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2013年02月心と宗教177: 【暇な人が】初心者のキリスト教質問箱5【答える】 (752) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【暇な人が】初心者のキリスト教質問箱5【答える】


1 :2010/02/15 〜 最終レス :2013/02/10
このスレの主筆回答者、私、暇人が、キリスト教初心者や全く知らない方の疑問と悩みに、お答えします。
ギリシャ語も勉強したので、ギリシャ語関連の質問もどうぞ。
皆さん、利用してくださいね。
それから、みんなで支えあう初心者質問箱にしたいために、私、暇人以外の方が回答してくださることも、歓迎します。
皆様、宜しくお願いします。
_(._.)_
前スレ
【暇な人が】初心者のキリスト教質問箱4【答える】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1264647605/

2 :
おいおい宮崎康治
お前は精神病の治療に専念してろwwww
>>320
> キモい薬、処方されたから使ってみた。
> なんか変な感じ。
> 早く無くならないかな。
> 28回分あるのよ。
> 10回使ったら、捨てちゃお。

3 :
ふうん、、のぞぬはココモスキーだったのかww

4 :
(^^)ノシ

5 :
仏教の中のキリスト教、浄土真宗の開祖親鸞の逸話。
ttp://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/d30cc50871538a6eee2135ca82d975d4
親鸞が唯円に、おまえは私のことを信じるかと訪ねるところがあります。 それにたいして唯円はとうぜん「もちろんです」と応える。
親鸞「ならば私のいうことは何でも聞くか?」
唯円「かなずおおせのとおりにします。」
親鸞「よろしい、ではまず人を千人殺してみよ、そうすれば浄土への往生は間違いない」
唯円「おことばではございますが、私には千人どころか、ひとりでも自分ではRことはできそうにありません」
親鸞「ならばどうして親鸞の言うことに決して背かないといったのか」
(中略)
親鸞「これでわかったであろう。
もしなにごとも自分の意志によって事が成るとしたら、浄土へ行くために千人を殺せと言われれば、ほんとうにRかもしれないではないか。
それができないというのは、べつにそなたの心が善いからではないのだよ。
それは自分の意志によって、Rことができぬのではない。
なんらかの状況においては、人は苦もなく百人、千人をRこともありうるのだ。
このように、自分の心が善であれば往生にも良く、悪であれば往生の妨げになるなどと自分で判断してはならない。
自分の意志によって善となっているのではなく、 悪をなすのも、悪の意志によってなされるものではない。 」
これって突き詰めればキリスト教でいう原罪にならないかな?とふと思ったのでここに貼ってみた。スレ違いだったらごめん。

6 :
>>5
だからですね
善か悪かではなく
愛か 愛でないか なのです
ただ真宗にはとなり人への愛が人間に与えられていないのでXです

7 :
今週はヨハネの福音書の筆者を調べましたところ、グノーシス思想を持った方々
だという仮説に至りました。
【根拠となる文章】
(ヨハネによる福音書 1:5〜1:7) ※光と闇の二元論、グノーシスでは光=叡智
「光」は「闇」の中で輝いている。そして、闇は光を理解しなかった。
ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。
この人は証のためにきた。光について証をし、彼によってすべての人が信じるためである。
(ヨハネ第一の手紙 5:19〜5:20) ※反宇宙の二元論、グノーシスは智力の意
また、私達は神から出た者であり、全世界は「悪しき者の配下」にあることを知っている。
更に神の子がきて、「真実なかた」を知る「智力」をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。
「光と闇の二元論」や「反宇宙の二元論」はグノーシス主義の特徴です。
よく動物が自分のテリトリーに臭いをつけますが、ヨハネ伝の筆者もまた
自身がグノーシスだということを仲間には分かるように、ヨハネによる福音書
の冒頭と、ヨハネ第一の手紙の末尾に「認識」可能な文章として入れたことと
推察致します。

