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ホームセンターで調達可能な武器 (491)
平和のため日本の空母建造を★日本空母 (395)
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日本の核武装を前提にその道筋を考えるスレ (407)
日本潜水艦総合スレッド36番艦 (465)
兵站・補給について語るスレ10 (759)

もし日本が勝っていたなら 再び


1 :11/05/01 〜 最終レス :12/06/09
昔こんな感じのスレがあったよね

2 :
http://mimizun.com/log/2ch/army/1053503008/
もし日本が勝っていたなら Part2.1
ttp://www.geocities.jp/nenpyo_ya/nenpyo5.html
年表

3 :
どうやっても勝てないし

4 :
つか太平洋戦争ってどうなったら日本の勝ちだったの?
ホワイトハウスに爆弾落としたって日本の勝ちにはなんなかったでしょ?

5 :
さて日本の食文化と欧米の食文化対比スレか。
確かに現代において日本食が破れたことは自明。だが、日本食は欧米の食文化をも内包しいき続けている思う。

6 :
>>4
ドイツが英国を占領して、ソ連とも適当なところで講和して、アメリカがうんざりして日本とも講和
というのが日本の勝ちのシナリオ。
個人的には、そもそもドイツがソ連と戦争を始めなかったら日本もアメリカと戦争することもなかった
と思っているが。

7 :
アメちゃんがやる気満々だったので不可避でしょう

8 :
やらなくてもABCD包囲網で日本が干からびるだけ

9 :
鉄とか石油とか天然ゴムとかの軍需品が不足してる状態で開戦した時点で勝ちは無い
アメリカとやるなら最低でも五年は物資を外地から運ばなくても戦える程度の備蓄をしてからやるべきだった
まんまと策略通りにABCDラインで干上がる寸前で開戦とかどうやったって無理
むしろ四年もよく戦えたもんだ

10 :
>>4
イギリスと組んでドイツと開戦(マテ

11 :
米帝の犬になって連合国側として参戦すれば・・・・

12 :
相手はどこだよwwww

13 :
アメリカイギリスと一緒になってノルマンディー上陸作戦か
どう考えても一番ひどい所に行かされるな

14 :
>>13
連合艦隊が行くならば大和、武蔵、長門、陸奥、山城、伊勢が恐怖の艦砲射撃やるんじゃね?

15 :
戦前日本の体制が戦後も続くなんて、まっぴら御免こうむる。
軍隊や特高がなくなってせいせいするし、負けて良かった。
基本的人権バンザイ
戦後日本がミャンマーや北朝鮮みたいな軍事政権にならんで良かった。

16 :
>>15
ご維新のあと敗戦まで、軍事政権だった時期などないのだが

17 :
>>9
それはネトウヨ的な発想だな。
時間が経てば相手の戦争準備が日本以上に整うことを全く理解していない。
対米開戦のタイミングとしてはベストだった。
ドイツが欧州を征服するという前提に立つなら。

18 :
足りないから資源を得る為に戦争したんであって、備蓄で賄えるならむしろアメリカと戦争する理由がないわな。

19 :
現在のマックのように世界中に吉野家があるんだろうな

20 :
学校制度が戦前のままだと、漫画ラノベの舞台設定も現実とだいぶ違ってそうだ

21 :
5年制中学が舞台になるかな。高野連も中野連に

22 :
過去ログと避難所をサルベージしてみた
やっぱ1スレの>>1は秀逸だw
もし日本が勝っていたなら
http://mimizun.com/log/2ch/army/1042735973/
もし日本が勝っていたなら Part3
http://mimizun.com/log/2ch/army/1066624081/
もし日本が勝っていたなら Part4
http://mimizun.com/log/2ch/army/1088262748/
もし、日本が勝っていたなら Part5
http://mimizun.com/log/2ch/army/1105955059/
もし、日本が勝っていたなら Part6
http://mimizun.com/log/2ch/army/1113492983/
もし、日本が勝っていたなら Part7
http://mimizun.com/log/2ch/army/1127985442/
もし日本が勝っていたなら@避難所
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/5909/1112255559/l50

23 :
敗戦がなけりゃサブカルもHENTAIもあまり発展しなかったんじゃないか
そして帝國国際電子通信網で細々と洋ポルノの授受が行われて非国民呼ばわりされたりする

24 :
過去スレ2.1の700前後にある、米海軍の急降下爆撃機の開発の行く末をもう少し教えてください。
SBD-6とかSB2Aについて調べてる物好きなのですが。

25 :
>>23
1933年の時点でも米帝様の影響どっぷりのアニメが作られていたわけだが?
http://www.youtube.com/watch?v=WyGvGMa2RFg

26 :
>>25
それついさっき海外反応系ブログで見たわ

27 :
戦前もエロ・グロ・ナンセンスみたいな文化もあったわけだし
意外と史実と変わらなかったりして

28 :
引きこもりの起源は天照大神だ!
部屋住みの侍は自宅警備員の元祖だ!

29 :
日本が勝っていたらここを覗いてるヤツの殆どが
小作人の倅で不作だったら娘を差し出さなければならなかったろ
近代化なんか夢のまた夢w

30 :
過去スレの人とか残ってるかな

31 :
>>29
日本が勝っていたら満州は日本のものだっただろ。
満州どころか華北全域が東北農民の移住先になっていたはず。

32 :
でもたとえばアメリカに勝って中国のほとんどを領有した場合、今度は露助と正面対峙する羽目になるからなぁ
日本・アメリカ・ソ連の三つ巴冷戦とか怖すぎる

33 :
そもそも日本はアメリカだけでなく中国にも勝てなかったわけだが。
結局最後まで重慶を落とせなかったわけで、独英戦→独ソ戦と似たような感じだ。
アメリカに勝っていたらとか無理すぎるIFは荒唐無稽すぎて話にならんから
中国に勝っていたらのIFの方がまだマシ。

34 :
>>33
南京なら落としてるよ

35 :
もし日本が勝っていたら…
女性の社会進出が史実よりも大きく遅れて男尊女卑の社会が続き
ブルマが21世紀になっても現役!

36 :
女の子と話しただけで特高に捕まって拷問だろJK

37 :
age

38 :
>>33
日本が総力戦を展開したら落とせる。
更に言えばソ連等の支援等が無ければ落ちてる。
歴史では勝てなかったが押してる状況だった

39 :
>>38
総力戦だったら
アメリカはベトナムに勝てたし
ソ連はアフガンで勝てたな
でも総力戦にならないの

40 :
>>38
総力戦だったら
アメリカはベトナムに勝てたし
ソ連はアフガンで勝てたな
でも総力戦にならないのは何故か考えた方がいい

41 :
過去スレより面白い書き込みをサルベージ

42 :
97 :名無し三等兵:03/01/17 20:21 ID:???
>>89
合衆国第5艦隊
 戦艦 アイオワ
 軽巡 アトランタ
 駆逐艦
  ギアリング型×3
  ファラガット型×2
  平甲板型×1
大日本帝国第2艦隊
 戦艦 長門 陸奥 金剛 榛名
 空母 信濃 大鳳 伊勢 日向 翔鶴 瑞鶴 飛龍 瑞鳳 雲龍 葛城
 重巡 利根 筑摩 古鷹 青葉 加古 衣笠 最上 摩耶
 軽巡 五十鈴 大淀 夕張 長良 名取 鬼怒 阿武隈 天龍 龍田 香椎
 駆逐艦 約60隻
 キングが作戦を強行したのは、第2艦隊に大和級が不在と言う情報からだ
った。だが、いかに防空性能に優れた2隻がいようとも、延べ600機に及ぶ
攻撃隊から耐え切る事は出来なかった。
 第5艦隊の生き残りはわずか1隻。
 艦隊の中でもっとも小柄で旧型の駆逐艦ジョン・D・フォードだった。
 急降下爆撃によって艦首切断の損害を受けながら日本潜水艦の遊弋する海
域を一昼夜後進で脱出してきたのだった。同艦は、ノーフォークに帰着後着
底し、終戦を迎える。
 戦後、日本海軍の一部に同艦を記念保存すべきとの声も上がったが、結局
解体処分されてしまった。

43 :
98 :名無し三等兵:03/01/17 20:24 ID:???
戦艦アイオワ>フロリダ沖で戦没>21世紀に回収され戦籍復帰、地球防衛艦隊に編入
戦艦ニュージャージー>パナマ沖会戦で被害担当艦として戦没
戦艦ウィスコンシン>空母に改装するも、チャールストン港に回航中被雷戦没
戦艦ミズーリ>船台上で富岳の1t爆弾を受け建造中止
100 :名無し三等兵:03/01/17 20:29 ID:???
戦艦モンタナ
 進水直前に工事中止。船台上で存知されていた所を、武蔵の対地砲撃を受け
破壊され放棄される。
 モンタナ建造に携わった人間の間では「モンタナはヤマト級と戦った」と言
うのが後々まで語り種になったとか……
104 :名無し三等兵:03/01/17 20:51 ID:???
パルミラ沖海戦。
 日本は「烈風」の開発の遅れを埋める為、局地戦「紫電改」の艦上型を
投入。零戦六四型と混成。
 迎え撃つアメリカはF6F、そして陸上基地から直掩としてP−38を
最大限投入した。数と性能ではむしろアメリカ側に部があった。しかし、
本土攻撃を受ける段階にあって米陸海軍の戦闘機パイロットの練度は開戦
後最悪の状態に陥っており、また、日本側の機種更新により米軍機装備の
主力であった12.7mm機銃の能力が相対的に低下していた。
 結果、絶対数では劣る日本艦隊に対し航空部隊を順次投入する愚を犯し、
相対的優位を失っていたF6Fは参加機の9割を喪失。米海軍の中ではこの事を「パルミラの七面鳥撃ち」と呼んで自嘲した。

