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【bayfm78】ビートルズから始まる 7【小林克也】


1 :11/10/31 〜 最終レス :12/06/30
※前スレは512kを越えたので終了しました。
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組
番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)
前スレ
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/beatles/kako/1268/12685/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/

2 :
10月23日放送分のエンディングは省略します。

3 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年10月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 10月30日)
 ・1962年(今から49年前の今日)
  まだビートルズは世界的に有名になっていません。
  ビートルズはこの日の朝、ハンブルグへと飛び立ちます。
  そうです、ビートルズはハンブルグでけっこう勉強するんですよね。修行するんですよね。
  ハンブルグでのライブていうのは、ビートルズにとって、とてもプラスになるわけですが。
  最初にハンブルグに行った時は、ワーゲンのバンに乗って船で渡りました。
  でも、だんだん条件が良くなって飛行機で行くわけですが。
  しかし、この時の49年前の今日というと、ビートルズはもうメジャーデビューを果たしていました。
  でも、なんでビートルズがわざわざハンブルグ巡業をするのか、という疑問があるわけですね。
  二つ理由があって、二つ説があるんですが。それがですね、デビュー前からハンブルグの仕事が決まっていた、決まっていたほど人気者だったから。
  それから、もう一つの説は、パーロフォンレコードからの印税は雀の涙ほどだったために、ツアーで食いつなぐしかなかった、という説で。
  実はこれはですね、両方とも正しいんですよ。
  メジャーデビューしていたけど、このころビートルズはレコードで稼いでレコードで食えるなんて夢にも思ってなかったんですよね。
  レコードで有名になって、そしてライブで金を稼ぐ、そういう時代です。
  今みたいに、今はどうでなんでしょう、だんだんライブで稼がなきゃだめな時代になっているんですけど。
  100万枚も200万枚も売ってですね、何億円も入るような時代じゃなかったんですよ。
  実は4回目となるこのハンブルグ巡業は、11月14日に終わりますが、最後の5回目の巡業てのがあるんですね。
  これが、12月18日から31日の大晦日まで、何回もビートルズは行っているわけですね。
  で、5回目のハンブルグ巡業の時は、スタークラブと言うハンブルグで一番有名なクラブ、一番いろんな若い連中なんかも集まったクラブ、
  そこの花形としてビートルズは登場します。

4 :
  そこで実は、マイクロフォン一本で録った貴重なライブがあるんですが、それを聴いて頂きます。  
  最初にビートルズがレコーディングをしてアルバムを録った時は、ジョン・レノンが風邪ひいていて、ミルクで喉を潤おして、
  そしてそのミルクがピンク色に染まったなんてエピソードがありますが。
  ハンブルグでライブでやっていたジョン・レノンのボーカル、ビートルズのスタイル、これを貴重なライブです。  
  だけど、音悪いけどねえ。よくわかるんだよ、バンドとしての姿が。
  行くよ!。
  〜 The Beatles/ Twist and Shout
  http://www.youtube.com/watch?v=jKZpdcZugtY  
  (小林)いや。盛り上がってます。Twist and Shout。
  ねえ、レコードとほぼおんなじですよねえ。だけどwこれを、もうレコーディングする前からこういうのをやってたわけですねえ。

5 :
いつもありがとう。乙

6 :
□ジョージ・マーチンの物語
 ・「1950年代というと、イギリスではまだまだレコード業界は未熟だったね。だからまだ若手と呼ばれていた僕らも、安い給料でがまんしないといけなかった。
  今から思うと、いくら好きな仕事とは言え、本当に安過ぎたんだけどねえ。」
  こう語るのは、ビートルズをロックの世界、いや音楽の世界でトップのそのまたてっぺんに導いたスーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  今週も、彼がビートルズに出会う前のキャリアからご紹介しよう。
  
  マーチンがEMI系のレーベルであるパーロフォンに入社したのは1950年の秋。
  彼はまだ24歳であった。
  自由の国アメリカならいざ知らず、イギリスは古い伝統と保守的な階級社会の国。当時24歳というと、もう大人になって落ち着く歳であった。
  マーチンの場合も そのご多聞に洩れず、最初の妻シーナと家庭を持っていた。
  同世代の女房持ちの連中に比べ、低収入であったことは間違いがない。
  ともあれ、数年経ってそのジョージ・マーチンにも、昇格の時期がやってきた。
  彼を自分の直属の部下として、ブレーンとして可愛がってくれたオスカー・プリウスが定年のため退職し、
  その後釜として、まだ30歳そこそこのマーチンをパーロフォンの最高責任者に任命するという話が持ち上がった。
  マーチンがそのことを最初に聞いたのは、EMIグループの役員・幹部が一堂に会する夕食会の席。
  当時のEMIの会長であるC・H・トーマスがマーチンに近寄りこう言った
  「マーチン君、君はすでに気付いていると思うが、我々はオスカーがいなくなった席に君に座ってもらおうと思っている。
  もちろん君のことを、若すぎるとか、役不足だとか、いろんなやっかみを言う連中はいるだろうが、気にする事はない。
  我々は君の実力をしっかりっと評価している。よろしく頼むよ。」
  退職したオスカーから、なんとなく伝えられていたとはいえ、マーチンは武者震(ぶる)いしてこう答えた
  「わかりました。私、ジョージ・マーチン、人生を賭けて頑張ります。」

7 :
  〜 The George Martin Orchestra /By George! It's the David Frost Theme
  〜 The Beatles/ When I'm Sixty-Four   
 
  (小林)お馴染みのビートルズのポール・マッカートニーのWhen I'm Sixty-Four。
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandのアルバムに入っている、名曲の一つ。
  ロックという感じじゃないよね。
  その前の曲も、かっこいいけどロックていう感じじゃないでしょう。
  これはジョージ・マーチン・オーケストラで George! It's the David Frost Theme。テレビのデイブ・フロストのショーのテーマです。
  まあ、50年代とか60年代なんかのアメリカとかイギリスのテレビ、日本のテレビなんかもそうかな、テーマ(音楽)があってね。
  それも、ビッグバンドがやるわけですよね。  
  それをジョージ・マーチンがやってました。
  ホストですからね(アナウンスで)「デイブ・フロスト!」って言うと、ダーンとこのテーマがかかってきて。
  それにのって階段から駆け降りてくるとか、下手か上手のドアから出てくるとか、それで、拍手がワ〜ッと。
  そういう音楽を作っていたわけですね。

8 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「マーチン君。我々は、オスカーがいなくなった席に君に座ってもらおうと思ってる。
  もちろん、君のことを、若すぎるとか、役不足とかいろんなやっかみを言う連中もいるだろうが。気にすることはない。我々が力になる。よろしく頼むよ。」
  こう語るのは、EMIパーロフォンの1960年の時点での会長、C・H・トーマス。
  マーチン君とは、後にビートルズのプロデューサーとなる人物、ジョージ・マーチン。
  EMIグループの役員や幹部の全員が出席する夕食会の席で、昇格が約束された。
  マーチンはかなり興奮していた。
  マーチンが入社して以来の直属の上司、オスカー・プリウスの定年退職による昇格とはいえ、
  自分はまだ20代から30代に差しかかった、ほんの若僧である、と認識していたのである。
  もちろん、オスカーが事実上はパーロフォンの社長であった時代から、建前上はオスカー・プリウスのプロデュース作品でもマーチンがスタジオの現場を仕切っていた作品は、数多く存在していた。
  オスカーの影武者として、いくつもの仕事をしていたのである。
  しかし、それはあくまでクリエイティブな現場でのこと。
  これが会社の経営となると、また別の話しである。
  マーチンは語っている。
  「レコード会社というものは、建前上は音楽芸術を広く社会に知らしめるための社会貢献事業を行なう団体、と言うこともできるでしょう。
  しかし、ある資本の元に設立され運営されている以上、これは立派な営利目的の企業です。
  営利団体である以上、会社を設立した資本家はいかに労働者を安く効率的に使い、経営陣や株主がいい思いをするか、という本音上の目的も常に存在しています。
  果たして、自分にその任務を遂行することができるのか、それはかなり不安でした。
  さらに不満や不安があったとしたら、それはスタジオの設備に関してでした。
  我々制作スタッフは何とか使ってはいましたが、アビーロードの設備はアメリカに比べると10年は遅れていました。
  例えば、ギタリスト=レス・ポール(Les Paul)の作品の数々、あれはアメリカで作られるマジック、あるいはミラクルと言っても言い過ぎではありません。
  まるで魔法のようなレコードでした。」

9 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「入社して制作畑でがんばってきた最初の数年間は、ただ音楽を、レコードを作っていれば良かったんだけど、レーベルの責任者となるとそれだけではいけなかったんだね。
  本当の意味で、セールス売り上げを意識するようになったのは、恥ずかしながらこの頃だったよ。」
  そう語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物、ジョージ・マーチン。
  イギリスのレコード会社の当時の情況をマーチンは語ってくれた。
  「当時のイギリスとアメリカとでは、エンターテイメントの歴史と規模が全く違っていた。文字どおり桁違いだったね。
  だから、イギリスの大手のレコード会社はみんな自前で作るイギリス産のレコード楽曲よりも、アメリカのアーティストのレコードを販売して何とか売り上げを保っていたんだ。
  実際、EMIグループが契約していたアメリカのレーベルには、コロンビア・RCAなんかがあったんだけど、これら全てはアメリカ側が主導権を握っていた。
  一時、それらのほとんどが契約を更新しない、あるいはオランダのフィリップスという会社と契約をするので契約を終了させて欲しい、と言い出して
  会社中が大騒動になったことがあったんだよ。
  だって、それまでイギリスでは我々EMIグループが販売し大きな利益を上げていた ライ・ミッチェル、フランキー・レイン、ドリス・デイ、ジョニー・レイ、
  そして何と言ってもあのエルビス・プレスリーのレコードの販売権まで失くしたわけだから、かなりのダメージだったんだよ。
  実際、こういった権利ビジネスはギャンブルと一緒で、あるレーベルの販売権を買うということは、人間アーティストを買うのと同じこと。
  だから、一度契約をしてもこちら側としては、アーティストが逃げてしまわない事をじっと願うしかなかった。
  だから、新しくEMIの会長になったジョセフ・ロックウッド卿がアメリカ西海岸の新しいレーベル=キャピトルと900万ドルで契約した時には「なんて高い契約金なんだろう」と思ったけど
  今となっては、かなり安い買い物だった、というわけだよ。」

10 :
  〜 Nat King Cole / Stardust
 
  (小林)いわゆる名曲と言われるやつですよ。Nat King Cole - Stardust。スターダスト。
  Hoagy Carmichael というね、有名な作曲家が作った曲ですけども。
  ナット・キング・コール、分かりますかねえ、若い方はねえ。ナタリー・コールのお父さんですよ。ナタリー・コールもちょっと古いからねえw。
  ええ、偉大な人だったわけですが。この人が、やっぱりキャピトルレコードの稼ぎ頭だったわけですが。
  やっぱり、イギリスのレコード会社はアメリカのレコード会社と契約して、アメリカの歌手を売って、生計を立てていたっていうか、それが主な収入だった。
  まあだから、イギリスはねえ、言葉は悪いですけど、属国みたいな感じですよねえ。そんな時代だったわけです。

11 :
>>8 の次に入ります。
  〜 The Les Paul & Mary Ford / The World Is Waiting For The Sunrise
  http://www.youtube.com/watch?v=KtQX1qLM7cQ&feature=related
  〜 The Beatles/ Strawberry Fields Forever
  (小林)1967年、Strawberry Fields Forever。これはポールのペニーレインがA面で、B面ジョン・レノンのStrawberry Fields Foreve。
  有名な話はプロデューサーのジョージ・マーチンが、いろーんなテクニックを使って、自分の個人技を含めてですよ、
  この曲をもう切ったり貼ったりしながら完成させた、っていう話しがありますけど。
  
  その前は、The World Is Waiting For The Sunrise 世界は日の出を待っている。Les Paul & Mary Ford。
  これは、ジョージ・マーチンがおそらく中学生か高校生ぐらいの時に、やっぱり音楽少年ですから「どうしてこんな音が出るんだろう?」
  で、ギターのパイオニアの一人です。レス・ポール。彼の名前のギターがあるくらいお馴染みです。
  2曲お送りしました。
  

12 :
□リクエスト
  (小林)メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。
  (静岡県/男性)
  先日発売されたトニー・ベネット(Tony Bennett)のアルバム『デュエッツII』(DUETS II)
  今回はマライア・キャリー、今は亡き エイミー・ワインハウスなど素晴らしい顔ぶれです。
  中でも目玉はレディ・ガガですね。PVでの彼女、やはり上手いです。
  秋の夜長は大人の歌が似合いますね。
  (小林)
  あなたのリクエストですが、これはほんとうに顔ぶれでいくとめっちゃくっちゃ豪華だし、トニー・ベネットはもう80幾つでしょう。
  ねえ。すっごいなあと思いますよね。
  人間国宝みたいな人と、若いねえちゃんだったり。まあけっこう、アレサ・フランクリンとかね、こういう人とやったり。
  これも面白かったなあ、アレサの。もうねえ、もろ声で勝負しようとしてるからねえ。
  さあそれじゃあ、レディ・ガガとトニー・ベネットで、ザ・レディ・イズ・ア・トランプ。
  〜 Tony Bennett & Lady Gaga / The Lady Is A Tramp
  http://gyao.yahoo.co.jp/player/00100/v10179/v0993900000000543749/

  〜 The Beatles / Birthday
  (小林)かかっちゃいましたねえ。
  (古河市/男性)誕生日ソングなのに、なかなかかからないビートルズソングの名曲Birthday。
  ジョンとポールのシャウトに、特にポールを中心としたシャウトですね。リンゴのあの力強いドラム。
  ジョージのキレのあるギター。高校時代、野球部の出し物で歌ったのが、懐かしい。
  (小林)歌ったんだあ…。どうもありがとうございます。

13 :
  (東京都杉並区/男性)10年ぐらい前からのリスナーです。
  (小林)10年以上やってますからねえ。w
  (続き)ラッツ&スター「Tシャツに口紅」お願いします。
  番組イベントのゲストが鈴木兄妹と聞き応募しようと思いましたが、当日は妻のエレクトーン教室の日で断念しました。
  この曲は松本隆・大瀧永一の黄金コンビによる名曲なので、ぜひ一度、克也さんから紹介して頂きたくメールしました。
  (小林)残念ですねえ。来週その(パーティの)模様をお送りすることができます。
  〜 ラッツ&スター / Tシャツに口紅
  〜 桑田佳祐 / ハダカ DE 音頭 〜祭りだ!! Naked〜
  (小林)エヘヘ。というわけでw、ねえ、これは元気が出るよねw。
  (調布市/男性)ビートルズとサザンオールスターズが大好きな48歳のおじさんです。
  先日、桑田さんが自身で『克也さんから勧められて、宮城のチャリティコンサートに出演することになった』事を聞いたんですが、本当ですか。
  (小林)そうですねえ、あれ、311でしょう。4月になっていろんな事を言われてて、4月の終わり、真夜中、いきなり電話をして。
  「個人的なリクエストなんだけど聞いてくれるか?」てなことを言ってねえ。なんて言うのか、やっぱり桑田が出なきゃ始まんないっていうことで。
  そしたらやっぱり彼も同じようなことを考えていて、これが、ちょっと遅れたけれども、半年後に実現したと、こういうわけですね。
  えー、めでたしめでたしですね。