8 :
ユダヤ教徒も3共観福音書までの原始キリスト教徒も神は天の父(ヤハエ)であり
人々は神に祈りを捧げていたのですが、ヨハネ伝以降で二ケーア公会議以降は
預言者のイエス様の方に祈り、天の父に直接祈るクリスチャンが減ったのでは
との仮説を立てております。
ヨハネ伝には強い反ユダヤ教があるとすれば、祈る対象を変えてしまったという
ことはグノーシス側の勝利になるかと存じます。
またグノーシスとヨハネ伝との関係を調べていた人々の中には興味深い報告が
なされております。
それはグノーシスはヨハネ伝を護り活用しているということです。ヨハネ伝の
どこに「叡智」が伏されているかは、引き続き心ある皆様と調べて参りましょう。

9 :
>>7
だからヨハネ書の製作者は同時に書簡で神は愛であると断言しています
グノーシスにとって光は権威 権力 支配力 威力 栄光 名誉など
この世の利をもたらすものの象徴に過ぎません
そしてグノーシスの教えは人間を上下の階層でへだてるものです
そうではなく神の本質は愛であり 光は愛であり 神の光とは愛であること
この世の利とは無縁であり 本当の世界で私たちに降り注ぐ恩寵であること
これがヨハネが言い残した福音の証であり
ヨハネ書のコアなのです

10 :
神は光(叡智)、神は愛、イエスは神。
キリスト教化したグノーシス者達のはかりごとは、どこにポイント
があったのでしょうか。
もし皆さんのお近くに自称グノーシス者がおられましたら、
「ヨハネ伝を護持されますか?」と尋ねてみて下さい。
彼は真実の言葉を語ってくれるかと存じます。

11 :
>>8
共観福音書が成立した時期はまだ教会はユダヤ人が多く またグノーシスの思潮の影響力も弱いものでした
しかしヨハネ書は異邦人が多く教会に参画した時代
小アジアというヘレニズムの影響 グノーシス的な光の権威の思想が根付いていた地域に
伝道が広がったときに編まれた物です
ですからグノーシスと福音の相違をはっきりさせるため ヘレニズムのコンテキストを引いてより的確に福音の本質を説明した
光は単なる力ではなく愛であることを 異邦人に理解できるように解き明かしたのです

12 :
サロメさんの御蔭で、4福音書から少しずつ調査範囲を拡大しております。
仏教では「縁起の法」と申します。
新約の他の文献もヨハネ伝を護る為にアソートされたという仮説を
持って読みますと、色々と見えてまいりますが、またの機会に。

13 :
>>10
神の叡智は愛の叡智であり 人より個人がぬきんでるための道具ではない
グノーシシは所詮 力への憧憬と信奉に過ぎません
高山の頂にひとりで孤立し あとから来るものを蹴落とすのがグノーシス
となり人と力を合わせて大地を耕し 地に足をつけて 店のかなたの神をとなり人に愛し賛美するのがキリスト教です

14 :
>>12
グノーシスという名の我欲を甘やかし 放埓に育てる偽りの光を愛するあなたに救いはありませんので

15 :
>>6
サロメおひさw
理解した(多分
ただ、>>5で言いたいのは、極限状態でも隣人に与えられるか?ってことなんだよね。
平和な時に隣人を愛するのはどうって事ないけど、例えば戦争のようなときに敵を愛せるかどうか。
マザー・テレサならともかく、凡人には多分そんなの無理だよね。
隣人を愛せるのはそういう環境にあるからで、そうでなければ憎んでしまう。
だったら愛せる人と憎む人の差はなくね?
だったら人はもともと憎む生き物であると自覚して自制すべきじゃなかろうかとして>>5の原罪につなげてみた。
ちょっと強引か。

16 :
伝承により何故 サタンが光り輝く明けの明星と呼ばれたのか
サタンの光は夜明けに本当の光が太陽によって注ぐとはかなく消えてしまいます
神の愛の前において グノーシスの偽りの叡智など掻き消えてしまうのです
グノーシスは己を高みに置くルシフェルの光
在家が拝むのは光を偽るルシフェルの光ですw