44 :
107 :漏れはアホか?:03/01/17 21:12 ID:givLvNd8
北米国際軍事裁判 判決一覧
H.トルーマン 大統領 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
W.レイヒ 海軍大将 大統領首席補佐官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36
S.ホーンベック 元国務省極東部長 絞首刑 訴因 1/27/29/31
H.モーゲンソー 財務長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31
H.スチムソン 陸軍長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31
F.ノックス 海軍長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31
C.ビンソン 下院軍事委員会委員長 絞首刑 訴因 1/27
G.マーシャル 陸軍大将 陸軍参謀総長 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
E.キング 海軍大将 米国艦隊司令長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
C.ニミッツ 海軍大将 太平洋艦隊司令長官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/54/55
W.ハルゼー 海軍大将 第3艦隊司令官 絞首刑 訴因 1/27/29/31/32/33/54
C.ロックウッド 海軍中将 太平洋艦隊潜水艦部隊司令官 絞首刑 訴因 27/54
C.ルメイ 陸軍少将 第20航空軍司令官 絞首刑 訴因 27/54
C.ハル 国務長官 終身禁固 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36
F.ノックス 海軍長官 終審禁固 訴因 1/27/29/31/32/33/35/36/54/55
H.アーノルド 陸軍大将 陸軍航空隊司令官 終身禁固 訴因 27/29/31/32/33/35/36/54/55
D.マッカーサ- 陸軍大将 西部陸軍総司令官 終身禁固 訴因 27/29/31/32/33/35/36/54/55
D.アイゼンハワー 陸軍大将 東部陸軍総司令官 終身禁固 訴因 27/29/55
訴因 1:共同謀議 27:対日侵略戦争実行 29:対満州 31:対中国 32:対秦 33:対インドネシア 
35:対ビルマ 36:対インド 54:残虐行為の命令授権 55:故意又は不注意による防止の怠慢 
英国関係者についてはウエストミンスター国際軍事裁判の項を参照のこと。

45 :
108 :名無し三等兵:03/01/17 21:14 ID:???
第2次パナマ海々戦。
 パナマ沖での最大の戦い、日米の他、枢軸2カ国の艦隊も参加した。
ドイツ第三帝国海軍から
 戦艦 ティルピッツ
 ポケット戦艦 グラーフシュペー
 巡洋戦艦 グナイゼナウ
 巡洋艦3隻
 駆逐艦6隻
イタリア王立海軍から
 戦艦 リットリオ ローマ
 空母 アキラ スパルヴィェロ
 重巡2隻
 軽巡6隻
 駆逐艦12隻
 この海戦で、空母を帯同しないドイツ海軍はほとんど戦局に寄与しな
かった。一方、イタリア海軍は戦艦部隊で強行突入を計る米海軍に対し
航空攻撃と砲撃で米海軍陽動部隊を牽制、戦艦「ローマ」を喪失するも
その後戦艦を「リットリオ」1隻の状態で米軍の旧式戦艦4隻を撃沈し
た。
 しかし、この海戦の勝利が終戦に向けての枢軸国同士の不和の要因の
1つになってしまう。
109 :名無し三等兵:03/01/17 21:18 ID:???
>>107
ハルゼーの有罪理由が不明

46 :
110 :名無し三等兵:03/01/17 21:22 ID:???
北米国際軍事裁判・補填
富永恭次 終身禁固・懲戒免職 訴因 54/61
牟田口廉也 終身禁固・懲戒免職 訴因 54/61/62
辻正信 禁固15年・懲戒免職 訴因 62
訴因 54:残虐行為の命令授権 61:敵前逃亡 62:命令不服従
111 :名無し三等兵:03/01/17 21:25 ID:???
大戦後半に投入された陸軍式戦「疾風」は、
陸海軍共同で開発した戦略重攻「富嶽」の護衛を行ない
アメリカ東海岸爆撃行で活躍した。
パナマから東海岸に戦略爆撃を行う富岳は、迎撃に向かった
P51や、P47、F8Fに多大な損害を受けたため
急遽キューバ攻略が行われた
サイモン・バックナーJr中将以下のキューバ防衛軍は
圧倒的な日本軍を相手に奮戦したが、島南部に押し込められ降伏
日本軍の死傷者が、アメリカ軍の死傷者を唯一上回った陸戦として
知られたキューバ戦であった。
116 :名無し三等兵:03/01/17 21:36 ID:???
モンタナ級
戦艦モンタナ>建造中、戦艦武蔵の攻撃により破壊
戦艦オハイオ>日本軍の手により建造されるも、ドイツ海軍に譲渡、戦艦「フォン・モルトケ」となる
戦艦メイン>日本軍の手により建造されるも、タイ海軍に譲渡後、戦艦「バンコク」となる
戦艦ニューハンプシャー>解体
戦艦ルイジアナ>解体

47 :
117 :名無し三等兵:03/01/17 21:39 ID:???
 敗戦直前、英雄にまで祭り上げられていた1人の男がいた。
 だが、男は戦後になると、アメリカ人には忘れ去られた。
 挙げ句、日本人に集団暴行を受け絶命した。
 悲劇の英雄、その名をトーマス・ランファイアという。
 山本五十六機をソロモンで撃墜した男の末路だった。
125 :名無し三等兵:03/01/17 22:17 ID:???
 敗戦間際の米陸海軍は、日本海軍に局所的な打撃を与え継戦意欲を失わ
せる方法として、旧式化したB−17EやB−24Cの防御火器その他を
全て取り外し、2トンの爆薬を搭載して操縦士1名のみが搭乗し、日本の
大型艦に体当たり攻撃をかける……という戦法が発案され、実行された。
 乗員は一応、突入前に脱出する事になっていたが、文字どおり爆弾に翼
をつけて飛ばせているような状態では日本軍戦闘機の格好の餌食でしかな
く、あるいは自らの意志で搭乗したまま突入した搭乗員も少なくなかっ
た。
 空母機動部隊への攻撃は途中で断念され、アメリカ近海で行われている輸送線攻撃に参加している大型艦を狙った。もっとも大きな被害では戦艦「扶桑」がB−17改造の体当たり機に突入され、ものの数分で轟沈して
しまったと言う記録もある。
 この「扶桑」撃沈の一件がますます体当たり作戦への期待をエスカレー
トさせてしまい、B−25、B−26、果ては新型のB−17HやB−2
4Gまでが体当たり機に改造された。しかし、この頃になると日本側も重
武装の紫電改五四型丙(30mm機銃装備)や鍾馗二型丙(40mm機関砲装備)など
を配備してこれらに備えるようになってしまい、戦果は上げられなくなっ
ていた。
 この、日本側の体当たり機対策の名称は「馬鹿爆弾迎撃要項」。
 信じられないかも知れないが、公文書での正式名である。

48 :
126 :名無し三等兵:03/01/17 22:22 ID:???
>>125補填。
 終戦後、日本軍によって接収された機体の中に、B−29ベースの体当
たり機が存在していた。改造ではなく、当初から体当たり機としての仕様
で製造されたそれは、搭載爆薬は15トンとも20トンとも言われていた。し
かし、部下たる将兵に、実質上自殺を強いるこの作戦に嫌悪感を抱いた日
本軍将官の手によって、この体当たり用B−29はその資料もろともク
ラーク・フィールドで戦車で踏みつぶされ処分された。故に、現在ではそ
の正式名称さえ知る事は出来なくなってしまったのである。
127 :名無し三等兵:03/01/17 22:28 ID:???
体当たり機の自殺攻撃は、一般的にアメリカ人のお家芸として知られており
馬鹿爆弾が、自殺攻撃の代名詞になったほどである
一昨年のユダヤ人による、記念艦戦艦大和にたいする航空機自殺攻撃は
いまだに吾々の記憶に新しい。
しかし実は我が日本軍も1時期航空機特攻を計画した事実があったことは知られていない。
開戦初頭の敗北で、わが軍が混乱した際に
得留部大佐による航空機体当たり部隊が”得留部特別攻撃隊”として発案された。
しかし、その後の戦局の好転により、部隊は解散された。

49 :
128 :名無し三等兵:03/01/17 22:42 ID:???
127の続き
アメリカ政府の戦果発表は、戦争末期には無茶苦茶であり
第2次パナマ海々戦では、枢軸国海軍の内、戦艦12隻空母10隻その他36隻が
撃沈されたと報道されたほどであった。
もちろん歴史を知る我々にとっては、第2次パナマ海々戦で消滅したのが
アメリカ大西洋艦隊であったことは周知の事実である。
しかし、我が海軍も戦闘初頭においては、虚偽の戦果発表をしていた
戦艦ルーズベルト撃沈発表がそれである
もちろんそのような戦艦は存在しない、アメリカ戦艦の命名基準が州名であったことは
よく知られている。
しかし、米軍による同盟国ハワイ攻撃で、駐ハワイ帝国海軍の7割を失った
我が国は、虚偽の戦果でも必要であった。
ハワイ上空で失われた駐ハワイ陸軍航空隊の97式重爆が、戦艦ルーズベルトに突入
撃沈したと報道されたのは、当時の我が国の混乱を示していた。

50 :
129 :名無し三等兵:03/01/17 22:46 ID:???
第一次ミッドウェイ海戦
 真珠湾作戦以降、進撃を続けていた日本海軍が中部太平洋方面への進出
を狙って実施した作戦。しかし、真珠湾作戦以降の快進撃に浮かれた杜撰
な作戦は米軍側に悟られる結果となってしまう。
 米軍はミッドウェイ近海で待ち伏せ攻撃を行い、空母「赤城」「蒼龍」
の撃沈、および機動部隊指揮官南雲忠一の殺害に成功する。日本側は大混
乱の末、事故で重巡「三隈」を失うという失態を見せた。
 しかし、この混乱が闘将山口多門をして慎重を期させ、ミッドウェイ作
戦は中止され、残る「加賀」「飛龍」を救う結果になった。
 圧倒的兵力を撃退したという自信が逆に後に米軍を慢心させてしまった。
さらに17年には日本軍がソロモン・ニューギニア方面で戦線の圧縮を計っ
たが、これを日本の国力衰退と誤判断してしまう。
 その為、アメリカ本土では混乱期にあった戦時経済への以降がさらに遅
れてしまう事になった。
 一方、日本国内では南雲中将(死後元帥)に続いて山本五十六大将も米軍
の待ち伏せ攻撃により死亡すると言う事態に、国民は「卑怯者アメリカ許
すまじ!」「二軍神に続け!」をスローガンに一挙団結、乏しいとされて
いた工業力はしかし、17年度後半には「隔月刊空母」雲龍型を続々と送り
だすまでになる。
 昭和18年、日本海軍はふたたび中部太平洋に進出を計り、第二次ミッド
ウェイ海戦が勃発する。
 その時、米軍が立ち向かった相手は、開戦時の倍以上に膨れ上がった日
本海軍機動部隊だった。

51 :