14 :
□エンディング  
  (小林)ビートルズのプロデューサーのジョージ・マーチンの話し、とても面白いですよね。
  それから、これはね、音楽ばっかりじゃなくて、音楽産業のこととかね、エンターテイメントまあ芸能界というんでしょうか、音楽界というんでしょうかね。
  そこの話。で、イギリスのスタジオっていうのがもちろんあるわけだけど、アメリカよりも何年も遅れていたっていう。
  だから、ビートルズとか、ジョージ・マーチンが偉いのは、そんなアメリカなんかよりも遅れた機械を使ってだよ、アメリカに勝つような事をやったわけですよ。
  これは、すっごいことですよね。
  それで、ビートルズの時代が70年に終わるとするじゃないですか。
  そうすると、1970年代に入るとね、もうイギリスはアメリカに完全に追いついていて、そしてアメリカじゃないと出ない音ってあるじゃないですか、
  こんどは、イギリスじゃないと出ない音というのを作り始めるんですよね。
  例えば、典型的なアメリカのグループ=イーグルスの旋風が70年代に巻き起こるわけですが、
  イーグルスはわざわざロンドンのスタジオに行ってレコーディングするという。
  だから、いかにビートルズだとか、60年代の終わりの連中が偉かったか、ていうことですね。
  
  あ、ところでみなさん、リクエスト下さい、よろしくお願いします。

15 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年11月6日(日)18:00〜19:00
 ★今週はスペシャルパーティでしたが、
  このスレの趣旨として『ビートルズストーリー』の記録を中心に行ないたいので、
  今回は省略させていただきます。
  会場でのフリートークと生演奏なども、文字での再現が難しいので…。
  ご理解をよろしくお願いいたします。

16 :
いままでのパーティの回は、ちゃんと記録されてたが。
まあ、今回は一組しか出なかったし、さして面白くなかったからいいや。

17 :
質問なのですがこの間の13日の放送で
The continuing story of bungalow billの前に
かかっていた曲名分かる方いますか?
すごく気に入ったんですが曲名が聞き取れなかったもので・・・

18 :
水遁が怖くてAA貼れなくなってる大阪住之江区の実家の貧乏団地で引き篭もり生活中の
三河・ズーム・ラムダこと 低脳低学歴の天然ドジッ娘♀塩キャラメルおばさん煽り厨は終わってるw
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三河・ズーム・ラムダこと 低脳低学歴の天然ドジッ娘♀塩キャラメルおばさん煽り厨は終わってるw

19 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年11月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(11月13日)
 ・1966年(今から45年前の今日)
  もうビートルズが、絶頂期にあったころのお話しなんですが。
  ビートルズのマネージャーのエプスタインが、もう、マネージャーというか大きな会社になりますよね。
  サビルシアターというのを買い取ってるわけです。
  で、その「マネージャーのエプスタインがお送りするコンサート」、このサビル劇場でね。
  フォートップス(The Four Tops)のコンサートが、45年前の今日、昼の部、夜の部とあるのかな。
  で、ビートルズが見に行ってます。日曜日です。見に行ってます。
  エプスタインは「これから日曜日はアメリカの有名な、我々が影響を受けたアーティストのコンサートをお送りしていく。」
  ということで盛り上がるわけですよね。
  ビートルズはフォートップスを見ます。その後でチャペル・ストリートの24、つまりエプスタインの家です。
  エプスタインの家でパーティが、フォートップスを迎えて、それからジョンとジョージと、ミック・ジャガー、キース・リチャード、チャーリー・ワッツ、ストーンズのメンバーね。
  ジョージ・フェイム、ドノバン、エリック・バードン、こういった人たちが参加して豪華なパーティをやったと、いうことで。
  ビートルズは、特にポール・マッカートニーが本当は大好きだったんですよね。
  このあと、ファッツ・ドミノとかチャック・ベリーとかジミ・ヘンドリックスとか、そういった人たちのコンサートをこのサビル劇場でやって。
  まあだいたい、ロンドンのセレブ系の人たちは、このコンサートを見て、そのあとはバグ・オブ・ネイルス?ていう行き付けのクラブで飲み直す。
  ロンドンのロック・セレブの夜遊びのコースだった。
  いい時代です。ビートルズがすごかった時代。

20 :
  それではこの、フォートップスがどういうふうなグループであったか、というのを、音楽を聴いて頂ければ一番だと思いますが。
  1966年、全米ナンバーワンヒット、このフォートップスは、男性グループとして独特のスタイルですが。
  リードボーカルのリーヴァイ・スタッブスていう人は、こないだ亡くなったんですけど、この人の強力なボーカルがグングン引っぱっているサウンドにもなっています。
  
  〜 The Four Tops/ Reach out i'll be there  
  (小林)どういうふうに、皆さんには響いていますかねえ。
  これはねえ、けっこうリズム&ブルースのアーティストだけど、曲がねえ、なんというのかな。
  これは、例えばその時代の Way you hang your head〜♪ ていう歌い方 耳に残ってますか?
  あるいはボブ・ディラン節なんですよね。
  だから、こういった人たちもディランだとかの影響を受けているっていう、そういうのって その時代のことなんですけどねw
  分かって頂けたんですかねw。
  それをビートルズが見に行ったのが、45年前の今日だったんですよ。

21 :
□ジョージ・マーチンの物語
 ・「1950年代当時のイギリスはポップ音楽の途上国。アメリカから輸入される音源で、なんとかセールスを稼いでいたのが現実。
  レコーディングスタジオの設備に関しても、アメリカに10年は遅れをとっていたね。」
  こう語るのは、ビートルズをロックの世界、いや、音楽の世界でトップのそのまた天辺に導いたスーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  今週も、彼がビートルズに出会う前のキャリアからご紹介しよう。
  新しい国家でありながら、アメリカのエンターテイメントの歴史は古く、
  特にラジオ放送やレコード盤といった新しいメディアを使ってのもの、となると、世界で最も進んでいたと言える。
  その理由には、国土が広いこと、それに国の成り立ちの時点から 多民族国家であったことがあげられる。
  アメリカ合衆国の国民のだれもが「これは良い」「これは、心地良い」「これは、笑える」という評価を得るには、かなり高水準の条件が必要となる。
  それに「常に新しいものを要求される」という点でも、送り手側は常に努力を要求されている業界であることは明らか。
  そんな中、マーチンはプロデューサーとして制作者として、ある決心をしていた。
  それは、いつかは自分たちが作った「純イギリス産」のアーティストのレコードが世界制覇をすること。
  もちろん、この時点ではまだまだ具体的な話は出来ていない。
  そしてさらには、イギリス人特有のセンスを前面に出すこと。
  それには「イギリス人のコメディの感覚を取り入れてみる」ということも念頭に置いた。
  そのため、マーチンはいろいろな喜劇集団を見に行くようになったのである。
  最初にマーチンはロンドンのノッティング・ヒルの小さな劇場に出かけ、
  そこでマイケル・フランダース(Michael Flanders)とドナルド・スワン(Donald Swann)による二人芝居、
  「 At the Drop of a Hat」を見た。
  すっかり気に入ってしまったマーチンは、芝居のライブ感を損ねることなく彼らのパフォーマンスを録音した。
  満足のいく仕上がりであった。

22 :
>>17
  〜 Flanders And Swann / Transport of delight
   http://www.youtube.com/watch?v=mVHbF0jAzMw
  〜 The Beatles / The continuing story of bungalow bill
  (小林)いかがですか。その手の曲を2曲お送りしました。
  1960年、ジョージ・マーチンがプロデュースしたTransport of delight 。
  ロンドンのいろんな自転車からバスやトラックまでの乗り物のことを歌った。Flanders And Swannの二人。
  
  それから、こっちは1968年のホワイトアルバム(The Beatles)にジョン・レノンが中心になってやってますね。
  The continuing story of bungalow bill、バンガロー・ビルていうのは、彼らが作ったキャラクターですけど。
  アメリカには有名な「バッファロー・ビル」ていうのがいたわけですよね。
  そのバッファロー・ビルのちょっとパロディみたいな世界を繰り広げておりました。
  こういったのは、ビートルズもそういう風なことが好きだったけど、ジョージ・マーチン譲りだった、ていうわけですよね。

23 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「広く大衆に受けるレコード、これならコメディ・お笑い芸人のレコードはどうだ!って閃いた時、これはイケるって思ったね。」
  こう語るのは、5人目のビートルズ」の異名をとる人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前の話し、もう少し続けてみよう。
  マーチンが最初に手掛けたコメディアンコンビは、フランダース&スワン(Flanders And Swann)。
  マーチンは語る。
  「彼らとのセッションで思い出すのは、最初録音したスタジオでのバージョンは、演芸場でやっているライブ感がどうしても録れていなかったので
  スタジオから持ち出せるだけの録音機材を持って、ライブ録音をしたことだね。
  今だったら、モバイルスタジオなんて、PCがあれば簡単なことだけど。
  当時は トラックの荷台にいっぱい、という時代だったんだ。いや、あれは面白かった。」
  こうして、コメディアンとの仕事を重ねるうち、マーチンは効果音の使い方、最高の面白さを記録する方法など、素晴らしいキャリアを身につけることになる。
  その後、大学生のコメディグループ=ビヨンザフリンジ(Beyond the Fringe)や様々な喜劇役者とのあと、
  イギリスを代表するコメディアンとなる ピーター・セラーズ(Peter Sellers)のレコードを作ることになる。
  実はセラーズとマーチンは1953年の時点で、「ジャッカ」というシングル盤で仕事をしていた。
  この「ジャッカ」は、当時でいうスペースファンタジーでパーロフォンが出したレコードの中でも最も売れなかったものの一つであった。
  しかし、失敗はしたもののマーチンもピーターも実は気に入った作品であり、お互いプロ同士として認め合うことになる、記念すべきレコードでもあった。
  そしてその数年後、マーチンはピーターの新しく録音する曲に エニー・オールドアイアン(Any Old Iron)を選んだ。
  ピーターは喜んでくれたし、ミュージックホール出身である彼の父親も喜んでくれた。
  1957年の夏に発売となった、ピーター・セラーズの最初のヒット、全英最高位17位、なかなか優秀なセールス結果となったのである。

24 :
  〜 Peter Sellers / Any Old Iron
http://www.youtube.com/watch?v=upg5Pj5PW8k
  〜 The Beatles/ Maxwell's Silver Hammer
  (小林)2曲続きました。
  ピーター・セラーズって知ってますかね、ピンクパンサーなんかで有名な役者ですけども。元々ステージなんかに立っていたコメディアン。
  そしてジョージ・マーチンと仕事をしています。Any Old Ironは、イギリスで中程度のヒットになりました。
  
  で、ビートルズのMaxwell's Silver Hammer。
  ビートルズの中には、そういったちょっとコメディっぽいような作品がかなりあります。
  1969年の曲でしたよね。
  ようするに、時代もあるのかもわかんないけど、ロックとかジャズの根源となるものの大切なものは、センスオブヒューモア=ユーモアだ、ていう考えがあって。
  今でもそれは続いていて、特に欧米なんかだと、日本ではなかなか無いんですけどね、前座がねコメディアンていうのがいっぱいありますよ。
  前座がコメディアンだとかパントマイムだとか、ロックの時代でもジャズの時代でもそうですよね。
  例えば、日本のクレイジーキャッツだとか、ドリフターズなんてのはね、元々ジャズのグループであり、ロックのグループだったんだものね。
  これは切っても切り離せないものなんですが、それをジョージ・マーチンはやっていた。
  

25 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「後にイギリスを代表することになる喜劇役者ピーター・セラーズとの仕事は、ほんとうに愉快だったね。
  もちろん彼とは、性格的な相性が良かったということもあるんだけど。とにかく、スタジオで起きるハプニングの全てが面白かった。
  その空気がレコード盤に刻まれている、というところが、一番の遺産だと思うね。」
  こう語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物=ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズと出会う前にプロデュースをしていた、コメディレコードの録音現場の話しを続けてくれた。
  「当時、僕はいちおうパーロフォンの制作部門の責任者ではあったけど、だからといって、何でも好きなことが出来たわけじゃない。
  月に一度催される、EMIの経営幹部による編成会議で、自分の企画が優れていて過去の実績からある程度の売り上げが期待されることを、きちんと報告しなければならなかった。
  その会議で ピーター・セラーズのザ・ベスト・オブ・ピーター・セラーズ(The Best of Sellers)の企画が通り、我々スタッフはさっそくその準備を始めた。
  この録音が実に愉快でね。自分たちだけの、いわゆる内輪受けに終わらないことを、とにかく気を付けたよ。
  A Drop Of The Hard Stuff という曲の録音の時は、特に大爆笑だった。
  物語そのものが、ある男がアイルランドの楽隊の演奏を録音するというもので、
  『へえ。この男が、俺たちの録音をしてくれるらしいぞ。』
  というところから始まって、間もなくメンバーの一人が音を外したということでケンカが始まり、当時は今のように効果音のCDなんか無くて、全て自前。
  とにかくスタジオの真ん中に、椅子や譜面台やありとあらゆる金物を重ねてケンカの様子を作るんだ。
  この時、ピーターがけり上げた椅子が宙を浮いて、なんと僕の向こう脛(ずね)を直撃。
  それはもう、すごい痛みだったね。
  実はこの自分のうめき声も、レコードには録音されているんだよ。」

26 :
  〜 Peter Sellers / A Drop Of The Hard Stuff
   http://www.youtube.com/watch?v=di6yX3yVAtM
  (小林)いかがですか?。
  ピーター・セラーズ、一人で何役もやっていましたけども。
  A Drop Of The Hard Stuff つまり「硬いもんが落こって来る」っていう、エヘへw。
  先ほどの内容のとおりの話しが展開されておりました。
  ジョージ・マーチンのプロデュース。