17 :
>>15
ですからね
人間の愛の大きさを主は問われない
今でいうと数百円の最後の食事代の小銭を 賽銭箱に投げ込んだ貧しいやもめは紙様であるイエズスに絶賛されました
極限の状況で己の業・罪に振り回されながらも手持ちの愛を精一杯捧げることを
神は心から喜ばれるのです

18 :
>サロメさん
「そしてグノーシスの教えは人間を上下の階層でへだてるものです」
「グノーシスという名の我欲を甘やかし 放埓に育てる偽りの光を愛するあなたに救いは
ありませんので」
上(かみ)から目線というより、神(かみ)から目線になっておりますよ。

19 :
わたしには「グノーシス」というのは、別にユダヤ教やキリスト教の系譜で主張されるべき必然性
があるのかという疑問は前からあります。
というのはそれは要するに仏教やインド教などの「神秘主義」や「宇宙読解哲学」
あるいは「心霊主義」などの輪廻転生思想などの中で独立して存在し得る思想の
一つに過ぎず、
そこにとってつけたようにキリスト教を土台にすべき必要性は皆無ではないか?
と疑っています。

20 :
>>17
じゃあ神は愛せる人を喜んでるのか、それとも愛する行為をよろこんでるの?
愛せる愛せないは環境次第だし、愛する行為が問題だとするとそれは善悪の問題になるよね?

非常にくだらない質問になってるのは自分でも判ってるので無視してくれてもいいです。

21 :
神は御自分の民に 隣人を愛せと 言っているのであって
隣人を愛する人間が 御自分の民だ といっているのではない
人間が 他者隣人を愛せる愛せないが問題なのではなく
その人が 神に愛せされている 自覚の有無が問題なんだわ

22 :
>>18
神の愛は抱擁です
幼子のために背をかがめて相手の目線で抱きしめるのですよw
この世の栄光を夢見るグノーシスやあなたには理解しがたいでしょうがw
>>20
精一杯の愛を喜ばれるのだと思う
飢餓状態の中 配給された最後のパンを強制収容所でとなり人に与えた人は偉大
でもそれを自分で食べてしまい手元に何もなくとも となり人のために祈ることを忘れない人にも
神はまなざしを注がれるということでしょうね

23 :
>>21
いや
量が問われないのよ
外的な計量ね
何故全財産といっても僅かな小銭を差し出した女性が
莫大な金額を容易く寄進する金持ちより多くを差し出したことになるのが
主は寄進が不必要とは言われない
しかしが計量的な量が重要ともいわれない

24 :
まぁそれぞれの解釈が大切だと思うな 私はね

25 :
>ヨハネ福  3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛され
>た。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネ福音書は この世を悪とは してないのだわ
反対に 愛してるのだわ
この自覚は 重要なんだわつまり 人間はこの世を希望をもっていきてゆける

グノーシスは この世を悪とするんだわ
ブラトンもそうなんだわ
だから ヨハネ福音書は グノーシスではないし
キリシャ哲学的でもない非常にユダヤ的な 福音書なんだわ

26 :
愛は力でもあるんだ。
グノーシスは悪ではない。ヨハネ福当時はね。
キリスト教を密教化しようとしたから排除された。
キリスト教創成期グノーシスと、以後グノーシスは評価を区別すべきだ

27 :
黙示録にイエスも明けの明星って書いて無かったっけ。
一在家氏のヨハネ福音書観は本当に屈折してるなあ。
暇人氏の弁は「こーゆーもんだ」って感じの言い方だが、
彼のは未練と言うか執着を感じさせる。

28 :
>>26
だから御曹司w
善か悪かではなくて
愛か 愛でないか ですってw
グノーシスは明らかに愛ではありません
グノーシスが目指すのはこの世の栄光としての光であって
福音が伝える神の愛の光ではないんです
>>27
この世界の罪の中で羊達を神様の元へと呼び集める灯りとしての明星ですね
サタンの明けの明星は神への退行としての虚栄の光です
ここらへんの比較も面白いですね
あと在家が求めてるのはヨハネ書簡が排斥しているこの世の栄光としての
この世を向上して他人をみをろす光ですからw
屈折して当然でしょ 彼はリアルにおいて恐らく恵まれていないでしょうからw

