話止めようぜ
どっちの意見取るにせよ、立証しきれるもんじゃない。
どの辺が妥当かなんて個人によって異なるわけだし。
結局水掛論になるだけ。
その辺りはまあ置いといて、話を先に進めてくれよ。

55 :
>>52
戦に破れてもいないうちから兵站に支障をきたすよりはずっとまともなレベルだよ

56 :
>>53
いや、それで失ったとしても、飢疫による死者大半とは書かないと思うんだ。
それによって飢えたとしたら、多分そのことを記録するんじゃないかと。
糧食を放棄「せしめ」、とか、飢餓に陥「らせた」ってことを書くと思う。

57 :
>>56
軍を破り船を焼かせた後に書いている時点で、飢餓に陥「らせた」の意味を込めていると思っていいと思うよ
漢文は使役だの受身だのの助動詞をきっちりと必ず使うという言語じゃないんだ

58 :
しかし
曹氏の中華平定の野望は赤壁で挫折したという事実

59 :
>>46,兵站の子
「出先で財布がないのに気づいた。“俺が落とすわけがない”ので家に忘れてきたのだろう。」
と言っているのと一緒。
財布がない事に気づいた時は、先ず「家から持って出たのは確かなのか」を考えない?
家から持って出た・持って出てない
この場合、「江陵に兵糧が充分あった・なかった」かな。
江陵に兵糧が乏しかった理由を考えて説いたら面白いんじゃないかな?

60 :
>>59
とりあえず
前スレでヒスってたのは俺
そいつは別人だ!
つかせっかくfoundationが議題出してんだから
もうその話は止めて、流れ戻そうぜ。

61 :
>>60
区別つけてるよ。>>59は「>>46と兵站の子」って意味ね。
“兵站の子”を名乗ってるところを見ると自信アリなんだろうね。
その説を聞いてみたいな。

62 :
兵站君の言い分は前スレでおなかいっぱいなので、考えを変えたのでなければもういいです

63 :
「孟嘗君」みたいでカッコイイね

64 :
>>61
おお成程ごめんごめん
自信ってw 兵站の子って痛い子って意味で使ってるだろ
>>62
まったく変えてないから安心しろw
俺は自重するから、代わりにお前なんか話せよ
下らない煽りなんてスレ荒らしにしかならないぞ。

65 :
伝説のルーツ君に続く称号「兵站君」

66 :
>>45
>「■赤壁開戦前の荊州曹操軍の兵力 」は遠征(赤壁)人数ではなく荊州の保有兵力。劉表伝を重視した。
戸籍人口の一割を軽く越えるだろう兵士の武装編成を劉表が完了していたのでなければ、「保有兵力」とは言えない。
劉表の十数万が「冀州三十万」のような戸籍上の動員可能数(または史書の誇張)だったとしたら、
「曹操の動員兵力+旧劉表の戸籍兵力」という異なる種類の数字を足し算しているわけで、この計算は不当なものになる。
>「無駄な動員をしていない」と考えるべきじゃないかな。
では、荊州征伐時の曹操に限って、農業・兵站等過剰な負担を掛ける10万を越えるような「無駄な動員」をしたのはなぜだろう。
「経営基盤が不安定な時代だった曹操は208年の一度に限って無駄な動員をしたが、
鼎立後の魏はそれをしなかったのでより少ない兵力を運用した」なんてことになる。
しかし、曹操にとってみれば劉表の死で一気に荊州の過半を手中にするのは「予想外」の出来事だったはずで、
これは当時、連年東西南北に続く征伐行動の一つに過ぎなかったはずだ。
勿論その曹操の連年の征伐を見ても、このような大動員をしたという話はない。この荊州征伐、さらには赤壁が、
「特別」な理由はないはずなんだ。歴史を分けた特異性は会戦の結果が出て初めて現れる。
曹操軍15万だけでも不自然なくらいだ。まあ一応これを土台にするしかないけど。
>晋になるまでに長いこと荊州は国境になっていた。また余所へ移ったとも考えられる。
晋代の荊州も、後漢代と変わらずトップクラスの大州の地位にある。
南陽郡の凋落が遅くとも黄巾の乱から始まっている一方で、
疲弊した中原に比して漢水以南の存在価値は、100年で相当に上昇している。
兵站基地として整備した孫呉の尽力が大きいだろう。
このため、最前線だった南郡が、南陽郡と肩を並べる人口を誇ることになった。
それで100年後に「戸数30万」なんだ。
勿論劉表時代の戸籍数はわからないが、呉・晋より有効な支配を行いえたとは
考え難い。
よって、劉表が10数万の兵力を現実に「保有」できるとも、
荊州が数十万の軍勢を賄いきれるとも思われない。