27 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  だから、住所とか電話番号もはっきり書いてお願いします。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (葛飾区/男性)毎週楽しく聴いています。ビートルズ三昧の時間、とことんありがとうございます。
  ジョージ・マーチンの読み聞かせ、聴きごたえがあります。選曲もすごく面白いです。
  音楽に色を感じるなんて、才能のある人はとことんすごいですねえ。
  ジョージ・マーチンのこれからの展開、楽しみです。
  リクエストですが、ピンクフロイドの Run Like Hell。
  (中略)何十年も前ですが、テレビ放送のテーマ曲でした。
  久しぶりに聴きたくなって、リクエストお願いします。
  ピンクフロイドのリマスター盤が続々発売されていますが、レア音源などあれば、お願いします。
  (小林)あなたのリクエストで、昔そのテレビで使われていたという Run Like Hell。
  〜 Pink Floyd / Run Like Hell
  〜 Simon & Garfunkel / Scarborough Fair
  (柏市/男性)毎週興味深く、病院から拝聴しております。
  きょうは小学生の頃、給食の時間に毎日流れていたSimon & Garfunkel の Scarborough Fair をリクエスト。
  そういえば「コンドルは飛んでいく」も毎日流れていました。校長先生Simon & Garfunkel のファンだったんですかねえ。謎です。
  (小林)おそらく、校長先生はメロディが好きだったwんじゃないかと思いますよw。

28 :
  (千葉市稲毛区/女性)
  先日たまたまこの番組を聴きました。思わずリクエストしています。
  ビートルズを最初に聴いたのは、婆ちゃんがくれたテープのウォークマンで、私の好きそうな曲を「入れといたよ!」と言って
  おまけでくれたテープの中に入っていたものの1曲目でした。
  ビートルズを聴くと、芋づる式に婆ちゃんのテープの選曲を思い出します。
  個人的なリクエストですみませんが、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」をお願いします。
  婆ちゃんの家で、テープは現役です。三味線のテープで寝たきりの爺ちゃんも、ごきげん。
  
  (小林)いい話じゃないですかw。さっそくその、ばあちゃんの…。
   ばあちゃんが言うんでしょうね「テープには神様がおるんやでえ。」ってねえ。
  さあ、ユーミンです。
  〜 松任谷由実/ やさしさに包まれたなら
  〜 Paul McCartney/ live and let Die(死ぬのは奴らだ)
  (習志野市/女性)こんばんわ。いつもビートルズにちなんだ話、楽しく聴いています。
  初めて私が男性のフェロモンを感じたのは、ダブルオーセブンのショーン・コネリーで、この人は何か違うと感じていました。
  そして、ボンドガールになるのが私の夢でした。そのダブルオーセブンのテーマ曲をビートルズが歌っているのを知ったのも、克也さんのお話からでした。
  「死ぬのは奴らだ」リクエストします。
  年齢を重ねても、ショーン・コネリーが素敵な役を演じているのを嬉しく思っています。
  ポールも再々婚と、お元気な様子。これからの活躍が期待できそうです。
 
  (小林)いや、これは、あの、女性はそうだよね。忘れていましたよ。
  ビートルズを女目線で見てるんですよねえ。ええ、それは勉強になりました。ありがとうございます。

29 :
□エンディング  
  (小林)ジョージ・マーチンの話しは、ほんとに面白いですよね。
  ジョージ・マーチンはジャズやクラシックの音楽も録音していたんだけれども、コメディを録音していたっていうこと。
  コメディっていうのは「お笑い」ってういふうに日本語に訳すと、ちょっと低俗になっちゃう、ていうのかなあ。
  音楽の中には笑いの要素っていうのが、とても大切で。特にビートルズの音楽ってそうですよね。
  それから、ビートルズがしゃべると、必ず人を笑わせるっていうこと。
  それから、例えばロックの音楽もですね。なんというんでしょう。
  レディオヘッドの時代になっても、ビヨークの時代になっても、根底にあるのはユーモアのセンスてのは、とても大切だっていうことです。
  説教じみた話しになってしまいました。すみません。w
  また来週も。
  それから、リクエスト参加して下さい。
  もう、無理して書く必要はありません。背伸びして書く必要はないですから。
  自分なりにビートルズに関して、あるいはビートルズとは関係なくても、自分の音楽の体験だとか、感動した話しだとか、そういうのも待っています。
  よろしく。

30 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年11月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(11月20日)
 ・1962年(今から49年前の今日)
  今日はちょっと最近、と言っても16年前の今日。1995年です。
  朝の11時半、場所はロンドンの有名なサボイホテル。記者会見が行われました。
  参加したのは世界のマスコミ100社。これはですね、一つの国から複数以上の会社は出席できなかった。
  つまり、日本は朝日が出たらNHKは入れない、NHKが入ったら読売は入れないんです。
  そういうことですよね。きびしいですよね。
  で、何が行われたかというと。
  ビートルズの「アンソロジー1」(The Beatles Anthology 1)の発表記者会見であります。
  この中に入っていた新曲、これはジョン・レノンの、後になって見つかった、カセットから、デモテープですね。
  それに残りの3人が、寄ってたかってw、じゃないけど、まあかぶせて仕上げたという。  
  フリーアズアバード(Free as a Bird)これが入っていまして、このフリーアズアバードは、この日の朝、電話回線を使って南米のチリに世界で初めて流されます。
  もちろん放送されるわけです。
  そして朝早いうちに、この「アンソロジー1」のコピーは、マザーコピーですけれども、飛行機でいろんな国に配られた。
  全世界のレコード会社の担当者が、マスターテープを渡された時は「もし失くしたり盗まれたりしたら、お前の人生はそこで終わると思え。」と言われた。
  ビートルズだから、もったいぶるのは当たり前、ということでしょうかねえ。
  「アンソロジー1」が発売の記者会見を、やったのは16年前のきょうのことであります。
  さあ、そのさっき話しに出たジョン・レノンのデモのカセットテープから、これを普通のサウンドに直したという、いろんな楽器で参加するわけですが。
  特にジョージ・ハリソンのスライドギター、「これには圧倒された。」とポール・マッカートニーは発言したそうです。
  それでは…。
  〜 The Beatles/ Free as a Bird 

31 :
  (小林)というわけで、これは考えてみると、ビートルズが解散して25年経っての再結成ですよ。
  まあ、ジョン・レノンは亡くなって、ジョン・レノンは自分のカセットだけに声が入ってたわけですが、再結成ですよね。
  だから、16年前の記者会見も、相当「ビートルズの再結成だよ!」みたいな感じで、すごかったんだろうね。
  あのね、「アンソロジー1」が出てね、実はこれ、ラジオの世界は相当変わったんですよ。
  というのは、アメリカのラジオはね、90年代に入ると、特に懐メロをかける放送局はね、もう60年代はかけなかったんですよ。
  もう懐メロは70年代、もうほらお客は40(歳)とか計算するわけですよね。
  そうすると、※60年代のヒットはかけなかったんだけど、初めてこのアルバムが出て、アンソロジーが出て、アメリカのラジオが変わったんですよ。  
  良いものは良いんだ、っていうことで、60年代ばかりか50年代の古いものもかけるようになった。
  やっぱり、ビートルズは偉いね。
  (※放送では小林氏「70年代」と言う)

32 :
□ジョージ・マーチンの物語
 ・私を拾ってくれたのはパーロフォンの代表者オスカー・プリウス。そのオスカーが定年退職となり、この私がそのポストに就くことになったんだ。
  歳だって、まだ30代になって間もない頃だよ。いやあ、正直言って重荷で不安だったよね。」
  こう言って語るのは、ビートルズをロックの世界 いや音楽の世界でトップのそのまた天辺に導いた、スーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  当時を振り返って、マーチンはさらに続けた。
  「当時はまだ、ロックンロールは発明されていなかった。いうなれば、ジャズの時代だ。
  私は中学生のころから、ジャズのビッグバンドに入れてもらっては、ピアノを弾いていたので、これはまあ得意なジャンルだった。
  さらに、スコットランド民謡やアイリッシュ音楽、これも現地に出張しては大量の録音をして、ロンドンに戻るという具合だったね。
  そして次は、コメディ音楽があるんだ。いつの時代も世界中どこの国でも、「お笑い」は無くてはならないものであり、それにはいつも音楽が寄り添っていた。
  それに私も子供のころから、演芸場が大好きだったし、いつかは自分もそんなレコードを作ってみたい、と思っていたんだ。
  最初に手掛けたのは、オックスフォード大学の学生喜劇集団ビヨンザフリンジ(Beyond the Fringe)という喜劇集団の音楽、
  ここには後にアメリカに渡ってハリウッドの名脇役として成功する ダドリー・ムーア(Dudley Moore)もいたんだ。
  このダドリー・ムーアという男も、まさに芸人になるべくして生まれてきた人間でね。
  小柄なんだけど、とにかく女性にもててね。愛嬌があって、歌もピアノも達者だったんだ。
  まさに、生まれながらにしてスターそのものだったね。ダドリー・ムーアは。」

33 :
  〜 Beyond the Fringe/ Aftermyth of War- Part 2.
  http://www.youtube.com/watch?v=7R_l9KbYpag&feature=related
  〜 Christopher Cross / Arthur's Theme(アーサーのテーマ)
 
  (小林)曲が続きました。
  今聴いたのが(2曲目)クリストファー・クロス(Christopher Cross)が歌っている「アーサーのテーマ」Arthur's Theme(Best That You Can Do)。
  これは、話しに出てきましたね。ダドリー・ムーア(Dudley Moore)が主演した「ミスター・アーサー」という1981年の、すごく高く評価された映画で、
  さっきも言いましたが、音楽もアカデミー賞を取っております。アカデミーの音楽賞というのを取っておりますが。
  すごいですよね、これは。クリストファー・クロス。
  あ、そうそう、バート・バカラック(Burt Bacharach)が作ったんですよ。商業的な音楽では一番の人ですね、バカラック。
  当時の嫁のキャロル・ベイヤー・セイガー(Carole Bayer Sager)も、なかなか良い作詞家だったんですよね。
  でこの、詩を含めた♪The best that you can do is fall in love〜♪(小林歌う)というサビは、この頃「こんな良いサビはない」っていう
  「すごい良いサビだ」っていうことで、サビが誉められてましたね。
  で、その前は(1曲目)ビヨン・ザ・フリンジ(Beyond the Fringe)のキャストで The Aftermyth Of War、
  つまり、「戦争の悪い結果」みたいな事がテーマになっているんですが、
  ダドリー・ムーアが、オクスフォードの大学生がコメディ集団ですよね、それをジョージ・マーチンが録音していたっていう。
  それをレコードにして、出していたわけですよね。
  話しは続きます。

34 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「純粋なポップ音楽以外にもたくさんのプロデュースをしたのが、コメディのレコードだった。これはもう、広く大衆に受けるための確実な手法だったからね。」
  こう語るのは、「5人目のビートルズ」の異名を取る人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前の話し、本人のインタビューから続けてみよう。
  1950年代後半から60年代初頭にかけて、私はコメディアンとの仕事を数え切れないくらいこなして来たんだ。
  いろんな人間がいたよね。だいたい、人を笑わせて人に笑われて収入を得てるんだから、そりゃもう腹の据わった連中が多かった。
  もちろん、みんな魅力的だったよ。中でも私と馬が合ったのは、つまり相性が良かったのは、ピーター・セラーズ(Peter Sellers)。
  ピーターと最初に仕事をしたのは、1953年「ジャッカ」というレコード。
  これは今で言うと、一種のスペース・ファンタジーみたいなものだったんだけど。
  とにかく、面白サウンドのはしりみたいな作品だったんだ。
  その最初の仕事で、すでにピーターはいくつもの声色を使った音声やセリフでがんばってくれた。
  そのうち、時代もシングル版から30pサイズのLP盤、アルバムに移行していった。
  そうすると、3分間で何もかも言いたいことの全てを消化しなくてもよくなる、
  つまり、そのパフォーマーの本質、本当に面白い部分を少しずつ小出しにできるわけだし、音楽の面でも時間的な余裕が出てくる。
  作り手側にとって まさに願ったりの規格、フォーマットが開発されたわけだ。
  もちろん、今ではすっかりCDに取って代わられているけど、当時はもう画期的な発明だったよね。LPレコードというのは。
  話をピーター・セラーズに戻すと、やはりピーターのような芸達者なパフォーマーの作品は絶対にアルバム向きだと、私は判断したんだ。
  思い立ったら、すぐその作品の企画書を書いて、EMIの役員会に臨んだんだ。
  ところが、ここでいつもの、あの問題が起こったんだね。
  またしても、「制作費をケチれ」の命令だよ。ほんとにもう、うんざりだったよねえ。あの時の会議は。

35 :
  〜 Peter Sellers/ Unchained Melody
  http://www.youtube.com/watch?v=XqqNsyHajb0
  〜 Tom Jones / What's New Pussycat
  http://www.youtube.com/watch?v=VBdSqk78nHw
  (小林)いかがですか?(2曲目)これはウッディ・アレンが脚本を書いたそうですが「何かいいことないかな、子猫ちゃん」ていう、面白い映画。
  それの主題歌。What's New Pussycat トム・ジョーンズ(Tom Jones)。
  トム・ジョーンズというと、この頃は、イギリスで一番の男のボーカリストとされていた人ですね。
  1965年の作品。
  そしてその前(1曲目)は、1955年の作品ですよ。まだロックンロールが出始めるころの作品。
  ピーター・セラーズ。知ってますか?ピーター・セラーズ、コメディアン。
  まあ、40歳以上の人はおそらくピーター・セラーズの映画をねえ…、
  「ピンクパンサー」はピーター・セラーズの出世作の一つですから。
  Unchained Melody お馴染みの曲があんなふうに、なるわけですよ。
  つまりジョージ・マーチンはいろんな録音をやってるから、ビートルズが来る前。
  ほら、クラシックにも強いし、ジャズにも強い、こういったコメディ系だとか、
  もう、ありとあらゆるモノを体験していたプロデューサーであったわけですねえ。

36 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「後にイギリスを代表する喜劇役者になるピーター・セラーズとの仕事は、本当に愉快だったね。  
  とにかく彼とは性格的な相性がバッチリだった。
  ああ、そうそう、こんな珍しいレコーディングセッションがあってね。」
  と語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前にプロデュースしていた、コメディレコードの録音現場の話しを続けてくれた。
  「ピーターのレコーディングで一番記憶に残っているのは、やっぱりソフィア・ローレン(Sophia Loren)とのデュエット作品かな。  
  あの時はちょうどピーターとソフィアが映画「求むハズ」の撮影中でね。
  日程的にもまだ撮影の真っ最中だったこともあり、映画会社も協力的で、今で言うならば、お互いに「タイアップ」の形をとった作品となるはずだったんだ。
  しかし、監督のアントニー・アスキスはこれに対して首を縦に振らなかった。
  彼の言い分はこうだ。『マーチン君、君の作品は何曲も聴かせてもらったよ。すごく美しく、客の受けも良さそうだ。
  ただ、厳しいことを言うようだが、僕らの映画とは格が違うんだ。今回はあきらめてくれないかな。』
  まあ、当時の映画監督は神様のような存在で、ある意味プロデューサーよりも偉かった。
  それに、アーティストとして扱われていたので、映画会社でもこれを修正するわけにはいかない。
  私は「まあ、仕方ないか。他の企画を考えよう。」くらいに、あきらめかけていたんだけど、これが、レコーディング続行の方向に進んで行ったんだよ。
  やはり、ピーター・セラーズという役者はカリスマを持っていたし、本当の意味で僕の親友だった。
  生涯忘れることの出来ない人物だね。