29 :
サロメ。
言葉遊びするつもりはない。
善も愛も真も義も
一面であり、相互補完関係にある。

30 :
グノーシスは拝火教的善悪二元論思想だったような記憶が。それが正しいとすると
私はそういう思想はキリスト教であるとするのはちょっとおかしいかなと。
無神論的物理学起源の宇宙論では基本的には存在は一つの点から爆発膨張して
現在があるとされるように、哲学的宇宙論としても元は中性的一元論から出発
することになるとすれば、善悪二元論というのはいかにも古代神話的幻想の
世界観、あるいは多神教的多元思想的であるようにも思われ、キリスト教的
一神創造論とは親和しないのでは?
悪の力があまりにも強いのでそれを元からあった存在の構成要素とする行き方
がグノーシス的二元論で、原初の理想状態から堕落で離反したことで生まれた
悪という説明であった一神教的理解とは異質な気がする。

31 :
>>29
違います 神は愛なのです
共観福音書はまだユダヤ人社会が強い場所で読まれることを前提に
あくまでユダヤ人の中にいる異邦人を想定するのが精一杯でしたが
ヨハネ書になってはじめて 真っ向から異邦人に向けての福音を発したと思われます
そしてそのときに 月見さんのように 君臨する神 代価と引き換えに恩寵を渡す神
人間を奴隷として使役する神 信者にこの世の栄光だけをもたらす神とはまったく異次元な
無償 無量 無限の愛である神を伝えようとしたのですよ
そしてその時にあわせて教会の一部を混乱させていたグノーシスのとを引き合いに出した
そういったことであると思います

32 :
カトリックの使徒継承という概念に酔い、今度は愛に酔ってるのか。
神は愛なり
そんな事は当たり前の事なんだけど。
その、当たり前の事を「どや顔」で言われてもなぁ。

33 :
>>32
神は愛であり 愛は光であり 神は光である
ごく単純で明快ですよね?
でもそれなのに人間は己の罪のゆえにその単純な心理さえ理解できず 捻じ曲げる
光をこの世の力であるとして 偽りの光によって己を高みに押し上げようとする
だから私たちは繰り返し単純な真理の戻る必要があると思います

34 :
神は愛だから、万人救済こそ、神は望んでいますね。
滅びる人が一人でも存在するのは耐え難い。
愛は全てを望みますから。

35 :
深海魚や蛍が発光する光は
ルシフェリンという物質によるのだそうです
このルシフェリンは発光するさいにまったく熱を持たない
ルシフェルの光もそのようなものです
グノーシスが求める偽りの光は暖かさや優しさがない 愛のぬくもりとは無縁の光
この世の栄光だけを夢見させる光
在家や月見さんが本当の暖かい神の光のうちに戻られますように。。。

36 :
>>34
御神が差し出された御手を掴み
神の本当の暖かい愛の光の中に戻り
神を再び受け入れて神との愛のキヅナを取り戻した状態が
いわゆる 救われた 状態なのです
全人類がそうなれるように福音を述べ伝えましょうね^^

37 :
逃げずに考えてみなさい。


38 :
キリスト教においては、個人の悪、罪の転換としての救いがある一方、
イエスの終末論からもわかる通り、「悪」には最終的に滅ぼされるべき
「世」の悪もあり、その悪の側にいる「地に住む者たち」は転換不可能な
人々であった。
それは当時でいえばパリサイ人であり社会の支配層の者たちにあたり、
以降の歴史では歴史を動かしてきたダイナミックな悪の元締めたちであった。
その悪の悪たる根源は「支配」でありそれへの「意志」であり「欲望」であり、
「搾取」を根本とした「統治」の「主体」であり、その「地位」であり、そこに
居座り続ける「意志」であった。
それが最終的に「地を破壊する者たち」となり、人類の歴史に一つの終止符、
あるいは「露(あらわ)な区切り目をつける」暴挙に出る、これがイエスの
予言されたマタイ24章マルコ13章ルカ17章の「終末」であり、突然「思っても
いなかったときに」襲ってくる歴史上、最後の最大の大艱難となって引き起こ
されると説明されているものだった。