52 :
145 :名無し三等兵:03/01/18 14:08 ID:???
>>144
 クレムリンの共産党政権は解体され、スターリン以下の幹部は「ソビエト
国民を破滅へと導いた大罪人」として処刑される。
 その後、ポツダム宣言に基づきシベリア極東域のごく一部のみが日本側支
配圏となる。
 ドイツ側支配圏は「ロシア社会主義共和国」として再建される。もちろん
ナチスの傀儡政権である事は言うまでもない。
 一方、日本側支配権は一部が満州国に併合され、一部は枢軸同盟によって
一度計画が破棄されたユダヤ人国家「東イスラエル聖教国」領土に当てられ
る。もちろん、ドイツに対する挑発以外の何者でもないが、この事が反ナチ
ス国家を親日化を促進させ、その後の二極対立構造形成の重要なファクター
の1つとなった。
146 :名無し三等兵:03/01/18 14:28 ID:???
 旧アメリカ合衆国は東西に分断される。1951年に日本側支配領域のシカゴ
に「アメリカ合衆国」が成立(再建)し、星条旗を受け継ぐ。ドイツ側はそれ
に対抗し、あくまでアメリカの首都はワシントンD.C.である主張し、そのワ
シントンD.C.のドイツ占領機構を引き継ぐ形で「アメリカ共和国」の建国を
宣言する。西海岸油田地区のみはその後も日本直轄領として残った。
 分断された東西のアメリカ。
 ドイツはこの大国が二度と軍事大国として復活しないよう、工業生産力そ
のものに有形無形の制限を課した。
 一方、日本はもともと自国の生産力が少ない事から、占領域の維持を計る
為、新政府成立前から工業力の再建・拡大につとめていた。
 戦前はアメリカの主要工業はワシントンD.C.およびニューヨークを中心と
して東海岸に集中していた。しかし、1960年代にはそれは完全に逆転した。

53 :
190 :129:03/01/18 19:19 ID:???
 第一次ミッドウェイ海戦の大敗後、航空母艦2隻とともに多数のベテラ
ン搭乗員を失った日本帝国海軍は、登場から2年を経過した零戦にかわる
高性能戦闘機の確保が不可欠との認識をもった。
 しかし、一七試で発注されたばかりの次期艦戦は実用化にはあと2年以
上が必要で、登場してくるであろう米新鋭機への対応は無理との結論が出
た。
 海軍航空本部は一四試局戦を中止とし一七試艦戦の開発と、零戦の発動
機・防弾のステップアップに専念する一方、16年末に初飛行し陸軍がその
高性能をさんざん吹聴していた川崎キ−61(後の三式戦)に目を付け、海軍
艦上機向けの生産を「恥をしのんで」打診したと言う。
 陸軍はこの海軍の打診に対し、「武装他ギ装仕様ハ陸軍型ヲ基本トシ、
海軍独自ノ装備施セル場合ハ即ニ陸軍型ヘノ復旧可能ナル事」を条件に受
諾。発動機についてはキ−61の川崎ハ−40と同じくドイツ製DB601を祖と
し、艦上爆撃機に搭載予定の愛知「熱田」があった為これを採用、その関
係から機体の製造も当初愛知時計電気が担当する事になった。
 こうして川崎初の海軍機となる二式艦上戦闘機(AXS1)が誕生することに
なる。皮肉なのは本家陸軍の三式戦がハ−40の製造数確保をまってゆっく
りとすすめられたのに対し、二式艦戦は海軍の過剰な期待から昭和17年後
半には部隊配備が始められた。

54 :

191 :129:03/01/18 19:19 ID:???
 なれない液冷発動機の期待を相応に実戦投入した弊害は大きく、またい
かに降着性能が良いと言っても基本的に陸上機のため艦上運用での扱いは
お世辞にも良好とは言い難かった。
 しかし、扱いやすい零戦五四型(金星零戦)とのハイローミックスでその
弊害を補い、栄零戦の神通力が失われつつあった時期に登場して再度優位
を取り戻した功績は大きく、液冷発動機の生産の遅延から、途中から空冷
の「金星」発動機搭載機も採用した海軍の柔軟性も有り、戦勝への重要な
要因であった事は疑うべくもない。
 
 ただ1つ汚点があるとすれば、本命の一七試艦上戦闘機「烈風」が搭載
発動機が二転三転し、その他克服すべき問題を多々抱えたまま結局完成し
なかったことだ。帝国海軍は「つなぎ」のはずの二式艦戦と金星零戦にお
んぶにだっこの状態で、「薄氷の勝利」を得たのである。

55 :
330 :名無し三等兵:03/01/21 20:29 ID:???
2633年、ザ・ドリフターズ訪英
 皇紀2633年(西暦1973年)10月、当時帝国内で。社会風刺を主題とした曲
と、「8時だヨ!全員集合」などのコント番組で歴史的人気を呼んでいた、
「ザ・ドリフターズ」が突然の英国公演を決行した。
 世界中継技術が未だ未熟で、帝国と英国での24時間中継放送が無理だっ
た時代にもかかわらず、「8時だヨ!〜」の録画放送が英国でも社会現象
になる程の人気であり、英国当局はスコットランドヤード200名体制で対
応したが、ヒースロー空港到着時にはゲートが押し掛けた観衆の圧力で破
壊される等のハプニングはさけ得なかった。
 さらに特筆すべきは、荒井注が引退し志村けんと交代する半年前の公演
であり、氏にとっては最初で最後の海外公演となった事である。
 なお、前座は英国の代表的音楽バンド「ビートルズ」の演奏であった。
388 :名無し三等兵:03/01/23 09:48 ID:???
そういえばフロリダ返還の際の西米大統領ケネディって、大東亜戦争中は
魚雷艇乗りやって捕虜になってたんだね。そのせいで一族が東米にいる中、
一人西米に残されたらしいが。
親子で東西の大統領になるなんてのも珍しいもんだな。
「フロリダは祖国に復帰した。しかし東西統合が成しえるまで合衆国の戦後は終らない」だったか。
あの州まだ在米皇軍の大半が駐屯してるが。

56 :
389 :名無し三等兵:03/01/23 12:32 ID:???
>>388
 でも米国に復帰したからいいじゃねーか。
 カリフォルニアなんか未だに帝国領だぞ。石油出るから。
 ところで、この前米国で暴行を働いた、
 陛下の顔に泥を塗った在米陸戦隊のドキュソ軍曹はその後、どうなった?
431 :名無し三等兵:03/01/24 11:28 ID:???
富嶽っていったらまず沖縄の統合空軍博物館を忘れてないか?
羽田の航空記念博物館もすごいけど、軍用機じゃ沖縄が世界一。
まあ、確かにあそこじゃ八発の富嶽改の方が目立ってるけどさ。
(噴進式以前の飛行機としては世界最大なんだよな)
初めていったのはずいぶん前だったけど、あのときの感激は
忘れられない。大東亜戦争時代の飛行機狂としては九六艦戦〜旋風
までの海軍機とか九七戦〜七式戦までの陸軍機が各型ずらっと並んでいる
のも涙モノだっだけど、旧米軍のベアキャットとかXP−79、英軍の
シーフュリーとかホーネットみたいに、世界中でここにしかない機種を
ナマで見て思わず叫び声をあげちゃったよ。独軍機が好きなら北米で鹵獲
したタンク183とかハインケル343もある。
入場は無料だし館内の写真撮影も自由だ。内地からは少し遠いけど、
一度行ってみるのをおすすめする。

57 :
439 :名無し三等兵:03/01/24 13:53 ID:???
>433
そういえば、映画出演用に「飛燕」練戦型を改造したP−51もどきも
あそこが保有してたんだっけ。あー、タイトルどわすれした。円谷英二が
監督したやつ。
あと映画といえば、漫画映画の宮崎監督の出世作「未来少年冒険記」に
出てくる、悪役の巨人機のモデルはコンソリのB−36っていうペーパー
プランが元ネタだというのは航空機狂には有名な話。
そういえば、戦時中ボーイングって会社があったんだけど、四発重爆を
開発してたんだよ。B−17とB−29。どっちも試作機がぼろぼろ墜落して
開発が遅れて少数生産しかできなかったわけだけど。で、本国に残った
機体を空母「伊吹」で日本に運ぼうとしたそうだ。それがあいにく暴風に
出くわして、露天繋止してた大型機は海中投棄したとか。
クラークで廃棄された体当たり型はともかく、かつては航空大国だった
旧米国の大型機が一機も現存してないってのは、ちょっともったいない。
440 :名無し三等兵:03/01/24 14:34 ID:???
>>439
 B−17は結構つくられてたんだよ。
 欧州戦争介入の為に大半が使われたから日本人にはなじみが薄いけどな。
 でも、連合艦隊も結構アレに苦しめられたんだぜ。
 ただ、最後のバクチでB−29をボーイングで生産する為に、B−17
の生産ラインを東海岸のメーカーに移してたせいで、終戦直後に工場に残
っていた機体は根こそぎドイツが持って行っちまった。
 上野博物館に保存されている「Shoo Shoo Shoo Baby」はカリフォルニ
アで鹵獲去れた、対日戦参加き、それも凄く貴重なG型だ。
 飛行可能でコンフィデレート・エア・フォースの保有だったんだが、壊
れた発動機の代品がなくて、上野博物館に譲渡されたんだ。

58 :
441 :kopipe:03/01/24 14:35 ID:???
 西暦1945年8月3日、ウィスコンシン州のライスレイク飛行場から今までにない前翼型の機体が
右側に傾きながら上昇していきました。カーチス社と陸軍航空工廠のジャスティ・クレインフィールド
大尉が心血を注いで作り上げたアセンダーの初飛行です。
 西暦1944年5月陸軍は敵の長距離爆撃機に対する迎撃用として、XP−55の試作を
カーチス社に命じました。当時富嶽による空襲は激しさを増し、戦局の切迫などの理由から
カーチス社では試作機専門の第一設計課を新設し作業を進めました。
 XP−55は通常形式の飛行機を逆向きにした前翼型を取り入れ、機首部に小さい前翼が
あり、主翼は後部につき最後端にプロぺラがあります。胴体には装備器具が充実し、無駄な
空間もなく、機種にプロペラがないため武装を胴体中心付近に集中することで命中率を向上
させました。機体、発動機、武装のいずれも当時の最高水準のもので、高度8,700mで
最高速度628km/hという画期的な高速戦闘機の開発に成功しました。
 設計開始から1年、西暦1945年6月1号機が完成しました。テスト飛行は7月下旬に
行う予定でしたが滑走後、機首を上げた途端にプロペラを滑走路にこすって失敗しました。
8月3日、プロペラを交換し、垂直尾翼の下に補助車輪を付けたアセンダーは脚を出したまま、
水平飛行中に293.5Km/hの最高速度を記録し、初飛行に成功しました。その後8月6日、
8日とテスト飛行は行われ、合計45分間の飛行に成功しましたが15日に終戦を迎え、
その実力を発揮することはありませんでした。