37 :
  〜 Peter Sellers / She loves you (Beatles)
  http://www.youtube.com/watch?v=4gn3lVYDbwI&feature=fvwrel
  〜 The Beatles / I'll Get You
 
  (小林)ジョージ・マーチンのプロデュース作品。
  まず最初に、ピーター・セラーズの She loves you。
  ピーター・セラーズのw、世界的なコメディアンですけれども、今は亡くなりましたけれど、 She loves you はどういうことかと言うと、
  ビートルズの She loves you yeh! yeh! yeh!ってあったでしょ。あれを、彼の解釈で面白くしているわけですよね。
  ドイツ語なまりで、彼女お前のこと好きなんだよ。ヤア。」で、ビートルズが「ヤア、ヤア」てやるじゃないですか。
  ドイツ語で「ヤア」っていうのは「イエス」だからね。で、「ヤア、ヤア」てのは遊んでましたよね。
  もう一人自分が違う声を出して、違う役になって、遊んでいましたよね。
  それで、最後は「ヤア、ヤア、ヤア」てのに「ワァ〜!!」って歓声が、あれがドイツのヒットラーの群衆の感じをあそこで出してたんですよね。
  パロッてたんですよ。
  
  そして、ビートルズの I'll Get You。これは、1963年の She loves youのB面。
  A面がカバーでピーター・セラーズ。B面がほんもので、お送りしました。

38 :
テスト

39 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしてます。
  ちなみにメールは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉県茂原市/女性)初めてのリクエストです。
  我が家にワンちゃん2匹、新しく来ました。これでうちには3匹のワンコたちがいます。可愛いです。
  きっかけは、被災した地域のワンコたちで、素直に喜べないですが。引き取った限りはみんなで幸せになりたいです。
  スリードッグナイト(Three Dog Night)ジョイ・トゥザ・ワールド(Joy to the World)をお願いします。
  ビートルズ関係ないですね。ごめんなさい。
  (小林)いや!。こういうのが洒落てていいじゃないですか。
  
  〜 Three Dog Night / Joy to the World
  〜 Stevie Wonder / Sir Duke
  (小林)スティービー・ワンダーのSir Duke、偉大な自分の先輩たちに捧げた曲。
  Sir Dukeはデューク・エリントン(Duke Ellington)のことです。 
  (不明/男性)女優の水野真紀さん一筋、48歳独身。
  何年か前に水野真紀さんが車のコマーシャルで母親役で出ていて、夫役の筧利夫に「なんで夫は俺じゃないんだ!」なんて
  CM見るたびに思っていました。(小林)そうですかw
  先日、服を買いに行った店で、そのCM曲だった Sir Dukeがかかっていたので、その時のことが甦ってきました。この曲を是非。
  (小林)これはもう、すごいいい曲だよねえ。斬新な曲でしたよね。

40 :
  (府中市/男性)レッドホットチリペパーズのカリフォルニケイションをリクエストします。
  この曲は僕が高校生の時に、偶然CDショップで聴いて気になったので、思い切って買った初めての洋楽アルバムに入ったタイトル曲。
  それから3年後にレッチリの次のアルバム「バイザウェイ(By The Way)」が発売され、日本でもCMが大量に流されて、
  大学生になった僕の周りでも「レッチリって良いよね。」なんて言って、ハマりだす友人が大漁でした。
  でも僕は内心「前から知ってたわ!。この俄(にわか)がw」と優越感に浸っていました。
  この曲を聴くと、今でも優越感とともに懐かしい学生時代がよみがえる思いです。
  (小林)まあ、僕らはその前から知ってたわけでw。上には上がいるからw。
  あんまりw、あんまり自慢しなくてもいいんだよw。
  それでは、ちょとエロい意味も入ってます。Californicationってこれ、なかなか発音が難しいんだw。
  〜 Red Hot Chili Peppers / Californication

41 :
□エンディング  
  (小林)やっぱり、番組の途中で言いましたが、ジョージ・マーチンがビートルズに出会うべく出会うわけですけど。
  多彩な体験をしてて、それはまあ、体験ばかりじゃなくて、本人の感覚だったわけですが。
  それがねえ、ポールだとかジョン・レノンなんかが持ってる物と合ったわけですよね。
  特にジョン・レノンは、ピーター・セラーズの大ファンだったわけですよ。子供のころから。
  それで、ピーター・セラーズの真似をしたりだとか、した人ですからねえ。
  やっぱり、あったんですね、何か、似てる所がね。
  
  ということで、リクエストなんか待ってます。
  アドレスは…(略)

42 :
11月27日の録画に失敗しました。
留守録の間にラジコにエラーが発生していました。
申し訳ありませんが…また来スー。(´・ω・`)

43 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月4日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 12月4日)
 ・1961年(今から50年前の今日)
  ドイツのグラマフォンレコードのロンドン支局の人間たちが、リバプールにやって来ました。
  それは、ブライアンに会うため。
  ブライアンは実は「マイボニー(My Bonnie)」という曲が、イギリスでシングルとして発売できないものか、ということを問い合わせていたわけです。
  これはもう、ビートルズファンはご存知のとおり、ブライアンがやっているNEMSにですね、
  レイモンド・ジョーンズなる若者が店に来て「マイボニーっていうビートルズも出ているレコードありますか?」って聞きに来るわけですね。
  で、ブライアンは全然それを知らなかった。結局、ブライアンはドイツから直接注文して、25枚注文して、リバプールの自分の店に置いて、これはもう2時間ですぐ売れた。
  店の前に「マイボニーあります」って貼り紙をしたらしいですよ。そしたら、あっという間に売れちゃった。
  で、これがきっかけでブライアンは、ビートルズてのは500メートルぐらい離れたキャバーンクラブにライブで出てるってことで、ランチタイムに秘書を連れて行くわけですよね。
  だけど、この伝説というのは、作られた…、ほんとはそのレイモンド・ジョーンズという人間が来て「ビートルズのレコードありますか?」って聞いたのはウソじゃないか、っていう、
  後づけの話しじゃないか、という風なのもあるわけで、どれが本当だとかわかんないのはありますが。
  一応、ドイツのグラマフォンレコードの連中がリバプールに来て、ブライアンが熱心にリバプールのビートルズ、自分が好きになったビートルズだから、
  イギリスでシングルとして発売しようとした、ということですよねえ。
  そんなことをブライアンは試みていたわけです。
  さあ、そのビートルズは、ビートルズが前面に出たやつじゃなくて、トニー・シェリダン(Tony Sheridan)というイギリスのロッカーのバックです。
  このトニー・シェリダンはハンブルグで定期的に出てて、ビートルズはサポート的にちょっとやったことがあったらしいんですよね。

44 :
  プロデューサーは、ポップスの世界では有名な、ベルト・ケンフェルト、ドイツ人、彼が担当しています。
  ドラムスを叩いているのは、ピート・ベストです。
  では、トニー・シェリダンとビートルズでMy Bonnie。
  
  〜 Tony Sheridan and The Beatles/ My Bonnie  
  http://www.youtube.com/watch?v=UBZ2Mc-yjSI
  (小林)これがドイツで発売されたTony Sheridan&The BeatlesのMy Bonnie。
  このレコードがきっかけになって、ブライアンが近くにビートルズが出てるっていうんでキャバンに行くんだけども、それも、本当かどうかわからない、っていう。
  まあ、行ったことは行ったわけでしょうけども、そういうきっかけがあったか本当かどうかはわからない、ていう話しですね。
  全部、番組なんかで語られること信じちゃいけないって、ことですかねえw。

45 :
うわさを信じちゃいけないよw♪

46 :
テスト

47 :
□ジョージ・マーチンの物語
 ・「私もビートルズを担当する前に、かなり多くのレコーディングをしたけど、やはり一番緊張したのはピーター・セラーズ(Peter Sellers)とソフィア・ローレン(Sophia Loren)の共演アルバムだね。
  二人とも国際的なスーパースターで、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったからね。最高の思い出でもあるよね。」
  こう語るのはビートルズをロックの世界、いや、音楽の世界でトップのそのまた天辺の頂点に導いたスーパープロデューサー=ジョージ・マーチン。
  今週も、彼がビートルズに出会う前のキャリアからご紹介しよう。
  ピーターとソフィアの共演アルバムのレコーディングは、最初はまずまず順調に進んでいた。
  それぞれのソロ曲を2〜3曲ずつ録り終え、ピーターが先にすべて完了。
  さあ次はソフィアのボーカル録りとミックスダウンで完成、と思った矢先、なんとソフィア・ローレンはローマへ帰ってしまっていた。
  おそらく当時は、関係であった有名な映画プロデューサー=カルロ・ポンティの元に戻っていたのである。
  女優というものは、いつでも恋多き生き物。ラブアフェアも大切な仕事のうちである。
  それが証拠に、ソフィアは1950年代にはハリウッドの大スター俳優ケリー・グラントと恋仲であった、と彼女本人が認めているくらいである。
  ピーターとは果たして深い関係にあったのか、なかったのか。マーチンは語っている。
  「ソフィアにその気があったのかどうかわからないけど、当時ピーターは彼女をかなりの勢いで気に入っていたね。
  レコーディングに関して、自分の出番が終わったっていうのに、わざわざ私のローマ出張に付き合うんだからね。
  そりゃ、まちがいない事でしょう。当時ピーターは35歳。ソフィアは27歳。役者ならまだまだ青春の真っただ中、って歳だし。
  たぶん、そうだね。」

48 :
  〜 Peter Sellers / All the Things You Are
  http://www.youtube.com/watch?v=zvL5chzEhUQ
  〜 The Beatles/ Yellow submarine
 
  (小林)2曲続きました。
  (2曲目)お馴染みのYellow submarine。これはもう効果音だとかねえ、作ったり。
  それから、みんなでドラマみたいにね、潜水艦ごっこをしてたり。楽しい録音です。
  いろんな人が見に来たっていうね、これはね。
  (1曲目)All the Things You Areこれは一番気に入った役者さんです、ピーター・セラーズ。
  ジョージ・マーチンの好きな友達のピーター・セラーズの(アルバム)「ベストオブセラーズ(The Best Of Sellers)」の中に入っている All the Things You Are。

49 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「1960年代当時、ピーター・セラーズは共演したソフィア・ローレンにぞっこんだったね。
  なんといっても、私のローマ出張にまで付き合うって言うんだから、ほぼ間違いないでしょう。」
  こう語るのは、「5人目のビートルズ」の異名をとる人物、ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズに出会う前の興味深いエピソード、もう少し続けてみよう。
  ロンドンのヒースロー空港での古い飛行機の車輪トラブルで遅くなったのであるが、マーチンとピーターは何とかその日のうちにローマに到着した。
  ローマ・フィウミチーノ空港は、またの名をレオナルド・ダ・ヴィンチ空港。
  その空港を降りるとソフィアがロールスロイス・ファントムのリムジンで迎えに来ていた。
  まさに「国際的スーパースターのご登場」といった景色である。
  もちろんマーチンは圧倒された。ソフィアは二人をローマ郊外にある建築中の別荘に連れて行くと言うのだ。
  マーチンはピーターとソフィアの間に座らされた。「これは、夢ではないか」と思った。
  自分がそこに居ることに、全く現実味がなかったのである。
  さらに翌朝 もっと素晴らしいことに信じられないことが起こった。
  ローマ市内にあるソフィアのフラット、アメリカ風に言うとアパート、日本風に言うとマンション。
  企画会議のために出向いた際、そのあまりの素晴らしさに圧倒されてしまった。
  それは、フラットやアパートなどといった庶民的な言葉の響きとはまったく違っていた。
  中庭にはいると、なんとそこには16世紀の石で作った噴水が踊っていたのである。
  さらに少し早く着きすぎたせいで、ソフィアはまだ眠っていた。
  マーチンとピーターはソフィアの寝室に通されたのであるが、なんとそこにいたソフィアは、まだネグリジェのままであった。
  ピーターは余裕でその姿を見つめていたが、マーチンの方は鼻血が出そうになったことは言うまでもない。

50 :
  〜 Sophia Loren / Mambo Bacan
  http://www.youtube.com/watch?v=Trpe3a2KnIY
  〜 The Beatles/ Gnik Nus & Something - Blue Jay Way (TRANSITION)
  http://www.youtube.com/watch?v=M026OZTIiJ4&feature=related
  (小林)いかがですか?(1曲目)3曲4曲ぐらいのが入っていましたね。えーと、Gnik Nus & Something - Blue Jay Wayというwタイトルが付いているやつですがw。
  これは例の、ほら、ラスベガスでやってるシルクドソレイユの「LOVE」のために作られた、ていう。
  まあ、これはすごい出来ですよねえ。
  Gnik Nusていうのは、逆さまにすると判るんですが、Sun Kingのことですね。
  Sun Kingを逆さまにして、で、SomeThingに入ってBlue Jay Way。NoWhereManが遠くから聞こえていましたね。
  2曲お送りしました。
  
  ああ、その前(1曲目)があれです。Mambo Bacan。ソフィア・ローレン。
  これはジョージ・マーチンのプロデュースではないんですけど、  
  ソフィア・ローレンの作品の中で、一番世界的なヒットになったやつです。Mambo Bacan。
  日本でもねえ、流行ったんです。1955年のことであります。

51 :
□ジョージ・マーチンの物語(続き)
 ・「あれはローマで見た夢か幻(まぼろし)だったんだろうねえ。
  だって、全世界の男連中の憧れの的ソフィア・ローレンのネグリジェ姿を拝ませてもらったんだからね。」
  そう語るのは、ビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人物=ジョージ・マーチン。
  彼がビートルズと出会う前にプロデュースしていた、「奇跡の共演作」について話してくれた。
  「ピーター・セラーズとソフィア・ローレンの共演作『ピーター・アンド・ソフィア(Peter and Sophia)』のレコーディングは、とにかく楽しいことしか記憶にないね。
  ソフィアは信じられないくらい魅力的で性格も良く、一緒にいて楽しいばかりか仕事もしやすかった。
  私生活でも大女優ぶったところは一つもなかった。
  しかし、残念なことにアルバムが発売されて以来、私は彼女と会う機会がなかった。
  相手は世界的な大女優、それも無理もない事さ。
  そして、そうこうしているうちに数年後、映画「二人の女」で彼女はオスカーを受賞したね。
  彼女の演技は素晴らしく、大方の予想を裏切らずの受賞は、私も嬉しかった。
  それで自然とペンを取りたくなり、彼女にお祝いの手紙を書いたんだ。
  そして、なんとその返事として、ソフィア本人から絵葉書が届き、そこにはこう書いてあった。
  『親愛なるジョージ。お祝いの手紙を送ってくださって どうもありがとう。』
  大女優の場合、普通はこういう文章はマネージャーかスタッフに書かせるものだけど、これは間違いなくソフィアの直筆だったね。
  彼女が私のことをちゃんと憶えていてくれていたことに、本当に感謝した。
  そいういう超大物女優もいるっていうことは、なんと言うか、とにかくすがすがしい気持ちにさせてくれた。
  素晴らしい人物だよ、ソフィア・ローレンという女性は。」