67 :
一大サロンを形成した劉表期の荊州より
呉、晋の支配がマシだったとは思えないのだが

68 :
一大サロンも曹操が根こそぎ魏に持っていった
その残り物を蜀が持っていき呉は残りカスしか引き取っていないから
呉を責めるのは酷

69 :
残りカスに首相級の大物がいるやんけ

70 :
吐き溜めに鶴が一匹のみ

71 :
>>66
>この荊州征伐、さらには赤壁が、「特別」な理由はないはずなんだ。
曹操の当初の目的は襄陽攻略なんだよな、それ以降はは予定外の行動。
江陵はまあしょうがないにしても、その後の夏口はそこまでリスクを犯してまで取り必要性が無い。
定説を採るとすると、曹操のこの進軍は余りにも愚かな行為と映ってしまうんだが…。
曹操の夏口進軍の意図は何処にあったんだろうね。
で、foundationの話の続きはまだか?

72 :
やっぱり欲が出てしまったってことじゃないんだろうかね?

73 :
>>71
>定説を採るとすると、曹操のこの進軍は余りにも愚かな行為と映ってしまうんだが…。
それは、江陵を取った時点で既に兵站の不安が深刻であれば、または既に疫病が大量発生しつつあれば、という仮定だな
進軍時点ではどちらも少なくとも深刻でないとすれば、曹操の選択は「愚か」とまでは思えない
カクの言うような慎重路線があった一方で、劉備を追い詰め、更に呉への圧力や進軍へも繋がる江夏攻略は魅力的なプランだったはずだ
既に劉備と孫権が手を組み、夏口まで出張ってくるというのが読めなかった(軽視した)のは曹操の失態だが、一か八か的な行動の多い曹操にはありがちな話
ところで、
>曹操の当初の目的は襄陽攻略なんだよな、それ以降はは予定外の行動。
って根拠は何?どこに書いてある?

74 :
>>73
>それは、江陵を取った時点で既に兵站の不安が深刻であれば、または既に疫病が大量発生しつつあれば、という仮定だな
いや違う。
>って根拠は何?どこに書いてある?
頭悪いの?

75 :
もうちょっと説明するか。
まず兵站困難説は定説じゃないだろ
この場合の定説といってるのは兵站に問題なくカクが止めろと言うのにも関わらず夏口を攻めたという場合。
戦略的には確かに重要かもしれないが、さほど急を要するわけでもない夏口の攻略を
まだ政情の安定しないこの地域で、慣れない水軍を指揮し、全軍を失うリスクを犯してまで何故進軍する必要が有ったのかという事。

76 :
>>74
悪いと思ってもいいけど、ちゃんと根拠示してくれないと話しにならんよ
>>75
それなら大筋で裴松之が言ってる感じなんじゃないかな
一気に統一を進めるにはここで劉備を討ち江夏を取っておきたいということ
あと、曹操は孫権が劉備と結び、しかも荊州側にまで出てくると思ってなかったんじゃないか
(だからこそ程イク伝のような記事がある)
つまり全軍を失うリスクまであるとは思ってなかった
驕りとも言うが

77 :
>>76
うん、そうだとすると
曹操のこの進軍は余りにも愚かな行為だな
って感想を持ってしまうわけ。
それと根拠って・・・。そんな事まで根拠を示さなきゃいけない訳がわからん。
それと何処の根拠だ?
目標って事なら、じゃあ曹操は新野に着いたとき何処に向かってたんだって事になる。
予定外の方なら、じゃあ曹操は劉表の死から降伏に至る流れを当初の予定に入れていたのですか?って事になる。
それ以外の事だったらスマン。もうちょっと詳しく説明してくれ。