59 :
442 :名無し三等兵:03/01/24 14:43 ID:???
>>439
「ミッドウェイ」だろ?
 大東亜戦争の帝国の運命を変えた「栄光の敗北」を描いたスペクタクル
だ。
 もしあそこで負けを認めていなかったら、陸海軍のいがみ合いは更に続
いて、支那戦線はさらに泥沼化し、帝国は敗北していたかも知れないって
言うからな。
 ただ、あの卑劣な待ち伏せ作戦を決定するのが、ホワイトハウスでも海
軍省でもなくてリンカーン像前ってのはいただけなかったな。
 円谷監督らしくないって一般評価だが、アレ、実は円谷監督の反対を押
し切って入れたシーンらしいぜ。
443 :☆☆:03/01/24 14:59 ID:???
鈴谷(SUZUYA)
最上型三番艦。昭和12年10月31日竣工。
大東亜戦争終結直前の悲劇的な最後まで数々のエピソードを残した
帝国海軍の重巡洋艦が鈴屋です。バタビア沖作戦、ミッドウェー海戦、
第二次珊瑚海海戦、中部太平洋海戦、カリフォルニア半島攻略戦など
数々の作戦に出撃しました。
そして1945年7月16日には、後にシカゴに投下される原子爆弾の重要部品を
富嶽爆撃機基地のあるシアトルまで輸送する極秘任務を帯びて真珠湾を出港。
任務を無事終えてサンフランシスコに向かう途中の7月30日深夜、
米国海軍のアーチャーフィッシュ潜水艦が放った魚雷2本により沈没、
乗員1199名のうち生存者はわずか316名でした。

60 :
445 :名無し三等兵:03/01/24 15:02 ID:???
 「アセンダー」伝説は一般にかなり知られているが、
 帝国海軍が似たような機体を計画していたのはあまり知られていない。
 J7W、一八試局地戦闘機「震電」。
 昭和17年、ニューギニア撤収戦で、米陸軍のB−17やB−24に悩ま
された帝国海軍は、対重爆専用の高々度高速戦闘機を計画した。
 スタイルはアセンダーを更に鋭利にしたような感じだが、発動機は空冷
を選択した。これが「震電」のアキレス腱となり、その後の運命を決して
しまう。
 昭和18年4月には試作1号機が完成すると言う速成開発ぶりだったが、
アセンダー同様プロペラのクリアランス不良等が発覚し、その改良に手が
かかってしまう。
 初飛行は昭和18年6月。水平飛行は難無くこなしたが、発動機の冷却不
足にくわえて、主脚格納機構の強度不足等が明らかになり、さらに改修に
時間を要する。
 その問題をあらかた片付けて、量産段階にまで進んだのは昭和19年2月。
しかし、その時には大東亜戦争の趨勢はほとんど決していた上、艦上「飛
燕」二二型丁(30mm機銃装備)や「鍾馗」二型乙(40mm機関砲装備)等、既存
機改修の対重爆機が充分以上の戦果を上げていた為、「震電」は量産され
る事無く計画中止となった。

61 :
483 :名無し三等兵:03/01/24 22:55 ID:???
ペンシルベニアが米海軍で最後まで残存していた唯一の戦艦であり、
英海軍のキングジョージ五世などといっしょに水爆実験の標的艦と
なったのはよく知られている。
しかし、戦後すぐ、自国の広大な農業地帯を自らの焦土作戦により
失った米国の、深刻な食糧難をしのぐ手段として捕鯨母船に使われた
ことはあまり知られていない。
もっとも大きすぎて使いにくかったらしく、短期間の使用で捕鯨母船
のノウハウが得られたのちに、造船所で建造途中で放棄されていた
クリーブランド級やアトランタ級の艦艇が捕鯨母船として完成してから
はほとんど運用されなくなった。
もともとエスキモーなどをのぞいて鯨肉を食べる習慣のなかった米国
では、これを機にふたたび大規模な捕鯨が行われるようになり、
19世紀に北太平洋の鯨を絶滅寸前においやったのに続いて南太平洋や
南氷洋の鯨にも危機的な状況をもたらした。このため、現在では東西米国
に対する商業捕鯨の割り当ては停止されている。
わが国では庶民の味である鯨肉であるが、米国ではエスキモーにのみ
認められた生存捕鯨で得られた鯨肉が、高級食材として高価で取引されて
いるという。
551 :名無し三等兵:03/01/25 19:40 ID:???
そういやスターリンって何時死んだんだっけ。
どうも虎戦車を主力とする機甲部隊がT34を粉砕してモスクワ
になだれ込んだあたりから記憶が曖昧で

62 :
552 :名無し三等兵:03/01/25 19:48 ID:???
スターリンはカフカス戦車戦において、スターリンを連れてシベリア方面に脱出中の
178狙撃兵師団がSS機甲師団に包囲され、SSの独立重戦車大隊のタイガーUに車輌ごと
踏み潰されたって聞いたけど
独軍の諜報能力には恐れいるぜ、完全に網張ってやがった
684 :別スレのコピペ:03/01/29 14:19 ID:???
皇紀2605(1945)、9月30日 某仕官の
我々は米国の復興状態を調査する為
サンフランシスコ近郊の農村部へ向かった。「この凄惨な破壊を我々がやってしまったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上官に憲兵隊に聞かれると咎められた。
完全に焦土と化した町、茫然自失の米国人達、そして
彼等は征服者である我々を怯えた表情で見詰めている。
和平達成だの、東亜新秩序だの、日本は神の国だので浮かれていた我々は改めて
米国の惨状を噛み締めていた。破壊された駅舎に群がっていた子供達は
我々を見るなり涙ながらに拙い日本語で、「ANPAN−KUDASAI!」と
その可愛い小さい手を差し伸べてきた、我々はこの時初めて米国人を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、全ては戦争が悪かったのだ。
我々は媚を売るヤンキーガールの肩に手を乗せて特殊小型自動車に乗り込み。
胸をワクワクさせながら、駐屯地へ帰ることにした。

63 :

685 :名無し三等兵:03/01/29 15:16 ID:???
皇紀2605(1945年)9月2日 
サンフランシスコ沖の大和型改戦艦『紀伊』の甲板上において降伏文書の調印が行われた。
アメリカ側は全権大使アイゼンハワー元陸軍大将、日本側は連合艦隊司令長官小澤治三郎元帥。
アイゼンハワーは緊張の余りに近くにいた兵士に水を求めるが「あなたは敗戦国の全権大使なのですよ」
と、流暢な英語で返された。彼は改めて戦争に負けたことを思い知らされた。
西海岸文庫 ジョージ・A・レイモンド〜敗戦と分裂 戦後アメリカ史(上) P349より抜粋

64 :
>日本が勝っていたらここを覗いてるヤツの殆どが
>小作人の倅で不作だったら娘を差し出さなければならなかったろ
つまりここの住人みなに嫁がいると?

65 :
>>64
嫁はいたろw 親が勝手に決めた嫁がw
小作人の倅だから先生に満蒙開拓団はどうだ?って勧められてるハズww

66 :
舞蹴弱損
馬楽小浜てーとこかな

67 :
各国概略史
各国概略史その1・アメリカ共和国連合(別名南部連合)
フロリダ・テキサス他旧米南部諸州により結成。
伝統的に保守の気質に富む彼らは東西対立に巻き込まれることを好まず、
冷戦時代からすでに独自の交流を続け、隠然たる勢力を築いていた。
(アメリカ問題は表面に出ていた東西対立だけでなく、隠れた南北対立も存在し、
 これが問題を複雑でややこしいものにしていた)
冷戦終結を機に独立・南部連合を結成する。
歴史的・地理的にメキシコやカリブ海諸国と関係が深く、今や彼らを巻き込み中米に一大勢力を築き上げている。
先の日墨貿易協定交渉決裂の陰にも、南部連合の影響力が強く関係しているとされる。
各国概略史その3・ペルー
南米大陸でも、ABC三国に次ぐ有力国。
かつて日本人移民を大量に受け入れた歴史をもち、そのため南米ではパナマ・ブラジルと並んで
日本が一定の影響力を発揮できる数少ない地域である。
(南米では他にアルゼンチン・ウルグアイが欧州連合の影響下にあり、
 その他諸国は明確に東西両陣営のどちらかに属しているとはいえない)
パナマの隣に潜在的敵国・コロンビア(パナマはコロンビアのもの、という気風が強い)を抱える日本にとっては
貴重な味方といえる。
先年は日系人大統領・フジモリが登場し、脚光を浴びた。
ちなみに南米諸国では先の五国以外は東西どちらにも属さないと記したが、
実際には東西両陣営が自方に取り込もうと冷戦時代激しい干渉を繰り広げた。
このため南米は中東と並ぶ不安定地域と化し、
これら諸国の民衆は東西双方に対して極めて強い、憎悪に近い反発を持つに至っている。
日独双方にとって手痛い外交政策の汚点となってしまったといえよう。

68 :
各国概略史その4・インドネシア連邦
大東亜戦争中、日本が占領した蘭印を独立させた。
このとき民族自決の精神に基づき、多数の独立国をゆるやかにまとめる形式を取ったのが成功し、
民意は極めて安定、日本の有力な同盟国に成長する。
ただし所属各国間に対立がないわけではなく、特に宗教上の問題は軽視できない程度には深刻である。
またこの対立につけこむ形で欧州連合の介入もあり(特にかつての宗主国オランダの影響力は無視できない)、
親日という立場は同じであるものの、その度合いにはかなりの差がある。

69 :
各国概略史その5・フィリピン共和国
大東亜戦争中、日本が占領したフィリピンを独立させたもの。
しかし戦前から独立を約束されていたところを戦乱に巻き込まれた形であり、
民衆にとってはありがた迷惑とでも形容できる独立劇となった。
そのため戦後も日本とはやや距離を置いた、中立国に近い付き合い方になっている。
また日本も周囲が完全に日本の勢力下にあるため、敵対しなければそれでよしとして、半ば放任したかたちとなっており、
アジア諸国の中ではかなり特異な立場にいる国である。
この立場にまず欧州連合が着目し、ついで日本も利用価値に気づく。
つまりフィリピンは日本勢力圏下にぽつんと浮かんだ中立地域のようなものであり、欧州におけるスイスの立場に期せずして立ったのである。
この結果、フィリピンはアジアにおける外交・諜報拠点となり、ますます不可侵の存在となった。
東西双方ともそういう利用法である以上、周辺で波風を立てるのは好ましくなく、
冷戦も中盤に入ると、政治的・外交的な一切の干渉が行われなくなった。
フィリピン自身も自らが置かれた立場を理解し、アジアにおける信用ある金融・情報拠点たるべく努力している。
将来的に「欧州のジュネーブ、亜細亜のマニラ」と並び称されることがフィリピン国民の宿望である。