52 :
  〜 Sophia Loren & Peter Sellers / Goodness Gracious me
  http://www.youtube.com/watch?v=gKMy15O1tCw
  〜 The Beatles/ All together now
 
  (小林)2曲続きました。
  (2曲目)1969年、YellowSubmarineの中に入って、これはちょっとドラマっぽい仕立てじゃないかと思いますが。All together now 。
  
  (1曲目)そして、ピーター・セラーズとソフィア・ローレンの組み合わせ。
  ソフィア・ローレンが患者になって「先生、あの男の人といると、もう顔がほてったり胸がブンブリ ブンブリ ブンてなったりして」w
  で、ピーター・セラーズはインド系の、この人の得意技ですよね、インド訛りのお医者さんでw。
  Goodness Gracious meという曲、2曲お送りしました。

53 :
□リクエスト
  (小林)採用の方は、もうお馴染みイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  FAXやハガキなんかでも、けっこうなんですよ。なかなか来ないんですけど。だいじょぶです。
  (千葉市/男性)いつもコンビニへ夕ご飯を買いに行く時に聴いています。
  最近気になるコンビニの女性店員ができてしまいました。その店員は、たまにこの時間帯にレジにいます。
  なので毎週会えるか会えないか緊張しながらコンビニへ向かいます。
  小林さんの声が耳に入ってない時もあります。ごめんなさい。
  しかし、コンビニから帰るときはしっかり聴いているので、ご安心を。By千葉にいるカープファンの一人より。
  (小林)僕がカープファンである、ということを知っている一人でもあるわけですw。
  名前が書いてないんですけど、(略)もし聴いていたら連絡をください。
  リクエストは…、このところかかってるんですよ。先週かかりましたよね。
  その前はピーター・セラーズのおしゃべりのバージョンでかかりました。
  3周連続でかかるということになりました。
  これ何回聴いても、ほんと初期のビートルズのエネルギーが一番詰まった曲。
  
  〜 The Beatles/ She Loves You
  〜 The Beatles / Golden Slumbers-Carry That Weight-The End
  (東京都文京区/男性)39歳独身男子です。ギターが好きで、特にアメリカのルーツ音楽にはまっています。
  実のところ、ビートルズをちゃんと聴き出したのは2年前のモノーラルミックスのボックスを買ってからです。
  (小林)いいチョイスです。モノーラルミックスはw。何で聴いてるのかわかんないけど。いいチョイスだと思いますw。
  (続き)どうしてもっと早く聴かなかったのか、不思議でなりません。リクエストはアビーロードのメドレーの部分です。
  長いんですが、克也さんの紹介で、もっと良く聴こえる気がします。

54 :
  (千葉県八千代市/男性)リクエストする曲はビートルズではありませんが。最近とあるミュージシャンのPVを見ました。
  するとそのPVは、ビートルズが来日した時のライブの模様を映してるのか、と思いましたが、良く見るとパロディ化したPVでした。
  そのパロディしたバンド名は“ビーチクス”、これには笑ってしまいましたが。 
  (小林)ビーチクって意味があるんですが、わかりますかねえ。
  古いバンドマン用語で女を“ナオン”と言ったり、金を“ネーカ”と言ったりしますよね。
  ビーチクて言うのは、そうです、チクビのことなんです。そういう笑いでしたか?。脱線しましたがw。
  (続き)そのミュージシャンとは斉藤和義さんです。
  (小林)斉藤和義君だから、やっぱり“ビーチク”ですよねw。
  (続き)斉藤さんもビートルズ好き、なんだなと分かるPVでした。
  (小林)ちなみに、斉藤和義は「ゴールデンスランバー」に、日本の映画ですが、その中でGolden Slumbersをカバーしておりました。
  それから、小林克也の還暦の祝いに彼は自分で、リンゴバージョンじゃなかったですね、ミックバージョンの I Wanna Be Your Manていう、
  ビートルズのものでありストーンズのものである曲をプレゼントしてくれました。個人的には宝の一つです。
 
  〜 斉藤和義 / やさしくなりたい

55 :
□エンディング  
  (小林)ストーリーの方は、やっぱりビートルズはジョージ・マーチンと知り合うことが出来て幸運だった、っていうことですよね。
  そして皆さんのリクエスト、特にこの番組は後半はですね、リスナーが作ってるとも言えます。
  番組を作ってるわけですw。あなたたちのリクエストがw。だから、よろしく、任せたよってwいうわけじゃありませんけど。
  無理しないでね、自分そのものを出しきっていただくといいですよ。
  自分の体験だとか、自分の思い、だとか、知識がない人は、もうね、背伸びしないでいいから、そのままリクエスト下さい。
  採用の方にはイシイの(略)。よろしく。
  楽しみだなあ。

56 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 12月11日)
 ・1968年(今から43年前の今日)
  大昔です。今日はですね、実は、ローリングストーンズが主役なんですよ。このカレンダーは。
  と言うのはね、64年ぐらいからビートルズとローリングストーンズはライバル関係にあってね。
  で、ビートルズがやることはローリングストーンズも一応やるわけですよね。
  ローリングストーンズは音楽(作曲)は書かなかったんだけれども、ビートルズが書く、でビートルズが売れる、自分たちも作らなきゃってことで。
  もう、はなはだしいのは1967年に「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のアルバムを出すと、
  自分たちもサタニック…なんだっけ、あの有名なアルバムをすぐ出しちゃうとかね。
  →(『サタニック・マジェスティーズ』(Their Satanic Majesties Request))
  ただ、1968年になると、ローリングストーンズは「ビートルズに負けた〜」みたいな気持があるんですよ。
  そこで、奮い立ったのかどうか知りませんけれども、今から43年前の今日、ローリングストーンズ、ミックジャガーが中心で
  「ロックンロールサーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)」ていうショーがフィルム映画として撮られるわけですね。
  これは、中心はもちろんローリングストーンズなんだけど。ジョンなんかもいるし。
  ゲストはその時売れていたイギリスの連中、恋人だった、この頃はミックの恋人なのかな、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull )なんかも参加しています。

57 :
  ジョンはこのために即興でバンドを結成します。これが「ダーティマック(The Dirty Mac)」と呼ばれるんですけれども。  
  キース・リチャード(Keith Richards)と一緒にやっています。それから、ヨーコがボーカルで参加したりしています。
  ただこれはですね、CDだとかDVDだとか、もちろんこの頃はDVDはありませんから、ビデオで発表されなかった。
  ミック・ジャガーがね、これは「出来が悪い」自分たちが一番悪い、ゲストが良いのに自分たちが悪いと判断して、
  これが発表されるのは、1996年になってからであります。
  1996年に、だから、何年経ってだ?。ねえ、20何年、20年近く?、20数年経って発売されるわけですが。
  その中から、ジョン・レノンのバンドですね。エリック・クラプトン(Eric Clapton)が出来が良いと言われている、お馴染みの曲です。
  曲はお馴染みかもわからない、ビートルズファンにとってはね。
  
  〜 The Dirty Mac / Yer Blues 
  http://www.dailymotion.com/video/x9wi6_dirty-mac-yer-blues_music 

58 :
  (小林)これがミック・ジャガー(Mick Jagger)が、ほんとは発売したくないっていうことで、止めてたんですけど、1996年になって発売した中から。
  ギターがジョン・レノンとエリック・クラプトンですね。ベースがローリングストーンズのキース・リチャードです。
  で、これはビートルズの特に若い方たち、もう自分が生まれる相当前の音だから、ねえw、Yer Blues、ああこういうのもビートルズなんだ、と思って。
  ビートルズ、普通のビートルズとちょっと違うじゃないですか、これ。
  ちょっとハードになってますよね。
  実はこの頃は1960年代の終わりは、まだ60年代はビートルズの終わりだけど、だんだんだんだん、ビートルズの時代じゃなくなるんですよ。
  もう、この翌年なんかはね、もう一番イギリスで新しい音っていうのは、ツェッペリン(Led Zeppelin)ていうグループが。
  これはもう知っていると思いますけど、そういうのが出てくるんですよ。
  ね、だから、それはヤードバーズ(The Yardbirds)からツェッペリンへ進化して行くんですけどね。
  ほかに、ローリングストーンズばかりじゃなくて、いろんなライバルがいて、新しいことをやって。
  だけど、それをジョン・レノンがもう、けっこう尖(とが)っているていうのが、
  ジョン・レノンの感性がね「ちょっと、若いやつらには負けないぞ」みたいなことを発揮してるっていうのがね、あるんですよ。
  これは、年配のファンの方は、それを感じると思います。

59 :
□アリステア・テーラー(Alistair Taylor)の話し
 ・ビートルズに纏わるストーリー、前回までのスーパープロデューサー=ジョージ・マーチンによる貴重な証言から離れて、
  今週から、あまり聞きなれない人物、「アリステア・テーラー」なる人物の記憶の糸を辿ってみよう。
  アリステア・テーラーはブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーに就任する前から、ブライアンの個人的なアシスタントを務めていた人物。
  そして最終的にはビートルズが立ち上げた会社アップルの総支配人となった。
  しかしこの、総支配人、つまりゼネラルマネージャーという肩書も、ビートルズにかかると「ミスター便利屋」と理解するのが妥当であろう。
  実際の現場を垣間見ると、空港やコンサート会場でヒステリックなファンをかわしながらビートルズの脱出作戦を仕組み、
  メンバーが女の子とデートするのをお膳立てし、ポールにスコットランドの農場を一つ、ジョージに家を一軒、ジョンのためにはアイルランドの島を一つ
  といった個人的な買い物まで面倒を見たのが、このアリステア・テーラー。
  時には夜遅くまでビートルズの話し相手となり、時にはビートルズが泣くために自分の肩まで貸してやった人物。
  それがこのアリステア・テーラーである。
  さらにはマネージャーのブライアン・エプスタインが初めて自殺の衝動に駆られた時、電話でそれをやめるように説得したのも彼、アリステアであった。
  彼はビートルズがデビューする以前から解散するまで、4人と歩み続け、しかもレコーディング現場の目撃者であり、ツアーにもパーティにもバカンスにも同行した。
  改めて考えてみるとこのアリステア・テーラー、ビートルズ帝国の内側にいた者として、その真実を証言できる数少ない人物なのである。

60 :
  〜 The Beatles / All I've Got To Do 
 
  〜 The Everly Brothers / Cathy's Clown
  http://www.youtube.com/watch?v=PXvKAWiU_cQ&feature=related
 
  (小林)いかがですか Cathy's Clown エバリーブラザースが流れました。
  この曲知っている人、少ないかもわかりませんねw。ええw、聴いてる人の中にねw。
  1960年のイギリスとアメリカのナンバーワンソングのエバリーブラザース。二人組です。兄弟です。
  これを聴いてお判りだと思います。ビートルズ臭いでしょ。60年ですからね。ビートルズが売れる3年か4年ぐらい前っていうことです。
  つまり、この番組にあるようにビートルズから始まって ないんですよね。
  こういう風な人たちがビートルズの前にいて、実際にビートルズはI Should Have Known Better ていうのは、このエバリーブラザースから、そのアイデアとか音のイメージを頂いたと言われています。
  そうなんです、コーラスなんかも彼らから影響を受けていますからね。
  
  その前は1963年、ビートルズのAll I've Got To Do。

61 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「ビートルズとの8年間、それはもうダイナミックで刺激的な毎日だったね。」こう語るのはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの側近であり、
  後にはビートルズが立ち上げた会社アップルの総支配人となった人物、アリステア・テーラー。
  彼がどうやってブライアンと出会ったのか、アリステアの記憶から辿ってみよう。
  イギリスの田舎町ランコーン(Runcorn)に生まれ、首都ロンドンに出て来たのが1950年代末。
  アリステア・テーラーは二十歳そこそこで、最初に就いたのがジョン・ルイスの店の店員。
  後に妻となるかわいい女性レスリーとも知り合い交際することになり、そこまでは順風満帆。人生の春を謳歌していた。
  と、その矢先、買い物に出かけたアリステアは重い手提げ袋をぶら下げたままスーパーマーケットの床でつるりと足を滑らせて腰と背中を強く打ってしまった。
  そりゃもう激痛という表現を通り越した、まさに悪夢であった。この結果彼は8ヵ月もギプスをしたままの生活となり、勤め先もクビ。
  これではやっていけない と判断したアリステアは、ロンドンよりもずっと物価の安いリバプールに引っ越すことになった。
  ここでは生活のために材木問屋の事務員となったが、これが20代の男にとって死ぬほどつまらない仕事。
  「一生材木を売って暮らすなんて、まっぴら御免だ」そう思ったアリステアは、次の仕事を探し求めていたのであるが
  ある日彼は、リバプールエコーで、ある求人広告を見つけた。
  「街の中心部にあるレコード店でスタッフを募集。若い男性を求む。」
  これが音楽好きのアリステアにとって、運命のとなるのであった。

62 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「街の中心部にあるレコード店でスタッフを募集。若い男性を求む。」 この広告が、ある青年の人生を大きく変えることになる。
  青年の名前はアリステア・テーラー、ビートルズのマネージャーとして君臨することになるブライアン・エプスタインの側近中の側近となる人物である。
  アリステアは広告を出した店NEMSに面接希望の旨を伝える手紙を書いた。
  すると何日かして返事が来た。「エプスタイン氏の面接に来店されたし。」
  もちろん、アリステアは面接に赴いた。
  当日は指定された時間よりも早く行って、店内を隈なく見て回った。
  お客の数も多く、どうやら経営状態は良好と見える。
  彼は早くカウンターの内側でレコードを売りたい気分になった。
  電話帳よりもぶ厚いレコードカタログや、ジャズの専門書も興味深いものに見えた。
  約束の時間になると、一階の奥にあるエプスタインのオフィスに案内された。
  NEMS=North End Music Storesの支配人であるブライアン・エプスタインは、工場経営者であるハロルド・エプスタインの息子で、まだ若い男という印象を受けた。
  プレスのよく利いたスーツと清潔なシャツに身を包み、いかにも新進気鋭のビジネスマンといった感じである。
  話し方も明快で、面接に来たアリステアを細かく観察しているようでもあった。
  ブライアンとアリステアは、時間をかけていろいろな話しをした。
  特に、ロンドンで職に就いていたこと、そこでの不運な出来事など、あまり他人には話さないようなことまで、この時のアリステアは詳しく話した。
  ただ、なかなか「じゃあ採用しよう」と言ってくれないブライアンの態度に、少し焦りを感じるアリステア・テーラーであった。

