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2012年6月戦国時代389: 徳川御三家の印象度 (220)
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徳川御三家の印象度
- 1 :07/04/16 〜 最終レス :12/05/15
- なんとなく
水戸>>尾張>>>>>>>>>>>>>紀州
じゃね?
- 2 :
- 尾張>>>>>>>>>>>>>紀州>>水戸
紀州 あざとい
水戸 へたれ
- 3 :
- 水戸 水戸黄門
紀州 吉宗
尾張 は?徳川家?信長以外思いつかねーよ
- 4 :
- 正直、尾張は負け組だと思う。
- 5 :
- 水戸 光圀公、納豆
尾張 名古屋城、鯱
紀州 何県?三重?和歌山?
- 6 :
- ( ´゚ω゚` )
- 7 :
- 尾張が1番薄いな。
紀州は吉宗、御三卿からして1番。
水戸は、たまに濃い人物を出すというイメージ。
藩の実力的には、尾張が断トツで豊かな藩で、紀伊は普通、水戸は御三家の面目を保つため、表高が実高より高くかなり貧乏だったらしい。
但し中央政治での存在感では、常駐の利もあり水戸が1番あった。
時の老中が政治を行うにアンタッチャブルな存在だったのは、大奥に並び代々の水戸藩主だった。
井伊が水戸を罰したのは、タブーを始めて乗り越えた意味もあり注目された。譜代筆頭とはいえ、神君直系の御三家に僭越な行為は許されるのか?
やはり許されず、後にぶっ殺される。
- 8 :
- 徳川御三家の印度象
に見えた
- 9 :
- 御三家に、水戸は入りません
将軍家尾張徳川家紀州徳川家
家格が水戸だけ下だろ
- 10 :
- >>9 御三家の意味分ってないだろ
- 11 :
- >>5
和歌山。
梅干と蜜柑が名産じゃなかったか?
- 12 :
- 水戸を数えるか否かは両説あるんだよね。
水戸は一門挙げて定府大名であり当主に将軍継承権がない。
- 13 :
- なんか尾張厨必死だなw
そんなに一人も将軍出せなかったのが悔しいのか
アワレwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 14 :
- 尾張厨なんているか?
- 15 :
- いるんだからしょうがない
- 16 :
- 初代の人物比較でもやらないか?
義直・・・尊王のはしり、われは太政大臣の息子
頼宣・・・由比正雪の黒幕?
頼房・・・天下が欲しい
- 17 :
- スレタイを徳川御三家の印度象と読んだ俺は広南従四位白象
- 18 :
- 徳川親藩の好印象度では
保科正之の系統以外は糞だな
- 19 :
- >>18
IDが秀忠っぽいな
- 20 :
- 水戸には将軍家も散々手を焼いたしな
光圀や斉昭みたいな変人を生み出し
ついには荒れ狂って幕府潰す事になるとは
さすがの家康も想像だにしなかったろうなw
- 21 :
- このスレは三派に別れて争うのか?
- 22 :
- >>8>>17
俺漏れも
- 23 :
- >>16
義直・・・アウトドア派かつインドア派、尊皇、家光と仲悪い、図書館の先生みたい
頼宣・・・アウトドア派、紅葉渓、南海の竜、由比正雪の乱
頼房・・・アウトドア派、女好き、光國のパパ、ヒモなしバンジー
義直≧頼宣>>>>>>>>頼房
てとこか
- 24 :
- ミスった
頼宣≧義直>>>>>>>>頼房
- 25 :
- >>23-24
義直も頼宣も幕府に反抗的だったからね、頼房は幼年期の逸話の割に家光と大の仲良し
従ってインパクトがないのかな?
頼宣よりは義直が上と思う、三人を引張った兄というのもあるが、
頼宣が裏で操る黒幕タイプなのに対して、後に強い影響を及ぼす勤王を唱えるなど存在感がある
「王命に依り催さるる事」だっけ
- 26 :
- >>25
義直はリーダーに向いてるよね。まあ藩主なんだからリーダーシップないとダメなんだけど。
死んだとき殉死者多かったと思うから結構したわれてたんだね。
頼房は変なとこに気使ってる。家光に嫡男決めてもらったとか明歴の大火の時とか。頭いいのか悪いのかわからん。
個人的に頼宣は名君だと思ってるんだけどどうよ
- 27 :
- 輩出した人物の中で最も有害であった人物に注目して考えれば
尾張が一番ましだな。
- 28 :
- 有害?
尾張・・・宗春
紀伊・・・なし
水戸・・・光國、綱條(漢字でない)、慶喜
一番マシってなにが?