70 :
各国概略史その6・パキスタン
世界大戦終結後、印度から分離独立。
伝統的に宗教上の問題で印度とは関係が悪く、結果として印度とつながっている日本とも仲が悪い。
その結果、欧州連合の介入を許し、南亜では屈指の反日国である。
隣国アフガニスタンとは宗主国に近い関係にあり、また欧州の指導で核兵器を開発・保有している。
近年ではこのアフガンとの関係が災いし、同時多発テロ後のアフガン攻撃に巻き込まれる形で
日欧双方から見捨てられる結果となるが、核兵器を保有していたことから直接攻撃だけはまぬがれた。
現在では未だ残されているアフガンへの影響力共々、亜細亜の危険国家に位置づけられている。
各国概略史その7・エチオピア
世界大戦勃発直前、イタリアによって征服される。
その後、民衆の独立運動が活発化するも、ドイツの援助によってことごとく鎮圧され、
最終的にはムッソリーニの死後、イタリアの保護国に近い扱いでようやく名目上の独立を認められる。
紅海の出口を扼すという地政学上の重要性から欧州連合のインド洋における重要な軍事拠点となっている。
各国概略史その8・マダガスカル共和国
旧・仏領マダガスカル。
世界大戦中に日本軍に占領され、戦後独立。
エチオピアの頭を抑えられる位置にあることから重要視され、日本の第8艦隊以下が駐留している。
南アフリカ共和国と並び、日欧の最前線とも言える場所。
それだけに欧州連合の妨害活動も激しいが、島国であることから容易には工作員の浸透を許さない。

71 :
各国概略史その9・自治領・南洋王国連合
旧日本委任統治領・南洋群島。
各国とも酋長を頂点とした王国形態をとっているが、経済規模が小さく、
また隣接諸島との交流以外は基本的に外交への関心もない。
日本の統治政策の成功を体現するかのように日本への帰属意識が高く(というか「面倒ごとは日本に任せたい」)、
結果、「自治領」というかたちで日本領土として残っている。
トラック諸島など、一部の島は日本が直接統治している。
各国概略史その10・中華人民共和国
中国の北方・黄河流域地帯を領有する、世界唯一の共産主義大国。
その実汪兆銘の北伐に圧迫され、極めて東西に細長い奇妙な国土形態となっている。
黄河流域を制しているため、農業生産力は高く、毛沢東の農民懐柔が成功していたからこそ
かろうじて北伐をこらえきったとも言える。
国家の上層部には、亡命してきた旧ソ連系の共産主義者が一定の勢力を保持しており、
中国系指導者との間で緊張を伴った連立政権となっている。
彼らがいたからこそ毛沢東は終生独裁体勢は確立できず、「文化大革命」構想を実行できなかったのは
一般民衆にとっては幸いなことであったろう。
中国国家社会主義者達の「長征(実態は国内の日和見主義者たちが北伐に恐れをなした逃亡劇)」
のどさくさにウィグル族居住地域を征服し、世界の大顰蹙を買った。
南北を日本の勢力圏に挟まれた中、東西対立の冷戦構造を利用して生き残ってきた。
一説にはパキスタンとも繋がっているとされ、何かとキナ臭い風聞の絶えない国である。

72 :
各国概略史その11・エジプト・スーダン連合王国
世界大戦中、ドイツ・アフリカ軍団及びイタリア軍により征服。
ムッソリーニは領有を望んだが、スエズ運河を領有する重要地域の民衆感情を逆なでしたくないヒトラーの意向から、
枢軸陣営に加わることを条件に、完全な独立が認められる(ただしリビアとの国境地帯数十キロを伊領に割譲)。
成立の経緯上、親独・反伊であり、ドイツにとって手綱の繰り方が難しいじゃじゃ馬ではある。
各国概略史その12・フィンランド
第1次世界大戦後、ロシアより独立。
第2次世界大戦勃発直後、ソ連の侵略を受け、国土の1割を喪失。
そのため、独ソ戦勃発後はドイツ側につく。
最終的に、コラ半島〜オネガ湖に至る広大な地域を獲得して白海に臨む、戦前に倍する国土を手にした。
当然ながら極めて親独の傾向が強いが、トウゴウビールに代表されるように親日の度合いがそれに負けず劣らず強く、
西側勢力圏の中ではトルコと並ぶ二大親日国である(他には東欧諸国の中に親日傾向の国がぽつぽつとあり、ドイツは舵取りに苦労している)。
現在では東側陣営のシリコンバレーと並び称されるほどの、半導体大国である。

73 :
各国概略史その13・中華民国
第2次世界大戦中発足した汪兆銘政権を源流とする大国。
以前は日本の有力な同盟国だったが、チベット侵攻事件(世界の非難を受け撤兵)を引き起こしたことで関係がぎくしゃくしている。
南に海南島の中華民国正統政府、北に中華人民共和国という2つの敵を抱えている他、
東からは朝鮮民族の蔑視を受け、西にはかつて侵攻したチベットと、正に四面楚歌の状況にある。
自身は中華思想を頑固に保持しており、最近の経済発展を背景に、東側陣営から離脱を図る動きがある。
もともと華僑という形で世界各国にネットワークを有しており、仮に陣営離脱が実現した場合、
日欧双方にとって強力なライバルになる可能性を秘めている。
各国概略史その14・チベット法国
法皇ダライ=ラマによって治められる敬虔な仏教国。
東西どちらにも属さない中立国であったが、戦後中華民国の侵略を受け、3年にわたる辛酸を舐める。
あまりに理不尽な侵略行為は欧州連合のみならず亜細亜諸国からも非難を受け、
何の成果も得られぬまま撤退したが、この間失われた人命は全人口の1割を超えたという。
中国軍撤退後、ダライ=ラマが国連総会で発したメッセージは世界史に残る名演説として語り継がれており、
後にノーベル平和賞が授与されている。
現在も中立を維持し、東西両陣営の緩衝国としての役割を果たしており、
東西両陣営から好意的な目で見られる数少ない国の一つである。

74 :
各国概略史その15・バングラデシュ
大戦後、東パキスタンとしてインドより分離独立。
本家パキスタン同様、やはりインドに肩入れする日本を快くは思っていなかった。
しかしより日本に近い位置にある飛び地、ということが東パキスタンの運命を変えた。
独立後しばらくして、本国との確執が増してきたのである。
本国の統治方針は武力による弾圧だった。
欧州連合の介入によって亜細亜屈指の反日勢力に変貌したパキスタンにとって、
東の飛び地を日本勢力から守るにはその道しかなかったのであるが、多くの歴史が証明するように、いつか破局を迎える道だった。
ロシアのアフガン侵攻によって本国の注意が西に向いたその時、ついにたがは外れた。
本国からの独立を求める民衆が蜂起したのである。
そして力無き民衆が頼れる相手は好むと好まざるに関わらず、日本だけだった。
同胞亜細亜の援助を受けた民衆は数年に及ぶ長く苦しい内戦の末、ついに独立を勝ち取る。
ベンガル人の国、バングラデシュの誕生だった。

75 :
各国概略史その15・バングラデシュ(続き)
なお、この東パ内戦はアフガンの地にも重大な影響をもたらさずにはおかなかった。
亜細亜反日の砦パキスタンを見捨てるわけにはいかず、欧州連合は膨大な援助をパキスタンに送った。
当然そのツケはアフガンにまわってくる。
当初の「クリスマスまでには戦闘終結」という楽観的な予測はものの見事に裏切られ、ゲリラとの神経をすり減らす長期戦に移行した。
東西2箇所で泥沼の消耗戦が始まったのである(ただし欧州連合が介入した結果、パキスタンにはお目付け役がついたことになり、
「核の暴発」という最悪の事態だけは抑制された)。
結局、アフガニスタンはロシア軍を追い払うことに成功した。
だがこれでめでたしめでたしとはいかないのが国際政治の複雑怪奇たる所以である。
パキスタンは東パに注力した結果、アフガンに直接介入はしなかった(当初計画では露・パ二国の共同作戦だったらしい)。
それ故アフガン民衆の反発を受けることもなく、ロシア軍撤退後の群雄割拠状態だったアフガンにおいて諸勢力の間を上手く取り持ち、
最終的に彼らの盟主のような立場に収まることに成功したのである。
言わばパキスタンは「バングラを捨ててアフガンを獲った」のであった。結果としてアフガンは西側勢力の傘下に収まったのである。
もっともこれが最悪の未来を呼び込むとは、当時誰にも予測できなかったのだが。
(言うまでも無く同時多発テロとアフガン攻撃に伴う世界からの孤立である)

76 :
各国概略史16(便乗版):ポーランド
第二次世界大戦勃発の引き金になった国。大戦前は反ソ反共という点から親日満国家だったことは有名。
39年9月、独ソ両国の侵攻を受け三分割される(西部の独領と中央の総督府管区、東部のソ領)。
総督府管区では独に直接併合された地域から追放された大量の人口が流入したため食糧・治安・衛生事情が悪化。
特に40年夏〜秋はゲーリング失脚時の混乱がしわ寄せとなって押し寄せ、破滅的な状況を呈する。
さらに41年4月のソ連による侵攻〜5月の独軍による反攻と、ポーランドは再び二大陸軍によって蹂躙される。
このため、旧ポーランドの社会基盤は一時期完全に崩壊し「ワルシャワには死人と『もうすぐ死人』しかいない」と言われた。
あまりの悲惨さにグデーリアンが「後方がこれでは対ソ逆侵攻は無理。せいぜいミンスクまで」と直言したほど。
さすがに焦ったヒトラーが妥協的政策の採用を認めたため、大戦後半には一定の復興が見られた。
なお、ポーランドに対する政策変更の余波は東方省や親衛隊にも及び、
結果として東方占領政策の初期案(マイヤー=ヘトリング案)の緩和にも繋がっている。
対ソ戦における東方領土からの協力は独軍の勝利に大きな寄与があった点からすれば、
ポーランドの犠牲は決して無駄ではなかったとも言えよう。
ただし、大戦後も総督府管区はその他東方領土と違って自治権を与えられることはなく、
ようやく第三帝国崩壊後に欧州連合帝国内の一国として認められた。
長年の被支配状態からの反動か、非常に民族主義的傾向が目立ち、時には歴史を捏造するほどである。
なお、政府は「歴史的ポーランド領の回復」を主張しており、隣国全てと国境問題で係争中。