39 :
>>37
在家や古代のグノーシスが幻惑された
冷たい光 凍える光 滅びへの光
ではなく
暖かい光 溶けてゆく光 蘇る光
真の光の元に戻ってくださいね
考えずに味わいましょう^^

40 :
ヨハネ福  9:22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。
ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、
会堂から追放すると決めていたのである。

ヨハネ福音書のクルーブが 会堂から追放されたのは
密教化したから ではなくユダヤ教の18祈願の第12祈願の改訂だ
と言われているのだわ
ユダヤ教内の イエス理解の違いだ といわれているのだわ

41 :
愛を実践するには善悪の知恵は必要だよ。
蛇のようにさとく。

42 :
>>40
えっと^^
ヨハネ書を編纂した集団と
グノーシスに毒された異端集団は別ですよ?w

43 :
>>38 つづき
その時は、その「支配層」の隠された計画と意志によって、一般大衆の思っても
いない平時に、「娶り嫁ぎなどしている」ごく普通の日々に、いきなり引き起こ
される。
 「その日はノアのときのようにやってくる」(マタイ24章)
「人の罪がそれを自分で破壊したときに」→「神の不思議なしくみによって転換
される」のに対して、外部世界での「世の悪が破局を引き起こして主体以外を抹殺
する暴挙に出る時に」→「神がそこに待ったを掛けて終末の奇跡を起こし、残されて
いた者たちをまさしく物理的にも救ってしまう」これが起こる。
 「"地を滅ぼす者ども" を滅ぼされる時が来ました」(ヨハネの黙示録11章18節)
この内的と外的変化の、どちらもが「本当に起こる」、たぶんこれが「キリスト教
の真髄」なのです。

44 :
>>40
>ヨハネ福  9:22 後半
>イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。

「イエスをメシアであると公に言い表す者」
つまり キリスト教徒のことです

45 :
>>43 つづき
なので、本質的に「悪」と「善」が二元的に存在していてその多神教的相互作用
で歴史が「進歩」する、というのではなく、
イエスが言われたキリスト教としては、やはりあくまでも「悪」は人間の意志
としての「悪」であり、「支配意志」の具現化として君臨し続けようするものの、
最後は「その最大の現れとなった、その時にこそまさに滅ぼされる」運命にある、
これは善悪二元論的世界理解ではありえず、最終的には「滅ぼされるべき」仮の
状態としての「悪」、という見方が、真実のものとして正しい、とすべきとイエス
の教えた世界観は伝えていると思われ。
以上

46 :
>>44
月見が>>26でいってるのはユダヤ会堂から追放されたクリスチャンのことではなく
クリスチャンの教会から追放されたグノーシスのことです

47 :
グノーシスで面白いのは、
バウロは 肉の思いと 霊の思いの二元論的な対比を使う
しかし バウロをグノーシスだ という説はない

48 :
>>47
暇人によるとグノーシスらしいwwww

49 :
月見って妙な聖霊派だったせいか 信仰がぎこちないよね
幼子のようにならないと。。。  

50 :
追記
>>47
>肉の思いと 霊の思いの二元論的な対比
その場合でもたぶんその「肉の思い」は「いずれなくなるところの現時点での
一つの状態」と理解しているのでは?滅ぼされるべき一つの過渡的「状態」
としての「悪」があるだけであると。
「世の悪」もたぶん同じですが、現在でもその支配の意志と力は常に圧倒的で
あり、一般大衆には抗う術(すべ)など皆無、それほどに強い力を持っていて、
それがいつか大衆の大半を殺戮するまでに「姿を現すときが来る」、
そのときがその「悪」が栄える最後。そこでタオルを投げて、天を西から東に
ひらめき渡るようにして「イエス」が現れて、最後の取り仕切りを実行し、
状態が一気が転換する、それが「最後まで耐え忍ぶ者が救われる」(マタイ24章)
の実現となるのでしょう。