- 29 :
- 有害
尾張系・・・なし
紀伊系・・・家斉
水戸系・・・慶喜
- 30 :
- 水戸 肥溜め臭い
紀州 砒素入りカレー
三河 糞味噌
- 31 :
- >>26
幕府との関係を除くと、藩政の基礎造りだね=頼宣
何か強調したい特徴的なことある?
逸話としてこんなのあった
ある時和歌浦の入江を埋めて新田開発を企てるものがいた
頼宣は
「名ある池を埋め、名ある山を掘崩し田畑にいたましく候」と言ったそうだ
和歌浦って歴代勅撰和歌集の詠まれた名勝、
それを掘崩すのは恥さらし、だと考えたようだが、ここらの感覚をどう評価するかだね
- 32 :
- >>31
そんな逸話あったのか。
頼宣は和歌山城に行ったらあちこち名前でてくるんだけどなあ。
自分は
・頼宣が入封する前から、紀州は地侍や仏閣が力を持っていたから大変治めにくい地だった。頼宣は和歌山入るとまず牢獄をつくらせる。
・しかし頼宣が死んだとき、和歌山の牢獄は空っぽで、郡奉行が表彰されている。
ていうのが、頼宣が名君なんじゃないかと思う理由なんだ。
- 33 :
- >>32
その逸話は知りませんでした、なるほど
紀州ってそもそも戦国期は畠山がだらしないせいもあるんでしょうが、それぞれの土豪が力を持っていた土地柄ですよね
浅野幸長は土豪や一揆の制圧に、苦労していますね
頼宣の頃は大分落ち着いてきていたようですが、
村に根付いた土豪たちを、六十人者地士、隅田組地士として藩に編入していますね
藩財政の悪化は光貞の時代以降でしょうから、紀伊藩政初期は安定していたんでしょうね
頼房などは水戸には殆ど入らず、家臣に任せていたでしょうから、最初から差がついたのでは
- 34 :
- 頼宣は桃やみかんや龍神温泉らを支援してるのも評価できると思う。今でも荒川の桃とか有田みかんとかは有名だし。
それと治宝あたりが紀伊の麒麟と呼ばれてたみたいだけど他の歴代藩主(吉宗を除いて)には世間にそこまでいわれるほどの人がいないよね。
治貞と治宝がごちゃまぜになってたら悪いんだけど、「数奇の殿様」って呼ばれた割に一揆が起きて隠居した人いたんだ。
最近までこの人は名君だと思ってたけど、藩士の育成に熱心だっただけかな?
- 35 :
- 詳しくないので、桃についてはなんとも言えませんが、
紀州みかんて永享年間自生説と、天正年間に伊藤孫右衛門が肥後八代から移植した説があるようですね
浅野時代の検地帳にはみかんの本数が、記載されているとか
頼宣の奨励で更に盛んになったんでしょうね
打ちこわしの話は、治貞時代でしょうね、この方儒学には非常に通じていたようですが
治宝は藩政改革と高松焼・男山焼など殖産興業を図った方ですよね
- 36 :
- 紀州のみかん・桃・梅は頼宣が保護してたの?
だとすれば今の世に影響を残す明君だ。
- 37 :
- >>36
雑賀衆に蜂の巣にされるといいよ
- 38 :
- 頼宣は紀州東照宮で南龍大神として祀られてるけど、これは藩がまつったの?
- 39 :
- >>38
そうじゃないかな
というのは、水戸東照宮の祭神は家康と頼房だから
- 40 :
- >>10
そうでもない。
水戸家は副将軍であって将軍を出す家ではないから、御三家には入らない、という解釈はある。
実際に水戸家から直接将軍になった例はない(慶喜は一橋家より)。
(尾張から将軍になった例もないが)
将軍家直系の血筋が絶えたときは尾張または紀伊からという言い方も聞いたことがある。
一方、江戸時代初期には駿河徳川忠長とか館林徳川綱吉とかがあり、
「徳川」は御三家以外にもあったのだから、
「御三家」という言い方は江戸時代初期にはなかったのではないか、
という話も聞いたことがある。
- 41 :
- 江戸尾張紀伊云々というのは御三家藩主の誰かが言ってたらしいね。
昔読んだ御三家の本に書いてあったわ。詳細については覚えてないんだけどな。
- 42 :
- 江戸、じゃなくて宗家ね。
>>40については家綱没時に幕閣により甲府宰相か館林宰相かで議論されたのに、
それより上位の尾張紀伊が候補にならなかったという例がある。
あくまでも徳川姓を持つ宗家が優先。
だから後に御三卿を定めた吉宗が血統を独占しようとしたという批判は
宗家の前例を制度化しただけだから的外れということになる。
- 43 :
- 義直と頼宣、家光と頼房で固まってると思うんだけどどう思う?