77 :
各国概略史その17・インドシナ連邦
旧仏領インドシナ。
戦後独立の際、旧領回復を図るタイによって武力侵攻を受ける。
後日本の仲介によってタイ軍は撤兵、国境地帯50kmの割譲で決着。
もともとベトナム・カンボジア・ラオスの三国による連邦形態をとっていたが、
しばらく後破綻、それぞれが独自路線を歩むことになる。
特にカンボジアは一時的に西側の干渉が成功し、ポル・ポト政権が成立。
民衆に辛酸を舐めさせる。
独立初期の混乱時、ベトナムは中華民国の侵攻を受け、これを撃退した経験を持つ。
(中国は治安維持のための進駐と強弁)
このときはタイも侵攻したことで日本が本格的な仲介に乗り出したため、小競り合い程度で終結したが、
この後しばらくして中国はチベット侵攻を引き起こし、亜細亜諸国との間に決定的な亀裂を生むのである。

78 :
各国概略史その18・クウェート
中東諸国の中でも数少ない親日国。
その理由は世界地図を広げればよくわかる。
パキスタンとエチオピアを抑えた欧州連合は、中東地域を完全に取り込んでしまっているのである。
中東は欧州の介入易く、日本の介入難い地域だったのだ。
そんな中、日本はせめてイギリスの旧支配地域を固めに乗り出し、その数少ない成功例の一つがクウェート、ということであった。
こうして一旦は過半がドイツのものとなった中東であったが、イスラエルの存在が全てをブチ壊した。
中東戦争は、日独どちらの陣営に属する国をも巻き込んだ。
世界的レベルで見れば、イスラエルは日独双方に承認された国である。
アラブ世界にとってはイスラエルを潰すことが正義であるのだが、
その他大勢の世界にとっては、イスラエルは存続させることが正義なのである。
結果、双方とも、影響下の国の手綱の引き絞りに懸命になった。
そしてその結果は致命的なものとなる。
大国のエゴを目の当たりにしたアラブの諸民族は第三の道を歩むことを決したのであった。
すなわち西亜連邦の成立である。
日独は名にこだわった結果、実を失ってしまったのだった。
その後、イスラエルは東西双方に張り巡らせたユダヤ・ネットワークを駆使して独自の武力を構築し、西亜連邦に対抗し続けている。
(どちらかと言えば、自らを追い出したドイツよりは日本に好意を寄せている)

79 :
各国概略史その18・クウェート(続き)
ちなみに西亜連邦のその後であるが、もともと反イスラエルという一点でのみ利害が一致するだけで、
シーア派とスンニ派の対立をはじめとする数々の矛盾を抱えており、中東戦争が一段落すると
(イスラエルや日独の活動により、有力参戦国の一部が「降りた」)、潜在していた対立が表面化した。
中東戦争の最中に採った石油戦略の有効性の体験から、連邦解体にまでは至っていないが、足並みはすでにバラバラである。
この過程でクウェートも再び親日の立場に舞い戻ってきたのだった。
先年、イラクにより武力占領を受け、これが湾岸戦争、さらには大西亜戦争の引き金となる。

80 :
各国概略史その19・コロンビア
もともとは南米の有力国。
パナマを抑えている日本への対抗上、まずドイツが介入、対抗して日本も軍事介入し、泥沼の内戦を引き起こす。
最盛期には両軍合わせて50万を超える大兵力が展開した(空・海軍含む)。
結局あまりの戦費に両国とも音を上げ、申し合わせて撤兵。コロンビアは完全な無政府状態に陥る。
大国のエゴが一国を潰してしまった好例である。
現在では何とか政府の形態を維持できる程度まで復興、
しかし両国への不信は根強く残っており、特に旧領パナマを抑えている日本への敵愾心は強い。
ちなみに日独両国はコロンビア戦役を教訓に、南米に大兵力を展開することは避け、
以後もっぱら政治・外交的な干渉により自陣営への取り込みを図るようになる
(連隊レベルの軍事介入はアリ。師団規模を派遣しないことがコロンビア戦役後の日独暗黙の了解になっている)。
しかしこれは対象国への抑えが効かないことをも意味し、南米諸国は対抗陣営のわずかな介入で簡単にその旗の色を変えるほどに支配力が弱まってしまう。
しかも旗の色を変える度に国内対立陣営の粛清や圧政が敷かれるため(内戦の勃発も珍しくない)、各国とも恐ろしく不安定な政治体制になってしまった。
もちろん一番犠牲になるのは民衆であり、今や南米の大部分の民衆は日独両国に対して、極めて強い敵愾心を持つに至ってしまっている。
2003年現在すでに日独の干渉は止んでいるにも関わらず、未だに各国の政権転覆が日常茶飯事と化しているのだからそれも当然とは言えよう。
数少ない例外が、比較的早期に足場を固め、対抗陣営の介入を許さない程に安定したペルーやアルゼンチンなどである。

81 :
各国概説史(便乗版):20 ノルウェー(=諾威)
いわゆる成り行き枢軸国。
40年4月、英仏は瑞典からの鉄鉱石供給遮断を目的としてナルヴィクに上陸。
驚くべき偶然だが独側でも諾威侵攻が計画されており、まさに出港直前のことであった。
思わぬ事態にヒトラーは一時作戦中止を考えたらしいが、
ヨードルの「あるものを諦めるのはそれが実際に失われてからにすべき」との進言に作戦は強行される。
結果としてこれが吉となった。諾威が英仏に対し徹底抗戦の構えを見せていたからである。
独軍は「英仏からの保護」を建前に迅速かつ無傷でオスロを早期に制圧することに成功、王室と政府を押えた。
南部の独諾と北部の英仏が睨み合う形になるも5月に西方攻勢が始まると英仏軍は撤退。
独は棚ボタ式に諾威全土を手に入れることに成功する。
諾威側の本音としては「独の保護なんて願い下げ」であったろうが、小国の悲しさと言えよう。
以後、諾威は正式に独との条約に調印(40年11月)、枢軸国となる。
大戦中はその船舶保有量を活かして欧州の海運に大きな貢献を果たした他、対ソ戦にも参加している。
大戦後も欧州の海運大国としての地位は揺らぐことはなかったが、
やはり時折本音が噴出するのか王室関係者に反独発言が見られたこともある。
第三帝国崩壊後は欧州連合帝国において一定の地位を占めているが、
北欧四国同盟を独自に構想しているという噂もあって対独関係は微妙な状況。
なお、日本とは捕鯨同盟国(w

82 :
各国概略史その21・インド
戦前は大英帝国最大にして最重要の植民地だったが、日本の手で独立。
この際、宗教への無理解などの諸問題が積み重なり、パキスタンを強烈な反日国として分離・成立させてしまうという大失敗を犯す。
この失敗は後々まで尾を引き、もともと反日傾向の強かったパキスタンは欧州連合の介入によって
文字通りの亜細亜反日の砦となってしまう。
このためインドは東西陣営の境界線に立つこととなる。
しかも国の東西を敵国に挟まれているようなもので、結果どうしても軍事力に傾注せざるを得なくなった。
インドの経済発展の遅れは亜細亜諸国の中でもかなり目立つ方なのだが、その理由の大半はパキスタンの存在に求められる。
先年、ロシアによるアフガン侵攻までに、印パ両国は少なからぬ回数の戦闘、
いくつかは「戦争」の名が冠せられるほどの大規模な衝突を繰り返す犬猿の仲であった。
だがアフガン侵攻に連動した形で東パキスタンの独立闘争が勃発し、バングラデシュが成立。
これでインドは二面作戦の心配がなくなり、軍事バランスは一気にインド側に傾く。
これでようやく息をついたインドは国内発展に目を向ける余裕ができ、
もともと中国に匹敵する大人口を生かした人材立国を目指して世界各国に留学生を派遣している。
なお、パキスタンが核配備国であるため、当然ながらインドも戦略原潜4隻を主体とした有力な核戦力を保有しているが、
前述したように国力にはまだ余裕がないため、かなり無理な運用をしているようである。

83 :
各国概略史(便乗の便乗)その22・スペイン
フランコ政権は第二次世界大戦末期まで内戦による疲弊を理由に中立を保っていた
(ただし東部戦線へ数万人の義勇軍を派遣)が、1945年2月、領内通過した独軍と共に
ジブラルタルへ侵攻、ほぼ無血でこれを占領した。以後ジブラルタルはスペイン領となり、
ドイツ海軍の基地が置かれる。
戦後はドイツの同盟国としてある程度の経済発展を果たすが、旧フランス領アフリカの植民地経営には
失敗しイタリアと共にドイツの足を引っ張る結果になった。
1975年11月、フランコ総統の死去にともなって旧王朝の血を引くファン・カルロス王子が即位する。
彼は凡庸な人物と思われていたが、玉座につくと短期間で旧体制の幹部を排除して民主化を進め、
ドイツに対しても軍の駐留こそ従来通り認めたものの、政治的には一歩引いた関係をとる事に成功した。
現在は欧州連合帝国の中でも有力国の一つ。

84 :
各国概略史(便乗版):23 デンマーク(=丁抹)
独軍の諾威進駐に際してついでに占領された。通り道だったので(w
しかし、40年夏以降は独本国の食糧事情を支える重要な供給国となる。
穀物・動物性油脂・肉類の供給に関し、丁抹の対独輸出量はソ連(占領後オストラント)・
仏蘭西に次ぐ第三位の地位を占めており(事実)、当然ながらこれは中欧諸国よりも上位である。
総力戦における丁抹の貢献は地味ながら大きいものがあると言えよう。
外交面ではグリーンランドおよびアイスランド問題が大戦中のトピックである。
本国占領後、駐米公使が独断でグリーンランドを米の保護下に置くことを申し入れたが、
ちょうど布哇事変で対日関係が悪化していた米側は大いに色気を示しつつも結局断念。
逆に独英両国がグリーンランド・アイスランドの重要性に着目する一端となった。
40年5月、英軍はアイスランドを占領。41年7月以降は米軍が占領を引き継ぎ、
44年2月の枢軸軍上陸まで北大西洋の重要拠点として確保し続けた。
なお、アイスランドは枢軸軍上陸後の44年7月に丁抹との同君連合を解消し独立を宣言。
グリーンランドも大戦後にドイツへと割譲された。
現在の丁抹は欧州連合帝国の内部においてやはり牧畜大国としての地位を占めつづけている。
諾威王家とは非常に近い間柄(大戦中の両国王は兄弟だった)であるが、
諾威が主張する北欧四国同盟にはは消極的。大戦中の占領政策が比較的寛容なものであり、
現在も対独輸出が経済を支えている同国にとっては独自路線がさほど魅力的でないのかもしれない。