78 :
>>77
ジュンイク伝に見える話から推察すると、劉表病死から降伏はラッキーだったからだけど、不意を襲って一気に片つけようってのが荊州攻め全体の基本戦略だったような感じがしないか
襄陽を取ってゆっくり少しずつ平定しよう、っていうのではなくてね
カクの提案はそれを切り替えるタイミングの問題だったのかもしれん

79 :
>>78
そんな戦略云々の話はしてないよ。
俺が念頭に置いていたのは、襄陽→江陵→夏口の強行軍の話だ

80 :
>>79
ああ、それ自体は予定どおりではないだろうね
俺に誤解があった済まない

81 :
こんな下らない話はいいから、そろそろ本筋の話の続きをしてくれないかねえ。

82 :
>>76
孫権が降伏すると思っていたのかも。
若しくは、漢王朝への帰属。

83 :
威圧進軍で船団壊滅じゃ、もう話しになんないなw

84 :
>>83
それこそバカ丸出しだからなあ
曹操はあくまでも劉備潰しが目的で進軍したんだと思う
孫権は蜀と同じように名目だけの臣従を選んで事態を静観する、というあたりに落ち着く、と読んだのだろう
烏丸攻めでは「孫策陣営に乱れが出るに違いない」って見込みで放置して烏丸に集中して成功してるから、同じように「孫権陣営は統一が取れず最低でも中立」と見込んだのか
これは一種のバクチなので、成功すれば神のごとき読みだし、失敗すれば愚かな行為に映るんじゃないかと

85 :
>>84
その辺は意見一緒だな。
ついでにカクの思惑も江夏確保までは一致していたとみる。
まあこれは余計な事かw

86 :
イケイケでやってたらトントン拍子に勢力拡大してたけど赤壁後はgdgd。
あとはその遺産を上手に運用して総力戦で勝利、したけど乗っ取りくらっちゃいました
みたいな感じなのかもね

87 :
>>66
晋書地理志の荊州の人口は「38万7千3百人」。
個人的にはこの人口調査も鵜呑みにしていないんだけどね。
司馬政権の成り立ちを考えると頷けるんだけど、晋は名士が強い力を持っていた時代。
人口調査と平行してたか分からないが税制改革が行われた。王朝が貴族(名士)に対して
あまり強い権力を持っていなかったであろうことを考慮すると、
貴族の荘園を厳正に調査して新税制の枠に強制的に収めることは難しかったのではないかと思う。
呉の滅亡の原因の一つに人口減少による衰退が挙げられる。
後漢末の戦乱により、河北から避難民が流入し、人口が増加したが
三国時代に社会が安定したため河北からの流入者が帰還してしまった。
人口は流動的なものと見た方がいいんじゃない?
また、曹操は国境地帯の住民の強制移住を何度も行った事実があり、
荊州だけはその対象外だったとはとても断言できない。
関羽の樊城攻めの頃の事だけど、国策の懸案事項になるほど
潁川に荊州の人々が移り住んでいたという事実もある。
羊コが都督荊州諸軍事として荊州に赴任したとき国境地帯が呉により度々
荒らされていた。また兵糧の蓄えは百日分もなかった。
270年頃の荊州の国境地帯が荒廃していた事が分かる。
劉表は中原の動乱を余所に、大きな戦をしておらず、荊州は平和だった。
民にとって何より望ましいのは平和であるはずなので移り住むには良い土地だった。
荊州は東西南北に通じ交通と物流の拠点であるので当時としても豊かだったはず。
兵力に関しては、劉表伝で「帯甲十餘萬」となっている。
曹操が一気に荊州を制圧しようと考えていたのなら、
15、6万という数字は決して大きくはないし、妥当な数字じゃないかな。
過剰な負担っていうけど、曹操は軍勢100万人と言われるような大勢力。
全体的に見ればパーセンテージは決して高くないと思う。