63 :
>>61 の後に続く
  〜 The Zombies / She's Not There
  http://www.youtube.com/watch?v=LpS7mpskf18&feature=related
  〜 Manfred mann / Do Wah Diddy Diddy
  http://www.youtube.com/watch?v=QTdXTWBj-NQ&feature=related
  (小林)2曲続きました。1964年ビートルズが世界的に売れた年の、他のグループのヒット曲であります。
  The Zombies の She's Not There、これはイギリスで12位まで上がった曲だそうです。
  これは80年代にサンタナ(Santana)がカバーして、アメリカではトップ5ぐらいのヒットになったのかな。
  それも古い話しになってしまいましたが。
  それからManfred mann ていうグループの Do Wah Diddy Diddy という曲が続きました。

64 :
  〜 The Fourmost / Hello, Little Girl
  http://www.youtube.com/watch?v=dMtl7xt99fw
  〜 The Beatles/ She loves you
 
  (小林)ビートルズの She loves you。(2曲目)
  これはまあ、この曲が一番好きだっていう人がいるっていうのは、こないだもちょっとお話ししましたけど。
  一番エネルギーが詰まっている時だ、っていう。
  これが、まだ世界的に売れる前の1963年、イギリスでは9月にこれが第一位になるわけです。
  そして、その前の曲が(1曲目)これがちょっとビートルズぽかったでしょう。
  同じ週に9位、ベストテンの1位がビートルズ、そしてその前の曲が同じ週で9位です。  
  The Fourmostというグループなんですが。
  実は、これはビートルズぽかったのは、ジョンとポールが彼らのために Hello, Little Girl ていう曲を書きました。
  そのビートルズの曲を歌ってThe Fourmostはイギリスで9位。
  ちょっとなんかあれだね、前座であとでトリが出てきたような感じって言うか、
  それか、弟のバンドでその次に兄貴のバンドが聴こえてきた、みたいな感じですかね。

65 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますので、電話番号と住所を添えて書いて頂きたいと。
  メールは beatles@bayfm.co.jp であります。
  (船橋市/男性)息子にビートルズの素晴らしさと野球の楽しさを語り継ぎたいです。
  (小林)ビートルズと野球って、つながらないよねえw。
  〜 Carly Simon / Take Me Out To The Ballgame
  〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
  (小林)ブラックユーモアの局地ですよね。Maxwell's Silver Hammer。
  ビートルズはこういう風な曲も楽しそうに作っちゃうっていう、特徴の一つです。
  (鎌ヶ谷市/女性)のリクエスト。Maxwell's Silver Hammer。

66 :
  (霞ヶ浦市/男性)親子三人で聴いています。
  ジョージ・ハリソンの「ワンダーウォール(Wonderwall Music)」のアルバムから“Drilling A Home”。
  学生時代にジョージにはまり、奇妙なジャケットに魅かれてアルバムを買いました。
  「ワンダーウォール」は映画になっているようですが、内容がさっぱり判りません。どのような映画なんでしょうか?。
  (小林)僕は見ていないので、何も言えないんですけども。
  音楽の方は、インド録音とロンドン録音半分ずつに分かれているそうであります。では、ロンドン録音の中の、Drilling A Home。
  きっと変わっている映画だと思います。ジョージ・ハリソンが音楽やるぐらいだから。
  
  〜 George Harrison / Drilling A Home

67 :
  〜 Wings / Mull of Kintyre
  (小林)有名な曲です。
  シングルとしては、発売されたら大ヒットとなっちゃって、今までのイギリスでのシングルの売り上げの記録を破った。
  つまりビートルズのシングルよりも、ポールのシングルの中でも、一番売れた曲ということになります。
  (佐倉市/男性)ビートルズの曲はどれも大好きです。
  解散してからもウィングスの曲を聴いていましたが、特に Mull of Kintyre 初めて曲を聴いて、行ったことがない所だったのに、何となく情景が浮かび心が和みました。
  ケルト語で「キンタイア半島」。ポールがそこに農場を持っていて、昼食に牛肉を食べていた時、窓の外を牛が歩いているのを見て
  「俺は、なにやってんだ!」とショックを受け。それをきっかけにベジタリアンになったと聞いています。
  二十年前イギリスに駐在していた時ドライブして、訪ねてきました。
  Far have I travelled and much have I seen その後は「山が黒く、谷は緑」と続くんですよね。
  イギリスの中西部、のどかな所で夕陽が美しかった。夕方の公園で佇(たたず)みながらその歌詞を思い出しました。
  とても良い思い出です。
  追伸。当時アビーロードスタジオの近くに住んでいて、(小林)おお、珍しい!。
  現地の警察の方と話す機会がありました。「アルバムジャケットの真似をして、スタジオの前の横断歩道で写真を撮る日本人が多いが、とても危険です」と言っていました。
  そう言えば、その横断歩道は三叉路Y字形の中心近くで、しかもロンドンの中心部から行くと、坂を登って下りかけた所にあるので、車からだと見えにくかった。
  (小林)はいどうもw、情報もありがとうございます。

68 :
□エンディング  
  (小林)今日からアリステア・テーラーの話しが始まりました。
  また、ビートルズに関する証言集として、ちょっと面白い話しが続きそうです。
  それから、リクエスト待ってます。

69 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 12月18日)
 ・1966年(今から45年前の今日)
  日本へビートルズが来た年。古いですよお。
  これはちょっと判りにくいかもわかりませんが、1時AMですかね。夜中過ぎですよねえ。
  タラ・ブラウン(Tara Browne)とスーキ・ポイター(Suki Potier)の二人が、友達の家で盛り上がって、腹が減ったから何か食べに行こう、ということで
  車に乗って出かけて7分後に 車がステイショナリーバンだから、ステーションワゴンですね。
  レッドクリフスクエアという所で衝突事故を起こした、てあるんですが。
  この、タラ・ブラウンっていう人間は、ビートルズの物語で必ず重要な役割を果たす人間で、
  どういう人かと言うとね、タラ・ブラウンは貴族階級の、イギリスには貴族がいますね、貴族の青年で遊び人で、今風に言うとチョイワルです。
  でも、頭が良くて芸術的な素養があって、いろんな勉強もしている。特に、アメリカのサイケデリック文化も研究している。
  だから、ビートルズがスコッッチ&コークをよく飲むようになったのも、彼の影響です。
  スコッッチ&コークてのはアメリカから来たわけですけども、それをいち早くイギリスで紹介した。
  その他にも紹介したものがあります。よりも強くイケナイ物LSDなんかも、彼らのパーティーでやっていた。
  1966年はビートルズは、もうツアーをやらなくなったんです。
  だから、スタジオへ入ってアルバムを作る、シングルを作るっていうのが仕事。
  だから、遊ぶ時間も増えてタラ・ブラウンとかとつるんでいたと、重要な勉強をしてたと、考えるといいですよねw。エヘヘ。
  ジョン・レノンはこの、さっき紹介した夜中の1時7分ごろに起きた事故をネタとして使って曲を作りました。
  この曲は珍しいんですが、途中でポール・マッカートニーが参加します。
  つまり、ジョンが曲を作ったんだけど、後半、ポール・マッカートニーの曲が入り込んじゃう、ていう。
  と言うと、もう分かると思いますけども、ポールとジョンのコラボレーション、有名なA Day in the Life。
  
  〜 The Beatles / A Day in the Life

70 :
● 社会から孤立した在日大阪人 AB型 塩キャラメルのプロフィール
大阪住之江区でショッパイ人生の浮浪者を隔離収容する実家のボロ団地で無職のニート生活を送る
スーザン・ボイル似で自称ラムダ・ズームこと甘くてショッパイ♀イカの塩キャラメルおばさん煽り厨でズーム真理教の教祖と判明w
★未婚と閉経でストレス下にあり人間関係が不得手で権力を求める傾向にあり注目を浴び興奮を得る為か世の中の為と思ってか
 妄想による架空の人物・ブル厨船橋を連呼する程、千葉を愛するおばさん
★図星の指摘には自己紹介乙、お前の方がと改変オウム返しになりがちなのも更年期障害で頭と心が弱っているため
★甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は⇒実家の貧乏団地生活を激白、自演失敗で自らを罵倒
無茶な脳内統合で妄想認定発覚、簡易英語すらも理解不能な低脳低学歴を改めて誇示と墓穴の神が降臨中で全部裏目で現実逃避w
★甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨本人による墓穴や物忘れの記録
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1309594457/9-11http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classic/1309955076/15-16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1309594457/14-15http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1319336351/6-14st
★ズーム真理教は甘くてショッパイ♀塩キャラメルおばさん煽り厨を代表とし
社会と他人を憎む貧しく育ちの悪い低脳低学歴でおばさん煽り厨達で構成
"アンカーを付けずに" 煽るのも冒頭の理由からで最後は必ず共通認識の奇妙な呼び名を喚き相槌する別の老婆と意気投合と自演が得意
★おばさん煽り厨の口癖は生・塩キャラメル,イカ,自演,発狂,脱糞,露出,,馬鹿,阿呆,サザエ,昭和,車イス,ドン引き,マジキチ
ジャズ珍,不惑,あの人,シゲッチ,中曽,爺さん,私怨の個人名,ブル厨、と喚きだし疑いのない相槌と露骨な低脳自演をしてしまうw
★80年代に定員割れの女子短大に不合格した実績を持つ極貧育ち低脳低学歴で意地っ張りな暇人の塩キャラメルおばさん
★甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨のコテ(=ホーリー・ネーム)が複数あるのは多くの異名を使い分けた敬愛する福田和子へのオマージュと
塩キャラメルおばさんとバレない為の偽装目的だったが 塩キャラメル 連呼のAAで正体発覚。現在はひたすら攪乱・陽動・火消しの日々w

71 :
□アリステア・テーラーの話し
 ・ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、メンバーとは寝食を共にし、さらにはビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物、アリステア・テーラー。
  彼がまだビートルズに出会う前のストーリーが続く。
  大怪我をしたことにより、物価の高いロンドンを引き揚げ北の町リバプールにやって来たアリステア。  
  最初は食うために、材木会社の事務と営業の仕事にありついた。
  しかし、この材木を扱う仕事が実につまらないもので、アリステアは全く夢も希望も持てない毎日を送っていた。
  「こうやって俺は、一生材木を売って暮らすのか…」そう思うとアリステアは死んでしまいたい、という気持ちになる時もあった。
  そんな時、地元の新聞リバプールエコーに、ある広告を見つけた。
  「街の中心部にあるレコード店でスタッフを募集。若い男性を求む。」店の名前はNEMS。
  ノースエンドミュージックストアー、音楽好きのアリステアである。職場としては申し分ない。
  さっそく面接希望の手紙を書き、日取りも決まった。
  場所も店内の雰囲気も悪くない。若いお客もひっきりなしにやって来ている。経営状態も良さそうだ。
  こうして、面接は店の奥にある支配人ブライアン・エプスタインのオフィスで行なわれた。
  清潔感いっぱいのブライアンに、アリステアはかなりの好印象を持った。
  しゃべり方もスマートで分かりやすい、散々いろいろな話をしたあと、ブライアンはついに決心をした。
  「よし、採用だ。君にセールスアシスタントの仕事をお願いしよう。給料はあまり期待しないでくれ。いいかな?」
  もちろん二つ返事で「はい、よろしくお願いします。」と答えるアリステアであった。

72 :
  〜 Frankie Goes to Hollywood / Ferry Cross The Mersey 
  http://www.youtube.com/watch?v=QhYuwFIDfKI
 
  〜 The Beatles / This Boy
 
  (小林)ビートルズのThis Boy。(2曲目)
  これはイギリスでは1963年 I wanna hold your handのB面に入っていた曲です。
  
  その前は(1曲目)、Ferry Cross The Mersey、マージーリバーを渡るフェリーの歌。
  これは、ビートルズの同じころのバンドですよね。
  リバプールのジェリーアンドペイスメーカーズ(Gerry & The Pacemakers)のヒット曲ですが。
  それをフランキーゴーズトゥハリウッド(Frankie Goes to Hollywood )がやっています。
  フランキーゴーズトゥハリウッド は知っていますよね。
  Relax っていう、♪Relax When you do it. When you wanna come.Relax〜♪ っていうw あの Frankie Goes to Hollywood 。
  これが、アルバムの中に入っている曲、例えばウォー(War)だとか、カバーをいろいろやってるんですが。
  Frankie Goes to Hollywoodのカバー。
  ただプロデュースしたのがトレバー・ホーン(Trevor Horn)っていう、♪Video Killed the Radio Star♪〜w
  みんなきょうは歌っていますがw。
  それとか、若い方にとってはタトゥ(t.A.T.u.)ていう、ロシアの生意気な女の子の二人組がいましたよね。
  あの彼女たちをプロデュースした人でもあります。彼がプロデュースをしていました。
  そういう2曲をお送りしました。

73 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「よし!採用だ。君にセールスアシスタントの仕事をお願いしよう。給料はあまり期待しないでくれ。いいかな?」
  こう決断したのは、ビートルズの最初のマネージャーとしてバンドをメジャーデビューにまでこぎつけ、アメリカを含む世界制覇を成し遂げた男=ブライアン・エプスタイン。
  そして、その彼の助手として採用されたのがアリステア・テーラー。後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  時は1960年代の初頭、場所はブライアンが経営するレコードショップNEMSのオフィスであった。
  もちろん、この時点では二人ともビートルズを知らない。
  ブライアンはクラシック音楽に強く、アリステアはジャズのコレクターでもあった。
  ブライアンの申し出に、つまり「君を雇うよ」という言葉にアリステアはもちろん二つ返事で答えた。
  実際の所アリステアは、まだ材木会社の社員だったのであるが、その帰り道に会社に事情を説明し、正式に退社することとなる。
  リバプールでも大きな部類に入るレコードショップの支配人のパーソナルアシスタント、悪くない。
  少なくとも材木を売って暮らすよりは、自分に合った仕事である。
  なんせアリステアはかなりのレコードコレクターで、毎月使えるお金のほとんどをレコードにつぎ込んでいた。
  そんな若者にとってNEMSは宝の山。
  ブライアンが最初に与えた仕事は、何か彼独特の雰囲気を持ったものであった。
  ブライアンはアリステアにこう頼んできた。
  「アリステア。ここに何枚か闘牛の絵があるんだけど、夕方帰るまでに額に入れて、良さそうな所に飾っておいて欲しいんだ。君のセンスに任せるから。頼んだよ」
  この時から、ブライアンとアリステアの主従関係は始まったのである。