85 :
各国概略史(便乗版):24 仏蘭西(=フランス)
WW1で国内に大きな被害を受けたことは仏に宥和外交と防御戦略という道を選択させたが、
その結末はWW2での敗北と占領、そして昨日までの同盟国による仏艦隊攻撃であった。
このため仏国内では極端な反動現象が生じ、独軍崇拝と反英反共を唱える一派が主導権を掌握する。
ヴィシー政府による積極的対独協力路線(コルポラシスム)は独にとって大きな意味があった。
政治的には中南欧諸国をなびかせる一助となり、経済的には資源・労働力の大きな供給源となり、
軍事的には占領負担の軽減や反共義勇軍の派遣へと繋がったからである。
一般的には経済・軍事面での意味合いが強調されるが、政治面でも西班牙(=スペイン)・
埃及(=エジプト)や中近東諸国と独との秘密交渉において一定のパイプ役を果たしているほか、
帝国との関連でも仏印交渉の早期妥結によって植民地解放への理解を示した点が評価される
(その一方で阿弗利加植民地への対応との温度差を指摘する声も大きい)。
ただ、これらの協力が戦後に北阿での伊との軋轢を生み、独が調停に悩むこととなった面もあるほか、
独ソ開戦後は共産主義者を中心とする反独テロが頻発するなど、決して問題がなかったわけではない。
エルザス・ロートリンゲンやコルシカ・チュニジアなどの帰属をめぐる独仏伊三国の対立、
倫敦のいわゆる自由仏蘭西政府などの問題があるが、
現代にまで尾を引いている問題と言えば「ケベック工作疑惑」である。
45年8月のケベック独立に際し、仏はその前段階でどこまで関わっていたのか。
ウィルソン・ゴールドが実は仏蘭西人だとする説は正しいのか。
その全貌はいまだ明らかになっていない。

86 :
各国概略史(便乗版):25 ユーゴスラビヤ
41年3月、摂政パヴレ公の政府は独との同盟を決断した。
これに対して空軍の一部には反独親英クーデターを目指す動きがあったものの、
予想される独伊の軍事介入に対抗することは不可能と判断し断念
(対希戦を中止した大量の伊軍が国境沿いに集結していた)、同盟は成立する。
しかし、直後の独ソ開戦に呼応する形で共産党の蜂起が各地で頻発。
ユーゴ軍はこれの鎮圧にかかりきりとなり、独伊がユーゴに期待した兵力の提供どころか、
逆に41年夏から秋にかけての大事な反攻時期に独伊軍をユーゴ国内に投入する羽目となる。
このため、独伊両国では「ユーゴお荷物論」が台頭、
特に伊はユーゴに対する領土的野心からその分割占領を熱心に独へと働きかける。
当初は兵力的に難色を示していた独も42年秋には中東作戦に一定の見極めがついたことから賛同に転じ、
43年1月20日、独伊両国によるユーゴ分割占領が行われた。
占領後のユーゴはクロアチアとセルビアの両王国がそれぞれに独立
(クロアチア王は伊王家より迎えられた)、その他国境地域は周辺諸国によって分割された。
しかし共産党の横行は収まらず、その完全な鎮圧は50年代に入ってからのことであった。
現在もなおセルビアには「ユーゴ復活」を唱える勢力が存在する他、
第三帝国という重石を失ったことによる国境紛争が頻発している。
21世紀になってなおバルカン半島が「欧州の火薬庫」たる所以である。

87 :
各国概略史(便乗版):26 希臘(=ギリシャ)
1939年4月の伊によるアルバニヤ併合は、それまで比較的親独伊的だった希の外交路線を転換させ、
伊希関係を緊張させた。
さらに伊側の「帝国復興」という野心がこれを助長し、40年夏には対希戦が噂に上るようになる。
希側ではこれを回避するため独英どちらに接近するかで路線対立があったが、
ダンケルクとメルス・エル・ケヴィルが対英不安と不信をもたらしたこと、
王家が独の出身で首相は第一次大戦で投獄までされた親独派であったことの二点が対独接近を決意させた。
独ソ関係の悪化に伴いバルカンの静謐を確保したい独も希側の接触を歓迎し、伊の説得を約束。
40年8〜9月にかけて独外交は日独伊満四国同盟と並行してバルカン問題に重点を置くことになる。
最終的に独伊バルカン交渉は「勝利の目途がつくまで諸問題を棚上げ」で妥協。
希は首の皮一枚で生き残ることができたかに見えた。
しかし、42年末になって東部・中東の両戦線が安定すると伊はバルカン問題を再度持ち出し。
バクー油田の確保によってバルカンに以前ほど神経を使わなくなったヒトラーの態度もあり、
43年に入るとまずユーゴスラビヤが分割される。

88 :
各国概略史(便乗版):25 ユーゴスラビヤ(続き)
そして43年4月に伊は希への事実上の属国化を要求。
国王が瑞西に亡命し政府も抵抗は不可能として要求を受諾する中、アテネでは市民が蜂起。
臨時政府を組織して伊軍の侵攻に対し一ヶ月以上も抵抗したが5月には鎮圧された。
以後、希は伊との同君連合という形で事実上の伊領となり、伊での王制崩壊後もなお衛星国扱いであった。
完全な独立の達成は第三帝国崩壊に連動する形でいわゆる「ローマ連合」が解消された後のことである。
現在の希は親英反伊(必ずしも反独ではないが)路線を指向しており、欧州連合帝国には参加していない。
ちなみに「親英路線を選択した希臘が侵攻する伊軍を撃退し、アルバニヤまで反撃する」という内容の仮想戦記小説がブームだという話。

89 :
各国概略史その27・ラオス王国
仏領インドシナよりインドシナ連邦の一国として独立。
その後しばらくは決して豊かとは言えないものの安定した小国として過ごしてきたが、
1960年代末〜70年代のインドシナ動乱と無縁ではいられなかった。
1970年のカンボジア・ポル=ポト政権樹立の影響はこの地域に激震を走らせる。
ポル=ポト政権の背後に西側陣営(特にフランス)の影があるのは自明だったが、
ポル=ポト自身は思想的には毛沢東の信奉者であった。
その結果・有識者層の大粛清が行われ(ポル=ポトは「農民さえいればいい」とまで考えていた節がある)、
最終的にカンボジア国民の4人に1人が政権下で虐殺されたと言われる。
一方で国粋主義を掲げるポル=ポトは、ベトナム・ラオス、そしてタイとの国境紛争を頻発させることとなった。
こんな無茶な政策がいつまでもまかり通るはずもなく、カンボジアの国力は坂道を転げ落ちるように衰退していった。
話をラオスに戻すが、この国境紛争に忙殺されるうち、致命的な介入を許してしまう。
なんと共産系クーデターが成功し、中華人民共和国に次いで二国目の共産主義国になってしまったのである。
(正確にはラオス南部が共産系国家として分離独立。
 カンボジアの侵攻に苦りきっていた南部住民はしぶしぶながらこれを受け入れ、
 南ラオスとカンボジアの同盟関係が成立してしまった)

90 :
各国概略史その27・ラオス王国(続き)
これがインドシナ動乱・第二幕の始まりだった。
隣国の赤化を防止するとの名目で、中華民国がラオスへの軍事介入に踏み切ったのである。
そして、一応は同じ陣営に属しつつも、中華民国を全く信用していないベトナムがこれに続いた。
本来、中越二国の軍事力ならカンボジア・南ラオスを撃破するなど容易だったはずなのだが、両国が牽制し合った結果、動乱は長引いた。
何しろ味方射ちが発生した、しないでもめた挙句、中国軍が懲罰行動と称して北越への侵攻まで行う始末であった。
それに乗じたカンボジア・南ラオス軍の反撃、それを受けてしぶしぶ停戦した中越両軍による再反撃の繰り返しである。
東亜の盟主たる日本が本格的な介入に踏み切れなかったことが動乱に拍車をかけた。
この時期日本は海南島や朝鮮にも火種を抱え、かつまたコロンビア戦争からドイツと申し合わせて手を退いたばかりであり、
あからさまな介入は西側陣営を刺激しすぎると判断されたのである。
やっかいなことに西側陣営はすでに仏印から手を退いており(ポル=ポトの過激な政権運営に仏は早々と匙を投げていた)、本格介入の名目も立たなかった。
すでに中越両国が介入しており、さらなる介入は「やり過ぎ」になる、ということである。
結果、日本は中・越、さらに北ラオスやタイ、カンボジアや南ラオスまで含めた外交活動に終始することになるが、
ここまでややこしくなった情勢が簡単にまとまるはずもなかった。

91 :
各国概略史その27・ラオス王国(さらに続き)
長きにわたったインドシナの動乱が終結したとき、この地域はもはや疲弊しきっていた。
東亜の盟主として日本は、仏印の復興に力を尽くす義務があったが、
それは他の地域に目を向ける余裕がなくなる、ということでもあった。
そしてドイツ以下西側陣営は極初期を除いてほとんどこの動乱に関与しておらず、力を蓄えていた。
そして、あのアフガン侵攻が勃発する。
さらに大西亜戦争の遠因ともなったイラン革命とイ・イ戦争にまでつながっていくのである。
閑話休題。
現在のラオスであるが、南北は再統一され、国家の再建に励んでいる。
しかし動乱の傷は深く、国内総生産は1970年当時の103%に留まっているばかりか
(2004年に至ってなお30年以上昔とほとんど生活水準が変わっていないということである)、
中越両国の駐留軍が現在も牽制し合いつつ対峙するという非常にややこしいことになっていたりする。
国王が動乱を生き延びたからこそ、そのカリスマでかろうじて国内がまとまっているというのが厳しい現状である。