義直と頼房に至っては全くとは言わないけど、関わった話聞かないんだけど
- 44 :
- 義直は孤立してるでしょ。
- 45 :
- >>43
あれがあるじゃん
我ら三人は太政大臣の子というやつが
家綱の山王社参拝だっけか
- 46 :
- >>44
つ【義直が篭城しようとしたとき頼宣が引き止めた逸話】
つ【頼純支藩の話】
>>45
義直が一人でファビョってると思ってたよ
ゴメヌ(´・ω・`)
- 47 :
- >>46
調べちゃったよおい。
名乗りが源氏嫡流の「義」と「頼」でわざわざ分けてあるからね。
しかも嫡流の「頼」を弟に、准嫡の「義」を兄に付けていることもあって、
家康はこいつらの仲を悪くしたかったのかと思ってね。
- 48 :
- >>47
なんか義直が家康を恨んでた的な文を歴史読本あたりで読んだ記憶が・・・
確かに大坂の陣では頼宣の方が旗の本数多かったとか聞くし、
二人の石高は尾張の家臣達がわめくまで一緒だったらしいよね
もしかしたら義直も忠直や忠輝みたいになってたかも・・・
- 49 :
- 頼宣と頼房は同母兄弟だから仲がいいのは当然としても、
>>46の籠城話や、側室をどうしてもおきたがらない義直が、頼宣の強い勧めで側室を持った話など
仲のいい兄弟像が浮かび上がると思いますよ
>>48 の家康に疎まれたは?何か逸話がありましたら
駿府でともに暮らした頼宣を可愛がったのは当然としても、
家康在世中は義直も尾張にはいかず、殆ど駿府にいたはず、ですからこの点では差がない
それに義直はやたら家康の子である自覚が強いですよね
- 50 :
- >>49
義直が家康に疎まれたって逸話とかは全く聞かないんだ
その歴史読本の文は、義直に比べて頼宣の方が〜ばっかりで大体覚えてるのが
・義直の旗の本数が少ない
・義直は尾張だけど、頼宣は家康が育った駿府
・結論的に二歳下の頼宣と義直が同格かそれ以下
ぐらい。
なにせ読んだのが1年近く前だから・・・
人によって御三家で誰が一番家康にかわいがられたかってかわるよね
- 51 :
- >>50
頼房にしても、剛毅ゆえに一番愛されたという話と、警戒されて定府にされた、の両方の話があるね
義直って頑固で堅物、融通が利かない面がるみたいだから、
愛されたとすればお調子者(?)の頼宣かもね
- 52 :
- かもね
結構お茶目な人だもんな>頼宣
- 53 :
- 外様の印じゃなくて目出度い、と言い放つのは
度胸があるといえばそうだし、茶目っ気もあるね
- 54 :
-
- 55 :
- 紀伊家最後の藩主茂承は伊予西条の七男かなんかだよね。
かなりラッキーだな。
- 56 :
- 田安・一橋・清水 <御三卿もよろしく
- 57 :
- てか紀州家六代目の宗直なんて
兄貴がいたにも関わらず
兄貴が親父に嫌われていたし自分が可愛がられてたこともあるし
従兄弟の吉宗が将軍になったしで
晴れて紀州藩主
すっげぇラッキー
- 58 :
- 治済ー家斉系に一時席巻される、紀伊と尾張
特に義直の流れが断絶した尾張は・・・
- 59 :
- 誰か続きを!
私は疲れました。
- 60 :
- みんな『大徳川展』行く?俺は前売り券買っちゃった。
- 61 :
- どこでやるの?
- 62 :
- 東京の紀尾井町の頭文字に代表されるように、御三家って
将軍多数輩出の紀州徳川家、軍事面の最高司令官(長州征伐他)の尾張徳川家、
政治面の最高司令官の彦根藩井伊家ではないのか?