51 :
>>46
タイセンが言っているのは 密教化ではなく
キリスト教が 迫害されたことにより 信仰が個人化 秘密化して
孤立することにより グノーシス化していった
というのだわ
つまり 一部のキリスト教徒かグノーシス化したから 追放されたのではなく 追放されたからグノーシス化したんだわ

52 :
何で、そこまでグノーシスを毛嫌いするんだろね。
トマス福音書なんか、おもいっきり福音書の言葉も混じってるだろうに
新約の中にも創作された箇所はあるし、外典の中にも本当に語ったであろうイエスの言葉は混じってるよ。
それを目抜けるセンスを磨くべし

53 :
追記2
>>52
毛嫌いじゃなく、「多神教的」だから「本質的に」「ソリが合わない」かと。
そして結果として、最終的に滅ぼされるべき「悪」と「罪」がどこまでも生き残る
べきものとするとしたら、”本質的に対立してしまうが故に”排斥されてしまう、
のではないでしょうか?

54 :
>>51
一部のキリスト教徒が ですね
>>52
だからね
グノーシスの問題点はすでに指摘済み
この世の栄光やら力を崇拝してはいけない
神をそんなものの媒介にしてはいけないってこと
で これも繰り替えしてるけど
ある概念の言葉などを借用することと その概念を採用することとは違う
私はガンダムの哲学の言葉を使うが 富野教は信じませんw

55 :
神は愛なり
仏教的に問えば、神は法か身か?

56 :
月見ってリアル世界で愛を体験してないの???

57 :
聖霊を体験した時、圧倒的な神の愛を感じたよ。
でも、それは個人的な体験であって普遍化できないよ。

58 :
>>54
その考え方は、炭素年代測定なんて無かったエイレナイオス的な過去の遺物ですよ。
純粋にトマス福音書なんかの偶然に発掘された資料は、当時を知る上で大変に貴重

59 :
>>57
あー
自分で体験を血肉にしてないのね。。。。
>>58
重要なのは神の欠片をつつきまわすことではなくて
それを信仰で照らした場合どんな意味をもつのかですね
当時も今も福音には夾雑物が混ざりこむ可能性があり それをどう取り除くかが重要です
幸いグノーシスは発見され ヨハネ文書でそれを叩き台にしてより福音の本質を明らかにすることが出来ました
ヨハネ書は書簡とペアで読むべきであり そうすると神様の御本質 グノーシスがナニを崇めていたのか
クリスチャンが何故それを捨てるべきなのか
リアルに体験できます

60 :
>>58
たとえば私は今日
仏教の 浄土教の概念やら単語やら使って福音を語ることが出来ます
しかし浄土教の欠点は承知していますし
浄土教を信じたりはしません
グノーシスに対する当時のヨハネ書作成者も同じ気持ちだったのでしょう

61 :
サロメはね、自分の生きざまを模索してんじゃないの?
それには人の共感や賛同は必要ない。
伝道に目標を絞るなら、一切の議論を止めなさい。
とても楽しい事だろうけど、それを捨ててみなさい。
偉そうに言って悪いけど。真摯なアドバイスです。
君は聡明だから一度だけ言わせてもらいます

62 :
>>61
子供に戻りなさい^^
自分を育てなおすのよ^^

63 :
質問します。
イエス当時のイスラエルがローマの属国だったのは承知しています。
しかし、イエスが十字架刑になったとき、なぜローマの法廷で裁かれたのですか?
当時のイスラエルには、司法制度はなかったのでしょうか?
しかし、聖書によると「石打ちの刑」というのは行われていたようです。
(姦Rの女がつかまえられた場面からわかります)
少し不思議なので、どなたか詳しい人がいたら教えてください。


64 :
全くわかってない。

65 :
>>63
死刑だけは統治する属州総督の権限だったからです
でも大体の場合は属州の土着の慣習に従ったり 属国の習慣に任せました
ピラトがいったんユダヤ側に判決決定を投げたのもそのためでした 

66 :
イスラエルなんてもうその時無い。

67 :
サロメさんを聡明だとか頭が良いなどと言っている人に質問です。
サロメさんの書き込みのどこをどう読めばそのように思えるのですか?
とても不思議なので、どなたか詳しい人がいらっしゃいましたらお教え下さいまし。