92 :
各国概略史その28・イラン
大戦中ドイツの侵攻を受け、そのままドイツ第三帝国の影響下で独立。
以後ドイツの忠実な走狗と成り果てる(少なくとも政権上層部は)。
しばらくはそのまま比較的安定した政権の下にあったが、アフガン侵攻がとんだとばっちりをこの国にもたらした。
アフガン侵攻に呼応し、東パキスタン(後のバングラデシュ)が独立闘争を開始したのであるが、
はっきりいって当時の西側陣営は、インドシナ動乱の後始末に追われ、
アフガンだの東パキスタンだのに手を貸す余裕はなきに等しかった。
それでも東パキスタンには南亜細亜諸国を中心とした義勇軍が介入していたが、アフガンまではとても手が回らない。
そこで西側、正確には日本が打った起死回生の一手が、あのイラン革命だった。
イランのホメイニ師を援助し、クーデターを起こさせたのである。
ホメイニ師は強烈な民族主義者でもあり、日本になびく心算など一片たりとも持ち合わせていなかったが、日本としてはそれで一向に構わなかった。
とにかく、ドイツの手からイランが離れることが重要だったのである。
もともと民衆レベルでは「第三帝国の支配」に対する不満はかなり高く、クーデター成功の下地は十分に整っていた(政府上層部の腐敗ぶりがそれに拍車をかけた)。
結果、実にあっさりと、革命は成功した。
東側陣営はポル=ポトによってインドシナでやられたことを、ホメイニによってイランでやり返したわけである。

93 :
各国概略史その28・イラン(続き)
だが、これに危機感を抱いたのが隣国イラクであった。
イラクは西亜連邦の一国ではあったが、ドイツの友好国としての姿勢を失っていない希少な国だった。
(日本にとってはクウェート・サウジアラビア、さらにイスラエルが「やや日本寄り」という程度で、
 明確な友好国はこの時点で中東に存在しなかった)
さらにイラン・イラクは同じイスラム教国でありながら、その実宗派が異なる。
ドイツの友好国としての側面を併せ持っていたイラクは中東では一、二を争う軍事大国でもあり、
イランを西側陣営に取り戻すべく、軍事介入に踏み切った。
一方、イランもまたクーデター前は西側陣営から大量の兵器を購入しており、こちらも決して弱国ではなかった。
さらには両国とも石油大国であり、兵器購入の資金には困らなかった。
イラクの行動は西亜連邦としてのものではないため、完全に一対一の戦いとなったイ・イ戦争は、
力の均衡した国同士の戦いであるがため、凄惨なものとなる。
ちなみに戦争終結後、疲弊した国力を立て直すべくフセイン大統領が目をつけたのがあのクウェートであり、
これが今度は湾岸戦争、さらには大西亜戦争に繋がっていくのである。

94 :
各国概略史その26補講「イタリヤ動乱とローマ連合」
第二次大戦後、伊はその戦い振りには不相応な領土を獲得した。
仏伊国境地帯・コルシカ島・チュニジヤ・マルタ島・キプロス島・ダルマチヤ・モンテネグロ・
希臘(エーゲ海の一部の島は土耳古領、トラキヤ地方は勃牙利領)・リビヤと埃及の国境地帯・
埃及とのスーダンの共同統治権・ソマリヤ・ジブチなどである。
ヴィットリオ・エマヌエーレ三世の称号は
「イタリヤ・ギリシャ・アルバニヤおよびモンテネグロの国王にして大エチオピヤの皇帝、スーダンの共同統治者、地中海と紅海の守護者」
というエライ長いものになった(w
しかし国内王党派とファシスト党の競合がこれで解消されるわけでもなく、逆に植民地経営は弱体な伊経済の足を引っ張る。
国内矛盾は遂に56年のイタリヤ動乱となって爆発した。
発端はヒトラー批判に反応しての大衆暴動である。
これにファシスト大評議会でのムソリーニ批判決議の可決が続き、30年以上に渡るムソリーニ支配は遂に終焉を迎えた。
最後に伊軍内部の王党派が暴動鎮圧のためと称して戒厳令を発しファシスト党首脳部を一斉に逮捕、党の解散と国王親政を宣言する。

95 :
各国概略史その26補講「イタリヤ動乱とローマ連合」 (続き)
だが「独は政治路線変更に伴う混乱で介入できない」とする王党派の判断は甘かった。
隣国、それも(一応は)第一の同盟国である伊の自由化など、第三帝国が見過ごす筈はなく、
逆に対外危機が独の国内諸派を一時的団結に至らせてしまったのである。即時介入を行った独軍に対し伊軍はあっさりと潰走、
国王は葡萄牙(=ポルトガル)、後に伯剌西爾(=ブラジル)に亡命した。
独軍司令官をして「イタリヤでは軍人よりも女学生の方が勇敢に抵抗した」と言わしめたことは有名である。
動乱後、ムソリーニは復帰を拒んで引退。ボッターイを首班とする暫定政府が王制の廃止とイタリヤ・ファシスト共和国を宣言した。
ローマ連合とは共和制に伴う植民地の処遇(求心力としての君主不在)に苦慮した伊の妥協の産物である。
名目上の独立と引き換えに伊本国との政治的・経済的紐帯を維持させることを目的とした国際共同体なのであるが、
なんともイタリヤ的なことに結局は伊本国が参加諸国の問題に対処できず、一部の国を除いては有名無実化した存在であった。
結局、欧州連合帝国の成立に伴う形で解消されている。
「我らの海」と「新ローマ帝国」は実質1943〜56年あたりの10年ほどしか実現しなかったのであった。

96 :
各国概略史その29・リベリア共和国
名目は東西いずれにも属さないアフリカの一小国・リベリア共和国。
その実世界でも一、二を争う大海運国である。
東西世界が対立してはいても、各々必要とする民需はある。
例えば西側世界のワインや東側世界の香辛料などであるが、これらの品々を対立世界の船舶が運ぶのは何かと憚られる。
(特にパナマ・スエズの両運河の通航は問題になった)
そこで目がつけられたのがリベリア、というわけであった。
リベリアにはドイツやノルウェーをはじめとした、欧州各国で建造された大量の船舶が在籍している。
欧州発の貿易品はこのリベリアに一旦集積された後、パナマを通って東側世界に運ばれていったというわけである。
1970年代以降、欧州発・パナマを通航した船舶の7割以上はリベリア船籍だった。

97 :
各国概略史その30・アフガニスタン
東側世界にもリベリア共和国と同様の役割を負った国があった。それがアフガニスタンとセイロンである。
三方を西側勢力に囲まれながらもなんとか中立を保っていたのには、こういう理由があった。
西側世界にしてもセイロン・アフガンを経由し、スエズを通って流入する東側の商品は大きな魅力であったということである。
では何故アフガン侵攻が起きたのか?
まず明確に東側世界に属する国ではなかったため、侵攻の名目が立ちやすかったこと。
西側の中継国がリベリア一国であったのに対し東側は他にセイロンがあり、アフガンが失われても東側製品獲得の手段はあったこと。
特にアフガンでは宗教・部族対立が激化しつつあり(特に港のある沿岸部と内陸部の格差に起因する問題が深刻だった)、
アフガン経由の品は減少しつつあったことも大きい。
何よりも大きな理由はロシアがアフガンの富を欲したことであった。
対立が激しくなりつつある諸部族を抑え、この地域を安定させて以後引き続き貿易中継拠点の役割を果たし続ければ
東側も大きな文句は言うまい、いや属する旗が少々変わっても地域安定による利のほうが大きかろうとの判断も働いていた。
それが大きな認識の誤りであったことは歴史が示すとおりである。
確かに明確に東側所属を宣した国ではなかったが、だからといって簡単に見捨てるという道を日本が取ることもなかった。
東側所属の国ではなかったため(加えてインドシナ動乱の後始末や東パキスタン支援で手が回らなかったため)直接的な支援策は取れなかったが、
その代わりに日本が打った強烈な一手が、イラン革命だった。
ただでさえ東パキスタンの独立闘争で共同作戦を取る予定だったパキスタン本国が脱落したところにこの一手の影響は大きすぎた。
裏から密かにロシアにまわるはずだった西側各国の支援物資はイラン国内の旧勢力と隣国イラクに回されることになり、
(日本が直接支援できなかったのと同様、西側も明白に東側に属さないアフガンに連合軍を派遣するわけにはいかなかった。
 あくまでもロシアの独断+地域の混乱をのぞまないパキスタンの介入&仲介という形が望ましかったのである)
ロシアは完全に独力でアフガンを制圧しなければならなくなったのである。

98 :
各国概略史その30・アフガニスタン(続き)
結果、アフガン戦争は長期化し、最終的にロシアは撤退を余儀なくされる。
その後のアフガニスタンではロシアを押し返したことで埋もれていた各部族の対立が表面化し、泥沼の内戦に突入していく。
結局日本は貿易中継拠点としてのアフガンは見捨て、以後セイロンに機能の集中を図ることになる。
もっともその動きが本格化した頃には、冷戦の終結が見え始めていたが。
最終的にこの地を制したのは諸部族間をうまく取り持ち、巧みに日本やロシアの勢力を排除して
彼らの盟主ともいうべき立場に立ったパキスタンである。
しかしもはや貿易拠点としての旨みは消えうせ、残されたのは荒廃した大地のみという惨状であった。
20世紀末、この地に潜むテロ勢力が起こした同時多発テロは世界史に記録されるべき大事件として今も人々の記憶に新しい。

99 :
各国概略史(番外の1)
日清戦争のあと、国号を大韓、国王を皇帝と改め、甲申政変の中心人物だった
金玉均を、日清戦争後に首相に据えて大韓帝国が成立したわけだが、両班層を
中心とする守旧派の反発は根強かった。
そのため日露戦争を経て明治43年の日韓協約で二重帝国化したあと、
一般市民の多くはインフラの整備や生活水準の向上をよろこんで受け入れた
けれど、地理的に日本から離れた半島北部を中心に反日勢力は残った。
満州事変のおりには、在満米軍が反日派の手引きで半島北部を制圧。
昭和11年から17年まで、ほぼ6年間にわたって反政府勢力を育成して、
そのあとゲリラ化のお手本にまでなってしまった。
昭和46年に名実ともに独立したあと、調子にのって平壌蜂起をやらかした
ために徹底的に弾圧されて静かになったけど、いまでもときどき橋が落ちたり
地下鉄火災と大事故が多いのは、反政府ゲリラ残党のせいという噂も。
大韓帝国は当初から日本に習った政体をとっていて「君臨すれど統治せず」
という象徴としての皇帝を名目上の元首としていただく議会制民主主義を
とっている。首相は直接選挙というのも日本と同じ。

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