水戸藩なんて石高・実権・経済力・軍事力・地力の面で大いに彦根藩井伊家に劣っているのだが、
しかも、井伊直弼在任時には徳川慶喜は、井伊直弼と同格の近衛中将位で、後からお得意の昇叙で位を引き上げたとはいえ、
幾ら水戸藩主ではないからといって、次代の将軍になるには恥ずかしすぎる地位だよね。
- 63 :
- 大老のように、実質将軍補佐後見役である役職と比べて
自称副将軍はむしろ幕政に何の影響ももたらしていないからね。
窓際過ぎて、光圀は酒池肉林にふけって藩政を財政難に陥れるは、
彦根藩の35万石に対抗する為に、28万石しかないのに35万石と公称して
財政を更に逼迫させ、とどめに斉昭の超子沢山で一時的に財政が破綻した。
ろくな藩主がいないのが特徴といえる。
慶喜も家茂を将軍に擁立されたことを根に持って、
大多数の人間が蟄居・謹慎処分であったのに関わらず、
直弼を暗殺して、政治を混乱させたとか難癖をつけ25万石に減封。
必死の抵抗で幕府崩壊寸前に辛うじて3万石上回るようにしたってのがな。
家康は直政に小田原本陣での秀吉暗殺を建計された際も「暗殺では天下は定まらない。」と拒否していたな。
歴史は慶喜が家康の再来ではない明確な器量の違いを物語っているよなぁ。
- 64 :
- >>62
紀尾井町の尾と井は中屋敷
第二次長州征伐の軍事面の最高司令官は紀伊徳川茂承
井伊大老はお飾りで実権があったのは直弼だけ
徳川慶喜は水戸藩主であったことはなく、一橋家当主
極位極官は水戸家が上、江戸城の詰間も水戸家は尾紀と同じ大廊下上
副将軍と自称してるのはドラマの中だけ
水戸家が高直しをした対抗相手は甲府宰相綱豊(35万石)
もう面倒臭い
- 65 :
- >>61
10/10から上野の国立博物館で。徳川家(将軍家と御三家)の数々の秘宝が展示されるんだって。
- 66 :
- >>63
桜田門外の変の場合、本来、井伊家はお取り潰しなんだが。
- 67 :
- >>65
自分は国立博物館の1年間パスポートを持っているよ。
1年間分4千円で、上野京都奈良九州の特別展が1度づつ
6回も観られ、平常展は年間見放題という美味しいカード。
両国の江戸東京博物館では、大河の「篤姫展」もあるね。
- 68 :
- ID:FkfTpUHE
↑
こいつのレスは恥ずかし過ぎるw
よくこんな妄想レス恥ずかし気もなく書けるものだ
- 69 :
- >>1
水戸が一番印象悪いぞ。光国は大日本史編纂に熱中して重税を課し、後年の宝永一揆の元凶になってしまったわけなんだから。民あってはじめて史も続くわけではないか。餓死の山を築いて国が栄えた歴史など、古今東西聞いたためしがない
- 70 :
- >>65
情報サンクス
HPも見ました。
1500円は高いよ。内容が当ればいいけど外れると痛い。
- 71 :
- >>1
印象といっても江戸時代は長いぞ?
自分の中の印象↓
・前期
尾張=でしゃばり
紀伊=陰謀
水戸=重税
・中期
尾張=宗春
紀伊=将軍に一番近い
水戸=藩政改革しようとしたら死ぬ
・後期
尾張=うるさい
紀伊=ヘタレ
水戸=うるさい
紀伊≧尾張〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉水戸
- 72 :
- 後期の尾張は家斉系の養子藩主ばかりだからうるさくない。
水戸もうるさいのは斉昭だけ。
- 73 :
- 幕府が今でも続いてたら面白かったのに
- 74 :
- 幕府が続いてたら政治制度も稚拙なままだったから
欧米列強の植民地になってただろ
面白くないよ
- 75 :
- 62、お前は大変失礼なことを言ってるのが分からないのか。
井伊氏といえば南北朝時代に松平みたいな小豪族を率いて
宗良親王・尹良親王を奉戴しながら、遠江国守であった為、
駿河守護として入ってきた今川氏に抵抗するも足利軍の前に敗走し
今川氏の譜代家臣となった後にも遠江守護・斯波氏、大河内氏と連盟し
今川に抵抗をし続けて最終的に虎松より上は謀殺されることとなる名門豪族。
松平なんかと一緒にすること自体がヤボ。
しかも、井伊氏は藤原治世に当時の藤原氏嫡流から遠江国守になった
足利治世に足利氏嫡流から駿河守護になった今川氏に並ぶ名門。
松平みたいな出自不明(どっかの国造の末裔か?)の小豪族とは名門度が違うのでは?。
- 76 :
- 名門でも徳川家の下になった家なんかいくらでもあるだろ。
喜連川なんかどうするんだよ。
- 77 :
- >>40
水戸藩は地理的にも将軍家のお目付け役だからな。
水戸藩出身の将軍家ができたら、
大名連合でしかない徳川幕府のパワーバランスが偏りすぎて不安定になる。
- 78 :
- 将軍継嗣の資格を持っていたのは、当初は尾張と紀伊だけだったと思う
駿河や甲府、館林などは別として
- 79 :
- あげ
- 80 :
- >>77
頼房個人は家光のお目付け役というか、相談相手だったけどね
光圀からは将軍家との関係は良くないね
- 81 :
- 忠吉や信吉が長く生きたらどうなったのだろ?