74 :
  〜 Georgie Fame & The Blue Fames / Yeh Yeh
  http://www.youtube.com/watch?v=CQ9nvljscEk
  〜 Helen Shapiro / You Don't Know
  http://www.youtube.com/watch?v=oWz66MboiTA
  
  (小林)ヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)1961年You Don't Know。(2曲目)
  十代の女の子ですよね。大変なヒットになって、イギリスで一位です。1961年。
  ヘレン・シャピロは一年半ぐらいの後になるのかな?。
  ビートルズが前座でね、ヘレン・シャピロとツアーをすることになるわけですが。この話も、この番組でしたことがあります。
  そして、その前が(1曲目)1964年 Georgie Fame & The Blue FamesのYeh Yeh。

75 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「僕のボスであったブライアン・エプスタインという人物、それはもう、切れ者でスマートだったね。ただ、第一印象ではどこか影を持った所があって、
  それが独特の雰囲気を醸し出していたんだ。」
  そう語るのは、後にビートルズのマネージャーとして君臨するブライアン・エプスタインの側近として仕え、その後ビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  彼の記憶を辿る話し、もう少し続けてみよう。
 
  「ブライアンは最初『それほど良い給料は期待しないでくれ。』って言っていたけど、実際のところは週給10ポンドで、悪い金額ではなかったね。
  なんせ、その前に務めていた材木会社の給料が7ポンドそこそこだったんで、こんどのNEMSの方が3ポンド高かったんだ。
  仕事の内容だけでも材木会社より良かった上に、給料まで上がって。本当に感謝したよ、ブライアンには。」
  そしてアリステアの話しは、ブライアンの仕事ぶりについて続いた。
  「ブライアンは売れたレコードを、その日のうちに全て記録するという、極めて単純明快な在庫システムを採用していたんだ。
  このシステムによって、売り切れや未入荷のレコードがあっても、すぐに注文が出せるわけだ。
  だから、店にそのレコードが無いのは、注文したレコードが届くまでの間だけ。
  このシステムのおかげでNEMSはリバプール市内どころか、イギリス全土のレコードショップの中でも優秀なショップだった。と言えるんだ。
  あるとき、ロンドンの有名なレコード店の社長がやって来て、秘訣を聞き出そうとしていたけど、
  こればっかりは門外不出の企業秘密なので、そう簡単には教えることは出来なかったな。
  実際にはものすごくシンプルなシステムなんだけど、これがブライアンの優秀なところだったね。」

76 :
  〜 Elvis Presley / It's Now or Never
  http://www.youtube.com/watch?v=EQulJ1d_Mhc&feature=related
  〜 Roy Orbison / Only the Lonely
  http://www.youtube.com/watch?v=kjq4wYuwgxs&feature=related
  (小林)2曲有名な曲が続きました。1960年いずれもね、大ヒットです。両方とも、イギリスで大ヒット。
  そしてアメリカでもほとんど…、
  これは、アメリカで2位だったか、ロイ・オービソン(Roy Orbison)のOnly the Lonely 。
  ロイ・オービソンは良い曲を書く人で、またルックスが良かったらプレスリーみたいになったんじゃないかw、って言われてるぐらいすっごい声の良い人で。
  この曲はプレスリーのために書いたらしいですよ、ロイ・オービソンがね。
  で、持ってったら、プレスリーがいなかったんで、自分が歌ったというエピソードもあります。Only the Lonely。
  
  そしてその前(1曲目)はエルビス・プレスリー。
  兵役に彼は、徴兵制があったんでね、2年行くわけですけども、その間に休みをもらって録音したりして。
  その曲の一つが、彼が兵隊の後期に大ヒットするわけですね。It's Now or Never。
  ご存知の方がいるとは思いますが、これはイタリアのオーソレミオ('O Sole Mio)を英語の歌にしたバージョンであります。

77 :
辛い人生からの現実逃避のため2ちゃんねるを自分のウダウダ日記として悪用してる。
年末年始でさえ孤独なズーム君こと甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は54歳
大阪住之江の低所得者向け団地でニート生活35年目の在日2世の変なおばさんである。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
背が低く小太りで容姿はスーザン・ボイル似て目つきが鋭く幼い頃からコンプレックスを強め社会と人に不信感を抱いていた
キスの経験すらなくのまま更年期障害になり情緒不安定で被害妄想が悪化
寂しさのあまりエア恋人のブル厨を作り出し、なぜか気が狂うほど千葉・船橋に入れ込んでしまった
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
辛い人生からの現実逃避のため2ちゃんねるを自分のウダウダ日記として悪用してる。
年末年始でさえ孤独なズーム君こと甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は54歳
大阪住之江の低所得者向け団地でニート生活35年目の在日2世の変なおばさんである。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251
背が低く小太りで容姿はスーザン・ボイル似て目つきが鋭く幼い頃からコンプレックスを強め社会と人に不信感を抱いていた
キスの経験すらなくのまま更年期障害になり情緒不安定で被害妄想が悪化
寂しさのあまりエア恋人のブル厨を作り出し、なぜか気が狂うほど千葉・船橋に入れ込んでしまった
辛い人生からの現実逃避のため2ちゃんねるを自分のウダウダ日記として悪用してる。
年末年始でさえ孤独なズーム君こと甘くてショッパイ塩キャラメルおばさん煽り厨は54歳
大阪住之江の低所得者向け団地でニート生活35年目の在日2世の変なおばさんである。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/240
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1285759319/251

78 :
□リクエスト
  (小林)採用の方はイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  ちなみにメールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (館山市/男性)
  日曜日はこの番組を聴きながら走っています。そのあと反動でへたり歩きになります。スマップの二人ごめんなさい。
  (小林)はいw。曲はこれだなあ。
  〜 The Beatles / Get Back
  〜 The Beatles / All My Loving( CLOSE YOUR EYES )
  (小林)ビートルズのスタンダードが続きました。
  (千葉県/女性)
  16歳。ビートルズの特にポール・マッカートニーのファンです。
  同年代でビートルズのファンだという人があまりいないので、仲間を見つけたいです。リクエストAll My Loving。
  (小林)
  16歳でそういう感じですけど、実はビートルズ好きな若い人はいっぱいいるんだよね。
  ただ周りにいないだけでw。これは世界中の最近の傾向なんだよね。
  良い物はネットなんかでタイムマシンみたいに、昔の映像だとかいろんなものを聴いたりできて、そういうのが好きな人がいっぱいいます。
  安心して下さい。この番組をよろしくお願いします。

79 :
  (木更津市/男性)
  職場のビートルズ好きの先輩の紹介で最近聴きはじめました。
  職場に初めて入った日、先輩の車で聴いたのがこの曲。
  「ああ!俺は、この世界からもう逃れられないんだなあ」としみじみ感じていたのが、もう何年前かわからないぐらいになってしまいましたが。  
  今では初心に帰るためのテーマ曲になっています。
  彼らもスタジオミュージシャンとして鳴らしていたと聞きます。
  (小林)
  そうなんだよね。やっぱ、職人同士通じる物があるんでしょうかねえ。一つの道に打ち込んでいるわけだから。
  音楽は人それぞれですから、楽器が出来なくても、譜面が読めなくても、クラシックがよく判って行き方まで憶えている人もいますしね。
  だから、人の感性だと。堅いこと言わないで聴きましょうか。
  イーグルスもけっこうビートルズを意識しているんです。ビートルズは演奏してほとんどが歌えるでしょう。
  イーグルスもそうなんですよ。
  デビューアルバムも、ロンドンまで録音しに行ったしね。
  
  〜 The Eagles / Hotel California

80 :
□エンディング  
  (小林)アリステア・テーラーという、ビートルズの重要なスタッフの話しが、これからちょっと続きます。
  楽しみにしてくださいね。面白いよけっこう。
  ビートルズの本人たちは、なんと言うか、さし障りのない所しかしゃべってくれないよね。
  それから、スタッフも気を使ってしゃべるんだけど、時間が経つと、いろいろしゃべってもいいことが増えたりして。
  そういうことも出てくると思います。
  リクエストの方もよろしく。

81 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2011年12月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 12月25日)
 ・1965年(今から47年前の今日)
  きょうはクリスマスだからね。1965年のクリスマス。ジョージ・ハリスンは付き合っているパティとクリスマスディナーへ行きます。ロンドンで。
  そして、そこで、結婚の申し込み「僕と結婚してくれないか。」46年前の今日の事。
  ジョージ・ハリソンがパティに結婚を申し込みました。
  さすがジョージ・ハリスン、クリスマスにビシッと決めたわけです。
  二人が出会ったのは「Hard Days Night」の映画、「ヤアヤアヤア、ビートルズがやって来る」これが日本語タイトルの映画。
  この撮影の時に、パティは電車のシーンで女学生の役をしました。
  でも、ジョージ・ハリスンはパティに一目惚れ。最初にパティに話しかけた言葉は「ねえ、僕と結婚してくれない?」
  いきなりです!W。いきなりですよね。子供みたいだよねw。
  「ねえ僕と結婚しない?」もちろんこれは無視します。あたりまえです。
  で、ジョージは「結婚が無理なら、今夜ディナーでも」と誘い出し、みごと誘い出しに成功します。
  といっても、もう大変な有名人だからね。もうすでにビートルズの四人はね。
  これはまあ、パティも断わらなかったわけでね。
  交際がスタートして。以来、ジョージが書くラブソングのヒロインはパティ。
  1966年の2月には結婚して。66年、この翌年に結婚するんですね。
  で、キンファウンス(Kinfauns)という所に家を構えます。バンガローハウスという造りです。
  家具の趣味もものすごく良くて、友人たちも大好きな家だった。で、よく遊びに行った。
  でも、親友エリック・クラプトンの登場で、事態は急変する、ということですね。
  が始まって、ジョージ・ハリスンと離婚して、パティは再婚。エリック・クラプトンと再婚して、そして離婚するという。

82 :
  これは自伝「ワンダフル・トゥデイ」の中で正直に語っています。
  これはね、パティの自伝はめっちゃくちゃ売れたんだよ。ベストセラーリストでいろんな所で、ロンドンとイギリスとアメリカだけども
  いろんな本屋さんで一位になっています。
  この本の中で「ジョージとの離婚は、今でも後悔している。人生の中で一番愛していたのはジョージ・ハリスンだ。」と語っています。
  さあそれでは、ジョージ・ハリスンの傑作。
  ビートルズ時代、やっぱりポールとレノンに頭が上がらなかったんだけど、これでもう堂々と渡り合うような大傑作を作りました。
  この曲。
  
  〜 The Beatles / Something  
  (小林)ジョージ・ハリスンの最高傑作の一つです。Something。
  というわけで、クリスマスの日ジョージ・ハリスンはパティに求婚した、と覚えて下さいw。

83 :
□アリステア・テーラーの話し
 ・ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインのアシスタントとなり、
  メンバーとは寝食を共にし、さらにはビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物=アリステア・テーラー。
  今週もそのアリステアが、まだビートルズに出会う前のストーリーから お送りしよう。
  1960年代初頭、ロンドンでの苦しい毎日に別れを告げ、物価が安く暮らしやすいという評判のリバプールに流れ着いたアリステア・テーラー。
  最初は、材木問屋のセールス兼経理の仕事に明け暮れる毎日。
  それは、彼にとって「退屈な人生」であった。
  しかし、ある日彼は地元の新聞リバプールエコーに求人広告を見つけた。『市内のレコード店のスタッフ募集。音楽の好きな20代の男性を求む。』
  もともと音楽好きで、ジャズのレコードのコレクターでもあったアリステアにとって、こんな素晴らしい仕事は他に見あたらなかった。 
  即、その店NEMSに電話をして、面接の日が決まった。
  面接当日、アリステアは指定された時間よりも30分早く店に到着。
  短時間ではあったが、店の雰囲気や経営状態を観察させてもらうことにした。
  店は清潔で、感じは悪くない。客も若者から年配者まで、ひっきりなしにやって来る。
  おそらくレコードの品揃えが良いのであろう。職場としては申し分なかった。
  「この店はいいぞ!。逃がす手はない。面接で失敗しないようにしないと。」
  アリステアはこう自分に言い聞かせ、奮い立たせようとした。
  程なくして店の奥にある店長の部屋に通された。
  これまた、部屋の様子、デスクや本棚など家具のセンスも良い。
  それよりも感心したのは、店長支配人であるブライアン・エプスタインの清潔感あふれる出で立ちである。
  仕立ての良いスーツに、皺一つ見あたらない真っ白のシャツ。
  どちらかというと、ワイルドな港町であるリバプールの雰囲気とは180度違っていた。
  さて、このエプスタイン店長は自分の事を気に入ってくれるのか、緊張するアリステア・テーラーであった。

84 :
  〜 Shirley Bassey / Reach For The Stars 
  http://www.youtube.com/watch?v=u33-wM3-3tE
 
  〜 The Shadows / Shadoogie
  http://www.youtube.com/watch?v=cxGMrdo4C5Q
 
  (小林)2曲続きました。
  いま聴いた曲は(2曲目)1961年、つまり話しとしてアリステア・テーラーが、就職する頃のお話しなんで。
  その時代の空気を感じて頂こうと思いまして、シャドウズ(The Shadows)、もうロックンロールの時代は始まっていて
  イギリスではクリフ・リチャード(Cliff Richard)ていう人気者が現れます。
  クリフ・リチャード、そのバックを務めていたのがザ・シャドウズ。
  シャドウズのデビューアルバムから Shadoogie。
  これは、ブルースコードの展開の典型的な歌になってましたが。ブギーって言いますよね。
  ブギーとシャドウズを引っかけてシャドゥーギー w。
  
  そしてその前(1曲目)も、同じころのイギリスでナンバーワンです。
  後になって フロムロシアウィズラブ♪っていうダブルオーセブンのテーマの大ヒットで知られる、シャーリバッシー(Shirley Bassey)
  のReach For The Stars これもイギリスのナンバーワンソングです。

85 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「この店 NEMS、リバプールじゃちょっと見ないくらい洒落ていて人気も高い。
  で、このエプスタインていう支配人、俺を採用してくれるんだろうか?。早く決めてくれよ。」
  この、あせりを隠せない青年の名はアリステア・テーラー。
  後にビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  場面は1960年代の初頭。ブライアンが経営するレコードショップNEMSのオフィス。
  この時、面接する側、つまりショップ店長のブライアン・エプスタインは、まだビートルズを知らない。
  当然、この時点では自分が世界一のロックバンドのマネージャーになることは、全く100%彼の事業計画には無かった。
  もちろんアリステアも、「この店に雇ってもらえるかどうか」頭の中には、ただそれしかなかった。
  こうして二人の無言状態が5分続いたあと、ブライアンは決断した。
  「よし決めた!。君を僕のアシスタントとして採用することにしよう。よろしく頼む。給料は期待してくれるな。
  明日の朝9時、遅れないで出勤してくれ。」
  もちろん、アリステアは嬉しかった。この職場こそ自分にピッタリな場所だと確信していたのである。
  実際のところ、まだアリステアは材木問屋の社員だったのであるが、その帰り路会社に立ち寄って事情を説明し、一応円満退社となった。
  もちろん退職金はゼロ。自宅に戻り、奥さんのレスリーに自分が転職したことを報告し、お祝いをしてもらった。
  翌朝アリステアがNEMSに出勤すると、すでにブライアンは仕事を始めていた。
  「すみません。店長より遅くなってしまって。すぐに仕事に取りかかります。えっと、まず何から始めたらいいんでしょうか?。」
  ブライアンは涼しげな表情で答えた。
  「おはよう、アリステア。大丈夫だよ、君は遅刻なんてしていない。僕はいつも誰よりも早く出勤するんだよ。だから、気にしないでくれ。
  ところで、今日から君に頼みたいのは、在庫の補充なんだよ。ウチの店の売りは『どんなレコードでも買えます。』ってところだからね。
  お客の期待を裏切らないように、よろしく頼むよ。」