68 :
サンチャゴの薄い頭では理解できないと思うw

69 :
ミクシーのプロフィールの年齢だけで推測するのですか?
オレの髪の伸びは速くて、しかも毎月すいてもらわにゃいかんくらいの密度っすょ。
理容師さん曰く、「うらやましい」らしいっす。

70 :
相当頭皮を気にしてるんですねwwwwwww
その中身のことですよ^^

71 :
聖書によると「石打ちの刑」というのは行われていたようですが、
これは、事実上の死刑だとどこかで見ました。
大勢で一人の人を取り囲んで石をみんなで投げつけるので、
誰の投げた石が致命傷になったかわからないため、投げる方も
罪の意識にとらわれなくてよいそうです。
でも、イエスは、わざわざローマで死刑にしてもらう必要があったのは
なぜなのかが疑問なんです。
また、当時はイスラエルではなくてユダヤということなんでしょうけれども
それならば、イエスのことを「イスラエルの王」と書いてあるのが不思議です。
ヨハネ福音書の一章に、ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
と書いてあります。

72 :
>>71
だから当時のイスラエルの側には死刑を裁断する権利がなかったから
それはローマの総督の権限だったのです
ただおおむね総督はそれを地元に○投げしていた でもイエズスの場合は
総督がエルサレムにきていて 彼を無視して慣例どおりにするのはまずかった
イエズスの支持者もおおかったですからね
ですからローマの権威で押し切ろうと祭祀長やパリサイは考えたわけです

73 :
>>72
>だから当時のイスラエルの側には死刑を裁断する権利がなかったから
ですから、「石打ちの刑」というのがユダヤ国内で行われていたのは
なぜか、と聞いているんです。
まさか「石打ちの刑」も、ローマの法廷で決めていたと思っているのですか?

74 :
愛もクソもあるかよ。
会社が倒産する原因を説明してみな。宗教だけでは説明が付かないから。

75 :

当時、イスラエルという国がなかったのに、なぜイエスが
「イスラエルの王」と言われたのかもわかりません。
どなたか詳しい方、教えてください。

76 :
>>73
ですからそういった慣習による処刑など殆どは地元の人間に丸投げしていたのです
いちいち総督が裁可するのは大変ですからね
ただそれはリンチであり本来は不当です
ですからたとえばローマ市民にそれをしたら大変なことになります
反逆としてその付近の人間が皆殺しにもなった例も 他の属州ではあります

77 :
>>75
イスラエルの王の称号のゆえに 反逆罪の理由の一つにされたんです

78 :
>>76
ありがとうございました。

79 :
治安の悪い町は、どうすれば平和になる?

80 :
イスラエルの王ってのは蔑称として付けられたものだ。
冗談でもローマの王とか言ったら言った奴の命が危険だ。

81 :
テンプレやスレタイに暇人とか暇な人と入れると
暇人好きなサロメがいついてしまうから
次スレからはずしてちょ

82 :
よく考えたらイスラエルの王だったか?ユダヤの王って言われたんじゃなかったか?
ま、どっちでもいいか。

83 :
>>80
そうか?
イエスの弟子・ナタナエルが
「あなたは神の子です、イスラエルの王です」って言っているんだよ
弟子の多くは、ダヴィデ王の子孫である(と信じていた)イエスがイスラエルの王となって、
ローマ人を追放して、祭政一致のイスラエル王国を再建することを信じていたんじゃないか?
で、イエスの罪状も「ユダヤ人の王」なんだね
これは、ローマにとって由々しきことだから、
ローマのイニシアティヴによってイエスを処刑したってことではないのか?
これが、単にユダヤ人にとって目障りなら石打という処刑方法ががあるにもかかわらず、
なぜ磔という処刑方法が選ばれたのかという、>>63さんの疑問ではないのか?