- 82 :
- 駿府・甲府・館林などに配したのでは?
- 83 :
- >>82
逆じゃね?
当初の計画では忠吉が尾張、信吉が水戸だったから、
こいつらが早世しなければ
9男坊以下を甲府とか館林あたりに置いたのでは。
- 84 :
- なるほど。
頼宣は家康に可愛がられて駿府 もしかしたらその後和歌山。
義直 頼房が甲府・館林というところだろうか。
ところで忠吉は松平 信吉は武田だから 徳川三家とは扱い違うんだろうね。
- 85 :
- 義直は甲府藩主だったので、そこは動かしようがないでしょう。
結城秀康の子忠直は松平に改姓してるので
忠吉系・信吉系の徳川改姓も有り得るのでは?
- 86 :
- 82は「義直・頼宣・頼房は」という主語が抜けてました
お詫びして訂正します
言いたかったのは83や84とほぼ同じです。
- 87 :
- 長生きしても忠吉や信吉の徳川改姓はないと思うなあ。
御三家は連枝として秀忠から徳川姓をもらったとき、次の将軍家光(竹千代)がいたのに対し
東条や武田の家督を継いでいた二人に徳川姓を与えたら
秀忠の対抗者になり幕府の基盤を揺るがしかねない。
長生きしていたら忠吉は三河、信吉は甲府に置くくらいの妄想はできるかな
- 88 :
- よく読んで下さい
忠吉系・信吉系つまり子孫の話です
子孫には将軍継承権も生まれてくるでしょう。
長生きしたらこういう可能性もありかと思いますが
- 89 :
- 忠吉や信吉の子孫に継承権が生まれるという発想は越前松平を見れば
生まれようのない考えだと思うけど・・・
- 90 :
- 秀康は豊臣の養子にいったので制外の家となったが
忠吉や信吉にも同じように扱うのだろうか?
忠吉は秀忠と同腹なので継承権はあると思うが
- 91 :
- 忠吉と信吉に家康が何を期待したか、によると思う
将軍家のスペアとしての意味合いを考えたかどうか
- 92 :
- 信吉は病弱だし、忠輝、秀康は色々問題有るしで
忠吉に期待されたのは親藩筆頭、将軍血縁の軍団長、将軍の名代足り得る遠征指揮官みたいな役割じゃないかね。
御三家が成長すればまた色々変わるとは思うが。
- 93 :
- 忠吉信吉のころは徳川内部で分家を立てるより、松平(家康とは別系統ね)
、武田と言った名家に養子に出し、そこの家臣団を抱え込むことが目的
だったから、同列に論じることはできないよ。
彼らが生きていたらやはり彼らの家のほうが格上になっていたとは思う。
そもそも御三家というのも家康の発想の中にはなかったというのが定説でしょうね。
結果として末の三人が大名として残ったわけで。
上の方でも書いてあるように三家といっても将軍家、尾張、紀伊を指していた
時期もあり、その中に駿河(忠長)を入れていた時期もあり
また甲府、館林(綱重、綱吉)という存在も一時期あった。
でも権現様の子、というのはやはり意味が重いだろうね。
- 94 :
- >>93
将軍家・尾張家・駿河家(後の紀州)で御三人様と呼ばれていたらしいね
それにしても長子相続と言いながら忠輝に徳川を名乗らせないのが・・。水戸家より格下扱いだ。
- 95 :
- スレの主旨からずれるが
仮に御三卿に土地を与えるならどこ?
候補地
甲府、館林、岡崎、
浜松、宇都宮(日光のお膝元)、越後高田(忠輝の旧領)
- 96 :
- 追加
蝦夷地十勝地方(田安藩が置かれた)
- 97 :
- 田安家…館林、一橋家…甲府
清水家は空屋形
柳沢氏や越智氏を東海方面へ加増転封
- 98 :
- 上州館林の松平武元を陸奥棚倉に、甲府の柳沢吉里を郡山、川越の秋元喬求を陸奥白河に転封させ、田安を甲府に、一橋を館林に、清水を川越にいれたと思いまふ
- 99 :
- >>16
結局吉宗が就任する形で、紀伊家に幕府が則られたな
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