86 :
  〜 Buddy Holly / It Doesn't Matter Anymore
  http://www.youtube.com/watch?v=q80vPeejm7k
  〜 The Beatles / Words Of Love
  (小林)2曲続きました。
  いま聴いたのは(2曲目)ビートルズ・フォーセールのアルバムに入っています、Words Of Love 。1964年。
  そしてその前(1曲目)は、ビートルズが大好きだったバディ・ホリー(Buddy Holly)。
  これは、ポール・アンカ(Paul Anka)が書いたんですね。ポール・アンカが書いてバディ・ホリーが歌って。
  これはイギリスでナンバーワンになった曲です。It Doesn't Matter Anymore。

87 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「アリステア。入社一日目、君に覚えてもらうことがたくさんある。先ずは、今日中に在庫管理を覚えてほしいんだ。
  とてもシンプルだけど、重要だからね。たのんだよ。」
  こう社員に指示を出しているのは、後にビートルズのマネージャーとしてロック界に君臨するブライアン・エプスタイン。
  そしてそのブライアンの経営するレコードショップNEMSの新入社員が、いずれはビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  彼の記憶をたどる物語、もう少し続けてみよう。
  「音楽の趣味だと、ブライアンはクラシック音楽の愛好家で、好んで聴くものはクラシックミュージックとエレベータミュージック。
  つまり、イージーリスニングが多かったんだ。逆に、僕の方はクラシックには少し疎くて、ジャズのレコードばかりを集めていたね。
  それも、イギリスでは発売されていない出初めのブルーノートレーベルのものとかを、輸入盤として扱っている店に注文して集めたりしていたんだ。
  まあ、ちょっとしたコレクターだよね。
  毎月いったい何にお金を費やしていたか、と言ったら、それはほとんどジャズのレコードだって言ってもいいね。」
  そしてさらに、アリステアの話しはブライアンの類い稀な才能について続いた。
  「でも、驚いたことにブライアンは得意分野のクラシックだけではなくて、世の中に発表されるどんなレコードでも、
  それがどれくらいヒットになるか、あるいは全くコケてしまうか、ほぼ100%の確率で当ててしまうという、超能力を持っていたんだ。
  だから、ブライアンがビートルズに対して感じた何かが、その超能力に裏付けらていたんじゃないかな。
  って、僕は思ってるんだ。
  とにかく鋭い感覚を持っていたね。ブライアン・エプスタインという人物は。」 

88 :
  〜 The Beatles / Rock & Roll Music
  〜 John Lennon / stand by me
 
  (小林)ジョン・レノンのスタンバイミー(2曲目)。さっきバディ・ホリーのカバーもやっているっていうね、そんな話をしたロックンロールのアルバム。1975年。
  その中に入っています。もう有名なバージョンです。
  そして(1曲目)、ビートルズのRock & Roll Music。

89 :
□リクエスト
  (小林)メールは beatles@bayfm.co.jp 
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして、ずっと差し上げておりますのでね、リクエストよろしくお願いしますね。
  (富里市/男性)
  この歳になりますと、音楽界のトップシーンに付いて行くのがなかなか難しくなって参りました。(小林)え?、52歳で。
  しかし、今年(2011年)とても印象に残っている曲が1曲あります。Adele の Rolling In The Deepという曲です。
  曲の途中で声が何度か一度裏返る部分があり、そのたびに鳥肌が立つほどの快感が体中を巡ります。
  (小林)ということは、アドレナリンがまだ分泌しております。いいんじゃないですか。
  (男性)リクエストの動機としては不純でしょうか?
  (小林)いやあ、そんなことはないw。
  〜 Adele / Rolling In The Deep
  http://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw
  〜 The Beatles / Obla Di Obla Da
  (小林)ポール・マッカートニーのお馴染みのオブラディ・オブラダ。
  なんかクリスマスの日に聴くとすごいクリスマスソングに聴こえるよね、この曲はね。
  (江東区/男性)
  30代ですが、ビートルズの曲で好きな曲はいっぱいあります。
  中でもカタカナで間違えてるかもしれませんが・・・、
  (小林)これが間違えてるんだよw。いい?オブダディオブダダ、じゃないよw
  オブラディ・オブラダ、ラ行だからねw。クリスマスだから許す。

90 :
  (八千代市/男性)
  毎週夕飯時BGMとして愛聴させ頂いてます。
  今年3月、東日本を襲った未曾有の大震災、被災された方々には本当にお見舞い申し上げます。
  日本全国を元気づけようと立ち上がった俳優さんやアーティストの方々、頭が下がりますが、
  おいらが勝手に崇拝させて頂いている桑田圭佑さんもその一人。
  宮城県で行われた涙の復興ライブは記憶に新しいですが、その復興ソングとして渾身の力を込めて造った曲をお願いします。
  一年お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。よいお年を。
  (小林)ちゃんと挨拶ができるねw。
  
  〜 桑田圭佑 / Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜
  〜 John Lennon / Happy Christmas the War is over
  (小林)毎年この時期には必ずかかる曲(2曲目)ですけれども、リクエストもたくさん来てね。
  だけど今年はなんかちょっと違う感じがするね、この曲もね。そんな年だったですね。
  (墨田区/男性)のリクエスト。(2曲目)

91 :

□エンディング  
  (小林)お話しの方は、ビートルズのプロデューサーからこんどは、ビートルズのマネージメントに入るアリステア・テーラーのお話しなんですけど。
  この番組が始まって、長い間ビートルズにスポットを当てて ビートルズの事をお話ししています。
  ジョン・レノンが主人公だったり、ポールが主人公だったり、するわけですが。
  いろんな人の「見た目」で、立体的にビートルズの事が判ってくるということで。
  この番組をずっと毎週毎週聴かなきゃだめだ、聴いて行くっていうのはちょっと無理かも分かりませんけども、
  まあ、時間がある時は聴いて頂いて、ビートルズをいろんな所から感じて頂きたいと、思います。
  で、ビートルズをやるっていうことは、ビートルズの周りのいろんな音楽、いろんな音楽を創った人、そしてその時代、我々を含めて。
  それが、実はこの番組の主人公なんです。時代が、我々が。
  というわけで、そんな意識でみなさんリクエストの方もよろしくお願いします。
  リクエストのあて先は・・・(略)

92 :
そうなんですw。毎週は無理なんですw。
1月1日の放送分も、PCの不調で留守録に失敗してしまいました。
OS(XP)がおかしいのか、時々フリーズしたり、
ラジコも長時間つけていると何かおかしいw。
今日はどうなるか。
しかし、アリステアの話し、ビートルズに出会う前で引っぱり過ぎでは?w

93 :
1日の放送、録音し忘れた…。どっかで拾えますか?

94 :
今回1月8日もPCかRadikoが不調(飛んだ?)のため失敗 (´・ω・`)。
帰宅後あわててスイッチを入れ直したところ(18分30秒あたり)からの録音となりました。
ビートルズカレンダー、アリステアの話し1、2、が抜けています。
アリステア・テーラーの話しは まあ案の定、まだビートルズに出会っていませんねw。
>>93 残念ながら、BayFM78のHPでは「ビートルズから始まる」のストリーミングはやっていませんね。
地方局への配信とかは不明です。

95 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年1月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
・18分30秒あたりから
  〜 Ray Charles / Hit The Road jack
  http://www.youtube.com/watch?v=ZKvhxapM5zo
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  (小林)これは(2曲目)1964年A Hard Day's Nightのころです。のアルバムに入っています。
  ジョージ・ハリスンが12弦のギターを弾いて、ジョン・レノンのギターのソロも聴こえます。
  まあ、ビートルズがギターバンドの始まりでもあったわけです。
  その前は(1曲目)1961年ちょうどアリステア・テーラーがブライアン・エプスタインと知り合った頃のアメリカでのナンバーワン。
  レイ・チャールズ(Ray Charles)全盛時代です。Hit the road Jack。

96 :
□アリステア・テーラーの話し(続き)
 ・「1961年当時の僕のボスだった、ブライアン・エプスタイン。 あれほどの切れ者を、僕はいまだに見たことが無いね。」
  こう語るのは、ブライアン・エプスタインのアシスタントを経てビートルズの会社アップルの総支配人となるアリステア・テーラー。
  彼の記憶をたどる興味深い物語、もう少し続けてみよう。
  1961年の10月のある日、ブライアンの店で、僕が勤務する店NEMSでビートルズのレコード「マイボニー(My Bonnie)」を探しに来た人物がいて、
  その青年の名が“レイモンド・ジョーンズ”だって伝説は有名だよね。
  だけど、実際にはそんな名前の青年はいないんだ。もちろん、イギリスやアメリカを探したら同姓同名のレイモンド・ジョーンズという人物は何人かいるだろうけど。
  とにかくNEMSの客にそんな人間はいない。
  これは、明らかにビートルズの研究者や熱心なファンが、でっち上げた間違った伝説だ、と断言できるね。 
  だって僕はその時代、間違いなくその現場にいたし、自分で接客もしていた。
  まあその間違った伝説はともかくとして、何週間か調べてやっとこのレコードの素性が判ったんだ。
  どうやらそれは、ビートルズのレコードじゃなくて、歌っていたのはトニー・シェリダンとビートブラザースていうバックグループがいたらしい。
  そして間もなくそのビートブラザースの正体がビートルズだってことが判明して、このレコードはドイツのポリドールに発注しないと手に入らないことも判った。
  つまり、イギリスのレコード問屋にも扱いが無いくらい、マイナーなレコードだったっていうことだね。
  それでもブライアンは僕にこう言ってきた。
  「まあ、いいだろう。そのマイボニーのレコード、25枚ほど仕入れてみようじゃないか。なんか、面白そうだよ。」

97 :
  〜 The Beatles & Tony Sheridan / My Bonnie
  http://www.youtube.com/watch?v=_bVEK8vUBng&feature=related
  〜 The Beatles/ Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey
 
  (小林)ポール・マッカートニーの得意技です。(2曲目)リズムアンドブルースのカバーです。
  "Kansas City Hey, Hey, Hey, Hey" ビートルズ1964年。
  そしてその前(1曲目)が、例の問題の“マイボニー”。
  最初はビートルズと名乗らずに“ビートブラザース”。
  歌っていたのはイギリスのトニー・シェリダン(Tony Sheridan)。
  そして、バックを務めていたのがビートルズ「マイボニー」。
  このビートルズの演奏は、リンゴ・スターはドラムじゃなくて、ピート・ベスト(Pete Best)がドラムス。
  で、ベースは、ヘタだと言われたスチュワート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)じゃなくてポール・マッカートニーが代わりにやっているという説もあります。
  でも、マイボニーてのはご存知かもしれませんけど、別にロックの曲じゃない普通のポピュラーな歌ですよね。
  このころは、このころから、世界各国で普通のロックの曲をね。
  新しい所ではマイウェーを…、これも新しくはないですけど、ピストルズがロックにしたじゃないですか。あれみたいに。
  日本なんかでも、そういうのが流行ったんですよ。夕焼け小焼け とかね。
  童謡なんかをね、わざとロックにしたりするのが。その一環ですね、マイボニーはね。
  そのマイボニーのロックバージョンは、マネージャーになる前のエプスタイン 、それから主人公のアリステア・テーラーにとっても、
  ジャズやクラシックが好きな人ですから、「うるさい楽器(ガキ?)の音楽だなあ。」耳にうるさかった。
  そんな時代です。

98 :
□リクエスト
  (小林)ちなみにメールアドレスは beatles@bayfm.co.jp 
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  珍しいでしょう。採用になるとミートボールなどが贈られるっていうことであります。
  (銚子市/男性)28歳。
  精神疾患を患っていますが、最近体調が良くなっています。(小林)良かったですね。
  リクエストはクリーデンスクリアウォーターリバイバル(Creedence Clearwater Revival)。
  (小林)前にもこの番組でしゃべったことがあるんですが、1968年当時、ビートルズが後半に入って来た時、
  ビートルズなんかよりも遥かにアルバムを売った、アメリカでは一番アルバムを売った、ロックグループであります。
  クリーデンスクリアウォーターリバイバル。
  70年代の初めぐらいまで、ちゃんと活躍していましたけど、レコード会社と揉めたりして解散になったりする、ちょっと不幸なグループなんですけど。 
  
  〜 Creedence Clearwater Revival / Fortunate Son
  http://www.youtube.com/watch?v=ec0XKhAHR5I

99 :
  〜 The Carpenters / I Won't Last A Day Without You
  http://www.youtube.com/watch?v=tt5huMICEwU
  (小林)カーペンターズのI Won't Last A Day Without You。
  あなたがいないと私は一日も持たない、っていう意味。ラブソングです。
   (浦安市/男性)
  HDDで録音してMP3に変換して携帯プレーヤーで通勤中に聴いています。(小林)便利な時代になりましたね。本当にねw。
  自分のビートルズのレコードを初めて買いに行った時のエピソードを、ぜひ聞いて下さい。
  ラジオから流れたLet It Beに感動し、翌日さっそくレコード屋に向いました。
  ビートルズはとうに解散していました。マッシュルーム頭のやんちゃな4人組というのは何となく記憶にありました。
  ビートルズのシングルのコーナーに行ってLet It Beを探し出しました。
  が、そこには長髪のヒゲ面の老けたビートルズが写っていました。
  当時小学生だったんですが、近所に学生運動をやっていた大学生が住んでいて、母親から「あんな風には絶対にならないでよ!」と言われていました。
  その風貌がジャケット写真とそっくりだったんです。なにか、急に怖くなったのと同時に罪悪感を感じてLet It Beの購入を断念しました。w(小林)面白いw。
  その代わり、帰りに全く毒されていなくて、親も納得するであろうカーペンターズのSINGを買って帰りました。
  いま振り返ると、笑い話です。そうです。その思い出の曲SINGのB面に入っていたのがこのI Won't Last A Day Without You。  

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