88 :
>晋書地理志の荊州の人口は「38万7千3百人」。
晋書地理志の荊州の戸数は「38万7千3百戸」。

89 :
>>87
人口減少という話は初めて聞いたな。
呉末期、270年ごろから孫晧の統治の緩みのために
魏への寝返りが相次いで弱体化したという話はあるけど。
それでも、揚荊益冀の旧後漢四州領域の人口は司隷に次ぐ第二グループを為し、
中原諸州の3-5倍であり、
荊州は南北朝時代の発展の萌芽が既に見られる揚州と遜色ない人口と密度を持っていた。
その中心地は長江流域。江陵がしばしば戦場になったにも関わらず、南郡が最大の人口を持つ。
荊州(及び揚州)が当時全中国でもトップクラスの生産地帯であり、それは三国時代の発展
(動乱からの回復も含む)の賜物だという話が信用できないとしたら、
他に信用できる根拠を示してくれ。
劉表時代襄陽県内に持たれた名士コミュニティは兵站能力の説明にならないよ。

90 :
治安がいい
名士、民衆が流れ込む
生産力うpでうまー
こんなとこじゃないの

91 :
曹操は優秀な人材収集が大好きだから、呉を狙ったんじゃないかね?

92 :
>>90
一般論でそれはまったく正しいと思うんだけどね
劉表時代の荊州は、後漢末当時有数の生産地帯だった。
しかし、長江流域の開発が進められた晋代に入っても口数150万人程度と思われる荊州でも
十数万の兵を保有するのは至難の業だろうのに、
南陽が没落し、長江が開発される前、大規模な灌漑なども行っていないだろう劉表時代に
同数を保有するなんてことができるのか? って話で。

93 :
東晋が呉の轍を踏むまいと移民に対して優遇措置をとっている。
>三国時代の発展の賜物
ということは、それ以前から荊州が発展していた証があればいいのかな?
人口調査(単位:万人)
    紀元前2年 紀元153年   増減
司州   668       310     -358 
幽州   399 204 -195
并州 332 63 -263
豫州 755 617 -138
兗州   787 405 -382
涼州   151 40 -111
冀州   279 357 +76
徐州   279 357 +78
青州   370 593 +49
交州   111 137 +26
荊州   359 626 +267
益州   454 724 +270
揚州   302 433 +131 
このように(ズレたら勘弁)
中央が乱れると周辺に人間が移り、人口の増減に違いが出る。
荊州は戦乱期になると発展傾向にあったと言えるんじゃないかな。
呉の支配を待たず既に荊州は発展していたと思う。
名士コミュニティの話は俺じゃないよ。

94 :
激しくズレたな。ごめん。

95 :
>サロン
文化人というのは基本的に石つぶしだから
生産力に余剰がないと成立しないかな、とか思った
ほぼ一州に匹敵する南陽が荒廃しても
冀州と同程度くらいの人口は抱えてたはずだから
十万くらいいても不思議ではないのでは?
まあその程度の根拠しかないけど

96 :
>>93
荊州というのは南北に広いんだよ
> 359>626 +267
というのは大躍進だし、 漢代の生産が黄河流域から地方へ漸進的に移動していったことを示している。
が、後漢代の口数626万のうち、243万が実に南陽郡一郡に拠っている。
襄陽郡などと分割前の南郡は一桁違う74万。後漢代、長江流域はまだまだ未開発地帯だった。
しかもその後の後漢末の混乱によって南陽は完全に没落する。
だから、
>南陽が没落し、長江が開発される前、大規模な灌漑なども行っていないだろう劉表時代に
>同数を保有するなんてことができるのか?
と言っているんだ。

97 :
>>96訂正
>襄陽郡などと分割前の南郡は一桁違う74万。後漢代、長江流域はまだまだ未開発地帯だった。
襄陽郡などと分割前の南郡は一桁違う74万。後漢代、漢水以南はまだまだ未開発地帯だった。

98 :
戸籍調査ってそれ程当てになるのかな?
戸籍数増加=政府の統治能力の増加程度でしか観てなかったけど。
食うものに事欠いた住民がおいそれとあっちこっちに移動出来るとは思えなし…。
武装していて周辺地域から略奪でも働かないと途中で 野垂れ死ぬよw

99 :
>>84
逆に言えば、劉備と孫権の同盟が神業だったと言えるかも。
後年、孫権は呉王位と引き換えに漢王朝への帰順をしているんだし。

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