84 :
>>81
スレタイとサロメは、関係ないよ。
キリスト教質問箱でわかるよ、サロメは馬鹿だから何でも食いつく。
なんて言ったっけ?ブラックバスみたいなものでしょ。

85 :
>>83
いや
当時の祭司階級の圧倒的多数やパリサイ人はイエズスが救い主で
メサイアだなどとはまったく認めていない
当時 ユダや人達の不平分子は勝手にリーダーを王であると決め付けて蜂起した
このあとのバル・コクバがいい例ですね
祭司やパリサイ達はイエズスがそのレベルの人間であるとして葬り去ろうとしたのです

イエズスはそれまで何度も石打にかけられそうになりましたがそのたびにそれから逃れました
祭司やパリサイはそのときにイエススに論破され恥をかかされ イエススを信じるものは急速に増えていった
エルサレムに総督ピラトがきたのを好機にローマの力でイエススを捉え確実に処刑しようとしたのです
当時 属州で勝手に王を名乗ったら反逆罪で ローマではその処罰は十字架刑と決まっていたので
イエズスは磔にされたのです

86 :
妙な話だな。
そんな有名人を捕らえるのにユダを使わなければいけなかった。
不思議だねぇ。

87 :
その アレキサンドリアのヒィロンの書いた文書に
ビラトの罪悪の目録がある
その中に「裁判を通さない不断の処罰」というのがあるのだわ
イエスの処罰が サンヘドリンの決定を 経ているか
という問題は議論がある
のだわ
ピラトをはしめローマ関係者は イエスを直接知らない事は
十分に考えられる のだわ

88 :
>>87
繰り返すけど 死刑の決定は属州総督の重要な権能ですよん
だから少なくともユダヤ人からエルサレムにいた騒動を起こした集団の首魁として
イエズスの名を聞いていたのは確実
まぁピラト自身に言えば元ティべりアヌスの側近で 晩年粛清されたセイヤヌスの派閥の一員
よく殺されなかったねーっ人生だから彼の罪悪なるものの記録はあまりあてにならないかも
スターリン時代の政治犯の裁判記録みたいなもんでしょ

89 :
イエスのおもな活動が 神殿内だけだとしたら
ローマ当局の非ユダヤ人は エルサレム神殿には
入れないので イエスと面識が無かったことは
十分に考えられる
イエスの処刑が ローマ当局だけでおこなわれたと すれば
ユダのような 案内人は 必要だろうな

90 :
ローマの百人隊長がいたよね
彼は特例だったのだろうか

91 :
イエスはローマによって遵法的に処刑された。
しかし、その死の責任をユダヤに押し付けた。
ルカなんか顕著だね。

92 :
>>91
総督であるピラトは ローマの法から見てこの男に死刑に当たる罪は認められないといっています
本来は無罪ですね

93 :
ローマ法に騒乱罪はないのかい?
総督にとって収税の次に重要なのは社会秩序の維持だよ。

94 :
>>93
イエズスの地上生涯は信仰の領域の中での活動で
その主張は百人隊長や千人隊長などのローマ人の中流以上にもうなづけるものだった
逆にだからこそ祭司やパリサイには脅威だった
こんなところでしょう

95 :
ユダヤ人に罪はない。
Rなら何時でも殺せた。ステパノのようにね。
彼を殺したユダヤ人は何の咎めもない。
福音書は事実の記載ではない。
信仰としてフィクションを信じるなら、中途半端に史実を語るな。
事実を見極め、その中の真実を信じるなら、まず事実から目を逸らすな。

96 :
>>95
ローマの属州や属国統治の方針は死刑の権限は総督へ です
ただ極力住民の自治を重視したので慣習法による現地人の処刑は
半ば黙認でした
ステパノもその犠牲になったのです

97 :
なぜ、イエスはローマによって処刑された?
それもユダヤ人の要望によって、嫌々。

98 :
律法厳守のファリサイ派が ユダヤ人を 異邦人に
渡すだろうか?
当時のサドカイ派は サドク家ではなく ハスモン家系 でなかった?

99 :
サドク家系は エッセネ派でなかった?
エッセネ派は ユダヤ戦争をファリサイ派と共に
戦っいたようなきがする

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